―魔王降臨―


○月×日
面白い物を拾った。
いや、者と言うべきだろうか。
頭部だけしか残っていないというのに、よく生きているものだ。
後の戦闘機人作成の折に役に立つかも知れない。
再生槽に入れて、経過を見ることにしよう。



○月△日
素晴らしい。
たった二日で、上半身がほぼ再生してしまった。
昆虫の見た目通り、生命力が強いのだろう。
それにしても……ああ、素晴らしい。
この鎧は後付けの武装ではなく、皮膚の細胞が変化して発生したものなのだ。
筋細胞の強靭さも、ナンバーズとは比べものにならない。
ルーテシアのガリューは既に調べ尽くしてしまったし、良い研究材料を手に入れたものだ。
しばらくは、退屈とは無縁になるだろう。
彼――もしくは彼女が完全に再生する日が待ち遠しい。
個室に移して、よりに強力な再生槽に入れてみよう。

「ごちそうさま……少し、席を外すよ」

そう言って、ジェイル・スカリエッティは食卓から離れた。
ナプキンで口元を拭い、胸元を払う。
食事が始まって二十分も経っていないが、皿の上の料理は綺麗に無くなっていた。
彼と同じく既に食事を終え、コーヒーカップを口元に寄せていたウーノが、食堂の出口に向かう背中を呼び止めた。

「また、あの部屋に?」

声には、苦味が含まれている。
スカリエッティは振り返らなかった。
青い長髪を揺り動かすのももどかしいと言うように、背中を向けたまま返す。

「そうだよ。再生の進み具合が気になるからね」

聞くまでも無かったようである。
ならば、少しという言葉に反して、この食堂に戻ってくるつもりはないのだろう。
戻るのは研究室か寝室か、時には戻らずそのままあの部屋で夜を明かすことさえあった。
ここ最近ではいつもの事、しかしそれがウーノは嫌だった。
だから、彼の望まぬ言葉も、口を衝いて出る。

「ドクター、何度も言いましたが……あれは危険です。今すぐに廃棄するべきです」

それでやっと、スカリエッティは振り返った。
額には皺が寄せられている。
楽しみに水を差された子供は、こんな顔をするのだろうか。

「ウーノ……今の彼に何ができるというんだい? 下半身はないし、再生槽に何かあれば高圧電流が流れるようになっている。一瞬で黒焦げさ」

口辺に笑みを寄せ、スカリッティは自信も露わに言った。
まるで、この世に自分の予想を超えるものなど無いとばかりに。
その態度が、逆にウーノを不安にさせた。
彼の優秀さは、秘書を務める身である以上知っている。
そこに疑いを挟む余地はなかった。
だが、数日前にスカリエッティが拾って来たあれは、ガジェットや戦闘機人とは全く違う。
彼の自信もウーノの信頼も全て飲み込んでしまいそうな、そんな不安を胸に生むのだ。
人が、人などが触れてはいけない、禁忌を目の当たりにしているような―――
ウーノとスカリエッティの間に、沈黙が流れる。
妹達の視線を集めているのを肌で感じた。
やがて、スカリエッティが小さな笑いで沈黙を破った。

「もしかしてウーノ、君は彼に嫉妬しているのかい?」

ウーノは答えなかった。
黙するのは、そうであると言っているに等しい。
たしかに、スカリエッティの関心の殆どを占めるあれに、複雑な思いを抱えていたのは事実である。
第二、第三の理由が、彼の言う嫉妬であるのは否定しない。
だが第一は、やはりあれに対する不安なのだ。
邪魔者を言い負かせたことに満足し、スカリエッティは再び扉に向かった。
自動ドアが開き、皮靴を履いた足が廊下に出る。
そこで、思い出したように振り返り、

「何も心配する必要はないのさ。何もね」

不敵な笑みを一つ残し、スカリエッティは閉じゆく自動ドアの向こうに消えた。
無機質な扉が、物理的にも精神的にも、彼と自分を隔てるようだった。
舌に、鉄の味が染みる。
知らず噛み締めていた下唇が、薄く出血していた。
彼が一度何かに興味を持てば、自分の言葉など木端のように蹴散らされるのは分かり切っていたことである。
それでも、心配を無下にされるのは、やはり悲しい。

「ドクターの言ってた彼って何すか?」

食事に手を付けていたウェンディが、誰にともなく疑問を飛ばす。
呆れ顔で受けたのは、右隣に座っていたセインだった。

「知らないの? ほら、おととい個室に運ばれたの」

二人のやりとりがきっかけだったか、食堂が妹達の声でざわついた。
音色は様々たが、内容は皆一様だった。
すなわち、研究所の一室に眠る、忌まわしき黒い怪物である。

曰く、気味が悪いからどこかにやって欲しい。

曰く、前に見た時は頭しかなかった。

曰く、夜中部屋の前を通りかかると、奇妙な音が聞こえる。

決して食卓の上で交わされるような、穏やかな話題ではない。
どんよりとした瘴気が、部屋内に蔓延するかのようだった。
食卓を挟んでセインの前に座するノ―ヴェが、ぽつりと零す。

「あたし………あれ、怖い」

瞬転。食堂が静まりかえる。
ノ―ヴェの言葉が、どうやらこの場にいる全員の総意のようだった。


ウーノの心配症にも困ったものだ。

長い廊下に、スカリエッティの足音が尾を引いて響く。
仮に、「彼」が危険な存在だったとして、所詮は死に損ないである。
再生槽の強化ガラスさえ破れるかどうか怪しい。
それに、何か害を与えようとしてきたなら、その場で処分してしまう用意はあるのだ。
心おきなく刃の上で踊るために、保険は怠らない。
例えば、投身自殺とバンジージャンプは違う。
足を綱で結ばれ、下にクッションがあるからこそ、バンジージャンプとは娯楽足り得るのだ。

「まあ、少しくらい予想外なことがあった方が楽しいかな。くくく」

不遜でさえある自信を笑みから零しながら、スカリエッティは歩を進めた。
靴底が床を踏む音さえも、世に敵うなどいないと言っているかのようである。

事実、管理局の陸士を束ねるレジアス・ゲイズはスカリエッティの掌で踊り、彼の創造主でさえ企みに勘付いてさえいないのだ。
この世を動かすのは、武力ではない。頭脳だ。
それだけでは掃えない小蠅もいるだろうが、近々強力な殺虫剤が手に入る予定である。
ミッドチルダは、いや全ての次元世界は、自分の実験場、あるいは遊び場だとスカリエッティは思っていた。

心配事など、何一つない。

やがて、スカリエッティは巨大な鉄扉の前に辿りついた。
デバイスにも使われる金属で作られた扉は、内と外、両方からの衝撃に備えた物だ。
無粋な侵入者に気安く入られても気に障り、中にいるものが突如暴れ出しても困る。
備えは、いくらあっても足りないのだ。

壁に取り付けられたコンソールを操作すると、十センチの厚みのある扉が、重たげな音を立てて開く。
スカリエッティが中に入ると、設定通り自動的に閉まった。
白く、間広い部屋である。
天井のライトから降る白光が、内部を万弁なく照らしていた。
それをやや疎ましい物と感じながら、スカリエッティは前に進む。
奥には、巨大なガラスの円筒があった。
特別に用意した再生槽である。
底の部分からは、無数のコードやパイプが円筒を中心に四方八方に伸びていて、まるで奇怪な大樹のようだった。

再生槽の前まで寄ったスカリエッティは、表面をそっと手で撫でた。
返るのは、冷たさのみ。
しかしスカリエッティの胸内は、これ以上がない程に煮え滾っていた。

「どうだい、調子は?」

返る筈のない言葉が、円筒の表面で踊る。
だがスカリエッティの声は、円筒に向かって放たれたものではない。
その、中身に向けられたものである。
再生槽を満たす緑色の液体。その中に、黒い人影があった。
顔らしき部分には、真紅の光が二つ、輝いている。
その下には体、腕、腹があったが、そこから下が無い。
「彼」はまだ、再生途中なのだ。

「せめて、鳴き声くらいは上げて欲しいがね」

心底から楽しげに、スカリエッティは再生槽の中身を観察していた。
とはいえ、昨日と変わるところはない。
完全に肉体が再生されるのは、まだ先のことのようだった。
しかしそれも、頭部のみの状態から数日で上半身が戻ったことを思えば、そう長くはかかるまい。

「まあ、一度にではつまらないからね。じっくり、ゆっくりとが面白い」

命で遊ぶ楽しさに酔うように、スカリエッティはくつくつと喉奥で笑った。
その時である。


―――――足りぬ。


脳に、直に声が響く。
はっとして、スカリエッティは再生槽の内部を見遣った。
どういった作用か、声の主が彼であるとすぐに理解できた。

「………君なのかい? 何が足りないんだ?」


―――――血肉が足りぬ。


彼の渇望が、手に取るように分かる。
言葉のみならず感情さえ伝える、高度な念話だ。
スカリエッティは、再生槽を狂喜して再生槽を抱き締めた。
腕の回る太さではなかったが、そんなことはどうでもいい。
肉体は強靭であるとは知っていたが、人類に匹敵する、いやそれ以上かも知れない知能を、「彼」は有しているのである。
他の全てを忘れて、スカリエッティは言葉を返した。

「では、もっと養分を送ろう。それで、残りの体も」


―――――ある。


今度の声は、彼をして要領を得ないものだった。
スカリエッティは怪訝さを込めて「彼」を見た。
数秒前に足りぬと要求していたものが、今はあるという。
考えても分からぬ疑問を、スカリエッティは口に出した。

「どこに、あると言うんだね?」


―――――目の前だ。


声の内容を吟味する時間はなかった。
何の前触れもなく、再生槽が爆ぜた。
同時に、警報がけたたましく鳴り響く。

「なっ」

頬に走った痛みは、飛び散った破片が肌を裂いたようだ。
瀑布となって押し寄せる緑の液体に足を取られ、スカリエッティは転がった。
何が起きたのか。
明晰な筈の頭脳が、あまりの予想外に最低限の働きしかしない。
濡れたズボンが肌に貼り付いて気持ちが悪い。
濡れた白衣の裾が重い。
その程度である。

スカリエッティは、横たわった液体が部屋各所に設置された排水溝に飲み込まれていくのを見ていた。

「まずい食事ばかりしていてはな。たまには、馳走が欲しくなる」

聞き慣れない、つい先程聞いた声が、スカリエッティの鼓膜を震わせた。
低い、老人の様な声に引かれるように上体を起こす。
再生槽の残骸の上に、「彼」が浮かんでいた。
一定以上の衝撃がかかった時、内部の存在に高圧電流を流し込む機能も、一瞬で粉々にされては感知さえできなかったらしい。
人の、人に似たものの上半身が宙空に浮かぶ光景は、まるで趣味の悪い戯画のようだった。

「……私は、君をそこまで再生させたんだぞ?」

スカリエッティは、恩を盾にするように言った。
これから何をされるか。
ようやく働き始めた頭脳が、「彼」の言葉から答えを弾き出していた。
「彼」は、自分を喰うつもりなのだ。
それで、下半身を再生させるのだろう。
空調も効いて、暑くはないというのに、冷たい汗が止まらなかった。
気付けば、全身が瘧のように震えている。
それらが、死への恐怖から来るものであることは明確だった。
最前まで、世界はこの手にあると自身に溢れていたスカリエッティは、この世のどこにもいない。

不様だった。自身、泣きたくなるほどに不様だった。

「だから、貴様に栄誉をやろうというのだ」

「彼」が、表情を変えずに笑う。
背後の扉は、スカリエッティが出る分には入力も何も必要ない。
立ち上がり、部屋の外から出て、コンソールを使って扉をロックする。
下半身の無い「彼」がどれほどの速度で動くかは分からないが、それは賭けである。
このまま、何もせずに喰われるよりはずっと良い。
唐突に、食堂で自分を心配していた秘書の顔が脳裏をよぎる。

(ウーノ……君に、謝らなければな)

だが、彼の謝罪がウーノに届くことは、永久になかった。
「彼」の額が光る。
同時に、スカリエッティの右胸に穴が空いた。

「…………え?」

呆然として、スカリエッティは顎を引いた。
穴からは、細い白煙が棚引いている。
痛みはない。
しかし喉奥から込み上げる感触で、それが致命傷であると分かった。
血が、口腔から漏れて白衣を容赦なく汚す。
視界が、闇に包まれていく。

「そう、儂の血肉となる栄誉をな」

それが、ジェイル・スカリエッティの聞いた、最後の言葉だった。


警報を聞いたウーノは、ナンバーズの中で特に戦闘能力の優れた三人を連れて廊下を駆けていた。
狭い場所では、大人数は逆に弱みとなる。

「一体、何があったというのだ?」

銀の髪を揺らすチンクが、緊迫を露わに言った。
冷静を常とする彼女も、創造者の危機には感情が先に出るようだった。

「わからん。だが、何があってもおかしくはない」

声に苦みを滲ませるトーレは、あれを個室に移す際、運搬を手伝った一人である。
この中で最年少のセッテは、ただ黙々と姉達の背を追っていた。
彼女の機械的な性格は、今の状況では頼もしい。

やがて、スカリエッティが毎日入り浸っている部屋に辿り付いた。
警報は、この部屋の異変を指し示すものだ。
ボタンを押す時間も惜しいと、ウーノは荒々しくコンソールを操作する。
壊せば速いが、内部がどうなっているかわからない以上、軽率なことはできない。

「ドクター!」

扉が完全に開き切らない内に、ウーノは部屋に飛び込んだ。
三人がそれに続く。

「これはっ……!」

むせ返るような鉄の臭いに絶句したのは、やはりウーノだった。
トーレとチンクが同意を示すように唸り、セッテはただ無言である。
部屋は、辺り一面血の海だった。
一歩踏み出せば血の滴が跳ね、飛び散った赤が白い壁に気味の悪い装飾を施している。
地獄の入口は、これと同じ光景なのではないか。

そして、その中央に立つのは。

「貴様はっ!?」

トーレが鋭く声を放つ。
声には、驚愕の色が強かった。
当然である。
部屋の中央に立つそれは、昨日までは上半身しかなかったのだから。

「……王に向ける言葉としては、礼儀がなっていないな」

老人のようにしわがれた声音である。
途端、ウーノの背骨を凄まじい嫌悪感が走った。

血よりも紅い複眼。
闇よりも黒い鎧。
頭部の触角が風もないのに揺れ、鋸のような牙がかちかちと鳴る。

人でない、人であってはならない者が、人の言葉を話す。
悪夢のようにおぞましかった。
だがそれよりも、ウーノには優先すべき事柄があった。
嫌悪感を振り切って、一歩前に出る。

「ドクターは…ドクターはどうした!」

砕けた再生槽以外、設置物は何もない部屋である。
成人男性が隠れ得る場所などない。
だが、スカリエッティの姿は部屋の何処にもなかった。
張り出す声は、最悪の予想を隠すためだったろうか。

「ドクター? ああ、スカリエッティのことか」

黒に身を包んだ男は、心底から愉快そうだった。
鉤爪の生えた指を二本、自身の口に突っ込む。
すぐに引き抜かれた指は、白い布を挟んでいた。
男の手が下降する度、ずるりずるりと布が面積を増していく。
それが全体の半分以上を晒した時には、ウーノはそれが何であるか、半ば気付いていた。
だが、認めたくはない。認めるわけにはいかなかった。
四人が緊張して見守る中、とうとう布の全容が明らかとなる。

べちゃりと床に落ちたそれは、血に汚れた白衣だった。
血の池に浸されて、白い部分に新たな沁みが生まれた。
ウーノの膝が、力無く折れる。
男が、悪意を吐き出した。

「これしか残らなかったが、いるか?」

「――――――あああああああああっ!」

叫ぶウーノの背後で、気配が三つ、床を蹴った。

「よくもドクターを!」

「許さん!」

「……排除する」

トーレが、チンクが、セッテが、それぞれの武装を展開し、それぞれの軌道を描いて男に迫る。
三人ともが、高位の魔導師に匹敵する実力者である。
如何なる相手であろうと、打破できる筈の三人である。
彼女達ならば、スカリエッティの仇を討ってくれるだろう。
きっと。

「愚か者どもが」

男が、溜息をつくように言った次の瞬間。
妹達は消し炭になった。
悲鳴はなかった。ただ、室内であり得ない筈の風が吹く。
真っ黒になった三人は、突撃の勢いのまま男の脇を擦り抜け、壁にぶち当たって砕けた。
男には、傷一つない。

「…………え?」

呆然としたウーノの呟きは、奇しくもスカリエッティの末期ものと同じだった。
ただ、言った者が生きているか死んでいるかの違いである。
スカリエッティを喰らい、妹達を殺めた男の哄笑が、部屋の中を回る。

「噛みかからなければ生きれたものを。あのような男が作ったのなら、出来も悪いか」

妹達の死を汚されても、スカリエッティを貶められても、ウーノは動かなかった。
度重なる凄惨に、魂が失せてしまったのか。
男が、ウーノの前に立つ。
黒光りする鎧に映る自身の顔は、死人のように生気が抜けていた。
雷鳴のように、声が降ってくる。

「さて、お前はどうする。儂に逆らうか、それとも服従するか―――」

床に落ちていた白衣――赤く染まり、もはや白衣とは呼べないが――がふわりと浮かび上がり、男の背に貼り付いた。
鎧に接した部分から、まるで波打つように白衣が変形していく。

出来たのは、マントだった。
赤い血の色はそのままに、新たな主の体を包み込む。
ウーノが顔を上げると、飛蝗に似た顔が迎えた。

「―――この、ゴルゴムの魔王の前に」

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最終更新:2008年11月24日 20:14