通信機器の沈黙した司令室ではオペレーターの声が飛び交う事も少なく、奇妙な静寂が満ちていた。
 その中で、シャマルの周囲に表示された複数のモニターだけが一番忙しなく稼働している。
 シャマルのデバイス<クラールヴィント>の持つペンダルフォルムが展開され、両の手の指輪から伸びる振り子がそれぞれの機器に接続される形となっていた。

「初めて見ます、デバイスによる電子操作……」

 世にも珍しい光景に、状況を見守るしかないグリフィスが感嘆の呟きを漏らす。

「シャマルのデバイスはかなり特殊やからな。
 古代ベルカ式は未だ謎が多い。解明されてるのも単純な戦闘技術だけや」

 そうして見守る中で、半ばトランス状態となったシャマルが巨大なCPUを相手に自らの頭脳と魔法のみで情報処理を行っていく。
 デバイスが持つ独力の観測魔法のみで現場をモニター出来るほど範囲は狭くなく、負担は掛かるがサーチャーを経由して観測を行うしかない。
 シャマル一人に無理を強いることに覚える心苦しさを表には出さず、はやては可能な範囲内でオペレーターに指示を出していた。
 今、この時は家族としてのはやてではない。部隊長としての八神はやてがいるのだ。
 そして、シャマルの額から汗が滲み出し始めた時、状況は進展した。

「―――サーチャーとの接続に成功しました。観測魔法展開、モニター出します」

 魔法へのノイズを極力失くす為、感情の起伏と共に抑揚を失くした声でシャマルが事務的に告げた。
 沈黙していた司令室のモニターの前に、クラールヴィントが照射したホログラムの画面が重なるように表示される。
 そこに再び映し出されたリニアレールの様子を見て、はやてを含む全員が息を呑んだ。

「なんだ、アレは……っ?」

 呻くようなグリフィスの言葉は、その場の全員の思いを代弁していた。
 モニター以外の観測機が数値で示すとおり、確実に加速しているリニアレールの車両。
 しかし、一番の変化はそこではなく―――車両の表面に、奇怪な<肉片>がこびり付いていた。

「……寄生しとるんか?」

 冷静に観察することで得た印象を、はやてが口にする。
 それはおおよそ的を得た言葉のように、全員の心に違和感なく浸透した。
 信じがたいことだが、あの車両に<何か>が寄生している。車両の表面にまるで根付くようにへばり付き、無機質とは違う生きた肉感を見せていた。
 それは小さく胎動し、<眼>と思わしき部分さえ存在する。
 リニアレールの全体を覆うほど広範囲ではないが、<寄生>は各先端車両に集中しており、それらが車両のコントロールを奪う原因である事を明確に表していた。
 生ける生体列車となって山岳を走り抜ける―――その不気味な旅路の終着点は、あるいは地獄なのかもしれない。
 そんな冗談染みた考えが浮かぶほどに、モニターされた光景は司令室の人間に衝撃を与えた。

「―――なのは隊長とフェイト隊長の様子は?」
「モニターします」

 誰もが動揺する中、電子の世界に没頭するシャマルと部隊長としての責任の重みによって現実に立ち続けるはやてだけが行動していた。
 二つ目のウィンドウが展開され、上空の様子が映し出される。
 そこに映る光景もまた現実離れしたものだった。
 事前のなのはの報告どおり、彼女達が対峙する敵は他に表現しようも無く、ただハッキリと<死神>だった。

「これは……現実の光景なのか?」

 グリフィスは、もし何かの宗教に入っていればこの場で自らの神に祈っていたかもしれない。
 決して経験豊富ではないが、それなりに管理局員として事件に対応してきた下積みがある。司令室の誰もがそうだ。
 しかし、今直面する状況は、あらゆる経験を無駄にするほど常軌を逸していた。
 青い空を埋め尽くすように蠢く、黒い死神の群れ―――。
 まるで別の生物に作り変えようとするように車両へ寄生する肉片―――。
 空想や映画の中に存在する『在り得ない光景』が、現実感と絶望感を持って眼前に広がっているのだ。
 誰もが恐怖を感じていた。
 かつて、子供の頃に何の根拠も無く感じていた―――ベッドの下やクローゼットの中に隠れる見えないモンスター達を幻視する時の恐怖を。

「まるで<悪魔>だ……」

 人は、闇を恐れずにはいられない。

「―――リニアレールの終着施設へ連絡、作業員を全員退避させえ。それと、応援要請」

 しかし、また同時に人は闇を恐れるだけの存在ではなかった。それに抗い、打ち勝つ為に。
 はやての厳かな声が全員の正気を取り戻し、止まっていた筋肉の動きを再開させた。
 やるべきことの途中だった者はそれを再開し、命令を与えられた者は行動を始める。

「隊長達の、援護ですか?」

 声に怯えを含ませることだけは抑えられるようになったグリフィスが尋ねた。
 はやては首を振る。

「単体の戦闘力ならあの二人は最強や。いざとなったら、リミッター解除を申請する。
 応援は施設の方で待機してもらう。最悪の事態だけは避けなあかん―――シャマル、車両内はモニター出来んか?」
「不可能です」

 脳の大半の処理能力を電子操作に使っているシャマルの返答は感情の無い端的なものだったが、同時に分かりやすかった。

「……リニアレールの方は、フォロー出来そうにないな。ルーキー達に任せよう」
「それしかありませんか」
「そら違うな―――」

 不安を隠せないグリフィスに対して、はやてはこの緊迫した状況で場違いとも言える満面の笑みを浮かべて見せた。

「『それしかない』んやない、『それがベスト』 この程度のピンチ、あの子らなら乗り越えられるわ」

 それは、新人達の力を信じようとする健気な姿勢でも、成功を過信する傲慢な態度でもなかった。
 新人達の命を含んだあらゆる最悪の事態を考えて備える現実と、この状況を問題なく乗り越えられると信じる理想を合わせ持った笑みだった。
 指揮官には、時としてこんな矛盾を孕む思考が必要とされる。
 今の、八神はやてにはそれがあった。

「私がこの眼で見て、この手で選んだストライカー達や。必ず成し遂げる」

 何の根拠も無い断言に、しかし奇妙な説得力が含まれていた。
 司令室の誰もが大きな不安を感じる中、胸を張ったはやての言葉がゆっくりと全員の体を縛っていた躊躇いを解いていく。
 怯えていた子供達は戦士へと戻っていった。

「さあ、何呆けとる? 予想外やけど、やるべき事は何も変わっとらんで。延長戦を始めようか―――任務続行や」
「「了解!」」

 機動六課が再び戦いの意思を取り戻した瞬間だった。

 

 


魔法少女リリカルなのはStylish
 第十話『Devil Must Die』

 

 


 開戦の銃火が、まずは真正面にいた数匹の蟲を吹き飛ばした。
 アンカーガンのそれより威力の増した魔力弾が愚かな肉の塊を壁にへばり付かせる。
 しかし、生物としての生態を持たない蟲の悪魔達は、脚の数本や体の一部を抉られたくらいではその活動を止めなかった。
 新たに滲み出るように出現した蟲と群れを成し、ティアナの元へと蠢き進む。

「Com'n winp(来な、ノロマ野郎)」

 虫嫌いの人間が見れば卒倒するような光景を前に、しかしティアナはただそれを磨り潰す加虐的な笑みを浮かべて手招きした。
 そして唐突に、目の前に集中するティアナを奇襲するように天井から襲い掛かってきた蟲に右手を突き出して、クロスミラージュの銃身で貫いた。

「見えてるわよ」

 不敵に笑い飛ばすその言葉は、串刺しになった<悪魔>に対するものか、警告しようと口を開いたスバルの呆けた顔に対するものか。
 銃口が体にめり込んだまま痙攣する蟲を眼前の群れに突きつけると、ティアナはそのまま魔力弾をぶっ放した。
 蟲の体が四散する。
 相も変らぬ速射が愚直な敵の前進を薙ぎ払い、酷使されるクロスミラージュの悲鳴のような銃声が車両内を埋め尽くした。
 天井や壁から、時には床下から水漏れのように滲み出て形作る蟲の姿目掛けて、当たるを幸いとばかりに撃ちまくる。
 二つの銃口それぞれに眼がついているような正確無比な射撃の二重奏。ティアナに死角は無い。

《―――Bullet slice》

 しかし、弾丸は有限だった。
 カートリッジに蓄積された魔力を吐き尽くし、右手のクロスミラージュが警告を発する。
 撃った魔力弾の数は約30発。クロスミラージュの装弾数は単純計算でアンカーガンの倍近いことになる。
 十二分な性能だ。弾切れだというのに、笑みが浮かんだ。
 白熱する感情の片隅で、ティアナの理性は冷静に計算を続けていた。

「テ、ティア……ッ!」
「騒ぐな。動くな」

 右手の火力がなくなったことにスバルが焦るが、当人は普段より幾分冷たい言葉を端的に返すだけだった。
 初めて撃つ銃を両方一気に撃ち尽くすようなバカはやらない。
 ここぞとばかりに迫り来る蟲の群れへ左の銃火で牽制しながら、デバイスの収まっていたケースを蹴り上げる。
 ケースと共に、その中に納まっていた予備のカートリッジが外れて宙を舞った。
 左のカートリッジも切れる。沈黙した火力の隙を突いて、壁にへばりついていた一匹が意外な瞬発力で飛び掛かった。見えている。だが魔力弾は撃てない。
 銃身で思いっきり殴り飛ばした。
 肉の潰れる気持ち悪い感触と音に、鈍器として使用されたクロスミラージュの抗議の声が聞こえた気がする。もちろん無視した。
 めり込んだ銃身を素早くパージして、その空のカートリッジバレルを壁に向かって蹴りつけ、杭のように蟲の体へ突き刺した。ついでに左のバレルも外す。
 グリップ部分が本体であるクロスミラージュ。落下してきたカートリッジを、ちょうど接合部分に重なるようにして叩き付ける。

《Reload》

 ガチッという金属音と共に、小気味のよい電子音声が響いた。
 刹那の間に繰り広げられた攻防と交差がここに終結する。
 力を取り戻したデバイスを再び眼前に突きつけた時、壁に突き刺したまま消滅を始める蟲以外に敵の姿は煙のように消え失せていた。

「……消えた?」

 突然の敵の襲来にさえ動揺を見せなかったティアナが、その敵の突然の退却には訝しげな表情を見せる。
 まだ何匹かの蟲が残っていたハズだ。
 闘争と殺戮を糧に生きる<悪魔>が自ら立ち去るなど初めての経験だった。
 奴らは自らの意思で<こちらの世界>へ現れ、滅ぶまで活動し続ける。下級悪魔に引き際を見極める理性など存在しない。

「裏がありそうね……」

 ティアナは第三者の意思の介入を漠然と感じていた。
 沈黙を取り戻した車両の中、全ての光景を見守っていたスバルが恐る恐るティアナに近づく。

「ティア……倒したの?」
「出て来たのはね。
 アレは寄生するタイプみたいだから、多分車両の見えない部分に潜んでコントロールを奪ってるんだわ」
「うへぇ、ゴキブリみたい」

 気持ち悪そうに顔を顰めるスバルの感想は、本人の意思とは違い随分と呑気な印象を与えた。
 一匹見つければ陰に三十匹。言い得て妙だが<悪魔>に対する表現とは思えない。
 ティアナはこんな時でも普段の調子を忘れないスバルを見て、苦笑を浮かべた。

「でも、すごいねティア。あれだけの数を相手に……いつもより動きもずっと鋭くてさ」
「さっきも見たとおり、アレは何かに寄生して真価を発揮するタイプでしょ。動きも遅いし、必要以上に恐れなければ敵じゃないわ」

 暗に、先ほどの戦闘で竦んでいたスバル自身を叱責するようにティアナは断言した。
 どんなに弱い<悪魔>であっても、その闇の存在感は人の心に根付く恐怖を刺激する。
 それを打ち破る感情や意思で引き金を引いた時こそ、人は<悪魔>を打倒することが出来るのだ。
 それは今のスバルにも出来るはずのことだった。

「―――ところで、当面の問題はどうやって車両を止めるか、よね」

 思い出したようにクロスミラージュを真新しい革製ガンホルダーに納め、車両のコントロールパネルを一瞥しながら呟いた。
 リニアレールを加速させている原因は分かった。
 しかし、その障害をどうやって排除するかがまだ分からない。

「あの蟲を全部倒せば……」
「どうやって? 床下や配電盤の隙間に殺虫剤でも撒く?」

 的を得ていないようで実は得ているスバルの意見に、あえて皮肉交じりに返す。
 対悪魔用に絶大な威力と効果範囲を持つアイテムをティアナだけは知っていたが、今手元に無い以上考慮すべき手段ではない。

「……動力のある先端車両をぶっ壊せば」
「ティア、なんか考え方が過激になってない?」

 危険な笑みを浮かべるティアの意見を、今度は逆にスバルが却下した。『冗談よ』と言ってるが、どこまで本気か分からなかった。
 スバルの持つ魔法<ディバインバスター>なら可能な方法かもしれないが、内部にいるティアナ達の無事は保証できない。
 何より、このリニアレールとて莫大な資金で運転されている設備なのだ。
 管理局所属の部隊には破壊を最小限に留める義務があった。

「ここからの操作は受け付けない……でも、この車両を動かす力まで蟲が作り出してるわけじゃないはずよ。壊す以外に動力機関を停止させることが出来れば」
「でも、操作は受け付けないんでしょ?」
「何でもいいわ、エンジンに繋がってるコードを全部引っこ抜いてでも……」
「―――わたしが、やるです」

 打開策はスバルとティアナ以外の口から打ち出された。

「リイン曹長!? 気が付きましたか……」
「ごめんなさいです。コントロールを取り戻そうとした不意を突かれてしまいました」

 スバルの腕の中でグッタリとしていたリインが眼を覚まし、フラフラと二人の目線の位置まで飛んでみせる。
 外傷は無いようだが、小さな体が頼りなく浮いているのを見ると、どうしても不安を感じざる得ない。

「大丈夫ですか?」
「少し頭が痛い程度です。それよりも、任務を続けましょう。動力炉を止めればいいですね?」

 すぐに自らのやるべきことを把握しようとするのは、さすがベテランの管理局員であった。

「はい。でも、コントロールが……」
「問題ないです。コンソールを介さずに、コードから直接停止命令を出すことも出来るですよ。わたしはデバイスですから」

 リインのその言葉に、二人は早速作業に取り掛かった。
 操作機器の板を剥がし、中のコードからリインが指定する物を選んで切断する。

「ここから管制CPUの代わりに直接停止命令を送るです」
「蟲の妨害は?」
「理屈はわかりませんが、ハッキングなどで乗っ取ってる状態ではないですからね。直接襲ってくることだけを警戒してください」

 リインを中心に展開される小型の魔方陣が切断されたコードを何本も取り込み始めた。
 スバルとティアナが周囲を警戒するが、今のところ敵が現れる気配は無い。
 元々コントロールを取り戻せなかったのも、物理的に敵の奇襲を受けたからであり、電子戦においては文字通りリインに敵はいなかった。

「くっくっくっ、今度はリインのターンですよ! 覚悟するです、このMU☆SI☆YA☆RO☆U!」

 突然気色の悪い蟲に襲われた屈辱を晴らすが如く、愛らしい顔に悪魔の笑みを浮かべたリインが死を宣告する。
 同時に発せられた停止命令はコードを伝って、何の障害も無く動力炉に届いた。
 低い振動音が先端車両の内部に響き渡り、リニアレールの加速は―――止まらない。
 動力は一つではないのだ。

「ここの動力炉は止めました。でも、反対車両にもう一個残ってるです。それも止めないといけません」
「急ごう、ティア!」

 レリックのケースを抱えなおし、戦意も新たにするスバルに対してティアナはデバイスを抜きながら頷き返す。

「多分間違いなく敵襲があるわ。先端車両まで一気に抜けるわよ」
「分かった!」
「露払いはあたしがするわ。スバルはレリックとリイン曹長の護衛よ」
「今度は足手まといにならないですよっ」

 スバルとリインの十分な気合いを感じ取り、状況を打開する希望を見出したティアナにも余裕が戻り始めた。
 しかし、いざ行動を開始しようとした時、走行とは違う大きな振動が車両全体を揺るがした。
 壁越しに何かの破壊音がわずかに聞こえる。
 三人は思わず天井を見上げた。

「……今のは!?」
「車両の外で、何かあったみたいね」
「じゃあ、エリオとキャロが……!」

 皆まで聞かず、焦るスバルの言いたいことをティアナは察する。
 だが現状では二人の安否を案じる以外何も出来ない。
 とにかく、今すべきことは一刻も早くこの車両を停止させることなのだ。

「―――行くわよ!」

 足を引っ張る不安と懸念を断ち切り、ティアナは二人を伴って駆け出した。

 

 


 信じ難い光景が、エリオの目の前で広がっていた。

「そんな……完全に破壊したはずっ」

 ソレが敵であることは、もう疑いようがない。
 しかし、かろうじて戦う構えを取ってはいるが、エリオの内心は動揺でとても戦える状態ではなかった。
 エリオとキャロ、そしてフリードの前に現れた敵は―――撃破したはずの新型ガジェットだった。

「何なんだ、コイツは!?」

 フリードの熱線によって真っ二つに切断されたはずのガジェットは、おぞましい姿へと変貌して再び稼動し始めていた。
 一度潰えた骸が再び動き出したのだとしたら、確かにそれはおぞましいもの以外の何者でもない。
 復活したガジェットは、切断面を得体の知れない肉の塊で接合し、その装甲にも半ば融合するように胎動する<皮膚>を覗かせた姿へと変わっていた。
 縦に走る機体の繋ぎ目の中心には、巨大な一つ目がギョロギョロと動いている。
 機械と生物の狭間に存在するような奇怪な怪物となったガジェットは、同じく肉片で継ぎ接ぎになったアームベルトを蠢かせていた。
 それはもう兵器でも生き物でもない。

「<悪魔>……か……っ」

 混乱と恐怖に震えるエリオには、もうそれ以外に言葉のしようがなかった。
 
「エリオ君、気をつけて。あんな風になっても、AMFは生きてるみたいです」
「……分かるの?」
「はい。ベースのガジェットに何かが寄生してるみたい」

 敵に対して背後へ隠した、自分と比べて驚くほど冷静なキャロの言葉を受けて、エリオはなるほど確かに納得する。
 <寄生>―――確かに、あの有り様はその表現が最も合うような気がした。
 しかしキャロは、寄生した存在が<何か>であると。『寄生生物だ』と表現はしてくれなかった。
 無機物に寄生し、本来の存在からあれほどかけ離れた化け物へと変貌させてしまう生物―――そんなものがこの世に生息するはずがない。
 新たな理解は、得体の知れない存在を更にエリオの認識のはるか遠くへと追いやった。

「ど、どうすれば……?」

 幼い彼の常識や判断が全く及ばない状況に混乱する心はすぐに恐怖を呼んだ。
 ストラーダを構えたエリオの姿は戦いに備えた戦士のそれである。
 しかし、デバイスを握る腕に宿る小刻みな震えは全く正反対の内心を忠実に表していた。
 戦う為の訓練は積んできた―――でも、あんな化け物と戦う方法なんて知らない。
 どんな苦しい状況でも諦めない決意をしてきた―――でも、こんな恐怖を克服する術なんて知らない。
 傷つくことも覚悟してきた―――でも、得体の知れない闇の奥底へ引きずりこまれた時そこに待つものが一体何なのか想像すら出来ない。
 そして、幼い少年の心を占めるのはただ一つだけ。
 恐怖。
 グロテスクな外見に反して腐臭や異臭が鼻を突くことはない。代わりに五感以外の感覚を撫で付けるのは瘴気とも言うべき気色の悪い感触だった。
 積み上げた戦士としての年月は消し飛び、眼を逸らすことも怖くて出来ない凝視の中で眼と腕を蠢かせる<悪魔>
 そして不意に、ピタリと視線が合った。
 顔ほどもある眼球。その異様な瞳孔がしっかりと自分に合わせられるのを、錯覚ではなく確かな実感として感じる。
 総毛立つ。大脳を横殴りにするようなショックと共に激しい嘔吐感が込み上げてきた。

「ひぃぅ……っ!」

 引き攣るように呼吸が止まった。
 あの<悪魔>は、ボクを『見ている』―――!

「ぅ……うわぁあああああああああああああっ!!」

 悲鳴。紛れも無く、一切合財の外面をかなぐり捨てた魂の悲鳴。
 惨めに後退る、エリオ。そんな僅かな逃亡など欠片も意味はなく、ガジェットのアームベルトが伸びて襲い掛かった。
 槍の刺突のように鋭い直線攻撃。
 咄嗟の防御は恐怖に対する回避本能以外の何物でもなく、盾にしたストラーダごとエリオの体は後方へ弾き飛ばされた。
 車上をバウンドし、その勢いのまま走る車両の外へと転がり落ちる。
 回転する視界の中でかろうじて状況を察知し、慌ててストラーダを車両に突き刺して落下を逃れた。
 しかし、相対する敵は窮地から逃してはくれなかった。
 まだ残る機械の部分に供えられた火砲にレーザーの光が灯る。
 脳裏に死が横切った。覚悟など出来ない、ただ恐怖だけが塗り重ねられる。呆気なく熱線は解き放たれた。
 その瞬間、白い影が立ちはだかった。

「ケリュケイオン、シールド!!」

 キャロ、叫ぶその声に恐れなど無く。クロスした腕の前に発生した障壁がレーザーを受け止めた。
 幼い少女の食い縛った歯から漏れる苦悶。
 キャロは召喚師であって元来は魔導師ではない。通常魔法の行使の経験は浅い身、しかもシールドは戦闘型のスキルだ。
 弱弱しい出力のシールドはレーザーとのぶつかり合いで対消滅し、砕け散る。
 既に<竜魂召喚>で消耗した体から、更にごっそりと何かが失われていく。
 脱力感を堪え、人として戦うことを決めた少女は力の限り叫んだ。

「<ブラストフレア>!!」
『ギュアッ!!』

 本来の姿を再び失ったフリードもまた、その言葉に応える。
 やはり消耗し尽くした体で生み出す炎は弱弱しく。しかし何としても吐く、どんな相手だろうと<悪魔>には牙を剥く。
 真の力とは程遠い小さな火球が発射された。
 アームで弾くまでもなく、未だ健在するAMFによって直撃する寸前で消滅する。
 やはり一度損傷したせいか範囲を広げられず、AMFの出力も落ちていたが、火力の衰えた一撃を防ぐことは出来る。
 しかし、相棒の稼いだ時間をキャロは少しも無駄にしなかった。

「―――錬鉄召喚<アルケミック・チェーン>!!」

 広げた両手の先に展開される召喚魔方陣。そこから生え出るように出現した有刺鉄線の鎖が、何本も敵に向けて伸びる。
 激突するアームと鎖。鋼の触手が敵とキャロの間で複雑に絡み合い、互いの領域を侵食するように激しい軋みを上げた。
 鎖が自分の腕の延長であるように力み、敵の力とかろうじて拮抗するキャロ。
 無機質の鎖に動く力を与えているのはキャロ自身である。力尽きればどうなるか、結果は明らかだ。
 その光景を、エリオは這い蹲って見ていた。

「キャロ……」

 彼女は、戦っている。
 自分が守ると決めた、守れと任せられた少女は、逆に自分を守る為に戦っている。
 もう戦う力など残っていないのに揺ぎ無い意思で、まだ戦う力を残しながら怯え竦む自分の前に立ち塞がっている。
 その光景を、エリオは見ていた。
 無様に這って、震えて、竦んで―――ただ見ていた。

「ボク、は……っ」

 こぼれそうな涙を必死で押し留め、自分でも何を言うつもりなのか分からない言葉を区切る。
 そして、誰かが致命的な言葉をエリオに告げた。

『―――お前、何をやってるんだ? この腰抜け野郎』

 心の内に響いたそれは、確かに自分の声だった。

 

 


 車両の内と外で四人の戦いが繰り広げられている頃、その上空でも人間と悪魔との戦いが展開されていた。
 ハーケンフォームを取った光の鎌<バルディッシュ・アサルト>が死神の鎌を受け止める。

「この……っ!」

 戦いの声もなく、狂ったように笑いながら鎌を振るい続ける死神の姿に本能的な怖気を感じ、フェイトは閃光の如き一撃を薙ぎ払った。
 プラズマの刃が確かに死神の胴体を切り裂く。
 しかし、それはまるで霞を斬ったかのように手応えを感じない。
 ゆらゆらと揺らめくローブの下には体など存在しないのか。
 切り裂いたはずの裾さえ、実体を持たない霧のようにいつの間にか揺らめきを取り戻している。

《Axel Shooter》
「シュート!」

 周囲を取り囲む敵に向けてなのはがアクセルシューターを解き放った。
 数には数を。しかし、その魔力弾全てが正確無比にして必殺である力を秘め、桃色の流星が死神の群れに降り注いだ。
 漂うように飛び回る死神の動きは決して速いものではない。全ての魔力弾がそれぞれの標的に命中する。
 だがそれらもまた効果は得られなかった。
 ガジェットの装甲すら貫通する魔力弾を大鎌で弾き飛ばす、あるいはフェイトの時のように攻撃が体をすり抜けるだけだ。

「まいったなぁ……のんびりなんてしてられないの、にっ!」

 悪態を吐きながらも、なのはは背後から斬りかかって来た死神の攻撃を素早く回避する。
 近接戦闘には不向きななのはであっても対処できない攻撃ではない。数の多さで死角を突かれ易いが、単純だ。
 純粋な戦闘力の面でならば、なのはとフェイトが完全に凌駕している。
 しかし、その姿のままに幽鬼の如き敵はあらゆる攻撃を無効化していた。

「ひょっとして、本当に倒せないの……?」

 トンッと互いの背中が当たり、背中合わせになったなのはとフェイトは一瞬だけ視線を交わした。

「どうしたの、なのは。弱気?」
「まさか。幽霊の退治の仕方ってどんなものなのか、ちょっと興味を持っただけだよ」
「じゃあ、試してみようか」

 触れることすら困難な死神の群れ。
 自分達の命を刈り取ることを求め、汚れた殺戮への本能で残酷に笑い続ける異形の者達。
 人の正気を失わせるような異常の只中にあって、しかし二人の持つ強さは全く衰えることはなかった。

「アイツらは幽霊なんかじゃない―――」

 未だ右手に宿る疼くような痛みと一緒にバルディッシュの柄を強く握り締める。
 この手に流れる血は、生きている証。
 そう、生きている。
 ならば、抗い続けよう。この生を諦めさせようとする絶望の哄笑の中で。

「この手の痛みが訴えてる。奴らは『触れる』『感じ取れる』そして……『打倒出来る』って!」

 金色の魔導師の瞳の奥で迸るのは、人としての意思。あたかも雷光の如く。
 バルディッシュの持つプラズマの刃が稲妻のように輝き、轟いた。

「<ハーケンセイバー>!!」

 バルディッシュを振り抜くと同時に、形成された魔力刃が独立して高速で射出される。
 スパークを繰り返しながら回転し、一体の死神を完全に補足追尾して襲い掛かった。

(全ての攻撃がすり抜けるなら、何故さっきなのはの魔力弾を防御した……?)

 時間差で同じ標的に向けてフェイトも突撃する。
 高速で飛行するフェイトを捉えきれないのか、あるいは奴らに仲間意識など存在しないのか、二つの閃光が飛ぶ先に障害はなかった。

(あの鎌が実体である以上、別に実体化した箇所もあるはず。それが本体だ!)

 飛来する雷の刃を死神の鎌が受け止める。
 なのはのアクセルシューターを超える威力を秘めた魔法だったが、それすらも弾き散らして見せた。
 しかし、いなすにはやはり容易くなかったか。反動で正面に構えていた鎌が大きく逸れた。
 がら空きになる敵の懐。
 ゆらゆら揺れるローブの中に肉体が存在しないことは確認済みだ。
 ならば狙うのは、あの時アクセルシューターの軌道上にあった―――。

「その仮面だ!」

 フェイトは、勢いを乗せたバルディッシュの先端を仮面に狙い定めて突撃した。
 自らが弾丸となった一撃は仮面を粉々に砕き、フェイトの存在そのものが死神を貫くように突き抜ける。
 おぞましい悲鳴が響き渡った。
 まさしく断末魔のそれを張り上げ、顔面を失った死神の体は四散する。
 鎌は空中でガラス細工のように砕け散り、バラバラに千切れ飛んだローブは破片に至るまで空中で消滅した。

「―――やれる! なのは、弱点は仮面だ!」
「了解!」

 撃破の余韻もなく、すでに次の標的に向けて飛ぶフェイトの声になのはもまた応える。
 闇に押し潰されるだけの人間が自ら光を掴む瞬間に居合わせた悪魔達は、恐れ戦き、笑い声は悲鳴に変わった。
 彼らは<人間だけが持つ力>を知らない。
 二千年以上前からずっと、彼らは気付かない。

「シュートッ!」

 再びなのはのアクセルシューターが火を吹いた。もちろん、同じパターンを繰り返すほど愚かではない。
 誘導魔力弾は正確に『死神の持つ鎌』を直撃する。
 攻撃を防御させるのではなく、自ら彼らの持つ攻防一体の武器を狙ったのだ。
 掬い上げるような軌道、叩き下ろすような軌道、あらゆる方向から飛来した魔力弾が死神の鎌を叩いて逸らす。

「ダブル!!」

 間髪入れずに用意されていた第二射が発射された。
 意図的に作り出された防御の隙間目掛けて桃色の光弾が飛んでいく。
 最初に魔力弾を当てた標的全てに誘導マーカーでも取り付けられていたかのように、魔力弾は一発残らず直撃し、仮面を破壊した。
 奇妙な合唱団のように幾つもの断末魔が空に響き渡り、そして合唱に参加した者から消えていく。その数は10近い。
 死神を薙ぎ払う桃色の閃光。霧散していく黒い残滓の中心で、武神の如き威容で白い魔術師は佇んでいた。
 その背後から迫る、鎌。
 死角から投擲された鎌がフェイトのハーケンセイバーのように高速回転し、追尾機能まで持った不規則な軌道でなのはに襲い掛かった。
 少女の柔い体を貫き、血に濡らさんと迫る死神の大鎌。
 残酷な一撃は―――なのはの背後に発生した障壁によって完全に遮られた。

「……ダメじゃない」

 シールドと拮抗して甲高い音を立てる刃の火花を眺めながら、ゆっくりとなのはが振り返る。
 そしておもむろに手を伸ばすと、完全に力を相殺されて単なる鉄の塊と化した鎌の刃を無造作に掴み取った。

「唯一の武器を、考えもなしに手放したりなんかしちゃったら……」

 その手の中で魔力を使い尽くして実体化すら出来なくなった鎌がパリンッと砕けて割れた。
 視線の先、得物を失って呆然としている(ように見える)死神に向けて、天使の笑顔を浮かべるなのは。
 右手のレイジングハートに宿った魔力が凶暴な瞬きを繰り返し。

「この一撃、どうやって避けるのカナ?」

 そして、聖なる砲撃が解き放たれた。
 迫り来る圧倒的な破壊の光に<悪魔>は哭き叫ぶ。
 白い天使に微笑みかけられた死神の末路など、語るまでもない。
 闇の蠢く空は、今や徐々に晴らされようとしていた。

 

 


「リニアレール、阻止限界点到達まで10分を切りました!」

 混乱を切り抜けた司令室から、緊迫感まで抜けたわけではなかった。
 例え車両の動力を止めても、実際に走行停止するまでには時間と距離が要る。
 その最終限界点となる地点も刻一刻と迫っていた。

「終点には応援の空戦部隊が待機終了しました」
「ごくろうさん。来てもらって悪いけど、無駄になることを祈ろうか」
「……間に合わなかった場合、どうなさるおつもりですか?」

 他の局員に聞こえないようはやてに耳打ちするグリフィスの心境は、実質死刑の内容を聞く受刑者に等しかった。
 最悪の事態を回避する為の最終手段など、やはり最悪のものになるに決まっている。

「決断するだけや」

 具体的な返答を避けるはやての瞳に、しかし躊躇いや迷いというものは一切映っていなかった。

「あなたが信じているのか諦めているのか、分からなくなりますよ」
「もちろん、信じとるよ。せやから、こうやって首長くして朗報の一つもで入ってこんか待ってるんや」

 司令室で機能しているモニターはシャマルのコントロールする観測魔法の二つしかない。
 依然現場の状況はジャミングが掛かったかのように不鮮明だった。
 はやては、その観測不良の原因解明を後回しにして、要因となる情報を可能な限り収集している。
 同じ過ちは繰り返せない。
 彼女は、既に『次』を視野に入れていた。

(<敵>が何者か? 管理局でも噂になっとる謎の襲撃事件。形も、時間も、場所さえ定まらない無差別な悪意……)

 殺戮そのものが目的と言わんばかりに襲い続ける。
 唯一の共通点である<人間>を標的とした行為。

(いつまでも闇に隠れて一方的に嬲れると思うんやない。『次』はこうはいかんで)

 物的な痕跡を残さない事件ゆえに、局内でもおざなりに扱われてきた一連の事件を見直す必要がある。
 例えその所業が<悪魔>の仕業と揶揄される程に異常で現実味の無いものであっても、今目の前で起こっている状況とこの無力感を忘れぬ限り―――何処までも追い詰める。
 この世の常識を超えた存在を相手に、はやてはただ怒れる瞳を向けていた。

「……私らを敵に回したのが間違いや。人間の力を舐めるなや、<悪魔>ども」

 闇への恐怖を超える汚れない怒りを持つ人間がいる―――。
 上空を移すモニターでは、反撃ののろしが上がっていた。

 

 


 有刺鉄線の触手とアームベルトが酷く耳障りな音を立てて軋み合う。
 巨大なガジェットと幼い少女の間では奇妙な拮抗が成り立っていた。

「フ、フリードッ!」

 キャロの命令に従ってフリードがブラストフレアを発射する。
 もはや十分な火力を集束する余力も無い。弱弱しい火球がAMFにかき消される。
 かまわずにフリードは血を吐くに等しい思いで炎を吐き続けた。
 たとえそれが全て敵に届く前に消滅する運命にあっても、水滴が巨壁を穿つが如く何度でも放ち続ける。
 その竜が幼い体に宿す意志の強さは、先ほども見たばかりだ。
 未だ地面に這ったまま、震え縮こまってエリオは一人と一匹の戦いをただ見ていた。

(だ……駄目だ。立てない……っ)

 足に力が入らなかった。
 傷や疲労などではない。ただ心が折れている。
 ―――あんな化け物となんて戦えない。

(怖いんだ、ボクは……!)

 感受性の強い子供であるエリオには、ガジェットに寄生した存在の生々しい瘴気を敏感に感じ取ることが出来た。
 気高い決意を失うのと引き換えに、死を超えた純粋な恐怖を思い出す。
 自分が何故こんな所で戦うことを選んだのか、それすらも思い出せなくなっていた。
 力は残っている。頭も回っている。なのに心だけが動いてくれない状況で、ただ見ることだけに集中していたエリオは異変に気付いた。

「あれ、ケーブルが……!?」

 キャロの魔法と拮抗するアームベルトとは別に、ガジェットの細長いアームケーブルがいつの間にか足元に突き刺さっていた。
 車上の屋根を貫通して内部まで侵入している。
 その行動から導き出される推測が閃きと共に脳裏を走り抜けた。

「―――キャロッ! 足元だ、下から来る!」
「え?」

 警告は間に合った。しかし、すでに敵を押さえ込むので手一杯だったキャロには何の意味も成さなかった。
 意識を足元に向けた瞬間、屋根を突き破って何本ものアームケーブルが突出してくる。
 車両内部を通って迂回し、奇襲を仕掛けたのだった。

「あぅ……っ!」
『ギュァッ!?』

 疲労したキャロ達に成す術は無かった。
 キャロは四肢を縛られ、細い首を締め上げられて宙へと持ち上げられる。抵抗するフリードには猿ぐつわのようにアームが絡みついていた。
 魔方陣が消滅し、力の拮抗は容易く失われた。
 そして、全く脅威ではないと判断されたエリオは、ただ一人無力なまま放置される。

「あ……ぁあ……」

 少女の窮地を目の前にして、やはり体は動かない。
 動け。助けに行け。何やってるんだ腰抜け。この役立たず。いくじなし―――!
 どれだけ自分自身を罵倒しても、恐怖に凍りついた心を奮い立たせることが出来なかった。
 意思に反して動かない全身の筋肉が引き攣る。
 何かが自分の足を引っ張っている。その何かを、忘れてしまった『この道を選んだ理由』さえ思い出せば消し去れるのに。
 どうしても思い出せない。
 ただ怖い。
 敵が怖い。自分が傷付くのが怖い。そして、目の前で誰かが傷付くのも怖い。

「エ……リオ……くん」

 小さな体を無残に締め上げる苦痛の中で、キャロが背後のエリオを見た。
 苦悶の表情に震える声が痛々しい。
 しかし何よりも、助けを求められることが辛かった。
 今の自分に応えることは出来ない。裏切ることしか出来ない。
 エリオは全てを拒絶するように頭を抱えて蹲り―――。

「逃げて!!」

 キャロは決然と言い放った。

「え……?」

 見上げた時、もうキャロは自分を見てはいなかった。
 縋ることもせず、乞うこともせず、彼女はすでに再び敵を見据えていたのだ。

「キャロ……」

 エリオはその姿を呆然と見ていた。
 混沌としていた感情は今や跡形も無く消え去っていた。だがこれは絶望ではない。ただ強いショックを受けた。
 体の中から何かが溢れてくる。
 恐怖も後悔も吹き飛んで、頭の中は真っ白になった。

「ボクは」

 必死に探していた答えが、別に何ということはなく目の前に転がっていた。
 何故自分は、戦うことを選んだのか。何の為に戦おうとしていたのか。
 出撃の前は疑問にも思わなくて、この<悪魔>を前にした時に見失って、そして今前以上の強い高ぶりと共に蘇ってくる。
 ―――他人の痛みを気遣う人。
 そんな人の強さと優しさに救われて、自分もまた誰かの痛みを止めたいと思って選んだのだ。

「ボクは!」

 忘れ去った自分に、その答えを見せてくれたのがキャロだった。
 自分が勝手に守ろうと思っていた少女は、この恐怖に震える臆病者よりずっと戦う意味を知っていた。
 こだわっていた―――!

「―――うわぁああああああああああああああっ!!」

 その一声で、少年は戦士に戻った。
 立ち上がり様、車上に突き立つ鈍器と化していたストラーダを抜き放つ。それだけで鉄塊は聖なる槍へと変貌した。
 力の入らなかった手足には、もう圧倒的な力が宿っている。
 高々と掲げられた、決意の証。
 それを振るえば、斬撃の閃光がキャロとフリードの戒めを尽く切断した。

「お前なんか怖くない! いっくぞぉぉぉーーーッ!」
《Sonic Move》

 停止していた時間を取り戻すように激発するエリオの心に、ストラーダの電子音声が応えた。
 超高速移動魔法、発動。
 瞬時に音速の壁を突き破る。駆け出したエリオは時間を置き去りにして疾走した。
 蘇った敵意を察知して伸ばされるアームベルト。遅い。遅すぎる。足を狙った攻撃を容易く跳び越えた。
 真っ直ぐに伸びた腕を足場にしてエリオは駆け上がった。本体の頭上を蹴りつけ、更に飛翔した。
 魔法が解除された時、エリオはすでに敵の遥か後方へと着地していた。
 遅れて解放されたキャロとフリードが尻餅をつく。

「ストラーダッ!」

 十分に離された距離。しかし、これは敵の攻撃を警戒してのものではない。

「カートリッジ、ロード!!」

 金属質なコッキング音。次の瞬間爆発的な魔力がデバイスを伝ってエリオ自身にも漲る。
 槍の穂から魔力をロケットのように噴射して加速した。
 スピーアアングリフ。短時間の飛行すら可能な推進力で行う突撃。離した距離は、銃弾が加速する銃身の如く。
 走行中の車両が止まったように見える加速の中、恐れを失くした瞳が標的を静かに補足した。
 ただ単純に突くだけではない。狙いは正確無比に、最初の戦闘でエリオ自身がつけた背部の傷。
 寄生生物の肉で補修されながらも、その一点だけ装甲の無い部分へ、AMFを突破してストラーダの先端が狙い違わず突き刺さった。
 鉄ではなく肉を切り裂く感触。
 出血も悲鳴もないが、確かな手応えがエリオの手を、そして激突の衝撃が敵の体を震わせる。
 しかし、足りない。
 AMFによって威力を半減され、硬い外殻の代わりに衝撃を吸収する柔らかい外皮を得たガジェットは致命傷を負わなかった。攻撃の届きが浅い。

「がぁあああああっ!!」

 だが、吼える。
 荒れ狂う心は止まることを命じなかった。

「カートリッジ、ロードッ!」

 再度コッキング音。
 自らの体とデバイスに掛かる負担すら忘却した、ただ一つの強大な意志がエリオを突き動かした。
 刺さったままの穂先から魔力が爆噴し、発生した推進力が衝撃と刃を更に敵の体内へ送り込む。

「ロードォ!!」

 連続して三度目のカートリッジロード。もはや魔力増幅というより、見た目通りの銃撃に等しい衝撃と反動。
 パイルバンカーのように押し出されたストラーダがもう一度敵の体を激震させた。
 今度こそ致命傷だった。血が噴き出し、エリオを引き剥がそうとしていた腕は痛みを訴えるように暴れ回る。
 とどめを刺すべく、エリオは最後の撃鉄を起こした。

「これで、終わりだぁああああーーー!!」
《Stahlmesser》

 渾身の力で押し出したストラーダが体内の機械や生体部分を切り裂き、同時に先端から魔力刃が伸びて、完全に敵の体を貫通した。
 命というものがあるのならば、機械と生物の融合した歪な存在のそれを確実に奪った一撃。
 一瞬の停滞の後、自分に与えられた死を思い出したかのようにガジェットは爆発四散した。

「エリオ君……!」

 爆発の煙に飲み込まれて消えたエリオの姿を探して、キャロは叫んだ。
 心配するまでもなく、跡形も無く吹き飛んだ敵の残骸と黒煙を横切り、煤だらけの姿になったエリオがフラフラと歩み出てくる。

「エリオ君、大丈夫!?」
「……やあ、ゴメンね。助けるの遅くなっちゃって」

 無理な魔力行使と疲労でボロボロのはずなのに、妙に清々しい笑みを浮かべるエリオの言葉に首を振る。
 キャロの心に迫るものがあった。かつて、初めてフェイトと出会い、そして彼女が自分の為に怒るのを見た時のような。

「ありがとう……」
「お礼を言うのは、こっちだよ……ボクにはまだ意地があることを、思い出させてくれたんだ……」

 満足そうに呟くと、エリオは静かに目を閉じた。心身共に戦い抜いたゆえの結果だった。
 幼い少年は、誰もが怯える闇を踏破する道を切り開いたのだ。
 キャロは横たえられた少年の体を愛しげに抱き締めた。傍らのフリードもようやく羽を休める。
 この場所での戦いは終わったのだ。

 ただ一つ、無限と錯覚するような<悪魔>の新たな出現を除いて―――。

 ガジェットの爆心地から、煙に紛れて這い出てくる一匹の蟲の姿。
 爆発から逃れたものか、列車に寄生していたものか。疲弊したキャロ達の新たな敵となろうと、数を増やしながら迫ってくる。
 その様を、キャロは見ていた。

「……バカにするつもりなのかな?」

 酷く冷めた瞳で。

「エリオ君やフリードの頑張りを―――」

 二人の大切な友達がやり遂げた戦いを、無粋に続けようとする者達。
 憎悪や恐怖などではなく、侮蔑するような暗い怒りを宿した瞳で蟲を一瞥した瞬間、それらはキャロの意思のままに消え去った。
 突然地面に広がった染みのような影から、黒い牙を備えた巨大な口が生えて一瞬で蟲を飲み込んだのだ。
 車両全体をモニターするシャマルの観測魔法でも捉えられない瞬間的な出来事だった。

「……消えて。もう、あなた達<悪魔>に穢されるものはない」

 蟲も、それを喰らった影も、今度こそ全てが消え去った場所で、呟いたキャロの言葉は一体『どちら』に対するものだったのか。
 自分の影の中で、血のような赤い瞳を持った獣が蠢くのを彼女は確かに感じた。

 

 


 また一匹、そのあまりに緩慢な動きで必中の腕を持つ射撃者の前へ躍り出た愚かな虫けらを閃光が撃ち抜いた。
 平均的な魔力量を高圧縮することで反動による弾速と貫通力を高めたティアナの魔力弾は、その特性上ダメージ範囲が酷く小さい。
 体の中心に穴を穿たれながらも原型を留めてもがき続ける蟲を無慈悲に踏み潰し、ティアナは進んでいく。
 その後に荷持ちよろしくレリックのケースを抱えながらついていくスバルは、淡々としたパートナーの動きに全く未知の感情を抱いていた。
 ティアは今、何を考えているんだろう―――?
 この予測不能の異常事態に対して、見る者に怖気を走らせる奇怪な蟲の群れを前にして、彼女はあまりにも普段通りで『在り過ぎる』
 一切躊躇の無い射撃の先、蠢く謎の存在に対して何を感じているのか?
 スバルには全く理解が及ばなかった。

「……ティア、さっきからその赤い変なのに触ってるけど、大丈夫なの?」

 蟲を倒した後で必ず出現する赤い石。
 丁度魔力スフィアのようにぼんやりとした輪郭と、重量がないかのように浮遊するソレは物質ではありえない。
 しかし、それ以外の説明がつかない全く未知の物でもあった。
 管理局において<レッドオーブ>と仮称されるその謎の石を、ティアナは何の躊躇いも無く触れる。手で、あるいは進路上を横切って。
 そしてまるで吸い込まれるように、赤い石は彼女の体の中へと消えていくのだ。

「なんだか血みたいだし、蟲の体から出てきたんでしょ? 絶対健康に良くないよ」
「問題ないわよ」

 何処か的外れなスバルの警告にも、振り返ることすらせず返す。
 その言葉が単なる楽観なのか、それとも実はティアナ自身その赤い石に関して何らかの情報を持っているのか。
 どちらとも取れない平坦な声色だった。
 その冷静さがスバルには本当に少しだけ、怖かった。
 親しい人間の全く未知の部分を覗き見た時に感じる感情だった。

「―――着いたわよ」

 そしてやがて、三人は先端車両に通じるドアの前に辿り着く。
 ティアナが先頭に立ち、スバルがリインを守るように後方へ控えた。
 これまでの経験、流れから推測し、三人はほとんど確信のように感じていた。
 このドアの先で<敵>が待っている―――。

「……用意はいい?」
「うん、レリックと曹長の護衛は任せて」
「わたしのことは気にしないで下さいです」

 ティアナは二人の顔をそれぞれ一瞥し、クロスミラージュを握ったままその銃口で開閉装置のスイッチへ手を伸ばした。
 ドアの向こうで息を潜める敵の姿を幻視し、一呼吸置いて―――すぐさま体を横に倒した。
 コンマの差で、巨大な拳がドアを突き破り、ティアナの頭があった場所を薙ぎ払う。

「ティア!?」
「下がって!」

 傍で見ていたスバルよりもティアナの方が動揺は少なかった。
 体を捻った無理な姿勢で、ドア越しにすぐさま撃ちまくる。着弾を示すように、突き出た腕が痙攣のように何度も震えた。
 世にも恐ろしい叫び声が響き渡る。
 それは痛みに対する苦悶のようでもあり、怒りのようでもあった。

「どうやら、害虫駆除ほど簡単にはいかないようね」

 獣のような雄叫びに、蟲以外の<悪魔>の存在を確かめたティアナがドアから距離を取りながら不敵に笑う。
 その笑みは普段の真面目な少女が見せる悪戯ッ気を含んだ皮肉交じりのそれではない。薄暗い感情が浮かび上がらせた冷笑だ。
 その裏の顔を、背後のスバルが見れなかったことは幸運だった。
 更なる幸運は、スバルが何か行動するよりも早く目の前のドアがブチ破られたことだった。
 貫いた腕でドアの淵を掴み、紙細工のように引き剥がすと、その腕の主の全貌が明らかになった。
 2メートルを超え、天井に頭が着きそうな全長を誇る姿は山羊と人間を掛け合わせた禍々しいもの。
 然る場所では<ゴートリング>と呼称される、以前ダンテが対峙した悪魔の亜種だった。

『ニンゲンガ! 傷、傷ツケタ! ニンゲンガ我ラ二傷ツケタ!!』

 その化け物は人語を解して自らの憎悪を露わにした。
 スバルとリイン、その超常的な存在の登場に加え、発せられた言葉を受けて驚愕の極みに達している。
 ただ一人、ティアナだけが笑っていた。

「喋れるのね……でもあんまり頭は良くないみたい。筋肉以外にもちゃんと詰まってるの?」

 嘲るようにして肩を竦めて見せる。
 完全な嘲笑。人智を超えた闇の存在に対して、ティアナが抱いているのは不快感とそこから来る敵意だけだった。
 人外は怒り狂って咆哮する。車両全体が震えるような奈落から、響く怒号。

『ニンゲンガ! ニンゲンガァァッ!!』
「うっさいのよ、人間で悪い? この―――<悪魔>が!」

 ティアナが応える感情もまた、怒り。
 互いの存在をこの世から抹殺する為に、両者は行動を開始した。
 自身のウエストほどもある豪腕が唸りを上げて迫る。ハンマーのような左ストレートをティアナは前転する形で進みながら回避した。
 素早いローリングで巨体の股下を潜り抜ける。
 敵の背後を取ると、クロスミラージュを蹄を持った足に向けて雨のように撃ち下ろした。
 魔力弾が腿の肉を食い千切り、世にもおぞましい山羊の悲鳴が響き渡る。
 巨体が崩れ落ちた。それでも苦痛を憎悪に変える闇の権化は体を捻って背後を振り返る。
 迎えたのは旋風のような回し蹴り。
 格闘技の基礎はなく、実戦の中で『必要だから覚えた動作』といった感じの荒削りな一撃は、山羊の鼻っ柱を叩き潰して体を大きく仰け反らせた。

「あんた達<悪魔>を狩る人間もいるのよ」

 背中から転倒したゴートリングを見下ろし、額に照準を合わせたティアナ。
 両腕には放電にも似た現象を起こすほどの魔力がチャージされていた。
 攻撃の威力を半減する巨体であっても、このチャージショットを受ければ肉が弾け、大きく抉られる。
 勝利への喜悦も余裕も持たず、ティアナはただ怒りを持って引き金を引こうとした。

『―――ッギァアアアッ!』

 断末魔にも似た咆哮。しかし、それは<悪魔>の反撃を意味していた。
 足と腰の筋肉、二つを合わせたバネのような瞬発力に、ゴートリングの蹄が跳ね上がった。

「く……っ!?」

 変則的なサマーソルトキック。まともに受ければ肋骨を砕いて心臓にまで到達する一撃がティアナに向かって伸びる。
 咄嗟にクロスしてガードに回した両腕がメキメキと耳障りな軋みを上げた。

(バリアジャケットの衝撃緩和が気休めにしかなってない……っ!)

 ティアナは悪態で激痛を誤魔化した。
 体が真上に浮く。浮遊感など感じない、ただ衝撃だけが走り抜ける。
 両腕をそのまま肩越しに背後へ向け、本来は目の前の敵にぶち込むはずだった弾丸を背後に迫る天井へ向けて解き放った。
 強烈な弾雨が屋根をズタズタに引き裂き、崩落するそれを突き破ってティアナは車両の外まで吹き飛ばされた。
 両腕には激痛が走り、全身に行き渡った衝撃が内臓を撹拌する。
 空中に放り上げられながらも、天井とのプレスにならなかっただけマシだった。
 ティアナの体はそのまま車両から投げ出される軌道を取っている。

「ティアァァーッ!!」

 スバルの悲痛な声は、しかしもうティアナの耳には届かなかった。
 もうこの世界には、彼女と彼女の敵の二つしか存在しない。
 脳内から吹き出すアドレナリンが痛みと感覚を麻痺させる。車上へと跳び出す敵の姿が改めて自分の戦意を滾らせてくれる。
 久しくなかった緊張感。
 久しく奮わせていなかったこの気持ち。

「<悪魔>―――お前らを、この世から一匹残らず消してやる!」

 兄の命を奪い、穢した悪しき存在達に対する殺意が、ティアナの中で完全に蘇った。

《Air Hike》

 クロスミラージュを使うことで完全な形となった魔法が発動する。
 足元に発生した魔方陣の足場を蹴りつけ、軌道を変更して車上へとティアナは着地した。
 カートリッジ、ロード。魔力が漲る感覚を覚えながら、眼前を睨み据える。

『ガァアアアアアッ!!』

 強靭な脚力を駆使して、ゴートリングが素早く襲い掛かってきた。
 『右腕だけ』に魔力を集中させる。しかし、当然のようにチャージは迎撃に間に合わない。
 鋭い爪を使った覆い被さるような攻撃。後方に跳んでティアナはそれから逃れる。
 空振りに終わった攻撃の後、悔しげに唸りながら敵は再び脚に力を込め、視界を上げた時自分に向けられた銃口を捉えて素早く防御の姿勢を取った。
 筋肉の鎧を貫く魔力弾の貫通力は凄まじいが、一発一発は致命傷に成り得ない。そう判断していた。
 しかし―――。

《Snatch》

 クロスミラージュが発したものは銃声ではなく電子音声だった。
 魔力弾の代わりに、銃身に並んだ上下の銃口のうち下の方から魔力糸が射出された。
 アンカーショットをワイヤーから魔力の糸に置き換えたそれは、身構えていた敵を嘲笑うように痛みもダメージも無く横腹へ命中する。

「Catch this!」

 ティアナは会心の笑みを浮かべた。さあ、オーラスだ。
 次の瞬間、魔力糸が巻き戻るように縮み始め、不意を突かれたゴートリングの巨体が一気に引き寄せられた。
 アンカーショットは本来、移動補助用に搭載された機能だが、攻撃的なスキルを重視するティアナが単純な使い方をするはずもない。
 眼前まで一瞬で引き寄せられた敵。無理な力が働き、バランスまで崩した無防備な下腹にティアナは右腕を突きつける。
 その瞬間まで、ただ延々と魔力を練り上げ、集束させていた右腕とクロスミラージュは、オレンジ色から赤色へとより濃密に変化した魔力光を宿していた。
 ―――魔導師が生来持つ魔力の色。それが変化することの意味を、今はまだティアナ自身も気付かない。
 通常のチャージショットより更に一歩危険な領域へ踏み込んだ、暴走染みた魔力の集束。
 回避のしようがないゼロ距離で、ティアナはついにそれを解き放った。
 炎のような殺意と共に。

「―――死ね!」

 爆裂。
 雷鳴のような音と激しい銃火が幾度も瞬き、その度に小柄なティアナの体に覆い被さるような巨躯が痙攣した。
 もはや砲弾とも表現出来る重い銃撃がゴートリングの体内に潜り込み、ついに背中を突き破って空中へと消えていく。
 全ての弾丸を撃ち終えた時、敵の体からあらゆる力が抜け落ちていった。
 倒れこんでくる巨体から慌てて抜け出し、距離を取る。
 幾つもの穴を穿った体は完全に倒れ伏した。
 警戒は解かず、クロスミラージュを向けたまま見下ろすティアナの視界で敵の体が砂のように崩れて朽ちていった。
 跡形も残さない、これが<悪魔>の死だ。

「……形も、時間も、場所も関係なく現れては消える」

 かつては幾度も見ていた。
 魔導師としての生き方を始めて、久しく忘れていた。
 この光景が、ティアナの中に眠っていた『執務官になる』という夢とは別の、もう一つの誓いを鮮明に思い起こさせている。
 やがて<悪魔>の死骸が完全に消え去った時、残るものは奴らの血の結晶だけ―――。
 より強力な<悪魔>ほど、死す時に多くの<血>を残す。
 それが人の身に及ぼす影響を、ティアナはぼんやりと理解していた。
 高位の<悪魔>を倒したからなのか、あるいは第三者の意思が介入したのか、車両を覆っていた瘴気が霧散していくのを感じる。
 <悪魔>の結界も解除されるはずだ。蟲も消えたのなら、車両のコントロールとて簡単に取り戻せるだろう。
 しかし、戦闘の終結した空気の中で、ティアナの瞳に安堵は浮かばない。

「無限に現れるというなら、私は無限に倒すだけよ」

 悲壮感すらなく、ただ固い決意を宿した独白が流れた。
 その為に、力が要る。
 ティアナは無造作に手を伸ばし、目の前に漂う<レッドオーブ>に触れた。
 途端、それらは一つ残らずティアナの肉体に吸収される。
 自分の体に悪魔の血肉が入り込むことへ嫌悪感も見せず、ただ淡々と受け入れる。それがもたらす結果と共に。

 

 ―――しかし果たして、その時ティアナは本当に冷静だったか?

 

 常に冷静さを忘れず、思考し、状況に対応する。
 それがティアナを知る、スバルを代表とした多くの人間の評価だ。
 だがこの時。<悪魔>と対峙した時。自ら死地に飛び込み、打ち滅ぼすことに全てを注いでいたティアナのあまりに強い意志は―――果たして冷静と呼べるものだったか?
 ティアナ自身にも、それは分からない。
 ただ一つ確かなことは、原初の誓い。
 兄の亡骸を前に、夢という名の未来と仇という名の過去へ向けて誓ったこと。

「……兄さんの、安らかな眠りの為に」

 悪魔、死すべし―――。

 

 


 to be continued…>

 

 


<ティアナの現時点でのステータス>

 アクションスタイル:ガンスリンガーLv1→ LEVEL UP! →Lv2
 NEW WEAPON! <クロスミラージュ>

 習得スキル

<トゥーサムタイム>…二方向へ同時に射撃を行う。真後ろにも対応可能。
<ラピッドショット>…クロスミラージュの性能によって、連射性と威力が若干向上した。
<エアハイク>…デバイスの補助により完成形となった。瞬間的な足場を作り、シングルアクションで空中での機動を可能にする。
<チャージショット(Lv1)>…魔力をデバイスと腕に溜めることで、強力な魔力弾を放つ。連続して数発撃つことも可能。
<チャージショット(Lv2)>…新しいデバイスの負荷耐性を考慮し、チャージ時間を増やすことで威力が倍近く向上した。
<チャージショット(ワンハンド)>…片腕だけで行うチャージショット。火力は低下するが、片腕が空くので別のアクションも同時に行える。魔力操作に優れたティアナのみのスキル。
<スナッチ>…魔力糸によるワイヤーショット。高所への移動手段や、物体や敵に使用すれば手元に引き寄せることも出来る。
<???>…新デバイス入手により、より多くのスキルを習得できる可能性を得た。更なる経験とオーブを手にせよ。

 訓練により補助系魔法<フェイクシルエット>を習得間際であるが、戦闘スタイルの変化の為、ティアナが想定する補助性能は低めである。

前へ 目次へ 次へ

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2008年06月17日 21:04