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大矢 明彦 おおや あきひこ~
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現役時代はヤクルトの正捕手。~
引退後は横浜のバッテリーコーチ、96年からは2年間監督をつとめ98年優勝の土台を作った。~
98年からは解説者になり横浜の選手には(とくにキャッチャー?)辛口のコメントでおなじみだが、~
最近は結構誉めてくれる事も多い。~
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実の娘は2代目オフィシャルリポーターの[[大矢陽子]]で、実況板では「大矢パパ」「陽子パパ」など呼ばれたりしている。~
普段は野球に対して真剣に取り組んでいる印象があるが、娘(陽子)のこととなると仕事を休んでまで送り迎えしてしまうほど、娘想いなパパである。~
フジテレビの天気予報のくもりマークに似ているが、雪のマークはもっと似ている。~
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2007年から再びベイスターズの監督となる。~
07年は4位。~
08年には94敗の大敗を喫したものの、球団フロントから慰留され09年も続投することになった。~
しかし09年、交流戦開始前の段階で借金が2桁になり~
5月18日球団から「無期限の休養」を通告され、事実上解任された。~
(身分は監督のまま。代行は田代富雄[[シーレックス>湘南シーレックス]]監督が務める)~
10年からは解説者に復帰。
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ttp://www.nikkansports.com/baseball/p-bb-tp0-20070202-150425.html
59歳大矢監督43歳工藤を絶賛
横浜工藤公康投手(43)が1日、ブルペン入りし、大矢明彦監督(59)相手に
83球を投げ込んだ。工藤は、昨年は第2クールにブルペン入りしており、キャンプ
初日のブルペン入りは02年以来。例年にない早い仕上がりを見せ、新天地で上々の
滑り出しを果たした。
指揮官の熱意が18・44メートルの距離を超え、工藤に伝わったようだった。投球
練習が始まると、大矢監督がマイミットを持ってブルペン入り。キャンプ初日、いきな
り「工藤−大矢捕手」の“102歳バッテリー”が実現した。工藤が立ったままの大矢
監督に16球を投げたところで、大矢監督がレガーズを装着。これで工藤のスイッチが
入った。「監督が受けてくださるのを見て、力が入ってしまった。レガーズもはめられ
て…。立ち投げぐらいと思っていたんだけど」。立ち投げが計30球に及ぶと、今度は
工藤が「片ひざをついてもらえますか」と大矢監督を座らせた。大矢監督が1球ごと
「はい!」と声を上げ、カーブ8球を含む計53球を投げ込んだ。
26年目を迎えてもなお、緊張がベテランを襲っていた。前夜10時には床に就いた
が、新天地最初のキャンプを前に寝つけなかったという。自らに向けられた、チーム再
建への期待。「布団の中でいろいろ考えちゃって。練習についていけなかったらどうし
よう…、とか」。この日の朝の散歩でも「体が緊張してる」と話していた。その体で投
げ込んだ83球だった。
初日を終え、工藤は安堵(あんど)の表情を見せた。「緊張の中で良い練習ができ
た」。大矢監督も「初日から、座らせて投げてくれた気持ちがうれしかった。球に工藤
の気持ちが乗り移っていた」とベテランを思いやった。生まれて始めて縦じまのユニホ
ームに袖を通し、工藤がキャンプを開始した。【古川真弥】
[2007年2月2日8時56分 紙面から]
ttp://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20070203-OHT1T00058.htm
大矢監督リタイア…投内連係で左足首ねん挫&右足打撲
横浜・大矢明彦監督(59)が2日、前日(1日)の投内連係練習に加わった際、
左足首をねん挫していたことが分かった。投手がバント処理を行い、三塁に送球する
プレー中、クルーンの送球に体勢を崩して痛めた。その後、ブルペン捕手を務めた際に
も高崎のワンバウンド投球を右足すねに当て、打撲も負った。
「こんなの何ともないよ。ほら」と走ってみせた指揮官。43歳の工藤が182球の
投球練習をしたのを見て「若いね」と感想を述べていただけに、自らが弱みを見せる訳
にはいかなかった。
その後、報道陣から開幕投手の話題を振られると「三浦がいくか『ハマのおじさん』
がいくか。3月10日までには決める」と名言は避けた。工藤が「開幕投手を三浦に
譲る」と発言したことを聞くと「遠慮してるんだろ」とポツリ。現段階では工藤が
リードしているようだ。
(2007年2月3日08時45分 スポーツ報知)