678 :名無しさん@ピンキー:2007/06/07(木) 02:18:14 ID:LeqMYOw3
俺は悪くねぇ。俺に非はねぇ。
文化祭の演劇に使うオブジェ。教室の半分を占領するそれらを塗装する際にはかなりのペンキが飛び散るだろうと予想し、後片付けの時に一気に洗い流す為にプールの中で塗装を行う。
この案を出したのは我が三年四組のクラス委員長だった。
だが、模試において県一位に君臨する彼にも、予想出来ない事があった。
まず俺が、プールサイドでクラスの女子と口論になった。原因はよく覚えていない。
次にその愚かなる女は、言論を放棄し俺に殴り掛かって来た。
最後、これがトドメになった。
確かに俺も言い過ぎたかと思い、その拳を俺は・・・敢えてだぞ、敢えて。受けてやったんだ。別に避けるのが遅れてクリティカルヒットした訳じゃない。ないったらない。
まあそしたら、だ。吹っ飛んだ俺は後ろに積んであったペンキ缶×10に突っ込み、超至近距離にいたその女もペンキ缶の雪崩に巻き込まれ、気が付いた時には十色のペンキの池の中に二人揃って浮かんでいて、結局俺とその女は放課後、プール掃除に励む事になった。以上。

その日、笹丘高校三年四組坂下喜鈴(さかした きすず)は、放課後真っ直ぐ家に帰らず、学校のプールに向かっていた。

679 :名無しさん@ピンキー:2007/06/07(木) 02:21:08 ID:LeqMYOw3
今日の二時間目に騒ぎを起こしたもう一人の人物が、先に来て掃除を初めている筈だったのだが。
「穂高ー、ちゃんと掃除・・・」
喜鈴の声はそこで中断された。肩で切り揃えた黒髪が風に靡いて揺れた。彼女のゲンナリとした目線の先には、騒ぎの張本人の一人、穂高光司(ほだか こうじ)が、陽光に輝く茶髪のウルフヘッドを床に着けてプールサイド(ペンキの被害が無い箇所)に大の字になって眠っていた。
傍らには近所のコンビニで購入したとおぼしき「デラ・べっぴん」が置いてある。
喜鈴の脳は即座に状況を理解し、答えを弾き出す。
曰く、「コイツ、掃除しないでエロ本読んで寝てやがった」
喜鈴の周りに、死神を思わせる暗い気が立ち込める。
魂を狩る鎌の代わりに掃除用のデッキブラシを拾い上げ、それをゆっくりと光司の頬に当てて一声さけぶ。
「とっとと起きなさい、このバカ――――――!!!」
言うが早いか、喜鈴はブラシを支える両手を凄まじい速度で前後に動かす!
ごっしゃごっしゃごっしゃごっしゃごっしゃごっsh
「ぎぃやあぁぁああああ!!いてててかっ顔がっ、顔が―――っ!!!」
穂高光司はこの日、『松の木にひたすら顔をマッサージされる』という悪夢で居眠りから覚醒した。

680 :名無しさん@ピンキー:2007/06/07(木) 02:23:50 ID:LeqMYOw3
「・・・ぁーったく、何でてめえと二人でプール掃除しなきゃなんねーんだよ」
猫に引っ掻かれたように赤くなった頬を身を守ろうとする本能から左手でさすり、しかし二度目の制裁(と書いてデッキブラシと読む)を恐れた意識は右手に持つブラシを動かす速度を維持したまま、光司はひとりごちる。
時刻は既に午後7時を回って辺りは暗くなり、遠くのグラウンドで野球部が練習用につけているナイター灯の光だけが、暗がりの中で光司の視界を保っていた。
その暗がりに、傍目から見ればとても目を引く影が一つ。学校指定の水着の上に体操服の半袖シャツを着た、喜鈴だ。肩で切り揃えた髪も首の後ろで纏めてあり、水溜まりの上に立つその姿はまさしく水の妖精。
「仕方ないでしょ?私もちょっとやりすぎたけど、元はあんたが悪いんだから」
・・・しかし、その妖精はかなり機嫌が悪いようだ。よくよく見れば眉間には皺も寄っている。
「なんでちょっと休憩してただけであんなにきーきー騒ぐんだよ」
「30分も居眠りするのは休憩とは言わないわよ」
「うるせぇな、成長期は睡眠が必要なんだよ」
「180センチオーバーで何が成長期よ。どうせそれ以上寝ても脳みそ溶けるだけよ」

681 :名無しさん@ピンキー:2007/06/07(木) 02:25:49 ID:LeqMYOw3
「んだとー、さてはお前、自分がチビで幼児体型だからってひがんで・・・すいませんごめんなさい黙ります二度と言いません許して下さいデッキブラシはもう勘弁してください」
再び顔に近付いたブラシに少なからず命の危険を感じて平謝りする光司。必死に陳謝する男を20センチ下の視点から一瞥した後、喜鈴は再び無言でブラシを床に滑らせる。
「・・・どうせあたしはあんたの好みの体型じゃないですよーだ・・・」
拗ねた表情を浮かべた喜鈴の口から微かに漏れた呟きに気付く事無く、光司は「さっさと剥がれろペンキ」と思いつつ、デッキブラシを前後に動かしていた。

693 :私立笹岡恋模様:2007/06/09(土) 15:05:44 ID:qPPADhqU
 プールにペンキぶち撒け事件。後々になってからそんな捻りも無ければ踏ん切りもつかないネーミングで呼ばれる事になった日から、早くも三週間。
 光司はまたもや喜鈴と二人っきりだった。


「おいスイッチ係ー!そこの操作また違うぞー!」
 オブジェの中に隠された各種舞台装置のスイッチをぼんやりと叩く光司に、監督を勤める生徒から怒号が飛ぶ。
「んだようるっせぇな・・・ひででででふいまへんふいまへんひゃんとやりまふごうぇんなひゃいごうぇんなひゃい(訳:いててててすいませんすいませんちゃんとやりますごめんなさいごめんなさい)」
 気だるげにぶつくさ言おうとした口から、即座に謝罪の言葉が流れる。但しその対象はオブジェの外に居る監督ではなく、『つねる』という可愛い動作をを通り越して彼の頬を激しく引っ張っている隣のクラスメイトであるが。
 オブジェの塗装の前にくじ引きで決まっていたのだが、この舞台に於いて装置のスイッチを任せられたのは光司と喜鈴だった。
「ちゃんとやりなさい。あんたのせいで私まで怒られるんだから」
 冷静に言ってはいるものの、喜鈴のこめかみにはかなり分かりやすく青筋が浮いている。

694 :私立笹岡恋模様:2007/06/09(土) 15:25:29 ID:qPPADhqU
「練習なんてしなくても大丈夫だろー?本番で間違えなければいいんだし」
 機材の詰まった暗い小部屋で女子と二人っきりというスレの皆様からすれば羨ましい事この上無い状態で、前回と同じく色気の『い』の字も無い文句を言う光司。だが喜鈴も負けじと反論する。
「いいえ、練習しといて正解だったわ。お姫様にスポットライトを当てるシーンでナイトに当てるわ、間違ってマイクの電源落とすわ、まさかあんたがここ迄機械オンチだとは思わなかったわよ・・・って!ああもうこのバカお姫様の登場で火花出してどうすんの!?」
「うお!?い、いや、こっちのがなんか勇ましさが出ねぇ?」
「言い訳してないでさっさと止めなさい!」
「えーと、あ、こ、これかっ!?(ぽちっ)」
「ちょっ、それはスモーク!」
「スイッチ係ぃぃい!いい加減にしろおぉぉぉ!」
 かくて笹岡高校第二体育館に、監督のやるせない叫びと打撃音(混乱してパニック起こした光司を喜鈴が張り倒して鎮めた音。沈めたと言った方が良いか)が響いた。


「あーもうっ!あんたのせいで散々よ!」
「わ、悪かったよ・・・」
 保健室のベッドに横たわる光司(主に頭部の打撲により)に、喜鈴が容赦なくがなりたてる。保健室では静かに。
「まったくもう、こうなったら、今日の放課後に残って練習するわよ!」
「はぁ!?勘弁してくれよ、今日は七時から見たいテレビが」
「(丸椅子を上段に構えてとびきりの笑顔を浮かべながら)何か言った?」
「いえ、何でもありません。喜んで練習致します」
 ベッドの上で土下座する光司にあくまでも穏やかな笑顔を向けたまま、喜鈴は保健室を後にした。


「・・・ふふ、今日こそ、アイツに・・・」
 階段を登りながらそう呟いた喜鈴の顔には、先程迄の絶対零度の微笑みではなく、期待に胸を踊らせる恋する乙女の微笑みがあった。


「何でいきなり居残れなんて・・・はっ!?襲われる!?俺ってば貞操の危機!?」
 ・・・喜鈴、考え直すなら今のうちだぞ。

698 :私立笹岡恋模様:2007/06/09(土) 22:07:31 ID:qPPADhqU
 放課後、体育館へと続く廊下の真ん中で、穂高光司は迷っていた。ズバリ、坂下喜鈴に従って練習するため体育館に向かうか、無視して家に帰ってテレビの前に直行するか。
 まず、大人しく従った場合。今日の七時からのテレビ番組、『残暑を楽しめ!テレビ局対抗女子アナビーチバレー大会3時間生放送スペシャル!レイザー○モンも飛び入り参加!?』が見れない。
 ぶっちゃけこれの為に今週のレポート課題やら宿題やらを全て終わらせ、今日は勉強しなくても良いようにしていたのに。
 坂下に従ったら、そんな心洗われる番組を見逃す事になる。水着美女達のセクシーショットも、多分有るであろうポロリシーンも、生放送だと書いてあるのになぜか飛び入り参加する事になっているあの「フォーゥ!」の人も。
 では坂下に従わずに帰宅した場合。この前のデッキブラシを凌ぐ凄まじい断罪が待っているだろう。というか、あれ以上のものを喰らったら絶対死ぬ。確実に死ぬ。
「・・・しゃあねえ、行くか・・・さよなら眩しき水着のマーメイド・・・さよならオッパイポロリ・・・さよならフォーの人・・・」
「廊下の真ん中で何ぶつぶつ言ってんの?」
「ぬぅわああぁぁぁ!?」
 突如として背後に生まれた気配に、一瞬で全身に戦慄が走る。驚愕にすくむ身体を叱咤し、気配の主から距離を取る。しかし、そこに居たのは。
「・・・なんだ、坂下か。ビビらせんじゃねーよ。俺ぁまた、死神が出たかと思ったぞ」
「・・・あら、ちょうど良いところに屋台の骨組み用の立派な鉄パイプが」
「すいませんでした失言でした以後気を付けますのでお許しくださいってかマジでやめてそれシャレにならんから」
 長さ五十センチほどの鉄パイプを手に取って握り具合を確かめるように素振りを始める喜鈴と、それを自分に当てさせぬべく早口で押し留める光司。
「全く・・・そんなにその番組見たいの?」
 呆れ顔で聞く喜鈴。言い方を変えれば、何かに失望したかのような憂いを帯びた表情はとても美しい・・・右手から鉄パイプを放せば、だが。
「うちの弟が録画して友達と見るって言ってたから、後から見せてもらえば?」
「うぇえ!?マジで!?」
 途端に表情を明るくする光司。喜鈴はちょっと引きながらも後を続ける。


699 :私立笹岡恋模様:2007/06/09(土) 22:10:30 ID:qPPADhqU
「ま、まあ、別にあんたの為じゃないけど、そっちを気にして練習に身が入らなくなっても困るし」
「よっしゃ、だったらさっさと練習するか」
「・・・現金な奴・・・」
 意気揚々と体育館に向かう光司。喜鈴はその後をついていきながら、少し溜め息を吐いていた。

 練習は喜鈴の予想よりも苦戦した。
「・・・アーサーのセリフ、『見よ、我らを護らんと霧も出てきた。これで進軍を敵に気付かれる事はない』このセリフに合わせてスチーム・・・あ、これだ」
「それはスチームじゃなくて一番スポットライト。スチームはこっち」
「あれ?」

「・・・オリビア姫のセリフ、『嗚呼、騎士アーサー。貴方迄もが散っていったのですね』で照明を一気に落とし・・・うぉ、明るっ!?」
「眩しっ・・・ああもう光量レバー動かすの逆!」
「あ、でもこんだけ明るけりゃ騎士アーサー復活・・・」
「するか!」

「ほらまた違う。まったく、ここはこうやって・・・あれ?」「ぷっ・・・くく、何だよ、お前も結局間違って・・・」
「あらちょうど良い所に騎士アーサー愛用の銘剣フランベルジュが」
「誰だって間違いの一つや二つありますよね俺もその回数を減らすように努力しますからちょっと待ってその剣刃が波打ってて当たったらスゲエ痛そうぎゃああああああ」


700 :私立笹岡恋模様:2007/06/09(土) 22:44:50 ID:qPPADhqU
「はー、疲れた・・・」
 疲労困憊、といった様子で、光司は床に座り込んだ。時刻は九時を周り、隣に座る喜鈴にしても余り体力は残っていないようだった。
「あー、腹減った・・・」
「・・・さっきおにぎり五個も食べたじゃない、まだ食べる気?」
「コンビニの握り飯で腹が膨れるか」
 二人は七時頃に喜鈴が近くのコンビニで買ってきたおにぎりで夕食を済ませたが、その時に吸収したエネルギー量は練習で消費したそれに追い付かなかったらしい。(それだけでは無く、光司が大喰らいである事も関係しているのだが)
 途中、何度か見回りの先生が来たが、八時半辺りから来なくなった。
「まあ、大体は覚えたか」
「うん、間違う回数も減ったし、後はこの調子で練習すれば良いと思うよ。お疲れ様」
「うーい・・・」
 二人がそう言って笑い合い、荷物を取りにオブジェの外に出る。体育館の照明は消され、窓からの月明かりだけが頼りだった。
「うぉ、暗っ。中に人居ないかどうか確かめてから消せよ見回り」
 光司がそう言い、荷物を持って体育館の出入口を開け・・・
「え?」
「穂高?どしたの?」
 光司の上げた声に、喜鈴が反応する。
「・・・開かねえ」
「は?」
「鍵、閉まってる・・・と、閉じ込められた!?」
「えええええ!?」
 暗闇の中、二人の叫びが虚しく響いた。

707 :私立笹岡恋模様:2007/06/11(月) 00:22:16 ID:Nf5tL6Uf
「う、嘘!?何で?体育館の使用時間延長届けは出したよ!?」
 何故こういった状況に陥ったのかを必死に考える喜鈴と、往生際悪く扉をこじ開けようと必死に頑張る光司。
「(ガコガコガコ)だぁああぁ!!っきしょ、何なんだよこのお約束すぎる展開は!」
 そんな事をしながら、五分程経過した頃。光司がある事に気が付いた。
「なあ、八時半頃、俺ら何してたっけ?」
「へ?えっと、オブジェの中で休憩して・・・」
「その辺りから見回りの先公来なくなったけど、もしかしてその辺りで、誰も居ないと思われて鍵閉められたんじゃねえか?」
 光司の言葉に、弾かれた様に喜鈴が頭を上げる。
「あ!・・・って、じゃあもしかして・・・その辺りに施錠が終わったんなら、もう誰も・・・」
「校舎には居ないだろうな」
 沈黙。暫くして、光司がまた声を上げる。
「そ、そうだよ!坂下お前、鍵持ってるんだろ?」
 一般的にこの体育館は、使用時間延長届けを提出して使う場合、後から施錠する為に届けを提出した生徒に鍵を渡す事になっている。しかし喜鈴は表情を明るくする事無く、淡々と言う。

708 :私立笹岡恋模様:2007/06/11(月) 00:23:31 ID:Nf5tL6Uf
「・・・あるわよ、体育館用の外からかける南京錠の鍵が。あんた知らなかった?その扉に鍵穴は無いわよ・・・後から付けた、南京錠で閉める仕組みになってるから・・・」
 これは何の冗談だろうか。光司は一気に脱力した。だが、諦めるにはまだ早い。そう、彼らには最終兵器があった。
 ここで問題です。現代に於いて生活必需品であり、二十四時間いつでも使える通信手段と云えば?
『・・・ケータイ!!!』
 二人は顔を見合わせて叫ぶ。それと同時に光司はポケットの中に手を入れ喜鈴は鞄の一番外側のポケットを開ける。
 二人揃って折り畳み式携帯のフリップを開けて・・・そして二人揃ってガックリ。
 同じ機種の携帯ならば機能もサイズも、受信の悪さも大体同じになるわけで。二人の携帯には『圏外』の二文字が悲しく光っていた。
『・・・これだからソフトバンクは・・・ッ』
 二人は携帯を元あった場所に戻し、盛大に溜め息を吐いた。
「・・・上の階のギャラリーから外に出られねえかな。でかい窓もあるし」
「・・・この体育館が柔剣道場の上に作られてて、ここは実質二階で、この上のギャラリーは三階で、そこから飛び降りればどうなると思う?」
「ぬぅ・・・確実に飛び降り自殺になるなぁ」
 再び、溜め息。光司はもう、全てが面倒臭くなった。そのまま横になって喜鈴に背を向け、鞄を枕に眠ることにした。
「寝るべ。なんかもー、何やっても朝までここから出られないっぽいし」
「・・・随分、強気ね。何でこんな状況で呑気に眠れるのよ」
 喜鈴の呆れた声が光司の背中に向けられる。顔を向ける事も無く、言い返す。
「こんな状況で起きててもカロリー無駄に消費するだけだからな。お前も寝とけ」
「そうじゃない!何でこんな状況でそんなに冷静で居られるのよ!何でもっと慌てたりしないの!?何でこの暗い中でそんな平気なの!?これじゃあ私が馬鹿みた・・・」
 光司は耳を塞いだ状態でその言葉を聞いていた。それだけ喜鈴は大声で怒鳴っていたのだが、その言葉を最後迄聞く事は無かった。
 突然言葉が途切れた喜鈴を振り返り、光司はその顔を覗き込んだ。


―――そしてビックリ。


「うっく・・・ひっ・・・ぐすっ・・・」
喜鈴は泣いていた。


709 :私立笹岡恋模様:2007/06/11(月) 00:24:50 ID:Nf5tL6Uf
「な。」
 そして情けない事に、光司は呆然とするしか無かった。
 喜鈴が泣きながら自分に抱きついてきたとしても。
 更にその後に凄い事を言われたとしても。
「ひっく・・・最悪・・・もおやだ、くっ・・・うぅ、す、好きな人に、こんな顔見られたく無かったのに・・・ぐすっ、うあぁぁぁん!えぅっ、ひぐっ、ぅえぇぇん!」
 やがて光司は、震える背中と細い腰に手を回す。そして後ろから小さな肩をぽんぽんと叩き、自分の胸で泣く少女に言い聞かせる。ゆっくり、ゆっくりと。
「安心しろ。怖いんなら、側に居てやるから。頼り無いかもしんないけど、泣きたい時に顔隠すぐらいはしてやれっから」
 光司は喜鈴の頭を撫でながら上体を起こし、身体を密着させる。喜鈴の気が済むまで、思う存分泣かせようと思った。
 以前、本で読んだ事がある。泣き叫ぶ人間は、内的・外的要因からの助けを求める為に防衛本能から泣いていて、無理にそれを押さえ付ければその後精神に異常をきたす。らしい。
(ここは、ちゃんと泣かせておいた方が良いな・・・)


710 :私立笹岡恋模様:2007/06/11(月) 00:26:03 ID:Nf5tL6Uf
 考えてみれば当然だろう。只でさえ自分の練習に付き合わせてストレスが溜まっているのに、更に夜の体育館に閉じ込められたのだ。怖くない方がどうかしている。
 それを分からなかったのは自分だ。少しばかり優しくしても良いだろう。
 泣き続ける喜鈴を、光司はいつの間にか自分から抱き締めていた。


「落ち着いたか?」
「うん・・・ごめんね、みっともないトコ見せちゃって」
 喜鈴は五分程泣いた後、落ち着いた。しかし二人は未だに向かい合って抱き合ったままである。暫くして、思い出したように光司が口を開いた。
「あのさ、さっきの・・・」
 その言葉に、喜鈴の顔が赤く染まる。暫く俯いていたが、やがて意を決して顔を上げた。
「・・・私は、穂高が好き。優しくて、カッコ良くて、あったかい、そんな穂高が、好き。本当は、もっとちゃんと言いたかったんだけど・・・」
 喜鈴がその言葉を言い終わると、次は光司が口を開いた。
「・・・俺は、坂下が好きだ。可愛くて、明るくて、俺の事ちゃんと考えてくれて、俺を頼ってくれるお前が、好きだ・・・自覚したのはたった今だけど、な」
「何それ、ふふ・・・」
「ぷっ、あははっあはは・・・」
 傍目から見ればおかしな光景である。顔を真っ赤に泣き腫らした女と胸元がびしょびしょになっている男が抱き合い、笑っている。
 やがてどちらともなく目を閉じて顔を寄せ、その距離が一瞬だけ無くなる。離れた唇はすぐまた触れ、今度は更に深く繋がる。喜鈴の唇を割って光司が舌を入れ、その異物感に最初は驚いた喜鈴もおずおずと自分の舌を光司のそれに絡める。
「ん、ちゅ・・・っは、ぅん・・・」
「んむ、ん・・・っぷぁ」
 一分近く繋がっていた唇を離し、少し緩んだ顔で光司が聞く。
「ファーストキスはレモンの味って言うけど、どうだった?」
 喜鈴は顔を赤くしたまま、息も絶え絶えに答える。
「っは、ぁ・・・はぁ・・・何か、へんな、かんじ・・・あたまがぼーっとして、穂高以外、何も見えなくなって・・・」
 そこまでを何とか言い切り、光司の肩に顔を乗せて息を整える。
「それに・・・凄く、嬉しい」


711 :私立笹岡恋模様:2007/06/11(月) 00:26:53 ID:Nf5tL6Uf
 そう言って自分の首に手を回した喜鈴の髪を撫でて目許に口付ける光司。更にゆっくりと喜鈴を押し倒しその上に覆い被さった後、遠慮がちに口を開く。
「坂下・・・その、いい、か?」
 その言葉の意味を理解した喜鈴は、光司を見詰めてから言葉を紡ぐ。
「いいよ、穂高になら・・・あ、でも一つだけ」
「ん?」
 喜鈴はそこで閉じていた瞳を開き、一つの望みを口にした。
「・・・なまえ、呼んで」
「名前?」
「うん、『坂下』じゃなくて、『喜鈴』って・・・お願い、『光司』・・・」
 名前を呼ばれ、心臓を高鳴らせる光司。やがて、笑顔で言った。
「ああ、分かったよ・・・喜鈴」
 互いに名前を呼び、見詰め合い、二人の唇が再び、重なった。

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最終更新:2007年08月14日 11:38