序章『聖者の行進』

聞こえる彼等彼女等の歌
聖なる歌の朗じは響いて
その歩みは終わりの先へと続く

     ●

 夜となり、闇となった空はその上下に数え切れない光の群を抱いている。
 上部の光達は星、下部の光達は街灯りと人は呼ぶ。
 そして街灯りの中央には巨大な白の建造物がある。無数の階層を内蔵した駅ビル、海鳴駅の看板を担う建物だ。
 外壁に備えられた大きなデジタル時計が示すのは21時、営業こそ終えているが終電には遠い時間だ。しかし人の姿はどこにも無い。否、それ所かホームに控える電車、駅前のロータリーに停まるバス、その何れもが動いていない。
 全くの無人は駅ビルを静寂で包む。しかし、そんな中に一つの音が生まれた。
 駅ビルの窓の一つ、それが屋内側から叩かれたのだ。
 窓に映るのは女性の人影。人影は幾度か窓を叩き、しかしすぐに走り去った。
 引き換えに窓が一面黒くなり、次の瞬間には砕かれた。
 破片を屋外へとばらまいたのは、巨体だった。
 2メートルは超えようかという巨体。その姿は屋外故に陰って隠されたが、窓を砕いたその腕は見て取れる。腕を覆った灰色の剛毛と、弧を描いた長くて太い爪だ。
 そして影が走り去る。その方向は、最初に窓を叩いた女性が走り去った方だ。

     ●

 誰一人としていない駅ビルの中、一つの人影があった。
 大きな楽器ケースを持ち、髪とブレザーを振り乱して走る少女だ。
 少女は疾走し、黄色で3階と書かれた表記を横切った。
「・・・2階には、隣のビルへ続く橋がある・・・っ」
 息を切らした喉が、呟きによって咳き込んだ。
 しかし少女は止まるわけにはいかない。何故なら、未だに何かが自分を追う気配があるからだ。
      • 何なの? ・・・一体何だって言うの!?
 これはツケだろうか、と少女は思う。三年間、ずっとここを隠れ家にしていじけ続けた自分への。終業を過ぎても帰らなかった自分への。
「帰ろうと思ったら誰も居なくて・・・、警備員のおじさんも・・・駅員のお兄さんも・・・!」
 そして出会ったのが、今自分を追う巨躯の影だ。
 逃げなければ、と思う。あの影に捕まれば、自分が得るものは破滅だけだ。
 眼前、エスカレータが見えた。といっても動きを止めたエスカレータは通常の階段と同意だ。少女は駆け下りていく。目指す2階はもうすぐだ。
 そこまで来て、少女は頬に一つの感覚を得た。
「・・・風?」
 そよ風と言っても良い、普段ならば快感とも言えるものだ。しかし緊張感で満ちた今の少女にとって、それは危機を知らせる一報だ。
「っ!?」
 背に振動を得た。
 追い付かれたか、と思ったが、背全体を痺れさせるその感覚はそういったものではない。やがてそれが耳に届くものだと気付いた。
 それは、雄叫びだったのだ。肉が痺れ、骨が震え、心が竦むような、獣としての叫び。
「ーー化物っ!」
 もはや少女は認めた。非現実的だとして度外視した影の正体を。人を遥かに超える巨体と爪、そして獣声を持つ異形なのだと。
 そして、雄叫びが迫った。見えはしない。ただ、巨躯が自分へと躍りかかるのを気配で感じた。
 影が迫る中、少女は思った。ごめん、と。だがそれは、ここにいない父へでも母へでも、仲の良い友達や恋する学校の先輩へでもない。
 手に持った楽器ケース、そしてその内容物への謝罪だ。
 動きは後方へのスイング。ケースを重量任せに振るう一撃だ。
 重量と振り子動作による加速、その双方を得た楽器ケースは巨大なハンマーとなって迫る影を打つ。
「ーーーっ!!」
 影が抗議に鳴き、楽器ケースの一撃に吹っ飛ばされた。
 巨躯はエスカレータのサイドフレームを突き破り、そしてその向こうの吹き抜け空間へと飛び出す。
 雄叫びが地下階層まで遠ざかっていくのを、少女はエスカレータを転げ落ちながら聞いた。
 階段を駆け下りる途中に背後への重量任せな一撃、それで態勢を維持出来る筈がなかったのだ。
「ーーぐっ!」
 どうにか頭を守り、2階の踊り場へと衝突する。
 痛みは肩と脇、それに腕が中心となって滲む。足への被害も甚大、転げ落ちる際に段差の角で打ったようだ。
      • 怒られちゃうな・・・
 腕に感じた痛み、それに少女は涙を得る。腕だけは守れ、そう聞かされて育った自分の過去が軋んでいる。
 だが、と思う。早く行かなければ、とも。
「・・・橋へ・・・っ」
 痛む身を引きずり、少女は歩く。腕を抱え、眉をしかめ、足を引きずり、遅々としながらも歩く。そうしてどうにか辿り着いた連絡橋へ続く出入り口。
 それを少女は抜け、再び有り得ないものを見た。それも今度は二つだ。
「猫と、ロボット・・・?」

     ●

 橋へ繋がる踊り場、そこに出た少女の前には確かにそれがあった。
 橋の中程にうずくまる子猫と、それを覗き込む様に立っている巨大な人型機械だ。
 銀色に近い鉄の装甲は弧を描いた先鋭形、手足は細長く、単眼の頭部を持つそのフォルムは人型だ。ただし駅ビルの1階に相当する地上部に足を置いて、目線は2階から伸びた橋を見下ろす巨大さだ。
「あ・・・」
 その単眼がこちらへと向く。
「・・・や」
 足がすくみ、少女はへたり込んだ。
「・・・や、ぁ・・・っ!」
 心身が震えて何も出来なくなる。
      • 来ないで・・・っ! もう何も来ないで・・・っ!!
 もう嫌だ、そんな思いに思考が沈み、
「ーーえ?」
 不意の感触にそれが止まった。冷たさと湿気のあるざらついた感覚、それを膝に感じた。
      • 何?
 なんだろうか、これ以上何が来たというのか。
 逆上に近い意思に突き動かされ、少女は感覚を与えた何かがいるだろう膝元を見た。
 そこにいたのは、
「・・・猫」
 橋の中程でうずくまっていた子猫。それが少女の膝を舐めていた。
 いつの間に、という疑問が浮かび、
「・・・さっきロボットがこっちを見たのは、この子が私に寄って来たからで・・・」
 子猫が舐めているのは、先ほどエスカレータを転げ落ちた際に得た傷だ。
 まるでその傷が早く直ってくれと、そう言うかの様に。
      • 私は・・・もう何も来ないでと、そう思ったのに・・・
 この子猫は来た。如何なるものの来訪も拒んだ自分を、助け励ますかのように。
 そして猫は面を上げ、少女の顔を見た。
「・・・に」
 鳴き声は細く、高く、愛らしいもので。それは幼さと弱さと純粋さを秘めていて。
「・・・っ!」
 連れていくと、一緒に助かろうと、少女に決意させた。
 少女は子猫を抱き、立ち上がる。足首が、肩が、全身が痛みを訴える。
      • でも、大丈夫・・・っ!
 いける、と。
 もう泣かない、と。
 この支えを得られた自分は、
「・・・もう、負けないっ!」
 ロボットの腕が振り上げられたのと共に、少女の立つ踊り場が砕けた。


 瓦礫と共に巻き上げられ、少女は浮遊感を得た。
 最早痛みは感じない。
 ただ漫然と、虚空に浮かぶ事を知覚して。
 不意に見えた星空が綺麗だと思って。
「あぁ・・・」
 悲哀もなく、感激もなく、ただ感慨を持って声を漏らす。
 胸に動作を感じて視線を向ければ、抱えていた子猫があくびを一つ。
 緊張感のない子、という感想を抱き、それが支えになったのだな、とも思う。
 そして体が上昇を止め、次第に落下を始め、
「ーーもう、大丈夫だよ」
 声を聞いた。
      • 誰の?
 自分の声ではない。では猫の声か、等と考えて笑った。
      • 今晩だけで、非現実のオンパレードだったものね・・・
 脳まで非現実に侵されたか、と考えながら、
「佐山君、こちら高町。乱入者を確認・・・確保したよ」
「ああ、見ていたよ、高町君」
 抱きとめられた感覚に少女は意識を手放した。


「・・・さて」
 上空、瓦礫と共に巻き上がった少女が保護されるのを佐山は見た。
 身を包む白服と足首から伸びた桜色の光翼は、少女の保護者を夜空に栄えさせる。
 その光景に佐山は頷き、
「良い仕事をするね、高町君。・・・自分で撃ち上げた少女を自分で確保、ナイス自作自演だ」
『そ、それは聞き捨てなら無いかなー!?』
 意識に響く声、念話を持って高町が抗議した。
『あそこで私が先に踊り場を撃ち抜いてなかったら、この子絶対に死んでたよ!?』
 そう、佐山は見ていた。ロボットの腕が少女のいる踊り場を砕くより先に、高町が砲撃が打ち込んで少女を吹き飛ばし、致死の場所からずらしたのを。
 もしなのはがそうしなかったら、少女はロボットの腕に引き裂かれていただろう。
「だから褒めているのではないかね。さすが高町なのは、時空管理局の白い悪魔だ」
『あ、それ禁句!! そこに降りたら痛い目見せるからね!?』
「・・・やはり悪魔ではないかね。それよりも、君より先に彼によって私は痛い目を見そうなのだが」
 眼前、巨躯のロボットが動いた。
 その質量に反比例した俊敏な動作は即座に腕を構え、今度は佐山に向けて腕を振った。
「佐山君ッ!?」
 念話ではない、なのはの直な声が聞こえた。
 少女を抱えたまま、なのはがこちらに向かってくる。
「何、問題はない。ーー私には、麗しの根性砲撃が控えている」
 飛来するなのはに佐山は笑みを持って答える。
 そして眼前に腕が迫り、
「我、力を求める事を恐れ・・・」
 不意に、佐山の後ろから声が届き、
「ーーしかし、力を使う事を恐れぬ者なり・・・・・・ッ!!」
 佐山の背後から閃光が走る。
 光速を体現したそれは一直線にロボットへ向かい、その胸部装甲を突き砕いた。
『・・・・ッ』
 その勢いにロボットは僅かに身を浮かし、噴煙と轟音を上げて倒れた。
 そして佐山の後ろから人影が現れる。現れた人影に、佐山は振り向かない。
「こちら新庄。現在ガジェットドローンⅣ型と抗戦」
 やがて人影は佐山の前に出た。
「ーー撃破を完了」
 それは一人の女性だった。
 黒の長髪を揺らし、白いロングスカートの装甲服を着込んだ少女。その手には長大な機械の杖が握られている。
「嗚呼、新庄君。君の仕事はいつも麗しい」
「そりゃどうも。僕もいつも言ってるよね? あんまり一人で前に出ないで、って」
「これは異な事を新庄君。君を除く愚民共を率いてやる偉大な私が最前に立たずしてどうするのかね?」
「君を最前に立たせたら皆が同類に見られちゃうだろ!?」
「ていうか私は愚民・・・?」
 佐山を半目に見ながらなのはが降り立つ。なのはに抱えられた少女を新庄は覗き込み、
「この子が乱入者? 無事かな?」
「うん。・・・逃げる途中で幾らか怪我はしたみたいだけど、大事にはならないよ」
「ああ、それにこの子は最後で再び立ち上がる事が出来た」
 少女の胸に居座る子猫は動かない。こちらを見据えるその姿はまるで護衛役だな、と佐山は思い、
「君達も頑張ってくれたまえ?」
 砂を蹴るような音がして、無数の影が佐山達を取り囲んだ。
 何れもシルエットこそ人型だが、巨躯に剛毛と爪を備えた異形ばかりだ。
「・・・人狼が十。この子を追い掛けていたと同種だね」
 佐山は取り囲んだ影、人狼達を見渡す。
「敵の重役が前線で孤立したからって、やる気になってまぁ・・・」
 新庄は手に持つ杖を構えた。
「・・・このLow-Gに揃った答えに背く分からず屋は」
 なのはは抱えていた少女を下ろし、拳を突き出した。
 指が開かれ、その中にあるのは指先程の小さな赤い宝玉。
「ーー頭、冷やそっか?」
 瞬間、宝玉より烈波が放たれて人狼達を踊り場から地上部へと突き落とした。
 それを見下ろすなのはの手にある物は最早宝玉ではない。手の平程に巨大化した赤い宝玉を先端に備える、金の柄をした機械の杖だ。
「レイジングハート・エクセリオン。ーー神威と世界樹の後継者、高町なのはが相手になるよ」
 起き上がる人狼達に、なのはもまた地上部へと飛び降りた。


 遠く、戦の音がする。
 佐山は音源たる無数の戦場を見た。
 眼下では、桜色の光を率いて高町なのはが人狼達と戦っている。
 眼前では、槍持つ少年が少女と共に白の翼竜に乗って空を翔ている。
 遠くでは、黒の巨大な人影が同じく巨大な人影と格闘戦を展開している。
 そして、不意に旋律が生まれた。
 隣に立つ新庄、彼女が一つの歌を紡いでいるのだ。
 佐山はその歌を知っている。聖者の誕生を讃える歌、清しこの夜の一節だ。

Silent night Holy night/静かな夜よ 清し夜よ
Sheperds first see the sight/牧人たる者が初めにこの光景を目にする
Told by angelie Alleluja,/それは天使の歌声 礼賛によって語られる
Sounding everywhere,both near and far/近く 遠く どこまでも響く声で
“Christ the Savior is here”/「救い手たる神の子はここに在られる」
“Christ the Savior is here”/「救い手たる神の子はここに在られるーーー」

 歌を聴きつつ、佐山は首元のフォンマイクを取って口を開いた。
「ーーー諸君!」
 佐山は右腕を振り、眼前に広がる戦場を見た。
「今こそ言おう。 ーー佐山の姓は悪役を任ずると!」
 新庄が笑み、佐山も笑みをもって返す。
「私は今ここに命ずる! ・・・誰も彼も失われるな、と! 何せ世界は有限、誰かが欠ければその分だけ世界は寂しくなってしまうのだから!!」
 遠く、轟音が響く。仲間達が相対する敵を負かした音が。
「解るな!? ならば進撃せよ! 進撃せよ! 進撃せよ、だ!! 馬鹿共が馬鹿をする前に殴りつけて言い聞かせろ! ・・・我々の方が断然馬鹿を楽しんでいるぞ、と!!」
 佐山の声が響く。
「ーーそれが解ったら言うが良い!!」
「テスタメント!」
 答えが返された。
 幾十の言葉が、聖書に語られる契約の言葉を持って。
 ようし、と佐山が頷いて笑った。酷く楽しそうな、獰猛なまでの喜色で笑む。
「さあ・・・理解し合おうではないか!!」

     ●

 ーーーー話は2年前、2005年の春にまで戻る。

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最終更新:2007年09月28日 09:30