緊急処置室の扉が開くと同時、フェイトは室内より姿を現したシャマルへと歩み寄る。
パイロットの容態はどうかと尋ねようとした矢先、初めて見るほどに強張ったシャマルの表情が視界に飛び込んだ。
尋常ではないその様子に、フェイトの身に緊張が走る。

「あの、シャマル・・・」
「フェイトちゃん」

フェイトの言葉を遮り、何処かしら冷たさの滲む声を発するシャマル。

「彼は、本当に只のパイロットなの?」
「それはどういう・・・」
「自殺用に「あんな物」を常備する人間なんて、それこそ古代ベルカ王族にも居なかったでしょうね」

あれは只の毒物ではなかったのか?
そんな疑問を抱くフェイトであったが、続く発言の内容に凍り付く。

「増殖型ナノマシンが口腔粘膜より血中に拡散、心肺及び脳組織を分解。更には、ナノサイズの群体とは思えない出力の妨害電波を発して、処置室内の電子機器を破壊したわ」
「な・・・」
「挙句の果てに、ナノマシン集合体より発生する高エネルギーを用いた体内焼却。外見からは異常が無い様に見えるけれど、彼の体内は原形を留めていないわ・・・ねえ、フェイトちゃん」

フェイトの肩に手を置き、正面から彼女の目を見据えるシャマル。
その目が何時に無く不安に揺らいでいる事を感じ取り、フェイトの内心もまた混乱していた。

「たった1人の人間を殺す為に、こんな手の込んだ物を用意する必要が在ると思う?」
「それは・・・」
「あのナノマシンは、情報記憶媒体となり得る物、全てを破壊するように造られている。周囲の電子機器、そして使用者の脳。一切の情報を使用者もろとも消去する為の、ナノサイズの「爆弾」よ。
製造コストだって安くはないでしょう。人間1人を殺すのに、余りにも手が込み過ぎているわ」

そこまで言い切ると、口を閉ざすシャマル。
余りに凄惨な内容に、フェイトも沈黙する。

果たして一介のパイロットが、そうまでして消去を図らねばならないほどの重要な情報を知り得ているものだろうか。
それ以前に、自軍の兵士に自殺用の毒物を所持させるなど、正気の沙汰ではない。
これが、第97管理外世界の未来に於ける、軍組織の姿なのか。

憤りを深めるフェイト。
少なくとも彼女の経験からして、如何なる状況であろうと「死」を選択肢のひとつとして提示する行為など、正規の組織としてあってはならない事だった。
彼女の知る限り、そんな事を実行したのは過去の反時空管理局テロ組織くらいのものだ。
況してや当の兵士がそれを受け入れ自ら実行するなど、彼女としては認め難いものだった。

一方でシャマルは、「毒物」の異常性にこそ戸惑いつつも、兵士の選択肢に「自害」を加える事には疑問を抱かなかった。
守護騎士として長き時を駆けてきた彼女は、例え全てを思い出す事は無くとも、それを知っている。
どれだけ美辞麗句を並べ立てようとも、「死」のみでしか救われぬ状況というものがあるのだ。
「彼女」・・・リインフォースがそうであったように。

解らないのは、あのパイロットがそうまでして「何を守ろうと」したのか、或いは「何を恐れて」その行為に至ったのかという事だ。
少なくとも捕獲されてより以後、彼を死への逃避に走らせる様な出来事は起こっていない筈。
管理局員が肉体的・精神的な拷問を行ったというのならば納得もいくが、無論そんな事は有り得ない。
では一体、何が彼を死へと駆り立てたのか?

沈黙のままに己の思考へと沈み行く2人。
しかし、彼女達がこの場で結論へと至る事は無かった。
警報だ。

『本局近辺にて次元断層発生。小型次元航行艇多数の転移を確認、所属不明。武装隊は直ちにB3区画に終結せよ。繰り返す。本局近辺にて次元断層発生・・・』



『「ピーピング・トム」より「ロック・ローモンド」。目標「スノー・クリスタル」にオウル・アイによるスキャンとの差異は認められない。物理的兵装及び外部射出口、確認できず』
『ロック・ローモンドよりピーピング・トム、了解した。ロック・ローモンドより全機、浅異層次元潜行解除』

艦体外観から、コールサイン「スノー・クリスタル」と名付けられた、所属不明の超大型異層次元航行艦艇。
その周囲に総数100を超える空間歪曲が発生、直後にそれと同数のR戦闘機が姿を現す。

スタンダード・フォース、そしてビットを装備した一群。
多少、細部は異なるものの、同じフレームを基に設計されていると判る白・赤・青の機体によって構成された一群。
機体の周囲へとチューブが張り巡らされ、異様なまでに巨大な放熱器が取り付けられた赤と黄色の一群。
無数の発射口を機体下部に備えた、青と緑の一群。
巨大な盾と暴力的な外観を備えた、赤い機体の一群。

それら以外にも様々に異なる外観を持つR戦闘機が、不明艦艇を各方位より取り囲む。
各々の機種が編隊を組み、その編隊が他機種の編隊と連携を取り、ひとつの完成された包囲網を形成。
機体性能を併せて考えれば、巨大な不明艦艇は僅か100機ばかりの異層次元戦闘機によって、完全に包囲されていた。
包囲網の完成とほぼ同時、R-9E2より警告が飛ぶ。

『ピーピング・トムより全機、目標より艦艇の出撃を確認。総数3、いや7・・・まだ増えるぞ。16隻を確認』
『ロック・ローモンドより全機、目標の兵装を確認せよ。威嚇射撃』

包囲網の一部、十数機のR戦闘機機首に、青い光が集束する。
数秒後、閃光と共に十数発の波動エネルギー弾が、目標外殻を掠める様に発射された。
波動砲、低出力射撃。
直撃弾は無い。
目標の反撃を誘発する為の威嚇行動である。
そして、その目論みは成功した。

『こちら「トロイカ」、スノー・クリスタル周囲の環状構造物に異変。無数の発光が確認できる。環状の幾何学的な模様が・・・発砲を確認、迎撃システムが作動したらしい』
『トロイカ、射出機構は確認できるか』
『・・・いいや。物理射出機構は確認できない。空間にプログラムを直接投影した上で弾体発射機構としているらしいが、原理は不明。映像で見る限りエネルギー弾の様だが、反応が検出されない』
『兵装の識別は不可能という事か?』
『そうなるな。スノー・クリスタル本体からの迎撃を確認。やはりプログラム像が出現している。凄い数だ、数え切れん。艦体全てが砲門となる様だ』

スノー・クリスタル本体と、その周囲を幾重にも取り囲む環状構造物。
その全てに白光を放つ環状の紋様が現れ、全方位へと光弾を放ち始める。
その数、実に数万。
弾速もかなりのものだ。
各方面で数機が、フォースを弾幕に向けて射出する。
そして弾体がフォースへと吸収された事をR-9E2が確認するや否や、フォースを装備した全機体が前進、弾幕を真っ向から受け止め始めた。
フォースの壁によって掻き消される、白光の弾幕。

『トロイカよりロック・ローモンド、敵兵装は広域力場展開型。選択的破壊は不可能。繰り返す。敵兵装の選択的破壊は不可能』
『ロック・ローモンド、了解。ロック・ローモンドより全機、作戦を「B」へと移行する。突入隊を援護せよ』

無数の光弾が壁となって押し寄せる中、数機の「R」が包囲網より進み出る。



より重厚さを増したコントロールロッド、他機種とは明らかに異なるビットシステムを備えた、白色の機体。
奇妙な可動式パーツを備えたフォース、2基の巨大なバーニアと機体下部に長大な砲身を搭載した、濃緑の機体。
猛禽の爪を思わせる3本のコントロールロッドが、通常とは逆に機体前方へと突き出したフォースを装備する、漆黒の機体。

「R-9Leo LEO」
「TL-2A2 NEOPTOLEMOS」
「R-13A CERBERUS」

敵施設への突入経験を持つ3名のパイロット。
波動砲の全力射撃による殲滅が司令部によって禁じられた今、彼等が搭乗するこの3機こそが、スノー・クリスタル制圧戦に於ける地球艦隊の切り札だった。



『突入隊、前進』
『敵艦2、急速接近。突入隊を援護する。エンゲージ』
『目標外壁に巨大な円陣の出現を確認。でかいのが来そうだ、先に叩く。エンゲージ』

3機が前進を開始すると同時、各部隊より交戦のコールが発せられる。
白の弾幕に埋め尽くされた空間の其処彼処で迸る、青い閃光。
接近する敵艦隊へと向け、無数の波動砲が放たれる。
直撃を避け、しかし確実に敵装甲を剥がしゆく青い光の奔流。
砲撃が掠める度、白と黒の艦体から破片と炎が吹き上がる。

しかし敵も然る者。
激しい砲撃に曝されながらも、無数の光弾を周囲へとばら撒きつつ前進、包囲網を切り崩しに掛かる。
その激しい弾幕により数機が被弾、浅異層次元へと撤退。
だが、敵艦の攻撃は弾幕に留まらなかった。

『ピーピング・トムより全機、空間歪曲反応検出! 敵艦、次元消去兵器発射態勢!』
『352、357、援護機の射線に入っている。至急退避せよ。771、815・・・』

敵艦中心軸、上下左右に分かれた艦体の先端部に、白い光が集束を始める。
21世紀地球の監視を継続していた、5隻の「ヴァナルガンド」級異層次元航行巡洋艦。
彼等からの報告にあった、次元消去タイプの砲撃兵装だろう。
如何にR戦闘機が異層次元航行能力を有するとはいえ、何処とも知れぬ次元へと吹き飛ばされては、生存は絶望的である。
2隻の敵艦はその艦首を白く染め上げつつ、進路をR戦闘機群の最も密集する一角へと向けた。
しかし。

『ピーピング・トムより「トニトルス」、射線クリア』
『トニトルス了解、撃つぞ』

圧縮された光は放たれる事なく、彼方より放たれた数条の閃光によって、艦首ごと消し飛ばされた。
砲撃を阻止された2艦は、何が起きたのか解らなかったのだろう。
焦燥の感じられる挙動で進路を変更するが、再び襲い掛かった閃光に艦体後部を貫かれる。
敵艦、沈黙。
爆発する気配は無い。

『敵艦艇の行動停止を確認。各機、艦体後部を狙え。制御中枢を破壊しろ』

次の瞬間、それまで以上の弾幕が敵残存艦艇より放たれる。
即座に全機が回避行動、またはフォースによる防御行動に移った。
被弾機ゼロ。
しかしその敵艦の反応に、パイロット達は驚く。



「怒っている」のか?
敵艦を行動不能に追い込んだ瞬間、残存艦艇の攻撃が激しさを増した。
つまり、仲間をやられて頭にきたというのか。
生物型でもない、只の汚染された兵器群が?



『敵艦8、次元消去兵器発射態勢! 回避!』

考える暇は無かった。
8条の光が空間を貫き、彼方で炸裂する。
大規模空間歪曲。
消失効果範囲、第二級戦術次元消去兵器に相当。
全機、効果範囲外への退避に成功。
敵艦隊、第二波発射態勢。

『こちら突入隊、敵艦隊を突破する。援護を』
『こちら555攻撃隊。突入隊に同行、侵入地点まで援護する』
『670攻撃隊、同じく』
『272攻撃隊、援護に就く』
『トロイカより突入隊、555、670、272へ。「ダクト」への誘導を開始する。隊を3つに分け、各侵入地点へと向かえ』

再び飛来する長距離援護射撃。
しかしそれは、8艦全ての砲撃を阻止するには至らなかった。
発射される閃光、5条。
各機がそれを回避する中、3機の突入隊と15機の援護部隊は、迸るエネルギーの白刃を掠める様にして敵艦隊へと突入する。
敵艦は迎撃を図るものの、三度襲い来る長距離砲撃と無数の「R」によるレーザー、実弾、ビーム、ミサイル、果ては波動砲の弾幕によって、次々に戦闘継続能力を喪失、沈黙してゆく。
今のところ爆沈する艦は無いものの、既に7隻が戦闘継続不能。
しかし残る敵艦の攻撃はより激しさを増し、巨大艦からは更に複数の艦艇が姿を現す。
戦況は良いとは云えず、しかし予想の範囲を脱するものではなかった。

『間も無く分岐ポイント。各機、指定侵入口へと向かえ。555、670、272へ。各機、ダクト外周装甲を破壊せよ』

18機の「R」は最大加速。
其々が複数のノズルより噴射炎の尾を引きつつ、次元消去兵器の光を潜り抜け、立ち塞がる敵艦の艦首へと波動砲を叩き込み、無数の光弾をフォースによって防ぎながら、遂に目標外殻へと到達する。
減速を行う事なく、6機ずつが異なる方向へと機首を向け進路を変更、フォースを用いて外殻へと「強行着陸」。
凄まじい火花と衝撃、巻き上げられる外殻装甲の破片を気に留める事もなくそのまま再度加速、巨大艦の装甲を文字通り「喰らい」ながら、全速で侵入地点を目指す。

侵入地点は3箇所。
巨大艦を構成する6つの部位の内3つ、末端に設けられた巨大な排気ダクトらしき設備。
オウル・アイの精密スキャンにより、中央動力区に繋がっている可能性が高いとの事が判明したのだ。
突入隊がここから内部へと侵入し動力区を捜索、工作機の侵入経路を確保するというのがこの作戦の内容である。
これはバイドに汚染された巨大施設に対する制圧戦に於いて、過去幾度となく用いられた作戦であり、その都度非常に大きな戦果を上げていた。
艦隊を用いて施設ごと吹き飛ばすのではなく、中枢となる機能または生命体を制圧する事によって、施設と戦力、双方の被害を抑える事ができるのである。
無論、パイロットには非常に高い技術と冷徹なまで戦術眼が求められるが、「R」の火力を生かす事ができれば、僅か数機で汚染された巨大基地を奪還する事も可能だった。
そして今回も、過去にそれらの作戦へと従じた経験を持つ3名のパイロットによって、同様の手段が採られる事となったのだ。

『670より「ベートーヴェン」、目標を確認した。突入に備えろ』
『ベートーヴェンより670、了解した。援護に感謝する。ターゲットアプローチ、ナウ』

その内の1名が搭乗する漆黒の機体、R-13A。
地獄の番犬「ケルベロス」の名を冠されしその機体は、周囲を固めるR-9Sの編隊中から跳び出す様に機首を上げ、更に上下の向きを入れ替えると、ループを描きつつ巨大艦の頂端部へと突き進む。
一拍遅れて機首を上げ始めた5機のR-9Sは、より急角度のループを描きつつ頂端部へとアプローチ、側面から掠める様にして接近。
そして、5機のフォースに青い光が集束を始める。

『こちらベートーヴェン、アプローチまで10秒』
『670、侵入口を確保せよ』

5機の上方より、逆落としに突進するR-13A。
その姿を視認する事もなく、670攻撃隊は命令を実行した。

『5秒』
『670各機、シュート』

R-9Sに装備された、量産機としては最強の威力を誇る波動砲。
最上級の対エネルギー・対物理装甲を除くあらゆる装甲・障害を撃ち抜き、自然地形すら貫通する理不尽なまでの暴力。
横一列に並んだ5機のR-9Sより、凄絶な閃光と共に一斉発射されたそれが、スノー・クリスタル頂端部の構造物を根こそぎ消し飛ばす。
巨大な光の壁が通過した後に残るのは、幅20m程の半球状に抉られた溝が5つ、そして内部へと続く暗い口を開けたダクトのみ。

直後、遮る物の無くなったダクトへとR-13Aが突進。
侵入直前、その機首より紫電の光が奔り、ダクト内部の障害物を片端から吹き飛ばす。
R-13A、スノー・クリスタル内部へと突入。
ケルベロスが闇へと消えてから、僅か1秒足らず。
5機のR-9Sが、ダクト上方を最大速度で横切った。



R-9Leo「ハーン」、TL-2A2「ツァンジェン」、R-13A「ベートーヴェン」。
全機、突入成功。



『武装局員は中央区へ急行せよ。繰り返す。武装局員は中央区へ・・・』
『1014航空隊及び1406航空隊、第3シャフト防衛線へと急行せよ。2018航空隊・・・』 

警報と部隊緊急配置のアナウンス、念話と発声による怒鳴り声、鬼気迫る無数の足音。
時空管理局本局は最早、パニックへと陥りつつあった。

無数の小型次元航行艇による本局への直接攻撃。
XV級時空航行艦大破。
未知の質量兵器による大規模破壊。

全てが現在の管理局にとって未経験の事態であり、最悪の事態。
冷静な判断力を保っていられる者は、極一部に過ぎない。
そして彼女は、その数少ない冷静さを保った人物の1人だった。

「地上本部との連絡は?」
『現在クラナガン近郊に於いて、所属不明機体群との戦闘が展開されています! 通信が錯綜していてとても・・・!』
「戻る事はできないか」
『本局周辺でのアルカンシェル炸裂の余波により、周囲の空間座標に歪みが生じています! 艦外への転送は自殺行為です!』

シグナム。
主である八神 はやてと共に捜査に当たった事件について、詳細な報告を行う為に本局を訪れていた人物。
期せずして不明勢力の襲撃に居合わせた彼女は、今できる事を冷静に思考する。

主は大丈夫だ。
地上にはヴィータが、なのはが居る。
いざとなればザフィーラも駆け付けるだろう。
今、自身にできる事は、本局を襲う不明勢力に対する迎撃戦に加わる事だけだ。

「武装隊は敵の侵入に備えているのか?」
『はい、可能性のある各区画へと展開しています。しかし人手が足りない為、正規武装局員以外にも多数の局員が協力を申し出ています』
「では私達も加わろう。構わないな、アギト?」
「一々訊くなよ、決まってんじゃねぇか」

シグナムの背後から、小さな影が現れる。
融合騎、アギト。
問い掛けに対し不敵に答えるその様子に、シグナムは薄く笑みを洩らす。
そして中央センターへと、防衛網の配備状況を表示するよう要求。
新たに表示されたウィンドウを前に、向かうべき地点を考慮する。
そんな彼女の目に、見慣れた人物名が飛び込んだ。

「テスタロッサ・・・ランスター・・・なるほど、考える事は同じか」

外殻より魔力炉へと続く、6つの緊急用圧縮魔力排気ダクトの内1つ。
そこに、フェイト・T・ハラオウン、ティアナ・ランスター両名の名が表示されていた。



黄色の閃光が闇を照らし、行く手を遮る構造物を薙ぎ払う。
薄い壁、細かな障害はフォースを盾にそのまま突っ込み、片端から喰らい尽くす。
時折出現するエネルギー障壁は、低集束の波動砲を撃ち込んでやると呆気無く消え去った。
どうやらこの艦の防衛機構は、外殻から艦内への直接侵入を考慮されていないらしい。
障壁は余りに脆弱であり、漆黒の狂犬による蹂躙を止めるには至らなかった。

『トロイカよりベートーヴェン、背後を閉ざされたぞ。まだ隔壁が残っていたらしい。何か異変は無いか』

管制機の声に、彼はコックピット内に空間表示された各計器へと目を走らせる。
大気組成変化検出、窒素、酸素、アルゴン、二酸化炭素混合物の発生。
つまり「空気」の発生を意味していた。

「ベートーヴェンよりトロイカ、ダクト内に空気が充満している。あっという間だ。何が起こった?」
『不明だ。ダクト外縁部からは何も検出されていない』

反射的に「ドース・システム」のゲージを見やる。
あらゆるエネルギーを喰らうフォース。
そうして蓄積されたエネルギーを、攻撃に転用するドース・システム。
このダクト内に何らかのエネルギーが満ちているというのなら、フォースがそれを喰らう事によってドース・ゲージが上昇している筈である。

ゲージは、確かに上昇していた。
微々たる値だが、間違いなく何らかのエネルギーを吸収している。
ドース蓄積値、29.65%。
ダクト侵入時より、8%ほど上昇していた。

「こちらベートーヴェン、何らかのエネルギーがダクト内に・・・」
『ツァンジェンより全機。ダクト内にて交戦中、迎撃を受けている』

別地点突入機からの緊急入電。
同時に遥か前方、闇の中に金の光が灯る。
反射的に減速、側面方向へとスライドするものの、限られた空間であるダクト内では、それ以上に打つ手は無かった。

金色の閃光が、轟音と共にダクト内を染め上げる。
機体を揺さ振る激しい衝撃。
真正面からの、大出力エネルギー砲撃だ。
数秒後、光の氾濫が収まり、彼は各種計器を見渡す。

キャノピーに亀裂、ナノ粒子ポリマーによる自動修復開始。
スラスターの1基が損傷、出力60%に低下。
レールガン損傷、継続連射不能。
対バイド素子エネルギーコーティング消失、再構築中。
ドース・ゲージ・・・「100%」。

驚愕と共に、フォースへと目をやる。
赤い光。
フォースのエネルギー蓄積率が最大値に達した証だ。
オーバー・ドース。

「ベートーヴェンよりトロイカ、砲撃を受けた。背後に新たな障壁の展開を確認。敵兵器は・・・」
『トロイカよりベートーヴェン、どうした? 何が起こっている。応答しろ』

再び加速を掛ける直前、彼の目に信じられないものが飛び込んだ。
存在する筈の無い、少なくともバイドの支配下にある空間には、あってはならないもの。
精神干渉を疑う彼の目、その瞳孔の動きを察知したシステムにより、前方に存在するものの姿が拡大表示される。
戦闘中である事すら失念し、呆然とその存在を見詰める彼の耳に、混乱を更に深める通信が飛び込む。

『ツァンジェンよりトロイカ、接敵した。しかし・・・』
『ツァンジェン、どうした』

続く言葉は、眼前の状況を肯定するに十分な説得力を持っていた。



『・・・「女」だ。背中から火を噴く「女」が、ダクト内に立っている・・・攻撃を受けた!』



もう一度、眼前の光景を見る。
柄の長い戦斧の様な物を持つ、金髪の女性。
紺色のコートの上から、白いマントを羽織っている。
自らの口許を指す女性。
会話を希望しているのか?
集音機能を起動、音声を拾い、増幅。

『警告します。直ちに機体を降り、投降しなさい。次元空間に於ける質量兵器の使用及び、時空管理局に対する敵対的行動により貴方を逮捕します』

質量兵器。
時空管理局。
逮捕。

この女は一体何を言っている?
そもそも本当に人間なのか?
自分はバイドによる精神干渉を受けているのか、それとも気でも触れたのか。
仮に精神干渉だとしても、こんなものを見せる意図が解らない。
一体、何が起きている?

『・・・繰り返します。直ちに機体を降り、投降しなさい。貴方がたの人権は時空管理局が保障します。降機し、武器を置いて此方へ・・・』

彼は決断する。
こんな事に関わってはいられない。
直ちに動力区を捜索し、工作機の侵入経路を確保しなければ。

何時の間にか停止していた機体を再度加速させ、現地点より離脱を図る。
女性は動かず、ただ見送るだけだ。
その姿を強引に意識の外へと押しやり、しかし警告音と共にその存在からは逃れられない事を悟る。



前方の空間、先程の女性が「空中に立って」いた。



『トライデント・・・』



女性の足下に拡がる、その髪と同じく金色の輝きを放つ円陣。
それと似た物が女性の前面に展開し、更にその左手には同じ輝きを放つ球体が生成されている。
先程の砲撃と同じ光。
無意識の警告に従い、パイロット・インターフェースを通じて咄嗟の指示を下す。
フォース分離、シュート。
コントロールロッドの牙を振りかざし、「アンカー・フォース」が猛然と女性に襲い掛かる。
驚愕の表情を浮かべ、それを回避する女性。
円陣と球体が消滅する。



事情が変わった。
あの砲撃は恐らく、この女によるものだ。
どういった原理によるものかは解らないが、こいつは高出力エネルギー射出機構を備えた「砲台」の様な存在らしい。
と、なれば。
人間であろうとなかろうと、そんな事は関係が無い。
任務を果たす為にも、この女は、この存在は。



女性の姿が掻き消える。
前方、隔壁封鎖。
物理的・エネルギー複合障壁。
そう簡単には打ち破れないだろう。
波動砲の出力を上げれば破れるだろうが、それより先に攻撃を受ける事は想像に難くない。
急制動、反転。
フォースと機体を繋ぐ「光学チェーン」が歪にしなり、先端のアンカー・フォースが蛇の様に鎌首をもたげる。
余りにおぞましく、生物としての原始的恐怖を煽るその姿。
何時の間にか後方へと出現していた先程の女性が「3体」、揃って表情を強張らせる様が、パイロットメット内へと表示されたウィンドウ越しに見て取れた。
ゆっくりと旋回し、彼女達へと向き直るアンカー・フォース。
一連の動きが終了した事を確認し、彼はトリガーに掛けた指へと力を込める。



生かしておく訳にはいかない。



ダクト内に、狂犬の咆哮が響き渡った。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2015年10月26日 07:24