「……覚えているよ。明日のことだろ?」

そこは悲惨な惨劇の舞台。
数体の物言わぬ屍が散乱し、彼らが流しただろう赤が部屋中を染めている。

「駅前の噴水に六時……」

だがその悲惨な殺人現場において唯一立っている人物、つまり死体の創造者たる殺戮者。
彼は真っ黒なロングコートと揃いの色の手袋、片手には未だに血が滴る凶器を握っている。
しかし!……彼がもう片方の手で握っているのは携帯電話。何処かの誰かとされる会話はスケジュールの確認だろうか?

「え? 五時……食事にしては早くない?」

殺戮者が訝しげな表情で紡ぐ言の葉を運ぶ機器には、電話の相手から送られた可愛らしいキャラクターのストラップが揺れている。

「買い物? 女の子の買い物なんて付き合っても…『□□□!? □□□□!!』…解ったよ……」

思わず耳を携帯から離して、殺戮者は小さくため息。同時にツイッと視線が横にズレて、電話を持っていない手を一閃する。
血が満ちた空気を切り裂き、投げられたのは数人の命を奪った凶器 ナイフ型デバイス「カヴァリエーレ」。
「ドスッ」と何か柔らかい物に刃が突き刺さる音。

「■■ッ!」

止めを刺し損ねていたらしい最後の犠牲者、僅かながらにも這いずり逃げようとした標的に無慈悲に突き刺さるカヴァリエーレ。
動物のような断末魔が僅かに漏れて、今度こそ命の炎が掻き消えた。そんな動作をしながらも、携帯電話を手放す事など彼はしない。
別にそれほど大きな問題でもありはしないと言いたげに会話を続ける。

「ん、何か聴こえた?……カエルか何かじゃないかな? うん、じゃあ明日……」

自分が命を奪った相手をカエルとまで表し、男は携帯電話を閉じた。

「バリアジャケット解除」

『その前に私を死体から抜いてください』

「五月蝿い奴だな……」

電子的な声に促され、めんどくさそうにナイフを死体の背中から引き抜く。
引き抜いた反動で吹き出た返り血が黒のコートを濡らすが、気にはしない。
ふいに殺戮者の姿に変化が起きた。光が走り、黒のロングコートが弾ける。つまり返り血も何もかも隠蔽されるわけだ。
バリアジャケットとしてのコートが消えれば、中から現れたのは何処にでも居そうな青年。
携帯電話とアクセサリーサイズになったカヴァリエーレをジャケットの懐に仕舞い、変わりに取り出すのはタバコとライター。

「ふぅ……」

殺戮の現場を後にするのは軽い足取り。咥えたタバコから昇る白煙を何となく見つめながら、殺し屋 ピノッキオは大きく伸びをした。





私 ギンガ・ナカジマは待ちぼうけをしていた。
何も待ち合わせの相手が遅刻している訳じゃない。私が早く着き過ぎただけ。
物の本によれば『デートの待ち合わせは30分前行動』らしい。

「そう言えば……コレってデートよね?」

家族でもない男性と二人っきりで買い物や食事に行く……うん、デートだ。
そう認識しただけで頬が赤くなってくるのを感じる。もし人々が行きかう駅前広場でなければ、大声でも出してしまいそうだ。
熱を帯びた赤い頬を押さえつつ、自分の姿を検分。変じゃないだろうか?

「一番のお気に入りを着てきたんだけど……」

父が地上本部の事実上のトップという要職に急な昇進をしてしまってから、全く私服を着る機会に恵まれなかった。
誰よりも忙しく苛烈に仕事をこなし、自分や新しい家族への気遣いも忘れない父 ゲンヤ・ナカジマを置いて、何処に行けるだろうか?
誰が意図するでもなく、ナカジマ一家の休み総数はこの数ヶ月で急落である。
だからこそ日の目を見る機会も無くなっていたこの服が、流行遅れになっていないか不安でならない。

「でも……服なんて気にしないかしら?」

そんな事を口に出してから、『ソレは弱音だ!』と強い志が叱責する。
確かにピーノはそういう事には疎いだろう。だがそれは私が妥協する理由にはならない。
『今日こそ決める!』そんな心意気を維持しなければ、今日という日の価値も急降下だ。


「もっと……貴方の事を知りたいな? ピーノ」

ピーノとは私がこれから会う人物、つまりデート?のお相手の名前。
数ヶ月前にお父さんに紹介された民間協力者。廃棄都市出身の遊民で、戸籍が無いことから諜報の仕事を任せているらしい。
彼自身はどんな人物かと言えば……何時も無愛想で気だるげな印象を受けた。
『無気力で自分にも他人にも興味が無く、その日その日を何となく生きている』
悪く言えば廃棄都市のスラムに行けばたくさん転がっているような人間だ。本人もそんな事を言ってたし。

「でも……何か違うのよね」

どこか一本通った筋だろうか? 時たま見せる悲しそうな瞳だろうか?とにかく無性に気になってしまうのだ。
何を聞いても、何をしても喜べるような反応は中々返ってこないけど……構ってあげたくて、喜んだ顔が見てみたいな?


「あれ、遅刻だった?」

振り向けば目に入るのは私と同年代の男性。くたびれたジャケットとズボン。
手には何も持たず、デートだと言うのに黒いサングラスをかけて、タバコを咥えていた。
デリカシーの欠片も無い格好だが……

「大丈夫よ、私も今来たところだから」

よし、とりあえずピーノの服を買いに行こう。





「今日の会議も陸に海は完敗やな」

次元世界の狭間に浮かぶ、時空管理局本局と呼ばれる巨大な建造物の一室で、八神はやては呟いた。
仕事中というわけでは無いらしく、身を包むのはワイシャツのみで、身を置くのはベッドの上。
左手には最近呑み始めたアルコール度数が高いウィスキーと氷が満たされたグラス。
ソレを煽りながら、投げ出された数枚の資料に目を通して呟く。

「情報戦でのヴェロッサの穴が痛い……か」

この数ヶ月の陸と海のゴタゴタで、スッカリ濁ってしまった夜天の主の瞳だったが、海の敗因を的確に分析していた。
交渉の勝敗を導くもっとも有用な武器である情報、それを秘密裏かつ的確に陸から吸い出していた名うての査察官の死。
それが現在の管理局再構築会議における陸と海のパワーバランスを決定付けていた。

『申し訳ありません、私があの時犯人を捕らえられていれば……』

開かれた通信ウィンドウに映るのはティアナ・ランスター執務官補佐の姿。
ヴェロッサ・アコース殺害の現場に遭遇し、犯人と思わしき人物と交戦するも倒されてしまったと言う苦い経験を持つ。
そんな元部下の悔しそうな顔を見るでもなく、はやては書類に目を通す。

「それだけの使い手だったと言う事やな。陸の人手不足はもう解消されたんやろか?」

『クックック』と搾り出すような上官の笑いに薄ら寒いモノを覚えつつ、ティアナはふと気が付く。
どうして査察官殺しの犯人が優秀だと陸の人材不足が解消されるのか?

『まさか! アイツは陸の魔道師!?』

「う~ん、表立った所属の魔道師ではないみたいやね。でも……陸との関係は濃厚やろ」

『だったら陸を追求する事もできるのでは!?』

行き当たった最悪の結論。ソレを肯定するはやての言葉。ティアナは慌てて頭を振って叫んだ。
「自分が目指してきた管理局と言う正義はこの程度のモノだったのか?」そんな疑問を振り払うように。

「ソレは無理。そもそもヴェロッサの潜入や接触も重大な越権行為で違法やからな」

『そう……ですね。では殺害の実行犯の素性を中心に探っていく方向で』

「ん~よろしく~」

頭を垂れた部下が画面から消えると、はやてはグラスの中身を一気に煽った。
空になったグラスを投げ出し、ベッドの上で完全に体を崩し、寝る体勢に移行。

「何してるんだろう……私達は」

本来ならばシャワーくらい浴びるべきなのかもしれないが、そんな気力はもう彼女には無かった。
強いアルコールが連れてくる倦怠感と睡魔に襲われながら、八神はやては呟く。

「あ~ぁ……世の中はこんな筈じゃない事ばっかりや……」





「もう……許してくれ……」

ピノッキオと言う名前の殺し屋=ピーノという名前の青年は盛大にグッタリしていた。
何時でも気だるげな表情には本物の疲労感が滲み、ピシッとした隙の無い歩き方の欠片も見えずフラフラ。
手には有名な洋服ブランドのロゴが刻まれた紙袋が握られ、安定に欠けた動きに合わせてと所在無さ気に揺れている。


「どうしたの、ピーノ? 服を買ってるだけじゃない?」

片やギンガ・ナカジマは元気満タン。スキップでもし始めそうな足取りと、満面の笑顔。
そのステキな表情に真っ向から相対するのは不機嫌極まりない表情。

「どうして僕の服をギンガさんが率先して買うんだ?」

「だって何時も同じ様な服ばかりなんだもん」

確かにその点についてはピノッキオも同意はしている。
『まずは貴方の服を買いましょう』
そんなギンガの申し出に、自分が選ぶと何時も同じ様な服になってしまい、仕事時に足が付く危険を感じていた殺し屋は意図しない強力を受諾した。
だけど……

「だからって、こんなに買うこと無いだろう。それに……」

金銭的な問題は特に有りはしない。
残業続きで休みが無かったギンガの財布と、危ない仕事をしていて主な出費はタバコであるピノッキオの財布。
大量の服を買うにも心強い戦力だ。ピノッキオ自身、多めにあるに越した事は無いとも思う。
では何が二人の間で意見の隔たりを生んでいるのか?

「あんなに試着する必要はない」

ピノッキオにとって服とは所詮体を覆う物であり、試着をしてまで真剣に買った事など殆ど無かった。
試着しても一回の買い物で2・3回程度であり、ジャケットを羽織ってみたり、ズボンの裾あわせを頼む程度。
しかし今回はギンガによるフルコーディネート。上から下まで纏めて渡され、着てみて問題ありの服を変更。
それを繰り返して、一対のセットとして数点の服が選択されるわけだが、ソレで終わりではない。

「ピーノってどんな服も似合いそうだから、つい楽しくなっちゃって……」

ギンガも『言われてみれば少々やりすぎたかな?』と恥かしそうに頬を押さえた。彼女は基本的に世話焼きな人種である。
母を早くに無くしているので、天真爛漫を地で行く活発な妹や、仕事以外ではだらしが無い父の面倒を一人で見てきた。
故にどうしてもそう言った『面倒を見たくなるような人』を放って置けないのである。
本人が興味無さそうな事ほど気をかけたくなるのだ。今回のピノッキオの服もその一例。





「じゃあもう終わりだね? 次はギンガさんの買い物かな?」

ピノッキオの買い物だとしても、楽しんでいたのはギンガなのだが、それを指摘するのは野暮だと言う事くらいは彼にも解る。
と言うか今日と言う日の為にギンガの父にして、彼の雇い主であるゲンヤ・ナカジマに『女の子の扱い方』についてレクチャーされた。
何処まで本気なのかは酔っていたので本人すら解らないだろうが……

「私は別に良いの。ピーノの服を選んでいるだけで十分楽しかったから」

「そういう物なの? 自分の物は何も獲得していないのに」

「……」

ギンガはビキリと青筋が入った額を揉み解し、不思議そうに首を傾げているピノッキオを睨みつける。
まだ『女の子は苦手』な青年はコレがデートであり、重要な事は『好きな人と一緒に居ること』だと言う事実に気が付いていないらしい。
流石に今まで何度も間違いなく美人の部類に入るだろう、ギンガのアタックをスルーしただけのことはある。
確信を持って『女の子は苦手』なんて言うものだから、ピーノは『腐』の付く女性が愛する類の性癖か!?と顔を赤らめたものだ。


「そういう類じゃないよ。ただ苦手なんだ……良い思い出が無い」

買い物は結局一旦休憩と言う事になり、予約していた(もちろんギンガが)レストランへと二人は移動。
同じ建物の上階に位置する店へと二人はエスカレーターで移動を開始。
平日とはいえアフター5をとっくに過ぎたショッピングモールには人が満ちている。

「ふ~ん、でも私には何度も付き合ってくれるのね?」

「ん? それはゲンヤさんがうるさいから」

「……ヒドイ」

『脈あり!!』そんなギンガの期待を完全粉砕する冷たい一言。
普通のカップルならばすぐに喧嘩別れモノだが、この奇妙な男女はそうは行かない。

「それに……女の子って感じないんだよね」

「つまり私は女の子として見て貰えてないと?」

行かない……はずなのだが……さすがにピノッキオのソレは余りにも配慮を欠いていた。
やっぱり自分が一方的に世話を焼いているだけなのか? そんな暗い思考がギンガの脳裏を掠める。

「ギンガさんは『お母さん』とか『お姉さん』って感じかな?」

「なるほど……ソレはソレでショックだけど……まぁ、良いわ」

しかし紡がれたのは違った形の優しい言葉。言ったピノッキオ本人にはそんな気はサラサラ無いのだろうが。
やんわりとした笑みを浮かべなおして、ギンガは安堵の息を吐く。絶対に振り向かせて、ドギマギさせてやるんだ!とコッソリ気合を入れ直す。
心理映像としては『ダー!と腕を突き上げているギンガのバックで鮮やかな色の火薬が爆発している図』だろうか?





「■■■■■」

不意に響くは爆音、建物が僅かに揺れる。照明が数回明滅し、辺りを人々の悲鳴が満たす。
自分の心理映像と重なる部分があって焦っていたギンガだが、すぐに管理局の魔道師として成すべき事を思い出した。
事態の確認と必要ならば買い物客たちの避難誘導が必要になるだろう。

「ピーノ、ちょっと待ってて!」

恋する乙女は何処へやら? 勤務中の管理局局員が一瞬で完成し、手近なサービスカウンターへと小走りで駆ける。
そんなギンガの後姿を華麗に見送って、自分はパニックに混じってタバコを吸い始める辺り、ピノッキオの感性は死んでいるのかもしれない。

「下手には動けない」

そう、決して怠惰だけが彼の行動を決定付けている訳ではないのだ。
彼は戸籍が無いことから陸の暗部で殺しの仕事を円滑に進められている。
だが幾ら戸籍が無かろうと下手に動けばその力が嫌でも露見するもの。
幾ら諜報員としてギンガに紹介されているとは言え、『本当の自分』を知ったら、流石の世話好き女房も悲しむだろう。

「ん? なんで気に掛けてんだろう……」

自分の思考に生まれた疑問点に、タバコの灰を落とすのも忘れて天を仰ぐピノッキオの姿は混乱する周囲から余りに浮いていた。

「タン!」

不意に聴き慣れた音がピノッキオの鼓膜や空気を揺らして、長くなり過ぎた灰が崩れる。
その音は『火薬の炸裂音』だった。そちらへと彼が視線を向ければ、ようやく混乱が収まった大衆の一人がバタリと倒れる。
誰もが事態を理解できないまま、動かない人……死体から溢れ出す鮮血だけが生々しく……混乱が加速する。

「キャアア!?」

悲鳴が混乱を呼び、今度は連続して聴こえる火薬の炸裂音 つまり銃火器の発砲音。
バタバタと複数の人影が粉塵の中、連続して光るマズルフラッシュと共に倒れていく様子を確認しても、ピノッキオは酷く冷静だった。

「随分と懐かしい場所に帰ってきたな……」

携帯可能な銃火器とその威力を思い出し、壁越しで撃ち抜かれる心配が無さそうな一角に身を潜めた。
辺りには硝煙の匂いと爆発が遅れて連れてきた煙が満ちる。遠くでは悲鳴とそれを追う銃声が幾度と無く交差していく。

「テロかな? それとも薬中?」

数多の次元世界を管理すると言う目標を掲げる管理局のお膝元、治安が安定しているかと言えばそうではない。
他の世界へと向けられる力、人材や予算は海と呼ばれる分野に多くを割いている。故に地上は人手と予算不足に常に悩んできた。
そのくせクラナガンには放置されている廃棄都市が無数に存在する。ただ廃棄されているわけでは無い。
そこには底辺の人間が流れ着き、法の目も行き届かない事を利用し、多くの悪事がのさばっている。
窃盗品を換金し、汚い金を洗浄し、違法な薬物や武器が公然と取引されているのが現状。
そんな場所に住む人々は多かれ少なかれ闇を心に抱え、ウッカリすれば歪んだ神や主張に頼りたくなってしまうものだ。






「ここでは僕らの世界で言う銃火器は禁止されてるはずなのに……あるところには有るんだな……ん?」

隠れて状況を把握しようとしていたピノッキオは、銃声と悲鳴に混じり一つの音に気がついた。
普通に人が歩くときに発する音では無い。なにか車輪が地を捉えるような音。
それがこちらに近づいてくる。どうやら彼が隠れている壁の隙間を目指しているようだ。
素人ならばそっと顔を出して確認したくなるか、怯えて動けなくなるのが関の山だろう。
だがプロフェッショナルはそんな事をしない。やるべき事は対象の実体を確認すると同時に速やかな無効化。

「……」

ゆっくりと懐から武器 ナイフ型デバイス カヴァリエーレを取り出す。
今はアクセサリーにしか見えないが、起動させれば容易く人の皮膚を切り裂く凶器。
それを簡単に秘匿所持し、何時でも使用できる点において、ピノッキオは魔法を気に入っていた。


「いま……!」

タイミングはピッタリだった。相手の姿が僅かに見える絶妙なタイミング。
ターゲットが何かをする前に組み付き、押し倒し、カヴァリエーレを振り下ろそうとして……

「ギンガさん?」

ピノッキオは押し倒している相手が先程まで一緒に居た、敵対者とは程遠い存在である事を確認。
その姿は
相手も生命の危機とは違う驚きに目をパチクリさせ、彼女 ギンガは思わず声を上げる。

「ピーノ……ピーノ! 無事で良かっムグッ!?」

「静かにして。気付かれる」

上げる……事は許されなかった。嬉しい再会はピノッキオの手が、ギンガの口を塞ぐ事で中断。
二人して辺りを見回し、不意に訪れた静けさに安堵しながら、壁の後ろへ。

「今の状況は?」

「テロリスト……多分破滅主義の過激派が中央制御室を爆破して……一般人に銃を……」

『乱射した』
ギリギリとギンガは奥歯を噛み締める。管理局所属の魔道師であること、そして自分自身の正義の為に……決して納得できない事態。
その発生を許した事が何よりも怒りを誘う。無抵抗な人を虐殺するテロリストにも、それに遅れを取ってしまった自分にも……

「……撃たれたの?」

冷静な状況説明に耳を傾けていたピノッキオだが視線を下に移せば、そこには確かに紅い水溜りがあった。

「うん、係の人から事情を聞いていたら、いきなり……ね?」

指摘されてその存在を思い出したように、ギンガはズルズルと壁に背を預けて、崩れ落ちる。
今は魔力で精製されたバリアジャケットを纏っているが、不意に撃たれたのならば弾痕はその下に確かにあるのだろう。

「止血。それに傷口を見てみないと……弾が残ってるかも」

「大丈夫、人よりもちょっと頑丈に出来ているから。それよりもテロリスト達を制圧する方法を……ウンッ!」

ギンガが撃たれたのは右足のふくらはぎ。ピノッキオの手がソコに僅かに触れれば、ビクリと身を震わせた。
彼女とて修羅場はたくさん潜ってきた。だが最近闇ルートで出回り始めた質量弾丸を飛ばす銃器については経験が無い。
捜査の過程で相対したこともなかったし、当然撃たれるのも初めてだった。





「情けないわね、私って」

対処の仕方が解らなかった。魔力反応も無しで、コレだけの威力が瞬時に、簡単に作用させられる質量兵器。
階段部分を死守して、一般人の下の階への誘導を完全に行いたかったが、敵の多さと銃器の連射性と安定した威力。
そして何より不意に受けた一撃がソレを大きく拒む。

「守りきれそうに無かったから、とっさに階段を崩したの。
エレベーターは死んでいるから、少なくともこの階に居る奴らは他の階へ行けない筈。
でもこれじゃあ……ゴメンなさい」

テロリストを他へと行かせない戦略は同時に逃げ遅れた一般人がこの場所から去る方法を奪うという意味だ。
同時にジクジクと生を奪い続ける裂傷、それを簡単に与える兵器、そんな兵器を何の躊躇いもなく人へ向けられるテロリスト。
そんな様々な不慣れな状況が腕利きの魔道師に恐怖を確かに与えていた。


「ゴチャゴチャ考える奴は弱い」

「え?」

「僕の先生が言った言葉さ」

ピノッキオに殺しの術を教えた自称元CIA工作員 ジョン・ドゥ。
考えても克服できない事、つまりこの場合の『恐怖』に対する数少ない対処法。
ギンガは珍しく自分からモノを語った、無愛想な樫の木のお人形に意外そうな視線を向ける。

「そう……ね。よしっ!」

パチンと己の頬を打ち、ギンガは上手に管理局局員としての顔を再構築する。
だけど彼女も人間、そんな風に自分が必死に気合を入れているのに、平然としているピノッキオにちょっと嫉妬。
あれだけの虐殺を聴いている筈なのに、撃たれて血を流す自分が目の前に居るのに……何時もと何ら変わらない表情。
まさか馴れているなんて事は……

「子供の……泣き声?」

混乱が不気味な静寂に取って代わられつつあるフロアを満たす涙声・嗚咽。
母と父を求める声だけが薄い闇の中で反響し、余りにも痛々しい。当然黙っていられないのはギンガだ。
自分も状況こそ違えど一人で危険の中をさ迷い歩いた事がある身として、少女を放っておくことは彼女には出来ない。
自分の怪我の事など気にも留めず飛び出そうとしたギンガを捕まえる手。

「ピーノ!? どうして!!」

「静かに……アレだけ大声で泣いているんだ。テロリスト達にも聴こえてる。助けに要ったら貴方も狙い撃ちにされるよ?」

それを肯定するように、少女の後方から近づくのはこの破滅的状況下にあって、余りにも普通な足音。
そんな人間が居るとすればソレは間違いなくこの空間の強者。つまりテロリストたちと言う事に成るだろう。

「でも!」

もしギンガが万全の状態ならば、少女を回収して安全に帰ってくることも出来るだろう。
だが彼女の頑丈な体とローラーブーツと言うデバイスの存在を考慮に入れても、太腿を打ち抜かれた損傷は大きい。
それに運良く回収・帰還が実現したとしても、この隠れ場所を飢えたハンター達にバラすと言う愚行に繋がる。





「でも……」

その愚考を犯した場合、合計で三人の命が危険に晒される事になるだろう。
一人はどんな状況でも危険な迷子の少女、二人目はそれを助けに行ったギンガ、最後に潜伏場所を暴露された形に成るピノッキオだ。
それが解ったから、彼女は口を紡いだのだ。自分だけならば構わず飛び出す事が出来ても、もう一人の命が懸かっているとなれば……

「さっきピーノは言ったよね?」

もっとも高確率で多くの命を救う方法は、迷子の少女を見殺しにしてギンガとピノッキオが隠れ続けると言うもの。
だがこの選択では迷子少女の命が高確率で失われることになる。故にギンガが選ぶのはもう一つの選択肢。

「『ゴチャゴチャ考える奴は弱い』って。だから……」

母の形見であるアームドデバイス リボルバーナックルに覆われた方の手を硬く握り締め……飛び出した。

「ギンガさん!?」

「だから私は考えない! きっと、きっと! 助けてみせる!!」

実は一つだけ、迷子少女を救う事ができるかもしれない可能性を残しつつ、ピノッキオに危険が及ばない方法が存在する。
その方法は『ギンガが飛び出して少女を回収、ピノッキオの居るこの場所に戻らずに、管理局部隊到着まで逃げ切る』と言うもの。

「ダメだ!」

だがソレは余りにも危険すぎる。流石のピノッキオも静止の声を上げた。
しかしギンガは飛び出す。飛び出すしかなかった。不安そうな子供ほど彼女の心をかき乱すものは居ない。
空港火災の日、不安で泣いていたスバル、そしてソレを探しながらも本当に怖かった自分。
あんな思いをもう誰かがすることの無いように……彼女は走る。



「大丈夫? 怪我は無い!?」

いかに太腿を負傷しているとは言え、全力のブリッツキャリバーの速力ならば、ギンガが迷子の下に辿り着くのは難しくない。
すぐさませっかくお洒落したのだろう服を粉塵に染め、顔を涙にグシャグシャにした10歳に満たないだろう女の子を確認。
突然の現れたお姐さんにポカンとしている少女に事情を説明している時間は無い。
すぐにこの場所を離脱し、どこか隠れられるようなところへ! 抱えて走り出そうとすると不意に少女が叫んだ。

「お母さんが……お母さんが居ないの!」

「大丈夫、チャンと見つけてあげるから。今は…「タン」…っ!?」

言葉を遮る乾いた炸裂音。続いてギンガが背中に感じるのは熱さ、更に引き裂き貫くような痛み。
『撃たれた!』
背筋を鮮血が熱を奪いながら零れ落ちる感触と一緒にギンガはようやく事態を把握した。

「どうしたの? お姉ちゃん」

「何でもない……大丈夫、だから!」

事態を把握で傷に首を傾げる女の子に弱々しい微笑みを向け、リボルバーナックルがカートリッジロード。
振り向く勢いで振りぬかれようとする拳と、それが連れてくる魔力弾。だが遅い。引き金一つの銃器には遅すぎた。





「■■! ■■!」

発砲音、二連射。衝撃が二つ、痛みも二つ。ギンガが覚えるのは違った驚愕。
『バリアジャケットが抜かれた!?』
物理衝撃に高度な耐性を持つはずの防護服が唯の布のように。
最初の裂傷、更に新しい二つの損傷に驚きも相まって、膝から力が抜ける。

「さっきの魔道師か……手間を取らせやがって」

平静な声と平坦な足音。近づいてくるのは何処にでも居るような背広に身を包んだサラリーマン風の中年男性。
だがその瞳だけは死んだ魚のように濁り、夢幻を見ているように虚ろでもある。
しかし手に握るのはミッドチルダに存在してはならない火薬式銃器、いわゆるピストル。

「如何してこんな事を…「■■」…グッ!?」

「お姉ちゃあぁん!!」

何の警告もなく、顔色を変える事も無い。淡々と放たれた弾丸を足に受けて、ギンガの体が崩れる。
完全に力が入らなくなった足に引き摺られて、うつ伏せに近い体勢で倒れてしまう。
ようやく状況を理解した少女が抱きついて来ても、ソレを抱き返す余力も無い。

「どうして? 管理局の魔道師様に……廃棄都市で足掻くオレ達の事が解ってたまるか。
 希望も夢も明日への糧も無い。魔法を使える人間だけが重宝されて、世界を動かす。
 幾ら働こうとも届かない金や地位を、魔法が使えるってだけのガキが掻っ攫っていく。
 ふざけるな、何が魔法だ……何が管理世界だ……」

男は虚ろな口調で、だがしっかりと恨みを口にする。
例えどんな管理外世界の出身者でも魔法の性能さえあれば、一足飛びに世界を管理する管理局の門を潜る事すら可能。
だが幾ら努力しようとも廃棄都市に流れ着いた時点で、多くの人間がその将来を失ってしまうのだ。
そんな闇に気が付いて、それでも必死に頑張って……どうにも成らないと気が付いた時、人は人である事を辞める。

「オレ達はお前ら管理局が掃いて捨てるようなゴミじゃねぇ」

ピッタリとギンガの額にあわせられる銃口。男は初めて熱を帯びた言葉の群れを吐き出す。
それは理想に準じる革命家と呼ぶには幼稚、宗教家と呼ぶには乱雑。

「これはソレを証明する為の…『サク』…ヴァれ?」

「?」

何かを切り裂く軽い音。不意にテロリストの言葉が途切れる。
不信に思い、ギンガが視線を必死に上に向けた。何かの液体が端正な顔を濡らす。
「ビシャビシャ」と彼女の顔を濡らすのは何処からか溢れ出る紅い紅い……

「なんヴぁこれヴぇい!」

引き裂かれたのはテロリストの喉下。喉を埋め尽くす大量の鮮血は命を刈り取るに充分。
途切れた言葉が再び紡がれる事も、狂気に覆われた指が再び引き金を引く事も無い。

「違うよ。人の命なんて平等に……ゴミみたいなものさ」

崩れた男の死体をゴミでも動かすように横に捨て置き、恩人にして殺害者の姿がギンガ達の眼下に晒される。
黒いロングコートを筆頭とした黒尽くめに身を包み、右手には血が斑模様を映すナイフ。

「やっぱり女の子は苦手だ。その迷子とギンガさんのワガママのおかげで……余計な仕事をしちゃったよ」

「ピーノ? 貴方は……」

何の躊躇いもなく撃ってきたテロリスト。だがそんな奴を簡単に『殺害』と言う手法で無力化した手際の良さ。
どう考えてもまともな人間ではない。

「それは偽名さ。僕の名前はピノッキオ……殺し屋だ」





時は僅かに巻き戻る。

飛び出していったギンガさんの背中を見送って、僕 ピノッキオは何度目か解らないため息をついた。
勇気と無謀は別のモノ。今回の彼女のアクションは完全に後者だ。どんな人間でもそう評価するだろう。
他人の命の為に、自分の命を投げ出す。しかも見ず知らずの奴の為に。それが管理局の局員だ!って言われると困るが……

「僕がここで仕事をする道理は無いんだけど……」

地上本部の実質的なトップであるゲンヤさんが雇い主とは言え、それが一般の局員まで浸透しているとは言い難い。
もしここで自分の実力を披露するような事に成ったら、危険人物として対処される可能性もある。
何せ僕の戦いは管理局が掲げる非殺傷などと言うものとは大きく離れているからだ。
だけど……


『恩を返せ』


先生の言葉。僕の人生を決定付けたといっても良い言葉。
『もう……しょうがないわね? ピーノは』
そんな風に笑いながら、僕なんかの世話を焼いてくるギンガさん。
どんなにつまらない反応を返そうとも、決して嫌な顔をしないお人好しの世話好き。
何よりも僕の苦手な女の子。そのはずなのに……

「嫌いじゃないのか? 彼女を……なら……」

ゆっくりと立ち上がり、大きく息を吐く。手には既に機動状態 ナイフ状のカヴァリエーレ。
光が全身を多い、この世界での仕事着 ロングコートを筆頭にした黒尽くめのバリアジャケットを展開。

「助けても……嫌われて終わるだけかもしれない」

銃声が聞こえた。既にテロリストに遭遇、戦闘を行っているのだろう。
僕は駆け出す。この世界に来て僅かにマスターした魔法、身体強化をフル稼働。
普通の魔道師からしたら、魔法とも言えないような小さな不思議。だけどそれで充分だ。
僅かにでも早く辿り着き、確実に事を成す。


『ピノッキオ……すまなかった。許してくれ』


おじさん、クリスティアーノおじさん。僕には謝られる理由なんか無いんだ。
僕が選んだんだから……恩返しを。ただ方法が『殺し』だったってだけ。
愛されなくても良い。ただ僕が好きな人の役に立ちたくて、守りたかった。

「見つけた……」

目標を視認。ギンガさんは撃たれたらしく倒れ、テロリストは何かを熱く語っている。
『獲物を前に舌なめずりをするのは三流のやる事だ』……誰の言葉だっただろうか?
正面からこれ以上近づくのは危険。そう判断、身を屈めて倒れた棚などの後ろを通って後ろへ。
全く気付かれた様子は無い。首を絞める要領で手を回し、逆手に持ったナイフを引いた。

「違うよ。人の命なんて平等に……ゴミみたいなものさ」

『ゴチャゴチャ考えるやつは弱い。人の命をゴミだと思え』
そう僕に教えた先生だって……あんなに強かったジョン・ドゥだって……抗争先で銃弾を受けて簡単に死んだ。
僕もそうだ……見逃した女の子に殺された。ゲンヤさんだって偉いはずなのに、身内である管理局からも命を狙われる。
もちろん呆然と僕を見ているギンガさんも例外では無い。現にいま死にそうなっていたし。

「ピーノ? 貴方は……」

僕はそのゴミみたいな命を狩って生きてきた。たぶんこれ以外に何かをする事は出来ないだろう。
他人からすれば本当に救いが無い人生かもしれないけど、そんな自分が嫌いじゃない。
そう気付かせてくれたのは間違いなく似合いもしない平穏な時間。平穏の中に居ても、そちらに以降とは思わなかった事実。
そんな時間を与えてくれたギンガさんだろう。だから僕は胸を張って宣言する。おじさんのくれた名前、先生がくれた職業。

「僕の名前はピノッキオ……殺し屋だ」

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最終更新:2008年07月22日 18:13