暗黒街。
概ねそんな風に考えられる場所。次元航行船の発着港を中心として栄える大都市の一区画。
さらにその周りを汚染するように、薄まりながらも確実に、そこは広がっている。
次元航行船発着港は正規の品だけを計算しても、かなりの金額を稼ぎ出す優良な資金源だ。
だがソコに裏の品物を含めればその金額は倍増するだろう。
もちろんソレを取り扱う者達には多くに利益を振りまく。暗黒街にして次元世界でも有数の繁華街。
綺麗や汚い、光や影では表現できないような混沌色の栄華と繁栄。彼女とその部下もそんな恩恵に預かっている一部だった。


「マダム、品が届いたそうです」

サイケデリックな色のライトが乱舞し、ステージではクスリでも極めているのか?異常なテンションで演奏するロックバンド。
ソレを肴にするか、見もしないで酒を楽しむかする、ショーバーの一等客席。
広いソファーを占有し、タバコを吸いながら酒を煽っているのは癖の強い金髪の女性。
身を包むのは着崩しているが高給なスーツ。手にはブランド物の時計、指には一目で高価とわかる指輪。
顔の半分を覆い尽くす火傷の跡が目を引き、中年と呼ばれる歳だろうが崩れぬ抜群のプロポーション。
背後から掛けられた声に残ったロックのウィスキーを一口で飲み干して振り返った。

「はぁん? 随分待たせてくれたじゃないかい」

「へい、トラブルがあったとかで…『ダン!』…」

空のグラスがテーブルを叩く音が部下の報告を遮り、女性は立ち上がった。
ビジネスの基本は契約遵守。もちろん其処には『納品期限』も含まれている。
ソレを破ったら契約違反、相手にも遵守を求める事は出来なくなると言う事。

「言い訳は要らない……『前金以外が入るとは思うな』って伝えときな」

「わかりやした……『検品』には行くんですかい?」

女性が立ち上がり、ドアの方へと歩き出せば、男も慌ててその後に続く。
検品とは文字通り届いた『商品』を確認する作業だ。表で言う大企業の社長 裏で言うマフィアの女ボスがやるような仕事ではない。
だが振り返った女性が実に楽しそうに、買い物に行くかのように、子供が遊びに行くような純粋な愉悦と……極彩の悦楽を湛えて答える。

「アンタ達みたいなヤボ野郎共じゃ、良い珠を見逃しちまうだろ?
ソレに……これは私の数少ない娯楽なんだ。文句を言うんじゃないよ」



「は~い、みんな元気かしら? 長旅お疲れ様ぁ」

この一帯を締めるマフィアの女ボス マダムは営倉に並べられた商品を眺めながら、呟いた。
マフィアと言えば裏の品の売買で富を築く。メジャーで金の入りが良い品ならば『ドラッグ』だろう。
だが彼女の組織、もっと言えば彼女の得意分野はソレではない。マダムが商品を見ているように、商品たちも彼女を見ている。

『子供』

それが到着した彼女の大事な商品だった。


管理局、魔法、魔道師を中心にした多次元世界において、子供は立派な労働力であり、就労が認められている……表向きは。
本当に必要とされているのは魔道師としての適性を持つ僅かだけ。それでもそんな事は受け取る側には伝わらない。
伝わらないようにしたのだから当然だ。『魔道師とソレ以外を区別する』なんて大きな声で発表できるわけが無い。

ここで『誤差』が生まれる。
供給側、子供やその親達は多くの人材が求められていると思う。
しかし需要側である社会が欲している子供は魔道師としての一握りだけ。
もし子供が低賃金でも雇えると言うのならば、特殊な能力を必要としない労働力としては優秀だろう。
だがそんな事はない。対面を保つ為に最低賃金は大人とそう大差ないモノに成っている。
故に雇う者も居ない。雇う者が居ないならば斡旋する者も居ない。だから子供達は職を得られない……やっぱり表向きは。

ここで出てくるのがマフィアだ。多次元世界を股に掛ける次元航行船を使い、非合法で子供たちの職業斡旋……と言う名の人身売買を行なう。
各世界のバイヤーが安く集めた人材を、マフィアが纏めて買い上げ供給する。もちろん物流の基本として様々な色をつけて。
買う側もただ同然で働かせられるならば、若干の出費など直ぐに回収できるだろう。
つまり雇う側と斡旋する側に双方利益が生まれるシステムだ。唯一にして最大の欠点は子供たちには徳など無いことだろう。


「一人隠れてやがりました!」

商品全員を確認し終えて、一息つこうとしていたマダムに部下が叫んだ。
乱雑に様々な物資が詰め込まれているから、隠れようは幾らでも存在する。大柄な男に文字通り引き摺られてくる小さな人影。
その様子を見てマダムは怒鳴る。

「もっと丁寧に扱いな! オマエの給料から差っ引くぞ、ゴラァ!!」

その一端からも彼女がマフィアのボスたる風格が滲む。対象となった部下だけではなく、子供達もビクリと体を震わせた。
『この人の歯向かってはいけない』
生物的な生存本能が経験など何も無い彼らにもそう告げている。

「へい!」

捕まえていた男が反射的に背筋を伸ばし、掴んだ手を離す。まるで抵抗無く床へと投げ出される小さな体。
どうやら気を失っているらしい。死んでいたらそれだけ儲けが減ってしまうな……そんな心配をしていたり。
珍しい紋様のフード付きローブからは桃色の髪が覗き、大事そうに抱えた大きなカバンがモソモソ動いている。

「ん?……まさか……」

ノッソリと出てきた影。それは……竜。





「ん……」

キャロ・ル・ルシエは眠りの中でその夢幻をよく見る。
それは村を追い出されてからの苦痛の記憶。蹂躙と呼ぶに相応しい悪魔の体験。
今まで知っていた全てが本当に価値の無いモノだと刷り込まれた時間。
差し出された善意は全てニセモノで、ボロクズのように弄ばれ続けた。
心は直ぐに死んでしまった。何事にも防衛本能として沈黙か謝罪をもって答える。
だからこそ別の次元に連れて行かれて、売り飛ばされる事も淡々と受け止められたのだ。
食事も喉を通らなくなり、他の子供達から離れて膝を抱えて過ごす。
唯一付いて来た永久の盟友、竜召喚士の半身、全ての元凶たる竜だけが旅の道連れ。
様々な要因が重なり意識が朦朧としていた時、何かに引っ張られて怒鳴り声が聴こえる。
グシャリと冷たい床へと身が滑り落ち、潰されてモゾモゾと暴れる相棒の感覚。
動く感覚が途絶えて響く鳴き声。『出たら危ないよ』注意の言葉も口から出ない。
そんな時に聴いた声。

「おや……いい子がいるじゃないか」


何かがキャロの額へと触れる。その感触は彼女にとって馴染みがあるもの。これは……唇の感触だ。

「私よりも寝てるとは良い度胸だね?」

一度聴いたら忘れられない……甘さと冷たさに痛さを交えた声。それが耳元で囁く。
声とソレが起こす風に背筋を駆け上がる寒気に覚えてキャロは一気に覚醒。

「ごっゴメンなさい、マダム!」

「謝るほかにすることがあるだろ?」

キャロの視界を埋め尽くすは整っているが、火傷が目立つマダムの顔。彼女の飼い主の顔。
距離の近さは横から抱き寄せるような体勢と言う事。ベッドの上で。
すぐさま彼女の不機嫌理由が、自分の寝坊ではないと理解して、直ぐにキャロは動いた。
朝の挨拶としてお返しのキス。狙うのは頬。もう随分慣れてしまった行為。

「よろしい」

満足げに頷いてマダムはキャロを離して立ち上がる。
大きな窓から降り注ぐ朝日に照らされるのは白のバスローブ、その上からも解る抜群のプロポーション。
立ち込める蒸気と湿った髪がシャワーなりを浴びてきたと言う事が解る。

「早く支度しな」

「はっはい!」

普通ならば背中を流させたりする主がソレをしないと言う事からも、今日は忙しい日だと言う事をキャロも理解。
慌てて立ち上がろうとするが腰に感じる違和感に首を傾げる。『何かしたっけ?』
キャロが冷静に、落ち着いて答えを自ら導き出す前、その様子を楽しそうに見ていたマダムが呟いた。

「昨日は積極的だったからね~」

「っ!?」

突きつけられた事実、瞬時に思い出す真実。『昨日も部屋に呼ばれて…それで…キャッ』
初めての時のような一日中塞ぎ込むようなリアクションは選択しないが、やはり女の子は女の子。
顔を赤く染めて恥ずかしそうにシーツの隙間から、上目遣いの視線を送るキャロ。
そんなカワイイ娘をしばらく堪能したいとも思うマダムだが……

「聞いてなかったのかい? 今日は忙しいんだよ」

マフィアは法には甘いが時間には厳しいのだ。

「すっすみません! すぐに支度を……」

マダムは思う。キャロは『怒られた』と感じたのか、僅かにビクリと震える様子。
実に可愛らしい。あ~本当に良いモノを拾った。でも自分も支度をしないと……もう少し虐めても文句は言われまい。

「その格好で行くかい?」

「……!!(ブンブン)」

高速で横に振られるキャロの首。あぁ~愛らしい。




私 キャロ・ル・ルシエはこの一帯を統べるマフィアのボス、マダムに……飼われている。
雇われているんじゃないのだ。お給料は貰っていないし。だから飼われていると表現するのが一番的確だろう。
寝床を用意してもらって、食事を用意してもらって、必要なものを用意してもらっている。
でも私はその代わりに二つの役目を負う。マダムの為に戦い、マダムに可愛がられる事だ。
この相反する二つを両立し、尚且つほぼ全ての権限を主に委ねている。こんな存在があるとすれば……飼い犬とかかな?
セキリティーの一角として番犬であり、癒しの一角として愛玩犬の二極が日常的に混同する存在。
間違いなく私は飼われているのだろう。


「急いで……でもキレイにしなきゃ」

守る事も可愛がられることも絶え間ない努力が必要だ。
震える腰を落ち着け一子纏わぬ姿で駆け込むのは、寝室から直通で行けるバスルーム。
キレイなタイル張りの室内は広く、大きなバスタブも存在するが朝は其方を使う事は無い。
シャワーの蛇口を捻り待つこと数秒、温かい水がしっかり出てきた事を確認して、ソレを頭から浴びる。

『毎朝シャワーを浴びれるなんて……こんなに贅沢して良いのかな~』

あの暗い路地裏を這い回っていた時には、嫌な事を一回くらいこなさなければ、シャワーなんて浴びれなかった。
それが今では毎日、朝と夜の二回もシャワーを浴びたり、お湯を張った湯船に入る事が出来る。
素晴らしい事だ。

「一個だけにしよう」

何時もは朝でも欠かさない二種類のトリートメント、今日は時間が無いから一つだけ。
乳白色で僅かに粘性を示すシャンプーを泡立てながら、斑無く丹念に髪を洗っていく。
ソレが終われば体へと移行。不思議な値段がする薔薇の香りの石鹸で……え? ずいぶん丁寧だって?
当たり前じゃないですか。だってマダムが私の頭を撫でた時、髪の毛がカサカサだったり、油でベトベトしていたらイヤでしょ?
体もそう、汚いのも汗臭いのも論外……「ソレはソレでアリ!」とか言ってたかな?
どうせならいい手触り、いい匂いを楽しんで欲しい。逆に言えば……頭を撫でてくれなくなったら、それは危険な事なんです。
抱き寄せてもらえなくなったら、夜のお誘いを受けなくなったら、側に居させてくれなくなったら……

「考えるだけだって……怖い」

初めてマダムと顔を合わせた時の事、その時に言われた言葉を良く覚えている。
目が覚めたら背中には冷たい床はなく、温かくて柔らかい布団があった。
村からずっと着てきたボロボロの衣装は、白くて清潔なバスローブに包まれていた。

『私のために力を振るい、私に愛されな。代わりに暖かい寝床と美味しい料理、キレイな服をくれてやる』

私は頷いた。何度も頷いた。その他に何が必要だろう? 
それを得るためになら何でもできると思った。何をしても良いと思ったんだ。
冷たい夜空の下、汚い路地裏でお腹を空かせ、自分以外の全てが恐ろしくて震えていた。
そこから逃れるためにするどんな事が『悪』だなんて言われるだろう?
構わない。悪だろうと何だろうと、私が欲しいんだ! 暖かい寝床と美味しい料理にキレイな服。そして……愛が。


念入りに、だが素早く洗い終えた体をジッと見てみる。

「胸……小さいな」

私の年齢からすれば当たり前なのかもしれないけど、凹凸の少ない上から下までストンとしている。
思い出すのはマダムの体。胸やお尻がそれはそれは女性らしい丸みを帯びていて、とても……女性の歳は言ったらダメ。

「大きい方が良いのかな」

でも大きい方が好きなら私を相手に選んだりしないや!と思い直し、シャワーを止めてバスタオルに手をやる。
夜は決して使わないドライヤーだけど、時間が無いから仕方が無い。髪が痛まないで欲しいものだ。
部屋に戻ればマダムの姿は無く、代わりに服が一式置いてあった。下着から始まりワイシャツ、黒いスカートタイプのスーツ上下。
それを着終わり、首に巻くのは首輪にも似た革のチョーカー。これは初めて買って貰ったものだから、思い入れが強い。
首に僅かに感じる皮の感触が気を引き締める効果があるのかもしれない。
おっと! 大事な仕事道具、金と銀のチェーンも忘れずに。コレで準備万端。姿見で確認したけど何処にも問題は無い。

「よし!」

扉越しに響く鳴き声。外では私が出てくるのを竜たちが待っている。
さぁ、行こう。





次元湾口の一角、人を運ぶ旅客船が到着する小奇麗な場所ではないその場所。
まず目に入ってくるのは色とりどりの大きなコンテナ郡。一方では船から下ろされ、もう一方ではトレーラーにより運びされていく。
プラスとマイナスが丁度いいバランスを示し、その印象的な光景が壊れる事は無い。
そんな中に入ってくるのは一目見て高そうだとわかる黒い車の一団。
全てのガラスがフルスモークという車達から、黒いスーツや派手なシャツを着たガラの悪い人たちがゾロゾロと下車。
そして最後の車の扉が開き、降りてくるのは……竜。小形な竜が、しかも二匹。
実にわかりやすいドラゴン体形―二本の脚、長い尻尾、大きな翼、鋭い牙が並ぶ口。
パッと見では見分けがつかないように形は似ているが、二匹はどちらも特徴的な色をしていた。
つまり……『金』と『銀』。

「キャルルル~」
「ギャン!」

転がるように飛び降りてきた二匹は辺りを見回し、匂いを嗅ぐように頭部を振る。
竜語で会話でも交えたのか? 何かを訴えるように揃って鳴いた。もちろん人間には解らないわけだが、ここには専門家が居る。

「クスッ! も~ルナとソルったら」

二匹の竜に続いて降りてきたのは、黒いスーツと桃色の髪のコントラストが生える少女 キャロ・ル・ルシエ。
半身にして力の象徴たる竜達 金のルナと銀のソルが呟き、余りにも的確で不謹慎なもの言いに思わず表情を緩めてしまう。


「おや? なんて言ってるんだぁい?」

「えっ! えっと……」

だがソレを聞かせるには余りに不適格な御人 飼い主たるマダムが反対のドアから車を降りて問うた。
彼女を筆頭とした一家のマフィア達が港湾区画を訪れる理由など「ビジネス」に決まっている。
自分が聞くだけならば何の問題も無い言葉もこの人たちに、この状況で聴かせるのはマズイ。
若干世渡りが上手くなった田舎娘は言葉を濁そうと視線を逸らそうとして……失敗。

「私の前で黙るなんて選択肢は無い……鳴きな」

キャロの顎をグイッと持ち上げら、マダムの見下ろす視線には若干の苛立ち。
その苛立ちが後々に自分へと降りかかる事を経験上から知っている少女の口は思った以上に軽いのだ。

「あの……『酷く臭い。人間の欲の匂いで鼻が取れそうだ』って……」

ピキリと空気が音を立てたのがキャロにはわかった。ボスの所有物である彼女に文句を言う者は部下には居ない。
だがそれでその人物が感じた思いと言うのは、雰囲気となって時には言葉よりもモノを言うのだ。


「クックック……ハッハッ~面白い事を言うねぇ」

しかしもっともキャロが機嫌を伺い、機嫌を取らなければならない相手は、何故か笑い声を上げていた。
懐からタバコを取り出して咥えると手近にいた銀の竜 ソルの鱗でマッチを擦って火をつける。

「でもそのお陰で餌が食えてるんだよぉ? お前らも、お前らのご主人様も」

「ギャギャッ!」
「キャウン」

『じゃあ仕方が無い』とでも言いたげに二匹の竜は背を向ける。そんな様子に部下達からも笑い声が上がる。
キャロも最初は心が痛かった。自分がご飯を食べる為のお金は、自分と同じ境遇の子供達が生み出す血の金。
でも直ぐに気がついた。だから……どうした?と


マダムが届けられた商品を自ら確認するのは何時もの事だ。
しかも今回は新しい取引先からの目玉商品 亜人が始めて送られてくるとかで、何時もよりも楽しそうだった。
マダムが楽しそうで嬉しそうだという事は、キャロにとってはプラスである。
機嫌が良いとディナーにケーキがついたりするし、ベッドの上でも優しくなるからだ。
取引もスムーズに済み、お互いが手に入れたモノを持って引き上げようとした時、ソレは来た。
響き渡るパトカーのサイレン、杖を構えた無数の魔道師。

「動くな! 児童売買の容疑で拘束する!!」

キャロはため息、最悪な日になっちゃった。





「おかしいね~警察は買収済みなんだけど……」

四方を敵勢力に囲まれても、タバコを吸いながらのマダムの言葉には余裕が感じられた。
警察を買収済みであり、時空管理局の一部とすらコネクションを有する事が、彼女の児童売買ビジネスの強みでもあった。
それが無効にされたのか? いや……取り囲みつつも不信感を拭えない顔をしている警官は多い。
つまり……警察上層部の決定ではないと予測できる。しかも世話になっている管理局要職とも繋がり無し。ならば……

「管理局……しかもここらの担当じゃないのかい? お嬢ちゃん」

周囲を包囲する大部分は警察官、それよりもだいぶ減って時限航行艦所属の武装隊、そしてイヤでも目立つ金髪の若い女性。
白いコートと規格とは異なる高級品であるインテリジェント・デバイス。
若いながらも指揮を取っている事から、法律に詳しく戦闘能力に長けたエリート 執務官であると推測できた。

「そうです。そちらのバイヤーを別の山で追ってきました。
越権行為かもしれませんけど、取引の現場を纏めて抑えれば良い」

「怖いもの知らずなお嬢ちゃんだ」


マダムはちょっとだけ反省した。幾ら珍しい亜人が手に入るとは言え、新規の相手との契約を急ぎ過ぎた、と。
もっと念入りに背後を洗えば、どの程度管理局に目を付けられているかも確認できるからだ。

「こちらの警察も協力してくれました。児童売買の先駆者として悪名は聞いています。 貴女の悪事も今日限りです!」

執務官の女性を筆頭に、武装隊や警官がデバイスを構える。
それに応戦する形でマフィアたちもデバイスを取り出すが、四方を囲まれた上で数でも劣る現状では勝ち目が薄い。
普通ならばそう考えるだろう。だがマダムを筆頭にしたマフィア達にはどこか自信が満ちていた。
誰もが知っているから。数など無意味な物にしてしまう最強の戦力の存在を。
幾度の抗争を容易く平らげてきた翼。趣味と実益を兼ねて磨き上げた牙。その名を……

「キャロ、腕は鈍ってないだろうね?」

「勿論です、マダム」

キャロは体や髪を美しく保つ為に手入れを怠らず、同時に『技術』も磨いてきたのだ。
村を追い出された原因たる余りにも過ぎた力、伝説に登場する金と銀の竜をも従える魔法の力。
恐ろしいまでの才能に、再び地獄のような生活に戻りたくはないという、恐怖に駆られて積み上げられた濃密な努力。
それらを更に高めるのは経験だ。容易く人が死ぬ裏社会でこそ身につけられる生と死の実感。ソレを嗅ぎ分ける嗅覚。

「セットアップ、ゲキリュウノツガイ」

さぁ、可愛がられる以外のお仕事の時間だ。





不意に溢れ出す金と銀の神聖な閃光。それが魔力光だと理解して、幾人かが攻撃を行なう前に響くのは祝詞。

「飛べ、駆けよ……竜王の系譜に連なる者 キャロ・ル・ルシエが求め、欲する!
金雌火竜ルナ! 銀雄火竜ソル! 竜魂召喚!!」

竜召喚士が何時も側に置いている竜は決して元が幼体な訳ではない。
『竜魂召喚』という単語からも解る通り、成体の竜から構成要素を魔術的に抜きだし、必要な時だけ戻す技術だ。
つまり何時もの小さな姿は偽りであり、この呪文を唱えた後にこそ、本当の存在が理解できる。
その様は正しく……圧巻である。

美しい鱗は美しい甲殻になり、小さな羽根は巨大な翼へ。珍しいペットは、上位捕食者へ。
神話の時代より語り継がれる暴力の象徴、王権の裏づけ、自然の化身……『竜種』
先程まで人間を見上げていた目には『獲物』を見下ろす興奮が燃えている。
バシリバシリと興奮気味に地面を叩き、大きな翼や頭とバランスをとる尻尾も二つ。
金と銀の堅牢にして優美な鎧は月の光と安っぽい照明の下でも輝きを失わない。
呆然と見つめていた者たちが、自分達の置かれている状況を理解する前、竜達が咆哮する。
一体でも凄腕の狩人が耳を塞いでしまう音なのだ。二匹があわせれば間違いなく爆音。


「「■■■■■■■■■■■■■■■!!」」


周囲の誰もが反射的に耳を塞いだ。それは正しい反射行動だろう。塞がなければ鼓膜が破れかねない。
だが正しい反射がもっとも正しい行動とは限らない。耳を塞ぐというアクションは、毛一つのするべき事を遅らせる。
つまり魔法の発動、戦闘開始の合図にして自分達の身を守り、目標を拘束する術が行われない。

「■■■■■■■」
「□□□□□□□」

その好きにルナとソルは動く。彼らの故郷でも良く行われる連携技。咆哮による足止めからの攻撃。
金火竜 ルナが走り出す。銀火竜 ソルが翼を広げて飛んだ。これは二匹の生態的に取られるアクション。
この二匹は同種であるが雌雄で行動や構造に特徴があり、別に名前で区別される。
ルナの呼び名はリオレイア、陸上での行動に特化した形態を示す陸の女王。
ソルの呼び名はリオレウス、飛行での行動に特化した形態を示す空の王者。
この二匹がペアとなり産卵・子育てを行う。雌のリオレイアは地上での狩り、雄のリオレウスは空から外的の排除と役割が分担される。
いま彼らが守る者は子供ではない。たった一人のご主人様。

「ルナ! ソル!」

そちらを見るまでも無い。竜の番は子供にも勝る愛情を注ぐ主の声に内心で頷く。
竜と竜召喚士は常にリンクしているのだから。故に言わんとしている事も良くわかる。
キャロはこう思っているのだ。色々と建前はあると思うが、心の底では憎しみをたぎらせて……『皆殺しだ』と。
それに答えようじゃないか。




ルナの動きは実に単純だ。巨体を生かした突進。

「うてぇ!!」

それに答えるのは警官や武装隊の魔道師が放つ射撃魔法。放たれた閃光が金色の甲殻に着弾、無数の衝撃と焦げ目が生まれる。
しかし残念な事にそれだけだ。突進の足は止まらない。最後は滑るように身を投げ出し、巨体が地面を削りその上にあった全てへ大衝撃。
盾にしていたパトカーが横転し、人間が跳ね飛ばされた。ルナはすぐに起き上がり、手近にいた魔道師の頭を一噛み。

「ヒィィ!?」

ボトリと落ちた首無しの仲間に、悲鳴を上げない者など僅かだろう。直ぐに彼らが反撃を放てるかと言えば、答えは否だ。
包囲する大部分はこの街で育った警官だ。彼らの仕事は人の相手。
決して伝説の竜種が自分達に突進してきて、同僚の頭を食いつぶすような事態には慣れていない。
彼らの選択は逃げ。別にその場からの逃亡でなくても良い。一瞬でも身を引く動作。それだけで大きな隙となる。
陸を統べる王女は伴侶と比べて、脚力が発達し甲殻が肥大。さらに尻尾や背中に毒針を有するのが大きな特徴。
それを最大限に生かす行動、脚力と翼の羽ばたきに裏打ちされた宙返り サマーソルト。
もちろん毒針が満載された尻尾も、ソレに引っ張られて宙を舞う。
引き込まれた空気に乗る形で、本当は射程に居なかった人にも凶器が届いた。

「□■□」

酷い音だった。物理的な威力と毒。直撃された数人が宙を舞い、猛毒に瞬く間に蝕まれていく。


ドラゴンは空を飛ぶ。もちろん魔道師、特に武装隊所属の者も空戦の資格を有する。
だがその二者の飛行には大きな隔たりがあった。魔道師の飛行は『技術』であるのに対し、ドラゴンの飛行は『本能』だということ。

「何て早さだ、化け物め!」

空を飛ばれる事は空を飛べない者にとって大きな障害となりうる。故に数少ない空戦魔道師は慌てて空へと上がるのだ
直ぐにでも銀の竜 ソルを叩き落す為に。しかし飛んでみて思い知らされた。桁の違いを。
決して飛行の速度で負けていると言う事は無い。ただ空中での複雑な戦闘軌道において、当たり前に飛ぶモノは違う。
羽ばたき、身を捻る事による有機的な軌道は、どれだけ飛ぶ鳥を落とすのが難しいかを説明している。
そんな事を考えていた彼の視界、無色の風が流れる視界の中から、フッと銀色の巨体が消えた。

「くっ!? どこに……」

視覚的にそう認識して、武装局員は辺りを見渡す。若干遅れて背中に感じる強力な風圧。
それが意味するところは? 理解したくは無いが、背筋に駆け上がる圧倒的な死の気配。
距離を落とすとか、振り向いて反撃するなどの手段があるにはあるのだが「グシャ」……他人行儀に聴いたその音。
あぁ、何の音だろう? まさか自分が握りつぶされた音だなんてえぇ?

「グシャリ」

死を実感する間も与えない。飛行する獲物の背後に回り、鋭い爪で一撃を加える。
ルナと比べてソルは毒針や分厚い甲殻、強靭な脚力は無い。甲殻を薄くする事で空気抵抗を減らし、空中戦に特化。
毒針の変わりに爪が毒をもち、空中からの奇襲でかすり傷さえ付けられれば良い。
唯の竜種ですら人が飛びながら戦うのは難しい相手だと言うのに、飛行に特化したリオレウスでは相手が更に悪い。
彼らとの戦闘に馴れた者 ハンター達ならばこう思うだろう。『空まで追いかけていったのが間違い。降りてくるまで気長に待て』と。
空で王者に勝てる理由など無いのだから。


ルナとソル リオレイアとリオレウスには、似ているようで異なる特徴が幾つも存在する。
だが同じような能力も持っているのだ。「飛行」や「頑強な体」に並ぶ竜の代表的な特徴。

「しっかりしろ! 包囲網を緩めるな!!」

ようやく圧倒的な敵の攻撃、それが生み出す混乱から立ち直り、警官達が包囲の陣形を組み直そうとした時。
混乱が収拾され、組織的な反撃が予測されるだろう一歩手前、絶妙なタイミング。
ルナは地上で、ソルは滞空しながら……口を開いた。『コォオオ』と空気が音を立てて、凶暴なアギトの奥へと収まる。
その現象の意味を理解して、名も知れぬ誰かが反射的に叫ぶ。

「ブレスだ!!」


そう、ドラゴンの三大特徴の一つ。炎だったり、水だったり、熱線だったり、毒だったりとソレには種類は多い。
だが往々にして生物が口から吐き出すには、相応しくない威力を秘めた攻撃手段。
何よりも防御や回避が必要だと言う事は、先程の数瞬の暴力だけで警官や武装隊もよく解っている。
故に障壁魔法の展開が急務なのだが、非常に残念な事がある。それは余りにも遅すぎた。
これは飛行にも言える事だが、技術としての魔法と生理的な反応に過ぎないブレスでは、発現までの早さが違う。
母国語を話すのと外国語を話すの、歩く事と泳ぐ事。どちらが自然で、簡単な事か?
答えは母国語であり、歩くことであり……ブレスの方だ。

地上から、空中から四方へと巻き散らされるのは炎。二匹の口内から吐き出されるのは、質量すら感じさせる炎弾。
着弾と同時に炎の形は崩れ、周りの空気を喰らいながら急激に燃焼する。つまり起こるのは爆発。
純魔力とは異なる熱や衝撃は魔法で再現するのは難しく、故に防御も簡単ではないのだから堪らない。
完全に防ぎきれた者は僅か、しかもここには人間以外に炎が当たってはマズイ物がある。それはパトカー。可燃性の燃料で走る古い型なのが災いした。衝撃で燃料が漏れ出し、熱に引火、誘爆。
連鎖する爆発音。次々と飲み込まれていく人影。既に闘争の現場ではない。要るのは物言わぬ屍と戦意を失って呻く敗残兵のみ。


「ほぉ……派手にやったねぇ?」

だがそんな惨状の中心にあって、マダムを筆頭としたマフィア陣には被害は殆ど無い。
何せ彼らはキャロと竜たちが取りうる戦いを理解していたのだから。先に内容が解っていれば、適した防御を瞬時に構築する事は難しくない。

「あの……殺り過ぎましたか?」

不安そうに惨劇の主 キャロはマダムへと上目遣いの視線を向ける。
彼女が身を包むのは昔話の神官が身につける法衣に似たバリアジャケット。
銀に金の刺繍と言う派手なカラーの選択、首と両の手を飾る黒革のベルトが際立っていた。

「なぁに……契約も守れない警察や管理局どもには良い薬さね。野郎ども! 引き上げるよ」

目の前の惨状など大した事ではない。むしろ良くやったと、マダムはキャロの頭を撫でる。
念入りに手入れをされた桃色の髪はサラサラで、抜群の手触り。ソレが最悪だったマダムの機嫌を更に持ち直させる。
そんな様子を敏感に感じ取ったのか、キャロも嬉しそうな笑顔を浮かべた。
このために生きてきたと実感する。このための力なのだと確信する。


『おぉ……金と銀の竜の番ぃ』
『何という事だ』
『まさか竜王の系譜が降誕するなどぉ』
『余りにも大きな力は災いと争いしか生まない』
『お前を村に置いて置くわけにはいかんのだ』

キャロは村を追い出されるときに聞いた会話を思い出し……




「はぁん」

鼻で笑う。
本当に下らない。何が過ぎた力だ。この力が無ければ私 キャロ・ル・ルシエは生きていられなかった。
放り出された世界は余りにも冷酷で、力が無い子供はそれこそ安い商品に過ぎない。
マダムにお付き合いして、商品の子供を見るたびに若干の寒気と……莫大な優越感すら覚える。
何が竜王の系譜だ! 二匹の火竜を従える事で、抗争の矢面に立って敵を踏み潰すことで、やっとこの生活が出来るのだ。
さぁ……帰ろう。一応殿を守るのが私の仕事。もう周りには戦えそうな人なんて……

「なんでこんな……」

え? まだ動ける人が居た。怪我をした仲間を必至に治療している。
見たところ大きな怪我は無い。あぁ……そう言えばマダムと話をしていた執務官だ。
ふとルナから流れ込んでくるイメージ。繋がっているからこそ解る映像と意思。
『コイツには翼の爪を飛ばされたわ。殺して良いかしら?』
へぇ~強いんだ……じゃなきゃ無傷じゃいられないか。でも戦う気は無いみたい。
なら無理をして戦う必要は無いだろう。私の仕事はマダムを守る事。もうその目標は達せられた。
でも……目が気に喰わない。

「なんで? 生きて……幸せになるためですよ」

『可哀想に』とか思っているのだろうか? 

「でも! こんな方法じゃ……」

やっぱりそうだった。
子供が犯罪に手を貸した場合…その判断力と状況によって…保護観察などの処置が……
とか言っている。

「止めてください! これは私の意思です。生きて幸せになる為に!!」

「でも! こんなの間違ってるよ!」

「じゃあ……何が正しいんですか!?」

他の方法など無かった。
あの時差し出された手が血みどろで、子供を糧にして生きている事も知っていた。
でも暖かかったんだ。食事も美味しかったし、キレイな服もくれた。
マダムはマフィアだし、私はその飼い犬。犯罪者と呼ばれるのかもしれない……けど!

「何もしてくれなかった人間に! 文句なんて言わせない!!」

何が管理局だ。何が執務官だ。何が正義だ。そんな事は子供の私には解らない。
自分が正しいとは思わない。汚い生き方だって認めよう。でも……否定はさせない。
もし……この幸せを否定していい人が居るとしたら、それは幸せに正義を歌う人なんかじゃない。
それは……『最後まで正義を信じて、人に迷惑をかけてはいけないって考えて、死んでしまった人』だけだ。


「行こう……ルナ、ソル」

『あら? お返しはしなくて良いの?』
『大人しい事で……』

キャロは女性執務官に背を向けた。首を傾げる半身たちには苦笑を返す。
既に戦う気が無いのは解っている。もしやろうとするなら……辺りで呻き声を上げる怪我人全てが人質だ。
戦うという選択肢が在るはずが無い。だってこの人は優しいから……

「私は幸せだから……否定なんてする必要無いもん」

でもちょっとだけ、キャロ・ル・ルシエは考える。
もしこの人にもっと早く出会っていたら……この人に手を差し伸べてもらえていたら……
今の自分が成した結果を見て『なんて酷い事を!』とか『どうして!?』とか言っている気がするんだ。

「それはそれで……幸せなんだろうな」




おまけのお話


「随分長いこと……お話してたねぇ?」

止めてあった車は幸い無事だったし、ちゃんと待っていてくれた。
けどキャロにはソレを喜ぶ余裕は無い。だって物凄く不機嫌そうにタバコを吸うご主人様が居たからだ。

「えっと……」

「誘惑に負けそうになったかい?」

「そんな事ありません!!」

その言葉に対する答えは、キャロにとって否定以外ありえない。
ちょっとだけ、普通の幸せが羨ましく思えたとしても……そんな事をマダムに気付かれてはいけない。
もしソレで機嫌が悪くなったら……仕事をしたのにご飯を抜かれたりしたら……今日は外で寝な!とか言われたら……

「まぁ、良いさ……どうせアンタを逃がしてやるつもりは無いんだからね」

けど感じたのは抱き寄せられる感覚。それだけで、スーツ越しに伝わる温もりにキャロは安堵する。
ただ暖かさを感じる事すら、あの生活では不可能だったのだから。

「今日は何時もより更に良い飯を食わせて、ゆっくり風呂にも入れてやろう。ご褒美だ」

「はい!」

「でも……誰がご主人様かぁ~忘れないようにきっちり躾けてやるからね。覚悟しな」

「……はぁい」

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最終更新:2008年09月08日 19:55