『フェイト・T・ハラオウン執務官以下7名、小型次元航行艦にて人工天体内部より帰還』

その報告を受けた瞬間、リンディの脳裏へと浮かんだのは安堵だった。
本局を含め、次元世界の全てが隔離空間内部へと取り込まれ、全世界を巻き込んでの艦隊戦が勃発してから、既に2時間。
魔導砲と波動砲、そして陽電子砲の光が乱れ飛び、次元震と核爆発が乱発生する、混沌と狂騒の戦場。
その最中にあって、本局はまるで取り残されたかの様に、無傷のまま人工天体の程近くに浮かんでいた。

何も、理由なく戦火を避けられた訳ではない。
単に本局と各世界艦隊との間に、汚染艦隊が群れを成しているだけの事だ。
巨大な壁となった艦艇群は、背後の本局艦艇へは見向きもせず、只管に不明艦隊へと攻撃を仕掛けていた。
汚染艦隊の攻撃対象となっている不明艦隊こそが、国連宇宙軍・第17異層次元航行艦隊であるとの事実が捕虜の証言から判明したが、しかし彼等が繰り広げる戦闘は管理局の想像を絶する熾烈なものだ。
撃ち掛けられる核弾頭を各種光学・熱化学・実弾兵器で迎撃し、反撃として更に大量の核弾頭と、艦首陽電子砲を中心とする戦略兵器を汚染艦隊へと撃ち込む。
どうやら地球軍の主力艦艇は性能面で汚染艦艇のそれを大きく上回っているらしく、敵の陽電子砲最大射程の更に倍近い距離から攻撃を実行しているのだ。
そして戦域へと展開した数百機のR戦闘機が攻撃に加わり、地球軍艦隊周辺域での戦況は、宛ら殲滅戦の様相を呈している。
一方的な攻撃に、為す術なく撃破されてゆく汚染艦隊。
更に、形勢を立て直した管理局艦隊の突撃による無謀とも思える近距離からのアルカンシェル一斉砲撃により、地球軍による攻撃とも併せ既に400隻以上の汚染艦艇が撃破されている。
其処に各世界の戦力による、魔法・質量兵器を問わない大規模な攻撃も加わり、隔離空間内部は汚染艦艇が爆散する際に放つ強烈な発光によって埋め尽くされていた。

しかし、それだけの猛攻が汚染艦隊を襲っているにも拘らず、戦況は悪化の一途を辿っている。
理由は単純、敵の数が多過ぎた。
たとえ100隻の汚染艦艇を撃破したとしてもその都度、見計らったかの様に撃破した艦艇数の3倍近い汚染艦艇が、何処からともなく戦域へと転送されるのだ。
地球軍の出現後は彼等にのみ向けられていた攻撃の矛先も、汚染艦艇の数が爆発的増加を果たすにつれ再び、管理局艦隊を含めた各世界の戦力へと向けられ始めた。
第97管理外世界に関しては、地球軍が鉄壁と云っても過言ではない防衛網を構築してはいる。
それでも1つの惑星全域を僅か40隻の艦艇と数百機の戦闘機だけで防衛し続けるのは、彼らならば不可能ではないにせよ、決して長続きはしないだろう。
他の世界に関しては更に酷い状況で、圧倒的な性能差と物量差に押し潰され、無数の核弾頭により惑星全土を焦土と化された世界もあれば、何とか迎撃に成功してはいるものの数発の防衛網通過を許し、首都を文字通りの灰燼と化された世界もある。
中には陽電子砲と次元跳躍砲撃での一斉攻撃により、地形の大部分を、それを構成する大陸ごと消し去られた世界すら存在する有様だ。
現在までの2時間余りの戦闘で、既に14の世界の壊滅が確認されていた。

だが逆に、惑星を攻撃した汚染艦隊が現地勢力により激しい反撃を受け、壊滅に追い込まれる事例も少なからず観測されている。
艦隊と惑星地表面の双方から間断なく掃射される弾幕により殲滅される機動兵器、地表より放たれた極大規模魔導砲撃に呑み込まれて蒸発する艦艇、現地艦隊より放たれた核弾頭により消滅する汚染艦隊。
形は違えども、汚染艦隊に対して実行される猛攻に次ぐ猛攻により、観測済み世界の7割以上は未だ健常を保っていた。
ミッドチルダも例外ではなく、未だ修復作業中の1基を除き、完全ではないが応急的に修復された2基のアインへリアルが放つ猛烈な砲撃により、既に接近しつつあった7隻のゆりかごを撃破している。
「AC-51Η」の更なる発展型、拠点用大型魔力増幅機構「AC-88Κ」による砲戦能力の強化は、それまでの常識を覆す超長距離砲撃戦の展開を可能としていた。
空間歪曲等の特殊反応誘発機構を有さないが故に、純粋破壊力と射程を極限まで強化された魔導砲撃は、あらゆる装甲を撃ち抜き融解させ、内部機構を破壊するに留まらず全てを貫通し、射線上の全てを薙ぎ払う。
その配置ゆえ、クラナガンを中心とするミッドチルダの一部地域のみを防衛するに留まるアインへリアル。
しかし隔離空間内部に於いては各惑星の公転が停止している上、汚染艦隊は常に人工天体を中心として拡散する波の様に出現しては侵攻を開始している。
ミッドチルダがクラナガンを人工天体へと曝すかの様な角度を保っている現状は、当然ながらリスクも大きいが、アインへリアルの能力が最大限に活かせる状況だった。
現在までに判明した、汚染艦隊が有するあらゆる長距離戦用兵装の最大射程を僅かに上回る距離から、一方的な砲撃を加える事に成功している。
更に時間が経過すれば、修復の完了した3基目が砲撃に加わるだろう。
戦況は芳しくないものの、敗北が決した訳ではない。

そんな中で本局は状況の把握に追われ、下部構成員から上層部に至るまで、組織全体が混乱の極みにあった。
最前線で交戦中の艦隊戦力、若しくは各世界での対応に当たっているであろう部隊は独自の判断で行動せざるを得ないが、本局や支局の様に単体の施設内で組織としてのあり方を求められる状況に於いては、混乱を収束する手立ても時間も存在しない。
情報を収集しつつ状況の把握に努めるのは当然だが、その内容を精査し判断を下す段階となると、途端に情報の流れが鈍るのだ。
何せ本局の位置は、余りに人工天体に近過ぎた。
直衛のXV級が40隻、更に第2・第4支局艦艇が周囲に展開してはいるものの、下手に動けば汚染艦隊からの熾烈な攻撃に曝される事は解り切っている為、動くに動けない。

それだけでなく、通常の次元世界・宇宙空間では有り得ない程に各世界が密集したこの状況下では、管理局としては迂闊な動きを見せる事は出来なかった。
全ての世界がバイドによる攻撃を受けているこの状況に於いても、現体制の転覆を狙う世界は確かに存在するのだ。
次元航行部隊の戦力が分散している現状ならば、本局を落とす事も、危険ではあるが決して不可能ではない。
現にその意図を窺わせる動きが、既に10以上の世界に於いて観測されている。
なけなしの本局防衛戦力を下手に動かして、結果として飽和攻撃を受けては堪らない。
様々な意図が交錯し生まれた未曾有の混乱。
其処に呑み込まれたリンディはレティと共に、要請と指示との間で焦燥に駆られつつ業務を行っていた。

そんな中での、フェイトの帰還報告。
転送事故により人工天体内部へと送られた彼女は、数少ない隊員と共に生存者を求めて内部を捜索し、更に1機のR戦闘機と、バイドにより汚染されたと思しき別のR戦闘機を撃墜。
隊員が発見した小型次元航行艦により人工天体を脱出、最寄りの管理局艦艇である本局へ向けて進路を取ったのだという。

どうやら転送先は天体表層部にごく近い位置だったらしく、然程に時間を労せず離脱に成功したらしい。
そして約15分前、1隻の次元航行艦が本局ドックへと入港した。
リンディとしてはすぐにでも義娘の無事を確認したかったのだが、目まぐるしく変化し続ける状況に追われ、通信すらも儘ならず今の今まで業務に没頭していたのだ。

だが、つい先程、フェイトの方から連絡があった。
喜び勇んでウィンドウを開いたものの、伝えられた言葉は簡潔なもの。

『すぐに研究区画まで来て欲しい』

その内容に疑問を抱きながらも、同時に表示されたラボ主任の名に、リンディの身体に緊張が走る。
表示された人物の名は、ジェイル・スカリエッティ。
どんな目的があるのか、フェイトは帰還と同時に彼のラボへと直行したらしい。
戸惑いつつも、レティによって研究区へと追い立てられ、今は本局内部を走るリニアレールから降り立ったところだった。
センサーによる人物特定を受け、許可が無ければかなり上位の士官であっても立ち入りの叶わぬ研究区、その入口に展開された障壁が解除されるのを待つ。

数秒後、淡い光を放つ壁が消失すると同時、彼女のリンカーコアに掛かっていた重圧が嘘の様に掻き消えた。
同時に彼女は、区画内の全域に対しサーチを開始する。
これは最早、彼女にとって次元犯罪者と相対する際の癖の様なもので、僅かな異変までも察する為の慣例だった。
彼女の意識に飛び込む、複数のリンカーコアが放つ魔力の波動。
流石にリンカーコアを有し、更に研究区を頻繁に訪れる様な知人ともなると数が多くはない為、既知の波動は義娘であるフェイトのそれと、過去に2度ほど間近にした事のあるスカリエッティのもの位だ。
その周囲に存在する複数の波動は、リンカーコアを有する研究員とスカリエッティの監視任務に就いている武装局員のものだろう。
そして、それらに囲まれる様にして存在する、1つの波動。
リンディにとっては、決して忘れ得ぬそれ。

「・・・え?」

その瞬間、リンディの意識は全くの無防備となった。
業務に関する思考から現状に対するそれに至るまで、全てが脳裏より消え失せる。
其処に時空管理局本局所属・総務統括官の姿は既に無く、1人の女性としてのリンディ・ハラオウンだけが存在していた。

手にしていた数枚のハードコピー、機密の問題から電子化できなかったそれらが、リンディのしなやかな指の合間を擦り抜け、人工重力に引かれて落下を開始する。
それらを纏めていたバインダーが自身の役目を放棄し、耳障りな音を立てて床面へと跳ね返った。
しかし彼女はそのいずれにも反応を示さず、何かに急かされる様にして駆け出す。

スカリエッティのラボまで、あと400m。
久方ぶりの激しい運動、そして決して機能的とは言い難いヒールでの疾走に幾度となく体勢を崩し掛け、だが彼女はそれらの事象に一切の関心を払う事なく駆け続ける。
息が上がり、決して体温の上昇によるだけではない汗を噴き、形容し難い感情に翻弄されながらも、リンディは決して足を止めない。
そして、荒い息を吐き出すその口から、微かで弱々しい、普段の彼女からは想像もできない声が零れる。

「嘘・・・」

ラボまで、あと200m。
筋肉疲労により脚を縺れさせ、リンディは固く冷たい床面へと倒れ込んだ。
咄嗟に腕で庇ったものの、衝撃と共に口の中へと鉄の味が拡がる。
膝頭には疼く様な痛みが生まれ、叩き付けられた身体には軋みが奔った。
それでも彼女はすぐさま身を起こし、再度ラボへと向かって駆け出す。

「嘘・・・嘘よ・・・!」

あと50m。
彼女の理性が、リンカーコアが、悲鳴にも似た音を上げる。
23年前、闇の書によって暴走したエスティアと共に、空間歪曲の果てへと消えた筈の良人。
遺体すら戻らず、息子を抱き締めながら絶望と共に泣き崩れた、あの悲しい記憶。
永遠に失われた筈の、会う事など二度と叶わなかった筈の、愛しい人の魔力。
それが、その懐かしい魔力の源が、彼のリンカーコアが放つ優しい波動が、すぐ其処にある。
もう抑えられない。
抑えようとも思わない。

「クライド・・・!」

震える声、零れ出る名。
漸く辿り着いたラボのドアは彼女の目に、胸の内に宿った微かな希望を撥ね退ける、絶壁の様にも映った。
僅かに残った冷静な自我は、ドアに反射する冷たい光と同調するかの様に、冷酷な認識を囁き続けている。
それは致命的な毒の様に、彼女の心を徐々に侵食していた。

希望なぞ持って何になる。
本当に彼が生きているとでも思っているのか。
たとえこの奥に居る人物が本当に彼だとして、あのパイロットの言葉通りならば非人道的な処置を受けている筈だ。
諦めろ、望みを捨てろ。
希望が大きければ大きい程、それが裏切られた際の絶望も深く、大きくなるのだ。
今までに何度、それを実感したのだ。
死んだ筈の彼と再開し、目が覚めてそれが夢だったと気付いた時の絶望。
全てが冷えゆき、惨めさだけが全てを支配する、あの瞬間。
そんな事を繰り返す内、遂にはその夢の中でさえ喜びは欠片も浮かばず、絡み付く悲しみと諦めだけが浮かぶ様になった。
このドアの奥にも、きっとそんな現実が待ち受けているに違いないのだ。

そんな思考が脳裏を埋め尽くしてゆくにつれ、胸中の高まりもまた徐々に醒めてゆく。
クライドの生存が信じられない訳ではない。
信じてそれが叶わなかった時に、嗚呼またか、と絶望する事が怖いのだ。
だからこそリンディは、無意識の内に希望的観測を消し去り、総務統括官としての自身を取り戻す。
あれ程に荒れ狂っていた感情の波は既に、嘘の様に静まり返っていた。

人物特定が終了し、最後の確認としてスキャナーへと手を翳す。
些か旧式な方法だが、確実な確認方法だ。
金属製のドアが、エアの音と共に横へとスライドする。

まず目に入ったのは、治療と検査を受ける複数名の武装隊員達だった。
バイド係数を計測する機器の中央に立つ者も居れば、傷を癒す為に医療魔法を受ける者も居る。
中には、両脚の膝下より先が切断されている隊員の姿もあった。
其処で漸く、リンディは嗅覚を刺激する血の臭い、そして彼等がフェイトと共に帰還した攻撃隊の生存者であると気付く。
どうやら医療区へと赴く暇も無く、この研究区へと直行してきたらしい。
その行動に疑問を覚えつつもリンディは歩を進め、その人物に気付いた。

ディエチ。
JS事件にて拘束、更生プログラム中に戦力として動員された、戦闘機人の1人。
壁際に座り込んだ彼女は、両腕へと抱え込んだ膝に顔を埋めたまま微動だにしない。
周囲の全てを拒絶するその姿は、まるで悲しみに沈む幼子の様だ。
傍らに転がる彼女の固有武装が、持ち主の心情を無視するかの様に冷たい光を放っている。
少し離れた場所では1人の男性局員、確か旧六課のヘリパイロットを務めていたその人物が、言葉を発する事なく壁へと背を預けていた。
既に検査を終えたのか、治療を受ける攻撃隊員を見つめるその目は、此処ではない何処か、或いは何者かを見据えている。
その瞳、酷く濁った殺意が渦巻いているかの様な錯覚すら覚える双眸に耐え切れず、リンディは彼から視線を逸らした。
そしてその瞳が、見慣れた姿を捉える。

「ッ!」

簡易ベッドに横たわる、薄手のバリアジャケットを纏った女性。
逸らした視線の先に、彼女は居た。

「・・・フェイト」
「・・・義母さん」

フェイトだ。
彼女は仰向けに寝かされ、医療魔法による治癒を受けている。
どうやら余程に激しい戦闘だったらしく、高度な医療魔法が継続発動しているにも拘らず、癒え切らない傷が全身へと刻まれていた。
更に、かなりの出血があったのだろう。
輸血を受けるその顔色は、まるで死人のそれだ。
思わず息を呑んだリンディは、すぐに義娘へと駆け寄ろうとする。
だがその行為は、他ならぬフェイトが翳した掌によって押し留められた。

「待って」

思わず足を止めるリンディ。
義娘の行動に戸惑いながらも、何か重要な件についての話があるのだと察する。
程なくしてフェイトは、静かに語り始めた。

「クラナガンに出現した、あの機体・・・撃墜したよ」
「・・・そう」
「多分、あれから強化されたんだと思う。天候操作魔法に、召喚魔法まで使用してた・・・私達の知る同種魔法の、どれよりも強力な・・・!」

突然、激しく咳き込み始めるフェイト。
口元に手をやり、横たえた身体を痙攣するかの様に折り曲げながら咳を吐き続ける。
余りにも唐突な事に、リンディは反射的に手を伸ばすと、彼女の背を撫ぜ始めていた。
十数回ほど身体が跳ね、ようやく落ち着きを取り戻すフェイト。
彼女は優しく背を撫ぜ続けるリンディの手に自身のそれを重ねると、荒い息を吐きながらも安心させるかの様に笑みを浮かべ、赤く充血した目を義母へと向けた。

「ごめん・・・もう、大丈夫・・・」
「何が大丈夫なものですか。良いから、もう休みなさい。本当に・・・本当に、良く帰ってきて・・・」
「義母さん」

幼子をあやす様にして、フェイトを寝かし付けようとするリンディ。
しかしフェイトは再度リンディの行動を遮ると、荒い息もそのままにラボの奥を指差し、言った。

「会ってあげて、義母さん」
「何を・・・」
「23年振りでしょ? お願い、あの人に・・・会って、あげて」

そう言い終えると、フェイトはゆっくりと瞼を下ろす。
後には穏やかな寝息だけが残り、リンディは軽く安堵の息を吐くと義娘の頭を優しく撫ぜた。
しかし数度目に手を這わせた時、彼女は自身の指に絡み付く物がある事に気付く。
リンディは何気なくそちらに視線をやり、視界へと映り込んだ物に絶句した。

「ッ・・・!?」

金色の光を放つ、幾本ものきめ細かい金色の線。
蜘蛛の糸の様に指へと絡み付くそれは、明らかに異様な本数の毛髪だった。
信じられない思いで簡易ベッド上のフェイトを見やるが、彼女は穏やかな寝息を立てるばかり。
堪らず呼び掛けようとするが、その肩を掴む者があった。
反射的に振り返れば、其処には既知の人物の姿。

「マリー・・・」
「お久し振りです、艦長」

マリエル・アテンザ。
彼女はリンディを促し、ラボの奥へと誘う。
戸惑いながら幾度かフェイトへと視線を投げ掛けるも、結局はその傍を離れマリエルの後に続く。
そうして最初のドアを潜ったところで、マリエルは唐突に言い放った。

「重度の放射能汚染です。彼等、全員が被曝しています」

リンディの足が止まる。
次いで、マリエルの足も止まった。
返す言葉は無い。
ある筈もなかった。
更に、マリエルの言葉が続く。

「脱毛の症状は化学物質による汚染が原因であり、放射能ではありません。しかし、このままでは被曝により、遠からず全員が死亡します」

マリエルが振り返り、正面からリンディの姿を捉えた。
自分は今、どんな顔をしているのだろう。
そんな事を考えるリンディの思考は既に、齎された現実を受け止める事だけで精一杯だった。

被曝?
化学物質による汚染?
では、何だ。
フェイトは、攻撃隊は、帰ってきただけだと云うのか。
自分達にできる事は、ただ座して彼等の生命が死神の鎌によって刈り取られる、その瞬間を待つ事しかできないと云うのか?

「その事も含めて、スカリエッティから話があるそうです。彼は第4隔離室に居ます」

リンディが我に返った時、マリエルの姿は既に無く。
人気の無い通路に唯1人、リンディは自身の影を見下ろしていた。
暫し呆然と佇み、ゆるゆると視線を上げれば、長く冷たい通路だけが視界へと映り込む。

「隔離・・・」

力ない呟き。
昂りも、ただ一欠片の希望すら無く。
リンディは、闇の様な深い諦観と共に、第4隔離研究室のドアの前へと立っていた。
数瞬ほど躊躇い、しかし遂にセンサーへと触れる。
ドアが、開いた。

「・・・スタビライザー破壊、対象に影響はありません」
「グレード8を20μ投与。第5スタビライザーの物理的破壊に取り掛かる」
「補助回路に異常電圧・・・電圧低下。自壊シークエンス、阻止しました」
「第5スタビライザー破壊。次の・・・」

部屋の中央、幾重にも展開された環状魔法陣。
それらの中央に存在するものを雁字搦めにするかの様に、無数の結界魔法・魔力障壁が常時発動している。
直径2m程の光の柱となった結界群は、物理的脅威と云うよりは情報面での脅威を警戒してのものらしい。

「全思考抑制機構、無力化を確認。脅威レベル2に低下」
「宜しい、結界を解除してくれ・・・ああ、ハラオウン統括官。少しお待ちを」

すると、何らかの術式が終了したらしく、結界の一部が解除される。
同時に指示を出し終えた1人の男性が、振り返る事もなくこちらへと呼び掛けてきた。
聞き覚えのある、しかし決して親しみなど抱き様も無い声。
ジェイル・スカリエッティ。

「・・・時間がありません。用件を聞きましょう」
「おやおや。久方振りの夫婦再会だというのに、奥方は中々に冷たいね。義娘が自分の命と引き換えにしてまで、地球軍から最愛の良人を取り戻してきてくれたというのに」

用件を問い質すも、嘲る様な物言いであしらわれてしまう。
しかしリンディにとっては、それ以上に言葉の内要こそが重要だった。
信じられないとばかりに、言葉が零れる。

「まさか・・・本当に・・・?」

その言葉に、おや、とばかりに首をかしげてみせるスカリエッティ。
彼は数秒ほどリンディを見つめると、確認する様に声を発した。

「執務官から聞いていなかったのかな、統括官? クライド・ハラオウン提督はこの結界の中に居るよ。ほら・・・」

続けて放たれた、近くに寄ると良い、との言葉に恐る恐る1歩を踏み出すリンディ。
光の柱へと近付くにつれ、それを構成する結界群が数を減らしゆく。
徐々に拡がる結界の隙間、其処から覗く空間には何も存在しない。
彼は座らされているのか、それとも横たえられているのか。

「制御パルス、完全消失を確認、全結界を解除」

そして研究員の声と同時、残る全ての結界が同時に消失した。
光の柱が掻き消え、残るはその中央へと据えられた人物の姿のみ。
その、筈だった。

「え・・・?」

呆けた声。
リンディは、それが自分の声であると気付くまで、数秒ほど掛かった。
そもそも何故そんな声が零れたのか、それすらも認識できなかったのだ。
正確には、そんな事を意識している暇が無かったとも云える。

「クラ・・・イド・・・?」

確かに感じられる、最愛の人の魔力。
しかしその発生源たる目前に、彼の姿は無かった。
其処にあるのは唯1つ、人の姿とは似ても似付かぬ、歪な鉄塊。

灰色の塗装を施された、50cm程の円筒形のポッド。
強引に取り外されたのか、上部と側面には無数の傷が刻まれ、破壊された固定用機構が付随している。
ポッド下部には無数の電子機器を内蔵しているらしき台座があり、見るからに強固な保護チューブに覆われたケーブルが2本、ポッドへと接続されていた。
灰色の塗装の表面に窪む様にして刻まれた、細かな文字の羅列。

『LINKER CORE UNIT - ORIGINAL Ver.5.8 Upgraded』

そして、その更に下。
更に小さく、特に重要でもないと云わんばかりに、付け足されたかの様な表記。



『The person who became the base of the system - Clyde Harlaown』



目前の光景の意味を理解すると同時、リンディはその場に崩れ落ちた。
力なく床面へと座り込んだまま、呆然と金属製のポッドを見つめる。
何ひとつ声を発する事もなく、全ての感情が抜け落ちた様に。

予感はあった。
たとえクライドが戻ってくる事があったとしても、それは最早、自身の知る彼ではないだろうという、漠然としながらも確信にも似た予感。
捕虜の証言からしても、R戦闘機開発陣の非人道性は明らかだった。
地球軍によって確保され、恐らくは魔法技術体系を応用するR戦闘機の開発に利用されたクライドが無事である可能性は、限りなく低い。
彼が此処に居るのだと聞かされた時も、思考の何処かではこんな結末を予想していた。
結局、初めから自分は、希望など信じてはいなかったのだ。

なのに。
なのに、この湧き起こるものは何なのだろう。
胸の最も深い場所から込み上げる、痛みとも苦しみともつかぬ、異様な感覚。
否、若しくは感覚ですらないのかもしれない。

実態があるか否かも定かでないそれに押される様にして、瞼の奥より熱いものが溢れ出す。
喉の奥より込み上げてきたものは嗚咽となって吐き出され、咽る様なか細い啜り泣きとなって隔離室に響いた。
切り捨てたつもりでも確かに意識の片隅へと息衝いていた微かな希望は、計り知れない絶望となってリンディの心を切り刻み、蹂躙する。
周囲の研究員達も、何ひとつ言葉を発しない。
だが、その陰鬱なる沈黙を、楽しげな声が切り裂いた。

「理解できないね。何故、泣く事があるんだい? ハラオウン統括官」

スカリエッティの言葉が、無慈悲にもリンディへと突き刺さる。
だが彼女は、それを気に留める事もなかった。
スカリエッティという人物が情緒という概念を理解しているとは到底思えなかったという事もあるが、何より目前の残酷な現実を受け入れる事に精一杯で、これ以上の事象を受け入れる余裕など無かったのだ。
彼女は崩れ落ちた体勢のまま、微動だにしない。
しかし、続けて放たれた言葉は、崩壊しゆく彼女の心を瞬時に目覚めさせるものだった。



「彼は無事じゃないか。回帰措置に関しても何1つ問題は無い。何を悲しんでいる?」



その瞬間、リンディの意識が忽ちの内に覚醒する。
しかし同時に、周囲の空間が凍ったかの様な寒気を感じた。
口元を覆っていた手も、頬を伝う涙もそのままに、限界まで見開かれた目をスカリエッティへと向ける。

今、何と言った?
この男は、何と言ったのだ。
「回帰措置」だと?
それは真実なのか。
彼を、こんな姿になった彼を。
地球軍によって人としての肉体を、尊厳すら奪われた彼を。

戻せるというのか。
彼を、クライドを。
もう一度、人としてあるべき姿に戻せるとでも言うのか?

「どう、いう・・・」
「どうも何も、そのままの意味だがね。現在の彼はほぼ脳髄のみだが、保存環境は最高としか云い様がない。思考抑制の為のインプラントこそ施されてはいるが、それも本質的な人格への影響及び肉体的な負荷は皆無と云って良い。
インプラント類の機能は既に破壊したから、活性状態に移行すれば彼の人格が復活する筈だ」

流れる様に言葉を連ねるスカリエッティ。
リンディはただ呆然と、興奮の念すら滲んだ声を発し続ける彼を見つめ続ける。
しかし言葉の意味を理解するにつれ、彼女の内に形容し難い熱が生まれ始めた。
内に燻る炎をそのままに、リンディは言葉としてそれを目前の狂人へとぶつける。

「彼は・・・彼は、人としての自我を保っていると?」
「自我どころか記憶に至るまで、確実に残っているよ。恐らくは、深層意識の消滅によるリンカーコアへの影響を恐れたんだろう。魔法に対する知識の蓄積が無かった事が、却って彼という意識の保持に繋がったという事かな」
「身体は、どうするのです」
「それこそ君達次第だ。幸いにも管理局と私自身には、戦闘機人の開発を通して得た知識と技術がある。後は・・・プレシア・テスタロッサ女史の研究成果かな。それだけのデータがあるんだ。
設備さえあれば、中身の無い器など幾らでも製造できる」

其処まで言い終えるとスカリエッティは、何かに気付いたかの様に空間ウィンドウを呼び出すと、幾つかのデータを中空へと表示した。
原子構造などを始めとする、非常に高度な情報の集合体。
それが、捕虜となったパイロット達が所持していた自殺用の、そしてR戦闘機の残骸より採取されたナノマシン、其々の解析結果であるという事はすぐに解った。
理解できないのは、その下に表示された別のナノマシン構造情報だ。
「臨床試験・未実施」と併せて表示されたそれは、何らかの医療用ナノマシンらしい。
リンディの内に沸いた疑問に答えるかの様に、スカリエッティは言葉を紡ぐ。

「地球軍に於いて実用化されているナノマシン関連技術は、破壊にせよ修復にせよ、いずれの用途に於いても私達の知るそれを大きく凌駕した性能を有している。
兵器群の自己修復機能、人体の破壊・修復、限定域に於ける破壊工作、大規模構造体の自動構築、生態系の操作・・・ありとあらゆる局面に於いて、彼等はナノマシン技術を用いているらしい。
医療に於いても同様だ」

ウィンドウ上に指を走らせるスカリエッティ。
表示された映像は、ラボの簡易ベッドに横たわるフェイトを始めとする、帰還した攻撃隊各員の姿だった。
彼等の置かれた状況を思い起こし、再び沈痛な思いに囚われるリンディ。
だが、またもスカリエッティは、彼女の絶望を嘲る様に言葉を吐いた。

「違法実験である事は重々承知しているが、何分、時間が無かったものでね。御息女を含め、攻撃隊各員には臨床試験の検体となって戴いた。なに、危険は無いに等しい。
パイロット達が所持していたナノマシンは、元々が医療用である事が判明したのでね。汎用性が非常に高いので、放射能除染と損傷部修復のデータを組み込んで作り変えただけだ。
リンカーコアへの影響こそ未知数だが、18時間後には身体的な異常は全て除去・修復される筈だよ」

一息に言い終えると、彼はコンソール上に置かれたカップへと手を伸ばし、中身を啜る。
コーヒーだろうか、既に湯気も立ってはいないそれを一口、続けて顔を顰めながら一気に飲み干した。
余程に不味かったのか、些か乱暴に口元を拭うと空のカップを助手であるウーノへと手渡し、君が淹れてくれ、と告げる。
その様子を呆然と見つめながら、リンディは漸く彼の言わんとするところを理解した。

クライドが戻ってくる。
フェイト達も助かる。
未だ危機的状況にあるとはいえ、家族が戻ってくる。
失った筈の、これから失う筈だったものが、全て戻ってくる。
戻ってくるのだ。

「あ・・・」

だから、その言葉が発せられようとしたのは、決して無意識によるものではなかった。
管理局の上層部に属する人物が、司法取引に応じたとはいえ未だ危険視される人物に対して放つものでは決してない、敵意や警戒からは程遠い言葉。
しかし今にもリンディの口から放たれんとしたそれは、他ならぬスカリエッティが取った仕草によって押し止められる。
彼が自身の唇の前に翳した、1本の指によって。

「それは言わない方が良い、ハラオウン統括官。私が欲しいのはそんなものではなく、実験の正当性を保証する言葉だ」

そう言うと、ウーノが淹れてきたコーヒーを一口飲み、満足げな表情を浮かべるスカリエッティ。
彼が欲しているのは、煩わしい倫理観に囚われる事なく研究可能な環境であり、その提供を正式に認可する言葉、管理局員としての信念を捻じ曲げる事を良しとする言葉だ。
通常であれば、頷く事などある筈もない要請。
しかし、今は違う。
リンディの個人的な願いだけでなく、管理局としてもクライドの復帰は大きな魅力である筈だ。
現状でも彼の持つ情報を引き出す事はできるだろうが、その鮮明さは肉体が存在する状態で伝達されるそれに制度で劣る。
単に文章や音声のみでは伝わらない、漠然としながら確固たる情報というものも、確かに存在するのだ。

だが、この男が欲しているのは、管理局の総意としての言葉ではない。
リンディ・ハラオウン個人として、それを許容できるか否かという問いこそが、彼の発言に隠された真意だ。
良人の為、家族の為。
何より自分自身の為に、禁忌たる技術を用いる覚悟はあるかと。

リンディの心は決まっていた。
たとえ違法だろうと、禁忌であろうと、クライドに人間としての姿を取り戻す為ならば、管理局高官として可能な如何なる手段でも講じようと。
第一に、この件に関しては許可が通る公算が非常に高い。
此処で口約束に応じたとしても、何も問題は無いだろう。
リンディ自身としては最早、そんな事にまで思考は及んでいない。
しかし事実として、非常にリスクの低い案件である事は間違いなかった。
問題は、問われた人間の良識の壁のみ。
それですら今この瞬間、リンディには存在しないも同然だった。

艶やかな唇が開かれ、決然とした意思の込められた言葉が放たれんとする。
局員の数名が息を呑み、スカリエッティが薄く笑みを浮かべた。
それを知覚する事すらなく、リンディは微かな力を喉の奥へと込める。
そして遂に、その意思が音として放たれた瞬間。

「ッ! 何だ!?」
「な!」

全てが、闇に包まれた。
あらゆる光源が同時に沈黙し、暗闇の中にうろたえる局員達の声のみが響く。
数秒後、魔法を扱える者が浮かべた魔力球を光源に、何とか視界を確保する事はできた。
しかし明かりが戻る事はなく、入り混じって響く声の内容は更に焦燥を強めてゆく。

「・・・駄目です。全ての機器が沈黙しています。原因は不明」
「中央センターに連絡は?」
「試みましたが、繋がりません! 一切の回線が切断されています!」
「念話は繋がりますが・・・区画内のみです。それ以上となると・・・」
「ドアが開かない・・・空調も止まっているぞ。こいつは停電か」
「復旧を待ちますか? それとも抉じ開ける?」
「攻撃を受けた・・・いや、振動は無かったが・・・」

その時、突如として照明が復旧する。
他の機器も全てが機能を回復し、室内には無数の光源が生まれた。
リンディもまた、復旧した電力に安堵する。
しかし、ウーノの上げた声が、その安堵を打ち砕いた。

「ドクター」
「何かね」
「中央センターより緊急。通常回線ではありません。非常回線を使用しての、全区画に対する非正規通信です。如何致しましょう」
「繋いでくれ」

非常回線を通じての、中央センターから全区画への通信。
その言葉に、リンディの身体へと緊張が走る。
これは、只事ではない。
開かれた空間ウィンドウはホワイトノイズのみを映し出し、音声だけが正常に出力される。
そして直後、オペレーターの叫びが木霊した。



『・・・繰り返す! システム中枢が内部からのハッキングを受けている! 転送地点、特定! 研究区画、第4隔離室! 付近の局員は急行し、プログラム発信源を破壊せよ! 繰り返す! システム中枢が・・・』



咄嗟に、振り返る。
クライドの脳髄を内包したポッド、その前面に1つの空間ウィンドウが展開されていた。
管理局のものと同じデザインだが、それを展開したのは研究員ではあるまい。
リンディの掌よりも小さなそれは表面に、これまた小さな文字列を浮かび上がらせていた。
彼女やスカリエッティを含めた数人が駆け寄り、文字列を読み取る。

『Now Transferring』

その意味を理解すると同時、微かな振動が隔離室を揺るがした。
そして、リンディは理解する。
この状況を引き起こした存在が、何者であるかを。

何て事だ。
何故、クライドを乗せたR戦闘機が撃墜されたのか。
何故、黙って彼をこちらへと明け渡したのか。
何故、彼等は今まで本局を攻撃しなかったのか。
全てが今、繋がった。

これは「罠」だったのだ。
フェイトの目前でR戦闘機が墜ちた事も、彼女がクライドを回収した事も。
地球軍にとっては全て、初めから定められた作戦行動の一環であったのだ。
フェイトとクライドの機が遭遇したのは、果たして偶然か?
彼女の魔力を探知し、その後を追跡して眼前へと現れたのではないか?

そう、全てはこの瞬間の為。
クライドを、R戦闘機のパーツとなった彼を局員による回収を通じて本局へと送り込み、最も無防備な中枢からシステムを掌握する為。
情報を奪取し、それを外部へと転送する為。
そして、迎撃システムを停止させる為。

何の為に?
考えられる理由は、1つしかない。
彼等の目的は、彼等の任務とは。



『所属不明シャトル2機、外殻を破壊して侵入・・・更に6機、急速接近中!』
『A12、F25にて侵入者を確認! 武装隊は当該区画へ急行、直ちに迎撃を開始せよ!』



捕虜の、救出だ。

『E区画全域、電力ダウン! 予備電力に』

唐突に、回線が途切れる。
誰もが呆然と立ち尽くす中、再度の振動が隔離室を揺るがした。

*  *


『作戦開始予定時刻まで120秒』

その通信を耳にしながら、彼は作戦の概要を反芻していた。
電子的強化を施された脳は余す処なく情報を再確認し、その何処にも問題が無い事を確認すると並列処理を一時的に終了する。
作戦開始前の、短いクールダウン。
通常の単体処理を以って思考するのは、この作戦が決行に至るまでの経緯である。

旧R-9WF、つまりは現「R-9WZ DISASTER REPORT」の制御ユニットである人物についての詳細が判明した時、この救出作戦は立案された。
609のR-13Aと交戦した時空管理局執務官とは義理の父娘に当たり、その背後関係を捕虜となったパイロット達より齎された情報を基に洗い出した結果、制御ユニットを執務官に回収させる事で本局へと侵入させようと考えたのだ。
ヴェロッサ・アコース査察官の記憶に含まれていたフェイト・T・ハラオウン執務官の傾向分析情報から、彼女が義父の救出を実行する可能性は非常に高いと判断された結果である。

管理局バイド攻撃隊が人工天体内部へと転送された事実が判明した直後、6機のR-9ER2が同じく人工天体へと送り込まれた。
ハラオウン執務官の魔力反応を捜索・探知し、その座標近辺へとR-9WZを送り込む。
そして遭遇後、彼女達の目前でR-9WZを撃墜を装って墜落させ、制御ユニットを回収させる。
それが、この作戦の大まかな筋書きだった。

ところがR-9WZと管理局攻撃隊はA級バイド汚染体、更には破棄された上で汚染されたR-9Wと遭遇、交戦状態へと突入してしまう。
一時は彼等による制御ユニットの回収自体が危ぶまれたものの、最終的には何とか当初の作戦通りに事が進んだ。
後は、制御ユニットに組み込まれたプログラムの発動を待ち、浅異層次元潜航で本局へと接近、迎撃システムの停止を以って浅異層次元潜航解除、突入。
そして捕虜を救出し、回収されたR戦闘機の残骸を破壊した上で脱出。
再度、浅異層次元潜航へと移行し、同じく潜航状態にあるヴァナルガンド級巡航艦へと帰還する。
それで、全てが終わるのだ。
無論、作戦失敗時の対応策も用意してある。
艦隊にこちらへと戦力を回す余裕は無い為、その実行も救出部隊が担当する事となるが。

そして、もう1つ。
捕虜救出とR戦闘機の破壊以外に、更に別の任務が彼等には与えられていた。
それは、とある人物を始めとする数名の確保。



「ジェイル・スカリエッティ」。
「戦闘機人」No.1・3・4・7・10の身柄、及びNo.2の残骸。



現在、本局内部に存在する戦闘機人については、つい先程に制御ユニットより情報が齎された。
彼等を確保した上での、周囲に存在する全局員の殲滅、及び当該区画の完全破壊による隠滅工作。
どうやら「TEAM R-TYPE」の次なる興味の向かう先は、アルハザードとやらの古代文明が有した技術と、あの生態兵器群が持つインヒューレントスキルと呼称される特殊技能についての様だ。
如何なる方法を用いても彼等を確保し、艦隊へと連行しろとの事。
スカリエッティに関しては最悪、脳髄だけでも確保できれば良いらしい。
戦闘機人に至っては損傷を考慮する必要は無く、最初から殺害を前提として交戦しても問題は無いとの事だ。
どちらにせよ、余計な危険を背負い込む事は避けたい。
隊には既に、友軍以外は発見次第射殺せよとの指示が下されていた。

特に厳命された事例が、対象の年齢を考慮するなとの指示だ。
先の戦闘に於いても確認されていた事実だが、管理局は基本的に最少年齢を考慮しない組織形態であるらしい。
後方は兎も角、前線に於いても齢10にも満たない少年少女の存在が、既に多数確認されていた。
入手した情報によると、管理局は希少な魔導因子保有者を片端から局員として取り込み、中でも戦闘に適性を示した者は年少の内より実戦任務に就く事が通常らしい。
こちら独自の分析では、年長者が有すべき良識の欠如と云うよりも、魔導因子保有者の精神的成熟が異常に速いのではないかとの結論が下された。
この理由から、魔導文明では古来より年少者の社会進出が早く、同時に戦力としての運用に際しても抵抗が少ないのではないかというのだ。
だとすれば、戦場に於いて年端も行かぬ少年少女の魔導師と遭遇し発砲を躊躇うのは、単に愚かな上に無意味な行為としか云い様がない。
子供を戦場へと送り込んだのは彼等であり、しかも当人達はその状況に納得し受け入れている。
殺害を躊躇い見逃せば、次の瞬間にはこちらの身体が蒸発しているかもしれないのだ。
そうでなくとも、バインド等という対象捕獲用魔法を用いる猶予を与えては、それこそ一方的に殲滅されるのが関の山だろう。
だからこその厳命、繰り返し発せられた意志確認だった。

『目標、迎撃システム沈黙まで30秒。突入に備えろ』
『武装確認』

パイロットからの通信。
強襲艇内部に、金属質な音が幾重にも鳴り響く。
それが収まる頃、機内のエアが減少を始めた。
数秒で真空状態となり、照明がノーマルからレッドへと切り替わる。

『20秒前』

固定器具の肩元が解放10秒前の点滅を開始。
同時に視界へと、照準を始めとする各種環境情報がリアルタイムで表示される。
インターフェースを通じて齎される各種情報は、肉眼のみでの情報重要速度を遥かに上回っていた。

この状況判断の素早さこそが、個人携行火器で魔導師を相手取る上での最大の強みだ。
既に銃弾は対魔力障壁用に開発された物を実装してはいるが、マルチタスクと常識外の火力を兼ね備えた魔導師相手には、これでも不安が残る。
何せ魔導師と歩兵戦力との戦闘記録が存在しない為、実際の交戦では何が起きるのか予測が付き難い。
ならば考え得る最高の対処法は、先手を取っての一方的にして徹底的な弾幕による殲滅。
人工筋肉を内包した装甲服に身を包んだ隊員の半数近くは、生身では決して持ち上げる事などできない大型の分隊支援火器を装備している。
通常の自動小銃やPDWを手にした隊員も居るには居るが、やはりそれとは別に面制圧が可能な火器を携帯していた。
明らかに過剰火力であるとは理解していたが、魔導師に対する無知から来る不安がそれを打ち消しているのだ。

おまけに艦隊は、最高の援護を寄越してくれた。
通常戦域での総合性能も然る事ながら、閉鎖空間では間違いなく並ぶものの無い圧倒的な性能を発揮する機体。
エースパイロットの中でも限られた者のみが搭乗を許される、正にエースオブエースの為の機体。
いざとなればそれらの支援を受ける事で、如何な高ランク魔導師とはいえど数秒と掛けずに殲滅できるだろう。

『10秒前』

そして遂に、その瞬間が訪れる。
カウントが始まり、総員のゴーグルに微かな光が点った。
指揮官たる彼は8名の部下に対し、インターフェースを通じて告げる。
可能な限り、全員で生還する。
それを成し遂げる為の、仕上げの言葉を。

『目標を除き即時射殺。復唱せよ』
『目標を除き即時射殺、了解』

突入5秒前。
彼の右側面、自動擲弾銃を持つ手とは反対のそれには、黒く塗装されたケースのハンドルが握られていた。
その片隅には、小さな白いマークが刻まれている。
円を中心とした、3つの扇形。

『突入』

そして、衝撃。
数瞬後、固定器具が解放され、続いてハッチが開け放たれる。
一糸乱れない行動で4分隊、計36名が機外へと展開。
火花と破片、破壊された構造物。
真空の中、激しくのたうちもがき続ける、複数の熱源。
それらを視界へと捉え、銃口のレティクルとピパーが重なった瞬間にトリガーを引く。
発射される榴弾、3発。
爆発、生命反応消失。
暫し友軍の発砲を意味する表示が視界へと瞬き、やがて鎮まる。
周囲の安全を確保した事を確認し、捕虜の位置を確認。
部下を促し、その区画へと向かうべく足を踏み出した、その瞬間だった。



『・・・バイド係数、増大!』



壁面の遥か向こう、次元航行艦ドック。
バイド生命体の存在を意味する表示が、小山の様に膨れ上がった。

*  *


阿鼻叫喚、地獄絵図。
極端に言い表すならば、これらの言葉が当て嵌まるだろう。
レティはウィンドウに映る光景を見つめながら、きつく拳を握り締めた。
表示されている区画名は艦艇停泊区、第26ドック周辺域主要通路。
現在その区画は、多様な光を放つ魔導弾が乱れ飛び、破壊音と悲鳴、断末魔が響き渡る戦場と化している。
敵は2種、余りにも異様な存在だった。

1つは、防衛用のセキュリティ・オートスフィア。
本来、局員を守るべく配備されているそれらは出動と同時、周囲の局員に対し無差別攻撃を開始した。
攻撃の全ては非殺傷設定を解除されており、標的となった周囲の人間は乱射される魔導弾によって次々に弾け飛ぶ。
地球軍による再度の襲撃を警戒して、新型を大量に配備していた事が現状では逆に仇となっていた。
汚染されたそれらは正規の信号を一切に亘って受け付けず、只管に周囲の生命体へと攻撃を繰り返す。
更に、致命的な損傷を受けるや否や、局員達の中心へと突撃し魔力暴走による自爆を実行するのだ。
如何に百名を優に超える魔導師が現場に存在するとはいえ、無限とも思える程に存在するオートスフィアの群れには太刀打ちできない。
防衛線が押し潰されるのは、時間の問題だった。

そしてもう1つが、爆発的な勢いで膨れ上がる異形の肉塊。
外観こそ有機物にして金属光沢をも併せ持ったそれは周囲の無機物、有機物を問わず吸収し、肥大化してゆく。
砲撃と直射弾を撃ち込まれる度に弾け、明らかに血液と判る大量の液体を周囲へと振り撒きつつも、その侵食速度は些かも衰えはしない。
それもその筈、破壊された部位は修復しているのではなく、更なる増殖によって呑み込まれているのだ。

人も、機械も。
自らを守らんとするオートスフィアから、生命活動を停止した自身の構成部位でさえ喰らい尽くし、その全てを増殖の糧とする醜悪な生命。
既に、区画全体の壁面には毛細血管にも似た肉管が縦横無尽に奔り、その侵食は床面から天井面までをも覆い尽くしている。
「AC-47β」の配備により、魔導師は陸士であっても疑似飛行が可能となっていた為、侵食面に触れずに戦闘を展開する事ができた。
しかし空中への退避が遅れた者、そもそも魔導因子を持たない者などは、毛細血管が脈動する侵食面に触れた瞬間から耳を覆いたくなる様な絶叫を上げ、片端からその場に崩れ落ちてゆく。
そして空中も安全という訳ではないらしく、侵食著しい壁面に囲まれた地点での戦闘に当たっていた空戦魔導師は、突如として制御を失うと自ら肉塊の最中へと飛び込んでいった。
どうやらあの有機体には、物理的のみならず精神的にも生命体を侵食する能力があるらしい。

『こちら1012、限界だ! 抑え切れない! 防御ラインが崩壊する!』
『退避せよ、1012! 停泊区を出るんだ!』
『なら隔壁を開けてくれ! 何をやっても反応が無いぞ!』
『2071より中央、何をやっているの!? また隔壁が展開された! 私達を見殺しにするつもり!?』
『コントロールが効きません! 第2管制区より2071、隔壁を破壊して脱出して下さい!』
『そんな暇は無いんだ、馬鹿野郎!』

ウィンドウより発せられる音声が、更に悲壮なものとなる。
悲鳴は徐々に数を減らし、今は怒号と破壊音のみが戦場を支配している様だ。
其処に時折、湿り気を帯びた肉塊と肉塊が擦れ合う異音が入り混じり、レティは込み上げる嫌悪感を抑える事に苦心していた。

『エミー! クソ・・・畜生! エミーが、エミーが肉野郎に喰われた! エミリア三等空尉、敵性体により捕食!』
『バイタルがあるわ! まだ生きてる!』
『そんな馬鹿な事があるか! 俺は彼女が潰される瞬間を見たんだぞ!』
『あれは・・・見ろ、ロッシだ! ロッシのデバイスだ! 光ってる・・・奴はまだ生きてるぞ! バイタルもある!』
『でも、彼はスフィアに頭を吹き飛ばされて・・・!』
『畜生、何がどうなってやがる!?』

更に錯綜する情報。
レティにできる事は、ただそれを聴き続ける事だけだ。
回線は艦艇停泊区からの一方向通信であり、こちらからの発信は向こうへと届かない。
其処彼処で異常が生じている為、復旧さえ儘ならないのだ。
だからこそレティには、局員が次々に死に逝く様を前に、こうして見ている事しかできない。
その事実が堪らなく憎く、悔しかった。

『ロウラン提督』

だからこそ、彼女は別の指示を下したのだ。
通信の繋がる場所へと、自らの権限を活かして。
本来ならば然るべき指示を下す筈の部署は、回線の切断により連絡が取れない。
よって指示を仰ぐ事もできず、状況の確認も儘ならない部隊が、数多く存在していた。
その中の1つへと回線を繋ぐ事に成功したレティは、すぐさま取り得る行動を伝達したのだ。

「経過は?」
『既に患者の70%がシェルターへの避難を終えています。残るは重症患者と数名のスタッフのみです』
「分かったわ。引き続き誘導に当たって頂戴」
『了解・・・しかし一体、何事なのです? 侵入者は地球軍ではなかったのですか? なぜ停泊区にバイドが・・・』

医療区にて患者の避難誘導に当たっていた部隊からの通信に指示を返し、続く言葉に唇を噛み締めるレティ。
彼女は知っていた。
艦艇停泊区を侵食するバイドが、如何にして本局内部へと侵入したかを。

要するにフェイト達は地球軍のみならず、同時にバイドにも嵌められたのだ。
帰還した攻撃隊の一部は第151管理世界の生存者を捜索する過程で、彼等が脱出に用いた小型次元航行艦を発見した。
だがバイドは既に、その艦を自らの制御下に置いていたらしい。

本局ドックへの入港後、艦は魔力炉の出力を限界まで引き上げた。
御丁寧にも観測機器へは疑似信号を流し、出力を偽装した上での行動。
炉心へと侵入したバイド体は、局員のデバイスに装着された「AC-47β」をすら下回るバイド係数しか検出されぬ状態から僅か20秒足らずで、その260,000倍の数値を叩き出すまでに増殖した。
その結果が、区画そのものをも侵食せんとする、あの金属光沢を放つ肉塊の壁だ。
オートスフィアの制御中枢を瞬く間に汚染し、今なおその侵食範囲を拡げつつある、生ける壁。

恐らくは地球軍も、そしてバイドもこの状況を予測していた訳ではないだろう。
両者ともにフェイトを、攻撃隊を利用する事を画策した結果、同じタイミングで獲物が掛かったというだけの事らしい。
だが、だからといって状況が好転する訳もない。
今この瞬間、この本局内部では侵入した地球軍が、恐らくは捕虜となっているパイロット達を奪還すべく、作戦行動を展開しているのだ。
間違いなく彼等は、このバイドの存在を察知しているだろう。
彼等の事だ。
この艦が汚染されていると判断すれば、間違いなく捕虜の救出後に戦略攻撃で以って本局の破壊へと乗り出すだろう。
そうなる前にバイドを殲滅するか、或いは総員が脱出せねばならない。

『提督、ロウラン提督!』

焦燥に駆られた声。
レティはウィンドウに映る武装局員が、只ならぬ表情を浮かべている事に気付く。
不吉な予感が沸き起こる中、彼女は何事かと問うた。
返ってきたのは、信じられない報告。



『重症患者3名の姿がありません! スクライア無限書庫司書長、アコース査察官、及びシグナム二等空尉の3名が消息不明です!』



その報告を最後に、医療区との通信が途絶える。
同時にレティ自身を揺るがす衝撃、そして轟音。
堪らず執務机に手を突き、身体を支える。
慌てて複数のウィンドウを開こうとするも、一切のシステムが反応しない。
暫し呆然と佇むレティ。

だが、すぐに彼女は行動を起こした。
執務室内の金庫を開け、その中に安置されていた小型のデバイスを手に取る。
彼女自身は前線に出られる程の魔力を有してはいないが、「AC-47β」により強化されたデバイスがあれば、護身を目的とした直射弾を放つ程度の事はできた。
拳銃型のデバイスが正常に機能する事を確かめ、非殺傷設定を解除する。
最悪、相手方を殺傷する事になるかもしれない。
額へと薄く滲む汗を意図して無視しつつ、レティは覚悟を決める。

もう、躊躇ってなどいられない。
スカリエッティの言う通りだ。
これはもはや戦争ではなく、生存競争。
殺さなければ、殺される。
引き金を引く事を躊躇った者、殺す事を躊躇った者から喰われてゆくのだ。

研究区までのルートを脳裏で再確認しながら、念の為に幾つかの迂回路を設定しておく。
残る局員の正確な位置も判然としない今、移動中に遭遇した者と合流していくしかあるまい。
取り敢えず、この執務室の周辺域だけでも200名は居るだろう。
先ずは彼等と合流し、態勢を整えねば。

デバイスを手に扉の前へと立つレティ。
しかし数秒が経っても、それが開く様子は無い。
其処で機器の殆どが沈黙している現状を思い出し、傍らの非常用パネルへと手を伸ばす。
幾つかのスイッチを入れ、予備電力への接続を確認。
扉が稼働状態となった事を確かめると、再度その前へと立つ。
そしてセンサーが機能し、エアの排出音と共に扉が開き。



其処に、漆黒の装甲服に身を包んだ人物の姿があった。



銃声。
レティの視界が、上下に激しく回転する。

撃たれた?

その事実を、否が応にも理解せざるを得なかった。
大量の紅い飛沫が周囲の壁面を濡らす様を、彼女の視界ははっきりと捉えている。
腹部の辺りに熱と痺れが奔り、下半身の感覚が消えて失せた。
そんな中、脳裏に過ぎったのは、何者かという疑問でも、この状況をどう伝達すべきかという思考でもなく。



嗚呼、叶う事なら。
一度、たった一度だけでも良い。
もう一度、家族みんなで集まりたかった。



些細な願い、そして夫と息子の優しい面持ちだった。
軽い咳。
紅い飛沫が弾ける。
以後、その喉が動く事は無い。

天井面から壁面、床面に至るまで、全てが紅く染まった執務室。
散乱する自身を構成していた生体組織の破片と夥しい量の血液、漆黒の装甲服とその手に握られた大型の銃器。
幸いにもそれらを視界へと映す事なく、レティ・ロウランは家族の優しい表情を脳裏へと焼き付けつつ、永遠にその意識を閉じた。

*  *


「全く・・・何か返事くらいしたらどうなの!?」

そんな愚痴を零しつつ彼女は、厳重に閉ざされた独房の扉を蹴る。
通常の人間を遥かに超える膂力で以って蹴り付けられた扉は、しかし傷ひとつ付きはしない。
その様子に更に機嫌を損ねたらしき彼女、戦闘機人No.4たるクアットロは、ひとつ鼻を鳴らした。

全く訳が分からない。
突然、本局へと移送するとの旨が知らされ、あの忌々しい軌道拘置所を出された。
それはまだ良い。
だが理由を知らせもせず、1ヶ月以上に亘っての監禁とはどういう事だ。
管理局側からのコンタクトは何も無く、こちらからの呼び掛けは悉く無視される。
軌道拘置所だってもう少し面白い反応が返ってきたものだ。
此処では暇潰しとなるものが何も無く、只管に退屈を耐え忍ぶしかない。

「えぇい、忌々しいですわね!」

そう毒吐くと、腹癒せにもう一度、扉を蹴り付けようとする。
しかしその脚は、唐突に扉が解放された事により宙を切る事となった。
思わず小さな悲鳴を上げ、態勢を崩して前へと倒れ込む。
其処はもはや独房の中ではなく、扉の外の通路だと気付くクアットロ。
悪態を吐きながら床へと打ち付けた身体を起こし、僅かに視線を横へとずらす。

視界へと飛び込んだのは、随分と頑強な印象を与える漆黒のブーツ。
バリアジャケットだろうか。
皮肉の一つでも言ってやろうかと、クアットロは軽い気持ちで視線を上へと滑らせる。
そして、その意識が凍り付いた。

「・・・ひッ!?」

零れる悲鳴。
それは、魔導師などではなかった。
明らかに質量兵器と判る重火器を手にこちらを見下ろすのは、漆黒の装甲服に身を包んだ所属不明の人物だったのだ。
顔全体を覆うマスクとヘルメット、そして鈍い光を放つゴーグルによって完全に隠された面持ちは、その内面を予想する余地さえ与えてはくれない。
その事実だけでもクアットロが恐慌を来すには十分だったが、更に恐ろしい光景がその先に拡がっていた。

「あ・・・あ、あ・・・!」

それは、局員と思しき人物等の死体。
元が何人であったか、収監されていた次元犯罪者ではないのか等の疑問については、もはや知る術は無い。
彼等は一様に高威力の攻撃によって引き裂かれ、肉片となって混じり合っているのだから。
通路の壁面には虫食い跡の様な無数の穴が開き、その下には僅かばかり原形を留めた腕や足、指や毛髪などが散乱している。
床一面に拡がる血溜まりの中には彼女の親指よりも太く長い薬莢が無数に転がり、血液との接触面から微かな湯気を立てていた。
散乱する肉片と血液の量から見ても、犠牲者の数は2人や3人では済むまい。

まさか、こいつは。
こいつは、遭遇する端から局員を射殺してきたのか?

「嫌・・・嫌・・・来ないで・・・!」

必死に後退さるクアットロ。
しかし、その人物の手に握られた質量兵器の巨大な銃口は、寸分の違いも無く彼女の動きをトレースする。
グリップを銃身上部に設けたその質量兵器が、一体どの様な性能を有しているか。
詳細は不明だが、少なくとも掃射が可能である事は間違いあるまい。
如何に戦闘機人の膂力といえど、大口径機銃による至近距離からの弾幕射を回避する事など不可能だ。
クアットロは、この場を切り抜けられる可能性など、僅かたりとも存在しない事を悟った。

金属音。
クアットロが、小さな悲鳴と共に身を竦ませる。
瞼をきつく閉じ、頭を抱え込んで襲い来る衝撃と破滅に備えた。
再度の異音。
鎖が擦れ合う際の様なそれに、彼女は更に怯えつつ首を振る。
もう、何も見たくはないし、聴きたくもなかった。

だが、何時まで経っても、破滅の瞬間が訪れる事はない。
相も変わらず異音は響き続けているものの、クアットロ自身へと何らかの影響が及ぶ事はなかった。
一体何が起きているのかと、漸く彼女は僅かながらも瞼を見開く。
そして、信じられない光景を目にした。

「・・・バインド?」

質量兵器を構えたその人物は、未だクアットロの正面に佇んでいる。
だが、その銃口は既に、彼女の身体を捉えてはいなかった。
正確には、質量兵器そのものが床面へと転がっていたのだ。
それを手にしていた筈の人物は、自身の頸部へと手をやり激しくもがき続けている。

そして、その頸。
緑光を放つ魔力の鎖が、毒蛇の様に巻き付いている。
幾重にも、幾重にも。
その圧力だけで肉と骨が千切れんばかりに、バインドがその人物の頸部を締め上げていた。

直後、その足下を黒い影が駆け抜ける。
動物らしき影、そして魔力反応。
凄まじい勢いで装甲服に身を包んだ人物の足下を掬い、態勢を崩した上で背面を跳ね上げる。
重厚な装甲服が宙で半回転し、一瞬の後、頭から落下を始めた。
床面へと激突、振動。
何かが粉砕される異音。

「ひ・・・」

三度、小さな悲鳴が漏れる。
音を立てて倒れ伏す装甲服を前に、クアットロはただ床面を這いつつ距離を置く事しかできなかった。
暫し不規則な痙攣を繰り返していた装甲服だったが、やがて等間隔を置いて足が微かに動くだけとなる。

「死んだ・・・の?」
「多分そうだね。頸部を砕いた筈だから」

唐突に返された言葉に、クアットロは反射的に通路の角へと視線を投げ掛けた。
何時の間に現れたのか、其処には1台の電動式車椅子が鎮座している。
その後ろには、補助用の杖を突く人物が1人、更に壁に寄り掛かる人物が1人。
通路の明かりが非常灯のみである為、通常ならば人物の特定などできはしない。
しかし、戦闘機人たるクアットロの視覚は、彼等の正体を看破していた。

「何で・・・貴方達が・・・」

車椅子に乗る人物。
金髪を揺らしつつ右手でグリップを操る彼には、右腕以外の四肢が存在しない。
杖を突く人物。
包帯で目を覆われた彼は、どうやら既に失明しているらしい。
唯1人、自力のみで立つ人物。
しかし彼女は、自身の誇りたる剣を手にしてはいない。

クアットロは、彼等を知っていた。
それこそ幾度となく、繰り返し彼等の情報を精査してきたのだ。
間違う事などない、確かな情報。

「無限書庫司書長・・・本局査察官・・・ライトニング分隊・副隊長・・・!」
「ほう、流石はナンバーズの参謀。良く知っているな」

ユーノ・スクライア。
ヴェロッサ・アコース。
シグナム。

「まあ、間に合って良かったよ。君に死なれると、せっかく此処まで来た労力が無駄になってしまうからね」
「あ、え?」
「他の敵なら心配は要らないよ。2つ向こうの区画で暴走したトランスポーター諸共、跡形もなく吹き飛んでる・・・知識は力なり、って奴さ」



状況を把握する事ができずに、戸惑うクアットロ。
そんな彼女を余所にユーノ・スクライアは、車椅子を操り彼女へと近付く。
そして、残された右腕を彼女の眼前へと差し伸べ、その言葉を放った。
予想だにしなかった言葉、信じ難い言葉を。



「僕に、君の力を貸して欲しい、クアットロ」



轟音、震動。
殺戮と侵食に揺れる本局。
その極限状況の中で、2人の賢者は互いの手を取る。

魔法技術体系から成るあらゆる文明の情報を内包する無限書庫、その知識の宝庫、無限の情報を統べる結界魔導師。
スカリエッティの参謀としてその辣腕を振るい、一時はかのエースオブエースでさえ絶望の縁へと追い込んだ、魔女の如き戦闘機人。

情報という名の、決して見えず、直接的な実効力をも持たず、しかし何より破滅的な刃。
その不可視の刃、死神の鎌を振るう者達が、静かに動き出す。
自らの刃を失った者、前線へと立つ権利すら奪われた者達と共に。
報復の為に、彼等は動き始める。



時空管理局・本局艦艇。
その機能を麻痺させる、地球軍による情報工作、及びバイドによる汚染。
第7管制室から2つ同時に実行されたアクセスにより、両勢力からの中枢機能奪還が果たされたのは、僅か12分後の事だった。

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最終更新:2015年10月26日 07:38