あの男の事が許せないか?
 かつてストレイト・クーガーから問われたその問いに、今ならばスバル・ナカジマはハッキリと答えられただろう。
 ああ、許せない。許せないとも、許していいはずなどないと。
 ハッキリと憤怒と憎悪の念をもって、そう迷わずに答えることが彼女には出来た。
 この男が、自分から大切な者を奪い、大切な者を傷つけた。
 故にこそ、許せない。
 絶対に……絶対にッ!
 だからこそ――

「カァァァズゥマァァァアアアアアアアアアアア!」

 相手の、その憎き仇である獣の名を、あらん限りの憎悪を込めて叫ぶ。
 その怒りを、握り固め振り被ったその拳へと込めながら。
 眼前に迫り来る黄金に怯む事すらなく、空色の発光と共にスバルは相手を目掛けて突っ込んだ。
 黄金と空色。アルターと魔法。拳と拳。
 二つの激突が閃光と震動、そして地を割り、雲海を切り裂こうが、如何なる現象を発生させようが一切関係ない。
 もはや今のスバル・ナカジマは眼前のこの獣以外には何も見えてはいなかったのだから。
 そう――


 ――あたしは、こいつを殺したい。

 


 それはもはや疾風というよりはむしろ流星。
 実際、スバル・ナカジマの突撃の勢いを真正面から対峙する事に覚悟を固めていたカズマでさえ、思わずに数歩怯み、押し負けたほどだ。
 実際、互いにぶつけ合ったシェルブリットとリボルバーナックル……それが削り取られるように欠けたのはカズマのシェルブリットであった。
 大したものだ、そして凄まじい威力と殺気だとすら腐りきったカズマですらそれは思わずに感心を抱くほど。
 ……まぁ、そうでなければ意味も価値もないのだが。
 それに――

「この程度じゃあ……全然足りねえんだよッ!」

 怒声と共に、弾かれたシェルブリット再び強引にスバルへと向けてカズマは殴りかかる。
 殺気も勢いも上等だが……たかだかこの程度の輝きで命をくれてやるほどに己は親切じゃない。
 腐りきった、底の底へと堕ちきった外道が、生き汚い死に損ないが、簡単に命を差し出すなどと戯けた事をするはずがない。

「俺の命が欲しいってんなら、テメェも命くらい懸けて挑んで来い!」

 逆にド腐れとして返り討ちにして喰らいきってやる、そんな考えすらもカズマは抱いていた。
 だからこその、それを分からせてやる為の一撃。
 カズマの強引なその拳は咄嗟にマッハキャリバーが展開したプロテクションを叩き割り、スバルを弾き飛ばす――

「――そんなの……承知の上だッ!」

 ――ことはなく、強引に踏ん張ってそれに耐えたスバルが逆に顎先を蹴り返してきた。

 強烈な、脳天に響く一撃に、思わずカズマも蹈鞴を踏みながら数歩後退。
 その隙を逃さぬと言うように、間髪要れずに拳を叩き込んでくるスバル。
 抉りこむようなレバーブロー。思わず九の字に身体が折れ曲がるのを追撃するように顔面へ向かって拳の一撃。
 ミシリと鈍く響く嫌な音と共にカズマの額が切れ、血によって赤く染まる。

「――ハッ!」

 しかし、血に染まりながらも、それでも獣はそれに歓喜を抱くかのように笑っていた。
 そして笑っているだけではない。殴られたら殴り返す……彼にとっては当たり前の常識を実行し返すのを忘れてはいない。
 頭ごと薙ぎ飛ばすと言わんばかりの大振りによる横薙ぎの一撃。咄嗟にスバルは顔を引いて眼前スレスレでそれを躱すも……

「――ッ!? がァッ!?」

 急激に返し刃のようにバックブローが彼女の回避速度を超える速度で戻ってきて、その頬を殴り飛ばす。
 衝撃で吹き飛びかけるスバルだが、それをカズマは許さない。当然だ、まだまだ全然殴り返してなどいないのだから。
 吹き飛びかけるスバルの頭、その髪を強引に掴んでこちらに向かって引っ張る。
 為すがままに引っ張られて寄ってきたスバルの顔面、それを目掛けてカズマは膝頭を叩き込んだ。
 鼻血だか額だかどこが切れたのかは分からないが、同じようにスバルもまた頭部より出血し、その飛び散った血が彼女のハチマキを赤へと染める。
 もう一丁とばかりにふらつきながら後退しかけているスバルへと、カズマはシェルブリットを纏う拳を彼女の腹を目掛けて叩き込む。
 だが――

「――ガァッ!?」

 同時、被弾すら意に介さずと言わんばかりにスバルのカウンターがカズマの側頭部へと叩き込まれた。
 衝撃で脳が揺れる。気持ち悪さや吐き気もそうだが、生物として根本的にどうしようもないダメージにさしものカズマも揺らぎかけ……

「……ざ……けん……な……ッ!」

 無様に膝をつくことなど死んでもしてたまるか、そう示さんばかりに強引に膝を震わせながらも立ったまま踏ん張る。
 霞みかけている視界の先で、膝をついて震えているスバル・ナカジマの姿を確認。
 ……おい、どうした?
 テメェはその程度か? アイツは……あの女なら、それくらいのダメージ、平然と立ち上がりやがったぞ。
 敵討ちを吠えるってんなら、あの女と同じくらいの気概を見せろよ。
 理不尽なそんな憤慨を顕にしながら、それが出来ないならさっさと潰れろと言わんばかりにゆっくりと近付いて拳を彼女目掛けて振り下ろそうとしたその瞬間だった。

「……ウ、イン……グ、……ッ……」

 ポツリと搾り出すように何かを呟いているスバル。
 何をぶつぶつ言っているのか、とカズマが怪訝というよりも不快感も顕にしたその瞬間だった。

「――ロード……ッ!」

 叫び、同時彼女が地面を叩く。
 発生する魔法陣。そしてそこから現れる空色の道。
 突如、眼前へと発生させられたそれに対応できず、突き刺さるようにカズマはそれに直撃しながら吹き飛ばされた。

 

 負けない。
 負けてたまるか。こんな奴に……こんな外道に、絶対に負けてやるもんか!
 ここで、こんな相手に負けてしまえば、高町なのはの名すらも穢れよう。
 そんなことは認めない、絶対に。
 そんな気概も顕に、土壇場の反撃。展開したウイングロードがカズマへと突き刺さり、彼をそのまま吹き飛ばす。

「マッハ、キャリバー……ッ!」

 相棒に、強引に呼びかけ、求めるのは切り札の解除。
 A.C.Sモード。そのスタンバイ要請。
 ダメージの蓄積した身体の今のスバルに、それを行使するのは自殺行為も同じ。

『相棒! 止してください、それよりも今は橘あすかを連れて離脱を――』
「うるさい! 早くしろッ!」

 頭に血が上り、怒りと戦いへの興奮で冷静さを欠いたスバルは、普段の彼女からは出るはずもない荒々しい強引な暴言で相棒の制止を遮った。
 離脱……そんなこと、事此処に至って自分もそれに相手も許すはずがない。
 それに――

「これは敵討ちなんだ! なのはさんの! 君島さんの! 社長の!……皆の仇を討つんだよッ!」

 そう、それを果たさずに、あの危険人物を生かしたままに、高町なのはの理想をこのロストグラウンドで果たせるはずがない。
 あの獣は討たなければならない。殺さなければならない。
 なのはが遣り残したであろう無念……その後始末を自分が果たすのだ!

『……落ち着いてください、相棒。高町なのははあなたにそのような事を望んでは――』

 それに君島邦彦は彼が殺したわけではない。橘あすかとてまだ助かるかもしれない。
 なのに怒りに任せて暴走して、感情の赴くままに、師の遺志すらも曲解させて、そうしてその結果に彼女に残るのは何だ?
 ……何も無い、後悔と虚無感だけだ。
 それは君島を助けられなかった時以上に、スバル自身を絶望させて、闇へと落としてしまうだろう。
 そしてそうなってしまえば……もはやそこに救いはない。
 そうなるのが目に見えていて、マッハキャリバーにそれが容認できるはずがない。
 だからこそ――

「マッハキャリバー、何やってんのよ!? 早く――」
『――いい加減にしなさい!』

 スバルの怒声を更に上回る音量を持って、マッハキャリバーは彼女の言葉を遮った。

「……マッハ……キャリバー………?」

 今までずっと従順であり支えでもあった己がデバイスからの拒絶。それにわけがわからないと言った様子も顕にスバルは戸惑う。
 彼女の暴走とて、怒りに駆られてしまったそれとて無理はない。彼女の心情、これまでの境遇を思えば、マッハキャリバーとて身を引き裂かれるかのような痛みを感じる。
 ……けれど、それでも今の彼女は間違っている。
 それは高町なのはが望んだ、そして彼女が後を託し、自らの意志でそれを引き継いだ他ならぬスバル・ナカジマ自身の決意にも反する。
 高町なのははもういない、何処にもいない。そして彼女の仲間……機動六課の面々もまた此処にはいない。
 だからこそ、今の相棒を止められるのは……過ちを犯させないように踏み止まらせられるのは相棒たる自分を置いて他にはいない。
 それに他ならぬマッハキャリバー自身が、過ちを犯す、復讐の獣と化してしまうスバルの姿など見たくはなかった。
 だからこそ――

『思い出しなさい、スバル・ナカジマ。あなたは高町なのはへと何を誓ったのですか?』

 その言葉に、スバルはビクリと震える。
 誓い。高町なのはの墓前へと、自身が誓ったその――

『彼女は何を望んでいたのですか? 何を願い、何をあなたへと託そうとしたのですか?』

 激情に駆られた復讐という行為か?
 後先も考えずに、己の感情だけを相手にぶつけ、そして傷つけることか?

『あなたは彼女の言葉に、彼女の意志に何を見出し、何に憧れたのですか?』

 スバル・ナカジマへと高町なのはが教えた事は何か? 教えたかった事は何か?
 四年前、何に憧れ、何に涙し、何を目指そうとしていたのか。

 ……分かっている。それくらい分かっている。
「……知ってるよ」
 マッハキャリバーに言われなくたって、そんな事は分かっている。忘れた事だって一度だってありはしない。
 高町なのはに関する事をスバル・ナカジマが忘れる事など何一つとしてありはしない。
 当たり前だ。自分の目標、憧れの人だったのだ。忘れる事などあるわけがない。
 全部憶えている。全部……全部ッ! 一つだって忘れた事なんてない!
 でも――

「分かってるよ! あたしがやってる事が違うっていうことくらい! マッハキャリバーなんかにわざわざ言われなくたって! 全部……全部ッ! 分かってるよッ!」

 頭を振って涙も顕に、怒鳴るようにスバルはマッハキャリバーへと向かって叫び返す。
 流石にスバルの豹変に、その勢いにマッハキャリバーもまた気圧されたかのように言葉を詰まらせる。
 けれどそれすら意に介さずに、スバルの叫びは続く。

「なのはさんはこんな事望んでなんかいない!……君島さんだって、きっとこんな事、望んじゃいない!」

 そんな優しい二人だったからこそ、スバル・ナカジマは憧れたのだ。
 けれど――

「でも二人がそうでもあたし自身が納得できない! 許せないんだよ、あいつが! 許すことなんて……出来ないんだよ……」

 そう、高町なのはも君島邦彦も、そして橘あすかも結局の所は関係ない。
 あの男が……カズマという男を許せないのは、許すことが出来ないのは、全部自分の、自分自身の勝手な感情だ。
 なのはも君島も、カズマと関わりさえしなければ死ななかった。死ななくて済んだのだ。
 あの二人は結局、カズマの為に死んだのも同じではないか。どっちも、アイツさえ放っておけば死なずにすんだのに、あんな奴を助けようとしたから、死んでしまった。

「あたしは……あんな奴より、あんな奴を助けるよりも、もっと二人に生きてて欲しかった!」

 もっと自分を助けて欲しかった。支えて欲しかった。導いて欲しかった。
 けれど彼らは自分ではなくカズマを選び、そして死んでしまった。
 その事実が悔しくて、やるせなくて、悲しくて、我慢できない。
 醜い嫉妬だ。どんなお題目や建前を並べようが、根本的な感情がそれであることくらいスバル自身だって分かっている。
 だからこそ、そんな選ばなかった……選んでもらえなかったからこそ、せめて、自分が彼女たちの遺志を、その生き様を継ごうと思った。
 最後に残ったそれくらいは、もう誰にも渡したくなかったから。
 それなのに――

「それなのに……アイツが、他の誰でもないアイツが、あたしから全部取ってったアイツが、なのはさんたちが残したものを……穢してるんだ!」

 それをどうして許せよう。
 それをどうして納得しよう。
 そんな事、出来るはずがない。出来るはずがないではないか。
 あんな無様に蹲って、目を閉ざして、耳を塞いで、現実から逃げて。
 立ち向かう事をやめて、無意味な戦いの中から出て来ようともしないあんな生き方こそ、死んでいったなのはや君島に対しての裏切りであり、侮辱ではないか。
 そのような蛮行……許せるはずがないではないか。

「だから、あたしは――」

 ――あいつを討って、なのはさんたちの無念を晴らす!

『――ッ!? 相棒、止めなさ――』

 マッハキャリバーの最後の制止の言葉すら強引に振り切って、スバルはウイングロードに飛び乗ると共にその上を駆け抜ける。
 駆け抜けたその先にいる憎き仇――逃げ出した無様な獣に引導を渡す為に。

 

 

『ああ、お前は強い。そりゃあ中々のもんだ』

 速さは兎も角として強さだけならば、或いは俺の次くらいには強くなれるかもしれないなとストレイト・クーガーはカズマへとそう言ってきた。
 在りし日の……もう過ぎ去って戻れないかつての記憶。
 あの兄貴分気取りの訳の分からない男の事を、しかもよりにもよってそんな言葉を今更どうして思い出しているのだろうかとカズマ自身が不思議と思うくらいだった。

『けどな、腹が減ったらどうする? 飯は? 服は? 寝床は?』

 最低最悪の無法の大地と謳われるロストグラウンド。そこに住むロクデナシのアウトローだろうと突き詰めれば人間である事には変わりない。
 人間の生活において最低限に必要な要素……衣食住。その日渡りの根無し草、風来坊を気取ろうともやはり人間である限り最低限は必須ともなる。
 例え自分たちアルター使いであろうとも例外では無い。
 いや、アルター使いであるからこそ尚更に大変なんだと何処か諭すようにあの男は幼いカズマへと告げてきた。
 カズマにとっては深く考える必要性すらも無い、小五月蝿いだけの説教。
 ……そう、あの時はまだそんな認識だったのだ。

『全て力で奪うのか?』

 何を今更、弱肉強食をモットーとするこの無法の大地でそれ以外の方法なんて無いだろうと鼻を鳴らして内心で馬鹿にしていたのを思い出す。
 それが態度に出ていたのだろう。それがお前の答えかと些か落胆したような溜め息も見せながらクーガーは問いかけてきた。

『そうやって、お前が手に入れたモンのお零れに群がってきた馬鹿共を従えて、お山の大将気取るのか?』

 そうして口にこそしなかったが、彼はそのこちらを見据えてくる眼でありありと告げてきていた。
 随分小さな器だな、お前……と。
 馬鹿にされていたのは間違いない。それに無性に腹が立った。こちらを勝手に測るクーガーの態度に酷くムカついた。
 そんなんじゃねえ。そんなんじゃねえよ。けど……


 俺には力がある。
 全部欲しい物は奪い取って、自分の物に出来るくらいの力がある。
 その力で……まぁ、気に入った奴がいたら気紛れに護ってやるくらい別に良いだろうが。
 簡単なんだ。ああ、簡単だ。
 俺は強いんだから。力があるんだから。
 この大地は力がある奴の言い分だけが、結局の所最後には通るんだから。

 だから、誰にも負けない自分がそうしたところで――


『それとも全部独り占めしようとして、テメエを見せつけるか?』

 クーガーはそんな事をこちらを見透かしたように告げながら、最後に笑って。
 まるでそれが予言だとでも言うように――

 

『――消えてなくなるぞ? 何もかも』

 

 不思議な確信を込めながら、そんなふざけた事を言ってきやがった。
 あまりにもムカついたので、その時にカズマは言い返すように、そんなクーガーに対して不敵に笑いながら告げたのを覚えている。

『――そんなこと、なるわけねえよ』

 俺に力があり続ける限り、そんな事になどなるはずがない。
 だから、クーガーの言っている事など実現するはずも無い妄言だと。
 そう言い返すカズマの言葉に、クーガーは何も言わなかった。
 ……そう、何も言ってはこなかった。

 それが、カズマとストレイト・クーガーがある日唐突に別れる事になる前に、あったそんな出来事。
 あれからふらりとクーガーがカズマを置いて何処かへ消えてしまったのは、そう遠くない日のことであった。

 

「……ああ、結局はテメエの言う通りだ」

 腹立たしい事この上ないが、事実その通りなのだから様ァない。
 ああ、見事にクーガーの言葉は予言となって的中し、カズマの未来を決定付けた。
 結局、あの時にクーガー相手に偉そうに誇った力などでは、何も護れはしなかった。

 ――居場所も。
 ――相棒も。
 ――大切な存在も。

 何もかもを失って、結局出来た事など単なる八つ当たり。復讐。壊す事だけだった。
 しかもそれすら……そんな憎悪と憤怒の結果ですら、逆に敵に泣かされるなんて事になった本当に情けない結果でしかなかった。

 カズマは思う。


『……そっか。ありがとな―――こんな馬鹿とつるんでくれてよ』

 君島邦彦はどうしてこんな馬鹿の為に命を投げ出しておきながら、そんな礼などを言ってきたのだろうかと。


『わたし泣くから、カズくんの分まで泣くから!』

 由詑かなみはどうしてこんなロクデナシの為に悲しんで、涙なんて勿体無いものまで流していたのか。


 そして――


『カズマ……くん……君は……ひとりじゃ…ないよ……』

 高町なのははどうしてこんなクズの為なんかに命を投げ出してまで構い、そして最後に優しく笑えていたのか。

 

 ……分からない。分かるはずなどありはしない。
 所詮自分は餓えて彷徨う、壊す事しか能のない無様な獣。心を持ち温かく、慈しむ事の優しさを知った彼ら人間のことなど理解出来ようはずがない。
 そう、所詮は無いものねだり。叶う筈もない無様な憧れ。
 分不相応にもそれが温かかったから、それが綺麗だったから、或いは自分にも手に入るのではないのかと憧れて、手を伸ばそうとしただけ。
 そして現実はそれを許さず、力に驕り分を弁えなかった愚かな獣へと罰を与えた、ただそれだけのことだ。
 そしてその結果……行き着いた結果こそがこの様だ。
 無様……ああ、この上もない無様。
 だが、例えそうだとしても――

「――それならそれで、似合いの終わり方ってモンがあるだろう」

 相応の幕引きはあってしかるべき。
 そう、復讐に焦がれた愚かな獣を、新たな若い獣が同じ感情を以ってこの身を断罪する。
 それこそお誂え向きではないか。そのまま丸々こちらの荷物を彼女へと押し付ける事そのものだが……そんな事、こっちが知ったことではない。
 兎に角、もう疲れたのだ。背負い続ける事も、逃げ続ける事も。
 だったら、この場で全てを――

 

「……ああ、全部終わりにしようじゃねえか」

 腹に突き刺さった不意打ちのウイングロード。それを掴んで強引に上に飛び乗る事で先端に突き刺さっていたのを回避したカズマは、彼女の作ったその道の上で、己を討ちに来るだろう彼女を迎え撃つ為に待ち続ける。
 スバル・ナカジマ。
 君島が恩人だと信頼を寄せ、そして恐らくはなのはの身内なのだろうあの少女。
 橘あすかというお膳立てに加え、溜まりに溜まりきった怒りの爆発した彼女は、正しくかつての自分と同じだ。
 彼女ならばやるだろう。例え命を懸けて刺し違えようが、こちらを殺しに来てくれるはず。女ではあるがなのは同様に根性がある。きっとそれくらいは出来る。
 ある意味でカズマが望んでいることは、自分自身がかつての自分と同じ者に殺されるという度し難く矛盾したものだ。
 だがそんな事は構わない。どうでもいい。賢しい理屈の修飾などする必要はない。
 もっと単純に考えればいい。獣の間にも世代交代は必須だ。ただスバルが自分を超える新たな獣となって自分を殺せばそれで良い、ただ単純にそう思っているだけに過ぎない。
 せめてなのはの愛したなのはの身内に殺されるというのなら……歪んでいるが、一応は筋を通す事くらいにはなるはずだ。

「……悪いな、なのは」

 復讐の獣と化して猛るスバル。かつての自分とまったく同じ存在。
 なのははそんな自分を救おうとしたが、自分はスバルを救おうとなどしていない。
 ただ押し付けて逃げ出すだけ。つくづくに度し難い腐りきった行い。
 だが仕方ないだろう。彼は彼女とは違い、人を救う魔法使いなどではない。
 己は獣。壊す事しか出来ない、それしか能のない、どうしようもなく馬鹿でクズでロクデナシな、救いようも無い……そんな存在に過ぎない。
 だからこそ、なのはと同じ事など出来ない。出来る筈もないし、するつもりだってない。
 そんなどうしようもないカズマに対して――

『――貴方には、心底失望させてもらいました』

 吐き捨てるように、忌々しく、レイジングハートがそんな言葉を告げてくる。
 口を開けばこちらに対する罵詈雑言……ムカつくが、もう聞き飽きた。それにこれで最後かとも思えば、むしろ好きに言わせてやるかとカズマの中では奇妙な余裕すら生まれていた。

『貴方は、こんな逃げで全てを許されるなどと思っているつもりですか?』
「さぁな。けど関係ねえ。……それに、もうどうでもいいんだよ」

 意地も信念も、宿敵も喧嘩も。
 失ったものも残ったものも、背負ったものも捨てたものも。
 あれだけ拘り続けた何もかもが、まるで色褪せるかのように今のカズマにはどうでもよく感じられていた。
 そういうのに一々煩わされることすら……疲れた。

「テメエらが俺を憎むのは勝手だし、どう思おうが自由だ。……けどな、こんな無様に死に損なっちまった俺にも、願いたいものが一つだけあるんだよ」

 正確に言えば、八ヶ月の前のあの時に、なのはが死んだ時に“シェルブリット”のカズマもまた死んだと思っていた。
 少なくとも、皮肉にも頑丈すぎた肉体は兎も角としても、精神の……心の方は、大事な芯があの時に折れてしまった。
 だから、“シェルブリット”のカズマは、あの戦いで高町なのはに負けて死んだ。
 今無様を晒し続けているのは単なる残骸。いつかは消え行くはずの残滓も同じ。
 だからこそ……

「贖罪……なんて言えねえが、それでも無様晒していつかは惨めに死んでいくのが、まぁ似合いの末路だと思ってた」

 誰も自分を知らない場所で、誰にも必要とされず、誰にも価値を見出されず。
 孤独に無様に……出来るだけ、痛みを感じながら死んでいこう。
 それくらいはしておかないと、君島にもなのはにも、くたばった時に合わせる顔もないと、そう思っていた。

「……けどよ、やっぱどれだけ捨てようが、逃げようが――」

 ――過去って奴は、俺を放っておいてくれねえ。

 当たり前といえば当たり前だが、この橘たちの唐突な来訪で改めて確信した。
 忌まわしい誤算だが、けれど予期せぬ嬉しい誤算があったのも事実だ。
 スバル・ナカジマ。そう、彼女という存在。

「テメエだって満足だろ? アイツなら……俺の首を取ったって」

 相応しい資格と役どころ。是非もない。
 それに、そんな彼女を見ていたらやはりどうしようもなく思ってしまうのだ。
 やはり自分はどうしようもないクズであり、救い難いほどに骨の髄までアルター使いなのだと言うことを。
 疼くのだ。欲しているのだ。
 ああ、そう。命くらいくれてやる。別にもう惜しくも何とも無い。
 だがその代わり――

「――最期くらい、派手な喧嘩で死なせてくれよ」

 そう、やはり獣は獣らしく、その死に様は戦いの中でこそ示したい。
 本当にどうしようもない、最後の我が儘。

『カズマ、貴方は――』
「お喋りはもう終わりだ。――着やがった」

 レイジングハートの言葉を強引に遮りながら、どこか嬉しそうに笑みすら浮かべながらカズマは待ちわびたように呟きながら、己が前方へと熱い視線を向ける。
 颯爽と鳴り響き駆け抜けてくる車輪の音。
 隠すつもりも抑えるつもりも毛頭ない、こちらに対して向ける惜しみも無い怒気と殺気。
 ああ、気合は十分。その面も充分に様になっている。
 カズマは静かに迎え撃つように拳を握りながら、心の内で向かってくる相手へと最初で最後の、そして最大の賞賛を贈った。

 スバル・ナカジマ、テメエは俺の最期の喧嘩の相手には充分だ。
 だからこそ――

「――始めようぜ、喧嘩をよォ!?」

 今はただ彼女に対して愛しさにすら似た歓喜を示しながら。
 黄金の輝きを発する拳をもって獣は少女を迎え撃つ為に駆け出した。

 

「……カズ、マ……スバル…さ…ん………」

 朦朧とする意識、霞む視界、激痛を訴える身体。
 だがそんな状態ですら、橘あすかは黙って倒れているわけにはいかなかった。
 上空で、空に架かった道の上で拳を交えた激しい戦いを繰り広げている両者。
 止めなくてはならない。あんな戦いは二人のどちらにとっても救いにもならない。
 それが橘にも理解できていた。だからこそ、無理矢理に限界に達した体に鞭を打ちながら橘は動き出した。
 己がアルターで人体の代謝機能を高め、自己治癒能力を促進し、負傷を治療しようともしたが……やはりダメージがダメージで気休めにすらなりはしない。
 一歩進んだ先には倒れそうにもなりながらも、それでも歯を食いしばって激痛に耐えながら橘は歩みを進める。
 二人の……こんな悲しい戦いを、一刻も早く終わらせる為に。

 


 ――スバルは、どうして強くなりたいの?

 あの日、あの時に問われたその問い、その意味をスバルは忘れていない。
 憧れの人であった高町なのは。
 彼女に及ばなくても、役者不足でも、それでも彼女の後を継がなければならない。
 彼女の代わりに、彼女の為に、彼女の望んでいた理想を叶えたい。
 それは今も変わらない。四年前からずっと抱いた憧れと共に、もう届かなくなったからこそに、傍には居てくれなくなったからこそに、尚更にスバルはなのはという憧れを強く求めていた。
 求め続けていた。

 だから、なのはさん。心配しないで見ていてください。
 時折、ふと幻のように瞼の裏や脳裏、そして夢の中で自分を見つめてくる彼女の姿。
 いつからだろう、彼女の姿……その幻を見るようになったのは。
 思い返してもよく思い出せないが……まぁ、それはどうでもいい。
 むしろ、嬉しいくらいだ。居なくなったはずのなのはが、ずっと自分の傍に居てくれる。見守っていてくれる。
 これほど心強く、嬉しい事もない。……情けないところや失敗などを見られないかと、少しだけ冷や冷やする事もあるが。
 けれど概ね、そんな事はどうでもいいくらいに、嬉しさが勝るのは事実。
 だからこそ、ちゃんと見ていてください、なのはさん。
 そして……笑ってくれると嬉しいです。

 あたし、頑張ります。
 頑張って、なのはさんの代わりに、なのはさんになって、なのはさんのしようとした事をやり遂げて見せますから。
 この男だって直ぐに斃して、仇だってちゃんと討ってみせますから。
 だから、安心してみていてください。
 あたしは絶対に、なのはさんになってみせますから。

 ……だから、だからもう少しだけ、もうちょっとだけで良いですから。
 そんな哀しそうな眼であたしを見ないでください。
 もっと、嬉しそうに笑ってください。
 あなたが笑ってくれれば、あたしはきっと何だって……何だってしてみせますから。
 ちゃんとあなたにだって成りきれます。
 ……だから、なのはさん。お願いだから……

 ……そんな眼で、あたしを見ないでください。
 ……そんな哀しそうな顔、しないでくださいよ。
 お願いです。お願いですから……

 もう一度、お願いですから笑ってください……なのはさん。

 


 地の利は駆け抜けるスバル・ナカジマにあったことは激突当初から明白だった。
 至極当然、何故ならば両者の足場はウイングロード。空を飛べぬスバルが、彼女の力で空を飛ぶために代用する翼。彼女だけの魔法なのだ。
 土足で勝手に上に乗って駆け回っていようが、カズマがその場を間借りしているという事実は変わらない。

「――チィッ!」

 思わず忌々しい舌打ちがカズマの内より漏れる。これでもう何度目か。一々数えるなんてしていないが、それでもそろそろ十には達している事だろう。
 酷く鬱陶しい。カズマの現状を評するならばその苛立ちだけが全てだった。
 その理由、その原因、カズマが思うように苛立たせるスバルの戦法。

 一瞬で駆け抜けて間合いを詰めて放たれてくる拳の一撃。
 カズマはそれをシェルブリットの纏う右手で防ぐ。
 彼の防御と同時、直撃か否かの結果すらも関係なくそのまま通過して行く少女の影。
 その後ろ髪でも掴むように咄嗟に振り返り様に手を伸ばすが、空を切る。
 忌々しい空振り。蹈鞴を踏むような強引な振り返りから体勢を整え直そうとした瞬間だった。
 今度は下方から生まれた新たな道を駆け上るように迫ってくる相手の強襲。
 放たれるリボルバーシュート。咄嗟に右腕を翳して防ぐも――右腕がそのまま衝撃で上へと弾かれる。
 そこを狙い済ましたように接近。そのまま彼女の拳が抉りこむようにカズマの体へと叩き込まれる。
 魔力を纏った拳――ナックルダスター。
 その威力は防御云々に関係なく並の魔導師ならば叩き潰せる威力を有する。
 常人離れしたカズマの耐久力を以ってしても、効く。それは変わらない。
 だがカズマが苛立つのはそんな相手の攻撃の直撃ではない。
 一撃を入れると同時、スバルはそのまま飛び離れるようにその場から離脱。新たな道を作ってそちらに飛び移り、カズマの拳が届かぬ範囲にまで距離を取る。

 ――ヒットアンドアウェイ。

 決して深追いはせず、有効打を決めたら即座に相手の反撃を生じさせぬ為に離れるスピード戦。
 彼女の修めた格闘技――シューティングアーツの真骨頂。

「……テメエら、本当にやり方まで同じじゃねえか」

 高町なのはの魔弾がスバル・ナカジマの拳に代わっただけ。
 遠距離が瞬間的に距離を詰めてのインファイトと代わっただけなのだが……カズマにしてみればより不愉快この上なかった。
 仮にも得物を同じ拳としてくるならば、チマチマとした連打なんかで来られても面白くも何ともない。
 ましてや先の橘あすか同様の劣化焼き直し……正直、飽き飽きもいいところだ。

「……そいつはもう――飽きたんだよッ!」

 カズマの苛立ちとは攻撃が当たらない事でも、戦いのイニシアチブを握られている事でもない。
 最後の命を懸けた大喧嘩。獣の喰らい合いに賢しい知恵を入れ込んだツマラナイ策を相手が持ち込んできたというその事実。
 ましてや――

「そんなんじゃあ……何の意味もねえだろうがッ!?」

 カズマは思う。コイツは本当に自分に勝つ気があるのだろうかと。
 高町なのはの仇を討つ……本当にそんなつもりがあるのか。
 こんな戦法、何百何千繰り返されようが、こちらとしては脅威でも何でもない。
 力づくで突き崩す。策も理屈も常識も関係なく、カズマがその気になって行おうとすればそれは可能だ。
 あの高町なのはですら、力の上では結果的にそれに屈していた。
 ましてやあの女にも数段劣る小娘が、同じやり方でそれで仇を討てると本気で思っているのだろうか。
 だとするならば度し難い。許し難いと吐き捨てたいとすら思う。
 もし本当に、このままこんな水を差すような行いしか出来ないと言うのなら……

「……だったら、テメエにくれてやる首は無えよ」

 この首、この命、差し出す事にすら値しない。
 無意味で無価値……この小娘は己が求めていた存在ですらなくなる。
 だとするならば―――――もう、いい。


「――消えろよ、テメエ」


 いや、この手で即座に消してやる。
 そんな苛立ちと共に、カズマはスバル目掛けて疾走。自身が乗っていた道から飛び降り、彼女の乗っている道の上へと着地し、そのまま駆ける。拳を振り上げ、彼女を目指して。
 そんなカズマからの特攻に対し、スバルはその場で迎え撃つ――などという手を取るはずも無く、即座に車輪を火花を散らして回しながら疾走。
 ウイングロードを形成。その道は側面から回り込むようにカズマを狙う彼女が駆ける彼女だけの道。
 疾走速度は初動を後手に回そうがスバルが上。即座に新たな道を駆け抜けながら向かってくるカズマの背後へと回り込む。
 ラリアットのように無理矢理にその身を捻りながら振り回してくる豪腕。しかし単純な大振り、難なくバックスウェーを用いながら躱したスバルは、カウンターを狙うように拳を叩き込もうとし――

 ――瞬間、カズマの口元がニヤリと歪む。

「――――なッ!?」

 スバルが直後に思わず驚きの言葉を漏らしたのも無理はない。
 なんとカズマはスバルが拳を叩き込んでくるよりも先に、その自らの身を振り回した反動を利用して、そのまま身を投げ出すかのように飛んだのだ。
 当然その先、スバルが形成するウイングロードなどあるはずもない。
 身投げ? 咄嗟にスバルの脳裏へと過ぎった不可解さを顕にする疑問。まさか、こちらが親切にも道を形成してやるとでも勘違いして――

『――相棒ッ!』
「――ッ!?」

 咄嗟に怒鳴るようにマッハキャリバーから飛んでくる警告。
 それだけでなく反応するよりも先に、マッハキャリバーが勝手に引っ張るように自分の体を後ろへと飛ばす始末。
 ――だが、このデバイスの機転がスバルを窮地に陥りかけたのを救ったのは事実だ。
 直後、その瞬間までスバルの頭があったその空間を薙ぎ払うかのように振るわれる何か。
 拳――そうスバルがそれを認識すると同時に、それに続く先へと視線を向ければ、

「――チッ、外したか!」

 忌々しいとその結果に苛立つかのような舌打ちを見せるカズマ。
 その姿、その足は彼女の作るウイングロードの上にはついていない。
 騒々しい回転音を鳴らしながら、ヘリのローターのように背中の巨大な風車を回転させて飛行している相手の姿。
 そう、別にカズマはトチ狂った身投げなどを行おうとウイングロードの上から飛び降りたのではない。
 シェルブリット第二形態――この状態のカズマは“飛べる”のだ。
 消えたり増えたり邪魔をする不安定な足場――地に着く喧嘩こそが本望ではあるが、完全に阻害要因にしかならない足場ならば、そこに拘る必要は無い。
 それに何より――

「他人の敷いたレールの上ってのは――性に合わねえんだよッ!」

 ニヤリと傲岸不遜な笑みと言動と同時、そのまま弾丸のような速度でスバルを目掛けて突撃してくるカズマ。
 ――速い! その射線からの回避は不可能。咄嗟に判断したスバルがならばと行うのは当然ながらの防御。
 しかし――

「――温いんだよッ!」
「―――ッう!?」

 展開する防壁。そして戦闘機人の頑強さを合わせた防御姿勢。
 それすら物ともせずに力づくで叩き壊し、弾き飛ばすカズマの拳。
 そう、この拳は管理局屈指の重層型魔導師である彼女、鉄壁とまで謳われたそれすらも打ち破り、下したものなのだ。生半可な防御が通用するはずなどありはしない。
 殴り飛ばされ、スバルはそのまま宙へとその身を弾き出された。足場が無い。この高度、落ちれば彼女と言えど命は無い。
 咄嗟に無我夢中でウイングロードを再展開。その上へと何とか着地。
 しかし束の間の安堵すら与える事も許さない、そう言うかのように真上から間髪入れずに叩き落されてくる獣の拳。
 咄嗟に飛び躱すも、その拳は地面ならぬウイングロードをそのまま力任せに砕く。
 それによる再びの足場喪失。慌ててウイングロードを再展開。今度は再び平面方向ではなく、先の不意打ちと同じようにカズマを目掛けて。
 近距離から叩き込まれてくる空の架け橋。カズマは鼻を鳴らしながら嘲笑うように軽く身を避けてそれを躱そうとするも――

「――なっ!?」

 今度は驚いたのはカズマの方であった。
 彼の油断――それは彼女の生み出すその道がただ真っ直ぐにしか伸びてこない、そんな認識を抱いていたこと。
 しかしそれは大きな間違い、度し難い勘違い。
 弛まぬ訓練、錬度を上げたその性能は、翼の道の生み出す軌道を螺旋状などという複雑な形で生み出す事すら今のスバルならば可能。
 油断して僅かに身をずらした程度――その傲慢な横っ面に軌道変換で叩き込んでやる事くらいは訳は無い。
 事実、スバルの目論見どおりに、カズマにとっては実に不愉快な形でウイングロードの先端はカズマを叩き飛ばすように直撃。
 その好機を逃さぬというように、即座にスバルは標的に迫るその道を流星の如く駆け抜ける。
 ウイングロードの先端、カズマがいるその先へと跳躍。無謀なダイブも同然。
 しかしスバルに迷いや躊躇いは一切無い。保身すらも無かった考え無しですらあったのかもしれない。
 兎に角、そのままスバルはウイングロードから標的のカズマへと我が身一つで飛び移る。
 小娘とはいえ人間一人分の体重。ましてや彼女は戦闘機人。しかも頭を取っての上からの突撃だ。さしもの馬鹿力のカズマとて支えきれるはずもない。
 なまじ高度を上げすぎた洒落にならない高さというのもある。落ちれば……どちらが上か下かで関係なかろうとそれこそタダで済むはずがない。
 道連れの……破れかぶれかのような心中。カズマとしては冗談ではない。形振り構わないこと事態は構わない……が、それで簡単に死んでやるつもりなどない。
 命を取りにくることは望むところ。敗北による死――それを望んでいる事には変わりない。
 けれど全力の喧嘩、死闘による終焉を望む以上は、体が動くその内は逆に相手を殺すつもりで最後まで抗わせてもらう。
 であるならば、カズマのやるべき事は決まりきっていた。しがみ付いているスバル……この女を地面に墜落しきるより前に振り払う。ただそれだけだ。
 どれだけしがみ付かれようが、女とは思えぬ常人離れした戦闘機人の怪力だろうが関係ない。拳で叩いて引き離す。何発だろうが、何十発だろうが、落ちる前に叩き込んで引き離す。
 その為に拳を振り上げようとしたその瞬間だった。
 密着したその状態から、スバルの拳がカズマの腹へと添えられる。拳と腹は触れている。1インチどころか密着だ。この状態から拳を押し込んだとしてもたかが知れている。それとも、ここから一度拳を引いて腹を目掛けて叩き込んでくるか。
 ……面白い、どちらにしろならばこちらはそれに合わせてこっちも拳を叩き込んでやる。そうカズマは決めた。そちらの拳がこちらの腹を殴ってきたと同時にカウンターで彼女の顔面にこちらの拳を叩き込む。
 我慢比べ、どっちが押し負けて屈するか。そんな勝負だとカズマが決めてかかったその瞬間だった。


 ――カズマの全身に、まるで体がバラバラに粉砕されるかのような震動が叩き込まれる。


 あまりの衝撃、あまりの威力、耐える覚悟も固めていない状態での予想を遥かに上回るダメージにそれこそカズマの意識は飛びかけてすらいた。
 これは……一体………?
 カズマの朦朧とする意識の中で、間近に迫る黄金の瞳が冷め切った視線を持ってこちらを射抜いてきていた。

 ――IS『震動破砕』

 戦闘機人――タイプゼロ・セカンドたるスバル・ナカジマが保有する接触兵器。
 本来ならば対人使用が禁じられているその禁を、彼女は破り、使用したのだ。
 標的の内部へと直接に震動を叩き込み、破壊するその能力。
 人間離れした異常な耐久力を誇るカズマであろうが無事に済むはずもない。
 ましてや、前情報も何一つ無い、彼からすれば今までに体験したこともない未知のダメージによる不意打ちだ。
 有効打……今までに例の無い、圧倒的な有効打であったことは間違いなかった。
 スバル自身にとっても、初めて明確な『殺す』ことを目的として叩き込んだ一撃だ。これで効かない筈がない。
 もはやカズマ、相手を殴るどころか拳を握る事すら……否、意識を完全に手放さずにいることすら精一杯と言って良い状態だった。

「――堕ちろ」

 地獄に。そしてその底からなのはさんと君島さんに詫び続けろ。
 吐き捨てるように、蔑視も顕に冷たく告げながら、カズマの体を更に蹴り込んで、下へと落としながら、スバルはその反動を利用して離脱。ウイングロードを即座に展開してその上へと着地する。
 あんな下衆と心中するつもりは毛頭ない。ただ当然の裁きを下した執行官の如くに、スバルはそのまま落ちゆくカズマの末路を見届けるように上空から見下ろし続ける。
 眼下、落下する獣はこちらへと届くはずも無い手を見苦しい最後の足掻きのように伸ばしながら、大地へ向かって落ちていった。

 

 ……完全な誤算。
 効いたなんてものではなかった。実際、今までに喰らってきたどの攻撃よりも直接に、スバルの繰り出してきた攻撃はカズマの内部へと響いていた。
 体が言う事をきかない。急速な地面への落下を続けていくその最中で、朦朧としたカズマの意識が認識していたのはその程度のこと。
 やはり、慣れない事はするものではない。
 所詮は獣。見っとも無く地に這い蹲って足掻く以外の術を持たぬはずの身で、あの女の領分で戦おうなどとしているからこのようになる。
 最初から分かりきっていたことだろうに。

(……俺には、翼なんて無えってのに……)

 そんなものも無いのに、調子に乗って飛ぼうなどと身の程知らずなことをするからこうなる。
 この墜落は自業自得。……何て事はない。ただそれだけのこと。

(……空を飛べば、このクソったれた大地から逃げられるとでも思ってたのか?)

 そんな都合のいい事あるはずがないだろうに。
 結局、やはりどこにも逃げ道などありはしない。
 何処へ逃げようが……逃げられない。
 過去は、罪は、因縁は、この大地は。
 この身から手を離すことなど許すはずがないのだ。

(……分かってたっての。それくらいはな)

 分かっていたが足掻いた、反逆した。
 けれど……この反逆は届かなかった。
 それだけのこと。ああ、それだけのことだ。
 そして、この結果は高くつきはしたが、それを思い知らされた授業料も同じ。
 いいぜ、ちゃんと受け入れてやるよ。
 だが、その支払いは――

「――まだ、ツケといてもらうぜッ!」

 まだ、まだ戦いきっていない。
 まだ、輝ききっていない。
 まだ、燃えつききっていない。
 だから――もう少しだけ、足掻く。
 満足して、最後に果てるその為に――ッ!

 瞬間、もはや地面に直撃目前となったその距離で、カズマは不自由な体に無理矢理鞭を打ちながら精一杯に命じる。
 全身なんて贅沢は言わない。拳だ、拳を握って振るえる力だけでいい。
 それだけあれば――まだ反逆できる!
 そんな意志も顕に、抗うように獣の咆哮。そして無理矢理に振り返ると共に目前に迫る地面へ向けて、むしろ自ら振り被るように殴りかかった。
 放出するアルターの煌き。粉砕し、抉り取られていく地面。
 自前のクレーターを、常識外れのサイズで作り上げながら、その中心にカズマは叩きつけられるように落下した。
 全身がバラバラになるかのような衝撃。吹っ飛びかける意識。
 だがそんな中で、無理矢理に意識を引き止め、痛みすら麻痺した体を痙攣させながらも、カズマは、空を仰ぐように寝転がりながら、笑っていた。

 ――死の運命からの反逆。

 生き残ったというその結果。それはつまり――

「……まだ……まだ……これ、から……だッ!」

 そう、喧嘩はまだ終わっていない。

 


「――なッ!?」

 眼下で起こった呆れるほどに非常識なその光景、それを目撃したスバルは思わず絶句する。
 当然だ。あのまま無様に落下して石榴のように弾け飛ぶのが当然であったはずの相手が、あんな非常識な悪足掻きで生き残ったのだ。
 そうまでして足掻く。
 そうまでして生にしがみつく。
 ……何と浅ましく、そして無様な事か。
 なのはや君島を死に追いやっておいて、まだ自分だけはのうのうと生き汚く、抗い続けるなど……ッ!

「……ふざ……ッ……けるなぁぁぁあああああああああああああああああああああ!!」

 咆哮と同時、カズマに向かうウイングロードを形成。滑降というよりはもはや落下に等しい角度と速度でカズマを目掛けて突撃。
 漸くに震えながらも立ち上がりかけたその相手を、その顔を容赦なく殴り飛ばす。
 もんどりうって再び地面へと倒れるカズマ。
 しかしスバルは追撃の手は緩めない。そのまま飛びかかって倒れたカズマの腹部へと膝を全体重を込めて叩き落す。
 流石に昆虫標本のように縫い付けられたかのような追い討ちには、カズマも喀血しながら悶絶。
 しかし、スバルは止まらない。止まるはずなどない。
 そのままマウントを取ると同時に、カズマの顔を目掛けて両の拳を何度も何度も叩き込む。
 途中、カズマも反撃するように何発か殴り返してきたが、マウントを取られていることと連戦によるダメージと疲労も合わさってか、その拳はもはやスバルの猛攻を断ち切るだけの威力を有していない。

「お前がッ! お前がッ! お前がぁぁッ!」

 憎悪に猛るスバル。その怒りと憎しみに塗り固められた表情は、只管にカズマを睨みつけるように見下ろし、その振り下ろす拳にも一切の呵責などありはしなかった。

「返せ! なのはさんをッ! 君島さんをッ! あたしから奪ったものをッ!」

 その黄金の瞳、憤怒と憎悪しか対象に向けるものはないそれから零れ落ち続ける涙は、拳と共に次々とカズマの上へと落ちていく。

「全部ッ! 全部ッ!……あたしから奪ったものを……返せよぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」

 只管に、只管に、スバルはカズマを殴り続けながら叫ぶ。
 その激情を、その願望を、その無念を。
 相手に向かって叩きつけるように。

『相棒ッ! 止めてください! これ以上は本当に――』

 戦闘機人の腕力で力任せに人間の頭部を殴打し続ける。
 下手をすれば……否、下手をせずともこのままでは本当にカズマを殺してしまう。
 それを危うんだマッハキャリバーが思わず制止の言葉を再び上げるも――

「……返せよ………返してよぉ……ッ!」

 スバルはそれに応じない。否、マッハキャリバーの言葉は今の彼女には届いていない。
 こうなったら無理矢理にでも、そう思い自らの判断で強制的に介入して彼女をカズマから引き離そうと、実行しようとしたその瞬間だった。

 カズマへと向けて振り下ろそうとした彼女の拳。
 それを後ろから腕ごと掴んで止める手。
 マッハキャリバーも、そしてスバルも驚いたようにビクリと一瞬制止した。
 その硬直の間を縫うように、擦れながらも穏やかな声が彼女へと告げられてくる。

「……もう、いい。……やめるんだ、スバルさん」

 その声の主へと応じるように、スバルはそのまま首を廻らせ振り向いた。
 その視線の先、己の手を掴んでいるその人物は、ただ優しげな視線を向けながら振り向いた彼女へと首を振った。
 自分だってボロボロで、立っているのが精一杯のはずなのに、それでもそれを必死で隠すかのように耐えながら、彼女をこれ以上興奮させないように落ち着かせるように。
 橘あすかはスバル・ナカジマへと出来るだけ穏やかに優しく告げる。

「もう、いい。……もう充分だ。それ以上は駄目だ……スバルさん」

 彼女がカズマを殺すということ。
 カズマが彼女に命を奪われる事を危ぶんで言っているのではない。

「……誰も、君がそんな形で手を汚す事は……誰も望んじゃいない」

 自分も。
 桐生水守も。
 ストレイト・クーガーも。
 マッハキャリバーも。
 君島邦彦も。
 高町なのはも。
 それに――スバル自身も。

「きっと……そうすれば、君自身が後悔するよ」
「……勝手に、決め付けないでください」

 橘の言葉を、そして掴んだ手を振り払うようにスバルはそれを斬って捨てて首を振る。
 正論なんかいらない。綺麗事なんて沢山だ。
 理屈じゃない。復讐は理屈なんかでやってられない。
 それに――

「ここで、こいつを……ッ……さないと、あたしは、あたし自身が許せなくなるんです」

 そう言いながら、スバルはしかし苦虫を噛み潰すように悔しげに橘から顔を逸らす。
 ”殺す”、その直接的表現をどうしても口に出して言えなかった。
 心の中でなら吐き捨てるように言えるのに、現実に言葉に出すにはどうしても抵抗があった。
 その言葉を口にしようとすると、何故か視界の端のなのはの幻が哀しそうな顔をするから。
 それは結局、どこまでいこうがスバル・ナカジマの根っこが善人でしかないという証。
 一線をどうしても越えられないことを突きつけられているかのようで、どうしてもそれが歯痒く、認められずに拒んだ。
 けれど、そんな彼女の本心を橘もマッハキャリバーも気づいていた。
 彼女に人は殺せない。殺す事などできない、殺させてはいけない。
 何故なら――

『――相棒、嘘を吐いてはいけません』
「――ッ!? う、嘘なんかじゃない!」

 マッハキャリバーの指摘に、スバルは慌てたように頭を振りながら否定を示す。
 嘘じゃない。嘘なんかついていない。
 ここでカズマを殺さないと、きっと、いや、絶対に自分は後悔する。
 仇を討たないと、なのはや君島にも顔向けできない。
 そう、自分がやらなければ。他の誰でもない、自分が……

「いいや、それは嘘だ。だってスバルさん、君は今――」

 ――泣いてるじゃないか。


「……え?」
 橘からのその指摘に、スバルは訳が分からないといった様子で自らの頬へと手を伸ばす。
 指先に感じたのは、確かな湿った生温かい液体の感触。
 涙……それ以外の何ものでもないそれ。
 それの確認と共に、スバルは益々に慌てる。

「え?……な、なんで? あれ、おかしいな……あたし、別に悲しくなんてない……悲しくなんて……全然、そんなこと……あるわけ……」

 そう慌てふためきながら必死に言い訳の言葉を並べ立て続けるスバル。
 しかし真剣な表情のまま、橘は静かに無言で首を振る。
 スバルの言い訳を否定するように。

「……違う。……違うッ! 違う違う違うッ! あたしは……あたしは、こいつを、こいつを……ッ……さなきゃ、……ッ……さなきゃ、いけなくてッ!」

 どうして、どうして言えないのか。
 “殺さなきゃ”……そう言えばいいだけなのに、なんで自分はそれを言葉に出来ない。
 いや、どうしてそもそも何でこんな言い訳をしなければいけないのか。
 違う、言い訳じゃない。殺す、殺したいんだ。殺さなきゃならないんだ。
 あたしが、他の誰でもなく、あたしがやらなきゃいけないんだ。

「……あたしが……あたしがやらないと、あたしは――」

 ――あたしは、なのはさんになれない!

 決めたんだ。誓ったんだ。
 他の誰でもない、彼女に。彼女の眠る墓前で自分が。
 なのはの遺志を継ぐ。なのはの無念を晴らす。なのはのやろうとしたことを彼女の代わりに成し遂げると。
 他の誰でもない、役者不足は承知の上。だがそれでも――
 それでも――

「……あたしは……あたしは―――――あの人にッ!」

 憧れた、手を伸ばした、その背中を目指した、導いてもらったあの人に。
 高町なのはに―――なりたいんだ。
 高町なのはになって、彼女の理想を、夢を引き継ぐ。
 そうしないと、そうしないと……彼女が何の為に死んだのかすら分からなくなる。
 何の為に生きて、何の為に戦ったのかすらも分からなくなる。
 意味を失ってしまう。価値がなくなってしまう。
 そんなことは、認めない。絶対に……絶対に認めない。
 だから、ここであたしがこの男を殺して、まずはやるべき事の一つを成し遂げて資格を得ないと。
 彼女の後継者に……彼女自身になる資格を得なければ――

 

『―――スバルは、どうして強くなりたいの?』

 

「………え?」

 不意にポツリといきなりに聞こえてきたその声。
 酷く覚えのある、忘れるはずもないその言葉。
 マッハキャリバーでも、橘あすかでもなく。
 まったく別のその声が、あの彼女の問いを再びに自分に突きつけてきた。

「……レイジング………ハート……?」

 ポツリと、驚き信じられぬと言った様子でスバルはカズマの懐から地面へと転がり落ちたその宝石の名を呼ぶ。
 よく見慣れた、戦場ではなのはと共に頼もしいとすら思っていた、他ならぬ高町なのはの魔法の杖。
 どうしてレイジングハートが此処に? 否、そもそも何でレイジングハートがカズマなんかの懐から……?
 だがそんなスバルの疑問などどうでもいいと言った様子で、レイジングハートは構わずにもう一度同じ問いをスバルへと投げかけてくる。
 他ならぬ、その魔法の杖自身の主が、かつて眼前の少女へと問うたその言葉を。
 此処にはいない主に代わり、杖は問う。

『―――スバルは、どうして強くなりたいの?』

 最後に残した主の『願い』……その一つを今、叶える時だと確信したから。
 レイジングハートはその心中で問う。他ならぬ、この『願い』を残したなのはに対して。自分が取ったこの行動を。

(……マスター、これで良かったのですね?)

 魔法少女の願いを叶える魔法の杖。
 甚だ不本意でありながらも、それでも愚直に主の遺志を慮って、今自分がすべきことがこれで良かったのだと。
 そして同時に思う。自分が出来るのはここまでだとも。
 これ以上は、自分の領分ではないし、そもそもどうすることも出来ない。
 後は、この言葉と主が少女へと伝えたかった本当の遺志。
 それに気づき、汲み取る事が出来るかどうかは少女自身の問題。
 自分はただ、それを静かに見届けよう。

 

『―――スバルは、どうして強くなりたいの?』

 それは他ならぬ、あの日に高町なのはがスバル・ナカジマへと告げてきた問い。
 機動六課の、否、管理局の魔導師として……否、高町なのはの教え子として。
 ……否、そもそもスバル・ナカジマ個人としての、その目指すべき道、指針。
 それが何なのか、そうなのははスバルに問うてきたのだ。
 それに対して、己は何と答えたのだったのか……?
 スバルは思い出す。……否、思い出すまでもない。忘れてなどいない。ちゃんと憶えている。
 一度だって色褪せず、諦めることなく、ずっとその願いを抱いて走り続けてきたのだから――

 

 地獄のような炎の中。出口なんて何処にも無い、絶望の底で。
 何も出来ずに、誰にも助けてもらえずに、泣いてばかりだったあの時。
 大好きな父と姉すらも傍にはおらず、独りぼっちで泣いてばかりで、命まで失いかけたあの絶望の中で――

『良かった……間に合った。………助けに来たよ』

 ――たった一人だけ、助けに来てくれた人がいた。

『良く頑張ったね、偉いよ』

 本当は泣いてばかりで何も出来なかった。
 蹲っていただけで、怖くて、何処へ逃げてもいいか分からずに立ち止まっていただけだった。
 けれども、あの人はそう優しく言ってくれて、安心させるように頭を撫でてくれた。
 その優しさ、その温かさ……今だって色褪せることなく憶えている。

『もう大丈夫だからね、後は―――安全な場所まで一直線だから』

 そう告げて、その宣言通りに。
 あの人は、地獄のような炎の中から、絶望の底から。
 自分を………助け出してくれたのだ。
 あの時の、彼女が自分を抱きしめて飛んでくれたあの夜空を、きっと自分は生涯忘れないだろう。

“炎の中から助け出してもらって、連れ出してもらった広い夜空。………冷たい風が優しくて、抱きしめてくれる腕が温かくて………”

 不意に眼が合った自分へと、あの人は優しげに微笑んでくれた。
 もう大丈夫だよ、とその目は優しくそして確かに告げていた。

“助けてくれたあの人は、強くて、優しくて、カッコよくて………”

 救護隊へと引き渡され、担架で救急車へと運ばれる中、夜空を見上げれば先程自分を助けてくれたあの人が、再び現場へと飛んでいく姿が目に映った。
 自分を助けてくれただけでなく、まだ残っている多くの人を助ける為に。助けてみせると決意と共に向かっていったその雄姿。
 助けてもらうばかりで何も出来なかった自分とは違う……誰かを助ける力を持った、誰かを助けられる強くて優しい人。

 ――その姿に、憧れた。

 純粋に、綺麗だと、カッコいいと、そして自分とはまったく違う人なんだと思った。
 自分も……あんな人になってみたい。
 憧れの芽生え。そして進むべき道の選択。
 それから四年――只管に、ただ前だけを見て、あの背中を追い続けた。
 いつか絶対に、あの人とまた逢いたい。その背中に追いついて認めて欲しい。
 そう思って駆け抜け続けた先で――

『なのはさん、でいいよ。皆そう呼ぶから。………四年ぶりかな、背伸びたね、スバル。
 また逢えて、嬉しいよ』

 一救助者に過ぎなかった、あの日に道がすれ違った相手である自分なんかの事を、あの人は憶えていてくれて……。
 嬉しかった。本当に……嬉しかったのだ。
 どんな奇跡か、それからあの人と同じ部隊で、あの人の教え子になれたこと。
 本当に……本当に、夢の様な日々だった。
 そんな満たされていた中で、自分の目指す未来――その夢を問いかけてきてくれたあの人に、自分はこう答えたではないか。
 誇りを持って、あの人にもきっと伝わると信じて――

『災害とか争い事とかそんなどうしようもない状況が起きた時、苦しくて悲しくて助けてって泣いてる人を助ける人になりたいです。自分の力で―――安全な場所まで、一直線に!』

 あの日、あの時、あの瞬間に。
 自分を助けてくれたあの人と同じように。
 スバル・ナカジマが誰よりも憧れた高町なのはと同じように――


 ――あたしは、誰かを助けられる人になりたかった。


 あの人――高町なのはがそうであったように……。

 

「…………ぁ」

 原点に回帰したその答え。憧れの始まり。綺麗でカッコよかった姿。
 スバル・ナカジマの憧れだった高町なのは。
 スバルが本当に……本当に憧れた彼女は――

 ――人を憎しみで殺すことを良しとする人間だったか?

 ……違う、違う違う違う違う違うッ!
 高町なのははそんな人間ではない。誰かが傷つくことを、悲しむ事を良しとしない人間だ。
 誰かの為に、誰かを護る為に、誰かを助ける為に戦う。
 ……そういう、人だった。

「……あたし……は………」

 ここでこの男を殺す事をなのはが望むのか?
 ――否。
 なのはが敵討ちと称して自分が手を汚す事を彼女が望むのか?
 ――否。
 誰かを殺める事が彼女の目指した理想なのか?
 ――否。

 ここで自分がこの男を殺せば、それで本当に彼女の理想は叶うのか?

「……ち…が……う……」

 ボロボロと瞳に再び涙を溢れ返しながら、スバルは途切れ途切れの呟きと共に首を振った。
 違う、ああ違うんだ。
 彼女の理想は、願いは、こんな事をしても叶わない。
 こんな事をしてしまえば、叶わなくなる。
 ここでこの男を……カズマを憎しみで殺してしまったら――

 ――きっとなのはは、二度と自分に微笑んでくれなくなる。

 それが分かった。気づいてしまった。
 最初から答えは見えていたのに、目を逸らして気づかない振りをしていた。
 けれど……もう、それも出来ない。
 してはいけない。
 それが分かったから、分かってしまったから――

「――それでいい。それでいいんだ、スバルさん」
『……よく我慢してくれました、相棒』

 いつの間にか、カズマの上に乗っていた状態から彼の上から退き、そして優しく橘が後ろからスバルの肩に手を置きながら告げてくる。
 そしてそう言ってくる橘の声に続くように、マッハキャリバーからの声。
 ……もう、限界だった。

「ああぁぁ……ッ…あああああああああああああぁぁぁぁぁ!」

 しがみ付くように橘に振り返って抱きつき、その胸へと顔を埋めながらスバルは声を上げて泣き始めた。
 橘はそんな彼女を優しく抱きしめ返しながら、この一時、彼女が泣きやむその時までこのままでいてやろうと静かに決めていた。
 彼女は……よく頑張った。
 他の誰が愚かと嗤おうが、自分やきっと水守たちはそうは思わない。
 他の誰が何と言おうと、スバルのこの決断とこの姿を橘は尊いものだと思った。
 それはきっと――

「――貴女もそうなんじゃないんですか?」

 直接的な面識は一度だってない、スバルの師であり水守の友であったというその人。
 自分はその彼女のことなど伝聞以上のことは何も知らないが、それでも敢えて、もし天国からでも今のスバルを見ているのならば、今のスバルを褒めてやって欲しいと思った。
 それくらいの想いは、きっと許される。
 そう思いながら、自分の胸で泣き続けるスバル・ナカジマを橘あすかは静かに優しく抱きしめ続けた。

 


『……これが、どうやら彼女の貴方に対する答えのようですね?』

 レイジングハートのその言葉に、何だそりゃと不快気にカズマは鼻を鳴らす。
 眼前で自分そっちのけで好き勝手に行われている、自己に酔ったお涙頂戴の滑稽な小芝居。
 ……下らない、ああ、下らない。

「……何だ、そりゃ……?」

 命を捨ててもいい最後の大喧嘩だと思っていたのに。これで漸くに果てる事が出来ると確信していたのに。
 ……ふざけんな。ああ、ふざけんな!
 勝手に人を蚊帳の外にしてテメエらだけで納得すんなよ。
 テメエらだけで救われんなよ!
 何だよ、そりゃあ……何だってんだよ。
 ずりぃ、ずる過ぎるだろテメエら。
 それで納得すんのは勝手だけどよ、だったら――


「――だったら、俺はじゃあどうすりゃあ良いんだよ?」


 どうしたら、どうすれば、この苦しみから解放されるのか?
 この十字架を下ろす事が出来るのか。
 いや、そもそも、お前らじゃないんなら、誰が――

「……誰が、俺を殺してくれるんだよ……?」

 なぁ、教えてくれよ。
 誰でも良い、誰でも良いから。
 おい、誰か――

「……君島………なのは………」

 ……かなみ。


 俺は、いつまでお前らを背負い続ければいいんだよ。
 分からねえ。分からねえよ。
 もう……背負いきれねえんだよ。


 そうして、その死闘は終わりを迎えた。
 勝者はおらず、敗者ばかりが残ってしまった滑稽で無様な幕引き。
 誰かの心が或いは救われ、或いは絶望に染まったかは、それは結局は当人たちのそれぞれの受け止め方次第だろう。
 けれど、それでも一つだけ己なりに受け止めた結論があるとするならば……

「……私は、スバルさんが最後に選んだ選択は、それで良かったんだと思います」

 桐生水守が本心から思い、言える事があるとすればそれだけ。
 彼女の手を汚させる事を厭んだ利己的な思いなのかもしれない。
 綺麗事に過ぎないと、余人から鼻を鳴らして嗤われる様な決断だったのかもしれない。
 けれど、それでも桐生水守はスバル・ナカジマの選んだその答え、そして彼女の心を尊んだ。
 かつて、友達であった高町なのはが自分に見せてくれた強さと同じように。
 スバルの決断もまた、強いものだと思った。

 ……何も出来ない自分とは、それはきっと違う事だから。

 結局、自分は今回、何も出来なかった。彼らの何の助けにもならなかった。
 ただ、スバルたちが無事に帰ってくるのを祈っていただけ。
 そして帰ってきた彼女たちを、泣きながら抱きしめたそれだけだった。
 だからこそ、改めてこの一件を振り返り、水守に残っていたのは自己嫌悪、ただそれだけだった。
 自分は何も役立てていない。皆の足を引っ張っているだけ。
 ……これでは、なのはやクーガーの善意を押し切ってまでどうしてこの大地へと残ったのか。

(……なのはさん、私は……)

 いなくなってしまった新しい友達。
 せめて立派だった彼女の、彼女の友として恥かしくない生き方を貫きたいと思っていた。
 だというのに、この様では本当に彼女に顔向けすら出来なくなる。
 己に対しての無力感……水守はそれを呪わずにいられなかった。
 そんな自己嫌悪の真っ只中な時に、夜空を見上げていたその時だった。

「……あの、水守さん」

 不意に背後からの己の名を呼ぶその声。
 水守は振り向く、そこには申し訳なさ気な表情も顕にしたスバルが立っていた。

「……スバルさん? どうかしましたか?」
「あ、いえ……はい、水守さんにもちゃんと謝っておきたくて」

 今回の騒動、己の短慮な行動が起こしてしまったその結果。
 水守と橘まで危険に巻き込み、挙句の果てには橘には大怪我を負わせてしまった。
 あの場を離脱し、帰還した後、橘を二人で治療したとはいえ、当面、彼には無茶はさせられない状態だ。
 それに下手をすれば、何の能力も持っていない水守すらも、橘と同じような状態に巻き込んでいたかもしれない。
 そう思えばこそ、言葉の謝罪でどうなるとも言えないが、それでもスバルは彼女にもちゃんと謝らざるを得なかった。

「……本当に、本当にすみませんでした」

 そう言って頭を下げるスバル。その姿に他意はない。あるのは本当に感じている後悔の念と申し訳なさ、そして誠意だけだろう。
 だからこそ、水守はそんなスバルにただ首を振った。別に謝罪される必要は無い。むしろ水守からすれば逆にあの時に、何の役にも立てなかったスバルや橘に自分が謝りたかったくらいである。
 だからこそ、謝罪なんていらない。
 むしろ水守は、スバルに対して――

「……ありがとう、スバルさん」

 ――そう、礼を述べたかった程だ。

「……水守、さん?」
 だがスバルからしてみれば彼女からの唐突なその言葉、意味が分からないのが当たり前。
 故にこそ、怪訝そうな表情も顕にするスバルに、水守は静かに首を振りながら告げた。

「スバルさんがあの人……カズマさんに対して選んだ決断、あなたがそれを選び取ってくれた事に、私はお礼を言いたかったんです」

 無論、それは悪趣味な皮肉や悪意としての言葉ではない。
 ただ、己の憎しみによる感情ではなく、なのはの残した想いを尊重してくれた彼女に、水守はただ礼を言いたかった。
 なのはが残した理想、夢、その想いは……まだ死んではいない。
 他の誰でもなく、スバルがそれを護ってくれた。
 それが水守には嬉しく、礼を述べたかった。
 そう言えばと、水守がふと思い出したのはいつかのなのはとの会話だった。
 他の機動六課の中で、スバルならば自分たちに共感して協力してくれるかもしれない。
 彼女がスバルを信じていたその意味が、今水守にもまた分かった気がした。
 だからこそ、水守は思う。
 やはり高町なのはの遺志を継げるのは、後継者となれるのはきっとスバル・ナカジマだけなのだと。
 しかし……

「……でも、あたしは結局また間違えちゃいました」

 ポツリと、先の水守の言葉を否定するように小さく首を振りながらスバルは言ってくる。
 また間違えたのだ、と……。

「あたしは、なのはさんにならなきゃいけなかったのに……結局自分の感情が抑えきれずに、勝手な事をして、皆にも迷惑かけて……それに、また嘘で誤魔化そうとしたんです」

 スバル・ナカジマは嘘が嫌いだ。
 君島邦彦を死なせてしまった時、後悔と悲しみと共に今度こそと思っていたのに、今度こそ嘘で誤魔化さず、間違えないようにしようとしていたのに。
 それすら出来ずに、また道を踏み間違いかけた。
 同じ失態、同じ無様、同じ間違い。
 これでは……

「……やっぱり、あたしはもう、なのはさんにはなれないと思うんです」

 彼女を目指して、彼女のようになりたかった。
 彼女のように誰かを助けられる、不屈の魔法使いに。
 そうなりたいと思っていた。八ヶ月前のあの時に、もう一度最後になのはからチャンスを貰えたはずなのに……
 結局、それも間違えてしまった。
 なら自分などもう――

「――スバルさん、それは違います」

 しかしそんなスバルに対し、水守はハッキリとした、しかし何処か厳しい態度も顕にスバルの言葉に真っ向から否定を示す。
 彼女の言葉、彼女の考え、それが間違いなのだと。

「スバルさん、あなたはなのはさんになれないと言いますが、そんな事は当たり前です」
「……そう、ですよね」

 水守の言葉にそれも当然だと、どこか自嘲気味に同調しながら頷きを見せるスバル。
 けれどそれが当たり前。自分などではそもそも役者不足。それは初めから分かりきっていたことで――

「――だって、スバルさんはスバルさんじゃないですか」

 代わりなんていないし、代わりなんていらない。
 高町なのはもスバル・ナカジマも、それは等価値で当たり前のこと。
 そう、当然のように水守はスバルへと告げてくる。

「え……?」
「スバルさんとなのはさんはそれぞれ違う人間なんです。それぞれの想いや生き方があって、それを貫いて今まで生きてきたはずです」

 高町なのはには高町なのはの生き方があり、それを貫いて生きたように。
 スバル・ナカジマにはスバル・ナカジマの貫いていく生き方がある。
 それはとても似ていて、そして後を託されたものであるのかもしれない。
 けれど、例えそうであろうと――

「――だからこそ、スバルさんはスバルさんの生き方で、なのはさんの想いを継いで、それを成していけばいいんじゃないでしょうか」

 全てが同じである必要は無い。
 受け継ぐ事も背負う事も大事だ。だがそれが大事であるからこそ、

「スバルさんは、スバルさん自身を蔑ろにしてはいけません」

 それは絶対に、後を託した高町なのはもまた望んでいないことのはず。
 そう、後を引き継ぐ事と同じになる事は違う。
 そんなものは後継ではなく単なるコピー。
 そして、それではきっとなのはの想いもまた叶えられない。

「スバルさん、なのはさんは……あなたに何を望んだんですか?」

 高町なのはに憧れること。高町なのはを目指すこと。
 それはいい、そしてそうして師の遺志を引き継ぐ事が間違いだとは言わない。
 けれど――

 高町なのはが本当にスバル・ナカジマに目指して欲しかったものは――


『勿論―――なれるよ。……ううん、それどころかスバルに……スバルたちの胸に不屈の想いがあり続ける限り、いくらだって強くなれるよ。私を……私たちを並び超えていくことがいつかきっと出来る』


 それはあの時に、もう一度、高町なのはを目指しても良いかと尋ねた時になのはがスバルへと返した言葉。
 彼女が未来に夢を見た、希望へのその可能性。
 スバルは気づく。あの時に、どうして彼女が嬉しそうに笑ってくれたのかを。
 それはつまり……

「……あたしは……あたしのままで、良いんでしょうか?」

 高町なのはのような魔法使いになるには、高町なのはそのものにならなければならないと思っていた。
 けれど、他ならぬなのはがそうではないと考えていたのなら。
 そして、スバル自身が本当になのはに心の底から憧れていたというのなら……

「スバルさんはスバルさんのままで、なのはさんの遺志を継いで、そしていつか彼女を――」

 憧れた彼女。本当に遠くになってしまったその背中を。


 ――追いついて、そして超える。


 それが、スバルが本当に彼女の後継者として成し遂げねばならないこと。
 けれど、それは何と――

「……重たいな」

 それこそ簡単に、支えきれずに潰れてしまいそうに思えるくらいに。
 それはとても困難で、そして重いものだった。
 だがそうだとしても――

「――けど、誓ったんだ」

 背負うって、捨てないって。
 あの日、あの時に、他ならぬ高町なのはを前にスバル・ナカジマが誓ったのだ。
 だからこそ――

「――水守さん」

 決意を込めて、スバルは水守へと視線を向けてそして告げる。
 この日、この時、この夜に、そしてまずは彼女へと。
 もう一度、はじまりの誓いをスバル・ナカジマはここで彼女に向かって立てる。

「――あたし、やってみます」

 自分なりのやり方で、自分なりの想いと、決意と、その道で。
 背負ったものの重さを、刻んだものの尊さをしっかりと認識しながら。

「あたしは――あたしなりのやり方で、なのはさんのような魔法使いになりたいんです」

 その想い、その誓いを。
 ハッキリとスバル・ナカジマは桐生水守を前に、そう告げた。

 

 そして、その想いに対し、桐生水守もまた――

「だったら、スバルさん」

 彼女が立てたその誓いに負けぬ想いと、その決意を、自分もまた誓いとして立てよう。
 高町なのはが認めてくれた友として、それに恥じないだけの誓いを。

「――私にあなたを支えさせてください」

 他の誰でもなく、なのはの時には出来なかったそれを、今度こそはスバルと共に。
 自分の想いも彼女に託し、そして彼女をまた自分が支える。
 今、桐生水守に出来る精一杯のことを。
 この大地の上で、こんなにも近い星空の下で。
 桐生水守もまた、新たな誓いを立てた。

 

 そして、少女たちがこの大地の上で新たな誓いを互いに立てていたその時。
 終わりも見えぬ迷走を、獣は只管に続けていた。

『……これから、どうするつもりですか?』

 相も変わらず親しみなど欠片もない、事実確認を問うレイジングハートからのその言葉に、しかしカズマは答えずに無言。
 結局、失望と共に興醒めした茶番劇の後、自ら獲物ですらなかった連中を放って帰還したカズマは、当然ながら雇い主からのお叱りが待っていた。
 尤も、そんなものは気にも留めていなかったし、どうでもよかった。
 何より、そんな雇い主の命令を聞くだとか、顔色を窺うだとか、そんなものは既にカズマにとっては何の意味もないものに過ぎなかった。
 カズマがわざわざ雇い主たちの元へと戻ってきたのは、再び穴倉の底へと戻る為などではない。
 むしろ、居場所が知れてしまったここはもう駄目だ。過去は、罪は、因縁は、再びに自分に追いついてきた。

 だから――逃げ出さなければ。

 そう、此処にはもう居られない。
 そもそも此処は……やはり、俺の居場所じゃない。
 だからこそ――

『……それで、これで本当に良かったんですか?』

 この現状を問うレイジングハートの問い。しかしカズマはやはり応じぬままに無言。
 取って返した帰還。そのままアルターの暴力で押し切って通した、金を寄こせという脅迫。
 怯える雇い主から無理矢理に奪った金を手に、呼び止めてくる連中を一切無視、力で薙ぎ払いながら地下からの脱出。
 後に残ったのは逃走による破壊と、疲労によって痛む右腕。
 ……そして連中から奪い取った僅かばかりの金の残り。
 奪い取ったのは結構な額だったのだが、その殆どは……

『あの少年を連れてこなかったことだけは、あなたを評価しても良い』

 けれど、それも結局は常識的に当たり前のことなのだがとレイジングハートは告げてくる。
 だがそんなレイジングハートに対して……

「……ごちゃごちゃうるせえよ」

 いい加減黙れ、そうドスも利いた低い声で脅すようにカズマは告げる。
 レイジングハートの好き勝手な言い分、普段は言わせるがままにしているが、今は気分的に煩わしくて仕方がなかった。
 それに、こんな石ころに言われるまでもなく、そんなことは承知の上だ。

「……もう、背負いきれねえんだよ」

 自分も連れて行って欲しい、そんな事を言ってきた少年を、金を投げつけて付いて来るなと脅して追っ払った今が、その現状。
 もう、誰も傍には寄ってほしくない。踏み込んでこられるのは沢山だ。
 ……また奪われるのも、失うのも、もう御免だ。
 だからこそこの道に、こんな酔狂な石ころ以外の同道者など誰も必要ない。
 いや、もう耐えられないと言った方がいいだろう。
 右腕が痛む。泣き出したくなるほどに、疼いて、痛んで仕方がない。
 だがそんな右腕以上に、別のどこかがもっと痛んで、そして絶望へと染められていた。
 もう嫌だ。もう沢山だ。もう疲れた。
 だから――

「君島……なのは……かなみ……」

 失ってしまったもの、取りこぼしてしまったもの、二度とは戻ってこないもの。
 彼らに救いを求めても、助けを求めても仕方がないことくらいは分かっている。
 ……けれど、もうどうしていいのか分からない。
 何処へ向かえば、何処へ逃げればいいのかも……分からない。
 それに何より――

「……劉鳳ォ」

 忌々しい宿敵の名。思わず、それを呼ばずにもいられない。
 おい、テメエいったい何処へ行きやがった。何処で何をしてやがる。
 俺はこんなに傷ついて、苦しんでるってのに……テメエは何処に居やがるってんだ。

「俺はここだ……ここに、いるんだよ……」

 だからさっさと――

「――俺の命を、取りに来いよ」

 それが目的だったはずではないのか。生きている意味ではなかったのか。戦った理由ではなかったのか。
 だったら――途中で投げ出さずに、最後までそれを果たせよ。
 アイツは……あの女じゃ駄目だった。
 スバル・ナカジマでは自分を殺せない。とんだ腑抜け、とんだ甘ちゃん、とんだ期待外れ。
 だからこそ、もうお前で良い。いや、お前しかいないからさっさと――

「――生きてるってんなら、俺を殺しに来てみろよ」

 もう、お前でしか俺は燃え尽きる事が出来ないんだから。
 だから――


 獣は求める。求め続けて、そして彷徨い続ける。
 己のあるべき終焉を、齎されるべき救済を求めて……
 絶望の底で足掻くように求め続けながら、無様に、死に焦がれるように。
 獣はただ只管に彷徨い続けていた。
 彼の願う終焉、それを自らへと下す者を求め続けて――

 

 

 ――不意に、誰かに名前を呼ばれた気がした。

「……劉鳳さん? どうしたんですか?」

 隣で今夜も共に星空を見上げていたかなみが不思議そうにこちらを見つめながら尋ねてくる。
 劉鳳はそんな少女に何でもないと首を振る。
 気のせい。……ああ、気のせいだろう。
 そもそもこの少女と、この集落の人間以外に今は自分の名を呼ぶ者などいないし、そもそも劉鳳がそれ以外の存在など知らないのだから。
 仮に或いはと仮定しても……

「さっき誰かに名前を呼ばれた気がしたんだ」
「え? 誰に?」
「さぁ、分からない。……もしかしたら、君の言うカズマという人か、あるいは高町なのはという人かもしれないな」

 現状、他に可能性があるとすれば或いはとそう思っただけ。
 けれど仮にそうだとしても、かなみの話を聞く限り、自分はその両者とはどうにもあまり友好的な関係とは言えなかったらしい。断片的に思い出す記憶の欠片のシーンでも同じようなものだ。
 だからこそ、仮に本当にカズマなり高町なのはなりに名前を呼ばれていたとしても、それは恐らくとても友好的とは言い難い感情を込めてなのだろう。
 どうしてその二人と自分が争っていたのかは分からない。けれど、今の自分ならば……もしかしたら、その二人ともせめて話し合いなりが出来ないだろうかとも思う。
 敵意とはいえ自分を知る存在。自分が何者かを知っている者達。
 ……逢ってみたい、そんな欲求が劉鳳の中でもないわけではなかった。

「……カズくん」

 しかし劉鳳がそんな事を考えている最中、彼が出したその名前に反応したように今度はかなみがその名を心配気に呟く。
 カズマ……かなみにとっては家族同然の男だったのだという。
 心配なんだろう。いや、家族を心配しない者など居はしないだろう。
 だからこそ、劉鳳から見ても、そんな切なげな彼女を見る事は痛ましくもあった。

「……大丈夫。きっと逢えるさ」

 保障など無い。口から出任せも同じだが、それでも今は根拠の無い気休めだろうがかなみの事を元気付けてやりたかった。
 劉鳳のそんな誠意を察したのかどうかは分からない。しかしかなみもそんな劉鳳に対して、俯いていた顔を上げながら彼の言葉に応じるように頷いた。
 そう、逢える。きっと逢えるはずだ。
 劉鳳がそう信じる以上に、かなみもまたそれを強く信じていた。
 何故なら……

「なのはさんが言ってくれたんです。もう一度、カズくんと逢わせてくれるって」

 そう、由詑かなみの世界の全てが一変してしまったあの日。
 夢を見る事が出来なくなったあの日。
 けれど、自分を助けてくれたあの魔法使いは約束してくれた。
 カズマと自分を逢わせてくれると。
 かなみは今も信じている。きっとなのはがいなくなったカズマを見つけ出してくれるはずだと。

「高町、なのは……さん、だったか? 彼女が?」
「うん。あの人が、そう約束してくれたから」

 だからきっと――大丈夫。
 必ずまた逢えると、かなみは信じていた。
 頑なな少女の必死に信じ続けるその姿。
 感情と願望もあろう。それ以上の何らかのその対象に対してヘの信頼があることを劉鳳も察する事が出来た。
 ……信頼か。
 それも大事なものだろう。この大地の上では、最も容易く踏み躙られかねないものだが、それ故にこそ、それを強く信じられる者を劉鳳は尊いとも思った。
 だからこそ――

「ああ、なら大丈夫だろう」

 彼女が信じている高町なのは。ならば自分も信頼してみようと思った。
 他ならぬその彼女から頼まれた、この少女を護るという願い。
 それを、なのはがかなみとカズマを逢わせるその時まで、しっかり果たそう。
 そう改めて、劉鳳は強く誓いを立て直した。

 

次回予告

第11話 劉鳳

記憶無き男の下へと訪れたのは、かつて共に戦いし戦友たち。
失った過去に戸惑う知己との再会。
新たな陰謀が迫る中、男の正義が再びに目覚めを見せる。
その信念、向けられるべきは何者か……

 

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