第九章『意思の証』

そうありたい、と私は望む
そうしたい、と私は望む
そうする、のはその為の手段という事で

     ●

 夜間の山中に菫色の光が生じた。閃光は闇に沈んだブレンヒルトを、そして片手に握られたインテリジェントデバイス、光の発生源たるレークイヴェムゼンゼを照らし出す。
「ご苦労様」
『いえ、また御用の際はお申し付けを』
 レークイヴェムゼンゼは返答、待機形態であるチョーカーへと変貌した。それが首に巻き付いた後、ブレンヒルトはこの闇夜において唯一の照明、天上の月を仰ぎ見る。
……私達のGには、無かったもの……
 その中で最も頻繁に見るものだ。毎晩の月を見る度に、ここが自分の世界ではないと思い知る。
「どうかしたの? ブレンヒルト」
 見上げていると黒猫の声がした。こちらを窺うような声に、何でもないわ、とブレンヒルトは返そうとして、
「……あんた、どこにいるのよ?」
 見つけられなかった。全身を黒の毛で覆う獣は闇夜に紛れており、杳としてその位置を見出せない。
「え? ここだよ、ここ」
「ここじゃあ解んないわよ。私はアンタと違って夜目が効かないんだから」
「人間って不便だねぇ」
 漠然とした納得を黒猫は呟く。どこにいるか解らない相手との会話に、ブレンヒルトは妙な居心地の悪さを味わう。と、唐突に黒猫がはっと声をあげた。
「という事はつまり、今ならブレンヒルトに何をしても報復されないってこと!? うわっ、日頃の鬱憤を晴らす良いチャンスじゃん!?」
 意気揚々とした声と跳躍音が何度も聞こえる。こちらへ飛びかかる準備をしているようだ。
「……ふぅん。貴方、そう言う事言うんだ?」
「ふふふ、今さら後悔しても無駄無駄! 今という機会を逃す手は無し、覚悟するがいい!!」
 演技がかった物言いにブレンヒルトは失笑。
「――ねえ、人間って順応する生き物だって知ってる?」
「へ? あーうん、忘れたりとか現状に馴染んだりとか、そう言う感じ?」
「そうそう。……でね、人の目も猫程じゃないけど闇に慣れるものなのよ? 相応の時間があれば、それなりに見えるようになるの」
 静寂。
 ブレンヒルトも黒猫も押し黙り、風にそよぐ草木の音がやけに大きく感じる。
「……えーとつまりそれは、ブレンヒルトさんはもう慣れておいでで?」
「いいえ、残念ながら。でも……そうね、ちょっとずつ見える様になってきたわね」
 再び静寂。幾許かの間が過ぎ、
「で? 私に何をするんだっけ?」
「御免なさい申し訳ありません二度と言いませんていうか今言った事は取り消させて下さいお願いします!!」
 よろしい、とブレンヒルトは頷く。と、そんな問答を行っている内に目が闇に慣れていた。微弱な月明かりを捉え、ブレンヒルトの双眸は周囲の環境を見取る。
「何時見ても人がいないわね」
「廃村、ってやつでしょ? ま、こんな山間部じゃ住み難いよ」
 ブレンヒルト達の周りにあったものは、無数の家屋だった。長期に渡って放置されたのだろう、どの家屋も泥や埃にまみれ、細部には風化も見られる。
「このGの中で滅べるなんて、贅沢の極みね」
「どうせここに住んでた人等は他のGが滅びた事なんて……ううん、ある事だって知らないよ、きっと」
 知ってたら少しは反省したかもね、と続ける黒猫にブレンヒルトは、
「でもどうして管理局は、概念戦争を人々に知らせなかったのかしらね?」
「英雄気取りたかったんでしょ? 世界を混乱させるよりも自分達だけで密かにケリをつけよう、ってさ。1stーGの王様とは反対だね?」
「ええ、王は1stーGを絶対に護ろうとしていたわ。防衛用に機竜を配置して、概念核も二分して。……そこをグレアムに付け入られたのだけれど」
 語るブレンヒルトは黒猫と共に廃村を歩き始めた。
「あの男によって王城は破壊され、指揮系統は麻痺。レオーネ先生はファブニールと同化し、概念核の半分を出力炉に収めて護ろうとしたけど、グレアムに奪われたデュランダルで……」
 一息つく。それから自嘲するような表情で、
「レオーネ先生のファブニールが、ラルゴ翁のと同じ改型だったら話は違ったかもね」
「……改型は何が違うの?」
「改型はね、稼働用と武装用に出力炉を二つ積んでるの。レオーネ先生の旧型は一つしかなかったから、それをデュランダルで貫かれた時、死ぬしかなかった」
「それを教訓にして追加した、って事?」
 ええ、とブレンヒルトは答える。
「改型は武装用出力炉に残り半分の概念核を封じているの。もしそれが破壊されても、残った稼働用出力炉で敵を潰せる」
 そう答えて、ブレンヒルトと黒猫は開けた場所に出た。家屋の群を抜けた先にあるそれは校庭、暗がりで見辛いが、ブレンヒルトの行く先には体育館があり、奥には校舎もある。
「もうちょっと近寄りなさい。でないと、レークイヴェムゼンゼの効果範囲に入らないでしょう?」
「あ、うん」
 体育館の正面玄関に近付いた所で立ち止まり、ブレンヒルトは黒猫を呼び寄せた。足下に来た所で踏み潰し、完全に密着した所で指先をチョーカーにあてる。
「お願い」
『畏まりました。“門”を、開きます』
 そう答えてレークイヴェムゼンゼは三日月型の飾りを光らせる。直後、

  • ―――文字には力を与える能がある。

 それは1stーG概念より成る概念空間の展開。自らの声に似たそれが響き、体育館は要塞に変貌した。
 諸処に見られる窓は板で塞がれ、かと思えばあちらこちらに大きな鉄の扉が増設されている。共通するのは一様に記された、“頑丈”や“鋼鉄”という1stーGの文字だ。
「久しぶりに来るけど……見つかったりしてない?」
 正面扉の前に立つ大型人種の門番と会話、問題ないよ、という返答を得てブレンヒルトは頷く。ブレンヒルトは扉に手を伸ばした。だが手を添えた所でそれは停止、扉の向こうに騒音を聞きつけたからだ。
「……ファーフナーだ」
「元気ね。和平派飛び出して転がり込んできた時は死にそうだったのに」
 聞きつけたのは黒猫も同じだったようで、心底と嫌そうな顔をする。ブレンヒルトはその様子を見て、
「――彼と一緒に、貴方もここにきたのよね」
 からかうような口調に黒猫が、やめてよ、と答えた。
「利害が一致しただけだよ。和平派から市街派に移りたい、っていうね」
「通常空間でも行動出来る貴方がついてなかったら、多分途中でのたれ死んでたでしょうね、彼」
 全くだよ、と頬を膨らませる黒猫にブレンヒルトは笑み、扉に触れる手へ力を込めた。軋むような音を立てて扉は開き、体育館の内部をブレンヒルトに晒す。
 直後、強い語気からなる宣言が響いた。
「――俺達に必要なものとは何か!?」

     ●

 体育館の中に数限りない異形達が、1stーGを故郷とする市街派の者達が犇めいていた。
 一見すると何の区別も無く見えるが、実は市街派の方針をめぐって論争する、急進派と穏健派の二種である事をファーフナーは知っている。
「俺達に必要なのは失われた故郷を取り戻す事だろう!?」
 急進派の最前線に立ち、ファーフナーは猛烈な語気を穏健派に叩き付けた。
「デュランダルを取り戻して概念核を我等の物とする。それを解放してマイナス概念に対抗した後この世界を1stーGと化せばいい!!」
 対して穏健派の若者が、違う、と声を大にして応じた。
「我々に必要なのはLowーGでの権利だろう? デュランダルを取り戻した後は、それを持って和平派と合流すべきだ! その後は概念解放を管理しつつ、我々に有利となる交渉を行う!」
 若者は続ける。
「我々は戦うために集まった訳じゃない。目的は飽くまで、デュランダルの奪還とLowーGでの権利を得る事だ。ファーフナー、お前の主張は単なる逆侵略だぞ!!」
「逆侵略? 違うな失地回復といえ」
 若者の主張に頷いた穏健派の面々、しかしファーフナーは反論した。
「俺達の祖先が護り続けた大地を滅ぼされたのだぞ? その代わりを求めて戦うのは当然の事だ」
「LowーGがそれを認める筈が無い!」
 だからこそ戦うのだ、とファーフナーは論じる。そして、それが解らないのだろうか、とも思う。
「このLowーGでは概念戦争など無かった事になっている。全ての情報は秘匿され報復活動や情報公開は全て管理局に潰される。……ならば俺達はこのGの何処にいるのだ?」
 言ってファーフナーは足下を指した。
「今俺達がいるのはこのGの影の部分だぞ!? 管理局の居留地にいた時もそうだ。押し込められた狭い土地は空も川も閉じられ、森は外界との交流を断つ為の壁となっていた!!」
「だからこそ我々はこのGで自由となる権利を得るのだろう?」
「自由? 閉ざされた世界で縮こまる事がか? ……俺や一部の種族は生きていくのに1stーGの概念が必要だ。お前らの言う自由とは俺達も含んでいるのか?」
「それは……」
「解るまいな。お前はLowーGにおける人間に近い種族だ。一日の半分を水に触れていれば一般社会に紛れられる、木霊よ。――お前には俺達の痛みが解るまいよ。常に前線で戦う苦痛もな」
 若者は何か言おうとした。しかしそれは言葉を為さずに喉で消え、代わってファーフナーが弁舌する。
「俺達全員がお前達の様にこのGで生活出来る訳ではない。俺達にとっての自由とは……この世界を1stーGと同様にする事でしか有り得ない!! 箱庭の優遇がお前達の言う本当の権利か!?」
 その言葉に若者は歯を噛んで俯き、そこで彼の肩に手が添えられた。若者の背後、穏健派の一群から進み出た老人だ。
「良い演説だな、ファーフナー。だがお前は一つ忘れている」
 何をだ、と問い返したファーフナーに老人は頷く。
「1stーGが滅びた時、お前は生まれていなかった。滅びたのはお前の世界ではない、我々の世界だ。お前は……」
「ならば俺がLowーGの人間だとでも言うつもりか?」
 老人の言葉をファーフナーは遮った。
「LowーGの人間は翼を持つのか?」
 ファーフナーは背の両翼を思う。
「LowーGの人間は鱗を持つのか?」
 ファーフナーは巨躯を包む鱗を思う。
「LowーGの人間は角が長いのか?」
 ファーフナーは側頭から伸びた角を思う。
「俺の姿を見ろ。この姿をした生き物がLowーGに存在するのか? 否! 俺は1stーGにしか存在しない半竜という種族だ!!」
 人型の竜、それがファーフナーの容貌だった。
「だが俺は何も知らない。数多くの祖先を、王のいた国を、限りある大地を、月の無い夜空を、自由に生きられる天地を。……そして! 敗北の日も護るべきものも知らない!!」
 故に、
「――だから俺は誇りとは何なのかを知らない!!」
 思いを吐露し、抜け切った息を補給。
「だが老人共よお前達はそれを知っている。だから狭い所に押し込められてもそれに頼れる。……しかし俺達には何もない。なのに俺達はどうしようもなく1stーGの者であり、そうでありたいと思っている」
 背後に立つ急進派の同意をファーフナーは感じる。
「どうすれば良い? ……どうすればそれだけの誇りが持てる!?」
 老人が、そして穏健派が沈黙する。
 論争転じての静寂、そこでファーフナーは自分達を迂回する人影を見た。黒猫を連れた魔女装束の少女だ。
「奥に行くのか? ラルゴ様は眠っておられるぞ」
 ファーフナーの向けた声に少女は足を止めた。急進派も穏健派も注目する中で少女は振り向き、怜悧な双眸でこちらを見据える。
「……貴方の声で起きてるでしょうよ、きっと」
「は、そうであれば良いが! ……それよりも首尾はどうなのだ? ナイン」
 呼びかけたその名に、少女の双眸が細められた。放たれる眼光は怒りさえ含んでいる。
「その名で呼んでいいのはラルゴ翁だけよ。翁の権利を侵害する気?」
「これは失礼した、ブレンヒルト。お前はその名を取り戻す為に戦ってると思っていたのだが」
 ファーフナーは言い改め、しかし言葉を止めない。
「グレアムとやらの監視に赴き、隙あらば暗殺する、という話だったのでは? それがもう三年目になるのに来るのは定時連絡だけ。……まさか言い包められたか? 何しろお前はそのグレアムと幼い頃……」
「止めろ!!」
 叫んだのはブレンヒルトではなく、足下の黒猫だった。怒気に毛を逆立て、
「ブレンヒルトはちゃんと仕事をしてる! アンタ達が話し合ってる間も、王城派の戦闘や管理局の動向を見てたんだ!! アンタ達が今も話し合ってる情報もそうして集まったものだろ!?」
 断言、だがそれを終えたところで黒猫は笑みを交えた。
「頑張れって言いたいなら、もっと素直になったらどう?」
 対するファーフナーもまた小さく笑み、
「最近はそれを言うと鬱になる事が多くてな。遠回りで失敬した」
 ファーフナーは黒猫と笑みの口調を交わして見合う。それから視線をブレンヒルトに移し、
「早く行け長寿の娘よ。後で俺も話を聞きに行く」
 そう言うとブレンヒルトは顔を背けて歩き出した。遅れて黒猫も追随し、見えなくなった所でファーフナーは穏健派を見やった。
 そして議論の場を締めくくる為、最早穏健派ではなく、館内全体に声を響かせる。
「――俺が望むのは1stーGが未だ共にあるという事実だ! この世を1stーGとせずにすむ方法があるならば言ってみるがいい!!」

     ●

 ファーフナーの声を背にブレンヒルトは地下へと続く階段を下りていった。館内奥を丸々使った大型リフト、今は隔壁を閉じた縦穴に沿って伸びる通用口だ。
「…………」
 “灯火”と記された釣り鐘の照る階段は傾斜が深く、ブレンヒルトは壁に手を当てて下りていく。冷ややかで固い感触を手に、やがてブレンヒルトは階段の終着点に辿り着いた。
 そこは縦穴の底辺部、大型リフトの定着も相まって広大な空間となっている。
「……ラルゴ翁」
 リフトの上には巨大な鉄塊があった。否、長胴に頭部と尾を備え、四肢の先に爪を備えたそれは竜の模倣。機竜と呼ばれる兵器が、ファブニール改と称される市街派の最強武器がそこにある。
 そして市街派を率いる長の意思もまた、そこにあった。
「ブレンヒルト・シルト、ここに戻りました」
『ああ、お帰り』
 現れたのは一人の老人だった。禿頭の長い白ひげ、褐色の肌をしたその人物が竜の背に立っている。しかしよく見れば老人の姿が半透明で、声が老人からではなく足下の機竜より響いている事が解った。
『どうだったかい?』
「私の使い魔が詳細を」
 促されたブレンヒルトは黒猫を見やる。応じて黒猫は前に出て、
「王城派は三日後に降伏するって。これで自分達の活動を終えるって、使いが伝えてきた」
 そこで溜め息。
「だからファーフナー達アッパー入ってんだよねぇ。ラルゴ翁、シメちゃってよ」
「こらっ、何言ってるのよっ」
 ブレンヒルトが黒猫を踏みしめ、それを見るラルゴと呼ばれた老人は苦笑した。
『まあ報告は後で聞こう。他に、何か情報は?』
 問うラルゴにブレンヒルトは、ええ、と首肯した。
「管理局は全竜交渉の専用部隊を、編成中で実戦投入しています。それから明日、和平派のファーゾルトと交渉役が暫定交渉をするそうです」
『……成る程、それでファーフナーは躍起になっているのか。彼はファーゾルトの息子だからねぇ』
「父親を負け犬と呼ぶ彼ですからね。さっきも上で、稚拙な論を重ねて正義としているようで」
『稚拙なのはしょうがない。行動に理由が必要な大人を、子供が説得しようとしているんだ』
 だがね、とラルゴは言葉を挟む。
『適当な理由で動く事に慣れた大人じゃあ、子供が本当に稚拙な正義を唱えた時、最後には折れるんだよ。論じゃなくて、もっと厄介なものにね』
 ラルゴは腕を組み、天井の隔壁を見上げる。その向こうにいるであろうファーフナーを見るように。
『ファーゾルトの息子は、まっすぐに育ったものだねぇ』
「本人は相当苦労してたけどね。あの1stーG居留地で」
 かつてその居留地にいた黒猫は、僅かに遠い目をして答える。
「あの人は上手くやってると思うよ。概念の管理を管理局に一任して、狭い居留地の安全確保を願う。皆はその程度かって言うけど……概念を管理された居留地じゃ、住人全員が人質みたいなもんだよ」
「概念空間を解除されたら、大半は半月と持たないでしょうね」
『ファーゾルト達が生活出来ているのは、彼等の持ってきた持ち物や技術という交渉材料と、後は……それこそ管理局の温情というものだろうねぇ』
「……その言葉、皆に言ってはいけませんよ」
 眼を細めたブレンヒルトにラルゴは、解っておるよ、と返す。
『ワシは皆を連れてここに辿り着き、持ってきた概念核の片割で概念空間を造った。元指導者のはしくれとして、現保護者として、皆を率いる必要がある』
 面倒な事だがね、とラルゴは溜め息。それからブレンヒルトを見やって、
『交換しないかね? ワシのファブニール改とお前さんのレークイヴェムゼンゼを。ワシは冥界の住人と茶ぁ飲んでる方が気楽で良い』
「無理ですよ、機竜は同化したらそのままでしょう? それにLowーGは冥界の概念が弱過ぎて、レークイヴェムゼンゼを使っても住人とは僅かな間しか話せません」
『……もし彼等としっかり言葉が交わせれば、皆の遺恨も幾らかは減るだろうに』
 ラルゴは浅く眼を伏せた。
『世界の崩壊を恐れねば、我々ももっと多くを救えたかもしれぬ。――君の鳥も、惜しい事をした』
「あれは……見捨てた彼が悪いのです」
『見捨てたのは彼かもしれん。だが、救えなかったのはワシ等だよ』
 そこでラルゴは眼を開けた。それから暗闇の一角に向けて一つの名を呼ぶ。
『ファーフナー』
 その名にブレンヒルトと黒猫は振り返り、そこで闇に佇む半竜の姿を見た。
「……何時から!?」
 険を含んだブレンヒルトの問いに、ついさっきだ、とファーフナーは返答。
「そう構えるな。俺の属性は闇、闇渡りの半竜だぞ? それが闇ならば心の届く範囲においてどこでも移動出来る」
「それで盗み聞きって訳? 趣味悪」
 黒猫の言葉を、言ってろ、と鼻で笑い、ファーフナーはラルゴを見る。
「話し合いが終わりました。俺達の意見が通った上で、ラルゴ様に判断を委ねるという形で」
 ファーフナーの報告に、うーむ、とラルゴは唸り、
『明日のファーゾルトの動き次第で結論、という事でどうかね? ブレンヒルトの話では……明日、事前交渉があるのだろう?』
「ええ、和平派の情報なので確かでしょう」
 ブレンヒルトの答えにラルゴは頷き、だがファーフナーは不満げな表情を作った。
「……ラルゴ様、何故いつも結論を先延ばしにされる? 俺達は貴方の下に集い、引っ張られてここまで来たんですよ?」
『いや、そんな自主性の無い事を言われてもなぁ』
「責任者の勤めでしょう」
『あー、それはそうなんじゃが……すまんなぁ』
 その答えにファーフナーは項垂れた。全身で脱力を表し、金のたてがみを生やした頭を掻く。
「友であられたレオーネ様、それにミゼット様をグレアムとやらに殺され、王を護る事が出来なかった。……その恨みはラルゴ翁のどこにあるのですか?」
『あるのは確かだろうが何処かまでは解らんぞ? お前さんとしては、ワシの武装用出力炉にあって欲しいんだろうが』
 ラルゴは頷き、今度は揺るぎなくファーフナーを見据えた。
『失われたのはワシの友だけではない。故にワシは私意で動かん事にしとる。動くのは機が満ちた時だけさ。そして今、機は満ちつつあるよ』
 続けてラルゴは問う。
『その時お前さんは、何の為に戦うよ? ファーフナー』
 対するファーフナーもまたラルゴを見定め、返答を放つ。
「――我等が持っている筈のものを取り戻す為に」
 その答えにラルゴは、ふむ、と応じ、
『ならば絶対に、その言葉は覚えておこうかね』

     ●

 ファーフナーも交えた報告を終え、ブレンヒルトは体育館の外に出ていた。といっても、一人で出てきた訳ではない。
「ラルゴ翁、外に出るのは久しぶりですか?」
 問いが向くのは背後に立つ巨影、ファブニール改だ。体育館裏手の壁を改造した隔壁より前半身を出し、白と緑に塗装された機竜が夜空を眺めている。
『最近は会議ばかりでねぇ。ワシ無しだと概念空間が数時間で消えてしまうから、段々厳しくなっているんだよ』
 今もお前さんの見送りと言って出てきてな、とラルゴは付け加えた。そこに笑みが含まれていた事に安堵し、
「ブレンヒルト」
 そこで名を呼ばれる。呼び声の主は黒猫、ブレンヒルトが見ると黒い影がこちらに向かって飛来していた。それに対してブレンヒルトは、
「えい」
 落下軌道上に手刀を伸ばした。ブレンヒルトの予想は的中、五指の先に黒猫の小さな身体が突き刺さる。一撃を受けた黒猫は、げふ、と気まずい呻きを漏らし、それから妙に晴れやかな笑顔で落下した。
「……何でさ」
「不意打ちなんて良い度胸じゃない。私でも夜目に慣れるって言ったでしょう? それとも猫の脳みそじゃ覚えてられなかったのかしら?」
「ブレンヒルトの下に合流しようとしただけでしょ!? 何、ブレンヒルトとの絆ってそんなに薄弱!?」
 倒れた黒猫が喚くがブレンヒルトは無視、ファブニール改の頭部を見上げた。そこに一切の変化は見られない。しかし、ブレンヒルトは確かな気配の変化を感じたからだ。
「……本意じゃありませんからね、こういうやり取り」
『いやいや、昔よりずっと良く見えるよ? 元気そうで何よりだ』
 答えるラルゴの声は笑みを多分に含んだもの。やっぱり、とブレンヒルトは溜め息をつき、
「真面目になれる時間が少ないだけです。ラルゴ翁はその逆なのでは?」
『そうさねぇ』
 答えは曖昧な返事。だがラルゴはファブニール改の頭部を動かし、こちらを見た。
『――ブレンヒルト。君はこれから“行く”のかな? それとも……“帰る”のかな?』
「――――――――――」
 思わず、息を飲んだ。
「ラルゴ翁……、貴方は、私が1stーGを忘れたと?」
『そうは言っていないよ。ただ君は、今の市街派の状況をよく思っていないようだからねぇ』
「……長寿族の性です。ああいう論争を嫌うのは」
 だろうねぇ、とラルゴは一言。
『誰か、君と同じ長寿の誰かが、ずっと共にいるのが一番良いんだろうがねぇ。君から見れば誰も彼もが、私ですらも生き急いでいるようにしか見えないだろう』
「……年寄り臭いよ、ラルゴ翁」
「こらっ!」
 仰向けでファブニール改を見ていた黒猫が一言、ブレンヒルトは注意の踏みつけを放った。
『は、そうなんだろうねぇ。――皆も気付いておるだろうが、ワシももう長くは持たん。機械としての寿命ではなく、ワシ自身の寿命が尽きようとしておる』
「………1stーGの機竜が持つ、欠点ですか」
『否、欠陥と言って良いだろうねぇ』
 ラルゴは自身に架せられた致死の宿命を語る。
『かつて5thーGの機竜を元にどうにか建造したこの機竜。搭乗者は同化して操る訳だが……この時の拒絶反応が強過ぎる。それこそ、大半の者がそこで死んでしまう程に』
 ブレンヒルトは思う。幼い頃にグレアムと出会ったあの機竜の暴走を。
『よしんばそれを抜けても、もう二度と降りる事は出来ない。そして……いつかは有機体である搭乗者と無機体である機竜の誤差が大きくなり、自壊する』
「……………っ」
 語られるブレンヒルトは沈黙。そこまで言って、ラルゴも会話を仕切り直した。
『…そろそろ戻らなくて良いのかい? 来た時は何やら急いでいたようだが』
「そ、そうだよ!」
 反応したのは黒猫だった。
「ほら、小鳥! ブレンヒルト、胸薄いからって忘れちゃあたたたたた待った待った踏み込んだら中身が!?」
 ブレンヒルトは黒猫を再度踏みにじり、しているとラルゴから疑問の声があがった。
『小鳥?』
「……ええ、落ちていた小鳥を、性懲りも無く」
 答えたブレンヒルトにラルゴは、ほほう、と喜色を交えた。
『……それで良いのだろうよ、ブレンヒルト。いや、ナインと呼ぼうかね』
「その呼び名は、とうに捨てました」
『だが、ワシにとってはそれがお前さんの名だ。かつてミゼットに拾われ、レオーネの研究所に住み着いた少女よ。あの頃は、グレアムも含めた四人で……』
「お止めください」
 言い続けようとしたラルゴを、しかしブレンヒルトは遮った。
「――お互いに知る人の名を告げるのは、独り言よりも酷いものですよ」

     ●

 ファブニール改の視覚素子が、夜空に飛び立ったブレンヒルト達を捉えていた。
『……さて』
 少女達が無事に帰ったのを確認し、ラルゴは視覚素子を別の場所に集中させる。向けられた先は周囲に広がる森林、その一角だ。
『次は貴様等と話すとしようかね。やや不本意ではあるが』
 ラルゴはファブニール改の音量を上げ、林間にも声を届ける。と、木々の闇から三つの人影が進み出た。
 先頭は褐色の肌をした巨躯の初老。ターバンと眼帯で頭部を飾る中東風の男だ。続くのは青年と少女、闇にも映える緑と金の長髪をした二人組。青年は白のスーツ、少女は黒い修道服を着ている。
『また前触れも無く現れたものだね。…情報屋を気取る、聖王教会よ』
 ラルゴは憎々しく呟き、だが三人組が近付いてきた所で一つの旋律を聞いた。それは金髪の少女が囁く一つの歌だ。

Silent night Holy night/静かな夜よ 清し夜よ
All's asleep, one sole light,/全てが澄み 安らかなる中
Just the faithful and holy pair,/誠実なる二人の聖者が
Lovely boy-child with curly hair,/巻き髪を頂く美しき男の子を見守る
Sleep in heavenly peace/眠り給う ゆめ安く
Sleep in heavenly peace/眠り給う ゆめ安く―――

 ラルゴはそれの歌を知っている。
『昔、一人になるとブレンヒルトがよく口ずさんでいた歌だね。LowーGの歌で、確か題名は……』
「清しこの夜、だよ。その子の歌も良かったんだろうけど……姉の歌声も中々だろう?」
 言いかけた言葉は青年に奪われる。端整な顔に薄い笑みを浮かべた男は、口を挟んじゃいけません、という少女に注意された。その様子を見てからラルゴは初老を見据え、
『その二人は何者だ、ハジよ。何故連れてきた?』
「わしの養子みたいなものだよ、ラルゴ。男の方がヴェロッサ、女の方がカリムだ。どうだい、見目麗しいだろう? だが気をつけたまえ、これでも一騎当千の魔人だ」
 二人にもそろそろ仕事を覚えてもらおうと思ってね、とハジは二人の若者を紹介、言い終えると共に二人は会釈する。その様子に、うんうん、とハジは頷き、
「今夜も一つ、貴殿等の為に情報を持ってきたぞ」
『恩着せがましいな。そしてまた言うのか? 自分達の下に入れ、と』
「下、とは心外だ。うん、本当に心外だ。対等の仲間として、全竜交渉を停めようと言うのだ。我等の目的は同じ筈だが、違うかね? どうだろうかね、ん?」
 確かに、とも思うがラルゴは同意しない。
『前にも言った通りだ。我々は、自分の問題は自分で解決する。素性も知れぬ者と共闘する気はないね』
「同意してくれるならば、素性も目的も話すのだがね」
『それを信じられるかどうかは、その嘘くさい笑みに訊いてみるんだね。……駄目なもんは駄目さ』
 にべもない否定、それを受けてハジは口元を手で覆う。そして、
「――成る程」
 呟きが終えると同時、ファブニール改に搭載された機銃が銃弾を吐いた。連発される弾丸は地に穴を空け、背後の樹木を幾らか砕き、濃厚な粉塵を噴かせる。
……恐ろしい話だね……
 ハジがいい終えた瞬間、笑みも絶えた。その時感じた気配がラルゴに威嚇射撃を決行させた。といっても、当たっても構わない相手だったので幾らかは当たったかもしれないが。そうして粉塵が晴れ、
『……何?』
 そこで見えたものは、ハジの前に立つカリムと名乗る少女だった。彼女は剣型のデバイスを構えており、刀身は歪んで薄く煙を昇らせ、そして足下には細々とした鉄塊が散っている。
……まさか、弾丸を迎撃したのか!?
 刀身の歪みや煙はその代償か。だとすれば、あの少女はどれ程の反射速度を持つというのだろう。威嚇射撃とはいえ、当たろうとしていた弾丸全てを防ぐ等、
……それこそ、予言じみているねぇ……
『成る程、一騎当千か』
 ハジの紹介は間違っていなかったという事か、とラルゴはごちる。
「もう……義父さん、あんまり挑発しないで下さい! 防ぎ切れなかったらどうするんですか!?」
「はっはっは、わしは娘の腕を疑ったりはしないという事だよ。それとも自信が無かったのかね? ん?」
「じ、自信の有る無しじゃなくてぇ……っ!」
 一息の後に憤慨するカリム、それを笑っていなすハジはファブニール改を見やり、
「まあいいだろう、今日は特別サービスだ。本題の前に我々の目的を教えようじゃないか、うん」
『全竜交渉の阻止。その為の、各G残党を集めた反乱軍の組織化か? 見た所ハジ、お前は9th―Gの者だろう? 後ろの二人はLowーGの者に見えるが……』
 ラルゴの推測、しかしハジは、いやいやいやいや、と両手を上げて首を振る。
「惜しいが……違う、違うんだな。我々の目的は――全G概念の消滅だ」
『……何!?』
 ハジの告白にラルゴは驚愕を得た。
「ラルゴ、我ら聖王教会は、現状我々が保つ以上の概念を消滅させる事を望んでいるのさ」
『何故だ!? それは自身の故郷をも捨てるという事だぞ!』
 あるのさ、とハジは答える。
「そうする理由も意味も価値も、我々は持っているという事さ。うん、持っているんだ」
 ハジは独白するように解答。言い終えて熱が引いたのか、語気の調子を整え、
「明日の朝、西の管理局からデュランダルが奥多摩の管理局に輸送される。輸送機が通過するのは、丁度この辺りだろうな」
『……何故それを教える? 我々は1stーGの概念を取り戻すが、貴様等の様に消滅を望まぬ。我々は敵になるぞ』
「解っている、うん、解っているとも。だからこれはサービス、精一杯のサ―――ヴィスだ」
 忍び笑いする様にハジは言う。
「今の所は貴殿等がどうあろうとも構わない。構うのは、管理局に概念がある事だけだからね。もし貴殿等がデュランダルを取り戻したならば、その時に交渉しようじゃないか。うん」
『何を、交渉すると?』
「LowーGを視野に入れず、まずは真実を伝えて要求するよ。このLowーGを本当に本当のものとする為に」
『……本当に本当のもの?』
 そうとも、と言ってハジは腕を掲げ、指を鳴らした。それが撤退の合図だったのか、カリムはハジの背後に戻り、またハジ達も出てきた林間の闇に戻っていく。
「お別れだラルゴ。次に会う時は……うん。お互いの立ち場は変わっているだろうね」
『待て、答えろハジ! それはどういう意味だ!?』
 制止を呼びかけるラルゴ、しかしその頃には、ハジ達は林間の闇に沈んでいた。ただ、声だけが返される。
「簡単な事だよ。私達の全てを受け継ぐべき者に、真の意味で、全てを受け継がせよういうだけだ!!」






―CHARACTER―

NEME:ラルゴ・キール
CLASS:市街派の長
FEITH:機竜を駆る者

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最終更新:2008年03月29日 14:29