リリカル・ニコラス 第七話「再開」



「ザジ……ザ・ビースト」


 まるで内臓から搾り出すような、そんな声でウルフウッドは呻いた。
 自分の目の前に立つ女……否、人間の女の形をしたモノの姿に思考が驚愕に染まる。
 長い金髪、褐色の肌、タンクトップのシャツにジーンズを纏った肢体は、かつて見た時より成長したのかより凹凸を増していた。
 それは人ならざるもの、GUNG-HO-GUNSが一人、ザジ・ザ・ビーストの“端末”。
 何故、どうしてこの者がここにいるのか。
 疑問を感じると同時にウルフウッドの五体から殺気が迸る。
 異常殺人能力者集団、GUNG-HO-GUNSの一人を前にしたのだ、ならばここから始まるのは闘争の宴しかあるまい。
 ウルフウッドの肉体から発せられる壮絶な気迫、それにちりちりと空気が焼けるような錯覚すら感じる。
 あわやこの場で戦いが始まるかと思われた刹那、ザジ・ザ・ビーストは笑みを浮かべた。
 柔らかな、少しの殺気も敵意も孕まぬ微笑で。
 そして次いで手を上げる、まるで降参の合図のように。


「おっと、落ち着いて欲しいな。いきなりズドンはごめんこうむりたいね」


 本当に敵対する意思は無いのか、ザジの気配には微塵の殺気も感じられなかった。
 その様により困惑するウルフウッド。
 そしてそれをさらに煽るように、背後から声が掛かった。
 先ほどまで懺悔を聞いていた相手、長身にややこけた頬の男が懺悔室から出て二人に向かって口を開いたのだ。


「おい、突然どうした? ザジの知り合いなのか?」


 意外な者からの意外な言葉、これにいよいよウルフウッドの混迷は極まる。


「なん、やと? おんどれ、こいつの知り合いなんか?」




 鮮やかな、燃えるような茜色の夕焼け空を見ながら赤毛の少年は歩いていた。
 目指すのは兄貴分の、あのでたらめなやさぐれ牧師のいる礼拝堂。
 そろそろ彼が引き受けた告解を聞く時間も終わる頃合だ、迎えに行って一緒に帰ろうと少年は足早に目的地へと向かう。
 射し込む西日の眩さに目を細めていると、そこで少年の目に一つの影が映った。
 視線を向ければ、教会敷地内の片隅に一人の少女が立っていた。
 背丈から年の頃は自分と同じくらいだろうと推察できる。
 時節はそう寒くないのにフードを深く被っているのが目に付く。
 いや、それだけでなく一人で夕暮れのこんな場所に年端も行かぬ少女がいる事が気がかりだった。
 エリオはそこで足を止め、思慮を巡らせる。
 ウルフウッドを迎えに行くのは後でも大丈夫だろう。
 しかしこの少女が何かしらの問題、道に迷っているとか、何か困っていたら大変だ。
 そう判断し、エリオは彼女に声をかける事を決意する。
 一歩ずつ近づくにつれて心臓の鼓動が僅かに高鳴るのを感じつつ、少年は少女に第一声を発した。


「あ、あの……」


 瞬間、少女が振り返る。
 同時に、羽織っていたフードが風に舞って素顔が露になった。
 紫色の艶やかな髪を揺らした、赤い、見る者に魅入られる事を強制する妖しい程に美しい瞳の少女。
 その眼差しに見つめられ、瞬時にエリオの鼓動が爆発的な勢いで跳ねた。
 頬が熱くなっていくのを感じる、きっと今の自分の顔は真っ赤になっているだろう。
 カリムやフェイトにシャッハ、エリオの周りの女性は皆美人ばかりだ、でも目の前の少女の美貌は少々違う。
 前者が眩い太陽のような、見る者の心を温かくさせる美しさならば……この少女はさながら月、。どこか冷たく、されど美しく魅入られる。
 エリオは思わず息を飲み、言葉をなくした。
 そんな少年の様子に、少女は無表情のまま不思議そうに首を傾げる。
 それはまるで子犬かなにかがするようでもあり、美貌と相まって実に愛らしい。
 可愛い少女の様に、数秒間呆けていたエリオは意識を取り戻し、慌てて言葉を紡いだ。


「い、いや! その……こんなところでどうしたのかな? って、さ……」


 舌が上手く回らぬ中、少年は少女に問うた。
 対する少女の反応は無、エリオの言葉に何も返さず、ただ沈黙を守る。
 眉一つ動かさず唇も真一文字に結んで動かぬその様に、少年は懸念を抱いた。
 もしかして言葉が通じていないのだろうか? と。
 この少女が自分の知らないどこか別次元の世界や国から来たのならば、その可能性は決し低くはない。
 そうだったならばどうしようか、エリオは焦る。
 だが次の瞬間、その心配は少女の発した言葉に霧散した。


「……礼拝堂」

「え? 今なんて?」

「……礼拝堂、っていうところ……探してる」


 礼拝堂、先ほどまで自分が目指していた場所だ、分からない訳がない。
 少年は問う。


「礼拝堂に行きたいの?」


 コクン、と、少女は首を縦に振って肯いた。
 紫の髪がフワリと舞って甘い香りを漂わせ、エリオの胸の鼓動をさらに早める。
 高鳴る心臓の音を感じつつ、少年は少女に尋ねた。


「あ、あのさ、実は僕も礼拝堂に行くところなんだ」

「……本当?」

「う、うん。だからさ、その、もし良かったら一緒に来ない?」


 一拍の沈黙。
 少女は先ほどと同じ無表情のまま、しばしの間思案する。
 そして、結論が出たのかコクリと肯き言葉を紡いだ。


「……じゃあ、行く」

「そう、じゃあ一緒に行こう……えっと」


 少女の名を言おうとして気付く、そういえばまだお互いの名前なんて知らなかった。
 言い淀む少年の様に、少女は彼の内心を察したのか、ポツリと言葉を漏らした。


「……ルーテシア」

「え?」

「……ルーテシア・アルピーノ……わたしのなまえ」

「そ、そう、アルピーノさん、ね……僕はエリオ、エリオ・モンディアルって言うんだ。よろしくね」


 言うや、エリオはルーテシアと名乗った少女の手をそっと握る。
 触れた少女の手は柔らかく、そして少しひんやりしていて気持ちよかった。
 瞬間、自分の手を握られたルーテシアはきょとんとして目を丸くする。
 同じ年頃の、それも異性に触れられるのは彼女にとって初めての事だった。
 自分より少し硬くて、そして温かい手の感触。
 どういう訳か少女の頬は僅かに紅潮し、鮮やかな朱色に染まる。
 そんな彼女の変化を知らず、エリオはそっと手を引いた。


「ほら、こっちだよ」

「……うん」


 ゆっくりと、後ろの少女の歩幅に合わせて少年は歩き出した。




 程なくして、二人は目的地に到着した。
 厳かな雰囲気を感じさせる神聖な施設、礼拝堂。
 礼拝堂の大きな正面の戸の前を見れば、そこには既に先客がいた。
 艶やかな金髪を揺らし、たおやかに熟れた肢体を黒い教会法衣に包んだ美女。教会騎士カリム・グラシアである。
 近づくこちらの足音に気付いたのか、ふわりと輝く金髪を揺らしてカリムが振り向く。
 見知った少年の姿に、美女の顔には柔らかな微笑が浮かんだ。


「あらエリオ君、ごきげんよう」

「あ、はい、騎士カリムごきげんよう」


 彼女の笑顔と挨拶に自分も同じものを返し、エリオは軽く一礼する。
 と、そこでカリムが不思議そうに首を傾げ、尋ねた。


「ん? そっちの子はどなたかしら?」

「え? ああ、この子は、その……」


 自分の少し後ろで立っていた少女、先ほど出会った物静かな女の子、ルーテシアの事を問われた。
 彼女の事を何と答えれば良いのか、エリオは僅かに考える。
 しかし、少年が返事を言うより先に目の前の女性は含みのある微笑と共にとんでもない事を口走った。


「もしかしてエリオ君のガールフレンド?」

「ガ、ガガ、ガールフレンドッッ!? ち、違いますよ!」

「本当に?」

「本当です!」


 どこかからかうようなカリムの笑みと言葉に、エリオは顔を真っ赤に染めて否定の言葉を吐く。
 まだまだ青い少年にとって、ガールフレンドなどという甘酸っぱい言葉は果てしなく羞恥心を煽るものだった。
 頬を染めて恥ずかしそうな顔をするエリオを、カリムは実に楽しそうな微笑を浮かべている。
 どうにもこの生真面目な少年を弄くるのは楽しいらしい。
 ただ、エリオの後ろにチョコンと立っていた少女は言葉の意味が良く分からないのか、無表情のままに首を傾げて頭上にクエスチョンマークを掲げる。
 そしてエリオの服をちょいちょいと引っ張って、彼に尋ねた。


「……ガールフレンドってなに?」

「え? い、いや、それは、その……」


 なんと答えるべきか分からず、少年は頬を朱色に染めてオロオロと慌てる。
 と、そこでひょいと顔を覗かせてカリムが口を出した。


「ガールフレンドっていうのはね、男の子と仲の良い女の子の」

「ストップ! ストーップ! 勝手に変な事吹き込まないでください!」

「あらあら? 照れちゃった?」


 カリムはどこか悪戯っぽい微笑みを浮かべ、エリオをからかうように言う。
 対する少年は羞恥心を煽られ、赤い顔をさらに朱色に染めた。
 そして、なんとか流れを変えようと彼は言葉を紡ぐ。


「と、ともかく! 騎士カリムもニコ兄に会いに来たんですよね? 早く入りましょう」


 やや強引に言い切るや、エリオはカリムの横をそそくさと歩き、礼拝堂の大きなドアを開けた。
 長年使い古された蝶番が、ぎぃ、と軋みを上げてゆっくりと動く。
 木製の扉が開いた先には、その場の三者が求めていた相手が揃っていた。
 ずらりと並ぶ長椅子と祭壇を持つ礼拝堂、壁際に設置された懺悔室の前に三人の男女がいた。
 黒髪に黒スーツの男、この日の懺悔を聴取するべき司祭の代理人。
 その男に懺悔を吐いた長身のベルカ騎士。
 そして、浅黒い肌に金髪を持つ美女が一人。


「ゼスト、ザジ」


 ポツリと、まず普通なら聞き逃してしまいそうな声量で少女、ルーテシアは騎士と美女の名を口にする。
 彼女の声に、まず振り向いたのはザジと呼ばれた女性だった。


「ああ、ルー。迎えに来てくれたのかい?」


 問いに、少女は小さく頷いて了承の答えを返す。
 そのやり取りの傍らで、エリオとカリムもまた自分たちの目的の相手に声をかけた。
 ただし、こちらは前者とかなり違う雰囲気で。


「ちょ! ウルフッドさん!」

「ニ、ニコ兄! なに壊してるの!?」


 怒りを露に詰め寄る二人。
 無理もない。
 礼拝堂の床の上には、先ほどウルフウッドが勢い良く蹴飛ばした懺悔室のドアがあったのだから。
 問い詰められたウルフウッドは咄嗟に釈明を述べる。


「い、いや落ち着け、これには深い訳が」

「どういう深い訳があったら懺悔室のドアをブチ破るんですか!」


 烈火の如く怒ったカリムが顔を怒気で頬を淡く上気させて詰め寄り、ビシっと指を突きつけた。
 かつては超異常殺人能力者集団、GUNG-HO-GUNSの一員としてチャペルの二つ名を冠したウルフウッドであるが、どうにもこの女性には頭が上がらない。
 ご立腹のカリムに彼は必至に言い訳を並べるが、しかし彼女の怒りは一向に納まることなく、あれやこれやと彼を叱りつけた。
 まるで生徒を叱る先生のようで、なんとも微笑ましい光景。
 この情景に、ふと笑い声が礼拝堂に響いた。
 声の主は褐色の肌の美女、ザジ・ザ・ビーストだった。


「はは、まったく、あのチャペルが形無しとはね。聖王教会の女性はおっかない」


 愉快そうにくつくつと笑うザジの言葉に、カリムは自分がみっともない様を見せていると気付いて顔を真っ赤に染めた。
 ウルフウッドから一歩身を引くと、彼女は話題を逸らそうと見慣れぬ褐色の女性に話しかける。


「あ、えっと……ウルフウッドさんのお知り合いですか?」

「ん? ああ、まあそんなところだよ。ね?」

「あ? いや、まあ確かにそうやけど……」


 ザジ・ザ・ビーストは屈託のない笑顔でウルフウッドに問うた。
 求めているのは自分の言葉への了承で、そこには微塵の悪意も感じない。
 これに彼はいよいよ混乱する。
 相手の意図がまったく読めないのだ。
 かつての同胞、同じくGUNG-HO-GUNSに身を置いた異形の者。
 それが笑顔で敵意も悪意も殺意もなく、目の前にいる。
 確かにザジ・ザ・ビーストという存在は人間に対して明確な敵意を抱く存在ではなかった。
 しかし、今目の前にいる彼女は、否、“彼ら”は何かが違う。
 以前はあの笑顔の下に、どこか得体の知れない気配を感じたものだ。
 ザジ・ザ・ビースト、純然たる“人外”。彼らは人ではない。
 惑星ノーマンズランドに移民船によって人間が降り立つ遥か以前から住んでいた、ワムズと呼ばれる蟲系生物の一群である。
 高度な知性を持った彼らは人間を端末と称して支配し、利用する。
 目の前にいるこの美しい女性は、正しくそうして蟲の走狗と成り果てた人ならざるものなのだ。
 それが、今はどうだろうか。
 まるで威圧感の欠片もない、本当にただの人間のようだった。
 そんな事を思う彼の気持ちなど知る由もなく、傍らのカリムが口を開く。


「あ、でしたらご一緒に孤児院の方に行きませんか? 今丁度、お茶の用意がしてあるんです」


 彼女が発したのは、何てことのない善意からの誘いだった。
 だが、ウルフウッドからすれば悪魔を我が家に誘い入れるに等しい。
 しかし、即座に否定の言葉が出ず、彼が自分の意思を告げるより先に正面の美女が言う。


「ええ、喜んで。良いよねルー?」


 了承の意を求めての問い。
 問われた少女もまた了承を求めるようにゼストに視線を向け、首を傾げる。
 彼が頷けば、ルーテシアもこくんと小さく頷いた。


「うん、良いよ」




「ねえねえ、おなまえなんていうの?」

「おうちどこ?」

「どこからきたの?」

「きょうからここにすむの?」

「エリオのおともだち?」

「クッキーたべる?」

「おちゃおいしいよ?」


 それは、疑問符を連ねた言葉の嵐だった。
 投げ掛けたの孤児院の子供たちで、投げ掛けられたのは紫の長髪を揺らした少女、ルーテシア。
 先ほどカリムらに案内されてここに来た彼女は居間に案内され、そこにある大きなテーブルに腰掛けた。
 紅茶とクッキーが差し出されたのと、孤児院の子供たちが雪崩れ込むのは同時だった。
 年も背丈もバラバラの女の子男の子がいっぱい現れたかと思えば、もう次の瞬間には質問の言葉が溢れた。
 初めて見るルーテシアに興味津々の子供たちは、目をキラキラと輝かせて彼女に詰め寄る。
 今まで同年代の子供とほとんど接した事のないルーテシアは目をパチクリとさせて唖然とした。
 なんて言えば良いか分からず、いつもの無表情でちらりと縋るような視線をゼストに向けた。
 テーブルに腰掛けて紅茶を傾けていたゼスとは少女の視線に、ただ静かな微笑を見せるだけだ。
 熱気を孕んで自分を取り囲む子供達に、どうしようか、と眉だけを困ったように下げる。
 と、そこに助け舟が入った。


「はいはい! 皆があんまりいっぺんに喋るから困っちゃってるじゃないか」


 少年が言葉と共に子供たちの間に割って入ってきた。
 それは、先ほどルーテシアを礼拝堂に案内してくれた赤毛の少年、エリオだった。
 エリオの言葉に、子供らは渋々といった面持ちで、はーい、と答える。
 まだ小さいながらも、どうやら彼はリーダーシップを持っているらしい。
 質問の嵐から難を逃れたルーテシアは傍にいたエリオの袖を引っ張って、これ以上言葉の洪水に飲まれないように彼の後ろに隠れた。
 いきなり女の子に抱き縋られた少年は顔を真っ赤にして慌てる。
 が、少女はそんな事などお構いなしで身体を引っ付けた。
 まだ凹凸など欠片もない、成熟も知らないなだらかな乙女の肢体の感触。
 そして甘やかな髪の香りが一層少年の羞恥心を煽った。
 顔を赤くする少年と、無表情に彼に擦り寄る少女。
 微笑ましい様に、それを見ていたカリムやシャッハ、そしてゼストは微笑を浮かべた。
 部屋の中から、いつの間にかウルフウッドとザジがいなくなった事を知らず。




 木材の軋む音がする。
 孤児院の二階スペースの廊下を、二つの人影が歩いていた。
 褐色の肌に金髪の美女、ザジ・ザ・ビーストと、黒のスーツを纏った男、ニコラス・D・ウルフウッドだ。
 先を歩くウルフウッドと、彼の後を追うザジ。
 両者の間には一定の間隔で距離があり、警戒の色が透けて見える。
 ウルフウッドは見えぬからと言って決して油断する事無く、間断なき注意を向けていた。
 そして、二人は程なくして一つのドアの前に立つ。
 そこには表札が掛かっており、一つの名が記されている。
 Nicholas・D・Wolfwood 、と。
 ウルフウッドは自室のドアを開くと、後ろのザジに視線で入るよう促す。


「それじゃあ、お邪魔するよ」


 まるで警戒心のない声で告げ、彼女は悠々とウルフウッドの自室に入る。
 入室するや、物珍しそうに部屋の中をグルリと見渡すザジ。
 だがゆっくり見つめる時間はなく、次の瞬間には彼女の身体が揺れた。
 動作は倒れる動きであり、その肢体は部屋に置かれたベッドの上に倒れこんだ。
 後ろから勢い良く突き倒したウルフウッドが原因で、彼はそのままザジを押し倒し、圧し掛かる。
 後ろから両腕を捻り上げられ、組み伏せられる女体。
 突然の痛みに彼女の表情が苦しげに歪む。


「い、いきなり酷いなぁ……こんな事を」


 して良いのかい? と続けようとした。
 が、それより早く後ろの男が告げる。
 静かに、だが確かに耳に届く声で。


「黙れ」


 まるで地獄の底から響くような声だった。
 美女の身体がその気迫に強張り、汗に濡れる。
 背後から浴びせられる殺気が生物的な本能の部分で、ザジの肉体を圧倒しているのだ。
 ウルフウッドは自分の言葉で彼女が押し黙るとその肩を掴み、転がした。
 金の髪が揺れ、ベッドのスプリングが軋み、美女の肉体が仰向けにされる。
 そして、その顎先に冷たい鋼鉄が触れた。
 それは拳銃。
 黒色の鋼で作り上げられた兵器、ウルフウッドがかつての故郷で何度となく人命を屠った得物。
 暗いその銃口が今、ザジ・ザ・ビーストの顔に突きつけられた。


「凄いね、いつの間にそれを抜いたのかな?」

「まだそないな事が言えるちゅうのは、随分余裕やな」


 どこかふざけたような言葉への返礼は、セイフティを外す動きと殺気を孕んだ視線だった。
 だがそれでもザジ・ザ・ビーストの表情には変わりなく、静かに微笑を浮かべて言葉を連ねる。


「いや、別に余裕がある訳じゃないさ。単に冷静なだけだよ。君はこんな場所でそう簡単に人を殺せる人間じゃないだろ?」

「相手が“人間”やったらな」

「はは、厳しい事を言うね」


 茶化すような言葉にウルフウッドは語気を強め、牙を剥いて吼えた。


「冗談抜かすな! 正直に目的を言えや!」


 向けられる銃口と殺気に冷や汗を流しつつ、それでもなおザジは表情を崩さず、


「目的、ね。別に君に害意を成す気はないんだけど……そうだな、じゃあ、少し“お話”でもしようか。君が消えた後の世界の話だ」


 静かに語り始めた。
 それはウルフウッドがいなくなった後の、ノーマンズランドの物語だ。
 プラントを吸収し続け、人知を超えた力を得たナイブズ。
 最後の七大都市オクトヴァーンを最終拠点として集った人類。
 ヴァッシュ・ザ・スタンピードと共に戦うリヴィオ。
 そして、ナイブズの力を得ようと叛意を剥きだしたザジ・ザ・ビースト。
 ナイブズとザジとの戦いは、後者の敗北により締めくくられた。
 彼女とワムズの長が斃された事によって。


「ちょい待て、お前あのナイブズを殺ろうとしたんか? それに、長が斃された、て」

「言葉通りの意味だよチャペル、まあ落ち着いて続きを聞きなよ」


 告げられた言葉に疑問符を浮かべるウルフウッドを制し、ザジは説明を続ける。


「我々は彼を、ナイブズを危険だと判断してね、蟲で脳を支配して力をそのまま頂こうと思った訳さ。だから叛意を剥いた、たったそれだけの事だよ」


 言いながら彼女は、でも、と零して自分の服に手をかける。
 タンクトップの裾をめくり上げれば引き締まった下腹部が覗き、そして一つの傷が現れた。
 大きな傷だった。
 左右水平に刻まれた傷は、それこそ腰をクルリと一回りして付けられている。


「少々彼らを甘く見すぎたみたいでね、手痛い敗北を喫したよ。私はブルーサマーズに身体を真っ二つにされて、長はナイブズの攻撃で消し飛んだ」


 その言葉に、ウルフウッドの思考にまた疑問符が生まれた。
 ザジの言う言葉が真実ならば、何故彼女は存在しているのか。と。
 肉体を両断されたのでさえ生きているのが不思議な程の重症だろうし、何よりワムズの長の死というのが最大の問題だ。
 彼らという種族は、詳しい事は分からないが種族の中心となる長の存在があってこそ知識や意識を維持できるのではないか。
 ならばその長が亡くなった今、どうして目の前のザジ・ザ・ビーストはこうして以前と同じ意識を持っているのか。
 幾つもの疑問が湧きあがり、渦巻く。
 が、ウルフウッドがそれらを口にし、問うより先に眼前の美女は言う。


「まあ、本来なら私もそこで長もろとも死ぬ筈だったのだけれどね。ルーのお陰で九死に一生を得たよ」

「ルーて、ルーテシア言うてたあのちっこい嬢ちゃんの事か?」

「ああ、彼女は召還師なのさ」


 召喚師、それは魔導師の一種である。
 異界より生命体を呼び出し、己の僕として使役するのがその本領。
 ウルフウッドもこの世界に来てから、魔導師に関する書物でその事は知っていた。


「つまりお前を召喚獣、いやこの場合は召喚蟲か。そういう具合で呼び出した言うんか?」

「ご明察。どういう訳か、彼女の召喚蟲である私は長はいなくとも以前と同じ知識と知性を失わないで済んでいるんだ。
そして真っ二つになった身体は彼女らの知り合いの“ドクター”に治療してもらってね、今はこの通り五体満足さ」


 腹部の傷を撫でつつ、微笑を浮かべて言うザジ。
 その表情にも言葉にも虚飾はなく、ウルフウッドの眼から見ても虚偽があるとは思えなかった。


「じゃあ、お前は本当にもうガンホーとは関係あらへん言うんやな」

「まあね。今の私の主はナイブズでも長でもなく、ルーだから」


 言葉と共に彼女が見せる笑みは、毒気がないどころかとても愛らしかった。
 以前はその一見無邪気な笑みの下に、底知れない人外の気配を感じたものだが。
 これがルーテシアという少女の僕となった影響なのか、そこまではウルフウッドにも分からない。
 だが、確かにザジ・ザ・ビーストはもう敵でないという事実を彼は認める。


「そうか、ならおんどれの言う事信じたるわ」

「分かってくれて何よりだね。じゃあそのおっかない物を早くどけて欲しいんだけど」


 そう言い、彼女は眼前の銃口を指でつつく。
 ザジの請いに、ああ、と返事を返しつつウルフウッドは銃を懐に仕舞った。


「これで和解できたかな?」

「お前が変な気を起こさへんならな」

「酷いなぁ、私がそんなに信用できない?」

「今のところは半信半疑や」


 口元に苦笑を浮かべ、二人はそう言葉を交わした。
 なんとも奇妙な気分だった。
 かつての世界では同じくGUNG-HO-GUNSの一員としてナイブズに仕え、そして敵として相対した。
 そんな相手とこうして違う世界で巡り会い、鉛の弾でなく言葉を交わすという。
 まるで冗談みたいな話だ。
 あの砂の星にいた頃は想像もできなかった。
 もしここにあの能天気な平和主義者がいれば、戦いもなくかつての敵と平和な場所に生きられる事を喜んだ事だろう。
 ふと、彼はそんな事を思った。
 そしてそんな時だった、外からばたばたと足音が聞こえてきたのは。


「ニコ兄ー、ここにいるの?」

「ウルフウッドさん、探したんです……よ」


 現れたのはエリオとカリム、そしてルーテシアらであった。
 ドアを開けた瞬間、カリムは言葉を失い固まる。エリオもまた眼を丸くして硬直していた。
 どうしたんやこいつら? とウルフウッドは疑念を抱く。
 が、そこで彼は気付いた、今の自分の状態に。

 ――彼は現在、ベッドの上でザジを思い切り押し倒していた。

 おまけに彼女は服をめくってその引き締まった美しい下腹部をこれでもかと見せ付けている。
 なんというか……どこからどう見ても情事の最中としか言い様がない。
 ウルフウッドは即座に立ち上がるや、否定の言葉を吐く。


「ちょ、ちょい待て! 違うで? 別にやましい事なんてしてへんで!?」


 大慌てで釈明するウルフウッド、だがそんな彼にカリムは笑顔で固まった顔のまま氷のように冷たい視線を向ける。
 説明すればするだけなんだか怪しいのだろう。
 しかもそこに追撃が入る。
 ルーテシアが首を傾げ、無垢な瞳で不思議そうに問うた。


「ザジなにしてるの?」

「この場でいきなり押し倒されて無理矢理ベッドに」

「おいこら! 変な事言うなや!!」

「単に事実を言っただけだけど?」

「それがいかんちゅうねんッ!」


 声を荒げるウルフウッド、もう涙目である。
 そんな彼の様にルーテシアはまた首を傾げ、傍らのゼストに、じゃあおしたおしてなにするの? と聞いていた。
 ゼストは顔をしかめて静かに、お前にはまだ早い、と返している。
 エリオは何となく意味が分かるのか顔を真っ赤にしていた。
 そして、一人カリムは微笑を浮かべていた――額に血管を浮き上がらせて。


「ウルフウッドさん……」

「あ?」


 名を呼ばれ、ウルフウッドが振り返る。
 すると彼の視線に高速で動くものが映った。
 それはカリムが繰り出すロシアンフックの一撃であった。


「このスケベェェェェエエ!!!」


 強烈な打撃に、ウルフウッドの体躯が盛大に吹っ飛んだ。


 今日も世界は平和だった。



続く。


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最終更新:2009年10月01日 17:09