スカリエッティの身体にまとわりつく、最高評議会から伸ばされた糸。彼を操り人形のように操り、自
分たちの夢を叶えるための便利な道具として扱い続ける卑しき物体。目には見えないこの物体だけが、ど
うしてもスカリエッティには断ちきれなかった。
最高評議会の呪縛から自身を解き放つために、極秘裏ではあるにせよスカリエッティは研究を続けてい
た。この世の秘法を探求し続け、すべての秘術を身につけて、あらゆる研究と実験を繰り返し――しかし、
糸だけが断ちきれない。
そうして永い年月が過ぎていく中で、
「私にとって、ドクターは生きる理由なんです」
最初の作品が訴えた。
「我が力のすべてを、貴方に捧げる」
力強き戦士が誓った。
「ドクターが手に入れた物を、叶えたい夢を見てみたい」
幻惑の使い手が笑った。
「貴方を守りたい。そう思ってはダメですか?」
銀髪の爆撃手が尋ねた。
「私はね、みんなで仲良く暮らしていければそれで良いんだ」
明るすぎる密偵が願った。
「夢を知りたい。それだけです」
機械の殲滅者が揺らめいた。
「それが僕の役目なら、僕はそれに従う」
無表情の術士が頷いた。
「おとう、さん……?」
赤髪の突撃者が求めた。
「つまらないと言われても、生き方は変えない」
悲哀なる砲手が呟いた。
「目的があるならそこに向かって飛ぶだけっスよ」
気さくな滑空者が走った。
「戦います。剣士は戦うために存在するのだから」
最後の双剣士が叫んだ。
時が経ち、気がついたときにはスカリエッティの周囲には人が増えていた。彼を認め、彼のために力を
尽くしてくれる娘たちが、夢の後押しをしてくれるようになったのだ。断ちきれない糸に絡め取られてい
たスカリエッティを助けるために、彼女たちは作られた。
スカリエッティが彼女たちのどのような感情を抱いていたのかは判らない。本人ですら、遂に明確な答
えを得ることはできなかったのだ。
自分のためだけに存在していた娘たちに、スカリエッティは結局なにもしてやることができなかった。
悟ったときにはすべてが終わっており、彼は折角手に入れたもののほとんどを失っていた。自ら捨てたの
だ。傷つけ、振り払い、拒絶する。いつの間にか、スカリエッティはまた一人に戻りつつあった。
スカリエッティがそうした事実へ懊悩や悔恨に駆られていたかは判らない。しかし、彼は自分ほど愚か
しい者はいないと思っていたし、目に見える自己顕示欲ほど天才たる自分を評価してはいなかった。ジェ
イル・スカリエッティという人間に、それほどの価値はないと、心の底で考えていたのだろう。
結局残ったのは、スカリエッティ自身の〝夢〟と、彼の半身だけだった。他の娘たちとは違う、自分の
因子をもっとも色濃く受け継ぎ、性格から行動原理に至るまで、あらゆるものを共通させ、共有させるこ
とに成功した最高傑作。スカリエッティは、自分と同一の者にしか心を開くことができなかったのだ。
彼は誰も信頼していなかったし、信用していなかった。自分自身の存在にしら確信を持てずにいるのに、
どうして他人など信じることができるのか? スカリエッティのこうした疑問に答えを与えてくれる者は
いなかったが、半身はより大胆な行動を持って彼に道を示した。
「ドクターに断ちきれないなら、私が代わりにやるまでですよ」
スカリエッティの望みを理解し、偽りの仮面を被った半身は行動を起こした。指令プロテクトがあるた
め表だって最高評議会に逆らうことができない彼の代わりに、その殺害を行ったのである。
最高評議会の最期がどのようなものであったのか、その正確なところをスカリエッティは聞いていない。
敢えて聞かなかったとも言われているが、彼は干からびて朽ち果てた最高評議会評議員たちの脳髄を見て
も、口に出してはなにも言わなかったという。かつて自身を作り出し、絶対なる神として崇めた者たちの
末路に彼がどのような感慨を抱いたのか、それは半身ですら考えの及ばないことだった。
「これでやっと、私も自分の夢を叶えることが出来そうだ」
半身と二人きりのときに、スカリエッティが漏らしたとされる言葉であった。最高評議会から解放され
ることは、単なる絶対条件であってスカリエッティの夢というわけではなかった。最高評議会が生命操作
技術の先に永遠と無限を求めたように、スカリエッティもまた彼らを排除したその果てに、自身の夢を叶
えようとしていたのだ。
そして、スカリエッティがそうまでして叶えたかった、彼自身の夢とは――
スカリエッティはゆっくりと目を開けた。意識が朦朧として、一瞬ではあるが自分がどうして気絶して
いたのかさえ判らなくなる。フェイト・テスタロッサとの戦い敗れたからだと悟ったとき、思い出したか
のように彼の身体を激痛が襲った。油断していたつもりは欠片もなかったが、最強の装甲を、まさか力押
しで破られるとは思わなかった。フェイトがあのような切り札を有していたことも、スカリエッティには
計算違いであった。
まったく、世の中には自分の予測や推測を上回る事態が多すぎる。
誰かがオメガアーマーから引きずり出したのか、スカリエッティは傷だらけの身体に白衣を掛けられ、
床に横たわっていた。
「やぁ……皆さんお揃いで」
目を開けたとき、スカリエッティの前には大勢の人がいた。フェイトがいて、シエルがいて、機動六課
の若き魔導師達がいる。その横にはセインやチンクと言ったナンバーズの姉妹もおり、離れた位置には高
町なのはもいた。スカリエッティは無意識にルーテシアの姿を探し、隅でガリューに抱えられている少女
を見つけることが出来た。気を失っているようだが、特に怪我などはしてないようである。
「どうして……」
シエルが、戸惑った表情と声をスカリエッティへと向けた。
最後の瞬間、スカリエッティは確かにフェイトの攻撃を避けることが出来た。なのに、彼は敢えて自ら
砲火を浴びて敗北の道を選んだのだ。避けられたらシエル自身が死んでいたとはいえ、彼女はそうしたス
カリエッティの行動が理解出来ないでいた。少なくとも、彼に自分を助けるだけの理由はないように思え
たからだ。
「何故、シエルを助けた?」
その声を発したのはゼロだった。人々を掻き分けるように、赤き閃光の英雄が現れた。傷だらけの身体
と、消耗した体力。既に動けるだけの力もないはずだが、それでも尚、英雄はその輝きを失うことがなか
った。
彼の登場に、フェイトはばつが悪そうに顔を背ける。回避されたとはいえ、一歩間違えば彼女はシエル
を殺していたところだったのである。激情に支配され我を忘れていたでは済まされない、致命的なまでの
失敗だった。
「ゼロ……? 君が来たということは、そうか、ギンガ・ナカジマは死んだのか」
問いかけとも呟きと取れるスカリエッティの言葉に、スバルが驚愕で息を呑んだ。その場にいた全員が
ゼロを注視する中で、彼は僅かに歯を噛みしめながら、口を開いた。
「あぁ、そうだ。オレが殺した」
ぐらりと、スバルの身体が倒れかけた。慌ててティアナが支えるも、スバルは全身の力が抜けきったか
のように愕然としていた。叫び声を上げなかったのも、突き付けられた事実の巨大さに放心状態となって
しまったからだろう。ゼロはそんなスバルを敢えて無視した。彼の言葉には決定的な誤りがあったのだが、
結果としてギンガを助けることが出来なかったのは事実であった。
「なんで助けた、か。理由なんて、別にないさ」
ゼロから答えを得たことで、スカリエッティは自身に向けられた問いかけに答え始めた。
「いや、違うな。そう、しいてあげるのだとすれば……」
スカリエッティは右手で白衣のポケットをまさぐる。そういえば、この白衣は確かディエチに着せたは
ずであるが、よく見れば彼女もまた新しい戦闘スーツを着込んで、ナンバーズの中に混じっていた。彼女
たちは皆、複雑そうな表情で、スカリエッティのことを見つめている。ドゥーエの姿だけ見えないが、高
町なのはがいるということは、彼女に敗れたのかも知れない。
ナンバーズからの視線を避けようとせず、スカリエッティは白衣の中からそれを取りだした。
「あのとき、オレンジを貰ったから――」
しなびきった、もはや果実にも見えない物体を見て、シエルが目を見開いた。それが意味することを正
確に理解出来たのはシエルだけであったが、スカリエッティの次の言葉が、それを変えた。
「誰かになにかを貰ったのは初めてだったから……嬉しかったなぁ」
想い出に浸るかのような言葉を聞いたとき、人々は自分たちがスカリエッティに向ける感情に、それま
でとは異なる成分が含まれるのを感じていた。憐憫と言うほどではないにしろ、彼らはスカリエッティが
他者には決して見せようとしない本質の一面を、確かに垣間見たのだ。
「ずっと疑問に思っていた。自分は何故生まれ、なんのために作られたのだろうと。他人の都合で勝手に
生み出され、他人の夢を叶えるために歩み続けてきた人生。与えられた使命を、任務を、命令を、ただ忠
実にこなしていくだけの日々……私は、私自身をずっと解放させたかった」
スカリエッティの語りに、シエルは自分の胸がズキリと痛むのを感じた。何故なら、スカリエッティが
口にしていることは、かつて自分が同じように悩み、考えたことと、まったく同種のものであったから。
「私もそうだった……他者の言いなりとなって動く毎日。自身の夢を他人の目的にすり替えられ、その先
にあったのは人の尊厳が踏みにじられた汚物のような末路」
身体に刻み込まれた陵辱の記憶を思い出したのか、シエルは身体を僅かに震わせた。
「こんな絶望しかない人生、消し飛んでしまえばいいと何度も思った」
だからこそ、シエルとスカリエッティは似たもの同士なのである。出生も、経歴も、結果だけが違う鏡
合わせの異性。互いに人によって作られた天才であり、どちらも失敗したにもかかわらず、迎えた結末だ
けは大きく異なる二人。それでも、二人は大体の部分で似ていたのだろう。今ならば、シエルもそれを認
めることが出来た。
しかし、スカリエッティはそうしたシエルの肯定に、首を僅かに振ることで否定した。
「いや、やはり私と貴女は似ているようで違った。一緒だというのなら何故……」
スカリエッティは血だらけの腕を、なにもない宙へと伸ばした。
「何故、貴女の周りには人が集まり、私の周りからは誰もいなくなるんだ」
漏れ出た呟きに対する答えを、シエルは持ち合わせていなかった。自身とスカリエッティの違い、シエ
ルはまだしもレプリロイドを愛することを知っていたが、スカリエッティはそれすらも知らなかった。だ
からこそ彼は、自分が本当は大切にしたいと思うものを、大事にしなければならなかったものを、尽く手
放さざるを得なかったのだ。
スカリエッティの悲哀に反論出来る者がいるとすれば、それは実際に彼によって作られたナンバーズの
姉妹だけだったであろう。しかし、彼女たちもまたスカリエッティが見せた嘆きの色に戸惑いを憶えてお
り、思うように言葉を発することが出来ないでいた。唯一チンクだけが、なにかを感じ取ったのか口を開
きかけたが、その声は響かせる前に遮られてしまった。
白き裂光が、時の庭園を揺らした。
「――――っ!?」
皆が衝撃に身を震わせる中で、真っ先に反応したのはゼロだった。彼は瞬時にゼットセイバーを抜き放
つと、背後に振り返って構えを見せた。人々の視線がそれを追う中で、白き裂光に包まれた救世主が、そ
の場に降り立った。
「オメガ、生きていたのか」
あの程度の攻撃で倒せたとは思っていなかったが、どうやら裂光覇で損傷箇所を修復したらしい。ゼロ
の目の前に現れたのは、まったくの無傷といっていい、最強の救世主の姿だった。
白き裂光が収束し、オメガは静かに目を開いた。血走ったかのような瞳に激情を携え、オメガはゆっく
りと周囲を見回していく。
「皆殺しだ……ゼロだけではない。この場にいるすべての者を、我は破壊する」
もたらされた破壊宣告に、思わず数人が身構える。しかし、中にはオメガという絶対的な存在を前に、
早くも死を覚悟した者さえいた。確かに、手負いの魔導師や戦闘機人が束になったところで、オメガを倒
せるわけがない。ゼロでさえ、シエルをはじめとした戦えない者を守りながらでは、いささか以上に不利
であると考えていたほどだ。
騒然となる周囲を見ながら、ふいにスカリエッティが立ち上がった。気力など当に使い果たしているは
ずなのに、彼は立ち上がったのだ。身体から吹き出るように血が流れ落ちるも、もはや気にする理由はな
かった。
「なにをしている?」
スカリエッティの身体は、言ってしまえば首から下は既に死んでいるも等しい状態だった。フェイトの
斬撃と砲撃をまともに食らった彼は、実のところいつ死んでもおかしくないのである。そんな身体で、一
体なにをしようというのか。
「私がオメガを止めよう。それしかない」
「よせ、奴にはもう話など通じない。戦うにしても、そんな身体でなにが出来る」
「話さないし、戦わない。実はね、こんなこともあろうかと私はオメガに緊急停止装置を仕込んでおいた
のさ」
意外にして唐突な言葉に、誰もが耳を疑った。
「オメガがその圧倒的な力を持って、私の元を離反する可能性は常々考えていた。あれを敵にするのは、
厄介どころの騒ぎじゃ済まないからね。事前に手は打っていた。スイッチ一つで、私は彼を機能停止させ
ることが出来る」
言いながら、スカリエッティはゆっくりと歩き出した。それを止める者は誰もおらず、フェイトでさえ、
ここはスカリエッティに賭けてみるしかないと思ったほどである。
スカリエッティは歩きながら、横目でルーテシアを見た。未だガリューの中で眠り続ける少女に、彼は
なにかを呟きかけた。しかし、それが声となって口から発せられることは、遂になかった。
「やぁ、オメガ。元気そうでなによりだ。見ての通り、私は死にかけでね」
自身の目の前に立ちはだかった存在に、オメガは最初無表情であった。戦いに敗れ、力を失い、よくも
ここまで惨めな姿をさらせるものだと、彼は抜け殻にも等しい弱者を完全に見下していた。無様にもほど
がある出はないか、と。
「スカリエッティ、お前はもはや創造者たる資格を失っている。せめてもの手向けだ、我が一太刀によっ
て潰えるがいい」
「残念だが、そういうわけにはいかないな。確かに私は戦いに敗れはしたが、まだ夢を諦めたわけじゃな
い」
スカリエッティはどこからか小箱を取り出すと、それをオメガに向けた。誰もが、その小箱をオメガの
緊急停止装置だと思った。どういう仕掛けかは判らないが、ある程度近距離でないと効果を発しないもの
なのだろうか? スカリエッティはこの期に及んで、余裕を捨ててすらいなかった。スイッチ一つでカタ
が付くという彼の言葉は、あるいは真実なのではないか。
期待や不安、それぞれが入り交じる中で、唯一明確な違和感を憶えたのはシエルだった。彼女は、スカ
リエッティが持っている小箱に見覚えがあったのだ。
「あれは……でも、あんなものでどうやって?」
スカリエッティの持つ小箱に、オメガを止められるようは機能は存在しない。それはあの小箱を〝完成
させた〟シエルが一番良く判っていることだ。まさかハッタリというわけではないだろうが、なにか他に
考えがあるのだとしても、それは一体……?
シエルが違和感を憶えたように、ゼロもまたなにかを感じつつあった。彼はスカリエッティの言動を一
旦は信じたが、漏れ聞こえたオメガとのやり取りから、なにかがおかしいと思い始めていた。けれど、そ
の正体がなんであるかが判らない。思い出せ、スカリエッティの行動を、彼の発してきた言葉の数々を。
自分はもう、知っているはずだ。
「オメガ、私が何故君を復活せたのか判るかい? それは君がゼロ以上に、私の夢を叶えるに相応しい素
体だったからだ」
ゼロの脳裏に、ギンガの姿が過ぎる。最期の瞬間、彼女はなにかをゼロに伝えようとしていた。死せる
身体を無視してまで、彼女には伝えなければならないことがあった。
――スカリエッティはあなたを倒したいんじゃない。スカリエッティはあなたに!
「――奴を、止めろっ!」
ゼロの叫びと、スカリエッティが装置を起動したのはほぼ同時であった。叫びの意味を理解出来たのは
シエルだけであり、他は皆、死の危険を顧みないスカリエッティを、ゼロが静止させようとしていると捉
えた。その考えは、半分だけ当たっていた。
スカリエッティとオメガが目映い光に包まれる。光の中でオメガは身動きが取れず、声すら発すること
が出来なかった。彼の身体の中から、急速になにかが失われ、それと同時に新たなるものが生まれようと
している。
「――――!?」
巻き起こる力の渦が弾け飛び、エネルギーの濁流がオメガを押し潰す。抵抗も対抗も出来ないまま、オ
メガの〝内部〟が飲み込まれていく。
そして……オメガの意識は爆発した。
「ん……」
目映い光の輝きに、それまで気を失っていたルーテシアが目を覚ました。外傷はほとんどないものの、
消耗した体力のためか身体はまだ重い。ルーテシアは軽く頭を振りながら、周囲が妙な静けさに包まれて
いることを感じた。不思議なことに、周囲にいる多人数の人々は先ほどの光が収まってからと言うもの、
誰一人として口を開かなくなっている。
何事が起きたのか、それを即座に理解し出来たのはゼロとシエルだけだった。二人は共に違う道筋から
共通の到着点に辿り着いたわけだが、その二人でさえも眼前の光景に慄然して、立っているだけがやっと
だった。
ルーテシアは周囲が注視し続ける方向へと視線を走らせた。そこにはほとんど状態が前のめりになって
いるオメガがおり、彼の足下には……
「ドクター?」
ジェイル・スカリエッティが、倒れていた。ピクリとも動かず、まるで抜け殻になってしまったかのよ
うな身体。ゼロとシエルだけは気付いていた。それが本当に、抜け殻なのだという事実を。
ルーテシアの声に反応するかのように、〝赤きレプリロイド〟が身を起こす。既にそれは、オメガでは
なかった。
「ジェイル・スカリエッティは死に、救世主オメガは消え失せた……」
驚愕が駆け抜ける。声はオメガのものであるのに、まるで雰囲気が違った。人格そのものが違えたかの
ような強烈な違和感と共に、そのレプリロイドは、不敵なる笑みを浮かべて言い放った。
「私は――私は、伝説の英雄〝ゼロ〟だ!!」
ジェイル・スカリエッティは、オメガの身体を乗っ取り……ゼロとなった。
つづく