第一章『佐山の始まり』

己を知って制限を得る
己を知らずに無限を得る
限り無い事が怖く思えて

     ●

 眼下を無数の人影が歩いている。小柄な者が多く、中には長身もあるが大人というには細身だ。
 家に帰る寮生達だろうか、と佐山は思う。
「春休みともなれば実家に帰る者も多い、という事か。・・・私の様に帰らぬ者もいるが」
 非常階段の踊り場に立ったその少年は見る。普通校舎の2階から、この尊秋多学院という風景を。
 教員棟があり、学生寮があり、科目別の校舎があり、武道館や研究所がある。遠くには農場や工場、商店街といった都市としての建造物さえもある。
「尊秋多学院、相も変わらず巨大な学園都市だ。・・・まぁ世界の大企業、IAIが支援するのだから当然か」
 IAI、その単語に佐山はブレザーの懐に手を入れ、一枚の紙片を取り出した。
 それは招待状だった。それも、IAIからの。
「佐山・御言様。貴祖父、故佐山・薫氏より預かりました権利譲渡手続きの為、三月三十日午後六時に奥多摩IAI東京総合施設まで来られる様お願い申し上げます。・・・by永遠の貴公子 大城・一夫」
 そこまで言って佐山は、胸のポケットからボールペンを取る。先端に銀を持つ高級品は、線と追記によって文面の一部を書き換えた。“by永遠に奇行死 大城・一夫”と。
      • これで誤植は正された・・!!
 あの老人にはこれこそが相応しい、と佐山は満足する。
 祖父が亡くなった時、真っ先に駆けつけて来た初老の男性。IAIの現局長を勤め、幼い頃から祖父と関わりがあったとかで会えばそれなりに話す仲、佐山に自分を御老体と呼ばせて楽しむような奇人だ。
「しかし・・・総会屋の祖父が、IAIにどのような権利を持っていたのか」
 そこまで言って佐山はかぶりを振る。考えても仕方の無い事だ、と。
 腕時計はアナログで午後二時半が示し、ここから奥多摩を目指すのならば、余裕も含めてそろそろ動き出しても良いような時間だ。
 佐山が校舎に入ろうかと振り返れば、そこには非常扉と壁がある。アルミ製の扉は磨かれていたが、壁には砂埃が積もっていた。ふとした好奇心で触れてみれば、砂がこぼれて跡がつく。
「・・・まぁ、だから何だというのだろうな」
 自嘲する様に佐山は笑み、指についた汚れを払って非常扉のノブを掴もうとした。
 だがそこで佐山は妙な現象を見た。
      • はて、どうして非常扉の方からやってくるのだろう・・・?
 と、そこまで思った所で佐山の顔面に非常扉が衝突した。
 中々良い音が鳴り、やはり良い顔がぶつかると良い音がなるのだな、と佐山は仰け反りながら思う。
「・・・あれ? 今何か妙な手応えが・・・」
 扉の向こう、声がした。関西系のイントネーションを持つ女性の声、佐山はその声の主に心当たりがあった。
「こちらだよ、八神・はやて」

     ●

「へ? 佐山君?」
 唐突に名を呼ばれて、八神・はやては戸惑いを得た。
 扉の解放によって見える様になった踊り場には誰も居ない。
「・・・?」
「ふふふ、一端踊り場に出て扉を閉めてみては如何かな?」
 姿の無い佐山の声に従い、はやては踊り場に歩を進めて扉を閉めてみる。そうしたら扉の影から一つの塊が現れた。
 ブレザー姿の長身な少年。オールバックにされた頭髪の両サイドには白髪のラインがあり、白い傷痕を残した左手の中指には女物の指輪がある。ここまで特徴的な人物をはやては一人しか知らない。
「なんや佐山君、そんな所に居ったんか」
 だが一つだけ腑に落ちない事がある。
「・・・佐山・御言は、いつからフィギュアスケートに目覚めたんや?」
 佐山は思いっきり仰け反っていた。両腕は伸びきり、爪先立ちとなってイナバウアーを体現している。それも非常階段の吹き抜けからビル二階の高さがある外へ、上半身をはみ出した状態で。
「ははは、尊秋多学院の生徒会長殿の目は節穴と見える。・・・誰がこの状況を作ったのか解らないとは」
「ははは、ややなぁ生徒会副会長殿。・・・まるで私が作ったみたいな言い方やないの」
「まるでも何もそう言っているだがね? ・・・だがそろそろこの均衡も崩れそうなのだが」
 見れば佐山の体が、つま先を中心にして痙攣し始めていた。
 慌ててとはやては佐山のブレザーを掴み、踊り場側に引き戻してやる。
 自分よりも頭一つ分は大きい佐山の身を引くのは大分苦労で、それを果たしたはやては、
「あー、ええ仕事したなぁ」
 と言ったら佐山にデコピンを叩き込まれた。
「痛ぁっ!? 何すんの命の恩人にっ!」
「ほほう、自分で命の危機に叩き落としたとしても助ければ恩人かね。知らぬ間に日本語は大分変わった様だ」
「むぅっ! 大体生徒会長に向かってその偉そうな口調は何やの!?」
「芸風だ。気にしたら負けだぞ?」
「・・・なぁ、生徒会長が春休みに生徒を張り倒したら校内暴力やと思うか?」
「バレなければ大丈夫だろう。だが誰を張り倒すのかね? 八神を怒らせるとは相当な者だな」
「鏡見や自分! ・・・まったく、三年になっても君と一緒かと思うと気が重くなるわ」
 はやては額に手を当て、
「何事も本気なんやもん」
「――本気? 私が?」
 それを聞いた佐山が小さく笑った。
      • あれ?
 違っただろうか、とはやては思う。
「本気になった事は、無いな。どうにもなりたくなくてね」
「・・・何でや?」
 佐山の顔をはやては見据えた。一見すれば笑っているが、
      • 底んとこから笑ってへん・・・
 はやてはそう思う。笑っているが、良い笑みではない、と。
「文武共に成績優秀、学内選挙で副会長になって・・・本気と違うんか?」
 視線を動かさないはやてを佐山も見据え、だが幾許かの後に軽く肩をすくめた。
「学校の中では、そうなる前に全てが終わってしまうというだけだよ」
「じゃぁ、学校はつまらんか?」
「――いや、学校に文句は無い。確かに学内選挙も学習もテストも私を本気にはさせてくれない、狭いものだ。だが学校がつまらないという訳ではない。狭さこそあるが・・・学校には学校の面白さがあると思う」
 ただ、と佐山は区切り、
「生前その事を祖父に叱られたよ。狭い所の大将で収まるな、と」
 はやては知っている。佐山の祖父が最近亡くなった事を。そして佐山の能力と意思には、その祖父が大きく関わっているという事を。だがそれについて深くは知らず、だから問うた。
「・・・お爺さんの事、聞いて良ぃか?」

     ●

 はやては佐山と共に普通校舎の廊下を歩く。春休みの校舎では教員さえも見かけない。
 非常階段からここまでの間、はやては佐山から彼の祖父について幾らか聞かされた。
 祖父、佐山・薫は若い頃に第二次大戦を離れて何らかの研究活動を行っていたという事や、それには当時、出雲航空技研と呼ばれていたIAIが関わっていた事を。
 IAIの関係者、という事にはやては軽く驚きを得る。ただそれを知られるのも癪なので、
「あ、ほら見てんか、佐山君。学内選挙後の集合写真やでー」
 すれ違い様に見つけた掲示板の写真を指差した。
 掲示されているのは、次年度生徒会決定、と銘打たれた学内新聞だ。そこには、はやてと佐山を中心にした数十人が寄り集まるモノクロ写真がプリントされており、
「ほら、私に佐山君、それになのはちゃんとフェイトちゃんもおるでー」
「それに加えてハラオウンの縁者であるというエリオ少年、か。学内での決め事に部外者がいてもしょうがないだろうに」
 はやての側に立つ栗色の髪をした少女と金髪の少女、そしてそれに抱き込まれている少年の姿がある。少年は周囲に比べて著しく幼い。
「まあええやんか。幾ら本気やなくても祝われれば嬉しいやろ?」
「祝う、と言うがあれは選挙終了にかこつけた宴会だっただろう。・・・どこの世界に男子生徒十数人が屋上から全裸ダイブしてくる祝賀会があるのかね」
「あの後女子生徒もやらされそうになって、なのはちゃんがキレたんよなー。私があそこで止めんかったら惨劇は続いてたよ?」
「・・・その翌日、高町が胸を隠しながら君を睨んでいたが?」
「いやー、なのはちゃんを止めるにはあれが一番なんよ? 皆嬉しい、私嬉しい、これ一番なー」
 何かを揉みしだくような手付きをするはやてに佐山は半目で、
「どこまで話したかな?」
 あ、せやった、とはやては大げさに頷く。
「えーと、IAIに関わってた、ちゅうとこかな」
「そうだったな。・・・それで祖父は戦後、その頃の発見やツテで財界に乗り出し、総会屋をやるようになった」
「あ、それやったら一度雑誌で見た事があるよ。・・・佐山の姓は悪役を任ずる、やったか?」
「そう、根っからの悪役だったよ、祖父は。――佐山の姓は悪役を任ずる。私の能力は必要悪を行う為に祖父から叩き込まれたものだ。しかし私は、手段だけを叩き込まれて祖父を失った」
「・・・だから自分の行う悪が、本当に必要なものか解らない?」
「ああ。私は死にたくない。だから本気を出す事があるかもしれない。だが・・・」
 一度区切り、
「――自分が本当に必要だと判じられぬ本気を出すのは、恐ろしい事だろうね」
 そこまで言って、佐山は胸に手を当てた。
 何か思う所があるのだろう、とはやては思い、
「佐山君は佐山君で、大変やね。・・・なぁ、ついでにな? お父さんとかの事も聞いていいか?」
 その言葉に佐山が歩みを止めた。
「何故かね?」
「・・・私の父さん母さんな、物心つく前にのぅなったんよ。育ててくれた伯父さんとか一緒に暮らしてる家族はいてくれる・・・でもやっぱ、父さん母さんとかそういうのとは違う気がするんよ」
「だから、父母の事を覚えているなら、どういう感じなのか聞かせて欲しい?」
 はやては頷く。
      • 初めはそんなつもり無かったんやけどな・・・
 家族の話を聞かされて、ついもっと聞きたくなってしまった。
「別に話しても構わないが、余り参考にはならないよ? ――私も幼い頃に父母を喪っているのだから」
「・・・え?」
 今、佐山は何と言っただろうか。
      • 幼い頃に父母を喪った・・・?
「私の父は祖父の養子でね、だから祖父と血の繋がりがないのだが・・・。まあとにかく父は母と共にIAIに入社。そして父は九十五年末に起きた関西大震災に救助隊として派遣され、二次災害で死亡した。母は――」
「もうええっ! もうええねん!!」
 はやての声が響いた。
      • あかん事、してもうた・・・
 人に喪われた家族の事を話させるなど、知らなかったでは済まされない事だ。
      • あやまらな、あかん・・・
 そうだ、謝らなければいけない。それで赦されるかは別にして。
「――大事な人が待っている場所に行こう、か」
「え?」
 佐山が何かを呟き、はやては振り向いた。が、
「あれ・・・?」
 そこに佐山の姿は無い。何処に? とはやては見回し、
「――――は」
 そして、何か空気が漏れるような音を聞いた。
 見下ろせばそこに佐山がいた。胸に手を当て、うずくまる佐山が。
「・・・佐山君ッ!?」
 佐山は額に汗を滲ませ、歯を食いしばり、顔から血の気を失っている。
「ど、どないしたんや!? 胸が痛むんか!?」
 佐山は答えない。否、答えられないのか。
      • ど、どないしたらええんや? もし病気やったら私にできる事なんて・・・
「――あ」
 しかしはやては見た。
 佐山の目が、ここにいない誰かを見ているのを。まるで焦れるかの様に。
「・・・佐山君」
 はやてはしゃがみ、佐山を下から抱きしめた。
 佐山の顎を左肩に乗せ、両腕を左右から伸ばして佐山の背に回す抱き方だ。
      • 泣き止んで・・・
 まるで子供をあやす様だ、とはやては思い、しかし今の佐山はまるで泣きそうな子供だった、とも思う。
 そうして微かに力を込めて抱き、幾許かの間を置けば変化が起きる。佐山の身に力と暖かみが、そして顔には赤みが戻り始めた。
「だ、大丈夫か、佐山君?」
「・・・大丈夫だ」
 返事が出来る位には余裕も出来た様だがまだ安心は出来ない。だからはやては、
「辛い時は深呼吸やで? ほら・・・ひっひっふー、ひっひっふー」
「大丈夫だがその対処法は間違っている」
 佐山ははやてから身を離し、立ち上がる。
「安心したまえ。・・・こういう話をすると出る、ストレス性の狭心症だそうだ」
「そんなんあるんやったら、なんで私に話を―――」
「聞きたかったのではなかったのかね? ・・・よく考えたまえ。喋ったのは私の勝手、支えてくれたのは、八神、君の勝手だ。君の方が良い事していると思うのだが、どうかね?」
 ただ一つ言っておこう、と佐山はこちらを見下ろしながら、
「母はね、私によく言っていた。いつか、何かが出来る様になれるといいね、と。だが本人はどうだったのか。そして、そう言われて育った子供は今、何が出来るか解らない有様だ。だから私は敢えて言いたい。―――どうしたものか、とね」
「・・・確かに。何が出来るか解らない、か」
 求めてるのだな、とはやては思う。願わくば、それが早く見つかる様に、とも。
 そうしてはやても立ち上がり、佐山と視線と合わせてしみじみと頷いた。
「ようやく私にも、佐山君が常時エクストリーム入ってる理由が解ったわ」
「敢えて無視せず問うが、一体誰がエクストリームなのかね」
「何や、よう聞こえんかったのか? 明言したのに。顔の横についてるのは鼻か・・・?」
 と聞き返してやったらまたデコピンを入れられた。しかもさっきと同じ場所に。

     ●

 あの後も何やら言ってくるはやてを追っ払い、佐山が寮を出たのは結局四時過ぎとなった。
 はやての追走もあったが、祖父から譲り受けたスーツや録音機、印鑑等を揃えるだけでもかなりの時間が掛かった。寮の受付に外出時間を記し、外に出る。
 そうして近道となる普通校舎の裏手を横切る中、佐山は三つの音を聞いた。
 一つは裏手に立つ木の上、そこから聞こえた野鳥の鳴く声。
 二つ目は二階の音楽室から漏れるオルガンの音だ。その旋律の題名を、佐山は知っている。
「清しこの夜・・・か」
 恐らく生徒以外の誰かが弾いているのだろう、卓越とさえ言えるその旋律に佐山は足を止めた。
 だがそうしていると、三つ目の音が近付いて来た。
 オルガンのそれとは異なる音。低くて重い、旋律ではなく力強さで主張する音だ。
「単車の駆動音。――高町とハラオウンか」
 そう呟いて駐車場を抜け、辿り着いた正門の側に彼女達はいた。
 止まりながらも未だ音を吐き続ける黒い単車、その前部には金髪の少女、後部には栗色の髪の少女が乗っている。どちらも長髪、ただし栗色の髪の少女は左側でポニーテールに、金髪の少女はストレートでその毛先辺りを黒のリボンで結んでいる。
 今日はよくよく腐れ縁と会う日だ、と佐山が考えていると、二人の少女がこちらに気付いた。
「あれ?」
 栗色の髪の少女が声を出し、金髪の少女が単車を佐山の側まで進める。そして長身に見合ったその細長い足を立て、しかし堅固に単車を支えている。
「どこかにお出かけ? 万年寮住まいの佐山君が出てくるなんて珍しい」
「私はアナグマか何かか・・・? そういう君とて、一年の殆どを寮で過ごしているではないか」
「残念でした、私は家が近いからちょくちょく帰ってるもーん」
「そうか。・・・やはり野獣には帰巣本能があるのか。人間世界での偽装生活は辛いと見える」
「今何か言ったよね・・・? ボソッと何か言ったよね!?」
「気のせいだ高町。・・・しかし生徒会トップが揃ってこの会話、どうしたものだろうね」
 あはは確かにー、と栗色の髪の少女、高町は頷く。
「確か・・・佐山君はIAIに行くんだよね?」
「ああ、そうだ。・・・高町とハラオウンはどこへ?」
「うん、私達は都内に出て来たの。全連際用の新譜とか服とか、フェイトちゃんに合いそうなものを見つけにね」
「わ、私は去年ので良いって言ったのに・・・」
 そこで、ハラオウンと呼ばれた金髪の少女が入ってきた。顔を微かに赤くして呟くのは羞恥心故か、と佐山は思う。
「駄目だよーフェイトちゃん、エンターテイメントっていうのは二度ネタ厳禁なんだから。それにフェイトちゃんの場合、・・・色々と大きくなってるし」
 高町はハラオウンの身長を見て、足の長さを見て、最後に胸部を見た。最後だけは乾いた目で。
 その視線に怯えたのか、ハラオウンは高町から身を離す。
「・・成る程。つまり、生徒会三人娘は本年度も健在、という事か」
「まあ、付き合いは長いからね。もう三人がばらけると周りが気にする様になっちゃったし、寮でもお姐さん扱いが定着しちゃったし、・・・この間はすれ違っただけの下級生に突然敬礼されたし」
「後半何か別のものが混じった様な気がするのだが、気のせいかね?」
 本人も解っているのか、高町は明後日の方を見て乾いた笑い。
      • 本人無自覚の天然恐怖の大魔王体質は相変わらず、か・・・
 尊秋多学院が誇る人型大天災、影でそう呼ばれているのをこの少女は知っているのだろうか。それも陰口ではなく、畏怖と敬服の念を込めて。
「そ、そうだ! ミコト、生徒会の今期初仕事をしようと思うんだけどどうかな? 勧誘祭とか全連際とか・・・私達だけでとりあえずやっとこうと思うんだけど」
 黄昏れて意識を手放してした高町に代わり、ハラオウンがフォローを入れる。姓ではなく名前で呼ばれる事にこそばゆさを覚えるが、もう慣れたものだ。
「今日はこれから出るので・・・私は何時になるか解らないぞ、ハラオウン」
「じゃあ明日は? 午前中は私達もまた都内に出ちゃうから・・・午後九時に衣笠書庫で」
「衣笠書庫、か・・・」
 覚えも深い施設の名を聞き、佐山は振り返る。
 背後に見える普通校舎の一階、その西側をまるまる使った巨大な図書室を。
「この学校の創立者が作った図書室で初仕事、っていうのも良いでしょ? 司書のグレアムさんには選挙の時もお世話になったし・・・このまま基地にしちゃおうって、はやてが」
「今年も会長は言う事が違うな。いや、会計と広報もか?」
「副会長さんも随分違うと思うけどね?」
 と、ハラオウンは上品に笑い、そこで意図を区切った。
「・・・どうかな? 私達は君の自尊心に釣り合うだけの先輩になれてる?」
「今の発言だけで充分釣り合えてると思うがね、自尊心の意味では。だが少なくとも君達以上の適任者はおるまい。――生徒会会計、高町・なのはと広報のフェイト・T・ハラオウン、それに向かう所敵無しの生徒会長、八神・はやて。縁もゆかりも深い問題児トリオだ」
「・・・・・・」
「幾ら何でも、世間が君達をどう見ているのかを全く知らない訳ではないだろう? それで平然としていられる君達は充分尊敬に値する」
 生真面目な君だけは別か? と続ければ、そんな事無いよ、とハラオウンは返事を一つ。
「なのはもはやても悪い子じゃないよ。ちょっとだけ、強引過ぎる所があるだけ」
「ちょっとでは無いような気もするのだが・・・まあそう言う事にしておこう」
「・・・でもそれは、ミコトだって同じなんだよ?」
 ハラオウンは佐山を見据え、
「完成してる様に見えるけど・・・ちょっと難しいよね、ミコトは」
「何がかね?」
「一緒にいる人がどんな人なのか、想像出来ない。――私にとってのなのはやはやてみたいな、ミコトを支えてくれる人が、ちょっと想像出来ない」
「居ないだろうよ、そんな人間は。・・・この私と同等に渡り合えるなど」
 そうじゃなくて、とフェイトは苦笑。
「必要なのはバランスだよ。同等じゃ秤の同じ側にしか乗らないでしょ? ――必要なのは、対等」
「その様な者は・・・私の敵か、足手まといだろう」
「じゃあなのはとはやてにとって、私は敵か足手まとい?」
 問いは笑みで放たれ、しかしその目は別の意図を含む。
「・・・それは私の知り得る所ではないよ。知っている君とでは論じ得ない」
 佐山の答えに、フェイトは今度こそ本当に笑む。
「珍しく素直なんだね」
「誤解している様だが、私は至って純粋無垢のピュアハートだよ?」
「ああ・・・だから思ってる事そのまま口にしちゃうのか」
「君が私をどう見ているのか、そこについては議論の余地があるようだ」
 あはは、とハラオウンは声に出して笑い、佐山は、まあいい、と切り上げ、
「君や高町、八神の様な関係があるのは認めるとも。・・・だが、私がそれを得られるかは別だ。そして、その相手が私の側にいてくれるのか、それも問題だろうな」
「問題?」
「佐山の姓は悪役を任ずる。――誰が好き好んで悪の隣に来るだろうか」
 ハラオウンは答えない。ただ肩を落として嘆息を一つ。
「・・・複雑だねミコトは。ホントに」
「八神にも言われたよ、先ほど」
「皆思ってるよ? ミコトが本気になるのはどんな時だろう、ってさ」
「なった事が無いから解らないな。・・・なったとしても、未熟な私は己を恐れるだろうよ」
「・・・複雑だね」
 二度も言う必要は無い、と言おうとして、それがハラオウンの声では無い事に気付く。それがハラオウンの後ろに座る高町のものだと気付いて、
「還って来たのか高町。・・・幽体離脱してそのまま召されれば良かったのに」
「何か君からは私に対して悪意の様なものを感じるね・・・? まあいいや、用事を済ませて早く帰って来なよ。――今年のお仕事はこれから始まるんだから」
 高町はハラオウンに目をやり、ハラオウンはそれに頷きを返す。
「じゃあ私達はそろそろ行くね?」
「ああ、とっとと帰ってただれた日常に突入すると良い」
 そうするよ、とハラオウンはくだけた笑みを返し、単車を走らせた。
 駐車場へと向かう二人と一台の後ろ姿を見送り、ふと佐山は人影を見た。
 裏手を抜けた普通校舎の二階から、一人の男が階段を下りている。経年によって色褪せた銀の髪と髭を持つ英国風の老人、その名を佐山は知っている。
「衣笠書庫の司書、ギル・グレアムか」
 本の坩堝とも言えるあの空間に棲む老人。あそこから出てくるとは珍しいと佐山は思い、
「・・・む」
 唐突に風が吹いた。
 風は微かに砂を巻き、木々を揺らし、そして再び空へと帰っていく。
 そうして改めて見れば、そこにあるのは春の盛りも近い学校の風景だ。
「・・・静かなものだな」

     ●

 ご、とも、が、ともつかない激突音が夕暮れの森に響いた。
 一人の男が、その背を木に打ちつけられたのだ。
「は・・・っ」
 意図せず肺から空気が出る。幾許かの血液と共に。
 男の姿は白と黒の兵服に似たものだ。しかしその殆どは泥と血に汚れ、額から流れた血の線は閉じられた右目を横断している。男は通信機を取り出し、
「こちら通臨第一、現在位置は奥多摩・白丸間ポイント3付近山中。・・・敵の逃走阻止と自弦振動の解析に成功、送付した。現状は―――全滅だ」
 その言葉に通信機からノイズ混じりの声が応える。それは女性の声で、
『――Tes.、そちらに向かうべく特課が準備中、救護も送られます。・・・死にはしません』
「Tes.、と言いたい所だがそりゃ無理だ。治療器具も術式も一緒に砕かれちまったし、・・・救護が来るで持ちゃしねぇよ」
 男は自らの体を見る。そこにあるのは、左肩から右脇にかけての大きな裂傷だ。三本を並列させて刻まれた傷は深く、明らかに骨を割って臓腑を傷付けている事が伺える。
「来るべきは救護じゃねぇ。・・・その特課さ」
 男の荒い呼吸に呼応し、胸の裂傷から血が流れる。
「敵は1st-Gの一派、そう、王城派の人狼だ。和平派との交渉に来たんだろうさ。・・・野郎、1st-G系の賢石でも持ってたのか、通常空間で獣化しやがった」
『喋らないで下さい。五分後には概念空間を展開して駆けつけます、だから―――』
「はは、銀の弾丸が効く様にしておけよ? 後な姉ちゃん、いや、お嬢ちゃんか? ・・・アンタ、俺達に対して済まないとか思ってないだろうな?」
『・・・』
 返るのは無言と言う、発言より明確な返事。
「いいか、そんな事考えんな。・・・俺達通常課には任務に対する拒否権がある。これは俺の判断の行きついた先さ」
 やはり返事は無く、しかし男は、
「お嬢ちゃんは何処の部隊だ? 特課の中でも女がいる部隊は少ない筈だ。だが最近組まれたっていうのがあったな。・・・上層部子飼いの変人奇人美人が入った部隊が」
 そこまで言って男は言葉を止める。
 草と木を揺らす音、それと共に巨大な影が現れたからだ。
「・・・ぐ」
 漏れるのは唸り、込められたのは殺意、影はその両手の先に備えられた長大な爪を構える。
 あ、と通信機から声が漏れる。しかし男は、へ、と笑い、
「なあお嬢ちゃん、帰ったら花を持って出迎えてくれ。今は何が盛りだ?」
『――Tes.、今は雪割草などが』
「はは、違ぇよ。・・・そこで言うもんだ、私が、って」
 影が躍りかかった。到達は一瞬、その爪が男の胸を貫いた。
 通信機は男の手を離れ、草の上に落ちる。そして影が足を上げ、それを踏みつぶす前に一つの声を放った。それは通信の切断を行わぬまま喋った為に届いた、通信機の向こうにいる人間の声。
『概念空間の展開を急いで下さい。――全竜交渉部隊が向かいます!』

     ●

「・・・む」
 急な振動を感じ、佐山は目を覚ました。
 座るのは奥多摩へと通じる山中電車の座席、うたた寝の原因は背より感じる西日のせい、そして目を覚ましたのは、
「――電車が停止を」
 佐山は車内を見渡す。乗客の姿は殆ど無く、自分を除けば離れた所に座る二人だけだ。
 一人はサングラスをかけた黒のスーツに白髪の男、もう一人はその隣に座る、やはり黒服に白髪の少女だ。ただし少女の服は侍女服だったが。
      • 男の方の趣味だろうか・・・
 佐山は思う。世の中、様々な趣味の人間がいるものだ、と。自分は関係ないが。
 黒服に白髪の二人は一様に向かいの窓を見ている。そこから見える情景は、夕暮れで朱と影に彩られた山々だ。
「白丸あたり、二つ目のトンネルの間か」
 佐山は現在位置に目当てをつけ、あと一駅で奥多摩に着けたものを、と呟く。
 しかし自分には土地勘はある。幼い頃にこのあたりの山に放り出された事があるからだ。
「ははは。――あの山など、ナカジマ先生に無理矢理走らされた山にそっくりだ」
 土地を覚えねば春先に発見される所だった。おそらく凍死体で。
 頷きと共に佐山は左手を見た。白い傷の残る手の甲、そこから伸びる中指の根元にあるのは女物の指輪だ。
「あの時、母に連れられて来たのもこのあたりだっただろうか・・・」
 呟いて感じるのは胸の軋み。しかしそれを抑えて腕時計を見れば、今が午後の五時半頃だと解る。
「IAIへの招集は午後六時・・・、電車が動き出すのを待つ訳にはいかないな」
「そうかな?」
 そこで唐突に、声をかけられた。
 見れば先ほどの男がこちらを見ていた。顔を向けられ、佐山は彼が思った以上に若い事に気付く。一見は初老に見えたが、よく見れば中年の入り際と言った所。そして隣の少女が、歩行補助用の鉄杖を持っていた事にも気付く。
「ひょっとしたらすぐに動き出すかもしれないが? 後悔先に立たずと言うぞ?」
「貴方が誰は知らないが言っておこう。――後悔と同様に、喜悦も先に立たぬものだ」
 白髪の男は忠告し、しかし佐山は止まらずに座席の上に立つ。そして窓を開けて身を乗り出し、
「気遣いはありがたいが、私はこの土地に慣れている。大体、危険がこの世にあるかね?」
 窓を出口として車外に出た。線路が乗る小石の群を踏み進めば直ぐに道路へと出る。
 そして佐山は聞いた。電車を出る直前、男が呟いた言葉を。
「確かに。・・・ああ、確かにこの世に危険は無いな」

     ●

 白髪の男は、一人の少年が飛び出していった窓を見ていた。窓は開け放たれ、微かに風が入ってくる。
「おいSf、見たか今のガキを。――随分と思い上がった馬鹿だろう」
「Tes.、確認しています。至様もそれに同意していましたが」
 白髪の男は隣に座る少女、Sfに話しかけた。そしてSfもまた男の名と共に返事をする。
「・・・お前には言葉のあやというものが解らんのか?」
「Sfは至様を至上とし、その言葉を全肯定します。・・・つまり至様以外の言葉はSfにとって無価値であり、至様の言葉のみが意味を持ちます」
 故に、とSfは続け、
「至様が馬鹿と仰った事は馬鹿であり、それに同意した至様は馬鹿だという事になります」
「お前は主人の事を馬鹿呼ばわりか・・・?」 
「Sfは優秀です。・・・主の言動を非とする様な粗相はいたしません」
「ああそうだな本当に優秀だなお前は。嬉しすぎて涙が出るよ」
 それは何よりです、と礼をするSfを至は無視、電車の先頭車両側を見る。
「おい、そろそろこの電車を動かさせろ。・・・ギンガに連絡をつける」
「でしたらどうぞSfをお使いください」
 何? と振り返った至にSfは胸を張り、
「本局謹製のSfは万能無欠、至様がお望みなら通話機能を起動させます」
「ほほう、それは初めて知った。では万能無欠のSf殿は、俺が電話を携帯するのが嫌いだと知らないのか?」
「勿論存じております。ですので今までお話ししませんでした」
「ああそうかい。・・・とっとと通話機能とやらを起動させろ」
「Tes.」
 Sfは頷き、そして頭部と表情を停止させた。幾許かの間が空き、Sfの口が微かに開き、
『こちらギンガ。監督、お呼びでしょうか?』
 半開きで固定された口からSf以外の声が放たれた。それも、
「・・・口の開閉無しに喋られると気色悪いな」
『え、えぇ? 何か失敗しましたか、私』
 Sfの口から放たれる声が動揺する。至は、気にするな、と一言。
「実は今面白い馬鹿を見つけてな。Sfがその馬鹿の自弦振動を記録した。データを送付させるから概念空間にそれを付加しろ」
『・・・監督、その馬鹿とやらは誰ですか? 無関係な方なら・・・』
「はん、気にする事は無い。無知でこの世を安全と決めつけたガキに思い知らせてやるだけだ。この世界の真実には全てが存在し、故に全てが否定されるのだという事を。――肯定と否定は繰り返される、それこそこの世界が満足するまでな」
 データを送付しろ、と至は眼前のSfに命令、それは即座に果たした。

     ●

 下の道路に出た佐山は首を傾げていた。手にした携帯電話が起動しないのだ。
「バッテリーは寮を出る前に確認したが・・・」
 電波の関係かと思って移動し、バッテリーの交換もしてみたが反応はない。
「一体どういう事だ・・・?」
 そこまで呟き、そして佐山は聞いた。
 それは聞き覚えのある声だった。一体誰のだろうか、と佐山は思い、すぐに答えが出た。
      • 私の声・・・?
 佐山のそれに似た声が響いた。

  • ―――貴金属は力を持つ。






―CHARACTER―

NEME:佐山・御言
CLASS:生徒会副会長
FEITH:悪役希望

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最終更新:2007年09月30日 13:49