252 :夏の日(1):2006/12/17(日) 14:43:59 ID:tRr/DpMn
 油蝉の鳴き声が遠くに響く。時折吹き抜ける風が軒先の風鈴を揺らし、チリリ、と涼や
かな音色が暑気を遠ざけるような気がした。
 真夏の空は抜けるような青空だった。強い光は遠くの雲を真っ白に見せている。
 クーラーのない縁側で、ぼんやりと頬を伝う汗をタオルで拭った。
「麦茶のお代わり、いりますか?」
 背中にかけられた声に振り返る。隣に置いたグラスは、もう空だ。
「すいません。お願いします」
 一礼してそう答えると、「ちょっと待ってて下さいね」という言葉と共に、すぐそばに
女性が膝を下ろす。
 グラスを手にとって立ち上がると、彼女はそのまま台所へと消えていった。
 夏のむせ返るような草の匂いがかき消され、彼女の髪から漂う石鹸の匂いが鼻をくすぐ
った。

 クーラーも無いこんな田舎の家になんだって居るのかといわれれば、親戚の法事が理由
だった。しかも殆ど面識の無い母方の伯母の法事だ。本来なら両親が列席するのだろうが、
タイミング悪く祖母が入院してしまい、息子である自分が代わりに来ることになってしま
ったのだった。
「あの……」
 考えに耽っていると、背後から困ったような声がかかる。
 振り返れば、自分と同い年か、もう少し年下っぽい雰囲気の女性が困った顔をしてグラ
スを持っている。
「ああ。すいません。どうも」
 ゴニョゴニョと口の中でそんなことを言いつつ、彼女からグラスを受け取った。
 彼女はそのまま居間に戻り、畳に座る。テレビは高校野球の試合を中継しており、時折
アナウンサーの興奮した声が聞こえていた。
 彼女は、この伯母の家の娘だそうだ。自分とは従姉妹になるのだろう。だが自分は母方
の親戚とはほとんど付き合いが無く、彼女とも今日が初対面だった。
 家には他に人気は無い。
 本来なら法事ともなれば一族郎党が集まり無駄に騒がしいものだが、自分の到着が早す
ぎたのか、着いてみればきている人間は自分だけだったのだ。
「……はぁ」
 ため息混じりに縁側から空を眺める。
 関東の大都市で生まれ育った自分にとって、こういう田舎の家というのはテレビの中の
ファンタジーと同様だった。少なくとも庭先に鶏が放し飼いされているような家というの
は、想像の外だ。
「あの、ごめんなさい。お父さんもお母さんも、寄り合いに出ちゃってて」
「いやー。自分が早くつきすぎただけだから、そんな。気にしないで。むしろ早すぎてご
めん」
「いえ。そんな」
 沈黙に耐えかねたらしい彼女の言葉に答え、再び空を視る。
「……何か面白いものでも見えますか?」
「空が広いなぁ、と」
「はぁ」
 よく分からない、という雰囲気で頷いた彼女を背に、冷えた氷で汗をかいたグラスを口
に運んだ。


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最終更新:2007年08月14日 11:33