魔道戦屍 リリカル・グレイヴ Brother Of Numbers 第十四話 「脱出(後編)」


お腹を触った手にぬるりとした感触が伝わる、手の平に付いた赤いソレはすごく生温かくて嫌な感触だった。
最初の衝撃は打撃、強烈な力が叩き付けられたと思ったら次の瞬間ゴツイ壁が顔面にぶち当たる。
それが床だと理解するのに数秒かかった。
お腹に開いた穴から生命の赤がどんどん流れ出ていく。身体は自由に動かず手は力なく床を這う。
やがて湧き上がる熱のような痛みの奔流、その時ようやく自分が銃で撃たれたこと気が付く。


「くぅ……いたぁい……」


戦いでこんな傷を受けるなんて初めての事だった。
戦闘機人として生まれても能力の特性上前線で戦うことなんてなかった、やっても他のナンバーズのアシストくらい。
だから、あたしはそのあまりの痛みにただ呻き喘いだ。
激痛と死の恐怖で思考は正常に動かない、ディープダイバーを使って離脱する事すら思い浮かばない。
そんなあたしに敵が容赦なんてする筈なかった。


「がぁっ!」


頭に走った銃創とは違う衝撃と痛みに吐血と一緒に声が漏れる。血で滲んだ視界の先にはあたしの頭を掴んだ化け物がいた。
透き通るような青白い身体が凄く不気味で背筋が凍るような寒気が湧き上がる、でもあたしは悲鳴も上げることができなかった。
化け物の虚ろな赤い目があたしの視線を捕らえて例え様の無い恐怖を刻み込んだ。息がかかりそうなくらい近くまで迫った“死”に声も発せずただ身体が震える。
その場で死を覚悟したけど、決定的な瞬間は一つの言葉で止まった。


「殺すなよ。そいつはまだ使える」


殺し合いの場に相応しくない理知的な男の声が化け物を制止した。
声の聞こえた方向に視線を向ければそこには巨大な十字架を持った男が立っていた。
禿げ上がった頭には帽子を被りゴーグル状のサングラスでかけた男。
纏った服は神父のそれにも見えたけど、視線を向けているだけで息が詰まりそうな強烈な威圧感は絶対に聖職者のものじゃなかった。
出血と痛みで薄れ行く意識の中、あたしは最期の力を振り絞ってみんなに通信を飛ばした。


『みんな……地下で敵の待ち伏せが……来ちゃダメ……』


最後にそう通信を送ると、あたしは意識を手放した。




「セイン!?」


通信で脳内に送られてきた妹の力ない声に、隻眼の少女は思わず手元を狂わせた。
投擲直前だったナイフが僅かに照準を外れて標的であるオーグマンに直撃せず、刃の先をかすめるだけに終わる。
狙いのそれたそのナイフを無駄にすまいとチンクは即座にISを発動し炸裂を誘発。宙を駆けたナイフはIS発動のテンプレートを描きながら爆発を巻き起こし、標的諸共消し飛んだ。
オーグマンの身体は四散し、砕けた結晶がキラキラと輝きながら舞い散る。
だがチンクに勝利の余韻を味わう暇など無かった。


「セイン! 応答しろセイン!! 何があった!?」


チンクは普段の冷静さが嘘のように声を荒げて通信を送るが返事は返ってはこない。
隻眼の小さな少女の背を冷たい汗が流れる。
これは最も危惧した状況。
セインの能力で偵察を行い、もし敵がいれば配置や数を確認してからセッテとグレイヴが制圧をかける筈だった。
それが、偵察を済ませる暇もなくセインが倒れた、これでは現在目標地点にどれだけ敵がいるか分からない。
下にグレイヴを向かわせたとはいえ不安は拭えない、彼が簡単に倒れるとは考えられないが一緒に向かったセッテや連絡を絶ったセインはその限りではないのだ。
チンクの脳裏に迷いが生まれる。


(くっ……どうする? このまま二人だけに向かわせるのは危なすぎる。私が向かうわけにはいかない……ではノーヴェを向かわせるか? ……いや、しかしここの戦力をこれ以上割くわけには……)


逡巡する間にも時は刻々と過ぎ、迷うその一瞬・一刹那の時間だけ窮地が迫る。
厳しい時間制限の中で限られた酷薄の選択肢を選ばなければならない、僅かな判断のブレが自分のそして何より姉妹の生死を分けるのだ。
圧し掛かった重圧に押しつぶされそうになる、思考を乱すうっとうしい歯軋りが鳴り彼女の小さな肩が震えた。
その時別の通信が入り、脳裏に妹の声が響く。


『チンク、こちらセッテ』


それはグレイヴと共に目標ポイントに向かう妹、ナンバーズ七番セッテの声。チンクはこれに戦闘へ意識を傾けつつ即座に応答する。


「どうした? 何かあったか?」
『いえ、何も問題はありません。ただ作戦への進言を』
「進言?」
『地下へは私とグレイヴだけで向かいます。こちらへの増援は無しで、作戦はこのまま遂行する事を進言します』


セッテはいつもと変わらぬ抑揚の少ない、感情を感じさせぬ口調でそう言う。
それはまるで、二人へ増援を送る為にここの人員を割く事を迷っていたチンクの思考を読んだかのような言葉だった。


「しかし、敵の戦力も分からない……二人だけでは……」
『大丈夫です』
「……え?」


未だ逡巡の内にあったチンクにセッテは理性的で静かな声を響かせた。彼女の言葉に隻眼の少女は思わず素っ頓狂な顔となった。
そして、セッテはそのまま良く澄んだ静かな声で通信越しに小さな姉に語りかけた。


『私とグレイヴなら絶対に負けません。チンク達は予定通りそこで敵の足止めをお願いします』


静かな、だが決して曲がらぬ強い意思の篭った声だった。
“絶対に負けない”チンクはセッテのこの言葉にようやく選択する決意を固める。
迷うだけ時間の無駄だ、今は一刻を争う状況である。一拍の間を置いて、彼女は通信越しに妹へと声をかけた。


「分かった、では予定通り二人で行ってくれ」
『はい』
「セッテ……」
『なんでしょう?』
「死ぬなよ……」


聞こえるか否か、それほどの囁くような声でぽつりと漏らすとチンクは通信を切った。
伝えたかった言葉はその小さな胸の内に仕舞い込んで蓋をする。これ以上目の前の妹達の姉として弱音を見せられぬ、彼女なりの矜持であった。


(頼むグレイヴ……セインとセッテをどうか守ってやってくれ……)


心の中で今一番頼りにしている家族へと切なる願いを想い、チンクは眼前の敵に刃を向けた。
彼女の前には無数のオーグマンが立ちはだかりこちらに刃や砲門を向けて狙いを定めている。
感傷に浸っている余裕など今の彼女には欠片もありはしなかった。


「さて……姉は姉の仕事をするか!」


凛然とした澄んだ声を上げ、小さな銀髪の戦士は刃の爆撃を開始した。
施設内のガジェットが救援に来るまで時間にしてあと約30分、今この時が彼女達が脱出する為の天王山だった。




スカリエッティの研究所地下最深部、その区画には緊急時用に外部へ大型の地下ケーブルを利用して脱出する為の脱出ポットがある。
かなり広大な空間を有するそこは小さなビルの一つや二つなら優に建てられるくらいの広さだ。
人員のみならず物資も同時に外部へと持ち出せるように、脱出ポット区画には大小様々な幾つもの入り口がある。
地下最深部へと辿り着いたグレイヴとセッテはその中でも物資搬入用の巨大な扉に向かった。
奇襲をかけるなら遮蔽物の関係上ここが一番のポイントと考えての事だが、セインが敵の手に落ちた以上はこちらの奇襲は半ば悟られている可能性が高い。
扉を前に突入直前の無口な二人にはなんとも言えない重い空気が漂っていた。
だが静寂は唐突に破られた、破ったのは桃色の髪の少女、機人7番セッテ。


「では行きましょうグレイヴ」


手にした巨大な得物、固有武装ブーメランブレイドを両手に携えて少女はそう促す。
ここを潜れば確実に激戦が待ち受けている、その確信にグレイヴはセッテに視線を投げかける。
そこには彼女の身を案ずる思いが痛いほど込められていた。
自分を心配するグレイヴの心を察したセッテは、寂しげな彼の隻眼に自分の視線を絡ませる。
僅かな沈黙、しばしの間二人の視線が薄暗い廊下で結ばれる、そしておもむろに少女の唇が再び言葉を紡ぎ出して沈黙を破った。


「大丈夫です、私とて伊達に遅くは生まれていません。それに……早くしなければセインの身が心配です」


囁くような澄んだ声、だがその中には確かな決意が内包されている。
機械的で感情の希薄だと言われるセッテだが、その言葉の中にはありありと姉妹を案ずる優しさが垣間見れた。
彼女のこの様子にグレイヴは酷く懐かしいものを感じた、それは遥か昔自分がまだ人間だった頃の記憶。

“無口なヤツは気持ちを溜め込んでるから想いが強い”

それは無口だった自分にその時の上司から言われた言葉だったが、どうやらそれはこの世界でも当てはまる事らしい。
無表情な顔の下に隠されたセッテの人間らしい一面にグレイヴは戦いの場に似つかわしくない暖かい感情を覚えた。
だが、そんな気持ちに浸る時間は無い。
囚われの姉妹を救う為、二人はそれぞれの得物を手に激闘のダンスホールへと足を踏み出した。




「さて、そろそろ来る頃合か」


地下最深部一角で十字架型の愛銃を脇に腰を下ろした男、チャペル・ザ・エバーグリーンはふと呟く。
先ほど敵のサイボーグを捕獲してから約10分程度、そろそろ上の階層で二手に分かれた敵がここに到着すると予測した時間だった。
突入に適した場所には既にオーグマンを配置済み、後は突入のタイミングだろうが、長年の殺しの経験により磨き抜かれたエバーグリーンの鋭敏な感覚はそれをヒリヒリと感じている。
あと僅かな時、数十秒以内で敵はここに突入するという確証が彼にはあった。
エバーグリーンは巨大な十字架を手にゆっくりと立ち上がると、異形の僕(しもべ)に令を下す。


「そろそろだ、歓迎の準備をしておけ」


青白い色彩の肌、武器化した異形の体躯、魔の薬物シードにより人の身を捨てた怪物オーグマン。
無数の化け物の群れは主人の言葉に従い手の砲門を構える。狙うのは突入経路とし予測される幾つかの扉。

そして、エバーグリーンの言葉が放たれてより数分もしない内に機は訪れた。

まず最初に起こったのは火花、金属製の巨大なドアが火花を散らして吹き飛び床を転がる。
次いで現れたのは黒い影、上腕に巻きつけた鎖で棺を背負い両手に巨銃を携えた最強の死人兵士の姿。
だがその手の番犬が吼えようとするより早く、異形の放った砲弾が彼を襲う。
グレイヴ目掛けて70mmフィンガーの発射した無数のミサイルが推進剤の白い軌跡を宙に描きながら高速で飛来。
そして吸い込まれるように死人へと着弾し、凄まじい爆発を巻き起こした。
大爆発と共にその凄まじい衝撃で煙が濛々と立ち込め周囲の視界を白く染める。過剰殺傷に近い程の破壊の歌が地下深くに響き渡った。


「やれやれ、私の出番は無しか……」


目の前の惨状にエバーグリーンがそう呟いた刹那、巨大な“何か”が空気を切り裂き、空中を超高速で飛び交った。
幾重にも幾筋にも宙に煌めく軌跡を残したそれは迎撃に出たオーグマンの身体を次々に切り裂いて刻んでいく。
無慈悲なる猛攻に砕けたオーグマンの身体は透明な結晶となって風と消え、僅か数秒にも満たぬ間に前線に出た者達は掃討された。
一方的な蹂躙を行ったそれは正に殲滅の刃、名をブーメランブレード、ナンバーズ7番セッテの固有武装である。
そして任意操作で操られたブーメランブレードの二つの刃は近場の敵を刻むと、初撃で生まれた煙の中に吸い込まれていった。

煙が晴れていき現れたのは鈍色の棺、死を連想させる不気味な髑髏の顔を刻まれた火力の塊、最強の死人が誇る兵装デス・ホーラー。
垂直に立てられたそれは初撃で見舞われたミサイル攻撃の全てを防ぎきり、強固な防御で遮蔽物として屹立した。


「今ので18体は倒しました」


澄んだ少女の声が棺の裏側から響く。
巨大なる鋼の裏側では特徴的なヘッドギアを装着した桃色の髪を揺らす美しい少女、ナンバーズ7番セッテが死人と背中合わせになりながら回収したブーメランブレードを手にしていた。
最初にグレイヴが突入して攻撃をデス・ホーラーであえて受けて自分ごと遮蔽物となり、彼の背に隠れたセッテが任意操作のブーメランブレードで敵を倒す。
これが二人の編み出した強力な連携であったが、完全なる掃討には遠い。


「距離を取って遮蔽物越しにまだ隠れています……それにセインも見当たりません」


ブーメランブレードに内蔵した索敵能力でも目当ての姉妹の姿は見つからなかった。無機質な筈の少女の声には幾らか焦りが透けている気がする。
だが死人にそれを気にかける余裕はなかった。
次の瞬間、鈍い金属質な音と共に何かが足元に転がる。グレイヴの隻眼が視線を向ければそこには歩兵用の炸裂兵器、いわゆる“手榴弾”が転がっていた。
手榴弾を視界に捉えた刹那、彼はそれを側方に全力で蹴り飛ばすと同時にセッテを脇に抱えて反対方向へと跳躍。
飛ばされた手榴弾は通常のものではありえない程の凄まじい爆発で榴弾を周囲にばら撒く。
死人の力で飛ばさなければ自分はともかくセッテは危なかった、グレイヴの心に僅かに冷たいモノが芽生えた。
横っ飛びに床を転がったグレイヴにさらなる追撃、銃撃とオーグマンの放つミサイルが襲い掛かる。
彼は死人の持つ力を全力で行使して疾走し無数の銃火を掻い潜って、目の前にあった手頃な柱に影に身を隠した。
これでしばらく、ほんの一時だが敵の砲火から逃れられる、だが先ほどの手榴弾による攻撃は明らかにオーグマンのそれとは違う。
死人は経験から相手が手練れと推測し……


「あの、グレイヴ」


グレイヴがそう考えていると脇から声が聞こえる、彼が目を向ければ先ほど小脇に抱えたセッテがこちらをジッと見つめていた。


「助けてくれたのはありがたいのですが、そろそろ下ろしていただけると嬉しいです」
「……」


セッテはちょっとだけ恥ずかしそうにいつもの無表情でそう言った。グレイヴは言われるままに彼女をそっと床に下ろしてやる。
少女の顔に少しだけ名残惜しそうなモノが見えたのは気のせいだろうか。


「今の攻撃、敵はオーグマンというものだけではないようですね」


その僅かな感情の残留を打ち消すようにセッテは静かな言葉を漏らした。
グレイヴも同じ事を思っていたが、だからと言って言葉にはださなかった、今ここでそれを話しても意味はなかったから。


「しかし考えても意味はありませんね、今私達が成すべき事は唯一つ……」


振り下ろされた巨大なる殲滅の刃、固有武装ブーメランブレード。少女は鮮やかな桃色の髪をたなびかせて静かに唇から決意を零した。


「Search&Destroy(索敵と殲滅)……そしてセインの救助なのですから」


呟きの残響が硝煙の臭いの漂う空気に混じるや否や、セッテは顔を上げてグレイヴの顔を見つめる。
一度視線を交わした二人は、言葉よりも雄弁に瞳で互いの意思を確認するとそのまま柱の影から躍り出た。
瞬く間に飛来する砲火を掻い潜り、反撃の銃声と刃の音色が合唱を始める。


そして、その暴力の宴を距離を取って観察していた男がふと声を漏らす。


「まったく……思いのほかヤってくれる」


爆音と銃声が耳をつんざく残響を奏でる中、誰にでもなくそう呟くのはチャペルの名を持つGUNG-HO-GUNSの一人チャペル・ザ・エバーグリーン。
戦いが始まって既に10分以上、60体以上いたオーグマンはたった二人の敵に六割方潰されていた。
最強の死人グレイヴと完成された純粋なる戦機セッテの二人に、数にまかせただけのオーグマンの群れなどまるで相手にならない。
地獄の番犬と鋼鉄の棺がもたらす圧倒的火力、宙を変幻自在に飛び交い死と破壊を与える殲滅の刃の競演は二人の表情とは正反対に激烈を極める。
コレを打ち破るのは容易ならざる難業だと歴戦の殺しの名手は理解していた。連れて来た手勢が通常のオーグマン程度ではなおさらだ。


「さて、では先ほどの餌を使う頃合か。あの様子だと効果は期待できそうだしな」


だがその強敵も決して絶対ではないと、エバーグリーンの冷静な戦略眼は見抜いていた。
先ほどからあの死人兵士は一緒にいる少女を守るように戦っている、常に敵の射線に自分の身体を置き、優先的に彼女に迫るオーグマンから倒しているのだ。
どうやらあの死人はレジアスの所にいるものとはかなり違うらしい、ティーダやファンゴラムならば仲間など気にもせず殲滅・掃討を最速で推敲するだろう。
どうも動きや空気から何かしら人のような情を匂わせる、人間臭い死人などまるで笑える冗談だった。
エバーグリーンはソレを掴みあげると自分の傍にいた異形の僕に手渡す。


「さあ、そろそろ教育の時間だ」


まるで授業を始める前の教師のように彼はそう呟いた。




「右です」


少女の唇から抑揚に欠けた静かな声が銃声に混じって響く。
普通なら聞き取れないほどのささやかな少女の言葉を死人はしっかりと受け取り、彼女の告げた方向へと手を向ける。
握られた地獄の番犬は銃声の遠吠えと共に金属で形成された牙を吐き出す、硝煙という名の息吹を絡めたそれは空気を切り裂きながら目標目掛けて飛ぶ。
ケルベロスから吐き出された銃弾は、正確な軌道で吸い込まれるようにオーグマンの頭部を破壊、その機能を永久に停止させた。
その時、敵の一体を葬った死人の背後に迫る影が一つ。
鮮血を求める鎌と化した巨腕を振り上げたオーグマン、デス・サイズが迫り来る。
だがグレイヴは動かない、反応できないのではない、ただ単に動く必要がないだけだ。
オーグマンが異形の刃を振り下ろす刹那、その背後から殲滅の刃が空気を切り裂き超高速で飛来する。
任意操作により自在に宙を駆け抜けた刃はまるで柔い草木を薙ぐようにオーグマンの身体を胴から真っ二つに両断すると使い手の元へと帰還を果たす。
セッテは直前に急制動をかけて速度を落としたブーメランブレードを流れるような動作でキャッチ、長く艶やかな髪を揺らすその姿は美しくすらある。


「キリがありませんね」


グレイヴと背中合わせになりながら、少しだけ憂鬱さを感じさせる声が少女の唇から零れ落ちた。
先ほどの敵で既に30体以上は倒しているが、未だに敵の攻勢は衰えずセインを探す暇は無い。
戦力的には余裕を保っているが僅かにセッテの胸の内に焦りが生まれてくる。
無表情な美貌の下に隠されたその感情を察したのかグレイヴは少しだけ心配そうな視線を投げかけた。

だが彼のその瞳にセッテが気付く前に聞き覚えの無い声が二人へとかけられた。


「随分と派手にやってくれたものだな」


瞬間、電光石火の速さでグレイヴとセッテの握った武器がその照準を声の聞こえた方向へと向ける。
二匹のケルベロスが顎(あぎと)と殲滅の刃ブーメランブレードが狙いを向けた先には、ゴーグルのようなサングラスと帽子を身に付けて神父のような服をした奇妙な風体の男が立っていた。
男の名はチャペル・ザ・エバーグリーン、超異常殺人能力集団GUNG-HO-GUNSの一人である。
帽子をつけた容貌と手にした巨大な十字架にグレイヴは宿敵ファンゴラムを思わず連想してしまう。
いや、単なる視覚的な問題ではなく空気越しに伝わる気迫から死人の長年の直感は相手がファンゴラムに匹敵する強敵であると察した。
二人は瞬時に相手を殺傷せしめんと、それぞれの武器の狙いをエバーグリーンに定めて発射しようとする。
だがそれは次の瞬間に遮られた。


「止めておけ、下手をしたらこいつに当たるぞ?」


言葉と共に二人の得物が狙いをつけた照準の前に捜し求めていた少女が割って入った。
それは、身体中に受けた銃創から心臓の脈動に応じて血を垂れ流し、オーグマンに両腕を拘束されて吊るされたセインの姿。
突然目の前に現れた痛ましい彼女の姿に、セッテとグレイヴの思考に一瞬ほんの一刹那の時の空白が生まれた。
生じるべく生じたその隙を逃さず、敵は魔手を絡める。
二人の背後からタイミングを計ったようにオーグマンが現れ奇襲を開始。
近接型のデス・サイズが刃を振り上げて迫り、70mmフィンガーズが砲門と化した指からミサイルの掃射を行う。
宙を舞う無数のミサイルの雨に血を求める異形の刃、数瞬の思考の遅れから回避を断念した二人は即座に各々の得物の矛先を変える。
グレイヴのケルベロスがこちらに向かって飛来するミサイルに銃声の雄叫びを上げて弾丸を叩き込み、セッテのブーメランブレードが接近するデス・サイズを切り刻む。
素早い反撃でオーグマンを倒すグレイヴとセッテだが、その時二人の視界から逃れたエバーグリーンはその好期を逃さない。
グレイヴ達に幾つかの手榴弾を投擲すると同時に、持っていた巨大な十字架を二つに分割して二丁のマシンガンへと変形。
照準を合わせその銃口を二人へと向けて銃火の猛攻を開始した。
降り注ぐ銃弾の雨、初弾の被弾を受けた直後、グレイヴはまず背の棺を正面に立て鋼の壁として銃弾から自分とセッテの身を守る。
左手で棺桶を支えながら右手のケルベロスを上方へと向ける、狙いはこちらに向かって放物線を描きながら宙を駆ける手榴弾。
爆発と榴弾の射程に入る前に撃ち落そうと、鋼の番犬は弾丸を吐き出してそれを迎撃した。
音速を突破した高速の弾頭は小規模の衝撃波を発生させつつ、使い手の照準に従い空中の目標へと吸い込まれるように着弾。

この迎撃が失敗だったと、死人は弾丸を撃ち出した後に気付いた。

ケルベロスの15mm口径弾頭が中空の手榴弾を打ち抜いた刹那、予想通り爆発し四散。
だがそれは通常の手榴弾の爆発とはまるで違うものだった。
一つは本来手榴弾が殺傷能力を発揮し得る内蔵された榴弾が一切無かった事、そしてもう一つは通常の手榴弾を遥かに超える凄まじい閃光と爆音。
そのあまりの光と音にグレイヴとセッテの目と耳は一時的に機能を殺された。
エバーグリーンが投げたのは普通の手榴弾ではなかった、それは俗にスタングレネードと呼ばれる種類の兵装、殺傷・破壊ではなく対象の無力化を目的とした武器である。
使うタイミングを、セインを用いた肉の盾で自分への攻撃を潰し、背後からの奇襲で逃げ場を奪って使われたそれは実に効果的にグレイヴとセッテから抵抗の手段を奪った。

そして二人が一瞬無防備となった次の瞬間、周囲から取り囲むようにオーグマンが現れ手に持った武装を投げつける。
それは巨大な鎖、先端にはまるで銛のような穂先が設けられている物だ。
異形の怪物の金剛力で投擲された鎖とその穂先が狙うのは最強の死人兵士の四肢。
回避も防御もできないグレイヴの身体に凄まじい力で放たれた銛が突き刺さる。
通常の銃弾なら貫通することも出来ない彼の五体も化け物の怪力で打ち出された武器の全てを防ぐには至らなかった。


「ぐうっ!」


いつもはそうそうに声を漏らさぬグレイヴもこれには流石に口から鮮血と共に喘ぎを零す。
だがそんな事など気にも留めずオーグマンの群れは彼の身体を射抜いた鎖を思い切り引っ張る。
四肢を貫いた鎖に込められた力にグレイヴの身体は四方へと引き千切れそうなくらいの勢いで固定された。
それはさながら手足の動きをからくり糸で操られるマリオネットだった。


「グレイヴ!」


網膜が焼けてしまいそうな閃光で澄んだ美しい瞳を涙で濡らしながらセッテが叫ぶ。
スタングレネードで朦朧とした視覚と聴覚でも目の前でグレイヴに何かが起こった事くらいは理解できた。
だが自慢のブーメランブレードも今の状態では使う事は出来なかった。
彼女の武器は投擲と投擲後のコントロールを目の視覚システムと連動している為に眼の見えぬ今はその真価を発揮することが叶わないのである。
だからといって今反撃に移らねばここで二人とも死ぬことは確実。
セッテは即座に、出来うる限りの反撃を行動に起こす。
遠距離攻撃がダメならば接近して直接刃を振り下ろせば良いだけの話だ。
桃色の髪を振り乱した少女は両手に巨大なブーメランブレードを携えて駆け出した。


「はぁぁああぁっ!!!」


雄雄しき叫びを上げながらセッテは機人の筋力を解放し飛行能力を併用して跳躍、凄まじい速度でエバーグリーンへと迫る。
回りのオーグマンはただの傀儡、一番の脅威はこの男だとセッテの戦闘知能は理解した。
最大の脅威を最速で倒す為に、少女は一陣の風の如く飛翔する。

だがしかし、非情なる敵はそれを許しはしない。
エバーグリーンは両手に携えた二丁のマシンガンの銃口を猪突猛進と迫る美しい少女に向ける。
瑞々しい少女の肢体へと巨銃の照準が這ったのは一瞬、無慈悲な銃弾は即座に彼女の身体へとその毒牙をかけた。
硝煙と銃声と共に銃弾がまず破壊したのは振り上げられたセッテの右手、彼女の細い手首に数発の弾頭が食い込むと同時に吹き飛ばす。
巨大なブーメランブレードを持った少女の右手首が溢れ出る鮮血と共に音を立てて床に落ちる。
だがそれでもセッテの侵攻は止まらない、その程度では彼女を止めるに至らない。セッテは激痛を意志の力で捻じ伏せて残る左腕を振り上げて飛び掛かった。


「死ねぇっ!!」


高速速度での空中戦闘能力を有するセッテの突進、烈風の如きその攻撃がエバーグリーンの命を刈り取らんと襲い来る。
だがこれに男はいたって冷静に対処した。
どんなに高速接近を行おうともその軌道は実に単純、軽く身体を反らし最低限の身のこなしで斬撃を回避する。
目標を失い体勢を崩すセッテ、無様に床の上に転がりながらも彼女は即座に立ち上がり、左手のブーメランブレードを構えて向き直った。

だがその左手も銃声と友に彼女の身体から別れを告げる。

鉛弾が食い込んだのは今度は肘だった。
肘間接部に正確に着弾した数発の大口径ライフル弾は、その破壊力を余すとこなく発揮して少女の瑞々しい肢体を無残に引き千切った。
肘は銃弾に粉砕されて吹き飛び、肉と骨を千切られた前腕が刃を握り締めたまま床に落ちる。
両腕を喪失した事でバランスを崩したセッテの身体はまた無様に転がった。倒れた彼女の身体は両出から流れ出る血潮で真っ赤に染まる。
しかしそれでもまだ少女は立ち上がろうとした。


「ぐっ! くあぁぁ……まだだ……私はまだ!」


もし得物が無ければ噛み殺すとでも言いたげな殺意と敵意に満ちた目でセッテは吼えた。
常人ならばその覇気だけで威圧されるだろうが、だがしかしエバーグリーンはこれに呆れたような顔をした。


「やれやれ、まだ戦意が残っているか……できれば生きたまま捕獲しろという話だが、お前は難しそうだな」


エバーグリーンはそう呟くと、そのまま銃口の照準をセッテの頭に向けた。


「では死ね」


引き金はあまりにも軽かった。
絞られた引き金に応じて撃芯が雷管を叩き、銃弾を銃口から発射するまでのプロセスは1秒もかからず終了する。
そうして吐き出された銃弾は、少女の頭に命中した。
頭部へと着弾した銃弾の衝撃に頭をのけ反らせ鮮血を舞い散らせながら、セッテの身体は今度こそ床の上に倒れ伏した。


「セッテ!!」


凶弾に倒れるセッテにグレイヴが普段の無口な姿からは想像もできないほど大きな声で叫んだ。
だが少女はそれに答えることも無くただ床の上に無残に転がる。床には傷から流れ出た血潮が鮮やかな朱色を広げていた。
グレイヴは拘束を解こうと必死に手足に力を込めるが、それはただ穿たれた傷を開かせるだけに終わり、虚しく鎖を軋ませた。
そんな彼にエバーグリーンは無感情な表情で向き直ると手にした銃口を向けながらふと言葉を漏らす。


「人生とは絶え間なく連続した問題集と同じだ。揃って複雑、選択肢は極少、加えて時間制限まである」


まるで教師が生徒に諭すような口調でそう呟きながら、エバーグリーンの構えた銃口が身動きを封じられたグレイヴへとその照準を向ける。


「お前達の選ぶべき最良の選択は、人質に構わず私と交戦する事だったな哀れな死人。このミスの代償は大きいぞ?」


そして一瞬の逡巡もなく、フルオートによる射撃が始まった。
耳をつんざく銃声、金色の薬莢が床に転がる金属音、死人の身体に弾が着弾する鈍い音、それら全てがまるで狂想曲のように交じり合い強烈な演奏が地下で響き渡る。
強固なる死人の身体に大口径のライフル弾が無慈悲に注ぎ、徐々にだが確実に抉っていった。




響き渡る銃声に、血の海に浸ったセッテの五体がピクリと動いた。
先を失った腕がズルズルと床の上を這い鮮血の朱を塗りたくる。
それはけっして骸が起こす死後の痙攣などではない、セッテは確かに生きていた。


「うあ……私……は……ぐぅっ!」


腕から走る激痛に思わず表情を強張らせて呻く。
衝撃で寸断される直前の記憶では、確かに自分は頭に銃弾を受けたはずだったと少女の聡明な知性は疑問を感じた。
だがその疑問は目の前の床の上に転がった物を見た瞬間に即座に解消する。
セッテの傍には彼女がいつも身に付けていたヘッドギアが砕け散って転がっていた。
恐らくは彼女の命を奪うはずだった銃弾に当たって代わりに破壊されたのだろう。
銃弾はそこで受け止めたれて、額に致命傷には遠い裂傷を負うだけで済んだ。
だが幸運に感謝する暇は無かった。


「グレイ……ヴ」


目の前では異形の化け物に拘束された彼が一方的に敵の放つ鉛弾の餌食になっていた。
フルオート射撃で撃ち出される無数の銃弾が無防備な五体に刻まれていく。いくら死人とてあれだけ大口径のライフル弾で長時間撃たれ続けたら体組織の維持や再生はままならない。
セッテは彼を救うべく倒れ伏した自分の身体に必死に力を入れる。
だが両腕を失い、大量に血を流した四肢は思うように動かず、無様に床の上を這い回るだけだ。
生命の根源たる血潮の喪失に少女の身体は深き眠りを欲していた。


(まだだ、止まるな! それでも私を入れる身体(うつわ)か!! あと一撃……あと一撃打てば眠らせてやる!!)


セッテは歯を食いしばり身体に残る全ての力をかき集めて立ち上がろうとする。
後期型戦闘機人として完成された少女の美しい肢体はその内部で再び戦う為の準備を高速で行った。
体内で動脈人工血管部を部分的に拘束し止血、沈痛の為にエンドルフィン分泌量の促進。
艶めかしく妖しいほどに血塗られた少女の四肢が自由に動き始め、豊満な乳房が血の海に中で身をよじったために床に潰されて形を変える。
ずるずると床を這う動きに少しずつ力が込められていく。
そしてセッテは次にIS機能を用いブーメランブレードを手元に短距離転送、握る為の手が無いためにそれを口で咥えた。
ブーメランブレードは口だけで振るうにはあまりにも重い為、顎部と頚部の筋力リミッターを限界まで解放し発揮筋力を最大まで押し上げる。
汚れなど一つも無い白い歯がグリップに食い込み、軋みを上げながら持ち上げていく。
そして、吹き飛んだ腕の傷口を支えに少女の身体は再び立ち上がる。
エンドルフィンの鎮痛作用で消しきれぬ激痛が杖代わりに床についた両腕の傷から湧き上がる、失血による倦怠感も酷い、だがそれでは今のセッテを止めるにはあまりにも非力。
目の前で危機に瀕しているグレイヴの身を思えばその程度、少女の強靭なる意思の前には霧散するより他はない。
あとはただ、身体の内から生まれる戦闘衝動に従うだけだった。


「があぁぁあああぁっ!!!」


血塗られた豊満な肢体を躍らせ凶刃を咥えて走る様はさながら阿修羅。得物を咥えた口から漏れる雄叫びはさながら羅刹。
もはやそこに物静かな少女の姿は欠片も無い。
血濡れの戦鬼と成り果てたセッテは眼前の敵に向かってただ本能のままに駆けた。
その雄叫びその気迫、無論だが相手はこれに気付き即座に応戦する。
両腕に持った二丁のマシンガンがその銃口から火を吹き銃弾を雨と注いだ。
しかし桃色の髪を揺らした戦鬼はこれを高速で左右へ移動し、ジグザグに飛びながら回避。
もちろんエバーグリーンの撃つ銃弾の全てを避ける事などできない。何発も被弾し、傷ついた身体にさらなる重症を刻み込み。

だがそれでも倒れない、それでも止まらない。少女はひたすらに距離を詰め敵に迫る。


「くっ!」


さしものエバーグリーンもこれには驚愕するより他は無い。
相手はもはや単なる手負いの獣の範疇を超えて、鬼神の領域へと入った事を歴戦の知性と本能が知る。
この種の手合いとは、まず距離を取って冷静に対処するのが有効。そう判断した彼の怜悧な戦闘思考は即座に一時的撤退を選択する。

距離を取ろうと側方へ駆け出すエバーグリーン。
その時だった、グレイヴが行動を起こしたのは。


「ぐおおぉおっ!!」


最強の死人は四肢を拘束する鎖に五体全ての力を込めて抵抗する。
死人を戒める為に作られたそれは強固で、簡単に千切れたりはしなかったがそれでも少しは腕を動かすことに成功した。
グレイヴは僅かに自由を得た腕を動かすとそのまま手首を返し、無理矢理射角を作り上げて手首の感覚だけで銃口の照準を敵に向ける。
番犬の引き金が絞られ巨大な専用弾が吐き出された。
空気を切り裂きケルベロスの15mm弾頭が着弾したのはエバーグリーンの足首部分。
有り余る破壊力を発揮した魔犬の銃弾は彼の足首を盛大に吹き飛ばした。


「がぁあっ!」


エバーグリーンは駆け出した途端に四肢を欠損してその場で転ぶ。
そして苦悶の表情をしながらも激痛を意思で押さえ込み、銃を取って反撃しようと振り返った。
そこで彼の目に映ったのは桃色の髪を振り乱す美しき阿修羅の姿。

それが彼の見たこの世で最期の映像だった。

何か水分に満ちた物を刃物が切り裂く音がしたかと思えば、宙を人の首が舞う。
先ほどまで戦闘行為に準じていたGUNG-HOの精鋭がついに絶命したのだ。


「ぐぅおおぉっ!!」


エバーグリーンを誅したセッテは、そのまま獣の如き咆哮と共に咥えていたブーメランブレードを口から離して投げ放つ。
打ち出されたそれは大気を切り裂きながら突き進み、グレイヴの動きを封じていたオーグマンを1体破壊した。
そうして右腕が自由になれば、あとは右のケルベロスが遠吠えを上げて残りの敵を打ち倒すのみである。

ほどなくして、地下区画の制圧は凄惨な勝利と共に完了した。




「セッテ!!」


四肢に突き刺さった鎖も構わずに、グレイヴはセッテに駆け寄る。
最後のブーメランブレードを投げた直後、彼女は当然ながらその場で倒れ伏した。
グレイヴは手に愛銃もその場で地に捨てて少女の肢体を抱き上げる。
その姿はあまりに痛ましいものだった。

右腕は手首から先が、左腕は肘から先が吹き飛んでいる。額も割れて美しい顔を血で汚い化粧を施していた。
全身にもあちこちに銃弾が被弾して穴を開け、心臓の脈動と共にドクドクと血を吹き出している。
瀕死と言って差し支えない重症、セッテがまだ生きているのは彼女が戦闘機人だからに他ならないだろう。

そして、グレイヴの手で抱かれた少女は血の泡を吐きながら口を開いた。


「ゴプッ! グレイヴ……敵は……敵は倒せましたか? ゲホッ! ……セインは……無事ですか?」


自分の命が消えかかっているというのに、少女は自身ではなく姉妹の身を案じた。
グレイヴはセッテの首を膝裏に手を差し入れて彼女を抱き上げると、倒れていたセインの元に駆け寄る。
どうやら意識は失っているようだが息はあるようだった。
死人は微笑を浮かべて自分の胸に抱いた少女へと静かに口を開く。


「敵も倒した、セインも無事だ」


この言葉にセッテの身体からフッと力が抜けた気がした。
そして少女は、普段は決して見せないような最高の笑みをその美貌に浮かべた。


「そうですか……良かった。 ……ちょっと疲れました……少しだけ……少しだけ眠ります……」


そう言うと、少女は目蓋を閉じて意識を手放した。


その時、凄まじい振動が施設全体に響き渡る。
恐らく上の階層で何か爆発したのだろう。天井からはパラパラと埃が落ちてきた。
同時にフロアの入り口から別の少女の声が響いた。


「グレイヴ! 無事か!?」


赤毛を揺らした少女、ノーヴェを先頭に上の階層に残っていたチンク達がやって来る。
恐らく上での敵の足止めが終わったのだろう。
グレイヴの下に駆け寄ったノーヴェはセインとセッテの惨状に顔を青くした。


「セイン! セッテ!」


姉妹のあまりに変わり果てた姿に普段は勝気な少女はうろたえる。だがそんな彼女を小さな隻眼の姉は諌め、冷静に指示を飛ばした。


「待てノーヴェ、むやみに触るな。グレイヴ、セッテを脱出ポットまで運んでくれ、ノーヴェはセインを背負え。ディエチはポットの準備を」


この状況にチンクとて狼狽しかけたが、それこそが事態を悪化させる要因だと小さな姉は知っていた。
チンクは理性で恐怖と感情を抑えながら脱出ポットへと姉妹を誘導する。
もはやここまで来れば後はこれに乗って逃げ出すだけだった。


「皆早く乗れ! 後はこれで外まで逃げるだけだ!!」


時間にすればほんの数時間、まるで永遠に続くかに思われた脱出劇はようやく終わりを告げた。


続く。

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最終更新:2008年10月08日 00:04