日本のゲームセンター文化、ゲーセン文化発展、振興、再興、復興、維持、保持等、これから興そうとしている活動について、プロゲーマーでありアーケードゲーム(ビデオゲーム)専門ハイスコアラーでもあり、関西最大規模サークル共同発起人でもあるSGP-SV-TNKさんに、2009年8月28日にインタビューした内容を、現在まで(2011年11月17日)の注釈(注:)を挿入しながら今後のために活字に起こしておこうと思います。
インタビュワー SGP-NYA
雑談形式で行ったものですので、くだけた言い回しもそのまま掲載致しますが、ご了承ください。
写真:SGP-SV-TNK
Q:(SGP-NYA)
去年(2008年8月)ゲーム界への突然の復帰、本当に驚きましたよ。
A: (SGP-SV-TNK)
いや突然というか、必然だったというか。必然やで必然。(略)
Q:
それで早速、またいろいろと活動を始めたというわけだね。なんか動いてないと気が済まないのは昔から変わらないなあ。
いやいや、笑って言ってるんじゃないからね。いまTNKさんが問題に感じてることって、僕らも同じだったから。
だからいきなり本題に入らせてもらいます。
「日本のゲームセンター文化、ゲーセン文化発展、振興、再興、復興、維持、保持、歴史伝承」
「Only the Arcade game I will protect the culture of a game.」
「ハイスコア・アート」 「アーケード専門。プレイは、見せて(魅せて)ナンボ」
「閉じこもってはいけない。ゲームは、ゲーセンで! インサート・コイン!」
「アーケード文化・ビデオゲーム文化」 「ハイスコア文化」
「eスポーツ文化」 「交流文化」 「健全な遊戯・競技の場に」
「コミュニケーションが先決」
「eスポーツ」っていう、昔なかった言葉(注:2001年の活動一時休止宣言の頃)はともかくとして、言ってることは昔と変わってないね。
むしろ今のほうがトーンが高くなってるんじゃないかと思うんだけど?
そのポリシーを、具体的にどういうふうにして実現に結び付けていく計画があるのかな。
A:
それはこの言葉通り。
コミュニケーションがまず第一にあって、次にそれ以外に書いた標語。
相当古い話を持ち出すようだけど、ゲーセンでごく自然にコミュニケーションが取れていて、それぞれがそれぞれなりのポリシーを持っていた時代って、
誰も「ゲーセンがなくなってしまったら・・・」なんて危惧してなかったはず。
主目的は好きなゲームでもコミュニケーションでも誰かのプレイを観ることでもいいから、とにかく閉じこもらずにゲーセンに通う。
それ自体が自然な「交流」になって、人は人を呼んでくる。ここでまずゲーセンという場は「盛り上がる」。店舗やメーカー、それにメディアへの触発にもなって良い循環が起こる。
迷惑行為をする者達への対処は店舗がすべきこと。好きなものを大事にしない者らは、健全なはずの場を壊す。
メーカーは、悪影響を誘発するようなゲームを作らない、店舗はだらだらとしない、
もちろん、自分達の身近で起こった事には「自浄」として自分達が努力する。
だからとにかく、一人でも多くゲーセンにさそう、面白さを見せて知らせ、
最初は少なくとも「インサート・コイン」。
ハイスコアラーや得意分野を持つ人はそれなりの自覚をしっかり持って、プレイを「魅せて」楽しんでもらう。
主体性っていうのは最初から備わってるとは限らない。過去の全盛期を体験した人達なら、
健全なゲーマーは皆ほぼ例外なくポリシーを持って活動していた。それを伝承する。
フルオープン・フルメインキャスト。それがゲーセンだと思う。
家でゲームしないほうがいいよなんて言うつもりはないよ。
だけど、それとゲーセンは、ゲーセンでのプレイは、全然違うよ。
「いい時代に回帰しよう」と言ったら誤解を招くかな? けど、いい意味でそうしようということは、今の言葉でわかってもらえたはず。
時代は代わっても大事なものは大事だ。
これらを皆が意識し、好きなものは好きだとあらためて想い直す、活動する者はする、思い立ったらする、これによって、「ゲーセンが潰れてしまうかも」なんていう不本意な危惧は消えてしまう。
現在は、残念ではあるけど真逆に見える。
文化は再び栄える、現代のテクノロジーも加わって、どのゲームジャンルがどうこうではなく、ブームがまた復活する。
どうだろう。さほど難しいことではないと思う。
このあいだ(注:2009年8月9日)中野龍三さんに協力してもらってリブロスでやったイベントだってその一環。
事前にはかなり熱い話もしたんよ。
中野さんがスコアラー、芸能界、メディアと一緒になって今やってる番組もそういうコンセプトがあると聞いたよね。
(注:2009年5月~11月に放映され、現在も再放送を繰り返している番組「シューティングゲーム攻略軍団参上!」のこと。SGP-SV-TNKさんは「スターフォース」「航空騎兵物語」で2度出演している)
Q:
「フルオープン・フルメインキャスト」ねえ、どっかでTNKさんから聞いた言葉が出てきて仰天したんだけど(笑)。
ところで、僕らは80年代からゲームしてるし全盛期も身体で経験してるけど、
ゲームセンター文化の起源っていつのどこだったんでしょうね。
A:
文化の起源って定かではないみたいね。
欧米ではピンボールとか、その前には非電子ゲームを置いた店もあったというし、正確には断定不可となるのかな。
日本では爆発的なブームの導火線となったのは「スペースインベーダー」やブロック崩しに間違いないよね。
当時はゲーセンで、喫茶店で、みんなやってたっていうよね。「インベーダーハウス」という名の店もいっぱいできたというし、
拠点だった「マンモス城インベーダーハウス」(通称「インベ」。2004年閉店)もその時期に開店したんだって。
そのへんからゲームを置く駄菓子屋さんも急増したし、銭湯に行ってもテーブルゲームとかピンボールに熱中してる人がかならずいたし。
そういえば、懐かしいことを思い出した。
ハレー彗星接近で沸いた1986年にタイトーが発売した「ハレーズコメット」。
買い物袋をさげたオバチャンとか、仕事帰りのオッチャンとか地元の爺ちゃんとか、ゲームに関心なさそうな人も押しかけて凄い盛り上がりだった。
シンプルでわかりやすかったしね。
僕らの世代ではブロック崩しをパワーアップさせた「アルカノイド」もそうだったし、大好きな「スターフォース」もそうだった。
他にもそんな現象を起こしたゲームがいっぱいあったと思うけどすぐには思い出せないなぁ。
なににせよ、90年代半ばまでのゲーセンはいつでも活気があった。
その先はゲーセン急減、駄菓子屋さんなんて今ではほとんど化石、銭湯も急減・・・(銭湯はまた事情が別だと思うけど)、銭湯のゲームから始めて駄菓子屋、ゲーセンと辿った僕としては、くどいようだけど残念だな。
Q:
確かにそうだね、はい。それでね、90年代半ばといったら対戦格闘ゲームがブームに変わっていった時期。
それが派生して現状の一端、それも含めて結果的にTNKさんがこないだ言ってた「閉鎖的な小さなコミュニティ」が続発してゲーセンはさらにインカム低下、閉店急増に拍車がかかってこの有り様、
プライズとか音ゲーで保ててる店もあるけど、
ゲームセンター文化としては、ジャンルはそれだけではね。
あきらめてプライズ専門店に変わってしまった店はもう仕方ないし、プライズ専門店自体は時々開業してるのを見るけどそれはここでは置いておいて、
やっぱどう考えても意識改革の推進は急務だよね。
あ、いや、TNKさんのさっきの言葉を借りたら自浄とか回帰ですよね。
A:
僕は、皆とともに、今日最初に話した活動に徹していく。再興は絶対に出来る。
今後はWebも存分に使って、すべきことはしていく。
ゲームジャンル自体が多くなったのは歓迎すべきこと。
しかし、わかっているだけで一部のジャンルにおいて、「ゲーム界の時流」をいいことに意図して「閉鎖的な小さなコミュニティ」を作って、
「お山の大将」になって、言葉だけで行動が逆な不届き者には警鐘を鳴らしていく。
それに乗せられて付いていくような主体性に欠ける人達にも、なんらかの形で意志を伝えていく。これは伝わる限りではあるけど。
応援すべき貴重な文化を応援しようとする人達とはもっと繋がりたい。
Q:
では、一緒にやっていきましょう。僕には僕の得意分野があるし、ゲームタイトル以外でも、これからしようとしている発展活動にしてもそうだし。
今日はありがとう。ありがとうございました。
(インタビューここまで)
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最終更新:2013年08月24日 05:32