ソルフェージュについて


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 私の専門(中心研究課題)は、電子音楽ですが、勤務校、国立音楽大学における私の授業担当科目のうち、電子音楽関係の講座はごく僅かで、殆どの担当は、ソルフェージュ、和声など、音楽基礎科目で占められています。また実際に受け持つクラスも多種多様で、ソルフェージュに関しては声楽のクラスを除き、あらゆるクラスの担当経験があります。つまり、私はソルフェージを飯の種にしていることになります。ですから、ソルフェージュ教育の問題について、傍観者の立場に立つ訳には行かないので、私の経験を踏まえ、私なりの観点からソルフェージュ教育の問題点について指摘してみようと思います。

 ソルフェージュとは?

 『ソルフェージュ』という用語の狭義の意味は、ド、レ、ミの階名唱法による歌唱練習のことですが、それは演奏表現行為と密接につながるため、現在ではソルフェージュ教育は音楽基礎教育の核として位置づけられ、その範囲も広く、音楽教育のあらゆる面と係わりを持っています。
 戦後、我国の洋楽の水準も高まり、多くの優れた音楽家、音楽教育者を輩出するようになりましたが、それにつれ、音楽基礎教育面の弱さも指摘されるようになり、海外の様々なソルフェージュ教育方式の導入や、我国独自の方式確立のための模索、研究が、各音楽教育機関で行われました。
 私の勤務校においても二十六年前にソルフェージュ・理論委員会という名称の研究機関が設立され、二十数年の長きにわたり研究活動を続けてまいりました。そして、そこでは新しい方式の確立のため、多くの教員の労力が費やされましたが、種々の事情もあり、ソルフェージュに関しては大きな成果を上げえぬまま、研究組織の解散に至ったのは惜しまれます。我々の研究が抱えていた様々な問題については、また別の機会に触れることとし、今回は教育現場に立つ人間としての立場から意見を述べることにします。

 何を学習するか

 和声(四声体)の講座ですと、原則的には学習内容を十七~十九世紀の西洋音楽の様式に限定せざるをえなくなりますが、ソルフェージュの場合、非西洋圏の民族音楽から、現代音楽まで、様々な音楽素材を教育の実践の場に取り組むことが可能です。 
 従ってソルフェージュ教育をめぐって、かっては、日本の伝統に根ざさない西洋音楽中心の教育に問題があるとか、まず、わらべうたのような日本の伝統に根ざした素材から学習を始めるべきだとか、音楽思想上の論争も展開されました。
 しかし、学習者が教師に求めるものは、豊かな音楽体験、より優れた音楽的啓示の提供であり、不毛な観念的論議ではありません。日本の音楽学生の多くが、ベートーベンやバッハの音楽精神の深い部分を理解できるかどうかは別として、少なくとも西洋の和声音楽(今日では汎世界的といえる)を享受し、それをマスターすることについて特に大きなハンデがあるとは思えません。大切なのは観念ではなく、教師の与え得る音楽の質の高さでしょう。
 ただ教師側には、単に西洋の古典音楽だけにとどまらない、より広い音楽的視野と、多様な材料を提供する能力を持つことが要求されるのは勿論です。

 現場における問題の一断面

 ところで、今度はより現場体験に立って問題点を指摘てみしましょう。
 まず、私が学生だった時代に比べて、音楽的基礎能力の面で今の学生の力は相対的には一応向上していると申せましょう。例えば私の勤務校においても、ピアノ科などでは半数以上の学生が絶対音感を所有しています。
 しかし、それはともかくとして、今の学生も精神面、技術面で様々な問題を抱えています。
 まず、内面的な面ですが、音楽をやることがより惰性化しており、昔の学生に比べ、音楽的意欲、好奇心などが薄まって来ている傾向が見られること、次に能力面では、①依然として調性感、和声感が乏しいこと。②リズム感、フレーズ感なども十分には備わっていないことなどです。
 私は、以上のような欠点を克服する手がかりを与えるため、自作のものや、フランスのものなど、多くの教材を与えますが、譜例a~cは千曲近くある自作教材のうちの或る一曲の断片です。 
 前置きしておきますが、最近の学生は絶対音感を持つ持たないに係わらず、殆ど固定度歌唱法で訓練して来ています。


 ところで、学生に初見で譜例aを歌わせると、しっかりした音感、調性感を持った学生は苦もなく歌い切りますが、6→7小節目の嬰二音からナチョラルの二音に移る箇所、または12→13小節目の変ロ音→嬰イ音のエンハーモニック転換があるところで、かなりの者が調の変化について行けず音程が狂います。その狂い方も一応近似値で歌っているが汚い音程になってしまう者(多分不完全ながらも絶対音感を持つ学生)、とんでもない調に転調する者などまちまちです。ただ、それほど易しい課題ではないので、初見での間違いは大目に見るとして、もう一度歌わせても欠点はすぐには克服されません。
 次にピアノで和声コードつけて歌わせますと、学生達はそれがロマン派風の様式の旋律で、それほど難しいものでないことに気づきます(譜例b)。


さらに嬰ヘ調の曲を半音移調してヘ長調で歌わせます(譜例c)。ヘ長調からだとエンハーモニック転換はともなわずイ長調への転調となり、ベートーベンのワルドシュタインソナタ第一楽章の第一主題(ハ長調)、第二主題(ホ長調)の関係と同じくⅢ度の調の同主調に転調しただけだったことが判ります。 


 次に今ではほんの少数者となった移動度歌唱法を採用してきた学生の問題です。そのような学生は一般にあまり嬰記号や変記号の多い調号の楽曲を歌った経験がないので、大概恐怖感にとり憑かれますが、七小節目から「ミファソソラソ」と読み変えさせて、何度か練習させると、歌えるようになります。一般に移動度は固定度に比べて不利だと考えられているようですが、和声感や調性判断力などを身につけ、転調した部分を読み変えて歌う練習をすれば、初見ではともかく、二、三度度の歌唱でかなり難しい楽曲でも歌いこなせるようになります。実際の演奏に際しては初見で歌う必要はまずなく、ようするに出来るだけ短時間で音楽を把握出来る力を養えば、実際上困らない筈です。むしろ、絶対音感のない者が固定度で歌うケースの方が問題です。こういう学生の場合、いつまで経っても音程が不正確で音楽の流れに乗れないことが多く、自分の声を楽器とする声楽専攻の者の場合など特に問題です。
 またリズムの訓練については、手でリズムを打つ練習も行いますが、それだけだと学生が退屈したり、また実際の音楽演奏の局面から遠くなるので、譜例dのように歌唱とリズム打ちが同時進行する課題をしばしば取り入れています。


 ソルフェージュ教員の条件

 結局、ソルフェージュの力を養うためには、和声感、分析力など音楽の総合的基礎能力の養成が必要だということになります。ただ和声といっても、日本の理論教育にありがちな紙の上だけのものではなく、自らの耳と感性に裏づけられたものでなくてはなりません。 そのような力をつけるには、キーボードハーモニー、即興演奏などを楽しみながら学習するのも有効だと思います。
 一般にソルフェージュの勉強は大学に入ってからでは遅すぎると考えられがちですが、和声感、分析力といった能力は、努力次第で大学入学後でもかなり進歩します。ちなみに私の場合は、田舎で育ったこともあり、ソルフェージュの勉強を本格的に始めたのは、大学入学後です。
 最後に。いまだに我国には、ソルフェージュの教師は、音楽理論や専門の演奏を教える人達より一段下の存在と見る風潮が残っていますが、実際のところは、音楽理論、演奏のみにとどまらず、幅広い能力を持った優れた音楽家であることが、要求されるのです。