「内部からの襲撃だぁ!?」

 シャマルからの報告に、ヴィータはまさしく寝耳に水といった声を上げた。
 ゲームで悪質な反則を見た気分だった。
 数日前からホテルの警戒に当たり、今も敵の如何なる奇襲にさえ対処出来るよう万全の体勢を整えていたというのに、敵はまともな手順を飛ばしていきなり王手を掛けて来たのだ。

「どっから侵入された!? こっちは何も察知してねーぞ!」
『オークションの人形が突然動き出したって……! 信じられないわ、クラールヴィントのセンサーもさっき突然反応したの!』
「なんだとぉ……っ」

 ホラー映画を真に受けたような報告を聞いて、ヴィータの脳裏に浮かんだのは以前の夜の事だった。
 予兆のない突然の襲撃。時間も場所も関係ない、影の中から湧き出るような出現。
 ヴィータとシャマル、そしてザフィーラには覚えのある感覚だった。

「襲撃者は<悪魔>か!」
『<悪魔>? 何のことだ?』

 思わず口を突いて出た言葉を聞いて、通信越しにシグナムが首を傾げる。しかし、今は説明している暇がない。

「すぐに援護に向かう!」
『待って! センサーに新しい反応、今度は外部から複数の接近よ!』
『来た来た、来ましたよ! ガジェットドローン陸戦Ⅰ型、機影30!』
「このクソ忙しい時にっ!」

 矢継ぎ早に飛び込んでくる凶報に、ヴィータは思わず悪態を吐いた。
 真に守るべきオークションの中枢を既に襲撃され、おまけに挟み撃ちの形で追い討ちがやってくる。
 理不尽を感じずにはいられない状況だった。

「部隊長、隊長陣から命令は出てるか!? ホールの状況はどうなってんだ!?」
『なのは隊長からの命令、「外部からの襲撃者の迎撃に専念せよ」「内部は独自に対処する」とのことです!』
『援護が必要ではないか? テスタロッサ以外、室内戦には向いていないぞ』
『―――待って、はやて部隊長と通信が繋がりました』

 現場の状況や通信を纏め、司令室へ中継していたシャマルが言った。

『こちらはやて、現在地はホールに繋がるドアの前や。マズった、締め出されたわ。敵はホールを結界で隔離しとる。ここからでは様子も分からん』

 話の内容に反して、声色には僅かな動揺すらも見せないはやての声を聞き、全員の心に僅かな安堵が浮かび上がった。
 不測の事態の中で最高指揮者の無事を確認出来たことは朗報だったし、揺るがぬ部隊長の態度は混乱と不安を払拭する効果があった。
 こういった混戦状況で、実戦経験のある上司の言動は大きな信頼性を持つ。

『現状ではホールに手は出せん。ライトニング分隊、スターズ分隊は共に外の襲撃者を迎撃。内部の迎撃は隊長陣に任せる』

 なのはの命令と状況を合わせ、判断の下、改めて部隊長から正式な命令が下される。これに逆らうことは出来ない。
 正直、ヴィータは不安に後ろ髪を引かれる思いだったが、なのは達への信頼で僅かな迷いを振り切った。
 内部に回れば外側が薄くなる。いずれにせよ、敵の侵入を許した段階で苦しい判断は避けられないのだ。

『私も外で合流するつもりやけど、この結界は得体が知れん。どこまで隔離されてるか分からんから、その間の現場指揮はシャマルに一任する。各員、速やかに行動に移れ!』
『了解!』
「了解!」

 戦況は一気にピンチだ。気がかりは山ほど。
 しかし、やるべき事を決めたヴィータは今やその真価を発揮していた。
 まず、この機動六課が守る場所へ近づく身の程知らずどもを吹き飛ばし、それが終わったら中に戻って今度は侵入したドブネズミどもを一匹残らず磨り潰す。シンプルだ。

「いくぜ、グラーフアイゼン!」
《Anfang.》

 迷い無き意思を秘め、鉄槌の騎士は自らのデバイスを呼び起こした。

 

 


「とりあえず、外はこれで大丈夫かな……」

 通信を終えて、はやては小さくため息を吐いた。
 短い通信だった。こちらの様子がおかしいことは悟られていないだろう。
 余計な不安や懸念は抱かせたくなかった。つまらない自己犠牲精神などではなく、隊長としての全く合理的な考え故だ。

 ―――息を潜めて曲がり角の物陰から外へ向かう通路を覗き込めば、そこには枯れ木のような人形が数体、観客のいない人形劇のように徘徊していた。

 例の得体の知れない結界のせいで、ホテルから外に出るルートはかなり限られている。
 この人形が徘徊する通路を抜けることは必須だ。
 はやてはもう一度ため息を吐き、壁に背を預けて自分の判断が正しかったどうかを考えた。
 シグナムかヴィータに護衛を頼むべきだったか。いや、外部の敵への対応を万が一にも間違えるわけにはいかない。本来最終防衛ラインとなる隊長陣がいきなり襲われたのだ。
 部隊長という地位とその命の価値をはやては正確に理解していたが、それ故に優先順位もしっかりと決めていた。
 分の悪い賭けじゃない。今はリスクを犯す時だ。

「ガチンコは苦手やけど」

 もう一度深呼吸して、目を開く。
 意思は固まった。
 通路へと飛び出す。

「―――久々に走るか!」

 はやての気配に気付き、得体の知れない敵意が一斉に向けられる。
 久しく感じる危機感と緊張感で顔を引き締め、それでも尚不敵に笑いながら、はやてはバリアジャケットを纏って駆け出した。

 

 


魔法少女リリカルなのはStylish
 第十三話『Chance Meeting』

 

『前線各員へ! 状況は広域防御戦です。ロングアーチ1の総合管制と合わせて、私シャマルが現場指揮を行います!』

 ホテルの外周を警備していたティアナは、スバル達との合流の為にホテルへと足を戻していた。
 そこへ、シャマルの通信が届く。

「<スターズ4>了解」

 シャマルの報告に、ティアナは緊張と責任が肩から一つ降りるのを実感した。
 副隊長陣を含むベテランが今回の任務には参加している以上、新人は前線から一歩退くことになる。
 すでにヴィータとシグナムがホテルから出撃したことは確認しているし、必然的に自分達新人の仕事は撃ち漏らした敵の迎撃になるはずだ。
 その事に若干の安堵と、同時に物足りなさを感じてしまうのは若さゆえの血気なのかもしれなかった。
 しかし、本当は初出動時の激戦が異常だったのだ。
 もちろん、今回は後方に回るとはいえ、それを理由に気を緩めるような愚行は犯さない。
 ティアナは前線の様子を確認する為、シャマルにモニターを回してもらうよう個人的に通信を開こうとして―――それより早くシャマルの方から通信が繋がった。

『ティアナ。前線の様子をモニターして、クロスミラージュに送ります』
「え……っ? あ、はい」

 元より自分に状況を見せるつもりだったらしいシャマルの言葉に、ティアナは戸惑いながらも応じる。
 その疑問に答えるように言葉が続いた。

『なのは隊長から、戦闘時にはアナタの意見も取り入れるように言われているの。敵の勢力図と味方の配置も付属して送るから、率直な意見を聞かせて』

 すぐさまシャマルからモニターとマップが送られ、目の前に表示される。
 予想していなかった展開に、ティアナは動揺した。
 一新人魔導師に過ぎない自分の意見が望まれるとは思ってもいなかった。しかも、それを命じたのがなのはだ。
 自分が嫌われてるとか、蔑ろにされてるとは思っていない。だが、それでもティアナはなのはとの間に確執を感じていた。
 意に沿わぬ訓練。疑問に応じない態度。
 それらは全て、目の前に突きつけられた現実を見て吹き飛ぶ。
 ―――あたしは、能力を買われている。

「……了解!」

 適度なリラックスを保っていた体に、不意に力が漲るのを感じた。
 まだ戦闘に入ったわけでもないのに気分が高揚するのを実感する。
 目の前に敵の姿を捉え、その攻撃が視界を掠める―――そんな実戦の中ではない。しかし、確かに今自分が戦闘に関わっている緊迫感があった。
 常に前へ出て戦い続けてきたティアナにとって、全く未知の感覚だった。
 それは<指揮する者>の戦い。

「―――味方の配備はこれでいいと思います。エリオとキャロにはコンビで動くよう徹底させてください」

 スバルの合流を待つティアナの現在地から正面に捉えた方向に、最も多くの敵勢力が迫りつつある。それを迎え撃つ為にヴィータとシグナムは先行していた。
 しかし、もちろんその方向からのみ敵が来るわけでもなく、反対側からはホテルを挟み込むように別働隊の敵が接近していた。
 比較すれば少数勢ではあるが、残ったザフィーラだけでは捌ききれないこの敵の迎撃をエリオ達ライトニング分隊が担当していた。
 単独でも戦闘可能なティアナとスバルのコンビが、単純に数の多い敵の対処へ回るのは当然のことである。

「ただ、ザフィーラには先行した攻性防御を重点に行動するようお願いします」
『二人への援護は要らないのね?』
「エリオとキャロの戦い方なら互いにカバーし合えます」
『了解。ではそれを加えて、これより作戦行動を開始します!』

 シャマルとの通信が打ち切られるのと同時に、ティアナの元へスバルが駆けつけた。

「お待たせ!」
「デバイスを起動させて、周囲を警戒。そろそろ前線での戦いが始まるわよ」

 そして、ティアナのその言葉が予言であったかのように、遠くの空で爆発の音と光が瞬き始めた。

 

 


「てぉぁあああああああっ!!」

 青い獣の咆哮が響き渡る。
 ザフィーラの<牙>が地を割き、崖を砕いてガジェットを串刺しにした。
 大地から隆起する無数の光の杭。
 ガジェットの熱線は強靭な障壁を揺るがすことも出来ず、逆にザフィーラの攻撃はAMFを貫通して敵をただの鉄屑へと変えていった。
 戦闘力の差は明確だった。
 しかし、戦力差はその限りではない。ガジェットは単純な武力―――物量の力で以って、盾の守護獣の牙を何体かがすり抜けていく。
 それを追う為に踵を返そうとして、しかしザフィーラは思い留まる。

「エリオ! キャロ! そちらに数体向かったぞ!」

 撃ち漏らしを後方の新人二人に任せ、彼は積極的に獲物を捕らえ、狩ることに専念した。
 不安はある。しかし、同時に楽しみでもあった。あの少年少女が自分の信頼に応え得るのか、すぐに分かるだろう。

「了解! キャロ、いくよ!」
「はいっ!」
『キュクルー!』

 迫り来る敵影を捉えて、キャロを背後に控えたエリオが戦闘態勢を取った。
 あの列車での死闘で得た、二人の戦い方。
 敵を迎え撃つエリオの体に不必要な緊張はなく、見据えるキャロの瞳に悲壮な覚悟もない。たった一度の実戦が、幼い二人を大きく成長させていた。

「ブーストいきます!」
「頼む!」

 キャロのデバイス<ケリュケイオン>が淡い輝きを放つ。

「我が乞うは、清銀の剣(つるぎ)。若き槍(そう)騎士の刃(やいば)に、祝福の光を―――」
《Enchant Up Field Invade》
「猛きその身に、力を与える祈りの光を―――!」
《Boost Up Strike Power》

 両手左右で別々の増幅魔法を行使。フィールド貫通特性の付加と、攻撃力の向上の効果を持った二種類の光がエリオを包み込んだ。

「いっくぞぉぉおおおーーーっ!!」

 吼え、駆ける。
 恐るべき速さで飛び出した若い獣は、迫り来る鋼鉄の群れに一切の恐れ無く喰らい付いた。
 複数体による弾幕も何ら脅威にならない。
 新型ガジェットの持つ強力な熱線や、常軌を逸した<悪魔>の眼光に晒された時の圧迫感に比べれば。エリオにとってそれらは想定する脅威『以下』のものだった。
 全身を突撃槍と化したかのような一撃が機体を食い破り、ブーストにより強化され、衰えることを知らない勢いがすぐさま次の標的へ襲い掛かる。
 撃破を示す爆発が次々と巻き起こり、その中をエリオの放つ魔力光が駆け抜けていった。
 一方的な展開の中から、一体のガジェットが運良く逃げ出すことに成功する。
 仲間を省みない機械的な行動と、単純な数の有利によるものだった。
 ガジェットの向かう先。そこには、直接的な戦闘力を持たないキャロの姿があった。
 後方支援から潰そうというセオリーどおりの判断。
 しかし、もちろんそれを彼女に従う白い下僕が許すはずもない。

「フリード! <ブラストフレア>!!」
『キュァアアアッ!!』

 キャロの命令に従い、フリードはすぐさま火球を吐き出した。
 その一撃。火炎を生み出すタイムラグは短縮され、圧縮率は倍近く上がっている。実戦で何かを得たのは二人だけではなかった。
 硬球ほどにまで圧縮された火炎は、やはり単純な魔力量が及ばず、AMFによって無効化されたが、炸裂と同時に生み出された強烈な衝撃はガジェットの動きを硬直させた。
 その一瞬の停滞を、背後から迫るエリオは見逃さない。
 背中から貫通して顔を出したストラーダの穂先。そのまま槍を振り上げてガジェットを真っ二つに切り裂くと、エリオが離脱すると同時に遅れて爆発が響いたのだった。

「ほう―――」

 戦いながらも後方の戦闘を伺っていたザフィーラは思わず感嘆を漏らした。
 見事な連携だった。自分達がどんな特性を持ち、それをどう活かすか理解したうえで行動している。互いのサポートも申し分ない。
 自分に先行した単独戦闘命令を与えた理由も分かる気がした。
 エリオとキャロは二人で一つ。分担して戦うことは出来ないが、コンビを組むことで新人であっても高い完成度を誇ることが出来る。

「残念だったな。これで盾は二重だ。貴様らがここを突破できる可能性は万に一つもなくなった!」

 愚直な前進を続けるガジェットの群れに向かい、ザフィーラは後方の二人を背にして誇らしげに言い放って見せた。
 不測の事態の中で、健闘する機動六課。
 しかしこの時、彼らにとって二度目となる脅威が近づき始めていた。

「―――っく!? これは……っ!」
「どうしたの、キャロ!?」

 何かと共鳴するように明滅するデバイスを押さえ込み、苦しげに呻くキャロを見てエリオが慌てて駆け寄る。
 慣れ親しんだ寒気と苦痛の中、キャロは虚空を睨み据えながら呟いた。

「近くで、誰かが召喚を使ってる……。しかも、これは……!」
『クラールヴィントのセンサーにも反応! だけど、この魔力反応って―――!』

 シャマルの言葉を、司令室で情報を解析していたシャリオが引き継ぐ。

『以前確認したパターンです! 反応複数、気をつけてください! これは、前回の<アンノウン>と同様の反応です!!』

 悪魔、襲来。

 

 

「―――動きが変わったな」
「っつか、もう見た目からして変わってるじゃねーか」

 上空に退避したシグナムとヴィータは、シャマル達の報告と連動するように変化したガジェットの様子を見て顔を顰めた。
 新たに加わった増援のガジェット、また撃破には至らなくともかなりの損傷を負わせた機体も含めて、鋼鉄の体に肉の皮膚を張り付かせた姿でそこに浮かんでいた。
 破損した部分をその奇怪な肉塊で繋ぎ合わせ、巨大な眼球とそこから放つ不気味な生気を持った機械と生物の融合体と化している。
 それは間違いなくリニアレールで遭遇した、ガジェットに正体不明の蟲が寄生した姿だった。
 <寄生型>と仮称されたそのガジェットが群れを成す光景は、初見のシグナムとヴィータを戦慄させるに足る異様さを醸し出している。

『確認した<アンノウン>はそのガジェット寄生型。それとホテル周辺から、こちらは全く未知の反応が複数出てるわ』
「またかよ! 防衛線の意味ねーじゃねえか、卑怯くせえ!」
「室内戦になるか……私が行こう」
『いえ、違うの。その反応が出現してから、外へ向かってるのよ』

 シャマルの言葉に、シグナムとヴィータは眉を顰めた。
 内部へ浸透するならともかく、わざわざ外部へ姿を現す。敵の目的はホールの襲撃ではないのか?

『目的は分からないけど、スターズFやライトニングFに向かって移動しているわ』
「こちらと戦うことが目的なのか?」
「どちらにしろ、このままじゃガジェットと挟み撃ちだ。こっちもガジェットの数を全部押さえつけられるわけじゃねぇんだぞ」

 次々と舞い込む悪い報せに、ヴィータは思わず悪態を吐いた。
 敵の―――<悪魔>の目的は何となく分かる。それは、あの夜の戦いを経たヴィータやザフィーラが実感を持って理解するものだった。
 奴らが欲しがるモノがあるとしたら一つだけ。
 それは血だ。
 その生贄に、何故自分達を選ぶのまでは分からないが。

「―――ヴィータ、ラインまで下がれ」

 歴戦の騎士をして戦慄を抱かせる化け物の参戦に、背後の新人達への不安を隠せないヴィータへシグナムが言った。

「敵の数が多すぎる。二人で戦っても確実に何機かは撃ち漏らすだろう。
 混戦になれば新人達の経験不足が痛い。誰かサポートする者が必要だ。行ってやれ」
「わ、わかった!」
「シャマル、ザフィーラにも伝えろ。こちらから援護には向かえん」
『分かったわ』

 ヴォルケンリッターのリーダー格であるシグナムの判断の元、四人の歴戦の戦士達は更に追い込まれる戦況の中で行動を開始した。 

 

 

「スバル、ヴィータ副隊長が援護に来てくれるわ。それまであたし達だけでやるのよ」
「お、おう!」
「スバル」
「な、何……?」
「ビビるな」
「お、おう!」

 やれやれ。ティアナは完全に萎縮した相棒に気付かれないようにため息を吐いた。
 新たに参入した敵の正体が、あの列車に現れた者と同質であることを告げられた途端、スバルはこの様になってしまった。
 ティアナは敵の正体を知り、スバルは知らないという差もあるだろう。
 だがそれを差し引いても、<悪魔>とスバルの相性はあまり良くないらしい。
 <悪魔>の持つ、人を根源から恐怖させる闇の存在感が、無垢なスバルの感性を撫でつけ、その危機感を無闇に煽るのだ。
 ―――最悪、戦えないかもしれない。
 冷淡とも言える考えを抱きながら、ティアナはガジェットの群れが迫る方向に背を向けて、守るべきホテルの方向を睨みつけるという奇妙な状況に陥っていた。
 そして、全くの謎と告げられた敵の姿がついに確認できる。

「何、アレ……?」

 何が出て来ても驚かないし、どうせ理解なんて出来っこない。
 <悪魔>に対して、前回の戦いでそう学んだスバルだったが、眼前の光景にそんな開き直りすらあっさりとなくなってしまった。
 搬入口のあるホテルの裏手からゆっくりと現れる敵の群れ。その姿は少なくとも人の形はしている。
 それらは継ぎ接ぎの布袋を出来損ないのピエロの衣装のように見せかけて、しかし決して人間では在り得ないようなぎこちない動きで跳ねるように歩いていた。
 右腕が巨大な処刑刀そのものになっており、足は単なる棒切れが二本、裾から伸びて地面に突き立ち、フラフラ動いてその不安定なバランスを終始保っている。
 一体、どんな生物がその中に入っていれば、こんな存在そのものがぎこちないピエロが出来上がるのだろうか?
 その答えを示すように、不意に敵がティアナとスバルへ向けて何かを投げつけた。
 思わず身構える二人の眼前で、放り投げられた物が力なく地面に横たわる。
 それは、丁度敵の<服>と同じ袋のような―――いや、中身が入っていなければ、まさに単なる布袋としか見えないような物だった。
 では、その<中身>とは何なのか?

「まさか……」

 ティアナが想像したものが何なのか、口にするより早くソレらは現れた。
 何かの擦れる微細な音が幾つも重なり、連続した一つの音となって四方八方から接近してくる。

「ひ……っ!?」

 それが羽音を含む『虫の移動する音』だと気付いた瞬間、スバルは思わず悲鳴を漏らしていた。
 特定の方向ではなくホテルの周辺の森林地帯から、木々の間を抜け、茂みを這い。空中から地面から、黒い煙としか表現できないほど密集した虫の群れが現れ、二人の間をすり抜けて行った。
 そしてそれらは、まるで吸い込まれるように横たわる布袋の中へ入り込んで行く。
 空気のように中を満たされた布袋は膨れ上がり、蠢き―――そして立ち上がった。

「うぇええっ!?」
「まったく、虫に縁があるわね」

 不気味なピエロの中身を知り、スバルは盛大に顔を顰めて、ティアナは皮肉交じりの笑みを浮かべた。
 無数の虫―――<スケアクロウ>が群れを成して布袋に入り込み、あたかも一つの生命のように振舞う姿。
 それが、新たに現れたおぞましい敵の正体だった。

「ね、ねぇ、ティア。アレ殴って、もし袋が破れたら……」
「帰りに殺虫剤買っていきましょ」
「うわぁあああ、嫌だぁー! 最大のピンチだよぉ!」

 すでに虫がトラウマになりつつあるスバルの横では、他人顔のティアナが射撃武器であるクロスミラージュを構えていた。
 ある意味普段通りである二人のやりとりの前では、先ほどと同じプロセスで次々と敵が数を増やしている。まるで風船のような手軽さだった。

「真面目な話、必要以上にビビることなんてないんだからね。スバル、アンタは強いんだから」
「う、うん。分かった!」

 非現実的な光景に恐慌を起こしそうになるスバルの意識を、普段通りのティアナの姿が現実に繋ぎ止めていた。
 その不気味さ以外、全く未知の力を秘めた敵。<スケアクロウ>の数は、既に10を超えている。

「いくわよ!」
「おう!」

 否応の無い緊迫感が周囲を支配する中、ティアナの銃火が開戦の合図となって二者の間で瞬いた。

 

 

『スターズF、<アンノウン>との交戦を開始しました! ライトニングFもたった今接敵!』
「クソ、何でこんなことに……!」

 オペレーターの報告が通信機から漏れ、ヘリの機内でヴァイスは拳を握り締めた。
 閉じられた手のひらの中には無力感があった。
 シャマルからの通信がヴァイスに向けられる。

『ヴァイス陸曹。敵は今のところホテル内部には向かっていませんが、いつ目標を変更するか分かりませんし、これまでの修験パターンを省みるに、奇襲の可能性も考えられます。危険を感じたら、すぐにヘリを上空へ退避させてください』
「……っ、了解」

 戦闘能力を持たない単なる移動手段であるヘリとそのパイロットであるヴァイスに対して、まったく妥当な命令ではあったが、同時に彼への戦力外通知であることも明らかだった。
 その事実に、何故かどうしようもない情けなさと焦りを感じる。
 焦燥感の理由は分かっていた。
 今、機動六課は苦しい状況にある。
 隊長陣は押さえ込まれ、護衛すべき要人達はすでに窮地に立たされている。浮き足立つ戦況の中、正体不明の敵の追撃まで現れ、味方の戦力は絶望的に足りない。
 そんな中で、戦う力を持っているはずの自分が後方で燻っているという事実が、どうしようもなくヴァイスを焦らせ、責め立てるのだ。
 戦えるだけの技能を持ち、武器も手元に、そして何より自分の尻にまで火が付きそうな戦闘の最中―――でも何もしない。
 自分はヘリパイロットだから。
 それが愚にも付かない言い訳なのだと理解しているからこそ、尚ヴァイスの焦燥感は増した。

(ここまで追い込まれてるってのに、頭の中がグルグル回るのをやめねぇ。指一本動かせば戦えるのに!)

 トリガーを引く為の指一本。ソイツが動けばいい。それだけで自分は敵を撃ち続けるマシーンになれる。その戦力を今は誰もが必要としているのに。
 動かない。
 狙撃手として、前線で戦い続けてきた自分の中で最も新しい経験が、引き金を引くことを躊躇わせる。

(俺は、ビビっている。敵味方が入り乱れる混戦の中で、俺の弾が味方のすぐ傍を掠めるだけで竦んじまう……)

 過去の失敗。一般人の誤射。それが実の妹。
 自分の魔法が正義の為に放たれ、女子供を人質に取るようなクソ虫の犯罪者どもを確実に貫き、一瞬で意識を砕く―――そう信じて疑わなかった頃だ。
 敵に気付かれずに倒すのが<狙撃>
 その為に誘導性を削って限りなく弾速を高めた魔力弾は、実弾と同じくただ直進する破壊の塊。決して当たる物を選びはしない。
 それ故に重い一発の弾丸の重みを、スコープの先で倒れる妹を見てようやく実感したのだ。
 その重さが、狙撃手としてのヴァイスの歩みを止めてしまった。
 命に別状は無かったが、光を失った妹の片目が自分を見る度に彼の良心は苛まれる。
 同じことが繰り返されたら―――?
 その自問が、今のヴァイスを押さえ込む最大の原因だった。

(俺はヘタレか? ヘタレだな。俺の狙撃にはもう絶対なんて無くなっちまった。それを知っただけで、もう指一本動かせねぇ……)

 この手は、ただただ無力感を握り締めるだけで、あとは何の役にも立たない。
 ホテル屋上にある来客用のヘリポートからは、戦況が一望出来た。
 上空で瞬くシグナムとガジェットとの激突。地上の戦闘は、ティアナとスバルのいる方向が一際激しい。
 状況が有利なのか不利なのかまでは分からないが、二人の少女が激戦の中にいることだけは分かった。
 二人のうち、自分と同じ限りなく実弾に近い魔法を操る少女を思い浮かべる。

(ティアナ、お前は撃てるんだよな。制御の利かない弾頭を、味方に当たるかもしれない弾丸を、味方の為に撃てるんだよな―――)

 それは彼女が誤射を経験したことが無いからなのかもしれない。
 しかし、そんなものは何の言い訳にもならず、ただ現状で自分とティアナとの差が明確に表れていることだけは確かだ。
 ティアナは撃てる。
 自分は撃てない。
 それが何よりも事実。誰かの為に撃てる彼女と、撃てない自分の違い。
 覚悟の違い。

(俺がヘリを選んだのは、こんな時に篭って震える為じゃねぇ!)

 トラウマを克服出来たわけじゃない。だからこんな物に乗っている。
 しかし、戦いが一人一人の覚悟や決意を待ってくれるような悠長なものではないことはヴァイスも理解していた。
 自分に嘘をついて、心の傷を欺きながら、少しだけ戦場に近づく。
 コクピットに取り付けられていた待機モードのデバイスを引っ掴むと、ヴァイスは意を決して座席から立ち上がった。

(少しだ! 少しだけ腹を括る! それくらいなら、今の俺にも出来る筈だ!)

 手の中のデバイス<ストームレイダー>が、久方ぶりに呼びかける主の命令に応じて真の姿を現した。
 第97管理外世界の質量兵器に酷似した形状。
 ヴァイスのイメージに応じて、スナイパーライフルの姿を持ったデバイスは戦いの息吹を放っていた。

「こちら、ヴァイス! 緊急事態につき、狙撃による援護に回ります!」

 驚くシャマルを押し切り、ヴァイスは<悪魔>との戦闘に参戦した。

 

 


「リボルバーシュートォッ!!」

 スバルのナックルから放たれた衝撃波がスケアクロウ数体をまとめて吹き飛ばした。
 戦って分かったことだが、敵の動きは遅い。
 人体の構造に囚われないトリッキーな動きと数だけは脅威だったが、いずれも高い運動能力を持つスバルの脅威には成り得なかった。
 横合いから飛び掛ってくる敵の一撃を大きく避け、刃が空しく地面に突き立った瞬間を狙って蹴りを叩き込む。
 骨格を持たない体がグニャリと折れ曲がり、次の瞬間吹っ飛ぶ。
 リボルバーシュートで吹き飛んだ仲間と同じく、そいつは地面を転がった。
 しかし、人間ならば悶絶する一撃を受けても、奴らは意識を失うことなどない。
 無数の蟲が寄り集まって人の形を取っているだけの存在に、一つの意識などというものが存在するかははなはだ疑問だが。

「ダメだ、キリがないよ!」
「威力が足りないだけよ、腰が引けてるわ! もっと踏み込んで、スバル!!」

 一撃を与えることは容易いが、ダメージらしきものを感じない敵の動きに焦るスバル。それをティアナが叱咤した。
 今のスバルの動きはティアナの目から見ても精彩を欠いている。
 反してティアナの攻撃は冴えに冴えていた。
 両手が火を吹く。二人を包囲するように動く敵の最中へ、ティアナはクロスミラージュの魔力弾を次々と送り込んだ。
 衝撃波特有の広い範囲と浅い貫通力を持つリボルバーシュートとは反対に、ティアナの形成する魔力弾は小さく硬い。
 布の防御を易々と突き破り、内部の蟲を消し飛ばして、確実にダメージを刻み込んでいった。
 ズタズタに撃ち抜かれた目標から順番にスケアクロウは消滅していく。
 出血のように内部の蟲の死骸が穴から噴き出し、最後は粉々に破裂四散して、グロテスクな死に様を晒していった。

「スバル、もっと動いて! アンタのスピードなら、こんな奴ら敵じゃないのよ!?」
「期待してもらってるところ悪いけど、これで精一杯だよ!」

 互いに交わす軽口。しかし、応じるスバルの声には少しずつ余裕が無くなってきている。
 単純な攻撃力ならば、ティアナよりスバルの方が優れていることは自他共に認めているのに。
 ―――やはり、スバルは<悪魔>を相手にして竦んでいる。
 ティアナは冷静にそう結論付けて、内心で舌打ちした。
 予測し辛い敵の攻撃や、その数の多さもプレッシャーになるだろうが、そもそも思い切りの良さがウリのスバルにそんな理由は副次的なものとしか思えない。
 彼女は、ただ<悪魔>を怖がっている。
 それが<悪魔>と戦い慣れた自分以外の人間が持つ普通の感覚なのか、ティアナには判断出来なかったが、状況が芳しくないことだけは理解出来た。


「とにかく、敵を倒すことに集中して! ガジェットまでやって来たら厄介なことになるわ!」
「わ、分かってる!」

 足を砕いて転倒させた敵に銃弾を撃ち下ろしながら警告するティアナに、しかし返す言葉は頼りない。
 仕方がない。
 スバルが戦えないのなら、自分が戦う。
 単純な道理だった。

「OK! なら、あたしが踊ってあげるわ―――!」

 闘争心に満ちた獣が牙を剥くように口の端を吊り上げ、ティアナは嬉々として<悪魔>の群れを睨み付けた。
 つい先日も感じた高揚だ。昔は何度も感じていた。
 初めての生娘じゃない。<悪魔>を狩るのは得意だ。
 ティアナは『いつものように』敵中へ自ら突っ込もうと足に力を込め―――不意に脳裏を走り抜けた。

 

 自分が戦う時、いつも無意識に思い描いていた<不敵な笑みと赤いコート>の姿とは別に、<揺るがぬ瞳と白い外套>の姿が。

 

『チームの中心に立って、誰よりも早く中長距離を制する―――』

 自分の積み重ねてきた戦い方に間違いは無い。
 そう確信しているが、訓練で何度も教えられた教導官の言葉が、突撃しようとするティアナの足を止めた。
 戦うのはいい。その為に自ら前に出ることも。
 でも、それじゃあ今本調子じゃないスバルは?

『前だけを見ないで。一度足を止めて、視野を広く持てば、周りの仲間の動きも見えてくる。そして味方を活かすの―――』

 ティアナは自分一人で戦うことを選ぶと同時に、無意識にスバルを切り捨てようとしていたのだ。
 それに気付いた瞬間、愕然とした。
 リスクを背負って前に出ることは、ただ自分の覚悟の問題だと思っていた。
 その結果、残された相棒がどうなるのか忘れていた。
 圧倒的な力を持つダンテと共に戦った昔とは違うのだ。あの時の経験は自分の中で確かに自信となっているが、今ここに立つ自分は勝手気ままな子供ではない。
 機動六課の一員であり、スターズ分隊のセンターガードの任を与えられた管理局員だ。
 ただ敵を倒すだけじゃない。仲間と共に戦い、任務を果たす義務がある。
 その責任を背負う自覚と覚悟をするだけの歳は重ねてきた。

『貪欲になることはいいことだよ。でも、強くなることは自分を追い詰めることじゃない―――』

 昂ぶり、熱くなった頭が急激に冷えるのを感じた。

「―――スバル、もう一度リボルバーシュート!」
「え!? ……了解!」

 突然のティアナの言葉にも、スバルは反射的に従った。
 解き放たれる衝撃波が数体の敵を巻き込んで、混沌としつつある戦場を一掃する。
 しかし、やはりそれは敵を倒す決定打には成り得ない。地面に叩きつけられたスケアクロウは、ノロノロと次々に起き上がってくる。
 ―――その無防備な瞬間を、ティアナの正確無比な射撃が狙い撃ちにした。

「ティア、ナイスショット!」
「作戦変更! スバルは動き回って、敵を引っ掻き回して! アイツらじゃあアンタのスピードには追いつけないわ! 援護とトドメはあたしがやる!」
「了解っ!!」

 倒した敵の数こそ数体だったが、その一撃は戦いの流れを変えた。
 これまでとは違う、互いに要所でカバーし合う方法ではなく、一方が一つの役割に徹する新しいコンビネーション。
 ティアナの強力な援護を得たと確信した途端、動きに迷いの無くなったスバルが思う様駆け抜け、後方からティアナが射的ゲームよろしく敵を狙撃する。
 
「どりゃぁあああっ!」

 ミスショットなど一度も無く、連続して炸裂する魔力弾の音に勇気付けられたのか、スバルの声に力強さが戻った。
 抉り込むようなリボルバーナックルのブローが敵の腹を打ち破って、黒い中身を撒き散らしながら宙へ跳ね上げる。
 空高く舞い上がった標的を、ダメ押しにティアナの射撃が貫いた。
 流れを味方に付け、順調に撃破数を重ねていく中で、左手のクロスミラージュのカートリッジが尽きた。

「リロードに入るわ! 援護、少し薄くなるわよ!」
「了解!」

 一度勢いのついたスバルは簡単には止まらない。
 もはや、ティアナの援護に後押しされまでもなく、彼女は自ら駆ける。
 右の火力を維持しながら、ティアナはバレルカートリッジをパージして、左腰のパウチにある予備のバレルを装着しようと腕を下げた。
 その時。

『スターズF、そちらにガジェットが接近しています! まもなく接敵距離!』
「く……っ!」

 シャマルの切羽詰った報告が、ティアナを一瞬動揺させた。
 グリップとバレルがガチッと噛み合う音と、ほぼ同時に木々の間を抜けて一機のガジェットが飛び出してくる。
 迎撃は。間に合う。
 間に合う、が。AMFを思い出した。咄嗟の一撃でフィールドを撃ち抜けるか?
 確実さを欠いたギャンブルの一発にティアナは歯噛みしながらも魔力を可能な限り集束する。
 それを放とうとした瞬間、馴染みの薄い射撃音と共に空中のガジェットがその身に弾痕を刻んで爆発四散した。
 スバルではない。全く予想だにしなかった援護の射線を追ったが、その先にあったのはホテルだけだった。

「今のは!?」
『―――こちらヴァイス。増援は任せろ。離れた敵を優先して、俺が狙撃する』
「ええっ、ヴァイス陸曹!?」

 スバルの上げた驚愕の声は、ともすればティアナも漏らしてしまいそうだった。
 援護も予想外なら、それを行った人物自体予想外だ。
 一瞬で着弾した魔力弾の弾速から、自分と同じ誘導性を削った集束率を見出したティアナは、それをホテルからの距離で正確に当てたヴァイスの腕前に戦慄した。
 ティアナの命中精度も相当高いが、それと狙撃では必要とされる技能が全く違う。

「すごい……」

 思わず感嘆が漏れた。
 これまでの自分の戦い方に疑問を持ちはしないが、新しい見方が増えた気がする。
 足を止め、敵を見据え、そして撃つ―――これを極めれば、きっと自分はもっと強くなれる。

「おっしゃぁああー! 待たせたな、雑魚どもォ!!」

 間髪入れずに幾つもの鉄球が流星のようにスケアクロウの群れに降り注いだ。
 ガジェットに遅れて駆けつけたヴィータのシュワルベフリーゲンが一撃で一体、威力に物を言わせて敵を引き裂く。
 スバルとティアナの前に降り立つ真紅。
 小柄な上司は、その身にそぐわない圧倒的な力強さを以って敵の群れを一瞥した。

「……オメーら、よく持たせたな。こりゃぁ、あたしのお守りなんて必要ねぇか」

 肩越しに振り返り、悪戯っぽく笑うヴィータに対して、ティアナも思わず苦笑を浮かべる。

「いえ、援護感謝します」
「相変わらず固い奴だな。知ってるか? なのは隊長は部下のそんな態度に結構傷付いてるんだぜ」
「この任務が終わったら、善処しますよ」
「なんだ、今日は素直じゃねーか」
「いろいろ思うところがあったんです」

 ヴィータは深く尋ねなかったが、自然と二人の間には訓練の時に出来た溝はなくなっていた。
 先ほどの一撃でスケアクロウの数は随分減り、周囲を見回す余裕の戻り始めた状況でスバルがヴィータの傍に駆け寄る。

「ヴィータ副隊長、ガジェットの方は!?」
「おう、シグナム一人で全部抑えられるとは思えねぇ。すぐに来るぞ」
『来たわ。寄生型ガジェットが3体、正面から来ます!』

 シャマルからの正確な情報が飛び込み、三人はすぐさま身構えた。
 援護のヴァイスを加えた四人の中で、自然とティアナが指示を下す。

「ヴァイス陸曹は<アンノウン>への狙撃をお願いします!」
『了解、任せときな!』
「接近するガジェットに対しては、まずあたしが先行射撃を加えます! その後は―――」
「よし、射撃後三秒で突撃すっぞ! いいな、スバル!?」
「了解!」

 淀みなく打ち合わせを追え、ヴァイスの狙撃が小気味よく周囲の敵を吹き飛ばす中、ティアナはカートリッジをロードした。
 足元に展開される魔方陣。増加した魔力と鍛え上げた技術で周囲に10発を超える高出力の魔力弾を形成する。

「いきます! <クロスファイアシュート>―――Fire!!」

 空中に姿を現した寄生型ガジェットの不気味な姿を捉え、それに向けてティアナは全力射撃を叩き込んだ。
 爆裂する閃光と煙。その中でまだ尚蠢く影に向けて、青い影と赤い影が突撃していく。
 圧倒的不利な状況下で始まった戦闘は、しかし今や人間の勝利で終わろうとしていた。
 戦いの最中、ティアナの手に残った新しい力の片鱗を感じさせる感触と共に。

 

 


「―――全滅した」

 戦いの音が途絶えたホテルの方向を見つめ、ルーテシアが簡潔に戦闘の結末を告げた。
 同時に彼女の足元で広がっていた暗黒の空間は波が引くように消えていく。
 ルーテシアの言葉がガジェットと悪魔の全滅を示すことだと、ゼストは理解していた。
 こちらの敗北に終わった結果だが、どんな形にせよこの少女が闇の力をこれ以上使い続けなくても良いというのは望ましいことだ。

「そうか。目的が達せられたかは分からないが、もう我々が関わる必要もないだろう」
「ん」

 ゼストの渡す外套を羽織り、ルーテシアは小さく頷く。

「ここまで手が届くは思えんが、早くこの場は去った方がいい」

 元々気の進まないことだっただけに、さっさとルーテシアを連れてここを離れたかった。
 あのホテルにいる筈の協力者とやらもゼストにとっては得体の知れない存在だ。
 あえてその情報を渡さないスカリエッティ本人も含めて、全く信用の置けない者ばかりだった。
 ルシアを数少ない信用の置ける者達を除いて、積極的に関わりたいとは思わない。

「ルシアは?」
「もうこちらに向かって来ている。あとで合流する」
「わかった」
「さて、お前の探し物に戻るとしよう」

 ルーテシアを促し、踵を返す。

「……む?」

 何の前触れも無かった。
 その瞬間、ゼストが異変を察知できたのは歴戦の勘と、何より長くルーテシアと付き添うことで磨かれた闇の気配への感性だった。
 僅かな違和感に振り返った時、ゼストの視界に異様な光景が飛び込んできた。
 何も無い場所にポツンと、黒染みのような『影だけ』が広がっている。

「―――ッ! ルーテシア!!」

 咄嗟に少女の体を自分の元に引き寄せた。
 僅かな違和感はあっという間に巨大化し、凶悪な獣の形となって二人に襲い掛かった。
 地面に広がる影から、まるで『物に影が出来るのではなく影から物が出来るのだ』と言わんばかりに真っ黒な豹の化け物が飛び出す。
 間違いなく<悪魔>の一種だった。
 襲い掛かる影の化け物。僅かなヒントと一瞬の判断を間違えなかったゼストは、幸運にもその攻撃からルーテシアを守ることに成功した。
 つい先ほどまでルーテシアのいた場所を<悪魔>の爪が薙ぎ払う。
 ルーテシアを抱えたまま、ゼストは慌てて距離を取ろうとしたが、敵は間髪入れずに追撃を仕掛けてきた。
 影そのもので構成された獣は、開いた口を巨大化させて、二人まとめて喰らい尽くそうと跳ねる。

「ちぃ……っ!」

 悪態は迫り来る死の影に何の意味も無く。
 ゼストは腕の中のルーテシアを庇うように、敵の前に自らの体を差し出して盾にしようとした。
 しかし、覚悟を決めても体の一部を失うような激痛はやって来ない。

「お前たちは……」

 視線をやれば、代わりに敵が吹き飛ぶのが見えた。
 二人を救ったのは、何処からとも無く現れた二匹の白い狼だった。
 文字通り『何処から』とも無く―――ルーテシアの足元に一瞬広がった影の中が、この世に存在する『何処か』である筈が無い。
 対峙する黒い豹と相対してルーテシアとゼストの前に立ち塞がった二匹の白い狼は、やはり<悪魔>に類する者だった。

「ありがとう―――<フレキ><ゲリ>」

 ルーテシアの抑揚の無い言葉に、二匹の狼は僅かに顎を動かして応答した。
 この二匹も<悪魔>には違いない。
 ルーテシアは<悪魔>を使役するが、その支配は完全ではなく、奴らにとって人間は等しく生贄だ。また、この二匹には別に主が存在する。
 しかし、そんな<悪魔>の中でも、この二匹の狼は比較的マシな方だとゼストは認めていた。
 少なくとも、この二匹はルーテシアを守ろうとしている。
 互いに威嚇する唸り声を上げ、白と黒の<悪魔>が睨み合う拮抗状態が展開された。
 条件は五分だ。なんとかして、この状況から抜け出さなくてはならない。
 ゼストは素早く思案し―――拍子抜けするほどすぐに変化は起こった。

「ゼスト! ルーテシア!」

 木々の間から人影が飛び出す。
 駆けつけたルシアは拮抗した状況の中、一瞬で黒い塊を敵と判断すると、空中で全身を錐揉みさせながら遠心力の乗ったダガーを投げ放った。
 銃弾に匹敵する加速を得た刃は敵の眉間に突き刺さる。
 生身とは思えない姿では、その一撃がダメージを与えたかまでは判断出来ないが、攻撃を受けた敵はあっさりと身を足元の影に沈めて消えていった。


「―――去ったか」

 脅威が消えたことを確認して、二匹の狼もまた霞のように消滅していく。
 彼ら<悪魔>には時間も場所も関係ない無く―――ゼストは改めてこの不可思議な存在に戦慄した。

「ゼスト、今のは?」
「ルーテシアが呼び出した<悪魔>ではないな」

 周囲を未だ警戒するルシアにゼストは答える。
 二人の間で、珍しくルーテシアが口を開いた。

「……私以外にも、<悪魔>を召喚できる人がいる」
「本当か?」
「さっきと、私が召喚した時も、何かと共鳴した。あのホテルに―――」
「なんてことなの……」

 ルーテシアの指差す先。ホテルにいるらしい、もう一人の悪魔召喚師を思い浮かべて、ルシアが吐いたものは悪態などではなく、ただはっきりと憐れみだった。
 敵であろうと味方であろうと、まともな人間が<悪魔>と関わって不幸にならない筈が無い。
 今のルーテシアがそうであるように。
 ルシアとゼストは互いの顔に浮かぶ悲痛な表情を見合わせ、諦めたようなため息を吐いた。
 一体、<悪魔>は何処まで自分たちに付き纏うのか?

「……さあ、もう行きましょう」

 重く沈む空気を捨て置き、ルシアは二人を促した。
 また追撃が迫る前に、この場を離れなければ。
 三人はまたいつもように寄り添って森の奥へと消えていった。

「そういえばルシア、随分と速かったな」
「警備の人間が予想以上に健闘していたわ。私が手を出したのは、ほんの少しだけよ」
「なるほど。管理局も、なかなかやるようだ」
「いずれ、私達とぶつかることになるかもね」
「かもしれんな」

 

 


「―――キャロ? キャロ、大丈夫?」
「……エリオ君」

 なんだか我武者羅なままに戦闘は終了した。
 二度目の戦闘は初めての時と同じ緊張の連続で、しかしただ一つ違うことは集中出来たことだった。
 恐れ戦き、動けなくなることはない。自分の力で戦い抜けたことが、今のエリオには誇らしい。
 しかし、共に戦った少女が虚空を見据えたまま微動だにしないのを見て、エリオは緩んでいた気を引き締めた。

「ひょっとして、まだ何かいるの?」

 キャロには自分には無い力がある。
 それは、エリオが漠然と感じていることだった。
 死んでしまいそうな儚さと、全てを圧倒するような力を同居させる不思議な少女の存在は、エリオの中で知らず大きくなっている。

「ううん、大丈夫。あのピエロみたいな敵はもういない―――と、思う」

 根拠を話せないのに断言するものおかしいかな? と思い、キャロは付け加えた。

「そっか」
「うん。ただ、逃がしちゃったな、と思って」
「逃がした?」
「敵を」

 その言葉の真意を、エリオは全く誤解した。
 夢中で戦い続ける中で、敵を一匹残らず倒せたか確信は無い。おそらく、何匹かは逃げたのだろう。
 キャロはそれを指している、と―――。
 しかし彼は知らない。
 キャロが、この襲撃の一因となる者達に、あとわずか指を掛け損なっていたという事実を。

(わたしと同じ、<悪魔>の力を持つ人……)

 自分の影に戻ってくる<シャドウ>が怒りの感情を燻らせているのを感じ、キャロはぼんやりと思索した。
 仲間意識なんて感じない。
 今は見ぬ<悪魔>の力を使う同胞に対して抱く感情があるとすれば、それは僅かな畏怖であった。
 あの列車の一件以来、この力を不必要に恐れることは止め、使うことを覚えたが、当然のように頼もしさや自信なんて欠片も感じはしなかった。
 相も変わらず<悪魔>は恐ろしく、おぞましい。
 今も命令にこそ従うが、明らかな不満と指定した獲物をただ屠殺することだけを欲する闇の獣は、人が従えるような存在では決して無い。
 ―――心なんて許せない。気を緩めれば、その瞬間殺される。
 だからこそ、あれほど多くの<悪魔>を召喚し、使役した敵に対して、キャロは畏怖しか感じなかった。

(きっと、その人はわたしとは違う)

 <悪魔>を恐れていないのだろうか?
 <悪魔>を愛しているのだろうか?
 いずれにせよ、自分とは違う<悪魔>との関わり方を持つ相手だ。
 もし、これから先その人と顔を合わせることがあったら、一体どうなってしまうのか自分自身でも分からない。

「……敵で、良かったのかも」

 キャロは思わず本音を呟いていた。
 どんな相手にせよ、敵なら分かりやすい。殺し合いをすればいいだけだから。

「エリオ、キャロ。よくやった。周囲の敵はこれで一掃されたようだ」

 先行してガジェットを狩り続けていたザフィーラが戻って来て、幼い二人を労った。
 今や、彼は二人の認識を完全に改めている。
 彼らはベルカの騎士が認める戦士だった。

「スターズ分隊も戦闘を終了している。これより合流するぞ」
「あの、フェイト隊長達の方は……」
「連絡待ちだ。あの二人なら問題はないだろうが、合流後も連絡が取れなければ、おそらく副隊長陣が突入することになるだろう」
「たぶん、大丈夫だと思います」
「む? ……キャロがそう言うなら、そうかもしれんな」

 根拠の無いキャロの言葉にも、ザフィーラは納得して見せた。
 彼もキャロの独特の感性は知っている。
 レアスキル持ちは理屈では説明できない能力を持つ者も多い。断定は出来ないが、キャロの保証は少なからずなのは達の身を案じていたザフィーラとエリオを安堵させた。

「……あれ?」

 三人連れ立って合流地点へ向かう中、最後尾を歩いていたエリオはふと地面に光る物を見つけた。
 駆け寄り、それを拾い上げる。周囲に散乱したガジェットの残骸の最中にソレはあった。

「ナイフ……」

 矢じりのような刃と、握って振るうことを目的としていない細い柄。
 投擲用のスローイングダガーだった。
 異様と言えば異様な物が転がっていた。
 単純な金属物であるダガーを扱う者などこの場にはいない。
 ガジェットの武装であるはずもなく、仮に第三者がこの場に居たとしてもこの武器を使う者が単なる魔導師や魔法生物であるはずがなかった。

「エリオ、何をしている?」
「あ、はい! 何でもありません、すぐ行きます!」

 ザフィーラの呼び声がエリオの意識を呼び戻し、答えの出ない思考は中止された。
 一先ず、拾ったダガーを懐に収め、エリオは慌てて二人の後を追った。

 

 


「ホテル周辺、敵影ありません」

 幾つもの報告が飛び交っていた司令室に、最も望まれる一言が告げられる。
 突然の奇襲に始まり、混戦気味の戦闘で絶えず緊張感を強いられていたオペレーター達にようやく安堵の色が広がった。
 つい先ほど、簡潔だがなのはから内部での戦闘が終了した報告も受けている。
 しかし、一つの山を越えた穏やかな空気の中で、ただ一人グリフィスだけが周囲とは全く反対の方向へ表情を変化させていた。

「八神部隊長に通信を繋げ! 早く!」

 凛とした声は緊張感を失わず、むしろそこに焦りすら加えられていた。

「えっと……特に部隊長から指示は出ていませんが」
「だから、こちらから繋げと言っているんだ!」

 困惑するオペレーター達の遅々とした反応に、グリフィスは珍しく苛立ったような態度を示す。
 慌ててコンソールを操作し、通信を担当したルキノはようやく異変に気付いた。

「あ……っ、通信繋がりません!」
「ホテル内の敵影をもう一度調べろ! 一番近いのはヴィータ副隊長だったな、すぐに『救護』に向かわせるんだ!」

 最初にはやてと通信を交わした段階で、彼女の言動に違和感を感じていたグリフィスは現状を既に想定していた。
 だからこそ、戦闘の最中最も苦心したのは、戦力を割いてはやてを救いに行くよう命令を下すことを自制することだった。

「『救護』って……部隊長、襲撃されてるんですか!?」
「十分考えられるだろう? 外を襲った<アンノウン>もホテルから出てきたんだぞ。とにかく、部隊長の無事が確認できるまで最悪を想定して動け!」
「でも、部隊長なら自分の身を守るくらい……」
「バカヤロウ! 部隊長の魔法特性を知らないのかっ!? 室内戦で戦える人じゃない!」

 おそらく初めて聞くグリフィスの怒声に、ルキノは思わず身を竦めた。
 普段の穏やかな物腰を一切無くした余裕の無いグリフィスの様子を見て、全員がようやく緊急事態を察する。
 慌てて各々が行動しようとする中、不意に通信モニターが開いた。

『アロー、聞こえますか? 窓から見たけど、戦闘は終了したんかいな?』
「八神部隊長!!」

 バリアジャケットを纏っているが、変わりないはやての顔がモニターに映し出されるのを見て、その場の誰よりも大きなグリフィスの声が響いた。
 いつの間にか、傍らにはリインも浮いている。

「は、はい! 戦闘は終了しました。こちらに損害はありません。ホテルの人員に関しては、まだ調査待ちです」
『ごめんごめん、ちょっとさっきまで立て込んでてな。戦況把握出来てへんねん』
「付近に敵は? 救援は要りますか?」
『あらら、やっぱりグリフィス君にはバレてたのねん』

 努めて冷静にはやての様子を伺っていたグリフィスは、負傷の様子も無いことを確認して、ようやく本当に安堵のため息を吐くことが出来た。
 はやてのテンションが少し高いことを除けば、切羽詰った様子は見られない。状況は安定したのだろう。

「……貴女の考えを知ることが、僕の任務ですよ」

 グリフィスは苦笑しながら、少しだけ皮肉交じりに言って返した。

『相変わらず殺し文句上手いなぁ。愛してるよー、グリフィスきゅん!』
『……すまないね。心配かけまいとしているが、本当に危なかったんだ』

 不意に、はやて以外の男の声が通信に割り込んだ。
 モニターを共有して現れたのは、オークションの参加者とも思えるようなスーツ姿の麗人だった。
 機動六課にとって多少なりとも関わりのあるその人物の登場に、グリフィスは驚愕する。

「ヴェロッサ=アコース査察官!?」
『や、グリフィス君。なかなか素敵な台詞だったよ。今度ご教授してくれ』

 はやての副官として働く中で、グリフィスはヴェロッサとの面識を得ていた。

「アコース査察官が、部隊長を?」
『ああ、保護したよ。例の謎の襲撃者に関連する<アンノウン>だね。なんとか駆逐出来た』
『あー……ごめんな、グリフィス君。心配掛けて』

 先ほどまでの、何かを誤魔化すような騒がしさは身を潜め、はやては苦笑を浮かべながら言った。
 グリフィスが自分の陥っている事態を察し、その上でこの状況で正確な指揮を執ってくれるという信頼があった。
 しかしそれは、彼の心配を知って無理を通したのと同じことだ。
 隊長としても、一人の人間としても、自分の命は自分だけのものではない。はやてはそれを自覚していた。

「いえ、無事ならそれで結構ですよ。―――近隣の観測隊に通達を出し、念の為周辺の森林を探ります」
『うん、お願いな。救護隊への通達は?』
「すでに済んでいます」
『なら、私はこのままアコース査察官と一緒にホールへ向かってなのは隊長達と合流するわ。応援が来るまで、部隊は警備を続行な』
「了解しました」
『ところで、グリフィス君』
「はい?」
『さっき、チラっと見えたのはデレっちゅーことでええ?』
「通信終わります」

 冷たく通信を切り、シャリオ達の忍び笑いを聞き流しながら、グリフィスはようやく普段の機動六課の空気が戻ってくるのを感じた。

 

 

 戦闘が終われば、ホテルの周辺は拍子抜けするほど平穏を取り戻していた。
 相変わらず<悪魔>どもは倒れた後に一切の残骸を残さない。
 息も出来ないほどの大乱闘を繰り広げたと思ったのに、実際に残るのは木や地面に刻まれた破壊の跡と散らばった鉄屑だけだ。

「あたしは地下駐車場を見てくる。オークションの品物が一部、まだあそこに置いてあるはずだ」

 簡潔に警備の続行を命じて、ヴィータはスバルとティアナに告げた。
 再び新人達を残していくことに僅かな不安を感じるが、未だ興奮冷めやらぬスバルはともかく冷静なティアナには任せてもいいと思った。

「警備員がいるはずだけど、一般のだからな。あの化け物どもが残ってたら逆にやべえ。お前らも、まだ油断すんなよ?」
「了解。ライトニング分隊と合流後、少し周囲を散策します」
「あの、なのはさ……隊長は?」

 スバルはなのはの安否というよりも、ただなんとなく声が聞きたいなと思って尋ねた。
 戦っている時は夢中だったが、あの不気味な敵との遭遇で心臓は今もドキドキ言っている。
 自分でもよく分からないが、記憶の奥にある何かが、あの化け物の放つ雰囲気と共鳴して恐怖を生み出しているのだ。

「ホールも結構メチャクチャらしいからな。フェイトは残って、なのはだけこっちに向かってるよ」
「そうですか。よかった……」

 戦闘員にあるまじき安堵の笑顔を見て、ティアナは『油断すんな』と釘を刺した。ついでに頭にクロスミラージュも刺した。

「戦闘で民間の協力者がいたらしいからよ、ソイツも同行してる。警戒すんなよ」
「協力者?」
「ま、詳しくは後で取り調べだろ? じゃ、あたしは行くからな」
「お気をつけて」
「おう」

 後頭部を抑えて悶絶するスバルを尻目に、ヴィータとティアナは先日より幾分壁の無い会話を交わした。
 ヴィータが立ち去った後、ティアナは何となく周囲を見回した。
 シグナムは、ヴィータと同じく敵の残党を警戒して、森林をチェックしながらこちらに向かっているらしい。

「……敵は、いないみたいね」
「分かるの?」
「勘だけどね」
「なんか、ティアが言うと説得力があるよね」

 能天気に笑う相棒を見て、ティアナも苦笑を浮かべた。

「スバル」
「うん?」
「ありがとう」
「え、いきなり何?」

 とても貴重な笑顔と素直な言葉を聞き、その理由に思い至らないスバルは焦った。
 慌てふためくスバルを尻目に、ティアナは一人、今日までの出来事を反芻する。
 長く出会わなかった<悪魔>との遭遇。久しぶりに闇に浸した闘争本能は、知らず自分の心をささくれ立ったものにしていたらしい。
 なのはが言っていた。自分は、焦っている。
 確かに、そうなのかもしれない。
 今日の戦いで掴みかけた新しい感触が、それを自然に認めさせている。
 自分はもっと多くの事を学べる。一人ではなく、仲間と共に戦える。
 その実感が、ティアナの中にあった気付かない焦燥感を少しずつ消していってくれた。
 答えが出るのはまだ早い。しかし、確かにこの手には―――。

「…………なのは、さ」

 少しだけ歩み寄ってみようと、小さく囁くようにあの人の名前を口にしてみようとして―――それは運命の悪戯に遮られた。
 ホテルの正面玄関が開く。
 ティアナとスバルは思わず視線をそちらに向けた。
 警備は未だ続行中。敵襲を退けたとはいえ、今はまだ危険な状況下だ。
 ホテルの人員には未だ内部での待機を命じられ、ティアナ達にも無断で出る者は強制的に中へ戻す権限が与えられている。
 ましてやそれが、オークションの参加客であれば、それは在り得ない筈のことですらあった。

「あの人……」

 スバルが呆然と呟いた。
 ホテルからまるで当然のように外へ出て来たのは、明らかにホテルの従業員ではない、豪奢な服に身を包んだ男だった。
 真っ白なスーツを見せびらかし、黒いブーツの歩みはホテルの襲撃など気にも留めてない。
 葉巻の煙を燻らせ、自分が歩く先に何の障害も無いことを微塵も疑わない不遜な態度は、違和感を通り越して呆気に取られるしかなかった。
 間違いなくオークション参加者の富豪の一人であり、真っ先に戦闘が開始したホールにいたはずの人間でありながら、怪我一つ無いその男は、二人の護衛を引き連れてホテルから歩き去ろうとしていた。

「あの、ちょっと待って下さい! 危険ですから、中に戻って……!」

 慌ててスバルが追い縋るが、相手は声すら届いていないかのように無視して去っていく。
 歯牙にも掛けないその姿勢に、スバルは持ち前の性格で怒るよりも一層心配そうに声を掛けた。

「あの、待って……!」

 


「Freeze(動くな)!!」

 

 刃のように鋭い声が割って入った。
 警告というよりも敵意の混じった罵声のような声を聞いて、それを向けられた本人でもないのにスバルは竦み上がる。
 先ほどの落ち着いた様子から激変して緊迫感に満ちた相棒を、スバルは振り返った。

「ティ、ティア……どうしたの? 危ないよ、降ろして!」

 ようやく足を止め、しかし背は向けたままの男に向けて、ティアナはあろうことかクロスミラージュを向けていた。
 二人の護衛が静かにティアナの方へ向き直る。
 しかし、ティアナは決してデバイスを納めようとはしない。

「デバイスなんてやりすぎだよ! あの人は一般客なんだから……」
「こっちを向け! 従わないと撃つわよ!」

 突然の豹変に驚き、更に続く言葉を聞いてスバルは今度こそ顔面蒼白になった。
 守るべき一般人にデバイスを向けた上、射撃の警告まで突き付けている。正気とは思えない。
 そして、だからこそ混乱した。
 普段は冷静沈着なティアナがなぜこんな暴挙に出るのか? あまりに唐突で、あまりに意味不明だった。
 完全に思考のショートしたスバルは、ただひたすらティアナと男の間に視線を往復させる行動しか取れなくなった。

「―――君は、管理局員か?」

 背を向けたまま、男は尋ねた。
 見た目通りの、重苦しく、力に溢れ、同時に力の無いものを嘲る意思を含んだ声色だった。
 人を圧迫する声だ。
 それが理由かは分からないが、険しいティアナの表情が更に皺を刻んだ。

「問題だな」

 答えを聞くまでも無く、呆れるように吐き捨てると、男はそのまま歩みを再開した。

「動くなって言ってんのよ!」

 ヒステリックに叫び、ティアナは本当に撃った。
 スバル以外の誰が見ても目を疑う行動。
 狂気の弾丸は真っ直ぐに男を狙い―――瞬時に射線へ割り込んだ護衛の一人が、あっさりと魔力弾を弾き散らした。
 いつの間にか両手に携えた曲刀が、波打つような形状の刀身に魔力光を帯びて虚空へ突き出されている。
 ティアナの魔力弾の弾速に反応し、その貫通力を相殺してみせた、護衛の力と技だった。
 もう一方の護衛がティアナに向けて刃を向ける中、男はようやく振り返ってみせた。

「驚いたな。本当に撃つとは……」

 言葉とは裏腹に、男の鋭い瞳はこの世の全ての物事に無関心だった。
 その瞳を、ティアナは無尽蔵の敵意を持って睨み据える。

「何のつもりかね、君は?」
「あたしの名前はティアナ=ランスター」
「ふむ、知らんな」

 ティアナの名乗りが一体どういう意味を持つのか『本当に、心底心当たりがない』といった様子で男は呟いた。
 その言葉に、ティアナは笑みを浮かべた。
 リラックスや友好とは全く正反対の、獣が殺意と共に牙を剥き出しにする時と同じ行動だった。

「6年前、アンタが起こした事件で死んだ……アンタが殺したティーダ・ランスター一等空尉の妹よ―――<アリウス>!!」

 血を吐くような叫びが木霊し、傍でそれを聞いたスバルは愕然とティアナを見つめた。
 自分を見つめる激昂した少女の視線と、その魂の叫びを聞き届けたアリウスは、一つだけ頷く。

「知らんな。他所を当たってくれ」

 納得でも疑問でもなく、アリウスの感想はただそれだけだった。
 話は終わったとばかりに踵を返し、何の躊躇いもなく歩き去る姿。その背に護衛も付き従う。

 ああ、そうか……。

 ティアナは、そのいっそ清々しいとも言える無関心さに、それまでのゴチャゴチャした思考は綺麗さっぱり無くなっていた。
 前触れも無く仇を目の前にした動揺。
 意思に反して体を突き動かす憎しみの衝動。
 引き金に掛かった指を止める理性。
 自分の行動に対する混乱。
 ただ一つの疑問。

 何故、兄を―――?

 そんなあらゆるものが心からすっぽり抜け落ちた。
 自分を路傍の石としか見ていないような、一切躊躇いのない歩みを見送って、ビックリするほど静かに悟る。
 ああ、そうか。

 ―――コイツは、もうここで殺していい。

 

「アァァリィウゥゥゥゥーーースッ!!!」

 


 ティアナはその瞬間、正義や仲間の為ではなく、ただ憎悪の為だけに引き金を引いた。
 荒れ狂う憎しみを表すように、暴走染みた出力で放たれた魔力弾はプラズマを撒き散らして、無防備なアリウスの背中に殺到する。
 しかし、今度は突如出現した巨大な炎の壁に防がれた。

「何っ!?」

 アリウスとティアナ達の間を遮るように地面から噴き出した爆炎は、それ自体が物理的な防御力を持つかのように、飛来した魔力弾を打ち消す。
 尋常ではない現象に、ティアナとスバルが共通した抱いた感覚は、やはり<悪魔>の出現と同じものだった。
 そして、それは正解だった。
 轟々と唸る炎の音がそのまま獣の唸り声へと変化し、それに合わせて形を持たない炎が独りでに捻れ、束となって人型を形作る。
 現れたのは、人の体と牛の頭を持つ巨大な炎の悪魔だった。

「ア……アレは……っ」

 スバルの脳裏にかつての記憶と恐怖が蘇った。
 幼い頃、自分に初めて死の恐怖を植えつけた火災の中で見た怪物―――思い出したその姿と寸分違わぬ形でソイツは再び目の前に現れた。
 ソイツを目にした瞬間、スバルの中にあった<悪魔>への漠然とした恐怖がはっきりと形になって蘇る。
 幼い日に出会ったアレが。忘れていたはずのアレが。
 わたしは、怖い。
 過去の悪夢との再会にスバルが完全な恐慌状態に陥る中、一方のティアナは具現した上位悪魔の存在には目もくれず、その炎の先を見ていた。

「アリウス……ッ!」

 炎の向こうで、あの男が嘲笑したような気がした。

 

 

 それは、運命の悪戯としか言えなかっただろう。

 あるいはこの時の再会が、別のものであったのなら。
 この場に居合わせた二人の男の再会のうち、ティアナの想いを知る優しいハンターとの再会であったのなら―――全ては違っていたかもしれない。
 彼女の心は余裕を取り戻し、新たな生活の中で手に入れかけていたかけがえのない物を身に付け、一つの成長を遂げていただろう。

 だが、そうはならなかった。
 ほんの少しの、タイミングの違いでしかなかったが。致命的なまでに。

 望まれながらも決して望まれない悪夢の再会は果たされた。
 理性は焼き切れ、胸に抱いた義務感は消え、明日を見る為の瞳は光を失った。
 今はただ、長年燻り続けていた無念を燃やし、憎しみだけを糧にして、過去を切り裂くのみ。
 その手に掴みかけていた<たいせつなこと>は、もはや頭の中から消え去って―――。

 

 ティアナが抱くのは、ただはっきりと―――憎悪。

 

 

to be continued…>

 

 

<ダンテの悪魔解説コーナー>

スケアクロウ(DMC4に登場)

 ちっぽけな虫けらでも、そいつが<悪魔>の一種となったら油断は禁物だぜ。
 一匹一匹は便所にたかる蝿にも劣るような奴でも、奴らには常識では計り知れない行動で力を付ける闇の本能がある。
 スケアクロウという名前自体は魔界の甲虫に付けられたものだが、ここではコイツらが群れを成して形を取った出来損ないのピエロみたいな人形のことも指している。
 布袋に密集して入り込み、まるで一つの意思を持つようにのように行動するのがこの悪魔の正体だ。
 完全な一つの意思に統率されていないせいか、動きはフラフラと落ち着きがない。
 トリッキーな動きといえば聞こえはいいが、冷静に見れば無駄な動きで隙だらけだ。ダンスの仕方を一から教えてやろうぜ?
 ただ、やはりその数と、肉体を持たないせいか一撃では致命傷になりにくい特殊な耐久性が曲者と言えば曲者だ。
 それでも雑魚には違いない。ビビらずに、中の害虫をくまなく駆除してやるとしよう。
 まあ、殺虫剤が効かないところが普通の虫よりちょいと厄介なところだな。

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最終更新:2008年06月17日 21:00