「・・・いつ助けが来るか分からないし・・・どうしよう・・・」
 「う、うん。とりあえず体力を消耗するようなことは避けないと」

不安そうな顔。横顔はまだ幼さの抜けない少女だ。
泣いていたのか、目が腫れているように見える・・・。

しかし、一緒に不安がっていても仕方がない。
彼は何か使えるものはないか荷物の確認する。
もしもの時のために背負っていた小さなリュックに
いくつか食糧と携帯電話を入れてあるが・・・

 「そうだ・・・何か食べ物は持ってる?」
 「何も無いです・・・・・・あ、ポケットに飴があります」
 「飴か・・・俺の食糧を二人で分けようか。」
 「えっ、良いんですか?」
 「良いよ、こんな状況だし。ただし食べるのは少しずつだけど・・・我慢できる?」
 「はい・・・ありがとうございます」

頼みは、この仄暗い洞窟と少ない食糧、防寒具。あとは救助を待つしかない。
気付けば辺りは暗くなっていた。吹雪が治まる様子もない。
最初二人きりになった時は、変に緊張していたが、
今は「二人体を寄せ合って」なんて気分にもなれない。
沈黙の合間、吹雪の音だけが虚しく耳に響く。

 「え・・っと・・・君は、いつからこの洞窟にいるの?」
 「え?あ・・・はい、今日です。家族とスキーに来てたんですけど・・・雪崩がきて・・・」

沈黙に耐え切れず男の方から会話を切り出してみたが、
状況が状況だけに、やはり明るい話題とはいかない。
「目が覚めたら・・・どこにいるのかさっぱりで・・・・・・・・・えっと」
 「そっか・・やっぱりあの雪崩か・・・。俺もそうだよ。友達とスノボに来てて・・・
  正直死んだと思ったけど・・・意識が戻ったら一面足跡一つない銀世界さ。
  ・・・あ、友達って大学の奴らなんだけど・・・君は?高校生?」
 「中学生・・・中2です。・・・何歳ですか?」
 「(も・・・もっと下でしたか)お・・・俺は19だよ。そ・・それでさ
  必死で歩き回ってたらこの洞窟見つけて・・・で、中に入ってみたら君がいて」

少し焦ってしまったが・・・やはり冷静になろうとしているつもりでも、
正直この先どうなるか分からない状況下では、口も上手く回らない。

 「私もそうです・・・。もう一人でいる時は泣いてるだけで・・・誰か助けに来ないかって・・・」
 「そっか・・・俺が救助隊員だったら良かったけどね・・・」
 「あ・・・ごめんなさい・・・そんなつもりじゃ」
 「えっ?い、いや謝ることないよ!嫌味とかじゃないから・・・ごめん変な事言って・・・」

どちらも“そのつもり”じゃなかったのだが・・・
わずかな希望しかないこの過酷な状況で、
慣れない初対面同士の男女の会話が盛り上がるというのも珍しいが。

 「・・・・・・」
 「・・・・・・」

 (あーあ・・・俺って女と話すとすぐこうなるんだよなぁ・・・はぁ・・・。
  19にもなって、中2の子供とすらまともに会話できないなんてな・・・・・・)

会話のミスなど今の状況においては大したことじゃないが。
少女は下を向いて黙ってしまい当分目も合わせづらくなってしまい、
大学生は小さく溜息をついて遠い目をして洞窟の出口を見つめるしかなかった。
 「ん・・・・何時だろ」

遭難2日目の朝を迎える。先に男が目覚めた。
幸い洞窟の中で、何とか厚着して睡眠をとることはできた。
極寒には変わりないが、外で寝るよりは幾億倍マシだ。
あの雪崩から脱出し、目が覚め、洞窟を見つけられたこと自体が奇跡なのだから。

腕時計は午前6時41分。
普段は携帯が時計代わりで全くつけない腕時計だが、
雪山ということでたまたま身につけていた。
こんな時は携帯電話などより余程ありがたい。

 「よし・・・ちょっと外見てみるか・・・・・・いててて」

重たい体を起こそうとした瞬間、全身を激痛が襲う。

 「昨日の晩は気にならなかったけど・・・色んなとこ痛めてるな。・・・スノボ中もかなりコケたっけな」

一晩休んでから痛みに気付くのは騙された気分だが
今は“痛みに気付く”ことができるだけでも嬉しい。
ついでに自分以外の吐息が聞こえることにも気付く。

 「・・・そうか。もう一人いたよな。・・・っと」

少女を起こさぬように近寄る。
別に起こしてもいいが何となく寝かせておこうと思った。

 「・・・・すぅ・・・すぅ・・・」
 「・・・こっちも無事」

生存を確認し、その後とりあえず洞窟の外へ
吹雪も夜中よりは治まり視界もかなり回復した。
山の地形を確認して自分の位置を把握しないといけない。

出口から前方100mは傾斜の弱い平地。
右手の方向を眺めると登りの傾斜が伸びる。
左手から真正面に向かって降り。
 「雪はパラつき程度・・・それでも遠くになると見えにくいな。
  リフトでかなり上の方まで来てたし・・・大学の奴らは無事なのかな」

地図も磁石も無し。とりあえず降って確認することに・・・。
しかし、洞窟が遠ざかれば遠ざかるほど不安が大きくなる。
下山はもちろんしたいが、洞窟を離れたくないのも本音だ。
一歩一歩寒さと恐怖に堪えながら先へ進む。

 (何メートル流されたんだろう。必死で雪の外へ出ようともがいて・・・鼻と口の中は雪だらけで。
  流れが止まってからはコンクリ状態。でも必死で。だけど呼吸が続かなくって意識が・・・)

記憶を辿っていくとますます寒気がする。
何度と無く洞窟の位置を確かめるために振り返り、恐怖を抑える。

 「よく目ェ覚めたな。悪運強いのかな・・・・・あっ」

数百メートル歩いたあたりから、傾斜が徐々にきつくなり、
新雪が多くなり足の半分以上が雪に埋まる。
それでも無理をして進んだ、その先だった。
道が無い。
ボードでも歩行でも厳しい急斜面が大きく横たわる。

 「ここに流されてたら・・・洞窟にも辿りつけて無いな・・・」

さらにその先、普通に降るのは不可能だと判断し、洞窟へ引き返すことにした。

ラッセル(深雪を踏み固めながら進むこと)をせずに深雪の上を歩いてきたので
吹雪が弱い内に帰らないと、また数時間ほどで道が消えてしまう。
そうなったら再度遭難だ。吹雪もいつまた強くなるか分からない。

 「登りも雪が深いな・・・・・・これを登れるか?・・・いや俺とあの子だけじゃまともに進めるかどうか」

ラッセルは体力が要る。
大の男が二人でやれば進めないこともないが、少女と二人じゃとても・・・
最悪洞窟へ引き返す体力を残すことを考えたら、あまり進めないだろう。

一人であれこれ考えながら歩いている内に洞窟が見えてきた。
入口のあたりで人影が見える。

 「・・あれ?・・・あ・・」

少女だ。一人できょろきょろしている。
腕時計を見ると8時手前。起きていてもおかしくない。

 「ちょ・・・おーい!何やってんの?」
 「・・・!」

洞窟前に到着。少女が小走りで近寄ってくる。

 「え・・」
 「うう・・・・うっ・・・どこ行ってたんですかぁ・・・・」

泣いている。今度はどう見ても泣いている。
顔はくしゃくしゃだ。ずーっと入口の前で泣いていたらしい

 「あああ・・・いやいや、その・・・・地形をなっ」
 「目が覚めたら・・・いないし・・・・・・置いてかれたかと・・・ふぇっ・・・えぐ・・・」
 「ああああああごめんごめんごめんマジでごめん・・・置いていったりなんかしないって!」
 「ひっく・・・ひっく・・・・・・・」
 「と、とりあえずさ、、、中入って・・・ほら、吹雪いてきたし・・・・・」
中に入って、とりあえず腰を落とし一息。
その後少女にタオルを手渡した。

 「これ・・・顔拭きなよ・・・昨日から使ってるけど」
 「・・・うん」

落ち着いてる素振りは見せるが、内心はかなり不安である。
少々進んだぐらいでは深雪に囲まれた尾根は渡り切れそうもない。
スキー中に遭難したので、テントなどビバークの用意も当然無い。荷物が手薄すぎる。

 「・・・」
 「・・・・・・下山・・・できますか?」
 「・・・普通に降れば斜面がきつくて、沢もあるかも・・・あれ以上は無理だった」
 「・・・」
 「雪崩で流されてるけど・・・昼間見た限りじゃ、たぶん、尾根からそう遠くないと思う」
 「・・・・・・」
 「でも・・・この辺一体かなり雪が深い。装備も手薄だし・・・天候が悪いままだと、登りも相当厳しい」

雪崩に遭い、洞窟に避難して一晩。精神的にも肉体的にもかなり参っている。
少女の方はとっくに限界だ。
男も何とかなだめてはいるが、この寒さ、疲れも抜けない上に天候が悪い。
これでは捜索隊のヘリも飛ばせないだろう。携帯も電波が入らない。

 「・・・・・・」
 「・・・捜索願は出てるだろうし・・・だからもうこれ以上動かない方がいいよ」

 


―――午後15時を過ぎた。

洞窟で少しばかりの食事を摂り休養。
14時半あたりを過ぎてから更に吹雪が強くなってきた。
捜索隊が近くに来ている様子もない。
このままではもう一晩この洞窟で過ごすことになりそうだ。

 「・・・・・・落ち着いて・・・ますね」
 「え?・・・いや・・・そんなことないよ。ビビんの堪えようと必死だよ」
 「・・・そうなんですか?」
次第に会話も無くなり始め、遭難2日目の夜を迎えた。
明かりのないこの洞窟では、闇は自分の姿を塗りつぶし、
吹雪の音には自分の心そのものをかき消されてしまいそうだ。
こんなにも怖く長い夜は無い。洞窟が地獄への入り口にさえ思えてくる。

 「・・・・・・」
 「・・大丈夫?寒くない?」
 「・・・・・・」
 「・・・?・・・おい?」
 「・・・・・・」
 「・・・!ちょっと!おい!?」

返事がない。
真っ暗で何も見えない中、男は少女のいた方向へ飛び掛った。

 「・・・んっ・・・はい」
 「・・・!あっ・・・良かった・・・大丈夫?」
 「・・・・・・」
 「・・・?うわっ・・・めちゃくちゃ冷たいぞ」

触れたのは少女の頬。
寒さでかじんだ自分の手で触れても、少女の体温の低さに気付かされる。

 「寒いんだろ!?」
 「・・・は・・・・はい」
 「何で言わないんだよ!」

リュックから懐中電灯を取り出し、少女を照らす。
顔色が昼間よりも青白く見える。そして少女の“服装”に気付く。

 「・・・ジャケットの下・・・フリースと・・・下着だけ?」
 「雪崩に遭う前に・・・スキーで汗かいてて、脱いでて・・・」
 「・・・もっと早く・・言わなきゃ」

子供のしてる事・・・少女なりに年上への遠慮もあったのだろう。本気で怒っても仕方ない。
今まで気付けなかった自分もどうかしてる、と男は自責の念に駆られた。
男はすぐさま自分の着ている上着で少女を覆い、
二枚重ねのズボンの一枚も彼女に履かせた。

 「まだ寒い?」
 「・・・」
 「言わないと分かんないよ」
 「・・・・・寒いです」
 「・・・」

 (うう・・・あ、あの手しかないのか。俺もこれ以上脱ぐわけにいかないし)

男は少女の抱き寄せ、体全体を使って温め始めた。

 「・・・!」
 「ご、ごめん・・・ちょっと我慢して。服の上から触れるだけだから」
 「・・・・・」

抱き寄せて腕でさすったりしながら、少女の手袋も外してみる。
指に紅斑が生じ、しもやけになっていた。

 (ここまでやってんだ、もう遠慮なんてしない)

少女の手を自分の手で握り込み、
スキー靴を脱がせて、少女の足の先を自分の膝の裏に挟みこんだり、
足でさすったり・・・幸い身長差もあって何とか体勢的にも可能だったが、
両足同時にはできそうにないので、これを交互に行う。

 (うあああ・・・めっちゃくちゃ良い匂い・・じゃねぇ!)
 「こ、こんなことしてるけど・・・俺絶対変なことはしないから」
 「・・・・・・」

何か矛盾しているような、そうでないような。
男は夜通し少女の介抱に付き合った。
息遣いが伝わるほどの距離。自分もかなり温まってきた。

 (最初からこうすれば良かったのか・・・?いやもういい・・・。今はどうでもいい)
翌日、翌々日・・・
吹雪が治まる気配は一向に無く、少女はとうとう発熱を起こした。
ヘリの音をひたすら待ちながら、男は懸命に介抱した。

食糧は少女の分を多めに、自分は少しだけ食べるようにしたが・・・
元々持っていたストックが少ないためにほとんど底を尽きかけていた。

遭難4日目の夜。
再び強く吹雪始め、寒さは限界にまで達した。
少女を介抱しながら意識があるのを何度も入念に確認し、
男も自分の意識が朦朧とし、度々飛びそうになるのを必死で堪えたが・・・。

いつのまにか意識は途切れていた。

死ぬ恐怖
死ぬことに気付けない恐怖
意識が薄れていく恐怖
意識を失う瞬間が分からない恐怖

これで二度と目覚めないんじゃないか・・・?
震えていたのも、そんな事を思う余裕があった内だけだ。
もはや震えすらも止まっていた。
 「・・・・・・うっ」

朝。重い瞼を開けると・・・前日までと少し変わった景色があった。
太陽が顔を出し空は明るい。吹雪は若干弱まっている。
うなされていたわけじゃないが、当然気持ちの良い寝起きでもなかった。
頭がボーッとして重たい。

 「・・・“目覚められた”・・・か」

時計は7時18分。
時間を確認し、重たい体を起こす。
まともな食事も摂れず洞窟で4泊。
体の感覚が鈍く、手先がまともに動かない。

 「・・・・あ・・・あの子は・・・」

少女がいない事に気付く。
昨晩は夜を徹して介抱していたが、そのまま眠ってしまったようだ。
体には少女の着ていたスキージャケットが掛けられていた。

 「あの子が着てた・・・これ脱いで一体どこに?・・・あれ?」

一抹の不安が過ぎり洞窟の外に目をやると、人が立っている。
少女だ。男は重たい体を前に押し出すように洞窟の外へ。

 「・・・お・・おはよう・・・もう大丈夫か?」
 「あ・・・はい。おはよう・・ございます」
 「・・何してんの?」
 「明るくなってきたんで・・・ヘリが来たら見つけてもらえるように・・・」
 「そ・・・そうか、フリースが赤だもんな。ジャケット脱いだのはそういうわけか」
 「あ、ジャケットは違います・・」
 「え・・・?」

一瞬「どういうこと?」と聞こうとしたが・・・
勘の鈍い大学生でも、さすがにその先は色々思考して聞くのをやめた。
 「・・・・・」
 「・・ごめんなさい。迷惑かけちゃって」
 「・・・い、いや・・。俺も・・・悪い・・その」
 「・・あ、いいです、大丈夫ですよ。分かってますから」
 「う・・・うん」

目がかすむ。喉もおかしい。
少女の方を見てはいるが、“見れていない”ような感覚・・・。

 「・・大丈夫ですか?声が・・・」
 「ん?・・・・・・ああ・・・大丈夫・・・」
 「・・・私の・・・」
 「い、いやそうじゃない。関係ないよ。」

実は少女の方も食事はほとんど摂れておらず・・・熱もまだ引いてはいない。
介抱でぎりぎり生命を維持できたこと以外に特別回復に向かう要素もなかった。
火も起こせない現状では明晩・・・今晩が限界だろう。
この寒さでまた吹雪いてくれば何度も夜を越せるものではない。

 「顔色も・・・あ・・すごい熱・・・!」
 「・・い、いいよ。それより今ならヘリが来れば見つけてもらえる」
 「いいです、まだ時間はあります。洞窟の中へ・・・」
 「ダ・・メだ。山の天気はすぐに・・・変わる。しかも山の上の方だ。立っているんだ。
  フリースの方を手に持って、俺のジャケットを貸すから、二枚重ね着して・・」
 「食糧・・・まだありますよね。とりあえず食べてください」
 「いいから!」
 「ダメです!」
 「・・・ッ」

少女に気圧され肩を借りて再び洞窟へ

 「横に寝て・・・・・スナックが少し残ってます」
 「・・・いいよ・・・君が食べなよ」
 「食べてください」
少女の言葉ももう聞こえているような聞こえていないような・・・
そんな最中、無意識に彼女の額に手を当てていた。

 「・・・熱・・まだあるな・・・頭痛は?」
 「今は・・そんなこといいです」
 「天候が良い今の内・・体が動く内だ。外にいるんだ。俺は大丈夫・・・」
 「喋れるのなら・・食べてください」
 「いいって・・・どっちかが外にいなくちゃ・・」
 「外にも出ます。だから食べてください」

少女の方も食い下がる。
男が意地になってるのだが、少女の方とて介抱してくれた恩を忘れはしない。

 「・・・それは君に残してた分だし・・」
 「ていうか・・・食べてないですよね?二人で食べたにしては減ってないです・・」
 「・・・食べたよ。けど君は熱出してたんだ。余分に摂らなきゃこの二晩持たなかったはずだろ」
 「・・・」

少女が一瞬辛そうな顔をした瞬間
男の胸に寄りかかってきた

 「・・・・・・」
 「・・・ごめんなさい。ごめん・・・」
 「・・・いいって・・そんな事より・・・さあ」
 「私たち・・・もうダメです・・・。今日こんな状態で吹雪いたら・・・もう・・・」

少女が泣き崩れるようにして呟いた時、男もどうしようもない感覚に見舞われた。
最期になる。少女へかける言葉は“最期の後”の話だった。

 「・・・もしもの時は・・・俺の服は君が着ろ。あと・・・ポケットにライターがある。
  の・・・残ったリュックや余った服を燃やして火を・・・何だったら俺の体ごと焼いていい」
 「・・・っ!!そんなこと・・できません・・・」
 「・・気持ち悪いとか・・・この際考えちゃだめだ。どうせ死体だ。
  二人して死ぬより・・・片方の死体をどうにか活用して生き残るぐらいしないと・・・」
 「やめてください!そんな話聞きたくないです」
 「・・・・・・」
少女が寄りかかったまま暫し沈黙
男は意識が朦朧としたまま少女に体を預けるように遠い目をしている・・・が
・・・少しでもいい、何か話しておきたかった。
舌が痺れ、喋るのも辛くなってきて尚、何か話さずにはいられなくなっていた。

 「あのさ・・・好きな子いるの?・・・彼氏とかさ」
 「・・・え?」
 「いや・・・俺・・・勝手にべたべた触ってたし・・・恋人いるなら悪いな・・って」
 「・・・・・・中学の・・・同級生・・・片思いですけど」
 「そっかー・・・ごめん」
 「お兄さんは?彼女とか・・・」
 「はは・・・いないな・・・いたら彼女とここ来てるよ」

他愛ない会話だが、実は最初に顔を合わせた遭難当日の夜以来。
この余裕も空元気か。もう半分吹っ切れてしまった。

 「・・・触ったの・・・気にしてないですから・・・そのつもりじゃなかったんでしょ?」
 「え・・・?・・・んー・・どーかな」
 「へ・・変な気持ちあったんですか?」
 「あ・・・・いや、介抱は真剣だったよ。でも・・・悪いなーって思いながら・・・
  胸の高揚を抑えてたのも事実かな・・・。馬鹿だろ?・・・意識しちゃってさ」
 「・・・意識?」
 「・・・えっ・・あ・・っ・・・・・・意識ってのは・・・その・・・」

この期に及んで何だか妙に胸が高まってきた。
距離が近すぎるのか。意識が朦朧としていて既に正気じゃないのか。
いや、距離が近いのは最初からそうだ。
介抱中などずっと付きっきりだった。
近づいているのは違う・・・別の“距離”だ。
 「俺たちさ・・・その・・・雪崩に遭って・・・一度意識を失って・・・」
 「・・・・・」
 「気付いたら・・・・雪崩の外にいて・・・・それだけでも奇跡なのに
  歩き回ってたら・・・・・・洞窟に辿り着いて・・・全部一緒だよな・・・」
 「あの・・・」
 「同じような・・・目に遭っていて・・・同じように辿り着いて・・・」
 「喋るの辛くないですか・・・?舌が麻痺してるんじゃ・・・」
 「・・・・・・寒いからな・・・舌も・・・・・・」
 「・・・・・・」
 「まあ・・・それでもそんなすぐには死なないよ・・・大丈夫だから・・・早く外に・・・」

男は軽く微笑んで外へ出るように促した。
少女は俯いてぽつりと呟く。

 「嫌です・・・」
 「・・・え?」
 「また・・最初の朝みたいに・・・一人で勝手に行くんですか?・・・そんなの嫌です」
 「・・・(結局帰ってきたんだけどな)・・・一人だけでも」
 「一人でも生き延びろって言うなら・・・私を捨てて一人で生き延びれば良かったじゃないですか。
  何で私を助けたんですか?一人で・・・なんて・・・そんなの・・・ずるいです・・・。」

答えにくそうな表情をし、少し落ち着こうと一息。
「何でって・・・」と心の中で思いつつ・・・
最初に比べると少女の口数も増えたものだなと振り返る。
男にとっては、この状況で変に警戒されるのも厄介だし
微妙な距離感を意識して接していたつもりなのだ。

 「・・・じゃあ・・・そばに」
 「え?」
 「このまま・・・」
 「・・このまま?」

意識なんてする必要はなかったのかもしれない。
そもそも遭難した男女が雪山の洞窟で二人という状況が
計らずとも距離を詰めさせてしまうのだから。

 「俺と・・いて・・・ここに」
痺れて動きの鈍い舌で途切れ途切れではあるが確かにそう言った。
「寂しいから一緒に」とは大の男が言うのは何とも照れくさく・・・
ましてやこの状況で男の方がそんな頼りない言葉を発していいものか・・・
ずっと自問自答しながら、彼女の前では気丈に振舞ってきた。

 「・・・寒いですか?」
 「・・・」
 「言わないと分からない・・・って誰かに言われたんだけどな」
 「・・・寒い」

 (・・・顔近いな)

寒い。寒さで意識が飛びそうだ。
少女と密着している。体温が伝わってくる。
もっと温もりが欲しい。

 「・・?え・・・・・」
 「・・・」

男は少女の額に優しくキスをした。

 「・・・っ・・・ん」

 (きっと本能だ。本能のせいだ。)

 「寒い・・・寒いよ・・・・・・」

衰弱した男の声にならない声が少女の耳元に響いた。

「雄は弱った時に性欲が高まる」という話があるが。
この場合は「寒いから温もりを求める」のか「性欲が高まってる」のか・・・どちらだろう。

 「ん・・・・・・」
 「・・・ん・・・」

32 名前:雪山編16[sage] 投稿日:2006/08/07(月) 05:20:50 ID:ThTp4Apl
唇が重なる。
男に抵抗する気も起きなかったこと、少女はそれを不思議に思った。

男女が二人きりになった時、遅かれ早かれ性の意識は当然生まれる。
これは男も女もそうだ。ただし女は男以上のリスクがある。

この場合、男がまともでなければ・・・いやまともであっても
絶望した末に気が触れ、強姦され、果てには殺され・・・
洞窟に男が現れた瞬間は、十分にその危険を感じた。

今の衰弱した彼であれば、突き放そうと思えば出来ないことも無い。
ただ・・・この壮絶な数日間を共に経ることで、
二人の間の溝が埋まっていったのは確かで・・・

いや・・・少女にとっては、まるでそんな努力は徒労だったかのような穏やかな表情だ。
少女はとっくの前に見抜いていたのかもしれない。男の全てを。

 (・・・・・・大丈夫)

 「ん・・・あ・・・・・・ごめんっ・・・俺」
 「・・・温まり・・・・・・ましたか」
 「え・・・」
 「・・・口の中・・・」
 「・・・・・・い・・・・・・・いや・・・・もう・・・少し」
 「・・・・・・ん」

33 名前:雪山編17[sage] 投稿日:2006/08/07(月) 05:24:10 ID:ThTp4Apl
唇が再び重なり合ったとき、
男の中では
降り積もった雪が溶けて
温水になって流れて出ていくような・・・
そんな不思議な感覚に見舞われた。
胸の高揚感が全身にまで行き渡り、
満足に動かせない舌は必死に、少女の熱を求めていた。

 「・・・・・・聞こえる」
 「・・・?ヘリの音・・・ですか?」
 「いや・・・鼓動・・・胸の」

待ち遠しいヘリの音よりも、やかましく聞こえる。
だけど・・・とても心地良い音だった。

意識が遠のいていく・・・
少女の胸の中に埋まるようにして、彼女の鼓動と温もりを感じながら・・・
しかしそれは・・・過去数日のような嫌な感じのものではなかった。

 (・・・・・・・・・・)

唇が再び重なり合ったとき、
男の中では
降り積もった雪が溶けて
温水になって流れて出ていくような・・・
そんな不思議な感覚に見舞われた。
胸の高揚感が全身にまで行き渡り、
満足に動かせない舌は必死に、少女の熱を求めていた。

 「・・・・・・聞こえる」
 「・・・?ヘリの音・・・ですか?」
 「いや・・・鼓動・・・胸の」

待ち遠しいヘリの音よりも、やかましく聞こえる。
だけど・・・とても心地良い音だった。

意識が遠のいていく・・・
しかしそれは、過去数日のような嫌な感じのものではなかった。
少女の胸の中に埋まるようにして
彼女の鼓動と温もりを感じながら
まるで体の内と外の全てが何かに包まれていくような・・・

 (・・・・・・・・・・)

 


 「・・・・・・」
 「・・・っ!おおお?!おいっ!目ェ覚めたか!!」
 「・・・?あれ?」

再び目を覚ましたその場所は、厳寒の雪山でも薄暗い洞窟でもなく・・・
薬品の匂いが鼻を擽る病院のベッドの上だった。
一緒に旅行に来た大学の友人が椅子を後ろにガタンと倒してベッドへ駆け寄った

 「はぁー・・はっははは・・・よかったな~!おめーはぁ・・・」
 「・・・病院・・・か?」
 「そーだよ、これは点滴!こいつはおめーの手と足とチンコ!見えてっか!?」

笑顔がこぼしながら冗談を飛ばしつつ状態を確認する友人
男の方はまだ冗談を言われて笑えるテンションではないが
一先ず生きて帰ってきたことは認識した

 「・・・あ・・・はは。俺もお前も生きてたのか。・・・他の皆は」
 「お前以外は無事だよ。お前が雪崩で飲まれてからすぐ山降りて救助を待ってたけど、
  帰りの飛行機代とかも色々あってな、もう一足先に地元に帰ってもらった。」
 「そうか・・・無事で良かった」
 「で、皆で話し合った結果、年長の俺が最後まで残ったってわけ」
 「・・・悪いな。余計な迷惑かけて」
 「んなーに言ってんだよ。雪崩なんだから気にすんなよ」
 「ん・・・いや。」
 「あ、お前の母ちゃんもこっち来てっぞ。今買出しで外行ってるけど」
 「あはは・・・5日ぐらい遭難してたからなぁ・・・親も来るわな」

友人も心配していたようだが、そんな事も感じさせないぐらい笑顔がはじけていた。
その笑顔が自分の状態が深刻なことにならずに済んだことを自然と悟らせてくれる。

47 名前:雪山編19[sage] 投稿日:2006/08/14(月) 04:20:19 ID:FRqmNhFS
少し談笑した後、携帯電話を取り出し、地元の仲間に連絡を入れる。

 「もしもしー・・おう、こっち目ェ覚めたぜ。おお・・・何日か大人しくしてりゃ帰れるよ」
 「・・・・・・」
 「ああ、大丈夫大丈夫。・・・ん?ああ、横にいるいる。代わるか?ほれ」
 「・・・あ・・・久しぶり。・・・ん・・・・うん。心配かけてごめんな。」

両親にも連絡を入れると、生きてる実感みたいなものが心の底から湧いてきた。
親の声が聞けるってこんなにもホッとするものだろうか。
明日にもまた病院へ来てくれるそうだ。

 「それにしても・・・記録的な大雪だったらしいぜ。天気予報とか全然アテになんなかったなぁ。」
 「・・・ま、俺もちょっと上達したからって調子乗りすぎたよ。昼からきついコースばっか滑ってたからな。」
 「んなことねーって。雪崩に飲まれた奴は他にもいたみたいだし、気失いながら生きて帰ってこれただけでもマシってもんさ」
 「ん・・・そう・・・そうだな」

 (・・・・・・・・他にも?)

 「食欲あんの?あと数日養生して」
 「あの・・・・・・子」
 「えっ?」
 「女の子は?俺が救助された時・・・一緒にいなかったか?・・・助かってないのか?」

意識がはっきりしてきた頃、あの少女のことをはっきり思い出した。
さっきまでリラックスしていた顔が一気に険しくなる。

 「・・・ええー・・・?一報が入ってすぐこっちに飛んできたけど・・・
  着いた頃には救助はお前一人だけの雰囲気だった・・・ような」
 「・・・は!?んなバカな。確かにいたはずだよ、洞窟で一緒に・・・」
 「洞窟?お前が救助されたのって尾根の上だったって聞いたけど」
 「ッ!?俺洞窟で避難してたはずだぞ!?そこでは一人じゃなくって・・・もう一人・・・女の子が」
友人も男のただならぬ焦りように友人も段々と表情が変わってきた。

 「じゃあ・・・他に飲まれた奴って・・・・・・その」
 「・・・っ」
 「・・・!?ち・・・ちょっ!?」
 
男は思い立ったかのように点滴の針を引っこ抜いた。
何日も横たわっていて感覚の鈍りきった体を起こし、病室を飛び出した。

 「ど・・・どこ行くんだよーーっ!なぁーーー!」

友人も慌てて病室から出るが、既に廊下に男の姿はなかった。
男はエレベーターも使わず階段をダッシュで駆け下りる。1階の受付へ向かって。
堰を切ったように、安静にしていた体中に血が回る。

 「・・・はっ・・・はっ」

 (俺が・・・俺が一人で・・・!勝手に眠ったから・・・!)

 「まさか・・・あいつ一人で・・・どうにかして俺一人だけを助けたんじゃ・・・!」

噴出す汗。まるで不安が形となって一斉に噴出したような。
心拍数がはね上がる。心の臓も心の声も鳴り止まない。

 (馬鹿だ・・・!無理矢理にでもあいつに外で・・・ヘリを待たせてれば良かったんだ!
  つまんねー俺の身勝手で・・・あいつ・・・あいつ・・・!何なんだよ・・・!おれ何やってんだよ・・・!何で・・・)
 「はあっ・・・!はあっ・・・!畜生っ・・・!・・・うわっ!」
 「きゃっ」

ドンッ

1階階段昇降口を降りて右折した瞬間、目の前にいた誰かと衝突した。

 「痛っ・・・ご・・・ごめん」
 「すみません・・・ボーッとしてて・・・・あ」
 「あ・・・・・・」

それは捜し求めていた「誰か」だった。
 
 「も・・・もう動いていいんですね」
 「・・・~っ!」

男と同じように入院しているので、寝巻き姿の少女。
どうやら昇降口隣の自動販売機コーナーから出てきたところだったようだ。

ばったり出くわした男の表情はまさに“言葉が無い”といった感じで・・・
無我夢中で、その場で、少女を思い切り抱きしめた。

 「あ・・・あのっ・・・どうしたんですか」
 「・・・・・・あ・・・ご・・・ごめん・・・俺・・・俺・・・」
 「お・・・落ち着いて・・・・」
 「は・・・ははっ・・・そうだな・・・落ち着いて・・・」

息ができない。落ち着かない。
ここまで走ってきたからというだけではない。

 「・・・!」
 「あ・・あれっ・・・」
泣いていた。

極度の緊張と不安で神経をすり減らした雪山。あれから数日。地獄から天国だった。
救助隊に保護され、病院で治療を受け、温かいベッドで点滴を打ちながらぐっすり。

ただ、洞窟で意識を失ってからの少女の行方を知らなかったことが、唯一にして最大の不安となった。
しかし、その不安はすぐに解消された。

全ての不安から解放された時、男の両目は涙で溢れそうになっていた。

 「・・・ど・・・どうしたんですか」
 「い・・・いやっ・・・その・・・君が救助されてないのかと・・・」
 「・・・!・・・大丈夫ですよ。二人で・・・助かりました」
 「病室で目が覚めたら・・・寝込んでるの俺一人だけだったから・・・」
 「私は・・・救助された時も発熱と軽い凍傷だけで・・・何とか立っていられたので・・・だから治療も病室もお兄さんとは別になって・・・」
 「ははっ・・・そっか・・・・・・みっともねー。一人だけ・・・突っ走って・・・ごめん」
 「そ・・そんなことないです。で、でも走って何処に・・・?」
 「受付で・・・まず確認してもらおうと・・・君がいるのかを・・・」

呼吸を整えながら、途切れ途切れに話していく。
少女は袖で涙で濡れた男の頬を拭い、じっと顔を見つめた。

 「確認って・・・名前は・・・」
 「・・・あ。そういや名前・・・俺たち・・・」
 「・・そうですね 5日も一緒にいて・・・名前も聞いてませんでしたね」
 「あははは・・・」
軽く微笑みを交わし、再会の余韻に浸る男と少女。

 「・・・体はもう・・・いいんですか?」
 「ああ・・・。色々・・・考えながら・・・ここまで走ったら・・・疲れとか全部吹っ飛んだ」
 「そう・・・ですか」
 「結局・・・俺の方が色々心配かけちゃった・・・な。もう大丈夫だから。」
 「いえ・・・」
 「・・・」

ただ・・・大の男が少女の両腕を掴んで、二人向かい合っている図は

 「・・・・・・あのぅ」
 「え?」
 「ここ・・・昇降口は人が多いです・・・」
 「げっ!?あ・・・悪い・・・」

嫌が応にも横を通り過ぎる人の注目を集めていた。

 「び・・・病室戻りましょうか・・・私の」
 「お・・おぅっ・・・そうしよっ」

しかし、死の淵を見ていた洞窟で二人身を寄せ合っていた時よりも
今この状況で二人でいる方が、遥かに喜びや温かみを感じずにはいられない。

「不可抗力」が人の力の及ばないものなら・・・
何かの不幸に巻き込まれることよりも
先刻見せたような「涙の流し方」・・・
即ち大切な人を想って思わず零れ落ちてしまう
そんな風に現れる“力”であってほしい・・・

病室へ戻る途中、つないだ手の中にそっと願いを込める二人であった―――。

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最終更新:2007年08月13日 17:03