木々の密集地帯、樹海に巨大な影があった。
 空は青天、浮かぶ白雲には影を成すほどの濃度はなく、鳥達が作ったにしては形も大きさも合わない。
 轟音と共に進んでいく陰影、それは六隻の船艦だった。
 内五つは獣の爪を思わせる歪曲した三角形、それらが五角形を描く編隊で飛んでいる。最後の一隻があるのはその中心だ。
 それは爪形船艦とは異なる、楕円形に近い形態の船艦。上部には艦橋が、下部には巨大な推進器があった。左右には橙色をした横長の窓硝子が嵌め込まれ、そのやや下には五つの弾倉が並んでいる。
 しかしそれらを超える最大の特徴は、全長の二割は占めようかという艦首の巨大なドリルだ。
 五隻の奇形な船隊に囲まれ、鈍色の削岩機を備えた飛行戦艦が樹海上空を飛んでいく。



 それは船艦の中にある、簡素な一室だ。
 床には滑り止めが、壁には緩衝剤が敷かれ、壁際の執務机と椅子は床に固定されている。
 椅子には一人の女性が座っていた。短く切り揃えられた茶髪、右頬に垂れる一房は髪留めの交差によってまとめられ、小柄な体躯は茶色のスーツに包まれている。肌は黄色、瞳は黒、典型的な日本人だ。
 その人物の名は机上にあるネームプレートが示す。横倒しの三角柱に、役職と人名が記されていたのだ。
 “機動六課部隊長 兼 新・轟天号艦長  八神はやて”と。
「……」
 女性、はやては執務机の縁に腕を置き、背を曲げて若干前屈みになっている。
 その表情には安堵の色があった。頬と眉はゆるみ、浅く弧を描いた唇は微笑みと呼べるものだ。
 それは机上に置いた箱へと向けられている。箱は一抱え程の大きさ、左右からは肩掛け用のベルトが伸び、蓋となっている上面は開かれて内部を露出させていた。
 人形程の大きさをした、銀髪の少女が眠る内部を。
「ん」
 少女の姿は白いシャツに茶色のタイトスカート、これまで寝返りをうったのか、所々が縒れている。
 箱の内部は小さな家具で埋め尽くされていた。内側の四面には鏡や服の掛けられたハンガーが掛かり、少女が伏す底面は柔らかい素材が敷かれている。さながらミニチュアの寝室だ。
「リィン」
 寝入る少女へと、はやては一つの名前を呟いた。
「リィンは、どこにもいかんといてな?」
 吐息は震えを含んだもの、懇願する様な意思が声の中に含まれている。
「もう、私を独りにせんで。……シグナムもヴィータもシャマルもザフィーラも、皆いなくなってもうた」
 思い出すのは一年前の記憶。彼女達がゴジラを封印する為、人柱とされた時の事だ。
……嫌や、いかんで……っ!
 四人が出ていく時、はやては泣いた。喉が引き攣らせ、四人の袖を掴み、周囲の人間に当たり散らした。
 絶対に忘れない、とそう思う。誰彼と構わず喚いた苦しさと自制の効かない哀しみを、と。
 そして忘れないのは、怪獣を使い魔とする事で彼女達を取り戻せる、と告げられた日も同様だった。
……うれしかった……
 四人を取り戻せるという事が。四人を奪った化物を殺せるという事が。
「取り戻すんや」
 全ての怪獣を使い魔として、四人を人柱から解放する。そして、
「――絶対に、ゴジラを殺す」
 握り込んだ両手の指が机上を掻いた。心中で沸き上がる思いに、はやては目を伏せる。
 しかし、鳴り響いた電子音にすぐさま開く事となった。
「受信音?」
 音源は執務机、机の端にあるコンソールが、通信が届いています、という単文が流している。
 そして甲高い電子音で気付いたのか、箱の中で銀髪の少女が身じろぐ。
「んにゃ」
 少女、リィンフォースⅡは身を起こした。しかしまだ眠いのか、間延びしたあくびを一つして、
「めざましー?」
「御免、起こしてもうたな」
「そんなことはないですよー」
 と言いつつも寝ぼけた様子のリィンに、はやては苦笑した。

「通信が入ったんよ。リィン、ちょっと机の下に降りててな?」
「えー、リィンだってはなしますよー」
「エビの尻尾みたいな寝癖つけてる子に、そんな事を言う資格はありません」
 んにゃー? と首を傾げるリィンにはやては溜め息をつき、箱の左右の面に手を添える。
 それから持ち上げようと前屈みになり、そこでふと、こちらの顔を凝視するリィンが目に入った。
「どないしたん?」
 と問い返せば、んみゅ、と気の抜けた声を漏らしてリィンは、
「――はやてちゃん、ないてたですか?」
 何気ない風に質問してきた。
「……え?」
 どうして、という問い返しは出ない。問いを聞いた瞬間、唐突に感情が沸き上がったからだ。
……ぁ……っ
 疼く様な感覚が胸中を締め上げる。喉の奥が痺れ、震える吐息を吐く。
「ん」
 目に熱さと湿り気を感じた。
 泣きそうになってる? そう自覚して、
「――そんな事あらへんよ?」
 押さえ込んで、答えを返した。
「そですかー?」
「ていうか、泣いてるのはリィンの方やんか」
「違いますよー、これはあくびしたからでたんですもんー」
「なんぞええ夢でも見てたんとちゃうか? ……触手に巻かれて×××とか」
「その×××の所には何が入るんですか!?」
「リィンがもうちょっと大きかったら、私も嬉しいんやけどなぁ」
「身長? 身長の事ですよね!? どことは言いませんけど胸の事じゃないですよね!!?」
 本当に涙目になってきたので、この辺りで止めておく。よいしょ、と意気込みと共に箱を持ち上げ、はやては執務机の下に箱を下ろした。
 それから蓋を閉め、リィンを隔絶した所で大きく息を吐く。
……泣いていたか、か……
 問いが未だにハヤテの脳裏で響いていた。頬を撫でるが、どんな表情があるのか自覚出来ない。
 そんな事ある訳ない、とはやては思う。もしも自分がそんな表情をしていたのなら、
「――だったら私の意思は、どこに行くいくんよ」
 頭を振り、深く深呼吸して思考を切り替える。
 そうしてから、はやてはコンソールの操作盤へと指を伸ばした。
「たぶん、ばっちゃんやろぅな」
 幾つかのパネルを押せば机上に長方形の映像が投影される。
 そこには一人の老女があった。はやて以上の小柄、灰色の長い髪を青いリボンで結わえている。
「お久しぶりです、ミゼット議長」
『こんにちは、はやて』
 はやての返答に、老女は目を弓なりにした。
『余り格式張らないで頂戴? 気を張ってしまうわ』
「本局統幕議長、今じゃ管理局を指揮する御三方の筆頭が何言うとるんですか」
『私達としては、もう身を引いたつもりだったのだけれどねぇ』
「最高評議会が潰えた今、ゴジラに対抗出来る指揮を取れるのは、伝説の三提督しかおりません」
 しゃきっとしてください、と言うはやてにミゼットは苦笑。
 更に言葉を続けようとして、しかしはやては、あれ、と疑問を呟く。
「レオーネ相談役とラルゴ栄誉元帥はどうされたんですか? いつもは三人揃っとるのに」
『二人なら今、折衝に行ってもらってるわ』
「……インファントと、シートピアですか」
 ミゼットの言葉にはやては表情を引き締めた。
「怪獣を崇拝する次元世界。インファントはモスラとバトラ、シートピアはメガロでしたか」
『ええ。ラルゴはインファントに、レオーネはシートピアに行ってもらっているのだけど……難航しているの』
「オペレーションFINAL WARSは、怪獣を使い魔にしますからね」
『協力があるなら使い魔にする事もないのだけれどね。あそこの怪獣は高い知能を持ち、念話で意思疎通も出来るそうだし』
 そこでミゼットは姿勢を正す。細められた目が映像越しにはやてを見据える。
『貴女には近いうちにシートピアへ行ってもらうかもしれないわ。あちらはインファントとは違って、国として政治がある分やり易いでしょう』

「インファントの方はええんですか?」
『あちらの怪獣の片割、モスラは私達に協力的らしいわ』
 答えにはやては、え? と目を丸くする。
「じゃあ何で交渉が長引いてるんですか?」
『もう一方、バトラが拒んでいるのよ。それこそ近付くだけで攻撃する程にね。それがまた交渉をややこしくしているの』
 うまくいかないわねぇ、とミゼットは頬に手を当てた。それから申し訳なさそうな表情で、
『貴女達が頑張ってるのに、御免なさいね』
 いえそんな、と言うはやてにミゼットは言葉を続ける。
『そちらは順調な様ね?』
「え、ええ。アンギラスとラドンの処理は問題無し、使い魔として運用されてます」
『たしか、どちらもナカジマという方が持っているそうね?』
「はい、姉妹でして。アンギラスは姉のギンガ、ラドンは妹のスバルが持っとります。マンダやクモンガ共々、高町教導官の教導にごっつうしごかれてますよ」
 あはは、と笑ったはやてに対してミゼットは、
『じゃあ――今回のキングギドラは誰が持つ事になるのかしら?』
 続けられた問いにはやては即答しなかった。
 過ったのは一つの思い、自分よりも幼く、しかし強い意思を持っているだろう少女への気遣い。
 しかし答えない訳にもいかず、はやては小さく息を飲み、若干の間を置いてから返答する。
「……キャロ・ル・ルシエ三等陸士です。あん子は竜の巫女なんで」
『亜念話、だったかしら? 特定の生物限定でその意思を悟ったり、ある程度制御したり出来る稀少技能』
「ヴォルテールなんかもその口だったんでしょうね。私らの故郷でも精神開発センターとかいうてこの研究してますけど」
 へえ、とミゼットは短く答え、しかしその表情を曇らせた。
『……それでも、今回の捕獲は順調にはいかないでしょうね』
 はやての表情もまた楽観的ではない。
「強い、ですか」
 ミゼットは頷いてはやてに答える。
『強固な鱗を持ちながら高速で飛行し、三つ首の口からは重力を無効化する引力光線を放つ。あれに当たったらどんな重量も無効化され、そして効果が途切れればその重量のままに落下するわ』
 何よりも、とミゼットは続けた。
『三つの脳は、意思を共有しつつも独立した思考を持っている。アンギラスは副脳で思考の処理速度を上げたけれど……こちらは脳を複数持つ事で処理を分担し、思考の汎用性を高めているわ』
「私らは戦力は四つです」
 ミゼットが言い終えた直後、はやては断言した。
「スバルのラドン、ギンガのアンギラス、ティアナのマンダ、ルーテシアのクモンガ。脳みそに至っちゃ八つですよ?」
 はやては告げる。
「――勝ちます。私らは勝たにゃならんのです」
 その答えにミゼットは重々しく頷き、だが何かに気がついたように面を上げた。
『スカリエッティ氏の決戦兵器は使わないの? ジェットジャガーと貴方が今乗っている――その新・轟天号は?』
 そこに含まれた人名に、はやては苦虫を噛んだ様な顔を作る。
「これらは奥の手です。出すんは、うちの子らで対応出来なくなった時だけですよ」
『信頼しているのね』
「それだけの能力を持っとりますし、訓練もしとりますから」
 向けられた笑みを笑みで返し、しかしその胸中ではやては疑問を抱いていた。
 今ミゼットが告げた名前の一つ、新・轟天号についてだ。
……“新”・轟天号な……
 新、というからには旧もあるのだろう、と思う。
 だがはやては轟天号という船艦を一度として聞いた事は無かった。それは新・轟天号の艦長になった後もだ。
……艦長なら、指揮する船艦の事は全部知らされててもええ筈やろ……?
 そもそも轟天号とははやての故郷、矮小な小列島でのみ使われる少数言語だ。
 それが何故、対ゴジラ決戦兵器の一つに使われているのか。
「ミゼット議長、この新・轟天号はなんで“新”なんですか? 元になった“旧”轟天号でもあるんですか?」
 それに、とはやては疑問を続ける。
「この船の構造は魔法文化の無い世界の、ごく普通の船艦のに見えるんですが……」
 対してミゼットは、
『……詳しくは私も知らないわ。スカリエッティ氏が、どこからか見つけてきた船艦を改造したのだもの』

 困った様な笑みで答えた。それに対してはやては目を細める。
……管理局の実質的指導者が決戦兵器の出所を知らず、解き放った犯罪者の行動も把握してない?
 有り得ない、とはやては判断した。
 ならば轟天号の情報は隠されている、という事だろうか。それも艦長にも伏せられる程に。
……この船に何があるっちゅうんや……
 疑心は膨れ、はやては我知らずと拳を握る。
 はやては映像に映し出された、ミゼットの微笑みを信じる事が出来なかった。



 新・轟天号の食堂にスバルはいた。
 十数の食卓が並ぶ中、陣取るのは調理場を区切るカウンターに程近いもの。周囲には四脚の椅子があり、それはスバルから見て向かいをエリオ、右手をキャロ、左手をティアナという配置で使用されている。
 食卓の空気は重々しいものだった。
「……ぅ」
 スバルは小さく呻く。だがそれで状況が変わる筈も無く、四人の表情は暗いままだ。
……どうしよう、何か言った方が良いよね……?
 この空気を払いたい、スバルはそう思う。どうしたものか、と目を泳がせ、するとエリオと視線が合った。
……た・す・け・て・く・だ・さ・い……
 エリオの悲哀に満ちた目が、自分と同じ思いでいる事を語る。
……ご・め・ん・む・り……
……そ・こ・を・な・ん・と・か……
 アイコンタクトの応酬、それで得られたのは互いの困窮のみだった。
 マジでどうしよー、とスバルは頭を抱える。と、そこで電子音混じりの声が届いた。
『……という、クラナガン広域での電力低下は未だ原因が解っていません。一部では年始に墜ちた隕石との関係を疑う意見もあり……』
 は、として見れば、それは食堂に備え付けられた大型モニターからの放送だ。どうやらクラナガンで起きている事件についての報道らしい。
 これだ、とスバルの脳裏に解決策が閃く。エリオへ目配せすれば、どうやら向こうも同じ事を考えたらしく、
……や・り・ま・す・か……
……そ・れ・し・か・な・い・ね……
 背に腹は代えられない、思いを交わしてスバルとエリオは同時に立ち上がった。
「た、大変だ、大変だよエリオっ!」
「ええ、そうですねスバルさんっ!」
 二人は必要以上の大声で会話、突然の事にティアナとキャロがこちらを見上げる。他の食堂利用者の視線も感じるが、それは仕方が無いと諦める事にした。
「年始の隕石ってあれの事だよねっ!?」
「そうですよ、落ちて以来怪獣達が活性化してるって曰く付きのあれですよっ!」
「あのすぐ後にマンダが現れて、この間にはアンギラスとラドンが現れたんだもんねっ!」
「管理局的には助かってるんですけど、かなり胡散臭いって噂ですよねっ!」
「でもなんでそれが電力低下と関わるって話になってるのかなっ!?」
「それはですね、隕石が落ちた時にその周辺で異常な電磁波が出たからですよっ!!」
「あーあのオーロラね、すっごいキレイだったよねっ!!」
「ていうかなのはさん達も前に言ってたじゃないですか、忘れちゃったんですか!?」
「いやー小難しい話って私苦手なんだよねっ!!」
「ぶっちゃけ寝てましたもんね」
「なんでそこだけマジ返しなのっ!? ノリで返してよっ!!」
「――黙れ」
 が、という破砕音が食堂に響く。
 声の主、ティアナの手には拳銃形態のクロスミラージュが握られていた。そして銃口の先には、小指ほどの穴を穿たれた床がある。
 そして硬直したスバルとエリオを、ティアナの冷えきった双眸が見据えていた。
……お、怒らせたー!!
 逆効果だった、と思うのは遅かったようだ。
「そこになおれ」
 スバルとエリオは一も二もなく即行で正座、それを処刑人の様な表情でティアナは見下ろす。
「ねえスバル、エリオ。私はね? あんまり煩わしいのは嫌いな訳よ、解る?」
「は、はい、解りま」
「煩いわね煩わしいのが嫌いって言ったでしょう」
「理不尽っ! 理不尽の権化が目の前にいやがりますよっ!?」

 叫んだスバルの額にクロスミラージュの魔力弾が炸裂した。
「痛ー!!」
「スバルさんっ、スバルさーんっ!?」
「大丈夫よ、そいつの面の皮鋼鉄製だから」
「戦闘機人だけに!?」
「ていうか言う事それだけ!? それだけですかー!!?」
 スバルは額を押さえて断固抗議、が、ティアナは無視。ひどー、とか叫んでみる。
……まぁ、でも……
 ティアナが動いた事に、良かった、という一念があった。例え空元気でも全く動かないよりは良い、と。
 きっとティアナもそれは理解しているのだろう。だから自分達の馬鹿騒ぎに乗ってくれた。
……でも撃つ事は無いと思うんだけどなー……
 痛む額に手を当て、自分が涙目になっている事が自覚する。励ます為に払った犠牲はかなりのもんだ、と思い、
「……キャロ、いい加減にしなさい」
 ティアナの声を聞いた。
「え?」
 意識を眼前に引き戻される。そこには渋面のティアナと、鬱々とした顔で見返すキャロがいた。
「いつまで落ち込んでるつもり? 今の馬鹿騒ぎが私とアンタへの気遣いだって解らないの?」
 怒気を含んだ声に、それを向けられた訳でもないのにスバルの肩が震える。
 椅子から立ち上がっているティアナはキャロを見下ろし、
「確かに滑ってたし煩かったし詰まらなかったし詰まらなかったし詰まらなかったし、ていうか詰まらなかったけど」
「ごめんティアっ、それトドメだよ!?」
 叫びはやはり無視された。
「気落ちが不要な場面だ、って解らないの? 空元気をが出来ない歳でもないでしょう」
 ぐ、と唇を噛んでキャロが俯く。そして、ティアナは続けて、
「怪獣の事でいつまで落ち込んでるのよ」
 言った瞬間、キャロが激発した。
「――明るく出来る訳ないじゃないですかっ!」
 それは食堂全体に響く叫びだ。そしてそこには、悲壮という感情が滲んでいる。
 ティアナと対峙するようにキャロも立ち上がった。
「関係ない生き物を殺してっ、それで武器にするなんてっ、出来る訳ないじゃないですか!!」
「じゃあ、それをしてる私達は何だって言うのよ!!」
 キャロの叫びを塗り潰すかの様に、ティアナもまた叫ぶ。
「他に方法が無いって言ってるでしょう!? じゃなかったら私達だってこんな事してないわよ!!」
「ま、待ってよ。落ち着いてよ、ティア……っ」
 スバルの言葉を、ティアナは三たび無視した。
「何よ自分だけ好きな事言って! それが出せる場所じゃないでしょここはっ!? アンタの方が普通じゃないのよ!!」
 叩き付けられる意思にキャロは答えない。否、答えられない、という様子で押し黙っている。
 言い終えた所でティアナが笑った。それは自他を嘲笑う様な歪んだ表情で、
「……そうよ、何で恨まないの? 何で憎まないの? ヴォルテールを殺されて、フリードを墜とされて、何でそんな事してられるの?」
 空っぽだ、という印象をスバルは思う。今の今まで詰まっていた感情が抜け落ちたようだ、と。
「――アンタ、変なんじゃないの」
「ティア……っ!!」
 叫ばれた愛称は、誰も受け取らずに霧散した。
 ティアナの呟きにキャロの目尻から涙が飛散する。その右手が平手を作り、掲げられ、それが、
「やめてくださいっ!!!」
 エリオの手によって止められた。右の五指がキャロの手首を掴み、鋭い双眸がティアナを見る。
「ティアさんもやめてくださいっ!! 空元気でも良いから、って言ったばかりじゃないですか! 僕達がこれ以上叫んで、何が良くなるって言うんです!!」
 空いたエリオの左手が机上を叩き、制止を増幅させた。
 争いを止める最短の方法は、争う両者以上の力で両者を押さえつける事だ。
「ティアさん、言い過ぎです。キャロも、皆が率先してこの計画を行っているなんて、思わないで」
「……っ」
 ティアナは歯を噛み、キャロは周囲を見回す。食堂の利用者達、自分達と同じくこの計画を遂行する者達を見たのだろう、とスバルは思う。
 そしてエリオは五指を窄め、爪先が机上を掻いた。
「お願いですから、これ以上傷付けないでください」
 滲む様なその言葉を皮切りに、食堂からあらゆる音が消える。
 どれ程かの時間が過ぎて、静寂を破ったのはキャロだった。
「……エリオ君、痛いよ」

 エリオに握られたキャロの右手が、力んだ指によって僅かに鬱血していた。
 気付いて、エリオは慌てて手を放す。
「ごめん、キャロ」
「……ううん、いいの」
 キャロはエリオと目を合わせず、俯いている。やがてその顔を両手が覆い、小さな肩が震え出して、
「いい、の、……もう、いいの……っ」
 時を同じくしてティアナが、荒い動きで椅子に腰を落とした。左手で髪を書き上げ、苛立たしげな舌打ちが響く。
 彼女がどんな表情をしているのか、ティアナの左側に座るスバルには解らない。
……駄目だな、私……
 力の無い笑みをスバルは浮かべる。
……ティアとキャロが喧嘩して、エリオがそれを止めて、その時私はただ右往左往してて……
 胸がつかえるような、重苦しい感情が沸き出した。
 やだな、とスバルは思う。あの頃は、こんなんじゃなかったのに、と。思い出すのはゴジラが現れる以前、レリックの回収をしていた頃の事だ。
……でも、今は……
 過去と現在の落差に、スバルは辛さを得る。
 皆を支えたい、そう思うが出来ない。
……私も怪獣を殺して、操ってる人間だから……
 スバルが持つのはラドンだ。自分達が捕らえ殺して、武器とした死体をスバルは使用している。
 故にスバルには、もうキャロを支える事が出来ない。自分はキャロが拒む側の人間だ、と思うから。
 しかしティアナを支える事も出来ない。胸の内では、そんな自分を拒み疎んでいるから。
 中途半端だから、二人の衝突を止める事も出来ない。
……エリオみたいに出来れば良いのに……
 自分が持つ思いに一番近いのはエリオだ。だがエリオには、自分に無い行動力がある。
 作戦が始まって以来、エリオは今まで以上にキャロと一緒にいるようになった。そして暗い雰囲気をどうにか払おうと常に考え、今の様にティアナとキャロがぶつかれば仲裁する。
 誰かが傷付くのが嫌で、それを回避する為なら戯ける。それが自分には出来ていないのだ、と思う。
……私も、ティアナとキャロを止められたら……
 オペレーションFINAL WARSが始まって以来、二人はぶつかるようになった。
 自然保護隊出身のキャロは現状とは正反対の人間だ。この作戦に対してキャロは何度も反対を叫んでいた。
 それをスバルは羨ましく思う。
……私だって嫌なのに……
 だがスバルはそれをしない。時空管理局の方針に、なのはが従う作戦に逆らえない。そして何より、怪獣達を武器にしなければ沢山の人間が死ぬ、という被害者数の対比を理解しているから。
 キャロもどこかで理解はしているのだろう、だから反対しても最後には押し切られる。
 そうさせるのは、いつもティアナだった。
……ティアだって本当は、私達と同じなのに……
 だがティアナはオペレーションFINAL WARSに従い、自分達もそうするようにいつも言う。最年長として、自分達のリーダーとして、誰よりも作戦に従事してスバル達を牽引していた。
 ティアナもそれが嫌なのに、そうするしかないからその役目をやっている。
 自分がしっかりしていないからだ、とスバルは思う。だからティアナに負担をかけているのだ、と。
……私はどうしたらいいんだろう……
 ティアナは命令に従い、キャロは命令に反対し、エリオはみんなを支えようとしている。
 だが自分には、彼女達のようなスタンスを持っていない。いつも右往左往してばかりだ。
……怪獣達を殺したくなくて、でも殺していて、そんなだから本当に支える事も出来なくて……
 自分は何も出来ていない、そう思う。そして、何をすればいいのか解らない、とも思う。
「――どうしよう」
 自分はこれからどうすればいいのか、スバルにはそれが解らない。



 新・轟天号の通路は、窓と扉の羅列によって成されていた。
 艦内側の壁には自動ドアが羅列し、外側には橙色の窓硝子が壁として存在する。半透明の壁からは、どこまでも続く空と樹海が見えた。
 そんな通路に硬質な足音がある。音は二重の連続、それは二人の人間が共に歩いている事を示していた。歩行者はどちらも制服を着た長髪の女性。ただし片割は長身の大人だが、もう片方は小柄な少女だ。
 長身の女性、ギンガの表情は思慮に耽ったもの。視線は前方ではなく足下に向いていた。
 思いは一つ、妹と仲間達についてだ。
……皆、どうしてるかな……
 また衝突してなければいいけど、とギンガの懸念する。

 オペレーションFINAL WARSが始まって以来、機動六課は変わった。
 なのはとはやてが、ティアナとキャロがぶつかるようになり、フェイトとスバルは泣くようになり、そしてギンガの先任者、ヴィータ達ヴォルケンリッターが失われた。
「はぁ」
 尽きない思いに我知らずと溜め息が出て、それに同行者が視線を向けてきた。
「……?」
 華奢な少女は無言でこちらを見上げる。その目が語るのは、どうかしたのか、という疑問だ。
「あ、何でも無いの、気にしないで」
「……そう」
 苦笑して手を振れば、言葉少なに少女は視線を戻した。しかしギンガは、視線を戻した後も少女の事を見続ける。
……ルーテシア・アルピーノ……
 胸の内でギンガは少女の名を思う。
 母の同僚、メガーヌ・アルピーノの娘。うろ覚えではあったが、紫の髪や顔立ちにはメガーヌの面影があった。
……この子はどう思っているのかしら……
 機動六課の面々とはそれなりの付き合いがあり、それぞれがどう思っているのか知っている。
 しかしルーテシアは、先頃まで管理局に所属していなかったという事もあり、どういう考えなのかギンガは知らない。
……まあ、本人がすごい無口で無表情って事もあるんだけど……
 今まで殆ど話す機会が無かったという事もあり、気になった。
「えぇと……ルーテシ、ア?」
 どう呼んだものか、と思ったが、取り合えず他と同様にファーストネームで呼ぶ事にした。するとルーテシアは再度こちらを見て、
「……何?」
 どうやら会話は成立するらしい。ならば今こそ疑問を解消するチャンスだ。
「……ご、ご趣味は?」
「………………」
 答えてくれなかった。
……何で最初の質問がそれ!? 見合いか!!
 胸中の自己ツッコミは無意味、ルーテシアは表情を変えずにずっとこちらの顔を見上げている。
 えぇと、とギンガは冷や汗を流し、どーしたものか、と思っていると、
「趣味は昆虫採集」
 答えが返ってきた。
「そうなの?」
「生きたまま」
「すごいヴァイオレンスね!!」
「うそ」
 えー、とギンガの肩が下がった。それを見たルーテシアは胸を張って、
「私、お茶目さん」
 意外と冗談の通じる相手だった。それも半端なく。
 これもまた新発見、と思いつつ、ギンガは気を取り直す。
「ルーテシアは今の状況をどう思うの?」
「……オペレーションFINAL WARSの事?」
 ルーテシアの問い返しに、ええ、とギンガは応じた。
「貴方はどう思っているの? やっぱり、キャロ達と同じ様に反対なのかしら」
 ルーテシアはキャロやエリオと親しい。そもそも彼女が管理局に来る切っ掛けとなったのはあの二人だ。機動六課に配属された後は同行する事も多く、ならば考え方も同じか、とギンガは思っていた。
 しかし返された反応は、首を左右に振るという否定の動作。
「私は、キャロとは違うの」
 声色も視線も、表情を変える事も無くルーテシアは言う。
「どちらかというと、ティアナに賛成」
「……そうなの? じゃあ怪獣達を殺すのもしょうがないって考えてるの?」
「もう私達は殺してる」
 その言葉は、思った以上に胸へ突き刺さった。胸中に苦しさを感じて、ギンガは息を詰める。
 それに気付いた風も無くルーテシアは続けた。
「それは、どうしても必要な事だから。そうじゃなかったら、やってない」

 割り切った考え方だ、とギンガは思う。僅かばかりに、羨ましい考え方だ、とも。
……機械を積んだ私達は情に流されてるのにね……
 仕方ないから、と割り切れる考え方は機械的ですらあり、ギンガは自分の身の上にそれを重ね見て苦笑した。印象としては、ティアナから罪悪感を抜いた状態という所か。
 その考え方が良いのか悪いのか、それを事が出来ない。
……ただ、このオペレーションFINAL WARSを行う上では、都合の良い考え方よね……
 ルーテシアが誰かと衝突する所をギンガは見た事が無かったが、こういう考え方ならば納得がいく。問題を抱えていない人間は、問題を起こさないものだ。
「すごいね、ルーテシアは」
 微笑してギンガは言葉を向け、
……え……?
 見た先でルーテシアは俯いていた。
 それが今までの自分の姿に重なり、どうして、と思う。何も問題が無いならば、どうして問題のある自分と同じ行動をしているのか、と。
「……キャロ達にも、そう言いたい」
「―――――――――――」
 ルーテシアの呟きはどこか怯える様な、年相応の震える声だった。
 あ、という声でギンガは気付く。
 今言った考え方をルーテシアは持っているのだろう。それが今、一番良い考え方とも解っているだろう。
……でもそれが言えなくて……
 それはそうだ、という思いが浮かんできた。どんなに割り切った考え方をしていても、この少女はキャロやエリオと同い年の幼い子供なのだ、と。
 自分一人は納得出来ても、親しい友達を納得させられるとは限らない。
……私達とは悩む所が違うのね……
 怪獣達を殺すこの状況下で、ルーテシアはそれを行う自分ではなく、誰かとの関係について悩んでいる。
 変な子だ、とも思うが、そこに嫌味は入らない。ただ一つだけ、これもまた新発見、とそう思った。
「――ルーテシアにも、思いはあるんだよね」
「……え?」
 それが聞き取れなかったのか、きょとんとした顔でルーテシアはこちらを見る。
「ううん、何でも無い」
 その反応にギンガは笑みを返した。不思議そうに見返すルーテシアを、ギンガは可愛らしく思う。
……可愛いにゃー……
 何か思考が緩んだな、とも思い、そして唐突の叫びが届いたのはその直後だった。

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最終更新:2008年05月24日 16:50