『問題の貨物車両、速度70を維持!』
『ガジェット反応!? 空から……!』
『航空型、現地観測体を捕捉! 進路は目標、リニアレールです!』

 司令部からの情報が矢継ぎ早に伝えられる。
 サーチャーが捉えた情報は、想定通り敵の増援を知らせるものだった。
 数も多い。フェイトとなのは、空戦能力を持つ隊長陣がそれらの対処に割かれる形となってしまった。

「じゃ、ちょっと出てくるけど……」

 輸送ヘリの後部ハッチが開き、広がる遠い地上と激しい風がカーゴに渦巻く中、なのははまるでちょっと散歩に出て行くようなリラックスした口調でルーキー達に言った。
 初の実戦に緊張を隠せないスバルやエリオ、キャロを意識した笑みを浮かべたが、その傍らで普段通りの視線を向けるティアナの様子に苦笑へと変わる。
 何かを確認するように小さく頷き、その意図を受け止めるようにティアナもまた頷くと、なのはの最後の不安は消え去った。

「皆も頑張って。ズバッっとやっつけちゃおう?」
「「はい!」」

 頼もしい四つの返事が一つになった。
 なのははキャロを一瞥する。

「―――エリオは、キャロのフォローお願いね。無理だと感じたら、すぐに二人で後方へ退いて」
「あ、はい」
「大丈夫です!」

 気遣うようななのはとエリオの視線を振り切るように、キャロの少々気負った声が響いた。
 戦意が漲っているのはいいことだが、気持ちが先行すると引き際を誤る。なのははそれを実感で熟知していた。

「うん、緊張で落ち込んでるよりはいい返事だよ。でも、現場での指示は厳守。リーダーの判断には絶対に従ってね」
「……はい、分かりました」
「ティアナ、現場でのリーダーは任せるよ。エリオは判断に迷ったら、ティアナの指示を仰いで」
「はい!」
「了解」

 なのははこれまでの訓練から、ティアナの冷静な状況判断能力を買っていた。他の三人もそれに全く異論はない。
 重大な責任を与えられたティアナはやはり普段通りの淡々とした口調で、しかし期待に応えるように強い意志を宿した言葉をなのはに返した。
 最後になのはは四人の顔を一度だけ見回し、緊張と覇気に満ちた表情にこれ以上掛ける言葉は必要ないと悟ると、満足げな笑みを浮かべて降下口へ足を掛けた。

「―――高町隊長」
「うん?」

 任務中の呼び名にも相変わらず壁を感じるティアナの声に、なのはは肩越しに振り返る。

「幸運を」
「ありがとう。皆にも」

 航空部隊での礼節的な言葉だったが、そこに込められたティアナの偽りのない想いを感じ取り、なのはは喜びと奇妙なこそばゆさを感じながら敬礼を返した。
 そして、高町なのはは大空へと飛び出す。
 耳音で唸る風の音に、地面から解き放たれた三次元の自由と不安を全身で感じながら、自らの相棒に告げた。


「<レイジングハート>! セット、アップ―――!!」


 光が瞬く。
 四人の雛鳥が未だ憧れて見上げるだけの領域へ、エースは飛翔した。

 

 

魔法少女リリカルなのはStylish
 第九話『Rodeo Train』

 

 

「任務は二つ」

 緊急出動の為、現場へ向かう航路の最中でリインはティアナ達に任務概要を説明していく。
 普段はマスコットよろしく愛らしい雰囲気を醸し出すリインも、今は仕事の顔だった。

「ガジェットを逃走させずに全機破壊する事。そして、レリックを安全に確保する事。
 ですから、<スターズ分隊>と<ライトニング分隊> 二人ずつのコンビでガジェットを破壊しながら、車両前後から中央に向かうです」

 表示されたモニターの図解によれば、レリックは車両の丁度真ん中に位置する七両目に保管されているとのことだった。
 複雑な地形や場所での戦闘ではないが、車両の外部も内部も合わせて限定空間となっている為、万が一の場合でも敵からの退避は難しい。
 戦力同士の純粋な正面対決と言えた。

「わたしも現場に降りて、管制を担当するです。ただし、戦闘指示に関してはティアナに一任するですよ。何か質問は?」

 現状把握と実戦での緊張を抑えるのに一杯一杯な三人と比べて随分冷静なティアナが早速口を開いた。

「リニアレールの停止は可能ですか?」
「遠隔操作では何度もやってみましたが受け付けません。完全にコントロールを奪われてます」
「なら、直接操作した場合は?」
「可能性はあります。わたしが担当しましょう、コントロールの中枢は左右の末端車両です」
「了解。では、リイン曹長はスターズ分隊への同行をお願いします。降下と同時に、まずは車両の制御奪取を」
「了解です!」

 そして、矢継ぎ早に交わされる会話に、なんとかついていった残りの三人へティアナが視線を移す。

「というわけで、あたしとスバルのスターズ分隊はまずコントロールの奪還に回るわ。エリオとキャロのライトニング分隊はそのままレリック奪還とガジェット殲滅に集中して」
「了解っ!」
「了解!」
「了解しました!」

 それぞれの特色を持つ返答が響く。実戦という何もかもが初めての状況で、そのやりとりだけは淀みなく行われた。
 それは訓練で何度も繰り返した流れだからだ。
 そうだ、全ては訓練通り。恐れることはない。ここには未知のものばかりではなく、築き上げたチームワークや頼れる仲間達が、いつものように存在するのだから。
 四人の心に、共通して繋がる何かが蘇る。
 そしてそれは、驚くほど緊張や不安を心から消し去ってくれた。

『隊長さん達が空を抑えてくれているおかげで、安全無事に降下ポイントに到着だ―――準備はいいか!?』

 パイロットのヴァイスが作戦発動の秒読みを告げる。
 まず最初に降下するティアナとスバルがカーゴハッチに身を乗り出した。

「……やっぱり、ティアはそっちのデバイスを使うの?」

 自らの首に掛けられた待機モードのマッハキャリバーとは違い、普段通りのアンカーガンを両手に携えたティアナを見てスバルは不満そうな表情を浮かべる。
 見慣れた銃身の下部には、バリアジャケットを構成する為の急ごしらえのオプションがレーザーサイトのように取り付けられていた。

「ぶっつけ本番って好きじゃないのよね」
「折角の新型なのに……使ってみたいと思わない?」
「好みより実効制圧力の方が重要だわ。別に信用してないわけじゃないけど、こっちなら安定性は確かだしね」

 窮地での大胆さは兄貴分譲りだが、平常時での判断には地の性格が大きく出ていた。元々ティアナは理詰めの人間なのだ。
 本音としてはティアナの新デバイス自体に興味のあるスバルが渋々納得する中、ティアナは使い慣れたアンカーガンを一瞥して小さく呟く。

「それに、ずっとコイツと一緒に戦ってきたんだしね。あっさりと乗り換えなんて出来ないわよ……」

 理屈以外の想いが篭ったその言葉は、風にかき消されて誰にも届かなかった。
 もちろん、聞こえたら困る。
 淡白な態度とは裏腹な想い入れの強さを知られたら、またスバルがからかったり喜んだりするに決まっているのだ。
 ティアナは思考を戦闘モードに切り替え、スバルに視線を向け直した。

「ところで、あんたこそソレ持ってく気なの? 使わないって言ってるでしょ」
「うーん、でもひょっとしたら使うかもしれないじゃない?」

 スバルはクロスミラージュの収納された防護ケースを背負っていた。
 ベルトでしっかりと固定され、重さも大きさも行動の邪魔になるほどではないが、既にアンカーガンがある以上使う可能性はほとんどない。

「それに初の実戦なんだしさ。こっちの方が性能がいいのは確かなんだし、頑張ってくれたシャリオさんにも悪いし」
「……好きにすれば?」
「うん! 必要になったら言ってね」

 スバルの言い分に、ティアナは素っ気無く返した。
 感情論や好みだけでなく、それなりに理屈の通った弁が立つからこの娘はやり辛い。内心で苦笑が浮かぶ。
 そして、わずかな緊張感以外普段通りの二人のやりとりが続く中、ヘリはついに走るリニアレールの先端へ降下するのに最適の位置へと到達した。
 互いに意識せず同時に、ティアナとスバルは会話を中止して眼下を睨み据える。
 自分達の、初めての戦場が見えた。

「スターズ3、スバル=ナカジマ!」
「スターズ4、ティアナ=ランスター!」

 一瞬だけ、二人の視線が交差する。そして。

「「行きます!」」

 言葉と意思が同調し、スターズ分隊は大空へと飛び出した。

 

 空中で二人分のバリアジャケットが展開される発光が瞬く中、ヘリは更に反対側の先端車両へと移動していく。
 エリオとキャロ。
 戦場へ降り立つにはあまりに小さな体が、風の唸るハッチの前へと乗り出された。

「……あの、ルシエさん」

 眼下の戦場を眺め、エリオは傍らの少女が緊張しているであろう様子を伺った。自分と同じように。
 それは不安を共に支え合いたいという弱気と、同時に少し無理をしすぎな感のある少女を支えたいという気持ちもあった。
 しかし、エリオは反応を示さずに眼下を見下ろし続けるキャロの横顔に愕然とすることとなる。

「一緒に降り……」
「ライトニング4、キャロ・ル・ルシエとフリードリヒ」

 囁くような言葉がエリオの気遣いを断ち切った。
 恐れを何処かへ置き忘れてしまったような顔で、キャロが無造作に自らの体を宙に投げ出す。

「―――行きます」

 そう言って空中へと消えていく少女の横顔に一瞬だけ見えたものを、エリオは現実なのか錯覚なのかしばらく悩む事になる。
 エリオは飛び出したキャロの手を咄嗟に掴みそうになった。
 降下の為の行動の筈なのに、キャロのそれがまるで屋上から身を投げ出す自殺者に等しい雰囲気を纏っていたからだった。
 飛び出す一瞬、キャロは―――小さく笑ってはいなかったか?
 そのまま落ちて死ねば何かから解放される、と。戯れに夢想するような一瞬の表情を。

「……っ、ライトニング3! エリオ=モンディアル、行きます!!」

 エリオは自分でも分からない焦燥に押されて、すぐさま降下に続いた。
 ほんの少し先を落ちてくキャロの背中を見るのが不安で仕方ない。
 彼女は、ひょっとしてこのまま着地の準備もせずに落ち続けるつもりなのではないか? という疑念すら湧いていた。
 その不安を否定するように、エリオの横を小さな影が掠めて行く。
 主の唐突な行動に、一瞬遅れて続いたフリードだった。
 幼い竜は一瞬だけエリオと視線を絡ませると、翼をたたんで落下速度を上げてキャロの傍らに追いついた。
 一瞬だけの視線の交差。
 その中で、エリオは自分の中の不安を嘲笑われたような気がした。
 ―――お前に心配されるまでもなく、そんなことを自分がさせるはずないだろう? と。
 それを錯覚だと思う前に、並んだフリードを一瞥してからキャロが行動を起こした。

「<ケリュケイオン>、セットアップ」

 空中でバリアジャケットが構成される光が瞬き、キャロの身を包み込む。
 これで自分の根拠のない不安はなくなった。そう安堵すると同時に、エリオは僅かな悔しさを感じる。
 一連の流れが、自分とキャロ、フリードとキャロとの関係の差を表しているような気がした。
 モヤモヤとした気持ちを抱えながら、自らもバリアジャケットを纏う。
 キャロが車両の屋根に降り立ち、遅れてエリオが足を着いた。

「―――さあ、行きましょう?」

 肩越しに振り返ったキャロの表情は、既に戦いを前にした引き締まったものへと変わっている。
 飛び出した時の一瞬が、本当に錯覚だったように感じる顔だ。

「う、うん」

 エリオは戸惑いながらも頷いた。
 どちらが彼女の本当の顔なのだろうか?
 だが、いずれにせよ彼女は自分に本当の表情を見せてはくれない―――その確信が、エリオには酷く悔しかった。

 

 

 そのリニアレールは物資運搬用の車両の為、内部は広く、人を乗せる余分な設備がない。
 内部には複数のガジェットが警戒態勢で待ち構えていた。
 それらに広域をスキャンするレーダーは搭載されていないが、車両に取り付く者があればすぐに迎え撃つようプログラムされている。
 四人のストライカーが車両に降り立てば、ガジェットは迅速に行動を開始するだろう。
 その警戒態勢の最中へ―――。

「どっせいぃぃっ!!」

 車両への着地の過程を省き、屋根をぶち抜いてスバルが突っ込んだ。
 唸りを上げるリボルバーナックルで車両を貫き、新生バリアジャケットに身を包んだスバルがその内部へと降り立つ。
 ほとんど奇襲に近い敵の潜入に、無機質なCPUの判断にも僅かなタイムラグが生まれる。それは人で言うところの<動揺>に等しかった。
 その僅かな間隙を、スバルの背後へ同時に降り立ったティアナが見逃す筈はない。

「ティア!」
「見えてるわよ!」

 既にカートリッジをロードし、オレンジ色の電光を纏った両腕がスバルの肩から砲台のようにヌッと突き出される。

「真ん中だけ残す!」
「了解っ!!」

 僅かなやりとりで十二分な意思の疎通を行い、二人は同時に攻撃を開始した。
 雷鳴のような銃声が響き渡り、アンカーガンから吐き出された高密度の魔力弾がそれぞれの照準の先のガジェットへと殺到する。
 弾丸はAMFを貫いて機体の奥深くに潜り込み、内部を破壊し尽くした。
 二体のガジェットが爆発を起こす中、ローラーブーツに代わる機動デバイス<マッハキャリバー>の加速に乗ってスバルが突進する。

「うぉりゃああああっ!!」

 ローラーブーツを上回る初速で、一瞬にしてインファイトの間合いまで攻め込むと、リボルバーナックルの一撃が抵抗する暇もなくガジェットの機能を奪い去った。
 潜り込んだ右腕をそのままに、内部の部品やコードを鷲掴みにして機体を固定し、ガジェット一体をぶら下げたままスバルは車両内を滑走する。
 最後に残った一体が放つ熱線を、掴んだガジェットを盾にして防ぎ、急接近しながらナックルに魔力を集中させた。

「リボルバー……ッ!」

 マッハキャリバーが主の意思のまま、スバルを疾風へと変える。
 至近距離まで接近して、掬い上げるように右腕を叩き付けると、二体のガジェットが密着したその状態で魔法を解き放った。

「シュート!!」

 アッパーの軌道で放たれた衝撃波が二体のガジェットを貫き、更に屋根まで吹き飛ばして車両に大穴を空けた。
 スバルとティアナが乗り込んだ二両目の敵勢力は、これで全滅したことになる。
 しかし、狭い空間で放たれた高威力の魔法は、敵を破壊するだけに留まらなかった。

「うわわっ!?」
「バカ、スバル!」

 爆風に加え、予想以上の加速に乗っていて十分な制動の掛けられなかったスバルの体は、そのまま吹き飛ばした屋根から外へと投げ出された。
 高速で走るリニアレールの外、空高く舞い上がる。
 不安定な姿勢で移動する足場に再び着地出来るか、保証はない。
 ティアナが舌打ちし、スバルが顔から血の気を引かせる中、誰よりも早く正確にソイツは動いた。

《Wing Road》

 マッハキャリバーがオートで発動させたウイングロードが落下の軌道上に生成され、その上で自らローラーを回転させ、重心をコントロールする。
 慌ててバランスを取ったスバル自身の行動もあり、九死に一生を得る形となった。

『スバル、無事!?』
「なんとか……! マッハキャリバーが助けてくれたおかげだよ」
《Is it safe?》
「うん、もう平気!」

 スバルの安否を確認したティアナが安堵と脱力のため息を吐く。
 正直、肝を冷やした。
 性能が良いことは必ずしも利になることばかりではない。感覚と実際のズレは時にミスを呼ぶ。これだからぶっつけ本番は苦手なのだ。
 ―――とはいえ、自己判断で持ち主を助けるAIの高性能さに感心と興味を抱いたのも事実だった。

「新型、ね……」

 アンカーガンに新しいカートリッジを装填しながら、何とはなしに呟く。
 訓練の成果か、ガジェットのAMFに対してカートリッジ一つ分の魔力で一体を破壊できる割合にはなった。現状の戦力としては十分だろう。
 しかし、先ほどのマッハキャリバーの活躍を見て、どうしても考えてしまう。
 自分にも用意された新型デバイス。あれを使えば、戦力は更に増すのではないのか、と。
 意地張らずに新しいの使えばよかったかな? いやいや、これは意地なんかじゃないぞ。カタログスペックと実績、プロならどっちを選ぶか言うまでもないだろう。
 ティアナは迷いを吹っ切るように、自分に言い聞かせた。

「……でも、コイツ喋らないしなぁ」

 冷静を装いながらも、つい本音が出るティアナだった。
 思い入れが強いからこそ擬人的な要素を求めてしまう。実際のところ、スバルのマッハキャリバーを羨ましく思う原因もそれが主だったりする。
 落胆を滲ませる子供染みた自分の台詞に遅れて気付き、ティアナは僅かに頬を染めた。

「ああっ、もうダメダメ! 任務中に考える事かっての―――スバル!」
『何?』
「そのまま三両目の制圧に向かって! こっちは先頭車両を押さえる! 敵が多かったら、無理せず合流するのよ?」
『オッケー!』

 思考を戦闘モードに切り替え、スバルに指示を出すと、ティアナは馴染んだデバイスを両手に構えて前の車両へと移動を開始した。

 

 

「スターズ1、ライトニング1、制空権獲得!」
「ガジェットⅡ型、散開開始!」
「追撃サポートに入ります!」

 二つの戦場をモニターする司令室も、戦闘さながらの慌しさで情報が飛び交っていた。

「―――ごめんな、お待たせ!」

 そこへ、聖王教会の足で慌てて舞い戻ったはやてが駆け込んでくる。
 指揮官不在の間代理指揮を執っていたグリフィスの顔から、ようやく僅かに緊張の色が抜けた瞬間だった。

「八神部隊長!」

 御大将の登場に、待っていたとばかりにグリフィスが名前を呼ぶ。

「……」

 しかし、返って来たのはシカトだった。

「ここまでは、比較的順調です!」
「……」
「……あの、部隊長?」
「……」
「えーと……」

 まるで一時停止のように笑顔のまま、指揮官席を挟んでグリフィスと対峙するはやて。
 何かを求めているような雰囲気は分かるのだが、それが何なのかグリフィスには分からない。
 突然の事態にグリフィスは混乱し、高速で思考を巡らせ―――。

「おかえりなさい、ボス!!」
「待たせたな、皆」

 オペレーターのシャリオの言葉を聞き、はやては唐突に動き出した。
 呆然とするグリフィスを尻目に、指揮官の顔となったはやては腰を降ろして、モニターを鋭く見据える。

「状況はどうや?」
「ここまでは比較的順調です、ボス」

 いや、それ自分言ったし。
 頷いて返すはやての様子を見て、グリフィスは悲しくなった。でも涙は堪えた。

「ボス! ライトニング3、4が八両目に突入します」
「このまま何事もなければええんやけど……」

 完全にプロの顔つきになったはやての傍らで、グリフィスが勇気を振り絞って声を掛ける。

「あのぉ…………ボス?」
「なんや?」

 今度はあっさりと返事が返ってきた。

「エンカウント! 新型です!!」

 今後何かとワリを喰う真面目な補佐官の苦悩を置き去りに、オペレーターの告げた報告が司令室に緊張を走らせた。

 

 

「フリード! <ブラスト・フレア>!」
『キュクルゥゥッ!!』

 フリードの放った火球が崩壊した車両の天井の穴から内部へ飛び込んでいく。
 しかしそれは、ガジェットの持つベルト状のアームに容易く弾き返されてしまった。
 そのアームの出力一つ取っても、既存のガジェットとはパワーが桁違いの新型。
 完全な球状の機体はこれまでの物より肥大化し、その分あらゆる性能が向上されている。

「うぉりゃぁああああっ!!」

 ストラーダの穂先に魔力を集中したエリオの一撃も、AMFではなく純粋な装甲の強度によって遮られた。
 幼いエリオの筋力の低さを差し引いても、防御力は通常のガジェットと比べ物にならない。
 更に、ガジェットはAMFを発動させた。
 奇妙な違和感が波打つように二人のいる空間を走り抜けた後、接近戦を仕掛けていたエリオのストラーダはおろか、車両の上にいるキャロの魔方陣すら解除されてしまう。

「こんな遠くまで……っ!」

 身体的な戦闘力を持たない自分が魔法を失っては、戦力は激減する。
 その事にキャロは戦慄し、遅れてエリオもまた同じ状態であることを思い出した。彼はその状態で敵の傍にいるのだ。
 車両の穴の傍へ駆け寄り、中を覗き込んだキャロが見たものは、予想通り最悪の展開だった。
 魔力光を失い、単なる頑丈な槍と成り果てたストラーダを盾に、エリオが必死で敵の攻撃を防いでいる。
 魔力によって筋力を活性化させる肉体強化までは解除されていないようだが、それでもガジェットの大型アームのパワーの方が上回っていた。

「ダメです、下がってください!」
「だ、大丈夫! 任せて……っ!!」

 キャロの制止の声を、エリオは聞かなかった。
 自分の後ろに、守るべき少女がいることを理解していたのもある。
 だがそれ以上に、少年には意地があった。
 降下の時、手を伸ばそうとした自分を追い抜いて、いつもそう在るように少女の傍へ寄り添った一匹の竜に対して感じていた敗北感があった。
 背後のキャロの自分を案ずる声が聞こえる。
 それは彼女の優しさだ。自分も同じ戦場にいるというのに、他人を案ずる痛いほどの優しさだ。

 ―――悔しいとは思わないか? あの娘は、今の情けない自分を見て不安を感じているんだぞ!

「うぉおおおっ!!」

 感情の高ぶりはエリオに瞬発的な力を与えた。
 二つの力の拮抗は一瞬だけ破られ、エリオがガジェットのアームを押し返す。
 その刹那の空白の間に、ガジェットは攻撃をレーザーに切り替え、エリオもまた瞬時に危機を察知して跳んだ。
 通常の物とは違う、長い連続照射時間を持った熱線が文字通り一本の線のように放たれる。
 それは車両の壁や屋根を容易く焼き切ったが、しかし僅かに勝るエリオのスピードには着いて行けず、彼の居た場所を虚しく薙ぐだけだった。
 敵の巨体を飛び越え、背後の死角へと着地する。
 両足に魔力を集結し、筋肉が引き千切れる程の力を込めてバネのように全身を前に突き出す。

「刺されぇええええええーーーっ!!」

 全身の力を推進剤に使ったストラーダの先端は、その瞬間確かに弾丸となった。
 AMF下において、まさに奇跡とも言えるタイミングで全ての運動エネルギーが一点で合致し、新型ガジェットの強固な装甲に突き刺さった。

「やったっ!」

 思わずエリオが歓声を上げる。
 しかし、それは完全な驕りでしかなかった。

「まだです!」
「え……っ?」

 傍で見ていたキャロだけが冷静だった。
 ストラーダの穂先は確かに装甲を打ち破っていたが、ただ『それだけ』でしかなかったのだ。
 その機能中枢に全くダメージが及んでいないガジェットは、細いアームケーブルを素早く動かし、動きの止まったエリオを捕らえる。
 そもそも、エリオが『背後』だと捉えていた部分が本当に死角であったかすら疑わしい。
 思い込みによる判断ミス。攻撃の手応えを見誤り、それが油断を招いた。
 初の実戦における経験の不足が、最悪の結果を招いてしまったのだ。

「しまった……うぁっ!!」

 ケーブルに締め上げられたエリオを痛ぶるように、ゆっくりと巨大なアームベルトが近づく。

「いけない!」

 キャロが身を乗り出す。
 魔法の使えない小娘が立ち向かったところでどうしようもないのは承知の上だ。
 しかし、自分は違う。
 キャロは自らの呪われた特性を、嫌というほど理解していた。
 <召喚>のスキルとて、転移魔法の系統に連なる魔法には違いない。AMF下で無力化される対象だ。

 ―――だが、あの<悪魔>の力は違う。

 呼び出し、使役する過程は同じであっても、そこに働く力は全く異質なもの。
 奴らにとって、自分は<門>に過ぎない。
 <悪魔>には時も場所も関係なく、奴らはいつでもすぐ傍に潜んでいる。
 それを現界させる為の少しの切欠。目の前の空間をトランプのように裏返す、本当に身近なのに決して不可侵な領域への干渉があればいいのだ。
 他の人には出来ない。
 でも自分には出来る。
 だから、今こそそれをやるのだ。
 その結果、この呪わしい力を彼に見られても。仲間に見られても。そして―――恐れられても。

「戦うんだ……」

 キャロは自らの心に湧く様々な感情を全て黒で塗り潰し、車両内へ繋がる穴の淵に足を掛けた。
 さあ―――戦って、死ね。

「戦うんだ!」

 エリオを救うべく、勢いよく飛び込んだ。
 ―――傍らの、フリードが。

「えっ!?」

 突然の行動に呆気に取られるキャロを尻目に、竜は弾丸のように飛翔してガジェットへと襲い掛かった。

『キュァアアアッ!!』

 幼さの残る甲高い鳴き声は、しかしまるで野獣のそれである。
 正しく<雄叫び>を上げて飛来したフリードは、エリオを縛るアームケーブルに喰らい付いて噛み千切った。

「フ、フリード……っ」

 体の痛みを堪え、自由になったエリオは幼い竜を見上げる。
 普段の愛らしさを一切消し去った野生の眼光が、鋭く見下ろしていた。
 そこには本能があった。戦う為の獰猛な高ぶりが。
 そして、意志があった。自らの主の為、微笑む顔を見る為に戦う決意が。

「助けて、くれたの?」
『キュクルー』

 エリオの問いに返された声色は普段通りのものだったが、込められている感情が剣呑なものであることは分かった。
 フリードは、ただ主が悲しむのが我慢ならなかっただけだ。
 その為に、この未熟でちっぽけな人間を助ける必要があるのなら―――そうしよう。彼女の痛みを和らげる為に。
 それはエリオの錯覚でしかなかったのかもしれないが、もう一度見せ付けられたフリードとの差に感じた悔しさだけは本物だった。
 自らへの無力感に、エリオは拳を握り締めた。

『キュァ』

 自己嫌悪もいいが、足を引っ張るなよ?
 まるでそう言わんばかりに素っ気無く敵の方へ視線を戻したフリードを一瞥し、エリオもまた戦闘態勢を取り戻す。
 数本のアームケーブルを失ったガジェットは、未だダメージらしいダメージも受けずに稼動を続けているのだ。

「フリード……」

 その一方で、キャロは友といえる竜のとった行動に目を奪われていた。
 フリードが取った行動は、キャロの決意を否定するものだ。
 従うべき主の意思を蔑ろにして、その身を戦火に投げ出す決意をした自分を遮ったのだ。
 それに対して裏切られた、などという気持ちはない。純粋な驚きと、同時に奇妙な喜びを感じる。

「……そうか」

 <彼>の行動で気付かされたのだった。
 決意などと言っても、結局自分は諦めていたに過ぎない。呪われた力ごと命を投げ捨てて、その結果敵を倒せればいいのだと。
 その<諦め>を、フリードは否定したのだ。

「そうだよね……」

 キャロ・ル・ルシエの傍らには常にフリードリヒがいることを、彼は声高に叫んだのだ。

「わたしは……一人じゃないっ」

 そうだ、何を忘れていたんだ。
 前に進む道しかないはずだ。その道を少しも進まないうちに、もう立ち止まることを考えてどうするんだ。
 戦って、戦って、戦って―――だけど、一人で進む道じゃない。
 そう言ってくれた人が、仲間が、いるじゃないか!

「フリード! エリオ君!!」

 そして叫んだキャロの瞳には、全ての感情が蘇っていた。

「ルシエさん……?」

 初めて自分の名前を呼ばれたような気がして、エリオは半ば呆然とキャロを見上げた。
 喜びよりも驚きの方が大きい。
 その隙を突いて繰り刺されるガジェットの攻撃を、慌てて避ける。

「考えがあります、こっちへ!」
『キュクルー!』
「えっ!? あ、はい……っ!」

 出撃前にキャロに対して感じていた不安を吹き飛ばすような力強さに、呆気に取られそうになったエリオを尻目にフリードが主の下へ素早く戻る。
 我に返ったエリオも慌ててそれに続いた。
 再び足場を車両の上へと移す。
 しかし、ガジェットにも移動能力が無いわけではない。すぐに追撃が来るだろう。

「ルシエさん、考えって?」
「エリオ君……」

 キャロは、もう一度噛み締めるようにエリオの名を口にした。

「わたしを、信じてくれる?」

 エリオの質問に答えはせず、ただ一つだけ何かを確かめるような問い。
 答えなど決まっていた。
 決して心を許してくれないと思っていた彼女が、自分から踏み込んでくれた―――その名前を呼ぶ声を聞いた時から。

「―――もちろんだよ、キャロ」

 返事に迷いはなかった。
 その言葉にキャロはほんの少しだけ嬉しそうに笑って、傍らのフリードが頷く代わりに鼻を鳴らす。
 穴からガジェットのアームベルトが這い出してくるのを一瞥して、キャロはエリオに向かい手を差し出した。
 その手を、迷いなく掴む。

「いくよ、フリード!」

 そして二人は、小さな竜だけを伴って列車から崖下へと飛び出した。

 

 

「ライトニング4、ライトニング3と共に飛び降りました!」

 司令室にオペレーターの声が悲鳴のように響いた。
 山岳の絶壁に敷かれたレールを走る列車から飛び出す二人と一匹の様子がモニターされている。

「あの二人、あんな高硬度でのリカバリーなんて……っ!」
「いや、あれでええ」

 突然の窮地に陥った展開を、むしろ逆に肯定したのははやてだった。
 その顔に、先ほどまでの冗談交じり笑みは浮かんでいない。冷たさすら感じる不敵な微笑が代わりにあった。

『発生源から離れれば、AMFも弱くなるからね。使えるよ、フルパフォーマンスの魔法が!』

 戦闘の片手間に司令室からの報告で新人達の状況も把握していたなのはが、はやての自信の根拠を補足する。
 それはフェイトも同じだったが、三人に共通するのはいずれもキャロに対して感嘆と驚きを抱いていることだった。

「キャロ自身がそれを理解して飛んだんなら、相当な判断力と度胸やね」
『あの子は、元から強い子だったよ……』

 フェイトの言葉が独白のように響く。
 痛みを伴う力を与えられた故に、キャロは絶望しながらもそれに抗う意思の強さを身につけていた。
 その心の力を全く間違った方向へ捻じ曲げいていたのが、彼女の心に巣食う<諦め>の感情だったのだ。
 だが、今はどういうわけかそれが無い。
 死ぬ為ではなく、生きる為にキャロは飛んだ。

『選んだんだね、信じる事を―――』

 仲間を。
 そして自分を。
 呟くフェイトの顔は、満足そうに小さく笑っていた。

 

 

 本当は、ずっと思っていた―――『守りたい』と。

「蒼穹を奔る白き閃光―――」

 自分を救ってくれた人に、誰よりも憧れる気持ちがあった。
 その人の持つ意思を、誰よりも尊ぶ気持ちがあった。

「我が翼となり、天を翔けよ―――」

 だが、それは無理だ、と。
 これまで積み上げてきた悲劇と罪。近づく者を傷つけた後悔と向けられた負の視線が、その望みを否定してきた。
 神を呪ったこの<悪魔>の力で、恐れ疎んじられるこの手で、一体何を守れると?
 何もかも傷つけるだけの闇の力に対して、自分の心すら守れず、いつしか諦めだけが募り……。

「来よ、我が竜フリードリヒ―――」

 そして、今目が覚めた。
 戦いたい。諦めたくない。戦って死ぬのなら、人としての気高さを持ったまま戦いたい。
 まだ自分を信じてくれる友の為に。
 まだ自分に笑いかけてくれる人達を守る為に。
 自分の力で、戦いたい。

「<竜魂召喚>!!」

 だから応えて、友よ―――!

 

 小さな主の意思に応え、両腕のデバイスと竜は光と共に吼えた。
 桃色の魔力光を放つ巨大なスフィアがキャロとエリオ、そしてフリードを包み込む。
 膨大な魔力の奔流に指向性を持たせる魔方陣が眼下に展開され、その中で幼い竜の肉体が真の力を宿したそれへと変化する。
 小さな肉体に封じ込められていた気高い竜の魂は、相応しい肉体を手にして、その大きな翼を力強く広げた。

『ギュアアアアアアッ!!』

 真の咆哮が<白銀の竜>の産声となって響き渡る。
 まるで新たに卵から生まれ変わるように、スフィアを内側から打ち破って、強靭な巨躯を手にした白竜<フリードリヒ>が空中に出現した。

『召喚成功!』
『フリードの意識レベル<ブルー> 完全制御状態です!』

 司令室にも歓声が広がる。
 しかし、キャロはその言葉を一つだけ否定した。
 これは制御なんかじゃない。切欠をくれたのも、この力を望んだのも、フリードが最初だった。
 この力はフリード自身が望んだもの。
 そしてこの成果は、フリードが支えてくれたおかげなのだ。

「……ありがとう、わたしの友達」

 力強い咆哮が、キャロの呟きに応える。

「そして、征こう! 今度はわたしがアナタに応えてみせる!!」

 フリードの背に乗り、その手綱を握る手の力強さが全ての答えだった。
 新しい翼をぎこちなく、しかし大胆に使い、フリードの巨体が再び戦場へ舞い戻るべく上昇を開始する。
 その背に、キャロに抱きかかえられる形で乗ることを許されたエリオが一連の流れの中で呆然としていた。
 目の前で展開された神秘の光景に圧倒されたのに加えて、今彼の眼を奪っているのはすぐ傍で見上げられるキャロの凛々しい顔だった。
 何かを信じ、戦うことを決めた者の表情が、幼いキャロに大人びた美しさを与えている。
 エリオはその美しさに見惚れていた。

「……エリオ君、大丈夫? 怪我でもしてるの?」

 心此処に在らずのエリオを心配したキャロが見下ろしてくる。
 エリオは慌てて首を振った。

「ち、違うよ! 全然平気! いやぁ、フリードの背は快適だなぁ!」
『ギュアキュア』
「……フリードが不機嫌そうだけど」
「……うん、分かってるよ。多分『調子に乗るな』って言ってるんだと思う」

 言葉の壁を越えて意思疎通が出来るようになってしまったエリオは、フリードの意思を全く正確に表現していた。
 少年と竜。一人と一匹の間で衝突する敵対の感情に気付かないキャロだけが不思議そうに首を傾げている。

 

「あっちは、もう大丈夫みたいね」
「うん」

 車両のガジェットを全滅させ、コントロールの奪取をリインに任せたティアナとスバルが屋根の上からキャロ達の様子を見守っている。
 視線を移せば、同じく列車の屋根に這い上がってくる新型ガジェットの姿があった。
 上昇するフリードがそのままガジェットへ向かうのを確認して、二人はレリックの方を確保するべく移動を開始した。

 

 

「フリード、<ブラスト・レイ>!」

 真の姿を手にしたフリードの口元に、覚醒前とは比較にならない程の魔力が集結し、膨大な熱量を伴って光り輝いた。

「ファイア!!」

 それが炎の帯となって解き放たれる。
 荒れ狂う業火はまさに怒涛の如く、大型のガジェットを丸々飲み込んだ。
 しかし、全体を覆い尽くすほどの炎の波が過ぎた後には、AMFの範囲を絞ってその一撃を耐え忍んだガジェットの姿が残っていた。
 僅かに飛び散る火花からダメージを確認は出来るが、それでも高出力のフィールドと、炎を受け流す曲線フォルムの機体も影響して致命傷には成り得ない。

「砲撃じゃ抜き辛いよ! ここは、ボクとストラーダが……」
『ギュアアアアアアアアッ!!』

 AMFの範囲が狭まったことで戦闘力を取り戻したエリオが身を乗り出そうとして、それをフリードの咆哮が押し留めた。
 それはキャロにとっても予想外だったらしく、鼓膜を通じて頭蓋骨を震わせるような雄叫びに二人は竦み上がる。
 フリードの咆哮から感じた激情。それはただハッキリと―――怒り。
 幼い竜は激怒していた。
 敵の存在に。それを打ち倒せないと断ずる少年に。そして何より、力届かぬ自分自身に。

 フリードは、キャロの未来を決定付けたあの運命の日から復讐を誓っていた。
 現れた業火を纏う<悪魔>を前にして、全く歯牙にも掛けられなかった弱い自分。
 脆弱な生物でしかなかった、ちっぽけな自分。
 そして何より、強大な<悪魔>を前にして恐怖していた自分―――!

 あの時吼えたのは、主を守る為の行為だったか?
 ―――違う。
 ただ自分は無茶苦茶に泣き喚いてただけ。
 ヴォルテールという、竜としての高みにいる存在を殺して見せた化け物を前に、闘争心も忠誠心も消え失せて闇雲に叫び散らしていたのだ。
 そして、目の前の<悪魔>に牙一つ突き立てられず、主であり友である少女に呪いが掛けられるのを見ているだけだった自分。
 その愚かで卑小だった自分を殺す為に、フリードは絶対の復讐を誓ったのだ。
 そして今。
 真の姿と力を取り戻してなお今、力及ばぬ状況に成り下がっている。
 フリードはそれが許せなかった。
 言葉が話せるのならば喚き散らしていた。

 ―――ふざけるな。何の為に月日を重ねたのだ?
 自らの力に傷つけられる主を傍らで見続けながら、心に積み重ねてきた無念を晴らす瞬間が、この程度だというのか!?
 ふざけるなっ!

『グゥァアアアアアアアアアア――――ッ!!』

 フリードは自身への怒りで吼えた。
 一匹の獣としての雄叫び。眼下の森林にまで響き渡ったそれを聞いた動物達が、本能的に逃げ去ったのを誰も知らない。
 彼らは察したのだ。
 今、この地上で最強の生物が怒ったのだということを。
 そして、その怒りを向けられた対象に心から同情した。

「フリード……!」
「もう一度、やる気か!?」

 今度はキャロの命令ではなく、自らの意思でフリードが魔力を集束し始めた。
 放出する魔力量は全く変わらない。むしろキャロの使役に逆らった無理な力は、先ほどのそれより僅かに減少すらしている。
 しかし、その集束率だけは桁違いにまで上がっていた。
 眼前で球状に練り上げられていく炎の魔力。だが大きさは半分にまで圧縮されている。
 内側で荒れ狂う業火を現すように熱の塊が脈動した。
 目指すのは、かつて高みであったヴォルテールすら超える炎。あの火炎の悪魔さえ焼き尽くせる業火だ。

「それ以上抑えたら暴発する! フリード、放って!」

 キャロが悲鳴に近い声で叫ぶ。
 そしてフリードの望むままに暴走寸前にまで圧縮された炎の魔力は、ついに再び解き放たれた。
 ガジェットに向かって同じように放射される火炎。
 しかし、その様相はもはや完全に別物となっている。
 空中への僅かな拡散すらなく束ねられた熱量は、もはや炎というよりも巨大な熱線と化してレーザーのように空気を焦がした。
 一本の赤い線がガジェットの装甲を舐めるように走り抜け、AMFどころか装甲すらも容易く貫通して機体を真っ二つに『切断』する。
 真赤に灼熱する切断面だけを残して、二つに分けられたガジェットはついに沈黙したのだった。

「やったぁ!」

 耳元で聞こえたキャロの歓声は、普段の静けさを忘れるような、純粋で年相応な喜びを表現していた。
 視線の先にある完全に機能を停止したガジェットと、すぐ傍にある少女の笑み。それらがこの竜が成した結果だと悟って、エリオは苦笑するしかなかった。

「今回は負けだよ、ボクの……」

 何が勝ち負けなのか、それはエリオとフリードの種族を越えた男同士の間でしか分からない意思の疎通だった。
 スバルとティアナのチームからレリックを確保したという報告も入り、二度目の安堵を二人は感じる。
 ここに、四人のルーキー達の初の任務が終結したのだった。

 

 

「車両内及び上空のガジェット反応、全て消滅!」
「スターズF、レリックを無事確保!」

 緊張感に満ちていた司令室に次々と朗報が飛び交った。オペレーターの声も知らず安堵が滲んでいる。
 サーチャーが車両内に転がるガジェットの残骸と、レリックの入った防護ケースを抱えるスバル達の姿を映していた。
 なのはとフェイトが敵影の無くなった上空で合流している様子も見える。
 敵は全滅した。戦いは終わったのだ。

「機動六課の初陣……何とか無事成し遂げたようですね。ボス」
「今が、<選択>の時や―――」
「いや、無理に難しい返事しなくていいですから」

 口元で手を組んだお気に入りの姿勢で低く呟くはやてを、早くも対応に慣れ始めたグリフィスが冷ややかにツッコんだ。
 冗談交じりのやりとりを許せる空気になったことが、何よりも任務の成功を表している。
 演技染みた表情を解き、緩んだ笑みを浮かべながらはやてが見上げると、似たような表情のグリフィスが頷いて返した。

「列車が止まったらスターズの三人とリインはヘリで回収してもらって、そのまま中央までレリックの護送をお願いしようかな」
「ライトニングはどうします?」
「現場待機。現地の職員に事後処理の引継ぎをしてもらおうか」
「ですが、ライトニング3と4は車両に戻っています。竜召喚で予想以上に力を使い果たしたようですね」
「あらら。まあ、気張ったからしゃあないか。ほんなら同じくヘリで回収して―――」

 的確に指示を出し続けていたはやては、モニターに映る違和感を察知して口を噤んだ。
 新たな敵影を見つけたワケではない。
 モニターに映るのは、未だ走り続けるリニアレールだけだ。
 そう、コントロールを取り戻したはずの車両が、まだ走っている―――。

「……リイン曹長の様子は? 何で報告がないんや」


 その問いに答えようとする誰よりも早く、突如鳴り響いたレッドアラートが緊急事態を知らせた。

「どうした、敵の増援か!?」

 動揺を露わにしながらも、一番早く行動したのはグリフィスだった。
 アラートと同時に乱れ始めたモニターの異常を見据えながら、状況の確認を急ぐ。

「しゃ、車両内及び上空に<何か>が出現しました! ガジェットではありません!」
「<何か>だと!? 報告は明確に行え!」
「特定できません! 記録にない魔力波です! まるで次元震のよう……っ!」
「馬鹿な! 作戦領域一帯が吹っ飛ぶとでも言うのか!?」
「感知される魔力量はそこまでのものではありません! ですが、複数出現しています!」
「サーチャーに異常! 現場、モニターできません!」

 嵐のように入り乱れる報告は更なる混乱を呼ぶだけで、どれも要領を得るものでなかった。
 任務達成の安堵感に満ちていた司令室が、一瞬で混沌の坩堝と化す。

「―――シャマルを呼べ。サーチャーを経由して観測魔法で状況をモニターするんや」

 その混乱の中で、はやての落ち着き払った命令だけが何故かハッキリと全員の耳に届いた。

「通信の復帰は後回しでええ。私が念話を繋げてみる」

 慌てて行動を開始するオペレーターの様子を一瞥し、更に指示を重ねていく。
 はやてへの尊敬の念だけでなんとか平静を保っているグリフィスが、その猶予の間に素早く思考を整理した。

「……かなり長距離ですが、可能ですか?」
「新人は無理やけど、なのは隊長かフェイト隊長には波長を合わせ慣れてる。なんとか繋がるやろ。
 それより、私の呼びかけにもリインが応えん。車両の状況を少しでも把握するんや。謎の敵以外にも何か問題が起こってる」
「了解。情報収集を急がせます」

 落ち着きを取り戻したグリフィスの返答に頷き、はやては目を閉じて精神集中へと没頭した。
 今この場ではやて以上に魔法技術に優れた魔導師はいない。
 瞑想に近い意識の奥への潜行を経て、はやてはなのはと念話を繋げることに成功する。
 これだけ長距離の念話は初めてだ。指揮官としての訓練の一貫として、念話の技術を鍛えていたのが幸いした。

『―――<なのは> 聞こえるか?』
『念話? よく通じたね』

 振動するように聞き取りにくい声だが、はやてとなのはは互いの言葉をしっかりと捉えていた。
 はやてがなのはを呼び捨てにすることが何を意味するのか、理解もしていた。
 切迫した状況でありながらそれを打開する意思とその為の仲間への信頼を抱く時、はやてはいつも自分をただの友ではなく戦友として扱う。
 なのはは念話越しでは見えない笑みを浮かべた。

『モニター出来ん。簡潔に状況を報告して。敵か?』
『たぶんね、友好的には見えないよ』

 どうやら突如出現した謎の存在と対峙しているらしいなのはが答える。

『どんな<敵>や?』

 多くの疑問を控えて、はやては単純にそれだけを尋ねる。
 彼女の脳裏には、この事態に当て嵌まる事例が一つだけ思い浮かんでいた。
 何もかも分からない状況だからこそ当て嵌まる―――今、管理局でも問題視されている謎の襲撃事件のことだ。
 そして、それを裏付けるような返事が返ってくる。

『―――死神、かな?』

 冗談染みた言葉を告げるなのはの声は、同時に薄ら寒くなるような真実味を帯びていた。

 

 


 手袋の内側で、疼くような痛みと共にじんわりと熱い何かが滲んでくるのをフェイトは感じた。
 3年前に刻まれた傷が、今また涙のように血を流している。
 握り締めた右手の中の鈍痛を表情には出さず、静寂の広がる周囲の空を見回す。
 この空を支配していたガジェットを一掃し、無粋な物のなくなった広々とした空間に浮かんでいるのはフェイト自身と相棒のなのはだけのハズだ。

「―――なのは、来るよ」

 何が来るのか、どうなるのか、それは分からない。
 だが分からなくとも、それが危険であることだけは理解出来た。フェイトはそう断じていた。
 全ては異形の刻んだ右手の傷が教えている。
 そして、ソレは来た。

《HAHAHAHAHAHAHA……》

 不意に吹き抜けた冷たい風が、二人の魔導師の持つ歴戦の勘を身震いするほどに撫で付けた。

《HAHAHAHAHAHAHA……!》

 初めは風の音かと思ったが、一瞬の悪寒が過ぎた後にそれは不気味なほどハッキリと聞こえた。
 笑い声だった。
 人影はもちろん鳥の姿すらない高度に、男とも女ともつかない奇怪な笑い声が響いていた。
 一つであった声はいつの間にか二つに、そして三つに。互いが反響し合うようにどんどん増えていく。

「……死神、かな?」

 はやてと念話が繋がったらしいなのはが、冗談交じりに笑って呟くのを、背中越しにフェイトは聞いた。
 しかし、その額には冷たい汗が滲み出ている。
 ―――いつの間にか背中合わせになったフェイトとなのはを囲むように出現したのは、冗談でもなくまさに<死神>としか形容できない者達だった。
 薄気味悪い仮面と枯れ木のような腕。風の吹くまま揺れるボロ布のようなローブから伸びる下半身は無い。まるで幽鬼そのものだ。
 黒い布が風に巻かれて漂っているようにしか見えない姿のせいか、ソイツらは警戒する二人の視界の隅から不意打つように突然現れた。
 筋肉など削げ落ちた両腕に持つ巨大な鎌だけが異様なまでに人目を惹く。
 実に分かりやすく闇の存在であることを体現し、<死神>の群れは狂ったに笑いながら空に浮かんでいた。

「話は通じそうにないね」
「敵だよ」

 ホラー映画のワンシーンが現実となっている光景に戦慄するなのはに対して、フェイトはただ端的に断言した。
 二人に共通して既視感を感じていた。
 なのはは心の奥から滲み出る恐怖と、それを何時か―――炎の中で感じたことがあるような感覚を。
 フェイトは右手の傷が蘇らせる記憶の中で、一人の少女の人生を狂わせた忌むべき化け物と同じ存在に対する明確な敵意を。
 それぞれが感じ、そして確信した。
 こいつらは紛れも無く<敵>だ。

『スターズ1、ライトニング1と共にアンノウンとの交戦に入ります』

 もはや戦いは避けられないことを、恐怖とそれを凌駕する敵意から確信したなのはが報告する。

『交戦は避けられん事態か?』
『フェイトちゃんが珍しくやる気なの』

 バルディッシュを構え、珍しい怒りの形相を静かに浮かべているフェイトを一瞥してなのはははやてに告げた。
 加えて、周囲を漂う<死神>の数は20を超えている。すでに包囲網と化していた。

『それに、どちらにしろ逃がしてくれそうにはないよ』
『未だに列車内の状況は分からんけど、事態について少し把握出来た。知らせる事が二つある』
『まず、良い知らせから聞きたいな』
『あいにくやけど悪い知らせだけや』

 答えるはやての言葉は、性質の悪いジョークのように聞こえた。
 念話越しにも肩を竦める仕草が見て取れる。

『列車が止まらん。むしろ加速しとる―――』

 そして、告げられた情報はまったくもって性質が悪いとしか言いようが無いものだった。
 少しずつ間合いを詰めて来る<死神>の動きとは別の要因で、なのはの表情が歪む。

『既に速度は通常運行の倍まで上がった。終着の施設までの所要時間も半分に短縮、このままのスピードで突っ込めば車両は建物を破壊して月まで飛んでく』
『車両内の皆は大丈夫なの?』
『それが二つ目の悪い知らせや。
 そっちに何が出たのか分からんけど、似たような反応が車両内にも複数出現した。ライン繋がっとるはずのリインからも応答が無い』
『分かった、こっちから念話してみる』

 湧き上がった焦燥感を押さえ込み、なのはは周囲への警戒を怠らずに部下達の身も案じた。
 未だ周囲に響く<死神>の哄笑。
 狂ったように繰り返される壊れたラジオのノイズのようなそれを聞いていると、こっちの頭までおかしくなりそうになる。
 目の前の存在が秘めた力よりも、その異常性と先ほどから消えない人として根源的な恐怖感がなのはを不安にさせた。
 ティアナやスバル達を信頼はしている。
 しかし、こんな奴らが彼女達の目の前にも現れていると思うと、焦りは消えない。

『―――任務続行、やで』

 すぐさま念話を繋げようとするなのはを、はやての厳しい声が遮った。
 一瞬だけ動揺で思考が止まり、息を呑む。

「……うん、分かってる」

 元からそのつもりだった。
 高町なのはは四人の教導官である以前に管理局員なのだ。そして、四人自身も。
 皆が覚悟を持ってここにいる。
 しかし、頭で理解していても釘を刺された瞬間に心と体が震えたことは隠せない。
 それきり切られたはやてとの念話の後、一呼吸だけ間を置いてなのははリーダーのティアナへ念話を繋げた。
 周囲を漂う無数の<死神>の群れは、獲物を逃がすまいと包囲の輪を縮めている。
 少しずつ。
 しかし、確実に。

 

 

「な、何が起こったの……!?」

 突然の事態に、スバルは動揺していた。
 レリックを無事確保して全身の緊張が抜ける中、車両の外へ出ようと屋根に空いた穴に手を伸ばした時、それを遮られたのだ。
 唐突に発生した赤い障壁―――結界にも似た魔力壁が車両の中と外を完全に隔てている。
 物理的なものではないが、肉眼でも確認出来るほどはっきりとした壁だ。
 その表面は生物のように蠢いて、不気味な生気すら感じられる。

「スバルさん、どうしたんですか!?」

 壁越しにもエリオの声はしっかりと通じている。
 スバルが思わずその壁に向かって手を伸ばそうとして―――ティアナに強い力で引っ張り戻された。

「ソレに近づくな! エリオ、下がりなさい!!」

 警告を発した声はスバル達には分からない危機感に満ちていた。
 その声に反応するより早く、外ではキャロがエリオを壁の近くから引き離す。
 二人が離れるのと同時だった。
 結界から壁と同じ血のように赤い腕が亡霊のように生え出たかと思うと、つい先ほどまでスバルやエリオのいた位置の空気を掴み取って消えていった。
 眼前で起こった一瞬の光景に、二人は中と外で同じように目を見開き、硬直している。
 あのまま近づいていたら、どうなっていたか。
 あの腕に捕らえられた後の展開をそれぞれが想像して青褪めた。

「何、この壁……?」

 その壁自体が生き物のように錯覚する異常性に、スバルはようやく恐怖を感じ始めた。
 何かがおかしい。何がおかしいのかは分からないが、漠然と本能が告げている。
 この列車は、たった今<異界>となった。

「結界……分断されたか」
「ティア……」
「エリオ、キャロ! 見ての通りよ、その壁には近づかないようにしなさい」
「ティア、何かおかしいよ!」
「黙って。高町隊長からの念話よ」

 得体の知れない不安に怯えるスバルとは対照的に、ティアナの様子は普段と全く変わりなかった。
 そんな相棒の突き放すような冷めた態度に、スバルは別の不安とそれ以上の頼もしさを感じて、少しだけ落ち着く。
 この異常の中で平静であることが『逆に異常である』ということには気付かず。

「―――はい、車両内の移動に問題はありません。……了解、現場に向かいます」

 ただレリックを守るように抱えて待つしかないスバルを尻目に、ティアナは念話越しに情報を交わして指示を受け取っていた。
 念話を切ったティアナが、ようやく視線をスバルに戻す。

「緊急事態よ。車両のコントロールがまだ戻ってない、このままだと終着の施設へ全速力で突っ込む」
「まだガジェットが残ってたの?」
「謎の襲撃よ。隊長達を襲ってるアンノウンがこの車両にも出現した可能性があるわ」

 予想だにしない謎の敵の存在を知り、スバルの不安はいよいよ大きくなった。
 しかし事態は、そして相棒のティアナは、そんな彼女の動揺が落ち着く猶予を与えてはくれなかった。

「先端車両に戻って、リイン曹長の安否を確認。その後、車両停止を目的として行動する。行くわよ!」
「あ、待って!」
「エリオ、キャロはその場で待機! 出来るなら回収してもらいなさい!」

 指示もそこそこにティアナは踵を返して車両内を走り出していた。慌ててスバルが続く。

「キャロ達、置いてきてよかったの!?」
「二人は消耗しすぎたわ。キャロの状態もこれ以上は危険だと私が判断した」
「じゃなくて! あの結界を誰が張ったのかも分からないし……!」
「今はこれ以上気に掛けてられないわ。それにレリックを抱えてるこっちが危険なんだから、油断しないでおきなさい」

 振り返らず、走りながらティアナが事務的に答えた。
 謎の敵が現れる可能性があるということで、道中で襲撃を覚悟していたが、二人の走り抜ける通路にあるのは戦闘の跡とガジェットの残骸だけだった。
 激しくなる列車の振動が、文字通り加速する異常事態を静かに告げている。
 車両と車両を飛ぶように走り渡り、先端車両の入り口まで障害無く駆けつけると、ティアナは殴りつけるようにドアの開閉装置を押した。
 意外にも、ドアは抵抗無く開く。
 レリックのせいで片腕が塞がっているスバルを脇に控えさせて、操作機器の集中する内部を覗き込んだ。

「―――ッ、曹長!?」

 ティアナはその光景に息を呑んだ。
 コントロールパネルの前で浮遊しているリインを、奇怪な蟲が襲っている。

「な、何アレ!?」

 驚愕するスバルの疑問に、さすがのティアナも答えることは出来なかった。
 <蟲>と表現するのが最も近いのかもしれないが、実際にあんな種類の昆虫が存在するとは思えない。
 六本の脚を広げれば人間の上半身を丸ごと覆ってしまいそうな蟲としては異常な大きさと、甲殻ではない皮膚のような肉感のある外面を持っている。
 ソイツがどういう存在なのかは分からない。
 しかし、生理的な嫌悪感を感じさせる外見で、リインを飲み込まんばかりに覆い被さる姿は無条件で敵と認識できるものだった。

「やっぱり、<お前ら>か……っ!」

 スバルよりも遥かに早く動揺から抜け出したティアナがアンカーガンを向ける。
 照準の先に見える標的を睨み据え、しかし舌打ちして襲撃を断念した。
 リインと蟲との距離が近すぎる。
 目も口も無い体で、一体どういう襲い方をしようというのかは分からないが、六本の脚で小さなリインを丸ごと包み込もうと密着している状態だ。
 リイン自身はそれを魔力障壁で必死に押し返している。
 小さな上司に襲い掛かる汚らわしい敵を、ティアナは嫌悪感以外の感情で憎悪した。
 ティアナだけが理解している。この蟲は<悪魔>の一種だ。
 そして、ただそれだけの事実がティアナにとって重要だった。
 この私の目の前で、<悪魔>が蠢き、自分に近しい者を襲っている―――その事実だけで、もう全てが許せない。

「この蟲野郎ッ!」

 訓練でも実戦でも、常に冷静冷徹であり続けたティアナが、明らかな憎しみを込めて敵に攻撃を行った。
 不気味な外見を恐れもせず、その場に駆け寄ってデバイスの台尻で殴り払う。
 肉の潰れる嫌な感触と共に、蟲はリインから引き剥がされた。
 しかし。

「まだだよ、ティア! くっついてる!!」

 叫ぶスバルの声は、もうほとんど悲鳴だった。
 殴り飛ばしたと思った蟲は、素早く脚を絡めてアンカーガンに取り付いていた。

「この……っ!」

 腕から全身へ走り抜ける嫌悪感と危機感と共に、ティアナは慌ててデバイスを投げ捨てた。
 意外にもあっさりと蟲は手から離れ、デバイスに絡みついたまま床を転がる。
 最悪腕を切り落とす悲壮な覚悟すらしていたティアナは思わず安堵した。
 そして、すぐに後悔した。
 起き上がった蟲がティアナに向かって『魔力弾』を撃ってきたのだ。

「クソッ!」

 状況を理解するより早く体が動き、力無く倒れるリインを抱えて転がるように避ける。
 這うような姿勢でもう一度敵を見据えれば、やはり信じがたい姿が眼に映った。
 ティアナに向かって魔力弾を撃ったのは蟲が持つ能力ではない。つい先ほどまでは無かった無機質な銃身が蟲の体から突き出して照準を定めている。
 その銃身は見覚えがあった。
 いや、間違いなくそれはアンカーガンの銃身そのものだった。
 蟲は、アンカーガンと半ば融合するような奇怪な姿へと変貌して、更にそのデバイスの能力で魔力弾を放っているのだ。

「まさか、カートリッジの魔力を!?」

 さすがに驚愕を隠せないティアナの動揺を突いて、再び魔力が集束する。
 しかし、それが放たれるより早く。

「このぉぉおおっ!!」

 半ば恐慌状態のスバルが反射的に放ったリボルバーシュートが横合いから蟲を殴りつけた。
 吹き飛んだ蟲は今度こそ空中でバラバラになり、肉片が床にばら撒かれる前に消滅して、同時に破壊されたアンカーガンの破片だけが散らばる。
 幻のように消えた敵の姿に目を剥きながら、スバルは荒い呼吸を繰り返した。

「……ティ、ティア」
「スバル、後ろ!!」

 敵を倒した安堵感よりもその得体の知れなさに恐怖を感じていたスバルは、ティアナの突然の叱責に一瞬反応できない。
 次の瞬間、倒した蟲とは別の一匹が背後から襲い掛かった。

「う、うわぁああああっ!!?」

 背中にへばり付いた蟲の感触に、スバルはパニックに陥る。

「ベルトを外すのよ!」

 錯乱して事態が悪化する前に、今度はティアナがスバルを救った。
 スバルに残った理性が行動に移すより早く、ティアナが自ら言葉の通りに動く。
 胸元の留め具を素早く外して、スバルの体を引き寄せながら、背負っていたケースごと蟲を蹴り飛ばした。
 距離を離し、蟲がこちらよりもケースの方に興味を持ったらしいことを確認すると、二人してようやく一息つく。

「……ごめん、ティア」

 リインの時と同じように、ケースに取り付いてその中身を探ろうとする蟲の動きを見ながら、スバルが気まずげに呟いた。
 あの蟲の生態が理解出来た以上、これから何をしようとするのかも予想出来る。

「まさか、デバイスを乗っ取るなんてね。多分リイン曹長も取り込もうとしてたんでしょう」

 腕の中で気絶したリインを一瞥して、ティアナは舌打ちした。
 あの蟲にとって予想外だったのは、物言わぬデバイスとは違い、管制人格たるリインが抵抗出来た事だろう。
 おそらく車両のコントロールをガジェットに代わって奪ったのもあの蟲と同種のものだ。どうやら無機物に寄生する能力があるらしい。
 何処に潜んでいるのかは分からないが、おそらく複数。それらを駆逐して車両を止めるのは骨が折れそうだ。
 そうしてティアナが既に作戦の修正を行っている間、スバルは悲痛な表情でついにケースを抉じ開けられる様を見ていた。

「わたしのせいで、ティアのデバイスが……」
「バカ、あんたと引き換えにするような物じゃないわよ」

 自分を責めるスバルに、ティアナは普段通り素っ気無く言った。
 本当に、別段気にはしていないのだ。製作者のシャリオには悪いが執着するような物ではない。
 それよりも乗っ取られた後が厄介だ。新型の性能が、どう裏目に出るか分からない。

「スバル、今のうちにデバイスごとあの蟲を……」

 『破壊して』―――その台詞は、突然遮られた。
 他ならぬ<クロスミラージュ>自身の意思によって。

《Error!》

 拒絶するように発せられた電子音声の後で、デバイス自体が発生させた障壁によって蟲が弾き飛ばされた。
 それは、明らかに抵抗だった。
 ティアナとスバル、そしておそらく蟲自身も驚愕する中、<クロスミラージュ>の意思が語りかける。

《Get me―――》

 ただ一人、自分が認めた持ち主に向かって。

 

《My master!!》

 

「―――スバル! お願いっ!!」

 その無機質な声はティアナの心と体を突き動かした。
 リインをスバルに預け、自らはクロスミラージュの元へと向かう。しかし、再び動き出した蟲が全く同じ行動を取っていた。
 ティアナの瞬発力の方が明らかに上回っているが、距離的にはあちらの方が断然近い。
 咄嗟に、残っていたアンカーガンを蟲の進路上に投げつけた。
 狙い撃つことも不可能ではなかったが、何故か手放してしまった。自分の行動を頭では理解できないが、心は既に知っている。
 その瞬間、ティアナは選んだのだ。自分を呼ぶ新しい相棒を。

「<クロスミラージュ>……!」

 より容易く寄生出来るデバイスの方へ意識を移した蟲を尻目に、ティアナは真っ直ぐにクロスミラージュへと手を伸ばす。
 アンカーガンに蟲が取り憑くのと、ティアナがクロスミラージュを掴むのは同時だった。

「セット・アップ!!」

 発せられたキーワードにより、デバイスが起動する。
 握り締めたグリップから生命の脈動が伝わり、銃身から息吹が聞こえた。
 閃光を伴ってティアナのバリアジャケットが新たに再構成される。性能や細部のデザインは新型のそれへ。
 真の意味でティアナのデバイス<クロスミラージュ>が誕生する瞬間だ。
 その光景を打ち壊すべく、アンカーガンを完全に乗っ取った蟲が魔力弾を発射した。
 装填されていたカートリッジの魔力を集中した一撃は先ほどの比ではない。
 弾丸は一直線にティアナへと襲い掛かり―――。


「Eat this(こいつを喰らえ)」


 クロスミラージュの銃口から放たれた魔力弾がそれを貫いて、そのまま蟲の肉体を粉々に吹き飛ばした。

《―――BINGO》

 加熱した銃身からまるで紫煙のように煙を吐き出して、クロスミラージュが言い捨てた。
 咄嗟に撃った魔力弾の、予想以上の威力に軽く驚き、ティアナは改めて新しいデバイスを見つめる。
 魔法の発動速度に集束率、その負担の軽減まで、全てが既存のデバイスを凌駕していた。

「……なるほど、言うだけあってサポートは完璧ね」
《Yes. Was it unnecessary?(はい。不要でしたか?)》
「いいえ、ゴキゲンだわ」
《Thank you》

 小気味良い返事を聞きいて満足げに笑った後、ティアナはもう一度視線を消滅した敵の跡へ向けた。
 そこに残されたのは、バラバラになったデバイスの残骸だけだ。
 感傷に浸るほど状況に猶予は無く、自分で感受性の強い方だと思ってはいないが、それでも胸に去来するものはあった。
 あのデバイスで今日まで戦い続けてきた。
 敵を倒し、挫折感も達成感も経験して、そして大切なこともあれを通じて教えられたのだ。

「…………さよなら、相棒」

 囁くように別れを告げる。
 未だ続く任務の最中で、その僅かな時間だけは許された。

「―――OK、それじゃあ<相棒> 早速だけど働いてもらうわよ? 弾が真っ直ぐに飛ばなかったら、溶かしてトイレの金具にするわ」
《All right, my master》

 わずかな感傷の後に、普段通りのティアナ=ランスターが戻ってくる。
 開いた眼には<悪魔>すら恐れぬ戦意が漲り、口元には兄貴分譲りの不敵な笑み。
 どんな状況でも笑い飛ばす、それがクールなスタイル。
 両手にクロスミラージュを携え、仁王立ちするティアナの背後でスバルの息を呑む音が聞こえた。
 再び<敵>が現れる。
 あの蟲が、今度は群れを成して車両の天井や壁から滲み出るように現れ始めたのだ。
 この世の法則を無視したそれは、まるで悪夢のような光景だった。
 しかしその中でただ一つ、失われない光がある。

「イカれたパーティーの始まりってわけね」

 闇への恐怖を人間としての怒りで圧倒した少女は、悪夢を前にして怯みはしなかった。
 両手の中で銃身が華麗に踊り、ピタリと止まった瞬間に胸の前で腕を交差させる。
 今から撮影に臨むトップモデルのように、一分の隙もない、完璧に決まったポーズ。
 醜悪な蟲の湧き出る地獄のような光景の中で、その陰鬱さを全て吹き飛ばす破壊的な美しさをハンターとなった少女は放っていた。

《―――Let's Rock!》

 そして、新たな銃火と共に、ティアナは<悪魔>との戦闘を開始した。

 


to be continued…>

 

 

<ダンテの悪魔解説コーナー>

・インフェスタント(DMC2に登場)

 力だけが全てを支配する悪魔の世界において、何も強い奴だけが生き残れるわけじゃない。その代表格がこの寄生生物だ。
 文字通り、こいつは生物や悪魔はもちろん、機械みたいな無機物とも融合して自在に操る能力を持ってる。
 特に自我を持たず、時代の進化によって強力になりつつある近代兵器なんかは、こいつらにとって格好の寄生対象になるわけだ。
 戦車に戦闘機にデバイス、どれも乗っ取られれば凶悪な化け物へ変わる代物ばかりだ。
 加えて、ただ宿主を使い潰すだけじゃなく、複数で取り憑ついてその性能や耐久力を底上げしちまうってあたりが厄介極まりないぜ。
 他人の威を借りる寄生生物だけあって、それ単体ではノロマな虫けらに過ぎないからな。調子付く前に手早く害虫駆除といこうぜ。

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最終更新:2008年03月29日 14:19