「貴方邪魔」

眼前にいる紫の長髪を靡かせた少女に冷たい声でそう言われても、ギンガ・ナカジマは退く事が出来ない。
それは管理局の捜査官として、同時に何も知らない無垢な目をした少女が罪を重ねる事を許せない親心。
ブリッツキャリバーを駆り、一気に距離を詰めて無力化する。あの小さな体では接近戦は出来ないはず。

「はっ!……!?」

駆け出す為の裂帛の声は、暗闇から放たれた青の奔流によって驚愕のソレへと変わる。
前へと向いていた運動エネルギーを後ろへ。悲鳴を上げる愛機に内心で詫び、ギンガは青い魔力に似た一撃を回避。

「何処に行ったかと思ったら……」

カツンカツンと靴音を響かせて、攻撃を放った主が姿を現す。端的に現せばソレは丸メガネをかけた神父。
だがコレは違う、人じゃない。普通ならば失礼に値するような言葉がギンガほどの人格者の脳内を容易く飛び交う。

「動くのでしたら私に声をかけて下さい。貴方に危害が及ぶような事があったら……先代に合わせる顔がありません」

男はギンガに目もくれず少女 ルーテシアの眼前で片膝を付き、手を胸に当て頭を垂れる。
自分よりも幼く小さな女性に傅く男の姿は異常ではあったが、自信に満ちていた。

「気をつける」

無感情な顔に恥ずかしそうな、申し訳なさそうな色を宿してルーテシアは顔を背ける。
そんなさまを嫌味を満載した、律儀ながらも観察するような視線を持って男は答え、紡ぐ。

「お解かり頂ければ良いのです。ではここは私が……」

「お願い」

男が立ち上がりギンガに向き直り、ルーテシアは踵を返し下水道の暗闇の中へと歩き出す。
直ぐにでも彼女の後を追いたかったが、眼前に立ち塞がる存在がそれを阻む。

「貴方、名前は?」

「?」

油断を誘う策略? ギンガは拳を解く事無く思案。しかし相手が何かをしているようには見えない。
魔力反応なし、先程の青い光を放つ様子もない。ただ首から掛けた白いストールを直し、丸眼鏡の上から見下ろす視線が冷たい色。
数秒の沈黙の後、彼女は己の名前を告げる。

「ギンガ……ギンガ・ナカジマ」

「なるほど……よく似ている。そっくりですよ、クイント・ナカジマと」

衝撃的な言葉、仕事中だと言う意識を持っても持ちこたえられない震動。
その揺れは憤りの形となって、ギンガが放つのは拳。速く正確だが逆に読み易い一撃。

「っ!? 何で母さんの事を!!」

『受け止められた?』 確かに直情的に動いてしまった自覚がギンガにもある。
それでも鍛えているようには見えない優男が魔力の補助なしに、魔力で補ったシューティングアーツの拳撃を易々と!?

「クイントさんとは訓練学校からの付き合いです」

受け止められてギリギリと締め上げられる拳越しに、ギンガは男の告げる言葉が侵食する。

「拳を交えた事もある……こんな劣化コピーでは私は倒せません」


見ず知らずの犯罪者に告げられるべきではない内容。侵食した言葉は闘志に僅かな皹を入れる。
その小さな綻びこそが戦場の命取り。不意に抑えられた手が離され、振り解こうとしていた力が暴走。
同時に足を払われてグラリとギンガの体勢が崩れる。ビシャリと汚水に身を浸しながら、彼女は疑問の視線を投げ付けた。

「貴方は……」

「チェックメイトフォーのビショップ」




その年の陸士訓練校入学生の中でメガーヌ・アルピーノは実に目立つ存在だった。
まずは紫水晶のような長い髪と整った容姿、女性として他に誇れるプロポーション。
さらに召喚師という珍しい魔道師タイプ。そしてもっとも特筆すべき点は……


「次の講義は……」

訓練校の廊下を歩きながら、メガーヌはふと呟いた。歩き出したのは良いが、向かう先が解らない。
召喚師という特異な形を納めているが、基本的に何処か抜けているのだ。そんな彼女に背後から聞こえる救いの声。

「第三視聴覚室です」

「そうそう!」

その声に元気に頷き、速度を上げようとしたメガーヌがピタリと止まった。

「……あっ! ノート忘れた」

寮にまで戻って取ってくるには時間が無い。しかし再び後ろから放たれる救い。

「こちらに」

背後から差し出されたノートを受け取り、今度こそ走り出そうとしたメガーヌの脳内に走る稲光、衝撃的な事実。

「課題が出てたんだ……如何しよう」

勿論今からやっても間に合うはずが無い。それでも救いの手は差し出され、福音は告げられる。

「15ページをご覧ください、やっておきました」

―――
完璧だった。メガーヌはダメダメだが、その背後に付き従う誰かには一片のスキも無い。
結局余裕を持って目的地に辿り着いた彼女は後ろを振り向き、微笑みを浮かべながらお礼を一つ。

「何時もありがとう、ビショップ」

背後に居たのは丸眼鏡に白いストールを掛けた神父服を身に纏った優男。
並みの男性ならば胸の高まりの一つでも覚えそうなメガーヌの笑顔にも顔色一つ変えず、恭しく頭を垂れてビショップは答えた。

「そろそろ講義が始まります。部屋にお入り下さい、クイーン」

自分よりも年下の女性にアレコレと世話を焼き、クイーンなどと言う仰々しい敬称。
直らないと解っていても、メガーヌも小言が口から零れるというもの。

「その呼び方は好きじゃないわ」

「私を呼び出した上、クイーンはクイーンでありますから……」

ビショップとは何なのか? 気が効き、雑用をこなすが使用人ではない。
訓練学校では訓練生にそんな者がつく事を認めない。勿論見た目どおりの神父とも違う。
彼はメガーヌが召喚した……『虫』……?


初めて呼び出した時、メガーヌはこう呟いた。

「……間違っちゃった」


訓練学校入学時にも試験官と論議になった。

「召喚……虫?」


入学してからも擦れ違う者たちに疑問の視線を受けまくった。

「男連れ?」


それでもメガーヌにとって始めて呼び出した半身たる召喚虫である事に変わりは無い。
ビショップ自身が語っていないが異世界に巣食う人食いの化け物 ファンガイア。
その中でもインセクトクラスに属するスワローテイルファンガイアであるから、召喚虫と言う表現も間違っては居ない。

「そろそろ授業が始まります。廊下に居りますので、何かありましたらお呼び下さい」

人間を食料として見ているファンガイアがメガーヌに従う理由とは? 
召喚と契約の力ゆえか? それとも何か策謀が存在するのか?
もちろんそんな事まで考えが至るはずも無い召喚師は思い出したように告げる。

「……ビショップ、お願いがあります!!」

「なんなりと」

「今日のお得ランチAコース、限定10個なんです! 先に行って買っておいて!!」

「……仰せのままに」




戦闘機人ナンバー4 クアットロにとってルーテシア・アルピーノは非常に組み難い相手だった。
まず他者に興味が無い。しかし意思が弱い訳では無い。そしてドクター以外の存在を信頼し、依存している。
このままではいざと言う時にドクターを裏切りかねない。

「ですから……」

「興味ない」

その日もクアットロは類似した能力を持ち、甘っちょろい生活をしているとアルザスの召喚師とその騎士をネタに炊きつけようと考えた。
だがルーテシアはそちらに目もくれない。淡々とした視線を開いた分厚い本の文字列を追い続けている。

「要約と考察をレポートにまとめて提出しないといけない。だから静かにして」

「あら……どこの誰がそんな事を?」

「ビショップ」

まただ。この少女は二言目とは言わず、最初からその名前を口に出す。
召喚虫という異形の怪物、主人に隷属するはずのソレは優男の姿を持ち、主である筈のルーテシアを常に導いている。
そうクアットロは分析していた。ただ黙々と命令に従う召喚虫とは違う。ただ見守るだけの古い騎士 ゼストとも違う。

「どんな本を読んで……『古代ベルカの公共衛生設備と社会調和』? なんの役に立つんですか?」

最先端技術の結晶である戦闘機人などの前では、正しく石器のような知恵の書。
データならば僅かな量に過ぎない情報、かび臭い知識と匂い、無意味なハードカバー。
だがルーテシアは手放さない。

「知識は持っていて損が無い。知識は知恵を生み出す。知恵は時に力すら凌ぐ」

淡々と紡がれる言葉にクアットロは内心で頷いてしまった。そこには戦闘用では無い彼女自身が体現している真実があったから。
そして恐ろしい事に眼前の幼い少女はその真理を『教えられたから』口にしているわけではないと言う事。
導くとは思考を奪い、隷属させることでは無い。自らの力と意思で飛び立つ助力に過ぎない。
これ以上の説得は無意味とルーテシアの前から立ち去ったクアットロは一人呟く

「何を作ろうとしているの?」

問い掛ける虚空の先にいるのはビショップ。導くとは即ち『育てる』と言う事である。
誰の目から見てもルーテシア・アルピーノは優秀だ。魔道師としても、策略家としても。
母親より受け継がれた召喚師の才能、レリックウェポンとしての圧倒的な出力、決して欠かさない日々の努力。
全ての要素が彼女を優れていると定義し、進行形で成長を続けている。本当はアルザスの召喚師など足元にも及ばないだろう。
人間がするには過ぎるのでは?と感じるほどの成長、ソレは既に進化と言っても良い。
念入りに育てられ、成長し、研ぎ澄まされていく。美しくも力強く、神聖で邪悪な存在感は既に人間ではないといっても過言ではない。

「怪物……か」

クアットロにとってそれはビショップだけではなく、ルーテシアにも適用される符号と成りつつあった。




人喰い ガラス色の化け物 ファンガイア 真名を『禁欲家と左足だけの靴下』。
偉大なる一族のトップ チェックメイトフォーの一角。その役職を名乗ってビショップ。
彼は悩んでいた。この世界に流れ着いてからの数年間、悩み続けていた。

「何をすれば良いのやら……」

この世界にはファンガイアと言う種属が存在しない。少なくとも種属と定義できる程の数が居ない。
一族の繁栄の為に費やされてきた鬼謀がその使い道を失った。だがやるべき事が無いわけではない。
何せ自分をこの世界に呼びつけた人物メガーヌ・アルピーノは……『クイーン』なのだから。

「お待たせ、ビショップ!」

廊下での待ち惚けは終了。眼前の扉が開き、中から現れた女性こそが召喚主にしてクイーン。
管理局地上本部の魔道師にしては優秀なその力によって、海 管理局本局のスカウトを受けていた。

「クイーンの実力ならば、本局こそが適所……して、連中は何と?」

「海に来ないか?って聞かれた」

当然だ。ビショップは内心で自身と主を誇る嘲笑を一つ。私が守り育てた私の主。
薄汚い地上など似合わない。どんな方法を使っても本局のエリート街道に乗せる自信が彼にはあった。
スカウトの一つなど容易い関門に過ぎ…「でも断ったの」…え?

「なっなぜですか?」

トンでもない言葉が聞こえた。常に平坦で嫌味な笑みを浮かべる知略の担い手の表情にも驚きと焦りが浮かぶ。
ズンズンと歩き去ろうとする背中に追い縋りながら、ビショップは常に乱さない言葉と足取りを乱す。

「海と陸での待遇差は歴然! 同量の労働で得られる賃金を見ても本局が圧倒的に上のはず!!」

「面接のお偉いさんが貴方の悪口を言ったわ」

だからどうした? 悪口の一つ二つで痛む精神など彼は持ち合わせていない。
そう、彼は持ち合わせいないがその主 メガーヌは持ち合わせている。つまりトラブルである。

「なんて言ったと思う!? 
『君は優秀だが、あの召喚虫は何とかならないのか? 気味が悪くて堪らない』……ですって!! 
あ~思い出しただけでイライラするもの! 『彼の良さが解らない奴の下で仕事する気は無い!』って宣言して上げたの」

「何という事を……」

「ついでにコーヒーもぶっ掛けてやったわ!」

軽やかな口調と足取り、カラカラと笑う主を追いながらビショップはストレスで固くなった眉間を揉み解していた。


メガーヌ・アルピーノはクイーンである。コレは決してビショップを呼び出した故に、彼自身がつけた敬称ではない。
クイーンとはつまり、チェックメイトフォーの一人である裏切りの断罪者。
理由は解らないし、その力は目覚めて居ない、本人にはファンガイアである自覚すらない。
それでも彼女がクイーンであるは間違いようの無い事実。唯の人間にビショップが仕えることなどありえないこと。

「ビショップ……怒ってる?」

「何故ですか?」

しかしファンガイアとしての自覚も誇りも無い者をクイーンと呼ぶのは如何なものだろうか?
導く者という本質からビショップはこの事態を快く思っては居ない。しかしソレを改善する手を打っていないのも事実。

「本局入りの誘いを蹴ったこと」

「選ぶのは貴方です、クイーン」

あの世界でのビショップならば、選択権を与えつつもその選択肢は一つだけだった。
選ぶ権利を与えつつも選ぶ自由は与えない。常にファンガイアと言う種属を利する事だけを目的としている。

「そのクイーンって言うのも今日で終わりにして貰わないといけないわ」

ふとメガーヌは足を止め、振り返る。夕暮れに照らされた廊下には二人だけ。

「はぁ……」

ビショップがクイーンとは言えメガーヌの望むが侭に任せている理由。
まずはこの世界に同族が存在する確証が未だに無い。故にその繁栄を目指す事はない。
そしてもう一つ……本人が認めたくないところであり……しかし冷静な彼は既に分析済みで……誰よりも知っている事柄。

「このまえ部隊の皆で健康診断を受けたでしょ?」

「確かに受けていましたね。何か異常でも?」

本来ならば書類の類は一度ビショップを通して、メガーヌに渡されるのが通例。
だが健康診断の書類が手元に来ていない事は彼も気にはしていた。しかし何か重篤な病気でも? 
いや、ファンガイアは病気になど……「私、お母さんになりました」……ん?

「なっ!?」

衝撃! 驚愕! 略して衝愕!! そんな意味不明な言葉が脳内を駆け巡るほどに彼は混乱していた。
混乱の原因はいつもパーフェクトな召喚虫の慌てぶりを見て大爆笑。真に不謹慎な主である。

「妊娠三ヶ月だって。そろそろお腹も大きくなってくるみたい。あ~産休っていつから取れるんだろう」

「クッ! クイーンなんという事を……ダッダッ! 誰が父親で?」


衝撃で言う事を聞かない頭を叩き起こして言葉を吐き出す。ファンガイアのクイーンが人間となど汚らわしい!!
しかし憤りを隠してビショップは必至に悪巧みを再開。父親は誰だ? 
もっとも確率が高いのはゼスト隊長辺りか? 駄目だ、あんなイノシシ武者。出世の気配など欠片も無い。
最善なのはやはり海の上層部連中だろう。先程の失態を帳消しにし、それ以上の出世が約束される。
……そんな考えを巡らせつつ、誰かに嫉妬している自分をビショップは冷静に見つめていた。
そう……クイーンとして冷徹に育て上げていないのも、妊娠の報告に憤りを覚えるのも……

「もう! クイーンって呼ばないようにね?……アナタ♪」

「は?」

「あ~それとも旦那様が良い? 主従逆転? 気が早いけどパパにする?」

「言っている意味が良くわかりません……クイ!?」

ビショップの言葉は唇同士が重なる事で封印された。自分よりも高い肩を抱きしめ、寄せた耳元でメガーヌは囁く。

「アナタのご主人様は愛する人にしか体を預けないんだよ? 覚えておいてね?」

そこでようやくビショップは事態を完全に把握した。つまりメガーヌ、親愛なるクイーンのお腹に居るのは自分との子供だということ。
一度だけベロベロに酔っ払った彼女を介抱していたら押し倒され、ついついその気になってイロイロした夜が脳裏に過ぎる。

「しかしそんなことが……許されるはず……」

ビショップを襲うのは恐ろしい自己嫌悪。クイーンとは本来キングと交わり、その血を後世に残す大事な揺り篭。
それがビショップである自分と交わり子を成すなど、あの偽りのキバに勝るとも劣らぬ異常事態。

「次元世界は深く広いわ。異種族間結婚だって不思議では無いでしょ?」

彼の内心の葛藤を理解できる形で解釈したメガーヌはそう聞いた。しかしビショップが心の内で戦わせているのはもっと根本的なこと。
やはり自分はメガーヌ・アルピーノを愛しているという事実をようやく受け入れていた。
クイーンとしてでも、召喚主としてでもない。女性として愛していたのだと。

「そうですね…めっ…メガーヌ?」

「はい、よく出来ました♪」


その時から僅かな期間。ビショップは己の課された使命など本当にどうでも良いと思えた。
愛する主と自分達の間に授かった子供のことだけを考えていれば良かったから。
しかしメガーヌが亡くなり……彼は思い出す。運命に従わなかった者達の末路を。

「あぁ……私はまたクイーンを死なせてしまった」

三度も間違えた。しかし四度目は無い。繰り返す訳には行かない。何せ次のクイーンは……




「行こう、ビショップ」

今の主は母親譲りの紫色の髪をした少女 ルーテシア。
この少女はメガーヌとの愛の証なのだ。失うわけに行かない。故に完璧に育て上げる。
赤ん坊の頃から人間として、魔道師として、ファンガイアとして……全てを気に掛け、言葉を尽くし、手を回した。

「はい、プリンセス」

私情は捨てた。尊き血に歯向かうのはナンセンス。父親だと明かしてはいない。召喚虫として、師として、ビショップとして接した。
空には揺り篭が飛び、地は玩具が隊列を成して行進する。眼前には燃える町と敵が居る。完璧なロケーションだ。

「……新たなクイーンの戴冠式を始めましょう」

「ルーテシアが悪事に手を貸しても何とも思わないんですか!?」

エリオ・モンディアルにとって、眼前に立ち塞がるビショップと名乗った神父は理解し難く、気味が悪い相手だった。
神出鬼没、素手で魔法を跳ね除けても無傷。常に礼儀正しく、微笑みの陰には見下す視線。

「人が定めた悪の定義など何の意味もありません。この騒動も唯の習い事、尊き者の戯れに過ぎないのですから」

「六課を壊滅させたのも、ヴィヴィオを攫ったのも!?」

エリオの頭を駆け巡る沸騰した血液。怒りを満たした血潮が彼の幼いながらも整った顔を赤く染める。

「全ては完璧なクイーンを作り上げるため」

「ルーテシアをそんな風にしか見ていないんですか!? 利用しているだけだと!?」

『人間などにビショップの何が理解できる? この定めが、この愛が!?』
そんな言葉は口には出さない。敵に迷いを与えるのは戦で優位に立つ基本。ルーテシアにもそう教えていたが、今回は行わない。
殺す気持ちで向かってきて貰わなければ成らないのだから。

「だとしたら如何するのです? 止めてみますか、私を倒して」

ビショップは丸眼鏡を外して服の内ポケットへと納める。そして姿を変えた。
ファンガイアとしての本来の姿。戦闘に適し戦い易く、同時に迷わず倒せるような姿へ。
ミシリミシリとガラスが軋むような音を発て、細身の神父は姿を消す。
現れたのは鎧のような全身にステントグラス状の装飾。頭部は左右に白亜の角飾りをつけた兜、アゲハ蝶の刻印部分が目だろうか?
片方の肩には黒のマント、もう片方は白い女神の彫像。手にはガラス色の直剣。その姿は美しくも禍々しい、正しくも間違った怪物。

「言われなくとも!!」

エリオは管理局の局員であり、ベルカ騎士であり、何より男の子である。
『目の前の怪物は自分達に似た境遇の少女を操って悪巧みをしている』そんなストーリーが脳内で形作られ、使命感が燃え上がる。
その使命感すら……ビショップが意図して感じさせたモノであるなど……彼は最後まで知ることはないだろう。

ビショップは戦闘を得意としていない。並みのファンガイアを上回る力がある。
しかしチェックメイトフォーの中ではもっとも戦闘能力が低いだろう。故に怒りと使命感に燃えたエリオが互角の勝負を演じる事が出来ていた。

「たぁあ!!」

エリオの持ち味はスピード。解き放たれたデバイスの最終形態が生み出す初速、彼自身の魔法が生み出す加速。
二つを合わせ叩き出す速度は必然的に威力を連れて来る。小さな体には似合わない突進力。
それにより人間を紙屑のように引き裂くファンガイアとの鍔迫り合いを演じる事ができた。

「小賢しい!」

片やビショップは同族には珍しいテクニカルファイター。腕力ではなく、幻惑と言う手段を用いる事が出来た。
自らの体を青い燐粉に変えて攻撃を回避、瞬時に移動する能力。吐きつける金色の粉は物体に付着する事で炸裂する。
得物として片手持ちの直剣を装備してこそ居るが、それは騎士と呼ぶには程遠い。
故に小さなベルカ騎士が持つ気迫に押され……ているように見える。

「どうしました? 先程の威勢は」

「うるさい!」

例え拮抗した戦い、自分が押されているとも取れる状況でもビショップは、挑発の言葉を休める事は無い。

「可愛そうな同類の少女を救うどころか……自分のお友達も失う事に成りますよ?」

「ッ! キャロ!?」

エリオの声に戦友の悲鳴と爆音が答えた。


「こんな……」

エリオと同じく機動六課のライトニング分隊に属するフォワード キャロ・ル・ルシエは驚きを隠せずに居た。
相対するのは自分と似た境遇であるだろう冷たい目をした少女 ルーテシア。これは戦いではなく、説得。
お話をして可能ならば力を貸してあげる。そのために戦い、勝たなければならない……そう思っていたのは何分前の事だろう?

「嘘だ……」

呪われし力、アルザスの生きる伝説である黒竜ヴォルテール。
彼は同様の異形を持つ巨大な召喚虫 ハクテンオウに踏みつけられ虫の息。
永久なる伴侶、白銀の飛竜フリードリッヒも偽りの小さな姿で足元に転がっている。
キャロ自身も幾度かの砲撃を受けて満身創痍。相対するルーテシアは無傷。息一つ上げることなく、僅かに被った土を叩いている。
これは戦いと呼べるようなモノか? キャロはこんなにも『無理だ』と感じた事は無い。
辛い人生だったが一度だって諦め切った事なんて無かった。それなのに……

「この事態は幻想でも嘘でもない。貴女が弱くて、私が強いっていう……真実があるだけ」


冷たい目。感情を知らないんじゃない。知っていて不必要だと斬り捨てている。
出力、制御、召喚、射撃、飛行、防御。魔道師を代表する全てのファクター。
戦術、戦略、情報、心理。戦いを左右する全ての要素も完璧にコントロールしている。
戦う者として完璧に近いスペック。一体どんな環境で育ち、どんな事を学び、どんな戦いをすればこんなモノが完成するのだろうか?

「貴女は……本当に人間?」

「私は人である前にビショップに望まれたクイーンなの」

「違う!」

完成を目指す。望まれた形、望まれた高みへ。
この戦いすらワンステップに過ぎないと豪語するルーテシアへ投げかけられた叱責。
ビショップと鍔迫り合いを演じながら、エリオが叫んでいた。

「君は僕達と同じだ! 一人ぼっちで、いつも泣いていた唯の人間なんだ!」

「違う。私にはビショップが居る」

「どうして解ってくれない!? コイツは君の事なんて何も考えてない!!」

「そんなことない。ビショップはいつも私の事を考えてくれてる。だから私は彼の望むクイーンになりたい」

何故この怪物をそんなに信じる事が出来る!? 成りたいだって! 他の選択肢なんて与えても居ないのに!!
そんな罵声が飛び出すのを必至に抑えていたエリオの耳元でビショップが留めの言葉を吐き出した。

「選択など無意味、私の示す道こそが正しいのです」

「オマエハァア!!」

プツンとエリオの中で何かが切れた。
同時に相手の力が弱まるのを感じ、怒りで握り締めた刃を振りぬく。非殺傷設定などとっくの昔に解除していた。
ビショップの剣が弾かれて宙を舞う。剣を追ってステントグラス色の瞳は中を泳ぐ。
勝機! 遠距離から行うべきストラーダを構えての突撃を近距離から敢行。

『ザクリ』

ビショップの体は燐粉へと変じず、突き刺さる音がした。突き飛ばされゴロゴロとビショップは転がり、その姿を人間体へと戻す。

「ゴホッ!」

起き上がるまもなく彼の口から溢れ出すのは鮮血。青い人外の色をした液体が黒の司祭服を濡らす。
そこでようやく氷のように変わらなかったルーテシアの表情に変化。僅かな動揺、敵を放り出して大事な召喚虫へと駆け寄る。

「大丈夫、ビショップ?」

「申し訳ありません、油断しました……致命傷です」

淡々とした声だった。自分の死になど何の意味も見出してはいない。イヤ……コレこそが彼の目的。

「そんな……」

「どうか私が居なくとも……」

「うん、解ってる。私はなるよ? 貴方の為なんかじゃないんだから……私は私の為に」

ビショップは内心で喝采を上げる。『その言葉が聞きたかった!』と。
完璧なクイーンを作り上げるという目標の最終関門、それはビショップ自身へのルーテシアの依存や甘え。
口にも態度にも出さないが、彼の手一つで育てられてきたルーテシアがソレを持たない事は不可能に近いだろう。
しかしその甘えはいずれ足枷になる。冷徹なパニッシャー、キングを宿す揺り篭には相応しくない感情だ。

「そうです……それで良いのです」

何故ビショップはそこまでするのだろうか? 自分の死を持ってまで完璧なクイーンに拘るのだろうか?
彼はこれまで三人のクイーンを見送った。
最強のキングの伴侶を務めながら、人間との愛を選んだ者。彼女は力を奪われ、隠居を強いられ、最後は逆上した息子に殺された。
二人目は人間のルールに縛られ、偽りのキバとの愛情を優先した上でキングに剣を向けた者。ビショップ自ら鉄槌を下している。
三人目はもちろんメガーヌ。もしクイーンとして覚醒させていたら、あんなオモチャに遅れをとり、死ぬ事も無かった。

「これで……貴女は」


それこそがビショップの知恵と運命が告げる見解。
ビショップとはクイーンやキングを育て、失敗と見ればその首を挿げ替える事すら許される存在。
しかし誰よりも知識を持ち、知恵を巡らせるビショップは運命に反抗する事を知らない。どこまでも賢く、同時に愚かなのである。

だから彼はこう考えた。己の運命を受け入れなかった者、逆らった者、知らなかった者。
クイーンとして相応しく無い者には死が運命的に約束されている。もちろんこの先に生まれる全てのクイーンにもそのルールは適用されるだろう。
死したメガーヌの腹から自力で這い出し、生まれた時からビショップはわかっていた。
『この子こそ! メガーヌと二人で決めた名 ルーテシアを冠する我が娘こそが次のクイーンだ』と。

「完璧な……存在に……」

どうしても不幸な目になど遭わせたくは無かった。この愛らしい子が死ぬなんて認められない。
だからクイーンとして育てたのだ。唯のクイーンでは無い。
悠久のファンガイアの歴史においても、類を見ない完璧なクイーン。強く美しく賢く定めに忠実な存在。
その為には父などと言う肉親は不要だ。必要なのは守る騎士であり、育てる師。
その役目が終わったのならば、最後の依存を断ち切るために命を絶つ。最後にどんなザコが相手でも油断は禁物だと言う教訓を教え込んで。

「■□■□」

最後は言葉にならない。だがこれだけは間違いなく言える。
彼は娘であるルーテシアを溺愛していた。死すら娘の為に浪費する事を厭わないほどに。
その形が人間には理解できない形であり、ルーテシアにも一生伝わる事は無いとしても、これは間違いなくビショップの愛だった。


「バリン」

終わりは呆気ないモノ。ガラスが割れるような音が一つ。そこには既にビショップと言う存在が居た証は何も無い。
ゆっくりとルーテシアは立ち上がり、呆気に取られて動けないエリオとキャロへと視線を向ける。

「っ!?」

二人の背筋を駆け抜ける寒気。先程のルーテシアを遥かに越えた違和感。
先程まででも完成していた芸術品を思わせる雰囲気だったが、ソレすらも飛び越えた。
コレは人間なんかじゃない。コレは化け物で、自分達はその獲物 食料に過ぎない。

「あなた達の……」

ルーテシアの口から零れるのは小さな呟き。それだけで世界が変わる。
小さな掌の上に浮かび上がるのはチェックメイトフォーのクイーンである証……と、ソレに寄り添うビショップの紋章。
本来ならばありえないチェックメイトフォーの二席を占める最強のファンガイアの誕生。
それを祝福するように沸き立つ闇が辺りを染め上げ、天空にはいつの間にか輝く真っ赤な満月。


「あなた達の夜が来る」


クイーンとして力と美貌、ビショップから受け継いだ知恵と策略を持つ彼女はキングすら凌ぐかも知れない。
数多ある次元世界で一斉に目覚めたファンガイアたちを纏め、管理局と数百年にわたる闘争を勝ち抜く事になる。
運命に最後まで準じた男が作り上げた存在が、その運命すら越える力を得たのは最大級の皮肉だろうか?



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最終更新:2009年02月10日 15:22