ティアナ、アンタの『誤射』の件もアリウス氏は穏便に済ませてくれるそうや」

 ホテル<アグスタ>の襲撃事件から既に丸二日が経とうとしていたが、ティアナが部隊長室に呼ばれたのはこれが初めてのことだった。
 ティアナが民間人を――しかも管理局にも尋常ではないほどの影響力を持った人物を撃った事実は、既にはやての元へ報告されたが処罰は先送りされていた。
 あまりに予想外の事がこの一件で起こりすぎていた為だった。
 謎の襲撃事件が多くの資産家を巻き込んだことで事件は一気に深刻化し、その最中でこれまでの記録でも一線を画す<アンノウン>が出現。Bランク魔導師二人を戦闘不能にした。
 加えて一般警備員に死者と、空戦AAA+魔導師のヴィータ三等空尉が重傷を負い、機動六課スターズ分隊は実質壊滅寸前にまで追い込まれた――。
 事件としても一大事であり、現場に当たった機動六課にとっては部隊の存続すら揺るがす状況だった。
 そして現在、ヴィータ三等空尉の容態も安定し、危うい方向へ傾いていた天秤が元に戻り始めている。
 傷が回復したばかりのティアナと上司のなのはが今更ながらに呼び出された背景はそれだ。
 直立不動で総部隊長の言葉を待つ二人を、はやては普段の気安さを潜めた厳格な表情で一瞥する。

「……まあ、実際。当時現場には得体の知れん化け物が徘徊しとったわけやし、脱出を急いで無断で外に出た非も向こうは認めとる。混戦の中で誤射も止むを得ず……」
「誤射ではありません。自分は明確な意思と認識を持って撃ちました」

 はやての説明を遮り、ティアナがハッキリと告げた。
 傍らのなのはがティアナに制止の視線を送るが、それを分かっているのかいないのか、前だけを見据え続ける。
 沈黙が走り、二人の視線が交差し合った。

「……実際、直後に強力な<アンノウン>が出現し、スターズ分隊はこれと交戦することでアリウス氏も無事……」
「敵が出現したのは撃った後です。それに、アレの出現は偶然ではありません。アリウスの仕業です。6年前の事件でも奴は……」
「ランスター二等陸士」

 どこか呆れを含んだ声色ではやてが吐き捨て、静かな視線を向けると、その気だるい仕草からは想像も出来ないような圧力を感じてティアナは思わず黙り込んだ。

「少し黙れ」

 ティアナと、なのはさえも僅かに息を呑んだ。はやての傍らに立つグリフィスだけが銅像のように一貫した態度と沈黙を貫いている。
 今、この瞬間二人の前に立つのは間違いなく機動六課総部隊長八神はやてであり、たった四年で二等陸佐まで上り詰めた実績を持つ冷徹冷静な上司だった。

「ランスター二等陸士の話が全て本当だったとして――で、それが何や?」

 はやては現実の厳しさを突きつけるように問う。

「その生態すら僅かにも知れない正体不明の敵との繋がりがアリウス氏にあるとして、それを証明する術は? そもそもそれを暴く権限が一介の管理局員にあると思うんか?」
「……ウロボロス社からの圧力があったんですか?」
「あったとして、だからそれが何なんや?
 状況証拠も無しに民間人を、管理局員が自らの意思で撃った事態が明らかになって、その責任を自分一人で負い切れると思っとるんか。自惚れるな」
「はやてちゃん、もう少し言い方が……」
「高町一等空尉。私語は控えろ」
「……はっ」

 気まずさを通り越して、軋んだ空気が部隊長室に漂い始める。
 ティアナの事務的な態度に隠れた挑発的な言動に対して、はやてはあくまで厳格な上司として応じ、その狭間でなのはは沈黙するしかない。
 親友とはいえ、互いに管理局で仕事に就く中でその関係が馴れ合いだけで成り立っているわけではないことをなのはも十分理解していた。

「……ティアナ、何故撃った?」

 ほんの少し険の取れた声で、はやては純粋な疑問を口にした。
「私の経歴は、既に調べられていると思いますが」
「6年前の事件のことか。なら言い方を変えるけど――何故撃てた? 後先考えない復讐心だけで撃てるほど、アンタの心構えは脆いものなんか?」

 ティアナは沈黙を貫いた。
 実際に教導を行い、接しているなのはほどではないが、スターズ分隊のメンバーとしてティアナを選んだのははやてだ。
 ティアナには正義に向かう意志が確かにあった。はやてはそれを直接眼で見ている。
 単なる復讐者として生きるのならば、管理局に入る必要などない。
 ティアナは人を守る生き方を選んだ。
 その尊い事実が、どれほど暴走してもティアナの根底に残っていることを察したはやては、だからこそ彼女を庇うのだ。
 一向に答えようとしないティアナの様子に、この問題は自分が解決するものではないと悟ると、何処か寂しげに眼を伏せてはやてはため息混じりに結論を告げた。

「……今回の件は『誤射』で片をつける。これは決定や。従え」
「……はい」
「処罰は追って知らせる。減俸か、誤射及び緊張状態でのトリガーミスに対する矯正訓練の徹底は覚悟せえ。謹慎させるほど暇も人手も余ってないんでな」
「分かりました」
「よし、下がれ」

 敬礼し、ティアナは退室した。その態度と仕草だけは従順で完璧な対応だった。しかし、内心がどうなっているかは全く予想できない。
 はやては憂鬱なため息を吐き、更にもう一つ目の前にぶら下がる悩みの種に視線を向けた。

「っちゅーわけで、今回の『事故』の責任は上司であるなのは隊長が主に負うことになる。……本当によかったんか? ティアナに教えんで」
「うん。ティアナには、気にして欲しくないから」
「独断行動の抑制と立場の自覚の為にも釘刺した方がええんやけどな。
 あまり今回のティアナの行動を楽観的に解釈せん方がええよ。そら、何か事情はあるやろ。でも事情があれば何でもしてええというワケやない」
「……そうだね」

 覇気の感じられないなのはの受け答えに、はやては更に頭を悩ませるしかなかった。
 ティアナの暴走の報告を聞いて、一番ショックを受けているのはなのはだ。おそらく、彼女が最も想定していなかった事態だからだろう。
 普段のティアナを考えれば、何らかの重大な事情があるのは確かだ。それを分かってやれなかったことで、なのはは自分を責めている。
 はやてが親友として知る、なのはの欠点だった。
 何もかも自分だけで抱えようとする。そして、他人ではなく自分を戒める優しさも。

「……なのはちゃん、ティアナはこれまで教えてきた子らとは違うよ」

 はやては友人としての優しさと厳しさを持って告げた。

「優しく接すれば応えてくれる相手やない。
 ティアナのいろいろなことに対する覚悟は相当なもんや。あの娘には漠然とした正義に従うだけやない、明確な意志がある」

 それは、見慣れたものだからこそ分かるものだった。
 なのはやフェイト、そしてはやて自身にも宿る、幾つもの大きな戦いと経験で失ったモノから受け継いできた<魂>だ。
 経験の薄いルーキー達の中に在って、ティアナはそれを既に持ち得ていた。
 そこに至る経緯に何があったのか。
 少なくとも、出会って半年も経たない仲で理解できるほど容易いものではないと、なのは自身も理解していた。
 自分の親友二人が背負うものを、この10年来の付き合いの中でも完全に理解しきれないのと同じように。

「曲げられない意志を持つ相手に、言葉だけで通じなければどうすればええか……なのはちゃんは知ってると思うけどな」
「……もう、子供の頃とは違うよ」
「そうか? 『たいせつなこと』は今も昔も変わらんもんや。人が理解し合うのに、気持ちをぶつけるのは必要やと思うけどな」
「……」
「一度、思いっきりぶつかった方がスッキリするんと違う? 模擬戦でも組んで」

 ティアナの場合を再現するように、実感の篭ったはやての言葉に対して黙り込むなのは。
 スターズ分隊は予想以上の問題を抱えているらしい。
 憂鬱なため息の絶えない部隊長だった。
「まあ、その辺はベテランの教導官殿に任せるけどな。素人の意見や……下がってええよ」
「……失礼します」

 一礼し、なのはも部隊長室を去って行った。
 二人の居なくなった室内。閉ざされたドアの先をぼんやりと眺めるはやてと、これまで微動だにしていないグリフィスだけが残される。

「……あーもー! なぁーにぃーこぉーれぇー!?」

 緊迫した空気から解放され、タガが外れたようにはやては頭を抱えてデスクに倒れ込んだ。

「二回! 出撃したの、これでたったの二回やで!? なのにもう問題が山積みや! 布団と違うんやから、なんでこう叩けば叩くほど埃出てくるかなぁ。うちの部隊ってそんなに問題あった?」

 今にも床でのた打ち回りそうなほど苦悩全開なはやての傍らで、グリフィスは淡々とコーヒーの準備をし始めた。

「あんなギスギスフィーリング、私のキャラやないのに……。少数精鋭ってもっとアレやん、身軽に飛び回ってクールでスタイリッシュに事件を解決っていうイメージやろ? 何で一回動くごとにエンスト起こしとんねん」

 ダラダラと文句を垂れ流す中、コポコポとお湯を注ぐ音だけがはやてに応える。
 はやてはのんびりとしたグリフィスの仕草を恨めしげに睨み付けた。

「……ちょっと、グリフィス君! 聞いとる!?」
「ミルク入れますか?」
「砂糖もたっぷり入れて!」
「では、コーヒーブレイクです。落ち着きますよ」

 本職のウェイター顔負けの流れるような動きでコーヒーカップを差し出し、グリフィスはスマイルを浮かべて見せた。
 あっさりと毒気を抜かれたはやては、その笑顔を卑怯だと心の中でぼやく。
 なんだか自分のあしらい方を十分に心得られているような気がしてならない。
 拗ねたアヒル口で、コーヒーを啜る音だけがしばし部隊長室を支配する。

「……実際、機動六課自体にそう問題はないと思います。外的要因がほとんどかと」

 カップの半分も中身を飲み終えたところで、計ったかのようにグリフィスが言葉を口にした。

「外因って?」
「例の<アンノウン>ですね。いずれの出撃も、アレらの乱入によって事態が悪化しています」
「……まあ、確かにティアナの問題にしてもアレが関わっとるみたいやしね」

 はやてはカップを置くと、デスクの端末を操作して、つい先ほどまで調べていたファイルを表示した。
 6年前の――ティアナの兄<ティーダ=ランスター>の殉職に関わる事件のファイルだった。
 違法魔導師の追跡を行っていたティーダは、その最中で謎の襲撃を受け、部隊の仲間共々死んでいる。
 映像も無く、事件自体の詳細な記録も不自然なほど欠けているが、その内容はこれまでの襲撃事件と酷似していた。
 そして、彼の追っていた違法魔導師がアリウスである。
 この『偶然』の襲撃によってアリウスは追跡から逃れ、そのしばらく後に冤罪が確定。
 無実の罪で捕らわれる過ちは寸前で防がれ、当時の捜査チームは誤認逮捕の責を問われた。追跡した部隊は強引な行動を批判されこそすれ、死を悼まれることもなかった。

「現場責任者のティーダ一等空尉は露骨に『無能』『役立たず』と非難されたそうや。襲撃の痕跡も見当たらず、妄言扱いまでされかかっとったようやな」

 その当時の批判には二重の意味が込められていることを二人は察していた。
 免罪の者を追い回した強攻的な姿勢を責める世論に乗った糾弾。そして、それとは全く正反対に、逮捕にまでこぎつけた大物を現場から逃がし、根回しの機会を与えてしまったという管理局側の本音だった。
 ――例え、死んでも取り押さえるべきだった。
 事件に関わった高官達は、そう断言して憚らない。いずれもアリウスの強大な権力の前に返り討ちを受けた者達だった。

「ティアナにはああ言ったけど、アリウスが限りなく黒なのは当時の事件でも周囲が認めとる」
「やりきれない話です」
「これならティアナも思うところあるやろ。ただ、漠然とした<仇>の正体を随分とはっきり断定しとるところが解せんがな」
「彼女は<アンノウン>の正体を知っている、と?」
「で、その辺の鍵になってくるのがこの人――」

 モニターが変化し、表示されたのはダンテだった。
「訓練校に入る前からティアナと知り合いやったそうや。
 現場でも相手の正体を察するような言動あったらしいし、<アンノウン>の謎に対しては彼が重要な鍵を持っとるやろうな」
「しかし、彼から得た情報では……」
「それなんや」

 続いて表示されたものは、ダンテから事情聴取によって得た情報だった。
 物的証拠などほとんどなく、それらは全て<アンノウン>に対するダンテの独自の説明だけで成り立っていた。

「2000年前に一人の<魔剣士>によって封印された<魔界>と、そこから人間の世界へ現れ出る<悪魔>――か」
「正気を疑いますね。
 彼自身の経歴も不鮮明なものです。戸籍は金で買ったらしい後付のものですし、現在の彼自身廃棄都市街で非合法の便利屋を請け負っています」
「といっても、あのにーちゃんから一番出難いタイプの妄言やと思うけどね」
「それは、そうですが……」

 ダンテと一度でも直接顔を合わせた者ならば共通して抱く感想だった。
 美しさとしなやかさを備えた容貌の中で浮かぶ不敵な笑み。何者にも従わない意志を宿した瞳は、真っ直ぐに迷い無く前を見据えている。
 態度や立ち振る舞いの粗野さは、むしろ彼の一種独特な雰囲気を実に人間臭いものへと変えて、初対面の者の警戒を自然と解いてしまうのだ。
 彼には生まれや身分など関係ない、存在そのものから発せられる強烈な力があった。
 あの男から、思慮の浅い嘘や半宗教染みた妄想など飛び出してくる筈が無い――そう無意識に弁護してしまいそうな雰囲気がある。
 そしてこれもまた根拠もなく無意識にだが、ダンテの語った内容は奇妙な説得力を感じさせるものだった。

「そうか、なるほど<悪魔>か……」

 口の中でその言葉を反芻し、はやては思わず納得するように頷いていた。
 自分も何度か無意識に比喩したが、確かにあの大きさも形も一定ではない奇怪な化け物どもを表現するのに、これ以上相応しいものは無いように思えた。
 今回の事件で確信したことだが、奴らは場所にも時間にも縛られない。
 あるいは塵からででも生まれているのではないか?
 そう思わずにはいられないほど、奴らは唐突に人間の前に現れ、等しく死を振り撒いてきた。
 もし、今回襲撃されたのがホテルではなく管理局の施設だったら? あるいは本部であったなら?
 軍隊では死ぬのにも順番がある。まず尖兵が戦いで死に、敵が進軍していくことで徐々に前線に立つ偉い者から死んでいく。そして最後は一番偉い奴が責任を取る。
 しかし、この<悪魔>どもにとっては違うのだ。
 全てが平等で、奴らの前では人間とは等しく獲物に過ぎない。
 寝静まった夜、管理局の最高責任者の家のベッドの下から這い出してきて、あっさりとその命を奪ってしまいかねない存在なのだ。
 子供が皆一度は暗闇の中で幻視して怯える、モンスター、悪霊――そう、そして<悪魔>と呼ばれる者達がまさにそれではないのか。

「……どうなさいますか? この情報」
「どうって、まさか六課の皆に正式な情報として公表するわけにもいかんやろ。敵は<悪魔>です、聖水と祈りを武器に戦いましょうって?
 ただ根拠や論理的な説明はないにせよ、ダンテさんがこの<悪魔>に対して有効な知識と力を持ってるのは確かや。正式に協力を取り付けて、情報は隊長陣にだけ報告。あとは状況の進行から見定めていくしかないな」
「事件担当の執務官に、一応この情報は送っておきます」
「相手にされんと思うけどね」

 呟き、しかし直接ダンテから話を聞いたらどうだろうか? というとり止めもないことを考えていた。
 もう一度、ダンテの証言に目を通す。

「<悪魔>……<魔界>……」

 得られた情報の中でもキーワードとなりそうなものを一つ一つ、染み込ませるように口にしていく。

「<魔剣士>……そして<スパーダ>か」

 

 

魔法少女リリカルなのはStylish
 第十五話『Soul』


「へい、お待ち! 機動六課食堂特製の特大ミックスピザだよ!」
「Wao! 待ってたぜ、こいつは美味そうだ!」

 恰幅の良い、いかにも『食堂のおばちゃん』である女性が、本場イタリアも真っ青なピザを目の前に置くと、ダンテは歓声を上げた。
 特製と言うだけだけあって、本来メニューに載っていないその代物はダンテの注文を全て座布団程もある大きな生地の上に載せている。
 香ばしい匂いと共にチーズが音を立てて溶け続け、ダンテと同じテーブルを囲む者達の空腹感まで大いに刺激した。
 彼の盛り上がりようも、決して大げさではない。

「事情聴取だの何だので、丸一日ロクに食ってないからな。こういうのを待ってたんだよ」

 何かと微妙な立場にある身では隊舎をうろつくことも出来ず、気を利かせたフェイトが持ってきたカロリーブロック以外口にしていない。
 ダンテは祖国の伝統ある栄養の偏った塊に嬉々として齧り付いた。

「ん~、いいね。最高だ」
「おいしそう……」
「スバルさん、涎出てますよ」
「キャ、キャロだって、食べたそうな顔してるじゃん!」
「あの、すみません。少しキャロに分けていただけますか?」
「エリオ君、恥ずかしいことしないでっ!」

 食欲を誘うダンテの食事風景を見ているのは、同じテーブルのスバル達だった。
 いずれもダンテからすれば子供も同然。三人の歳相応な様子に機嫌の良さも手伝って笑みが浮かぶ。

「ハハッ、いいぜ。遠慮するなよ、この幸せは皆で分け合わなきゃな」
「じゃあ、いただきまーす!」

 誰よりも早くスバルが文字通り食い付いた。続いて、礼儀を弁えたエリオとキャロの年少組がおずおずと手を伸ばす。

「すみません、いただきます」
『キュルー』
「あ、うん。フリードのもあるよ」

 奇妙な拮抗状態にあったテーブルは途端に賑やかになった。
 自分の腹を満たしながらも、その和気藹々とした団欒の様子にダンテは穏やかな笑みを浮かべてしまう。
 何処か懐かしい光景が、そこにはあった。
 二切れ目のピザを炭酸飲料で飲み流すと、ようやく一心地ついたダンテは自分の傍らに浮く小さな人影を見上げる。

「ヘイ、お前さんは食べないのか?」
「……生憎ですが、リインはこんな油の塊好きじゃないです」

 愛らしい顔を険悪に歪める行為が全く無駄に終わっているリインフォースⅡは、精一杯不機嫌を露わにしてダンテに吐き捨てた。
 初対面から二日と経たずに、リインのダンテへの印象は最悪になってしまっている。
 その理由は、この冗談を無意識に吐き続ける皮肉屋が絵本の妖精のようなリインを見てどんな態度を取るか考えれば容易に説明出来た。

「ああ、そうかい。妖精はピザなんて食わないよな。花の蜜とか砂糖菓子とか集めて食うんだろ?」
「リインは虫じゃないですー!」

 つまりは、こういう態度だった。

「だったら、食ってみろって。ダイエットだの健康だのって考えが吹っ飛ぶぜ」
「むぅ……じゃあちょっとだけ」

 トマトのスライスとチーズだけが乗った小さな切れ端を渡すと、リインは渋々齧り付いた。
 ビヨーンと伸びるチーズの旨味と初めての食感に、カッと小さな目が見開かれる。
「こっ、これはああ~~~っ! この味わあぁ~っ、サッパリとしたチーズにトマトのジューシー部分がからみつくうまさですぅ!
 チーズがトマトを! トマトがチーズを引き立てるッ! 『ハーモニー』っていうんですかあ~、『味の調和』っていうんですかあ~っ。
 例えるならサイモンとガーファンクルのデュエット! 田村ゆかりに対する水樹奈々! 都築真紀の原作に対する長谷川光司の『リリなのStS THE COMICS』!……っていう感じですよー!」
「……美味いって言いたいのか?」
「まいうーですよー!」

 言葉の意味はよく分からないが、とにかく気に入ったらしい。
 テーブルに腰を降ろして本格的に食べ始めるリインの様子を『まるでハムスターだな』と思い、幸いにも口にするのをダンテは自重した。
 この小動物の分のピザを残して食事を終えたダンテは、ようやく一息つく。
 窮屈な襟元を無意識に緩めた。

「ふう、それにしても制服姿ってのは窮屈だな。性に合わないぜ」
「そうですか? 似合ってますよ、機動六課の制服」
「いい男だからな」

 そう言ってウィンクするダンテの仕草に、スバルは数年前に見た姿と同じものを感じ取って苦笑した。
 着の身着のまま機動六課まで同行したダンテは、あの貴族服以外に持っておらず、未だ正式な立場も決まっていない身の為、目立たないように制服を着るよう言い渡されていた。

「でも、やっぱり目立ちますね」

 エリオもまた実感を持って苦笑するしかなかった。
 ダンテがリインを除くこの場の全員と面識があることは偶然だが、三人が共通して彼との初対面を印象強く覚えていたことは一致している。
 必然だった。ダンテには整った容姿以上に、その存在を相手に刻み込むような特有の雰囲気があるのだ。
 普通の人間の中に在って、目を惹き付けずにはいられない。一種のアイドル性のようなものだった。
 それは服装程度で雑多な中に埋もれるような弱いものではない。

「いい男だからな」

 それを自覚しているのかいないのか、ダンテは悪戯っぽく笑って繰り返した。

「でも、驚きましたよ。トニーさ……じゃなくて、本当はダンテさんか。わたし達三人と皆会ったことがあったんですね」
「ボクは、ダンテさんが魔導師だったことが驚きです。ミュージシャンの人だと思ってました」
「魔導師っていうほど学は無いがね。それに、ロックが好きなのも本当さ。聴いたことあるか?」
「あ、ボクは……その、音楽とかよく分からなくて」
「そいつはマズイな。見たところ坊やにはワイルドさが足りない、今度俺の世界の名曲を聞かせてやるよ」
「ダンテさんは、やっぱり別の次元世界の人なんですか?」
「次元漂流者って言うのか? 詳しくは知らなくてね。……オイ、いつまでも睨むなよ。まだ、あの時のこと根に持ってんのか?」
『グルルル……』
「あ、コラ! フリード! ごめんなさい……」
「いいさ、小動物にはあまり好かれない性質なんだ」
「むっ、今リインのことも含めませんでしたか?」

 腰を据えて三人とダンテが向かい合ったのはこれが始めてだったが、会話は弾むように進んでいく。
 子供特有の素直さは、彼の気安い雰囲気と相性がいいようだった。

「……あの、ダンテさん」
「うん?」

 やがて会話がひと段落着いた時、不意に言葉数の少なくなったスバルが物言いたげダンテの様子を伺った。
 ダンテは持ち前の勘の良さで、その『言いたい事』を察した。
 この二日間、偶然のそれとは別に楽しみにしていた少女との再会が、未だ果たされていないのも気になっている。

「ティアの、ことなんですけど」

 スバルは全くダンテの思っていた通りの名前を口にした。
 そして、そのまま息を呑んだ。
 僅かに見開いたスバルの視線を追って振り返れば、食堂の入り口を横切るティアナの姿がある。彼女はこちらを一瞥もしなかった。

「ティア!」

 スバルがすぐさま駆け寄り、同時にダンテが立ち上がる。
 その声にティアナは今気付いたとばかりに顔を向け、まるで義務のように足を止めた。

「ティア……やっぱり、部隊長に怒られた?」

 スバルはティアナが部隊長室に呼ばれた理由を正確に理解している。
 それでいて『処罰』や『修正』といった表現を使わないのは、ただ単に彼女の子供っぽい一面のせいだった。
 そののんびりとした表現が、ほんの少しだけティアナの固まった心を解す。
 自然と小さな笑みが浮かび、ただそれだけでスバルは安堵を感じた。

「そりゃあね。ま、何とか穏便に済みそうだけど」
「そっか。よかった」
「よくないわよ、二度と繰り返さないようにしなくちゃ。……スバル。あたし、これからちょっと一人で練習してくるから」
「自主練? わたしも付き合うよっ」
「あ、じゃあボクも」
「わたしも」

 口々に告げる仲間達のそれが自分への気遣いだと分かり、ティアナは苦笑しながら首を振る。

「あれだけの激戦だったんだから、休むように言われてるでしょ? 二人とも体力面ではどうしても体格的に劣るんだから、十分休みなさい」

 こんな時でも冷静なティアナらしい理屈でエリオとキャロに言い含めると、何処か不安げなスバルの顔を見た。
 現場でティアナの隠された一面を垣間見たからこそ感じる不安だ。

「スバルも……悪いけど、一人でやりたいから」
「あ……」

 しかし、ティアナの静かな拒絶の前にスバルはそれ以上何も言うことが出来なかった。
 悲観的過ぎるかもしれないが、言う資格が無いとすら思っていた。
 あの時、戦場で気を失い、次に目を覚ました時には怪我を負ったパートナーが隣で寝ていた。
 何よりも自分の無力を痛感した瞬間だった。あの負い目が、ずっと足を引いている。

「……うん」

 スバルは、そう力無く言葉を受け入れるしかなかった。
 三人を置いて、立ち去ろうとするティアナ。
 しかしその先に、見慣れた長身が立ち塞がる。

「――ヘイ、お嬢さん。何処かで会ったことないか?」

 ナンパの芝居染みた台詞と仕草で、ダンテは彼なりに久しぶりの再会を喜んだ。
 彼の冗談に対して肩を竦めるだけのリアクションを返すと、ティアナはそのまま無視して通り過ぎようとする。

「無視するなよ、傷付くぜ」

 もちろん、ダンテにとっては手馴れたやりとりだった。
 ティアナの行く先を片腕で遮ると、そのまま手を壁につけて、肩幅の広い体全体で壁と挟み込むように追い詰める。
 周囲のスバル達の方が動揺するほど顔を近づけて見慣れた碧眼を覗き込むと、ダンテは恋人にそうするように囁いた。

「感動の再会っていうらしいぜ、こういうの」
「……らしいわね」
「本当に冷たいな、オイ。飛びついて来ることも考えて、胸は空けといたんだぜ?」
「悪いけど――」

 誤解以外何物も生まない体勢にも関わらず、ティアナは軽口を聞き流して努めて冷静にダンテの腕を退けると、そこから抜け出した。

「立場上、気安く馴れ合えないから」

 退けられた手を手持ち無沙汰にブラブラさせるダンテを一瞥して、ティアナは去って行った。
 二人のやりとりについ先ほどまで騒いでいたスバル達も声を潜め、気まずげに残されたダンテを見上げている。
 ダンテは、ティアナの触れた腕から伝わる違和感を感じていた。
 別に彼女の手が震えていたわけでもない。だが、ダンテは文字通り肌でティアナの拒絶とそれ以外の何かの意志を感じ取っていた。

「……ヤバイな」
「ヤバイですか?」

 いつの間にか、肩に降り立ったリインだけがダンテの呟きを聞く。

「ああ、ヤバイ……」

 ダンテは自分でも理由の分からないその結論を、確信付けるようにもう一度呟いた。

 

 


 やがて時は過ぎ、日が暮れる。
 ティアナが隊舎近くの林で自主訓練を始めてから、既に4時間が経過していた。
 ずっと同じ光景が繰り返されている。
 直立不動のままの姿勢を維持するティアナ。その周囲を複数のターゲットスフィアが浮遊している。そして、その間を誘導魔力弾が忙しなく飛び回っていた。
 クロスファイアシュートを意識した三つの魔力弾は、ターゲットを捉えながら渡り歩くようにティアナの周囲を飛び続けた。
 しかし、時間の経過と共に体力と集中力は消耗し、魔力弾の誘導ミスも増え始めている。
 それでも訓練を止めようとしないティアナの意識をあえて逸らすように、手を叩く音が聞こえた。

「4時間も魔力行使を続けられるパワー配分は大したモンだが、いい加減本当に倒れるぞ」
「……ヴァイス陸曹」

 訪れた意外な人物に集中力は途切れ、片隅に追いやっていた疲労感が襲ってくるのを感じて、ティアナは恨めしげにヴァイスを睨んだ。

「ヘリから覗いてたんですか?」
「……あらら、気付いてたのかよ」

 あっさりと言い当てられ、ヴァイスは末恐ろしいとばかりに内心青褪めた。
 そんな様子を一瞥して、ティアナは何でもないように言い捨てる。

「ただのカマかけです。ヘリポート、ここから見えますし」
「……あっそう」

 本当に恐ろしいね。突きつけられた答えに、ヴァイスは逆に顔を引き攣らせるしかなかった。
 やはり、この少女は一筋縄ではいかないらしい。
 先輩風を吹かせるつもりなど毛頭無かったが、何を思ってこの鉄壁少女に助言などしようとしたのか。ヴァイスは自らの無謀を悔いた。
 しかし。ええい、かまうもんかとその場に居直る。
 夜空の下、一人黙々と訓練を続ける少女の姿をどうしても見捨てて置けないのだった。

「しかし、お前さんにしちゃあ意外な訓練だな。ターゲットトレーニングの応用か」

 本来は周囲を動くターゲットに対して、正確なフォームで素早く銃口を合わせることで、命中精度を高める訓練である。
 射撃スキルの優れたティアナに適した訓練であり、だからこそ、それを誘導弾で行うことで弾道操作能力を向上させようという今のやり方には疑問が感じられた。

「お前さんの魔力弾の特性なら、命中精度の方を重視するべきだと思うんだがな」

 ようやく助言らしきものを言えたヴァイスの安堵の表情を一瞥すると、ティアナはおもむろにガンホルダーからクロスミラージュを抜き出した。
 周囲のターゲットが新しい配置へと変化する。ヴァイスは思わずティアナを凝視した。
 次の瞬間、銃火を伴わない銃撃が始まった。
 ステップを踏むように軽やかに足を動かし、ティアナの体がターゲットの間を舞う。
 両手で左右別々の標的を正確に捉え、命中判定を示す音と瞬きが終わる前に、クロスミラージュの銃口は既に次の標的に向けて動いていた。
 型に嵌らない滅茶苦茶なフォームだが、とにかく正確で速い。ターゲットの反応が連鎖するように次々と起こり、さながら電飾のように派手に光を散らした。
 全てのターゲットを丁寧にも二回ずつ補足し、それらを僅か十数秒の間に終了させると、息一つ乱さないティアナは元の姿勢に戻っていた。
 もはや、ヴァイスは気まずげに笑うしかない。
 他に何か言うことは? 挑発的な視線と笑みを肩越しに向けると、ティアナはデバイスを手の中で一回転させて、ホルスターに滑り込ませた。

「……分かった、分かったよ。俺がでしゃばりだった。もう好きにしな」

 ヴァイスは降参とばかりに両手を挙げる。

「でもな、そんだけ出来るお前さんなら分かってるはずだろ? 無理な詰め込みで成果が上がるもんじゃねえんだ」
「……すみません。焦ってるもので」

 ようやく返ってきたティアナのまともな返答に、ヴァイスは意外そうな表情を浮かべた。

「おい、自覚してんなら……」
「でも――分かってても、止められない気持ちってありますから」

 その言葉に、心臓を鷲掴みされたような気分になった。
 頭では分かってるのに心では受け入れられない――そんな状態が、自分にとって実に身近なものだと、つい先日分かったことではないか。

「今夜は、何も考えられないくらい疲れないと、眠れそうに無いんです」
「……なあ、あのダンテの旦那に会いに行った方がいいんじゃねえか?」

 ここまで来て結局他人に丸投げするしかない自分の不甲斐なさを呪いながら、ヴァイスは告げた。
 一変して、ティアナの呆れたようなため息が返ってくる。

「食堂での一件まで見てたんですか?」
「あの旦那は何かと目立つからなぁ。焦ってる時ほど、聞きたい人の声ってのがあるもんだ。お前の場合、それがあの人なんじゃねえか?」

 ダンテはもちろん、ティアナのこともよく知るワケではない。二人の間に気安く踏み込むつもりもなかった。
 ただ、この一見冷静に見えるからこそ隠された危うさを持つ少女の心を動かせるのは、あの男しかいないと直感していた。

「……そうかもしれません」

 ティアナの声から僅かに張りが失われた。

「これまで、何度も道を誤ろうとした自分を助けてくれたのは彼でした。
 今も、訓練校でもいろいろ教わったけど、彼の傍に居た時が一番恵まれていた。焦りなんて当然のように感じなくて、強くなってく実感があった」
「だったら」
「でも、だからこそダメなんです」

 強い語調が、それまでの穏やかな憧憬を断ち切る。

「これまでずっとそうだった。でも、これからもずっとそのままでいるということは、甘えのような気がしてならないんです。それに――」

 自らを戒める程の厳しさを取り戻したティアナは、ヴァイスに背を向け、虚空を睨み据えながら決意を口にする。

「もう、彼からは十分たいせつなことを教わった。自分だけが持つ力の存在を信じさせてくれた。
 その力が在ることを証明出来なかったのはあたしの不足――。
 焦りかもしれませんが、自分の無力を突き付けられて、それでも余裕を持っていられるほどあたしは冷静じゃありません。ありたくありません」

 頑なほどの断言を聞き、ヴァイスは今度こそ自分の言葉が無力であることを悟った。
 お節介程度の気持ちで動かせるほどティアナの意志は軽くはなく、察せるほど浅くはない。
 ヴァイスもかつては前線に立つ兵士であった。人は、愚かしいと理解していても戦場でただ前に突き進むしかない時があるのだ。
 その覚悟の是非を、他人が決めることは出来ない。
 ただ願うしかないのだ。自らが担いだモノの重みを苦と思わず、背負い歩き続けるこの少女の行く先に幸があることを。

「分かった、もう邪魔はしねえよ。でもな、お前らは体が資本なんだ。体調には気を使えよ」

 根付いていた腰を上げ、ヴァイスは諦めたように踵を返した。

「……ヴァイス陸曹、どうしてあたしをそこまで気に掛けてくれるんですか?」
「お前のファンだからさ」

 冗談とも本気ともつかない言葉を残し、ヴァイスはその場を去っていった。
 ティアナはそれを見送ると、再び訓練を再開した。
 すぐ傍の木陰から、一つの人影が同じように歩き去ったことを全く気付かぬまま。

 

 


 幾つもの想定外の事態が重なって複雑怪奇になりつつあった報告書がようやく纏まり、夜も遅く隊舎の廊下を自室に向けて歩いていたなのはは、その行く先に見知った顔を見つけた。

「ダンテさん」
「ナノハか」

 壁に背を預け、窓から外を見下ろしたままダンテは軽く手を上げた。
 ダンテの視線の先を、なのはは自然と追い、そして夜の暗闇の中で瞬く魔力の光を見つけた。

「あれは……」

 なのはの声に誰かを案ずるような色が混じった。
 その誰かとは、もちろん視線の先で自分を追い込むように延々とトレーニングを続けるティアナに他ならない。

「今日は休むように言ったのに、一体何時から……」
「少なくとも一時間は続けてるな」

 それは暗にダンテが一時間前からこの場にいたことを示していたが、なのははそれに気付くよりもティアナを見下ろすダンテの表情に心配の色が無いことに怒りを覚えた。
 二人の関係がどんなものか、ある程度察することしか出来ない。
 ただそれでも、ダンテがあの頑なな少女にとって自分よりもずっと心を許せる相手であることは何故か確信していた。

「見ていたなら、どうして止めなかったんですか?」
「思うところがあってね。アイツには好きにさせてやりたいのさ」

 肩を竦めるダンテの返答はどこまでも素っ気無い。
 しかし、彼が『思うところ』となった原因が何処にあるか――例えば数時間前にティアナを探して出歩いていた時の事を、なのはは知らなかった。

「でも、あんな無茶をしていたら……」
「まあ、アイツはよく自分を追い込むからな」
「分かってるのなら止めてください。アナタの言葉なら、ティアナもきっと聞き入れます」

 責めるようななのはの視線を受け流し、ダンテは苦笑した。

「かもな。でも、だからこそ無責任なことを言いたくないのさ」
「無責任って……」
「ティアが暴走した話と原因は聞いたよ。俺にアイツを諭す資格なんて無いね」

 自嘲の色が滲むダンテの笑みを見て、なのはは自分の迂闊な言葉を悔いて口を噤むしかなかった。
 彼の言葉にどんな意味と過去が込められているのか、今は知る由も無い。

 ―――そしてダンテにとって、それはまさに口を出す資格すらない話だった。
 敬愛する実の兄を殺し、その魂と名誉を地に堕とした仇。それを前にして敗れ、地を這い、噛み締めた口の中に広がるのは土と屈辱の味――。
 何処かで聞いた話だ。身に染みるほどに。
 冷静になれ。復讐心など忘れて、前向きに生きるんだ――そんな戯言を、自分の事を棚に上げてどの口でほざけというのだ?
 かつて隠れて震えることしか出来なかった脆弱な自分を思い出す度に、今も鮮明に蘇る感情を知っているのに。

「俺の母親も<悪魔>に殺されてね。今のティアの気持ちは痛いほど分かる」
「ダンテさん……」

 ティアナと自分、一体どう違うと言うのか。
 人の命を玩ぶ<悪魔>は許せない。だが、奴らを狩る理由に暗い復讐心と、その断末魔を聞く度に少しずつ薄れるかつて母を失った時の無念が在ることも否定出来ないのだ。
 互いが持つ危うさを、ダンテはその天性の力で薄れさせているに過ぎない。
 違いがあるとすれば、性格と少しばかりの人生経験の積み重ねくらいのものなのだ。ダンテはそう思っていた。

「……でも、だからこそ今なんだ。ティアが変わるのに、今が一番最適なんだよ」

 自嘲の笑みを全く種類の違う穏やかなものに変えて、ダンテはなのはを見た。
 何かの期待を含むその視線を受け切れず、なのはは言葉を探してもごもごと迷うように口篭る。

「アイツは捻くれてるからな。人間関係でいろいろと心配してたんだぜ?」
「ティアナは、よくやってくれてますよ。仲間からも信頼されてます」
「ああ、会ったよ。いい仲間だ。そこが俺とは決定的に違う」

 まるで自分には本当に仲間と呼べる者などいない、と言うような孤独を感じさせる独白だった。
 あれほど他人に気安い態度を見せる目の前の男は、何か致命的な差異を他人との間から感じている。
 なのはは何も言えず、ただ黙ってダンテを見つめた。

「だから、変われるんだ。ティアは俺とは違う生き方が出来る」
「……ティアナは、きっとダンテさんを尊敬してますよ」
「オイオイ、俺を赤面させるなよ。恥ずかしいだろ。まあ、嬉しいけどな。
 だが、俺はアイツが俺と同じ生き方をすることなんて絶対に望まない。そんな不幸は願い下げだね。見た目よりもずっとキツいんだ」

 ダンテはそう言って小さく笑った。普段のそれとは違う、見る者が痛みを感じる笑みだった。

「……でも、正直わたしはどう接したらいいのか分からないんです」

 なのはは縋るような視線を向けた。ダンテの期待が、今はただ重い。
 ティアナの間違いを諭せるほど自分も自分の正しさを信じていないのだと、今更ながらに痛感した。
 人を想うのに、こんな苦しい気持ちは初めてだった。
 あるいは10年前には経験したことがあるのかもしれない。でも、もうその時出した答えさえ忘れてしまっている。

「難しいことなんてないさ。ただ、アイツに人間として接してくれればいいんだ」

 ダンテは不安げななのはの肩に手を置き、ポンポンと気軽に叩いた。

「アイツが何かしでかして、痛い目を見たとしても――それもいいさ。
 感情を昂らせて流す涙は、他人を想う心を持つ人間の特権だ。<悪魔>は泣かない。人間だけが出来る。それが、ティアには必要なんだ……」

 静かな実感を持った言葉を残し、ダンテはゆっくりとなのはの横を通り過ぎて行った。
 その意味深げな言葉の真意を、なのはは半分も理解出来ない。ただ漠然と、ダンテが自分の背中を押したことだけは理解出来た。
 そして同時に、彼が<人間>という言葉に自分自身を含まなかったということも。
 謎の多い彼の正体に、その理由は隠されているのかもしれない。
 なのはは振り返り、何か言葉を掛けようとして、しかし結局その背中を見送ることしか出来なかった。
 酷く孤独で、悲しい背中だった。

 

 


「ティア、四時だよ。起きて」

 繰り返される目覚ましのアラームとスバルの声が徐々に頭の中に入ってきて、それが覚醒を促した。
 酷く活動の鈍い思考で、ティアナはまず疑問に思った。一日の始まりにしてはリズムがおかしい。
 それが普段より早く起きた為だと気付くと、同時に早朝四時から自主錬の為にそうしたのだとも思い出した。

「ああ、ゴメン。起きた」

 ティアナはそう言ったつもりだったが、実際は死者が目を覚ましたかのような呻き声だった。
 本来は起床時間を体に刻み込んで時計にも頼らないが、前日の疲労に加えて睡眠不足が完全に足を引っ張っていた。

「練習行けそう?」
「……行く」

 ティアナは不屈の闘志で立ち上がった。
 事実、疲れ果てた肉体の欲求を押さえ込むのは戦闘のそれに等しい精神力が必要とされた。
 トレーニングウェアを差し出すスバルの行為を疑問にも思わず、受け取ってノロノロと着替え始める。
 昨夜、自らの発言どおりに使い果たした体力と精神力の影響か、普段のティアナが持つ凛とした仕草は欠片も無く、動きも緩慢で精彩さを欠いている。
 それはそれで隙の無いパートナーの貴重な一面が見れた、と奇妙な喜びを感じながらスバルは自分の服に手を掛けた。
 ようやく脳が回り始める中、隣で同じように着替えるスバルの行動にティアナは我に返る。

「って、なんでアンタまで?」
「一人より二人の方がいろんな練習が出来るしね。わたしも付き合う」
「いいわよ、平気だから。あたしに付き合ってたら、まともに休めないわよ」
「知ってるでしょ? わたし、日常行動だけなら4、5日寝なくても大丈夫だって」

 それは全く事実であり、ティアナがスバルを羨む数少ない部分だった。
 一時期は、その天性の優れた体力を妬んだこともある。自分に絶対的に足りないもので、そしてどう努力しても限界を感じてしまうものだからだ。
 今、その時の感情が僅かに蘇っていた。

「……同情?」

 眠気は吹き飛び、静かな激情が言葉に表れて険を見せていた。
 しかし、スバルも慣れたもので、怯みもせずに笑みを浮かべて見せる。

「わたしとティアは、コンビなんだから。一緒にがんばるのっ」

 一片の疑いも抱かない本音だった。

「……ねえ、スバル。あの戦闘の時、アンタが射線のすぐ傍にいること――あたし、知ってて撃ったわよ」
「うん、分かってる」

 能面のような無表情で告げる真実を、スバルはやはり当然のように受け止める。
 ティアナは目の前の少女が時折理解出来なくなる瞬間があった。今がまさにその瞬間である。

「悔しかったよ。あの時、ティアにとってわたしは邪魔でしかなかったんだよね」

 スバルは自分の想いを確認するように頷いた。

「うん、悔しい。普段からずっとティアに頼りっぱなしだったけど、本当に必要な時に何も出来なかった自分が情けなくて仕方ないんだ」
「スバル……」
「だから、強くなりたい。ティアのパートナーとして、二人でちゃんと戦えるように。
 その為にこの練習が必要だと思ったから、わたしは一緒に行くんだよ。お願い、一緒に練習させて」

 最後は頼み込むことまでして見せたスバルの行為に、ティアナは無言で混乱するしかなかった。
 本当に、彼女の考えは理解出来ない。

「アンタの、そういう……」
「ティア?」
「……いいわ。勝手にしなさい」
「うんっ!」

 二人は練習の場へと向かって行った。互いに違う想いを胸に。

 

 


 ヴィータが医務室のベッドで目を覚ましたのは、更に数日後のことだった。
 怪我の影響とは違う全身を覆う酷い倦怠感を堪えながら、埃を被っていたかのように動きの鈍い頭を回転させる。
 傍らで微笑むシャマルを見て、ああ自分は助かったのだとヴィータは実感した。

「ヴィータちゃん、気分はどう?」

 覚醒後しばらくは呆けているだけだったヴィータを勝手にあれこれと診察した後、シャマルは尋ねた。

「だるい。頭がぼーっとする」
「ずっと寝てたからね。胃も空っぽだから、すぐに食欲も戻ってくるわよ」
「なんでこんなに寝てたんだ?」

 実際の時間経過は長くとも、ヴィータにとって意識を失う直前の記憶は鮮明に残っていた。
 腹を貫通した鋼鉄の冷たささえ思い出せる。
 上着を捲って傷の場所を見てみるが、そこだけが数日分の時間の流れを表すように治癒されていた。包帯すら巻かれていない。
 恐る恐るお腹を撫でて確認すると、ようやく気持ちが落ち着いてきた。

「睡眠薬を使って、強制的に休んでもらってたのよ。ヴィータちゃん、安静にしてって言っても聞かないから」
「傷が塞がったんなら寝てる意味もねーだろ? やることなんて山ほどあるんだからよ」
「確かに、その日のうちに傷は塞いだけど、思った以上にダメージは大きかったのよ。外科的な手術までして、本当にようやく塞いだだけ」
「そうそう、シャマル先生ってば本当にすごかったんですよ!」

 点滴を取り外す作業をしていた医療スタッフの一人が、興奮気味に割って入った。

「あの日はスターズFも含めて三人の負傷者が一気に運び込まれましたからね。
 治癒魔法にも限界があるし、何より副隊長の傷は深すぎて、魔法による強引な再生だけじゃ体に負担が掛かりすぎる状態だったんですよ。脊椎までやられてて。
 そこで、急遽、外科手術による治療も取り入れたんです。
 魔法と外科手術を同時に進行させて。あの負傷がこの数日で後遺症も無く完治できたのはあの的確で素早い処置のおかげなんです。
 いやー、あの時のシャマル先生はまさにプロって感じでしたよ! もうまさに『シャマル先生にヨロシク』って感じでしたね!!」
「そ、そうかい。説明ありがとよ」

 ファンがアイドルについて語るような熱い視線と言葉を浴びせられたヴィータは、やや気圧されながらも引き攣った笑みを浮かべた。
 その例外なく優れた容姿と能力のせいか、ヴォルケンリッターは管理局内で、特に若手の局員において人気が高い。支持者と言うよりもファンと称すべき者達が多数存在した。
 とにかく、分かりやすい活躍が注目される戦闘担当のシグナムとヴィータは特に知名度が高かった。ザフィーラでさえ獣形態と幻の人間形態に分かれてファンが多い。
 その中で、後方支援担当のシャマルは知名度こそ低いものだが、その分コアな人気と濃いファン層を所持していた。
 特に彼らは、ヴィータ達のような能力や立場に憧れるのではなく、純粋にシャマルと言う人物像を崇める者が多い。
 シャマルの城である医療室勤務の者達こそがまさにそれであり、目の前の若いスタッフも例外ではないようだった。

「……ま、とにかくそういうわけ。どんなに魔法が便利でも、人間の体には流れがあって、それに逆らうことはどうしても無理をすることだわ」

 熱気冷めやらぬそのスタッフに別の用事を与えて退室させると、シャマルはヴィータに微笑んで諭した。
 自ら戦いに臨むヴォルケンリッター達を抑える、こうした重要な役割もシャマルが担っている。

「必要な分だけ休ませる。これは、はやてちゃんからの命令でもあったの」

 なのはちゃんの時の事、覚えてるでしょ?
 そのシャマルの言葉には、ヴィータも神妙に頷くしかない。

「確かに、体調は万全みたいだけどよ。……ありがとな」
「いえいえ」

 自身の状態まで冷静に把握出来るほど意識の覚醒したヴィータは、シャマルの言葉の正しさと優しさを受け止めて、素直に礼を言った。
 しかし、ふと訝しげな顔になって首を捻る。

「何? 動きの違和感なら、長い睡眠でまだ感覚が戻ってないからで……」
「いや、そうじゃなくてよ。いくら重傷って言っても、治るまでにちょっと時間掛かりすぎじゃねーかなと思って。あたしら、普通の人間とは違うんだぜ?」

 ヴィータの何気ない呟きに、シャマルは沈黙した。
 彼女の疑念が、治療の最中でシャマル自身が抱いていたものと全く合致するからであった。
 ヴォルケンリッターを構成するものは、完全な肉体と生ではなく<守護騎士システム>と呼ばれるプログラムである。
 現存する肉体の消滅すら再生可能なそのプログラム上にあって、一般的な負傷もまた人間とは違い、彼女らにとっては問題と成り得ない。
 新陳代謝などの肉体の制約は無く、欠けた部分を埋め合わせることはパズルのように容易なことなのだ。
 だからこそ、たった数日とはいえ治癒に掛かった時間は不可解な長さであった。

「……そうね。今度、暇があったら調べてみましょ。ヴィータちゃんも協力してね」
「ええっ!? なんだよ、ヤブヘビだったかな。シャマルって検査とか楽しんでやってるだろ?」
「あら、そんなことはないわ。仕事には大真面目よ。趣味と実益を兼ねてるけど」

 冗談交じりに笑いながら、シャマルはその疑念を棚上出来たことに安堵した。
 この問題について、シャマル自身が憶測している答えはすでに在る。しかし、それは容易く口に出来るほど軽い答えでもないのだった。ヴォルケンリッターの存続に関わる内容だ。
 とにかく、二人は無事を喜び合った。
 そうして談笑する中、医務室を意外な人物が訪れる。
 来訪者を告げるブザーが鳴り、ドアがスライドすると凡百な制服の似合わない目立つ男が遠慮無しに足を踏み入れた。

「Trick or treat? 暇なんだ、お茶を出すか遊んでくれよ」

 ベッドの中で目を丸くするヴィータに悪戯っぽい笑みを向けながら、ダンテは開口一番に言った。

「ダンテ!? え、本物かっ?」
「オイオイ、この甘いマスクの偽物なんて作れるかよ」

 気絶する前の記憶が脳裏を過ぎり、無意識に身構えるヴィータを嘲笑うように、ダンテは彼自身を証明するような台詞を吐いてみせた。
 安静の為眠っていたヴィータとは違い、既に再会を済ませてあるシャマルに愛想良く会釈すると、誰の許しも得ないまま勝手にベッド脇の椅子へ腰を降ろす。
 その図太さと、何者にも遮られない行動は、間違いなくヴィータの知るダンテのものだった。

「……オメー、来てたのかよ」
「詳しい経緯は偉い奴に聞いてくれ。もう嫌って程説明したんでね、繰り返すのも飽きたぜ」

 ダンテの格好を見て、ヴィータは何となく事態を察した。

「何しに来たんだ? ビョーキとかケガにゃ縁がなさそうだけどよ」
「眠り姫が眼を覚ましたって聞いてね」
「誰から聞いたんだよ? お前、関係者じゃねーだろ」
「シャーリーって言ったか。いい男がいい女に声を掛けたら会話は成立する、そういう法則があるんだ」

 何処まで本気か分からないダンテの話を聞きながら、ヴィータは再確認した。そうだ、こういう奴だ。
 実質二度目の顔合わせだが、既に旧知のような二人のやりとりを眺めていたシャマルは、意味深げな笑みを浮かべながら立ち上がった。

「じゃあ、私は奥で書類片付けてますね。カーテン引いておくので、ごゆっくり」
「あ、おい! 変な気を使うんじゃねーよ!」

 ヴィータの言葉を聞き流して、『オホホホッ』と変な笑い方をしながらシャマルは去って行った。
 苦虫を噛み潰したようなヴィータと愉快そうに笑うダンテがその場に残される。

「……マジで何しに来たんだ?」
「俺の処遇が決まるまで暇なんでね。友好関係を増やすのも飽きたしな」
「オメー、機動六課に入るつもりなのか?」
「さあな。だが、もう無関係じゃいられないだろうぜ。いろいろ関わっちまったからな」

 そう言って、ダンテは一瞬だけこれまでを回想するように遠くを見つめた。
 人との関わりはもちろん、<悪魔>との関わりも。まるで運命染みた導きによって、バラバラだった要素は一点に集束しつつある。
 ダンテは自らの出会いと別れが全て意味を持ち、また同時にコントロールされているかのような錯覚を覚えた。
 今、この場所、この世界の状況は、全て自分が発端となっているのかもしれない。

「ふーん……まあ、それなら歓迎してやるよ」

 悪い方向へ考え込むダンテにとって、ヴィータのその何気ない言葉は純粋に嬉しく、ありがたいものだった。
 不敵でも皮肉でもなく、純粋な喜びから笑みが漏れる。

「ヘイ、何か買ってやろうか? 嬉しいから一つだけプレゼントを送ってやるよ、お嬢さん」
「子供扱いすんじゃねー! ……けど、それなら一つだけあたしの質問に答えろよ」
「何だ? スリーサイズか?」
「茶化すなよ、真面目に答えろ」
「OK、何だ? 言えよ」

 ヴィータはしばし言葉を選び、自分と相手の性分を考えて、結局簡潔に質問を口にした。

「――ダンテ。オメーに顔がそっくりな兄弟とかいねーか?」

 ダンテの中の時間がその瞬間停止した。
 それは間違いなく、そしていつでも余裕を忘れない彼にとって酷く珍しい動揺の表れだった。
 何故、ヴィータがそれを尋ねるのか。幾つもの疑惑が心を埋め尽くし、それは殺気染みた圧力となって噴き出そうとする。かろうじて、理性がそれを押し留めた。
 意味も無く降ろした腰の位置を直し、ダンテは自らの動揺を宥めた。
 ヴィータを見据える。努力したが、それは睨むような形になってしまった。

「……いるぜ、双子の兄貴がな」

 問い返さず、素直に答える。そういう約束だった。
 ダンテの態度の劇的な変化を、何処か当然だと受け止めて、ヴィータは頷いた。

「あたしを刺したのはソイツだ、きっと」
「……マジか?」
「マジだぜ。まだ誰にも言ってねぇ。
 オメーとそっくりな顔で、髪の色まで一緒だ。武器は刀を使ってた。正直、アイツの戦闘力はやべえ。一撃で実感した」

 ヴィータの神妙な言葉を聞きながら、ダンテは自らの思い描く人物が一致することを確信した。
 ホテルでの一件から、自分に関わる多くの出来事が動き出したことを感じていたが、ヴィータの告げた内容はそれらの中でも最も衝撃的なものだった。

「どういう奴なんだ?」
「名前はバージル。俺とは考えが合わなくてね、一度殺し合った仲だ」
「ひでえ兄弟喧嘩だな。何で、そんな奴があそこにいたんだ?」
「さあね。俺も、今の今まで死んだと思ってたよ」

 肩を竦めるダンテの様子を伺って、その言葉に嘘が無いことを悟ると、ヴィータはベッドの枕に凭れ掛かった。
 重要な手がかりは掴んだ。しかし、更に重要な点に関しては、これでプッツリと途切れてしまったことになる。
 後は、再びあの男――バージルと出会った時に明かされることを期待するしかない。
 そして、それは決して在り得ないはずのことではない、と。ヴィータは何処か確信していた。
 この双子は、どうあっても巡り合う運命なのだ、と――ダンテ自身が確信するのと同じように。

「……それで、どうすんだよ?」

 互いに思案する沈黙の中、唐突にヴィータが口を開いた。

「何がだ?」
「だから、そのバージルって奴のことだよ。黙ってればいいのか?」

 思わぬ提案に、ダンテは面食らった。やはり彼には珍しい動揺だった。

「黙ってるって……そいつは、マズイだろ?」
「マズイよ。けど、家族のことだろ? 自分から言えるまで、待った方がいいのかと思ってよ……」

 最後は聞き取れないくらい小さく呟き、ヴィータはバツの悪そうにそっぽを向く。その横顔は僅かに赤い。
 それまでの陰鬱な思考が吹き飛んで、ダンテは急に笑い出したくなった。
 実際に、堪えきれずに吹き出した。ヴィータが恥ずかしさに歯を食い縛って睨む中、その視線すらも心地良く、ダンテは愉快そうに声を押し殺して笑い続ける。

「っんだよ!? 感謝しろとは言わねーけど、笑うことねぇじゃねーか!」
「ハハッ、悪い悪い。お前さんの人情が身に染みてね。ありがとうよ……ククッ」
「だったら、まず笑うの止めろテメー!」
「OK、感謝してるのは本当だぜ。まいったね、こういう組織関係とは相性が悪いはずなんだが、全面的に協力したい気分になってきたよ」

 まだニヤニヤと笑みを絶やさないダンテの言葉は酷く胡散臭かったが、彼は限りなく本心を語っていた。
 バカにされることは確実だが、素面で愛と平和について万歳をしてやりたい気分だった。
 やはり、人間とは素晴らしい。自分とは考えを違えた兄を想い、ダンテは自らの心を確認する。
 バージル――奴が再び自分と、彼女達のような者の前に刃を向けるのなら、その時は再び戦うことを迷いはしない。
 ヴィータを見つめる瞳に、もはや複雑な感情は映っていなかった。

「バージルに関しては、俺がしっかりと説明してやるよ。もう決めた、俺はこの<機動六課>って奴に協力する。ただし、個人としてな」
「そうかよ、好きにしろ。もうあたしにゃ関係ねー」
「拗ねるなよ、悪い意味で笑ったんじゃないんだ。本当に感謝してるのさ。何か、お返ししてやろうか?」
「いらねー」
「何でもいいぜ、キスでもハグでも」
「いらねーよ、ボケ! ……ま、そこまで言うんだったら、ちょっと外出るの手伝え。リハビリしてぇんだ」

 ヴィータの頼みを快く引き受け、ダンテは立ち上がると、そのままおもむろに小柄な体を担ぎ上げた。

「……って、何してんだオメーは!?」
「暴れるなよ、運んでやるのさ」

 肩の上でジタバタと手足を振り乱しても揺るぎもせず、ダンテは騒ぐヴィータを担いだまま、シャマルに手を振って医務室を出て行った。
 のほほんと手を振り返すシャマルを恨みながら、ヴィータは叫び続ける。
 すれ違う局員の好奇の視線が、彼女の羞恥心を大いに刺激して去って行った。もう死にたい。っていうかむしろコイツが死ね。

「てめっ、この格好でどこまで行く気だ!? これ以上目立ったらぶっ殺すぞ!」
「ちょいと今日の予定を耳に挟んでね。向かってるのは、訓練場さ」

 その叫び声が大いに目立っているヴィータの文句を笑って聞き流し、ダンテは答えた。

「模擬戦するらしいぜ。お前らの隊長殿とうちのじゃじゃ馬、それに付き合う健気なパートナーがな」

 そこで、二人はそれぞれの想い人の衝撃的な戦いを見ることになる。
 既に模擬戦は開始されている時間だった。

 

 



 フェイトが合流し、エリオとキャロが見守る中、ティアナとスバルのコンビがなのはに真っ向から激突する。
 その戦闘は、概ねスバルとティアナの事前の想定通りに進行していた。
 相手をするなのはにも実感出来る、これまでの二人の戦闘パターンとは違う動き。
 ホテル襲撃事件において、ティアナが自ら目覚めたコンビネーションだった。
 スバルの荒々しい突撃をティアナの正確な射撃が補完する――ただ一つ、スバルの攻撃がもはや特攻と呼べるほどに自身を省みない無謀さを孕んでいる以外は。

「スバル、ダメだよ! そんな無理な機動!」
「すみません! でも、ちゃんと防ぎますからっ!」

 スバルの応答はなのはの叱責の意味を理解していないものだった。
 様子がおかしい。それを察した瞬間、思考の隙を突くように高所から正確無比な狙撃が襲い掛かる。

「……っ、容赦ないね」
『敵に応答するな、戦闘に集中して! 今は敵よ!』
「ごめん!」

 ティアナの念話を受け、再びスバルの瞳が危険な色を宿した。恐れを故意に忘れた眼だ。
 なのはの中で疑念が高まる。
 スバルの突撃とそれを援護するティアナの射撃の割合は、絶妙と言えばそうだが、酷く危うい一面もある。
 防御を捨てることは、攻撃力の向上に反比例してリスクを押し上げる無理な戦法なのだ。
 自分は教えていない。むしろ、戒めてきた。
 二人の戦法が、自分の教導を否定する意味を持っていると察し始める。
 混乱と、悲しみ……そして、やはりどうしようもない疑念が湧き上がった。

 ――あのティアナが、これらのことを全て考慮せずに戦うだろうか? 逆に言えば、この戦いは彼女のメッセージなのではないか?

 キリの無い疑念が頭の中を掻き回す。なのははこの時、間違いなく動揺していた。
 その隙が、スバルの接近を許す。

「でやぁああああああっ!!」
「くっ!?」

 カートリッジの魔力を乗せた拳が、なのはのシールドと激突して火花を散らす。
 受け止めざる得なかったのは、なのは自身の動揺と、同時に迷いによるものでもあった。

「スバル、どうして……っ?」

 愚かなことだと分かっている。ただの被害妄想染みた考えだということも。
 しかし、教え導いたはずのティアナと意見を分かち、つい先日の事件に至って、なのはの内に隠した動揺は大きくなりすぎていた。
 ティアナの考えていることが分からない。分かってくれないことが分からない。
 そして今、目の前で離脱もせずに、防がれた攻撃を尚も続けるスバルも――。

「どうして、こんな無茶をするの!?」

 その叫びに、苦悩と悲しみが滲んでいることを、不幸にも若く直情的なスバルが理解することはなかった。

「わたしは、もう誰も傷つけたくないから……っ!」
「え?」

 ただ、自分の想いを吐き出す。

「ティアナが傷付いたのは……わたしを撃ったのは……っ、わたしが弱くて、信頼出来なくなったせいだからっ!」

 その真っ直ぐな想いを、なのはもまた真っ直ぐに受け止めすぎてしまう。

「だからっ! 強くなりたいんですっ!!」

 吐き出された、あまりに強すぎるその想いが、かろうじて保ち続けていたなのはの心の平静を打ち砕いてしまった。
 一瞬呆然したなのはの隙を見逃さず、スバルが力の拮抗を崩す。
 我に返ったなのはが防御に集中した瞬間。その僅かな一瞬だけ、彼女は思考からティアナの存在を忘れた。
 そして、硬骨なガンナーはそれを見逃さない。

「一撃、必殺――!」
「しまった、ティアナ!?」

 クロスミラージュの銃口から短い魔力刃を銃剣(バヨネット)の如く発生させた、近接戦闘用のダガーモード。その不完全版。
 詳しい機能を教えられるまでもなく、独自の鍛錬と研究によって生み出した、なのはですら知らないその武器を、ティアナはこの土壇場で使った。
 その決断が、対するなのはに何よりも本気を感じさせる。
 ――どうあっても、自分を倒すのだ、と。

「……レイジングハート」

 その決意の意味を、取り間違えたか、あるいは本当にそのままの意味なのか――ティアナが自分を否定したのだと、なのはは感じた。

「モード・リリース」
《All right.》

 なのはの中で混沌としていた感情が全て凍り尽く。それは致命的なまでの心理的動揺であり、衝撃だった。
 常人ならば放心するしかない。しかし、何よりも彼女の持つ戦闘魔導師としての天性の資質が、肉体を突き動かしていた。
 デバイスを待機状態に戻し、両腕に自由を得る。自らもまた肉弾戦で応じる為に。
 だが果たして、その冷静でありながら、どこか私情とも見れる判断が、本当に反射によるものだけだったか――なのは自身にも分からない。
 混乱、悲しみ、疑念……そして、美しい少女の内に潜むにはあまりに醜い怒り。
 差し出した手のひらに受ける、ティアナの鋭い魔力。
 腕をカバーするように展開したフィールドと反発して炸裂し、暴走した魔力が周囲を荒れ狂う中、なのはは痛みよりもそれが助長する悲しみと怒りを感じていた。

「……おかしいな。二人とも、どうしちゃったのかな?」

 やがて、煙が晴れる。
 なのはの視界とその迷いもまた晴れようとしていた。一つに集束していく。暗い方向へ。

「頑張ってるのは分かるけど、模擬戦は喧嘩じゃないんだよ」

 視線を動かせば、自分の変貌に畏怖を抱くかの如く震えるスバル。
 そして、普段通りの冷静で冷徹な戦闘者としての瞳のまま、自分を見下ろすティアナ。
 その瞳が何よりも雄弁に語っていた。
 敵だ、と。

「練習の時だけ言うことを聞いてるふりで、本番でこんな危険な無茶するんなら……練習の意味、無いじゃない」

 その瞳に拒絶を感じるしかない。
 その視線に否定を感じるしかない。
 なのはにはもう何も分からなかった。
 長い教導官としての日々の中で、教え子達は皆思ったことを素直に質問し、自分が答えると一度だけ顔を見て『わかりました』と言う。
 それで全てが済んでしまっていた。
 しかし、目の前の少女は違うのだ。

「ちゃんとさ、練習通りやろうよ」

 そうしてくれれば、何も問題はないのに。
 自分は素直さに優しさで答え、誰も傷付かない。強くもなれる。そう、これまでそうしてきたのに――。

「ねえ、わたしの言ってること……わたしの訓練……そんなに間違ってる?」

 なのはは理不尽さを感じずにはいられなかった。
 それがある種の身勝手さであったとしても、これまで優しさこそ真に人を導くと信じ続けてきた彼女の健気さを誰も否定は出来ないだろう。
 だが、この時彼女が教導官に有るまじき、感情によって動くという行為を成してしまったことも、やはり否定の出来ない失態なのだった。
 そうして、誰もが動揺して客観的な分析の行えないまま、事態は動く。
 なのはの言葉に答えるように、ティアナがダガーモードを解除して素早く距離を取った。
 展開された幾重もの<ウィングロード>に着地し、再度射撃体勢を取ってチャージを開始する。
 言葉は無い。どうとでも受け取れ、これが自分の答えだ――なのはにはそんな声が聞こえた気がした。

「……少し、頭冷やそうか」

 指先に魔力を集束し、その照準をティアナに突きつける。
 スバルが何かを叫んでいる。内心の動揺と混乱に反して、淀みなく魔力が動き、彼女をバインドした。
 敵意すら萎えているのに、なのはの指先に集まる魔力は素早く正確に自らの攻撃性を高めていく。

「クロス、ファイアー……」

 その時、なのはは自覚無く、あの時のティアナの気持ちを完全に理解していた。
 導く為でも、叱る為でもなく、叫び散らしたいような身勝手な怒りで彼女は引き金を引いたのだ。
 それは、もし声にしたなら……あまりに人間的な叫びだった。

「シュート」

 ――どうして、わたしの気持ちを分かってくれないのっ!?

 

 


「……最悪だ」

 訓練場の様子を映すモニターを睨みながら、ヴィータは呻くように呟くしかなかった。
 なのはの一撃が、ティアナを吹き飛ばす瞬間が見える。
 もし訓練弾でなければ粉々に吹っ飛んでいる。それほどまでに容赦の無い一撃だった。
 教導官は訓練生を潰さない為にダメージも計算していなければならない。それはなのはも熟知しているはずだ。
 だからこそ、本来ならばこんなオーバーキルの攻撃は在り得ない。あの一撃には、理性を超えた激情が透けて見える。
 ヴィータの言葉通り、模擬戦は最悪の展開となってしまったのだった。

「ティアナの拒絶が、なのはの心の糸を切っちまった……」

 なのはは、ずっとティアナを優しさで案じてきた。
 かつてのなのはを知るヴィータにはあまりに思い切りの悪い対応だったが、それでも今のなのはの精一杯だった。
 どちらが一方的に悪いわけじゃない。こと今回の事に関して、ヴィータは無条件になのはの味方をするつもりは無かった。
 結局、どちらも悪いのだ。
 頑ななまでに自分の力を信じ、他人を、仲間すら信用せず、真意を打ち明けなかったティアナ。
 そんな彼女に対して、どれだけ拒絶されたとしても決して行ってはいけない、力による解決に踏み切ってしまったなのは。
 どちらも間違い、そして事態は最悪の結果になった。

「いや、あたしも甘かったか。何か出来たはずなんだ」

 なのはを信頼しすぎた。いや、頼りすぎたのか。どちらにしろ、それが悪いことだと断ずることも出来ない。
 結局、成るべくして成ったというのか――。
 ヴィータは例え答えが出なくても、そんな愚かな結論に行き着いてしまうことを拒否し、頭を振った。
 そしてふと気付き、傍らにいるはずのダンテに視線を投げ掛けた。
 彼は、この結果をどう思っているのだろうか?

「やっぱり、ヤバかったな」

 モニターを静かに見据え、ダンテは驚くほど平坦な声で、そう呟いただけだった。
 それを見上げるヴィータの視線に力が篭る。
 
「……オメー、この結果を分かってたんじゃねぇだろうな?」
「だとしたら、どうする?」
「止められなかったのか?」
「無理だ。それに、そんなつもりもなかった」

 誤解を恐れず、ダンテはただ必要なことだけを答えた。
 ヴィータは何も言わない。ダンテの考えはもちろん、果たしてこの結果が本当に悪いものなのかも決められなかったからだ。
 いずれにせよ、答えは出た。あとは、二人の仲を修復するだけでいい。
 それこそが真の問題だと頭を悩ませ、唸るヴィータに、ダンテは何気なく告げた。

「――それにな、話はまだ続くみたいだぜ」
「え?」
「だからヤバイんだ」

 ダンテの深刻な呟きに、ヴィータは変わらず訓練場を映すモニターに再び視線を走らせた。

 

 



「ティアァァァーーッ!!」

 スバルの悲痛な声が空しく響く。しかし、粉塵の向こうから答えはない。
 なのはは早くも後悔を感じていた。外見こそ平静を装っていたが、自分の為したことが信じられないほどに動揺していた。
 睨み付けるスバルの瞳が、これまでずっと尊敬の念を映してきた自分を見る眼が、今は悲しみとも憎悪ともつかないもので荒れ狂っている。
 それは間違いなく自分の罪を示すもので、責める罰なのだろう。
 なのはは疲れたようなため息を吐き出し、もう一度スバルを見た。とにかく、模擬戦は終わり、それを告げなければならない。義務だ。

「模擬戦はここまで。今日は二人とも、撃墜されて……」

 言い掛け、その時になってようやく気付いた。
 スバルの視線が、自分を向いていない。正確にはすぐ近くを見ながら自分の顔に焦点が合っていない。
 ――ゾクリと、なのはの戦いの感覚が全力で不吉を告げた。

「ティアナ……ッ!?」

 その戦慄の原因をなのはは直感し、言葉ではなく現実がそれに返答した。
 撃墜したはずのティアナの位置へ走らせた視線が、粉塵の中で消失する人影を捉える。
 わずかに見えたティアナの姿が、まるでホログラムのように消え去った。
 比喩でもなく正真正銘の幻影だ。

「あれは……<フェイク・シルエット>!?」

 希少な高位幻影魔法の名が口を突く。幻影系の魔法を習得中だと、ティアナ自身が語ったことをなのははこの瞬間まで忘れていた。
 在るはずのものが消え、それと同時にいないはずのものが出現した。
 呆気に取られるなのはの傍らで、空気が歪み、絵の具が紙に滲み出るようにして人の形と色をしたものが姿を現す。
 それこそが、本物のティアナだった。

「<オプティック・ハイド>!」

 なのはが全てのカラクリを理解した時、全ては致命的なまでに終わっていた。
 出現したティアナは既になのはのすぐ傍まで肉薄している。突き付けられたクロスミラージュの銃口は、その頭部を無慈悲に捉えていた。
 呆気に取られているのは、スバルさえ例外ではない。この展開は彼女さえ知り得るところではなかったのだ。
 なのはとティアナの視線が交差し、その間をスバルの視線が彷徨う。

「ティ、ティア……これって?」
「Eat this」

 一切合財を無視して、ティアナは引き金を引いた。
 回避など絶対不可能な超至近距離で魔力弾が放たれる。なのはは咄嗟に障壁を眼前に生み出した。その反応速度は歴戦の魔導師だけが為し得る奇跡だった。
 しかし、察知されない為にチャージこそしていなかったものの、その一瞬に備えていたティアナの攻撃はなのはの咄嗟の防御を凌駕した。
 閃光の炸裂を伴って、障壁を魔力弾が突き破る。
 ティアナを含む誰もが、その結果を確信した。
 なのはの反応はまさにギリギリの反射によるものだった。
 その一種の奇跡によって生み出された防御を抜ければ、もう後には猶予など残されていない。
 ――だから、なのはは自らその猶予を作った。

「な……っ!?」

 眼前で瞬く、もう一度『魔力弾と障壁がぶつかる閃光』を見て、ティアナは初めて動揺した。
 魔力弾は二枚目の障壁によって受け止められていた。
 なのはの『口の中』で。
 魔力弾の射線上にある口を開き、そこに攻撃を導くことで僅かな距離と時間の猶予を作った。そして、口内に極小規模な障壁を形成することで、魔力弾を受け止めたのだった。
 ティアナでさえ予想し得なかった、その一瞬の判断と決断に誰もが戦慄する。
 なのははぐっと噛み締めるように口を閉じた。
 障壁にぶつかって弾けた魔力の残滓が口の中で飛び散ってチリチリと痛む。
 しかし、そんなものは全く些細なことだった。

「……ティアナ、これがアナタの答え?」

 なのははティアナを見据え、静かに告げた。
 もうそこには怒りも動揺もない。本当にギリギリまで追い詰められた瞬間、彼女の中に眠る爆発力が全てのしがらみを吹き飛ばしていた。
 ただ純粋な強い意志を宿した視線を受け、ティアナは舌打ちしながらその場から飛び退る。
 一瞬にして距離を取り、エアハイクによって更に離れた足場へと移動していた。
 かつてないほど鋭い動きだった。スバルとの自主練習中や、ここまでの模擬戦の最中でさえ見せなかった、ティアナの真の力だった。
 予想もしなかったな展開と、パートナーの変貌に、スバルはもう何も考えられない。

「ティア……」
「ティアナ、スバルを囮にしたね?」

 まだパートナーを信じようと、縋るように呻くスバルを、なのはの断ち切るような言葉が停止させた。
 スバルの頭の中でバラバラに散らばっていた破片が、その言葉でカチリと噛み合う。
 状況が全てを語っていた。
 二人で練習した訓練、練った作戦――その全てがあの一瞬の為の伏線でしかなかったのだ、と。

「ティアナ、アナタはスバルを仲間じゃなく駒として扱ったんだよ」
「ち、違うんです、なのはさん!」

 今度こそ、正しい怒りを迷いなく向けるなのはに対して、スバルは慌てて言い縋った。
 何かの間違いだと、そう信じていた。

「あの、これもコンビネーションのうちで……っ! っていうか、わたしが悪いんです! わたしが、もっと……っ!」
「スバル」

 必死に言い募るスバルを、横合いから冷たい言葉が殴りつける。
 震えながらその方向を見た。
 ティアナが見下ろしていた。どうしようもなく冷酷で冷徹で、相棒を思いやる暖かみの一片さえ含まれない瞳で。

 

「アンタのそういう寝言がウザくて仕方なかったのよ」

 

 吐き捨てられた言葉が、一緒に二人の間にあった繋がりさえ切り捨ててしまった。
 スバルがその場に崩れ落ちる。
 その様子を一瞥し、なのははティアナを見た。驚くほど落ち着き、睨みもせず、ただハッキリと『強い』視線だった。

「ティアナ……」
「さあ、続けましょう高町教導官。まだ模擬戦は終わってません。一人リタイア、後は一対一です」

 不敵な笑みを浮かべてクロスミラージュを構える。その仕草だけは、まったく普段通りのティアナだった。

「ティアナは、わたしに勝って何を証明したいの?」
「何も。強いて言うなら、現状での修正点です」
「修正? 何か、間違ってるところあるかな?」

 すでに二人の意志は戦闘時のようにぶつかり合っていた。
 避けられない戦いを前に、なのははティアナの真意を探るように言葉を投げ掛ける。

「私が勝てば、認めざるを得ない――今の高町教導官が想定する私の戦闘力が、間違っているという現実を」

 ティアナは初めて得られた的確な質問に対して喜ぶように笑って答えた。

「足りないんです、力が。今の訓練じゃ、私の得られる力はあまりに少ない」
「ティアナは十分強いよ」
「何を基準にした『十分』なんですか? アナタに私の求めるものの何が分かると?」

 嘲るような笑みに、なのははもう必要以上のショックを受けなかった。
 ただ受け止める。この言葉は、自分が望んだものだ。
 ティアナの本心だ。

「私は、ただ理屈を言ってるんです。
 別に先の事件の失敗を帳消しにして、死んだ兄の正しさをこんな形で示したいわけじゃない。やるべきことは分かってます。その為に必要なモノも」

 ティアナは全てを吐き出すように続けた。
 声も荒げず、ただ穏やかに、淡々と。それこそがティアナの本気の証なのかもしれなかった。

「高町教導官、アナタの力を尊敬します」
「力、だけなんだ……」
「今のままじゃ足りない。その力が欲しい。だから、私が証明するとしたら――唯一つ、更なる教導の必要性だけです」

 明確な理屈に基づく話を終え、ティアナは全てを任せるように口を噤んだ。
 悲しいほどに冷静な言葉だった。なのはを打ち倒すことで何かを得られるなどと錯覚せず、あくまで適切な手順を踏んで自らの目的を達成しようとしている。
 しかし、やはり――。

「ティアナは手段としての力が欲しいんだね。それは、きっと正しいよ。力はいつだって手段なんだ」

 なのはは噛み締めるように呟いた。
 ティアナの理路整然とした言葉の前に頷いてしまいそうになる自分を、心の何処かで止める『根拠の無い何か』が在る。
 それはティアナにとっては愚かしいものなのかもしれないが――なのははそれに従った。人間として、正しいと信じて。

「……そう、力は手段に過ぎないんだよ。それは、やっぱり事実なの」

 俯いていた視線を上げ、なのはは真っ直ぐにティアナの瞳を見据えた。
 その意志在る瞳を、かつての彼女を知る者が見れば気付いただろう。
 迷い無く、理屈や常識を超え、己の心が叫ぶままに自らを信じようとする子供のように純粋な瞳だった。

「例えどんなに必要でも、自分を慕う人や仲間を切り捨てて、自分まで削って尖らせて……そんなになってまで求めるものじゃない。
 もうその時点で、力はアナタの為に在るんじゃなく、力の為にアナタが在るようになってしまっているんだよ!」

 訴えかけるようななのはの叫びに応じて、レイジングハートが再び真の姿を現した。
 ティアナ、その姿にも言葉にも微動だにしない。
 もはや、彼女を揺るがすものは無いのか。しかし、なのはは語ることを止めなかった。

「本当にたいせつなものは、力なんかじゃない。それを扱う自分自身――。
 苦しい時、追い詰められた時、いつだって最後には自分を突き動かしてくれる、魂なの!」

 今の自分に出せるだけの想いを吐き出して、なのははぶつけた。
 自らの手を静かにその胸に当て、其処に在るものを確かめる。
 10年前、全ての始まりから自分を動かし、どんなに辛い時も立ち上がらせてくれた。歳を経て、久しく感じられなかったソレが、今再び燃えていた。

「その魂が叫んでる……ティアナを止めろって!」

 今日までの迷い、悲しみ、怒り――全ての人間的感情を一つの意志に束ねて、それを決意としてなのはは指先と共に突き付けた。
 その決死の覚悟に、ティアナは嘲笑で応える。
 暗い笑い声が響き渡った。
 ティアナもまた、既に揺らぐことの無い覚悟を終えてしまっているのだった。

「申し訳ないですが……『あたし』の魂はこう言ってる」

 飾り立てた敬語が崩れ、ティアナの真の意志が露わになる。
 なのはと同じように、胸の内で燃え続ける確かな決意に手を当て、確かめるようにその叫びを感じ取った。
 何かを与えるのではなく、ただひたすらに求め続ける魂の渇望を。
 全ては、何も出来ない自分の無力を殺す為に――。

 

「――もっと力を!」

 

 ゆっくりと一語一語噛み締める、地を這うような重い決意の言葉が、その瞬間決定的に二人の間を分ってしまった。
 二人の強烈なまでの意志に、スバルと遠くで見据えるフェイト達や、ヴィータ、ダンテさえ飲み込まれていく。
 誰の顔にも悲痛な表情が浮かんでいた。そして、同時に共通して確信していた。
 どうなろうと、この二人の戦いの決着が全ての答えだ。
 誰も手出しなど出来ない。
 なのはとティアナ。言葉は全て吐き尽くし、後は力と意志だけが結果を生み出す。


 静寂。そして、同時に。
 互いに相手の意思を叩き潰す為、二人は行動を開始した――。

 

 


to be continued…>


<悪魔狩人の武器博物館>

《デバイス》ボニー&クライド

 本作のみのオリジナル武器。ダンテが現在携行している銃型のデバイスを指す。
 二挺左右で交互に連射も、二方向の同時射撃も可能。
 質量兵器の禁止されたミッドチルダにおけるダンテの武器として、ティアナがアンカーガンのパーツを流用して作成した簡易型デバイス。
 一般的なデバイスと比較すると特異な外見だが、実際の性能はごく標準的なストレージデバイスである。
 使用可能な魔法も単純な弾丸型射撃魔法<シュートバレット>以外登録されていない。
 カートリッジシステムも未搭載の完全に普遍的なデバイスだが、ダンテの魔力によって驚異的な速射性と威力を誇る。
 驚くほど単純な機構の代わりに、強度はアームドデバイス並にある。
 デバイスの名付け親は不明。その意図も不明である。 

前へ 目次へ 次へ

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2008年06月26日 19:44