エリオ・モンディアルは、ミッドチルダの大富豪モンディアル家の子息とし
てこの世に生を受けた。
 自分を絶え間なく愛してくれる両親と、何不自由ない暮らし。
 ゆくゆくは自分も父のようにモンディアル家の当主になるのだろうが、幼か
ったエリオにはまだ関係のないことだった。
 彼はただ、幸せな、幸せだと感じる幼年時代を過ごしていた。

 それが全て、虚構であったとも知らず。

 破滅はあっさり訪れた。ある日突然現れた、複数人の男たち。
 彼は紙片の一枚と、厳然たる事実を一つ突き付けるだけで、愛する両親とエ
リオの仲を引き裂いた。
 モンディアル家の子息エリオは、とうの昔に亡くなっている。
 この話を聞かされた時、エリオは何を言われているのかわからなかった。
 続けて知らされる、自分の本当の生い立ち。息子の死を受け入れられない富
豪が求めた、悪なる技術。
 エリオ・モンディアルは、いや、自分のことをエリオ・モンディアルだと思
い込んでいた少年は、人工的に作り出された偽物に過ぎなかった。

 皮肉なことに、男たちによって事実を突きつけられたことが、モンディアル
夫妻に対して現実を受け入れされる切欠になったらしい。
 前述の通り、モンディアル家は大富豪だ。男たちのバックボーンがなんであ
ろうと、息子を守れるだけの富と権力があったはずなのだ。
 なのに両親は……彼が両親だと思っていた人たちは、エリオに対して何もし
てはくれなかった。
 何故ならエリオは、自分のことをエリオだと思っていた少年は彼らにとって――

「所詮、寂しさを紛らわすための、人形だったから」

 東の空が、赤く染まっている。
「今日は、雨が降るかもな」
 隊舎の屋上で朝焼けを見つめながら、エリオは呟いた。
 まだ日の出だというのに、エリオはバリアジャケットを装備し、デバイスを
持った姿でそこに立っていた。
 彼の呟きに答えるものは、誰もいない。後何時間かすれば、ティアナ・ラン
スターが朝の訓練のために起きだしてくるだろうが、この時間に活動している
のは恐らく彼だけだろう。
「ストラーダ、君は僕を馬鹿だと思う?」
 饒舌で感受性豊かなことが特徴である、エリオのデバイス。真面目で実直な
性格と称される彼が、エリオに対して口を閉ざしている。
「良いんだ、君と僕は感情を同調させることが多いけど、こんな思いをするの
は僕だけで十分なんだ」
 特に、こんな醜さが混ざりあった負の感情は。
「じゃあ、行こうか? ストラーダ」



      第11話「あなたを超えたくて」


 ゼロとなのはが、地下を彷徨う少女を助けた翌日、二人は車に乗って幼女が
入院している病院に向かっていた。
 当初、なのはは幼女を六課に運ぼうとしたのだが、様々な事情がそれを阻んだ。
「一緒に回収されたレリックと、そして生体ポッド……多分あの子は、人造生
命体の類だと思う」
 遺伝子操作を利用したクローン技術などで誕生した人間のことを、ミッドチ
ルダでは人造生命体と呼んでいる。
 倫理的、技術的な問題から違法とされている研究だが、技術だけは完成して
いるので違法研究者は後を絶たない。
「この世界では、クローンは違法なのか」
「一応、建前はね。そっちの世界は合法なの?」
「規制はされていなかった」
 ゼロの居た世界は、そもそも人間の絶対数と出生率に問題が生じていたため、
遺伝子操作による人工生命に対する抵抗がなかった。
 人間が持つ倫理観や価値観にしても、この世界とは大きく違い、政府主導で
遺伝子操作によって優秀な科学者となる人間を作り出そうとするプロジェクト
もあったほどだ。
「どんな生まれ方をしようと、そいつが人間であることに変わりはない」
「良いこというね。友達のお母さんが昔、似たようなこと言ってたよ」
 もっとも、昨日助けた幼女が人造生命体であると決まったわけではない。
 生体ポッドに入っていたのは何かの偶然と考えることも、出来なくはない。
「けど、現場の状況を見るにガジェットを破壊したのは間違いなくあの子」
 幼女を聖王教会が運営する病院へと運んだのはなのはであるが、ベッドで眠
るその寝顔は、どこから見ても普通の女の子だった。
「しかし、そう不思議はないだろう。六課にも、子供の騎士や魔導師がいる」
「エリオとキャロだね……確かに私も9歳のころから魔導師やってるけど」
 あの幼女からは、全くと言っていいほど魔力が感じられなかった。あったと
しても精々、同年代の子供が持つ程度、微々たるものだ。
 だから、本当にガジェットを倒したのはあの幼女なのか、という疑問をなの
はは抱いている。
「それに、どうしてあの子はレリックなんか運んでたのか」
 ゼロが断ち切ってやった幼女の足枷の先には、なのはたち機動六課が探して
いたレリックを収納するレリックケースと呼ばれるものがあった。ケースナン
バーは6番、何故、幼女がこんなものを?
「ま、詳しいことは本人に聞いてみないとわからないかな」
 その為に、なのはとゼロはこうして自動運転の地上車に乗っている。この世
界において車は『モーターモービル』なる呼称で呼ばれており、交通手段とし
ては一般的だが、なのはは所有していない。
 逆にフェイトは人気メーカーのスポーツカーを所有しているのだが、なのは
に言わせると趣味の悪い車らしい。



 到着した聖王病院は、何やら慌ただしくなっていた。なのはが事情を訊くと、
何と昨日の幼女が病室から逃げ出したというのだ。
「まだ子供とは言え、人造生命体には間違いありません。今、他の患者の避難
と周辺の封鎖をしています」
 ゼロは応対したシャッハという名の女が、まるで幼女を危険人物のように表
現していることに違和感を覚えた。
 この世界では人工生命が認められていないということだが、精神的に嫌悪感
を抱いているのだろうか?
「とにかく、手分けして探そう」
 なのはは正面の中庭、シャッハは病院内、ゼロは臨機応変に動くという役
分担をして、幼女の捜索が始まった。
 それなりに広い病院をたった三人で探すというのはなんとも非効率的に思え
たが、非戦闘要員には任せられないという理由もあった。

 駆け足で周囲を探し回るゼロだが、そう簡単に見つかるわけもない。
 外に出ることは不可能だといういから、施設内のどこかにはいるはずなのだ
が、人探しというのはこれでいてなかなか難しい。
 病院の裏手をあらかた調べ、幼女の存在が確認できなかったゼロは、中庭へ
と足を伸ばした。
「――!?」
 衝撃的な光景が、そこにはあった。先ほどのシャッハとかいう女が、幼女に
向けてデバイスを向けていたのだ。
 中庭に立つ幼女は人形を抱きかかえており、表情は怯えで凍りついている。

 咄嗟だった。ほとんど考えなしに、ゼロは走り出した。人形を抱えた金髪の
幼女というだけで、共通点などそれぐらいだ。
 けれど、ゼロは幼女の姿を重ね合わせてしまった。大切な、仲間と。

「なっ、お前は――!」
 凄まじい速さでシャッハと幼女の間に割り込み、ゼロはシャッハに背を向け
たままその喉元にゼットセイバーの剣先を突きつけた。
「自分が何をしているか分かっているのか」
 瞬間、シャッハがデバイスを振った。ゼットセイバーを弾きとばすと、ゼロ
との間に距離を取る。
「そこをどきなさい!」
 幼女を背で隠すように、ゼロはシャッハの前に立ちふさがる。デバイスを持
ち、先ほどと衣服の形状が変わっていることから、シャッハも魔導師や騎士の
類なのだろう。
「断る、そっちこそ武器を下せ」
 隙のない構えから、シャッハという女が相応の手練れであることはわかる。
 デバイスも、形からして攻防一体の格闘戦を主体とした武器だろう。
 セイバーでは不利かも知れないが、戦えないことはない。
 幼女は、自分を守ってくれる男の背中を見つめていた。
 だが、シャッハが魔力を解放させたことで再び恐怖を感じ取る。
「ゃ…ぁ…」
 恐怖で足が崩れ、幼女は地べたに尻餅をつく。シャッハは、対象が見せた意
外な反応に、困惑気味に表情を変えた。
 それまであったゼロに対する殺気や怒気が、消えていく。

「二人とも何してるの!」
 異常を察知したなのはが、こちらに向かって駆けてきた。
 これにより、シャッハは完全に戦意を消失したようである。デバイスを構え
た腕を、静かに降ろした。
 それを確認すると、ゼロもセイバーを収納する。
「まったく、子供の目の前で……」
 なのははあきれ顔で二人を見つつ、屈んで幼女と視線を合わせる。
 取り落とした人形、昨日なのはが売店で買った物だが、汚れを払って手渡し
てやる。
「ごめんね、血の気の多い人たちで。立てる?」
 骨の髄まで戦士の女に言われたくはないが、ここは黙っておくべきだろう。
 なのはは服の汚れも払ってやると、幼女に尋ねる。
「会うのは二度目だけど、憶えてるかな?」
 幼女は少しだけ驚いた表情をするが、判らないと言った風に首を横に振る。
 そっか、となのはは呟く。
「じゃあ、初めましてだね。お名前……言える?」
「――ヴィヴィオ」
 なのはが直接名前を尋ねたのではなく、名前は言えるかと尋ねたのには理由
があった。
 残酷な話になってしまうが、幼女に名前があるのか、その可能性を考慮して
のことだった。
「ヴィヴィオ……いいね、可愛い名前だ。私は、高町なのはだよ」
 考慮が現実とならず、なのはは内心安堵した。
「なのは……」
 幼女ヴィヴォオはその名を呟くと、今度は立って二人の様子を見守っている
ゼロの方を見た。
 幼い瞳が、ゼロを見つめている。
「ゼロだ」
 こんな時、もう少し愛想良くできればいいのかもしれないが、出来ないもの
は仕方がない。
「ゼロ……」
 シャッハの方は見向きもしないあたり、ヴィヴィオは敵と味方を判別してい
るのかもしれない。
 確かにまあ、危険物扱いした挙げ句、武器まで向けてきた相手を味方とは思
えないのだろう。
「それで、ヴィヴィオはどこかに行きたいの?」
 尋ねるなのはに、ヴィヴィオは不安そうな声を出す。
「ママ……」
「え?」
「ママが、いないの」
 一瞬、本当に一瞬だが、なのはの表情が曇った。ヴィヴィオが人造生命体で
あることは、病院の検査によって証明されている。
 通常、人造生命体は母体から生まれることはない。つまり、ヴィヴィオに母
親は……
「それは大変だね。うん、一緒に探そう」
 事実を告げること、認識させることが必ずしも本人のためではないはずだ。
 なのはとて、それぐらいは弁えている。ヴィヴィオの手を取り、自身も立ち
上がる。
「さて、それじゃあとりあえず……」
 その時、なのはの持つレイジンぐハートが六課からの通信を告げた。
 なのははヴィヴィオにちょっと待ってね、と断ると、回線をつないだ。

「なにかあったの?」
 なければ通信などしてこないから、何かあったことには違いない。
『なのはさん、すぐに帰還してください!』
 上ずった声で、シャーリーが叫んでいる。有事が起こったことを悟り、なの
はがヴィヴィオに聞かれぬよう、小声で話す。
「何があったの?」
『それが、あの、エリオくんが……』
「エリオ?」
 意外な名を出されて、なのはが顔色を変える。
『エリオくんが、無断で出撃をしました!』


 機動六課は騒然とした空気に包まれていた。少なくとも、ゼロが帰還した時
はそうであった。
「状況は?」
 ゼロは中央指令室に入り、その場にいたティアナを捉まえて状況確認を行う。
「あ、あれ、なのは隊長は?」
「遅れてくる。状況を説明してくれ」
「それが私にも何が何だか……」
 まだ、六課でも完全に事態を把握したわけではないらしい。
 司令官席では、 はやてが冷静な表情で手渡される資料に目を通していた。
「ゼロ!」
 彼の帰還に気付き、フェイトが駆け寄ってくる。冷静さを失い、動揺してい
ることが見て取れた。
「エリオが……エリオが!」
 話によれば、新人たちの日課である訓練を、今日はなのはがゼロと外出して
いたため、フェイトとヴィータで行うこととなったらしい。
 しかし、決められた時間になってもエリオが現れず、心配をしたキャロが部
屋を尋ねたところ不在が発覚。
 外出申請もなされておらず、不審に思ったフェイトが隊舎内の監視カメラの
データを調べたところ、夜明け頃に隊舎から『出撃』するエリオの映像を発見
したのだ。
「行き先は、どこに出撃したんだ?」
 この時期に出撃ともなれば、候補は二つしかない。だが、例えどちらに行っ
たとしてもそれは無謀な行為でしかなかった。
「大型発電所に……スカリエッティの部下が占拠している」
 やはり、そこに向かったか。
 自分が言うのもおかしな話だが、単騎で攻め入るには危険すぎる場所だ。
 追いかけるにしても、モニターにあるエリオの反応を見る限り、発電所は目
前だ。
 フェイトの高速を持ってしても、間に合わないだろう。
「オレが行く。転送装置は使えるか?」
 シャーリーに尋ねるも、彼女は青ざめた顔で首を横に振った。
「ダメです、現場は転送などの魔法を封じる結界が張られていて」
「ならヘリの用意だ」
 陸路で行くよりは、よっぽど早い。連れ戻すことは出来なくとも、最悪の事
態は避けられるかも知れない。

「残念やけど、ヘリは使えへんよ」
 ため息を付きながら、はやてが指揮座から立ちあがり、ゼロの方に振り向い
た。
「整備中、エリオの奴、ヘリが使えないことを知った上で出撃したんやな」
 なんという愚かなことを。
 はやては、エリオの行動に腹を立てていた。彼なりに考えあってのことなの
かも知れないが、こんなことは馬鹿げている。
 一人の無謀さが、組織全体を揺るがすとは何故思わなかったのか。
「今、フェイトちゃんなりを行かせれば敵を刺激する可能性がある。予備ライ
ンがあるとはいえ、あそこはクラナガンにとってなくてはならない施設の一つ
……下手に手出しは出来ない」
 それはつまり、エリオを見捨てると言うこと。言明こそしなかったが、はや
ては今のところ救援や応援を送るつもりはないらしい。そもそも送ったところ
で、間に合いはしないのだ。
「見捨てるのか?」
 ゼロが言った非情な問いかけは、この事態の根本的問題を指し示している。
 様子を見るにしても、エリオが戦いを行おうとしていることは眼前の事実と
なのだ。
 だが、はやては苛立たしげに床を蹴って起ち上がった。
「んなわけあるか! 助けられるなら助けたい! けどな……方法がないねん」
 はやての特徴として、彼女は身内には優しいというものがある。彼女とて、
助けられるならエリオを助けてやりたい。
 だが、転送も出来ずヘリも使えず、かといって隊長クラスを派遣するわけに
も行かず……どうすれば良いというのだ。

「あ、あのっ!」

 その時、はやてとゼロのやり取りを見ていたキャロが手を挙げた。
「わ、私が、私のフリードならあそこまで飛べます!」
 視線が一斉にキャロに集中し、慣れない彼女は俯いてしまう。
「エリオくんを、助けに行かせてください!」
 昨日喧嘩をしたばかりだというのに、キャロはそんなことを微塵も感じさせ
ない強い口調と思いで言い放った。
 フェイトは何か言おうとして、何も言えず、近くにいたという理由だけでゼ
ロの方を見た。
「それしかない。オレが一緒に行く」
「ゼロ、それは!」
「時間がない。連れ戻すには間に合わないとしても、最善を尽くすのがオレた
ちの役目だろう」
 フェイトは自身も出撃したい意思に駆られ、はやてを見る。しかし、はやて
は首を横に振った。
「ゼロ…に任せる。とりあえずは」


 エリオが出撃した大型発電所は、大都市であるクラナガンの電力供給システ
ムの拠点となるべき場所だ。
 スカリエッティは着眼点だけは良いというか、相手の痛い部分を正確に突い
てくる。
 発電施設は緊急時のトラブルに備え、いくつかの予備システムを持っている
物だが、それだって必ずしも多いわけではない。
 しかも、病院とか管理局施設などの公共機関が優先的なので、都市機能を麻
痺させるという意味では十分だろう。
 そのスカリエッティであるが、彼はかつてオットーが敗れた際、部下のウー
ノにこのように語ったことがある。
「最低でも後二人、ナンバーズはやられるよ。これは、確定事項だ」
 自分の部下を信用していないとも取れる発言だが、逆に考えればその時点で
残っていた三人の内、一人だけはゼロに勝つ可能性があるかも知れないと、ス
カリエッティは思っていた。
 そして、彼がそれなりに実力を評価していたナンバーズは、この発電所を占
拠している主、
「オットーに続き、ウェンディも敗れたか……そろそろ、姉が戦うときかな」
 ナンバー5番、チンクである。彼女は番号が若く、姉より妹が多い古株だが、
それに見合うだけの実力を兼ね備えている。
 その力はSランククラスの騎士を打ち破ったほどであり、姉妹間でも度々話
題となるチンクが持つ伝説である。
 そんなチンクの実力ならば、確かにゼロに対して勝てるかもしれない。
 かもしれない、と思っているのはあくまでスカリエッティだけであり、当の
チンクは負ける気などさらさらなかったが。
「オットーは相手の情報が不足し、ウェンディは自分の技能に頼り過ぎていた。
戦いは、性能だけで決まりはしない」
 妹たちの敗因を、チンクは冷静に分析している。ナンバーズの姉妹たちには、
一つの共通・共有能力があり、それらは『動作データ継承』『データ蓄積』と
呼ばれている。
 前者は姉妹間での動作データを共有することで優れたコンビネーションを実
現させる戦闘最適化システムの一環だが、後者は姉妹の戦闘データを共有、認
識して学習するというものだ。
 高度な戦闘学習システムであり、ナンバーズの姉妹らは、姉妹間で情報を共
有することで驚くべき速度で成長、強くなっていくのだ。
「故にナンバーズは、二度同じ相手には負けない。だが、この場合は二度目が
あるかどうかだな」
 それは自分が再戦もできぬほどに負ける、という意味ではない。
「ノーヴェ辺りが文句を言いそうだが、このゲームは姉が終わらせる。これ以
上、妹たちを傷つけさせはしない」
 しかし……と、チンクは考える。ドクターの始めたゲームとやらも、順調に
進んでいる。
 既に二人のナンバーズが敗れ、敵の手の中。目立った動きはまだないが、戦
闘機人システムを解析でもされたらどうするのか。
「そもそもドクターはこのゲームに勝つつもりがあるのか?」
 チンクの発想は、実はスカリエッティの考えを明察していた。
 最終的にはともかく、この時点で彼はゼロに勝つつもりなどなかったし、勝
てるとも思っていなかったのだ。
 チンクを例外としたのは、彼がある程度はチンクの実力を評価しているから
であるが、それでも絶対ではない。
「まあ、いいさ。姉は勝つ。姉が、負けるわけなどないのだから」



 星空すら、みたことがなかった。

 親元、エリオが親であると信じた、信じたかった存在と引き離された後、彼
はとある研究機関の実験動物となった。
 その研究機関とそこにいる研究者たちは違法な技術で誕生したエリオを人間
と見なしておらず、非人道的を通り越し
た扱いをしていた。
 動物とみてもらえただけまだマシだったともいえるが、エリオの心が荒むの
に時間はかからなかった。
 研究所暮らしが数年を過ぎたとき、転機が訪れた。エリオを研究していた機
関と研究者たちが管理局によって逮捕されたのだ。
 後に知ったのだが、エリオの身体を弄り回していた連中自体も違法研究者の
類で、管理局に無断でエリオの研究を行っていたことが発覚、捜査の結果、逮
捕された。実験動物となり、人としての自我が崩壊する寸前、エリオは助かっ
たのだ。
「もう、大丈夫だよ」
 幼いエリオの体を抱きかかえ、管理局の女魔導師は微笑んだ。
 エリオは笑わなかった。どうやって人は笑うのか、エリオはそれを忘れていた。

 両親の下に帰れるかもしれないと、期待しなかったわけじゃない。もしかし
たら、という希望もあった。
 しかし、現実とやらは少年にとって常に非情だった。
 モンディアル夫妻は、エリオの引き取りを拒否したのだ。
 しかも富豪としてスキャンダルを避けたかったとか、そういう理由ではなく、
「私たちの息子は死にました。私たちはそれを認められないばかりに違法な技術
に頼り、息子の紛い物を作ってしまった。死んだ息子の命を冒涜するような行為
です」
 今存在するエリオをハッキリと紛い物呼ばわりした男に、かつての父親として
の姿はなかった。
 エリオを助け出し、モンディアル夫妻と面会した管理局の女魔導師は憤りを隠
せず、夫妻に向かって叫んだ。
「じゃあ、あの子は……エリオ・モンディアルとして生み出され、あなた方の息
子として生きてきたあの子はどうなるんですか! 用がなくなれば、それで捨て
るっていうんですか!?」
 女魔導師の言葉は痛烈だったが、モンディアル夫妻はさしたる感銘も受けなか
ったらしい。
「あれはもう私たちの息子じゃない。外見だけ息子に似ているだけの別物だ」
 エリオの心が完全に壊れた瞬間だった。未来も、希望も、全てが閉ざされたか
に見えた。
 彼は絶望を通り越し、悲しみを捨てたとき、怒りという新たな感情を覚えた。
 彼は怒りに任せて暴れまわるしかなかった。幸いといっていいのか、彼には子
供ながら強い魔力があった。
 本物のエリオ・モンディアル少年が持ちえなかった魔力を、研究者たちがさら
に強化したのだ。
 エリオは暴れるだけ暴れ、死のうと思っていた。自分など、誰にも必要とされ
ていない存在なのだ。

 誰が作ってくれと頼んだ? 誰が生み出してくれと願った? 俺は、俺を誕生さ
せた全てを憎む。

 エリオがその乱暴振りに手が付けられなくなっていた頃、彼を助け出してくれ
た女魔導士が、彼を収容していた保護施設を訪れた。
 彼女には、エリオがこうなってしまうのではと予想が付いていたのだ。

 その身体を持って暴走を止められたとき、エリオは何も出来なくなった。
 彼が怒りの裏に隠してきた感情が露わになってしまったのだ。
 即ち、寂しさというなの弱さ。
 エリオは泣き崩れた。女魔導士にすがりついて、泣くことしか出来なかった。
 誰に甘えることも、涙を見せることも許されなかった少年が、最後の最後に見
せた弱さ。
 彼はずっと泣きたかった。涙を流し、誰かに想いをぶつけたかった。
 フェイト・T・ハラオウンは、そんなエリオの気持ちを全身で受け止めた。
 彼を抱きしめ、彼と同じように涙を流した。フェイトには、フェイトにだけは、
少年の気持ちが痛いほど理解出来たのだ。
 やがてフェイトは、エリオを自らの被保護者とした。
 彼女はエリオに自分の生い立ちを話し、ただの同情で彼を引き取ったわけでは
ないことを説明した。
 エリオはぎこちなくではあるが、フェイトに受け入れられたことで精神均衡上
の安定を取り戻していった。
 少年らしい少年へと、数年かけて戻すつもりであったが彼の経験と彼が敬愛す
る女性の存在は、彼を大人びた性格へと変化させていった。
 そのことを悪いことだと思ったことはないし、思われたこともない。
 稀にフェイトが、もう少し子供らしくてもいいのにと苦笑するぐらいだった。

「あの時、あなたは僕に未来を作ってくれた。希望を、与えてくれた」

 斬撃が、ガジェットを斬り裂く。
「僕に人を信じるということを、人を愛するという意味を、あなたは身体を張っ
て教えてくれた」
 だからエリオは、強くならなければいけない。誰よりも、フェイトよりも強く
なって、彼女を、愛する人を守らなければ行けない。
「それが、あなたによって救われた、助けられた、守られてきた僕の願い!」
 何もかもなくしたエリオにとって、フェイトとは唯一絶対の存在だった。
 彼女が彼の前から消えること、彼女を失うことは、今のエリオの全てを失くす
も等しいこと。
 だからエリオは、守らなくてはいけない。自分の一番大切な存在を、守れるだ
けの強さを得なくてはならない。
「ルフトメッサー!」
 空気の刃が揺らめき、迫りくるガジェットを破壊する。
 今倒したのは、何体目なのか、十体目までは数えていた気もするが、そんな余
裕もなくなった。
 次々とわき出す敵をひたすらに倒し続け、前に進むしかない。
「くそっ、限がない!」
 けれども、エリオとしてはそんなに長くガジェットと戦闘しているわけにもい
かない。
 彼の標的はあくまでこの施設にいるであろう戦闘機人で、ガジェットの全滅な
どではないのだ。
「サンダーレイジ!」
 範囲攻撃でガジェットを遠のけつつ、エリオは標的を探した。やがて、広く長
い廊下の先に、人影を見つけた。
 体格は、子供の自分とさほど変わらないようにも見える。
 長い銀発と、少女には似合わぬ黒色の眼帯が右目を隠しているが、代わりに左
目が鋭い眼光を放っている。

「やれやれ、侵入者だからと聞いて出て来てみれば、まさか貴様のようなガキだ
ったとはな」
 同じような背格好の少女にそんなことを言われたくはない。だが、相手は戦闘
機人だ。外見的年齢など無いに等しいはずだ。
「ここは子供の遊び場じゃない。さっさと帰れ」
「なんだと!」
 あまりの言われようにエリオは声を上げるが、それが挑発であることは分かっ
ている。
 挑発で相手の平静さを乱し、猪突されようとしているに違いない。
 ならば、こちらは敢えてその挑発に乗ってやる!
「ソニックムーブ!!」
 高速移動魔法を発動させ、目にも止まらぬ速さでチンクとの距離を詰めたエリ
オは、デバイスによる斬撃を繰り出した。 あたかも瞬間移動したかのような刹
那の速さ。挑発に乗ったと見せかけ、相手の予想を上回る速さで攻撃をする。
 これならば……
「遅いな」
 エリオが繰り出した斬撃を、チンクはあっさりと避けた。
「なっ!?」
 空振りに終わり、何の手ごたえも得られなかった攻撃にエリオが愕然とする。
 フェイトほどではないにしろ、エリオは速さに自信があった。なのに、この相
手はそれをあっさりと、難なく避けてしまった。
「くそっ!」
 再びソニックムーブ!!を起動し、地面を蹴ってチンクとの距離を取るエリオ。
 移動し、近くの壁を蹴って反転すると、斬撃ではなく突撃でチンクへ攻撃をする。
「フッ……」
 チンクは鼻で笑うと、そっと横に僅か動いただけで、エリオの突撃を完全に避
けた。
「だから言っただろう? ここは子供の遊び場じゃないと」
 地面に着地したエリオは、さすがに驚愕の表情を隠せなかった。彼は速さに自
信を持っていた。
 師であるフェイトには及ばないにしても、並の魔導師よりは速いという自覚も
あった。
 なのに、それなのに……
「当たりさえ、すれば!」
 エリオが立つ地面に、魔法陣が浮かび上がる。電撃がほとばしり、ストラーダ
の刀身へと集まっていく。
 チンクは微動だにせず、黙ってそれを見ている。
 口元に、薄い笑みを浮かべながら。

「スピアーシュナイデン!!!」

 高威力の斬撃が、チンクへと斬りこまれた。彼女は避けようとせず、左手をス
トラーダに向けて突き出した。
「聞き分けのない子供だ」
 左手から発生した防御壁が、スピアーシュナイデンを完全に受け止めた。
 必殺の斬撃までも受け止められ、エリオは窮地に陥ったかに見える。
 歯を食いしばるエリオだが、ストラーダは徐々に力を失っていく。
 だが、エリオの攻撃はこれで終わりではなかった。

「避けずに受け止めたその油断が、お前の命取りだ!」
 エリオは右手をストラーダから離すと、握り拳を固めた。
 チンクの表情が、わずかに変化した。エリオの拳に、高密度の魔力が集まって
いるのだ。
 まだ完成はしていないが、この距離ならば外さない!

「紫電一閃!」

 元々はライトニング分隊副隊長シグナムの技であるが、応用が利くということ
でエリオも覚えたのだ。
 魔力に打撃というシンプルな技だが、それだけに直撃すれば相当の効果が見込
まれるはずだ。
 あえてデバイスから手を離し、エリオは相手の懐に潜り込んだ。相手に避ける
時間は、絶対にない。
「ダァッ!」
 激しい魔力がチンクへと撃ち込まれた。外衣の上からであるが、確かに手ごた
えはあった。これなら……
 打撃の衝撃で僅かに数歩下がったチンクだが、おかしい、直撃だったのだから
もっと派手に吹っ飛んでもいいはずだ。
「…………はぁ」
 それはおよそ戦闘に似つかわしくない、可愛らしいため息だった。失望と憐みを
混ぜ込んだ、少女の声。
 チンクは溜息を吐くと、外衣についた埃を軽く払う仕草を見せた。その光景を、
エリオは唖然として見ている。
「油断と余裕の違いも解らないか。お前の攻撃は、この外衣を破ることすらできな
いというのに」
 嘘だ、とエリオが小さく呟いた。だが、彼が否定しようとチンクが纏っている外
衣には傷一つ付いていない。
 圧倒的な実力差があった。ナンバーズとは、戦闘機人とはここまで強いものなのか。
「子供を殺す趣味はない。さっさと消えろ」
 実のところ、チンクはエリオに嘘を言った。彼女が纏う外衣はシェルコートと言
われる防御機能を持つコートで、施設規模の爆発にも耐えうる強度を誇る。
 これがあったから、チンクはエリオの紫電一閃に無傷でいられたのだ。
 それを明かさず、いかにも自分と彼の間には歴然たる実力の差があるように見せ
かけたのは、今言ったようにチンクが子供を殺すつもりはなかったからである。
 もちろん、実力差があること自体は嘘ではないので、このまま戦いを続ければチ
ンクはエリオを殺すことになるだろう。 それが嫌なのだ。
「まだだ、まだ僕は負けてない」
 負けるわけには、行かないのだ。
 エリオの瞳に、脳裏に、赤き姿が映し出される。圧倒的な強さと、強烈な存在感。
彼の愛する者が認める、最強の戦士。
 悔しい、悔しいじゃないか。あの人は僕を強くなっていると言った。でも、それ
じゃあダメだ。僕は強くなくてはいけない。強くなければ、あの人を守ることなん
て出来やしない。

「僕は、強くなるんだ! フェイトさんより、そして彼女が強いと認めたゼロよりも!」
 だから、絶対に負けられない。負けるものか。
 エリオの魔力が、先ほどとは比べものにならないぐらい高まっていく。放出され
る魔力の波に、空気が震える。
「そうか、小さいなりでもお前は騎士と言うことか……良いだろう、全力でかかっ
てこい!」
 チンクがはじめて、攻撃の構えを取った。もはや相手は弱者たる少年などではない。
 目の前にいるのは敵、敵である騎士だ。


 その頃、キャロとともに出撃したゼロはエリオが乗り込んでいった発電所へと到
着していた。
 フリードリヒから降り、キャロとともに施設内へと突入する。
「これは……」
 まず目に付いたのが、おびただしい数のガジェットの残骸だった。様々な型のガ
ジェットが、ほぼ全壊している。
 中には半壊も混ざっていたが、自律行動は不可能と言うほどには壊されている。
「凄い、全部エリオくんがやったんですか?」
 他にいないだろうと、ゼロは言わなかった。猪突するだけあって、エリオとかい
う少年はそれなりの腕は持っているのだろう。
 だが……しかし。
「もしかしたら、エリオくんならナンバーズにも」
 勝てるんじゃないだろうか。キャロは少女らしい安易な期待を寄せて、ゼロに同
意を求めるが、彼は慎重だった。
「先を急ぐ、オレたちはその為に来たんだ」
 言って、ゼロは駆けだした。キャロも慌てて、フリードに跨り直してその後を追った。


 エリオは呼吸を整え、正面のチンクを見据えた。悔しいが、敵の実力はこちらを
遥上回っている。
 攻撃を満足に当てることすら、今の自分には出来ないかも知れない。
「速く……もっと速く」

 これは賭けだ。持てる魔力の全てを出し尽くして、この一撃にエリオは全てを賭ける。
 誰よりも速く、何よりも速く、最速で敵を貫く!
 雷撃の魔力がエリオの身体を纏い、ストラーダの全体を光りに包んだ。

「メッサー・アングリフ!!!」

 エリオの持てる、最大最強の必殺技が繰り出された。
 この技は、まず突撃技であるスピーアアングリフで突撃し、相手の体勢を崩す。
 続いてストラーダの先端に現れる魔力刃で敵を斬り裂く、二段攻撃。
 激突斬撃技、エリオはそう呼んでいる。
「これが僕の、速さと強さだ!」
 目にも止まらぬ、いや、目にも映らぬ速さがそこにはあった。
 流石のチンクも、予想以上の速さに攻撃の構えを防御に変更しようとした。だが、
とても間に合わない。
 攻撃が――当たる。


「ァァァァァァァァァァァァァァァァアッ!?」

 メッサー・アングリフがチンクへと直撃する、まさにその時エリオは悲鳴という
名の絶叫を上げた。


 ゼットセイバーが、エリオとナンバーズが戦闘を行っている大廊下の扉を斬り破った。

 ゼロとキャロがそこに入ったとき、廊下内には絶叫が響き渡っていた。

「なに!?」
 キャロが驚きで目を見開く。対するゼロは、その悲鳴の正体を瞬時に悟った。
 中空でエリオが魔力を放出させながら、絶叫していたのだ。
「エリオ、くん?」
 信じられないものを見るかのように、キャロが呟いた。絶叫は、悲鳴は長く続か
なかった。
 魔力の光が消え、エリオは地面へと落下した。
「エリオくん!」
 フリードから降りて、駆け寄るキャロ。ゼロも、その後に続く。
 地面に叩き付けられ、エリオが倒れた。全身から煙を上げている。助け起こそう
として、キャロは息を呑んだ。
 全身が痙攣し、目の焦点が合っていない。
 地面に落ちたとき割れたのか、額からも血を流している。四肢も一部は折れ曲が
り、誰が見ても重傷だった。
「…………ッ!」
 ゼロはバスターライフルを引き抜き、彼らの方を見ていた戦闘機人に銃口を向けた。
 戦闘機人の少女は動じた風もなく、冷たい声を出した。
「言っておくが、こちらは何もしていない。そいつが勝手に攻撃して、勝手に自爆
したんだ」
「なんだと?」
「身の丈に合わない攻撃を使用としたんだろうな」
 ゼロは戦闘機人の少女が何を言っているのか、理解した。そうか、そういうことか。
「過負荷、か」
 聞き慣れぬ単語に、キャロが動揺めいた表情で見る。
 過負荷とは、主に機械や電気回路など著しい負荷が掛かった場合に発生する現象
で、一般的にはオーバーヒートなどと呼ばれている。
 つまり、機械や機器がその性能を以上に稼働してしまった際に内部崩壊を起こし
てしまうことを指すのだが、これは人間にも当て嵌めることが出来る。
「その騎士は確かに強かったが、所詮はまだ子供だったというわけだ」
 戦闘機人の少女の言葉は、正しかった。
 エリオは確かに、才能があった。それに比類する実力も見せており、数年も経て
ば今のフェイトにも匹敵する実力者になっただろう。

 しかし、今の彼は、まだ子供だった。

 子供の出せる力には、子供が出して良い力には、限界がある。
 エリオは自分の身体が出せる限界を超えた力を出してしまった。
 そして、その力にエリオのからだが耐えられるわけもなかった。
「すぐにそいつを連れて隊舎に戻れ」
 ゼロは短く言うと、キャロを諭した。
「で、でも、あなたは……」
 問いには答えず、ゼロはゼットセイバーを引き抜いた。
 それを見た戦闘機人の少女も、どこからともなく数本のナイフを取り出した。
「その騎士を助けるのか? 恐らく、そいつは命令を無視して勝手に猪突猛進をし
たんだろう? 第一、助けられたとしてお前に感謝などしそうにないが」
 恐らく、事実となるだろう。エリオが出撃した理由が、ゼロへの対抗心であるこ
とは誰の目にも明らかだった。
 そのゼロに助けられたとしたら、彼は自棄を起こして再び同じようなことをする
かも知れない。
 だが、だとしても。
「オレはこいつを助ける。死なせやしない」
 良い答えだ、と戦闘機人の少女は笑った。外衣を翻し、両手に幾本ものナイフを
構えている。
「我が名は、ナンバーズ5番チンク……刃舞う爆撃手!」

                                つづく

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最終更新:2009年01月16日 13:55