651 名前: 華舞 [sage] 投稿日: 2008/03/10(月) 02:18:24 ID:G8z8vwqX
「先輩、この本はどこに並べますか」
「分類番号は何番かしら? 背表紙の下にステッカーを貼ってあるでしょう?
ジャンル毎に番号を割りふってあるから、本棚と参照して並べていってね」
「へー、今まで気にしたことなかったですよ」
「大島君も図書委員なんだから、少しずつ覚えてね」
「はい。ずっとサボってすみませんでした」
 肩をすくめる僕に、くすっと微笑んでみせる仕草は、年上なのに可愛いと思わずにはいられない。
「たまに全然違う番号が振ってることもあるけれどね。打つのは人手だからきっとうっかり間違えちゃうのよね」
 言いながら手にした本を差していくたびに、胸の位置で切りそろえたストレートの黒髪が袖を流れる。
さらさらと音がしているように錯覚する。すぐ傍なら、聞こえるかも知れない……
 僕がそんなことを考えてどきどきしているなど露知らず、滝先輩は慣れた手つきで整理していく。
 ありきたりだけど、清楚なお嬢様の形容がぴったりとはまる。先輩の家は旧家で、本物のお嬢様らしい。
 烏の濡れ葉色のような艶やかな黒髪も、整えられた爪先も、化粧っ気はないのにほんのり色づいた頬も、
カモシカのようにすらりと伸びた悩ましい脚も、触れてはいけないガラスケースの中の存在だ。

「ほら、この本なんてまるで合ってないの、……あら、これ私が打ったんだったわ」
 自分の周囲への印象なんてまるで気にせずに、ひょいひょいと天然な顔を見せるのがまた魅力的で、
好意を寄せる男は学年問わず当然多かったけれど、皆牽制し合って前に進めず、
たまに特攻すればかわされる有様だった。
 後輩の身分からすれば狙うなど大げさで、運良く同じ図書委員に決まったときは、
一ヶ月分の運を使ったと思った。
 そして今日、図書倉庫での整理を司書の先生から言い渡されて、げんなりしつつもやって来ると、
『あら、お手伝いは大島君? よろしくね』
 初めて僕だけに向けられた屈託のない柔らかな笑みに、卒業までの運を使い果たしたと確信したのだった。

652 名前: 華舞 [sage] 投稿日: 2008/03/10(月) 02:20:26 ID:G8z8vwqX
「ん……、一番上の段なのだけど、私は届かないし、……大島君も、ダメみたいね」
「……椅子か脚立を借りてきます」
 僕は2年になっても、まだ160センチを越えない身丈を今ほど後悔したことはない。
 颯爽と手を伸ばして余裕で本をしまう格好いい自分。
『ありがとう。やっぱり背の高い男の子は素敵ね』
『これくらい当たり前です。何なりと言って下さい』
 きらりと光る口元。頬を染める先輩。
「――君、大島君?」
「……はっはいっ。すみません! すぐ行ってきます」
 しまった。つい妄想に走ってしまった。ごまかすために顔を引き締めて、深々と頭を下げる。
「いいのよ。そんな手間かけちゃ申し訳ないわ。ちょっと抱えてくれるかしら、私を」
「…………抱える……、かか、え……?」
 とっさに言われて頭が付いてかなくて想像できない。えーと、僕が先輩を、抱える?
「私の腰あたりを持って、……こう、持ち上げてみてくれる?」
 大きな何かにつかまる真似をして両手を上下に動かすと、じゃあお願いと本を抱えて棚の前に立つ。
 持ち上げるということは、触らなくては駄目ということで、触るということは今ここには
僕と先輩しかいない訳で、僕が先輩に触るということになる訳で……
 え、……ええ? ……えええええっ!!

「大島君?早くして、ね」
 パニックになる僕を、先輩は何の疑問も抱かずに急かしてくる。
 そう言われても…………でも、ここで僕が狼狽えたままなら先輩も変に思う。
 文字通り意識されていないってことだけど、初めから妙な期待をしてしまった僕が悪いんだ。
 今、僕は図書委員として、先輩の手伝いをしなければいけないんだ。
 自分に言い聞かせ言い聞かせ、先輩の後ろに回る。
653 名前: 華舞 [sage] 投稿日: 2008/03/10(月) 02:22:15 ID:G8z8vwqX
「失礼します」
 すれすれまで近寄ると先輩の髪から石鹸の匂いがして、それだけで目眩がして倒れそうだ。
 しかも自分の方がちょっぴり背が低いことが解ってしまって軽く鬱になる。
「重いだろうけど、ごめんなさいね」
「い、いいえ、そんなことありません!」
「転ばないように気をつけて、しっかり持って一気に上げてね」
 勝手なことを考えている僕を心配してくれる。しっかりしろ。
 少ししゃがんで、震える腕をそっと先輩の腰に回す。後ろ向きで良かったと本当に思う。
心臓は破裂するくらい早く打っていて、顔も火を噴きそうに熱くなっている。
「いきますっ!」
 覚悟を決めて抱きつき、力をこめて一息に持ち上げた。


「もう少し右ね、……はい。うん、そこよ」
 多分十秒もかからなかったと思う。それでも僕には一分にも二分にも長く感じられた一瞬だった。
 先輩の体が僕に密着する。スカート越しの腰は細いのに当たってしまうお尻は柔らかくて、
薄い夏服のブラウスからもいい匂いがして、背中からでも先輩の鼓動が聞こえそうで温かくて、
頬に当たる黒髪は想像通りさらさらのつるつるで気持ちよくて、ああ、女の子の体って……
――――駄目だ駄目だ考えちゃ駄目だ。息を止めて目をつぶって、何も感じない、何も見えない……
 頭の中にもう一つ心臓が出来たかと思うくらい目の奥が熱くてがんがんして、必死に足を踏ん張った。
「ありがとう。下ろしてくれる?」
 先輩の声が聞こえて、ふっと力が抜けた。
 途端に――

「きゃっ――?!」
 するりと手が滑って慌てて掴み直すと、もにゅっとした柔らかなものを握り締めた。
「いやっ!」
 先輩が真っ赤になって振り向く。今のは、お、お、おっぱい?! 僕は何てことをっっ!
 焦りまくって脚がもつれたらしい。目の前がぐらりと揺れて、先輩を抱きかかえたまま
僕は後ろ向きに転んだ。一瞬星空が見えた。

654 名前: 華舞 [sage] 投稿日: 2008/03/10(月) 02:24:05 ID:G8z8vwqX
「大島君? おおしま、くん? 大丈夫?」
 すぐ目の前で、キスしそうな程近くで先輩が僕を覗き込んでいる。
「はっ、はいぃぃぃっ!!」
 びっくりして飛び起きると一緒に先輩も起き上がる。
 そこでやっと、ずっと先輩を抱き締めていたのに気が付いて手を離した。
「すみません! すみません!」
 とにかく平謝りする。謝ったくらいじゃすまないけれど、ひたすら謝る。土下座する。
「いいのよ。わざとじゃないんだから、ね。気にしていないから、大島君も気にしないで」
 さすがに頬を赤くして、でもここで本の整理を始めた時と変わらない優しい微笑みで、
先輩は僕の肩に手を置いた。

「倒れる時も私をかばってくれたでしょう? やっぱり男の子なのね、ありがとう」
「そんなことはないと、思います。僕は緊張してしまって、何も考えられなかったんです。
先輩は普通なのに、僕が変に意識してしまって……本当にすみません!」
「正直なのね、大島君。元はと言えば上にあがる物を探さずに用を済まそうとした私が悪いんだから。
ふふ……実はとてもせっかちなのよ。私。家では粗相ばかりでいつも叱られているわ」
「意外です。全然見えません」
「外では猫をかぶっているの。だいぶ上手くなったのよ。知っているのは親しい何人かだけ。
男の子では、大島君が初めてかしら」
「そう、なんですか」
「だから内緒にしていてね。私も、胸を触られたことは秘密にしておいてあげる」
 ちょん、とその細い指を僕の唇に当てると、先輩は小首を傾げて少し意地悪そうに笑った。
 全身の血が沸騰しそうな勢いで一気に駆け巡る。
「ももも、もちろんです!」
 思わず姿勢を正して宣言すると、先輩はひらりと立ち上がって、早く残りを片付けてしまいましょ、と、
段ボールの中の本に手を伸ばした。
「はい!」

 翻ったスカートの中が、まだ座り込んでいた自分からばっちり見えてしまったことも、
…………絶対内緒だ。
 今夜は眠れそうにないなんてことは、絶対絶対死んでも内緒だ。
 僕は一生分の運を今日一日で使い果たしたのかもしれない。

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最終更新:2008年07月20日 20:06