リリカルガウザー
一話「闇の騎士、魔法の国へ」パートA
「大丈夫ですか!?立てますか!?」
ローブを着た短髪の女性は黒岩の濡れた体に触れながら大声でそう聞いてきた。
黒岩としてもここが何処かも分からず、痛みで立つこともできない状態なので、彼女の助けを借りる事にした。
エリ以外の人間に頼るのはあまり気が乗らないが、この際意地を張っても仕方が無い。
「痛みで上半身も起こせない…手を貸してくれれば助かる。」
「分かりました!少し荒っぽいかもしれませんけど、ちょっとの間ですから我慢してくださいね!」
女性はローブの裾をまくり、黒岩をひょいと抱き抱える。
「細身の割には力がある女だ」と黒岩は思った。
女性はそのまま出入り口の方まで黒岩を抱えながら歩いた。
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女性は建物の中に入ると、古風な作りをした回廊を歩いた。
そして英語で「Medical room」というプレートが付けられた扉の前まで来ると、その部屋に入り、備え付けられていたベッドに黒岩を寝かせた。
そして医療用のツールを用意し、黒岩の上半身の服を脱がせるとツールを使用して黒岩の体から何発もの銃弾を抜き、いくつもの傷口を消毒して止血し、ガーゼを貼り付けた。
「これでよし…」
手当てを終えた女性は額の汗を拭い、傍に置いてあった椅子に腰掛けた。
「かなり多くの傷を負っていました。応急手当てだけじゃ心配ですので、今から救急車を呼びます。」
「いや…これでもういい。」
黒岩はゆっくりと上半身を起こした。
いくら死にかけていたとはいえ、闇生物の体は人間以上の自然治癒力を持っているため、適切な手当てさえしてもらえればある程度は動けるようになる。
あと数日もすれば体全体が万全の状態に戻るだろう。
「え!?さっきは上半身を起こすのも痛いって…」
女性は黒岩がいきなり上半身を起こしたことに驚き、目を丸くした。
「生憎、結構タフな体なんでな。銃の弾さえ抜いてもらえれば、後はもう大丈夫なんだよ。」
「はぁ…それは凄い…」
「所で、アンタは一体誰だ?ここは何処だ?」
「ああ、そうでした。私はシャッハ・ヌエラ。この協会の修道女です。そしてここは、聖王教会の本部です。」
「聖王教会?」
黒岩は聞きなれない単語に目を細める。
図書館で世界中の知識や建物、文化を調べ、数多くの教会の名前も知っているが、そんな名前の教会は聞いたことが無い。
黒岩は詳細な情報と、知らない教会についての知識を得るため、シャッハと言う女性にもう少し詳しい話を聞いてみようと思った。
「なんだその教会は?俺は地球上のありとあらゆる知識を頭に入れているが、そんな名前の教会は聞いたことが無いぞ。」
「地球の…あらゆる知識?何でも知ってるんですか?」
「ああ、例を見せてやる…」
黒岩は言葉を一端切り、一息吸うと、目つきを変えてシャッハを右手の人差し指で指した。
「知っているか!?世界で初めてキリスト教が国教として認められた国は、301年のアルメニアだ!その時の教会の建築は、シリアの影響を色濃く受けたものであったと言う!」
「そうなんだ…」
シャッハは腕組みをしながら感心して言った。
シャッハも地球についての知識はある程度持っているが、ここまで詳細な話しは知らなかった。
シャッハは黒岩がどの程度教会や宗教についての知識を知っているのか聞いてみたくなり、他の話題を聞いてみることに決めた。
「じゃあ、世界で最も古いステンドグラスについても知っていますか?」
「勿論だ。世界最古のステンドグラスは、ドイツのロルシェ修道院で、破片の形で見つかった!その修道院は七世紀に作られたが、ステンドグラスが作られたのは九世紀代と推定されているという!」
「そうなんですか…いろいろあるんですね…」
シャッハはこの話を聞いてさらに知らない知識への興味を持った。
彼女にとって聖王教会の修道女兼騎士として強さも大事であるが、博識であることもそれと同様に大事だ。
いや、むしろ修道女と言う戦いとは普通関わらない立場から考えれば、博識であることの方が大事かもしれない。
シャッハは自分を磨くために新たな知識の獲得を考え、黒岩の話を本格的に聞くことに決めた。
「じゃあ、色々な宗教についての知識を教えてください!まだまだ修行中の身である私にとって、貴方の話はとてもためになりそうです!」
もちろん、一度には覚えきれないため、宗教についての知識だけではあるが。
「ほう…俺の話が聞きたいか…よかろう、知っているか!?」
黒岩は自分の薀蓄を聞いてくれる人間がいたことを喜び、有頂天になって薀蓄を語り始めた。
黒岩の薀蓄は、好敵手だった暁には適当に流され、愛していたエリにさえも「あんたの薀蓄はもうウンザリ」とまで言われていたほど煩がられていた。
だが、今は自分の薀蓄を興味を持った目で聞かせて欲しいと言ってくれる人間が目の前にいる。
黒岩は煩がられたうっぷんを晴らすかのように、情報を得ることも忘れ、薀蓄を語り続けた。
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2時間後、黒岩の薀蓄がようやく終わりを告げた。
シャッハは2時間休み無しで語り続けた黒岩への感謝と健闘を称える拍手をし、黒岩の額には熱弁した証である汗が光っていた。
「はぁ…はぁ…どうだ?」
「素晴らしいです!まさか宗教だけでもこんなに細かな知識があったなんて驚きました!修道女として、一歩高みに歩み出せた気がします!」
「そうか…それは良かった…ん?」
黒岩はようやく思い出した。
自分はこの聖王教会についての情報を問おうとしていたのに、いつの間にか自分の薀蓄教室になってしまっている。
久々に自分の薀蓄を嬉々として聞いてくれる人間がいたので、調子に乗ってらしくもなく熱くなりすぎてしまい、本題を聞くことをすっかり忘れていたことに黒岩はやっと気付いたのだ。
黒岩は恥ずかしさを感じ、それをごまかす為に「ゴホン」と一回咳払いをすると気を取り直し、先ほどの質問をシャッハにもう一度した。
「ところで、聖王教会とはなんなんだ?」
「あ!そうでした!」
シャッハも他人の質問を忘れていたことに恥ずかしさを感じたのか、一瞬だけ頬を赤く染めて慌てると、姿勢を直した。
「そういえば、貴方の名前を聞いていませんでしたね。」
「俺は黒岩、黒岩省吾だ。」
「そうですか…黒岩さん、貴方はミッドチルダや時空管理局について知っていますか?」
「ミッドチルダ?それに時空管理局だと?」
黒岩はさらに頭を悩ませた。
ミッドチルダに時空管理局、どちらにも聞き覚えは全く無い。
管理局というからには何かを管理するのだということは何とか分かるが、ミッドチルダと言う単語についてはさっぱりだ。
「どちらも知らん。」
「分かりました。それともう一つ、貴方は地球出身で、地球人なんですよね?」
「は?」
さらに訳が分からなくなった。
いくら正体が闇生物とはいえ、自分は人間の姿をしているのだから地球人なのは当然だろう。
シャッハの話の内容が理解できなかったが、一応問いに答えることにした。
「当たり前だろう。俺は地球人だ。まるでここが地球ではない別の星で、あんたは地球の人間じゃないようないいぐさだな。」
「その通りです。」
「は?」
「この世界はミッドチルダ。貴方が居た地球とは、別の次元世界です。つまり私は、ミッドチルダのミッド人という訳です。」
「な、何だと!?」
黒岩は思わず声を張り上げた。
流石の彼も、冗談で言ったはずの台詞に冗談のような回答が帰ってくるとは思っていなかった。
だがよく考えてみると、そんなに驚くほどのことでもなかった。
自分達ダークザイドも、闇次元界という地球とは異なる世界から、滅びた闇次元界の変わりに地球に移住するという目的のために地球にやってきた。
自分達が住んでいた世界のことを考えれば、地球でも闇次元界でもない世界が存在してもなんら不思議ではない。
「…そうか…異世界なのか…」
「?、案外簡単に納得されるんですね。もっと混乱したり、「嘘をつくな」と笑い飛ばされると思っていました。」
「確かに驚いたが、その…俺はそういう異世界についての知識も多少持ち合わせているんでな、派手には驚かん。」
「異世界についての知識ですか…それより単刀直入に聞きます、地球に帰りたいですか?帰すだけなら、簡単に出来るのですが…」
「…いや、帰るつもりは無い。」
黒岩は今更地球に帰る気は無かった。
悪の脆さを知り、皇帝になって世界を統べること以上に大きなモノを握った彼にとって、もう地球を支配する気もシャンゼリオンと決着を付ける気も無かった。
愛するエリにさえ、彼女の今後のことを考えると会わない方が良いと思えた。
「黒岩さんは、故郷に帰りたくないんですか?いろんな次元漂流者を見たことがありますけど、帰れる故郷に戻りたくないなんていった人間は黒岩さんが初めてです。」
「そうか…頼みがある。仕事を探したいんだが、何処かに職業安定所はないか?」
黒岩は人間への支配欲もシャンゼリオンへの闘争心も湧き上がってこない今、どうせ異世界に来たならこの世界で生き、この世界で働き、この世界で死んで行こうと思った。
この世界にはシャンゼリオンもザンダー達幹部も居ない為、シャンゼリオンに今まで受けた仕打ちの仕返しとして決着を挑まれる事も、ザンダー達と関わり、戦いを強要されることも無いため、ひっそりと生きるには丁度良い場所だと思えたからだ。
自分を待ち続けているだろうユリカにも、謝るために会うつもりは無かった。
彼女は黒岩の強さに惚れ込んだ女性だ。
黒岩が皇帝として君臨することを望む彼女にとって、皇帝であることを辞めた自分の姿を見せて幻滅させる気にはなれなかったからだ。
それにもし謝りに行ったとしても、自分が愛していた黒岩のイメージを粉々に砕かれ、狂乱するのは目に見えている。
だから彼女のためにも、このままそっとしておこうと黒岩は思った。
「仕事?この世界で働きたいんですか?」
「地球には少し嫌な思い出があってな。戻りたくないんだ。」
「そうですか…なら一つ聞きますけど、カウンセリングの仕事の経験はありますか?」
「え?あ、ああ。経験どころか、俺はそれが本業だった。」
黒岩は地球では東京都知事に就任する前は「黒岩相談所」というダークザイドのための相談所を開いていた。
ダークザイドの目的は、人間社会に紛れ、「人知れず密かに」を掟とし、人間の生体エネルギー・ラームを吸い取って種族の保存のために生きていくことであった。
だが、人間社会に密かに隠れながら行動しなくてはいけないダークザイドたちの中には、人間社会の厳しさに苛まれ、仕事に嫌気がさしてアルコール中毒になった者、人間関係の悪さから胃に穴が開いた者、ノイローゼとなり自殺した者などが少なからずおり、不満を溜めて掟を破り、大掛かりに人間を襲おうとしている闇生物達が大勢居た。
黒岩の仕事は、それらの悩める闇生物達の相談に乗り、アドバイスをしてやることだった。(後の世界征服計画のため、東京都知事当選の票稼ぎに彼らを利用するという裏の目的があったが。)
このアドバイスで助けられたダークザイドの数は多く、黒岩も自分のカウンセラーとしての能力には自信を持っていた。
なのでカウンセリングと言う仕事は黒岩にとって得意中の得意だ。
そして黒岩の「本業だ」という言葉を聞いたシャッハは、目を輝かせて右手でガッツポーズを作った。
「なら!ちゃんとした仕事があります!悩める人々を助ける、崇高な仕事です!」
「何?…」
「どういうことだ?」と黒岩が台詞を続けようとしたときだった。
「ちょっとシスターシャッハ!探したよ~!二時間も何処にいたの!?」
シャッハと同じローブを身につけ、水色の髪をした少女が医務室の中に入ってきた。
彼女は怒った表情をしながら、シャッハに近づいてくる。
「あ、セイン!」
「騎士カリムが呼んで…あれ?」
シャッハの隣まで歩いた所で、セインと呼ばれた水色の髪の少女は、上半身に沢山のガーゼを貼り付けている黒岩に気付いた。
「うわ!凄い怪我…てか、アンタ誰!?」
「紹介します。黒岩省吾さんです。怪我をして庭園に倒れていたところを、私が助けたんですよ。」
シャッハは見慣れない男性の痛々しい姿に驚いているセインに、黒岩のことを紹介した。
黒岩はいくら命の恩人とはいえ、知り合ったばかりの女性に自分のことを他人に紹介されるのは何か可笑しな感じがしたが、特に口に出すことはしなかった。
「そうなんだ…う~ん…」
セインはくりくりとした丸い目で黒岩の顔を覗き込む。
そしてしばらくしてから顔を離すと、腕を組んだ。
「中々良い男ジャン。もしかして、シャッハの彼氏か何か~?」
「な!?」
セインは目を細め、すこしやらしげな声を出してシャッハをからかい、シャッハはそんな彼女のからかいに見事引っかかって頬を染めた。
「セイン!何言ってるんですか!?」
「ははは!ごめんごめん!でも、そんなにムキになって否定するって事は…」
「セイン~!!」
シャッハは腕をまくり、椅子から立ち上がる。
厄介事に発展すると察した黒岩は、話がこじれる前に仕事の内容を聞くことにした。
「おい、話の続きをしろ。」
「ああ!?そうでした!すみません…こんなからかいに反応するなんて、まだまだ未熟でした…」
シャッハは慌てて黒岩の方を向いて頭を下げた。
彼女のこの愚直なまでの丁寧な態度に、黒岩はシャンゼリオン・涼村暁の相棒である速水克彦、またの名をザ・ブレイダーの姿を重ねた。
楽観的な暁と真面目な速水は絵に描いたような凸凹コンビで、いつも性格の違いから衝突が絶えなかった。
だが衝突が多かったからこそ、二人の結束の力は強く、その力に敵う闇生物は存在しなかったのだと今の黒岩には分かっていた。
「仕事の内容ですが、黒岩さんにはカウンセラーとして、このミッドチルダの首都・クラナガンに相談所を設け、悩める人々を救って欲しいんです。」
「何だと…?」
∴
それから二週間ほどが過ぎた。
「最近、妻や子供の私への対応が冷たいんですよ…私が帰ってきても挨拶はそっけないし、夕食も温めなおそうとはしない…
それどころか!妻は私と口を聞こうともしてくれないんです!それに、四歳になる私の子供ですら、「パパ大嫌い」と言って、私に近づいてすらくれないんですよ!
私が何悪いことをしたって言うんですか!休暇も惜しんで、貧しい家庭のためにと汗水垂らして働いているのに!なんであんなにそっけない対応をされるのか…」
ソファーに座った中年の無精ひげを生やした男性は、目尻に涙を光らせながら嘆いた。
そんな男性の向かい側のソファーに座った黒いスーツとネクタイを身につけた男・黒岩省吾は、吸っていたタバコを灰皿にこすり付けて火を消し、吸殻をそのまま灰皿の中に捨ててソファーから立ち上がった。
「おそらく、貴方のご家族が貴方に冷たいのは、貴方がそうやって仕事に熱中しすぎるのが原因だ。」
「な…なんですって!?」
男性は涙を拭い、黒岩の目を見た。
「おそらく、貴方が家庭が貧しいからという理由で休暇を取らず、働いてばかりで家族の相手をしないので、貴方のご家族は貴方に失望し、貴方に冷たくなったのだと、私は思いますよ。」
「そういえば…今年はまだ何処にも家族で出かけてないし、子供への誕生日プレゼントも渡してない…」
「貴方は少し仕事を休み、ご自分のご家族に家族サービスをしたほうがいい。そうやって家族と触れ合えば、荒んだ家庭環境も修復できるはずだ。」
「は…はい!でも…私にはお金が…」
「別に旅行に行ったり、高い玩具を子供に買ってあげるのだけが家族サービスではありません。
どこかの大きな公園や山へのピクニックでも、プレゼントは安いお菓子の詰め合わせでもいいんです。
貴方が心を込め、自分に出来る精一杯の家族サービスをすれば、貴方のご家族だって貴方を見直し、今の冷たい関係を暖かい関係に修復できるはずです。
もちろん、貴方の心からの笑顔も忘れずにね。」
「ありがとうございます黒岩さん!では…さようなら!」
男性はさっきまでの沈んだ表情とは一転した笑顔で黒岩に頭を下げ、室内のドアに向かい、もう一度黒岩のほうを向くと一礼するとドアを開けて出て行った。
「ふう…今日はこれで五件目か。」
黒岩は溜息をつくと、所長用のデスクの椅子に腰掛けて新しいタバコを取り出し、咥えて火を点け、吸い始めた。
二週間前、黒岩は聖王教会のカリム・グラシアの手引きでビルの一室を借り、新たな「黒岩相談所」を開き、カウンセラーとして働いていた。
今ミッドチルダには、仕事の厳しさから過労死する者、家庭環境の崩壊から殺人事件に発展したり、家庭内暴力を振るう者、不景気で仕事をリストラされた者の増加に悩まされていた。
本来それらの人々を助けるための政策を行うはずの時空管理局は、海と陸の両部隊の管轄問題など、武力についての問題について協議を続けるのに精一杯で、そう言った人々への救済が追いついていない。
せめて人々の悩みを聞き、アドバイスを与えるカウンセラーが必要であったが、そのカウンセラーの数も全く足りていなかった。
なので黒岩のように、異世界とは言えそれを本業として活動していた人間の力は、喉から手が出るほど欲しかったのだ。
黒岩も慣れた仕事が出来るならこれは好都合と思い、シャッハの紹介した仕事で働くことを決めたのだった。
「まだ昼過ぎか…まだまだ相談者は来そうだな。」
黒岩は吸ったタバコの煙を吐いて呟きながら、デスクの傍に設置した小型液晶テレビのスイッチを入れた。
丁度ニュース番組が放送していて、それに目を通す。
内容はニュース速報、現在の株価など、地球となんら変わりない平凡なニュースだ。
黒岩はシャッハに、このミッドチルダについて、そして時空管理局についての事を相談所を始める前に聞いていた。
ミッドチルダは魔法文化が発達した国で、時空管理局に所属する武装局員達はその魔法を武器として駆使し、ミッドチルダを守る地上部隊と次元世界を守る次元航行部隊(この世界では「海」と呼ぶらしい)に分かれ、無限に存在する世界を守るために時空犯罪者を取り締まったり、ロストロギアと呼ばれる古代の危険な遺産を回収したりしているらしい。
聖王教会とは、ミッドの大きな宗教団体のようなもので、管理局を全面的にサポートしているようだ。
だが、黒岩は管理局を良く思っては居なかった。
評論番組などで評論家や管理局の将官達が「地上部隊は行動が遅い。これでは事件や災害で助かる命も助けられない。」「海の連中は優秀な人間ばかりを引き抜いてばかり。だから地上の守りはおろそかだ」という論議を繰り広げるたびに「馬鹿馬鹿しい」と感じた。
どんなお題目を並べても結局彼らが行っていることは責任の擦り付け合い、手柄の取り合いだ。
自分達が優位に立つことばかり考え、一番に考えるべきはずの庶民のことなど二の次にしか考えていない。
ダークザイドの騎士であった昔の自分なら地球と同じように、今にでもこの世界を征服し、ダークザイドの支配する世界へと作り変えようとしていただろう。
だが、そんな意欲も今はわいてこない。
黒岩にとって今大事なのは、全てを忘れ、ミッドチルダ人黒岩省吾として第二の人生をスタートすることだった。
「今の俺には何も関係ない。余計なことは考えず、ひっそりと生きていこう。」
黒岩は自分に言い聞かせると、ニュースを見続けた。
そしてニュース番組が終わり、朝の連続ドラマの再放送が始まったと同時にインターホンが鳴り響いた。
午前中から働きづめだった黒岩はできるなら一人でドラマを見て居たい気分だったが、もし仕事の依頼なら断れないため、客を入れることにした。
「どうぞ。」
「は~い♪」
「お邪魔します。」
相談所のドアが開くと、セインとシャッハが入室してきた。
客だと思っていた黒岩は少し落胆した。
これが客ならテレビ画面の前に座れず、客への対応を考えながらでも落ち着いてドラマの内容を聴けるが、やかましいやり取りの多いセインとシャッハの場合、テレビ画面の前に座れたとしても落ち着いてドラマが聴けないからだ。
彼女達はたびたび黒岩の様子を伺いに来る。
黒岩は「途中で仕事を投げ出すことはないからいちいち来なくてもいい」とは言っていたが、シャッハ曰く、「助けた人の働きぶりをよく見なければ折角助けた私も満足しない」らしいので、彼女はセインを連れてよくここを訪れていた。
煩い女だとは思ったが、命を助けられたと言う立場上、突っ返すことはしなかった。
「シャッハ…それにセイン…またあんたらか…」
「またとは何よ~!折角来たんだから、コーヒーくらい出しなさいよ~!」
「セイン!」
シャッハはセインの我侭な一言に腹を立て、彼女の頭部に空手チョップを見舞った。
「痛った…何すんのよシスターシャッハ!」
「マナーが悪いです!いくら私達がお客とはいえ、聖王教会の修道女がコーヒーをねだるなんていうはしたない真似がどうして出来るんですか!」
「冗談だって!ったくクソ真面目なんだから…」
セインはシャッハから顔を背けて口を尖らせた。
セインとは医務室で会ってはいたが、詳しく彼女と話し合ったのは相談所がまだ出来る前、聖王教会本部に数日間身を寄せていたときだった。
彼女は明るく楽観的な性格で、シャッハと違い、自分の薀蓄を聞くのは苦手なタイプだった。
黒岩はシャッハが女版速水克彦なら、セインは涼村暁の女版だと思っていた。
もちろん、彼女は暁と違って金遣いは荒くなく、人を傷つけるような発言はしなかったが。
「だいたい貴方はいつも…」
「ああもう!うっさいから説教は止めてよ!」
「う…うっさい!?セイン!口の聞き方に…」
「おい、静かにしろ。今やっと時間が空いたんで、ドラマを楽しんでいるところだ。」
そう言っても数分後にはまた二人の言い争いが始まるのだが、例えその場しのぎでも静かにしてもらいたかった。
この二週間、まともな休憩時間が合ったことは少ない。
管理局も軍備の話ばかりではなく、失業者や悩みを持つ者達のために、自分のようなカウンセラーの増加や景気の安定を考えろとなんども心で文句を言ったことがある。
なのでどれだけ無駄なのかは分かっていても、休まる時間がある時くらいは静かにして欲しかった。
「ドラマって、そんなの夕方にも再放送やってるじゃない。そんなのにかまけて、大切なお客様にコーヒーの一杯も出さないなんて…」
「セ~イ~ン~!」
「だって黒岩さん、命の恩人に向かって何の感謝も示してないんだもん。」
「貴方は何もしてないじゃないですか!それに、命を助けたからって生意気な口を聞くというのは修道女として…」
黒岩は溜息をつき、ドラマを見ながらまたその場しのぎの注意を行おうとしたときだった。
「ん?」
テレビ画面の上端に、「ホテル・アグスタでの従業員、利用客行方不明、三十人を突破」というテロップが表示された。
「おい、シャッハ!」
「あ…は、はい!」
「これは何だ?」
黒岩はテレビ画面をシャッハのほうに向けて回し、表示されたテロップを指差した。
忙しいとはいえニュースは見ていたが、こんな事件は聞いたことが無い。
「ああ…それですか…遂に隠せなくなったんですね…」
「どういうことだ?」
「はい、実は…」
シャッハはこの事件についての説明を始めた。
この事件が起きたのは二週間前、ちょうど黒岩が相談所を開いた頃だ。
ミッドチルダでも高級ホテルの一つであるホテルアグスタで、二人の男性利用客が姿を消した。
すぐに捜査班が編成され、ホテル周辺をくまなく探したが、失踪した二人は遺体も見つからなかった。
管理局と協力関係にある聖王教会側は反対したが、管理局地上部隊は徹底的な捜査を行って遺体も見つけられなかった事への責任追及と糾弾を逃れるため、この不思議な事件を内密に捜査をしようとしたために公のニュースにはならなかった。
だが、それ以降も犠牲者が増えすぎたため、事件を隠し通せなくなったのだという。
ちなみに犠牲者の共通点として、消えた人間は皆ミッドでも有数の大富豪だということが上げられている。
「…これが事件の全容です。」
「…そうか。」
黒岩は顎に手を当て、親指で数回なぞると、テレビのスイッチを消した。
「あれ?見ないの?」
セインが顔を覗いてきたが、黒岩の意識はその不思議な事件にあった。
遺体が全く見つからない大富豪と言う共通点がある犠牲者たち…
黒岩は「遺体が見つからない」「被害者には共通点がある」という二点の事件の特徴に焦点を絞り、事件の真相について考えてみた。
この二点の特長は、自分がよく知っている者達が行う行為と似通っていたからだ。
そして、その答えはすぐに導き出された。というより、事件の特徴から導き出される答えは黒岩の中では一つだけしかなかった。
「まさか…!」
黒岩は驚きの色を顔に表し、椅子から勢いをつけて立ち上がった。
この事件の真相は高い確率でダークザイドの仕業だ。
なぜこの世界にまでダークザイドが居るのかも、考えてみれば不思議ではなかった。
自分達ダークザイドは全てが地球に移住してきたわけではない。
地球への移動中に次元の狭間に飲み込まれ、姿を消した闇生物達も数多く存在する。
もしそれらの闇生物たちがこの世界に逃れてきているのなら、或いは…
「…今日はこれで仕舞いだ。」
黒岩はドアの方に向かい、隣にかけてあった本日休業のプレートを手に取った。
「黒岩さん?」
「どうしたのよ?」
「そのアグスタというホテルへ…案内しろ。」
黒岩はシャッハとセインの二人に事件の場所であるアグスタへの案内を頼んだ。
本当はこのまま傍観することも出来た。だが出来なかった。
もしこれが本当にダークザイドの仕業なら、自分にも無関係ではないと思えたからだ。
そして自分はこの世界でカウンセラーとして生涯生きていくのか、もしくはこの世界に迷い込み、隠れて生きていかなくてはいけないダークザイド達のために再び皇帝として立たなければならないのか、どちらを選ばなければならないかがこの事件の向こうにある気がしたからだった。