意識が戻ると同時、最初に視界へと飛び込んだ色は鮮烈な赤だった。
軋む身体に鞭打ち、漸く持ち上げた視線の先には、揺らめく別種の赤い光。
それが迫り来る業火の光だと気付いた瞬間、彼女は反射的に声を張り上げ、周囲を見渡す。

「フェイト! フェイト、何処だい!?」

耳鳴りこそ止まぬものの、彼女の聴覚は正確に自身の音声を拾い上げていた。
そして同時に、何処からか響く無数の呻き、絶叫までもが意識へと飛び込む。
脳裏を焦がすそれらに戦慄しつつも、アルフは只管に主の名を叫び続けた。

「フェイト! 返事しな、フェイト・・・!?」

だが彼女は、その呼び掛けを中断する。
せざるを得なかったのだ。
積み重なる瓦礫、その隙間から延びる緑の髪を視界へと捉えてしまったのだから。

「リンディ!」

それまで以上に悲痛な叫びをひとつ、アルフはリンディの傍へと駆け寄ると、猛然と瓦礫を除け始める。
幸いにして、彼女の手に余る様な巨大な瓦礫は存在しない。
しかし、大きいものでは成人男性の頭部に匹敵する瓦礫もある。
考えたくはないが、積み重なるそれらの下に埋もれたリンディが無事であるとは思えない。
事実、アルフの手によって退かされる瓦礫は、数を追う毎に表面の紅い染みが拡がってゆく。
それは徐々に露わとなる髪も同様で、常ならば新芽を思わせる淡い緑の髪はどす黒く染まり、それに触れるアルフの手もまた赤く濡れていた。
そうして瓦礫を取り除く事、数十秒。

「・・・ッ!」

漸く露わとなったリンディの身体は、血に濡れていない箇所を探す方が難しい有様だった。
変色した制服は其処彼処が破れ、その内より無残にも抉れた傷跡を露わにしている。
瓦礫の直撃を受けたのか、左腕は肘部と前腕部であらぬ方向へと捩じ曲がり、露出した骨格が噴き出す鮮血に染まっていた。
髪を束ねていたバンドは既に無く、四方へと拡がった長髪は、濡れたその表面から赤黒く光を照り返している。
頭部からの出血も酷く、閉じられたその双眸の上を傷から溢れる鮮血が覆っていた。
そして何より、彼女の両脚を押し潰す様に圧し掛かった3m程の瓦礫が、アルフの焦燥を駆り立てる。

「く・・・この・・・!」

すぐさま、彼女はそれを除きに掛かった。
瓦礫の端に指を掛け、全身の筋肉を極限まで収縮させる。
常人ならば僅かたりとも動かす事などできはしないだろうが、其処は狼の使い魔。
人間離れした膂力を以って、徐々にではあるが瓦礫を浮かび上がらせてゆく。
そして咆哮が上がると同時、遂に瓦礫はリンディの身体から撥ね退けられた。
間を置かずにアルフは彼女の介抱に移ろうとするも、視界へと映り込んだ惨状に行動を凍り付かせる。

右足が、潰れていた。
リンディの右足首より先は、膨大な質量によって圧潰していたのだ。
完全に原形を失った肉塊と白い骨格の破片が、血を噴き出す足首の先にほぼ完全な平面となって存在している。
僅かばかりの肉片が付着したビニールの様な皮膚だけが、未だリンディの右足に残る全てだった。

「畜生・・・ユーノ! ユーノ、見えてるだろ!? 返事しな!」

最早、自身の扱える治癒魔法で対処可能な域を超えている。
慣れないフィジカルヒールをリンディへと掛けながらも、アルフは声を振り絞って、管制室から現状を把握しているであろうユーノへと支援を求めた。
これ程の重傷ともなると、先程ユーノが展開したラウンドガーダー・エクステンドと同等の治癒魔法が必要となる。
あれだけ治療に特化した魔法ともなると、失われた血液や肉体の欠損部位を修復するまでには至らずとも、負傷面の癒着による止血や大概の傷の治癒は瞬時に実行できるのだ。

「ユーノ、何で返事しない!? どうしたってんだい!」

だが幾ら叫ぼうとも、あの緑色の魔力の奔流は現れない。
周囲には鉄と鉄がぶつかり合う轟音、構造物が軋む異音とが響き渡っているが、その中で先程まで響いていた無数の悲鳴だけが消失していた。
その事実にはアルフとて気付いてはいたが、常にそれを警戒していられるだけの余裕が無い。
内心で募りゆく焦燥感もそのままに、彼女は叫び続けた。

「返事しろってんだ! ユーノ・・・」
「アルフ・・・?」

その時、背後から聞き慣れた声が響く。
振り返れば、其処にはアサルトフォームへと移行したバルディッシュを杖代わりに、やっとの事で立っているフェイトの姿があった。
意識を失う直前まで彼女を守り続けていた記憶はあるが、流石にあの崩落に巻き込まれて無傷である筈もなく、右肩からは夥しい量の出血が見受けられる。
だが、生きている事には変わりがない。
アルフは安堵しつつ、しかし鋭く声を発した。

「フェイト、無事で良かった・・・でもゴメン、休んでる暇がないんだ。魔力は大丈夫かい?」
「・・・ちょっときついかな。増幅できるから、まだマシだけど」
「じゃあ、ちょっと手伝っておくれ・・・フィジカルヒール、使えるかい?」
「何を・・・!?」

其処で漸く、血溜まりの中に横たわるリンディの姿を捉えたのか、フェイトの表情が強張る。
悲鳴が上がるかと思われたが、アルフが視線で制するとその意図を酌んだのか、すぐに彼女の傍らへと移動し膝を突くとフィジカルヒールを発動した。
そして金色の魔力光がリンディの身体を覆い始めると、アルフは己の主人へと問い掛ける。

「他の連中は?」
「・・・私は5分くらい前に気が付いたけど、此処に来るまで誰とも会わなかった。アルフは?」
「さっきまで悲鳴が聴こえてたんだけど、今は・・・」

その時2人の傍らに、突如としてウィンドウが出現した。
驚く2人を余所に、周囲にはラウンドガーダー・エクステンドが展開される。
自身を含めた全員の負傷が急速に癒え始めた事を確認し、アルフは安堵と喜びを隠そうともせずにその名を呼んだ。

「やっとかい、ユーノ!」
「ユーノ、状況はどうなっているの? 他の生存者は? 義父達は何処なの!?」
『・・・接近し・・・時間・・・』

だがウィンドウにはノイズが奔り、発せられる音声も途切れ途切れで要領を得ない。
これも先程のR戦闘機から放たれた攻撃の影響かと、アルフは歯噛みしながら声を発する。

「接続が悪過ぎる、良く聴こえないよ」
『・・・接近・・・回線を・・・聴こえるかいフェイト、アルフ?』
「良いよ、良く聴こえる様になった。それで・・・」
『聞いて、2人とも。もう時間が無い』

通信状態が回復すると同時、放たれたのは何かを押し隠したユーノの声。
時間が無いとの言葉に緊張するアルフ達へと齎されたのは、想像を超える凶報だった。

『Eブロック汚染区画から救難信号が発信された。XV級パトリツィアがこれを受信・・・』
「まさか!?」
『そのまさかだよ。パトリツィアは本局への接近中に、汚染された迎撃システムにより撃沈された。艦隊は本局が完全に汚染されたと判断している』

その報告に、アルフは自身の顔から血の気が引いた事を自覚する。
見れば、フェイトも同様らしい。
管理局艦艇が本局の迎撃システムによって撃沈され、残存艦艇はこちらを敵性体として捉えている。
となれば、艦隊が採るであろう行動はひとつ。

『既にXV級ヴィクトワールが本局に接近中。30分以内に応答がない場合か、本局からの更なる攻撃を確認次第、アルカンシェルによる攻撃を行うと通告してきた』
「なら返信しな! こっちの状況を教えてやれば良いだろ!」
『できないんだ。機能しているのは受信のみ、こちらからの発信は全て妨害されている。迎撃システムの方はオーバーロードで爆破したけど、このまま返信できなければ26分後にアルカンシェルが撃ち込まれる』
「地球軍の連中は馬鹿かい!? このままじゃ自分達も・・・!」
『妨害は汚染区画からだよ。バイドの仕業だ。地球軍も通信障害が発生している可能性が高い』
「どうして?」
『この状況が地球軍に伝わっているのなら、とっくに核を残して脱出しているだろうからね。未だに爆発が起こっていないという事は、彼等も正確な状況を把握できずにいるって事だよ』

ユーノの推測を理解すると、アルフは自身の並外れた聴覚を用いて周囲の音を確認する。
銃声は、無い。
周囲に地球軍が存在しない事を確認しつつも、彼女は息を潜める様に言葉を紡ぐ。

「・・・だとしても、一部を生け捕りにしないと不味いんじゃないかい? 奴等がバイドに殲滅されたら、その瞬間に核が起爆しちまうだろ」
『その事態は侵食を利用して回避できる。君達が車両内で見た通り、侵食に巻き込まれた人間は強制的に「生かされて」いる。つまりバイタルサインが途切れないんだ。幾つかのサインで確認してみたけれど、どれも異常なし。
つまり地球軍がバイドによって浸食されれば、途絶える事のないバイタルサイン発信源を確保できる』
「その口振りだと、もう侵食された地球軍を確認しているみたいだね?」
『取り敢えず5人ほどバインドで捕獲して、侵蝕組織体に投げ込んでみた。経過は良好だよ』

気負う様子など欠片も見せずに放たれた言葉。
しかし、その言葉にフェイトは肩を震わせ、アルフもまた胸中を切り裂かれる様な痛みを覚えた。
ユーノがまた一歩、自身等から遠ざかったかの様な感覚。
だが、今はそれに感けている暇が無い。

「じゃあ起爆の可能性は、今のところは無いんだね?」
『確実とは言えないけれどね。外部からの介入が可能なら、コードを書き換えられる可能性もある。一刻も早く脱出しなければ』
「他の生存者達は?」
『200mほど離れた交差路に150人程を確認した。ハラオウン提督も、スカリエッティもその中に居る』

アルフはリンディの腕を肩に回し、その身体を背中へと担ぎ上げる。
脚に手を回して固定すると、フェイトを促して歩き始めた。
傍らへと展開された立体構造図、その誘導に従い他の生存者との合流を目指す。

「周囲の状況は何処まで解るんだい?」
『汚染進行の影響で、殆どの機能がバイドに奪われた。君達と生存者の位置を捉えてはいるけれど、他についてはさっぱりだ。区画全体をサーチする事ができない』
「何かあっても近付くまで分からないって事か」

思わず舌打ちするアルフだったが、それで状況が好転する訳でもない。
地球軍、若しくは汚染体と遭遇する事があれば、フェイトやリンディを護れるのは彼女しか居ないのだ。
一分、一秒でも早く、他の生存者達と合流せねばならない。

「居た!」

瓦礫を掻き分けつつ歩き続ける事、数分。
逸れた生存者達の集団が、視界へと映り込む。
ユーノの言葉通り、生存者達の中にはスカリエッティの姿、そしてクライドのポッドとそれを運搬していた局員の姿もあった。
一瞬、幾人かの武装局員が警戒する素振りを見せたが、既にユーノから連絡を受けていたのか、すぐにデバイスの矛先を下ろす。
そして合流するや否や、真っ先に口を開いたのはフェイトだった。

「状況は?」
「余り良くはありません、執務官。既に71名の死亡を確認、260名以上が行方不明となっています・・・R戦闘機による攻撃の直後、我々は崩落した第2階層構造内へと落下しました。恐らくは皆、瓦礫の下に・・・」

其処で、言葉が途切れる。
ふと周囲を見渡せば、上半身全体に制服が掛けられ、顔を覆われている亡骸が数十体も横たわっていた。
床面にはそれらから流れ出した血液が、小さな流れを幾筋にも生み出している。
半数ほどの遺体の傍らでは生存者が小さな嗚咽、或いは慟哭を漏らしており、交差路には宛ら葬儀の際にも似た空気が漂っていた。
沈痛な面持ちで唇を噛み締めるフェイトを横目に見留めながらも、アルフは極力冷静を装ってユーノへと問い掛ける。

「それで、今度は何処へ行けば良いんだい。こんな状況じゃあ、此処の脱出艇もぶっ壊れちまってるんだろ?」
『取り敢えずCブロックへ向かって。地球軍が侵入した形跡はあるけれど、汚染が及んでいないのは其処だけだ。運が良ければ、港湾施設に艦艇がまだ残ってる筈だよ』
「運頼りかい・・・嫌な予感しかしないよ」

そう言いつつ、アルフが背中のリンディを担ぎ直した、その直後。
重低音と共に通路全体の照明が落ち、次いで暗闇に回転灯の黄色の光が点滅を始めた。
突然の事にアルフは思わず身を竦ませたが、周囲はそれ以上に混乱している。
戸惑いの声と三拍子の小さな警報音が周囲を満たす中、フェイトが自身も動揺を滲ませた声で尋ねた。

「ユーノ、何が起こったの? この警報は一体?」
『警報?』
「この音だよ・・・聴こえるでしょ?」
『ちょっと待って・・・これ、警報なのかい?』

フェイトとユーノの会話を聞いていたアルフは、何かがおかしい事に気付く。
ユーノは管制室からこちらの状況を窺っているにも拘らず、まるで今の今まで警報が鳴っている事に気付いていなかったかの様な口振りだ。
警報が発令されれば、当然ながら管制室にもその情報が伝わる筈。
だというのに、彼は警報の事を知らなかった。
一体、何故か。

そんな事を思考する間も、状況は加速度的に変動してゆく。
更に大音量の警報が鳴り響き、複数のアナウンスが同時に流れ始めたのだ。
訳も分からずに混乱する生存者達を置き去りにしたまま、合成音声が無情に警告を発する。

『火災を検知しました。8区1-3から4-4までを緊急閉鎖します。当該区画内の局員は直ちに避難を開始して下さい。繰り返します・・・』
『第2階層構造内部全域に於いて異常気体の充満を検知しました。避難完了後300秒経過を以って緊急排気を実行します。避難完了を確認。排気開始まで300秒・・・』
『中央区画全域に於いてクラス4の生物災害が発令されました。中央区画を緊急閉鎖します。局員は一般市民の避難誘導に当たって下さい。開放中の避難所は第1から第12・・・』

幾重にも木霊する警告。
その数は秒を追う毎に増え、異常減圧を伝えるものから放射能汚染域の拡大を告げるものまでが、次々に通路へと反響し始める。
これだけの警報が同時に発令されるなど、明らかに正常ではない。

「何が起きてる? 放射能だって?」
「隔壁が閉じて・・・おい!」
「くそ、消化システムが!」

そして天井面より、大量のガスが噴射される。
消火剤だ。
窒息を避ける為に、交差路の其処彼処で結界が展開される。

「ユーノ、消火剤を止めて! このままじゃ・・・!」
『こっちには何の表示も・・・駄目だ、異常は何ひとつ検出されていない!』
「じゃあ何で!?」
『其処のシステムそのものが、既に汚染されているとしか考えられない!』
「見ろ、壁が!」

職員の叫びに、アルフはウィンドウから視線を外し、通路の壁面を見やった。
噴出する消火剤の白煙に霞む様にして、回転灯の黄色の光によって照らし出される合金製の壁面。
斑点状の染みが複数、其処に浮かび上がる。

「・・・何だ?」

回転灯の明かりでは良く見えないが、その不自然な漆黒の染みは、壁面の下から浮かび上がってきた様に見えた。
見間違いではないか、などと考えた時間は数秒にも満たない。
壁面を見つめる生存者達の目前で、それらの染みは爆発的な勢いで壁面全体を侵食し始めたのだ。
急速に面積を拡大しゆくそれを凝視する内、局員の1人がその正体に気付く。

「錆だ・・・」
「何だって?」
「あれは錆だ! 壁面が腐食している!」

その叫びとほぼ同時にアルフは、周囲に濃密な鉄の臭いが充満している事に気付いた。
足下に生じる違和感、砂を踏み締めた際にも似た感覚。
咄嗟に足を除け、その下の床面を見やると、其処にも黒々とした染みが拡がり始めているではないか。
慌てて飛び退くや否や、その錆の染みは一気に周囲の床面を蝕み始める。
堪らず、アルフは叫んだ。

「何だこれ? 何なんだよ!?」
「構造物が腐食してゆく・・・ユーノ、そっちでは観測できないの!?」
『待って・・・確認した。Dブロック、Eブロックでも同様の現象が起きてる・・・構造物の劣化、腐食を確認! 更に進行中!』

次の瞬間、回転灯の光が落ち、同時に消火剤の噴出が止まる。
突然の暗闇に困惑の声が上がるが、しかし数秒後には再度、回転灯に光が点った。
すぐに換気が始まり、通路からガスが完全に排出された事を確認すると、結界を展開していた魔導師達は術式を解除する。
だが直後、生存者達の眼前に拡がった光景は、信じ難いものだった。

「・・・遺体は?」

それなりに広い交差路、その床面に横たえられていた60を優に超える数の遺体。
それらが全て、霞の如く消え去っていた。
異常なその事実に気付くと、生存者達は一様に騒然となる。

「何処に消えた!?」
「まさか消火剤が噴出されている間に・・・2分も無かったのに!」
「血の跡が・・・」

床面には夥しい量の血液と、数十もの何かを引きずった跡だけが残されていた。
紅い液面に引かれた無数の線が、消えた遺体の行き先を物語っている。
すぐに武装局員の1人から、念話による指示が飛んだ。

『約50m前方、メンテナンス・ハッチだ』

床面に設けられた縦幅1m、横幅2m程のメンテナンス・ハッチ。
血の海に引かれた痕跡の行き着く先は、開放されたそのハッチの縁だった。
アルフはバルディッシュを構えて歩み出そうとするフェイトを制し、彼女にリンディを託すと他の武装局員達と共にハッチへと向かう。
フェイト達の身の安全確保はユーノに任せ、自身はハッチへと向かう局員達の補助を行おうと考えたのだ。

だが、それだけではない。
アルフは嘗て無い不安と恐怖に侵されながらも、そのハッチの中に存在するであろうものを確かめねばならないという、一種の強迫観念に囚われていた。
それが何であるのかは判然としないが、強烈な血臭に混じって得体の知れぬ臭いが、無視できない圧力となって彼女の意識へと殺到しているのだ。
彼女自身の存在、その根幹を侵す何かが、あの中にある。

『・・・聴こえるか?』
『ああ』

その念話が何について交わされているものか、アルフはすぐに悟った。
呻き声だ。
ハッチの中から、無数の呻きが響いている。
近付くにつれ、より大きく反響するそれは、明らかな苦悶の色を含んでいた。
遺体だけではなく、生存者までもが引き摺り込まれているのか。

『・・・行け!』

指示が下されると共に、アルフはハッチを目掛け跳躍した。
15m程の距離を一息に跳び、バインドの展開に備え掌をハッチへと翳す。
周囲には8名の局員が、同じく各々のデバイスの矛先を開放されたハッチへと突き付けていた。
そして9つの魔力光が、各々が異なる光でハッチ内部を照らし出す。
だが、闇の中より浮かび上がったそれらを目にするや否や、彼等の強靭な意思は錆びゆく構造物さながらに瓦解した。

「あ・・・あ・・・」
「聖王よ・・・これは・・・こんな・・・!」

気道から漏出する空気の音、無数に重なる苦悶の声。
噴き上がる黒ずんだ血飛沫、滑りを帯びた肉塊と肉塊が擦れ合う湿った異音。
骨格が粉砕され、肉体が弾ける際の水気を含んだ破裂音。
通路下部に拡がる空間に蠢く、その存在は。

「どうして・・・!」



成人の胴回り程もある触手の集合体。
それに呑まれゆく、数十体の「生きた死体」だった。



「嘘だ・・・」

それらの遺体は「生きて」いた。
確かに生命活動を停止し、物言わぬ骸となった筈の死者達。
骨格を砕かれ、四肢を断たれ、心肺を潰され、頭部を失い。
抜け殻となった、生命なき身体の群れ。

にも、拘らず。
蠢く触手の狭間に巻き込まれ圧搾されゆくそれらは一様に、見開かれた瞼の下より覗く眼球を不自然に揺らがせ、紛れもない恐怖に引き攣り擦れた声を上げながら全身を潰されてゆく。
彼等の身体を引き摺り込むものの正体は、全身へと突き立った微細な触手。
リニア車両内にて局員達を襲った物と同様のそれが、彼等の身体を隈なく貫通している。
その光景を、アルフは戦慄と共に凝視した。

忘れる筈もない。
あの触手に貫かれた者達は、通常ならば明らかに即死しているであろう状態にも拘らず、その生命を永らえさせられていた。
死ぬ事すら許されずに、想像を絶する苦痛の最中へと心身ともに縫い止められていたのだ。
それは、生命あるものに許された最後の安寧すら奪い去る、正に悪魔の所業。

だが、まさか。
まさかバイドの能力は、去来する死を拒絶するだけに留まらないのか。
既に死が訪れた存在でさえ、死によって安穏の地へと旅立った者でさえ、バイドは。

「ふざけるな・・・」

自身の脳裏を過ぎった思考に、アルフの口から低い呟きが漏れる。
続いて紡がれるのは、渾身の力で歯が軋り合わせられる、僅かな異音。
無意識の内に握り締められた拳は小刻みに震え、指の間からは赤い雫が滴り落ちている。
だがアルフには、それらを気に留めている余裕など無い。

プレシア・テスタロッサは最愛の娘アリシアを生き返らせる為に、禁忌の研究「プロジェクトF.A.T.E」の技術を用いてフェイトを生み出した。
モンディアル夫妻は失った愛息を取り戻すべく同様の技術を用い、息子の複製とも云える現在のエリオを生み出した。
ジェイル・スカリエッティは手駒の確保とレリックのデータ収集を目的に、死せる騎士ゼスト・グランガイツを蘇生させた。

しかしエリオを除き、これまでに確認されている死者蘇生については、いずれも何らかの異常が発生している事が確認されている。
フェイトはアリシアとはなり得ず、ゼストは能力と基礎生命機能の劣化を免れ得なかった。
その他の確認済み事例に於いても、死者蘇生に成功したという情報は存在しない。
唯一の成功例であるエリオに関してでさえ、将来的にその生命機能への異常が生じる可能性が皆無であるとは言い切れないのが現状なのだ。

だというのに。
バイドは既に生命活動の停止した肉体を、いとも容易く蘇生した。
死体を醜悪な肉塊の一部とする、唯それだけの事で一旦は失われた生命を呼び戻したのだ。

生命は尊い。
それは少なくとも、次元世界の大部分に於いては普遍的な倫理観だ。
だが徹底的に感情論を排し、只管に、冷酷なまでに科学的な見地から一個の生命体を紐解けば、或いは単なる物質の寄り集まった機能構造体に過ぎないのかもしれない。
言うなれば機械と同様だ。
壊れたのならば、修理すれば良い。
情報さえ残っているのならば、物質部位など幾らでも替えが利くだろう。
だが医療技術が発達し、再生医療すら可能となった現代に至っても、生命とは掛け替えの無い尊ぶべきもの、唯一無二のものであるという認識が主だ。
たとえ生命蘇生すら容易に成し遂げられるとなっても、多くの人々は決してその価値を認めはしないだろう。

人は、生命は機械ではない。
機械と同様であってはならない。
簡単に壊れ、壊し、修復され、交換されるものであってはならない。
何故なら生命とは神秘であり、神聖な存在だから。
少なくとも人間にとっては、そうでなければならないからだ。

そんな認識の中でフェイトは、エリオは生み出された。
それは、禁忌とは知りつつも、掛け替えの無い存在を取り戻したいという強い願いがあったからこそだ。
アルフは狼としての生命が終わる際に、フェイトによって新たなる生命を授けられた。
この絆も、使い魔としての生命も、アリシア・テスタロッサの死から始まった、悲しい物語の結果として生まれたものだ。
ハラオウン一家との強い絆も、生命と死の尊さ無しには決して育まれはしなかった。

だが、バイドは。
バイドは、そんな生命の根幹すら凌辱した。
フェイトとエリオの誕生に至る軌跡、死者を想い禁忌を犯すに至った者達の意志を侮辱した。
大切な存在の死から始まった、幾つもの絆まで嘲笑った。
自身の、フェイトの存在さえ否定した。

「ふざけるな・・・!」

そう、バイドにとっては、生命も機械も大差ないのだ。
尊ぶべきもの、況してや神秘から成るものでなど決してなく、単なる自律機能を有した構造体。
脳髄に収められた情報、またはリンカーコアさえ残っているのならば、蘇生など幾らでもできると。
たとえそれらが失われていたとしても、残された身体機能のみの「再起動」すら成し遂げるだろう。
バイドにとって生と死の概念とは、恐らくはその構造体機能が「活性」であるか「非活性」であるかの区別を付ける為の指標に過ぎないのだ。

眼前で苦悶と絶望の声を上げ続ける彼等は、つい先程まで「非活性」だった。
その原因となる箇所をバイドは修復、或いは新たに機能を付与し、再び「活性」へと移行。
機能を回復した上で改めて彼等を摂り込み、その全てを喰らい尽くす。
彼等のバイタルサインは再び生命の鼓動を伝え始め、それは彼等が肉塊に呑まれ消えても「正常」な信号を送り続けていた。

地球軍パイロットが何故、あの様な手の込んだナノマシンタイプの毒物を携帯していたのか。
つまりは、そういう事なのだ。
単なる生命機能の喪失では、バイドより逃れる事は叶わない。
死者は安寧の狭間より引き摺り出され、強制的に生命体としての機能を回復された後に、存在の全てを凌辱される。
そうして、いつ終わるとも知れぬ苦痛と恐怖、絶望の中でいずれは摩耗し、遂には生命としての個を失い、果ては自らを貪る存在であるバイドと同一の存在となるのだろう。
肉体そのもの、及び身体の有する全情報の徹底的な破壊を以ってして漸く、生命はバイドという悪夢の手を逃れる事ができるのだ。



だから。
ただ「死んだだけ」の彼等は、今。
この下、足下に拡がる闇の中で、彼等は。



「ふざけるなぁぁぁッ!」
「撃てぇェェェッ!」

9つの絶叫と共にバインドが、直射弾が、砲撃がハッチ内部へと叩き込まれる。
噴き上がる肉片と血飛沫、魔力の残滓。
だがそれらさえも、更なる高密度・高出力の魔力の奔流によって掻き消されてゆく。
頭上より放たれる死の奔流を前に、望まぬ蘇生を強いられた死者達は、恐怖の中にも隠しきれぬ歓喜を内包した叫びを上げた。

荒れ狂う魔力の爆炎、一帯を揺るがす衝撃と轟音。
しかし、ハッチ内の生命が次々に消失するにつれ、反比例するかの様に周囲の構造物を侵食する錆は、爆発的にその面積を増してゆく。
その事実に、そして後方から退避を促すフェイト達の叫びに気付きながらも、アルフはバインドで肉塊を絡め取り、引き裂く動作を止める事はできなかった。
犠牲者のものとも、バイドのものとも付かぬ鮮血が頬へと付着する中、傍らに展開したウィンドウ越しの叫びを捉える事ができたのは、幸運としか云い様がない。
その声はこの絶望的な状況に於いて、最後の希望とも取れる報告を告げたのだった。

『Cブロック緊急港湾施設、全ての艦艇がオンラインになっている! 生存者の集結を確認した!』

*  *


戦闘は徐々に収束へと向かっていた。
複数もの結界を容易く撃ち砕き、一瞬にして物影に潜む局員達を遮蔽物ごと細切れの肉片と化す、重火力質量兵器の一斉射撃。
地球軍部隊の攻撃は確かに強力且つ圧倒的ではあるが、それでも総数60を超える空戦魔導師と驚異的な速度で展開され続ける障壁、その双方を同時に相手取るには数的に不利である事は否めない。
更に空戦魔導師ともなると、高速での三次元機動による戦闘展開が可能である。
たとえ圧倒的連射速度を誇る質量兵器と正確な照準技術を有していようとも、高速移動する目標と発射点の間に展開された複数の障壁、それらを破壊するまでの僅かなタイムラグは致命的だ。

予測射撃によって放たれた銃弾の運動エネルギーは障壁破壊時に減衰し、続く掃射は空戦魔導師の有機的な機動を捉え切れずに空を切る。
そして障壁が破壊されるや否や、間髪入れずに魔導師からの直射弾の嵐が地球軍を襲うのだ。
しかし、彼等が纏う装甲服はこちらの予想以上に堅固なのか、非殺傷設定を解除されているとはいえ、直射弾を受けただけでは即死には至らない。
着弾の反動に弾かれ崩された体勢を持ち直すと、攻撃を再開すべく即座に質量兵器を構える。
だが、その隙を見逃す魔導師ではない。
態勢が整うまでの僅かな隙に簡易砲撃が放たれ、地球軍兵士の姿が次々に魔力光の放流に呑み込まれて蒸発してゆく。
兵の数が減るにつれ質量兵器の弾幕も薄れ、更に戦闘の最中に加わった管制室からの援護である業火の洗礼が、地球軍が展開する周辺を蛇の様に舐め尽していた。
魔力の炎によって遮蔽物の陰から炙り出された兵士達は、全身を炎に覆われながらも熾烈な反撃を加えてきたが、それも忽ちの内に砲撃と高密度直射弾の嵐に呑み込まれて消滅する。
そして遂に、このブロックでは最後の地球軍兵士であろう5名が砲撃によって消滅した事を確認し、彼女は暫し周囲を警戒した後に念話を発した。

『周囲警戒。出港まで気を抜かないで』

指示を終えた彼女、第四陸士訓練校学長ファーン・コラード三佐は周囲に気付かれぬよう、小さく息を吐く。
所用で訪れた本局にて参戦する事となった十数年振りの実戦は、全敵対勢力の殺害という後味の悪い結末を迎えた。
同僚や犯罪者、果ては戦闘に巻き込まれた民間人の死を幾度となく目にしてきた彼女ではあったが、45名もの人間を殺害する現場に居合わせる等という経験は、流石にある筈もない。
況してや、その殺害を為した者が自身を含めた管理局局員であるともなれば、尚更の事だ。
ファーンは前方に転がる大型の質量兵器、消滅した地球軍兵士が使用していたそれを見つめながら、心底より湧き上がる怖気を抑える事に腐心していた。

質量兵器を相手取るのは、何も初めての事ではない。
だが、嘗てこれ程までに殺意に満ちた質量兵器による攻撃を受けた事が、自身の局員としての戦いの歴史の内にあっただろうか。
教え子達に対し、自身が繰り返し問うてきた「強さの意味」。
質量兵器という存在は正しく、その問い掛けの求める答えとは対極に位置する「強さ」を追求したものだ。
如何に効率良く破壊し、如何に効率良く殺すか。
執拗なまでにそれらを追い求め、遂には世界すら滅ぼす領域へと至った忌まわしき技術。

現在の管理世界にも、非合法に質量兵器を運用する勢力はある。
だが彼等が使用するそれなど、この地球軍が運用する質量兵器に比べれば玩具に等しい。
展開される障壁を貫通し、合金製の構造物をコルク板の如く穿ちつつ、暴風雨の如く連射される銃弾。
僅かでも身体を掠めようものなら四肢が飛び、直撃すれば胴が消し飛ぶ程の威力。
そんな携行型質量兵器が存在するなど、少なくとも今までには聞いた事も無い。

しかし現に、周囲には弾幕に呑み込まれ細切れとなった局員達の肉片が散乱している。
45名の非魔導師を殲滅する為に、AAAランクすら含む28名もの魔導師が犠牲となったのだ。
管制室からの支援が無ければ、犠牲者の数は倍に膨れ上がっていただろう。
これが魔導資質を有せず、質量兵器のみを己が牙として研磨し続けてきた世界の軍隊、それと相対した結果か。

『コラード三佐、77番から114番まで出港準備が整いました』
『上層階の艦艇は?』
『負傷者の搭乗に手間取っています。出港までは10分ほど必要です』
『了解しました。乗り込みが終了次第、出港して下さい。我々は警戒に当たります』
『御武運を』

「AC-47β」を装着したデバイスを手に、ファーンは背後へと振り返る。
完全な人工物の内部とは思えぬ広大な空間の中、彼女の視線の先には小型の次元航行艦が停泊していた。
その数たるや、1隻や2隻ではない。
左右に視界を巡らせれば、数十隻もの小型艦が出港の時を待っていた。
戦闘の終結と共に、各所のハッチより姿を現した非戦闘員の数は数千人にも上る。
艦内に乗り込んだ者、そして施設構造物内部の人員を合わせれば、実に35,000もの人間がこの施設内で脱出の時を待っているのだ。

このCブロック外殻に沿って設けられた3800m級階層構造式港湾施設は、新暦3年から始まったCブロック建造時に、後の次元航行部隊保有艦艇数の増加を見込んで建造されたものである。
当時運用されていた主力艦艇で116隻もの同時入港が可能となる巨大施設ではあったが、実際には艦艇性能の上昇と支局艦艇の建造により、訪れる事の無い非常時に備えた緊急用港湾施設として、長らく無用の長物と化していた。
L級以降の管理局主力艦艇はこの港湾施設の収容能力を考慮せず、新たに建造されたDブロック港湾施設と支局艦艇のそれを基準に設計・建造された為に尚更だ。
しかし今回、対バイド攻勢作戦が発令されるに当たり、隔離空間内部にて救出されるであろう大量の民間人を安全な各世界へと送り届ける為の中継地点として、建造から74年目にして初めてこの施設が全力稼働する事となった。
結果、人員輸送用の小型次元航行艦、実に152隻が施設内へと集結。
艦隊からの出動要請に備え、各艦艇が待機状態にあったのだ。

ところが今、これらの艦艇は局員の脱出に使われる羽目となっている。
本局中枢が汚染された結果、通信によって救援を呼ぶ事もできなくなった為、これらの艦艇で脱出する以外の方法が無くなってしまったのだ。
しかし、この瞬間まで艦艇が1隻たりとも出港しなかったのは、本局迎撃システムが汚染されていた為だった。
接近中のXV級パトリツィアすら撃沈したそれを、単なる小型輸送艦が掻い潜れる筈もない。

だが今や、管制室からの干渉により、迎撃システムは完全に沈黙。
更に地球軍が通信障害に陥っている可能性が高い今こそが、最小の被攻撃リスクで本局を脱するチャンスであると、嘗て次元航行艦へと乗り組んでいた猛者達は異口同音に主張した。
小型艦のクルーも同様の見解を示し、民間人と負傷者を優先的に艦艇へと搭乗させると、出港時の安全確保を武装局員へと指示。
その僅か数分後、彼等の予想は的中した。
出港を阻止せんと攻撃を仕掛けてきた地球軍部隊を相手取り、武装局員との間に熾烈な戦闘が展開されるに至ったのだ。
そしてつい先程、漸く地球軍部隊は完全に排除された。
脱出の妨げとなるものは、少なくとも今この瞬間には存在しない。

『77番から第2港湾管制室、出港する』
『こちら第2港湾管制室、了解。物理障壁を開放する。78番から114番、77番に続け』

横3800m、縦500m、高さ80mもの広大さを誇る施設内部。
ファーンの見つめる遥か先で、物理障壁が上下ヘと引き込まれてゆく。
露わとなった半透明の障壁、空気の漏出を防ぐ為に展開されているそれの向こうには、隔離空間内に浮かぶ惑星と爆発の光が無数に瞬いていた。
最端に位置する77番艦が前進を開始し、78番艦以降もそれに続く。
徐々に加速するそれらは数秒で障壁を透過し、破滅の光が煌めく隔離空間へと脱した。
そして8000名を超える民間人と負傷者を乗せた38隻の小型艦は、各々が障壁透過から3秒ほど経過するや順次、推進部へと明りを点して急加速を掛ける。

周囲の局員達が歓声を上げる中、ファーンもまた薄らと笑みをその表情へと浮かべ、安堵の息を吐いていた。
その傍らに歩み寄る、桃色の髪を棚引かせる人影。
ファーンは軽く視線を投げ掛け、穏やかな声で語り掛ける。

「汎用デバイスの扱いはどうかしら、セッテさん?」
「問題ありません。嘗ての固有武装には比べるべくもありませんが、これはこれで高機動での射撃戦に向いている」

戦闘機人No.7、セッテ。
局員によって独房より解放された彼女は、状況を簡潔に説明した上で避難を指示すると、自身も戦闘に協力すると申し出たらしい。
無論、局員はその進言を断ったが、戦闘が可能な人材が不足している状況では仕方がないとの結論が下されるまで、然程の時間は掛からなかった。
生存者の1人が殉職した局員のストレージデバイスのデータを改竄すると、それを受け取ったセッテは巧みな空戦術で汚染されたオートスフィアを翻弄しつつ殲滅し、合流した生存者達をこの港湾施設までへと導いたのだ。
その卓越した戦闘技術は先程の戦闘でも発揮され、彼女は地球軍部隊の頭上を翔け回っては攻撃を引き付け、思うが侭に彼等を翻弄した。
結果として、戦闘初期で死亡した28名を除く他の局員は、安全に地球軍部隊へと攻撃を集中する事ができたのだ。
彼女は独房より解放されこの場所へ至るまでの僅かな時間で、自らの力と意志を以って局員の信頼を勝ち取っていた。
そして彼女を信頼するに至ったのは、ファーンとて例外ではない。

「ありがとう。貴女が協力してくれなければ、もっと多くの局員が死んでいたでしょう」
「・・・私は姉妹の仇を討っただけです」

表情を変える事もなく言い放たれた言葉に、ファーンは悲しげに目を伏せる。
セッテの姉妹であり同じく本局内に収容されていたNo.3トーレは、逃げ場など無い小さな独房の中、僅かな抵抗すら許されずに壁面ごと質量兵器によって撃ち抜かれ、下半身を完全に粉砕されて殺害された。
独房内の映像を確認した局員がその場へと駆け付けた時、残されていたのは左足首と大量の血痕、散乱する機械部品と肉片のみだったという。
警備の任に就いていた局員は1人残らず射殺され、残されたトーレの半身は地球軍が持ち去ったらしい。
その事実を聞かされた際、セッテは表情こそ変えなかったものの無言で地球軍を迎え撃つ準備を始めた。
敬愛していたのであろう姉の死は、彼女に少なからぬ衝撃を与えたらしい。

「・・・それでもよ。彼等が無事に出港できたのは、貴女のお蔭でもある」
「それは・・・ッ!?」

無表情ながらに、言葉を返そうとするセッテ。
その言葉が最後まで紡がれる事はなく、衝撃と轟音がファーンと彼女を襲った。
突然の事に驚愕しながらも、ファーンは衝撃の発生地点と思われる方向へと視線を移す。

炎を噴き上げているのは、物資輸送用連結カートの停車場だった。
其処には1088航空隊が集結していた筈だが、今は巨大な火柱が全てを覆い尽くしている。
咄嗟に駆けだそうとするファーン、続くセッテ。
その視界の端、壁面が光を発したのは1歩目を踏み出すと同時だった。

閃光、破裂音。
少なくともファーンには、そうとしか認識できなかった。
壁面が弾けた瞬間、彼女は長年の経験から左腕で視界を覆う。
強烈な閃光を遮り、麻痺する聴覚を無視してデバイスを構えるも、直後に全身を襲った再度の衝撃波に吹き飛ばされた。
しかし彼女の身体が、床面へと叩き付けられる事はない。
空中で軽やかに身を翻すと、ファーンは年齢を感じさせない動きで前後を入れ替え、後方へと向き直った形で着地する。
先程の衝撃波が、大質量の物体が通過した際に発生したものである事を、彼女は既に見抜いていた。
だが、デバイスを構えた先に浮遊する物体を目にするや否や、彼女は自身が判断を誤った事を理解する。

「な・・・!?」

それは、フォースだった。
フォースだけが宙へと浮かび、不規則に回転している。
同時に背後より響く振動と金属音、そして何らかのエネルギーが充填される音に、ファーンは状況を正確に把握した。
彼女は、嵌められたのだ。

『撃って!』

咄嗟に念話を放つが、間に合わない。
彼女の側面20m程の位置を、巨大な人型が床面を擦りつつ高速で駆け抜けた。
非戦闘員の、数千もの悲鳴。

全体を支える脚部は床面へと強固に接したまま動かず、代わって背面に備えられた2基のバーニアが、轟音と共に青い業火を噴き出している。
膨大な推力は鋼鉄の巨躯を強引に前進させ、両の足は大量の火花を散らしつつ床面を抉っていた。
手にした巨大な砲は港湾施設の艦艇出入口、その遥か前方に位置する38隻の小型艦へと向けられている。
砲口には青い光を放つ粒子が集束し、明らかに充填が終了しつつある事を窺わせた。
濃緑色の巨人、人型への変形機構を有する重武装R戦闘機。
TL-2A2「NEOPTOLEMOS」。

『させるか!』

局員の咆哮と共に、数発の簡易砲撃が放たれる。
それらは一様に砲身を狙ったものであったが、しかし唯の1発も意図した箇所へと突き立つ事はなかった。
R戦闘機の周囲を旋回する2基の大型ビットが、全ての砲撃を防ぎ切ったのだ。
球状バイド体の殆どを重装甲に覆われたそれらは、簡易式とはいえ砲撃魔法数発を同時に受け止めたにも拘らず、全くの無傷だった。

「シールド・・・!」

嘗ての交戦時には確認されなかった兵装。
しかし、嘗て本局に侵入したTL-2A2というR戦闘機が近接戦闘に特化したフォースを装備している事実、そしてビット・システムという汎用支援兵装の存在は疾うに判明していたのだ。
ならばあの機体が、防御に特化したビットを装備可能であるという事実は、予測されて然るべきだった。
管理局の、自身の迂闊さを呪いながら、ファーンはビットを引き付けるべく射撃を開始する。
僅かでも防御に穴を開け、砲撃魔法を直撃させる為に。

その時、隔離空間と施設内部を隔てる障壁の更に手前に、緑光を放つ障壁が幾重にも展開する。
第7管制室、ユーノ・スクライア無限書庫司書長による援護だ。
障壁で波動砲を防ぎ切れる可能性は低いが、万が一の事態には少しでも砲撃の軌道を逸らす為の保険だろう。
そしてR戦闘機の背後には、尋常ならざる速度で移動したセッテを始めとする局員十数名の姿があり、彼等はファーンと同じく一様に射撃及び砲撃態勢を取っていた。
更に頭上からは、明らかに異常な魔力密度によって形成された炎の壁が、雪崩を打ってR戦闘機へと襲い掛かる。
シグナムの援護だ。
攻撃は三方から、ビットは2基。
いずれかの攻撃は直撃し、波動砲による砲撃は中断される事だろう。

だが、その思考を読んでいたかの様にフォースが後退し、上方より襲い来る炎の壁を一瞬にして喰らい尽くした。
更にR戦闘機の背面より4発のミサイルが放たれ、それらは機体を迂回するかの様な軌道で天井面、そして床面へと着弾する。
過去の戦闘に於いて確認されている通り、ミサイルの弾速は魔導師と云えど人間の反応速度で対応できるものではなく、その炸裂の際に生み出される衝撃波と炎はバリアジャケットでは軽減すらできない。
巨大な爆発によって木の葉の様に吹き飛ばされ、鼓膜を劈く轟音に耐えながらも、ファーンは意識を刈り取られぬよう堪える事で精一杯だった。
そして炎と破片の壁の合間に霞む様にして、R戦闘機が砲身を前方へと突き出している様が視界へと映り込む。

『止めろ!』

それが誰の叫びだったのかなど、知る由も無い。
次の瞬間、ファーンの視線はR戦闘機が手にする砲へと釘付けとなっていた。
砲口周辺の空間そのものが揺らぎ、強烈な光と共に爆発する様を目にしたのだ。
そして視界の端で、砲口のそれよりも更に強力な光が炸裂する。
その光が意味するものを、彼女は正確に理解していた。

『第2港湾管制室より全艦、及び全局員へ・・・』

港湾管制室からの通信及び念話。
その思念は抑え切れぬ感情に揺れ、震える声となって意識へと伝わる。
ファーンとて、自身が念話を発すれば同様だったろう。
眼前に拡がる光景はそれ程までに非情で、受け入れ難いものだったのだから。



『84番、91番、106番、107番を除く艦艇の反応が消失・・・第一陣、34隻の喪失を確認・・・』



瞬間、無数の絶叫と共に砲撃が、直射弾が、バインドがR戦闘機へと襲い掛かる。
一切の慈悲も容赦も無いそれらは、正しく感情の爆発であった。
純粋な憎悪と殺意。
およそ管理局局員にあるまじき感情と共に放たれたそれらは、しかしフォースとビットによる鉄壁の防御を前に危なげもなく防がれてしまう。
だが、その結果を前にしても、局員の攻撃が止む事はなかった。

「殺せッ!」

ファーンの背後より放たれる、肉声による絶叫。
それは、単独にて放たれたものではなかった。
数十もの声が一様に同じ言葉を、各々の感情を剥き出しにして叫んだものだ。
眼前にて8000名にも迫る非戦闘員を虐殺されたという事実が、無限とも思える憎悪を全局員へと齎していた。

『殺せッ!』

同じ言葉が、念話でも繰り返し叫ばれている。
同時に、誤射の危険性すら無視した全方位からの砲撃と直射弾による弾幕が、更に密度を増した。
未だ停泊中の艦から、或いは施設の各所から。
300名を超える魔導師が現れ、幾重にもR戦闘機を包囲していた。
彼等は広大な空間を活かし、各々に射線を確保すると即座に攻撃を開始。
秒を追う毎に密度を増す弾幕にR戦闘機は、まるで人間そのものであるかの様に激しい挙動でのた打ち回る。
砲身を携えた右腕は固定したまま、左腕はカメラアイを庇うかの様に構え、機械兵器とは思えぬ機動で以って暴れ狂っているのだ。

『殺せェッ!』
『第一陣残存艦艇、離脱しろ! 接近中のヴィクトワールに攻撃の中止と援護の要請を!』
『こちら122番、敵機の離脱を塞ぐ! 各艦は互いの間隔を詰め、奴の行動範囲を潰せ!』
『逃がすな! 此処で撃墜しろ!』
『胸部を集中的に狙え! 其処がコックピットだ!』

殺意そのものの怒号が響く中、R戦闘機は反撃も儘ならずに四肢を振り回している様に見える。
だが、真相がそうでない事はすぐに解った。
荒れ狂う機動と共に振り回されるフォース、不規則な軌道で以って周囲を旋回するビット。
それらは一見すると意味の無い機動であるかの様に思えるが、実際には弾幕の大部分を正確に受け止め吸収していた。
事実、現在のところR戦闘機本体へと着弾しているのは、ごく僅かな直射弾のみ。
砲撃は全てフォースに吸収されるか、シールド型ビットによって防御されていた。

『くそ、当たらない! 位置は殆ど変わらないのに!』
『こちら第7管制室、敵機の拘束を試みます! 9番搬入口の前を開けて下さい!』

そんな状況の中、局員による包囲網の隙間を縫う様にして緑と褐色のバインドが十数条、R戦闘機へと殺到する。
それらは楕円状の軌道を描き敵機へと肉薄、その周囲を取り囲んだ。
直後に全てのバインドが先端を敵機へと向け、一斉にその矛先を突き立てんとする。
そして遂に、殆どバインドを囮にフォースとビットの防御を突破した2条が、R戦闘機の右腕と右脚へと絡み付いた。

『今だよ!』

ファーンは、その念話を発した人物を知っている。
嘗ての彼女の教え子の中でも、突出した才能を有していた少女の使い魔だ。
彼女達がこの場へと辿り着いた事に感謝しながら、ファーンは自身も敵機へと直射弾による攻撃を開始する。

R戦闘機は2基のビットを急激に旋回させ、何とか致命的な砲撃の着弾を防いではいた。
しかしバインドによって本体の動きを大きく制限された為、結果として空間を埋め尽くす程に乱射される直射弾についてはかなりの数が着弾している。
驚異的な堅固さを誇る装甲により、直射弾程度では眼前のR戦闘機を撃破するには至らない。
それでも敵機は無数の細かな破片を撒き散らし、着弾の度に大量の火花を周囲へと撒き散らしている。
このまま攻撃を続行すれば、いずれは墜ちる事は間違いない。

更に、褐色のリングバインドが四重に展開され、旋回するビットの1基を数瞬ながら空中へと固定すると同時、砲撃魔法を扱える局員のほぼ全てが攻撃。
同時に、魔力によって形成され可視化された猟犬の群れ、そして炎の壁が頭上より襲い掛かる。
リングバインドを形成する魔力は、忽ちの内にビットを形成するバイド体により喰らい尽くされ、その効力を失った。
しかし、ビットが空中へと静止した数瞬の間に生じた防御の空白は、R戦闘機にとっては十二分に致命的だ。
決着する。
ファーンですら、そう信じて疑わなかった。
直後にR戦闘機が取った、その行動を見るまでは。

「な・・・!?」
『フォースが・・・!』

フォースがR戦闘機の至近距離に位置する場合、光学兵器を主とする間断ない掃射が可能である事は既知だった。
眼前のTL-2A2に関しては、エネルギー輻射を用いて形成したブレードを使用しての、近距離格闘戦を展開するとの情報がある。
金色の燐光を纏う長大な刀身が、前方を薙ぎ払う様に振るわれるというのだ。

この瞬間も、その情報と同じくエネルギーの刀身が展開された。
但し、その刀身の纏う光は金色ではなく、眩い青の燐光。
それがアームより伸びると同時、フォースが横軸方向へと回転を始める。
R戦闘機は回転するフォースを左腕の甲へと接続したまま、その腕を機体の右側面へと振るった。

先ず刀身が、R戦闘機の右脚を絡め取るバインドを切断。
次いでその刀身より放たれた同じく青い光弾が、右腕のバインドを打ち砕く。
一瞬の事だった。
誰もが反応すらできない中、R戦闘機は自ら床面へと倒れ込み、胸部を狙って放たれた全方位からの砲撃を回避する。
目標を失った数多の砲撃は互いに空中で接触、干渉を起こして巨大な魔力爆発を起こした。
その炎と衝撃により、接近中の猟犬が跡形もなく消滅する。
シグナムの炎は爆炎を切り裂きR戦闘機へと肉薄したが、続く敵機の行動により完全に消失した。

R戦闘機の上半身が床面へと接触する直前、背面のブースター付近で閃光が爆発したのだ。
シグナムの炎は衝撃波に掻き消され、僅かな残滓のみを残して消滅。
全身を打ち据える衝撃と共にファーンの聴覚が麻痺し、咄嗟に腕を翳し閃光から庇った視界の端には、人型から戦闘機型へと変形して高速で施設を後にするR戦闘機の姿が映り込む。
敵機は閉じゆく物理障壁の隙間を潜り抜け、光の尾を引きつつ外部の隔離空間へと脱した。
先程の衝撃波がR戦闘機のブースターから生じたものであると、ファーンがそう理解したとほぼ同時に無数の怒号が響く。

『敵機、逃亡!』
『被害状況を確認しろ! 管制室、バイタルを確認してくれ!』

未だ殺意も醒めやらぬ局員達は、口々に憎悪の言葉を紡ぎながらも周囲警戒へと移行。
他のR戦闘機による支援が無かった事から、地球軍侵入部隊に通信障害が発生している可能性は一層に高まった。
しかし何時、侵入が確認された他の2機が襲ってくるとも知れぬ今、警戒を緩める訳にはいかない。
ファーンもまた、傍らに降り立ったセッテと共にアルフ達が辿ってきた通路へと、デバイスの矛先を向ける。
少し離れた地点では男性武装局員とナンバーズの1人が共に膝を突き、狙撃銃型のデバイスと固有武装を構え、ファーン達が狙う箇所とは異なる通路を警戒していた。
そして負傷者の介抱が始まった事を確認すると、ファーンは管制室へと念話を発する。

『管制室、第2陣の出港準備はどうなっていますか? 状況次第ではすぐに・・・』
『物理障壁外部、高速移動体接近!』

自身の問いに対する答えからは懸け離れた内容の叫びに、ファーンは疑問の声を上げる事もなくデバイスを構えて背後へと振り返った。
一瞬、閃光が施設内を埋め尽くす。
咄嗟に左側面へと視線を投じると停泊中の艦が2隻、巨大な力によって引き裂かれ、更に吹き飛ばされる様が目に入った。
距離、約1700m。
俄には反応し切れず、呆然と事態を見つめるファーンの視線の先で、新たなる惨劇は加速度的に規模を増していた。

膨大な質量を持つ無数の金属の破片が壁となって局員達を襲い、非戦闘員を含めた百数十名が微塵となって壁面へと叩き付けられる。
更に、粉砕された2隻の艦体の一部、幾分ながら原形を留めている残骸が後を追う様にして壁面へと叩き付けられ、次いで爆発を起こした。
遅れて聴覚へと飛び込んだ轟音は更なる轟音に呑まれ、炎と衝撃波が舐める様に施設と人々を薙いでゆく。
ファーンは衝撃波によって、周囲の局員もろとも後方へと押しやられたが、しかしその影を見落とす事はなかった。

膨大な質量など無きが如くに吹き飛ぶ、次元航行艦と物理障壁の残骸。
2つに割れた艦体の間から1機のR戦闘機が高速にて出現し、一瞬にして巨砲を携えた濃緑色の人型へと変形する。
巨人は浮遊する2基の盾を左右後方へと随え、自身の進路前方に一際巨大な球状の防御兵装を据えていた。
機体下部より展開された両脚を床面へと接触させ、膨大な量の火花と破片を巻き上げて構造物を抉りつつ、100m以上もの距離を滑走する。
それは紛う事なく、この港湾施設を離脱した筈のR戦闘機、TL-2A2だった。

『戻ってきやがった・・・!』

敵機は、逃亡した訳ではない。
単に攻撃を回避する為だけに本局を離脱し旋回、位置を変えて再突入してきたのだ。
波動砲によって物理障壁もろとも2隻の艦艇を破壊し、飛散するそれらの破片をさらに上回る速度で以って強行突入。
瞬時に人型へと変形し接地、急激な制動を掛けつつ姿勢制御を行い、フォースと砲口を周囲の局員と艦艇へと突き付けている。
フォースに備えられたアームの先端に点る、赤い光。

「散開!」

全方位へと念話を飛ばしつつ、ファーンは叫ぶ。
大多数の局員は即座に反応したものの、敵機の攻撃は彼女の予想を上回る程に激しいものだった。
先程の青いブレードと同じく、これまでの戦闘では未確認の赤いブレード。
伸長したその刀身が振り抜かれると同時、卵の殻を割る際のそれにも似た音がファーンの意識を揺らした。
だが直後、その微細な音は金属構造物を引き裂く異音と、膨大なエネルギーの炸裂が引き起こす衝撃音へと変貌、聴覚を破壊せんとする。

余りの弾速に形状こそ認識できなかったものの、ブレードが振り抜かれる瞬間に刀身より放たれたのは、赤いエネルギー弾体だった。
それが一瞬にして3名の局員を蒸発させ、1名の膝下より先を消し飛ばしたのだ。
弾体は更に直進、積み上げられていた複数の物資輸送用コンテナを切断し、壁面へと接触して炸裂音と共に消滅。
着弾箇所に残されたのは、幅6m程もある巨大な溝のみ。
余程に高威力なのか、溝は肉眼では視認できないほど壁面深くまで刻み込まれている。
恐らくは刃状、切断に特化した射出型エネルギー弾体だ。

『射撃型だ!』
『回避、回避だ! 動き回れ!』

フォースは狂った様にアームを振り回し、四方へと赤い斬撃を乱射していた。
防御の全てをビットに委ね、只管に弾体を放ち続ける。
R戦闘機は左腕の甲をフォースに添えたまま、右腕の砲で電磁投射砲弾による掃射を行っていた。
構造物を容易く抉る砲弾が、軽機関銃もかくやという速度で連射され、施設構造物と艦艇外殻に30cm程もある弾痕を穿ち続ける。
更には、R戦闘機の背面より4発のミサイルが放たれ、それらは上方へと展開していた局員の一団もろとも、天井面を完全に粉砕した。
降り注ぐ瓦礫が下方の局員を襲い、崩落から必死に逃げ惑う彼等を電磁投射砲弾とエネルギー弾体が襲う。

無論、ファーン達も黙ってやられていた訳ではない。
R戦闘機の放つそれを優に超える密度の弾幕が全方位から敵機を襲い、同時に40発を超える砲撃が粉塵の中心へと撃ち込まれる。
しかし、此処で全力の砲撃を放てば、艦艇と非戦闘員までもが炸裂の余波に巻き込まれてしまう。
結果として砲撃は出力を落とさざるを得ず、しかも敵機の絶妙な回避行動によって殆どが躱され、縦しんば直撃軌道にあってもビットによって防がれてしまうのが現状だった。
対してR戦闘機の攻撃は秒を追う毎に苛烈を極め、更にバイドによる各種機器に対する妨害を受けている為か、狙いも付けずに連射される攻撃は弾幕となって周囲へと降り注ぐ。
構造物を貫通するそれらは武装局員のみならず、構造物内部に避難している非戦闘員までをも巻き込み消滅させてゆくのだ。

『131番、艦内生命反応消失!』
『総員退避! 繰り返す、総員退避! 機関部に被弾、メインヒューズが吹き飛んだ! 安全装置が作動しない! 117番、機関部が爆発する!』
『2053隊員の全滅を確認!』

敵機再突入より、約30秒。
局員のバイタルサインは見る間にその数を減らしゆき、消滅したバイタル数は既に70を超えていた。
悲鳴と怒号が飛び交う中、港湾管制室から新たな報告が飛び込む。

『局員のバイタルが多数、本施設へと接近中! 生存者の増援だ! 26番通路、総数719!』

その報告は、ファーンの胸中に微かな希望を宿した。
現状に於けるそれの倍近い戦力が、増援としてこちらへと接近中だというのだ。
彼女と同様に周囲も勇気付けられたのか、轟音に紛れて其処彼処から歓声が上がる。

『聞いたか、味方がこっちへ向かっている! 到着まで持ち堪えてみせろ!』
『1089、2015は敵機の側面へ! 奴を誘導しろ! 26番通路に背を向けさせるんだ!』
『やり過ぎるな。また逃げられては元も子もない』

無数の念話か飛び交い、局員の攻撃がより一層に激しさを増すと、R戦闘機はフォースによる攻撃を中断した。
攻撃は電磁投射砲のみが担い、フォースはビットと併せて3基で以って弾幕の吸収に当たる。
局員の数が減少しているにも拘らず、攻撃の密度が増した事実に戸惑っているかの様だ。
更に、砲撃を躱し数十mを移動した敵機に、思いも寄らない攻撃が襲い掛かった。

『武装隊、退がれ!』

施設そのものを揺るがす轟音と共に、小型艦とはいえ膨大な質量を持つ艦体が、R戦闘機へと圧し掛かる様にして衝突したのだ。
安全装置を自ら破壊したのであろう、艦体の安全を考慮しない決死の突撃。
構造物を抉りつつ最大加速で以って敢行された次元航行艦の体当たりは、弾幕への対処に気を取られ反応の遅れたR戦闘機を、実に200m以上にも亘って弾き飛ばした。
恐らくは至近距離に於ける各センサー、及び光学的視認のみが機能していたのだろう。
バイドによる妨害の存在しない状況下ならば、危なげもなく躱せたであろう後方からの突撃。
それを敵機は、僅かなりとも回避の素振りを見せる事なく、直撃を受けてしまったのだ。

『やった!』
『130番、艦体に亀裂! 艦橋、機能喪失! 戦闘収束まで艦内にて待機せよ!』

体当たりを敢行した130番艦は、施設内での決死の加速によって床面へと衝突、小爆発を繰り返していたが、奇跡的にも乗員は無事だったらしい。
対するR戦闘機は、局員の思惑通りに26番通路付近の壁面へと叩き付けられ、正面より襲い来る弾幕を凌ぐ事に全力を傾けていた。
フォースからはエネルギー弾体が、砲口からは電磁投射砲弾が間断なく放たれ続けてはいるが、流石にこの密度の弾幕を前にしては、機能の殆どを封じられたセンサー類には荷が重いらしく、照準補正すら儘ならないらしい。
更にミサイルの射出口が備えられた背面は壁面によって封じられ、戦闘機型へと変形して離脱しようにも、その瞬間に四方より砲撃が放たれるのは明らか。
敵機は最早、此処から逃げる事はできない。

しかし、余裕が無いのは局員側も同様だ。
このまま弾幕を吸収され続け、フォースへのエネルギー蓄積が臨界を迎えれば、次に来るのは嘗ての戦闘に於いてB5区画を消滅させた、あの破滅的な戦略攻撃だろう。
こちらが生き残る為には、エネルギーが臨界を迎える前にR戦闘機を撃墜するしかない。

『管制室、味方の到着はまだなの!?』
『あと20秒! 20秒で到着する! 26番通路だ!』
『2059より管制室。もう一度、増援の数と通過中の通路を確認してくれないか』
『第2港湾管制室より2059! 増援の数は719、到着は26番通路だ!』

誰もが増援の到着を心待ちにする中、再度その味方の数を問う念話が発せられる。
ファーンもまた、状況を再確認するつもりでその言葉を聞いていたが、しかし続く問答に何かが引っ掛かった。
何かを見落としているかの様な、微かな違和感。

『管制室、26番通路というのは間違い無いのか』
『・・・何が言いたい?』

再度、確認を要求する2059航空隊。
その、何かを警戒するかの様な問い掛けに、ファーンもまた奇妙な事実に気付く。
咄嗟に視線を、増援が到着するという26番通路へと向けるも、其処には封鎖された隔壁のみがあった。
そして、続く2059航空隊からの指摘に、彼女の意識が凍り付く。



『700人もの魔導師が分散もせずに、あんなに細い連絡通路を一丸になって進んでくるのか?』



瞬間、即座に退避へと移る事ができたのは、果たして全体の何割か。
26番通路隔壁を中心に、約10mの範囲で壁面が膨張した。
それは有機的な膨張ではなく、巨大な力による金属壁の歪曲。
壁面へと走る罅に、しかし敵機への攻撃に固執する局員達は気付かない。
だが、彼等の攻撃を受け続けているR戦闘機は、背後の壁面の奥深くより迫りくる脅威に気付いたらしい。
機体への被弾も顧みずビットのみを前面の防御に残し、機体正面へと構えたフォースもろとも壁面へと振り返ると、壁越しに存在する「何か」へとエネルギー弾体を撃ち込み始める。
敵機が見せた突然の機動に、攻撃に意識を囚われていた局員達も、漸く何かがおかしいと認識したらしい。
だが、遅かった。

『逃げなさい!』
『馬鹿、退がれ!』

ファーンを含めた後方からの砲撃、そして直射弾が壁面へと突き立つ。
しかし急激な事態の推移に、攻撃を中断したばかりの局員達は状況を把握できずに次の行動を選択しあぐねていた。
その僅かな時間こそが、彼等の終焉を決定付けてしまう。

壁面が更に膨張、そして破裂。
無数の鉄片が衝撃波と共に飛来、鋭利な刃と化して局員を襲い、その身体を引き裂いてゆく。
身体そのものを揺るがす轟音に誰もが身を竦ませる中、崩落する構造物と爆炎の中から奇妙な物体が姿を現した。
炎を纏いつつ、膨大な瓦礫の内より這い出たそれを目にするや、局員の間から悲鳴が上がる。

「蛇・・・!?」
「にしては、随分と巨大ですが」

それは、一見すると蛇にも似た、赤黒い生物らしき存在だった。
但し、セッテの言葉にも表れている通り、蛇と呼称するには余りにも巨大に過ぎたが。
何せ目測ではあるものの、胴周りは明らかに20mを超えているのだ。
更には、壁面から現れた部位は既に100m近くにも達しているが、未だに胴が途切れる様子が見受けられない。
次から次へと、巨大な球状の組織体が連なって形成された胴部が、詳細すら解らぬ粘液に塗れつつ出現を続けていた。

何よりもファーンの意識を捉えたのは、醜悪という表現に尽きるその外観だ。
眼も口も存在しない頭部、その後に連なる無数の肉塊。
それらは球状に成形され、表面には装甲板としての機能を果たす物か、肉塊を形成する際に取り込まれたらしき金属構造物が鈍く光を反射していた。
浮き上がった血管系らしき組織は脈動を繰り返し、所々には植物体の気孔にも似た器官が数十に亘って密集、開口部より肉塊の内部を僅かに覗かせている。
そして、漸く全ての肉塊が姿を現し終えた時、異形の全長は400mを優に超えていた。

『増援のバイタル発信源を特定』

呆然と、宙に渦を描く肉塊の全貌を見上げる局員達。
想像を絶する異形の出現に、ファーンですら言葉もなく宙を見つめるだけだった。
そんな彼女達に、第7管制室のクアットロから信じられない言葉が齎される。



『大型生命体の胴部・・・繋がった球状の肉塊、1つ1つが複数のバイタルを発しています・・・あれは・・・あれは・・・!』



その先を聴く余裕は無かった。
20数個もの肉塊、その全てから魔力が溢れ出し、数瞬の間を置いて全方位に対する魔導弾の掃射が始まったのだ。
既に防御結界の展開を終えている者は、意外にも魔力密度が然程に高くはない弾体を、危なげなく防ぎ切っている。

だが、反応の遅れていた者達は、例外なく凄惨な死を迎える事となった。
魔力密度こそ低いものの連射される魔導弾の数は、空間を埋め尽くす、との表現が最適と云える程である。
彼等はバリアジャケットのみを以ってその掃射を受ける事となり、忽ちの内にその防御を破られると、後は抵抗すら許されずに数千発もの低集束魔導弾によって嬲り殺されたのだ。
約5秒間にも亘る全方位無差別制圧射に曝され、徐々に削り取られてゆく自身の肉体を認識し、想像を絶するであろう苦痛に絶叫しつつ息絶えてゆく局員達。
掃射が止んだ後に残されたのは、人間がその地点に存在していたという証、床面に染み付いた数十の黒い影のみ。
空中で掃射を受けた者に至っては、その影すら残せずに消滅している。

視界を覆い尽くす閃光が燐光に、燐光が魔力の残滓に、残滓が霞と消えた後。
施設内に残るは、互いへの害意を孕んだ3つの勢力だった。
当初の半数にまで数を減じた局員と、異形の放つ弾幕により表層部を焼かれた数十隻の艦艇。
フォースを構え防御態勢を取り続けるR戦闘機、宙にのたうつ異形。

『港湾管制室、上層階艦艇の出港に備えろ』

だが、この状況は好機でもあった。
R戦闘機の注意は完全に異形、即ちバイド汚染体へと向けられている。
必然的に攻撃の矛先も、汚染体へと集中する可能性が高い。
そして、当の汚染体による攻撃が次元航行艦の外殻を撃ち抜ける程の威力を有していない事は、数千もの着弾箇所から魔力残滓の煙を上げつつも、特に目立った損傷を受けた様子もない艦艇群の状態を見れば明らかだ。
つまりこの汚染体は、局員の殲滅を目的とするR戦闘機に対し、非常に効果的なデコイとなり得る。
敵機が汚染体との交戦に入った隙を突き、艦艇群は施設を出港するのだ。

『敵機、攻撃態勢!』

そして遂に、待ち侘びた瞬間が訪れる。
防御態勢の最中から波動砲の充填を行っていたらしきR戦闘機が、その砲口を汚染体へと突き付けたのだ。
ファーンは咄嗟にセッテを背後へと庇い、同じく前面へと進み出た局員4名と共に結界を展開する。
直後に、閃光が爆発した。

シグナムから剣を奪い、8000もの生命を虐殺せしめた、悪夢の兵器。
管理局にとっての未知にして、最大の脅威たる質量兵器、波動砲。
既に複数タイプの存在が認識されている中、眼前のTL-2A2が備える波動砲については、地球軍の機動兵器に標準装備されているという異層次元航法推進システム、それを応用し広域空間爆発を引き起こす範囲殲滅型であると確認されている。
恐らくは、目標機構内部へと直接的に波動粒子を集束させ、内部から敵性体を爆破するという運用を想定して開発された波動砲。
それが、管理局の分析結果だった。

シグナムは運が良かった。
敵機は彼女の体内を狙わず、彼女の遥か後方に炸裂点を設定していたのだ。
充填率も、ほぼ最少だったのだろう。
それは殺害を避け、より多くの情報を得る為の選択だった。

だが、今は違う。
目標はバイド、周囲の局員は明確な殲滅対象。
R戦闘機が余波を気に留める筈もなく、恐らくは艦艇群を撃破した際と同じく、最大充填率での砲撃となるだろう。

『散れ!』

その念話と共に局員が一斉に後退し、艦艇は互いの接触と艦体の損傷すらも無視して、少しでも汚染体からの距離を取らんと機動を開始。
汚染体と艦艇群の間には、管制室によって巨大な障壁が無数に展開される。
少しでも余波を減じようと、ユーノが展開したものだ。

そして直後、宙に渦を巻いていた汚染体の内部から、膨大な光が溢れ出す。
展開されていた結界が瞬時に砕け、ファーンの身体は膨大な圧力と衝撃波によって弾き飛ばされた。
聴覚は何度目かの麻痺を起こし、脳を揺さ振る衝撃が意識を朦朧とさせる。
だが、床面へと叩き付けられると思われた彼女の身体を、何者かが受け止めた。
彼女はすぐに、その正体を察する。

『セッテ?』
『・・・汚染体は内部より爆破されました。骨格が剥き出しとなっていますが、未だ健在です』

聴覚が麻痺している為、念話を用いて呼び掛けると、状況を報告する簡潔な言葉が返ってきた。
翳された腕によって閃光から庇われ、正常な機能を保持していた視界を正面へと向ける。
そしてファーンは、セッテの言葉が正しいものである事を知った。

「まだ・・・生きて・・・!」

宙を舞う巨大な生命体。
汚染体は、まだ生きていた。
20を超える球状の肉塊で形成された胴部を波動砲の炸裂によって消し飛ばされながらも、僅かに残った骨格らしき芯部でその身を繋ぎ止め、苦痛に身を捩るかの様にして何処かへと逃走を図る。
既に施設内部は赤黒い血液に染め上げられ、炸裂の瞬間に飛び散ったらしき大量の肉片が、壁面と云わず天井面と云わず、視界に映る全てにこびり付いていた。
艦艇の白い塗装もまた血液と肉片によって染め上げられ、赤い液体が小雨の様に局員達のバリアジャケットを濡らし続けている。

誰も彼もが赤く染まり、噎せ返る様な鉄の臭い、そして腐臭にも似た異様な臭気に覆われていた。
髪を伝い、頬を流れ、口内へと入り込む汚染体の血液。
それを吐き出す事すら忘れ、ファーンは血濡れのままに念話を発する。

『出港は!?』
『既に始まっています! 1番から38番は既に加速を開始、39番から76番は・・・』
『第7管制室より第2港湾管制室へ! 上層階に於いて異常質量検出!』

その瞬間、明らかに異常な振動がファーンの身体を揺るがした。
見れば、周囲の局員もまた一様に体勢を崩し、突然の衝撃に戸惑いを隠せずにいる。
いずれの方向へと視線を投じようと、それは同じ事だった。
状況を理解している者など、唯の1人も存在しない。

一方でR戦闘機は、執拗なまでに汚染体への攻撃を続行していた。
施設の端を目指し逃げゆく汚染体を追い、速力を活かして先回りすると、砲撃により半壊した頭部へと攻撃を集中。
電磁投射砲弾とエネルギー弾体、ミサイルが嵐の如く撃ち込まれ、周囲へと降り注ぐ血液の量は既に豪雨も斯くやと云わんばかりだ。
血液を噴き出し、肉片を散らしながらも前進を止めない汚染体は、徐々にその頭部を削り取られてゆく。
このまま攻撃が続けば、数秒と待たずに汚染体が活動を停止するであろう事は、誰の目にも明らかだった。

『R戦闘機、波動砲充填開始!』

R戦闘機の手に携えられた砲、その砲口へと波動粒子の集束が始まる。
青い燐光の流れは徐々に速度を増し、遂には可視化された空間の歪みとなって解放の瞬間を待つに至った。
そして、左腕が砲身へと添えられ、R戦闘機は砲を肩の高さにまで持ち上げ固定する。
狙うは汚染体の頭部、その潰れた箇所から覗く内部組織。
そして、ファーンが衝撃が襲い来る事を予期し、幾度目かの結界を展開すべくデバイスを構えた、その瞬間。



天井面の崩落と共に現れた巨大な肉塊が、直下のR戦闘機を押し潰した。



「な・・・」

余りにも突然の事に、意味の無い音が零れる。
雷鳴の様な轟音と共に天井面が崩落し、其処から数隻の艦艇と共に巨大な肉塊が落下してきたのだ。
その肉塊の大きさは、傍らの次元航行艦の実に数倍はある。
それは下方で砲撃態勢を取っていたR戦闘機の頭上へと落下し、敵機が逃げる暇さえ与えずに大質量を以って押し潰した。
瞬間、至近距離で爆弾が炸裂したかの如き衝撃が局員を襲い、その身体を床面より1m程の高さにも弾き上げる。
その自身の意思を離れた跳躍に、ファーン等は為す術なく落下し床面へと身体を打ち付けた。
全身を襲う衝撃と痛感に呻きつつも、何とか身を起こした彼女は肉塊の全貌を見やる。
其処に彼女は、異常な光景を見出した。

「ッ・・・あれは・・・!」
「・・・汚染体の収容、修復機能を併せ持った生体プラントと思われます」

R戦闘機の攻撃を受け、致命的な損傷を負った汚染体。
それが、肉塊の表面に存在する複数の孔状器官、そのひとつへと潜り込んでゆく。
肉壁を掻き分け、粘液の泡立つ音を立てながら巨大な汚染体が肉塊へと沈み込んでゆく様は、それを見る者の胸中に生理的嫌悪感を湧き起こさせた。
そしてその上部、肉塊より突き出た複数の管状器官のひとつからは、完全に修復された汚染体が、粘液の糸を引きつつ吐き出され続けている。
先程まで機能停止寸前の状態であった事実など、微塵も窺わせぬ健常な様相。
あの肉塊は、僅か数秒で生体組織を増殖、修復させる能力を有しているらしい。
だが、脅威はそれだけに留まらなかった。

『そんな・・・また・・・!』
『内部から別の汚染体が出てきている! まだ増えている!』
『2体・・・いや、3・・・4・・・6体だと!?』

修復が完了したと思しき汚染体が完全に排出された後、肉塊各所の管状器官より、次々に汚染体の頭部が姿を現したのだ。
粘液に塗れつつ、球状肉塊の連なる身体を続々と引き摺り出す汚染体群。
それらの胴部を構成する肉塊、その全てからは疑い様も無い局員のバイタルが発せられている。
汚染体群は粘液を滴らせつつ、宙を泳ぐ様に移動を開始。
外見に反した高速で以って艦艇群と艦艇出入口の間へと割り込み、その胴部へと魔力の光を宿す。
その様を見詰めつつ、ファーンは状況を悟った。

この怪物を排除しない限り、残る艦艇の脱出は絶望的だ。
第一陣の残存艦艇4隻を含め、これまでに離脱に成功したのは44隻。
10,000名以上の非戦闘員が脱出に成功した事になるが、この施設内には未だ70隻以上の艦艇と20,000名近い生存者が残されているのだ。
此処で汚染体の排除が為されなければ、いずれ訪れるであろう汚染の瞬間、或いは地球軍によって齎される死の瞬間を、只管に怯えながら待つ事となるだろう。
生き残る為には何としても、この異形の生命の息吹を断たねばならない。

『汚染体、攻撃態勢!』

艦艇群と汚染体群の間に障壁が展開され、壁となって襲い来る魔導弾幕を受け止める。
しかし、弾体の総数は数万発にも上るのだ。
その余りにも膨大な魔力の奔流を阻止する事は叶わず、20を超える障壁は唯一度の斉射で完全に粉砕された。
僅かに残った弾体を結界で受けつつ、ファーンは念話を発しつつ叫ぶ。

「ベルカ式と結界魔導師を前衛に、他は援護射撃!」

汚染体が用いる戦術は分かり切っていた。
唯々、圧倒的な弾幕で全てを呑み込む。
長大な胴部と数を活かし、敵性勢力を包み込んだ上で全方位からの一斉射撃で殲滅する。
無論、敵からの攻撃を受ける確率も跳ね上がるだろうが、たとえ破壊されても生体プラントが健在ならば幾らでも修復が利くのだから、問題は無い。
そんな化け物を排除するには、如何なる戦術が有効か。
答えは、1つしかない。

「目標、バイド生体プラント! R戦闘機が此処を嗅ぎつける前に破壊せよ!」

その叫びに呼応し、あらゆる射撃・砲撃魔法が肉塊へと襲い掛かる。
局員達が上げる、恐怖を押し隠す為の咆哮。
狂乱の攻撃は秒を追う毎に密度を増し、空間を埋め尽くしてゆく。
対する肉塊は、圧倒的な攻撃を受けながらも特に反応を見せなかった。
しかし、数発の砲撃魔法が孔状器官の内部へと突き立った瞬間、確かにその巨体が揺れ動く。

効いている。
そう確信し、ファーンは更に直射弾の密度を高める。
ベルカ式を扱う局員、約30名が敵性体へと肉薄する様を見やりながら、ファーンは如何なる反撃にも対応せんと意識を尖らせた。

「・・・コラード三佐」
「何かしら」
「敵生体プラント上部、表層の一部が開きました。内部に球状らしき部位が確認できます」

自身の右後方からのセッテの報告に、ファーンは目を細めて肉塊の一部分を見る。
確かに、肉塊上部に突き出た複数の管状器官、それらの中央に位置する部位が開かれていた。
まるで瞼の様に開放されたその下からは、黒ずんだ青いレンズ状の器官が覗いている。
それを確認するや、ファーンは即断した。

「あそこを狙いましょう。セッテ、もう少し距離を・・・」
『目標に異変!』

その瞬間、ファーンの右肩を霧の壁が掠める。
風圧に髪が靡き、攻撃の音が消えた。
目標の表層部各所より溢れ出した霧が、一瞬にして接近中のベルカ式魔導師達を包み込み、同時に複数の霧の集合体が四方へと放たれたのだ。
それは攪乱を意図してのものだったのか、霧に包まれた者達の姿を窺う事はできない。
ファーンは警戒しつつも、後方に位置するセッテの安否を確かめるべく、背後へと振り返ろうとした。

「セッテ、今のは・・・?」

だが、首を右へと回した瞬間、彼女は異様な物を目にする。
それは白く、細い物体だった。
所々に赤い染みがあり、幾つかの接続箇所を持つその物体は、彼女の動きに合わせて奇怪に揺れ動く。

同時に彼女は、右腕に妙な痺れが走っている事を自覚した。
それは肩口から指先までを覆っているのだが、奇妙な事に幾ら指を動かそうとも、痺れという感覚以外の全てが遮断されたかの様に一切の反応が感じられないのだ。
疑問を感じた彼女は視線を落とし、自身の肩口を見やる。

「あ・・・」

其処には、深紅と白があった。
紅い肉壁の内より突き出す、白い物体。
模型や解析図等で見慣れたそれは、人間であれば誰しもが体内へと持つものであった。

「あ・・・あ・・・!」

それは、骨格。
常ならば肉の鎧に覆われ、決して露わとなる事があってはならない器官。
右腕部のそれが完全に露出し、ファーンの肩部より力無く垂れ下がっていた。
骨組織表面の其処彼処からは小さな赤い煙が上がり、同じく小さな泡が断続的に湧き起こり続けている。

「あ・・・セッテ・・・セッテ・・・!?」

そして、彼女は思い至った。
骨格が露出したのは右腕。
それが、自身を掠めた霧の集合体によって引き起こされたものである事は、もはや疑い様がない。

そして、セッテは。
セッテが位置していたのは、自身の「右後方」だ。

「あ・・・あああああああぁぁぁぁぁぁッッ!?」

振り返り、自身の足下に横たわる「それ」を目にするや否や、ファーンは絶叫した。
入局より数十年、長きに亘って忘れ去っていた声。
初めて仲間を失った時、守るべき者を守れなかった時に、彼女の意思を介せずに放たれた呪いの声。
数十年の時を経て、その声が彼女の意識を塗り潰した。

初対面の自分に、僅かながらも心を開いてくれた。
感情など無きが如く振る舞いながら、死した姉妹を悼んでいた。
自ら非戦闘員の護衛を買って出で、局員の信頼を勝ち取った。
つい十数秒前まで、共に言葉を交わしていた。

彼女は、生き残るべき人物だった。
自らに心がある事を、彼女自身に自覚は無くとも、その行動で証明していた。
未来がある筈だった。
生命ある姉妹と共に歩む、輝かしい未来がある筈だった。
短い時間だが、行動を共にする中で、そう確信していた。

それなのに。
それなのに今、彼女は。



掌へと掬える程に小さな、鉄片混じりの僅かな肉塊となって、自身の眼前で赤い煙を上げているのだ。



錆による侵食が始まった巨大港湾施設に、苦悶と怨嗟の絶叫、悲哀と絶望の慟哭が幾重にも響く。
魔力と爆発の光によって照らし出された施設内には、機能を喪失した矮小な生命体の残骸が無数に散乱していた。
泣き叫び、同胞の生命を奪った存在への呪いの言葉を吐き続ける、脆弱な高次生命体の群れ。

無数の叫びと嘆きを前に、彼等を基礎構造体として発生し、更に糧として肥大化した肉塊は、特に動きを見せる事もなく鎮座し続ける。
その最上部、露わとなった青いレンズ状器官。
意志なき巨大な瞳だけが、血を吐かんばかりに叫び続ける生命体群を無機質に、そして無感動に見つめていた。

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最終更新:2015年10月26日 07:40