リリカル・ニコラス 第六話「懺悔」
「司祭様、私は罪を犯しました」
薄暗い小さな部屋、罪人たる人が己の罪を髪の御前で吐露し許しを請う場所、懺悔室の中で男はそう漏らした。
そして待った、目の前のヴェールの向こうに座しているであろう神の従者であり、罪の告白を聞き届け自分に許しを与えてくれるだろう司祭の言葉を。
普通このように懺悔をする場合、司祭の返答とは“どんな罪を犯したか”である。
だが返って来たのは妙な返事だった。
「司祭やない、牧師や」
独特の訛りを持った言葉、俗に関西弁と呼ばれるそれが答えた。
想像していた返答とあまりにかけ離れた言葉に、男は思わず素っ頓狂な声を漏らしてしまう。
「へ?」
「だから司祭やのうて牧師なんやって、わいは」
「は、はあ……では牧師様、私の罪の告白を聞いてください」
「おう、ええで」
牧師を名乗る男の軽い返事、なんともフランクな懺悔もあったもんだ。
しかしどんなにいい加減に見えても、ここは聖王教会本部にある礼拝堂の一つ、相手はきっと徳の高い聖職者に違いない。
だから包み隠さず語った、己の犯した罪を洗いざらい。
そして求めた、聖王の名の元に与えられる許しを。
だが返って来た言葉ときたら。
「うわ、浮気かいなぁ。あかんで、そういう事したら」
「いえ……それは、その、そうなんですが」
「まあ、相手がそないなけしからん身体の美少女やったらしゃあないかもしれへんけどなぁ。でもあかんで浮気は」
「……」
「奥さんかて気付いとるかもしれへんのやろ? もうここできっぱり関係切らななぁ」
「……」
「ああ、すまんすまん。言い忘れとった。聖王の御名の元にあんたの罪を許すで」
八百屋で大安売りの野菜の如くに、牧師を名乗る男は簡単に許しを与えた。
恐らくは聖王教会が始まって以来のフランクな懺悔であろう。
ある意味罰当たりなトンチキ懺悔をした牧師、かつては砂と暴力が渦巻く惑星ノーマンズランドでパニッシャーの二つ名を冠した殺し屋。
その罪深き者の名、ニコラス・D・ウルフウッド。
今は聖王教会の孤児院の先生兼見習い修道僧である。
□
事の発端はウルフウッドが孤児院以外にも何か教会の仕事に関わろうと神学や聖王教会の聖職者としての勉強を始めた事。
元より、デタラメとはいえど流れの牧師として生きていた彼には、教義や形態の似ている聖王教会の職務は案外と馴染みやすいものだった。
勉強を始めてそう時間の掛からぬ内に、彼は孤児院の子供達に神への祈りを簡単に説く程度にはなった。
そんなある日、カリムからある相談をされた。
教会の司祭が何人か食中毒で入院したというのだ、原因は食堂で食べた痛んだなまもの。
そこで懺悔を聞く仕事だけでも頼まれてくれないか? というものだ。
ウルフウッドは二つ返事でイエスと答えた。
前いた世界でも“ザンゲ箱”なる物で旅先で出会った人間の懺悔を聞こうなんて考えたくらいだ。
だから教会での本格的な懺悔もやってみて良いだろう、と。
そして今に至る。
「ああ、あんがいシンドイんやなぁ……懺悔ちゅうのも。モクが恋しいで」
深い溜息と同時に、ウルフウッドは心底疲れたようにそう呟いた。
何人も何人も、多くの人間の罪の告白を聞き続けるのは実に骨の折れる事だった。
まあ、それを苦痛に感じて投げ出すという事は流石にしないが、ヘビースモーカーの彼には少々紫煙が恋しい頃合だ。
朝に吸ってからもう何時間も経っている、既に外では日が落ち始めていた。
そろそろ懺悔室を閉めても良い時間だろうか、ウルフウッドは懐に入れた煙草の紙箱を指で弄りながらそう思い始める。
丁度そんな時だった、礼拝堂の戸が開く音が響く。
そして続く足音、耳に伝わる感覚、歩幅と古びた床を軋ませる残響から大柄な男だろうと推察できる。
懺悔に来たのだろうか、火の点いていない煙草を咥えつつそんな事を考える。
足音の主はウルフウッドの予想通り、懺悔室の戸を開きヴェール越しに彼の目の前にやって来た。
「罪の告白を……頼めるか」
抑えられた声量で響く男の声は、低く渋い残響だった。
壁とヴェールで隔てられているにも関わらず、声の主からは空気を滲ませるような存在感を感じる。
男の言う“罪”の意識がそれを生むのか、それは分からない。
ただウルフウッドは、相手だけに聞こえるような声量で答えた。
「ああ、ええで。ここはその為の場所や」
「そうか。では、その言葉に甘えさせてもらおう」
そして、男は語り始めた。
かつて己の犯した過去の咎を。
□
それは犬死にした者達の物語だった。
違法研究、戦闘機人の製造・開発を追い、隊長である自身の独断先行で行われた捜査。
そして待ち受けてたのは敵の奇襲。
鋼で出来た殺人機械の群れ、魔法の構築を阻むアンチマギリングフィールド、戦う為に生まれた美しい少女の姿をした戦闘機人という悪夢。
それはあまりに絶望的で、あまりに凄惨な宴だった。
苦楽を共にした部下が次々と散っていった、泣き叫びながら肉の塊となり血溜まりを作りながら。
忘れられぬ、否、忘れてはいけない重すぎる罪を背負った日。
それは、後にゼスト隊全滅事件と呼ばれる記憶だった。
「俺の罪は重い……多くの部下を死なせた」
全てを語り終えた男は、内臓から搾り出すような声でそう呟いた。
重い、空気が鉛を流し込まれたようにズシリと重圧感を孕むような錯覚すら感じる。
まるで、彼の吐いた言葉の残響から“罪”そのものが周囲の空間に伝播したようだった。
ウルフウッドは何と返してやるべきか迷い、言葉に詰まる。
恐らくこの懺悔は冗談や嘘の類では絶対に無い。
告白に込められた重みがあまりにも真実味を帯び過ぎている。
全てが真実。
多くの者を己の思慮不足で死なせてしまった、重すぎる罪。
ここまで重い懺悔に軽はずみな返答は許されなかった。
自然、ウルフウッドは熟考する。
火を点けぬまま咥えた煙草を唇で弄びながら、紫煙を欲する衝動を抑えつつ。
と、そこでヴェール越しに男がまた言葉を発する。
「すまん。少々重過ぎる話だった」
沈黙はウルフウッドが言葉に詰まったのだと判断したのだろう。
まあ、彼の語った懺悔の内容が内容なだけに無理も無い。
男は言うや否や、懺悔室に設けられた椅子を軋ませて立ち去ろうとする。
そこでウルフウッドは、咥えていた煙草を落すほどの勢いで叫んだ。
「ちょ、待てや!」
静寂の支配していた礼拝堂の中に響き渡るほどの声量。
響き渡った残響は尾を引き、何度も木霊して耳を打つ。
突然の事に驚いたのか、懺悔室の戸に手をかけていた男の動きが完全に止まった。
「まだワイは何も言うてへんで? もうちょい待ったれや」
返って来る言葉は無い、だがそれは無言の肯定。
ヴェール越しに開きかけた戸が閉まり、椅子が軋む音が響く。
ウルフウッドは床に落ちた煙草を拾い上げつつ、男に語りかけ始めた。
静かに、だが力を込めた言の葉で。
「話を聞く限りは、そうあんたの罪は責められへんと思うで。わいは」
「……それは同情か?」
「ちゃうわ。普通に考えればそうやないか? ただ職務を全うしよう、思てやったんやろ? それが失敗してまう事かて、生きてたらあると思えへんのか?」
「そうかもしれん。だが多くの部下を死なせた……中には子供を残して逝った者もいる……きっと、俺は怨まれている」
呟くように返す男の言葉は弱弱しかった。
震えた残響、そこには悲しみと後悔とがどこまでも深く交じり合い、悲痛な色合いを見せる。
だが、それでもウルフウッドは言葉を重ねた。
「でもそうやないかもしれへん。誰も恨んでへんかもしれんで?」
「そんな事は……」
「ない、とは言い切れへんやろ。人は残酷になる事もある、でも寛容にかてなれる」
一拍の間、ウルフウッドは一度息を深く深く吐き出し、そして吸い込む。
しばらく目を瞑り、これから吐く言葉の内容を反芻。
さらに数瞬の間を置くと、ゆっくり唇を動かした。
「本当に許せてへんのはあんた自身やろ? 死んだあんたの部下でも、その家族でも、誰でも無いあんた自身が自分を許せへんのやろ?」
返事はなかった、でもウルフウッドの言葉は終わらない。
静かに、だがしっかりと紡ぎ届ける。
「別に自分を許したれ、とは言わへん。それは、ワイが口を挟めるところやない。でもな、この世の誰が許さんでも、神の慈悲はあんたを許す筈や」
「……それで……俺の罪が軽くなると思うか?」
「それを求めて来たんと違うんか?」
「自分でも分からん……ただ、吐き出せる場所が欲しかったのかもしれん」
「さよか」
ここで言葉が一度途切れた。
僅かな沈黙が場を支配し、無音の時が訪れる。
それをまた破ったのはウルフウッドだった。
「ならワイが許す。神でも誰でもあらへん、このニコラス・D・ウルフウッドが許したるわ、あんたのその罪」
罪の事を言うのなら自分の方が遥かに重いだろう。
男が背負った罪は職務と正義の為の犠牲だった、しかし自分は違う。
幾分かは運命の悪戯のせいかもしれない、だがほとんどは自身の意思で数え切れぬ人間を殺めてきた。
そんな自分がこの男に許しを与えるなんておかしな話だろう。
だが彼にはそれが必要だと感じた、だから言った、罪を許す、と。
神の名を語るのではなく、自身の名を以って告げた罪悪からの解放に、男は返す言葉もなくまた沈黙を続けた。
「……」
「なんや? 不満か?」
「いや……そんな事は無い……感謝する」
短い言葉、だがその残響には嘘も偽りもない。
彼の返答に、ウルフウッドは満足そうに笑みと共に返した。
「そうそう、人間素直が一番やで」
「だがな……良いのか?」
「なんや?」
「懺悔で名を語るというのは、流石にどうかと思うぞ」
「ああ、そういやそうやな……いやいや! かまへんかまへん! ワイはまだ半人前の聖職者やし」
「いい加減だな」
「お互い様やで。許しも請わずに帰ろうとするタマよかましや」
「違いない」
言うや、二人は苦笑した。
小さく抑えた笑い声、しかしその残響は静寂の支配する礼拝堂に響き渡り木霊する。
男二人の低く抑えられた笑い声が、しばしの間楽しそうに奏でられた。
途端に、ウルフウッドの背筋を小さな電流が駆け抜けた。
それは言うなれば第六感的な刺激、本能の警鐘。
危険、及びそれに近い脅威が近づいた事を、永き時をかけて闘争のために研ぎ澄ました全身の細胞が叫んで知らせる。
この世界に流れ着いて数ヶ月間、戦闘など一度も行ってはいないが、そんな事で修羅場の機微を感じ取れなくなるほどの存在ではないのだ。
チャペル、GUNG-HO-GUNSというものは。
瞬間、ウルフウッドは懺悔室の戸、木製のそれを蹴破り外へ飛び出る。
破壊された戸が礼拝堂の中を音を立てて転がるが気にしない。
そして、気配を感じた先に迷わず視線を向けた。
「うはあ、鋭いね。さすがチャペル」
澄んだ声、ともすれば少女のそれ。
しかしそれは発するのは成熟した肢体を持つ女性。
長い金髪を揺らし、程好く熟した女体を黒のタンクトップとジーパンで覆った美女がそこには立っていた。
だが普通の人間のようなのは見た目だけだ、このモノは決して単なる美女ではない。
いや、正確に言うならば人間ですらない。
蟲、かつてウルフウッドの生きた砂の星にいた砂蟲の端末、GUNG-HO-GUNSの人でなし。
その名は……
「ザジ……ザ・ビースト」
美女の形をしたそれに鋭い視線を向けながら、呻くように、ウルフウッドは言葉を吐き漏らした。
続く。
最終更新:2009年10月01日 17:11