ノイズ交じりの念話からは、もう悲痛な同僚の悲鳴しか返っては来なかった。
出来ることなら、出せる限りの悪態を吐いてしまいたい気分だ。『畜生』『くそったれ』『ファック』……汚らしいスラングは山と湧いてくる。酷い状況の時こそ人間は負の感情を吐き散らしたくなるのだ。
しかし、それさえも過ぎれば―――もうあとは誰も彼もこう言うしかなくなる。
ああ、『神よ』―――と。
「神よ……」
ティーダもまたそうだった。
右手に握る銃型のデバイス。数々の修羅場を共に潜ってきた長年の友を、手のひらから噴き出す汗で取り落としそうになる。
銃身は小刻みに震え、あたかもティーダ自身の今の心境が相棒にまで伝わっているようだった。
今、ティーダが感じているのは、紛れもない『恐怖』だった。
「畜生! 化け物、化け物めっ!!」
「来るなぁ、来るなよぉおおーーー!」
「助けて、たすけ……!」
空戦魔導師の舞台である空は、今や血染めのダンスホールと化していた。
飛行魔法で高速移動するティーダの耳に届く、文字通り四方八方からの悲鳴。
それらが全て同じ部隊の戦友が生きながら喰われる声だと理解して尚正気でいられるのが、彼自身にも不思議でならなかった。
違法魔導師を追跡、捕縛する任務を受けた数時間前に、こんな地獄の光景を部隊の誰一人として予測し得なかっただろう。
出来るはずがない。
こんな光景が、この世に実現するはずがないのだ。
夜空一体を覆うように浮遊する、おびただしいまでの『人間の頭蓋骨』―――それが、自分の武装隊を襲った者の正体だった。
淡く光る亡霊のような虚ろな輪郭と、頭だけの存在でありながら人間を一飲みに出来るサイズが、それを尋常ではない存在であると証明している。
仲間達は、突如出現したこのおぞましい存在達に次々と喰われていった。
「化け物め……!」
恐怖を悪態で噛み殺し、襲い掛かってくる頭蓋骨の眉間に向かって引き金を引く。
この亡霊としか表現出来ない怪物が人間を襲う瞬間だけ実体化するパターンを、魔力の浪費を経てようやく理解できていた。
「この……っ」
人の頭が弾けるようにソイツは消滅する。
しかし、眩暈のするような数の同種の存在が、今やティーダとわずかな生き残りを完全に包囲していた。
「―――<悪魔>めぇぇ!!」
今度は数体、同時の襲撃を決死の射撃で迎え撃つ。魔力弾は悪夢を吹き飛ばし、消える傍から新しい悪夢がティーダに襲い掛かった。
回避というより逃走に等しい動きで飛行し、この悪夢の原因へ視線を走らせる。
誰もが錯乱し、発狂しそうになる中、彼は最も冷静だった。
まだ視認できる距離にいる、逃走中の違法魔導師。
(奴だ! 『あの男』がこの化け物どもを……!)
それが分かりながら、決して追跡不可能ではない距離をその間に浮遊する無数の人骨の化け物が絶望的に遠くしている。
しかし、あの魔導師をどうにかしなければ、自分達はこの悪夢に食い尽くされるしかない。
「うぉおおおおおおおーーーっ!!」
ティーダは残された魔力を全て結集し、最大速力で死の道筋に乗り出した。
群がるように動き始める無数の悪夢。
回避などという余分な行動を取る事は出来ない。あまりに絶望的な前進を、彼は選択した。
「ティアナァアアアアアアアアーーーッ!!!」
断末魔の如き叫びが夜空にこだまする。
それがこの世に遺すことになってしまうであろう、愛しい妹の名であることを、彼に襲い掛かる悪魔どもが知る由などもちろんありはしなかった。
ティーダ=ランスター一等空尉―――逃走違法魔導師追跡任務中に殉職。その死因はもちろん他殺だが、原因だけは依然として判明していない。
ティーダの殉職の知らせを聞き、駆けつけた男の名は<トニー>と言った。
同じ空戦部隊に所属していたわけではなく、むしろ魔導師ですらない。お互いにごく私的な付き合いのある友人だった。
当然、親類や部隊の同僚が出席するティーダの葬儀に招待されるワケもなく、トニーがようやく目的地の墓地に辿り着いた時には、すでに棺が地中へ収められた後だった。
最後の死に顔も拝めなかったことを残念に思い、大きくため息を吐くと、乱れたコートの裾を直して静かに参列者の傍へ歩み寄った。
整然と並ぶ喪服や軍服姿の参列者達の中で、黒いコートで申し訳程度に正装した彼は酷く浮いていたが、厳かな空気の中それを指摘する者はいなかった。
長身のトニーは参列者の最後尾から、祈りの言葉を捧げる神父と棺の収まった穴を見下ろす。
そして、一人の少女を見つけた。
最後に死者へ捧げる為の花と、オモチャの銃を胸に抱いた小さな少女。今年で10歳になったはずだ。
ティーダの、この世に遺された唯一の肉親である妹<ティアナ>だった。
天涯孤独となったティアナは、兄の亡骸の納まった棺を前に、泣くこともなく決然とした表情で前を見据えていた。
トニーの瞳が痛ましいものを見るように細まる。
親しい部隊の仲間は共に殉職し、両親もとうの昔に他界して、この葬儀に立ち会っているのはティアナにとって他人のような遠い血縁と、他人同然の軍人や職員だけ―――。
ティーダ=ランスターの死を、本当に悲しんでいるのは彼女しかいないというのに、その少女自身が涙を流さぬ姿が、トニーには酷く悲しいものに映るのだった。
出直すべきか……。
トニーが気まずげに踵を返した、その時。
「―――名誉の殉職には程遠いな」
囁くような声が、トニーの耳に障った。
参列者の内、軍服を着た者達の間から漏れた言葉だった。小声のつもりだろうが、静寂の中でそれは酷く耳障りに響く。
「航空隊の魔導師として、あるまじき失態だ」
「無駄死にだな。最後の通信を聞いたか? 『悪魔に襲われている』だそうだ」
「状況に混乱し、あまつさえ目標すら取り逃がすとは」
「部隊の面汚しめ」
誰がどれを言っているのかは、もはやどうでもよかった。
ただ、彼らの心無い侮蔑の囁きが、死者とその家族を限りなく傷つけていることだけは確かだった。
彼らの言葉に反応するように、小さな肩を震わせるティアナを見つめ、トニーは返した踵を再び反転させた。その歩みに怒りを宿して。
「おい」
「ん? なんだ君は? ここは関係者以外……」
全て言い切る前に、男の顔には鉄拳がめり込んでいた。
男が意識を手放し、鼻血を噴出して昏倒すると同時に、トニーの周囲を敵意が取り囲む。
「な、なんだ貴様!? 我々は時空管理局の―――」
「さっきのふざけた言葉を言ったのが誰か、別に探し出すつもりはないぜ」
怒りで脳の煮え滾ったトニーは全てを無視して、ターゲットを軍服を着たその場の全員に決めた。
「あの毎朝トイレで聞くような腐った言葉を聞き流した、テメエら全員が同罪だ。一人残らず顔面整形して帰んな」
「取り押さえろ!」
周囲が騒然とする中、トニーは厳かに告げる。その場の管理局員全てを敵に回し、彼は拳を振り上げた。
数分をかけて、トニーは自分が言ったとおりの事をやった。
「な、何のつもりですか……! この静粛な場で、アナタはなんという……っ」
死屍累々と横たわる管理局員達。彼らの顔面を一つ残らず陥没せしめた元凶の男を震える指で指し、神父は恐怖と怒りを向けていた。それ以外の参列者はほとんどその場から逃げ出してしまっている。
トニーは神の使いに中指を立てて応えた。
「死者を罵るのが静粛かい? とっとと失せな。ここはティーダが眠る場所だ」
言って、周囲を睨みつけるトニーの凄みに、残った者達も慌ててその場から逃げ出した。
静寂を取り戻した墓地に残されたのは、トニーと、彼の友人の眠りを妨げた愚か者の末路、そしてただ黙って事の成り行きを見守っていたティアナだけだった。
「悪いな、余計に騒いじまって」
「いい……ありがとう」
バツの悪そうなトニーに、再び棺に視線を落としたまま、ティアナは小さく礼を言った。
ティーダの眠る棺の前。トニーとティアナは肩を並べて佇む。
「……あなた、お兄ちゃんの知り合い?」
「個人的な友達さ。趣味が合ってね、コイツには『こっち』に来てから世話にもなった」
答える声に哀愁の色は無かったが、この男が兄の死を悼んでいることが幼いティアナにはなんとなく理解出来た。
トニーが持参した酒瓶を棺の横に添える。それに倣うように、ティアナが花を放る。
そして、沈黙が流れた。
沈痛なそれではなく、ただ穏やかな静けさが。
周囲が兄を『無能』『役立たず』と評する中、ただ静かに悲しんでくれる目の前の男の存在が、初めて救いのように思えた。
「……ねえ、お兄ちゃんは『役立たず』でも『嘘吐き』でもないわ。お兄ちゃんは頑張った。そして、頑張ったお兄ちゃんを殺したのは、<悪魔>なのよ」
「ああ、そうだ」
独白のようなティアナの言葉を、当然のようにトニーは肯定した。
それは、彼女への慰めでも相槌でもなく、歴然とした事実だったからだ。
「<悪魔>は実在する。
そして、ティーダはそいつらを命と引き換えに倒したのさ。さっきのクソどもが呑気にバカを言えるのも、全部そのおかげなんだ」
断言するトニーの決然とした横顔を、ティアナは見上げた。
妄言を吐く狂人を見るような眼ではなく、ただ真摯に見据える少女の瞳がそこにあった。
「―――俺は、ここに誓いに来た。ティーダ、お前を殺った奴は、この俺が必ず切り裂いてやるってな」
「なら、それはあたしに誓わせて」
今度はトニーがティアナを見る番だった。
「ティーダ=ランスターの仇は、妹のティアナ=ランスターが取る。そして、お兄ちゃんの果たせなかった『執務官』の夢を引き継ぐ!」
少女の誓いの叫びが、静寂の中に響き渡った。
激情と共に湧き上がる涙を拭い、しかしもう二度と泣かぬと決める。
その少女の尊く痛ましい姿を、トニーはかつての自分を見るような瞳で捉えていた。
胸中に去来する感情は酷く複雑で、しかし唯一つ言えることは―――自分が亡き友人の為に出来ることは、この少女の行く末を見守り、支えることだけだということだった。
諦めと安堵の中間のような苦笑を漏らし、トニーはそっとティアナの頭に手を添えた。
「OK。聞いたぜ、お前の誓い。それが良い事なのかは分からんがね」
「後悔はしないわ」
涙を止めたティアナは、トニーの手をそっと取り払った。
「……ねえ、ところであなたの名前はなんていうの?」
そして、兄よりも高い位置にある顔を見上げ、改めて尋ねた。
トニーがニヤリと笑う。それは彼の生来持つ、お得意の不敵な笑みだった。
「トニー。トニー=レッドグレイヴだ、お嬢さん(レディ)―――だけど、お前には特別に『本当の名前』を教えておいてやるよ」
不思議そうな顔をするティアナに、彼は悪戯っぽくウィンクしてから答えた。
「俺の名は<ダンテ>だ―――」
魔法少女リリカルなのはStylish
第一話『Devil May Cry』
『<ダンテ>について何か教えろって? あんた、奴の何が知りたいんだ?
生憎、俺はあいつが何を考えてるのかすら分かりゃしねえよ。
この間だってそうさ。
いきなり事務所をおっ建てるとか言い出して、いい物件を探しといてくれ、ときた。
しかもできるだけ物騒な場所にしてくれとかぬかしやがる。商売する気があるんだかないんだか……。
ま、俺も仕事だからちゃんと物件は探してやったがね。
廃棄都市街の一角さ。無断居住者がゴミみてえに集まる無法地帯。ミッドチルダに点在する黒染みみたいな場所だな。まあ、その住人の一人である俺の言えたことじゃねえが。
管理社会のミッドチルダで物騒な場所と言えばこれくらいしかねえ。時空管理局の管理から零れた肥溜めだ。
お気に召したらしく大層喜んでたよ。
ミッドチルダじゃ見たこと無いタイプの人間だ。社会に適応できないはぐれ者の溜まり場の中で、アイツだけがギラギラとやけに光って見える。
笑うとガキみたいな顔をしやがるくせに、仕事となりゃ魔導師でもねえのに魔力弾の雨の中を妙な剣一本で駆け抜けていく―――そういう奴さ、ダンテってのは。
―――家族?
ああ、最近小さなお嬢ちゃんを連れて回るようになったみてえだが。
死んだダチの妹らしいが、しかし引き取ったとは聞いてねェな。さっきも言ったが、奴が何を考えてるかなんて俺には分からねえのさ。
まあ、奴の家族らしいものなんてそれくらいしか思いつかねェ。何も分からねェんだ。
1年前、フラッと現れていつの間にか居座っていた。誰も気付かなかったのに、今は誰もが奴に目を向ける。
付き合いの長い俺から見ても謎の多い奴さ。
そんなに気になるなら、直接会ってみな。とびっきり物騒な場所に、奴の<店>はある。
どんな店かって? そりゃ行ってみれば分かるさ。
暗闇の中でバカみたいに派手なネオンの看板を見つけたら、それがそうだ。
店の名前は奴が考えた。ダンテにピッタリさ、何せ奴が相手ならきっと『悪魔だって泣き出す』だろうからな。
―――その店の名前は<Devil May Cry> この世からあの世に渡りをつけられる、唯一の場所だ』
とある情報屋の証言より。
シャワーの音に紛れて事務所の方から電話のベルが聞こえた。
念願の仕事の到来に、ダンテは口笛を鳴らす。
ポンコツボイラーの湯の温度は常に熱すぎるか冷たすぎるかで、毎度の事ながらお世辞にも快適なバスタイムとは言い難かったが、自分を呼びつけるベルの音に機嫌はよくなっていた。
未だに事務所の借金を抱える身としては、金になる仕事はありがたい。
何より、怠惰な日常は度を過ぎれば苦痛だ。人生を楽しくするには刺激が必要なのだ。
汚れ物のバスケットの中から最もマシと思えるタオルを選んで体を拭き、半裸の肩から湯気を上げながらダンテは扉一枚隔てた事務所へと顔を出した。
途端、電話のベルが止む。
「デビル・メイ・クライよ」
店主以外の少女が、電話を取っていた。
電話の対応をする不法侵入者に対するリアクションを軽く肩を竦めるだけに留める。店に鍵など掛けた試しはなかったし、シャワーやトイレを貸してやるくらいの度量はある。
何より、その少女はダンテの数少ない知人だった。
「―――いえ、悪いけどウチはもう閉店時間よ」
受話器越しに数言聞いただけで、少女は素っ気無く電話を切ってしまった。
「ヘイヘイ、お嬢さん。店主の俺の意見も聞かずに切るなよ」
「『合言葉』がなかったわ」
「余裕があれば、そういう選り好みもするんだがな。このままじゃ干上がっちまう」
「それで、また前みたいに小銭で女の子の猫探しを引き受けちゃうんでしょ?」
「いい男は女に優しいからな。第一、あれはお前が受けたんだぜ―――ティア」
じゃれ合うような軽口の応酬の後、ダンテと月日を経て13歳になったティアナは笑い合った。
「今日は一体どうしたんだ? しばらく試験とかがあるから、こっちには寄り付かないって言ってなかったか?」
「うん、その事で結果を報告に来たんだけど……」
「おっと、その前にこっちの用事を済ませてくれ。いい知らせは後で聞いた方がいい」
ティアナの顔に浮かぶ喜色の笑みから、それが朗報であることを悟ると、ダンテは苦笑しながら台詞を遮った。
乱雑な調度品の中で唯一事務所らしい備品である机の上に無造作に放られた銃型のデバイスを手に取る。
弾丸こそ入っていないが、頑強なフレームで構成されたそれは武器としての凶悪さを表していた。
「最近コイツの調子が悪いんだ。ちょっと見てくれ」
ダンテは手馴れた仕草でデバイスを振り回すと―――おもむろに銃口をティアナの眉間に突きつけ、ぶっ放した。
炸薬を使用した弾丸とは違う、高密度の魔力弾が空気の炸裂音と共に飛び出す。
それは絶妙のタイミングで首を逸らしたティアナの頬を横切り、いつの間にか背後で大鎌を振り被っていた黒い影に直撃した。
人ならざる影は、見た目どおりの怪物染みた悲鳴を上げて魔力弾に吹き飛ばされる。
「―――本当ね、魔力の集束率が落ちてるみたい」
何の前触れもなく撃たれた事にも得体の知れない敵が出現した事にも関心を示さず、影が再び立ち上がろうとする事だけにティアナは頷いて返した。
ダンテの魔力はカートリッジの使用なしで絶大な威力の攻撃を可能にする。普段なら仕留め損なうなど在り得ないのだ。
「フレームの歪みかしら? 結構気合い入れてチューニングしたのに」
ぼやきながら、ティアナは自分のデバイス<アンカーガン>で立ち上がろうとした影の頭らしき場所を無造作に撃ち抜いた。
致命傷を与えられた影の怪物は、そのまま最初からいなかったかのように消滅していった。
―――闇が凝固し、人の形を取って人に襲い掛かる。
そのおぞましい光景が現実に起こることを、知る者は少ない。
日常を侵食する異常―――『それら』を知り得るのは、『それら』を駆逐する者達だけである。
ダンテと、この数年間彼の傍にいたティアナの、この二人しか知らない。
それらは<悪魔>と呼ばれることを―――。
「それにしても、相変わらず『こいつら』はダンテに引き寄せられるみたいに現れるわね」
ダンテからデバイスを受け取り、椅子に腰を下ろしながらティアナは先ほどまで影が凝固していた場所を見た。
今はもう跡形も無い。
「熱いアプローチは大歓迎だが、別の場所でお願いしたいね。そうすりゃ仕事になる。ぶっ殺すのには変わりないんだからな」
「でも、出現頻度はなんだか最近上がってるみたい。公にはされてないけど、クラナガンの方でも『出た』らしいわ」
「管理局も忙しくなりそうだ。<悪い魔法使い>の次は、<悪魔>が相手と来た」
「あたしも、もう他人事じゃなくなるけど……」
ダンテのデバイスを弄りながら小さく呟いたのを、相手は聞き逃さなかった。
「へえ。じゃあ、やっぱりいい知らせかい? 陸士訓練校ってヤツの試験に受かったんだろ?」
「うん、まあね」
「ハハッ、やったじゃねえか! 来いよ、キスさせてくれ」
「バカ」
大仰に両手を広げるダンテに対して素っ気無く返しながらも、それが照れ隠しであることはティアナの赤い顔を見ればすぐ分かる。
肉親を失い、兄の夢であった執務官を目標に努力してきた。その孤独な奮迅を、目の前の男だけがずっと見守り続けてきてくれたのだ。
その彼からの祝福の言葉に胸から込み上げるものを、ティアナは何気ない表情の下に押し隠した。
「しかし、そうなると俺の愛銃を整備する人間がしばらくいなくなるな。まいったぜ」
「そう思うなら、もうちょっと丁寧に扱いなさいよ。アマチュアの自作とはいえ、単純な簡易デバイスだからその分頑丈に作ったのに……」
ティアナのアンカーガンもそうであるが、ダンテの銃型デバイスは、同じ変則ミッド式を扱うよしみとしてティアナが自作したものだった。
ただ魔力弾を放つだけのシンプルな機能しかない分、フレームの強度はアームドデバイス並のはずだが、それすらダンテの酷使に耐え切れずにダメージを負ったのだ。
「せいぜい気をつけるさ」
返答とは裏腹に、ダンテは性に合わないとばかりに肩を竦めた。
「いざとなったら、裏に仕舞ってある『本当の銃』を使うしな。相棒はいつでも準備万端さ」
「質量兵器が違法なのは分かってるわよね?」
「おいおい、別にミサイルや爆弾を使わせてくれって言ってるわけじゃないんだぜ?」
「大小は関係ないのよ。あたしも今年からそれを取り締まる側に回るんだからね」
「大丈夫さ、もし取調室で目が合っても他人のふりをしてやるよ」
「そういう問題じゃないっての……はい、終了」
メンテナンスを終え、ティアナがデバイスを手渡す。
ダンテはここ数年で第二の相棒として大分手に馴染んだそれを軽く玩び、クイックドロウのパフォーマンスを決めた。
ティアナに言わるとこの「頭の悪いカッコよさ」にこだわるのが、彼のスタイルだった。
「―――それじゃあ。報告も済ませたし、もう行くわ。またしばらく顔は出せなくなると思う」
「なんだ、随分と急ぐな? 馴染みの店でパーティーしようぜ」
「訓練校も寮制だから、準備とかもあるし……。訓練が始まったら、休みもなかなか取れないと思うから」
急くように立ち上がり、店を出ようとするティアナだったが、その言葉が全て言い訳に過ぎないと自覚していた。
素直になれない少女を数年間見続けてきたダンテは、心得たものだと苦笑する。
「なるほど、長居すると余計恋しくなるってワケか」
「な……っ! ち、違うわよ、バカ!」
反論の説得力は赤面する顔が全て台無しにしていた。
ニヤニヤと笑うダンテに何か言おうとして、それが無駄だと悟ったのか、あるいは図星を突かれたと認めたのか、ティアナは顔を赤くしたまま背を向けた。
そのまま出て行こうとするティアナに、ダンテは笑いながら声を掛ける。
「―――がんばれよ。お前ならやれるさ」
不意打ちだった。
普段の調子のいい口調ではなく、優しい言葉だった。
「……っ」
熱いものが目元まで沸きあがってくる。
それを堪え、ティアナは精一杯の気持ちで素直じゃない自分の口を開いた。
「……あたしの兄弟は、死んだ兄さん以外いないって……そう思ってる。でも……っ」
同情でも哀れみでもなく―――ただ、いつも傍で見守っていてくれた。
「頑張ってくるわ……兄貴」
その言葉を口にした一瞬だけ、ティアナにとって兄は二人になった。
「<兄貴>ねぇ……」
気に入りの椅子に身を預け、ダンテは楽しそうに呟く。
ティアナの立ち去った後の扉を眺めているだけで、ニヤニヤと思い出し笑いが口の端を持ち上げた。
「呼ばれるのは新鮮だな」
悪くない。悪くない気分だ。
あの少女と共にいた数年間。特別意識したことなどなかったが、あれでなかなか可愛げのある妹分ではないか、と思う。
なんとなく他人のように思えなかったのも事実だ。
あれで器用そうに見えて不器用にしか生きられないところなど、自分とよく似ている。
<この世界>に来てから、以前とはまた違った出会いと別れの連続だ―――。
「悪くないね。刺激があるから人生は楽しい……そうだろ?」
応えるように電話のベルが鳴った。
投げ出した足が机を叩き、反動で受話器が宙を舞う。
それをキャッチすると、ダンテは受話器越しに相手が震え上がるようなクールな声色で囁きかけた。
「デビル・メイ・クライだ―――」
その日、多忙な筈の無限書庫司書長は珍しく優雅な午後の紅茶を楽しめていた。
未開の無限書庫のデータベースに手をつけて以降、圧倒的な仕事量とそれに反比例する人手不足に忙殺され続けているが、ふと嵐が過ぎるように休暇が取れる。
その貴重な時間を彼は食堂の片隅で安息と共に噛み締めていた。
「ユーノ君!」
「なのは! 久しぶり」
そして、そんなささやかな時間に二人が顔を合わせられたのは、ちょっとした幸運ですらあった。
ユーノ=スクライアと高町なのは。
互いに働く部署が分かれて以来、再会が数ヶ月越しになる事すらある、未だ友人以上恋人未満のラインに留まる幼馴染の久方ぶりの対面だった。
珍しく誰も同伴していない二人は、向かい合って再会を喜び合う。
「ユーノ君、休み取れたんだ?」
「休憩ってレベルのものだけどね。相変わらず本を相手に大忙しだよ」
「大変だね。でも、その割りに休憩時間まで本と一緒なの?」
苦笑しながらなのははユーノの手元を指差した。
飲みかけのレモンティーと、古ぼけた本が一冊がページを開いて置いてある。
「うん、ちょっと珍しい本を見つけてね。仕事とは関係ないんだ」
ユーノの指がなぞる先には、とても文字とは思えない難解な模様が何行も描かれている。
専門外のなのはにはワケが分からない代物だったが、しかしそれはユーノにも言えることだった。
「見つけたのは偶然だったけどね、これは僕にも読めないよ。読書魔法の解読も効かない。どうやら文字ですらないみたいなんだ」
「ふーん。でも、何の魔力も感じないみたいだけど」
「うん、この本自体はただの記録媒体に過ぎない。魔道書の多い無限書庫では珍しい本なんだ。
だけど、内容は見たことも無いほど複雑に出来てる。文字に見えるのは、実は伝説を主張するレリーフの集まりみたい。だけど比喩が深い。これを読み解くには、純粋に膨大な知識が必要になるだろね」
「へぇ……」
そんな物を休みの時間まで使って解読しようとするあたり、根っからの学者肌であるユーノらしかった。
だが、なのはにも何となくその気持ちが分かった。
ページの破れや染みに長い歴史を刻んだ、いかにも伝説の書物と言った風情のそれが纏う雰囲気は、人を惹きつける魔性のようなものを感じる。
「『されど魔に魅入られし人は絶えず』―――」
「え?」
不意に呟かれた言葉に、なのははドキリとした。
「本にあった一説だよ。この一行を解読するだけでも、すごく時間がかかったけど……どうやらこれは<悪魔>について記した本らしい。よくある神話の本さ」
「<悪魔>……」
<悪魔>という言葉を完全にゴシップとして捉えたユーノとは反対に、なのははその単語が酷く心に残っていた。
管理局内で囁かれる噂を思い出したのだ。
実際に被害が出ているのに、それ自体はまるで与太話のように信憑性を失っている、奇妙な噂。
―――魔導師たちの中に<悪魔>に襲われた者たちがいる。
被害記録は確固として残りながら、誰もが被害者の報告を信じない。まるで人の無意識が、それから目を逸らそうとしているかのように。
「……続き」
「うん?」
「他に、読める所はないの?」
なのはの中で、その本への興味が大きくなりつつあった。
「そうだな、まだ手をつけたばかりだから……そう言えば、少ないけど共通して使われてるフレーズがあるね」
「それって?」
「<スパーダ>っていう単語だよ」
スパーダ―――。
なのはは自分でも知らぬ内に、その言葉を深く心に刻んでいた。
不意に時計が時刻を告げるアラームを鳴らす。昼の休憩時間が終了したのだ。
なのはは思考を切り替え、ユーノとの別れを惜しみながら立ち上がった。
「―――そう言えば、なのは。この本のタイトルなんだけど……」
立ち去るなのはの背に声を掛け、ユーノはその名を告げた。
その名を<魔剣文書>という―――。
後に、高町なのはにとって重大な事件に発展する、これがその最初の一端に触れた瞬間であった―――。
to be continued…>
<ダンテの悪魔解説コーナー>
アフリカ大陸の西に広がる広大な海域は、計器や通信技術の発達していない昔に航海の難所として有名だったらしい。
いわゆる船の墓場。その海域の名こそが<サルガッソー>ってワケだ。
それと同じ名を持つこの悪魔は、海と魔界の狭間を行き来する低級な連中で、近くに生命を感じると反射的に実体化して喰らいついてくる。
見た目は捻りの無い『しゃれこうべ』の亡霊だが、必ず集団で現れる脅威と不気味さだけは十分な恐怖だな。
前記した特性の通り、距離を取った状態での攻撃は効果が無い。
だが、その特性を知ってるだけで敵の怖さは大分違ってくる。近づいて、実体化したところを好きに料理してやるといい。
知能も耐久力も並以下だが、唯一数だけが脅威だ。サルガッソーの遭難で帰れなくなった船みたいにならないよう、せいぜい油断はしないことだぜ。
最終更新:2007年12月17日 21:42