時空管理局本局、20番ドック。
XV級次元航行艦クラウディアの艦長室にて、クロノは複数のウィンドウを展開し、表示される情報に随時視線を走らせる。

新暦54年、L級次元航行艦エスティア撃沈時の映像解析資料。
戦略魔導砲アルカンシェル発射時に於ける、空間歪曲及び反応消滅発生理論。
先の戦闘に於いて確認された各種不明機体情報及び、回収された残骸の解析経過報告。
クラナガンを襲った人型兵器の残骸及び、「乾燥した」パイロットの死体、もしくは「無人」のコックピットを写した記録映像。
魔獣によって喰い千切られたかの如き凄絶な跡を残し、広範囲に亘り文字通りに消滅した本局構造体の解析結果。
クラナガン西南西20kmの地点に穿たれた、直径30m、深さ40kmにも達する「穴」に対する調査活動の中継映像。
大型機動兵器の残骸、ゆりかご及び他の次元航行艦に対する画像解析結果。

それらのウィンドウを見据えるクロノの表情からは、一切の感情というものが抜け落ちていた。
人形の様に無機質。
機械の様に冷徹。
彼を良く知る者ならば、すぐに気付いた事だろう。

クロノ・ハラオウンは今、脳髄を焦がさんばかりの憤怒に支配されているのだと。
感情の爆発ではなく、魂すら凍て付いたかとすら思わせる冷徹さこそが、クロノという人間の怒りを表現する手段であった。

『秘話回線5517、接続を申請』
「許可する」

新たにウィンドウが展開、プログラムがクロノ宛ての入電を告げる。
回線の接続を許可すると、ウィンドウに相手の顔が表示される事はなく、音声のみでの通信が開始された。

『ハラオウン提督、私だ』

男性の声。
些か慇懃無礼な印象を受けるが、クロノは気にも留めずに声を返す。

「結果は?」
『単刀直入に言う。君の懸念は正しかった』

沈黙。
クロノはウィンドウの1つ、アルカンシェルに関する論文を見やる。
ややあって、彼は言葉の先を促した。

「具体的には?」
『弾体炸裂時の反応消滅だが・・・こいつは机上の空論も良いところだ。空間歪曲による範囲限定型高密度次元震の人為的発生により対象を分子レベルで破壊する、との事だったが』

更に展開される複数のウィンドウ。
其処にはアルカンシェル発射時に於ける魔力量の変動値、弾体魔力素の拡散経路、空間歪曲時の魔力輻射範囲等が表示されている。

『・・・とてもではないが、広域破壊を伴う次元震の誘発には魔力が足りない。次元航行艦搭載型の魔力炉程度では、精々が大規模転送止まりだ』
「転送?」

思いもよらぬ言葉を聞いた、とばかりに眉を顰めるクロノ。
通信の相手は、特に感慨も無いかの様に言葉を続けた。

『そうだ。過去、アルカンシェルの炸裂点はいずれも、大規模反応消滅によって空間ごと抉り取られ崩壊した、と考えられていた訳だが』

一旦言葉を区切り、深く息を吐いて続ける。

『実際には、転送によって何処とも知れぬ空間へと吹き飛ばされていた、という事だ』
「・・・何処だ、その空間とは」
『正確には解らない。だが、予想は付く』
「・・・虚数空間か」

苦々しく呟くクロノ。
その声に応えるかの様に、通信の向こうからも疲れた様な声が発せられた。

『ご明察。プレシア・テスタロッサの時と同じだ。但しこちらは、正しく数秒の内に其処へと放り込まれる事となるが』
「物理破壊を伴わない戦略魔導兵器か。とんだ欠陥品だった訳だ」
『そうでもない。少なくとも今までは、それで問題は無かった。一切の魔力素が無効化される虚数空間に放り込まれれば、例えSSSランクの魔導師だろうが、真竜クラスの生命体だろうが、戦略魔導兵器を搭載した次元航行艦だろうが関係ない。
例外なく無力化され、いずれは朽ち果てる』
「闇の書は? 新暦だけに限っても、4回はアルカンシェルの砲撃を受けている。だが、あれは転生を果たしているぞ」
『恐らく虚数空間を感知した時点で、転生機能が発動していたのだろう。間違いではない。虚数空間への沈降は、例えロストロギアであろうと死以外の何物でもないだろうからな』
「しかし例外があった」

溜息。
疲労を吐き出さんとするかの様なそれが、通信独特のエコーを伴って艦長室に響き渡る。
やがて発せられた声は、何処か諦観の滲んだものだった。

『・・・例外というよりも、規格外だな。虚数空間を自在に航行し、尚且つ通常次元世界への転移を任意に行える存在。そんなものは「アルハザード」の遺産でもなければ有り得ない筈だったが・・・』
「よりにもよって一切の魔法技術体系を用いずに、次元間航行を実現した技術体系が存在した。成程、初めから魔力など用いてはいないのなら、虚数空間も通常次元世界も関係ない、か」
『そして彼等が普遍的に虚数空間を活動圏としていたというのならば・・・空間歪曲兵器が実用化されてからの400年余り、次元世界は彼等の許に「不法投棄」を繰り返してきたという事になる。
それが彼等にとって災厄か、それとも望外の幸運だったのかは解らないが』
「幸運だと?」

場違いな言葉に、クロノの声に険が混じる。
しかしそれとは逆に、通信の相手は何処か楽しげなものへと声を変えた。

『おや、違うのかね? 管理局としては、その方が都合が良い筈だが』

クロノは押し黙る。
その言葉は的確に、管理局の真意を突いていた。
だからこそ、迂闊な事は言えない。
しかしそんなクロノの心情を量る事もなく、或いは意図して無視しているのか、男性の声は嘲笑の感すら含みつつ紡がれ続ける。

『彼等の技術体系がロストロギアを基に発展したものであれば、それがいずれ来る強制執行の理由付けとなる・・・第97管理外世界を、管理世界の総意を以って統治下に置く為のね』

沈黙。
言葉は続く。
『管理局にとって、第97管理外世界は取るに足らない世界であると同時に、常に警戒せざるを得ない世界だった。
氾濫する質量兵器、単一世界とは思えぬ程の人口、多宗教・多民族・国家間に亘り継続される壮絶な内戦・・・管理世界は常に、ある種の強迫観念に取り付かれている』
「・・・強迫観念、だと?」
『惚ける必要はない。ミッドチルダに程近い世界では、誰でも知っている事だ』

男性の言葉によって抉られる、管理局とその管理世界に付き纏うとある懸念。
クロノ自身もその可能性を危惧しつつ、しかし同時に、決して現実になる事はないと確信していた事柄。
なって欲しくはないと、無意識下に目を瞑っていた可能性。

『いずれ独自に次元世界への進出を果たすであろう第97管理外世界によって、再び質量兵器による戦火が立ち上るのではないか。
純科学技術体系の異常進化の果てに、魔法技術体系によって成り立つ管理世界の安寧を脅かすのではないか。この50年余り、管理局は常にその可能性を恐れていたのだろう?』

返す声は無い。
クロノは無言のまま、消滅した第14支局にて解析されていた不明機体「R-9A ARROW-HEAD」の画像、同ウィンドウ内に表示された「PROJECT R-TYPE」の文字を見つめる。
異常な技術、異常な力。
管理世界の理解を越える存在に、そして過去より帰還せし艦に刻まれた、管理外世界の言語。
通信の声は止まらない。

『君とて気付いている筈だ。あの世界の「異常性」に。その秘められし「危険性」に』

沈黙。
クロノは静かに瞼を下ろす。

『文明レベル「9」、ミッドチルダと同レベル。珍しい事じゃない。管理世界に於ける先進文明は大概がそうである上に、これからもその数は増え続けるだろう。
だが発展の下地、基礎技術体系の先駆けとなる先天的魔力制御因子保有種すら存在しない世界がそのレベルに達するなど、管理世界広しといえども存在し得ない・・・その、筈だった』

軽く握られる拳。

『ところが、第97管理外世界・・・所謂「地球」は、それを成し遂げた。一部の極稀な例を除けば、魔力制御因子を身に着けた訳ではない。管理世界から技術が持ち込まれた訳でもない。
独自に発展させた、科学技術のみによって』

新たに展開されたウィンドウに、1人の人物が映し出される。

『そして何より異端なのは、その異常極まる進化の速度だ。この約百年間に於ける、急激な科学技術の発展。
次元世界が魔法技術体系を礎として数百年の時を費やし発展させ、以来千数百年に亘り保持してきた・・・悪く言えば停滞期へと至ったそれと同等のものを、彼等は独力で、しかも僅か百年余りの内に創り上げた』

ウィンドウの表記に光る、取調室の文字。

『技術だけではない。同時に文化も、それに見合うものへと変貌を遂げている。まあ、これは取り立てて見るべきものでもないだろう。
文化的衝突の相手には事欠かなかった訳であるし、決定的な破滅を回避せんとするならば、たとえ建前上ではあっても相互理解と統合的な文化の進歩は不可欠だ』

握られた拳へと、更に力が篭められる。
『そして何より進化が顕著であるのは、彼等の軍事技術だろう。ミッドチルダと然程変わらぬ狭い世界で、あれだけの武力衝突を重ねれば否が応にも技術は進化するだろうが、それを考慮に入れても異常としか言い様がない。
金属薬莢の開発から200年足らずだ・・・たった200年。それだけの時間で彼等は、自らの世界を完膚なきまでに破壊し尽くす程の力を手に入れた。かつてのミッドチルダ、そしてベルカが、800年もの時を費やして完成させた力をだ』

クラナガンの惨状を映し出すウィンドウに表示された犠牲者数、その5桁目に当たる数字が更に2つ数を増す。

『今回の一件で、我々はその行き着く先を垣間見た。これから「地球」が辿り得る、可能性のひとつを。そして管理世界の武力が、彼等の力を前に如何に無力な存在へと成り下がるのかを。
あの不明機体群といい、ゆりかごを支配下に置いている勢力といい、我々の思想では到底、理解出来ぬ存在だよ』

接続中との文字のみが、変わらず表示されたままのウィンドウ。

『あのガジェットを見ただろう、ハラオウン提督。2年前のあれは、暴力の徒ではあっても殺戮の尖兵ではなかった。武装ひとつ取っても、その運用及び設計思想は、管理世界のそれからは掛け離れたものだ。
私は自身が一般的な思考の持ち主とは考えていないが、それでもあれの創造者よりは幾分管理世界寄りだと思える。あれは「勝利」を目的としてはいない。只々、対象の「殲滅」のみをその存在意義としている。
どちらかといえば先史時代・・・古代ベルカが次元世界を席巻していた頃の兵器に近いな。尤も、ゆりかご内部にあったガジェットの原型でさえ、あれ程までに徹底した殲滅機構を備えてはいなかったが。
突き詰めて考えれば、ゆりかごを現代に蘇らせたところで、端から我々の手に負えるものではなかったという事かな』

その言葉に、クロノはゆっくりと瞼を見開き、射竦める様な声で以って言葉を発した。



「・・・貴様がそれを言うか、「ジェイル・スカリエッティ」。あれを蘇らせた貴様が」



返されるは、此方もまた重圧を滲ませる声。

『そうとも、クロノ・ハラオウン提督。ゆりかごを蘇らせたのは、他ならぬ私だ。だからこそ、私はあれを良く知っている。ゆりかごに虚数空間を航行する能力は無い。
その様な機能は備わってはいないし、第一に古代ベルカがそんな超高度技術を開発したという事実すら確認されてはいない』

其処で、男性・・・ジェイル・スカリエッティは一旦言葉を区切り、更に続けた。

『無論、ゆりかごが「2隻」存在したなどという記録も無い』
クロノが更に眉を顰め、新たに2つのウィンドウを展開する。
其々に映し出されるは、クラナガン上空に浮かぶ濃紺青の艦体と無数の次元航行艦、そして本局及び不明機体群に対し自爆型ガジェットによる無差別攻撃を仕掛ける、同じく濃紺青の巨艦と艦隊。
それだけならば、問題が無い訳ではないが、未だ理解の範疇だ。
しかし、双方の映像には、決して有り得ない筈の共通点があった。
あってはならない表示。
誰もが機器の故障を疑ったが、結果的には最も非情な現実が露呈しただけだった。



クラナガンとゆりかごの映るウィンドウ、時刻表示「77.10.27 14:43」。
本局外殻装甲記録映像、時刻表示「77.10.27 14:43」。
2つの記録映像は、全く同じ時を刻んでいた。



「模造品、か」
『どちらがコピーなのか、或いは2隻ともコピーなのか・・・それは分からない。
ひとつだけ確実なのは、彼等がゆりかごを造り上げるだけの、そして虚数空間航行能力を付加するだけの技術力を持ち、管理局のみならず、恐らくは未来の第97管理外世界をも敵対的に認識しているという事だけだ』
「彼等は地球の人間ではないと?」
『少なくとも正気を保った人間ではあるまいよ。自軍の機動兵器に死後数ヶ月が経過した死体を載せ、或いは無人のままに戦場へと送り出す。有人兵器をだよ? にも拘らず、あれらは管理局と不明機体群を相手取り互角に戦線を展開した。
非常用の無人制御システムが、独自に機体を操ってね。AIユニット内部に付着していたゲル状物質が機体制御に干渉していた可能性が浮上してはいるが、詳細については検証中だ。
だが、機体そのものは第97管理外世界のものであるとみて間違いあるまい。
機体各部及び内部機構の表示、その全てにあの世界の言語が用いられていた。あの人型兵器と大型機動兵器は、第97管理外世界にて製造された兵器だよ』
「それでも確定ではないと?」
『闇の書の件を忘れたかね? エスティアだけではない。あのロストロギアは過去に於いて、幾度となく現地文明のシステムを侵蝕している。例え「外殻」がとある文明の産物であるとして、「中身」までもが同郷の徒であるとは限らない』

クロノの脳裏に、掠れて消え掛けた光景が過ぎる。
父の記憶。
幼い自分を肩に乗せ、クラナガンの公園を散策した、夢か現かも判然としないそれ。
振り払う様に、言葉を紡ぐ。

「・・・エスティアは地球に管理されていた形跡がある」
『不明機体は、そのエスティアを追っていた。其処で君の艦と鉢合わせ、交戦の末に拿捕された訳だ。だが恐らく、その一部始終は地球側に観測されていた』
「その結果がこれか」
『君は管理局艦艇を撃沈した所属不明機を調査しようとしただけだろう。しかし考えてもみたまえ。クラナガンと本局を襲った勢力は、ゆりかごや古代ベルカ及びミッドチルダの艦艇、果ては管理局艦艇までをも支配下に置いている。
アルカンシェルにより虚数空間へと消えたエスティアが、どういった経緯で地球によって管理されるに至ったのかは不明だが、その後にあの勢力によって更に拿捕されたのだとしたら? 有人兵器を無人で運用する様な連中だ。有り得ない話ではない。
不明機体は拿捕されたエスティアを追撃中にクラウディアと遭遇し、管理局への敵対と判断した同艦によって拿捕された』
「クラウディアの行動は、エスティアを運用していた勢力に対する加勢と捉えられた」
『そしてエスティアを支配下に置いていた勢力が、闇の書の様に他の存在を侵蝕し制御下に置く、文明にとって天敵ともいえる異質な存在なのだとすれば・・・』

スカリエッティが、言葉を区切る。
一拍の間を置き、クロノは続く言葉を発した。
最悪にして、恐らくは最適の考察を。



「クラウディア・・・延いては時空管理局、及びミッドチルダは・・・「汚染体」と判断された、という事か」



恐らくは、との返答を耳にしつつ、クロノは天井を仰ぐ。
管理局は既に、不明機体との遭遇に際しての彼の対応を、的確なものとして判断していた。
しかし当人にしてみれば、自らが一連の戦闘の引き金を引いたとの認識が消える訳ではない。
それを責める者は居らず、またこれからも表立って現れる事は無いであろうが、それでもその認識は影の様に付き纏う。

不明機体が明らかに攻撃態勢を取っていた事、エスティアが通常の状態でなかった可能性があったなどと知る由も無かった事から、クロノの取った行動はあの時点に於いて最適であったとしか言い様がない。
不明機体のパイロットに対する事情聴取が為されれば、また別の可能性も浮上したかもしれないが、当の人物は隠し持っていたナノマシン型の毒物により自殺してしまった。
彼が何を目的としてエスティアを撃沈したのか、何を根拠にクラウディアを敵対勢力と断じたのか、それらを知る術は永遠に失われたのだ。
恐らく彼は、自身に対する精神干渉を疑ったのだろう。
情報漏洩を避ける為、自ら命を絶ったと考えられる。

現在、本局内に拘留されている7名のパイロット達は、クラナガンでの拘束直後に毒物を押収されていた。
情報を入手する為に、彼等の自殺を未然に防ぐ必要があったのだ。
無論、彼等が大人しく情報を明け渡すと考える者は、1人として存在しなかった。
時を置かずしてヴェロッサ・アコース査察官の派遣が決定され、希少技能「思考捜査」による脳内情報の奪取が実行されたのが昨日。
結果は、誰もが予期しなかったものとなった。

アコース査察官の昏倒。
パイロットの1人が軟禁された部屋の隣室から思考捜査を実行した彼は、魔力による侵入経路を逆探知され、意図して転送された膨大な情報の流入によるオーバーフローを起こしたのだ。
すぐさま彼は医療班に引き渡されたものの、今に至るまで意識を取り戻してはいない。
並列思考をすら可能とする魔導師の脳を圧倒する、電子的・機械的強化を施された不明機体パイロットの脳。
挙句、侵入を図る魔力経路を電子的情報処理技能によって辿り、侵入者の脳に対する破壊工作を実行するその異常性。
最早、搦め手は通用しない。

『まあ、これは単なる憶測に過ぎない。何にせよ、管理局が新たに拿捕したパイロット達が貴重な情報源となるだろう。君達にそれを引き出す能力があるか否かは分からないが』
「極秘とはいえ、司法取引に応じた貴様が言う台詞ではないな、ジェイル・スカリエッティ。現状に不満を持つのは贅沢というものだ」
『確かについ3日前まで、与えられた研究内容はつまらないものばかりだったがね。だがこれは・・・これは、実にエキサイティングだよ、ハラオウン提督』
「何だと?」
『生命操作技術の完成・・・私はその為にゆりかごを欲した。かの船の武力を背景に、何者にも束縛されぬ空間を得る為にだ。ところが、何処とも知れぬ空間より現れた闖入者達は、既にその域へと到達した技術を持っていた。
兵器としての利用ではあるが、「完璧な生命」の創造を成し遂げていたんだ』
「待て・・・「完璧な生命」だと? 何の事だ?」

思わず、スカリエッティの言葉を制止するクロノ。
唐突に現れた「完璧な生命」との言葉に、彼は思い当たる節が無かった。
通信越しのスカリエッティは暫し沈黙し、ややあって納得した様に言葉を紡ぎ出す。

『そういえばまだ言っていなかったかな・・・不明機体が備えていた球状兵装、あれを覚えているかね?』
「・・・ああ」

スカリエッティの問いに、短く答えを返す
忘れる訳がない。
クラウディア艦橋を襲い、クルーに重傷を負わせ、内1名の命を奪った、あの球状兵装。
禍々しいオレンジの光を放つそれが、瞼を下ろす度にクロノの脳裏へと浮かび上がる。
しかし続くスカリエッティの言葉に、徐々に湧き起こる怒りが一転、驚愕へと取って代わられた。



『あれは只の高エネルギー収束体などではない。我々の理解を超えた、既存のあらゆる生命の頂点に立つ存在。正しく「完成された生命体」だよ』



凍り付く思考。
クロノのそれは、あの球体が生命体であるなどと、容易に受け入れる事ができるほど柔軟ではなかった。
否、恐らくは大多数の人間がそうであろう。
光学兵器を放ち、次元航行艦の外殻装甲を破壊し尽くし、艦橋を押し潰した球状兵装。
果たしてそれが生命体であるなどと、どれ程の人間が受け入れられるものだろう。
そんなクロノを余所に、スカリエッティの興奮した声は続く。

『あらゆるエネルギー、あらゆる物理的存在を喰らい、同時に外部より向けられたエネルギーを選択的に触媒し増幅させ、自らは一切の変化なく存在し続ける・・・これを完璧と云わずして何と呼ぶ? あれこそが、私が目指した先に存在する技術の結晶。
あらゆる禁忌を用い、あらゆる倫理を無視し、あらゆる生命の尊厳を踏み躙り突き進んだ先にしか存在し得ない、生命操作技術の極致。それを用いて創造された最上位の生命体、正しく絶対生物。敢えて呼称するならば、そう・・・』

恍惚とした感すら滲ませる、スカリエッティの声。
クロノは割り入る言葉を持たず、只々耳を傾けるばかり。
そして2年前と変わらず、その身に狂気を秘めし科学者は、迷う事なくその名を口にした。



『「人工の生ける悪魔」』

複数のウィンドウが閉じられ、入れ替わりに新たなウィンドウが展開される。
映し出される人影は、紺青の髪に白衣を纏った男性。
広域次元犯罪者にして、時空管理局第5支局ラボ主任、ジェイル・スカリエッティ。
何処か歪んだ笑顔に慈愛の色すら浮かべながら、彼は楽しげに言葉を紡ぐ。
哀れむ様に、しかし同時に、祝福する様に。

『何も問題は無い、ハラオウン提督。あれは管理局にとっても、正しく宝だ。全て解決してみせよう。アルカンシェルも、魔導師と彼等の戦力差も、AMFへの対抗手段も。私に任せてくれるならば、全てを・・・尤も』

彼は、悪魔の誘惑を発する。

『間に合うのならば、の話だがね』

スカリエッティの後方、魔力障壁と強化ガラスの向こうに、第14支局跡より回収されたオレンジの光を放つ球体が、禍々しく胎動を繰り返していた



取調室へと入室するや否や、八神 はやては違和感を抱いた。
不明機体パイロット、黒髪の男性は、ミッドチルダの雑誌を読んでいたのだ。
彼がそれを希望し、数刻後に差し入れられた物だとは聞き及んではいたが、それでも違和感は拭えなかった。
男性はモーター誌の頁を捲り、その誌面に目を走らせている。

念話を用い、ウィンドウ越しに室内の様子を窺っている面々に、異常が無い事を確認。
聴取の様子は、リンディ・ハラオウン総務統括官を始めとした、複数の人物へと中継されていた。
その理由は言うまでもなく、不明機体の1機が用いた砲撃、戦域へと映し出された幻影だ。

「・・・気に入ったものはありましたか?」

差し当たって、はやては取り留めの無い話題から入る事にした。
地球とミッドチルダに共通する話題のひとつ、彼の読む雑誌に載せられた車についてだ。
男性はちらと視線を上げると、特に感情を浮かべる事なく答えを返す。

「ああ」
「どれです?」
「・・・このオフロードタイプかな。俺の車に似ているんだ」

それだけ言うと、男性は雑誌を机の上へと置いた。
はやても表情を引き締め、名乗り始める。

「私が貴方の聴取を担当する、八神 はやて二等陸佐です。貴方は時空管理局に対し・・・」
「失礼、ヤガミ陸佐。その内容はもう何度も聞かされている。本題に入っては如何だろうか?」

割り入った男性の声に、はやては罪状を読み上げる声を止めた。
改めて男性の様子を窺い見れば、彼は組んだ手を脚の上に置き、何処かしら醒めた目で彼女を見据えている。
下手な搦め手は無用だと判じたはやては、男性から机を挟んで対面の椅子へと座し、単刀直入に用件を切り出した。

「前置きは必要ない様ですね。貴方がたの所属は? 都市、そしてこの艦を襲った理由は?」

意外にも、答えは間を置かずに返される。
「国連宇宙軍・第17異層次元航行艦隊所属、669攻撃隊。同艦隊所属、363部隊機が敵性体追撃中に所属不明艦艇により撃墜・拿捕された件を受け、司令部より都市及び大型艦艇に対する制圧任務が下され、我々は都市に対する軌道降下・強襲を実行した」
「地球の軍事組織なのですね?」
「そうだ」
「現在の西暦は?」
「2174年」
「敵性体とは?」
「363部隊機が追撃していた、所属不明艦艇だ。あれは貴女がたの保有艦艇だったらしいが、既に「汚染」されていた」
「・・・「汚染」?」

思わぬ言葉を聞いたとばかりに、自身もその音を繰り返すはやて。
しかし男性は、それについて語る事は無いとばかりに押し黙ったままだ。
それを察したはやては、すぐさま別の質問に移る。

「・・・大型砲台に対する砲撃の後、積極的攻勢に入らなかった理由は?」
「作戦目標は都市の無力化だった。あれ意外には、明確に兵器と判断できる目標はなかったからだ。何より「人間」が居るとは思わなかった・・・その人間が生身で空を飛び、高エネルギー砲撃を放つとは、更に予想外だったが」

流石にその言葉には内心、苦笑を浮かべざるを得ない。
彼等の驚愕、そして警戒も無理からぬ事だ。
はやてとて魔法の存在を知らずに魔導師を前にすれば、それは自身にとって脅威以外の何物でもない存在として映るだろう。

その後も、互いに表立って敵意を見せる事もなく、聴取は実に順調に進んだ。
そして管理局によって有益な、しかし同時に多数の謎を秘めた情報が引き出されてゆく。

不明機体が「汚染」されたエスティアを追い、その結果クラウディアにより撃墜された事。
一連の経緯は国連宇宙軍艦隊によって観測されており、彼等はクラウディアを追跡、本局及びミッドチルダを発見した事。
ミッドチルダに対しては、アインヘリアルの迎撃能力を警戒し、偵察活動を最小限に留めた事。
なのはと彼等の交渉中に戦域へと突入し、クラナガンに対する無差別攻撃を実行した勢力こそが「汚染体」であり、あれらの兵器群はいずれも「地球製」である事。
クラナガンに多大なる被害を齎した大型機動兵器は「モリッツG」とのコードネームを持つ、旧式の対汚染生態系局地殲滅兵器である事。
「モリッツG」は2164年の時点に於いて、「汚染」により軍の手によって破壊されている事。
独自の判断により司令部からの命令を放棄し、管理局部隊との共闘を開始した事。
ゆりかごを中心とした艦隊もまた「汚染体」である事。
彼等を撃退した戦略級大規模砲撃が、他の攻撃隊によるものである事。

そうして2時間程が経過した頃、はやては一息入れるべく通信を繋いだ。
念話は使用しない。
口頭で会話を行う事で、対象の警戒感を削ぐのだ。

「少し休憩しましょう。何か飲み物のリクエストは?」
「・・・貴女は日本人・・・で良いのか? ゲータレードは分かるかな」
「ああ、似た様なものはあります。ご安心を。軽食は如何です?」
「結構だ。3時間前にBLTサンドの差し入れがあった。中々に美味かったよ」
「それは光栄ですね。此処でも人気の店が誇る一品なんですよ」
「ああ、ベーコンの焼き加減が最高だった。尤も、一番美味いBLTサンドは、マディソン・スクエア・ガーデンの店で出すやつだが」
男性の口数が増している。
良い傾向だ。
はやては、より男性の警戒心を削ぐべく、会話を重ねようとする。

「そうなんですか? いずれ私も口にしてみたいですね。こう見えても、料理には五月蝿い性質なので」
「ああ、そいつは無理だ」

しかし、男性から返された言葉は、はやての想像を超えるものだった。



「ニューヨークは、とっくに消し飛んじまったからな」



それきり、再び沈黙する男性。
暫し呆然としていたはやてもまた、スポーツドリンクとアイスティーを持って来るよう指示すると、言葉も無く男性の観察を始めた。
そして、数分後。
ドアが開き、2人分の飲み物を手にした人影が入室する。
はやては特に反応を返さなかったが、男性はその人影を捉えるや僅かに目を見開き、驚愕をその表情へと浮かべた。
スポーツドリンクとアイスティーが机の上へと置かれ、人影は居心地が悪そうにはやての後方へと控える。
やがて、はやてが真剣な口調で言葉を発した。

「私的な事ですが、私は貴方に感謝しています。貴方は彼女達を助けてくれた。この2人・・・私の家族を」

その言葉とほぼ同時、人影の背後から小さな影が現れる。
本当に小さな、玩具の人形の様な影。

「紹介します。ヴィータ三等空尉、そしてリインフォースⅡ空曹長です」
「・・・ヴィータだ」
「リインフォースⅡです。リィンとお呼び下さいね」

はやてが2人の名前を告げた後、ヴィータは何処となく気後れするかの様に、リィンは微笑みつつ挨拶をする。
男性はすぐに平静を取り戻したらしく、まじまじと2人を眺めていた。
はやては畳み掛ける様に言葉を重ねる。

「貴方が2人を助けて下さった経緯は聞き及んでいます。既に実質的な共闘態勢にあったとはいえ、貴方は2人を信用してくれた・・・有り難う」

そう言うと、男性に向かい頭を下げるはやて。
特に反応を返さない彼に向かって、ヴィータとリィンが口を開く。

「アタシも・・・アタシからも礼を言わせてくれ。アンタはアタシとリィンと・・・アタシの友達を救ってくれた。その・・・礼を、言う」
「あの時・・・私達の言葉を信じてくれましたよね。ヴィータちゃんが、化け物の所まで連れて行けって言った時・・・無視する事もできたのに、私達を乗せて行ってくれました・・・嬉しかったんです。私達を信じてくれた事が、本当に・・・貴方に、感謝を」

2人が感謝の言葉を伝え終えると、はやては頭を上げて男性の目を真っ直ぐに捉え、言葉を発した。
それは捜査官として培った打算と、しかし同時に、それを呑み込まんばかりに心底より沸き起こる切望の声。
情報を得んとする管理局捜査員としてではなく、八神 はやてとしての願いだった。
冷徹なる判断力と真実を見抜く力が必要とされる捜査官としての活動の中に於いて、異端ながら無数の心を動かし希望へと繋げる事のできる、はやてとその友人達、彼女の元上司や部下達にも宿る熱い想い。
彼女は真っ向から、それをぶつけた。
「私達は不幸な誤解から、戦端を交えるまでに至りました。しかし、やり直す事はできる筈。貴方がたのいう「汚染体」は、私達にとっても脅威なのです。貴方がたが都市上空で目にした大型艦は、2年前に撃沈された筈のものです。
名を「聖王のゆりかご」。遥か古代の船であり、次元世界に多大なる被害を齎した災いの船。とある事件により復活し、貴方がたが降下した惑星を含む複数の世界を危機に陥れた、危険な兵器です。
私も、この2人も、事件の当事者でした。あれの危険性は、良く知っているつもりです」

流れる様に紡がれるはやての言葉を、男性は沈黙を保ったままに聞き続けている。
その目はヴィータとリィンに向けられたままだが、はやての声を無視している訳ではないだろう。

「次元世界に対する貴方がたの認識が何処まで進んでいるのかは存じませんが、あれは多次元に対する脅威そのもの、人の手には余る代物なのです。貴方がたのいう「汚染体」について、私達の知るところは余りに少ない。
しかしそれが、全ての次元に於いて最も危険な存在を取り込んだ事は明白です・・・お解かり戴けましたか? 貴方がたの地球は、今まさに危機的状態にある。ゆりかごの力は、解っているだけでも破滅的なものです。
時代は違えど、私も地球の人間。1人の地球人として、故郷の未来を守りたい。話しては戴けませんか。「汚染体」とは何なのか、如何なる存在なのか。時空管理局は、次元世界への進出を果たした全ての世界を等しく歓迎します。
無論、その世界に対する援助も。今回の様な件ならば尚更です。貴方がたは次元世界に進出して間も無く、この災厄に見舞われたのでしょう。時空管理局は、助力を惜しみません」

穏やかに、しかし毅然と、はやては語り掛ける。
男性は彼女へと向き直り、その目を見つめた。
伝わっている。
自身の言葉は、その想いは、確かに伝わっている。
確信を得て、彼女は更に言葉を続けた。

「私達は貴方がたに、この世界についての理解を深めて欲しいのです。次元の海は広い。新たに次元世界への進出に成功した地球に対して、私達は出来得る限りの知識と技術の提供を・・・」
「其は奇跡なり」

唐突に発せられた声。
それが紡いだ一文に、はやての言葉が止まった。
その唇は次の言葉を発する直前のままに凍り付き、見開かれた目は微動だにせず男性を視界へと捉え続ける。

「勇猛なる古き騎士、正義に殉じし戦士、災いに消えし幾多なる生命。虚空の果てに消えし者共、虚空の果てより蘇り、主なき船を道標とし、我らが前へと凱旋す」

紡がれる詩。
ヴィータとリィンが息を呑む気配が、はやての知覚へと伝わる。

「率いたるは我らが王、真に蘇りし翼を駆りて、我らが前へと現れる・・・番となりて現れる」

念話を通じ、聴取の様子を窺っていたなのはやフェイト、リンディやレティ提督、その他にも複数の人物からの警戒を促す言葉が、僅かな動揺を孕みつつはやての脳裏へと飛び込んだ。
驚愕を隠し切れない彼女の目を覗き込みつつ、男性は感情の窺えない声を発する。

「・・・口上が止まったな、ヤガミ陸佐?」

混乱するはやてを嘲笑うでもなく、男性は無表情に彼女を見据え続ける。
それでも然程に間を置かず状況を理解したはやては、先程とは打って変わり厳しい表情を浮かべると、男性を詰問した。

「・・・その詩を、何処で?」

返答。
男性の声に淀みは無く、躊躇も無かった。

「ヴェロッサ・アコース査察官」

軽く握られたはやての拳が、きつく握り締められる。
その目に浮かぶのは、異常な状況により僅かに露呈し始めた怒り、そして理解できない現状に対する不安。
男性の言葉は続く。

「全てではないが、「彼の脳」は色々と教えてくれた。時空管理局の設立に至る経緯、活動理念。魔法技術体系、ミッドチルダ、第97管理外世界」

息を継ぎ、続ける。

「ロストロギア、古代遺物管理部機動六課、スターズ分隊、ライトニング分隊、ロングアーチ」

有り得ない。
はやての思考を占めるのは、その言葉のみ。
ヴェロッサの脳が不明機体パイロットによって攻撃された事実は知っていたが、しかし同時に彼の記憶までもが解析されていようとは、誰もが予想だにしなかった事象だ。
彼等の脳がナノマシン及び移植型電子機器により、機械的・電子的に処理能力及び強度を異常強化されている事実は判明していたが、それが魔法による脳内介入に対応可能であるとは思いもよらなかった。
結果としてヴェロッサは、脳内へと強制的に送り込まれた異常な量の情報を処理し切れず、許容限界を超えた脳はオーバーフローを起こし、彼は昏倒。
それだけでも有り得ない事象ではあったが、目前の男性から放たれた言葉は、それ以上の驚愕をはやてへと齎していた。

「ジェイル・スカリエッティ、戦闘機人、アルハザード、レリック、聖王、カイゼル・ファルベ」

有り得ないのだ。
この男が、それらの情報を知り得ているなど。
決して有り得ない、その筈なのだ。

「プレシア・テスタロッサ、プロジェクトF.A.T.E、ジュエルシード、時の庭園」

何故なら、ヴェロッサが思考捜査を行ったのは。
彼の脳を破壊せんとした不明機体パイロットは。
彼の脳から情報を得る事ができた人物は。

「エスティア、アースラ、闇の書、ヴォルケンリッター、夜天の王」



「この男ではない」のだから。



「リインフォース」
「ヴィータッ!」

それは、男がその名を口にすると同時だった。
はやての叫びに応え、ヴィータが男の背後に回り腕を拘束、その頭を机へと叩き付ける。
同時にリィンが、念話を用いて各方面へと警告を発した。

『緊急事態! 不明機体パイロット間に於いて、何らかの通信手段が確保されています!』

警報。
ウィンドウが開き、はやてはその画面へと手を伸ばして操作を始める。
念話、通常通信、共に反応なし。
未知の科学技術を用いた個体間通信の可能性大。

「・・・擬人化した実体投射機能搭載型攻性プログラムか。良い家族を「持っている」な」

呟く様に発せられた言葉に、3人の視線が男へと集中する。
最早、彼女達の目は先程とは異なり、欠片ほどの親しみも、穏やかさも込められてはいなかった。
それは「敵」を見る目。
はやては漸く、入室時に抱いた違和感の原因へと思い至った。

彼は明らかに、雑誌の「文面」を目で追っていたのだ。
ミッドチルダ言語で書かれた文を、自ら達と同等の速さで。
読み飛ばすでもなく、解析を試みているのでもない。
ごく自然に、その文面を辿っていたのだ。
即ち、ミッドチルダ言語を「理解」していたという事。

はやてが、口を開く。

「・・・それ以上、私の家族を侮辱する事は許しません。そのまま大人しくしていなさい」
「怒ったのか? 済まないな、リィンフォースの思い出を穢してしまったか」
「その名を口にするなッ!」

ヴィータが男の頭を持ち上げ、もう一度、机へと叩き付ける。
咄嗟にはやてが叱責しようとするが、それより早く彼女は叫んだ。

「お前がッ! 部外者のお前がッ! その名前を口にする事は許さねぇ! 何も、何も知らない奴がッ!」
「ヴィータ、止めぃ!」
「ヴィータちゃん!」
「アタシ達の大切な、大切な記憶に踏み込んでッ! 踏み荒らすんじゃねぇッ!」

ヴィータが一際大きく叫び、はやてが彼女を取り押さえようと歩を進めた、その時。

「異層次元」

またも、男の声が響いた。
聞き覚えの無い単語に、再び3人の目が男へと向けられる。

「平行世界観測」

要領を得ない言葉。
それだけが、淡々と紡がれる。

「電界25次元」

ゆっくりと顔を起こし、男ははやてへと問い掛けた。

「どれか1つでも、貴女がたにとって馴染みの言葉はあるか?」

その問いに、彼女は戸惑う。
ヴィータ、そしてリィンもまたその表情に疑惑の感を滲ませていた。
一体、何を言っているのか?
疑問に思いつつも、はやては答える。

「・・・いいえ」
「時間跳躍現象は?」
「いいえ」

問いは、更に続く。

「エバーグリーン、バースディ・ウォー、デモンシード・クライシス、サタニック・ラプソディー」
「いいえ、存じません。一体、何を言っているのですか?」

男は尚更に醒め切った目をはやてへと向け、その答えを口にする。
それは凍て付く刃と化し、彼女の心、その奥底へと突き立った。



「貴女がたも同じだ。何ひとつ知らないにも拘らず、全てを知った気でいる。俺達の脳内を覗き込み、記憶を踏み荒らし、地球文明圏が全てを注ぎ込む戦争にまで踏み入るつもりでいる。救済者気取りは結構だが、目障りだ」



刃は、更に振るわれる。

「貴女は「地球人」ではない。ミッドチルダ、管理局の人間だ。償いの為と銘打って、地球を未開の世界と見下し、切り捨てた。同郷を騙るのは止めろ」

ヴィータが、拘束の力を緩める。
男が身を起こし、姿勢を正して腕の具合を確かめ始めるが、ヴィータのみならず、はやてもリィンも何ひとつ言葉を挟む事は無い。
男の言葉は、彼女達の意識に確かな衝撃を与えていた。

「そもそも「次元」という空間に対する認識が、我々と貴女がたでは大きく食い違っている。貴方がたはこの空間を次元世界と、各地の惑星を個別の世界と認識しているが」

スポーツドリンクの満たされたコップを一瞥、しかし手を着ける事なく視線をはやてへと戻す。

「この空間は異層次元の1つに過ぎない。虚数空間も然り。貴女がたが確認している次元は、この2つのみだ」

男の言葉が、はやての意識を通じ念話として、或いは通信ウィンドウを通じての画像・音声として、管理局各所へと浸透してゆく。

「虚数空間は航行不能、浅異層次元潜行も不能。全領域対応型機動兵器の不所持。質量兵器の廃絶に伴う個人資質への依存。これだけの問題を抱えているにも拘らず、貴女がた管理局が「バイド」との戦いを終結に導く? ふざけるのも大概にしろ」

その痛烈な言葉とは裏腹に、男の声には怒りも敵意も、興奮すら僅かにも浮かんではいない。
只々、つまらないものを見るかの様な醒め切った視線と、平淡な声だけが取調室に響き渡る。

「そして、ヤガミ二等陸佐。貴女は一度として、本当の目的を語ってはいない。最も知りたい事であろうに、警戒心を抱かせまいと遠回りな質問ばかりをする」
「本当の、目的?」

ヴィータが、小さく呟き返す。
止めろと言いたかった。
それ以上、口にするなと叫びたかった。
しかしその意思に反して、はやての発声器官は何ひとつ音を発する事は無い。
否、できない。
彼女の声を、男の放った言葉が封じ込めている。
宛ら、幼かった頃に彼女の自由を奪っていた、あの呪縛の様に。
そして男は、真実を刃と化して、彼女達へと突き付けた。

「22世紀に於ける第97管理外世界の技術体系とは、ロストロギアを基に発展したものではないのか。そう、訊きたかったのだろう? 例え否定しても、最終的にはそう判断するのだろうが」
「何を、言って・・・」
「そうでなければ困るのだろう? 管理局の存続に対する脅威は、早めに取り除かねばならない。21世紀の地球を強制執行により管理世界へと加盟させ、直接統治下に置く事で独自の技術発展を防ぐ為にな」

それは、真実。
はやて個人としても最善の策として容認していた、第97管理外世界への対応策である。
だからこそ、彼女は男の「地球人ではない」との言葉に衝撃を受けた。



彼女の中であの世界は既に、故郷としての「地球」ではなく、管理局がその存在を観測する「第97管理外世界」に過ぎないものと化していたのだ。



自身ですら意識しなかったそれに気付き、彼女はうろたえる。
男の言葉は、何処までも冷徹に核心を突いていた。
自分は最早、「地球人」ではない。

男が、視線を逸らす。
何も無い中空へ、不可視の受像システムへ。
ウィンドウの向こうで息を呑む全ての人物へと、男は語り掛けた。

「知りたいんだろう? 俺達の敵が何なのか。「バイド」とは如何なる存在か」

冷徹に、無感情に、機械の如く。
男は、忌むべき存在の名を口にした。

「話すとも。気の済むまでな」

そして、地獄が語られる。



『トロイカよりロック・ローモンド。669からのデータ転送を確認』
『ロック・ローモンドよりトロイカ。各員のバイタルサインは正常か?』
『443、172のサインが異常だ。重傷を負っているらしいが、しかし命に別状は無い・・・送信終了。669からの返信を確認。離脱する』
『ロック・ローモンド、了解』

時空管理局が本局と呼ぶ超大型異層次元航行艦艇。
その程近い空間から1機のR-9E2が、浅異層次元潜行状態のまま離脱を図る。
艦艇内部に収容された攻撃隊隊員との「通信」を終えたその機体は一路、同じく浅異層次元へと潜行した母艦を目指し飛び去った。
通信の内容は、艦隊からの指令。

管理局に対する情報提示の許可。
複数の情報操作指示。
バイド出現に至る経緯の捏造、26世紀地球に関する情報の隔離。
艦隊の作戦能力偽証示唆。



国連宇宙軍・第17異層次元航行艦隊。
時空管理局。
2つの巨大組織は、互いに多くの情報を得た。
それが虚構に満ちたものか、自らの技術体系に基く偏見に満ちたものかの違いこそあれど、同じく多くの情報を。

そして、一方は隔絶された異層次元空間にてバイドとの交戦を繰り返し。
一方は自身の損失回復と戦力の招集に力を注ぎ。
双方は交わる事なく、ただ時間だけが流れる。

事態が再び動き出すのは1ヵ月後。
遠方に位置する各世界との交信途絶、各管理世界及び管理局所有の、軍用・民用問わず無数の次元航行艦艇消失。
第61管理世界「スプールス」周辺空間を呑み込んだ、未知の異常空間発生。
それらの事態に対し、「バイド」に関する情報を得た管理局は、半ば追い立てられる様に攻勢作戦を発動。
そして第17異層次元航行艦隊もまた、同じく「バイド」殲滅を目的としてスプールスへと進路を取る。

彼等は其処で、生命の尊厳を踏み躙り、希望を嘲笑い、狂気が高らかに凱歌を謳う、異形の世界を目の当たりにする事となる。
全てを喰らい、際限なく増殖を続ける生態系。
主無き船が跋扈する、亡者に支配された空。
悪夢の記憶より這い出でし、歪なる生命の巣窟。



鋼鉄と肉塊に覆われし胎内にて、異形の胎児は「出産」の時を待つ。
「人工の生ける悪魔」。
義憤と復讐に燃える管理局。
疑念と憎悪に取り付かれた地球軍。
例え次元を違えようとも変わらず世界を満たす人類の狂気に、それは四度、歓喜の雄叫びを上げた。

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最終更新:2015年10月26日 07:29