キャロ・ル・ルシエは、孤独に愛された少女だった。自ら好き好んで愛した
わけではないが、少なくとも幼いころの彼女にとって、人と人とのつながりほ
ど希薄なものはなく、信用も信頼もするべきではないと思っていた。
 彼女は元々、管理局が管理する世界に存在する地方少数民族『ル・ルシエ』
の出身であり、性は民族名である。
 キャロは一言で言うと神童だった。物心ついたころには既に白銀の飛竜を従
えていたなど、「竜使役」としての特殊技能に天才的な才能を持っていた。周
囲の大人は彼女を褒め称え、同年代ないし下の者たちは彼女を羨望の眼差しで
見たものである。

――100年に一度の逸材! 我らが一族の誇り! この神童に祝福あれ!

 今思えば、あれほど勝手な言い草と騒ぎようはなかっただろう。称えて、囃
し立てて、最後の最後に恐れたのだから。
 ある時、キャロは一族の長たちの元に呼び出された。フリードリヒと呼ばれ
る幼い竜を連れて赴いた彼女は、突如長たちによってル・ルシエの里を出てい
くようにと宣告されたのだ。
 要するに追放すると言われたのだが、それまで神童とうして歩んできたキャ
ロにとってそれは信じられない言葉だった。
「神童だと? お前など神童でも何でもないわ! そのような奢り高ぶりがあ
るから、黒き火竜の目に留まったのだ!」
 黒き火竜とは、近頃キャロが使役に成功した守護竜のことらしい。これは彼
女が優れた巫女であることを示したのだが、長たちはそうは思わなかったよう
だ。「真竜」と呼ばれる巨大な個体である彼らは、「大地の守護者」として畏
敬されることもあるのだが、その圧倒的な力から畏怖されることも多いのだ。
「強すぎる力は争いと災いしか呼ばぬ……お前はこの里を出ていくのだ!」
 こうしてキャロは、齢6歳にして部族を追放されて一人の身となった。彼女は
フリードリヒを連れ、僅かな荷物とともに外の世界へと放り出された。
「一人ぼっち、か」
 厳密にはフリードがいるから一人ではないが、人間という意味ではキャロは
一人だった。幼いながらも、キャロは懸命に旅をつづけた。幼女に何が出来る
わけでもなく、また危険な力があるという負い目から一つの場所に長く居るこ
とができない。そうして一年も旅を続け、キャロは遂に冬の雪の中で倒れた。
「死ぬのかな」
 呟く声に、感情は無かった。
「それも、いいか」
 冬の寒さと冷たさは、キャロの心まで凍てつかせたようだ。
 だが、彼女は死ねなかった。
 偶然通りかかった管理局の部隊に発見され、保護されたのだ。一命は取り留
めたキャロであるが、何が変わるわけでもない。彼女は竜使役の天才といって
もまだまだ幼く、才能はあっても膨大な力を制御するだけの経験がなかった。
 管理局はそんな彼女の力を持て余し、適当な戦場に送って処分してしまおう
とまで考えた。彼らは元々保守的な傾向が強く、制御もできない強大な力など
持っているだけで無駄であり、危険だと判断したのだ。
 そんな時、キャロはフェイト・T・ハラオウンと出会った。



        第12話「守りたかったもの」


 名乗り上げが、開戦の合図だった。
 まずチンクが後転跳びでゼロとの距離を取ると、跳ぶ最中に両手に持つナイ
フを投げ放った。これをゼロはゼットセイバーで叩き落とし、素早く避けた。
 しかし叩き落としたナイフが落下し、地面と接触した瞬間、ナイフが爆弾の
ように爆裂したのだ。
「ナイフに爆薬をしこんでいるのか!?」
 そんな単純な芸当には思えないが、チンクはその疑問答えることなく次々に
ナイフを投げてくる。ナイフ自体はただの金属製で、特別、魔力で切れ味や貫
通性を上げているようには見えない。
 ゼロはバスターショットを連射し、直線状に向かい来るナイフを迎撃した。
だが……
「こういうのはどうだ?」
 チンクは笑いながら、飛び進むナイフに向かって手を伸ばす。すると直線状
の軌道にあったはずのナイフが緩やかな曲線を描き始める。
「遠隔操作だと……!」
 バスターショットを避けながら、ナイフは巧みにゼロへと迫っていく。ゼッ
トセイバーで弾き飛ばそうにも、触れた瞬間に爆発するのだとすればそれもで
きない。
「チッ!」
 射撃による迎撃しかないと判断したゼロは、バスターショットの威力を敢え
て弱め、高速連射で対応する。ナイフを破壊する威力はなくとも、当たれば爆
発物に反応して誘爆するはずだ。
「甘いな、このランブルデトネイターはそこらの大道芸とはわけが違う」
 高速連射で弾き飛ばしたナイフは、爆発しなかった。それどころかさらに軌
道を変えてゼロへ追いすがってくる。どうやら、爆薬仕込みのナイフというわ
けではないらしい。
 ナイフが壁に、地面に、突き刺さるたびに爆発を巻き起こす。
「お前は恐らく、このスティンガーに爆薬なりを仕込んで、衝撃で爆発させて
いるとでも思っているのだろう?」
 それは違うな、とでも言いたげにチンクは不敵な笑みを浮かべる。
「だが、お前がカラクリを知る必要など、どこにもない。何故ならお前は……」
 いつの間にか、ゼロを十本のスティンガーが囲んでいた。四方八方、とても
避けられる距離と数ではない。
 チンクは楽しそうに片手を上げた。今までゼロの戦ってきたナンバーズには
なかったもの、戦闘に対する確かな余裕がそこにはあった。
「死ね」
 空を切って振り下ろされた腕に反応するように、一斉にスティンガーが動き
出した。さながら小型ミサイルのような威力と破壊力を持った攻撃、直撃すれ
ばそれでゲームセットだ。
 続々と繰り出されるスティンガーを、チンクは次々と爆発させていく。凄ま
じい爆破と爆炎、衝撃と熱波が大廊下を包み込んだ。
「ひ、酷い……こんなのって!」
 フリードリヒの巨体で熱波を防ぎながら、キャロが叫ぶ。逃げろと言われた
キャロだが、タイミングが掴めない。逃げるために隙を見せたところを、ナン
バーズの戦闘機人に攻撃されないか? チンクにその気があったかはともかく、
もっともな懸念であった。

「なんだまだ居たのか……折角、この男が身を挺しているのに、お前らがそこ
にいては」
 言って、チンクは途中で言葉を切った。眼球に備わる状況解析システムで、
爆炎内部の光学ズームを行う。熱源探知は、残念ながらこの炎では出来ない。
「ほぅ、今のを防いだか」
 緑色の結界がゼロの周囲を包んでいる。どうやら、スティンガーは彼に届く
ことなく爆発していったらしい。
 しかし、この結界は…………
「オットーのレイストームか。ナンバーズの先天固有技能をコピーしていると
いう話は事実のようだな」
 だが、とチンクは付け加える。
「それがなんだというのだ」
 瞬間、彼女の周囲に数十本を超えるスティンガーが出現する。結界の中で、
ゼロが表情を強ばらせる。
 チンクは鋭い視線を投げかけながら、再び片手を上げる。
「オーバーデトネイター!!!」
 数十本のスティンガーが撃ち放たれた。レイストームでの迎撃を考えたゼロ
であるが、数が多すぎる。
 爆裂するスティンガーの威力、一つ一つはレイストームの鉄壁を崩すに足ら
ずとも、これだけの数を浴びせかけられれば話は違う。結界に亀裂が走り、遂
に砕けた。
「――――ッ!」
 今度こそ完璧に爆発が直撃した。爆風で、ゼロが吹き飛ばされていく。あろ
う事か、チンクは数に任せた力業でレイストームを破ったのだ。
「どうした! 妹たちを破った力は、強さはその程度か!?」
 少しだけ怒りを込めた口調で、チンクは叫んだ。自分が強すぎるというのか?
 それもあり得る話だが、この程度の敵に妹たちが敗れたかと思うと、情けな
さと不甲斐なさすらこみ上げてくる。
「良く喋る奴だ」
 ゼロは呟きながら、セイバーを支えに起ち上がった。チンクとて別に饒舌な
方ではないが、この場合はゼロが無口なだけだろう。ゼロはセイバーをバスタ
ーに収納すると、エネルギーをチャージする。

「それに、強いだけで勝てるならオレはとっくに負けていた」

 えっ、とその意外な言葉にキャロが反応する。

「なんだ? 精神論でも語るつもりか?」
 スティンガーを片手に持ちながら、相手との距離を測るチンク。後一撃、そ
れでゼロを倒せるという自身はある。けど、ゼロの瞳は強い生気を放っている。
気負いか? まさか、ただの錯覚だ。
「そうじゃない。ただ……」
 ゼロは、キャロの腕の中で気絶するエリオを見た。
「オレは強かったから敵に勝ったんじゃない」
「何?」
「オレが強くなれたから敵に勝てた、それだけだ!」

 チャージショットが発射されるのと、スティンガーが投げ放たれたのはほぼ
同時だった。スティンガーは軌道を描きチャージショットを避けると、そのま
ま真っ直ぐとゼロに向かう。対するバスターの一発は、シェルコートを前に完
全に防がれた。
 一方的な爆発、そして爆風。だが、爆炎の中から突き抜ける、赤き戦士が一
つ。緑色のサーベルを煌めかせ、チンクへと斬り掛かった!
「デァッ!」
 ダッシュ斬りをチンクが避けられたのは、決して偶然ではないはずだ。高速
を誇るエリオの攻撃を全て避けたように、チンクは動体視力に関して自信があ
った。『触れずに倒す』が彼女の基本戦闘スタイルで、現に今もゼロを翻弄し
ている。
 にもかかわらず、
「今のは、生きた心地がしなかったな」
 避けたのに、死んだかと思った。それだけ鋭い斬撃であり、攻撃だった。
「しかし、らしからぬ台詞だ。強いのではなく、強くなったからか……」
 先ほど出会ったばかりなのに、まるで数年来の友人のような口調でチンクは
話しかける。
「実は受け売りだ」
「ほぅ、誰のだ?」
「さぁ……誰だったか、思い出せん」
 予想は出来るが、確証は持てない。記憶など、ゼロにとっては曖昧で不確か
なものに過ぎない。
 だが、今になってゼロはこの言葉の意味が分かるような気がする。強大な力
を持っているから強いわけではない、強くなったからその力を得ることができ
たのだ。強大な力を制御できるからこそ、そいつは強いと言えるのではない
か?
「力を制御できるから、強い……?」
 キャロはふいに、自分の手のひらを見つめた。かつてその強大な力故に忌避
され、居場所を失った苦々しい記憶。自分は強いから、強い力があるからいけ
ないんだと恨み続けた過去。

「私は……そうか、私は!」

 チンクは両手に、新たなスティンガーを構えた。
「長話が過ぎたな。どちらにせよ、敵を倒した者こそが強者であり、勝者とな
るのだ」
 負けるわけにはいかないと、騎士の少年は言った。それは、自分も同じこと
だ。自分にも守らねばならない者がある。妹たち、ここで自分が勝たねば彼女
らを危険に晒すことになる。
「これで終わりだ!」
 十本のスティンガーが投げ放たれた。正面をそのまま突き進むのではなく、
機敏に動き回りゼロを囲みこむ。ゼロはセイバーを構えるが、十本まとめて捌
き切ることなど出来るわけがない。
「死ねぇぇぇぇぇぇぇっ!!!」
 全てを飲みこむ大爆発がまた巻き起こった。破壊力だけなら、ナンバーズの
中でも一、二を争う威力だという自負がある。
 ゼロの防御が鉄壁だろうと、絶対防御だろうと、すべてを破壊し爆砕する自
信が……あるはずだった。


「な、に」

 爆煙を飛び出す物体があった。空中に軌跡を描きなら飛行するそれに、チン
クは覚えがあった。
「ライディングボード!?」
 しかし、その上に乗っているのは、彼女の妹ウェンディではない。
 ゼロ、あの赤き戦士が操縦しているではないか。
「撃ち落してくれるっ」
 チンクは、空戦能力を持たない。爆撃主の異名を持つ彼女だが、空は飛べな
いのだ。だから、対空攻撃で撃ち落す以外に手はない。そもそも個人の得意不
得意を補うために姉妹間での連携に優れたシステムが開発されているのだ。
 十数本のスティンガーを出現させ、中空のゼロを狙い撃つチンク。ライディ
ングボードごと爆砕するつもりであった。
「フローターマイン」
 ゼロの乗るライディングボードの周囲に、いくつものエネルギースフィアが
発生した。丁度スティンガーと同数のスフィアは、エネルギー反応弾をばら撒
いてスティンガーの尽くを相殺した。
「馬鹿な、こんな」
 爆発による煙が、ゼロとチンクの視界を遮る。だが、それはあくまで正面の
み。側面から状況を見ていたキャロには、ゼロの姿はまだ見えた。
「えっ?」
 ゼロが何かを呟いている。横目でこちらを見ながら、口を動かす。さすがに
唇を読むなどという芸当はキャロにはできないが、直感的にゼロが何を伝えた
いのか理解できた。
 キャロは、フリードリヒの手綱を握った。

「この程度の煙など、問題にならん!」
 スティンガーを構えつつ、解析システムを使うチンクであるが、光学映像よ
りも熱反応よりも早く、高エネルギー反応が真っ先に引っかかった。
「砲撃!?」
 煙の先に、ゼロがいた。ライディングボードを抱えながら、砲口をチンクに
向けている。
「――エリアルキャノン!」
 ゼロが砲撃を行うのと、キャロがフリードリヒの手綱を引いて飛び立つのは
ほぼ同時だった。前者はともかく、後者を気にする余裕などチンクにはなかっ
た。
「ハードシェル!!」
 シェルコートを使ったチンクの防御技能が発動した。彼女の防御は、自身の
爆破による有爆を防ぐことも考えられているため、相当な硬さを誇っている。
誇ってはいるが……

 直撃だった。命中地点に爆破衝撃を巻き起こす砲撃が、防御を固めたチンク
にぶち当たった。そして、それと同時にキャロとフリードリヒは、エリオを連
れて施設からの離脱に成功した。

「味方を逃がすための、砲火か……だが、これは」
 爆炎と爆煙が晴れ、チンクは防御の反動でぐらつく身体を懸命に支えた。
「妹の技ながら、大した威力だ」
 砲撃としては、ナンバーズの中でも間違いなく二番目に強いだろう。
 チンクは鋭い視線で正面を見る。ライディングボードを地面に置いたゼロが、
ゼットセイバーを構えている。
「まだ、だ」
 片手に持ったスティンガーを確認しながら、チンクは駆けだした。砲撃のシ
ョックが大きく、上手くスティンガーを操作する自信がなかったのだ。ゼロも
飛び出し、両者はこの戦いで初めて格闘戦技による接近戦を行った。
「ダァッ!」
 ゼロのゼットセイバーと、
「セァッ!」
 チンクのスティンガーが激しくぶつかり合った。
 攻撃の鋭さなら、互角。しかし、武器の威力は……
「くっ!」
 鈍い音とともに、スティンガーが叩き折られた。チンクはそのまま、地面に
膝をつく。
 勝敗は決した。誰が見ても、チンクの負けだった。
「嘘だ、私は……私はSランクの騎士でさえ倒した、倒せたのに!」
 その伝説と化した実話こそ、チンクの誇りであり、戦いにおける確かな自信
と余裕を生み出していたのだ。
「そうか……」
 チンクは気づいた。自信も余裕も、今やただの過信と化していたのだ。自己
の実力を過大評価するあまりに、妹たちの実力を過小評価するばかりに、自分
は眼前の敵の実力を見誤った。自分なら勝てる、負けるわけがない、あぁ、何
と愚かだったのだろうか。
「だと、しても!」
 無理やり立ち上がろうとして、逆にチンクは倒れ込んだ。敵の斬撃が斬った
のは、スティンガーの刀身だけではなかったようだ。勝負はついたと言わんば
かりに、ゼロはセイバーを収納してチンクに背を向けた。
「い、嫌だ」
 その時、チンクの中にあったのは負けたくないという感情だけだった。それ
は彼女と戦ったエリオの持っていたものと似た感情であったが、彼女の場合は
少しだけ違う部分があった。
「例え勝てなくとも、負けることだけは許されない!」
 チンクは、背を見せたゼロの背中に抱きついた。正確には、全身を持って締
め付けにかかった、と言った方がいいだろう。
 予想以上の力に抑え込まれ、ゼロは表情を変える。
「なんの、つもりだ」
「私の能力を教えてやる。私のランブルデトネイターはな、私が一定時間触れ
た金属にエネルギーを付与し、それを爆発物に変える能力だ」
 そう、スティンガーその物に爆薬を仕込んだのではなく、スティンガーそれ
自体を爆弾に変えていたのだ。しかも、爆発のタイミングはチンクが自由に操
れるため、ちょっとやそっとの攻撃では誘爆もされない。
「お前は人ではなく機械でできた戦闘兵器……ならば、私の能力は通用するは
ずだ」

 即ち、ゼロに直接能力を使って爆破する。可能か不可能かと問われれば、こ
れは賭けとなる。けれど、最早チンクにはこれしかゼロに勝つ手段がなかった。
「死ぬ気か? この密着度で爆破させれば、ただでは済まんぞ」
 脅しでも何でもなく、ゼロは事実を言った。チンクの能力はスティンガーの
ようなナイフなど、投擲物を爆発物に変えて武器として扱うものだ。確かに説
明だけ聞けばこのような使い方も出来るのだろうが、自爆と何ら変わりがない。
「死ぬのが怖くて、戦士は勤まらん……それに」
 相打ちという形でもゼロを倒せれば、少なくともゲームは終了する。後に控
える一人や、他の妹たちに危害が加わることはなくなるはずだ。だから、ゼロ
はこの場で自分が、全てを賭けて倒さねばならない。
「姉は姉として、妹を守る義務があるのだからっ!」
 能力を発動させようと、締め付ける腕に更なる力を加えるチンク。それを解
こうとゼロは藻掻くが、全身全霊を込めているのか、身動きが取れない。
「チッ!」
 ゼロは握りしめていた左の拳を解いた。
 そして…………

「エリアルレイブ!」

 叫ばれた技名に、チンクが顔色を変えた。
「何!?」
 彼女の背後、ゼロが地面へと置いていたライディングボードが、その叫びに
反応して起動する。ウェンディが持っていた先天固有技能エリアルレイブは、
ライディングボードを自在に操るために存在した。ある時は盾として、またあ
るある時は砲口として、そして――
「させるかぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
 チンクはランブルデトネイターを発動しようと急ぐが、ライディングボード
はそれよりも早く動いた。地面すれすれに移動しながら浮遊、加速し、その先
端をチンクの背中に激突させたのだ。
「がぁっ!」
 衝撃は、ゼロにも伝わった。だが、チンクの受けた衝撃は倍を遙かに超えた
だろう。ゼロを締め付けていた腕の力が抜け、今度こそ、チンクは地面へと完
全に倒れ込んだ。
「……まさか、自爆攻撃を仕掛けてくるとはな」
 倒れたチンクの顔を見ながら、ゼロは呟いた。こいつにも、守らねばならな
いものがあったのだろう。エリオがそうであったように、では自分は? ゼロ
というレプリロイドにとって、この世界で守りたいものはなんなのだろうか?


「……あなた、誰ですか?」
 彼女と初めて会ったとき、こう尋ねた記憶がある。
 自分の声はこんなにも冷たかったのかと思ったが、それ以外の声がキャロの
口からは出なかった。身体は人というものを完全に拒絶し、怯えきっていた。
 そんなキャロを、フェイト・T・ハラオウンは優しく抱きしめた。

 少女の心に積もった雪が、少しだけ溶けたような気がした。

 フェイトはキャロを保護こそしたが、自分の下で育てようとか、自分の手伝
いをさせようなどという気はなかった。前者はともかく、後者は先の局員らと
何ら変わりはない。だが、後者を選択しないとなると、必然的に前者も選択で
きなくなるのだ。当時のフェイトは今に劣らぬほど多忙な日々を送っており、
傷心の少女と一緒にいてやれる時間は長く持てそうもなかった。
 ではいっそのこと、実家に預けるか? 義母も義姉も信頼と信用のおける人
物だ。事情を話せば、きっと理解してもらえると思う。
 けれども、結局それもダメだった。考えてもみれば、キャロは竜使役であり、
彼女の周囲には常にフリードリヒがいる。フェイトの実家がある管理外世界で
は、あいにくと竜は存在しないので、暮らすとなれば問題が生じる。
 悩んだ末、フェイトは本人の希望を聞いてみることにした。空虚な瞳で空を
見上げていた少女は、「これから何がしたい、どこに行きたい?」といった趣
旨の質問に対し、特に悩みもせずに答えた。
「暖かいところに……」
「えっ?」
「暖かくて、光のさす場所に行きたいです」
 かくして、キャロの望みは叶えられた。フェイトはキャロを管理局の自然保
護隊に紹介した。ここは各世界の鳥獣の調査などを行っている部隊であるが、
その名の通り自然全体の保護も任務となっている。森林や海洋、大空など、様
々な世界の素晴らしい自然は、キャロの心を急速に溶かしていった。

 もっとも、人に対する拒絶感は人見知りという形で残っていたが。

 実はこの時期、既にフェイトはエリオを被保護者としていた。にもかかわら
ず、二人は六課に所属するまで出会っていない。これは当時のキャロが極度の
人見知りで人と関わるのに激しい抵抗感を持っていたのと、対するエリオが壮
絶な人嫌いで誰彼かまわず暴れ回っていたことを考慮したフェイトが、敢えて
二人が会うのを避けたためだ。
 この二人は性別も生い立ちも境遇も違うが、一つだけ共通点があった。どち
らもフェイトに対してだけは心を開き、一方は心をゆだね、一方は心を預けて
いたのである。


「エリオくん……」
 キャロは傷つき倒れたエリオの手を、キャロは握り締めた。
 戦いが終わり、キャロはエリオをつれて六課へと帰還した。とりあえず医務
室にてシャマルによる処置を受けたエリオだが、早々にも設備の整った病院に
て治療を受ける必要があるという。

 さて、この二人がそれなりに仲良くできたのは、互いが異性だったからであ
る、というのは八神はやてが後日六課について振り返る文書に記述した言葉で
ある。多少の偏見はあるにしても、それは事実だった。仮に同性だったとすれ
ば互いに強い嫉妬心を抱いたことだろう。

「そもそも、エリオとキャロは表面上こそ仲が良かったが、それはあくまで
『仲良くしなければならない』という深層心理の表れだった。結局のところ、
人嫌いである二人が積極的な交流を試みたのは二人の保護者であるフェイト・
T・ハラオウンがそれを望んだからだろう。全てはフェイトのため、という意
味では二人は似た者同士だったが、これは皮肉以上に悲劇ではないだろうか?
何故ならキャロは、エリオが傷つき倒れて初めてその事実を認識したのだから」

 はやてが後々このように書いたように、キャロはエリオと仲良くしようとは
したが、その内面までを分かってやることができなかった。何故なら、二人は
似ているようで、最大の違いがあったのだ。
 それは一方は力を求め、一方は力を拒んだという事実。
 キャロはフェイトの力になりたくて、恩を返したくて六課入りを希望した。
逆にエリオの場合、後者は同じだが、前者は微妙に違う。
 エリオはフェイトを守りたくて、守るだけの強さを得るために六課入りを熱
望したのだ。
「私、全然知らなかった……知ろうともしなかった」
 知っていれば、どうにかなったのだろうか? 少なくとも、あのような形で
彼の言葉に反発はしなかったように思える。それに、何らか後からになること
だって出来たかも知れないのだ。
「私は、ずっとこの能力が嫌いだった」
 フリードやもう一匹の召喚竜に対する好悪の感情はともかく、キャロは自身
の能力を一度も好いたことはなかった。彼女を里から追放し、孤独という名の
恋人を与えたのは、他でもない竜使役としての能力なのだ。

 強いから、強力だから、強大だから、私の力は、強さは危険なんだ。

 特殊技能であるが故に、封印することもままならない力。あるいは、高名な
魔導師や、魔法が発達した世界などではそれが出来たのかも知れないが、キャ
ロはそこまでする気になれなかった。
 もし能力を封印して、何も変わらなかったら? フリードたちを失っても尚、
自分に振り向き、手を取ってくれる人がいなかったら? その時自分に残るの
は、本当に孤独だけだった。
 怖かった、そうなるのが、死ぬほど怖かったのだ。
「でも、違った。私は…私は強くなんてなかった」
 全てが正しいとは言わないまでも、今もキャロの心にはゼロの言葉が響いて
いた。
 私は強くなんかない。私は大きな勘違いをしていた。
「ぁ…っ…」
 その時、エリオが小さく、呻いた。
「エリオくん、大丈夫! しっかりして!」
 言葉に反応したのかはわからないが、エリオは小さく目を開けた。意識は朦
朧としており、手足の自由も聞かない。
「キャ…ロ…?」
 それでも、自分の手を握りしめ、彼に励ましの声を掛けてくれているのがキ
ャロであることは認識できたようだ。
「エリオくん、よかった……ほんとに良かった」
 命に別状はない、というのがシャマルの診察である。キャロは涙ながらにエ
リオが意識を回復させたことに喜んだ。
 そんなキャロの姿を薄れる視界で見ながら、エリオは呟いた。
「キャロ……僕は、まだ……弱かった、みたいだ」
 負けた記憶は残っているのか、エリオの瞳に涙が溢れてきた。キャロは、そ
んなエリオの手を強く握りしめた。
「私もだよ、エリオくん。私も、全然強くなんてなかった……弱かったんだよ」
 だから――と、キャロは続ける。

「一緒に強くなっていこうよ、エリオくん」


 医務室の様子を扉に付いた窓から眺めながら、フェイトはため息を付いた。
「命に別状はない、か」
 シャマルは医師としても十分すぎるほど有能であり、なのはの主治医でもあ
る。その彼女が命に別状はないといった以上、エリオが大丈夫だ。
 だが、しかし……
「戦線復帰はおろか、騎士として再起できるかもわかりません。一つ言えるの
は、彼に待っているのはなのはちゃんと同じぐらい厳しい、リハビリの日々で
す」
 四肢断裂とまでは行かなかったが、筋肉や神経組織の一部がズタズタになっ
ていた。放出し、高めた魔力が身体の限界を超え、内部崩壊を起こしてしまっ
た。再生は可能であるが、以前のような暮らしが出来るかは何とも言えない。
シャマルはエリオの保護者であるフェイトにだけ、そのように告げた。
「ごめんね、エリオ。私が、私がもっとしっかりしていれば、あなたのことを」
 やはり、助けに行ってあげるべきだった。間に合わないとわかってはいたが、
それでも、それでもなにかできたかも知れないのだ。
 沈むフェイトの前に、ゼロがやってきた。三人目の戦闘機人を撃破した彼で
あるが、浮かない顔をしている。元々無表情だが、どこか悲しげな雰囲気すら
漂わせている気がする。
「中の様子はどうだ?」
「落ち着いてる。しばらくは、二人きりにさせてあげよう」

 フェイトは僅かに笑みを浮かべて、その作り物の笑みを浮かべたままゼロを
テラスに誘った。すっかり夜は更け、空には星が浮かび上がっている。
「私がエリオと出会ったのは、今から6年も前のことで、彼がもっと小さい男の
ことだった頃」
 当時、エリオは今とは違い、荒みきった心を抱え込んで暴れ回っていた。目
に付くもの全てに魔力を使い、魔法を放った。彼は人を信じなかった。人を嫌
う以外の感情を、持ち合わせていなかった。
 親にも捨てられ、長年身体を弄くり回され続けた彼にとって、大人とは増悪
の対象であったのだ。
「そんなエリオを、私は引き取った。私にしか、彼の気持ちを理解してやるこ
とは出来ないと思ったから」
「どういうことだ?」
 尋ねるゼロに、フェイトは今までに見せたこともないほどの悲しげで虚しさ
の滲んだ表情をした。
「私とエリオはね、普通の人間じゃないの」
「何?」
「プロジェクトF、あのジェイル・スカリエッティが組み上げ、私の母プレシ
ア・テスタロッサが完成させた悪魔の技術」
 フェイトは恐らく、この世で初めて作られたプロジェクトFの子供。亡き母が
最後まで愛していた実の娘、アリシア・テスタロッサの紛い物。
「私は母さんの死んだ娘を、エリオは両親の死んだ息子を、それぞれ模して作
られた」
 記憶転写型クローン技術、個人の細胞を利用することで寸分違わぬ人間を作
り上げるという最悪の技術。
 しかし、最悪は決して完璧ではなかった。
「プロジェクトFは記憶を転写し、人物造形を完全に再現する技術だったけど、
大きな欠陥があった」
 記憶は、記憶であり、想い出の一部分に過ぎない。
「魔力資質、言葉遣い、仕草、癖、あらゆる部分に差違が出る欠陥だらけの技
術! 私は、完全なアリシアにはなれなかった」
 エリオがどうであったのかは、敢えて調べなかった。だが、あの時の両親の
反応を見るに、彼も恐らく同じだったのではないだろうか。
 フェイトにとって、エリオは自分と同類なのだ。複雑極まる事情と感情が、
彼を引き取るという選択肢をフェイトに与えた。
「ゼロ、あなたはどう思う? 私はね、周りがどんな暖かい言葉を賭けてくれ
ても、やっぱり自分が普通の人間だとは思ってないの。あなたは、私を軽蔑す
る? 紛い物である私を、忌み嫌うのかな」
 エリオを救えなかったショックから、フェイトは自嘲めいた問いをゼロに投
げかけた。本当はこんな問いをしたいわけでも、こんな話を聞いて貰いたいわ
けでもないのに。

「……オレも、似たようなものだ」
「えっ?」
「オレの身体も、な」
 作られた身体、曖昧な記憶。
 英雄でも何でもない、安っぽい偽物の身体。
 ゼロはゼロだが、ゼロではない。
「コピーの、身体?」
「親友は、中身は本物だと言ってくれたが、それに証拠はない」
 誰が証明するというのか。ゼロ自身は気にならなかったが、あの時衝撃を受
けなかったかと言われると、嘘になるだろう。
「貴方は、それで……偽物だと言われて平気だった?」
 それを受け入れるまで、フェイトは長い年月を要した。エリオはまだ、心に
重しとして残っている。
「オレには、オレを肯定し、信じてくれる人がいたから」
 だから自分は、ゼロでいられた。
「オレがオレでしかないように――」
 ゼロはフェイトに、そう語りかける。
「お前の心がお前である限り、お前はお前だ。それ以外の何者でもない」
 気にする必要など、どこにもない。
 この世に同じ人間は、二人も存在しないし、してはいけないのだから。
「……ありがとう、ゼロ」
 言って、フェイトはそのままゼロにもたれ掛かった。フェイトは泣いていた。
今まで弱さを見せてこなかった彼女が、初めて見せた弱さだった。

                                つづく


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最終更新:2009年01月16日 14:03