ミッドチルダ北部ベルカ自治領。
 ノーヴェとゼロが激戦を行った岩場から、そう距離はない森の中。ギンガ・
ナカジマにルーテシア、そしてゼスト・グランガイツとアギトを加えた一行で
ある。使い魔も数に数えるなら、ルーテシアの忠実なる僕、ガリューもいる。
「ここは……何かの史跡か?」
 アギトが周囲を見回しながら、物珍しそうに呟いた。
「史跡と言うより、遺跡だろうな。古代ベルカの匂いの残る場所、とでも言う
べきだろう」
 聖王教会は次元世界最大の信徒数を誇る宗教、『聖王教』の総本山である。
宗教権力は、いつの時代、どんな場所においても絶大な力を発揮するに違わず、
旧ベルカ自治領を中心に存在する組織は、管理局最高評議会に匹敵する権力と
発言権を持っているとされる。でなければ、ミッドチルダにあって古代国家の
自治領など認められるわけがない。
 こうした宗教権力との結びつきに対し、地上本部のレジアス中将などは批判
的であり、否定的だ。彼が本局から疎まれるのには、そうした利権屋に近い屑
どものせいでもある。
「教会と管理局の癒着は、百年やそこらで語れる物じゃない。大司教や枢機卿、
教皇たちは三提督に並ぶ位置にいるとされ、そもそも局内及び管理世界におけ
る信者の数は多い……真に恐ろしいのは、信仰深い狂信者。怖い話ね」
 蔑むような口調で喋りながら、ギンガは遺跡内を探索している。ベルカ自治
領には、このような場所が多い。本来なら、考古学者の類などが旧文明の遺産
を解き明かそうと発掘や採掘でもするのだろうが、教会はそれを拒み続けてい
る。彼らにとって、この森は信仰対象である聖王の庭であり、ベルカ自治領そ
れ自体が聖王の持ち物なのだという。国は王に帰するもの、という考えは理解
できなくもないが、滅び去った国と王に何の価値があるというのか。
「……ここかな、ドクターの言っていた入り口は。ノーヴェの方じゃなくて、
こっちが当たりだったみたい」
 岩と岩の隙間に、入り口のような物が見える。ギンガは左手で、ゼストの背
丈ほどもある岩片を掴むと、片手でそれを放り投げた。思わずアギトが驚きの
あまり目を点にしてしまったほどで、ガリューも無言ながら一歩、後ろに下が
ったほどだ。
「凄い力」
 ポツリと、ギンガの怪力を見せつけられたルーテシアが呟いた。無表情なが
らも驚いてはいるようだ。ゼストもまた、既にギンガが自分では止められない
ほどの実力者へと変貌していることを実感せざるを得なかった。
「さぁ、入りましょうか」
 言って、遺跡内に足を踏み入れるギンガだが、

「……へぇ」

 その前に、四つ足の脚部を持つガジェットが、這い上がるように現れた。

「自動防衛システムって分け、面白いじゃない」
 ギンガは、左腕の拳を強く握りしめた。



        第18話「ナンバーズ分裂」


 ミッドチルダ中央区、先端技術医療センター。
 ゼロは、久方ぶりにここを訪れていた。以前来たときは、ギンガが一緒だっ
た。彼の身体の具合を心配した彼女が、戦闘機人として世話になっていたこの
施設をゼロに紹介したのだ。
 しかし、そのギンガは今、ゼロの隣にはいない。

「良かったね、ノーヴェ。チンクの側にいられて」
 ガラス越しに見える、集中治療室の光景。セインは、機能停止したまま治療
を受けている姉妹の姿を見ている。
 重傷患者であったチンクは勿論、新たにノーヴェまでもがここに担ぎ込まれ
た。センターにあって、戦闘機人向けの設備はそれほど多いわけではない。必
然的に、ノーヴェはチンクと同じ場所に収容されることとなった。
「一時はどうなるかと思ったけど……本当に良かった」
 呟くセインに、傍らのゼロは何も言えないでいた。ノーヴェが傷つき倒れ、
ここへ収容される原因を作ったのは他でもない、彼自身だ。命だけは助かった
と言っても、それだってゼロが何かした分けじゃない。彼が戦った結果として、
偶然ノーヴェが生きていたという事実がくっついてきただけだ。
 セインはゼロを責めなかったし、今後もその気はなかった。だが、ゼロとし
ては責任の一つも感じざるを得ない状況である。聞けば、ノーヴェはセインを
含めて先にゼロに倒された姉妹らと特に仲が良く、恐らくそうした事情が彼女
を追いつめ、後のない戦いを挑ませたのではないだろうか?
 形振り構わぬ捨て身の攻撃、そこに付け込んだスカリエッティ。けど、ノー
ヴェを実際に倒したのはゼロなのだ。
 ゼロはセインには声を掛けず、黙って部屋を出た。逃げたといわれても、否
定はしないし、出来るわけがない。
「ゼロ……大丈夫?」
 部屋から出てきたゼロに、フェイトが心配そうな声を掛けた。彼女はとある
任務があって、ゼロとセインとは別ルートでここを訪れていたのだ。
「心配ない」
 簡潔に答えるが、明らかに無理をしているとフェイトは感じた。だが、フェ
イトにしたことろで容易に口を挟める問題ではないのだ。気にする必要はない、
などと彼女が言えるわけもないし、例えセインがそのように言ったところでゼ
ロは気にするだろう。
「マリエル技士官が、あなたに用があるって」
 それは、以前ゼロの身体のメンテナンスを担当した女性の名前である。ゼロ
は無言で、彼女の待つ部屋に向かって歩き出す。フェイトもそれに続くが、ふ
とゼロは足を止めて立ち止まった。
「ゼロ?」
 怪訝そうな声を出すフェイトに、ゼロは背を向けたままこう言った。
「心配を掛けて、済まない」


 時空管理局本局は、先日に襲撃事件によって敵がナンバーズと呼ばれる戦闘
機人を奪還する意思があることを、勘違いではあるが、知ることになった。単
機での潜入は馬鹿げているの一言で済ませられるが、これが大軍ならばどうな
るか?
 しかも上層部は、未だに機能回復せず満足な尋問も行えないナンバーズを持
て余しており、厄介なお荷物、腹に爆弾を抱え込んでいるなどと揶揄される始
末だ。それに対し高官たちは会議を重ね、一旦捕獲したナンバーズを別の場所
に極秘裏に移すことにした。機能を回復させた後、尋問、または拷問を行い情
報を得る。
 そして任務を与えられたクロノ提督は義妹のフェイトに連絡を取って、彼女
に二体のナンバーズを先端技術医療センターまで護送させたのだ。
「一応、八番の子がそろそろ目を覚ましそうだよ。見た目からして男の子かと
思ったんだけど、引っぺがしてみると女の子だったりしたよ」
 コーヒーを飲みながら、マリエルは何とも微妙な話を笑い話にしている。お
義理でフェイトは笑ってやるものの、ゼロは無表情を貫いている。笑わないゼ
ロに、やれやれとマリエルは呆れて、話題を変える。
「ところで、リインは最近元気? 仲良くしてる?」
 何故かフェイトではなく、ゼロに尋ねる。
「主を失って、気落ちはしているようだが」
 底抜けに明るいリインでさえ、はやてが倒れた、倒されたという事実は堪え
たようだ。しかもそれが、懇意の仲とも言えたギンガによってとなれば、尚更
だろう。
「そっか……良かったら慰めてあげてよ。あれで、寂しがり屋だからさ」
「善処する」
 嫌だとか、無理だとか、そういうことは言わない。不向きなことだとは、思
っているが。
「宜しい。リインとはね、仲良くしておいた方が良いよ。あなたとリインが協
力し合えば、ちょっと面白いことが出来ると思うから」
 意味ありげな笑みを浮かべるマリエルに、ゼロが怪訝そうな、フェイトがキ
ョトンとした視線を向けるも、彼女はそれを交わして、起ち上がると隅にある
比較的大きいサイズの棚へと向かう。
「えっとねぇ、ここにしまってるんだけど」
 鍵束から鍵を選び、いくつもの錠を解錠していく。研究資材か、発明品でも
入れているのだろうか? 厳重な管理を見るに、ただの棚というわけではなさ
そうだ。
「魔法の使ったセキュリティは、それを突破する物がすぐに編み出されてイタ
チごっこ状態。こんな昔ながら鍵の方が、却って良かったりするんだよね」
 解錠の魔法を使えても、ピッキング技術を持ち合わせていない盗人や泥棒の
類は五万といる。これも魔法社会の、あるいは良い意味での弊害なのではない
かとマリエルは考えていた。
「さて、と。これだこれ」
 大きな合金製の、長大なケースを取り出すマリエル。テーブルまで戻ってく
ると、それをゼロとフェイトの前に置いた。
「フェイトさんに見せて良いのかは判らないけど……」
 特殊な形状をした鍵を差し込み、ケースを開ける。現れる中身に、フェイト
はそれが何であるか判らなかったが、ゼロはすぐに判った。
「完成していたのか」
 ケースの中に入っていたのは、金属製で出来ている二種類の……何であろう
か? フェイトはすぐに答えを出せないでいた。
 一つは、小型の円盤状をしており円形の盾であろうか? それにしては少々
小さい気がする。もう一つは、これは二つの棒状の物が一組となっており、形
としては警邏が持っているようなトンファーによく似ている。
「ゼロ、これは?」
 尋ねるフェイトだが、口を開いたのはゼロではなくマリエルだった。
「円盤状の盾がシールドブーメラン、こっちのトンファーみたいのがリコイル
ロッド。どちらもゼロに頼まれて作った武器」
 武器という単語に、フェイトが驚いてゼロを見た。武器はロッドの一つを手
に取ると、物は試しと握り込む。材質は金属だが、ゼロの知らないこの世界の
物。後で知るのだが、デバイスなどに使われる軽くて硬い特殊素材なのだとい
う。
「エネルギーは、あなたが直接供給を行えるようになってるから、あなたが倒
れない限りはエネルギー切れを起こす心配はない。威力の方は実戦テストをし
てないから何とも言えないけどね」
 それでもこの短期間で、異世界の武器を完成させたのはマリエルの優秀さを
示す証拠だろう。
「感謝する」
 短く礼を述べるゼロに対し、マリエルは満足そうに頷いてそれ以上は何も求
めなかった。良い研究と開発が出来た、彼女にとってはそれで十分なのだ。ス
カリエッティといい、研究者の類が如何に救われがたい生き物かが良く分かる
が、それを見ていたフェイトはそんなことを言うつもりはない。
「ゼロ、あなたはまだ戦うつもりなの?」
 起ち上がって、フェイトはゼロに問いただした。彼女は、もうゼロが戦うべ
きでは、戦い続けるべきではないと考えていた。彼が不幸を呼び込むとか、そ
んな下らない妄言を気にしているのではない。理由は、他にある。
「あなたは、傷ついている。戦う度に、ずっと傷ついてきている」
 それは、負傷や損傷という意味だけではない。ノーヴェの件も含めた、内面
的なもの。単純に、敵を倒してそれで終わりという状況ではなくなっているの
だ。ガジェットのような稚拙な知能しか持たない兵器ならまだしも、外見は人
間のそれと変わらぬ、少女の姿をした戦士たち。ゼロは無表情に、無感情にこ
れを倒してきたように思えるが、そんなわけはない。
 セインをはじめ、姉妹の繋がりを知った今となってはその剣先は鈍っている。
鈍っているはずだ。
「スカリエッティのことは、私たちに任せて。異世界から来たあなたが、これ
以上私たちの世界の問題を背負い込む事なんてない!」
 フェイトとしてはゼロのためを思って、戦いながら精神をすり減らしている
ように見えた彼を気遣っていったのだが、
「オレは自分の意思で、スカリエッティと戦う道を選んだ。一度決めたことを、
覆す気はない」
 フェイトの気遣いには謝辞をするが、ゼロは意志を曲げようとはしなかった。
「……オレは、オレはどんな綺麗事も言うつもりはない。結局、オレは戦って
敵を倒すことしかできない。アイツの大切な妹だと知っていたのに、オレは戦
って倒すことしかできなかったんだ」
 ここまでゼロが自己に否定的な発言をするとは、フェイトは思っても見なか
った。故に、フェイトはそれ以上、何も言えなくなってしまう。
 そんな二人のやり取りを、コーヒーを啜りながら眺めていたマリエルだが、
通信端末の緊急ランプが点滅をしたので起動させた。
「なに? 敵がここに襲撃でもしてきた?」
 緊迫感のない声で言う物だから、ゼロとフェイトが思わずマリエルの方を見
た。マリエルは下士官から何やら報告を受けているようだが、あまり自分には
関係のない内容なのか、それほど驚いてはいなかった。通信を終えると、見守
る二人の方に顔を向けた。
「痴話喧嘩はそれぐらいにした方が良いよ」
「なっ、私たちは別にそんなんじゃ」
 赤面して抗議の声を上げるフェイトに、マリエルは無視して言葉を続けた。
「臨海第8空港、そこにガジェットの大部隊が侵攻したって」
 言って、マリエルはコーヒーを啜ろうとするが、カップは既に空っぽだった。


 ミッドチルダ北部にある臨海第8空港は、現在から遡って四年ほど前に起き
た空港大火災によって閉鎖された場所である。
 空の要路として重要視されていた空港であるにもかかわらず、火災発生時の
管理局地上本部の対応は鈍足だった。言い訳が許されるなら、ベルカ自治領近
くにあって教会の出資金によって作られた空港であるから、対処するにも管理
局と教会、どちらがするべきなのかという指示系統の乱れが生じた。
 しかし、聖王教会はすぐに動こうとはせず、また明確に管理局対して対処の
依頼もしなかったため後日地上本部から非難されるのだが、「対応を謝った地
上本部の方こそ悪い」という一方的な主張を続ける教会と、被災者の救助にの
み心がけた教会騎士団の存在ばかりが持てはやされ、地上本部の主張は逆に批
判される結果となった
 ちなみに、この事件を切欠に八神はやては機動六課の構想を練りはじめるの
だが、彼女は聖王教会にすり寄る存在だったため、地上本部を非難する側に回
っていたという。
「レリックが絡んだ大災害……あのまま放棄されると思ってたのに」
 六課の仮隊舎にて、なのはが複雑そうな表情をしながら口を開いた。
 臨海第8空港の跡地とも言う場所は、長く整備区画として放置されてきた。
それが最近になって、やはり聖王教会の出資によって空港として再建する計画
が進められていたらしい。三ヶ月ほど前に瓦礫を撤去し、新たな空港施設を作
る。恐らく、何らかの利権があって、利権屋が働きかけているのだとは思うが、
なのははそういった部類のことをなるべく気にしないようにしている。
 面倒くさいからだ。
「でも、さすがに今回は地上本部に任せても良いのではないですか?」
 教会騎士カリムによる出動要請に、なのはは常識論で対応した。完成して、
利用客も多い空港に敵が攻めてきた、というのなら一人でも多くの魔導師が行
くべきだと思うが、今回は建設中の段階だ。工事の人間を非難させる程度のこ
とは陸士隊一個中隊で済むし、何なら施設を放棄した上で戦力を結集、反撃に
出るという手だってあるはずだ。
『あそこは教会が多大な出資金を投じています。その出資金は、全て信者の寄
付によって成り立つ物、無駄には出来ません。それに……』
「それに?」
 宗教権力者の浅ましい論調にウンザリするなのはだが、続けて出た言葉に顔
色を変えることになる。
『今日、あそこの建設現場には聖王教会系列の小学校から、多数の児童が社会
科見学に行っているそうなんです。児童の安全も気がかりですし』
「ど、どうしてそれを早く言わないんですか!」
 なのはは思わず大声を上げた。全く、金の話などよりも、そっちを先にする
べきではないのか。
 カリムに対して呆れかえる時間も、こうなって惜しい。なのはは要請を受諾
することだけを告げると、フェイトに緊急連絡を行って帰還を諭し、現状出撃
できる全ての隊員を集めた。
 ティアナ、キャロ、シグナム、ヴィータ。たった4人だ。しかも、守護騎士に
至ってはデバイスが修理中ということもあって、戦力としてはろくな期待をし
ない方が良い。
「……スバルは?」
 なのははティアナの方を見るが、彼女は黙って首を横に振った。スバル・ナ
カジマは、未だに姉の裏切りと、その姉による父親殺しから立ち直れないでい
た。
「わかった、スバル抜きで行こう。みんな、すぐに出撃準備を。教会が移動の
ヘリは用意してくれるって言うから」
 使えない人間に、いつまでも構っている時間はない。なのはは魔導師として、
戦士として判断した。この状況下でそれは正しい判断であったが、キャロには
それが少し非情にも見えた。
 だが、ティアナは……
「五分、時間をいただけませんか?」
「えっ?」
「スバルを、部屋から出します」
 戦闘を行いながらの人員救助となれば、戦力は一人でも多い方が良い。なの
はは数秒ティアナの瞳を見つめていたが、
「三分、それ以上は待てないよ」
 部下、あるいは教え子に対する情念からか、それを許したのだった。


 スバル・ナカジマは、ここ数日間部屋の外を一歩も出ようとしなかった。テ
ィアナが食事を運びに行くも、目にするのは手の付けられていない前に運んだ
食事のプレート。水の一滴も飲んでいる気配はなく、一度ならず怒鳴って食事
と給水のために無理矢理飲食をさせようとしたのだが、

 スバルは食べ物を口に含んだ瞬間、吐き出してしまった。

 苦しそうに吐瀉物を吐き出し、恐怖に震えていたのだ。

 父親の死、目の前で、自ら抱きかかえていた父親が、姉の放った魔力光に貫
かれて死んだ。スバルには、精神的ショックの一言で片付けられることではな
かった。その瞬間こそ、沸き上がる怒りをギンガにぶつけることで父親の死を
受け入れようとしたスバルであるが、怒りというのは冷めるものである。
 冷静さを取り戻したとき、そこに残ったは姉への怒りに打ち震える少女では
なく、父親を永遠に失った15歳の少女が、いるだけだった。
「スバル、入るわよ」
 友人が精神上の絶望にあることは、ティアナにだって痛いほど判る。けど、
だからといってそのままにして良いはずもない。多少強引にでも、立ち直って
貰わねば困るのだ。

 スバルは、部屋の隅に蹲っていた。他にあるのは、いつもと変わらぬ手の付
けられていない食事のプレート。水のコップも、口を付けた様子はない。
「また、食べてないんだ」
 まだではなく、また。戦闘機人だからといって、食物を取らずに生きられる
ものではない。スカリエッティの理論では細胞維持が出来れば最低限の食事で
事足りるというのだが、それでも食べなくてはいけないことに代わりはないの
だ。
「いつまで、そうしてるつもり?」
 尋ねるティアナに、スバルは何も答えない。声が聞こえているのか、聞こえ
ていないはずはないと思うが、顔を上げようともしない。側まで歩み寄るティ
アナだが、その視線は悲痛と言うよりは、むしろ苛立たしげだった。
「臨海第8空港が、ガジェットに襲われてるそうよ」
 その事実に対しても、スバルは反応しようとしない。
「四年前の大火災以来、放棄されていたのが、数ヶ月前から再建をはじめてる
んだって……確か、スバルとなのはさんが初めて会った場所だって、言ってた
よね?」
 ギンガとフェイトが、出会った場所でもある。姉とはぐれ、燃え上がる空港
内を彷徨っていたスバルを、なのはが助けた。スバルは、その時のなのはの勇
姿、それに憧れて魔導師を目指しはじめたのだ。
「空港には今、聖王教会系列の学校の生徒たちがいて、助けを待ってる」
 六課はそれを、全力で助けに行くことになった。動ける者は皆、出動するの
だ。にもかかわらず、スバルは動かない。
「何とか、言いなさいよ」
 ティアナの声が、段々と低く、小さくなる。動かぬ友人に、動こうとしない
友人に、歯がゆさを憶えはじめている。


 スバルの胸ぐらを、ティアナが掴んだ。掴み上げ、無理矢理立たせたのだ。

「何か、言うことはないのかスバル!!」

 怒声とも言うべき声に、さすがのスバルの表情が変化した。そして、幾日も
水分すら取ることのなかった乾いた唇で、掠れきったはずの声で叫び返した。
「あたしのことは……あたしのことはほっといてよ!!」
 思うように力の入らぬ腕で、それでも力を込めてスバルはティアナを突き飛
ばした。乾いた身体からは、涙の一筋も流れることはない。
「父さんが死んで、殺したのはギン姉で……なんで、どうしてこんなことにな
ったんだよ!」
 愛する家族、それがどうして殺し合わねばならなかったのか。何故、ギンガ
はあんなに慕っていたはずの父を殺したのか、スバルには理解できない。何も、
判らないのだ。
「もう嫌だよ、あたしは何も出来ない。何もしたくない!」
 崩れるのは、身体だけではない。スバルの心その物が、崩れ去ろうとしてい
た。今までスバルの見てきたものが、信じてきたものが、全て虚像だったかの
ような虚無感。両親も、姉妹も、何もかもが嘘だったとでも言うのか?
 絶望が、スバルの身体を支配していた。出口のない、あったとしても手の届
く位置にはない、沈み行くだけの世界。
「…………スバル」
 沈み行くだけ、もはやそれ以外に何も求めてはいない友人の姿に、ティアナ
は――

「歯を、食いしばれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」

 右の拳を持って、殴り飛ばした。

 衝撃に、ほとんど無防備であったスバルが壁に叩き付けられた。唖然と、愕
然とした表情で、彼女はティアナを見つめている。
「ティア……」
 いつ振りになるのか、スバルは友人の名を口にした。平手打ちなど柔な一撃
とは違う、拳による明快なまでの一発。
「見損なったわよ、スバル」
 再び、ティアナがスバルの胸ぐらを掴んだ。
「どうしてこんなことになったのか判らない? そんなの、誰だって判らない
わよ!」
 二発目の拳が、スバルを殴り飛ばした。無抵抗のスバルは、まともに食らう
ことしかできない。
「もう少しばかし、根性のある奴だと思ってた。スバル、アンタは判らないま
まで済ますの? このまま現実から目を背けて、いつまでも自分の殻に閉じこ
もって、ずっと逃げ続けるの!?」
 泣いているのは、ティアナの方であったかも知れない。人を殴るということ
は、あるいは殴られた相手以上に、殴った相手の拳が痛むのだ。
「立ちなさいよ、立って、殴り返して見せなさいよ! 悔しくないの? 殴ら
れて、悔しいと思える気概はないの?」
 そんなもの、ありはなしない。自分が友人に殴り飛ばされても仕方のない腑
抜けになってしまったことぐらい、スバルだって判っているのだ。しかし、判
っていてもどうにもならない。気力が、沸かないのだ。
「アンタがすることは、ここでずっと閉じこもってることなのか、それともギ
ンガさんに会ってその真意を正すことなのか、アンタはそれを決めるべきなの
よ!」
「そんなの、わかんないよ。嫌だよ!」
「現実ってのはね、いつだって嫌なもんなのよ! 目を背けて生きて行ければ、
これほど嬉しいことはない。だけど、それが出来ないから現実なのよ!」
 ギンガと再会すれば、スバルは最後の家族を、実の姉を失うことになるかも
知れない。
「ギンガさんが人殺しを続けるのを黙ってみているのか、それを殴り飛ばして
でも止めるのか、判断するのはスバル、アンタだけよ! 選択肢を選ぶのは、
お前一人だスバル・ナカジマ!」
 叫ぶと共に、ティアナは掴んでいた胸ぐらを乱暴に離した。そして、倒れ込
むスバルに向かって背を向けた。
「私は、出撃する」
「ティ、ティア……!」
「とっくに、三分過ぎちゃったから」
 ティアナは、駆けだした。友人に背を向けて、その目に浮かべた涙を悟られ
ぬように、駆けだしたのだった。


 なのはたちが現場に急行するよりも早く、ゼロとフェイトが臨海第8空港に到
着していた。
「プラズマランサー!」
 射撃魔法で迫り来るガジェットを撃ち落としながら、フェイトは制空権の確
保にと努めている。地上ではゼロが、セイバー片手にガジェットを斬り倒して
いる。他にも陸士隊などの武装局員が集結しつつあるが、スカリエッティは途
方もない数のガジェットを投入してきているらしい。
「サンダースマッシャー!」
 雷撃の魔力砲撃で周囲のガジェットを一掃すると、フェイトは情報確認のた
めに指揮官級の士官に通信回線を繋いだ。
「状況は? 子供たちの避難は?」
 真っ先に行われるべきである子供たちの安全確保と、避難誘導。二個中隊か
らなる部隊がその活動にあたっているはずだが、未だに完了報告が来ないのだ。
『救出、救助はほぼ完了していますが……』
「ほぼ? 正確に報告を!」
 半ば怒鳴るように言うフェイトに萎縮しながら、士官は何とか口を開く。
『そ、それが僅か一名ほど行方の判らなくなった子供が――』
 言葉を、フェイトは最後まで聞いていなかった。アークセイバーでガジェッ
ト部隊を斬り飛ばすと、一気に地上まで降下しゼロと合流する。
「ゼロ、空港内にまだ子供が!」
 報告したところで、どうなるわけでもない。情報共有は大事だが、あいにく
ゼロとフェイトは最前線での防衛に乗り出してしまった。
「陸士隊は、発見できそうなのか?」
「捜索はしてるみたいだけど、内部にもガジェットが潜入して戦闘状態になっ
てるって」
 面倒な事態になった。武装局員も、戦いながら一人の子供を捜し出すのは難
しいだろう。子供だって馬鹿ではないから、火の気のない場所に隠れるぐらい
はしているはずだ。それが却って見つけにくくする要因になっているのだが、
必要なことでもある。
「オレたちが行けば、ここにいる敵を引き込む事態になる。それは不味い」
 バスターを連射しながら、ゼロは苦い表情を浮かべる。
「六課の連中が到着次第、奴らに任せるしかない」
「わかった。なら、当面はガジェットの殲滅を!」
 フェイトは確認すると、また空へと浮上していった。思えば、ゼロとこうし
て共同戦線を張るのは、意外にも初めてであった。
 地上にあって、ゼロは全ての敵を倒している。下から攻撃を受ける心配がな
い、それ故にフェイトは空で大暴れが出来るのだ。


 戦闘要員が誰も居なくなった仮隊舎で、スバルは壁により掛かりながら茫然
自失としていた。殴り飛ばされた頬に触れながら、放心状態となっている。
「ギン姉……」
 自分は、どうすればいいのか? 困ったとき、迷ったときは、いつでも友人
に、家族に、姉に相談をしてきた。

 いつもそうだった。姉は、ギンガは、いつだってスバルを守ってきた。そし
て、スバルはそんな姉に甘え、ずっと守られてきた。
 幼き日、スバルは姉に言ったことがある。どうしてお姉ちゃんは自分を守っ
てくれるのかと。
「そんなの、決まってるじゃない」
 姉は笑顔で、スバルの頭を撫でる。
「私が、スバルのお姉ちゃんだからだよ」
 姉は、妹を守るものなのだ。そんなことを、スバルは気にしなくて良いし、
気にする必要もない。ギンガはそういって、自分がスバルを助け、守る当然の
理由を語り聞かせた。

「でもね、スバル――これだけは忘れないで」

 古い記憶の中で、姉が微笑み、語りかけてくる。

 優しかった姉の姿は、もはや記憶の中にしか存在しないのだろうか。
「もし、あなたが誰か困っている人や、助けを求めている人を見つけたら、助
けてあげて」
 いや、違う。
「あなたには、私がいて父さんがいて、助けてくれる人がいる。だから、あな
たにも、誰かを助けられる人になって欲しいの」
 あの時、自分を守ってくれたギン姉は――
「強くなくてもいい、弱くても構わない。だけど、心だけは、心の強さだけは、
持っていなくちゃダメだから」

 スバルは、床に置いてあった水のコップを手に取ると、一気に飲み干した。
冷たくもない、温い水だが、乾ききった身体には冷水よりも、こちらの方が染
み渡った。
「ギン姉……あたしはギン姉よりも弱いけど、弱いけどさ」
 あるはずもない力を振り絞りながら、スバルは呟いた。

「心だけは、弱くするつもりはないから!」



 ガジェット部隊との戦闘が続く空港では、既になのはたちも合流しての防衛
戦が行われている。港内にはキャロとティアナが突入し、不明者の捜索を手伝
っている。
「吹き飛ばしても、吹き飛ばしても、一向に減らないね!」
 何度目かも判らぬ魔力砲撃でガジェットを掃滅しながら、なのはは圧倒的な
物量戦を仕掛けてきた敵に危機感を憶えていた。
「でも、完成後ならまだしも、何で建設途中の空港なんて襲ってるんだろう?」
 ガジェットを斬り飛ばしながら、フェイトはふとした疑問を投げかける。確
かに、今までの襲撃地点に比べると、ここは何ら重要性のない場所だ。要人が
いるわけでもなければ、施設的に必要ともされていない。
「さあ、案外教会の邪魔をしたかったとか、そんな理由じゃない?」
 誘導弾を操作しながら、なのはは先ほどの教会騎士とのやり取りを思い出す。
噛み合わない言葉、発想、なのはの生まれた世界にだって宗教は存在するが、
住んでいた国は無宗教に近いと言って差し支えのない場所だ。それ故かは判ら
ないが、どうも彼女は宗教家や宗教権力者の類が好きになれない。
「だって、胡散臭いんだもん」
「なのは?」
「あ、何でもないよ!」
 空戦魔導師が一人増えただけで、戦局は一気に覆された。なのはが一個大隊
近い能力を有しているせいもあるのだろうが、敵の方も無限の回復力を持って
いるというわけではないらしい。空中部隊は未だに途切れないが、地上部隊は
戦力の薄さを見せ始め、ゼロが突破を試みている。
「こいつらを操る指揮官、ナンバーズが必ずどこかにいる。それを叩けば」

 フェイトの心配とは裏腹に、ゼロにはナンバーズと戦うことに対しての抵抗
感はなかった。そんなことを考えている余裕も感情も、あるいはゼロにはなか
ったのかも知れない。
 ガジェットを斬壊させながら突き進むゼロであるが、その手には一つの端末
が握られいてる。セインの持っていた、ナンバーズ間の通信装置である。反応
によれば、付近にナンバーズは必ずいるのだ。

 だが、一体どこに――   

「誰か、探しているのか?」

 ゼロの反応は早かった。瞬間的に声のした方向、背後に向かって斬り掛かっ
た。緑色の光りと、赤い光が激しくぶつかり合う。
 敵は、いた。
 姉妹共通の戦闘スーツに、赤い輝きを放つ二刀の刃。間違いなく、ナンバー
ズの戦闘機人。
「後ろを、取られただと?」
 それとは別に、ゼロは敵の少女に後ろを取られたという事実に驚きを憶えて
いた。実際、話しかけられるまで気配を感じなかった。ステルスシステムか、
気配が瞬時に現れた感じだった。
「最後のナンバーズが一人、12番ディード。貴様に負けた姉たちの恨み……そ
の首、貰い受ける!」


 建設中の空港内では、既に火災が発生している。戦闘が各所で巻き起こり、
移動することすらままならない。
「なんて、酷い」
 死体となって倒れる武装局員の姿に目をやりながら、ティアナは救助対象の
少女を捜し求めていた。ただ一人、未だに見つかっていない生徒である。
 他の隊員や局員からの救助報告はなく、生きているのか死んでいるのかさえ
判らない。
「違う、きっと生きてる。私が助けてみせる!」
 ティアナもまた、昔は助けられて生きてきた。ある時は両親、両親が死んだ
後は兄、特に兄に関してはたった一人の妹として、過保護過ぎるとほどにティ
アナを愛し、守り続けた。
 しかし、その兄も死んでしまった。エルセアにある墓の下で眠る兄に、妹を
守ることは出来ない。きっと兄は、そんな自分を責めているだろう。守ること
の出来ない妹を、心配しているだろう。
「だから、私は強くなる。兄さんが心配しない強い子になって、それで」

 兄のように、誰かを守れる人になってみせる――!

「あれは!?」
 ティアナの思いが通じたのか、港内の小さなスペースに蹲るように、少女の
姿を発見することが出来た。
 ガジェットが周囲にいないことを確認しながら、ティアナは少女、まだ幼女
と言っても良い年頃の彼女に近づいた。
「大丈夫、怪我はない?」
「お、お姉ちゃん……誰?」
 よほど怖い思いをした、いや、今現在しているのだ。声と身体はガタガタと
震え、ティアナに向かって飛びついてきたほどだ。少女の身体を抱きかかえ、
その背をさすりながらティアナは落ち着かせようとした。
 後は味方を呼んで、この子を安全な場所まで避難させれば、それでいい。テ
ィアナは少女を抱えて起ち上がるが、その行く手に、
「不味いっ」
 ガジェットⅡ型の一機が、運悪く現れてしまった。しかも、卑しくもティア
ナと少女をそのモニターに捕らえ、敵として補足したのだ。
 エネルギー光を放ちながら突撃する敵機に対し、ティアナは少女を庇うよう
に地面に伏せた。デバイスの一つを構え、飛び交う敵機に向かって銃撃する。
「撃ち落とされろ!」
 魔力弾を避けながら上昇する敵機であるが、ティアナは度重なる修練と訓練
のせいかは、ここで発揮された。デタラメに撃っているようで、ちゃんと狙い
を付けて放たれた弾丸が、ガジェットⅡ型の推進部に直撃したのだ。
「やった!」
 後は、落下してきた敵にもう二、三発の銃撃を加えて破壊するだけだ。ティ
アナは再び敵機に向けて狙いを付けるが、敵は落ちてこなかった。なんと、魔
力弾によって推進部を破壊されたガジェットは、それこそメチャクチャな飛行
と浮遊を続け、ついには天井に激突して自滅してしまった。
 その光景を見つめるティアナだが、敵との遭遇以上に緊迫した表情へ、顔を
変化させた。
「瓦礫が――!?」
 ガジェットの激突によって、天井の一部が崩れ落ちてきた。硬い岩盤とも言
うべきそれは、真っ直ぐティアナと少女目がけて落ちてくる。ティアナは思わ
ずデバイスでの破壊を試みたが、それが不味かった。直撃して砕けるわけでも
ない岩盤など相手にせず、少女を抱えてその場を離れれば良かったのだ。無益
な抵抗が、結果として二人に逃げる時間を失わせてしまった。
「しまった、当たる!」
 せめて少女だけは救おうと、抱え込むように抱きしめるティアナ。自分は死
んでも、この子だけは。

 巨大な破片が、直撃した。轟音と共に衝突し、砕け散った。

 だが、それはティアナと少女に当たったのではない。

「えっ――?」
 ポカンとして、ティアナは少女を抱えたまま顔を上げた。
 そして、見た。

「このぉっ!」

 両手で、落下してきた破片を受け止める親友の姿を。

「ス、スバル!?」
 居るはずのない、来られるはずのない彼女の姿、存在に、ティアナは我を忘
れそうになった。
「ティア、悪いんだけどさ」
 無理矢理笑みを浮かべながら、スバルが口を開いた。
「これ、結構辛いんだよね。早く逃げてくれると……助かる」
 慌てて、ティアナは少女を抱えてその場を離れた。それを確認すると、スバ
ルは右腕のリボルバーナックルを回転させる。
「どぉりゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
 拳の一撃で、スバルは破片を砕き飛ばした。数日間飲まず食わずだったとは
思えない、途方もないパワー。
 戦闘機人の底力? 違う、これはスバルの、魔導師として立派に成長した、
誰かを守ることの出来る力を手に入れた、スバル・ナカジマの力だ。
 破片を粉砕し、その場にへたり込むスバルに、ティアナは歩み寄った。スバ
ルは、近づく親友の顔を見上げた。
「ごめん、待たせちゃった?」
 学生時代から続く、待たせたときのスバルの一言。
 なら、自分は――
「待たされたけど、アンタの顔を見たら怒る気も失せたわよ」
 笑顔で、ティアナは言葉を返してやった。


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最終更新:2009年01月16日 14:48