ベイの外人リスト

思い出よ永遠に

  • 00年
    • ベタンコート(00)
      背番号22をいきなり受け継ぐ。育成目的獲得との噂があったがぱっとせずクビ。今やメジャーリーガー。
    • メローニ(00)
      量産型万永。あまりにも打てず7月には退団。と、思ったら8月にはメジャー中継でその姿を見ることに。
  • 01年
    • バワーズ(01〜02)
      ザ・負け運大王。投げると必ず味方打線が沈黙。翌年も生き残ったが相変わらずだった。
    • ホージマー(01)
      子犬大好き左腕。先発して打ち込まれる割には負けが付かない逆バワーズ状態
    • ズーバー(01)
      それなりの打率は残すも長打力は皆無。人の良さと選球眼は現在も語り継がれる
    • ドスター(01)
      堅実な守備と勝負弱い打撃が印象的なナイスガイ。打点はズーバーと同じく27
    • サンダース(01途中入団)
      シドニー五輪アメリカ代表。本塁打3ダースを期待されるも三振3ダース製造する事も叶わず帰国。
  • 02年
    • ホルト(02〜03)
      シーズン途中に入団 「金を稼ぎに日本にやってきた」翌年も残ったがもう一つ。古木のエラーに切れる。
    • ドミンゴ(02年はグスマン) (02〜03、04〜06中日、07〜08楽天)
      ムラはあったがそこそこ活躍 03年オフに解雇、調教師森繁和と共に中日に移籍し優勝に貢献
    • ロドリゲス(02)
      史上最弱打線の中で孤軍奮闘 自称19歳 ひっそりとサイクルヒット・チーム2冠王
    • グラン(02)
      堅実な守備だが長打力がないのに扇風機 1試合5三振 痔で帰国
    • ヤング(02途中入団)
      兄ヤン 長打力だけある扇風機 センターの守備は破滅的
  • 03年
    • ウッズ(03〜04、05〜08中日)
      03-04と2年連続ホームラン王の大活躍 04年オフに金銭闘争の末、中日に移籍
    • コックス(03)
      最強メジャーリーガーにして最強給料泥棒 キャンプ3日目でぶっ壊れた(ぶっ壊した)( ・c・)シーズン途中で帰国
    • ホワイトサイド(03)
      炎上系ストッパー 150km/hを超える速球派だったのに
    • ギャラード(03途中入団〜04、00〜03中日)
      シーズン終盤に中日から移籍 そこそこ活躍したが04年はダメポでシーズン中に帰国
  • 04年
    • マレン(04、05途中入団 巨人)
      頑張ったのに解雇 05年はシーズン途中から巨人 横浜相手に完封もしたが振るわず
    • ウォーカー(04)
      歩行者とか横浜ウォーカーとかいわれたが1年で解雇 メジャー復帰して神になった
    • セドリック(04〜05、06楽天)
      シーズン途中に獲得 育成枠だったがチーム勝ち頭タイ
      05年も先発ローテだったがノーコン癖が嫌われてクビ 06年楽天へ行くも全く働けず
  • 05年
    • ウィット(05、07楽天)
      オープン戦で逆大活躍 シーズンに入っても逆大活躍 07年なぜか楽天に拾われるも変わらず
    • クルーン(05〜07、08〜10巨人)
      161?のストレートと145?の変化球を駆使する凄い人 佐々木と仲良しだった 08年から巨人へ。巨人最終年となった10年はハーパーにサヨナラ満塁弾を食らった。
    • ホルツ(05)
      複数形 ちっちゃいおっさん 左殺し シーズン後半はぱっとせず
  • 06年
    • ベバリン(06、03〜04ヤクルト)
      ヤクルト退団後、1年浪人の末横浜へ入団
      2回100球の伝説を残すほどのノーコン。2軍では防御率0.60と敵なしだった
    • ソニア(06途中入団)
      シーズン途中に入団。ベンチ入りしているのに半月ほど投げさせてもらえないなど起用法が謎だった
      いい人だったらしく「うん、うん」という名言を残す。起用法が謎のまま1年で退団。
  • 07年
    • ホセロ(07)
      入団会見で『ハマのキムチ』という恥ずかしいニックネームを付けられる。
      遠藤氏ね様からレフトにHRを放つ大活躍。投げるほうは春先にアホみたいに登板。市民で3者連続四球→梵満塁 どれならすとらいくはいるの(ry
    • チアソン(07)
      入団会見で『ハマのコーラ』という恥ずかしいニックネームを付けられる。
      キャンプ中に肘の怪我で帰国し1・2軍共に登板なし。幻の投手となる。
    • マットホワイト(07途中入団〜08)
      シーズン途中で入団。2軍で大炎上するも1軍ではそれなりに抑えた。でも未勝利。シーズン後半阪神に無類の強さを見せた。08年8月解雇。肩の怪我かサボり癖の疑惑があった。
  • 08年
    • ジェイジェイ(08)
      名前がとても長いため登録名「ジェイジェイ」に。ファームのムードメーカーとしてシーズンを全うした。08年限りで解雇。
    • ビグビー(08)
      禁止薬物を使用していたらしい。今後反応が出たら即解雇らしい。時々目の覚めるようなバッティングを見せたがスペ癖でもう一つ。08年限りで解雇。
    • ヒューズ(08)
      クルーンの後釜と期待され来日。炎上して「ヒューズが飛んだ」とスポーツ新聞に書かれた。8月に解雇。
    • ウッド(08)
      ミスター無援護。アメリカ版三浦?バワーズの再来?怪我無く淡々とローテを守り続けていつも5回3失点ペース。淡々と負け数を増やしていった。
      ウッドスタート(WS)の言葉を残し08年限りで解雇。
    • ウィリアムス(08)
      達川さんに球威もない球速もない変化球もないなにもないと酷評される。
      シーズン途中にようやく1軍登板したが戦力にならず、8月には小笠原・ラミレス・谷のクリーンアップに3連続HRとか珍しいものを浴びる。その日のうちに解雇。
  • 09年
    • ウォーランド(09)
      旧名ウォルロンド。戦国さん。良い時は大きなカーブがズバズバ決まるが、打たれ出すと止まらなかった。故障もあり結局1年限り。
    • マストニー(09)
      増谷さん。与死球が多く、特に左打者の足元が大好物。先発でスタミナ切れが目立ったので、中継ぎで起用してみたら大炎上。1年限り。
    • グリン(09)
      日ハムから移籍。子煩悩。日本での実績があり、応援歌がつけられるほど期待されたが、微妙な判定→キレる→打ち込まれる のコンボを繰り返し期待を大きく裏切る。
      3勝15敗と一人で借金12を抱えてしまい、当然1年限り。
    • ダン・ジョンソン(09)
      外野手として獲得したが何故か外野を守れないことが発覚。一塁で起用され、2度目の村田故障時はサードをやったことも。
      バットに当たれば飛ぶが、なかなか当たらない。というかとにかく振らない
      選球眼が良く出塁率は悪くなかったが、高額年俸と流石に2割ちょっとの打率ではどうにもならず1年限りとなる。
      広島戦は.310で5HR、巨人戦は.254ながら9HRと良く打った。広島の実況アナから「どーしてウチとの試合で打ちまくるんだ!」と言われたり
      米球界復帰後は4番を打ったことも
    • ランドルフ(09途〜10、11途)
      シーズン途中入団。イニング数と与四球数がほぼ同じ、高齢と活躍を心配されたが
      来日1打席目から本塁打を放つ活躍。8月以降に5勝をあげて先発投手陣の救世主となる。
      翌10年シーズンでは球団初の外国人開幕投手を務めた。が、勝ち星に恵まれず怪我も重なって不調。その年限り。
      と思ったら11年シーズンの4月にまたもや帰ってきた。がひと月で解雇。
    • 陳瑋(09〜10)
      育成枠入団。投手。シーレックスへの2年間の留学を終えて帰国。
    • 王靖超(09〜10)
      育成枠入団。内野手。WBC中国代表。シーレックスへの2年間の留学を終えて帰国。
  • 10年
    • ブーチェック(10)
      抑え役を期待されての入団も開幕2軍スタートで、気づけば巨人戦の先発で初勝利。
      それ以外はこれといって目立った活躍も無かった。
    • カスティーヨ(10、11途ロッテ)
      愛称は「アチャ」。城島から二盗(チームでもシーズン初盗塁)→三盗を決めたり色々とフリーダム。フリーダム守備すぎて一度懲罰交代を食らってしまった。
      セカンドなのになぜか外野を守った事も。打撃にも守備にもムラがありすぎて1年限りだった。
      が、11年シーズン途中にロッテで日本球界復帰。正ショート候補として期待され、それなりの活躍はしたがその年限り。
    • スレッジ(10〜11、12日ハム)
      去年のグリンに続き2年続けての日ハムから移籍外国人。2年契約。愛称はスレッジハンマー。チャンスと夏場に強いとの事だったが、横浜では夏場よりむしろ春先に打ちまくる。
      同じく元ハムの江尻は「テンパのおじさん」と言ってた。
      12年は日ハムに戻るも、怪我で帰国。
    • 王溢正(10〜13)
      投手。台湾出身左腕。即戦力というよりは育成目的の選手。1年間で2軍で鍛えて球速が上がったらしい。11年に一度一軍に上がったが、すぐに落ちた。
      12年後半より先発としてちょこちょこ使われだす。
      2013年5月29日、解雇される。その後Lamigoモンキーズに入団。おめでとう。
    • ハーパー(10途〜11、12途楽天)
      シーズン途中加入。有明のハーパー。来日2打席目で早くも初HRを、7月18日にはサヨナラ満塁本塁打を放つなど活躍を見せ、
      その後も打線の柱として素晴らしい活躍を見せた。ただし鈍足。翌年は打撃が今一つで解雇。翌年途中から楽天に入団するももう一つ。
  • 11年
    • ブランドン・マン(11~12、19ロッテ)
      投手。左の先発候補として11年後半より使われだし12年はローテに入るも結果は残せず。
      なぜか国吉と仲良しでよく遊びに行く。ツイッターの文章がかわいい。12年限りでクビになるも、なぜか日本の独立リーグに。
      その後は最年長MLBデビューを果たすなど活躍、7年ぶりにロッテでNPB復帰。
    • クレイトン・ハミルトン(11~12途)
      投手。開幕時はビハインド時での登板が主だったが、途中から先発でも登板。
      ツイッターをやっており、広報と呼ばれることも。翌年は振るわず12年途中で解雇。
    • リーチ(11)
      投手。期待の左腕だったが、震災後来日せず球界初の制限選手に。
      オールスター前に再来日するも、期待倒れの実力でこの年限り。
    • ゴンザレス(11途)
      投手。復帰のランドルフとともにシーズン途中入団。
      ちょこっと1軍で使われて打ち込まれて2軍落ち。当然のごとくその年限り。
    • 陳冠宇(11~14、15~ロッテ)
      台湾の大学から直接獲得。怪我気味らしく、翌年は育成枠に。
      その後14年に再び支配下登録されて、1軍先発登板機会を与えられるも活躍できず。
      結局はその年限りで自由契約。トライアウトの結果、ロッテが獲得。息が長い活躍を見せている。
  • 12年
    • ラミレス(12~13、16~20監督)
      言わずと知れた大物外野手。巨人から獲得、日本人枠。村田が抜けた4番の穴を十分過ぎるほと埋める。
      レフトの守備はお察しください。ハマノラミチャンゼッコーチョー!
      ブランコらの相談役や助っ人初の日本通算2000本を達成するも、守備難打撃不振で13年シーズン限りで自由契約に。
      その2年後、チーム初の外国人監督として戻ってきた。その采配には様々な話題を集めたが、5年で3度のAクラス、そして19年ぶりの日本シリーズ出場にも導く結果を残した。
    • ジオ(12)
      投手。広島より獲得。春先は抑えながらも援護がないお決まりのパターン。
      いつの間にかいなくなり、そしてファームへ。この年限り。その年のオフにWBCプエルトリコ代表として準優勝に貢献。
    • サラサー(12)
      内野手。キャンプでテストから入団というダメ元な感じ。
      特にパワーもあるわけでもなく、球の避け方が面白いというぐらいの特徴。シーズンの大半を2軍の中軸として過ごす。この年限り。
    • ルイーズ(12途)
      内野手途中入団。前年まで楽天。内野手。外野手が欲しかったはずなのに、重量級の一塁しかできない選手を何故とったのか。
      外野に挑戦したらしいができるわけもなく。典型的な扇風機。この年限り。
    • クレイマー(12途)
      投手。左腕。途中入団。
      苦し紛れに獲得。わずか2試合に先発し、両試合とも炎上してさようなら。左で投げるだけでした。
  • 13年
    • ブランコ(13〜14、15オリックス)
      一塁手。中日から獲得。
      長らくドラゴンズの主砲として活躍してきたがムラも多く、金銭面で折り合いがつかず、自由契約に。
      同じく残留交渉が難航したソーサ・ソトも一緒についてきた。
      入団1年目から不動の四番として打ちまくり、打点王と(中日時代は縁遠かった)首位打者の2冠王に。
      翌年も変わらずパワーを見せつけたが、足の怪我で3回離脱。これが嫌われて自由契約後、オリックスへ。
    • ソーサ(13〜14)
      投手。右投げ。中日から獲得。ブランコ・ソトと同様条件面から中日を自由契約に。
      山口につなぐセットアッパーとしての獲得だったが、山口の故障もありストッパーに定着。
      山口と同じく劇場型のストッパーとしてスクリプツたちの胃をキュルキュル言わせている。
      翌年もストッパーとして活躍が期待されるも、怪我とノーコンで活躍できず自由契約に。
    • ソト(13〜14)
      投手。左投げ。中日から獲得。ブランコ・ソーサと同様条件面から中日を自由契約に。
      手薄な左の先発投手ということもあり横浜フロントが飛びついた。
      巨人キラーとして期待されたが、シーズンを通じて期待とは程遠いピッチングを繰り返した。
      翌年は半ば戦力外扱いからスタートも、中継ぎとして活躍をみせる。ただ1軍外国人枠に翻弄され、この年限り。
      結局、ドラゴンズから来た外国人トリオは2年で全員姿を消すことに。
    • モーガン(13)
      外野手。左打ち。MLBミルウォーキー・ブルワーズから獲得。
      メジャーで正中堅手を務めていたこともあり、充分な実績はあったのだがシーズン開始当初は打撃不振に苦しみ、二軍降格。
      黒ひちょり・いつものおもしろ助っ人枠などと揶揄されたが、二軍での調整後は打撃が開眼。
      セーフティバントを決めまくるわ、忘れた頃に長打が飛び出すわであれよあれよという間に長らく適任者がいなかった三番打者に定着していた。
      人気も高かったが、契約面等で折り合いがつかず自由契約に。
    • 鄭(13)
      投手。台湾出身の右投手。阪神から戦力外通告を受けた後、育成選手として横浜入りした。
      その後、2月26日に支配下登録された。
      オープン戦で先発し、6回2失点とまずまずの好投を見せたことから先発候補として名前が上がり、実際に何度か先発したものの尽く結果を残せず結局自由契約に。
    • コーコラン(13途)
      投手。先発不足からシーズン途中に獲得
      AS明けの対阪神戦3連戦で初勝利を挙げる(このカード阪神に3タテを食らわす)も、パッとせず1年限り
    • モスカテル(13~14)
      捕手。育成枠。
      世にも珍しい捕手として獲得した育成枠の外国人選手。公文式で子どもと一緒になりながら日本語を勉強中。
      だが結局14年限りで現役引退のお知らせが。お疲れ様でした。
  • 14年
    • モスコーソ(14~16)
      投手。右投げ。前評判が「フライボールピッチャー」という不安溢れる触れ込みだったが
      春先にツーシームを覚えてからはあれよあれよとローテ投手として1年間フルに活躍。
      長年待ち望んでいた当たり外国人先発投手となった。神宮でHRをかっ飛ばすパワーも魅力。
      2年契約を結んだ15年は春先は好調も、太ももの怪我で離脱。その後リリーフ転向失敗など迷走し、実力を発揮できず。
      16年も春先はローテで投げるも、その後は負けを続けて離脱。CSで先発に抜擢されたがこの年限り。通算17勝は球団外国人投手最多。
    • バルディリス(14~15)
      内野手。オリックスより獲得。当初より2年契約。
      春先は打線の軸として活躍も、その後足の怪我などから打撃不振。さらに走塁面に不安を抱える状態に。
      どうも2軍に落とせない契約があるらしい。筒香と仲良しで深夜に電話する仲。
      翌年も好不調の波が激しく、最終的には前年と似たような成績に。この年限り。
    • グリエル(14途~15途)
      内野手。シーズン途中、突如獲得が発表された現役キューバ代表選手。
      その打撃、守備などどれをとってもまさに異次元なレベル。見る者に驚きを与えた、まさにキューバの至宝。
      一方で長期離脱の怪我をしたり、飛行機嫌いで沖縄遠征を拒否したり、練習嫌いだったりと「王子様」な一面も。
      巨人も獲得を狙ったが、本人の希望もあり結局残留決定。タヌキクッションがお気に入り。
      と思ったら、15年4月来日予定も怪我(と自己申告)のため来日拒否。球団もあっさり契約解除として、2年目は幻に。
  • 15年
    • ロペス(15~20)
      内野手。巨人を首になったところを、ブランコの後釜の一塁手として獲得。巨人時代は横浜キラーだった。
      シーズンを通して5番打者として活躍。長打力もあり、安定した実力を発揮。
      何よりも一塁手として、その好守でしばしばチームを救った。
      16年は好不調の波は激しかったが、3番or5番打者として活躍。9月には月間12本塁打の大活躍で初のCS出場に貢献した。
      17年はさらに安定した活躍。筒香の後を打つ4番打者としてとして安定した活躍を見せて、打点王を獲得。
      18年は怪我や不調もあったがクリーンアップとして安定した数字を残した。
      19年は調子の波が激しく、打撃にも粗さを感じさせる部分は多くなったが、長打と守備でチームを支え続けた
      20年になると打撃も守備も衰えを見せ、スタメン落ちも多くなった。日米通算2000本安打を達成し、外国人枠からも外れたが(FA権取得)、退団となった。
    • エレラ(15~16)
      投手。右投げ。ハマのおしゃれ(中畑監督より、変化球がおしゃれだと評された事による)。
      右の中継ぎ投手として、当初はコントロールや不安定なセットポジションに悩むものの次第に実力を発揮。
      夏場以降は迫力あるストレートが冴え、セットアッパーとして活躍。特にハマスタでは強く、圧倒的な成績を残す。
      翌年も活躍が期待されたが、前年からの肩痛が春キャンプに再発し離脱。その後も肩痛の再発を繰り返し一軍登板なしで帰国。
    • ルルデス・グリエルJr(15)
      内野手。グリエルの弟。兄の契約更新時、一緒に2年契約で獲得。
      と、思ったら兄と一緒に謎の来日拒否。結局日本には一度も来ない、まさに幻の外国人選手に。
      2年契約だったので制限選手として名前は残っていたが、日本に来るはずもなかった。
    • ビロウ(15途)
      投手。右投げ。モスコーソの怪我があり、シーズン途中で獲得した投手。
      獲ったはいいが、ファームでの微妙なピッチングや登板予定日が雨に当たったりと一軍での出番はなかなか訪れず。
      ようやく訪れた初先発のヤクルト戦、1回1/3を5四球5失点KO。これが彼の残した成績の全てであった。
  • 16年
    • ロマック(16)
      三塁手・外野手。クリーンアップの一角の大砲候補として期待された。三塁守備は見切られ早々に外野コンバート。
      オープン戦でも活躍できず、シーズンに入っても開幕初打席に安打を打ったのが唯一の見せ場。あとはHRどころか凡打を繰り返す。
      内角の変化球ストライク球にのけ反る、打球が前に飛ぶだけで驚かれる、なぜか球場で大歓声、とすっかりネタ外人扱いに。
      二軍では活躍し一軍で幾度もチャンスを与えられるも打てないのは変わらず、年間HRはゼロ。真面目で練習熱心な選手だったが結果が伴わなかった。
    • ペトリック(16)
      投手。右投げ。当初は中継ぎで起用されるも打ち込まれて早々に二軍へ。
      その後、谷間の先発として一軍で起用されるとそこそこの活躍。ドーム球場では強く、特にナゴヤドームでは好相性。
      ゴロを打たせるピッチングスタイルで地味に活躍を見せたものの、この年限り。
    • ザガースキー(16途)
      投手。左投げ。前年は広島所属、シーズン開始直後に途中獲得。
      ストレートに球威があるのだが如何せんノーコン。簡単にツーアウトを取った後に四球を連発するなどの
      不安定なピッチングが多く、大事な場面では使いづらいピッチャーでもあった。
      野球選手に見えない丸々とした体格とその愛嬌で人気を集めた。好きな食べ物はハイチュウ。
    • エリアン(16途~17)
      内野手。両打ち。ロマックの期待外れと二三塁の層の薄さもありシーズン途中に獲得。
      来日当初はヒットが出ず、その後も好不調が激しく打率は上がらなかったが、試合を決める場面などでは活躍。
      なぜかヤクルトにめっぽう強かった。二塁守備も堅実で、翌年も契約も、目立った活躍は出来ず。
    • ブロードウェイ(16途)
      投手。右投げ。シーズン途中、それも夏場になってから獲得した中継ぎ投手。
      シーズン初登板の初球でいきなりバレンティンにHRを打たれるなど、いきなり1回5失点の大炎上デビュー。
      その後もパッとせず早々に二軍落ち。そのまま一軍で見ることは無く、結局名前のインパクトだけが残った。
  • 17年
    • ウィーランド(17~18)
      投手。途中離脱はあったものの先発ローテの一角として君臨。
      熱き闘志と『9番倉本』誕生のきっかけとなった主砲力を見せつけた。
      投手のシーズン3本塁打は野村弘樹以来だとか。
      翌年も活躍が期待されたが怪我もあり期待に応えられず。そんな中でもホームランは1本。
    • クライン(17)
      投手。オープン戦から制球難が顔をのぞかせ一抹の不安があったものの開幕ローテ入り。
      序盤から白星を挙げるも制球難と外国人枠の関係もあり中盤からは2軍暮らし。
    • パットン(17~20)
      投手。おヒゲが立派。速い直球とスライダーのキレでキャンプから開幕まで山崎康晃との守護神争いを展開。
      その山崎不調時には抑えも務めた。シーズンの大半を山崎に繋ぐセットアッパーとしてフル回転。
      18年もセットアッパーとして不動の活躍。リリーフ陣の柱として無くてはならない存在に。
      新たに2年契約を結んだ19年は不調。度々リリーフ失敗の上、夏場には降板後怒りのあまりにベンチの冷蔵庫を殴って骨折というネタまで提供。不本意な1年に。
      20年もセットアッパーとして起用。その一方でオープナーとして先発起用されるも大炎上(2回途中9失点)し、その起用法が議論の的になる。セリーグ最多の57試合に登板も、戦力構想からは外れてこの年限りに。
    • シリアコ(17)
      内野手。独立リーグで活躍していたところを格安で獲得。。
      保険的な意味合いでの獲得が強かったが、開幕まで埋まらなかったサードでのスタメンに抜擢されるも奮わず。
    • エスコバー(17途~)
      投手。シーズン途中、黒羽根との電撃トレードで加入。外国人1年目でのトレードは史上初(外国人選手のトレードでも29年ぶり)。
      力で押す投球を見せ、左のセットアッパー格を担った。実父はラミレス監督とかつての同僚。
      翌年も左中継ぎの柱として、150後半の直球と無類のタフさを発揮。
      19年もタフネスぶりは健在。中継ぎの柱として毎日のように登板、160キロ超えも。「オトコハダマッテナゲルダケ」という名言も。
      20年も引き続きフル回転。120試合制で56試合に登板。左のリリーフととして安定した成績を見せた。
  • 18年
    • ソト(18~)
      内外野手。テストを受けて入団。そこまで期待は高くなかったが、オープン戦で好調も開幕直前に怪我で出遅れ。
      5月に昇格後は好調不調を繰り返すも夏場以降に大爆発。8月以降で21本塁打の固め打ちでまさかのHR王に。 セカンド・ファースト・ライトを守れる便利さも魅力。
      翌年も春先絶不調からの大爆発。HRを量産し続け2年連続HRキング+打点王も獲得。でも守備はセカンド外野をたらい回し。
      20年も相変わらず長打力は見せたが、確実性は今ひとつ。外野よりは内野(一二塁)を守る機会が増えた。
  • バリオス(18~19)
    投手。元ソフトバンクで独立リーグから入団。好きな食べ物はカピバラ。
    外国人枠の関係から予備としての扱いだったが、谷間の先発として活躍。翌年も残留。
    19年はファームでも不調でほぼ忘れ去られていた存在だったが、シーズン終盤に先発。CSでも登板した(ただし炎上)。この年限り。
  • 19年
    • ソリス(19途)
      投手。左投げ。パットンの不調、登板過多だったエスコバーなど苦しかった中継ぎ補強として途中入団。
      夏場のエスコバー休養のタイミングで1軍で起用したが今一つ。その後ファームで待機と思われたが、いつの間にか怪我。秋の苦しい時期にはもう帰国していた。
    • コルデロ(19~)
      育成枠の投手。左投げ。入団前の2年間は出場記録がないという謎経歴が話題に。
      途中から独立リーグに派遣された。
  • 20年
    • オースティン(20~)
      外野手。MLBではメガプロスペクトとまで呼ばれた存在で、久しぶりの大物外国人として大きな期待を集めた。
      その豪快な長打力、そして何事にも全力のハッスルプレーでオープン戦・公式戦でも活躍を見せ、打線の中軸として活躍。
      しかしハッスルプレーは諸刃の刃ともなり、フェンスに激突し首を痛めるなど故障も多く出場はわずか65試合に留まった。
    • ピープルズ(20~)
      投手。右投げ。外国人枠の関係から予備の選手としての扱いだったが、谷間の先発投手として活躍。
      典型的な動く直球でゴロを打たせるピッチャー。目立った成績は残せなかったが残留。左腕の「武」のタトゥーは「武士道」への共感からとのこと。
    • デラロサ(20~)
      育成枠の内野手。ドミニカ共和国出身。
      キャンプの対外練習試合でHRを打ったりもしたが、シーズン途中からは独立リーグ神奈川へ派遣された。
    • ディアス(20~)
      育成枠の投手。左投げ。ベネズエラ出身。プロ経験無しという経歴。
      こちらもシーズン途中からは独立リーグ神奈川へ派遣された。

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最終更新:2021年04月20日 15:24