※非エロ
※喫茶店のマスターはOVA準拠
※原作54話より




彼女、不知火明乃が働く喫茶店はいつにも増して盛況であった。
普段であれば、メイド長として入店する客一人一人に『ご挨拶』をしている彼女であるが、今日は注文取りに品出しにとてんてこ舞いで店内を右往左往していた。

メリークリスマス!
方々のテーブルでその言葉を合図にドッと歓声が上がる。
いまここはメイド喫茶としての本来の姿とは別のもうひとつの表情を見せていた。
…それはすなわち、学校公認の『たまり場』としての姿である。

同じ中学校の生徒が働いている気楽さからか、ちょっとしたパーティー会場として使われるようになったのだ。
特に今日は、12月24日。クリスマス・イブという恰好のお題目と、
明日の終業式で冬休み突入と言うコンボに青春真っ只中の中学生達は沸き返っていた。
厨房では休む間もなく料理が作られ、メイド服を着た明乃と悟、
そして臨時の助っ人として学生服にエプロンを付けたエラ呼吸三人衆が皿運びと食器の回収に追われている。

メリークリスマス!
またひとつ、開戦の号令が響いた。
戦場と化した店内で、店長だけがいつもと変わらぬ佇まいで洗い上がった皿を拭いていた。
「二人とも。ご苦労様」
厨房から出てきたサーたんにそう声をかけられたのは、いつもの閉店時間の1時間も後の事であった。
「俺達にも言って欲しい魚~」
心底疲れ果てたと言う声でマグ郎が溢した。
それに便乗しパクパクと愚痴を言うアジ太郎とブリ夫。
普段ならば客として我が物顔で騒いでいたであろう彼らだが、今日休みを取っている燦とルナの穴埋めとして『臨時徴用』されたのである。

不平不満の権化と化した彼らだったが、フワッと鼻孔くすぐるコーヒーの香りが店内に広がるに従って口数はどんどんと減っていった。
すっと出されたコーヒーカップに三人の顔が見る間に弛緩した。

まるで魔法だな…。
明乃はマタタビに酔う猫の様にコーヒーを啜る三尾の魚人の姿に目を細めた。

テーブルを挟み疲労感と充足感に浸るサーたんと明乃の前にもコーヒーが置かれる。
あっ…と言い募ろうとした明乃だったが、マスターの人差し指が口髭の前で『静かに』
と言うジェスチャーを作るのを見て、いつの間にか隣に座る悟が寝息を立ている事に気が付いた。
マスターの開いているのか閉じているのか判別がつかない目の奥がキラリと光った。

「お姉様!お迎えにあがりました!」
ユピテルが現れたのは疲れて眠ってしまった悟を家に送る為に、サーたん達を先に見送った直後の事である。
「すまんなユピテル。呼び出してしまって」
「いえ、めっそうもありません!お姉様から頼まれ事をされて自分…!」
嬉しいであります!と顔面に打ち付けようとする拳をやんわりと押さえた。
こんな所で鼻血を出されては困る。

「ん?」
触れていた手が小刻みに震えているのを感じた明乃は、
どうした?と聞こうとした。が、パッと回れ右をしたユピテルにそのタイミングを外される。
「タクシーを停めて来るであります!」
彼女の妹分は、そう言うや否や軍隊式駆け足で通りに走っていくのだった。

その後、悟の着替えと荷物をタクシーのトランクにテキパキと仕舞う彼女は、いつもの姿に戻っていた。
猿飛家に着くと、店長から連絡を受けていたであろう兄の秀吉が玄関の外で待っていた。

たまたまだと言い張る彼であったが、煙の様に白い息を吐く彼女達に対して、彼の息は細い半透明なものだった。
ブランケットにくるまれたメイド服姿の悟を抱き受けた時の彼の顔が忘れられない。
明乃にはその安堵と幸福感がないまぜになった『兄の顔』がとても頼もしく、そして懐かしく見えた。

秀吉の両親とのお辞儀合戦を終え、目を覚まして手を振る悟の姿が扉の内に消えた。
振り向くと、店長から渡された財布で支払いを終えたユピテルが敬礼でタクシーを見送っている所であった。

「お姉様!ミポポ教会はここから歩いて10分程だそうです!」
ユピテルは右向け右で明乃に向き直るとタクシー運転手から聞いた事を手短に伝える。
「大分遅れてしまったな。もう始まっている頃か?」
「はッ!開始時刻は本日1930ですから、現20分遅れとなります!」
「うむ。では急ごう」
「はい!お姉様!」
?明乃は一瞬違和感を感じる。
しかし、それを確認する前にリュックを肩に掛け、踵を返して行進していくユピテル、
明乃はつられ、そのまま歩き始めた。
街灯の灯る明るい道路に出ると、備忘帳に何事かを書こうとエンピツを握ったが、それが何かを忘れた事に思い当たりその手を下ろしたのだった。

「悩ましい…」
彼女は目的の教会の前で、独りゴチた。
「お姉様、お下がりを…私が先に入ります」
踏み込むまでもなく只ならぬ事態が起こったであろう事が見て取れた。
砕けた聖堂の天井。穴の空いた壁…ステンドグラスの奥で、鐘の音に合わせてブラブラと上下に揺れる大きな人影…。
非キリスト教徒にとってのクリスマス・イヴとは、ケーキを食べる日以外の何か特別な意味があるらしい。
荒れ果てた聖堂を抜け、漏れ出る明かりと喧騒を頼りに明乃とユピテルはパーティー会場へと辿り着いた。
「お待ちしておりましたわ。修練剣士・不知火明乃様」
会場を満たす異様な騒がしさに、明乃は軽い目眩を覚えた。
戸口に佇む三人をパーティーの主催者。緒呆突丸子が招き入れる。
「う、うむ」
事の如何によっては、人魚試験官の名の元に、場の『制圧』も考慮に入れていた彼女だった。
しかし、おびただしい血を衣服と床に広げ、青白い柔和な笑顔で佇む丸子の姿に明乃は掛けるべき問いを失った。
「ソチラのお方は?」
「ハッ!明乃お姉様のお供として参りました、駿河由比であります!」
事情を説明しなくては。
どうにかそう思考を転換した明乃は「彼女は…」とユピテルを一瞥をする。だが、
「貴女はたしか…燦ちゃんの学校の警備員の…」
「メリクリであります!シスター!」
あっ…。
明乃の心に唐突な既視感が蘇る。これは…。
しかし、彼女の思考はまたしても途切れる事となる。

ガキョン!
敬礼の拍子にユピテルが背中に担いでいた『荷物』が機械音を響かせて床に落ちた。
「ん…?なにやってんのよパパ」
明乃の登場にも気付かずに一心不乱に瀬戸燦を問い詰めていた江戸前留奈が、
今気付いたと言う顔で、呆れ声を上げた。

「あっ!明乃っち!今きよんな!」
顔に飛んだ唾液を拭いながら瀬戸燦はルナの拘束から抜け出した。
「ルナちゃんのお父さん、どうしたん?」
此方が聞きたい。と明乃は心で呟いた。
「あ…ああ、何故か下の聖堂で首を吊っていた」
心臓音がしないであります。とユピテルが付け加える。
「そう言えば、すっかり忘れてたね」
顔に付いた足跡を拭きながら満潮永澄がルナの足の下から這い出して来た。
そしてHAHAHAと仲良く笑う夫婦の姿。
悩ましい…。

ふぅうと溜めに溜めた溜め息を吐いて明乃は改めて会場を見渡した。
日本を四分割する極道の雄。緒呆突組と瀬戸組の親睦会との話であったが、
見た限りでは、緒呆突組は組長の丸子を除く構成員は蕗と呼ばれる彼女直属のボディーガードの『小女』しか見当たらなかった。
どうやらこれは組と組としてよりは、幼少の頃瀬戸家に世話になったと言う丸子が
彼女の崇拝するミポポ聖教流のクリスマスパーティーに恩家である瀬戸組の構成員を招いたと言う事が実態であるようだ。

備忘帳をめくりながら明乃は、
それにしても…と思う。
ダイハチ車に乗ったマグロの頭が生えた特大のケーキ。
頭から木の枝が突き出たサメの着ぐるみ…。
世事には疎い明乃から見てもミポポ教のパーティーは異様なモノに感じられた。

『ミポポ祭…常人の集まりには見えないが、人魚の集まりにも見えない』
緒呆突丸子のページにまたひとつ特記事項がふえた。
悩ましい…。

「メリークリスマスであります!お姉様!」
ユピテルがそう言って模様紙に包まれた箱を差し出したのは、ひととおりのイベントが終わり、
明乃が切り分けられた生臭い生クリームケーキをつっついている時の事であった。

周りを見ると会場のあちこちでプレゼントの受け渡しが行われている。

イビツなマフラーを嬉しそうに首に巻く燦と、DVDソフトを困り顔で眺める永澄。
それを見たルナが再起動を果たした父親に拳をプレゼントしている。
切り分けられたマグロの『カマ』をプレゼントされたのがよほど嬉しいのか、マグロ郎が泣いていた。
平和のシルシにと緒呆突丸子が永澄と握手をする姿は何故だかジンと来るものがあった。

ギリギリと軋む永澄の手に丸子が一杯のシャンメリーを手渡すのが見える。
「きっとお幸せに」
丸子の口元がそう怪しく歪んだ…と、
「お姉様?」
しばし現実から逃避していた明乃は冷や汗を浮かべた顔で、視線をユピテルの持つ包みへと戻した。

コホンと一つ咳払いをすると、明乃は出来るだけ冷たく聞こえるように言い放つ。
「スマンが、それは受け取れない」

心の中でゆっくり十を数えると、明乃はユピテルの様子を横目で伺った。
「………」
先ほどと寸分違わぬ恰好で包みを差し出している少女がそこにいた。
瞬きひとつしない無表情が明乃を見つめる。
「い、いらんと言っているのが解らんか!」
プイと今度は背中を向けた。今の彼女にはユピテルの瞳を直視出来なかった。

これで良い…これで…
「はは~ん?さてはお返しのプレゼント用意するの忘れたわね?」
突然の言葉に明乃は凍りついた…。

「な、え、江戸前留奈!な、何を言う…!」
「図星なんだ?」
見ると、赤ら顔のルナがケラケラと笑いながら二人の様子を観察していた。
「お姉様。お返しなどお気になさらずに…」
「い、飲酒か。未成年の飲酒は人魚試験以前の問題だぞ。江戸前留奈」
ことさら冷静を装うと、明乃は少々強引に話を変える。
「お姉様。これ…」
「まったく!担任に父親まで来ていると言うのにハメを外し過ぎだぞ!」
「ふぅ~んだ!今飲んでるのはお酒じゃにゃ~いもん」
ルナはそう言うとグラスを口に付け、傾けた。
「この…!」
何事か言い返しそうとするも、言葉につまってしまう。
清廉潔白こそ武人の生き様と心に誓った明乃にとって、今の自分は…。
「私は!…私、は…」
「お、お姉さま?」
「……帰る!」
そう言や明乃はルナに背を向けた…
「…逃げるんだ?」
ルナの手からグラスが消えた。
無言で手に握るグラスを見つめると、明乃はその中身を一息に飲み干した。
明乃はクルリと背中を向けると、
「すまなかった…ありがとう」
そう言って、歩きだした。
「帰るぞ!ユピテル!」
「は、はい!お姉様!」

「素直じゃない奴…」
少女は扉の向こうに消えた背中にポツリと悪態をつく。

『お前が言うな』

事の成り行きを見守っていたギャラリーの心が一つになった。


明乃の住むアパートはミポポ教会から少々距離があった。
徒歩での移動にたっぷりと一時間はかかる…。
その道中。明乃とユピテルは一言も会話をしなかった。
明乃はもくもくと歩を進め、ユピテルはもくもくとその後ろに付き従った。
明乃のアパートに着いたとき、ユピテルはようやく口を開いた。
「本日はご同行出来て嬉しかったであります!」
そう言ってユピテルは敬礼する。
「駿河由比」
「は、は!何でありましょう。お姉様」
ユピテルを本名で呼ぶのはいつ以来だろうか?
決心をつけた明乃は、この一時間ずっと考えていた事を改めて思い出す。
この無表情で従順で自分勝手な少女がどんな反応を見せるのか…『あの顔』をしてくれるだろうか?
自分の顔が赤くなっていくのが良く分かった。
「プレゼントをくれないか?」
その言葉は彼女が考えていたよりもすんなり口を出た。
「……は?」
静寂は数秒間続いた。
何処かから、声が聞こえる。英語の声だ。明乃は知っている…しかし何と言うタイトルだったか?古い映画だ。
たしか…
「素晴らしき哉(かな)、人生…」
ポツリとユピテルが呟いた。
「メリークリスマス!お姉さま!」
彼女は満面の笑みでプレゼントを差し出した。
「ありがとう。ユピテル」
「あっ…」

明乃は箱ごと彼女を抱き締めた。
そう、この顔だ…。
「メリークリスマス…ユピテル」
妹はやはり笑ってこそ可愛い物だ。

おわり


234 :扇情のメリークリスマス:2009/12/24(木) 18:51:22 ID:8NZlblYk
※おまけと言う名の蛇足的駄文
※続かない

「首尾はどう?」
最後まで後片付けを手伝ってくれた藤代と、エラ呼吸三人衆を見送った丸子に天井から声がかかる。
「手筈通りにすませましたわ」
驚いた様子も見せずに丸子はそう返した。
「貴女こそ、ずいぶんと自信がお有りの様でしたが、本当に上手く行くとお思いで?」
「相談をして来たのは貴女の方よ。マルちゃん?」
スルスルと降りて来た声の主がそう言うと視線を走らせた。
片付けの済んだパーティー会場の一角。大量の酒瓶に紛れてその空き瓶が置かれていた。
『欲望解放薬 ウオ一発!(遅効性)』

「永澄さん、何しよん?」
ペットボトルの中身を流しに捨てようとした永澄は、突然の声に目を白黒させた。
「あっ!いや、これはそのー…パーティーの前に喉乾いたなぁと、買ったのは良いけど、飲みきれなくて…ハハハ」
「ふーん」
気のない素振りでそう言うと燦は首元のマフラーに顔を埋めた…。
『夜の12時。永澄君が部屋に来てくれ言うとったわ』
サーたんから伝えられた言葉がぐるぐると彼女の頭を回っていた。
それってつまりは…少女の頬がサッと赤くなる。
「どうしたの、燦ちゃん?顔…赤いよ」
家でマフラーはちょっと…忘れてるのかな?言うべきだろうか…。
「う、ううん…何でもないきん…!」
永澄さんはイジワルじゃあ…わかってて焦らしよる…。
モジモジと見つめあう二人だったが、
「下僕ー!!」
居間からの呼び声に、永澄は「ちょっと行ってくるよ」と去ってしまった。
取り残された燦は気を落ち着けようと深呼吸をする…
「永澄さん…」
彼の手編みのマフラーに顔を埋めると、彼の匂いがする気がした。
流しの横には彼の飲み残しのペットボトルが口を開けて置かれていた…。

「永澄くんと江戸前留奈がくっつけば、燦ちゃんは解放されるわ」
「でも、それだけじゃ駄目よ。燦ちゃんに満潮永澄と言う男を諦めてもらわないと」
「そうね…そう。もし。もしも燦ちゃんが、永澄くんと江戸前留奈との情事を目撃したとしたらどうかしら?」
「…薬の効き目が出てくるのはいつ頃でして?」
「通常なら一時間後…アルコールと同時に摂取した場合は三時間後と言ったところね…」
「あと一時間後…ね」
「後悔してる?」
「……全ては主の御手に…」

時計は夜の11時を回った処であった。
最終更新:2010年03月30日 02:01