カリム・グラシアは朝の祈りを捧げていた。場所は彼女がもっとも落ち着く場所である聖王教会総本山の大聖堂。
前面の壁を覆いつくし、ドーム型の天上まで伸びるのは幾何学的に組み合わされた色ガラス、つまりステンドグラス。
そこから差し込む煌びやかな光を受けて陰を作るのは、ベルカのシンボルたる剣十字のオブジェ。
簡易な魔法を用い自動で動く巨大なパイプオルガンが奏でる厳粛で神聖な調べ。
大衆向けに開放される時間よりも早く、無数の長椅子には誰も座っていない。
一段高くなった祭壇の前、真っ赤な絨毯に目を瞑って片膝を付き、手を祈りの形で組む金髪の美女がいるだけだ。

「……」

カリムはこの朝の一時を愛している。
聖王教会とベルカ自治領の重役、時空管理局の一員という重みを脱ぎ捨てる時間。
俗世の重荷を投げ捨てて、神への愛だけを考える事が許される時間。ただ祈りだけを考える時間。
しかしソレも直ぐに終わりを迎えた。カリムほどの要人となれば一日のスケジュールはギッシリと詰まっている。
本当に名残惜しそうな瞳でステンドグラスを見上げ、踵を返した瞬間……

「■□■□■」

「っ!?」

ガラスの破砕音が響いた。振り向いたカリムの視界に飛び込んできたのは砕かれたステンドグラス。
最高のベルカ芸術と唄われた美しい姿は見る影もなくなり、粉砕されたガラス片が降りしきる中、その人物は立っていた。

肩まで掛かる黒髪の男性。ガッシリと引き締まった長身、野性味を感じさせる顔立ち。
色ガラスの雨を見上げながら、呆然とした表情。重量の引かれた落下は直ぐに収まるが、男は砕けたステンドガラスを見上げていた。

「あの……大丈夫ですか?」

状況を理解できていないのはカリムも同じ事。大好きな場所が破壊された憤りもある。
それでも突然現れた男に対して優しさを示す辺り、彼女の心の広さを感じさせた。

「おい、ここは天国か?」

「え?」

だが突然現れた不審者は思考の内容も突拍子も無いようだ。先程の呆然とした表情とは異なる我が強そうな声。
まるで喜劇か何かのような質問の内容に思わず苦笑を浮かべて、カリムは答えた。

「残念な事ですけど、この世界は天国じゃ無いのですよ?」

「そうなのか……」

質問の内容もそうだが、その失望した子供のような表情と声。まるで不釣合い。
始めてみるタイプの人間だが、カリムはこの男の事が気になった。知的好奇心とも母性本能とも怖い物見たさとも取れる感情。

「よろしければ詳しい話でも…『退屈だ』」

退屈だと? カリムは整った眉を寄せ、端正な顔を歪ませて視線を逸らす。
その自分を見下ろす視線を受け続けると、怒り出してしまいそうな気がしたのだ。
突然現れて、『天国』がどうとか言われた上で次は退屈だと? 本来ならば直ぐにでも警備の者たちを呼びつけて捕らえても構わない不審者なのだが……

「何か面白い事は無いのか?」

「ありません! そもそも世界とは…『なら消えろ』…っ!」

ギシリギシリ、ミシリミシリ、ビキビキビキ。それはガラスが鳴くような異音。
死ねと言われた驚きよりもその音に恐怖を覚えた。男の首元から音を立てて這い上がるステントグラス状のアザ。
ソレは病。人間の宿敵として運命付けられた種属の呪われし証。突き出される手、不意に現れた浮遊する『牙』。
『これと戦ってはいけない』とカリムの本能が声高に叫んだ。

「なにごとですか、騎士カリム!!」

彼女の金縛りを解いたのは飛び込んできた警備の騎士たちの存在。
大きなステンドグラスが割れる音だ。外に居た者達の耳にも届く。
騎士甲冑と呼ばれる魔力精製した防護服を纏い、手には剣や槍などのアームドデバイスを握った数人。
彼らは割れたステントグラス、怯えた自分達の上司、その上司に手を伸ばそうとしている不審者を捉え、判断する。

「なんだ、キサマは!?」

「捕らえろ!」

そんな結論に辿り着くのは目に見えていた。一斉に男に殺到する教会の騎士たち。
聖王教会総本部というベルカにとって無くてはならない施設の警備を仰せつかった彼らの腕前は本物だ。

「騎士か! 随分前に滅びた人種だと思っていたが……面白い!」

強がり等ではない。この男は本当に面白いと感じている。カリムは男が騎士たちに向き直ったスキを付いて大きく距離を取った。
距離を取りながらも男から視線を外さない。その表情 戦いを欲する戦士であり、得物を狩る獣であり、退屈を嘆く子供のよう。

「□■□■!!」

間違えようがない獣叫び。蜃気楼のように輪郭が歪み、男はカワル。
それは既に人間ではない。亜人と表現するのも躊躇われる。それは正しい異物であり怪物。
頭部はデフォルメされ造形美すら漂わせ、白い鬣を蓄えたライオン。ガッシリとした体はステントグラスのような色合い。
その上に蔦を纏う城壁のような鎧を纏い、左右の肩にはラッパを吹く人型の頭部が一つずつ。

「化け物がぁ!!」

片方の肩をグルグル回す人間らしい準備運動をする怪物へ騎士たちが殺到。
その数は四人。速度と武装の関係か敵に到達するまでに集団は個人へと分かれる。
戦闘の男が振り下ろした大剣型アームドデバイス。それをヤツは素手で受け止めた。

「なに!?」

人間とは体の構造が違うとしても、ベルカ騎士の近接攻撃を素手で受け止めたことには驚きを隠せない。
振り払おうとするが恐るべき轟力でビクともせず、引き寄せられた上で殴り飛ばされた。
飛ばされた騎士の体は長椅子の列に突き刺さり、数個を粉砕して止まる。

「このぉ!!」

そのスキを付いて背後から振り下ろされるハルバード。無防備な背中を確かに捉えた。
既に非殺傷設定など解除された一撃は背中に一文字の傷を……付けられない。
バチリと火花が散っただけで、まるでそれがオモチャであるかのように無傷。

「バカな!! グホァッ」

驚きで止まった騎士の頭部を逆に捉えるのは鋭い裏拳。ボキリと骨が壊れる音がして、騎士がまた一人崩れ落ちる。

「よくも!」

「同時に行くぞ!!」

残された二人が左右から迫る。だがソレは慌てない。左右から浴びせられる連撃を鼻で笑う。
左右からの連撃を甘んじて受け続け、騎士たちが疲れたのを見計らって突き出す両の腕。
爪が伸張、そしてミサイルのように撃ち出された。魔法のような詠唱も、持続時間の制限も無し。
何とか受け切ったとて既に満身創痍。容易く殴り倒すのみ。

「つまらん……騎士もこの程度か?」

体のステンドグラス状部分に映る人間体の顔が口々に退屈そうに呟いた。
何百回、何千回と積み上げてきた遊戯と同じく、ソレの心とも呼べない歪な精神構造を永久に充足させるに足りない。
またタイムプレイに興じるか? それとも今度こそ天国に逝く為に善い事をするか?
恐ろしい事にソレの中では人間を食い殺して己に罰と褒美を与える遊戯も、他者を助ける善い事も大差は無い。
ただ退屈な己を満足させる為の行動に過ぎないのだ。またその両極端にして同意である選択をしようとした時……拍手が響いた。

「素晴らしいわ……ベルカ騎士がゴミのよう。まさに神か悪魔の所業ね?」

「なんだ、お前は?」

ソレは訝しそうに自分に賞賛の言葉と拍手を送る者を睨み付けた。最初に遭遇した人間の雌である。
ただの人間……そのはずなのだが……

「私はカリム・グラシア、神のシモベです。貴方は?」

「我が名はルーク。偉大なるチェックメイトフォーの一人だ」

『ワラッテイル』
このルークを前にして、か弱い人間共が神とやらに縋る表情と変わらないはずなのに……

「では偉大なルークよ、ここは天国では無いけれど……天国への逝き方なら教えて上げましょう」

歪な福音は告げられたし。




「さぁ、どうぞ」

人間としての姿をとったルークは自分の前に並べられたモノを訝しげに見つめた。
ここは大聖堂ではなく改めて通されたカリムの執務室。円形のお洒落なテーブル、白くてキレイなテーブルクロス。
その上には高価なティーセットが並ぶ。彼がもっとも視線を向けるのはケーキと紅茶。
自分と向かい合う形でテーブルを囲む人間 カリム・グラシアはソレを勧めてきた。
ルークとしては理解できない状態が続く。人間とは自分に襲い掛かって来た怪物にこんな事をする生物ではないはずだ。

「うん……美味しい」

片やカリムは自分のカップを口元に運び、啜る。味と香りを存分に堪能して、花のような微笑。
もちろんそんなモノに心を躍らせるルークではない。いま彼の心を占めているのは先に彼女が発した言葉『天国への逝き方』だけだ。

「天国への逝き方を教えろ」

「その前に質問。どうして貴方は天国に行きたいのですか?」

質問に対する質問。すぐさま自分の問いに答えない人間。普通ならば躊躇いなく喰ってしまうところだが、ルークはソレを自重。
殺すのは容易い。それでもコイツは自分の意思以外で語りそうに無かったのだ。
キングやクイーンのように力に裏打ちされた余裕ではない。ビショップと同様の知識による優位。


「退屈だ……面白い事など何も無い」

彼のような人を喰らう怪物 ファンガイアは総じて長生きである。
そして彼は永遠に繋がる偉大なる四天 チェックメイトフォーの一人。死という概念すら超えてしまいかねない存在。
しかしルークと言う役職には明確な使命が無い。キングは誇りを失ったファンガイアを粛正し人間の進化を防ぎ、クイーンは裏切り者の抹殺。
ビショップはファンガイアのあり方を管理し導く事を使命としているが、ルークには明確な任務が無い。
それでもチェックメイトフォーの一人として、並みのファンガイアとは一線を画す力を与えられている。
故に向かってくる敵を撃退するのは容易い。戦って楽しいなどと言うバトルマニアな考えを持つ暇も無い。
ならば自己完結できる遊びが必要になる。それが彼の言う『タイムプレイ 得物と時間を限定した狩り』である。
自分に課した数を狩る事が出来れば、自分に褒美を与える。逆に条件を満たす事が出来なければ罰を与える。
他者が関与する事が出来ないから、褒美も罰も全てが己で行う……故に飽きる。

「遣り尽したゲームばかりだ。与え飽きた褒美と罰しかない。だから天国だ……楽しいところなのだろう?」

たまたま公園で居合わせた親子から得た情報だが、実に自信満々といった表情で頷くルーク。
そんな彼を見ながらカリムは『本当に微笑ましい』と言う表情。頷きながらこう返す。

「天国から帰ってきた人が居ないから……ステキな場所なのでしょうね」

「そうだろ!……ん?」

『帰って来た人が居ない→帰りたく無くなるステキな場所』トンでも理論だが、ルークを納得させるには充分。
しかしふと彼は思い出す。そう言えば……天国への逝き方を教えて貰うんじゃなかっただろうか?と

「おい、いい加減に天国への逝き方を教えろ」

「そうでしたわね?……天国に逝くには善行と苦行を積まないといけません」

『実に簡単な事です』とカリムは言い切った。相対する彼はと言えば、頭の上に?マークが飛び交う様相。

「苦行とは何だ?」

「文字通り苦しい事です。その場の快楽を優先せずに現状を受け止め、理解し耐え忍ぶこと。
 貴方は苦手のようですね? 初めて会った者に『退屈だ』とか『面白い事は無いのか?』って聴く人に始めて会いましたもの」

ルークは痛い所を突かれた。それが天国に至らなかった理由だと言われれば、納得できてしまう。
むしろその退屈こそが天国へ逝く願いの原因であるのだから、改善の仕様が無いとも言える。
しかしそれを人間何ぞに指摘されるのは非常に腹立たしい。故に不満そうにこう言い返した。

「お前はどうなのだ? 苦行とやらをしているようには見えないぞ!」

「そんな風に見えますか? 心外です」

空気が変わった。空気など読む能力があるとは思えない子供のような怪物でも理解できる。
クイーン……いやキング……違う。コイツはもっと違う方向で……ヤバイものだと認識できた。

「私にとって世界の全てが苦行です。私は……私はただ神のお側に居たいだけなのに」

微笑みの色が抜けている。形はそのままだが感情が感じられなくなった。
慈愛に満ちた微笑が歪む。グシャグシャグシャグシャ。ソレはなんと言う表情なのだろう?

「ただ神に祈りを捧げるだけでよかったのに……五月蝿い運命の声は耳元で変えられない定めを囁く。
 子供の頃からその力のせいで自由は無かった。同年代が駆け回る自由がとても遠かった……」

カタカタと揺れるカップを置き、フラリとカリムは立ち上がった。
覚束ない足取りで仕事机に詰まれた書類を手に取り……躊躇いなく握りつぶす。

「こんな雑務もやりたくは無かった……ベルカを守り、聖王教会を盛り立てるのは重責よ?」

握りつぶした書類を放り捨て、詰まれた書類を苛立ち気に崩し、フラフラとした足取りでカリムは再び席に着く。

「あまつさえ……ミッドチルダの異教徒共に媚び諂うのは屈辱の極みだぁ。
 私はただ……神を慕い、神の御許へ逝きたいだけなのに……」

極論すればカリム・グラシアと言う人物は実に子供っぽい。ルークと似た物があると言っても良いだろう。
ただそのベクトルの方向性が異なるというだけで……


『でも……』
そう前置きした瞬間、カリムの表情が戻る。人間として正常な、聖女とでも表現できる微笑。

「でも……気がついたんです! この退屈は! この苦難は! 神の私への愛なんだと!!」

カリムの微笑は狂気、陶酔に溺れて絶頂感すら覚える表情へと急変。
もう完全に置いて行かれているルークは呆然とケーキを口に運んでみる。甘かった。

「だから私は与えられた定めを完璧にこなします。退屈もしないし、投げ出しもしない。
 私は自分にルールを設けません。結果に対して罰を課すもしないけど、褒美を与える事も無い。
 与えられる全ての運命を履行し続けます。完璧なカリム・グラシアを演じ続けるのです」

『その果てに……』

「神がいらっしゃるのだわ」

『全てを理解している』と自分の言葉に満足そうに頷くカリムへ、ケーキを食べきったルークが口元にクリームを付けて呟いた。

「大変なんだな……天国に逝くのは」

自分の認識は甘かったようだ。これからはもっと善い事をしよう。
タイムプレイも褒美も罰も止め……止めるのは難しいな? 回数を減らす位で大丈夫だろうか?
そんな子供じみた対策を内心で纏めているルークに、カリムが言った。

「えぇ、大変ですよ? だからお手伝いして欲しいのです」

差し出された手の意味が解らず、首を傾げるワガママな怪物へ……福音は届けられた。

「一緒に天国へ逝きませんか?」

「面白い……最高だぁ!!」

ガシリと差し出された細い手をルークの人間体でも大きな手が握り返した。
この人間は面白い。最高の暇つぶしであり、上手くすれば天国まで連れて行ってくれるという。
最高のオモチャを見つけた怪物は実に彼らしいギラギラと様々な色を見せる ステンドグラスのような笑みを浮かべていた。




「オレは……オレは善い事をする!」

人喰いの怪物ファンガイア その中でも偉大なるチェックメイトフォーの一角 ルークは力強くそう宣言した。
彼が戦うフィールドは聖王教会本部に隣接した公園、その芝生の上。
戦う相手は芝生の隙間に巣食う雑草。装備は草刈の鎌、手には軍手。黒のタンクトップ姿で、首にはタオルを巻いている。
そう、彼はいま善い事をしているのだ。

『善い事をすれば天国に逝ける』
それは彼が元に居た世界より持ち続けた行動理由である。
違いがあるとすれば彼の善行を指定するのが『天国へ逝き隊同士』であるカリム・グラシアであること程度だ。
自分で自分に課すルールには既に飽きたルークにとって、他人の指定と言うのは新鮮である。
そしてこれは彼が好んだタイムプレイとは異なり、時間が設定されていない。同時に善行は酷くつまらない物である。

「ふん! ふん! ふぅん!!」

しかし怪物は真剣そのもの。一族の仇と付け狙ってきた狼にも似た気迫で雑草を排除し続けている。
『天国に逝くには善行と共に苦行を積まなければ成らない』
正しく草取りは苦である。しかし同時にソレを行う時間は確実に天国へと自分を近づけているのだ。
そう考えるからこそ、今まで感じた事が無いような気迫を持って草を抜く! 抜く! 抜く!!

「あら? 今日もやってるわね、あの人」

「この前は教会の大回廊を拭き掃除しとったよ」

「まぁ~若いのに立派だねぇ~」

近くのベンチに座っていたご老人方から聞こえるのはそんな評価。
カリムとの密約を取り交わして一ヶ月ほどになるが、ルークの日常はもっぱらこのような雑事に終始している。
善行と苦行を同時に積むという破格の条件なので、本来の凶暴性で台無しにする訳には行かない。
最初はやっている途中で目の前のモノを全て破壊したい衝動に襲われたが、それも耐え切った。
現状にも馴れた頃には『雑事を進んで行う気がきく青年』と言うポジションをルークはゲットしている。

「あっ! おじちゃん見つけた!」

汗を拭う人間らしいアクションで、労働の成果を噛み締めているルークに駆け寄ってくる幼女が一人。
近くに有る聖王教会直営の孤児院に身を寄せている普通の人間。手に持っているのは封筒。

「どうした?」

「カリム様からお手紙!」

差し出された封筒は宛先も何も無い真っ黒。ただ城の劣搭に薔薇が重なる紋章だけが描かれている。
乱暴に封を切って中身に目を走らせれば、そこには既に労働に勤しむ好青年の姿は無い。血に飢えた獣がいるだけ。
カリムほどの狂人、もとい達人ともなれば制限なき苦行にも耐えられるだろう。
だがルーク程度ではそうも行かない。適度なリフレッシュも必要である。
それこそが手紙の中身にして、善行と言う名の聖女の悪戯。




『反ベルカ主義』と一括りにされる考え方がある。
色々と難しい定義が存在するが簡単に言い表せば……
『大規模騒乱の主犯たるベルカがミッドの脛を齧って存続しているのが気に入らない』
……と言った所だろう。
そんな主張の中でも考え方に誤差が生じ、多くの分派が形成されるのは歴史の常。
ミッドの管轄と接するベルカ自治領のホテルを占拠したのは、その中でも過激な思想を持つグループの一つだった。

「正面突破は可能か!?」

二階部分の窓から放たれる銃弾で、動きが取れない現地部隊の隊長が部下に怒鳴る。
火薬の炸裂音が連続しジェラルミンのシールドや、盾にしている警察車両が悲鳴を上げていた。

「無理です!! 敵は違法銃器を多数装備している上、こちらの頭を押さえられる場所を確保しています!」

銃撃音に掻き消されまいと部下の返事も怒声。しかし内容は明るいものではない。

「空戦魔道師でも居れば何とかなりますが、境界線近くで装備が限定されているうちの部隊じゃ……」

「中央の増援はまだ来ないの……おい、アンタ!!」

その人物はテロリストと治安部隊が睨み合い、銃弾と魔力弾が飛び交う場所へ平然と歩いてきた。
肩まで掛かりそうな黒の髪を二つに分けたガッシリとした長身の男。
タンクトップの上に黒い皮のジャケットを纏ったその男は、部隊長の前で足を止めると目を合わせることもせずに問う。

「アレがテロリストか?」

「そうだが何だ、お前は! ここは関係者以外……!?」

突き出されたのは一枚の紙。そこに書かれた文字に目を通せば、隊長の顔色が変わる。
そんな隊長の様子に部下達が首を傾げていると、大男は手に付けた無骨なデジタル時計を操作。
タイマーに設定してカウントが動き出すと同時に宣言した。

「タイムプレイの始まりだ!」

男はシールドを構えた者達を押しのけ、ホテルの入り口へと歩き出す。
走るわけでもなく、強固な防壁を展開しているわけでもない。ゆったりとした覇者の足取り。背中には見慣れない紋章が見えた。
勿論そこにはテロリストの銃弾が殺到するが……硬い金属音と火花が少々。
弾頭が潰れた鉛球が地面に転がるだけ。衝撃に僅かに身を傾けたが、足取りは止まらない。
必至なテロリストの銃撃をまるで気にもしないように、治安部隊の努力を嘲笑うように、ソレはホテルの内部へと入っていく。

「尖搭をバッグにした薔薇の紋章……聖王教会の懐刀……」

隊長が見せられた手紙にはベルカ内部でならば、どんな命令よりも優先するべき聖一級命令でこう書かれていた。
『手紙の持ち主の邪魔をするな』 『一切記録に残すな』 『口に出すな』
噂には聴いていた。ベルカ騎士団などの表の戦力とは別に聖王教会が保有する裏の戦力。

「チェックメイトフォー……ルーク」



ホテルの中はテロリスト襲撃時とは違った地獄絵図と化していた。
銃弾も魔力弾も通じないステンドグラスの色をしたライオンの化け物が迫ってくる。
それだけで先程までホテルの客達を恐怖のどん底に陥れていたテロリスト達が泣き叫ぶことになる。

「ひぃ! がほっ」

また一人、テロリストが抵抗空しく命を失う。ルークの戦術は単純明快。
頑丈な体で攻撃を防ぎ、似合わぬ速度で近づき、全力で叩く。
魔力に依存しない生物種としての強健な体構造に物を言わせた純粋な暴力。
ある者は拳で叩き潰し、ある者は首をねじ切り、ある者は爪で突き刺した。

「□■□■□!!」

楽しい楽しいお遊戯 タイムプレイの時間。ガラスの擦れ合うような音を発して、人喰いの怪物は笑う。

『ずっと続けるのは大変だと思いますから、たまにですけど……ゲームを許可します』

善行と苦行のイライラがピークに達していた時、カリムが彼に何気なくルークに言った。

『条件として獲物は指定します……だって私は神に楯突くクズ共を始末でき、貴方は日頃の行いが報われる。
……二人とも万々歳ですよね?』

正に万々歳! 我慢してから行うタイムプレイは今までの何倍も楽しい!!
カリムが指定する人間共は武装していて、歯ごたえも中々のモノ! これをクリアすればご褒美という楽しみも待っている。

「最高だぁ!」

悦楽と共に、何度も踏み潰していたテロリストが息絶えているのに気がつき、ルークは歩を進める。
時々出会うホテルの宿泊客は無視。彼がそれらをテロリストと見分ける手段は武装しているか否か程度なのだが……

「それ以上近づくな!」

実に漫画的、アニメ的、映画的シチュエーション。震える女性を押さえつけ、銃を突きつけたテロリストがいる。
ルークが足を止めたのは決して敵の言う事に耳を傾けたからではなく、このような状況への対処策を思い返すため。
数秒の沈黙の後、ガチャリガチャリと行進を再会。焦った男は声を張り上げた。

「この女がどうなっても良いのか!?」

「オレが殺すと不味いが、お前が殺したのなら問題ない。それに……」

思い返すのは人質が居た時の対処を告げるカリムの言葉。

『気にしないで犯人の沈黙を優先してください。もし殺されても良いんです。
 だって我らの民ですもの。偉大なるベルカの為に死ぬ覚悟は出来ているに違いないわ』

カリムの言葉告げた時の犯人と人質の顔と言ったら……

「残念だったな? あの女は正常に逝かれてる」

チェックメイトフォーの中でもっとも力強く、もっともイカレている男が唯の人間の小娘をそう評した。
既に犯人と人質は目の前。何時まで経っても撃たない犯人の手をゆっくりとした動作で捻り上げ、銃が滑り落ちる。
人質は転がるように離れれば、既にテロリストが出来る事など何も無い。

「ドス」

恐怖に歪んだ首元にファンガイアが食事に用いる牙が突き刺さった。
主の意思で自立飛行し、人間に突き刺さってライフエナジーを吸い取る一対の凶器。
ライフエナジーを吸われた人間は色を失い、ガラスのように砕けて消える。

「■□■□■□!!」

本来は無色、色と時を持たない怪物の体を人間から奪った色が満たす。
満腹感のような充足を味わっているとルークの腕から響くのは腕時計のアラーム。
人間の姿に戻り、腕時計の電子音を止めて呟いた。

「タイムアップか……」

既に抵抗を続ける者は居ない。下の階では現地の治安部隊が突入を始めたようだ。
ルークの成すべき事は完遂されたといって良いだろう。つまり……

「ゲームクリアーだ!」





「オレはオレにご褒美を与える!」

最初に通されたのと同じ執務室、やはりテーブルを囲んでルークとカリムは座っている。
違うところがあるとすればルークの前に置かれているのが、ガラスの器に入ったパフェだと言う点だろう。
ソレはご褒美。日頃の善行と苦行、そして先日のホテル占拠事件の鎮圧に対する労い。
そして明日からの苦しい道のりを登るための糧。

「ベルカ一と名高い菓子職人の作品なんですよ?」

そんなカリムの説明など聞いている訳ではないファンガイアは、銀のスプーンを手に取ってパフェへと突き刺した。
なるべく多くを口に運ぼうとした結果、ボロボロとパフェは崩れているが、気にはせず口に放り込む。
口の周りにクリームを付けた姿は正しく子供のソレ。

「美味い……最高だぁ」

正しく至極の一瞬と愉悦に顔を歪めるルークとソレをみて微笑みを浮かべるカリム。
怪物は余りにも嬉しそうにパフェを食べるから、その幸せを少し別けて欲しいと苦しみ続ける聖女が思っても仕方が無い。

「なんだ?」

席を立ったカリムが不意に自分へと抱きついて来たから、ルークはパフェを食べる手を止めて訝しげに問う。

「ちょっと幸せを分けて貰おうかと思って」

「幸せを分け与えるのに、どうしてオレは押し倒されている?」

いつの間にやら椅子から転がり落ちた二人。
ルークはパフェを死守しながら、自分を見下ろす形で腰の辺りに跨るカリムへ、憮然とした言葉を向ける。

「私みたいな女はイヤ?」

法衣のリボンが解かれ、カリムの首元が露出する。それだけなのだが逝かれた聖女からは淫靡な誘惑が溢れ出す。
ゴクリと種族を超えた欲求で喉が鳴り、ルークは思わず呟いた。

「美しい……」

「なら大丈夫ね?」

サラリと鳴る髪の音、細められた瞳には艶やかな色。
まるで人間に自分が食べられるような錯覚を受けて、怪物の背筋に走るのは鳥肌。
ルークが慌てて振り解こうとするよりも早く、カリムが彼の耳元でそっと告げる。

「ア・ナ・タ・にぃ~夜が来る♪」

「何でお前がその台詞をぉ!? なにをするやめ(ry」

ルークの言葉は続かない。主の意思を感知したかのように部屋の照明が弱まり、カーテンが閉まった。
つまり『夜が来た』のである。



翌朝 何時も以上に満ち足りた顔で祈りを捧げるカリム・グラシア。
そして男として、ファンガイアとしての尊厳も奪われて真っ白になって動けず、公園で子供たちに突かれるルークがいたのは余談。

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最終更新:2009年01月15日 18:52