病院を後にしたフェイトとゼロは、その足で別の場所へと向かっていた。
「はやてには会えた?」
 車中で、フェイトはゼロが彼女と共に聖王病院へ訪れた理由の成果を尋ねる。
「一応な」
 フェイトはなのはに、そしてゼロははやての見舞いに訪れたのだ。

 はやての病室には、はやて本人はもちろんのこと、リインもいた。
「なんや、珍しい奴が来たな」
 重傷という意味ではなのはとさして変わらぬはやてであるが、少なくとも精
神的に不調なわけでもない。さっさと治して現場に復帰したという気持ちが、
なのはよりも傷の治りが早い要因だろうか。
 はやては訪れたゼロに対し、極めて事務的な対応と、型どおりの礼を述べた。
彼女らしい応対にリインは呆れないでもなかったが、一通り言い終えると、は
やては口調と表情を崩して、笑顔を作った。
「まあ、今だから言うけど、私はアンタが最初は大嫌いやった」
 そんなこと誰でも知っている。思わずリインは突っ込みたくなったが、はや
ての醸し出す穏やかな雰囲気が、そうさせることを拒んでいた。
「過去形を使ったけど、今現在も別に好きじゃない」
 笑いながら、はやてはゼロと目を合わせずに言葉を続ける。結局の所、部隊
長などというのは組織にとっての潤滑剤でしかなく、もっと程度を落とせば、
はやての六課における役割は接着剤のようなものであった。ゼロという異世界
の戦士が現れたとき、はやてはどうしても好意的には接することが出来なかっ
た。大人げないと思われていたかも知れないが、今にして思えばそれほど間違
っていた対応だった気もしない。
「八神はやてが仲良くしているから自分も仲良くするのか、それとも八神はや
てが仲良くしているから自分は仲良くしたくないのか、人間心理なんてのはど
う転ぶか判らないもんでな」
 現に、フェイトがゼロに対し好意的に接しているのを知ったエリオ・モンデ
ィアルは、ゼロに対する不快感と、彼という存在に否定的となった。
「だからまあ、私は敢えて憎まれ役を買って出たわけや。八神はやてがあんな
にも大人げなく嫌ってるから可哀想だ、自分は気ぐらいは掛けてやろう、とな」
 結果的に、その計算は六課隊舎が壊滅し、八神はやてが倒れるまでは成功し
た。はやてが倒れてしまったことで「あぁ、やはり総隊長の言うとおりだった
んだ」ということになってしまったのは、はやてのミスであった。
「はやてちゃん……そんなお心深い考えがあったなんて」
 リインが感動して、何と目に涙まで溜めている。
「うん、咄嗟に考えたにしては、良くできた話やろ?」
「はい、そうです――えっ!?」
 愕然とするリインをからかいながら、はやてはベッドとから降りて起ち上が
った。そして初めて、ゼロと視線を合わせる。
 はやては、彼に向かって手を差し出した。
「最後の最後くらいは、握手でもしとくか?」
 差し出された手を、ゼロは数秒ほど眺めていたが、断る理由も既に無いと思
い、握ろうとして、
「やっぱ止めた」
 はやては自らの手を引っ込めてしまった。訝しがるゼロに、はやてはどこか
気恥ずかしそうに呟く。
「最後だけ仲良しさんのフリをするのは、何かおかしいもん。私はアンタがや
っぱり嫌いやし、それはそのままにしておいた方が良いと思う」
 好きじゃないものを、無理して好きになる必要はない。はやてはゼロが嫌い
ではあるが、そこに嫌悪感や邪気は含まれていなかった。
「それも、いいかもしれんな」
 思わず苦笑するゼロに、はやても笑顔を見せた。
「ちょ、ちょっと何で良い雰囲気になってるんですか! おかしいですよ!」
 リインが抗議の声を上げ、はやてとゼロの間に割り込んだ。
「大体、あなたにはリインも沢山言いたいことがあるんです。何ですか、リイ
ンのいないところで、行きずりの女とユニゾンなんてしちゃって! はやてち
ゃんに隠れて虎視眈々と機会を伺っていた私の立場はどうなるんです!?」
「行きずりって、リインお前な……」
 そのババ臭い表現に、はやてが呆れたようにリインを見る。しかし、リイン
は気にせず両手をブンブンと振り回している。
「酷いです、あんまりです。リインに内緒で、あんな野良融合騎とユニゾンす
るなんて、リインが知らないと思ったら大間違いですよ!」
 ユニゾンした相手であるアギトが聞けば、間違いなく燃やし尽くされそうな
言動を吐きながら、リインは抗議を続ける。
「リインともユニゾンしてください! あんな野良よりリインの方が良いに決
まってます」
 やれやれと苦笑しながら、はやてはゼロを見た。そんな機会、もうないであ
ろうことを彼女は知っていたが、無邪気なリインの姿は、はやてにとってもゼ
ロにとっても、微笑ましいものではあった。
 もっとも、ゼロは微笑んだりなどしなかったが。


 一連の事件がジェイル・スカリエッティ事件として称されることとなったの
は前述の通りであり、聖王のゆりかごの崩壊が一応の幕引きであることも事実
には変わりない。
 しかし、根本的な部分では何も解決していないのではないか、という意見も存
在する。何故なら、事件の首謀者であるはずの『偉大なる天才』、ジェイル・ス
カリエッティ本人は捕まっていないのだから。

「ドクターは、他者に対して信頼という感情を抱くことはまず無い。それはそ
の種の感情や感覚をあの人が知らないからだが、もっと正確に言えば、あの人
は自分自身に対してさえ、信頼することが出来ないでいたからだ」
 ミッドチルダ首都クラナガン、中央区画にある先端技術医療センター。今や
多くのナンバーズが収容されている病院ともいっていいこの場所において、一
つの朗報があった。長く機能停止の状態にあったナンバーズ5番チンクが、そ
の意識を回復させたのである。
「ドゥーエをドクターが信用するのは、あれがドクターの因子をもっとも色濃
く受け継いだ、謂わば分身だからだ」
 セインやディエチなど、妹たちから事の顛末を聞いたチンクは、スカリエッ
ティが多くのナンバーズを切り捨てた挙げ句に敗北し、ドゥーエと共に逃亡し
た事実を知った。しかし、彼女はスカリエッティを責めようとしなかった。
「自分自身の才覚に対してなら、ドクターはある程度の信用をしていた。けれ
ど、自分の存在に関しては、ドクターは何ら信頼もしていなかったし、それほ
ど評価もしていなかった」
 妹たちが耳を傾ける中、チンクは自身の考えを口にしていた。思えば、今や
自分が姉妹の中では最年長なのだろうか。ドゥーエのことも、セインやディエ
チなどは顔すら見たことがないし、恐らく今後も見る機会はないのだろう。
「ドゥーエは、そんなドクターの気持ちを理解できるんだろうな。理解できて
当然だ、あいつは唯一、ドクターと共存することの出来る存在なのだから」
 他の誰にだって出来ないことを、ドゥーエだけは可能とした。それは彼女が
一番ドクターに似ていたからで、ドクターがそんな彼女にだけは自分の心の深
い部分を隠さなかったからだろう。
「いや、違うな、ドクターは自分の心根を隠したことは一度もない。ただ、私
たちがその小さな入り口に気付かず、気付いても中をのぞき見るだけの勇気が
なかっただけだ。もっと私たちが、肌であの人と触れ合っていれば、私たちは
こうはならなかったのかも知れないな」

 少なくとも、家族ぐらいにはなれたのかも知れない。

「その、チンク姉は……知ってるの? ドクターの、夢を」
 チンクがドクターに対して不快感や嫌悪感を抱いておらず、彼を否定する気
もないことに、セインは気付いていた。稼動歴にして十年以上、セインやノー
ヴェなどとは比べものにならないぐらいドクターと長い時を過ごした彼女には、
彼女なりの考えや、思うところがあるのだろう。
「さあな、それを知っていれば私は――お前はどうなんだ、セイン?」
 敢えて答えをぼかしながら、チンクはセインに問い返した。
「わからない、わからないけど……」
 問いかけに対し、セインは宙を見上げながら少しだけ思案した。
「何となく、判ってきたような気はする」
 それでいい、とチンクは笑った。覇気のない笑顔ではあったが、暖かみはあ
った。姉として、彼女はこれから妹たちの今後に対しても、考えなければい
けない。それは彼女に残された責務と責任であり、義務と言えなくもないが、
彼女はそれを為すことに疑問を感じなかったし、役割を果たすことは当然だと
思っていた。
 チンクは思う、ドクターはもう自分たちの元に姿は見せないかも知れない。
だけど、もしまた会う機会があるのなら、その時までに考えておこう。彼に対
して投げかける、純粋なる気持ちと、言葉を。


 チンクの病室を辞したセインは、廊下でアギトと遭遇した。というより、彼
女はセインが出てくるのを待っていたようだ。
「アギトさん……?」
 スカリエッティの部下であった自分たちナンバーズに対し、アギトが元々良
い感情を抱いていないことをセインは知っていた。それだけに彼女が自分に用
があるというのは意外であったが、アギト自身に用があったわけではなかった。
「お客さんだぜ」
 ぶっきらぼうに、それでいて反感や反意のない声でセインに告げるアギト。
彼女にも色々と、心境の変化があるのだろう。
「私に?」
 セインは答えながら、アギトから少し離れた後方に立つ人物に目を向けた。
 この際だから嘘偽りなく言うと、セインはこの人物に会いたがっており、そ
の希望を伝えていた。
「ゼロ――!」
 セインの元へ、ゼロが尋ねてきたのであった。


 ある意味で不本意ながらも、気を利かせたフェイトは、ゼロとセインを二人
きりにした。別にそうしたからと言って不都合はないのだが、アギトから「い
いのか?」などと聞かれては、顔を顰めずにはいられない。
 そんなやり取りがあったことすら知らないゼロとセインであるが、二人の会
話はフェイトやアギトが思っているほど軽いものではなく、むしろ真面目であ
った。
「スカリエッティの基地は、放棄されていたか」
 ゼロの呟きには、意外さというものが含まれていなかった。
「うん、立ち寄ったっていうか、一度戻った形跡はあったんだけど」

 聖王のゆりかごが崩壊して数日、再び六課によって拘束されることとなった
セインは、病床のはやての指示を受け入れて、ついにジェイル・スカリエッテ
ィの秘密基地の所在を明かし、自ら案内役を務めた。彼女がそうした一つに、
拒む理由が亡くなったというのがある。ゆりかご攻防戦と、その前哨戦におい
てほとんどのナンバーズは敗北し、囚われの身となった。基地に誰かいたとし
ても、それこそドクターや顔も知らないドゥーエぐらいだ。
 姉妹に対する危害という危険性が排除された今、セインは管理局に協力姿勢
を示した。そうした方が良いとの、ディエチやディードによる勧めもあった。
 こうしてセインは、シグナム率いる管理局の武装大隊と、聖王教会を代表し
てやってきたシャッハを、スカリエッティの秘密基地へと案内したのだ。しか
し、誰もが予想したとおり、そこにはスカリエッティどころかガジェットの一
機も残ってはいなかった。
 放棄された基地内において、最初セインはスカリエッティがここに戻ること
なく、何処かに逃げたのだろうと考えていた。それが覆されたのは基地内を案
内する最中、人造魔導師の生体ポッドが収容されている部屋に辿り着いたとき
であった。
「テスタロッサを連れてこないで良かった……」
 生体ポッドに保管された人造魔導師の素体を見ながら、シグナムは不快感を
あらわにした。セインにとっては見慣れた光景でも、彼女たちにとっては違う
のだ。
 後に判明したことだが、生体ポッドに保管されていた素体のほとんどが、管
理局において死んだ人間、死んだとされている人間たちであったという。スカ
リエッティは死体を再利用したわけで、これはゼストなどにも言えることであ
った。生きた人間を使うよりも効率が良く、生命倫理にもさほど反しないとい
うのがスカリエッティの持論であるが、彼に道徳心などあったかどうか、セイ
ンを含めたナンバーズの姉妹ですら首を傾げることだった。
「あれ……?」
 室内を見て回る中で、セインは一つの違和感を憶えた。何かが、足りない。
並ぶ生体ポッドはその全てに素体が入っているわけではないが、一箇所だけ、
ポッドその物がない場所があった。別にそれにしたって珍しいことではないの
だが、セインの記憶はここにポッドがあったと事を思い出させていた。
「ない、XIの生体ポッドが、なくなってる!」
 その番号のポッドには、一体何が入っていたのか? シグナムの問いに対し、
セインは記憶の糸をたぐり寄せ、こう答えた。
「ルーお嬢様の……お母さんです」
 スカリエッティとは別に、独自に戦場から逃亡したルーテシア。彼女が今ど
こでどうしているのか、それを知る者はいなかった。

「ドクターはミッドチルダだけじゃない、あらゆる世界に自分の隠れ家を持っ
てる。私が知ってるのはその中のほんの僅かで……多分そう簡単に見つからな
いと思う」
 スカリエッティが捕まって欲しいのか、それとも逃げおおせて欲しいのか、
それに関してはセインも複雑な心境であった。ゆりかご攻防戦までは彼に対す
る反感や、切り捨てられたことに対する反発心のみが優先されていたが、終わ
って冷静になってみると、チンクが言うように違った見方も出来るのだ。
「少なくとも、ウー姉があの調子じゃね」
 何気ない言葉であったが、セインはナンバーズ1番ウーノの生存を知ってい
た。ゼロも知っていた、というより、ウーノはフェイトによって助け出された
のだ。なのはとヴィヴィオを連れて逃げる中、まだ息のあったウーノを見捨て
ることが、フェイトには心苦しかったのであろう。魔力が使えない状況下にあ
りながら、フェイトはウーノも連れてゆりかごから脱出したのだ。
「でも、あれは……」
 ウーノは命こそ助かったが、精神的には衰弱死していると言っていい状態だ
った。要するに、廃人と化したのである。セインはその有様にショックを受け
ないではなかったが、皮肉なことにその姿はある意味で納得のいくものだった。
自分などと違い、ウーノにはドクターしかいなかったのである。彼女はスカリ
エッティに拒絶され、捨てられたと感じたとき、考えるのを止めてしまったら
しく、生きながらにして死んでいるかのように、身体だけは活動していた。精
神は、既に死に絶えているが。
「よそう、こんな話、しても面白くないよ」
 面白いとか楽しいとか、そういう問題でもないのであるが、確かにゼロが今
日セインの元を訪れたのは、こんな話題をするためではない。そして、ある意
味では本題の方が、セインにとっては面白くも何ともないものであった。

「――帰るんだって? 元いた世界に」

 セインは言葉の表面に出た寂しさを、隠そうとしなかった。素直さは彼女の
美点であるが、気持ちを隠し通せない自分が気恥ずかしくもある。
「あぁ、戦いは終わって、オレの役目も終わった」
 つまり、ゼロはフェイトと共に挨拶回りをしていたのである。スバルやティ
アナ、キャロと言った面々には、事前に別れを済ませてきた。はやてやリイン
とも先ほど会い、惜しむらくはヴィヴィオに面会が出来なったことぐらいだが、
立場と状況を考えれば仕方のないことだ。
「いいところなの? ゼロのいた世界は」
 尋ねるセインは、必ずしも自分の言いたいことを言っているわけではない。
伝えたいこと、訴えたいこと、言っておかなければいけないこと、それらは無
数に存在し、セインの頭の中を駆けめぐってはいるのだが、言葉として出てこ
ないのだ。
「悪いところではない。いいところにしていければとも、思っている」
 その為にも、ゼロは帰らなくてはいけない。彼女を初めとした仲間たちは、
まだ自分のことを必要としてくれているだろうから。
 ゼロの決意が固いことは、セインが聞くまでもないことだった。誰であろう
と、彼が帰りたいと思う気持ちや、意思を否定することは出来ない。

 だけど……

「ゼロっ!」
 セインは、ゼロに駆け寄った。彼の目の前、それこそ目と鼻の先まで近づい
た彼に対して、かすめるようなキスをしようとした。何故そうしようと思った
のか、それは自分でも判らない。ただ、そうしたいと思っただけだ。
 セインの行動に対し、ゼロは微動だにしなかった。それをいいことにセイン
は目的を果たそうと顔を近づけ、

 見事に失敗した。

「うえっ!?」

 情けない声を上げながら、セインは体勢を崩した。要するに、つまづいたの
である。彼女はそのままゼロにぶつかり、二人は床に倒れ込んでしまった。
「痛ったぁ~」
 恥ずかしいというか、格好悪いの一言である。慣れないことをすると失敗す
るものだとはよく言ったものであるが、何もこんな時に言葉通りの結果になる
ことはないではないか。
 セインは余りの恥ずかしさに顔を上げられないでいたが、
「大丈夫か?」
 そんな彼女の髪を、そっとゼロの手が撫でた。
 考えてみれば、セインはゼロの上に倒れ込んでいる状態である。見方を変え
れば、これも抱きついていると言うことにならないだろうか? さすがに、抱
き合っているとは呼べないだろうが。
「あ、ちょっと美味しいかも」
「何がだ?」
「え、あー、こっちの話!」
 慌てたように、頬を紅潮させながらセインは起ち上がろうとして、セインは
それを止めた。
「どうした?」
「ん、もう少しだけ」
 我ながら大胆なことをしていると思ったが、相手の方はそうも感じなかった
らしい。セインはゼロのひきしまった身体に身を預けながら、そのぬくもりを
感じ取った。
 やがて満足したのか、相変わらず赤面しながら、セインは起ち上がった。

「またね、ゼロ。また、会おうね」

 さよならとは、言わない。
 それがセインの、せめてもの想いの表れだった。


 全ての別れを済ませ、ゼロとフェイトは車に乗り込むとクラナガンを後にし
た。車中にて、二人は無言であった。自動運転である以上、フェイトは運転に
意識を集中させる理由もないわけで、それでも会話がないのはフェイトにも思
うところがあるのだろう。
 ゼロの、帰還という事実に。
「そういえば、ギンガのことだけど――」
 触れずにはいられない話題が、いくつかあった。クラナガンへ、残骸となっ
て落下したゆりかごの破片。回収された多くの中に、当然の如くガジェットや
ナンバーズの遺体なども含まれてた。ナンバーズ3番トーレは、フェイトとの
戦いに敗れ機能を停止させ、落下時のショックで完全に基礎フレームが破損し
ており、再起動は絶望的であるという。次にナンバーズ4番クアットロだが、
こちらは不思議なほど綺麗な身体をしていた。
 正確に急所を貫かれて、絶命していたが。
「ギンガだけは、見つからなかった。少なくとも、ゆりかごの周辺には」
 あの時、ゆりかごの残骸と共に落下するゼロを助けたのは、確かにギンガだ
った。しかし、助けられた当人も、それを見守っていた周囲も、遂にギンガの
姿を発見することが出来なかったのだ。
 生きているのか、死んでいるのか、ゼロを助けることが出来たのだから生き
ているのだろうが、その後の足取りは掴めない。余り良い想像ではないが、ど
こかで死んでいたとしても不思議はないのだ。
「あたしは、ギン姉を探します。ギン姉が生きてるって希望がある限り、探し
続けます!」
 スバルの決意に対し、フェイトは微笑を持って返した。ティアナも協力を惜
しまないと言っており、少なくともスバルは悲観に暮れて立ち止まる、などと
いうことはなさそうだった。
 しかし、スバルに対するそれとは別に、フェイトには別の考えもあった。ギ
ンガが生きていることを前提として、彼女が今後表舞台に現れることはあり得
るのだろうか?
 あるいはあの時、ゼロを助けたときに姿を見せなかった時点で――
「生きていれば、また会うこともある。そういうことだろう」
 短く、ゼロは呟いた。ギンガに対しての感情を、ゼロはフェイトにも明かす
ことはなかった。秘めたるものを知りたいとは思ったが、それをすることは憚
られた。
 ゼロは、その後車中においてギンガの話題には一切触れることがなかった。


 着いたのは、クラナガン郊外の草原であった。何もない、あるのは草と大小
様々な岩ぐらいである。
 フェイトとゼロは車を降り、周囲に人がいないかを確認しながら、奥へと進
んでいった。この間、二人は無言である。
「よかった、ちゃんと準備されてて」
 草原の中心に、小型艇のようなものが置かれていた。単座式の、本当に小さ
いものであるが、一応次元航行が出来る代物だ。今日のために、フェイトがク
ロノを通じて管理局内から一機調達させたのだ。リスト上では廃棄機体だが、
実は新型である。廃棄リストに新型を紛れ込ませるという方法で、クロノは義
妹の希望を叶えてやった形だ。
「操縦は自動運転、マニュアルでもそんなに難しくはないから」
 機器を操作しながら、フェイトは淡々と説明をしていく。
 セインほどに、彼女は割り切ることが出来ないのかも知れない。セインは元
が敵としてであったことで、そもそもゼロと交流が持てたこと自体が奇跡のよ
うなものだ。しかし、フェイトは違う。違うのだ。
 異世界の住人であるから、いつか帰らねばならないというのは判る。しかも、
ゼロは好き好んでミッドチルダに来たわけでもない、次元漂流者だ。それがジ
ェイル・スカリエッティなどという犯罪者に目を付けられ、戦闘に巻き込まれ
てしまったばかりに、本来ならば全く関係ない苦労まで背負わせることになっ
てしまった。
 そう、ゼロはこの世界に大いなる貢献をした、したはずなのに……
「ごめんね、こんなに慌ただしくて、しかもコソコソと帰らないといけないな
んて」
 ポツリと呟いたその言葉には、複雑かつ様々な事情を絡み合っている。次元
航行艦艇の調達方法からも判るように、ゼロの帰還というのは非公式なのだ。
というのも、今現在におけるゼロの立場もまた、ヴィヴィオと同じぐらい微妙
な位置にあるのだ。
「本当は、管理局もあなたには百回だって千回だって頭を下げて、あなたの戦
果と功績を称えても良いはずなのに」
 ミッドチルダ首都クラナガンが壊滅したという一連の事件に際し、時空管理
局は頭を抱えながらも対応に迫られた。何故こんな事件が起こったのか、どう
して首都は壊滅せねばならなかったのか、前者はともかく、後者に関しては管
理局の防衛意識に対する痛烈な批判が展開された。多次元世界の管理ばかりに
かまけ、次元航行艦隊に予算を使う一方で、地上の平和を軽視した、というの
である。奇しくも、レジアス・ゲイズ中将の訴えは、彼の死後、結果論として
展開されていくとになった。
 ここで問題となってくるのは、事件を解決したのは誰かと言うことである。
クラナガンは壊滅したが、事件は管理局の手によって何とか集束することが出
来た、というのならまだ面子も保てるし、対外的にも「まあ、解決は出来たの
だから」ということになるだろうが、聖王を撃破し、ゆりかごを破壊したのは
管理局ではなくゼロだ。管理局は事件の解決さえも、異世界の戦士に頼らざる
を得なかったのかと言われれば、その権威は地の底まで落ちるだろう。
「管理局はゼロの存在を引き入れようとしている」
 クロノからフェイトへともたらされた情報は、それほど意外なものではなか
った。つまりゼロを協力者、協力員とでもして元々管理局側の人間だったアピ
ールし、彼を正式に身内に加えてしまおうというのだ。かつての自分や、なの
はがそうであったように。
 だが、裏を返せば実質的な監視下に置くのも同義であり、そうなってはゼロ
が元いた世界に帰ることなど不可能となってしまう。故に、フェイトは散々悩
んだ末、先手を打ってゼロを元の世界に返してしまおうと考えたのだ。それが
この戦いに彼を巻き込んでしまった自分の、せめてもの償いのつもりだった。
 はやては勿論、クロノにも協力させたのは一人では限界があったからだ。ク
ロノは管理局の規律や規則を百も二百も破るであろう行為への加担を最初は拒
んだが、管理局がゼロの戦果も功績も全て奪おうとしているという事実の後ろ
めたさから、最終的には協力を了承した。

「それと、ヴィヴィオにも感謝しないとね」
 微笑するフェイトだが、今回のことで一番重要な部分を担ったのは、他でも
ないヴィヴィオである。帰るにしても、フェイトはゼロの元いた世界の場所や
位置を知らず、クロノも発見できずにいた。そんな中、事情を知ったヴィヴィ
オが驚愕するような情報を秘密裏に教えてきたのだ。

「ヴィヴィオ、知ってるよ。ゼロの元いた世界の場所」

 聖王となってゼロと激闘を繰り広げていたとき、ヴィヴィオは次元の穴をこ
じ開けて、ゼロが元いた世界へと続く扉を作ったことがある。その時の記憶が
残っていたのか、ヴィヴィオはその座標や正確な位置を憶えていたのだ。
 場所さえ判ってしまえば、話は簡単だった。
「さてと、後はここにこれを取り付けて……」
 フェイトとゼロ以外は誰も居ない草原で、ゼロはひっそりと帰還の時を迎え
ようとしている。不満はないが、どこか物悲しい風景ではあった。
「本当に、それを使ってしまっていいのか?」
 取り付けているものに対して、ゼロが僅かな懸念を発した。
「……いいよ、別に。保管しても盗まれるぐらいなら、ゼロが持って行って」
 それとは、ジュエルシードのことである。ゼロの元いた世界、その座標を調
べたフェイトは驚いた。ミッドチルダから、通常の次元航行技術を使っても簡
単には行けないような、遙か彼方にあったのだ。大型艦船クラスでも数ヶ月は
かかるという結論に対し、フェイトは別の考えを決断した。
 即ち、次元干渉型エネルギー結晶体ジュエルシードを使って、超長距離次元
航行を可能にすると言うのである。理論的には正しく、実現もさほど難しくは
なかった。しかし、ジュルシードはロストロギアであり、それを管理外世界に
送るというのは……
「発覚したとき、その時は私が全責任を負うから」
 というフェイトの懇願に、クロノは遂に折れた。表向きは盗まれたと言うこ
とにして、ジュエルシードを一つ、ゼロが身につけていたものをフェイトが自
由に扱えるようにと、手配してやったのだ。とことん、義妹には甘い提督であ
った。
「ジュエルシードは、私にとっての過去であり、思い出深い宝石なんだ。だか
らかな、私はこれを、あなたにも持っていて欲しい」
 もう一つ、この宝石に想い出が刻み込まれた。僅か数ヶ月の話ではあるが、
人生において忘れられない出来事となったことに、違いはない。
「そうか、なら、ありがたく受け取っておこう」
 ゼロはフェイトの好意を、快く受けた。彼はそうされるだけの立場にあり、
資格も十分にあるのだが、彼自身はフェイトに対し、色々と迷惑を掛けて済ま
ないと思っている。謙虚と言うわけではないが、そんなゼロの姿勢も、フェイ
トにとっては好感を抱く理由の一つだった。
 今では、それを含めた大半の部分で、フェイトはゼロに明確な好意を抱いて
いるのだが、フェイトは口に出そうとしなかった。口にしてはいけないような
気がしたのだ。
 言ってしまえば、もう二度と会えないように思えたから――

「……そろそろ、時間だ」

 ゼロは言って、フェイトに背を向けた。まだまだ話したりない、話すべき事
は山のようにあった。逃げたスカリエッティについてや、これからの六課の行
く末、ギンガの所在や、なのはとヴィヴィオの今後、そしてフェイト自身に関
しても、言いたいことはとめどなく溢れてくる。
 けど、それは帰還者たるゼロに必要な話ではない。彼の役目は、彼の物語は
ゆりかごを崩壊させたとき、幕を閉じたのだ。後は残されたものが引き継ぐべ
き話であり、ゼロに背負わせるべきではないのだ。
 だけど――

「ゼロ……あの」
 ここに、残って欲しい。ミッドチルダに、自分の、フェイト・T・ハラオウン
の側に、居て欲しい。
 その言葉が喉まで出掛かったフェイトであるが、言いたくても言えなかった。
「何だ?」
 問いかけるゼロに対し、フェイトは気丈に、自分では気丈だと思った上で、
「何でも、何でもないよ」
 ゼロに向かって、微笑んで見せた。その微笑みに、ゼロも僅かであるが微笑
を返した。
「そうか」
 短く答え、ゼロは周囲に目を向けた。見回したところで、辺りはただの草原
で、目の前にも比較的大きな岩があるぐらいだ。
 ゼロは岩の先、遠くの世界を見つめているようであったが、それは彼なりの
ミッドチルダという世界に対する別れの挨拶だったのかも知れない。ゼロは再
び、フェイトに背を向け歩き出した。
 良いのか、何も言わなくて? これが最後、二度とないかも知れないのに、
何か、最後に何か、彼に、ゼロという戦士に言っておくべき事はないのか。

「――――ゼロッ!!!」

 気付いたときには、ほとんど無意識でフェイトはゼロに駆け寄り、その背に
向かって抱きついた。
 身体は震え、頬は赤みがかっている。フェイトはゼロに振り向いて欲しくは
なかった、振り向かれれば泣いている自分が判ってしまうから。
「フェイト……」
「何も言わないで。言いたいことがあるのは、私だから」
 言いながら、フェイトは自分が何を言いたくて彼に抱きついたのか、それを
考えた。抱きついた瞬間に抜け落ちたのか、それとも考えもなしに抱きついた
のか、いや、違う――
「例え、あなたが自分のことをどう思っていようと」
 自然と、言葉は口から奏でられていく。まるで、何年も前から言うことを決
めていたかのような、明快で明確な流れ。
「私にとって、あなたは……」
 フェイトは、その一言に自分の気持ちの全てを込めた。

「あなたは、私のたった一人の英雄だから―――!!!」

 英雄とは、誰か一人でも認める者がいるなら、その時点で英雄なのだ。
 昔、誰かから聞いたことがある。
 もしそれが真実ならば、私は何度でも、何回でも、ゼロを英雄として、私の
唯一の英雄として認めるだろう。
「あなたは私にとって、英雄だった。この世界のためとか、そんなことはどう
でも良いし、あなたが今後、気に掛ける必要はない。だけど、これだけは忘れ
ないで」
 ゼロを抱きしめる腕に、力が籠もっていく。
「ゼロは私の、フェイト・T・ハラオウンの英雄になったという事実だけは、
忘れないで欲しい」
 その想い出の証が、ジュエルシードなのだ。
 フェイトの想いに、さすがのゼロも鈍感ではあり得なかった。彼は振り返ら
ず、フェイトを抱きしめ返そうとはしなかったが、彼女の思いに対してはただ
一言、
「約束、しよう」
 そのように、答えてやった。
 抱擁を終え、フェイトの腕からゼロが離れた。涙を拭いて、フェイトはゼロ
の後ろ姿を見る。
 ゼロは最後に一度だけ、たった一度だけフェイトに向かって振り返った。

「フェイト、ありがとう―――さよならだ」

 その時、フェイトは確かにゼロが笑ったような気がした。自分に向かって、
微笑んでくれたような、そんな気がした。
 決してそれは、錯覚などではなかった。
「元気でね、ゼロ。また、いつの日か」
 ジュエルシードがきっと、いつか二人を引き合わせてくれる。

 フェイトの想いを乗せたジュエルシードの光りが、草原の空に輝き、そして
消えた。赤き戦士にして、フェイトの英雄は、自らの世界へと帰っていった。


「……さて、と」
 ゼロが帰還した空を見上げながら、フェイトは後ろ歩きで後方に下がり、近
くにあった大きな岩へとその背を預けた。ゼロが最後に見つめていた、視線の
先にあったものである。

「良かったんですか? あれだけしか言わないで」

 声はフェイトの後方、岩を挟んだ反対側から聞こえてきた。
「私は、言いたいことは全部言った。あなたの方こそ、出てこないで良かった
の? ゼロはあなたが居たことに気付いていたよ――ギンガ」
 名前を呼ばれた少女が、僅かに苦笑する声が響き渡ってきた。
「今更、私がどんな顔してあの人に会えば良いんですか? 気付いてくれただ
けでも嬉しいし、私は満足ですよ」
 ギンガ・ナカジマ、ある時は機動六課の隊員としてゼロと共に戦い、またあ
る時はスカリエッティの部下としてゼロと敵対し、最後の最後は彼の命を助け
た少女が、そこにいた。
「ゼロは、きっと私を許してくれないから……だから、会う必要はなかったん
ですよ。会えば、彼に対して私は酷いことを言ったと思うし、してたかも知れ
ないから」
 フェイトには言わなかったが、ゼロには言ったギンガの本音。助けて欲しか
った、ゆりかごとともに落ちるゼロを助けたとき、ギンガは確かにそういった。
どうしてそんなことを口に出してしまったのか、今でも判らない。
「でも、そんなのは甘え、所詮甘えです」
 何から助けて欲しかったのか、それすらもギンガには説明が出来ない。聖王
との戦いからか、それともスカリエッティからか?
 いや、違う、もっと根本的な、本質的な部分で、ギンガはゼロに救いを求め
ていたのだろう。
「いずれにせよ、それはゼロにとって関係のない話です。彼が私なんかのこと
をいつまでも憶えていてくれるかはともかく、差し当たってはこれで良いんで
す」
 微笑んでいるであろうギンガに対して、フェイトは声を掛ける。

「これから、どうするつもりなの?」
「それは、あなた次第じゃないですか? お尋ね者のギンガ・ナカジマはあな
たのすぐ反対側にいて、その気になれば捕まえることも出来ると思いますよ」
 ギンガが抵抗するかしないかは別として、フェイトにそういった選択肢が存
在するのは事実である。事実であるが……
「止めとく。あなたはさっきゼロが自分を許してくれないと言ってたけど、ゼ
ロはあなたに気付いていながら、最後までそれを私には言わなかった」
 結果的にフェイト本人も気付いてはいたが、少しだけ悔しさが混ざった声だ
ったかも知れない。
「あなたには、ゼロを助けて貰った借りもある」
「その借りは、先ほど本人が返してくれたんじゃないですか?」
 訝しげな口調で、ギンガが尋ねてくる。
「ゼロ本人はそうかも知れないけど、私個人はまだだから……ありがとう、ギ
ンガ、ゼロを助けてくれて」
 突然の礼に、ギンガは思わず言葉を詰まらせた。まさか、フェイトがそのよ
うなことを言い出すとは思わなかったのだろう。
「あなたは、昔からそうですね。あなたみたいになりたいと思って、私は遂に
そうすることが出来なかったなぁ」
 今からでも遅くはない、そう言おうとして、フェイトは止めた。自分がそれ
ほど大した人間ではないと思ったからでもあるが、ギンガが僅かに魔力を解放
させ始めたのに気付いたからだった。
「スバルを、よろしく頼みます。私と違って、良い子なんですよ、あの子は」
「知ってるよ――会ってあげないの?」
「その資格を、私は自分自身の手で失ってしまいましたから」
 次に会ったときは、敵同士です。
 別れの言葉としては陳腐だが、ギンガの発した言葉の意味と重さを、フェイ
トは強く噛みしめていた。

「それじゃあ、お互いもう二度と会わないことを祈りましょう、フェイトさん」

 笑い合い、言葉を交わし合って、それが、フェイト・T・ハラオウンとギン
ガ・ナカジマの、別れの挨拶だった。
 ギンガが今後どうするのか、それはフェイトには判らない。知りたいとは思
うが、今は他にやるべき事が多すぎる。
「帰らないと、私には、帰るべき場所があるんだから」
 そう、フェイトには帰るところがある。
 仲間がいて、友人がいて、親友はいなくなってしまったが、そこはフェイト
の帰るべき家なのだ。
 フェイトは、大空高く、天を見上げた。幾つもの星が、空に浮かび上がって、
瞬いている。あの星の一つに、彼はいるのだろうか。

「ありがとう、ゼロ――私の英雄」

 想いを呟きながら、フェイトは歩き出す。
 彼女の帰るべき家、機動六課へと帰るために、歩き始めた。

                                おわり


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最終更新:2008年10月27日 00:11