私が最初に見た外の世界は、空っぽだった。やっとの思いで扉の鍵を開け、彼女がいるはずの部屋に入
ったとき、私は外の世界というものが自分の想像よりもはるかに狭く、小さいものであることを知った。
 あの少女はどこへ行ってしまったのだろうか? ここは少女の部屋なのに、どうして少女はいないのだ
ろうか?

 分からない。私にはなにも考えられない。

 小さな世界で、私は少女を待つことにした。待ち続けていれば、少女ともう一度会うことが出来るので
はないかと、そう思ったからだ。
 私が、今や顔も思い出すことが出来ない少女に対して、当時どのような感情を抱いていたのかは分から
ない。自分の部屋から抜け出して、私の部屋の扉を叩いた少女。私に色々なことを教えてくれて、私に
様々な答えを与えてくれた少女。世界はとても小さくて、私はまだ幼く、生まれる前のことを、私はずっ
と少女と遊んでいたような気がする。夢の中では二人は手を繋ぎ、世界を駆け、笑っていたような気がす
る。
 心の奥に深い悩みが紛れ込んでいる。
 あるいは私は、まだ世界というものに生まれていないのではないだろうか? 少女は言っていた。世界
はもっと広大で、果てしないものなのだと。ならば、この狭く、とても小さい場所が外の世界であるはず
がない。少女がここにいないのも、あの娘は私よりも先に世界に生まれたからではないのか? だったら
私も、しばしの時さえ待てば自身を誕生させることが出来るのではないか。
 当時の私は愚かにもこんな考えを抱いており、そしてそれは、半分だけ当たっていた。半分だけは……

 永い時間を、私は少女の部屋でうずくまっていた。

 部屋の中には色々な本や機械が置いてあり、私はそこから知識を得た。技術を身につけた。でも、私が
本当に知りたかったのは、どうすれば私を外の世界に誕生させることが出来るのかという、それだけだっ
た。
 あらかたの本を読み終わった私は、次に機械へと手を触れた。少女は私に機械の使い方を教えてはくれ
なかったが、それも本を読めば分かることだった。端末を起動して、画面をのぞき見る。なにが映るのか、
なにが出来るのか。期待をしていたであろう私の前に……

 彼らは現れた。

 ――これが次の実験素体か? 育成中というが、端末を開くまでに随分と時間が掛かったな

 ――アルハザードの技術と遺伝子、双方を使ったという割には知能レベルや技術レベルはこれまでの欠
陥品より尚低い。大丈夫なのか?

 ――この素体には敢えて高度学習プログラムを組み込んでいない。謂わば赤子と同じだよ。今までの素
材は完成を急ぐあまり、初期段階での負荷が大きすぎた

 誰からの声が響き渡る。一人、二人、三人と、彼らはまるで私を品定めするかのように論評していた。
一体、彼らは何者なんだろう? 声だけ聞こえる、姿なき存在。

 ――だが、活動を始めてから相当数の時間は過ぎた。そろそろ英知の片鱗でも見せても良いのではない
か? まあ、一欠片でもあればの話だが

 ――廃棄処分予定の素体を一つ、世話係としてあてがっては見たが、これではまだ、あの出来損ないの
方が優秀だったな

 ――失敗したところで、アルハザードのデータは生きている。代わりなどいくらでも作れるさ……しか
し、そうだな、そろそろ外に出してみようか。

 そして、私はあっさりと外へと連れ出された。けれど、その外さえも、私にとっては〝世界〟たり得る
ものではなかった。それまでの小さな空間が、ほんの少しだけ大きくなっただけ。
 彼らは一体なんなのだろうか? 彼らは私を生み出した存在であると言った。では、私の親というもの
なのか? 父か、それとも母か? だが、彼らは人ではない。人と同じ言葉を喋り、声も発するが、彼ら
が私の前に姿を現すことはなかった。尽きぬ疑問に、彼らは最初答えを与えようとしなかった。いや、彼
らは最期の最期まで私に質問というものを許さなかった。強力なプロテクトを掛けてまで、私という存在
から〝疑問に思うこと〟を取り除いたのだから。
 姿なき存在。私は当初彼らを神だと思っていた。父でもなければ母でもない、人ですらない存在ならば、
それはもう神しかあり得ない。超越者たる神々が、神通力を持って私という生命を作り出し、誕生させよ
うとしているのではないか? 今になってみれば実に馬鹿馬鹿しい発想だが、生まれる前の私は、純粋そ
のものだった。誰も、信じてはくれないと思うが。
 私は視認こそ出来ないが目の前に現れた存在の、その理知の力に心奪われた。彼らであれば私を世界に
生まれさせてくれるかも知れないと、だから私は彼らに従った。さしあたって、それ以外にするべきこと
もなかったら。
 彼らが私に求めたのは、真理の正しさ。永い時の中で散らばった、パズルピースを紡ぎ合わせるための、
一つの答えの地図を書かせようとしていた。即ち、手に入れることの出来ない、永遠と無限について。彼
らは神などではなかった。しかし、彼らが目指していたものは神だった。
 だから、ある意味で私は、神を作るために生み出された存在なのだ。この世のどんな天才でも成し遂げ
ることが出来ない命題をクリアすべく、彼らは恐ろしい結論に達していたのだ。
 いないのなら、作ればいい。自分たちに永遠と無限の力を与えてくれるだけの存在を、史上最高の天才
を作ってしまえばいいのだと、彼らはそう考えたのだろう。それがどれほど愚かしい行為なのか、理解し
ようともせずに。肉体を失い、もう後がない状態がそうさせたのだろうか? 今となっては明確な答えな
ど求めようもないが、なんとなく判る気がするのだ。
 彼らにも彼らなりに守るべきものというのがあったのだろう。そしてそのためなら、どんなものを犠牲
にしても構わないと思ったに違いない。私もまた、犠牲にされ掛かった一人であるからして、決して他人
事ではなかった。

 私が彼らの存在にハッキリとした疑問を感じ始めたのは、一体いつの頃からだったか、正確なことはな
に一つ憶えていない。むしろ沸き上がったのは彼らに対してではなく、自分自身に対する疑問だったのか
も知れない。それは至極単純で、よほどのことがない限り誰でも答えられること。でも、私は遂に自分の
力で答えを出すことが出来なかった。

 私は一体、誰なんだろう?

 その疑問を抱いたとき、私は急に怖くなった。私はここに存在している、ではここに存在している私は
誰で、そもそもここはどこなのか? 私は確かに存在しているが、存在しているだけだ。彼らの言いつけ
を守り、日々の〝課題〟をこなしていくだけの毎日に、どれほどの意味があるというのか? こんなこと
をし続けて、私はちゃんと世界に生まれることが出来るのだろうか……
 とめどなく溢れる疑問や不安、それらを解消する手立てを持ち合わせていなかった私だが、私の脳波や
精神状態の異常を察知したのか、彼らは私に存在意義というものを示した。結果として、まるで逆効果に
終わったが。

 ――我々は旧暦の遺産、アルハザードの力を使ってお前を作った

 アルハザード? 本で読んだことがある。伝説上に存在する、時の世界。

 ――知性と技能に恵まれ、理知と英知に溢れていたアルハザード人の遺伝子を使い、我々は人を超える
存在を生み出した

 人ではない? 私は人ではないのか?

 ――お前は天才だ。今までの出来損ないどもとは違う、史上最高の天才なのだ。そして、我々によって
作られたお前は、我々の命令に尽くす義務がある

 理不尽だとは思わなかった。けど、何故だかとてつもなく怖くなった。史上最高の天才と断言された自
分と、神と信じて疑わなかった存在が見せた、大きな歪みに。
 気付いたときには逃げ出していた。駆けて、走って、とにかく私は逃げたかった。私は恐怖を振り払う
ため、あの少女の顔を思い出そうとした。少女の陽光のような温かみを持った笑顔なら、私は恐ろしさを
軽減できるのではないかと考えた。けれど、私の頭にあの娘の顔は浮かんでこなかった。必死で思い出そ
うとしたのに、欠片一つ浮かび上がってこなかった。

 私は、既に少女の顔を忘れてしまっていた。

 逃げ出した私が捕まるまで、それほど長い時間は掛からなかった。そして、逃げ出した私を廃棄処分に
することは、それよりも短い時間で決まったようだった。私は、正しくゴミのように捨てられた。期待を
裏切り、為すべき事を為さなかったものの末路など、かくもあっさりしたものなのか。
 ゴミの山の上に打ち棄てられた私は、一瞬そこは死後の世界なのかと錯覚を憶えた。それほどまでに、
私のいた空間は腐臭と死臭に満ちあふれていたからだ。息をすることも許されず、私は自分がここで朽ち
果てていくのだと覚悟を決めた。覚悟を決めて、ゴミの山に視線を向けたとき、それを見た。

 私がゴミの山だと思っていた腐臭のする物体は、人だった。

 数え切れないほどの人が、それも子供ばかりが山となって、死体となって積み上げられている。その頂
上に、私は捨てられたのだ。
 見渡す限りの人、人、人。腐り落ち、死体となって腐臭や死臭を発する人々は、私と同じ人間であった
とは思えないほどの状態だった。触れればボロボロと身体が崩れだし、次々に落ちていく。驚き、仰け反
った私の手に、また別の死体が触れた。振り返った私は、その腐りかけの死体の顔が、どこかで見覚えが
あるもののように思えた。

 そう、私がずっと会いたがっていた、あの少女だった。

 私に最低限の知識と、なにより異性の存在を認識させるために存在したという少女は、私の一つ前の実
験素材だったらしい。能力不足で廃棄が決まったものの、私の世話係として僅かな間だが生き存えること
が出来たのだそうだ。正直、あのとき少女がどのような気持ちで私を教え、導こうとしていたのかは今で
も判らない。
 ただ、少女の腐りかけた死体を見たとき、私の中でなにかが切れた。無意識に少女の黒髪をむしり取り、
死にたくないと、心の底から願ったのだ。だって自分は、まだ世界に生まれてすらないのだ。この少女が
言った世界を、この少女が見ることの出来なかった外の世界を、私は見てみたい。いや、見なくてはいけ
ない!
「私は天才だ……こいつらとは違うんだ」
 天才が、こんなところで死ぬわけがない。こんな出来損ないの欠陥品の山に埋もれて朽ち果てるなど、
それは天才の最期ではないはずだ。私はなんとしてでも、生きなければならない。
 視界に、清掃用のロボットが目に入った。毎日決められた時間に、死体の山を焼却炉へと送り続ける作
業機械。意思も自己も持たない存在だが、そうだ、こいつを利用してやろう。私は死体の山から使えそう
なものを根こそぎ奪うと、ロボットの起動を停止させ、その機能を乗っ取るべく改造を施した。それまで
はどんなに頭を捻っても出来なかったことが、今では意図も容易くできる。私は、覚醒を果たしたのだ。
天才として、あるべき姿に変わろうとしていたのだ。まずはそれをしなければ、私が世界に誕生できるは
ずなどなかったのだから……

 ――廃棄品がゴミ処理場から脱出した? それは本当なのか

 ――清掃用の機械を改造して、地獄の底から這いだしてきたらしい

 ――なんという執念、いや、むしろこれは欲望と言うべきか。奴の中で生まれた凄まじいほどの欲望が、
奴を真の天才として誕生させたのだ

 その日、私は世界に生まれた。

 無限の欲望、アンリミテッドデザイアという開発コードを与えられて。


 天才として世界に誕生した無限の欲望は、彼を作り出した時空管理局最高評議会の意に従い、その溢れ
出る知性と才能を駆使して多大な成果を上げ始めていた。史上最高の天才と生み出されただけあり、その
天才性は本物すらも超越していた。特に生体操作と生体改造においては他の追随を許さぬほどの業績を打
ち立て、彼が開発した技術や、彼が提唱し実現させた理論は数え切れない数に上った。
 そしてその頃から、彼は自分をジェイル・スカリエッティと名乗るようになった。活動を拡大化させる
には、表向きの名前が必要だったからだ。謎の科学者ジェイル・スカリエッティの名前は、裏社会を中心
に瞬く間に広がっていった。誰もが正体不明の天才の存在に関心を持ち、興味を抱いていた。また、スカ
リエッティ自身が自分の存在を強くアピールしていたのも、彼の存在が多方面に知らしめられた理由であ
ったろう。自己顕示欲が強かったと言われればそれまでだが、事実は多少異なる。

 スカリエッティは、自分が世界に生きている証が欲しかったのである。だから彼は、自分の存在と名前
を周囲にばらまいたのだ。

 最高評議会はこうしたスカリエッティの行いに対しては、なにも言わなかった。元々、内なる欲望を促
進させることで誕生させた天才であるし、多少の自己顕示欲の高さは想定済だったのかも知れない。それ
にスカリエッティが〝目立ちたがり屋〟だからといって、彼らの命令に背いたことは一度もないし、常に
最高評議会へ忠実な天才として、期待以上の成果を上げてきた。だったら、それでいいではないか。なん
の問題があるというのか?
 結果論で言えば、最高評議会の考えは楽観的すぎた。生命操作技術の完成と、その先にある永遠と無限
の力の獲得。最高評議会がスカリエッティへと刷り込んだ、彼ら自身の〝夢〟は、確かに実現に向かって
動き続けていた。そうした裏で、スカリエッティが叛逆の爪を研ぎ上げていたことなど、つゆほどにも思
わずに。その点、彼らは自分たちがスカリエッティに施した指令プロテクトに絶対の自信を持っていたの
かも知れない。
 そうした最高評議会の自己過信から来る思いこみが、結果として彼らの命運が潰える要因となった。皮
肉な話、彼らは自分たちの作った天才の力を見くびっていた。史上最高の天才を作ったと豪語していたく
せに、それが自分たちを超える存在にはなり得ないと、本気で信じ込んでいたのである。次元世界の最高
位に位置しているという圧倒的優越感がそうさせたのかも知れないが、いずれにせよ彼らは見誤った。
 スカリエッティの欲望から生み出される天才性が、既に最高評議会の施した指令プロテクトの大半を解
除していることに、彼らは気づけなかったのだ。スカリエッティが彼らの押しつけた夢を捨てて、自分自
身の夢を抱き始めていたことにさえ、彼らは死の寸前まで知ることはなかった……

 スカリエッティがその女と初めて会ったのは、彼が精密機械の開発と研究を始めて、瞬きする間に同分
野の偉人や才人たちを追い抜かしていた頃である。彼はそれまで研究し続けてきた技術を無期限で休止さ
せ、新たな技術の開発に着手している最中だった。
 女はそのスカリエッティが休止させた技術を研究し続けており、独学でそれを完成させたというのだ。
プロジェクト名『F.A.T.E.』、スカリエッティが試作段階で開発を放棄した、記憶転写型クローン技術の
総称である。生体ないし死体から採取した遺伝子を元にクローン体を作り、そこにデータ化した記憶を組
み込むことで、当人となにひとつ変わらぬ存在として誕生させる。これを用いれば、生前の記憶を残した
ままに何度でも〝生まれ変わる〟ことが可能となり、最高評議会が求める永遠にも一歩どころか百歩は近
づくことが出来ただろう。だからこそスカリエッティはこの技術を放棄したとも言えるのだが、真の理由
は別にあったとも言われている。
「それで、プロジェクトFを無事完成させた貴女が、この私になんの用かな?」
 妖艶な美女という形容の仕方がよく似合う女は、元は時空管理局でエネルギー機関の研究と開発を専門
に行う技術者だったという。その分野においては相応の業績を残したらしいが、あいにくと門外漢である
スカリエッティは彼女のことを知らなかった。
 若手技術者として嘱望されていた女であるが、一つの事件を機に生命の研究と不死の探求にのめり込む
ようになったといい、その過程でプロジェクトFの存在と、ジェイル・スカリエッティの名前を知ったのだ
という。女はスカリエッティの付き人が出した紅茶に口を付けようともせず、自分の身の上を語り始めた。
かつて自分には娘がいたこと、その娘を実験の事故で失ったこと、その娘を復活させるために、自分はプ
ロジェクトFを完成させたのだということ。
「完成したなら、それでいいじゃないか。そんなことを報告するために、わざわざ私を訪ねてきたのか
い?」
 半ば本気で言ったスカリエッティであるが、返ってきたのは溶鉱炉のように灼熱した激情の塊だった。
女は自身が作ったという〝出来損ないの失敗作〟を、一欠片も認めてはいなかった。その口から放たれた
のは、声の形をした猛毒の瘴気であり、スカリエッティには目の前にいるのが女の肉体をした暴風の類に
見えたという。
 あんなものは娘ではないと、女は叫んだ。確かに外見は同じであり、記憶も完全に転写されている。だ
が、あれは娘ではない。利き手も、言葉遣いも、性格も、魔力資質も、あらゆるものが娘と違う。何故、
プロジェクトFは死者と変わらぬクローンを作り出す技術ではなかったのか? 女は自身の研究と、完成し
た技術に誤りがあるのではないかと考えたらしい。どこかが間違っており、だから娘を完全に作り出すこ
とが出来ないのではないかと、そう思ったのだ。
 スカリエッティはそうした女の発想に、僅かではあるが称賛を憶えていた。科学者や技術者というもの
は、えてして自分の間違いを認めたがらないものである。例えそれが失敗だと判っていても、他者の助け
を借りず自分でなんとかしようとするのが、彼らの性なのだ。にもかかわらず、女はプライドからなにか
らすべてをかなぐり捨てて、スカリエッティの存在を探し求めた。プロジェクトFの創始者であれば、この
問題を解決することが出来るかも知れないと、執念で彼の元へ辿り着いたのである。そこまでして死んだ
娘を復活させたいのかと、スカリエッティが興味を覚えたのも無理はないだろう。
 しかし、スカリエッティが女に与えた答えは、ある意味で女の命運を定めるものであった。
「何故、完全に素体と同じくローンが出来ないのか? 簡単だよ、それが不可能だからだ」
 記憶データを用いたとしても、人格パターンを応用したところとで、作り出されるのは同じ記憶と人格
を持った、まったく別の個体なのだ。確かに遺伝子データさえ残っていればコピーやクローンはいくらで
も作れる。しかし、それはどう足掻いても女が愛した実の娘にはならないのだ。彼女の娘はこの世に一人
であり、それはクローンを何体作ろうが、覆りようのない現実だった。
 だからこそ、スカリエッティはプロジェクトFの研究をやめたのだ。試作で何体か作りはしたが、どれも
これも、彼の望みを叶えるほどの出来にはならなかった。唯一、一体だけマシな個体がいるにはいるが、
それにしたところで完璧なる再現にはほど遠かった。
 傍らに立つ付き人を、幼い少女にスカリエッティは目をやった。折襟した上着に黒スカート、ブカブカ
の長靴という衣服に着せられながら、切りそろえられた黒髪の癖毛を弄っている。恰好はともかくとして、
自分が作った試作品の中では一番完成度が高いのがこいつだ。どこか抜けているところを除けば、まあ使
える方なので廃棄しないでいるが、これがあの記憶からも消えかけている少女と同じ遺伝子を持っている
とは、とても信じがたい。
「本当に娘を復活させたいなら、それはもう死者蘇生を行うしかない。だが、それはこの天才を持ってし
ても出来ないこと。諦めたまえよ」
 スカリエッティは女が、母親が抱く情念や執念というものをまるで理解していなかった。彼に親はおら
ず、知らなくても当然ではあるのだが、このときはやや配慮に欠ける発言だったと言えよう。娘を亡くし
た母親は、激しい怒気を精神エネルギーの津波に変えて、スカリエッティへと叩きつけた。
 諦められるわけがない、娘の紛い物を作ってしまっただけでも、この身を引き裂いて燃やし尽くしたい
というのに、娘を復活させる手立てがないなど、そんなことがあってたもあるものか!
「アルハザード、あの時の都に行けば、私の娘は蘇る」
 女の口から出た地名に、スカリエッティが初めて眉根を潜めた。彼にとって、それは無視できる単語で
はなかったのである。
「愚かな、仮にも技術者が空想に願いを託すとは」
 スカリエッティの言葉に、女の顔が醜く歪んだ。彼は特に動揺した素振りを見せなかったし、実際に動
揺も混乱もしていなかったのだが、女はその反応から、逆にアルハザードの存在に確信を持ったらしい。
思えば、彼女が今日ここへ来たのも、あるいはそれが目的だったのではないだろうか。
 見透かされたスカリエッティであるが、彼はどこまでも冷淡だった。もたらされた事実に至福を憶える
女に対し、それを霧散させるかのような一言を、平然と浴びせかけたのだ。
「例えアルハザードの力を使ったところで、取り戻せるのは命だけだ。失った時間は返ってこない」
「……なにが言いたいの?」
「自分の顔を鏡で見てみることだよ。執念と激情に支配された魔女を、誰が自分の母親だと思うだろうか
ね」
 スカリエッティが言い終えた瞬間、女の憎悪が鞭の形をして打ち込まれてきた。咄嗟に付き人が前に出
てどこからか取り出した銃剣で受けきるが、一歩遅れていればスカリエッティの顔は潰れ、頭蓋にも損傷
を負った可能性がある。
「貴方には判らないわ! 親もいない、子も持たない、欲望の儘に作られ、強欲が故に生き続ける貴方に、
母親の気持ちなんて……」
 女は一頻り叫ぶと、スカリエッティに背を向けた。静止する必要などなかったが、何故だか彼は彼女を
呼び止めた。
「ところで、貴女が言う〝出来損ないの失敗作〟だがね、もし良ければ私にくれないか?」
 その提案に、他意はなかったように思える。自分の技術を使って作られた、試作ではない完成体。単純
な好奇心が発露しただけに過ぎず、それ以外の理由などありはしない。捨てるぐらいなら寄こせと、言う
だけ言ってみただけである。
「お断りするわ。仮にも娘の顔をした物を、貴方みたいな奴の実験材料に差し出すほど、私は堕ちちゃい
ないから」
 立ち去る女、プレシア・テスタロッサを今度は呼び止めず、スカリエッティは無傷のまま返した。殺し
ても良かったが、特に自分の邪魔となる人間には見えなかった。母親の願いとやらがどこまで叶うかは知
らないが、少なくとも彼女の言葉がスカリエッティになにひとつ感銘を与えなかったのは事実だった。
「凡人になにが判る……」
 親も子もいない、作り出された理由さえも他人の都合。あの女は、そうした境遇に私が甘んじていると
でも思ったのだろうか? だとすれば、彼女はこの天才を侮辱したことになる。私は誰にも縛られず、自
己の欲望のみを追求できるようになるために、既に行動を起こし始めていたのだ。