第四章『君の印象』

初めて出会う君に思いを得る
合ったり合わなかったりする事を

     ●

 夜が訪れると学校はその性質を変える。勉学と交遊を楽しむ施設から、闇に沈む先行き不明の迷宮へと。
「忘れ物で夜の校舎に潜入なんて・・・私は小学生かっちゅうねん」
 はやては尊秋多学院の校舎を歩いていた。手に持つペンライトが暗い廊下を僅かに照らす。
      • こんな時に限って、なのはちゃんもフェイトちゃんもお仕事で留守やし・・・
 頼りにならない親友をはやては思う。こんな夜更けまで帰らないとはよぽど長引いているのか、という心配と共に。
 不意に見た窓には夜空がある。だが窓にはもう一つ映るものがあった。額に絆創膏を貼ったはやての姿だ。
「・・・佐山君、次会ったら覚えときや・・・っ」
 乙女を傷物にした罰は受けてもらう、とはやては思う。佐山のデコピンは痕を残し、額に絆創膏を貼る羽目になったからだ。いかなる刑に処すべきか、と廊下を進み、気付けば目的地に辿り着ついていた。
「美術室。・・・多分ここやと思うんやけど」
 はやては眼前の扉を睨むが、いつまで経ってもドアノブに手をかけなかった。
「べ、別にこわいとちゃうねんで? この中に何かいるんかなとかなんて・・・」
 行き先不明の弁明を呟けば首筋を何かが撫でた。
「ひぇっ!? ・・・か、風か? 驚かさんといて」
 振り返れば確かに窓が半開きになっており、まるで急かされた様だ、とはやては思う。
      • だ、だって・・・何か出たら怖いやん・・・っ!
 うぅ、と涙目にはやては唸る。誰か代わってくれー、と思いながら。しかし誰かがいる訳もなく、
「えぇい、女は度胸! ――かかって来いやーっ!!」
      • すんません! 何かおってもかかって来んでくださーいっ!!
 二つの意思を持ちながら、はやては美術室の扉を思いっきり開いた。
 その眼前に室内が晒される。暗がりは月明かりに照らされ、キャンバスや机、汚れた戸棚がその陰影を僅かに浮かばせていた。再び吹いた風が大窓のカーテンをはためかす。
「・・・さっさと見つけて、こんなトコおさらばやっ」
 はやては身を低くして探索を開始、ペンライトと月明かりを頼りに模索すれば、
「おー、あったあった。・・・“おしおき天使ソドムちゃん”、早いとこ衣笠書庫に返さんとなー」
 そう言ってはやては立ち上がり、そこで一つのものを見た。
「―――森?」
 それはキャンバスに描かれた風景だった。匂いと一見した材質から油絵である事が解る。
「美術部の誰かが描いたんかな? でもこれは・・・」
 その絵からはやては、誰かの回想を覗いているような感覚を得た。
      • まるでアルバムを・・・そう、古い写真を見てる様な・・・
 何だろうか、その思いにはやては手を伸ばす。そして表面に触れるかというその時、
「・・・・っ!?」
 突然音が響いた。はやては身を竦ませ、
「あいたっ!」
 尻餅をついた。あぅ、と尻をさすりながらはやては周囲を見渡す。原因は背後の椅子にいた。
「――黒猫?」
 闇と同色の小動物、光る両目をこちらに向けるのは確かに猫だ。一体どこから、はやては呟こうとした。だが意志に反して喉は声を紡がない。
      • 引きつっとる?
 気付けば目尻に涙もある。あ、こらあかんわ、とはやてが思った時には意図せず息が漏れ、
「・・・大丈夫ですか?」
「うぉっひゃうっ!?」
 新たに響いた声で完全に涙をこぼした。

     ●

「落ち着きましたか? 生徒会長」
 はやては紫の瞳を見た。灰色の髪を左右で結んだ少女、その身は小柄なはやてよりも更に小さいもので、
「どっちかっちゅうと幼児体型・・・」
「ふふふ、生徒会長? 私の話を聞いてましたか?」
 少女が笑みを送ってきた。ただしその目は笑み以外の感情を宿していたが。
「あ、あぁ、すまんかったな・・・ブレンヒルトさん」
 欧州系の容姿をしたその少女が誰なのか、はやては知っている。
      • ブレンヒルト・シルト。私と同学級で、次の美術部部長さん・・・
 フェイトと同じ外国人の生徒、という事で割と印象にあった。まともに話すのは今回が初めてだったが。
「こんな夜更けまで見回りですか?」
「あー、いや、ちょっと忘れ物をな。・・・ブレンヒルトさんは何で残っとるん?」
「私は・・・絵を描いていたものですから」
 絵? とはやてが問えば、はい、とブレンヒルトは答える。
「作業に集中し過ぎて気がつけばこんな時間です。・・・この部屋、防音も良いですから」
「ひょっとしてこれか? ブレンヒルトさんが描いとるのって」
 はやては視線を逸らす。さっきまで見ていた森の描かれたキャンバスへと。
「ええ。――黒い程に暗く、奥底知れぬ・・・しかし豊かな森です」
 そこではやては、ブレンヒルトの答えが微かに揺れを含んだ事に気付く。
      • 何かに動じたんか・・・?
 しかし初対面の相手が何に対して動じたのか、など解る筈もなく、はやては感想を続ける事にした。
「・・・随分描き込んどるなぁ」
「何度か書き直してますから」
「絵っちゅうのはいっぺん塗ったら終わりとちゃうんか?」
「そういう手法もある、ということです。何をどう描くのか・・・それによって変わりますから」
 そーゆーもんか、とはやては頷き、改めてブレンヒルトの絵を見入る。
 深い黒と緑で彩られた森。キャンバスの形が窓の様に思え、はやてはいつの間にか顔を近づけていた。
「余り近付くと塗料がつきますよ?」
 ブレンヒルトの忠告にはやてはあわてて身を離す。そこで一つの不可解な部分を見た。
「・・・なぁ、なんで一カ所だけ色塗っとらんの?」
 はやては絵の一角を指差す。そこには塗料が無く、キャンバスの生地が剥き出していた。よく見てみれば、下書きなのか木炭で何かが薄く描かれている。
「小屋と・・・何人かの人か?」
「――ええ」
 問うはやてにブレンヒルトは、
「森が森たる由縁はそこに人がいるからです。人がいるからこそ木々は群ではなく数えられる。森とはこの・・・この国で最初に覚えた字ですが、良い表現だと思います」
「じゃあここにいる人達は?」
「森には隠者が、世界を憂う賢人が住むものです。そしてその傍らには弟子や庇護を求めた者が寄り添い・・・周囲と隔絶された日々を送る」
 成る程なぁ、とはやては絵を見たまま頷く。
「・・・設定マニアなんやね」
「今何か言いましたか?」
 はやては、いえ何も、と即答。そのままブレンヒルトを見れば向こうもこちらを見ていた。
「な、何か?」
 冷や汗を流すはやてにブレンヒルトは、いえ、と前置きし、
「・・・その額のものは?」
 はやての絆創膏を指差して言った。
「ああ、これか? いやちょっと生徒会仲間にな」
「上役に手を上げるとは問題児ですね。・・・後で姉伝来の粛正作法を教えしましょう。どんな馬鹿も呼び声一つで参上する忠犬になりますよ?」
「それ別の何かを粛正しとるよ絶対」
 どーして私の周囲はこんなんばっかなんやー、とはやては胸の内で溜め息。
「悪い子とちゃうんよ? ・・・あの子が本気になったら、こんなんじゃ済まんし」
「そんなに凶暴な生徒がこの学校に?」
 凶暴とはちゃうよ、とはやては苦笑する。
「中二ん時に学生空手の無差別級で、決勝に進出すんも拳砕いて敗退。その後祖父からあらゆる知識を叩き込まれ、現在この学校じゃあ文武共に成績トップ。問題があるとすりゃぁ・・・」
 ブレンヒルトから視線を外し、
「その能力と姿勢の偏りを知っとるせいで本気になれん事。・・・それは凶暴っちゅうより、行き場の無い力の塊やよ」
 そしてはやては見た。小屋の側に描かれた人々の下書き、その内の一つが掻き消されていたのだ。
      • 男の人、か?
 微かに残る輪郭からはやては推測する。何故消したのか、はやてはブレンヒルトに問おうと振り向いた。その時、
「・・・誰かいるのか?」

     ●

 低い男性の声が美術室の向こう、廊下から聞こえてくる。
      • この声は・・・
 はやてはその声に聞き覚えがあった。故に確認を飛ばす。
「グレアムおじさん、か?」
「おや、はやてか」
 声に親しみが含まれて扉が開いた。そうして入ってくるのは、色褪せた銀の髪と髭を持つ英国風の老人だ。片手には光を放つ懐中電灯を持っている。
「こんな時間までどうしたんだい? いつもなら寮に戻っている時間だろう」
「う、やぁ、まあそうなんやけど・・・。おじさんこそ何しとるん?」
「私は見回りだよ。ずっと衣笠書庫にいるからね、教員の都合が悪い時は代行する事もある」
「・・・お人好しやなぁ」
 と言うはやての笑みにグレアムも微笑むが、
「ところでその額は?」
「みんなこれの事言うな? いやちょっと生徒会仲間に」
「ふむ、それは良くないな。・・・よし、名前を教えなさい、はやて。私が制裁を下しに行こう」
「け、怪我させたらあかんよ!?」
「何、問題はない。我が祖国秘伝の奥義にかかれば、傷一つなく自らが穢れた魔女だと告白する」
「やーめーてーやー!!」
      • ほんともーなんで私の周りはこんなんばっかなんやろー・・・
 おじさんは基本的に優しいのになー、とはやては思う。
 そこでふとブレンヒルトが自分達を見ている事に気付いた。何か信じられぬものを見るような目で。
「どうかしたんか? ブレンヒルトさん」
「・・・生徒会長、グレアム司書と親しいんですか?」
 固い声でブレンヒルトが問うてくる。何だろうか、とはやては思う。
「うん。グレアムおじさんはな、身寄りの無うなった私を引き取ってくれた養父なんよ。んで今は寮暮らしで別れとるけど・・・そうなる前までは一緒に暮らしてたんよ」
 一緒に住んでたのは私だけやあらへんけどな、とはやては補足する。
「――そう、ですか」
 それを聞いたブレンヒルトが俯いた。身を小さく震わせながら。
      • なんやろ・・・?
 泣きそう、そう表現出来る姿だ。一体何が彼女をそうさせるのか、はやては疑問に思う。
「ブレンヒルトさん?」
「・・・帰ってくれませんか?」
 ブレンヒルトが口を開いた。
「私、まだ絵を描いてる途中で・・・そろそろ再開したいんです」
      • 何でや・・・?
 さっきまで一緒にいたのに、そんな思いがはやての中にある。それが何故突然突き放されたのか、と。
「―――帰って下さい」
 ブレンヒルトはこちらを見ずに言う。何も聞きたくない、それを示す様に。
「帰ろう、はやて」
 グレアムがこちらを見る。でも、とはやては言いかけるが、それが意味をなさない事は解っている。だからはやてはブレンヒルトを見て、
「じゃぁ帰るけど。―――また、話そうな?」
 そう言い残し、グレアムと共に美術室を後にした。

     ●

 はやてとグレアムの出て行った扉をブレンヒルトは見つめていた。
「・・・ブレンヒルト、大丈夫?」
 凝視を続けるブレンヒルトに声がかけられる。だが周囲には声をかける様な誰かはいない。そこで椅子に座るブレンヒルトの膝に黒猫が乗った。そして黒猫の口が開き、
「ねぇ」
 ブレンヒルトにかけられる声の主は黒猫だった。黒猫は心配そうにブレンヒルトを見上げる。
「・・・ねぇ、ねぇねぇ。ねぇってばっ! おーい、セメント娘ーッ!!」
「うっさいわね、握りつぶすわよ」
 喚く黒猫の胴をブレンヒルトが鷲掴みにした。
「あーっ! ちょ、だめっ! 握力がっ! あ、ああ、肋骨揉んじゃやぁっ!?」
 黒猫は手足と尾を振り回して抗議、ブレンヒルトは床に叩き付ける事でそれを許諾する。
「・・・ねぇ、最近LowーGの悪い癖が染み付いてない?」
「やかましい、使い魔の口は無駄口の為にあるんじゃないわよ」
 とっとと見た事を話しなさい、とブレンヒルトは五体倒置の黒猫に言いつける。
「――1stーGの魔女に協力する、使い魔としての本分を果たしなさい」
 ブレンヒルトの言葉に黒猫は、へぇい、と起き上がる。
「和平派は王城派の使いを追い返したよ。んでその使い、ガレ・・・何とかは管理局に追い詰められて自害した」
「人狼を? 確かにあの種は変身すると頭悪くなるけどその分強くなるわ。よくそこまで追い詰めたわね」
「追走部隊は全滅させたんだけど、その後概念空間に閉じ込められてちゃったの。・・・時空管理局の特課にね」
 そう、とブレンヒルトは頷く。それから再び黒猫に視線を向け、
「ラルゴ翁は? 私達は今後どうするって言ってたの?」
「市街派はどちらとも連絡をとらない、だって。最近アッパー入ってるファーフナーの馬鹿が言ってた。それから、近い内に王城派が何かするだろう、って」
「王城派が? 和平派から抜けた理想だけの連中に何が出来るっていうのよ」
 それなんだけどね、と黒猫は前置きを一つ。
「全竜交渉って覚えてる? 前にラルゴ翁が言ってた奴」
「あの胡散臭い情報屋から得たっていう話? 確か、マイナス概念の活性化に全概念核の解放で対抗しようとしてて、その使用権を得る為の交渉でしょ」
「そ、でね? それ用に編成されつつある部隊が動いたみたい。管理局特課の中でも少数精鋭で編成された全竜交渉部隊。・・・王城派の使いを追い詰めたのもそいつ等っぽいよ」
「で?」
「解んないかな、そんな連中なら上層部だって絡んでる。王城派は管理局じゃなくて全竜交渉部隊を狙ってんの。地上本部全部長の大城・一夫あたりでも捕まえれば何か交渉出来んじゃないか、って」
「ふぅん」
 ブレンヒルトは腕を組んで熟考の構えをとる。そんなブレンヒルトから黒猫は目を逸らさない。
「・・・何よ?」
「――ねぇ、本当に大丈夫?」
 何がよ、とブレンヒルトは睨むが黒猫は動じない。
「さっきの会話。――ギル・グレアムには、養女がいるって」
      • この猫・・・
 心配された、という事実に思うのは、僅かな嬉しさと強い反発だ。
「どうって事無いわよ。・・・それよりも、自分の知らない事を語るのは猫の感傷?」
 真面目な話、と黒猫は断りを入れる。
「ブレンヒルトはある意味、1stーG崩壊において最も原因に近い場所にいたんでしょ? そんな身の上が、そろそろ戦いも終わるかっていうこの時に・・・」
 黒猫は身を伏せ、
「1stーGを滅ぼしたあの人の監視、なんてさ。あんまり、精神衛生に良くないよ」
 ブレンヒルトと黒猫の視線が交差する。
 しばしそれが続き、先に外したのはブレンヒルトの方だった。苦笑を浮かべて黒猫を撫でる。
「そんなに私、ピリピリしてる?」
「・・・不機嫌は今に始まった事じゃないけどねー。ちゃんとカルシウム採ってる? 牛乳とかさ」
「嫌いなのよ、牛乳」
「だからいつまで経っても体が成長しないンっはぁン!? あ、ちょい待っ! お尻は最後の貞操ー!!」
 あぁー、と悲鳴を上げる黒猫を無視してブレンヒルトは立ち上がる。窓辺に立てば見えるのは月明かりに照らされたグラウンド、そして二つの人影だ。
「ギル・グレアムと八神・はやて・・・」
 互いに手を振った後、はやては学生寮へ、グレアムは衣笠書庫へと向かって行く。
「――あの男は、六十年前の亡霊が戻って来てるって知ったらどうするのかしらね」
 そして目線が追うのは、学生寮へ歩くはやての姿だ。
「・・・貴女は、彼にとっての何なの?」

     ●

 佐山は新庄と共に、正門を目指してIAIの敷地を歩いていた。新庄は包帯の巻かれた佐山の腕を見て、
「良かったね、腕の傷が大体塞がって」
「激しく動かせばまた開く、と言っていたがね。・・・リインフォース君の能力、ユニゾン、か」
 佐山は全竜交渉の説明を受けた後の事を思い出す。
「他者と合一して能力の強化や付加を行う力、か。姿が変わったのは相性の問題だと言っていたが」
「リインフォースさんはそれを治療に用いる事で、シャマル先生の補佐をしてるんだよ」
 ほう、と佐山は頷き、新庄はその顔は窺う様に見上げた。
「ごめんね? 検証だからって上着とか持ち物とか、全部取り上げちゃって」
「スーツは使い物にならなくなっていたし、持ち物もほぼ同様だ。・・・それに御老体からはこの自弦時計も貰えたのだから問題はない」
「あれは貰えたって言わないよ! 強奪したっていうんだよっ!」
「おや新庄君、勘違いはいけないね? 珍獣と人間をひとまとめにするとは。・・・獣に人権は無いよ?」
 新庄が半目を向けてくる。何か変な事を言っただろうか、と佐山は過去の言動を思い返すが心当たりはない。だが思い出す事はあった。
「御老体は言っていたな。・・・山中で私達を襲った相手は、1stーGだったと」
 新庄は頷きを持って返す。その無言に、まだ思いがあるのだな、と佐山は判断するが指摘はしない。
「もし私が祖父から権利を受け継いだとしたら、彼等との交渉になるのかね」
「Tes.、だね。でも聞いた話じゃあの人狼は王城派らしいし、交渉で当たるのは市街派の方かなぁ」
 そこで佐山は聞き慣れない単語を耳にした。
「Tes.、とは? 確か聖書における契約の意味だった筈だが」
 佐山の質問に新庄は、あ、と口を開け、
「ごねん、説明忘れてたね。Tes.、っていうのは管理局特有の符号みたいなものだよ。了解とか相づちに使うの」
「成る程。・・・あぁ、話を中断させてしまったね。で、市街派とは?」
「1stーGの過激派の一つだよ。概念核の半分を収めた機竜を持ってるんだ。・・・機竜っていうのは竜を模した機械兵器の事だよ」
「そんな漫画兵器まであるのかね・・・。しかし半分か、もう半分は管理局が持っているのかね?」
「1stーGの八大竜王が持ち帰ったデバイスの中に収められてて、今はIAI本社地下にある地上本部西支部に格納されてるんだって。近々、こっちの方に輸送されるらしいけど」
 と、そこで佐山は足裏に妙な感触を得た。柔軟な感触、まるで肉塊を踏んだ様な感覚だ。
      • 何だ?
 と足を退けて見下ろせば、そこには小動物がいた。丸い体に猪の様な頭をした、手の平程の大きさだ。それは医務室で大城から預けられ、ずっと肩に乗っていた筈の存在だった。
「貘・・・とやらか。いつの間にか肩から転がり落ちたと見える」
「ちょっと佐山君! その子は一応稀少動物なんだから、もっと大事にしてよ?」
 ああ、と佐山はしゃがんで貘を確保、頭の上に乗せてやれば蹄のある四肢で頭髪にしがみついてくる。
「全竜交渉の助けになる、って言ってたね。夢という形で過去を見せるとか何とか・・・」
「どのような過去を見せるというのか。・・・ろくな過去は無いだろうに」

 そこでふと新庄が俯いているのを見た。何だろうか、と歩きつつ眺めれば向こうがそれに気付き、
「あ、御免ね? ボクは佐山君の事何も知らないな、って思って。・・・十年前の事とか」
「そう言えば話していなかったか。父はIAIの救助隊として関西へ赴き――」
 佐山は続けようとした。しかし、言わなくていいよ、と新庄がそれを止める。
「狭心症があるんでしょ? ・・・あんまり言わない方がいい」
「別に私は構わないが」
「じゃあ構ってよ。家族の事とか自分の事とか・・・そんな他人みたいに言わないで」
「――何故君は、そんなに気にするのかね?」
 佐山は新庄に問う。どうして他人の考え方を気にするのか、と。それに対して新庄は、
「・・・ボクね? 六歳より前の記憶が無いんだよ」
 新庄は告白する。
「親とか自分の事も解んなくて・・・残ってたのは名前と、清しこの夜っていう歌。後はこの指輪だけ」
 そう言って新庄は右手を上げて見せる。その中指にあるのは男物の指輪だ。
「君のと似てるよね。・・・何か知らないかな?」
「残念だが心当たりはないな。今のご時世、ファッションで指輪をする者も多い。・・・しかし、それを探ってどうする? 親の事など知っても面白い事は何もないよ」
「そ、それは知ってる事が当然の人だから言えるんだよ」
 何も知らないボクには、と新庄は続け、しかしそこで口を閉ざす。そして次に出るのは、
「・・・ごめん」
 という謝罪の呟きだ。
「何故謝るのかね」
「だって、こんなの押し付けだもん。・・・佐山君にとっては」
 つい先ほど会ったばかりの人間が親や考え方を改めさせようとした、そう言いたいのだろうか。
      • 君は正しいのに、何故自分が間違っているような顔をするのか・・・
 佐山は思い、そして口を開く。普段なら、解ってもらえて有り難い、という筈の場面だが、
「――そんな事はない」
 紡がれたのはその一語だった。それを聞いた新庄は微笑み、
「ありがとう」
 新庄の返事に佐山は頷く。そして気付けば正門に辿り着いていた。開いた門からは道路と森林が見える。
「ともあれ私が今考えるべきは―――全竜交渉を受けるかどうか、だね」
「でも全竜交渉はただの交渉じゃないよ? 引き受ければ相手と戦う事だってある。・・・あの人狼みたいな、必死な人達と」
 必死、それについて佐山が思う事は一つだ。
      • 彼に対して私は、必死だっただろうか・・・?
 答えは否だ。そうなる前に決着は奪われ、またその時佐山は思ったからだ。自分は間違っている、と。
「大城さんが言うには、あの人狼は1stーG居留地に行ってらしいよ。ボク達が動き出した事に気付いて、和平派を引き込もうとしたみたい」
「わざわざ敵地の中央まで来て、か。・・・何が人を危険な道を行かせるのか」
「それは・・・」
「言葉では表せない何か、かな? 御老体は明日に皇居で概念戦争の始まりを見せ、明後日には事前交渉として1stーGの和平派代表と会わせると言っていたが」

 それだけならば受ける気はなかった。しかし山中で見た過激派には興味を得た。
      • 本気の者同士が必死を持ってぶつかる場所、か・・・
「力を用いれば遺恨が生じる。しかしそうでなければ納得出来ない者達もいる。――矛盾を抱えた交渉だね」
 だから私が選ばれたのか、と佐山が呟けば、新庄がこちらを覗き込んできた。
「何で、だから、なの? 何を持って佐山君が選ばれたの?」
「祖父が常々言っていた事さ、佐山の姓は悪役を任ずる、と。・・・つまり汚れ役が必要なのさ、そういう馬鹿な連中を叩き潰す為の」
 自分はそれを望まれている、と思い、果たせるだろうか、とも思う。熟考していると、向こうから車のライトが近付いてきた。それを見た新庄が、
「うぁ、窓まで黒い高級車だ!? ・・・凄い待遇だけど、家族の人?」
「祖父の形見の様なものだ、自らの力で得たものではないよ。・・・君には」
 いないのか、そう続けようとして佐山は言いよどむ。それに新庄は僅かに逡巡した後、
「大丈夫、ボクにも・・・弟がいるよ。双子のが」
 そうか、と佐山は頷き、そして車が側まで来たのを見て、潮時か、と判断する。
「見送ってくれてありがとう、新庄・・・」
 名前まで呼ぼうとして、姓しか知らない事を思い出した。密度のある一時を過ごした割に薄い付き合いだ、と思い、
「運。――新庄・運だよ。」
 助け舟を出す様に、新庄は己の名前を苦笑と共に明かす。佐山は、そうか、と笑みを返し、
「・・・では、また明日、かね? 新庄・運君」
「うん。・・・また、明日」
 新庄の応えが別れの合図となった。






―CHARACTER―

NEME:ブレンヒルト・シルト
CLASS:美術部次期部長
FEITH:1stーGの魔女

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最終更新:2007年10月13日 20:19