その男の名前は<ジェイル=スカリエッティ>と言った。
研究者らしい白衣に身を包んだ姿は、機器のランプが照らすだけの薄暗いラボに在って冴えるように目立つ。
探究心を満たす喜びに口は笑みを形作り、瞳は知的な輝きを湛える。
ただ一つ、彼に欠けているモノがあるとするならそれは―――人としての正気だけだった。
「―――例の<魔剣士の息子>を見たよ。予想以上の力だ」
スカリエッティがまるで目の前の闇と話すように、唐突に口を開く。
その闇の中に溶け込むように、一人の男の影が在った。
『……勝手な真似をするな、と言った筈だが』
声色は平坦そのもので、口調だけは咎めるような響きで声が返ってきた。
『あの男だけが事態を正確に察知出来る。今の段階で、こちらの動きを悟られるわけにはいかんのだよ』
「それは分かっているがね。興味があったんだ、人間と悪魔の血肉を兼ね備える存在に……」
『いずれ対峙する機会は作る、とも言った筈だ。今はその時ではない』
「上手くすれば、彼の持つ<鍵>も手に入った」
『そして、結果は失敗かね?』
「これは耳が痛い」
交わされる言葉はお互いに丁寧で柔らかな物腰から発せられるものだったが、実際に漂う空気は剣呑で不穏に満ちている。
スカリエッティは相手を嘲るように話し、影の男もまた彼を見下した物言いを崩さない。
二人の間には形だけの敬意と協力しか存在しなかった。
『―――奴の持つ<鍵>はもう必要ない。この世界と<魔界>を繋げる方法は一つではないのだ』
初めて聞く情報に、スカリエッティの表情が僅かだけ歪んだ。
彼の叡智を持ってしても<悪魔>に関する事柄は目の前の男にアドヴァンテージがある。そこだけは認めなければならない。
「それは初耳だ。是非、新しい方法を聞かせていただきたい」
『必要ない』
「我々の円滑な協力関係の為にも、情報はある程度共有した方がいいと思うけれどねぇ……」
皮肉るようなスカリエッティの微笑に、闇の中で変化があった。
まるで、そこに佇む男の影が唐突に人の形を崩して、まったく違う存在に変貌したかのような感覚が―――。
『―――<我々>?』
スカリエッティの笑みが僅かに強張る。
背筋に走る悪寒と滲み出る汗を感じながら、なんとか余裕の笑みは崩さなかった。
例えどれ程狂っても、人は人の枠を飛び越える事は出来ない。
そして、人である以上決して逃れられないものだ―――闇を恐れる心というものは。
『ならば、円滑な関係の為にも気をつけることだ。<我々>などという言葉は、二度と使わぬようにな』
「……失礼した。貴方と私達との緊張ある関係を尊重しよう」
目の前で、男が再び人間の姿を取り戻すのを感じ取る。
男は、かつて人間だった。それはスカリエッティの調べる限り、確かな事だ。
だが、もう今は人間ではない。
<悪魔>に魅せられた人間のありきたりな結末であり、しかしそれを切欠に闇を自らの内へ取り込む事に成功した希少な成果でもあった。
『あの男の重要性は低い。所詮朽ちかけた伝説の残滓だ。
だが、あの<剣>に眠る力に興味があるのなら好きにするといいだろう。私は関与しない。ただし……』
「分かっているよ。今回の独断専行は申し訳なかった、機が熟すのを待とう」
『―――動くべき機は追って知らせる。それまでは貴様らの好きにするがいい』
そこまで告げて、男のそこに在る気配は一方的に消え去った。
もはや、闇の中には誰もいない。
ただ一人残されたスカリエッティは、見えるはずのない男の後姿をジッと見送っていた。
「……うーん、怖いねえ。何度も挑戦してみるけど、やっぱり<悪魔>に対する恐怖心っていうのは簡単に克服できるものじゃないらしい。ねえ、ウーノ?」
「確かに、あの男から感じる寒気は恐怖と言ってよいでしょう―――」
いつの間にか傍らに付き添うように現れた自らの秘書に笑いかける。
硬くなった表情を解すように手で揉むスカリエッティとは反対に、ウーノの顔は険しい怒りの表情に固まっていた。
「ですが、我々はあの程度の恐怖に屈しはしません。命令していただければ、あの横暴な男に相応な……」
「痛めつけて態度を変えるような男ではないよ。それに、人格はともかく彼の<力>はその横暴さに見合っている」
自らの尊敬する主に対して、常に見下すような立場を変えないあの男をウーノは心底嫌っていた。
最近では殺意まで混じるようになった彼女の視線が男の消えた闇に向けられているのを止めながら、スカリエッティは苦笑する。
今の自分達の位置が駒に過ぎないことは、彼女も分かっている筈だ。あの男や、他のスポンサーにとっても。
そんな奴らの横暴な物言いにも、内に秘めた反骨心を支えにして受け流してきた。
しかし、そんな冷静沈着なウーノをしてもあの男に対しては激情を隠し得ない。
彼女はそれに気付いているだろうか?
それはきっと、あの男が持つ闇の力に触れることで起こる動揺が原因なのだと。
「それに、あの男は得難い協力者だ。<悪魔>の力と存在は、私にも計り知れない」
そう呟くスカリエッティの瞳には澄んだ輝きがあった。
狂気に塗れながらも決して失うことはない、未知のものへの探究心があった。
人は闇を恐れ、しかしその深遠さに惹かれることがある。果たして底など在るのか? と。
『魔に魅入られし人は絶えず』―――狂気の科学者ジェイル=スカリエッティもそういう人間だった。
「……でもね、それ以前に彼はいずれ倒れる運命にある男だと私は確信してるんだよ」
唯一つだけの点を除いて。
「何故なら、彼は<人間>を捨てて<悪魔>の力を手に入れたからだ。
彼はどうしようもなく『人間を侮っている』んだよ。弱くて、脆くて、卑小な存在だと切り捨てているのだ」
そう独白しながらも、顔には絶対の自信を笑みにして浮かべる主を、ウーノは理解できなかった。
純粋な戦力比でしかあの男との対比を計算できないウーノには分からない。自らの創造主の、理屈を越えた絶対の自信を。
「そうだ、彼は侮っている。<人間だけが持つ力>を、彼は理解せずに真っ先に捨ててしまった」
「人間の力……ですか?」
「そう、人間の力だ。彼はそれに敗れる。いずれ、間違い無くね」
「その<力>とは?」
困惑するウーノの頬にそっと手を沿え、愛しげな手つきで撫でて、囁くように答えた。
「Devil never cry―――『悪魔は泣かない』 それが全ての答えさ」
「……分かりません」
「<悪魔>の力は偉大だ。だが、奴らにも欠けているものはある。彼はそれを知らず、私は知っている」
絶対の自信を持って呟き、スカリエッティは自らの胸に手を当てた。
そこには見えない弾痕が刻まれている。
実際に撃たれたワケではない。現実に銃を向けられたことすらなかった。
撃たれたのはガジェットだ。それに、その瞬間もノイズで満たされたモニターでは見届けることすら出来なかった。
しかし、あの時あの瞬間、自分は『撃たれた』のだと錯覚した。
あの時―――ダンテと対峙して、その視線に真っ向からぶつかった時だ。
AMFの影響下で、スカリエッティからすれば稚拙極まりない技術で作られた簡易デバイスを突きつけた男の視線を、あの時確かに恐怖した。
それはダンテの持つ<悪魔>の力にではない。もう一つの力―――あの瞳に宿った汚れない人間としての意志の強さに圧倒されたのだ。
撃たれた瞬間の衝撃が、機械を通して自分の心臓を貫いた感覚が今でも残っている。
あれこそが、人間の持つ力だ。自分には持ち得ない種類の力だが、人間だけが持つ力の一端であることは確かなのだ。
スカリエッティはそれを確信し、狂喜していた。
「私はねぇ、ウーノ! 人間の可能性というものを信じているんだよ!
人が秘める心の力……それが善か悪かなんて問題じゃない、ただ確かに<悪魔>にも打ち勝てる力なんだ! 私はその<命の力>を尊重して止まない!!」
そう断言するジェイル=スカリエッティの意志は汚れの無いものだった。
汚れ無く、歪んで表面化した確固たる意志だった。
人はそれを<狂気>と呼ぶ。
ただ一つ―――。
「―――人間を侮らないことだ、<悪魔>よ」
闇に向けてなお恐れなく胸を張って笑い飛ばす姿だけは、人間としての気高い在り方そのものであった。
魔法少女リリカルなのはStylish
第八話『First Mission』
そこがどんな場所だったのか、キャロは覚えていない。
ただ、清潔を超えて逆に怖くなるくらい白色で統一された広い部屋だったことは思い出せる。
そこに入れられるまで、ずっと路地裏や物陰にいて、薄暗くて狭い場所に慣れきっていたせいもあるかもしれない。
一つきりの椅子に座ったキャロから、まるで彼女の抱える何かを警戒するように離れた位置で数人の大人が話し合っているのが見えた。
会話の内容は覚えていない。
聞こえていなかったワケじゃない。ただ、あの時の自分はもう全てがどうでも良くて、虚ろだった。
「確かに、凄まじい能力を持ってはいるんですが―――」
話をする大人達の顔も、まるでモザイクが掛かったみたいにハッキリとしない。
「制御がロクに出来ないんですよ。<竜召喚>だって、この子を守ろうとする竜が勝手に暴れ回るだけで……。
現に今も、従えている幼竜が引き離す際に派手に暴れ回りましてね。何人か局員に負傷者を出して、ようやく抑えつけたところです」
結局、何処に行っても同じなのだ。
里から出た時は、まだ『生きていこう』という前向きな意志があった。
しかし、それももう無い。
「特に<竜召喚>以外の―――未確認の魔法生物を召喚する能力は、もはや戦力というより害にしかなりません。
殺傷力、凶暴性共に完全な過剰防衛能力です。この子を見つけたスラムでは、すでに死人も出ているとか……。全て犯罪者予備軍のような奴らですがね」
自分に何かを与えようとしてくれる人も、自分から何かを奪おうとする人も―――この力は全て等しく傷つける。
それを悟った時、キャロの中で何かが折れたのだ。
この身はもはや災いの種。
近づく者は、誰も彼も引きずり込む闇の坩堝だ。
「とてもじゃないけど、まともな部隊でなんて働けませんよ」
だから、もうどうでもいい……。
そうしていつからか、体も心も、全てを投げ出していた。
―――だがそれでも、自ら命を絶とうとだけはしなかったのは。
まだ生きることに未練が残っていたからかもしれない。
もう二度と過ごすは出来ない、明るい陽光の当たる場所での生活を夢見ていたからかもしれない。
そんな情けない自分を何処までも嘲笑って―――。
「せいぜい、単独で殲滅戦に放り込むくらいしか……」
「もう結構です」
そして、その人に出会った。
喋り続ける誰かを遮った、初めて聞く力強い芯の通った声に、キャロの視界はほんの少しだけピントを取り戻した。
白い部屋に白衣の男。何もかもが白くて嫌になるような場所で、彼女の黒い制服にどこか安心出来たからかもしれない。
キャロは少しだけ顔を上げて、強い意志を宿した瞳を持つ美しい女性を見た。
「では……」
「いえ。この子は予定通り、私が預かります」
「危険です、フェイト=T=ハラオウン執務官」
フェイトの言葉に別の男が深刻な表情で告げ、それをぼんやりと聞いていたキャロは全く同感だと心の中で頷いた。
こんな自分を預かってくれる人は優しい人だ。
だから、考え直して欲しかった。
これまでのように、そんな人をこの力が傷つける前に。
そしてその結果、自分に一変した恐怖の感情を向ける前に。
傷つけることも、傷つけられることも、もう耐えられない。
「アナタ達も、厄介払いが出来ていいのでは?」
先ほどの当人に対する配慮に欠ける報告を皮肉って返すフェイトの鋭い視線を受け、ほとんどの者が気まずげに黙る中、進言をした白衣の男だけが真っ直ぐに見返していた。
「この娘は危険です」
「それは既に聞きました。承知の上です」
「貴女は、この娘の力を見ていない! アレは単なる力の行使ではありません、邪悪な意思を宿した<何か>です!」
科学者である彼がそんな不明瞭な物言いをすることは珍しいが―――しかし、彼は誰よりも正しかった。
キャロ自身、その点に関しては全く同意している。
その白衣の男だけは、他の危機感が欠落した大人とは違う。キャロが持つ闇を正しく恐れる人間としての感性を持っていた。
彼らは気付いていないのだ。
自分達が今目の前にしている幼い少女が、どれ程巨大で恐ろしい暗闇へと繋がっているのか。
「……では、あの子に決めてもらいましょう」
真剣な男の眼差しに何を感じ取ったのか、しばし思案に沈黙した後でフェイトは言った。
そして、おもむろにキャロの元へ歩み寄る。
背後で男達が慌てたように何か喚いていたが、キャロはただ自分だけを見て歩みを進めるフェイトをぼんやりと見上げていた。
「…………来ないで」
もううんざりするくらい繰り返した、弱弱しい拒絶。
自分に近づく者に、何度もそう言って忠告した。しかし、誰も聞いてくれない。
優しい笑みを浮かべて近づく老婆や、嫌らしい笑みを浮かべてにじり寄る浮浪者―――そして、静かに自分を見据えたまま歩み寄る彼女も。
キャロの力無い拒絶とは裏腹に、彼女の<力>はその意思を凶暴な形で具現化させた。
足元から伸びる影が不自然な形に変わり、それは文字通り膨れ上がって平面から立体へと変貌を遂げる。
フェイトは思わず足を止めて、目を見開いた。
キャロの影がまるで滲むように床に大きく広がり、更にそこから黒い肉体を持った何かがゆっくりを生え出てくるのだ。
「これは……っ」
「下がってください、執務官! その<影の獣>は近づく者を攻撃します!!」
背後で響く悲鳴に近い声の言うとおり、それは<影の獣>としか表現出来ないモノだった。
もはやキャロの影から完全に独立したソレは、真っ黒な塊から豹の姿へと変化し、血のように赤い眼を宿した影の化け物となって四本の足で佇んでいた。
輪郭がハッキリとしないのは、それが実体が無い筈の影から生まれた者だからか。ただ、感じる魔力は強大で禍々しい。
ソイツは、キャロの傍を動かぬままこちらを見ていた。
しかし、フェイトはそれがキャロに付き従っているようには見えなかった。
むしろ逆だ。この化け物に、この少女は縛られている。
「―――どけ」
フェイトの中で激しい怒りが燃え上がった。
影の獣を睨みつけ、止まっていた歩みを再開する。後ろで何か騒いでいるが、もうそんな事はどうでもいい。
恐怖はあった。確かに、この<力>は恐ろしいものだ。
ただの魔法や能力ではない。得体の知れない存在の介入を感じる。
しかし、今はそれ以上に怒りが勝った。
この化け物の存在が、幼い少女から笑顔と未来を奪った。その眼から輝きを奪った。
それが許せない。
「来ないで……」
「大丈夫、私を見て」
歩みを止めないフェイトに驚きながらも、キャロは力なく首を振る。
「来ないでって、言ってるのに……っ」
その拒絶の言葉は、同時に『助けて』とも聞こえた。
だが彼女の傍らの存在は、そんな少女の儚い意思を歪め、捻じ曲げて受け止める。そして自らの凶悪な力を以って実行した。
影の獣の頭部が変形する。
元から特定の形を持たない為か、容易く肉体を変化させたその頭部が鋭い槍へと瞬時に変形し、次の瞬間高速で伸びてフェイトに襲い掛かった。
額を狙った殺意の宿る一撃に、キャロを含めた誰もが息を呑む。
しかし―――。
「……お前じゃない」
残酷な結末は訪れなかった。
恐るべき一撃を、フェイトは驚異的な反射神経と速さによって受け止めていたのだ。
右腕だけ瞬間装着したバリアジャケット。その手で鋭く伸びた槍を掴み取っていた。
しかし、魔力防護を受けた右手で受け止めてなお、影の槍はフェイトを傷つけた。
槍を握る指の隙間からは鮮血が滲み出ている。素手ならば、指が飛んでいただろう。
「ぁ……あ……っ」
流れて落ちる赤い雫に、キャロは震えた。
恐ろしかった。自分の傍らに佇む黒い獣はもう慣れ親しんだものだが、誰かを傷つけることは絶対に慣れない。
その血をこれ以上流さない為に、独りで居続けたのに―――。
「……私が話してるのは、この子だ」
後悔と罪悪感で泣きそうになるキャロを、しかし変わらぬ力強い声が引き止めた。
「お前じゃない。消えろ!」
フェイトは恐れも無く、闇を睨みつけていた。
誰もが忌避し、底の見えない深遠な暗闇から眼を逸らすものの具現と、他者の為に抱く人間としての汚れない怒りで真っ向から対峙していた。
槍を掴む手に力が篭り、ミシッと音を立てて、闇の獣が小さく唸る。
悔しげな響きを持つその声をキャロは初めて聞いた。
この<悪魔>は、フェイトの気迫に圧されているのだ。
「この子の心は、お前の棲む場所じゃないっ!!」
その鋭い一喝に、<悪魔>が在り得るはずの無い恐怖を抱いたからなのか、あるいはその一言でキャロの抱く陰鬱な感情が全て吹き飛んでしまったからなのか。
恐ろしい闇の塊が、まるで逃げるように牙を納めて再び影の中へと沈んでいった。
ただ呆気に取られるキャロと背後の男達の視界から、もはや影の獣は完全に消え失せる。
何事も無かったかのように静寂が戻った部屋の中で、フェイトの手のひらから落ちる血の雫だけが小さな音を立てていた。
「……これで、やっとお話が出来るね」
優しくそう言って、目の前にしゃがみ込むフェイトの顔を見たキャロはようやく我に返った。
「あ……っ、血、血が……!」
「大丈夫、私を見て」
流れる血は止まらなかったが、フェイトはそんな事など気にもかけず、先ほどと同じ調子でそっと囁いた。
久しく向けられたことのなかった柔らかな微笑みに、キャロはどうにかなってしまいそうだった。
ずっと薄暗い場所で蹲っていて、近づく人は皆傷つけられ、恐れ、悲鳴を上げて逃げていく。その繰り返しだった。
しかし、今この瞬間それは破られたのだ。
傷つきながらも、自分の為に怒り、退き返さずに更に一歩自分の元へ踏み込んでくれた。
弱弱しい拒絶の陰に隠れた、助けを求める声に気付いてくれた。
「あの……! わた、わたし……わたしぃ……っ!」
「うん、話したい事いっぱいあると思う。だから、まずは名前を教えて?」
涙でくしゃくしゃに歪んだ視界の中で、そう言って笑うフェイトの顔を、キャロは一生忘れないだろう。
鼻水で詰まった声を、精一杯振り絞って答えた。
「ギャロ゛、でず……っ! わだじは、<キャロ・ル・ルシエ>ですっ!!」
この名前を捧げて、闇の契約に縛られた。
そうして始まった辛い日々の果てで、もう一度名乗った時―――それを聞いた彼女は自分を再び光ある世界へと引き上げてくれた。
そこが何処だったのか、キャロは覚えていない。
だけどその日、その瞬間、その人が流した血と浮かべた微笑みの温かさは―――きっと一生忘れない。
キャロは今でもそう思っている。
「……あ、ほら。目を覚ましたみたいよ」
まどろみの中で、キャロは聞き慣れない声を聞いた。
妙に重い体を起こして辺りを見回せば、医務室の白い空間とベッドがある。そこで自分は寝ていたらしい。
枕元にはフリードリヒがいる。
ベッドの傍で微笑む白衣の女性が、医務官のシャマルであることをキャロは思い出した。
「あれ……? わたし、確か訓練してたはずじゃ……」
「それで、高町教導官との射撃回避訓練(シュートイベーション)が終わった途端に倒れたのよ」
混乱するキャロに簡潔に説明したのはティアナだった。
シャマルの傍にはティアナを含む仲間が三者三様の表情で自分の無事に安心していて、キャロは急に恥ずかしくなった。
ただ一人、ティアナだけが厳しい視線を向けている。
「過労と睡眠不足が原因だそうよ。体調管理はどうなってるの?」
「す、すみません……」
「まあまあ、ティア。訓練の最中じゃなかっただけマシじゃない」
「そ、そうですよ。大事にはならなかったんですし……」
「大事になってからじゃ遅いのよ!」
恐縮するキャロを見て、慌ててフォローに回るスバルとエリオだったが、こういった事に関してはティアナは厳しい。
それは相手を案ずる気持ちがあってこそのものなのだが、言い方が直球で、ワンクッション置けないのが欠点だった。
「高町教導官の代わりに叱っとくわ。
キャロ、あんたが怪我をして、負担を負うのは自分だけじゃないのよ。教えている教導官にも責任が来るの」
「はい……」
「訓練で無理をするのは当たり前だわ。だけど、自分の状態も分からずに無理をするのは無謀でしかないのよ」
「はい、すみません……」
ティアナの叱責に、力無く頭を垂れるキャロだったが、不思議と落ち込む心には喜びも湧いていた。
こうして、真正面から自分を叱ってくれる相手は新鮮だった。
保護者のフェイトは自分をよく気遣ってくれるが、叱り飛ばすようなことは滅多にしない。だからだろうか。
「ティアナさん、少し強く言いすぎです!」
「そうだよ! ツンデレもいい加減にしないとっ!」
「あんたたちは黙ってなさい。あと、スバルはもう永久に黙ってなさい!」
そして、自分を案じてくれるエリオとスバル。そんな四人の様子を笑顔で見守るシャマル。
この部隊に来て、初めて経験することばかりだ。
それが新鮮で、そしてとても暖かい。
自然と笑みを浮かべたキャロの顔を見上げ、フリードリヒが満足げに鳴いた。
「ティアナさん。皆も、ご迷惑をかけました。ごめんなさい」
それぞれの顔を見据え、深く頭を下げたキャロの決然とした態度に、騒いでいた声は静まっていた。
「……次から気をつけなさい。あと、この二人にはお礼言っておくのよ」
厳しい表情を和らげ、いつも通り素っ気無くティアナは言った。
「顔面から倒れそうになったのを咄嗟に支えたのがエリオ。ここまでおぶってきたのがスバルよ。それと、さっき仕事で出て行ったけど、ギリギリまで付き添ってたフェイト執務官」
「そして倒れたキャロを一番に心配して、急いで医務室に連れて行こうとしたんだけど、訓練で疲れ切ってたから背負った瞬間に倒れて頭を打ったのがティアだよ」
ニヤニヤと笑いながらスバルは付け加えた。
仏頂面が一瞬で沸騰する。赤面したティアナの額には、デカイ絆創膏が貼られていた。
奇声を発しながらスバルに殴りかかるティアナをエリオが慌てて止めて、さりげなく喧騒から離れたシャマルが笑って見守る。
よく見れば、三人ともまだトレーニングウェアのままだ。
疲れて汚れた体のままここに来て、そして自分が目覚めるまで待っていたらしい。
それを理解すると、キャロの胸に泣きそうなくらい切なくて暖かいものが生まれた気がした。
もう自分は心の底からは笑えないと思っていた。
そして、実際に今でもそう思う。だけど、喜びや嬉しさを感じないわけじゃない。
小さいな微笑みの奥に隠した感情の乱れを気遣うように見上げるフリードリヒの頭を撫でて、キャロは思う。
―――ここに来てよかった。
フェイトとの出会いが最初の救いで、共に戦う仲間を得たことが希望だった。
呪われた自分に、それはこの上もなく上等なことだ。
<ここ>はとても居心地が良い。
だからこそ、この決断に間違いは無い。
戦おう。この呪われた力を使って、この大切な人達の敵と。この大切な人達が守りたいと願うものの敵と。
戦おう。傷つけることしか出来ないこの力を、ならば悪しき者達に向けて使うのだ。
戦おう。どれだけ自分の力の恐ろしさを理解しても、自分で自分の存在を消すことだけは出来なかったから。
だから、戦おう。
少しでも大切な人達の為に。
少しでも正しい事の為に。
戦って、戦って、戦って―――。
そして死にたい。
優しい喧騒の中でキャロはただ静かに、強くそう思った。
ミッドチルダ北部ベルカ自治領にある<聖王教会>の大聖堂。
町民の衣装や建築物に信仰する宗教の特色が色濃く出る文化の中心とも言える場所がここだった。
『騎士カリム、騎士はやてがいらっしゃいました』
「あら、早かったのね」
秘書の報告に、カリムは書類を処理する手を止めた。
ほどなく部屋のドアをノックする音が響き、執事に案内されたはやてが顔を出す。
「―――ほんなら、あのおっちゃんにはよくお礼しておいてください」
「かしこまりました」
はやてが何やら頼み、執事がそれに会釈する。
厳かな雰囲気の漂う聖堂にいると思えないはやての気安い態度に、カリムは苦笑した。
「何の話かしら?」
「いやぁ、ホンマはここに来るのにフェイトちゃんの車に乗せてもらうはずやったんやけど。教え子が倒れたから、しばらく付いてる言うてなぁ。足が無くて困ってたんや」
言葉とは裏腹に、笑いながらはやては頭を掻く。
「わざわざ車呼ぶのもなぁ、って思うてたら、ちょうど同じ行き先で長距離トラックの運ちゃんが乗せてってくれる言うて……」
「それで、ここまで乗せてもらったの? 制服ままで?」
「愉快なおっちゃんでな、婦警さんと思ってたみたいや。スルメご馳走になったわ」
わははっ、と笑うはやてのバイタリティ溢れる姿に、カリムは呆れ半分感心半分に笑うしかなかった。
格式を重んじる聖王教会の中枢へ向かうにあたって、スルメを齧ってきた人間はおそらく彼女が初めてだろう。
付き合いの長いカリムでなければ、その図太い態度に賞賛よりも反感を覚える。
しかし、カリムは理解していた。
これは八神はやての成長の証なのだ。
「……相変わらずね。初めて会った時よりも、ずっと良い顔をするようになったわ」
お互いに頻繁に顔を合わせられるような立場ではない。あってもまず地位が私情を抑える。
しかし、そんな貴重な再会の中で、カリムははやてが少しずつ変わっていくのを見ていた。
「8年前のアナタは、人懐っこそうに見えてどこか他人とは一歩退いていたから」
「偉くなると、いろいろな人付き合いに慣れてくるもんやからなぁ」
「そうじゃなくて……今のはやては、人との関わりを楽しんでるわ」
元々はやては愛想のいい娘だった。
しかし本当は、知らない人間に積極的に歩み寄れない事情を抱えていた。
はやて自身に罪は無い。
しかし、彼女が共に生きると決めた<リィンフォース>という存在の裏には、長い歴史で積み上げてきた闇があるのだ。祝福される前の、かつての名のように。
故に彼女の背負う過去は重い。
それは自分で選んだ生き方だったが、後悔はなくとも影は落とす。
初めて会った時、カリムはその影を見抜いていた。
「もう、懺悔は必要ないのね」
「死ぬまで償い続けても足りんやろう。私が背負うって決めた罪は、そんなに軽くはないからな」
そう言って笑うはやての表情には、しかし影は見えず。
「―――せやけど、どうせ生きるなら笑って生きたい。私自身の為に、私の幸せを願ってくれる人の為に」
生きる苦しみだけではなく、喜びも知る力強さが、今のはやてにはあった。
カリムは満足げに微笑む。
「願っているわ、私もね」
「ありがとう。ま、出会いは人を変えるっちゅうことやな」
「その出会いの話、いい加減話してもらえないかしら?」
「とっておきやからな。もうちょっと暖めておくわ」
さりげなくはぐらかしながら、はやてとカリムは今しばらく談笑を楽しんだ。
しかし、今回ここを訪れたのはプライベートではない。
「……それでカリム、話いうのは?」
「ええ。それじゃあ、奥の部屋へ」
導かれるままに向かう先で、はやては迫り来る事態を知ることになる。
しかし、遅すぎたことを彼女達は知らない。
暗躍は始まっていた。
時、既に―――。
「うわぁ」
「これが、ボク達の」
「新しいデバイス」
「……えーと」
自称<メカニックデザイナー>の整備主任であるシャリオに呼ばれ、四人はデバイス管理庫で自らの新生されたデバイスと対面していた。
全員が驚きと期待に眼を輝かせる中、ただ一人ティアナだけ何故かデバイスが見当たらず、テンションについていけない。
戸惑う一名を無視して、シャリオとリインはハイテンションに説明を続けた。
「皆が使うことになる4機は、六課の前線メンバーとメカニックスタッフが技術と経験の粋を集めて完成させた最新型!」
「いや、曹長。あたしのは……」
「部隊の目的にあわせて。そして四人の個性に合わせて作られた、文句なしに最高の機体です!」
「……」
なんだこれは、新手のいじめか?
ティアナは真剣に悩み始めた。
理由が分からないでもない。
エリオとキャロのデバイスは元から基礎フレームと簡易機能しかなかったし、スバルのローラーブーツは今回の訓練でクラッシュした。
その中で一人、ティアナのアンカーガンだけは性能を100%発揮している。
それはティアナの扱いが丁寧というわけではなく、むしろ並外れた集束率の射撃魔法で酷使しまくっているのだが、その分メンテナンスは昔から丹念に行ってきたからだ。
スペアパーツも抜かりなく用意している。使い続ける分には問題ないだろう。
確かにオーダーメイドの新型デバイスは魅力的だが、戦場での実績のない武器は信頼性に欠ける。
それは、原始的な機構に起こる動作不良(ジャム)が存在しないデバイスを扱う魔導師には珍しい考え方だ。
単純にカタログスペックを信用できないのは、原始的な質量兵器が大好きな誰かさんの影響と言えた。
案外普段のデバイスのままの方がいいのかもしれない。
そんな風に一人で納得して、しかし何処となく『さみしいなー』というオーラを出しているティアナに、興奮していたスバルがようやく気付いた。
「あ、あのっ! ティアの新しいデバイスはないんですか!?」
「あるよ」
あっさり返ってきた返答に、ティアナは脱力すると同時にちょっぴり安心した。
よかった、仲間ハズレじゃなかった。
「それではティアナ様」
「……ティアナ『様』?」
何故か口調の変わったシャリオは、奥の倉庫から金属のハンドケースを持ち出してくる。
ロストロギアを収納するような防護ケースを胸元に抱え、意味深げな笑みを浮かべてシャリオはティアナの目の前まで歩み寄った。
妙に物々しい仕草に、ティアナ本人はもちろん他の三人も動揺を見せる。
「あの……」
「例の物、仕上がってございます」
周りの反応を無視して、シャリオは演技染みた言葉遣いを続ける。
この頃になると、ティアナは彼女のやりたいことを何となく察していた。
眼鏡を光らせてこちらを見るアイコンタクトと、宙を舞う小人の必死のジェスチャーの意味も理解する。
用意されたケースのデザインに、この口調。それは最近流行の映画のワンシーンとソックリだった。
一緒にその映画を見たスバルと、やはりミーハーらしいエリオも気付いて期待に目を輝かせる。キャロとフリードリヒだけが困惑顔だった。
―――このノリに乗っかれということなのだろう。
ティアナは頭痛がしてきた。
訓練校でも似たようなことがあったが、ミッドチルダ出身にはこういう奴が多いのか?
いずれにせよ、やらなければデバイスも渡してくれそうにないので、ティアナは深呼吸して意識を切り替えた。
「―――ほう、見せてくれ」
エラく様になる不敵な笑みを作りながら台詞を紡ぐティアナに、意を得たとばかりにニヤリと笑いかけてシャリオはケースを開く。
クッションにはめ込まれるように二挺の拳銃型デバイスが納められていた。
表面が傷だらけのアンカーガンとは違い、ワックスを二度掛けしたホワイトカラーの外装は鈍い輝きを放っている。
横たえられたデバイスの傍には、銃身と同じ形をしたカートリッジのマガジンも二つ収納されていた。
「対ガジェット戦闘用インテリジェントデバイス<クロスミラージュ>
形式番号XC-03。モードチェンジとカートリッジシステムを搭載。装弾数4発。今までの規格品ではなく、より高濃度の魔力を摘めた新型カートリッジ使用デバイスです」
シャリオの淡々と淀みない説明が流れる。
ティアナはケースからクロスミラージュの一挺を取り出すと、グリップの感触を確かめた。抜群のフィット感は悪くない。
「カートリッジの装填方法は?」
「銃身交換式」
「マガジンは?」
「専用の四連装カートリッジバレル」
「モードチェンジの種類は?」
「通常の<ガンズモード>を含めた3タイプ。近接格闘戦用の<ダガーモード>も用意してございます」
手馴れた仕草でデバイスを玩ぶティアナと、執事染みた仕草で説明するシャリオの二人のやりとりはおかしいくらい様になっていた。
スバル、エリオの興奮とキャロの困惑が高まる中、演技の中でも一通りのチェックを終えたティアナがシャリオに語りかける。
「パーフェクトだ、シャリオ」
台詞はアレだが、本心だった。
「感謝の極み」
胸に手を当てて一礼。最後まで凝っている。
ドッと疲れたようにティアナがため息を吐く中、妙に満足げなシャリオと拍手をする二人がウザかった。
とりあえずデバイスをケースに入れ直し、疑問に思ったことを口にする。
「なんで待機モードじゃないんですか?」
「ああ、待機モードはオミットしてあるから」
「はいぃ~っ!?」
さりげないとんでも発言に、ティアナは思わず声を上げた。
「あの、持ち運びに支障が出ると思うんですけど……」
「そうなんだけどねぇ、実はこれって部隊長の指示で」
「ああ……あの変な人ですか」
いい加減ツッコむのも疲れたせいか。仲間内ということもあって口が悪くなるティアナ。
「ごめんね、あれで真面目な時もあるんだよ」
肩を落とす彼女を気遣うように、なのはが言った。
「―――って、高町教導官っ!?」
「なのはさん、いつの間に?」
「さっき、ティアナとシャーリーが演技してた時。邪魔したら悪いと思って」
そう言って苦笑するなのはの傍らでは、ティアナの顔から音を立てて血の気が引いていた。
上司の前で更なる上司を変人発言。しかも、はやてとなのはが親友同士であるのは有名だ。
ティアナは土下座せんばかりの勢いで頭を下げた。
「も、申し訳ありません! 上官侮辱罪でしたっ!」
「いや、いいよ。確かに変だし」
親友にまで断言されるはやて。でも自業自得。
悪意も躊躇いもない言葉にスバル達が冷や汗を流す中、なのはは手に持った紙袋から箱を取り出した。
「ちなみにコレ、更なる頭痛の種。部隊長から」
少しだけ引き攣った笑みを浮かべながら、なのはがティアナに箱を差し出す。
「私に、ですか?」
「デバイスの待機モードを外した理由らしいよ」
嫌な予感しかしない中、ティアナが箱を開ける。
市販物らしい包装と箱の中から出てきたものは、やはり市販の物。ただし高級品だった。
「専用の革張りガンホルダー……高そうですけど、特注品ですか?」
「私もよくは知らないけど、ポケットマネーらしいよ」
「これをぶら下げて歩けと?」
「うん……」
「……あの」
「言わないで。はやてちゃん、満足そうだったから」
「はい……」
奇妙な共感を得たティアナとなのはは、疲れたように笑って互いを労り合った。
素直に羨ましがる他の新人と、加えてミーハーなデバイスマイスターにマスターがはやてなユニゾンデバイス。
そんな喧騒を尻目に、なのはは残った紙袋の中身を全部取り出す。
「他の皆にもデバイス新生のお祝いだ、って。
―――スバルにはプロテインと鉛入りリストバンド。キャロにはスパイク付きの首輪とチェーン。エリオにはのど飴一袋」
「もう完全にお歳暮ですね」
「プロテインって、わたしどういう風に見られてるんだろう?」
「フリードはペットじゃないんですけど……」
『キュル~』
「っていうか、何かボクのだけ投げやりじゃないですか!?」
内容が内容だけに、やはりあまり好評ではない様子だった。贔屓されているティアナも素直に喜べない。
微妙な空気が漂う中、ただただなのはだけが恐縮して肩身の狭い思いをしていた。
「……そ、そういえばティアナ!」
「何ですか、高町教導官?」
「そう、それ! わたしのことは<なのはさん>でいいよ、皆そう呼ぶし」
無理矢理話題を振るつもりで切り出したなのはだったが、ティアナの素っ気無さは筋金入りだった。
「―――いえ、公私は分けたいので」
「なるべくフレンドリーにいきたいんだけど……」
「自分のポリシーです。不快なら改めますが」
「そ、そこまではしなくていいよ。にゃはは……」
笑って誤魔化しながらも、なのははティアナへの苦手意識を否めない。
別段無愛想なわけでもなく、管理局では十分分別のある態度なのだが、これまで無条件で慕われてきたなのはには珍しいタイプの相手だった。
堅苦しい態度は管理局内にいれば慣れて当然だが、教導で関わる訓練生達は皆一様になのはに憧れ、くだけた対応をすればそれに喜んだ。
しかし、ティアナにはそれが通用しない。
なのはを尊敬していないわけではなく、むしろ敬意を持ち、尚且つ目指すべき目標としているのは分かる。
ただ、それが純粋な憧れではなく『いずれ越えてみせる』という向上心を持ったライバル心によるものなのだ。
同じ感情を、執務官であるフェイトにも抱いているようだった。ティアナの夢は、なのはも知っている。
しかし、そんなフェイト以上に自分がライバル視されていることを実感もしていた。
それは多分、自分が射撃戦特化の魔導師だからだ。
訓練を始めて二週間になるが、ティアナの射撃魔法への思い入れはとても強い。
その辺の事情について深く踏み込むほど、まだ付き合いは長くないと自重しているが―――なんとも、やりにくいものだと苦笑いが浮かぶのを止められない。
(なんか久しぶりだなぁ、こういう関係。昔のフェイトちゃんやヴィータちゃんみたい……)
いつの間にか、自分が好意を持たれている状態からスタートする人間関係に慣れていたらしい。
ユーノが何かの本の一文をなぞって『憧れは、理解から最も遠い感情だ』と言っていたのを思い出す。
大人になって、形式的な付き合いも増え始めた中で、昔のようにぶつかり合って互いを理解し合う相手もいなくなったな、となのはは思った。
(今度……ティアナとお話する時間、作ってみようかな)
ぼんやりとティアナの横顔を見ながら考えた事が、なのはには新鮮に感じるのだった。
―――そして唐突に、アラートが鳴り響いた。
「このアラートって……っ!」
「一級警戒態勢!?」
「グリフィス君!」
スバルとエリオが驚愕する中、ベテランのなのはは一番落ち着いていた。
事件は突然訪れるのが当たり前だ。
素早く教会にいるはやてと補佐官のグリフィスに通信が繋がり、状況の説明が行われる。
レリックを運搬中だった山岳リニアレールがガジェットに乗っ取られたらしい。
移動するリニアレールの中に複数の敵勢力が確認され、増援の可能性もある―――機動六課の初出動には、厳しいレベルのミッションになりそうだった。
『隊長二人はいけるとして……ルーキーズ、いけるか?』
モニター越しにはやての鋭い視線がティアナ達四人を捉える。
虚勢を許さない厳しい瞳を、各々が迷いなく真っ直ぐに見据えた。
―――しかし、ただ一人ティアナだけが異を唱える。
「待ってください! 高町教導官、キャロのことですが―――」
「いけます!」
過労と睡眠不足で倒れたことを指してティアナが告げるのを、キャロが慌てて遮った。
ティアナとなのはの二人は、当然のようにその自己申告を無視する。客観的な判断が必要なのだ。
「シャマル医務官の診断は?」
「疲労の蓄積は比較的薄いそうです。十分な睡眠を薦めて、訓練を休めとまでは言いませんでしたが……」
「多少の無理は利く、って程度かな?」
「だからいけます! 大丈夫です!」
もはや縋るようなキャロの声に、なのはは思案顔になった。微妙な判断だ。
キャロの身を案じるのなら待機させるべきだが、機動六課はお守りをする為の部隊ではない。
なのはは、モニター越しの総指揮官を見た。
『―――判断は、なのは隊長に一任するで』
そして、万が一の時の責任は自分が負う、とはやては言外に告げた。
次になのははティアナを見る。
ハラハラとやりとりを見守るスバルとエリオには悪いが、同じ仲間の中で一番冷静な判断が期待できる相手だ。
「どう思う、ティアナ?」
「……初の出撃で、不安要素は抱えたくありません」
ティアナは正直な思いを口にした。
見上げるキャロが落胆と悔しさに涙を浮かべる顔を一瞥して、更に告げる。
「ですが―――これまで築いてきた四人のチームワークを、私は何よりも信頼しています」
そう言って、明確な判断こそ口にしなかったが、答えはもう決まっているとばかりに不敵な笑みを浮かべるティアナを見て、キャロの顔が輝いた。
「本人もやる気は十分のようですし……」
「はいっ! やります! がんばります!!」
「普段からキャロには戦意が足りないと思っていました。しかし、少なくともその点はクリアしています」
自分の考えは以上です。そう言って口を閉ざすティアナと、他の三人の期待するような眼差しを受けて、なのはは苦笑した。
「ズルイ言い方だなぁ……。OK、それじゃあ、はやて部隊長―――新人四名は、全員いけます!」
「「はい!!」」
四人の声が一つになって響いた。
不安を煽るようなアラートが鳴り続ける中、はやては信頼に満ちた笑みを浮かべる。
『―――いいお返事や』
状況は不利だ。
しかし、どうやら状態は万全らしい。
産声を上げたばかりの新設部隊<機動六課> その記念すべき第一歩が踏み出されようとしている。
未だ未熟なその足は、やはり立つことも出来ずに地を這うしかないのか。
それとも、険しい道を駆け抜け、大空に羽ばたく為の歩みとなるのか。
もちろん、はやてが信じる方は決まっていた。
『ほんなら、機動六課フォワード部隊―――出動ッ!!』
記念すべき最初の命令を、はやては厳かに下した。
新たな力を携え、四人の新鋭ストライカー達が初の任務へと赴く―――。
to be continued…>
<ダンテの悪魔解説コーナー>
・シャドウ(DMC1に登場)
暗闇に囲まれた時、背後で何かの蠢く気配や近づいてくる足音を感じたことはないか?
残念だが、そいつは錯覚なんかじゃあない。闇を恐れる心が生んだ、最も原始的な悪魔の姿だ。
この生きてる影みたいな悪魔は、大昔から戦いの中で力と経験を蓄えてきた戦闘機械のような奴らだ。
本体のあるコアを実体のある影で包み、強力な呪文でくくって、俊敏な豹の姿をベースに自在に形態を変化させてくる。
更に過去の戦闘経験からか、原始的な武器はもちろん、悪魔でも似たようなことが出来る単純な魔法には反応して防御とカウンターを繰り出してきやがる。
こいつらの経験したことのない近代兵器でダメージを与えるのが定石だが、ミッドチルダでは銃は厳禁なんだろ?
どのレベルの魔法が通じるのか分からないだけに、こいつはなかなか厳しい戦いになりそうだぜ。