その日、幼い巫女の呼び掛けに応えた者は―――<神>か、あるいは<悪魔>か。
「おおっ、なんということじゃ。この子は黒き火竜の加護を受けておる……!」
長老の震える声を、祭壇に立ったキャロは呆然と聞き流していた。
―――アルザスの部族には竜を行使する力が受け継がれている。そして、その力を色濃く発現した者がル・ルシエの末裔として巫女となるのだ。
それを決定するのは流れる血。齢わずか6歳のキャロが、巫女として竜召喚の儀式を行ったのもそれ故であった。
そして、選ばれし聖地と儀式の力によって半ば無意識に引き出されたキャロの能力は、かの地における最大最強の竜を喚び出した。
アルザスの土地に単体生息する稀少古代種。
その中でも<大地の守護者>と称され、近隣の原住民からは信仰の対象とすらされている竜。
その名は―――。
「ヴォル、テール……」
祭壇の前に圧倒的力の奔流と共に出現した巨竜を見上げ、キャロは自分の成した事を理解しきれずに呆然と呟いた。
その足元で、既に彼女の使役竜となり、また友となった幼竜<フリードリヒ>が偉大なる高みを見上げている。
「見事。……しかし、これは……」
予想を超えた儀式の結果に、長老は言葉を詰まらせた。
辺りを見渡せば、儀式に参列した集落の者達が一様にヴォルテールにひれ伏している。
彼らは神に等しい竜と、それを召喚し、いずれ使役するであろう少女に抱く。尊び、敬い―――そして恐れる心を。
強すぎる力が呼ぶものは、災いと争いのみ。
長老の胸に宿る危惧は、目の前に広がる圧倒的な神秘の具現に煽られるように、徐々に大きくなっていった。
しかし、とりあえず今は儀式を終えなければならない。少なくとも、これは儀式の成功を意味するのだから。
「キャロ、ヴォルテールに名を告げ、契約を果たしなさい」
「あ、はい!」
長老の言葉を聞いてキャロはようやく我に返った。
凄まじい威圧感のまま佇み、しかし微動だにしない巨体を見上げると、ひょっとして自分が待たせているのだろうか? という非常に恐縮な気持ちが湧いてくる。
キャロは慌てて儀式の手順を思い出しながらそれを進めていった。
「わたしはル・ルシエの末裔! 真竜ヴォルテールよ、この身と魂を捧げます!」
つたないながらも精一杯の声で決心の言葉を紡ぎ、幼い巫女は期待と不安の中、自らの名を告げた。
「わたしの名は<キャロ・ル・ルシエ>―――!!」
儀式を飾る最後の言葉が高々と発せられる。
ここに誕生した、一人の竜召喚師。その幼い身の成長を見守り、加護を与える竜の返礼は―――。
唐突に、巨竜の腹を巨大な鉤爪が突き破り、鮮血が雨の如く周囲に降り注いだ。
「……え?」
全身に血を浴びたキャロは、目の前で起こった鮮烈な光景を一瞬理解出来なかった。
自らの体に起こった異変に、まるで断末魔のような雄叫びを上げて悶え苦しむヴォルテールの腹で、ハサミ状の爪を備えた腕が蠢いている。
その腕一本がヴォルテールの腕に匹敵する巨大な物で、それが突如体内から腹を破って突き出てきたのだ。
キャロと長老を含むその場の誰もが自らの目を疑うことしか出来ない中、悶え続ける竜の腹の傷を、更に内側から生え出たもう一本の腕が左右に開いた。
再度血が噴き出す。ヴォルテールの腹にはもはや大きな穴が開いている状態だった。
神と讃えられた竜は最後に一声咆哮し、それが悲鳴のように響いた後で、ついに力無く仰向けに倒れ込んだ。
「ヴォ、ヴォルテールが……っ!」
誰かが悲鳴を上げた。
しかし、その絶望と混乱は周囲に伝播することはない。目の前に広がるあまりの惨劇に、心の全てが凍り付いてしまっている為に。
巨竜の腹を内側から突き破った腕の主は、更に三本目、四本目と何本もの腕を突き出して、傷口から姿を現そうとしていた。
いや、それは<腕>などではない。
全て<脚>だ。節足動物が持つ甲虫のようなそれである。
そしてハサミのような爪のある両腕を含め、計八本の脚を持つソイツは、絶命したヴォルテールの腹の中から全身を引きずり出した。
丁度蜘蛛をベースにサソリの特徴も兼ね備えた全容。しかし、大きさはヴォルテールに匹敵する。
全身を覆う甲殻は殻というより岩石や鋼のような質感を持っていた。
体が真紅に染まっているのは血を浴びたせいだけではなく、節々の隙間から見える内側の肉体によるものだ。
信じられないことに、その外殻の下には『溶岩で出来た肉体』が詰まっていた。
『―――GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』
六つの眼で周囲を見回し、巨竜の腹から生まれ出た巨大な蜘蛛の化け物は邪悪な産声のように咆哮を上げた。
真竜のそれに匹敵するほどの魔力と威圧感が周囲を吹き抜け、そこに感じる禍々しさに人々の心は一瞬で恐怖に塗り潰された。
「あ……<悪魔>だ……っ!!」
「<悪魔>が、黒き火竜を食い殺したんだ!!」
湧き上がる恐怖がようやく人々の体を突き動かした。
混乱が極まってその場が魔女の釜の底のような有り様となる中で、キャロはただ呆然と佇んでいる。
「あく、ま……」
『その通りだ、小娘。珍しいか?』
キャロの呟きに、意外にもくぐもった声が答えた。
その人語は、目の前で自分を覗き込む六つの眼を備えた蜘蛛の頭から発せられたものだ。
キャロはもう驚く気力すらなかった。
『<門>の開く感覚と呼び声を感じたから来てみたが……まさか貴様のような小娘がワシを喚び込むとはな!』
喜びと憎しみが同居しているような声色で、蜘蛛は喋る。
「わたしが……喚んだ?」
『グァハハハッ! 末恐ろしく、そして憐れな小娘よ! 自らが<悪魔>と縁を持つことすらも知らなかったのか!?』
「<悪魔>と、わたしが……うそ……っ!」
目の前の怪物よりも、ソイツが突きつけた真実に恐怖を感じ、キャロはその場にへたり込んだ。
傍らのフリードが幼い体を盾にして主の前に立ち塞がる。
しかし、その勇ましい雄叫びは巨大な怪物の歯牙にも掛けられない。
六つの眼が邪悪な赤い光を宿し、周囲の混乱も幼い竜の叫びも無視して、ただ幼い少女だけにそれを注いだ。
『燃え滾る我が身を使役しようという、愚かな幼い召喚師よ。
不安定な今の力では、今しばらくの間<この世界>に身を置くのが限界だ。
しかし、小娘。貴様のその力、認めよう。久しくなかったぞ、人の世に姿を現せる機会など。忌まわしき、かの<魔剣士>が我らを封じて以来―――!』
「……<魔剣士>?」
そうしたやりとりの間に、怪物が全身に帯びていた真紅が徐々に色を失い始め、それと共に全身の輪郭がぼやけ始める。
その怪物自身の言うとおり、儀式によって半ば無意識に引き出されたキャロの力は不安定だったのだ。
『フン、霊的にかなり高位の生物を寄り代にしたが……やはり無理があるか』
同じようにして消滅していくヴォルテールの死体を一瞥し、怪物はつまらなさそうに吐き捨てる。
『―――では娘よ。我を使役しようと驕る卑小な人間よ。
我が力の加護を受けるがいい。我が名は<ファントム> この身に宿した煉獄の炎は、貴様の敵を尽く焼き尽くすだろう……』
その言葉に、力なく首を振り拒絶の意を表すキャロを嘲笑うかのように、クモ特有の四方に割れる口を大きく開いて<ファントム>は告げた。
『そして大地も、空も―――貴様自身さえも、永劫にな! HAHAHAHAHAHAHAHAHA―――!!!』
大地さえ恐怖で震わせるよう哄笑を上げ、火の悪魔は姿を消していく。
最後に、自らの主へ呪いを残しながら。
最悪の嵐が過ぎ去ったように騒然とするその場で、キャロはただ自らを抱き、震えていた。
強すぎる力は、災いと争いしか生まない―――奇しくもそれは証明された。
<神>を殺す<悪魔>の降臨という、最悪の形を以って。
「すまんな……お前をこれ以上、この里に置くわけにはいかんのじゃ……」
優しかった老婦に告げられた、部族からの追放。
その老婆の目に、かつてキャロを見ていた慈しみや優しさは無く―――拭い切れぬ恐怖が、幼い少女に向けられていた。
儀式の最中で起こった惨劇から、ル・ルシエの集落には不穏な空気が漂い続けている。
誰もが恐れを抱いていた、一人の少女に。
誰もが憎悪を感じていた、呪われた娘に。
一人として見送りに来ない旅立ちの日。
傷ついたキャロは、ただ一匹自分に寄り添ってくれるフリードを抱き締め、集落の出口へと向かう。
―――誰が悪いのかは分かっていた。
―――誰が呪われているのかは分かっていた。
儀式があった後日、未だショックの抜け切らないキャロが長老の下を訪れた時。
テントの前で聞こえた、里の偉い人達の怒鳴るような話し声。
『あの小娘は持っているのだ……っ』
怒りと恐怖の滲み出た声で叫ばれた言葉。
『<悪魔>の力を!』
「あ……っ」
眼を覚ますと、そこはキャロに割り当てられた宿舎の一室だった。
カーテンを開けたままの窓から部屋に入り込むのは、僅かな月の明りと夜の闇。
薄暗い部屋を見回し、自分が夢を見ていたことを確認すると、キャロはため息を吐いて額の汗を拭った。
部族から追放されて、もう数年。しかし、あの日の事は決して忘れられない。
忘れられるはずがないのだ。
あの日、灼熱の悪魔と邂逅したその瞬間から、すでに自分は捕らえられてしまったのだから。
―――<悪魔>との契約に。
「……早く、寝なきゃ。明日は部隊の顔合わせなのに……」
自分に言い聞かせて、再び横になる。
疲れと眠気を感じているが、眠りたくないというのが正直な気持ちだ。
しかし、寝ておかないと明日の部隊発足と同時に行う初の訓練で他の人の足を引っ張ることになる。
キャロは自分の枕元で眠る白い幼竜の姿を見て気持ちを落ち着かせた。
呪われた自分の元に居続けてくれるこの小さな友が唯一の救いと言っても過言ではない。
フリードの規則正しい寝息を聞き、ほんの僅かな安心を得ると、キャロは小さく笑って寝返りを打った。
寝転がったまま窓の外を見る。
雲の少ない夜空に、青白い光を放つ月が浮いていた。
こんな夜は、眠ろうという気になれない。月の魔力に満ちた空気を呼吸するだけで、体の奥から疼くものがある。
きっと、闇に触れた者は皆そうなるのだ。
だから―――こんな夜は、<悪魔>がよく騒ぎ出す。
魔法少女リリカルなのはStylish
第六話『Blood link』
放たれた魔力弾が飛び掛ってくる獣の群れを次々と空中で撃ち落していく。
発射される際に瞬く、血のように赤く火のように眩しい魔力光が燃え滾る生命をそのまま反映しているように見えた。
闇が形を持ったような謎の襲撃者達を前にして尚、不敵な笑みを絶やさないこの男―――ダンテの。
路地裏の暗闇から次々と湧いて出てくる猿と犬の合成獣を相手に戦うダンテの姿を、ヴィータとザフィーラは完全に傍観の位置で見届けている。
だがそれは『傍観している』というよりも『呆然としている』と言った方が正しかった。
―――ダンテの常軌を逸した戦い方に。
「飽きもしないでよく来るぜ。そんなに腹が減ってるかい、ワンちゃん?」
両手の銃型デバイスを忙しなく動かし、ひっきりなしに照準を切り替える作業を行いながら、ダンテは楽しむ素振りすら見せて襲い掛かる敵を笑い飛ばす。
無造作に敵の最中へ歩み寄るダンテの背後に回り込んだ一匹が、当然のように死角から奇襲した。
「いいぜ、来なよ。マッズイ餌の時間だ」
唐突にダンテは振り返った。見えないはずの奇襲をまるで予定調和のように待ち構えて。
不揃いな牙を剥き出しにして開いた敵の口にデバイスを突っ込み、銃身をノドの奥まで潜り込ませる。
「……クセェ、糞でも食ったか?」
虚ろな瞳を見開いて動揺する獣を片腕にぶら下げ、ダンテはそのままデバイスを別の標的に向けた。
「歯を磨いて出直しきな!」
体内で発射された魔力弾が獣の体内を貫通して、同時に標的の頭も綺麗に吹き飛ばした。
―――魔力弾を用いた戦闘という点でならば、ダンテの戦い方は決して珍しいものではない。
本物の銃弾並にまで集束・圧縮された魔力弾の貫通力は確かに恐るべきものだが、誘導性を付加していない点では魔法としては未熟の域だ。
ただ単純に固めた魔力を標的に撃ち出してるだけ。
使用しているデバイスの技術レベルが低い点を含めても、ダンテは魔導師としての能力は大したことはない。
しかし、異常なのはその魔力弾を湯水のように消費し続けても疲労しないダンテの魔力量だった。
拳銃タイプのデバイスで、まるでマシンガンのように魔力弾を連射し、迫る敵を薙ぎ払う。
カートリッジに溜めた魔力を使うわけでもなく、それは純粋にダンテの持つ魔力を消費して行われていた。
「……底無しか、あの男」
もはや戦闘というより単なる射的ゲームとなりつつある一方的な戦況を眺めて、ザフィーラは呻くように呟いた。
「おまけに一発も外してねえな」
魔力量だけではなく、周囲を敵に囲まれながら余裕すら見せて弾丸を命中させていくダンテのテクニックにもヴィータは感嘆し、半ば呆れる。
無茶な姿勢や無謀な状態で攻撃するダンテのスタイルは、以前はやてとアクション映画で見た人に魅せるそれだ。
計算し尽くされたようでいて無茶苦茶。行き当たりばったりだがバカみたいに強い。そして、そのスリルを楽しんでみせてさえいる。
「派手好きな野郎……」
翻る真紅のコートを見つめ、ヴィータは突如現れた闇を狩る男をそう結論付けた。
『―――やっぱり、あの人は管理局の魔導師ではないみたいね』
「見りゃわかるよ。あんな派手好きなバカがいたら、目立たないわけねー」
「第三の戦力か……三つ巴だな。どうする?」
ザフィーラがヴィータに意見を求めた。暗に「あの男の加勢をするのか?」という意図が含まれている。
無関係の一般人を襲った時点で、あの正体不明の化け物達はすでに完全な敵だと定めていた。
殺戮を好むケダモノに投降の猶予を与えるほど二人は甘くはない。
だが、突如現れた正体不明の男を無条件で味方と判断も出来ない。
ただ一つ、その戦闘力が脅威である事だけ分かっている。
相変わらず敵の数は無尽蔵だが、全く危うげのない一方的な戦いを眺め、ヴィータは分かりやすい表情で悩んでいた。
手持ち無沙汰にグラーフ・アイゼンで肩をトントンと叩く定期的な音だけが響く。
「―――決めた」
その音が10を超えた時、ヴィータはアイゼンを振り降ろして軽く地面を叩いた。
「ザフィーラ、そのガキ守ってろ!」
答えを聞く間もなくヴィータは赤い外套をなびかせて戦闘の最中へと駆け出す。
真っ直ぐに、ダンテへと向かって。
「オイ、そこのカッコつけ野郎っ!」
「!?」
ハンマーを携えて駆け寄る少女に気づき、ダンテは一瞬目を見開いた。
グラーフ・アイゼンの先端が上下にコッキングされ、内部のカートリッジが銃の薬莢のように魔力を爆発させる。
全身に漲った魔力を乗せ、ヴィータは掬い上げるようにハンマーを空へ走らせた。
「頭、下げろぉぉぉっ!!」
―――ダンテの背後、丁度彼に向かって飛び掛って来た一匹の愚かな獣に向かって。
「おっと」
上体を反らしたダンテを飛び越え、強烈な一撃を敵の横腹にメリ込ませたヴィータは振り抜いた遠心力を殺さず、全身で回転する。
「アイゼン!」
《Raketenform》
空中で身を捻りながらヴィータが命じるまま、グラーフ・アイゼンの先端が変形を開始する。
削岩機のような尖った先端が突出し、敵の体に更に深く潜り込んだ。その反対側ではロケットの噴射口に似たパーツが出現し、そこに火が灯る。
魔力噴射によってその名の如くロケットのように加速したハンマーは回転の勢いを更に増幅させた。
「でぇりゃぁぁあああーーーッ!!!」
先端に敵が突き刺さったままの不安定な重心を、ロケットの推進力と腕力と気合いで押さえ込み、ヴィータは雄叫びを上げてハンマーを振り回す。
別の一匹をそのまま横殴りに薙ぎ払う。重なるようにして二匹目の獣がハンマーの先端にへばり付いた。
そして、竜巻のような回転に巻き込む形で周囲の獣を次々とハンマーが捉えていく。
あっという間にグラーフ・アイゼンの先端には獣が折り重なって出来た巨大な塊が出来上がった。
「ラケーテン……!」
ロケットの軌道を上に逸らし、小さな体に見合わぬ怪力と魔力ジェットの推進力で敵の塊を頭上高く持ち上げる。
「ハンマァーーーッ!!」
腕力、推進力、そして重力。全てを合わせて、ヴィータはグラーフ・アイゼンを地面に振り下ろした。
ハンマーと地面にプレスされ、幾つもの獣が重なって出来た塊は粉々に砕け散り、周囲に飛び散って消滅した。
アスファルトを砕き、白煙を上げるハンマーの先端を軽く振る。
「―――オラ、次にペシャンコになりたい奴はかかって来いよ」
周囲の闇を恐れもなく睨みつけ、ヴィータは獰猛に笑った。
「……イカスぜ」
幼い少女の外見を吹き飛ばすような見事な啖呵に、ダンテは心底感嘆した。
警戒していると言えば見栄えはいいが、まるで怯えるように動かなくなった周辺の黒い化け物の群れを眺めると笑いが込み上げる。
この小さな戦士を、<悪魔>は恐れているのだ。
「お兄さんのお手伝いをしてくれるのかい、お嬢ちゃん。あいにく飴玉は持ってなくてね、お駄賃はないけどいいか?」
出番を失った銃型デバイスをクルクル回しながら、挑発するように笑いかけるダンテをヴィータは敵と同じように睨みつけた。
「これがあたしの仕事なんだ。時空管理局魔導師ヴィータ! 覚えときやがれ、この野郎」
「魔導師? 驚いたね、獣臭い悪役の次は魔法少女と来た。だがいいのかい、俺がボスかもしれないぜ?」
「誰もテメーを信用するなんて言ってねーよ」
試すような態度のダンテを鼻で笑い飛ばし、ヴィータはグラーフ・アイゼンを担ぐ。
周囲を漂う空気が張り詰める感触を、歴戦の騎士としての感性が捉えていた。戦いが再開されるのだ。
「突然出て来て、知った顔で化け物どもを撃ちまくるテメーも胡散臭いことに変わりはねぇ」
「確かにな。それでも味方してくれるってのか?」
「ああ、テメーの正体も目的も分からねえけどな……」
ヴィータの答えがどういうものなのか、期待する表情のダンテを睨み上げて言葉を続ける。
「服の趣味はいいと思うぜ」
言って、自らの赤い外套を手で叩めかせ、ヴィータはニヤリと笑った。
「……俺もさ」
同じ表情を浮かべ、ダンテもまた真紅のコートを見せ付けるように翻してデバイスをガンホルダーに滑り込ませた。
わずかな言葉と邂逅の中で奇妙なシンパシーを得た二人は、グラーフ・アイゼンとリベリオン、互いの得物を手にして徐々に輪を縮めつつある敵の包囲を見据える。
「OK、ベイビー。真夜中の舞踏としゃれ込むか……Shall we dance?」
「ダンス? そんなモン、踊ったことねーよ」
最初にヴィータが駆け出した。
向かい合ったダンテの横を擦り抜け、その背後ににじり寄っていた敵に突撃する。
「せいぜい、相手を振り回すだけさっ!」
「いいねえ……激しいのは嫌いじゃないぜ!」
背後で憐れな標的を空高く殴り飛ばす音を聞いて、ダンテも負けじと眼前の敵を真一文字に切り裂いた。
月下、悪魔とのダンスが再開する。
「やはりこうなったか……」
『よかったの、ザフィーラ?』
「構わん、私も同じ判断だった。あの男はとりあえず理性的だ、詳しい話は後でいい」
『それもそうね。応援は止めておくわ、話がややこしくなりそうだから』
「それがいい。戦力は十分増強できた」
暗闇の中で映える二つの赤い影が化け物の群れの中で暴れ回る様を眺め、ザフィーラは断言した。
あの男が何者かは分からないが、その戦闘力と人間性だけは信用できる。彼は初め、ヴィータを守ったのだ。
未だにへたりこんだままの少女の傍で戦況を眺めていたザフィーラだったが、二人の猛攻からこぼれた数匹が接近するのを察知して意識を切り替えた。
犬のような顔をしながらも嗜虐的な笑みに見える『表情』を浮かべる黒い獣と、青い獣が相対する。
その背後では、おそらく彼女の人生で最大の不幸であろう、狂った戦場に居合わせた少女が怯えていた。
「目を瞑って耳を塞げ。恐れることはない、次に目を開けた時には全て元に戻っている」
居住権を持たない子供。管理局員の職務に含まれない人種。しかし、そんな事はザフィーラには全く関係なかった。
名も知らぬ少女がこれ以上怯えぬように、力強い声で囁く。
「しゃべる……お犬さん……」
「犬ではない」
常軌を逸した状況で精神的に疲労し尽したのか、あるいはそんな状況で心強い言葉を聞けたからなのか、少女は呟きながら気絶した。
最後に漏らした言葉に対して、ザフィーラは人間の時ならば肩を竦めているだろうため息を吐く。
まったく、何度も言っているだろう?
「この身は牙無き人々の盾となる―――」
無抵抗の獲物に対して、嬉々として群がる畜生ども。
立ち塞がる青い獣が生み出す障壁によって、その黒い侵攻は完全に止められた。
かつてはたった一人の主の為。そして今は、誇り高い意志を胸に抱いて多くの人々の為に。
青い獣は自らの義務を全うする。
「守護獣だぁっ!!」
出力を上げた障壁がその輝きを増し、放出される凄まじい圧力によってへばりついていた黒い獣が全て消し飛んだ。
少女を守護する盾を破れる者は、もはやいない。
「Yeah!!」
爽快とでも言わんばかりの雄叫びを上げて、ダンテが地面を蹴り砕く。
滑走して放たれる刺突。初動から爆発的な加速を得た突進と、その運動エネルギーを乗せたリベリオンの剣先が反応する間もなく敵の胴体を貫いた。
剣に突き刺さったままの敵を意に介さず、そのまま肉厚の刀身で獣の群れを薙ぎ払う。
その背後では、グラーフ・アイゼンの一撃によって吹き飛ばされた黒い塊が仲間を巻き込んで盛大に壁に激突していた。
まさに一騎当千。
いずれも力任せの豪快な戦闘スタイルを好む二人の暴虐に、もはや闇の眷属達は成す術もない。
「数が減ってきたじゃねーか! 朝まで持ちそうにねぇな、コイツら!」
「どうした化け物ども? 夜更かしが大好きな子供が物足りないって言ってるぜ!」
「あたしは子供じゃねー!」
すでに旧知のような軽口を叩き合いながらも、ダンテとヴィータは手を休める事無く周囲の闇を駆逐していく。
無尽蔵を思われた黒い獣の群れは、圧倒的な武力の前についにその勢力を弱め始めた。
もともと無限の数などなかったのか、あるいは他の何かが決定打になったのか。
その『何か』を思い浮かべ、ヴィータが自然と背後の真紅のコートへ視線を走らせた―――その時。
『―――魔力反応! 今までで一番大きなうねりが起きてるわ! 近い、具現化する!!』
突然響いたシャマルの報告を、しかしヴィータはどこか予想していた。
唐突に現れた理不尽な化け物ども。
そんな奴らと始めたこの狂気の戦いの幕を引くのにこの静けさは在り得ない、と心の何処かで確信していたのだ。
「オイ、大物が来るってよ!」
「分かってるさ、ベイビー。デザートの時間だ」
念の為ダンテに警告を発するが、しかしやはり、彼は独自の感覚で以ってその敵の出現を察知していた。
二人、魔力が集束し歪みつつある空間を睨みつける。
いつの間にか黒い獣は姿を消し、小物の退場を終えた舞台に真打が上がる準備は整っていた。
空中で光を伴いながら闇が凝固する矛盾を孕んだ現象が起こり、そしてソレはついに形を成した。
<悪魔>に相応しい背中の羽。人間の上半身と蹄を持った下半身。赤い体毛に覆われた四肢、そして山羊の頭を持つ化け物。
人と交わり、堕落させる悪魔の象徴たるその姿は、まさしく背徳の存在として相応しい様相だった。
先ほどの獣とは違う格と威厳を見せ付けるように、山羊の怪人は組んでいた腕をゆっくりと解く。
そして、ただそれだけの動作で<魔法>を発動させた。
見た事もない立体型の魔方陣が怪人の眼前に展開される。デバイスも呪文も用いず、それは『動作の一つ』であるかのように行使された。
集束された魔力は四つの弾丸となり、それは眼下の二人に向けて明確な敵意を孕み―――。
「長いぜ」
<魔法>の行使に集中していた敵を鼻で笑い、ダンテはリベリオンを弾丸のように投げつけた。
展開されていた魔方陣を容易く打ち砕き、そのまま刀身が胴体の真ん中にダーツの的よろしく突き刺さる。
驚愕に眼を見開き、<山羊>は甲高い悲鳴を上げた。
「デザートは味わうもんだが、正直味に飽きがきててね」
胸から剣を生やしたまま、空中で悶える<悪魔>に対してダンテは皮肉るように言った。
リベリオンの不気味な装飾も相まって、まるで酷く不恰好なピアスを付けているような滑稽な姿を一笑する。
痛みを憎しみに変えた<山羊>は胸に刺さった剣を引き抜こうと腕を伸ばし、そこでようやく気付いた。
すでに眼前まで迫った、空を飛ぶもう一つの赤い影に。
「つまんねー手品に興味はねえ―――」
自慢の相棒を肩に担いだ鉄槌の騎士。
恐れず、怯まず、ただ勇ましく。異形の敵と相対してなお燃え滾る炎を纏い、必殺の一撃を解き放つ。
「とっとと引っ込みやがれ!!」
翻る赤い外套。全身を使った回転運動により、遠心力の乗ったハンマーが狙い違わずリベリオンの柄を叩いた。
凄まじい衝撃によって、杭のように打ち込まれる刀身。剣先が背中を突き破り姿を現す。
完全な串刺しとなった<山羊>はそのまま後方へ吹っ飛んだ。
背後のビルに激突し、貫いた剣によって壁に磔の状態となる。
早々たる退場。もはや悲鳴すらなく、山羊の怪人はそれで絶命した。
「Come on!」
ダンテの鋭い呼びかけに対して、それに応える意思を持っているかのようにリベリオンが自ら壁から抜け、高速で主の手に舞い戻った。
支える物を失った<山羊>の体は、しかし落下する事無く。抉られた胸の傷から亀裂が走るように消滅し、四散した。
最後の敵の消滅を見届け、ヴィータが地面に着地する。
同じく自らの手に戻った愛剣をダンテが背中に固定した。
『……魔力反応無し。終わったみたいね』
そして、それが終了の合図であるかのように、戦闘は完全に終結したのだった。
「―――で?」
シャマルも合流し、保護した少女の安否が確認したところで、ヴィータは何故かその場に残ったダンテを睨みつけた。
この不可解な現象の貴重な情報源となりそうな男を黙って帰すつもりは毛頭なかったが、それを分かっているかのように余裕の態度で佇む姿が気に食わなかった。
「質問はハッキリとな、お嬢ちゃん。小学校で習わなかったか?」
「知ってる事を! とっとと! 吐きやがってくれねーですか!? このスカシ野郎!!」
完全にからかって楽しんでいるダンテに、もはや噛みつかんばかり勢いでヴィータは詰め寄った。
その様子に、シャマルが「まあ」と驚いて口元を押さえる。
「ヴィータちゃん、『スカシ』なんて乱暴な言葉をいつの間に? いけないわ」
「外野うっせー! こっちは尋問してんだぞ、もっとマジメになれよ!」
「熱くなるな、ヴィータ。そいつに乗せられているぞ」
「Easy does it. 落ち着けよ、ワンちゃんを困らせるな」
「何が『いーじー』だ! それ知ってんだぞ、英語だろ!? 分かる言葉で喋れよ、『テリヤキバーガー』とか『ドナルドマジック』とかっ!」
「ヴィータ、テリヤキは英語ではないぞ……」
「っていうかヴィータちゃん、今の単語……またジャンクフードこっそり食べてたわね? 体に悪いから止しなさいって言ったでしょ」
「う……っ、ウマイからいーんだよ! 一週間に一回ならいいってはやても言ってもんね!」
「ハハッ、あのチープな味はクセになるからな。分かるぜ」
「だろ!? なんだ、お前いい奴だなー」
「ヴィータ、丸め込まれているぞ」
騒々しい会話の後には、何故か意気投合する赤い二人が出来上がっていた。
服装も似通った二人の談笑が何故か妙に絵になっていて、ザフィーラとシャマルは同時にため息を吐いた。
なんだか有耶無耶のまま話題が流れてしまいそうだが、時間もあまり残されているワケではない。
「ヴィータちゃん、それにダンテさん。そろそろ事後処理と調査の為の部隊が来るわ」
一変して真面目な顔になったシャマルの言葉に、ダンテはともかくヴィータは我に返り、自らの職務を思い出した。
「そちらのお仲間さんか? ひょっとして、俺は逮捕されんのかな?」
「しねーよ、一応協力者だろ。けど……」
「ややこしくはなりますね。今回の不可解な事件について、重要参考人として確保されるかも」
呑気なダンテの質問に、ヴィータは少々気まずげに言い淀み、シャマルがそれを補足した。
管理局の用いる<確保>の方法がどういうものになるか、目の前の男の性格を察すれば何となく予想できる。
大人しく市民の義務を果たすような真っ当な人間ではないだろう。
しかし、確かな理性と義憤を持って少女とヴィータを救った彼に理不尽な強制をするなど、気が進まないのも確かだ。
「そいつは困ったな。仕事は終わったから、さっさと帰って寝たいんだ」
ちっとも困った様子ではなく、まるでヴィータ達を試すようなあからさまな態度を取るダンテをヴィータが不機嫌そうに睨みつける。
事実、彼女達が自分をどう扱うか、ダンテは試しているのだった。
「……さっきの<敵>は一体何なんだ? お前、知ってんのか?」
しばらく考え、ヴィータは結局一番疑問に思っていることを口にした。
その質問にダンテはわずかに思案し、しかしやがて何かを諦めるように肩を竦めると、何気ない口調で答えた。
「アレは<悪魔>だ」
「<悪魔>だと?」
あまりに自然な流れで口にされた為、三人はその言葉の意味を一瞬正確に理解できなかった。
奴らは<悪魔>―――そんな幻想的な名称を、目の前の信仰心など欠片もなさそうな男は口にしたのだ。
「それは、アナタの表現の一つとして……ですか?」
「いいや、アイツらは<悪魔>だ。それ以上、正体を言い表しようがない」
「オメー、そんなの……」
「信じられないか? だろうな。それでいい、それが正常だ」
そう言いながらも、ダンテは『悪魔を信じる』という異常を自ら抱えている様子だった。
目の前の男の人柄からして、妄言とは思えない。奇妙な説得力があった。
「<悪魔>は存在する。そして、俺の目的はソイツらを狩る事だ」
事情の説明もなく、ただ端的にそれだけを断言して、ダンテは沈黙した。
まるで言うべき事は全て言い終えたかのように。
それをどう判断するか。信じるか、信じないか。同じように黙り込む三人を見据え、ただ静かに待つ。
しかし、その答えを出す前に時間は来てしまった。
「……ヴィータちゃん、ザフィーラ。もう部隊がそこまで……」
クラール・ヴィントのセンサーに捉えた反応をシャマルが伝えた。
「…………行けよ」
唐突にヴィータが告げる。
ダンテは一瞬その言葉の意味が分からず、瞬きすることしか出来なかった。
そんな彼の様子を苛立ったように睨みながら、ヴィータは何処ともない路地裏を指差し、声を荒げる。
「行けって! ややこしくなる前にズラかりたいんだろ? 適当に言っとくから、もうお前行けって」
「……いいのか? 心遣いは嬉しいが、ちょいとマズイと思うんだが。なあ、ワンちゃん?」
「守護獣だ。ヴィータ、それでいいのか?」
仕事仲間としてヴィータの独断を咎めるわけでもなく、ザフィーラは純粋に尋ねる。
「今の話、他の局員に言って信じると思うか? 絶対に揉めるぜ、下手したら犯罪者並の扱いになっちまう。―――それに、助けられたしな」
借りは返す。一本気な分かりやすい性格のヴィータが持つ信念の一つだった。
その結論に、ザフィーラとシャマルは苦笑を浮かべるしかない。そして、同意した。
「そういうワケだ、行くといい。あの<悪魔>とやらが現れ続ける以上、おそらくまた会うことになると思うがな」
「そいつは嬉しいね。気のいい奴らとつるむのは嫌いじゃない、特に美人もついて来るなら尚更な」
「やだっ、美人だなんて!」
「誰もシャマルのことだって言ってねーよ」
「安心しろよ、お前さんも美人になるさ。保証する、10年後だがな」
「うるせーっ、あたしはもう十分<いい女>なんだよ!」
穏やかな空気の中、先ほどまでの戦闘の空気を振り払うように小さな笑いが響く。
ダンテ以外の三人にとって、この判断は職務放棄に繋がる行為だったが―――しかし今は、見知らぬ者同士でありながら同じ窮地を乗り越えた仲として談笑できるこの結果を素直に喜んだ。
「それじゃ、俺はそろそろ退散させてもらうぜ」
「見つかるなよ。そこまでフォローできねーぞ」
「その時は他人のフリをしてくれればいいさ」
路地裏の暗闇へ向かうダンテの背中越しに、また軽口が応酬される。
ダンテは最後にもう一度振り向くと、今思いついたと言うようにヴィータに尋ねた。
「そういえば、お嬢ちゃんの名前は<ヴィータ>でよかったよな?」
「そうだよ、覚えとけ」
「<ザフィーラ>?」
「ああ」
「<シャマル>?」
「はい」
「OK、覚えた。俺は表では何でも屋をやってる、何か面倒事が起きたら依頼しな。<合言葉>の代わりに名乗ってくれれば、格安で受け付けるぜ?」
そう言って、もう見慣れたものになってしまった不敵な笑みを浮かべると、今度こそダンテは踵を返した。
「オメーは<ダンテ>だろ?」
もう振り返らないだろう背中へ、最後にヴィータが小さく声を掛ける。
「……悪くねー名前だ」
「お前もな」
軽く手だけを振り、ダンテは路地裏の暗闇の中へと姿を消して行った。
残された三人は、まるで嵐が去った後のような静寂の中で佇む。
そこに異常な静けさを感じるのは、やはり先ほどの喧騒のせいだと三人が同じように思う。
そして、それはあの<悪魔>の襲撃による喧騒などではなく、あの印象的な男との邂逅だったと―――やはり三人は共通して感じていた。
「とりあえず、今夜はこれで終わりそうだが……」
「でも、この事件は始まったばかりかもね」
ザフィーラの言葉が持つ不安を具体的なものにして、シャマルが続けた。
当初の目的であるガジェットは撃破し、謎の襲撃からも生き残った。しかし、同時に多くの謎も残ったのだ。
「<悪魔>か……」
呟くヴィータの言葉には、不思議と疑念など含まれていない。
ダンテの言葉を聞き、またその存在を目の当たりにした三人だけが持つ、奇妙な確信がそこにあった。
―――<悪魔>は実在する。
「やっぱり、もう少しお話聞いた方がよかったしら? 尋ねれば話してくれそうだったし」
「だが、理論立てて話すようなタイプには見えん」
本人がいないのをいいことに、ザフィーラの発言に全員が失礼にも頷いていた。事実だが。
「それに、分かったこともあるぜ。あの猿もどきや山羊の化け物……魔法生物とかそういうんじゃねーのは確かだ。っていうか、たぶん生き物じゃねえ」
「確かに、それは立証できるな」
「どういうこと?」
唯一、敵と直接交戦しなかったシャマルが疑問を抱いていた。
「忘れたのか? あたしら、非殺傷設定の魔法使ってるんだぜ」
「あっ!」
ヴィータの指摘に、シャマルはようやく気付いた。
物理保護の施された一撃で吹き飛び、バラバラになった敵の肉体。ザフィーラの障壁で消し飛ぶ黒い獣―――。
精神的なものや魔力へのダメージ干渉しか行わないはずの非殺傷設定の魔法攻撃を受けて、それでも敵は<肉体>を損傷させていたのだ。
ならば、奴らの<肉体>は血肉を持ったそれではなく、魔力と同じような霊的で精神的な要素で構成されている事になる。
「それって、一体どういう存在なの……?」
「案外、最初のガジェットもアイツらを調べる為にこの辺うろついてたのかもな」
「否定できんな。<悪魔>か……あながち、ただの表現とも思えなくなってきた」
静寂を取り戻した夜闇の中、三人の騎士は明かされた先で更に待つ謎を見つけ、言葉を失くす。
闇の中に潜む、その朧な存在に気付き始めた者がいる。
しかし、まだ真相に近づく者はいない。
今はまだ。
夜が明け、朝日が窓から部屋を照らし出す。
機動六課の中枢となる部隊長オフィスは、今ようやく形となっていた。
部隊の指導者が座るべきデスクには八神はやてが腰掛けている。
その瞳は、虚空を鋭く見据え。
「今が、<選択>の時や―――」
両手を口元で組んだ体勢で、はやては厳かに呟いた。
「…………はやや、はやてちゃんいきなり何言ってるですか?」
「いや、こういうボス的な位置に座っとったら、なんかそれっぽいこと言わなあかんような気がしてなぁ」
「はやてちゃんって、時々バカですよねー」
傍らの専用ミニデスクに腰掛けたリインフォースⅡのツッコミを受けて、はやての顔が引き攣る。
可愛い顔して時々発言が辛辣なこの子。
「しゃ、しゃあないやん! ようやく、部隊が形になったんやから。ガラにもなくはしゃいどるんや」
「ガラも何も、はやてちゃんは毎回テンション変ですけどねー」
「……なあ、リイン。ひょっとして私嫌われてんのかな?」
「でも、気持ちは分かりますよー。リインもワクワクしますっ!」
言動が釣り合ってないリインを見ると、その無邪気な笑顔も裏がありそうな気がした。
はやてはその疑念を極力考えないようにしながら、気持ちを切り替える。笑顔はちょっとだけ引き攣っていたが。
「私もや。ようやく出来た、私の城……ここから全てが始まるんやからな」
全てが真新しい部屋を見回しながら、はやては感慨深げに呟いた。
窓から見える景色。保存剤の匂いが残る備品。全てが感じ慣れない、新しい感触だ。
まるで新品のスニーカーを初めて履いた時の気分だった。
今はまだ真新しい感覚にはしゃぐ呑気な高揚しか感じないが、歩むうちにいつしか馴染み、それは変わっていく。
この部隊が管理局に名を轟かせるエリート部隊となるのか、それとも食い詰め者の独立愚連隊となるのか―――全てはこれから決まる。
その不安と期待を存分に感じると、言い知れぬ高揚感が湧き上がってきた。
「はやてちゃん、なんか悪どい顔してますよー?」
「ほうか? まあ、私も使命感だけでこの地位まで昇ってきたわけやないからなぁ。性分や」
「悪の女幹部って感じです!」
「ええな、それ。偉いさんは悪人が適任なんやで」
普段人に見せる柔らかな笑顔などではなく、僅かに犬歯を見せて口の端を吊り上げる笑み。
はやてのそんな表情を、リインは嬉しそうに眺めていた。
調子に乗って以前見た時代劇の悪代官の笑い方を真似るはやてと、それを冷めた仕草で熱く見つめるリイン。
そんな奇妙な空間に、来訪者を告げるブザーが鳴った。
「はい、どうぞ」
「「失礼します」」
訪れたのは、はやてと同じ制服に着替えたなのはとフェイトだった。
「おおっ、お着替え終了やなぁ」
「お二人とも素敵ですぅ!」
「にゃはは」
「ありがとう、リイン」
照れくさそうに微笑む二人を満足げに眺め、はやては納得するように何度も頷く。
「うんうん、似合うてるよ二人とも」
「そうかな? へへ……」
「匂い立つエロスを感じるで!」
「ありがとう、はやて…………え、ありがとう?」
グッと親指をアップさせながら賞賛するはやての言葉に何か狂った表現を聞き取り、フェイトは思わず疑問系になった。
なのはが「また始まった」とばかりに頭を抑える。
「はやて、それ褒め言葉?」
「もちろん。タイトスカートの僅かなスリットから見える脚線美が卑猥でええ感じやー」
「そんな爽やかな笑顔で言われても……」
「特にフェイトちゃんは黒ストやしなぁ、ヒールもベストチョイス! 昼下がりに上司に背後から襲われても仕方ないくらい様になっとるで!」
「それもう褒め言葉じゃなくてセクハラだよ!」
「大丈夫や、同性ならスキンシップで済むから」
顔を真っ赤にしたフェイトの悲鳴に近い叫びを受け流すはやての笑顔は悪魔のそれだった。
相変わらず無邪気な笑顔のリインと疲れたように肩を落としたなのはを傍らに、二人の喧騒はオフィスを満たした。
はやて達三人にとっては馴染みのやりとりが部屋の空気を馴染み深いものへと変えていく。
ようやく、普段の調子が戻ってきた感触をはやては感じ取っていた。
「―――ところでフェイトちゃん。手、大丈夫なん?」
どこまでも盛り上がりそうな会話を適当なところで切り上げ、はやては不意に視線をフェイトの右手へ降ろした。
フェイトは両手を白い手袋で覆っていた。
軍隊式デザインも含まれる制服にその手袋は違和感のあるものでは無かったが、はやてとなのははその下に隠しているモノを知っていた。
フェイトの右手には3年前から傷がある。
「うん、朝にはもう血は止まったし」
「やっぱり、昨日の夜は疼いたか」
「満月だったもんね」
僅かに眉を顰めるはやてとなのはに、フェイトは何でもないと笑って見せた。
強がりではない。もう既に『慣れたもの』なのだから、この程度気にすることでもないのだ。
フェイトの右手には傷がある。
3年前に、今はフェイトの保護下にいる少女と初めて出会った時に刻まれた古傷が。
―――キャロに付けられた傷があるのだ。
「おかしな傷やね。もう完全に塞がっとるのに痕が消えないどころか、いまだに時々血を流す。悪くはなってへん?」
「大丈夫、変わらないよ。良くはなってないけど酷くもなってない。気にしなければ、なんてことない」
「気にするのっ。この前寝てる間に出血して、血だらけで起きて来たフェイトちゃん見た時は寿命が縮んだよぉ……」
「お医者さんもお手上げなんですよねー?」
手袋に隠れた傷を擦ってフェイトは苦笑するだけだが、その傷が何でもないものであるはずがなかった。
時々夜中に血を流し、傷が一晩中疼く時もある。
これを刻んだ存在は、傷以外のものを自分に残していったのだろう。
3年前に邂逅した一人の少女と、竜と、そしてそれ以外に確かに『いた』黒い存在―――それをフェイトは鮮明に覚えている。
「……今日、その例の子も部隊に来とるわけやけど……大丈夫?」
「何が?」
フェイトを案じる様子で、しかしどこか試すような厳しい視線を向けるはやてに、彼女は微笑のまま応える。
「キャロと会うのは久しぶりだから、嬉しいよ」
何の気負いも無い口調でフェイトは答えた。本心からの言葉だった。
「……ほうか。なら、何も言うことないな」
はやては僅かな緊張と共にため息を吐き、苦笑した。傍らのなのはも同じ表情を浮かべている。
変わらない親友の心根を見るたび、三人が浮かべてきた表情だった。
似た者同士。どいつもこいつも頑固で強がりだ。
新たな部隊で再び集った三人は、部隊長補佐のグリフィスが呼びに来るまで、かつての頃のような空気の中で笑い合っていた。
機動六課の本部となる隊舎。
さすがに新設とまではいかなかったが、新たな部隊の発足に向けて隅々まで磨き抜かれたロビーに、同じく新しい輝きを放つ部隊のメンバーが勢ぞろいしていた。
裏方や事務のスタッフに加え、中核となるフォワード陣のルーキー達、そして指揮官のベテラン魔導師達が整列している。
選抜されたティアナ達はもちろん、彼らの上司となるヴィータ達ヴォルケンリッターも揃っている。
多種多様。しかし唯一つの志の元に集まった彼らは、スピーチ台に登る八神はやてを一様に見据えていた。
まだ歳若いが、洗練された美しさと、何より上に立つ者の威厳を放つはやての引き締まった顔立ちに彼らは敬意を抱く。
台に登ったはやては鋭い視線でゆっくりとメンバーの顔を見渡し、やがて静かに口を開いた。
「あ、オィィィーーーッス!!」
片手を上げて、はやては長さんバリに挨拶をかました。
沈黙と、物凄い微妙な空気が当たりに漂う。
『アレ、外した?』という顔で上げた手をフラフラさせるはやてと、驚きと困惑の間で微妙な表情の隊員達。
傍らのグリフィスはアゴが外れ、なのはとフェイトは揃って頭を抱えていた。
「えーと、私の世界の亡き偉人に倣った挨拶でしたが……どうやら皆さんには分からなかったよーやね。残念」
そういう問題じゃねえ、と言わんばかりの二つの視線を両脇から感じながら、はやては笑って誤魔化す。
全員の微妙な雰囲気が抜けない中、ただ一人シグナムだけが目頭を押さえて肩を震わせていた。
傍らのヴィータは、顔を俯かせたシグナムが「長さん……っ」と何か涙声で呟くのを聞いて、心なし距離を取った。ファンだったらしい。
「機動六課課長。そして、この本部隊舎の総部隊長八神はやてです。気軽に首領(ドン)はやて、もしくはボスと呼んでください」
はやては朗らかにそう言って、呆気に取られる面々を見回した。
皆、彼女がどこまで本気なのか分からなかった。
「平和と法の守護者<時空管理局>の部隊として、事件に立ち向かい、人々を守っていくことが私達の使命であり、為すべきことです」
完全にはやてのペースとなった空間で話は進んでいく。
「実績と実力に溢れた指揮官陣、若く可能性に溢れたフォワード陣、それぞれ優れた専門技術の持ち主のメカニックはバックヤードスタッフ。
全員が一丸となって事件に立ち向かえると信じています―――というのが建前や」
最初の悪ふざけが嘘のように順調な滑り出しだったはやてのスピーチが、唐突に変化した。
スピーチの内容を事前に聞いていたなのは達も含めて、全員が様子の変わった部隊長に注目する中、普段の口調に戻ったはやての話が続く。
「リミッターを設けてまで配備されたSランクの魔導師に加え、素質のある新人を選り抜き、各分野には最高のスペシャリストと装備を加えた。
私達の部隊には多大な<投資>が掛かっとる。それもこれも、この機動六課が実験的な意味合いを含む部隊やからや」
形式的なスピーチを捨て、歯に衣を着せぬ表現を躊躇いなく使いながらはやては困惑する隊員を見回した。
「私がこの部隊を設立するにあたって最初に掲げた理念―――『対犯罪への速効性』
それが実現出来るか否かはこれからの活躍にかかっとる。私達が全ての先駆けや。そしてその部隊の性質ゆえに、私達は常に戦いの最前線へ立たなあかんやろう……」
当初の朗らかな雰囲気は欠片もなく、緊張で引き締まる表情に切り替わったはやて。
その言葉に、実戦を知る者達も実戦を知らぬ者達も、いつの間にか耳を傾けていた。
「不穏な事件は増えるばかりや。謎の襲撃事件を含め、局員に出る被害は増す一方。
命を捨てろとは言わん。けど、さっきも言ったように私達は『人々の為に戦う』 だからこそ、いつか自らが盾にならなあかん瞬間が来るかもしれん」
冷徹とも言える声で、はやては告げた。
「管理局員となった時点で、その覚悟は出来てると思う。だからその時に、この中の誰かに<不幸>が訪れても、許しは乞わん」
はやては口を引き締めて背筋を伸ばし、自分を見る部隊の人間全ての視線を見つめ返した。
「―――せやけど約束する。後悔だけはさせへん。皆が胸に抱く信念を裏切ることだけは絶対にせん」
八神はやてのその誓いを、その場にいる誰もが胸に刻む。
そして抱いた。飾り立てた正義ではなく、厳しい現実の中でも尚足掻いて手にしようとする彼女の正義に向かう心を。
「皆の未来を、私に預けてくれ」
話を終え、はやては静かに敬礼をした。
結成式を締めくくる祝福の拍手はなかった。ただ、誰もが彼女の敬礼に対して一糸乱れのない返礼を返した。
その時確かに、彼らは一つの意志の元に一丸となったのだ。
<機動六課>が誕生した、真の瞬間だった。
舞台は整い、時は満ちた。
兄の夢と仇を追って戦いに身を投じた銃使い―――。
かつての憧れに手を伸ばし、走り続ける格闘魔導師――。
過去を背負い、未だ見えぬ未来へ顔を向けた騎士見習い―――。
そして、闇の契約に縛られながらも進むことを選んだ召喚師―――。
幾つもの邂逅を経て、物語は紡がれる。
光と闇を交えた演劇の幕が、今ようやく上がる。
To be continued…>
<ダンテの悪魔解説コーナー>
ブラッドゴート(DMC2に登場)
人間を堕落させる悪魔の代表として、随分と分かりやすい見た目を持つのがコイツらだ。
山羊の頭と人間の体を組み合わせた姿は、悪魔を綴った本の挿絵には大概載ってるよな。
うすらデカイ体格を利用して随分と達者な格闘術を使ってくるのも脅威だが、雑魚どもとは違ってコイツは魔法を行使できる。
空中からバラ撒かれる魔力弾は誘導性もあって威力も高い。
だが、その瞬間こそが最大のチャンスでもある。無防備に集中した隙をついて地面へ叩き落してやろうぜ。
山羊らしく草でも食ってろってな。
ま、正直なところ、コイツの自慢の魔法もこの世界の魔導師から見たら手品みたいなもんだろうがね。