467 名前: 魔窟の伝説 [sage] 投稿日: 2007/11/23(金) 03:09:38 ID:CL87sYTN
 彼女は、ずっと憧れだった。
 美しい人。
 その長い髪。スレンダーで高い身長。整った顔立ちに涼しげな表情。美しい声に、そして明晰な頭脳。
 その全てが、俺にとっては眩しくて、憧れてた。

 クールで、強くて、感情を表さないその知性的な瞳にはいつも強い意志が宿っていた。
 そして、その姿があまりにも美しかったからだろうか。俺は、いつしか彼女と同じ道を歩くことを選んでいた。

 まあ、同じ道を歩んだところで彼女がずっと自分より上の存在であることに変りは無かったんだけれども。
 でも、それでも良かった。
 ただ、同じ道を歩けるだけで。

 だからずっと思っていたことがある。
 もしも、自分が彼女の為に何らかの役に立つ事が出来る日が来るのなら、その時は自分の全身全霊を持ってこの身を彼女に捧げ

ようと。
 この身を以ってして、その美しい人が歩む黄金の道の、そのための一つの礎にしようと。
 そう、誰に口にするでもなく、ただ独り、誓いを持っていた。

 何時だって、どんな時だって、彼女の為になるのならば、この命さえ惜しく無い。そう思っていた。

 ただ、まあ、一つ誤算だったのは、結構あっさりとその誓いを果たすべき機会がが来てしまったことなんだけれど。



468 名前: 魔窟の伝説 [sage] 投稿日: 2007/11/23(金) 03:10:44 ID:CL87sYTN

「明良ーっ、資料の整理終わった?」
「いや、後ちょっと」
「そうか、それじゃあ俺は帰るからな」
「うぃーっす。山田お疲れー」

 そうして研究室を出て行く山田を見送る。
 この東明城大学の考古学科研究室には佐々木明良(ささきあきよし)俺1人になった訳だ。
 時刻は午後十時を回っているし、まあ、皆帰って当然か。俺も帰りたいのだが……。
 だが今日はまだ帰れない。今度の学会でうちの研究室の主任の絢華さん使う資料に矛盾点や問題が無いかの裏調べの作業が残っ

ているんだから。
 まあ、とは言ってもあと2時間もあれば帰れるだろうし、大した量じゃない。
 はぁ、二時間……。帰りは0時過ぎるわけか。目薬さそ。

 そうして手元の資料とネットに繋がりっ放しのパソコンから目を離して目薬をさす。ふーっ、疲れたー。癒されるー。
 と、すぐ近くでコトリと言う音がした。
 ふと音のほうを見ると、何故か資料の隣に丁度欲しいと思っていたコーヒーが置いてある。

「な、突然目の前にコーヒーが。み、ミラクル!」
「君は何を馬鹿なことを言ってるのよ」
「あ、絢華さん!」

 そう、振り返るとそこには綺麗なお姉さんがいた。

469 名前: 魔窟の伝説 [sage] 投稿日: 2007/11/23(金) 03:11:53 ID:CL87sYTN

 まあ、アホな事を言っていても始まらない。そう、この人こそ俺がこの道へ進むキッカケとなった憧れの人。
 上園絢華(うえぞのあやか)さんだ。

 そのすらりとした高い身長と整った顔立ち、
 そしてその優秀な頭脳と行動力から考古学界では若手のホープとして齢25にして既に注目を集め始めている。
 そしてついた二つ名が「東明城の女インディ・ジョーンズ」
 女なんだからトゥームレイダーのララ・クラフトで良いような気もするんだけどなぁ。
 まぁ、そんな絢華さんが居るからと言う理由だけでこの大学を目指した物の、
 入試の時ですらギリギリの成績だった俺とは住む世界が違う、そんな人だ。

 涼しげな瞳と、美しい長い髪を後ろに結んだその美しい姿から男女共に憧れる人の多い絢華さん。 
 美人で超優秀。当然チョーモテる。
 モテるのだがその強い意志を秘めた瞳で片っ端から振っていくところから、
「東明城の浮沈艦」ともレズともアイアンメイデンとも噂されてる、そんな人だ。
 まあ、そんなふうに身持ちの硬いところも憧れていた訳なんだけど。

「で、どう。資料の方の確認は終わった?」
「いえ、あと2時間もあれば終わりますけど。でも、今のところ特に問題も誤字脱字も無いですけど」
「そう。それなら良いけど。あんまり根を詰めすぎないでよ?」
「はは、大丈夫ですって。あ、コーヒー、ありがとうございます」
「うん。ああ、いいのよ。あ、それよりね、明良君。今週の日曜日、空いてる?」
「日曜日ですか? 空いてますけどどうかしたんですか?」
「ああ、それは良かったわ。実は付き合ってもらいたい場所があるんだけど」
「付き合ってもらいたいって……も、ももも勿論空いてますっ! でも、それで、それって……」

 まさか、デートのお誘いって奴?


470 名前: 魔窟の伝説 [sage] 投稿日: 2007/11/23(金) 03:13:18 ID:CL87sYTN
「はぁ~、いい天気。晴れてよかったわぁ。あ、ほらっ、明良君、目的地までまだあるんだからモタモタしないの!」
「うぃ~っす」

 このクソ熱い夏の日に東明城山の登山道を長い後ろ髪を束ねて、
 長袖のTシャツと長ズボンと言う探検ルックで身を包んだ絢華さんがかなりのハイペースで歩いていく。
 そしてその後を必死で装備や資料を持って追いかける俺。
 うん、まあこんなことだとは思って居たさ。デートとか、夢見すぎだよなぁ俺。

 まあ、今回の用事は、言ってしまえばよく解からない建造物があると言うタレコミを地元の猟師の人からもらったので、
 それの調査と言う名目のフィールドワークだ。
 自然が豊かに残っていて、完全に文明の手が入り込んではいない東明城の山奥の方では今でもよく解からない遺跡モドキが見つかったりして、
 そのたびに大学のほうに調査依頼が来るのだ。
 まあ正確に言えば、調査依頼を出すように頼んでいるのはむしろ大学の方で、
 それが研究資料としての価値を持つ可能性がある場合があるので通報するように大学から懇願しているのだが。
 しかし、実際には見つかっても良くて遺跡モドキ。
 普段はせいぜいただの穴や防空壕や廃墟などの物が多くて考古学的価値を持ったものが見つかることは稀なのだけど。
 ただまあ、どんな些細な情報でも調査する事。
 調査しないところに発見は無いというのが信条の綾香さんはいつも助手を伴って調査に出かけている。
 あ、そう言えば今回は助手の人たちはどうしたんだろうか……。

「ねぇ、絢華さん。助手の方々はどうしたんですか? ほら、武田さんや片山さんたち」

 ちなみに助手は何故か全員が女性である。まあそこからレズと言う噂が出てきたわけだが。
 俺も絢華さんの助手になるのが夢なのだが、正直今まで一人も男性では登用されていないので諦めつつある。

「ん、あぁ、彼女たちは今休暇中で温泉に行ってるのよ。
 まあゆっくり遊んでらっしゃいと言っちゃった手前呼び戻す訳にも行かないしね、そこで君に助手代理を頼んだわけ」
「はぁ、そうですか。それは光栄です」
「ふふふっ、なに言っちゃてるのよ。もう君とは十年以上の付き合いじゃない。いい加減敬語じゃなくてもいいのよ?」
「いいえ、立場的にもそう言うわけには行きませんし」

 それに、俺は、十年以上前、俺が小学生で彼女がまだ中学生だった始めて出会った時。
 うちの家族が彼女の家の隣に越してきて、そして彼女の家に挨拶に行った、その初めて会った瞬間から。
 その時からずっと憧れていた相手だったのだから。
 コレが恋と言う感情なのか愛と言う感情なのか知らない。
 だが、この十年、俺は彼女以外の女性を女として見ていたことは無かった。
 だから、どんな立場でも、そばに居たかった。
 たとえ、俺自身が彼女に男として見られて居なくても。

471 名前: 魔窟の伝説 [sage] 投稿日: 2007/11/23(金) 03:14:56 ID:CL87sYTN

「あ、そろそろね。この地蔵のあたりで登山道から山の中に北北西の方向へ入って100m先にあるそうよ」
「そうですか」

 そうして登山道から山の中へ入っていく。
 獣道を物ともしないで行く絢華さんを見ながらふと思う。やはり、この人は綺麗だ。
 それは勿論容姿的な事だけではなく、いや、容姿もその綺麗な顔と涼しげな瞳、
 スラリとしたモデル体型に、考古学をするには不向きであろう長く伸ばして後ろで束ねた黒髪。全てが美しいのだけど。
 そうではなくて、その真摯に考古学を志すその姿。そして、その意志を通すだけの知識と解釈力と行動力と度量。
 全てが、俺にとっては眩しい。だからだろうか。ふと思ってしまう。
 俺は、いつまでこの美しい人の近くに居る事ができるのだろうかと。

「着いたわ。ここね」

 そんな、絢華さんの声でふと現実に引き戻される。
 着いた場所にある遺跡と言うのは。斜面に穴が空いているだけのお粗末な物だった。

「あの、コレはまた防空壕ってオチじゃ無いですか?」
「うーん、そうかも。正直望み薄ね、でも大学で私たちが作ったこの山の地図には、ここに防空壕があったって言う印は無い。
見落としかもしれないけどそうだったとしても地図に書き加える事ができるし。取りあえず調査しましょう」
「はい」

 そうして、俺たちは穴に入っていった。

472 名前: 魔窟の伝説 [sage] 投稿日: 2007/11/23(金) 03:15:45 ID:CL87sYTN

 蛍光灯タイプのランタンで中を照らして調査する。あまり広くない空間だったが、特に珍しい物は無い。

「どうですか?」
「う……ん、そうね。何か妙な感じはするけど、普通の防空壕のような感じね。少し調べてみましょ」
 そう言って軍手をして壁を擦ったりしている絢華さん。
 俺も軍手をして、色々と調べてみる。が、特におかしな所は無いようだ。

「どうですか? 特に何も無いですけど」
「そうね……って、ちょっと待って!」

 突然大声を上げる絢華さん。

「ちょっときて、ここを見て」
「なんですか……ってなっ、コレはっ!」

 土一面の壁のそのある角。土のえぐれたその奥が石の壁にになっている。
 それだけなら奥に大きな岩でも埋まってるのかとか説明も出来るのだが、
 問題はそれがただの岩ではなく、規則正し石作りの壁、むしろ精緻な石垣のようにになっていると言うことだ。

「なんなんですかコレは!」
「ええ、ちょっと気になって壁の土を軽く手で掘ってみたの。そしたら硬い物にぶつかって。
何かと思ってそこを中心に回りも掘り続けたんだけどまさかこんな物が出てくるなんて」
「そうですね、コレは……」
「ええ、にわか作りの防空壕とは訳が違う。れっきとした遺跡ね、って、あれ……?」

 そうして絢華さんは話しながらも掘っていた手を止めて足元を見る。
 そうしてそのままその場所で軽くトントンと足踏みをする。

「う~ん、変ね」
「何がですか?」
「いや、ちょっとね、ここだけ妙に足場が柔らかいって言うか……なんか足踏みすると妙に響くのよね。空洞の上に立っているよ

うな感じって言うか」
「はぁ、どんな感じですか?」
「う……ん。ちょっと見てくれる?」
「はい」

 そうして、絢華さんが立っていた場所から離れたので、その「変な場所」へと歩いてみる。
 と、その場所へと踏み出したその瞬間……!

「へっ! へぅうわああああああっ!!」

 ズボリと踏み出した地面に穴が空き、大きくバランスを崩した俺はその穴へと吸い込まれるように墜ちて行ったのだった。

473 名前: 魔窟の伝説 [sage] 投稿日: 2007/11/23(金) 03:17:49 ID:CL87sYTN

「クッ、うううううぅぅぅぅぅっ!」
「へ? あ、絢華さん!?」

 そう、その穴へと墜ちたはず……だったのだがその一歩手前で俺を引き止めている人が居た。

「ま、間に合ってよかった……」
「間に合ってって、あ、ああ、絢華さんが掴んでくれて……」

 そう。絢華さんは穴に墜ちる瞬間の俺の右手を、驚異的な反射神経で掴んでくれていたのだ。

「ええ、引き上げるわよ。少し待ってて……って、クッ!」 

 と、そうは言ったものの、ただでさえ重いうえに装備と資料を持った男の俺を、女の絢華さんの細腕で持ち上げれるとは思えな

い。
 だがそんなことは構わずに離すまいと必死で俺の手を掴む絢華さん。だが、見上げるその顔には脂汗が浮かんでいる。

「んっ、んんんんんっ!」
「む、無理ですよ絢華さん。冷静に考えたら持ち上げれるわけ無いです!」
「でもっ、ここで諦める訳にはいかないでしょっ!」
「そうですけど……」

 だが、そう言っている傍から俺だけではなく、俺を持つ絢華さんまで少しずつ穴に引き込まれていく。

「んっ、んんんんんっ! 手が、手が滑るわ、明良君、軍手取れないっ!?」
「無理言わんでください! やっぱり無理ですって、うっ、くっ、このままだと絢華さんも落ちますっ」
「でも、諦めるわけには行かないって言ってるでしょ!」
「そうですけど、二人とも落ちたら元も子もありませんし、ここはいったん俺を落として絢華さんが救援を呼んだほうが」
「くっ、馬鹿なこと言うんじゃないわよっ! そもそも深さがどれだけある穴なのかも解からないのに!
もしも深さが10メートル以上あったら骨折じゃすまないわよ!」
「で、でも……」


 そう言っているそばからズリズリと絢華さんと俺は穴の中へと滑っていく。

「もう無理ですっ、離して下さい!」
「駄目よっ、私がこんなところで君を諦める事ができるわけ……って、きゃああああああああぁぁぁぁっ!!」
「うわあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 そう、そこまでが限界だった。
 結局、俺と絢華さんは仲良く底の知れぬ暗い穴へと落ちて行ったのだった。


485 名前: 魔窟の伝説 [sage] 投稿日: 2007/11/26(月) 02:20:46 ID:TSGHVqDs

 夢を、夢を見ている。

 今ではもう潰れてしまった駄菓子屋で買った60円のアイスを舐めながら、俺は小学校から帰っていた。
 ああ、そうだったんだよな。俺は毎日買い食いするような悪ガキでさ、
 よく高校帰りのセーラー服を着た絢華さんにはたしなめられたりしたんだよな。
 でもそれだけでも、例え注意されるだけの事しか起きなくても、絢華さんと話せるだけでも幸せだった。

 そう、そう言えばこの日も絢華さんにあった日だったよな。
 アイスを舐めながらり家の前まで来たとき俺の目に留まったのは、
 向かいの豪邸、ああ、絢華さんの自宅のことなんだけど、そこから出てくる私服を着た絢華さんだったんだ。
 いつもなら会えば声を掛けてくれる絢華さんが、俺のことも目に留まらないほどに俯いて、そして暗い表情で歩いていた。
 当時の俺は単純なバカだったけど、それでもそれが簡単に話しかけて良い状態じゃないことはわかった。
 だけど、気になるものはなっったんだ。だから、その時の、夢の中の俺は……。

 そのまま絢華さんをストーキングしていた。

 絢華さんはまるで魂が抜けたかのようにフラフラと歩いていた。
 そしてそのままフラフラと商店街や住宅地を抜けて、そして東明城山(ひがしあけしろやま)の散歩用の遊歩道を登り、
 そして街が一望できる展望台まで来ていた。

 そして、そこに生えた木に寄りかかり、ボーっとした表情で街を見下ろしていた。
 その絢華さんが余りに寂しそうで、そのままだとどこかへ消えてしまいそうで、気づいた時に俺は……。

「絢華お姉ちゃん!」

 声を掛けていた。

486 名前: 魔窟の伝説 [sage] 投稿日: 2007/11/26(月) 02:22:05 ID:TSGHVqDs
「あきよし……くん?」
「うん、そうだよ!」

 木によっかかったままの絢華さんに不審がられない様に、そして少しでも絢華さんに元気を出して欲しくて出来るだけ明るい声で話す俺。

「どうして……ここに?」
「いや、それは……あの、その、な、なんとなくだよ!」
「なんとなく?」
「うんっ! だってさ……」

 そう言い切って、絢華さんの隣まで来る。

「だってほら、ここからの眺めって良いよね。僕大好き! これを見るためならここまでの上り坂なんて何の苦にもならによ!」

 まあ、眺めが好きなのは本当だった。
 と、そんな俺を見て、絢華さんは寂しげに微笑んだ。

「そうね。ここからの眺めは……本当に素敵よね」
「うん!」

 そうして二人で街を見る。夕方が近く、少し西日が目に痛い。

「ここって、この街で一番夕日が綺麗に見える所なのよね。いつ来ても誰も居ないから私だけしか気づいていないと思っていたんだけど……」
「あ……そうなんだ。ごめん」
「うふふ、何で謝るの? ほら、もうすぐ夕暮れよ、一緒に見ましょ」
「うん!」

 そうして待ちに待ったその時を迎える。

 するすると幕を下ろすように夕陽が落ちて行く。
 これが、終日を表す証明。まるでもう今日のお芝居は終わりだとでも言うように落ちていく夕日。
 そうしてその最高に美しい一瞬が来る。
 稜線へ消えて行く夕陽に美しく照らし出される自分の住んでいるこの街。

487 名前: 魔窟の伝説 [sage] 投稿日: 2007/11/26(月) 02:22:36 ID:TSGHVqDs
「私ね」

 突然絢華さんが口を開いた。

「うん?」
「私ね、私っ、この景色が何よりも好きなの。本当に……何よりも」
「そうなんだ」
「うん……。確かに、圧倒的な自然の絶景も好きだけど、私は人を近くに感じさせてくれるこの風景が最も好き。
 ほら、見て。夕日に照らされたビルの隙間。大きく伸びる影と、その影でも動き続ける人々の営みがわかるでしょ。
 そして、遠くに見える夕日を受けて黄金色に輝く海。
 人間も、生活も、すべて自然の一部。そんな営みを魅せてくれるこの最高に美しい一瞬が何よりも好きなの……」

 ふと、その声が僅かに涙声に思えて絢華さんの顔を見上げる。
 でも、夕日に照らされた絢華さんの顔は何かを耐えるような顔でありながらも、涙は流していなかった。

 そうして夕映えに照らされていた街は影の底に沈み、残るは薄明の時間になった。

 薄明とは夕陽が沈んだ後の約三十分間、完全に暗くなるまでの時間。
 そうして家の灯りがひとつ、またひとつと点いていき真っ暗になる頃には、一面星の海のような人のぬくもりが光っている。

「ねぇ、綺麗よね。本当に。
空にはまだ一番星が光り始めたくらいだけど、街には人の生活の光が、星のように輝いていて……」
「うん」

 それは、本当に綺麗だった。
 絢華さんにはああ言ったけど、本当はこの展望台に来たことは数えるほどにしかない。
 でも、それがもったいなく思えるほどに、その人の温もりを持った星の海は美しかった。

「本当に……綺麗」
「うん」
「だから……だから好きなの……」
「う……ん?」

 ふと気づく。絢華さんの声が、完全な涙声になっていることに。
 そして、絢華さんの顔を確認しようと顔を上げたした瞬間。

「だから……だからっ、離れたくないよっ!」

 そう、確認する隙も無く、絢華さんに抱きしめられていた。
488 名前: 魔窟の伝説 [sage] 投稿日: 2007/11/26(月) 02:23:09 ID:TSGHVqDs
「あ、ああああ絢華お姉ちゃんっ!?」
「嫌だよぉ……この街から離れたく無いよぉ……」
「ちょっ、ちょっと落ち着いてお姉ちゃん!」

 俺は完全にてんぱって居た。良い匂いだとか柔らかいとか全て超越してただただてんぱってた。
 何しろ、絶賛片思い中の高嶺の花が突然抱きついてきて泣いているのだから。

 だが、そんな片思い小学生の思惑にも構わず絢華さんは抱きついたままポツリポツリと話し始める。

「私ね、この街を離れなくちゃいけないかもしれないの」
「こっ、この街をっ! 何でさっ!?」
「今日お父さんに言われたの。私来年大学受験なんだけどね……成績が良いから、この街には私の行く価値のある大学は無いって。
お父さんのツテで海外に優秀な大学があるから、そこの理工学部に行きなさいって……」
「かっ、海外ぃ?」
「うん……」
「でも、お姉ちゃんが嫌なら……」
「ううん、ダメだって。どうしてもこの街に残りたいのならちゃんとした理由が無きゃ認めないって……」
「理由って……お姉ちゃんこの街が好きなんでしょ?」
「うん、大好き……生まれ育ったこの街が、この街のみんなが、そしてこの街での生活が何よりも大好き」

 この街のみんな、それは自分も含まれるのだろうかなどとアホな事を考えながらも俺は話を続ける。

「ならそれが十分理由になるじゃんかさ。お父さんにそれを話せば……」
「話したわ。でも、ダメだったの。この街で、この街でなくちゃ学べないことがあるのなら兎も角、
そうじゃないなら世界を広げるためにも、必ず海外に行けって」
「なんでそんな……」
「私を思って言ってくれてるのは解かるの。でも、きっとお父さんは私と同じ道を辿って欲しいんだと思う」
「同じ道?」
「お父さんも若いうちから海外に出て見聞を広めて、そしてあれだけの財を築いた人だから……
私にも若いうちに色々な経験をさせたいんだと思うの」
「そうなんだ。そこまで考えてくれてるんなら……」

 仕方ないかもね、と言いかけて、ある一つの考えが頭をよぎり止まる。
 自分は片思いの人に、そんな普通の言葉しかかける事ができないのかと。
 きっと、何らかのアドヴァイスをしたほうがこの人の為になることが出来るだろうと。
 それは、恋を巧く進めたい小学生なりの知恵でもあり、そして、持っていた誓いでもあった。

489 名前: 魔窟の伝説 [sage] 投稿日: 2007/11/26(月) 02:24:55 ID:TSGHVqDs
「ねぇ、逆に考えればこの街でしか学べない事があればいいんでしょ?」
「ん?」

 気づけばそんなことを口走っている。
 膝まづいたままの体勢で俺を抱きしめていた絢華さんが俺のほうを見る。
 その綺麗な顔が涙に濡れていたのを見て、使命感に駆られ自分なりに思いついたことを話す。

「ならさ、この街を、東明城について調べるような分野に行けばいいじゃん」
「どういう、こと?」
「あのさ、社会の先生が行ってんだけどね、この山、東明城山」

 そう言って、そのまま後ろを振り向く。
 既に日が暮れた山は、真っ黒く、そして相変わらずも大きく聳え立っている。

「何でも三十年位前に遺跡が見つったんだって」
「ああ、白鳥断部残(しらとりだんべざん)古墳の事ね。一応街の名所旧跡の一つの」
「うん。それのこと。でね、この山の奥地にはまだ人の手の入ってないような場所もあるから
他にもそう言うものが見つかる可能性はゼロじゃないんだって」
「それは、そうだけど……」
「だからさ、そう言う遺跡の見つかって無いものを探したり、今在るこの町の遺跡についての勉強をすればいいんじゃないの?」

 それは、本当に小学生の浅知恵だった。
 何しろ受験まであと一年の時期に、今までの方向性とは全く違う勉強をして、新しい遺跡を発掘したり、
 または新たに勉強を始めてそれに順ずるような部門へと進めとか言っているのだから。
 いくら優秀とは言え、一介の女子高生が方向転換するには遅すぎる、茨の道だ。
 だから、そのまま罵倒されても、笑い飛ばされてもおかしく無い話だった。
 だが……。

「それも……そうね」
「へ?」
「なんで、何で気づかなかったんだろう……」
「絢華……お姉ちゃん?」
「私、吹っ切れるかも……ううん、考えてる暇は無いわ。吹っ切るのよ」

 そう言うと、抱きついていた絢華さんは離れ、スックと立ち上がった。
 温もりが離れていくのが少し寂しい

「あの、絢華……おねえ」
「ありがとう。明良君のお陰で自分の進む道がわかったわ。小学生に道しるべを立てられるとは思ってなかったけど……
ううん、それだけ君の発想が柔軟で私が未熟だったって事ね」
「な、何が?」
「私、頑張ってみるわね。あぁ、もう余り時間が無い。じゃあ、私は帰るわ。少しでも沢山勉強しないと」
「へ? あの、あや」
「じゃあ、またね。本当に……ありがとう!」

 そのまま振り返ることなく真っ暗な遊歩道を走っていく絢華さん。と、蝉の大合唱に囲まれたまま取り残される俺。

 後に東明城大学歴史学科に入学し、白鳥断部残古墳についての画期的な見地の論文発表や東明城山に眠る未知の遺跡の発見などで、
 上園絢華の名が考古学界中に知れ渡る事になる、そのホンの数年前の、ある暑い夏の日の話である。

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最終更新:2008年07月20日 19:10