時空管理局巨大データベース『無限書庫』は、管理局が管理している全世界
の書籍やデータ類などがまとめて保存されている書庫だ。探せばどんな情報だ
って見つけだすことができるとさえ言われるこの場所を、このように称した人
物がいる。

 ここは、世界の記憶を収めた場所だ――と。

 まったくもって、その通りだった。
 無限書庫の整理と、そして管理を任されて十年近くが過ぎようとしている。
始めたころはただの司書だった自分も、今では司書長として幾人もの司書を部
下とする立場にある。
「仕事ばかり、増えてるけどね」
 ユーノ・スクライアはこの日、滅多にない休日を自宅である官舎で過ごして
いた。無限書庫司書長兼ミッドチルダ考古学会の若き学者……これが彼の、今
現在の肩書である。だが、ユーノは、これほどまで名ばかりの肩書きも無いと
思っている。
 今の仕事は、別に嫌いではない。好きでもないことを、十年も続けられるも
のか。趣味の考古学研究との両立も、なんとかできている。だが、ユーノは時
々思うことがある。
「友達に会う時間も満足に作れないんじゃ、一般人にも満たないな」
 苦笑するも、忙しいのは何もユーノだけではない。幼馴染であるなのはや、
その親友であるフェイトは管理局員として激務の中にいる。両者ともに忙しい
となかなか噛み合わないもので、例えばユーノが暇なときになのはは忙しく、
なのはに時間があるときユーノは採掘に出かけている、なんてことが度々あっ
た。後者に関してはユーノ自身に問題があったと言えるが、すれ違ってしまっ
たのだから仕方ない。たまには時間を作って一緒に食事でも、などというやり
取りも今ではすっかり社交辞令状態だ。
 しかも近頃は、八神はやて女史が結成した新部隊に出向したとかで、今まで
以上に忙しく働いている。はやてもまあ、ユーノの十年来の友人ではあるが、
どちらかといえば『なのはの友人』と言った感じだろう。対するはやても、ユ
ーノは『なのはの幼馴染』という認識だ。まあ、昔からそれほど積極的に交流
をしていたわけでもないし、なのはにすら会う機会が減っているのだから、は
やてと疎遠になっていることは仕方ないだろう。
 ともあれ、なのはにしろフェイトにしろ忙しいことに違いはなく、
「ユーノくーん、今居るー?」
 こんな風になのはが笑顔で、しかも自分の自宅に訪ねてくることなんて滅多
になくなって…………アレ?
「な、なのは!?」
 ユーノは思わず、持っていたティーカップを取り落としそうになる。すると
なのはが軽い魔法を使ってそれをゆっくりとテーブルに誘導する。
「危ないよ、急にカップを落としちゃ。絨毯染みになるんじゃないかな?」
 何故か、ユーノの幼馴染にして機動六課スターズ分隊隊長高町なのはがそこ
にいた。


           第10話「出会い」



 高町なのはが、ユーノ・スクライアの下を訪れるのは、彼の職場である無限
書庫を除けばほとんどない。官舎に移り住んだ当初は、物珍しさと世話好きな
面もあってか何かと訪れていたが、最近はそれもめっきり減った。まあ、年頃
の娘が幼馴染とはいえ同年代の男の家によく行くというのも、それはそれで色
々問題があるのだろうが。
 ユーノはなのはを来客用ソファに勧めると、お茶でも淹れなおそうかと思っ
たが「いいよ、いいよ。自分でやるから」と、なのはは勝手知ったるなんとや
ら、という具合に台所に向かって行った。ユーノは家の内装に興味がなく、模
様替えや家具の買い替えなどを滅多にしないので、なのはが以前来たときのま
まなのだ。

「ユーノくん、ちゃんとお部屋の掃除してる? 食器とかも結構溜まってたけ
ど」
 ソファに腰掛け、ユーノと向かい合いながら茶をすするなのは。
「まあ、あまり帰らないから」
「……外泊してるの?」
「我らが偉大な書庫で、本を枕にして寝ているよ」
 二人が会うこと自体は、それほど久しぶりでもない。少し前、ホテル・アグ
スタで起こった一連の事件で、ユーノはなのはと久しぶりに顔を合わせている。
あの事件以降の出来事は、彼の耳にも幾つか入ってきてはいるが……
「そういえば、最近書庫でこんなことがあってね」
 今日は何かあったの? と、ユーノは訊かない。訊くつもりもない。
 何かあったことには間違いないのだろうが、悩みを聞いてやることがすべて
ではないと、ユーノは考えている。話したくなれば話すだろうし、話したくな
いのなら、話す必要などないのだ。
 そんな彼の心遣いに、なのはは心の中で感謝している。
 これが優しさへの甘えであることは分かっているが、なのはにとってそれが
出来るのは、ユーノだけだ。彼との付き合いは年月だけなら親友のフェイト以
上で、彼女と同等、いや、それ以上の存在だろう。
 ユーノはなのはが本当に辛い時、何も訊かず黙って傍にいてくれる。フェイ
トのように悩みを聞いて励ますわけでもなく、ユーノはなのはの精神的な支え
として、そこに居てくれるのだ。
 それがどれほど貴重なものか、なのははよく理解している。だからこそ、彼
女にとってユーノ・スクライアはただの幼馴染以上に、大切な存在なのだ。

 あるいは、親友以上に自分の本質を知っている彼に、自分は甘え通りこして
依存しているのかもしれない。彼の優しさに溺れ、逃げているだけなのかもし
れない。
 これは弱さか――弱さなのだろう。
 あの時から、弱い自分は捨てたはずなのに。

 二人は笑う、微笑みを交わす。だけどその笑みには、どことない虚しさのよ
うなものがあった。ただ一つ言えることは、この時のなのははユーノの存在を
強く求めていた。




 所変わって機動六課では、なのは以外の隊長と、副隊長や隊員たちを含めた
緊急会議が行われていた。もっとも、会議と言ってもブリーフィングルームで
行われるようなものではなく、休憩室のソファに腰掛け、居合わせた隊員たち
でテーブル囲んで話をする、という類のものだ。参加しているのも、はやてに
フェイト、リインにヴィータ、エリオとキャロにスバルという面子だ。
 なので当然、話し合われるないような職務に関することではない。まあ、近
いといえば近い内容でもあるが。
「しっかし、なのは隊長がそんなことをねぇ……ちょっと信じられへん」
 緑茶をすすりながら、はやてが率直な感想を漏らす。
 なのはとティアナの模擬戦の際、丁度はやては隊舎を離れており、実際の現
場を目撃していない。スカリエッティのときといい、どうにも自分は肝心な時
に仲間外れにされている気がする。もちろん、気がするだけだが。
「なのはちゃんもあれで、堪るもん堪ってたんやなぁ」
 そういう言い方はどうかと思うが、それが最も事実に近い意見であると他の
隊員たちは思っていた。なのはだって人の子であるし、完全無欠の人格者など
ではない。怒りで我を忘れてしまった、などということがあっても、意外では
あるが驚くべきことでもないだろう。
 被害者、という表現を使うべきか、ティアナはこの件に関してなのはを恨む
とか、強い怒りを覚えると言ったことはなかった。それどころか、あの高町な
のはを一瞬でも本気にさせることができたというのが嬉しかったらしく、また
自主練に励むようになっている。
「まあ、ティアも気にしてないみたいですし、いいんじゃないですか?」
 スバルはこのように言うが、むしろ気にしているのはなのはの方であろう。
フェイトに気絶させられ、医務室で目を覚ますという衝撃的な結果に終わった
模擬戦に、なのははショックを隠せなかったらしい。ティアナにも合わす顔が
ないのか、はやてに外出許可の申請をすると返事も待たずにどこかに行ってし
まった。
「そうやなぁ……ところで、ゼロはどないしとる?」
 はやては茶菓子を摘みながら、席の端に座っているフェイトに尋ねる。ゼロ
も一応、今回の一件の当事者となった男である。
「今日は、ギンガが中央地区の先端技術医療センターに連れて行ってる」
「へぇ、あそこに」
 先端技術医療センターは、その名の通りミッドチルダにおける最先端の技術
を医療へと利用するための研究などが行われている場所である。一応、実際の
医療機関としても稼働しており、戦闘機人であるギンガやスバルはここで定期
健診を受けている。
「ゼロも戦い続きだったから……あそこの設備なら役立つと思って」
 なのはの砲撃すら弾き飛ばしたゼロであるが、さすがに無傷というわけには
いかなかった。そもそも、彼はナンバーズと激闘を行い戻ってきたばかりであ
り、損傷と疲労を抱えたまま、あのような無茶な行動に出たのだ。
「そりゃ倒れるわな」
 ウンウンと頷きながら、はやてはまた一杯茶をすする。茶飲み話としては、
面白みに欠ける内容だろう


「だけどまあ、逆に言えば手負いで今度はなのはちゃんの攻撃を防いだわけか
……はぁ~、恐ろしい奴やな」
 今度は、というのは前にも似たようなことがあったからで、ゼロは一度手負
いの状態でフェイトと互角に戦っている。
「はやて、またそんなこと言って」
 口調から、はやてが本気ではないことぐらい判る。最近のはやては、ゼロの
存在を少しずつではあるが認めるようになってきた。慣れたのだろう、という
のはリインの意見であるが、どんな理由にせよ仲良くなってくれるに越したこ
とはない。
「まあ、味方である内は安心やな」
 妥協するべき部分は妥協するべきだろう。
 はやてが考えを改め始めたのには、いくつかの理由がある。一つ目は、ゼロ
が確かな功績、戦果を上げていることが大きい。既にスカリエッティの部下で
ある二体の戦闘機人を撃破し、その事実は『六課の戦績』として記録に残され
ている。利益をもたらす存在には、一定の経緯が必要なはずだ。
 次に、これはリインが指摘したことであるがゼロの存在にも慣れてきた。慣
れざるを得なかったともいえるが、実のところ今現在の機動六課でゼロのこと
を明確に嫌っているのははやてぐらいで、フェイトやギンガはもちろん、ティ
アナやスバルなどといった面々もゼロに好意的だ。なのはにしても興味はない
が嫌いではないようで、そうなると多勢に無勢、一方的に嫌っているはやての
肩身が狭くなるというものだ。
 忠実なる守護騎士にしてから、リインはゼロのことを気に入っているようだ
し、シグナムなども「態度はともかく実力は認めてやるべきでしょう」と言っ
ている。騎士たちにまで言われては、はやてとしても今までの態度を反省する
かはともかく、これからの対応を憂慮しなくてはならないだろう。
 ただ、常識論を言えばはやては皆が皆、ゼロに対して友好的になるのもいけ
ないのではないかと考えている。大半は彼のことを認めていると言っても、そ
れは自分のように彼の存在を認めていない人間がいるからこそ成り立っている
一面も否定できないだろう。そもそもが異世界の住人という微妙な立場だ。あ
る程度は距離を置く人間も存在しないと、人間関係というのは成り立たない。
 無意識化の同情、つまりゼロに対する好意が「異世界から迷い込んで大変そ
うだから」とか、「はやて総隊長に嫌われていて可哀想だから」などと言った
理由の場合、その理由が消えてしまうと好意そのものも消える恐れがある。
 まあ、元々好きなタイプではないし、無理に好意的に接する必要もないだろ
う。どうもクールな男というのは好みじゃ……

「待ってください!」

 声は、意外な方向から響いた。
 はやてが茶菓子を摘んでいた手を止め、フェイトも口に運ぼうとしたコーヒ
ーカップをテーブルに置き直した。
 エリオ・モンディアルが、テーブルに手をついて立ち上がっていた。
「どうしたの、エリオ……?」
 被保護者が何やら思いつめた顔をして発言したことに気づいたフェイトは、
怪訝そうな声を出す。
「僕は……自分は、あいつを信用できません」
 あいつとは、ゼロのことだろうか?
 フェイトが何か言おうとしたが、先に口を開いたのははやてだった。

「ほぅ、その理由は?」
 止めていた手を動かし、茶菓子を摘み直すはやて。彼女にとっては、まだ茶
飲み話に過ぎない。
「だって、おかしいですよ。あいつが、あの人が来てから! どうしてスカリ
エッティがあの人に戦いを挑んできて、何で六課がそのサポートをしているん
ですか」
 それは全員が疑問に思っていることだろう。後者は前者の事情を鑑みるに仕
方ないとしても、そもそも何故前者が起こったのか。スカリエッティは自己顕
示欲の強い犯罪者として知られているから、今回のゲームのような目立つこと
をすること自体に不思議はない。
 だが、何故ゼロなのか? どうしてゼロが指名され、戦っているのか。
 こればっかりはスカリエッティに訊かなければわからない話だが、状況だけ
見れば六課はスカリエッティとゼロに振り回されていると感じなくもない。事
実、はやてなどはそんな風に考えることもある。
「僕たち機動六課は、レリック事件の解決と、その主犯であるスカリエッティ
の逮捕を第一に動いてたのに、いつの間にか無関係なゲームに付き合わされて
る」
 無関係と断定するのはどうかと思うが、六課がゲームに付き合う理由は確か
にない。だからといって、ゼロに協力しない理由もないのだが……
「なるほど、その意見はもっともやけど、奴を信用できないというのは?」
 はやては、エリオに対し自由な発言を許している。これは上官が部下に自由
に発言もさせない職場など息苦しいだけだと常々考えているからだが、今はエ
リオが垣間見せている覇気が面白い。
「あの人が凄く強いのは認めます。だけど、いつ敵になるかなんてわからない
じゃないですか」
「エリオ、なんてことを!」
 フェイトが立ち上がるも、それをはやてが制した。
「敵になる、か。その根拠は?」
「そもそも戦っている理由が不透明です」
 言われてみれば、ゼロがスカリエッティの挑戦を受けた理由は謎が多い。ま
さか、売られた喧嘩を買ったわけでもあるまいし、何か思惑でもあるのか。
「仮に戦果を上げて、それを交渉材料に元の世界への帰還を求めているなら、
それは危険だと思います。もしスカリエッティが次元航行技術の提供を条件に
協力を申し込んだら」
 あるいは簡単に寝返るのではないか。
 それはあくまで可能性、根拠に欠ける意見。しかし、スカリエッティの目的
とゼロの真意が分からないという前提がある以上、決してあり得なくはないの
ではないか?
「そんなの、本人に訊けばいいことだよ」
 フェイトはあくまで、ゼロの擁護に回る。エリオがどうして急に、こんなこ
とを言い出したのかわからないが、被保護者だからと言って肩を持つわけにも
いかないだろう。
「はやて総隊長は先ほど言いました。味方である内は安心だと。じゃあ、もし
敵になったらどうするんですか!?」
 戦って、ゼロに勝てるのか。はやてですら、即答するのを躊躇う質問だった。
ゼロは強い、強すぎる。まだまだ未知数な部分は多いと言え、単体の戦闘能力
としては、フェイトやなのはに匹敵する実力を持っているはずだ。


「でも、それは可能性や。先のことを見越すのは戦略眼としては重要やけど、
危険性だけで処罰、処断するのはあかんよ」
 この場合、ゼロを心強い味方だと認識するか、謎の多い危険人物と捉えてい
るかで大きく考え方が変わる。ティアナなどは前者に傾いているが、エリオは
後者である。はやてもどちらかといえば後者であるが、だからといって賛同は
しなかった。
「あの力は、危険すぎます……!」
 はやては、エリオの反発理由に不安感があるのではないかと思った。フェイ
トと目を合わせてみるが、彼女もそう感じたらしい。ゼロが強いというのは、
もう何度も言っていることで、確かに彼の強さは強烈だ。だが、人というのは
あまりに強烈で、圧倒的なものを見ると畏怖を感じてしまう。

 強すぎる力に対しての危機感、もしこの場にギンガやティアナがいればそれ
に対して苦笑を覚えたことだろう。
 ゼロはガジェット部隊を壊滅させ、戦闘機人を既に二人倒した事実がある。
だが、彼は何も圧倒的な力で圧勝をして見せたわけじゃないし、実際に戦闘を
見た二人なら、彼が窮地に陥ったことがあるのも知っている。第一、彼が最強
無敵の戦士ならば、ギンガに連れられ先端技術医療センターなどに行っていな
いはずだ。
 こうしたことから、エリオの意見は単なるゼロへの反感、不安感で済ませる
ことが出来るものだった。フェイトはそれを指摘し、彼を宥めようとしたが、
彼女より早く、より感情的な意見をぶつけてしまった少女がいた。
「それは……間違ってるよ」
 キャロ・ル・ルシエだった。隊長や、エリオの話を隅で黙って聞いていた彼
女であったが、エリオの話が進むにつれてその表情は悲しげなものへと変化し
ていたのだ。
「キャロ?」
 思いもかけぬ人物からの反論に、エリオが困惑する。
「エリオくんは、強すぎる力は危険だって言いたいんでしょう? そんなの…
…そんなの間違ってる!」
 強い意志と、言葉を持ってキャロは立ち上がった。彼女自身は、別にゼロの
ことが好きでも嫌いでもない。過去の経緯から人見知りの傾向がある彼女は、
ゼロに対しても、凄く強い人でフェイトさんと仲が良い程度の認識でしかなか
った。
「キャロはあいつを庇うの!?」
 それなりに仲良くなってきたと思っていた少女に、意外なほど強い口調で反
論されたのがショックだったのか、エリオは思わず声を荒げた。
「違う、私は……私はただ」
 別にキャロは、ゼロを庇ったわけではない。強すぎる力、それを危険視した
エリオの態度と姿勢に反発を覚えたのだ。何故なら、自分もかつてそうだった
から。


「二人とも辞めて!」
 一触即発、というほどではなにしろ、激しい対立を露にしたエリオとキャロ
に対し、フェイトが止めに入った。
「エリオ、キャロの言う通りだよ。強すぎる力がいけないのなら、私やなのは
だって同じことになる」
 これが自身の力への自画自賛などではなく、単純にキャロを庇っての意見だ
った。フェイトはキャロの過去を知っていたし、何故彼女がエリオに反発、反
論したのかも分かっていた。
 だが、それは結果としてエリオを否定し、彼を突き放す結果となった。
「……っ!」
 エリオは駆け出し、飛び出して行ってしまった。ほとんど反射的に、フェイ
トがその後を追う。キャロは二人がいなくなったことで緊張の糸が切れたのか、
力が抜けたように椅子にへたり込んでしまった。
「若いなぁ」
 飛び出して行った二人を見送りながら、はやては茶を啜ろうとした。しかし、
中身はすでに空だった。
「はやてちゃん、なんかババ臭いですよ」
 リインが呆れたように声を出した。


「エリオ待って、待ちなさい!」
 隊舎の廊下で、フェイトはエリオを捉まえた。
 フェイトの声に、エリオは立ち止まる。
「何で……どうしてあんなことを?」
 彼もまた、キャロとは違うも壮絶といっていい過去を持つ少年である。今で
こそ物わかりのいい真面目な性格であるが、昔はそれこそ荒みきっていた。そ
れは少年の人格形成の段階で、すべての大人がその責務と義務を放棄したから
であるが、長い時間を掛けて接することで、フェイトはエリオを立ち直らせる
ことができた、できたと思っていた。
「あなたの言う通り、ゼロの力は凄い。だけど、彼はその力を私たちに向けた
ことは一度だってない」
 元の世界において、ゼロがどんなことをしていたのかは知らない。
 でも、彼がこの世界でしてきたことなら、知っている。
「彼を、信じてあげて。彼はきっと――」
 フェイトがエリオを説得しようと試みた時、エリオは叫び声を持ってそれを
遮断した。


「フェイトさん!!」
 その声は、震えていた。叫び声、大きな声であるはずなのに、弱弱しく、震
えていた。
「教えて、いえ、答えてください。僕は……僕は強いですか?」
 振り返り、フェイトの目を見るエリオ。フェイトは、何故エリオが今、そん
な質問をするのかがわからない。
「お願いです、答えてください!」
 質問の意図はわからなかった。わからなかったが、それが適当に答えていい
部類の質問でないことは、エリオの目を見れば分かった。彼の眼はどこまでも
純粋で、真剣だった。
「強くなっていると思う。確実に」
 事実、六課の新人たちで一番成長速度が速く、実力と才能が高いのはエリオ
だろう。パワーなどはスバルに劣ると言っても、総合評価では彼に部がある。
故にフェイトの答えは全く間違ってはいないし、エリオは今後もっと強くなる
可能性を秘めている。
 だが、エリオの求めた答えは違っていた。
 フェイトと、そして先のはやては大きな認識間違いをしていたのだ。エリオ
のゼロに対する反感や反発に、その力への危機感がなかったかといえば、間違
いなくあっただろう。けれども、程度でいえばそれは他の隊員が持っているも
のとさほど変わらぬ微々たるものであり、エリオがゼロを嫌ったのにはもっと
別の、明確な理由があった。
「それじゃ……それじゃダメなんだ!」
 叫ぶと、エリオは再び駆け出し、走り去ってしまった。
「エリオ!」
 フェイトは半ば呆然と、その後ろ姿を見つめることしかできなかった。




 さて、ギンガとともにクラナガンの先端技術医療センターを訪れたゼロであ
るが、彼の『診察』を担当したのはマリエル・アテンザという女性だった。時
空管理局本局の第四技術部に所属する精密技術官で、メカニックマイスターと
いう資格を持っているという。
 技術者としての知識と経験は多岐にわたり、十年ほど前まではデバイスシス
テムの研究と改良に勤しんでいたが、近年は戦闘機人システムの解析に熱を上
げているらしい。その一環、というわけではないがギンガとスバルの姉妹を幼
少のころから知っており、彼女らの定期健診を担当している。
「ふーん、話には聞いてたけど本当に全身機械なんだねー」
 マリエルは、ゼロに対して偏見や先入観を持っていなかった。技術者、研究
者としてセンターに席を持つ彼女であるが、ゼロの存在そのものに強い衝撃を
受けていた六課医療主任のシャマルとは全く違う感じである。
「驚かないのか?」
 この世界では驚かれることが絶対的に多かったので、ゼロにとってマリエル
の反応は意外だった。
 マリエルはその問いに、ギンガが待合室にいることを確認すると小声で耳打
ちした。
「言い方は良くないけど、慣れてるんですよ。特殊な存在には」
 人造魔導師にしろ、戦闘機人にしろ、様々なものを見てきた。技術者として
興味深い存在ではあるが、取り立ててどうというほどの驚きはない。色々と麻
痺しているのかもしれませんね、とマリエルは苦笑した。
「メンテナンス装置で、損傷や負荷に対する処置は出来ました。欠損した部品
などはありませんし、幾分か身体は楽になったかと思いますが?」
 基本的なエネルギーはジュエルシードで賄っているが、損傷や疲労はたまる。
レプリロイドというミッドチルダのそれを上回る技術の結晶に対応できるのか
という疑問はあったが、さすがはいくつもの次元世界を管理するだけのことは
ある。先端技術医療センターの設備は、ゼロを回復させることが出来た。
「私は基本的に技術者ですから、何かあったら声を掛けてください。力になれ
ると思うので」
 ゼロにとって幸運だったのは、ミッドチルダが一定水準以上の科学力と技術
力を持った世界であったことだろう。これが未開の惑星とかに転載されていた
らどうなっていたことか。元の世界に帰ることも、時間が掛かるとはいえこの
世界だからこそ出来るのだ。
「……アンタは、メンテナンス以外にどんなことが出来るんだ?」
「色々出来ますよ。最近はご無沙汰ですが、昔はデバイスとかも作ってました
し」
 マリエルは優秀なデバイス研究者としても知られており、デバイス技術の歴
史を変えたことは一度や二度ではない。

「デバイス、か」
 それがフェイトやティアナなどが持つ武器の総称であることは知っている。
武器という表現をしたが、要するに魔法を動力に動く機械と考えれば判りやす
く、ギンガの装着している脚部ローラーもデバイスだそうだ。
「例えば、オレが武器の設計図を持ってきたとして、アンタはそれを再現でき
るか?」
 ゼロは、かなり踏み込んだ質問をしている。ギンガに聞いた話だが、この世
界では魔法を使わない兵器は『質量兵器』というのに分類され、違法物となっ
ているらしい。さすがに拳銃など小型の物は、魔力資質を持たない一般局員な
どに限って使用許可が下りているが、それでも各種制限がある。
 そして、魔力など持たないレプリロイドのゼロが望む武器とは……
「面白いですね。大丈夫ですよ、技術者には研究という名目がありますから、
ある程度の無理は利きます……詳しく話してください」


 結局、ゼロが先端技術センターを後にしたのは日暮れになってからだった。
ギンガは父親に会う予定があるとかで、菓子屋で菓子を買いつつゼロと別れた。
帰りの地上車を呼ぶと言われたが、ゼロはそれを断って一人街を歩いている。

 この世界に来てから、幾日過ぎたのだろうか?

 ゼロとて、望郷の念はある。前に頼んでいたフェイトの兄とやらは、面倒ご
とながらも妹の頼みだからと、忙しい仕事の合間を縫ってゼロの帰還に対して
行動をしてくれているそうだ。だが、これもフェイトから聞いた話だが、ゼロ
がどの世界から来たのか、この特定に時間が掛かっているらしく、難航してい
る。
「帰る方法が見つかったとして――」
 自分はすぐに帰るのだろうか? 今ある戦いも、なにかも放り出して。
 そんなことは出来ない。関わって、戦ってしまったからには最後まで戦い抜
かなければならないだろう。幾人か、借りを作ってしまった相手もいる。
 義理もなければ、責任もないはずだった。それでもゼロは、戦おうとしてい
る。その為にマリエルにある物の製作依頼をしたのだから。
 物思いに耽るゼロであるが、そんな彼の背中に声が掛かった。
「あれ? こんなところで何してるの?」
 振り返ると、そこに高町なのはが立っていた。いつもの制服ではなく私服で、
しかも髪を下ろしていたので一瞬誰だか判らなかった。
「アンタこそ、こんなところで何をしている」
 ゼロとギンガは割りと早い時間に隊舎を出たので、なのはが外出しているこ
とを知らなかった。
「ちょっと友達の家に行ってきた帰りだよ。折角出てきたから、ケーキでも買
って帰ろうかと思って。そっちは?」




 帰る場所も一緒であるからして、ゼロとなのははともに街を歩いていた。
「そっか、病院に行ってたんだぁ……それはごめんなさい」
 別になのはの攻撃を受けたのだけが原因ではないが、一因であることには間
違いない。
「ティアナにもちゃんと謝らないといけないね」
 参ったなと呟きながら、照れくさそうになのはは苦笑する。
 実のところ、彼女自身あの時どうしてあのような――ティアナに向けて砲撃
を行ったのか、その理由が分かっていない。無意識化の行動だったと言えばそ
れまでだが、何か違和感がある。
「左腕は、悪いのか?」
 ゼロは左隣を歩くなのはを横目で見ながら、気になっていたことを尋ねる。
「あぁ、これ」
 なのはは右手で、自身の左腕を擦る。その表情はどこか物悲しそうで、自嘲
めいたもの。
「別に、悪いところなんてないよ。ただ……昔、ね」
 もう、八年も前の話になる。任務で異世界に赴いた彼女は、その帰還中に謎
の機動兵器による攻撃を受けた。当時すでに、管理局のエースとして並の魔導
師を寄せ付けない実力を誇っていた彼女は、これを迎撃、そして――
 完膚なきまでに敗北、撃墜された。
 敗北の要因はいくつもある。無茶をしすぎていたからだとか、デバイスの改
造と改良が当時は上手くいっておらず不安定だったとか。だが、それがなんだ
というのだ。
 なのははあの時、確かに負けたのだ。瀕死の重傷を負い、復帰には一年とい
う月日を要した。死にかけて、たくさんの人に迷惑をかけて、出来れば思い出
したくない負の記憶。
「左腕は、完治してる。主治医は後遺症も残ってないし、日常生活どころか戦
闘も行えると保証してくれた。くれたのに……」
 トラウマ、という奴だろうか? なのはは今になっても、左腕や左側面を意
識せずにいられない。今も右隣にゼロが歩いているわけだが、なのはは自然と
この位置取りをした。
「でも、気づかれるとは思ってなかったな。このことを知ってるのはフェイト
ちゃんぐらいだけど、聞いてたの?」
「いや、何も聞いてはいない」
「じゃあ、見抜かれたわけか。私もまだまだだね」
 克服せねばならない弱点だと分かってはいるのだが、これは内面的、精神的
な問題だ。
「ほんと参ったな……弱い自分は捨てたつもりなのに」
 弱点のある戦士など、普通は使いものにならない。なのはが今日まで現役で
いられたのは、それを補うに十分たる実力があったからだ。


「お前は、戦うことが好きなのか?」
「人を戦闘狂みたいに言わないでほしいな。いきなりなに?」
「それほどの怪我をしたのなら、引退するという手もあっただろう」
 フェイトの年齢が確か19歳と聞いている。なのはは同年齢の幼馴染なのだか
ら、八年前と言えば11歳程度だろう。そんな年齢のとき重傷を負ったというの
に、よくもまあ管理局員など続けられているものである。仮に仕事が好きだか
ら続けているのだとして、なのはの仕事は戦うことであるからイコールで戦い
好きと思われても、まあ仕方がない話だ。
「……まあ、戦うことは嫌いじゃないよ」
 中学校を卒業してから、なのははその活動拠点をミッドチルダに移した。そ
れはフェイトやはやても同じことであるが、複雑な人生を歩んでいる両者と違
い、なのはには必ずしもそうしなければならない理由はなかった。

 だけど、なのはは管理局員として戦い続けることを望んだ。

「結局、それ以外の道を知らなかったんだよね。戦って、戦って、戦い続けて
……この十年それしかしてこなかったから」
 道だけなら、他にもあったと思う。例えば、実家の菓子屋を継ぐとか。昔は
継ぐ気もあったのだが、今ではとても考えられない。
「私はね、魔導師としての自分が好きなの。はぐらかしたけど、戦うことも多
分好きなんだと思う」
 強い瞳が、そこにはあった。
「だから、私は戦闘で傷つくことを恐れない。戦闘で負った傷は、戦士として
の誇りなの。全て受けとめて、戦い続ける覚悟は持ってる」
 誇りを持てるからこそ、なのはは魔導師として、戦士として戦い続けること
ができる。
 故に、なのはは強くなくてはいけない。誰にも負けず、倒されず、もう誰に
も迷惑など掛けたくはないから。
「…………………」
 ゼロは、なのはが語った信念ともいうべき言葉に、彼にしては珍しく複雑な
表情をしていた。思うところあるのか、それとも何か言いたいことでもあるの
か。
「オレの友に、アンタによく似た奴がいた」
 静かに、ゼロは口を開いた。
「そいつは、とても強い戦士だった。オレよりも、そして誰よりも強い力を持
っていたが、当の本人は自分が戦うことに対して常に疑問を抱き、悩み続けて
いた」
 親友であり、戦友だった。もはやおぼろげにも思い出せないが、自分は確か
に彼と共に闘っていた。
 なのにゼロは、彼を残し、彼の前から姿を消した。
「長い年月が過ぎた時、オレはそいつと再会した」
 再会した友は、自分と同じく変わり果てていた。
 ゼロが記憶を失ったように、彼は全てが壊れていた。
「オレが消えた後も、永い時の中、そいつはたった一人で、途方もない数の敵
と戦い続けていたそうだ。何故なら、そいつは戦士であり、それ以外の道を知
らなかったから」
 なのはの表情が、若干であるが変化する。
「再会を果たした時、そいつはオレに言った」



――キミがボクを残してこの世界から消えてから、ボクは100年近く、たった一
人で途方もない数のイレギュラーと戦っていたんだよ? それは、辛く悲しい
戦いの日々だった。しかし、何よりも悲しかったのは……

「その人は、あなたになんて言ったの?」
 なのはが、真剣な表情でゼロに続きを話すよう諭した。意外にも、彼女が初
めてゼロに見せる姿だった。
「何よりも悲しかったのは、だんだんと何も感じなくなってくる……自分の心」
 エックスは、あの時確かにそう言った。ゼロが姿を消し、戦い続けた果てに、
彼は心を壊し尽くしていた。あれだけ正義感と責任感が強かった男が、すべて
を放棄し、世界をゼロに託して、消えていった。
「私……似てるの、かな?」
 少なからず、なのははゼロの話に衝撃を受けたらしい。
 普段彼女が浮かべていた、作り物のような笑みが完全に消えている。
「戦い続けるのは、お前の勝手だ。オレは、オレが感じたことを言ったに過ぎ
ない」
 ティアナに向けて砲撃を行ったとき、なのはは躊躇いというものを一切見せ
なかった。それどころか、怒りも悲しみも、一切の感情がなかったようにも思
える。
 なのはは何かを喋ろうとして、何も言えないでいた。自分は反論したいのか、
それとも否定がしたいのか、それすらわからない。
「私は――!」
 彼女は口を開いた。だが、言葉を発することはできなかった。出なかったの
ではない、遮られたのだ。

 突然の、爆発音に。

「なんだ!?」
 小さいが、それは確かに聞こえた。間違いなく、何かが爆発した音だ。ゼロ
は周囲を確認するが、炎も煙も見受けられない。なのはに確認しようとするが、
彼女はいきなり地面に膝をつき、耳を寄せる。
「……多分、地下だね。地下で、誰かがガジェットと戦ってる」
 集音魔法で、地下から響く僅かな音を聞き当てるなのは。デバイスもまた、
地下にガジェットの反応があることを伝えている。
 なのはは起ち上がると、周囲を見渡しマンホールを見つける。
「あそこから降りよう」
 さすがだ、とゼロは思った。先ほどまでの動揺が一瞬で消え、魔導師として
の彼女になっている。




 マンホールを外し、なのはとゼロは地下へと降りた。魔法でなのはが明かり
を灯し、暗い地下道を照らす。
「ガジェットの残骸……Ⅰ型だね」
 少し歩いただけで、二人は爆発の原因を見つけた。ガジェットⅠ型が、見る
も無惨に破壊されている。
「倒したのは、管理局の魔導師か?」
 ゼロは呟くが、魔導師がいる気配はない。残骸に近づくと、そのすぐ近くに
ガジェットとは違う形の物が転がっている。
「これは?」
 なのはを見るが、彼女はその残骸に険しい顔をしていた。驚きを混ぜ込んだ
複雑な表情。
「生体ポッド……でも、なんでこんなところに」
 その時、なにかがぶつかり合う音が聞こえた。固い者同士がぶつかり合う、
耳障りな音。
 音のした方向を、なのはは照らす。
「誰かいるの?」
 消して大きくはない声でも、地下というだけで響き渡る。反響したなのはの
声に、明かりに照らされた、小さな影が震えた。
「子供、か?」
 薄汚れた布きれのような衣服に、同じく汚れた金髪。年の頃は、大きさから
して4,5歳程度。少女よりも、幼女と言った方が相応しい。
 金髪の幼女は、なのはの声に反応し、こちらを振り返った。
「…………」
 異なる色を持った虚ろな目で、何かを呟いている。小さすぎて聴き取れない
が、幼女はこちらを見ながら、後ずさりしている。
 そんな幼女に、なのははゆっくりと近づいていった。
「――ッ!」
 迫るなのはの存在に、幼女が逃げようとする。だが、なにかに足を絡まらせ
て地面に転ける。よく見れば、幼女は足に鎖を繋がれているではないか。
 なのは、幼女の前まで行くと、その場にしゃがみ込んだ。
「大丈夫、怖くないよ」
 優しい、声だった。
 こいつも、こんな声が出せるのかと、ゼロが思わず感心したほどに。
「怖くない、私はあなたを傷つけない……だから、ね?」
 幼女に向かって、なのはは両手を伸ばす。
「ぅ…ぁ…」
 恐る恐る、震えながら、幼女が手を伸ばした。
「そう、そうだよ」
 優しく諭す、なのは。彼女は自分から動かず、幼女が自ら自分の手を取って
くれるのを、待っている。
「マ…マ……」
 手を掴む瞬間、幼女はそう呟いて倒れた。
 なのはは反射的に前に出て、その小さな身体を胸で受け止める。
「ママ、か」
 幼女を抱え上げると、なのはは黙って様子を見守っていたゼロに振り返った。
少しだけ、悲しげな笑みがそこにあった。
 なのはは、気絶した幼女の寝顔に微笑みかける。
「さぁ、帰ろうか」
 なのはにとって、それは運命の出会いと言える瞬間だった。

                                つづく


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最終更新:2009年01月16日 13:38