間に合った。
血塗れの小柄な身体に腕を回し、施設構造物内を泳ぎながら、セインは内心で安堵の声を洩らした。
彼女に抱えられたその女性が纏う衣服は、ほぼ全ての部位が真紅に染まっている。
バリアジャケットではない。
彼女が纏っていた純白と漆黒のそれは既に、維持すら儘ならずに解除されていた。
危険な事だが、そうでなければセインが彼女を救出する事はできなかったであろう事を考えれば、バリアジャケットの解除は幸運だったといえるかもしれない。

構造物の内、安全な地点を目指して、セインは只管に前進し続ける。
幾度か、感覚が麻痺せんばかりの衝撃が周囲に反響し彼女を襲ったが、多少に気が遠くなる事を除けば特に被害は無い。
本来ならば最も被害を受けていたであろう聴覚は、R戦闘機より放たれたミサイルが爆発した時点で、その正常な機能を喪失していた。
鼓膜が破れたのだ。
念話がある為に隊員との意思疎通に問題はないが、しかし状況把握には幾許かの支障が生じるだろう。
耳の奥を襲う激痛を堪えながらも、機械的強化を施された三半規管を襲う衝撃に耐えながら、セインは120秒程で安全圏へと離脱した。
浮上しつつ、念話を送る。

『ティアナさん、聞こえる?』
『セイン! 何処なの!?』
『今、そっちへ向かってる! 重傷者1名確保! 出るよ、医療魔法の準備を!』

直後、セインは構造物内より床面上へと躍り出た。
彼女の纏うスーツは至る箇所が破れ、そのほぼ全てから血が流れ出している。
荒く息を吐き佇む彼女を気遣ってか、すぐさま数名の攻撃隊員が駆け寄ってきた。
彼等は何事かを叫ぶが、鼓膜の破れたセインがその声を拾う事はない。
すぐさま、彼等にも念話を送る。

『ごめん、聴覚をやられてる。念話でお願い。それと・・・』

言葉を紡ぎつつ、セインは腕の中の女性を彼等の眼前へと突き出し、その身を委ねた。
零れ落ちる雫が床面に紅い模様を描きゆく中、彼等は一様に表情を凍らせて息を呑む。
セインは、言葉を続けた。

『すぐに、手当てを』

微かな悲鳴。
口元を押さえる女性隊員の眼前、セインの腕に力なく抱えられている血塗れの女性は、数分前まで事実上の指揮官として指示を下していた人物。
八神 はやて、その人であった。

「ッ・・・はやてッ!」
「はやてさんッ!」

全身を文字通りに引き裂かれたはやての姿に、同じく全身に無数の傷を負ったヴィータとスバルが、悲鳴の如き声を上げつつ駆け寄る。
その後方ではティアナがクロスミラージュを手に、少なくとも外面は冷静さを保ちつつ無残なはやての姿を見つめていた。
視線を少しばかり右へとずらせば、意識の無いザフィーラとシャマルが、2名の隊員による医療魔法を受けつつ血溜まりの中に横たわっている。
2人共に、意識は無い。
更に少し離れた地点では、ノーヴェが別の隊員と共に治療を受けていた。
その左腕は肘の辺りが大きく抉れ、大量の血液を噴き出している。
彼女は零れそうになる悲鳴を歯を食い縛って堪え、急速に再生してゆく有機組織を睨み付けていた。

彼女達を含め、この部屋には18名の隊員が存在する。
内3名は、セインが運搬した。
程度の差こそあれ、皆一様に全身へと傷を負っている。
R戦闘機より放たれた6発のミサイルと、「何か」が床面へと撃ち込んだ1発のミサイル。
それらの炸裂によって、攻撃隊は甚大な被害を受けた。
少なくとも2名が死亡し、更に4名が行方不明となっている。
生存している隊員も、はやて等を含め5名が意識不明の重体だ。
つまり、実質上の現有戦力は13名となる。
R戦闘機と正体不明の怪物を相手取るには、余りにも心許ない戦力だ。

「・・・大丈夫? 聴こえる?」
「・・・うん、治った。ちゃんと聴こえる・・・有り難う」

鼓膜が再生された事を確認し、セインは自身へと医療魔法を掛け続けていた傍らの隊員へと礼を言う。
彼女はその言葉に軽く首を振って応えると、すぐさまはやての治療へと加わった。
回復した聴覚に、悲鳴とも怒号とも付かぬ声が幾重にも響く。
どうやら、はやての容態は予想以上に危険な状態にある様だ。

「セイン・・・」
「・・・至近距離から砲撃される直前だったよ。間一髪で床に引き摺り込んだけど、砲撃の余波と砲弾の衝撃波までは回避できなかった。デバイスは・・・」

気遣わしげに語り掛けてくるティアナに、セインは脇の下に抱え込んでいた魔導書と一振りの杖を差し出す。
それらを目にし、ティアナが息を呑んだ。

「・・・この通り」

それは、はやての力の証、その成れの果て。
どす黒い血に塗れ、元の装飾すら判別不能となった魔導書。
煤け、捻じ曲がり、柄の半ばより先が融け落ち、原形すら留めてはいない騎士杖。
それらの持ち主が如何に凄惨な状況に曝されたのか、それを窺わせる程に変わり果てた2つのデバイスだった。

「・・・酷いわね」
「添え木代わりには使えるかもね。骨折してる人は?」
「1人、居るけど・・・」

ティアナが振り返り、セインも釣られてその方向を見やる。
其処には、隊員の1人が仰向けに横たわる別の隊員の顔に手を翳し、その瞼を閉じている場面があった。
ティアナは数瞬ほどその光景を見つめ、次いでセインへと向き直ると、何かを堪えんとしているかの様に低い声を放つ。

「・・・今、必要なくなったわ」

その言葉にセインは天井を仰ぎ、額を掌で覆うと息を吐いた。
そして自らの吐息の音が僅かに震えている事を自覚し、彼女は内心にてうろたえる。
どうやら自身でも気付かぬ程に、この異常な状況に心身を蝕まれているらしい。

「それで、どうするの? 化け物はR戦闘機と交戦しているけど」
「何とかこの施設を脱出して、他の攻撃隊員と合流したいところだけれど・・・」

轟音。
周囲の構造物、その全てを通して衝撃が走り、室内の誰もが体勢を崩す。
幾つかの悲鳴が上がり、身体が床面へと倒れ込む鈍い音が鼓膜を震わせた。
すぐさま体勢を立て直したセインとティアナは周囲を見回し、視線を合わせるや軽く息を吐く。

「・・・負傷者を抱えて通路に戻るのは自殺行為ね」
「化け物と擬態する砲台の群れ、おまけにR戦闘機を何とかしないといけない訳か・・・」

諦観の滲む言葉と共に、セインは壁際へ歩み寄ると腰を下ろし、その背を壁面へと預けた。
極度の緊張と急激な運動、更には激痛に耐える事を余儀なくされていた身体は、速やかな休息を要求している。
今にも闇へと沈みそうになる意識を辛うじて繋ぎ止めるセイン。
瞼を下ろし、代わりにより鮮明となった聴覚に複数の声が飛び込む。

「駄目・・・傷が深過ぎる・・・このままじゃ、とても・・・」
「そんな・・・! おい、何とかならねぇのかよ!」
「外傷と臓器の損傷は修復したけれど・・・血液の流出が激しい。2時間以内に処置を行わなければ」
「じゃあ!」
「相応の機器がある医療施設での話よ。此処では無理」

微かな鈍い音。
瞼を見開くと、血溜まりに横たわったはやての傍ら、ヴィータが放心した様に床面へと膝を突いていた。
グラーフアイゼンは彼女の手より滑り落ち、今は床に倒れている。
その隣ではスバルが立ちながら俯き、硬く握った拳を震わせていた。
両者ともに自らの無力さに打ちのめされ、絶望している様がありありと伝わってくる。
しかし、その2人より数mほど離れた位置に佇むティアナの反応は、彼女達のそれとは懸け離れたものだった。

「つまり、猶予はいいとこ1時間ってところね」

その言葉が響き渡るや否や、意識を保っている隊員の全てが、一斉にティアナへと視線を注ぐ。
彼女は十数分前に別の隊員がしていた様に、クロスミラージュから延びるコードの先端を開かれた床面のパネル内ジャックに差し込み、空中に展開した端末を操作していた。
表示されているのはやはり、この施設の構造図。
ティアナはその一画、巨大な貨物用エレベーター、そして上層階の物資二次集積所、両者の表示を見据えている。
そんな彼女の様子をどう捉えたのか、スバルが掠れた声を掛けた。

「ティア・・・何を・・・?」

その声には答えず、ティアナは声を張り上げる。
諦観と死の気配に満ちた室内に、力強い声が響き渡った。

「誰か、さっきのR戦闘機の映像を記録した人は!?」

数秒後、2名の隊員が戸惑いつつも答え、自らのデバイスからデータを呼び出す。
ティアナの行動が何を意味するのか、漸く気付き始めたらしいスバルは驚愕の面持ちも露わに、再度彼女へと声を掛けた。

「ティア、まさか・・・」
「どの道、あの化け物を片付けない限り此処から出るのは不可能よ。それに・・・」

言葉を紡ぎつつ、クロスミラージュを手の中で回転させるティアナ。
その瞳には怯えでも諦めでもなく、苛烈なまでの闘志と、冷徹なまでの策謀の光が灯っていた。
離れた位置よりその瞳を視界へと捉えたセインは、思わず息を呑む。
そうして、クロスミラージュの回転を止めたティアナは、ゆっくりと周囲の面々を見渡した。

「やられっぱなしってのも、面白くないでしょ?」

彼女は腕を伸ばし、銃口を突き付ける。
構造図の一画、奈落の底へと。

「教えてやるのよ」

無機質な殺意を壁の、構造図の向こうに蠢く異形へと向け。
ティアナは報復の始まりを告げる。

「どんな存在に喧嘩を売ったのか。嫌ってほど思い知らせてやる」

鈍色の銃身が、薄暗で無慈悲に光った。

*  *


6発の大型ミサイルが着弾すると同時、目標が爆炎と粉塵に呑み込まれる。
間髪入れずに3条の雷光が粉じんの中心へと撃ち込まれ、再度強烈な爆発が発生。
しかしその爆発は、目標の無力化を示すものではなかった。
粉塵の中、青い光が瞬く。
緊急回避。
電磁投射砲弾飛来、数十発。
フォースすらも容易く貫くそれらは、目視による回避など不可能だ。
亜光速の砲弾が発射される際に観測される複数種の反応を、第17世代量子コンピューター2基が各種センサーを用いて認識。
砲弾が発射口より射出される前に予測飛来軌道を割り出し、機体を射線より外すべく機動を開始する。
パイロットがすべき事は回避への尽力ではなく、回避後に取る次の行動の決定だ。

3段階に分けての回避行動が終了するや否や、彼は即座にトリガーを引く。
電子化された視界の中で、光が爆発した。
ハイパードライブモード、第一段階。
充填された波動粒子の一時解放、再凝縮。
周囲の粉塵、破片の一切合切が消滅する。
「STANDBY」の表示が浮かぶと同時、彼は再度トリガーを引いた。
全ての表示が赤く染まり、文字が「DRIVE」へと変化する。
直後、振動と轟音が連続して機体を揺さ振った。

ハイパードライブモード、第二段階。
スタンダード波動砲、即ち通常タイプの波動砲の約70%程度に凝縮された波動粒子砲弾が、機銃の如く連射される。
砲弾と砲弾の間隔すら判別不能なまでの濃密な弾幕が、粉塵の中に潜む目標へと襲い掛かった。
小爆発が連鎖して起こるが、それらは目標体そのものの破壊によるものではなく、砲弾炸裂の余波に過ぎない。
事実、爆発に際して起こる発光は、全て波動粒子の青い光だ。
彼はトリガーを引く指の力を緩める事なく、掃射を継続する。

しかし数瞬後、コックピット内に警告音が鳴り響いた。
被ロック警告。
波動粒子砲弾の弾幕を擦り抜ける様にして、2基のミサイルが迫り来る。

彼は、退かなかった。
逆に前進し、目標との距離を詰め、更に弾幕の密度を高める。
ミサイルが接近、キャノピーへの直撃コースに入った。
しかしそれらは、機体の周囲を高速にて旋回する2基の防御機構によって迎撃される。
波動粒子を纏った、2基のビット。
ハイパードライブモード、第二段階の発動と同時に展開された高速旋回するビットの壁は、迫り来るミサイルを鋼と波動粒子の暴風へと巻き込み引き裂いた。
弾頭炸裂の余波ですら、壁を越える事もできずに掻き消される。
直後、彼は更に攻勢を激化させた。

フォトンASM発射、支援兵装シャドウユニット再展開、オールレンジ・レーザー掃射開始。
白光を放つフォトンミサイル2発、そしてフォースとシャドウユニットより連続して掃射される、数条の青い光線。
未だ続く波動砲の連射とも併せ、破滅的な砲火の嵐が粉塵の中へと降り注ぐ。
更に僚機よりミサイルと波動砲が撃ち込まれ、直後に視界の全てが白く爆発を起こした。
ホワイトアウト、センサーダウン。
システム、強制冷却モードへ移行。
通常モード移行まで4秒。
コンマ数秒後、センサーが機能を回復。
即座に機体を後退させ、施設構造物の陰へと身を潜める。
まるで人型機動兵器の如き戦術機動だが、第8世代重力制御機構と量子コンピューターによる高度な姿勢制御を可能としたR戦闘機にとっては、戦場に於いて高頻度で使用されている戦闘技術だ。
巨大施設内部での戦闘も多々ある為、こうした機動は必須技能である。
そのまま、彼は全てのセンサー感度を最大まで引き上げ、目標の観測を開始した。
更に僚機と交信し、より高精度の情報を得るべく言葉を交わす。
しかしやはり、其処に発声という人間本来のプロセスが介される事はない。
静寂のままに、精密機械の如き無音の意志のみが交わされる。

『「ホルニッセ」より「パルツィファル」、目標の状態を確認できるか』

すぐさま、応答が入った。
彼の僚機であるTL-2B HERAKLES、コールサイン「パルツィファル」からの返信だ。

『こちらパルツィファル。目標は外殻装甲に重大な損傷を・・・』
『パルツィファル、どうした』

途切れる言葉。
次いで返されるであろう報告の内容を半ば予想しつつも、彼は状況を問い質した。
そして、予想に違わぬ報告が意識へと飛び込む。

『目標健在、移動再開を確認した・・・熱源感知。ミサイル、来るぞ』
『回避する』

フロント・サイドスラスターを稼働、一瞬にして400mを後退。
波動砲、再充填開始。
しかし直後、前方より明らかに異質な反応が検出される。
魔力素反応、増大。

『こちらホルニッセ、目標近辺より魔力素を検出。パルツィファル、そちらの・・・』

その交信が完了する事はなかった。
前方、粉塵の壁を突き破って出現する、褐色の機体。
TL-2B HERAKLES。
全く予期しなかった僚機の機動に面食らう彼を置き去りにし、傍らの空間を突き抜け飛び去る巨大な機体。
しかし、真に彼を混乱させたのはその機動ではなく、センサーとレーダー、双方に存在する2つの反応だった。

『・・・ホルニッセよりパルツィファル、貴機の位置を確認したい』
『こちらパルツィファル。現在位置、第4カーゴ待機所。目標より500mだ』

彼は電子的に高度並列化された思考の一部を以って、後方へと飛び去ったTL-2Bの反応を分析する。
程なくして、異常が発覚した。
機体より高濃度魔力素検出。
該当データあり。
コールサイン「ベートーヴェン」による交戦記録、時空管理局諜報活動結果。
ティアナ・ランスター執務官補佐。
魔法によるデコイ・ユニットの複数同時展開を可能とし、同時にそれらデコイに対し質量すら付与させる事ができる、正に規格外の存在。
機器による解析こそ可能ではあるが、その為に費やされる一瞬にも満たない時間こそが戦場では命取りだ。
彼等パイロットにとっては、行儀良く足を止めてから砲撃を放つ魔導師達よりも、こういった撹乱系の能力こそが警戒の対象だった。

そもそも、生身の人間が質量を持つデコイを発生させるという現象そのものが、地球軍からすれば理解の範疇を超えた異常な事象なのだ。
彼等が同じ現象を人為的に発生させようとするならば、最低でも大出力ジェネレーター1基、波動粒子制波装置2基、量子コンピューター3基が必要となる。
それら機器の総重量は20tに達し、もはや大型生体兵器を除けば生命個体が単体にて運用できるものではない。
事実、デコイ・ユニット発生兵装を搭載したR戦闘機は、TL-2Bにも匹敵する巨体を持つ事を余儀なくされた。
それ程までに実現困難な現象を、生身の人間が自身の意思で自在に操れるというのだ。
情報を各自分析したパイロット達は驚愕し、次いで恐怖した。
幻術魔法と呼称される、管理世界においても希有な魔導スキル。
この魔法を修めた魔導師が戦域に1人存在するだけで、相対する勢力は常に対象が幻影であるか否かの警戒を余儀なくされる。
彼等は、特に戦闘機動が制限される閉鎖空間に於いて、地球軍に対し最悪の脅威となり得る存在なのだ。

しかし、彼はどうにも理解できなかった。
あのTL-2Bのデコイを形成していた魔力素は、紛う事なくベートーヴェンと交戦した魔術師、ティアナ・ランスターのそれと合致するパターンを示していたが、何故彼女はこの場面で幻影魔法を使用したのか?
管理局本局艦艇内部に於ける戦闘により、幻影がベートーヴェンによって解析済みである事は、彼女も承知の筈である。
或いは、こちらの解析能力を過小評価しているとでもいうのだろうか。
確かにパターンの細部は変更されているものの、それが解析過程に及ぼす影響は微々たるものだ。
事実、デコイであるとの認識に要した時間こそ5秒程であったが、パターン解析自体に要した時間は2秒に満たない。
不意を突いての攻撃であるならば十分に有効かもしれないが、唯こちらの側面を通過しただけという機動についての説明がつかないのだ。
一体、彼らは何を企んでいるのか?

『パルツィファルよりホルニッセ、目標がそちらへ向かっている』

考える暇はなかった。
目標が、彼の機体を目指し迫り来る。
咄嗟に機体を横に滑らせ、主要輸送路から研究区搬入口へと侵入。
即座に各種撹乱装置の出力を最大まで引き上げようとして。

『ホルニッセ、待て!』

僚機よりの警告に、プロセスを中断した。
ほぼ同時、巨大な鋼の怪物が、主要輸送路を轟然と振動を響かせて通過する。

目標、資源輸送システム改修型大型機動兵器「RIOS」。
正確には、それを模した超高度擬態型生態兵器統括機構体。
識別コード「BFL-209『PHANTOM-CELL』MODE『RIOS AIRBORNE-ASSAULT』」。
第三次バイドミッションに於いて、R-9/0 RAGNAROK-ORIGINALを撃墜寸前にまで追い詰めた、最悪の敵。
有機物・無機物を問わず数々のバイド体へと擬態し、その攻撃能力までをも完璧に模倣する、幻影の細胞。
今現在その悪魔が模している存在は、第二次バイドミッションに於いてR-9C WAR-HEADに対し、絶望的な追撃戦を展開する事を強要した、悪夢の鉄塊。

その絶望的なまでの戦闘能力を誇る怪物が、こちらに見向きもせずに主要輸送路を通過してゆく様に、彼は思わず呆気に取られた。
明らかに、目標はデコイのTL-2Bを追撃している。
管理局にとっては幸運な事に、バイドは未だ幻影魔法への対処機能を獲得してはいなかったらしい。

では、管理局部隊は何をするつもりなのか?
まさか、目標を撃破するつもりなのか。
一体、どうやって?

レーダーを確認。
メタ・ウェポノイドの反応はない。
擬態型生態兵器群、殲滅。

『ホルニッセ、応答しろ。ホルニッセ』

僚機からの問い掛けに、彼は数瞬ほど返信を躊躇い、しかし次いで明確に意思を示した。
猜疑と警戒と、しかしそれらを上回る程の好奇の思考を秘めて。

『こちらホルニッセ。管理局部隊が、目標に対する何らかの作戦行動に出た。目標を追跡し、これを観測する』

*  *


『目標、ポイントBまで10秒!』
『了解!』

幻影のR戦闘機より、同じく幻影のミサイルが射出される。
サイドスラスターより噴き出す青い炎までをも忠実に再現されたそれは、射出直後に180度反転するや否や、輸送路上部構造物へと突進を開始。
そして着弾と同時、轟音と共に上部構造物が崩れ落ちる。
直後、念話がティアナの意識へと飛び込んだ。

『ポイントB、爆破! 目標、崩落物と接触! 進行速度低下!』

その言葉通り、後方より新たに轟音と震動が響き渡る。
ティアナは別の隊員が操る人員輸送用小型反重力カートの上で、後方を飛ぶ幻影のR戦闘機を必死に制御しつつ、計画が今のところ順調に推移している事を確認した。
目標は幻影をR戦闘機と誤認し、こちらを追跡している。

バイドが既に幻影魔法を解析しているのか否か、それは危うい賭けだった。
ティアナが作戦を実行するに当たって問題となったのは、これまでに幻影魔法とバイドが相対したケースが存在したか否か、そして地球軍の情報管理体制は強固か否か、この2つ。
幻影魔法が既にバイドによって解析されているのならば、考えるまでもなく作戦は失敗する。
地球軍の情報管理が甘く、バイドに情報が奪取されているならば、やはり本局での交戦データから幻影魔法の詳細が漏れていると考えたほうが良い。

しかし、考えている暇は無かった。
一刻も早くこの施設を脱し医療体制の整った場所へと搬送しなければ、はやてを含めた重傷者達の命はない。
R戦闘機に任せておけば良いとの意見もあったが、しかしティアナを含め攻撃隊の半数以上がその意見に反対した。
地球軍の連中はまともではない。
こちらを対等な人間として捉えてはいないし、それを積極的に改める事もないだろう。
このままバイドが撃破され彼等がこの施設を制圧したならば、こちらの存在を完全に無視して戦域を離脱すると考えられる。
非常に不本意ではあるが、ティアナとしては彼等に負傷者移送への協力を求めたかった。

R戦闘機の戦闘能力は、この状況下では非常に魅力的だ。
彼等を護衛にこの施設を脱し、管理世界の施設を捜索し転送ポートを見付け出す。
ポートを起動し、負傷者を支局艦艇へと転送した後、地球軍との非敵対的接触を開始。
でき得る限りの情報を引き出し、更には地球軍艦隊との直接交渉を狙う。
それが、考え得る限り、最も理想的な展開だ。
その為にも、R戦闘機のパイロット達に示す必要がある。
管理局魔導師が交渉に値する存在である事、その力が強大なバイドを打倒し得るものである事を。

尤も、非敵対的接触が叶わなかったとして、それはそれで構わなかった。
ティアナとしては地球軍を出し抜く手段も構築済みである上に、必要とあらばバイドの撃破後にR戦闘機を排除する事も視野に入れている。
彼等はこちらを対等に捉えてはいないが、こちらも彼等を対等の存在と捉えてなどいない。
その必要性があるとは思えなかったし、そもそも過去にそんな意志が自身あったとしても、それはクラナガンの惨状を目にした瞬間に消え失せている。
今この瞬間に思考すべきは、彼等との和解ではない。
この状況下に於いて、2機のR戦闘機をどう利用し、どう生き延びるか。
それこそが最も重要な問題なのだ。

『こちらポイントC、接触まで10秒!』

再び、幻影のミサイルが放たれる。
着弾、爆発。
構造物、崩落。

『ポイントC、爆破! 目標速度、更に低下!』

何故、幻影である筈のミサイルが爆発するのか。
答えは、実に単純だ。
上部構造物を破壊しているのは、各ポイントに控える隊員達であった。
予め構造物を崩落寸前にまで破壊し、幻影の着弾と同時に最後の仕上げを行う。
芸術的なまでの破壊により上部構造物は、ほぼ原形を保ったまま落下。
後方より迫る目標と接触し、その進行を遮る。
こうして、圧倒的に劣る速力にも関わらずティアナ等は目標との距離を稼ぎ、同時に目標の追跡行動を誘発していた。

『ポイントDまで10秒!』

果たして、バイドが幻影を解析するまでに要する時間は如何程か。
ティアナは本局でのR戦闘機との交戦経験から、4分前後と予測した。
既にフェイク・シルエット展開より、190秒が経過している。
残り、約50秒。

『目標、ミサイル発射!』

ポイントDからの警告。
咄嗟にR戦闘機の幻影を急速上昇させ、次いで急降下させる。
ミサイル、飛来。
視認すら困難な速度で接近したそれは幻影のR戦闘機、その背面を掠めて遥か前方へと飛び去った。
幻影、消滅。
即座に新たな幻影を生み出すものの、一瞬後に襲い掛ったミサイル通過の余波に制御が乱れる。
幻影に不自然な乱れ。
修復、通常機動へ移行。

「まずい・・・」

思わず口を突いて出る、苦渋の言葉。
先ほど幻影に生じた乱れは、目標による解析を加速させるかもしれない。
そうなれば、作戦の遂行はより困難となる。
果たして、目標地点まで誘導できるだろうか。

『ポイントE到達まで10秒!』

三度、幻影のミサイルが発射される。
数秒後に後方より響く轟音、そして振動。
目標、減速しつつポイントEを通過。
同時にカーゴは3つの輸送路が交差する地点へと到達し、その内の1つへと侵入。
そのまま500mほど前進。

『止まって!』

ティアナ、カーゴを操縦する隊員へと停止を命じる。
反重力カーゴ、停止。
ティアナは降機し、後方を見据える。
念話を用い、目標の状態を確認。

『ポイントF、目標は?』
『こちらポイントF、目標が下方を通過! いいぞ、そちらの軌跡を追っている!』

直後、周囲一帯に振動が響きだす。
地鳴りの様な、それでいて遥かに凶暴な力による振動。
それは次第に大きくなり、遂には姿勢を保つ事すら困難なまでに達した。
ティアナは額に薄らと汗を滲ませ、目標の出現を待つ。

そして遂に、それは現れた。
巨大な無限軌道、幅数十mはあろうかという巨体。
壁の様にも、戦車にも見える異形の機動兵器。
中央部に位置する電磁投射兵装、外殻装甲上に設置された無数のレール上を動き回るミサイル発射機。
少なくともティアナが知る限りの、如何なる分類上にも位置しない未知の巨大兵器が、其処にあった。
その装甲はR戦闘機との交戦によってか、一部がひどく破損している。

『来やがった・・・!』

カーゴを操縦していた隊員が呻く。
ティアナは答えず、目標機動兵器を睨み据えていた。

さあ、来い。
そのままだ、そのまま前進すれば良い。
お前が撃破すべき目標は此処だ。
さっさと前進し、止めを刺せ。
ミサイルを撃て、その巨体で押し潰せ、確実に撃破する為に距離を詰めろ。
相手はR戦闘機だ、慎重に越した事はない筈だ。
さあ、距離を詰めるが良い。

『早く来い・・・!』

ティアナの思考を代弁するかの様な言葉が、隊員より発せられる。
目標は無限軌道の位置を器用に調節し、中央本体の水平を保ちつつ高速で接近していた。
幅15mはあろうかという無限軌道が側面方向に2つ並んだユニットが通過した跡からは、破壊された壁面の破片が雨の様に降り注いでいる。
本能的に沸き起こる恐怖を堪えつつ、ティアナは機動兵器の目標地点への到達を待った。
しかし。

『・・・そんな!』

機動兵器は、唐突にその進行を止める。
忽ちの内に速度を落とし、遂には完全に停止してしまった。
ティアナの脳裏に、最悪の予想が過ぎる。

『・・・解析された!』

遂に、恐れていた事態が発生してしまった。
目標地点への到達を待たずして、バイドは幻影魔法を解析してしまったのだ。
最悪の事態に舌打ちするテァイナ。
その視線の先、機動兵器の外殻装甲上でミサイル発射機が稼働し、ある地点で停止した。
発射態勢だ。

「逃げてッ!」

叫ぶティアナ。
直後、2発のミサイルが発射された。
一瞬にして超音速を突破し、人間には反応など到底不可能な速度で以って、幻影のR戦闘機とティアナ等へと突進する。
回避の試みを行う暇さえ、僅かなりとも存在しなかった。
そして、2本の鋼鉄の矢が、無慈悲に彼女を襲う。

1発目。
それは幻影を貫き、遥か後方の壁面へと着弾した。
合金製の構造物が吹き飛び、炎と破片が輸送路を埋め尽くす。

2発目。
それはティアナともう1人の隊員へと襲い掛かり、その身が僅かに後退する暇すらも与えずに吹き飛ばした。
常軌を逸した弾速の為か、2人の身体は一瞬にして消し飛び、次いで炸裂する弾頭の炎と衝撃に呑まれて完全に消失する。

幻影と魔導師、双方の撃破を確認した為か、機動兵器は後退を開始した。
無限軌道が不気味な音を周囲へと撒き散らしつつ、これまでとは逆方向へと回転を始める。
そうして、機動兵器が20mほど後退した、その時。

『今よ!』



「ティアナ」の念話が、待機中の隊員たちの間へと走った。



『爆破しろ!』

機動兵器の後方より、上部構造物内で続け様に爆発が発生する。
多種多様な光を放つそれらは、魔力による破壊の証。
上部構造物が次々に崩落し、機動兵器の後方より金属の雪崩となって襲い掛かる。

機動兵器、後退中断。
無限軌道、逆回転。
前進を再開。

崩落は見る見る内に加速し、巨大な金属の怪物を呑み込まんとする。
しかし機動兵器は瞬く間に速度を上げ、崩落を上回る速度で安全圏へと脱した。
左右両壁面へと接した無限軌道が、僅かに回転速度を緩める。
そして400mほど前進し、崩落が収まった、その瞬間。



唐突に、機動兵器は「落下」していた。



壁面という支えを失い、無限軌道の回転が空しく空を切る。
駆動ユニット可動部を最大幅まで展開するも、その金属の爪が本来あるべき合金の壁に触れる事はない。
そればかりか、何時の間にか床面すらも消え失せ、下方には漆黒の闇が巨大な口を開けていた。
大質量の金属が擦れ合う異音を周囲へと響かせながら、鋼鉄の怪物は全てを冥府へと誘う闇の底へと墜ちてゆく。
巨大な全貌が完全に闇の中へと沈んだ、その数秒後。
衝撃が全てを揺るがし、闇の奥より雷鳴の如き音が轟いた。

『目標落着!』
『スバル! ノーヴェ!』
『任せてッ!』

直後、頭上の構造物に開いた巨大な穴より、轟音が連続して響く。
そしてティアナ達の眼前を、無数のタンクやコンテナが落下し、奈落の底へと消えていった。
上層階、物資二次集積所にてスバル達が確保した、ありとあらゆる爆発性の物資だ。

『退避!』

爆発音。
無数に連なり、施設を揺るがす。
開口部より噴火の如き爆炎が噴き上がり、上部構造物を舐め尽くした。
咄嗟に床面へと伏せていたティアナ達であったが、余りの大音響と衝撃に一瞬ながら意識が掻き消える。
それでも何とか身を起こし、背後の巨大な縦穴へと振り返るティアナ。
其処からは未だに業火が吹き出し、宛ら悪夢の如き光景が拡がっていた。
ゆっくりと立ち上がり、噴き上がる炎を見つめる。

『やったか!?』

ノーヴェからの、歓声混じりの念話。
テァイナは答えない。
幻影魔法の複数同時使用によって、臨界点にまで達した「AC-47β」内部のエネルギーを排出する事もなく、クロスミラージュの銃口を炎の壁へと向ける。

衝撃、轟音。
炎が膨れ上がり、次の瞬間には穴の奥底より巨大な影が現れる。
全体を業火に覆われ、にも拘らず未だに健在である機動兵器だ。
どうやら駆動ユニットには、反重力発生機構が組み込まれていたらしい。
電磁投射兵装部の装甲が開き、発射口に光が宿る。
だが、それを目の当たりにしても、ティアナが動揺する事は僅かなりともありはしなかった。
ただ一言、短く念話を発しただけ。

『副隊長』

その瞬間、巨大なハンマーヘッドが、炎の壁を突き破って振り下ろされる。
唯のハンマーヘッドではない。
一方の面には高速にて回転する鋭利な衝角が出現し、残る一方からは、推進機構より魔力が噴射剤として爆発的な勢いで噴き出されている。
グラーフアイゼン・ツェアシュテールングスフォルム。
現状で攻撃隊が有する最も破壊的にして、装甲目標に対し最も有効な攻撃手段。
それが炎の壁を割り、真上から機動兵器へと襲い掛かる。

そして、激突。
周囲に閃光が走り、鼓膜が破れんばかりの衝撃音が空間を震わせた。
衝角の先端は、R戦闘機の攻撃により傷付いた装甲に、僅かながら食い込んでいる。
それは機動兵器の機能に重大な損傷を齎すものではなかったが、しかしその攻撃行動を中断させ、巨体を穴の縁へと叩き付けるだけの威力は十二分にあった。
またも周囲一帯を巨大な衝撃が襲い、施設の全体を揺るがす。
しかし、ティアナはそれを堪え、冷徹に標的へと銃口を向けた。
レーザーサイトの赤い光が、電磁投射兵装発射口の表面へと小さな光点を走らせる。

「ファントムブレイザー」

銃声。
直射弾と見紛わんばかりに圧縮された砲撃が、クロスミラージュの銃口より放たれた。
タイミングをずらし、2発。
砲撃魔法をすら上回らんばかりの弾速を以って、全く同じ箇所に続けて着弾する。
1発目が着弾し、間髪入れずに2発目が着弾。
電磁投射兵装が、大量の火花と僅かな破片を散らして沈黙した。
直後、ティアナは念話を発する。

『今よ!』

幾度目かの振動。
数瞬後、上部構造物の穴の奥から、耳障りな金属摩擦音が響きだす。
機動兵器は再び、反重力発生機構により穴の直上へと浮かび上がっていた。
誘導システムに異常が発生したのかもしれない。
ミサイル発射機が稼働し、その発射口が直接ティアナ等へと向けられる。
だが、彼女はうろたえない。
クロスミラージュの銃口を下げ、醒めた目を機動兵器へと向けるだけだ。
異音が徐々に大きくなる。
そして、遂にミサイルが発射されんとした瞬間。



幅80m、厚さ30mはあろうかというエレベーターユニットが、機動兵器を押し潰していた。



「ッ・・・!」

衝撃、振動、轟音、大量の破片。
襲い来るそれらを身を屈めて耐え抜き、ティアナは10秒ほどその場を動かずにいた。
金属構造物が崩壊する異音は、未だに周囲へと響き続けている。
漸く立ち上がり視線を向けた先では、落下してきたエレベーターユニットによって寸断された機動兵器の一部が、完全に沈黙した状態で火花を散らしていた。

全ては、ティアナの計画通りだったのだ。
幻影が解析された事も、機動兵器が目標地点を前に停止した事も、爆発物による攻撃で目標を破壊できなかった事も。
そのいずれの事態も、彼女の予測を上回るには至らなかった。
ティアナは初めからバイドを二重三重に欺き、着々と罠の中へと誘っていたのだ。

幻影魔法は被使用者による解析に対応する為に、幾つかの対抗手段を持つ。
その中でも最も単純にして効率的な方法が、魔力組成のパターン変更による時間稼ぎだ。
根本的な解決には至らないものの、パターンを変更するだけで、解析に要する時間を大幅に増す事ができる。
今回、ティアナが用いた方法もそれだった。

幻影のR戦闘機を構築し、更に自身等にオプティックハイドを掛け光学的・熱力学的に姿を消し、R戦闘機とは異なるパターンを用いて構築された自身等の幻影を150m前方に配置する。
バイドはR戦闘機の幻影を解析する事に成功したものの、残る一方の解析には至らなかった。
それを為すには時間が圧倒的に不足していた上、早々と攻撃してしまった為に解析自体が行われたか否かも怪しい。
こうして、バイドはティアナの掌の上で踊り続ける傀儡と化した。

後は単純だ。
上部構造物内にて待機していた隊員達の手により崩落が発生、バイドは前方へと追い遣られ、貨物用エレベーターのシャフトへと近付く。
幅80m、長さ140m、厚さ30mのエレベーターユニットは最上層部へと上げられており、床面のシャフト開口部にはやはりティアナ等の幻影と同パターンの幻影魔法による疑似床面が形成されていた。
更に両側面の壁は砲撃魔法により抉られ、本来の輸送路より30mほど横幅を増している。
その抉られた壁面は幻影魔法によって正常な壁面へとカモフラージュされ、其処へと至った機動兵器は機動ユニットが壁面を離れ、シャフト内へと落下するという訳だ。
更には上層部よりスバル等が爆発物を投下し、それでも這い上がってくるであろう機動兵器にヴィータがツェアシュテールングスフォルムを叩き込む。
止めにエレベーターユニットのブレーキを破壊し、大質量物体落下による致命的な攻撃を実行。
機動兵器は床面とエレベーターユニットの間へと挟まれ、既に外殻が酷く損傷していた事もあろうが、結果的に中央部から寸断され機能を停止、撃破へと至った。

常に数手先の状況を想定した上で、作戦を立案したティアナ。
「AC-47β」による魔力増幅、そして並列思考能力の強化があってこそ可能となった荒業ではあったが、しかしそれすらも彼女の計算の内であった事は言うまでもない。
作戦開始後の状況は全て彼女の手の内にあり、ただ一度たりとて其処から脱する事はなかった。

「ティア!」

背後より掛けられる声。
その声の主が誰かを知るティアナは振り返ろうとしたが、その行動よりも早く抱き付かれ振り回される。
目まぐるしく動く視界に酔いそうになりながらも、彼女は上機嫌な相棒へと苦言を呈する事を忘れなかった。

「ッ・・・この、馬鹿スバル! 急に抱き付くんじゃない!」
「やった! やったやったやったぁ! ティア、凄いよティア! 本当にあの化け物をやっつけちゃった!」
「いいから落ち着きなさい、この馬鹿!」

ティアナとスバル、2人がじゃれている間にも、他の隊員達が集まってきては歓声を上げる。
皆が皆、強大なバイド攻撃体を打ち滅ぼしたという実感に酔い痴れ、各々が勝利の歓喜に沸いていた。
ティアナはスバルに振り回されつつも、何処か遠くその光景を見つめていたが、暫くして漸く実感が湧くと、勝利の笑みが表情へと浮かぶ。

「・・・やったんだ」

自身が、他ならぬ自身が立案した作戦が、強大な敵を打倒した。
皆がそれに従い、完全な戦果を齎してくれた。
指揮官として、現状で最大の戦果を導き出す事ができた。
嬉しい。
こんなに嬉しい事はない。

「ティアナさん!」
「やったな、おい!」

思わず感慨に浸るティアナに、セインとノーヴェが走り寄る。
彼女等はスバルと同様にティアナの首に腕を絡めると、喜びもそのままに3人掛かりで彼女を振り回した。
ティアナは幾つか文句を零したが、その表情は笑みを浮かべたままだ。
だがそんな騒ぎも、ヴィータの言葉と負傷者を乗せたカーゴの到着によって収まる事となる。

「早く此処を出ようぜ! ポートを探さねえと!」
「・・・八神二佐、他1名の容体が急変。もう一刻の猶予もないわ」

隊員達が、一様に静まり返った。
カーゴの上には、医療結界に覆われた4名の姿。
内2名には、更に二重の結界が掛けられている。
全体を覆う結界と比較して更に強い光を放つそれは、重傷者の生命活動を強化する為のブースターだ。
それが用いられているという事は、彼等の容体は既に生命維持の限界点にまで近づいていると推測できた。
ティアナは施設構造図を開き、指示を飛ばす。

「エレベーターシャフトを伝って最上層部まで行く。負傷者1名につき2名で運搬に当たって。残りは結界の維持に・・・」
「ティアナ!」

ヴィータの声。
彼女が何を言わんとしているのか、ティアナは尋ねるまでもなく理解した。
耳障りな高音、デバイスを構える隊員達。
クロスミラージュを手に、素早く後方へと振り向く。

「・・・畜生」
「御出座しって訳ね」

攻撃隊より200mほど前方。
2機のR戦闘機が、空中に静止していた。
1機は褐色の機体がフォースの陰より大きく覗いており、残る1機は緑の光を放つ見慣れないフォースを装備している。
両機共にキャノピーはフォースの陰に隠れているが、向こうからはこちらが鮮明に見えているのだろう。
油断なく銃口を両機へと向けつつ、ティアナは最善の行動を思考する。
どう行動するか、どう利用するか、どう排除するか。
既に完成している複数の計画の内より、最適と思われるものを取捨選択してゆく。
そして数秒後、結論は導き出された。

彼等は、こちらの戦闘を観測していた。
ならば、こちらがバイドを打倒し得る戦力を有している事実を、その身で理解した事だろう。
此処からは武力による思想の対立ではなく、相互理解による意思疎通を行うべき局面だ。
即ち交渉、言葉による戦闘の開始である。

クロスミラージュの銃口を下ろし、ティアナは前へと進み出た。
スバルを含む幾人かがそれを止めようとしたが、逆に彼女はそれらを抑えて歩み続ける。
そうして、20mほど前進した地点で足を止め、彼女は口を開いた。
状況を新たな局面へと進行させる、力ある言葉を紡ぐ為に。
そして。



「こちらは、管理局・・・!?」



言葉は、其処で途切れた。

「な・・・!?」

後方より襲い来る衝撃と轟音。
体勢を崩しつつも背後へと目をやったティアナの視界へと飛び込んだ光景は、倒れ伏す隊員達と奇妙な物体だった。

「なに・・・?」

それは半ばより千切れた、元は球体であったのであろう、奇妙な有機体。
その灰色の物体は、1本だけ巨大な触手が伸び、先端のレンズ部をこちらへと向けている。
どうやら先程の衝撃は、レンズより放たれた砲撃によるものであったらしい。
しかし、ティアナの意識を捉えたのは砲撃されたという事実ではなく、その触手の外観そのものだった。

「あれ、は・・・!」

その触手は、はやて等によって撃破された筈のバイド体、あの女性型の上半身にも似た部位を持つ、異形のもの。
それだけではない。
見ればその物体の各所に、先程の機動兵器のミサイル発射機や数珠繋ぎに連なった10基前後の砲、更には巨大な蛇の様な生物を半ばまで呑み込んだ有機質器官までもが存在していた。
それらは各々に蠢き、のたうち、周囲を無差別に攻撃し始める。
ティアナは咄嗟に、エレベーターシャフトの縁へと視線を向けた。
機動兵器の残骸が、無い。
その瞬間、彼女は理解した。



「擬態・・・生物や、兵器に・・・能力まで・・・!」



直後、青い光が視界の中で爆発する。
それが波動砲による砲撃であると理解した時には、ティアナの身体は宙を舞っていた。
視界の端、砲撃を受けた物体が爆発・四散する。
床面へと叩き付けられ、かなりの距離を転がるティアナ。
その動きが停止した時、彼女は身体を動かす事こそできなかったが、意識は保っていた。

口の中に滲む鉄の味と、胃の奥より込み上げる鉄の臭い。
不快だ。
とてつもなく不快だ。
だが、それを吐き出す事ができない。
咳き込めば吐き出す事もできるだろうに、身体はその欲求に従おうとしないのだ。

意識が朦朧とする。
どれだけの時間が経ったのだろう。
1分?
2分?
それとも5分?
10分は経っていないだろう。
靴音が聴こえる。
誰かが自身の傍に歩み寄ってきたようだ。
隊員の誰かか?

『こちらニコルス。デコイ・メーカーを発見した』

くぐもった声、電子的発声。
その声が紡いだ言葉が意識へと飛び込むや否や、ティアナの意識は唐突に覚醒した。
脳裏を占める思考は、唯1つ。



これは「地球軍」だ。



「ぁ・・・つ、あッ!」

反射的に身を起こそうとするも、途端に走った激痛に全身が硬直する。
此処で漸くティアナは、自身がかなりの重傷を負っている事を自覚した。
それでも身を起こそうと試みる彼女の姿をどう捉えたのか、再び音声外部出力装置を通してのくぐもった声が響く。

『意識がある様だ・・・デバイスよりバイド係数検出。射殺許可を』

ティアナは鉛の様に重い瞼を上げ、自身の傍に立つ人物の全貌を視界へと捉えた。
霞む視界に映り込む全貌は、黒い。
全身を漆黒のアーマーに包み、その手にある物体は恐らく質量兵器。
輪郭より推察するに、銃口はこちらへと向けられているのだろう。
先程の言葉通り、射殺するつもりか。
ティアナの脳裏に、恐怖が宿る。
しかし直後、目前の兵士は銃口を下ろし、アーマーの肩部より小さな金属筒を抜き出した。

『・・・了解、確保する』
「う・・・あ・・・ぁ・・・」

その兵士は金属筒の底部を捻り、ティアナの傍らへと膝を突くと、その先端を彼女の首筋へと宛がおうとする。
ティアナは自身の意思に従わない身体を必死に動かして逃れようともがくが、実際には僅かに身動ぎする程度が精々であった。
当然ながら突き出される手より逃れる事など叶わず、冷たい金属の感触が首筋へと生じる。
合金製の床面を削る耳障りな異音、そして聴き慣れた叫び声がティアナの意識へと飛び込んできたのは、その時だった。



「ティアに・・・触るなああぁぁぁッ!」



兵士が金属筒を棄て、質量兵器を構えつつ背後へと振り返る。
その瞬間、彼の身体は宙を舞った。
視界に映る、見慣れた相棒のデバイス、リボルバーナックル。
スバルだ。

「ティア、起きて!」

彼女は拳を振り抜いた体勢から屈み、ティアナの腕を取る。
体を引き起こされると同時に、またも全身を衝撃にも似た痛覚が襲うが、ティアナはスバルに余計な心労を掛けまいと、零れそうになる悲鳴を堪えた。
スバルはティアナの肩の下から腕を回して担ごうと試みたが、唐突に聴覚へと飛び込んだ銃声と同時に振り返る。
そして、悲鳴を上げた。

「ノーヴェ!?」

ティアナからは、何が起こったかを窺い知る事はできない。
頸部を動かす余力も無ければ、身体ごと振り返る事も不可能。
故に、聴覚より状況を察する他なかった。
しかし彼女は既に、十二分に状況を理解している。
銃撃だ。
ノーヴェは地球軍に、質量兵器によって攻撃されたのだ。

「スバル・・・アタシは、良いから・・・逃げ・・・」
「嫌だ!」

俯きがちな視界の中に、青い光が拡がる。
ウイングロード、展開。
背後より響く断続的な銃声が、鼓膜を叩き続けている。

「安全な場所へ! ティアナを移したら、すぐに戻る!」
「馬鹿な事・・・言ってんじゃ、ないわよ・・・すぐに・・・逃げ・・・」
「嫌だ! 置いてくもんか! 置いてなんか・・・」

その瞬間、ティアナは空中へと放り出された。
何が起こったのか、全く理解できない。
ウイングロードの展開されていた3m程の高度から、彼女は金属の床面へと叩き付けられる。
衝突の瞬間、テァイナの意識は漆黒に覆われた。
肩から落下したのだが、痛覚が無い。
余程に酷く打ち付けた為だろうか、遂に感覚すら無くなってしまった様だ。
そして、ティアナは思い至る。
スバルもまた、後方より銃撃されたのだと。

『・・・3名を射殺、鎮圧した。なお、生態兵器と思われる個体を3体確保。内2体は敵対行動に移行した為に破壊、機能停止状態・・・』

あの靴音が、また近付いてくる。
金属音、そして小さな電子音。
やがて地球軍兵士の全貌が、視界へと浮かび上がった。
金属筒を片手に、残る手で油断なく銃口をこちらへと向けている。
そしてティアナの傍へと至ると、彼女の手元に転がるクロスミラージュを蹴り飛ばした。
耳障りな音を立てつつ、2つのデバイスが床面を滑りゆく。
ティアナは最後の力を振り絞って頭部を動かし、クロスミラージュの行方を目で追った。
其々5m程で停止する2つのデバイス。
しかし、その後を追っていたティアナの意識を捉えたのは、全く別の光景だった。

「・・・スバル?」

それは、微動だにせず横たわる親友の姿。
その周囲には紅い光沢が徐々に拡がり、少しばかり離れた位置には彼女のデバイス、リボルバーナックル、そしてマッハキャリバーの一方が転がっている。
だがそれは、デバイスだけが転がっているのではなかった。



「え・・・?」



無骨な手甲の装着部から、白い肌が覗いている。
同性の自身ですら羨む程の、純白の肌が。
常ならば健康的な白さを誇っている筈のそれは、飛沫の様に噴き掛かった真紅の斑点によって汚されている。
ローラーブレードも同様で、履き口からは引き締まった脚が伸び、膝上の辺りで唐突に途絶えていた。
こちらは全体が更に赤く塗れ、不気味な痙攣を続けている。
そして、スバルは。

「嫌・・・」

スバルはこちらへと背を向けたまま、微動だにしない。
その右腕は肘の先で途切れており、右足に至っては大腿部の先が無く、其々の断面より大量の血液が吹き出していた。
傍らには1人の兵士が立ち、大型の散弾銃と思しき質量兵器を手に警戒を行っている。

「嫌ぁ・・・!」

ティアナは必死に、まるでスバルを引き寄せようとするかの様に手を伸ばした。
無論の事ながら、届く筈もない。
だが今のティアナには、理性的な判断をする余裕など無かった。

親友が、目の前で死に掛けている。
自分の所為だ。
自分を助けようとしたから、彼女は死に掛けているのだ。
助けねば。
絶対に助けねば。

「ぎ・・・あ、が・・・ッ」

ティアナの指が床面を引っ掻き、少しでも身体を移動せんと奮闘する。
しかし無情にも、彼女の全身は僅かなりともその場から動きはしない。

そして、漆黒のグローブに覆われた手が、ティアナの頭部を押さえ付けた。
触れられた箇所を襲う異様な感触は、何らかの人工素材による分厚いグローブだ。
その手は頭部を固定し、首筋を露わにさせる。
先程と同じく、金属筒が押し付けられる冷たい感触。
ティアナは恐怖と絶望、そして無限とも思える敵意と憎悪を以って、頭部を固定するグローブの持ち主を睨んだ。
憤怒か、屈辱か、諦観か。
いずれとも付かぬ感情が溢れ、熱い雫となって瞼の内より零れ出す。
頬を伝うそれを拭う事もできない己が身体に、ティアナはより絶望を深めるだけ。
それでも、最後の抵抗を試みる。
無意味な行動だとは知りつつも、それをせずにはいられなかった。
視線をずらし、何時の間にか輸送路に展開している地球軍兵士達、その更に奥の空間に浮かぶ、白色と褐色の機体を視界へと捉える。
碌に動かず震える指を動かし、拳を形作ると中指を立て、狂い猛る意思に反して震える声で以って言い放った。

「くた・・・ばれ・・・!」

首筋で起こった小さな電子音と共に、ティアナの意識は闇へと沈む。
最後に意識へと飛び込んだ音声は、変わらず無機質な響きを保っていた。



『デコイ・メーカー、確保』

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最終更新:2015年10月26日 07:34