148 :名無しさん@ピンキー:2009/07/06(月) 22:28:24 ID:5S5+KJNt
 エレベーターに閉じ込められてしまった午後。
「あーもうっ、エスカレーターに乗れば良かった」
 システムそのものが壊れているのか、非常通報装置も作動しない。
「すぐ近くにあったのに。ちょっと足を運ぶのよ? それだけで、こんなことにはならなかったのに」
 偶然事に巻き込まれてしまった大学生――隅末聖の目の前で、女性が喋繰っている。
「運が悪いわ。そう、本当に運が悪い。君もそう思うでしょ?」
 天然癖のある長髪。やや度のきつそうな眼鏡の下には、雀斑。
 体にはゆったりとしたドレスを着、肩には様々な画材の入ったバッグをかけている。
 どこか、古典的な少女漫画の登場人物を思わせる。
「この上の階で、杖津宮良策先生のサイン会があるってのに、何でこうなるの? 不幸よ。こんな所に知らない人と二人だけで閉じ込められるなんて」
「すいません」
「あ、ごめんね。君のせいじゃないの、うん。ただ理不尽よね。君は何とも思わない?」
「僕も、ちょっと困ります」
 ぼそぼそと小さな声で呟く聖。
「よね? そうでしょ。そう、それも管理センターに通じないなんてメンテナンス不全よ。こういう場合どこを訴えてやるのがベストかしら」
 一人ヒートアップしっ放しの女性を、聖はおどおどと見つめている。
「こうしてボタンを何度も押す――誰か! 聞こえる!? ――ダメ。都会の牢獄ね。ドアは開かないしどうしろってのよ」
「待つしか…」
「そうね、待つしかない。でもこの不満は何処に捌ければ良いのかしら? 今、私は何か言わないと気が済まないの」
 女性の外見は聖と同じく大学生、といったところか。しかしやけに口数が多い。
「ねえ君、何か持ってない?」
 女性が顔だけ向けて、訊いた。
「何か…って?」
「例えばここを抉じ開ける工具とか、外部への連絡手段――そう、携帯電話! 持ってない?」
 そう言って期待の眼差しで聖を見る。どうやら、本人は携帯を所持していないようだ。
 聖は首を横に振る。
「嘘、持ってないんだ? まあ、私もだけどね。何でか知らないけど嫌いなの、課金で縛られる感じが。君もそう?」
「僕は…えと…」
「あーそれよりも、他に何かない? 何か役に立ちそうなものっ」
 答に窮していると置いていかれた聖であった。

 ガタン!
「きゃあっ!?」
 女性が悲鳴をあげ、尻餅を突く。
「あ、だ…大丈夫ですか?」
「な、何なのいきなり。落ちるの? まさか落ちたりなんかしないわよね。そんな不幸があってたまるものですか」
 相変わらず舌が休まることを知らない。
「ここは六階と七階の間。落ちたら一たまりもないじゃない。どうしよう、私死ぬの?」
「僕に訊かれても」
「もうっ、冗談じゃないわ。何でも良いから、早く出すのっ!」
 聖は慌てて自分の持つ紙袋を開けて見た。
「お酒…だけです」
「ちょっと見せて……うわ、ビールがこんなにたくさん。何で? 君酒飲み?」
「先輩に頼まれて…」
 情けない表情で俯く聖。
「あーこれってパシリね。そう、よくあること。で、十階の百円均一でおつまみを揃えて帰るつもりだったのね。そうでしょ?」
 本当に分かっているのか疑問である。
「もう、少しはシャキっとしなさいよ。だからパシリなんかに使われるんじゃない。サークルは?」
「…漫画です」
「近い、私は絵画。多分ここに来るってことは柱木大でしょ? あ、君名前は? 私は黒荻奈由華」
「隅末聖です」
「聞いたことないわね。今度会えたら…ってそんな場合じゃないわ。どうしよう、落ちたら死んじゃうわよ?」
 そんなことを言われても、この状況でどうにか出来る人間はまずいない。
「地面にぶつかる瞬間にジャンプすれば衝撃は防げるって言うわね。けど、そんなタイミング分かりっこないし」
「そんなことしたら天井に頭ぶつけるんじゃ」
 微妙なやり取り。
「…そういうコメントが欲しい訳じゃないのよ。ほらもっと、落ちる訳ない――とか、すぐに救出される――みたいな励ましの言葉が出ないの?」
 しかし外見からして気弱な男子:聖にそれを求めるのは酷である。

149 :名無しさん@ピンキー:2009/07/06(月) 22:33:51 ID:5S5+KJNt
「……」
「やめてよそんな深刻な顔して。私まで気持ちに余裕がなくなるじゃないのよ。って、ちょっと。何泣いてるのよ」
「…ご、ごめ…ん…」
 しかし聖も聖でやや極端な性格である。
「あー私は今日とんでもなくツイてないわ。大凶よ……ねえ、ほら元気出して。ごめんね、強く言い過ぎたわ謝る――って、ああもうっ!!」
「!?」
 ビクッ、と聖が顔を上げると、目の前で奈由華が紙袋を持ち上げていた。
「こうなったらヤケよ。ビール開けましょ。君飲めるでしょ?」
「でも、そんなことしたら中に篭る…」
「一々うるさいわね。ほら、君も飲みなさいっ」
 そう言って差し出す。
「ううっ、でも僕、お酒嫌いなんで…」
「この際関係ないわ。酔っ払って忘れてしまえば良いのよ」
 大胆な女性もいたものである。
 聖は無理矢理に、ビールを飲み干す。奈由華もまた痛快に一缶を空にする。
「…好きなんですか?」
「本当は寝る前にしか飲まないわよ。簡単に酔っ払っちゃうし…ああっ」
「大丈夫ですか?」
「って、君は次のに手を付けるの? はあ、そんなに思いつめてるなら私だって付き合わないとね」
 そう言って、お互いにもう一缶。
「う、ちょっと…私がこれ飲んでいる間に更にまた? 嫌いなんじゃなかったの?」
「ヤケです」
「目が据わってるけど大丈夫? 顔色が……」
 聖の顔つきが明らかに変わった。奈由華は本能的に身の危険を感じる。
「奈由華さん……」
「――!」
 ばたっ。
 聖の体が、奈由華の膝元に倒れかかってきた。
「あ、ちょっと。くっ付くのはダメ…って、もう酔いが回っちゃったの? 顔が、ああ……」
 奈由華もまたぼんやりとしてくる。が、気力で聖の体を起こす。
「はい、もたれるなら壁に。私もそろそろダメになるかもしれない。願わくば、落ちても痛みを感じませんように……」
 気が抜けた瞬間、突然脱力状態だった相手の体が、逆に奈由華を押し倒してきた。
 がばっ。
「ひゃああっ!? な、何? どうして抱きつかれるのっ? ちょっ、離し…酒、匂いが…う、んっ――!」
 真上から、唇が被せられる。そして、当然のように舌を挿し込まれる。
「んっ!? んう――っく…!」
 奈由華は抵抗しようとするが、体に上手く力が入らない。

「――ぷはっ、はふ…な、何するのよ馬鹿! 初対面にこんなことするなんて、獣だわ! 最悪よ、これって最悪っ! ああっ…」
 頭を抱えた。が、理性は半分酒によって混沌としている。
「奈由華さん…嫌…ですか?」
 今にもくっ付きそうなほどの近さで、聖は懇願するような眼差しを奈由華に向けている。
「…そ、そんな目で私を見ないでよ。いくらこんな場所だからって…」
 しかし酒に酔って性格が変わったのか、聖の押しは強い。
 躊躇している相手に対し、段々と体に寄りかかっていく。
 手を伸ばし、怯えるような素振の奈由華から、そっと眼鏡を外す。
『可愛い……』
 突拍子もなく同じ台詞が両者の口から飛び出す。
「…な、何よ。何か、前がよく…見えない」
「奈由華さ、ん……」
 ぱたっ。
 聖は奈由華の体に覆い被さるようにして、倒れた。
「――?」
 てっきりこのまま――と思っていた奈由華だったが、聖はそのまま動かない。
「まさか……寝た?」
「……」
「……私も寝よう」

150 :名無しさん@ピンキー:2009/07/06(月) 22:35:53 ID:5S5+KJNt
 救助された二人は、仲良くぐっすりと眠っていたところを発見されたという。
「んー……」
「あ、奈由華さん…ごめんなさい!」
「――誰だっけ? 何か、よく思い出せない……」
 とりあえず、膝元の眼鏡を取って顔にかける。
「……あ、隅末くん…だっけ? 助かったの私?」
「はい」
「…そう。良かったけど、何か文句言う気力もなくなっちゃった」
 そう言って、奈由華は溜息をつく。
「サイン会、残念でしたね」
「忘れてたわ。あーあもう、酷い一日ね」

 足取りが不安定な状態の奈由華を、聖は手を取って歩く。
「奈由華さん、お酒飲んでからの記憶…ないんですか?」
「…何? 初対面でいきなり私のこと、下の名前で呼ぶ? まあ良いけどね。うん、覚えてない」
 聖は胸を撫で下ろすように息をついた。
「もしかして君、変なことしたりしてないでしょうね?」
「……ごめんなさい」
「むー、頭が痛い。嘘くらいつきなさいよもう。で、責任は取ってくれるの?」
「え? あの…ちが…」
「シャキっとしなさいってば。…もういい。代わりにそこのベンチでしばらく寝かせてもらうから、膝貸してよね」

 ベンチに横になり、すやすやと眠る奈由華。
「どうしてこんなことに……」
 はっきり記憶が残っている聖は、そんなことを呟く。
 だが、二人の光景はとても絵になっていた。
「……」
 まだ酔いが冷め切れずにいるのか、顔をぼうっと赤くした聖。
 仰向けになって小さく寝息を立てる奈由華の髪を、そっと掬う。柔らかい。
 そして眼鏡をかけていない顔が、可愛かった。
 もうしばらく二人っきりでいられることに、聖は感謝した。


強制終了

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最終更新:2009年07月07日 10:50