コツコツコツ、一定のリズムを刻むように響かせながら段々と近付いてくる足音。
 いつもの呼び出し……昨日の今日とも言って良い程に忙しなくはあるが、まぁ向こうはこちらの都合など考慮していない。こちらもまた相手側の都合など一々詮索しようとも思えない。
 面倒だ、言われたままに戦えばそれでいい。どうせ自分にはソレしか出来ないし、それがお似合いともいうものだ。
 帰結する結論に些か皮肉気な笑みすら浮かべながら、カズマは扉の前までやって来た今からその扉を開こうとしている相手側を待つ。
 ……尤も、鈍い蝶番の音を響かせながら扉が開こうとしている間際に、やって来た足音の数がいつもより妙に多かったなとそんな疑問を抱きながら。

「――カズマ」

 ……ああ、成程そういうわけか。
 直ぐに開いた扉と共にかかってきたその声を聞いた瞬間に疑問は氷解した。

「……どうやって、此処まで来た?」

 いや、この場合はそもそもどうしてこんな所にまでやって来た、の方が正しいか。
 ままならないものだ、そう正直にカズマは諦観の念すらも抱きながら思う。
 こんな所まで、過去ってやつはしつこく追っかけてくるのかと……

 

「……少し悪さをしました」

 カズマから返ってきた問いに橘は若干の苦笑と共にそんな言葉を返す。
 返答通り、チラリと後ろを窺ってみれば自分のアルター“エタニティ・エイト”によって意識を拝借させて鍵を開けてもらった少年がボーっと佇んでいた。
 彼には悪い事をしたのかもしれない。胸中で少年へと詫びながら、しかし橘はその意識をカズマの方へと戻した。

「そんな事より……何故こんな所にいるんです、カズマ?」

 しかし橘のその問いにカズマは無言。それだけが返答だと言わんばかりの態度でこちらに視線を向けようともしないままに、ただ呆然と壁に背を預けて座り込みながら部屋の照明を見つめているだけだった。
 変わり果てたその姿。かつて拳を交え、暗闇の底を共同戦線にて突破した雄雄しき男の姿は欠片たりとも残されてはいない。
 ギリッと思わず苛立ちで歯を食い縛りたくなりながら、しかし橘は牙を抜かれた獣のようなその男へと諦めずに言葉を投げかける。

「答えてください!」

 だが、再度のその呼びかけに対してもカズマはこちらへ視線を向けようともしない。微動だにせぬ態度のままに、しかし漸く口を開いたかとも思えば、

「――失せろ」

 取り付く島も見せようともしない、精一杯強がって、しかし必死に殻に閉じこもろうとでもしているかのようなそんな態度。
 橘が瞬間的に抱いた感情は失望よりも怒りだった。
 他の誰でもなく、気に入らなくともタフだと認めさせられた生き方を己へと示した男が見せるにはあまりにも無様な姿。
 殴りかかって喝でも入れてやりたい、そんな欲求が激しく橘へと湧き上がったのは事実だった。
 しかしそれでもそれを抑える橘に入れ替わるように、部屋へと踏み込むように次に一歩前へと出て獣へと呼びかけたのは桐生水守であった。

「教えてください、劉鳳が何処に居るか知りませんか?」

 あの八ヶ月前の再隆起。劉鳳と共に光の中へと消えていった当人である彼ならばその行方を知っているのではないのか、希望的観測だがそうであるが故にその希望を彼女は捨てられなかった。
 しかし想い人を求める少女の問いにも、カズマの態度は変わらない。

「……失せろ」

 変わらぬ返答、変わらぬ態度。
 互いで宿敵と刻み合った男の名を聞いてすらカズマには何の変化もない。
 ……否、ほんの僅かな……それこそ彼と親交が深い者がよく観察すれば察せられる程度の微かな苛立ちならば現れていた。
 しかしながら、そこまで読み取れる程に彼との付き合いの無い彼らではその変化も分からなかった。
 故に変化なし、相手の埒も無い脈無しな態度にそれでも何某かの変化を齎したかった水守は別のアプローチを取った。

「……カズマさん、以前私が治療した女の子がいましたよね?」

 その言葉、その人物に関してのみは流石に無視はできなかったのだろう。水守たちの目から見ても辛うじて分かる変化ではあったが、その兆しを確かにカズマは見せた。
 突くならばこの部分、そう確信した水守はあの少女の事を本題へとシフトして切り出す。

「あの時、一時は私たちが保護したんですが、あの混乱時にあなたへと向かって走っていて……その後、行方が分からないんです」

 クーガーやスバルからも聞いた。友である高町なのはが最後まで案じていた少女の行方、彼女の友としても、そして自分自身でも何とか無事に保護してあげたい、そんな使命感にも近い望みが水守にもあった。

「恐らく、今でも貴方の事を探していますよ!?」

 橘もそれに追随するように呼びかける。
 あの少女がカズマにとって本当に大切だったと言うのなら、何を省みようとも少女を探し出すために動くのがカズマという男のはずではなかったのか。
 こんな場所で必要性も無い戦いへと身を投じている暇など貴方にはないはずだ、そう橘は呼びかける心算で言葉を投げかける。

「放っておくんですか、彼女を!?」

 それが“シェルブリット”のカズマがやる事なのかと橘は声を荒げて問いかける。
 これを聞いて怒りながらも彼が立ち上がってくれること、心の奥底ではそれを幻視するように願いながら。
 しかし……


「…………失せろっ!」


 それでも尚、その返答がカズマの示す全てだった。
 震えだす右腕を抑え付けるかのように掴みながら、外界からの干渉の全てを嫌々と拒むかのようなその態度。
 立ち向かう場面に立ち向かわずに、目を逸らしてはいけないはずの事に目を逸らす逃げの姿勢。
 ……橘あすかの中で、それでも信じて抱き続けてきたカズマという男の光り輝いていたはずの生き方。それが急速に失望によって色褪せていくのが分かった。
 それが今の貴方なのか、と唇を咬む悔しさに怒りで身を震わせながら、しかしもうこれ以上この男へとかける言葉が橘に無いのも事実。
 それは水守も同様。戸惑いながら、どうしていいのかも分からずに答えを求めるかのように迷う視線を橘とカズマへと交互に向けて行ったり来たりを繰り返すのみ。
 そんな彼らの間の問答に決着が付いたと言っても良いそんな時だった。

「……何ですか、それ?」

 ポツリと、橘と水守の影に隠れるように一歩下がった場所から沈黙を保って事態を静観していたスバル・ナカジマがそんな言葉を漏らしたのは。

 

 もう我慢の限界だった。
 失望云々なんていうレベルではない。スバルからすれば実に勝手でこの上ない意見ではあるが、それでもカズマのその態度は皆への裏切りも同じだと思えてならなかった。
 腸が煮えくり返るかのような怒り、押さえ込む事も困難なそれを自然と表面へと湧き出させながらスバルは橘と水守の間を突っ切って部屋へと踏み込む。
 問答無用、躊躇皆無の荒い足取りも顕にカズマの前へと立つ。

「……お前、確か……」

 左目のみの視線を億劫と言わんばかりの無気力な態度で上げながら、こちらを確認すると共に呟いてくるカズマ。
 こうして直接に互いを認識して顔を合わすのは、あの君島の一件以来か。
 スバルの脳裏に痛みと悲しみと共に、あの日の夕暮れと彼の精一杯に浮かべていた笑みが脳裏へと蘇ってくる。
 胸中でスバルは亡き君島へと問う。

 今のこんな男が貴方が命まで捨てて、それでも誇った相棒なのか、と。

 そして絶対に帰ってくる、そう誓いながらも終ぞ戻ってはきてくれなかった恩師の最後の笑みを思い出しながら彼女にもまた問う。

 貴女が命を懸けて救おうとした男が出した答えがこれなんですか、と。


「……ふざけるな」

 ポツリと呟き漏れるその言葉。聞き逃したのか怪訝そうにこちらを見上げて眉を顰めるカズマの態度を一切無視してスバルは叫んだ。

「ふざけるなっ!」

 そのまま勢いよく相手の胸倉を掴んで力づくで立ち上がらせる。
 流石にいきなりのその行為に外野の橘と水守、そしてやられた当人たるカズマも含めて唖然となる。
 しかしそんな全ての反応をスバルは一切無視。射殺すと言わんばかりの怒りに満ち溢れた苛烈な眼光をカズマへと真っ直ぐに突きつけるのみ。

「……離せ」

 無理矢理に立たされて、胸倉を掴まれ、そして睨みながら怒鳴られてから数秒。それで漸くに状況を理解したのか、唖然としていたカズマもまた片目だけの鋭い眼光を負けじとスバルへと返しながらただ一言にそう命じてくる。
 だが――

「それが……それが貴方の答えなんですか?」

 カズマの有無を言わさぬドスを利かせたその言葉を一切無視。先程よりは声を抑えながらも、しかしそう再びカズマへと変わらぬ姿勢のままに問いかける。

「……離せ」
「答えろっ!?」

 それでも苛立ちを増しながら再び同じ言葉で命じようとするカズマを、しかしスバルはそれを掻き消す怒鳴り声と共に、背後の壁へとカズマを押し付けるように叩きつけた。
 戦闘機人として常人を遙かに凌駕するスバルの腕力。一見すれば華奢と思える外見からは想像もできない怪力に力任せに叩きつけられた事実に思わず咳き込みながら驚愕するカズマ。
 しかしスバルの怒りは治まらない。橘や水守が呼び止めるかのように何かを言っているが生憎と聞こえない。
 まだ冷静さを保つには未成熟すぎたスバルの若気は、それをコントロールし押さえつけるだけの達観性を備えていない。
 そしてそんな自分をいつも抑えてくれるストッパーでもあるパートナーもまたこの場にはいない。
 だからスバルは止まらない。止まれない。
 今まで行き場も無く溜まりに溜まった鬱屈が、怒りへと上乗せされるかのように加わりながら、冷静さや正当さの何もかもをかなぐり捨てた衝動のままに彼女を叫ばせる。

「君島さんは……今のお前なんかを守る為に生命を捨てたんじゃない!」

 ガンッと甲高い音を立てながら、力任せに壁へともう一度叩きつけるように押し付けながらスバルは叫ぶ。

「なのはさんは……今のお前なんかを救う為に生命を懸けたんじゃない!」

 押し付けた相手を更に上へと押し上げるように掴み上げながらスバルは叫んだ。
 悔しくて、許せなくて、納得できなくて、我慢できなくて。
 一方的で、正しくも無い、押し付けるにも等しい八つ当たりも顕に。
 それでも、それでもカズマに言ってやらねば気が済まなかった。


「……何で、お前みたいな奴がのうのうと生き残って、二人が死ななきゃいけなかったんだよっ!?」


 ふざけるな、二人を返せ。
 そうカズマ一人に押し付けていいものではないそんな責任を。
 それでも……スバル・ナカジマは見っとも無く泣き叫びながら喚かずにもいられなかった。

 

 ……ああ、確かにそうだろうさ。
 相手が言いたい放題、好き放題に喚いてきた一方的な物言い。
 普段なら反論どころか拳で返答すべき非礼だったが、しかし今のカズマにはそんな気分にもなれなかったのは事実だ。
 むしろ、胸糞も悪く嫌でも脳裏に思い返されたのは八ヶ月前の己の姿。
 怒りに狂った復讐の獣。
 まさにその権化として拳を振るった自分。
 君島を奪ったホーリーに。
 かなみを奪った劉鳳に。
 そして自分の全てを狂わせたと思った高町なのはに。
 呵責も無く、問答無用で、燃え尽きるように感情のままに突き進んだ一匹の獣。

『………やっと、名前……呼んで…くれた……ね……?』

 そして必然の報いとして受けた傷と、背負った重すぎる十字架。
 あの日、あの時から今に至るまで、常々思ってきた問い。

 ……どうして、まだ俺は生きているのだろうか?

 背負うべき者も、守るべき者も、ダチも帰る家も居場所も。
 その全てを取りこぼして尚も生き恥を曝している一匹の無様な獣。
 穴倉の底へと閉じ篭り、残った戦うという行為にしか縋りつく事のできない己に、漸く訪れたのかもしれない断罪の機会。
 己と同じ道を歩んでいるかのようにも見えるこの少女が断罪人ということなのだろうか。
 ……やったらやり返される。この大地の上では当然のルール、文句を言う心算などない。
 コイツが自分を憎むのは自由だ。殺したいと復讐に走るというならそれも構わない。
 その彼女の抱く怒りを間違っているなどと否定する心算もない。
 だがそれでも――


「……ああ、そうかよ。――――で?」

 十二分に挑発と相手にも理解できるだろう返答。
 瞬間、横合いから飛んできた拳がカズマの顔を勢いよく殴り飛ばす。
 斬った張ったの修羅場、殴り合いの大乱闘。そんなものを数多く潜ってきたカズマではあるがこれだけいい鉄拳をモロに喰らったのも初めてか。
 痛え、通常に機能している痛覚に思わず文句を言いたくなりながら吹き飛ばされたその場所に丁度あった寝台を支えに立ち上がる。
 口の端に流れる血を拭う。死んだに等しい淀んだ目を、怒りに燃え滾っている苛烈な相手の視線へと合わせる。
 十中八九、語るまでも無くこちらをぶち殺してやりたくて仕方がないと言わんばかりの相手の眼。
 思う、あの時のなのはが見た自分の眼もきっとこれと似たようなものだったのだろうと。
 どの道、これもまた感傷だと胸中でのみ振り払いながら、あの時のケジメというか借りの片鱗くらいはこれで示したかとカズマは思う。

「……痛えな。何すんだよ?」
「お前……ッ!?」

 精一杯に平気だと装った不敵な態度を保ちながら、事実上の挑発と言っても良いそんな態度をカズマはスバルへと示す。
 我慢がならないと言った様子で、再び殴りかかってこようとするスバルを後ろから橘が慌てて羽交い絞めるように必死に押し留める。
 ゴングを鳴らしてファイトとなだれ込みたかったというのに余計な外野のその行動、カズマは呆れたように溜め息を一つ吐く。
 振り払おうと離せと必死に喚くスバルに、引き摺られ前へとそれでも進もうとしているのに已むなしと判断したのか、橘はその緑玉の一つをスバルの額へと取り付けて意識を強引に奪って動きを止める。
 ますます余計な事だと落胆するカズマとは打って変わって、今度は激昂して声を荒げたのは橘だった。

「何を考えているんですか!? 彼女を相手にあんな明らかな挑発を――」
「――知るか」

 しかし橘の言葉を遮るように鼻を鳴らしてカズマはそっぽを向く。
 そもそもこの男はカズマにとってお呼びではない。話すことだって別にありはしない。
 故にどうでもいいとそんな態度も顕にするカズマに、しかし橘の方はそれに黙っていられない。
 思わずカズマに向かって詰め寄ろうと、一歩を踏み出しかけたその時だった。

「おい! 何の騒ぎだ!?」

 ドタバタと騒がしい足音も顕に近づいてくる人の気配。五人……否、少なくとも十人はくだらないか。
 あっという間に何事かと騒ぎを聞きつけ駆けつけてきた屈強な体つきをした男たち。無論、言うまでもなく今のカズマを飼っている連中。……この非合法闘技場の興行主側の者達である。
 不味い、と状況を素早く理解すると共に橘は焦る。咄嗟に水守を引き寄せスバル共々に背中に庇いはしているが入り口を固められ、相手の人数もまた多い。
 此処に突入する間際に散々ここがHOLDのような治安維持組織の救援も求められない治外法権とも認識していたというのにこの様だ。

「誰だこいつらは……ってアルター使いかよ!?」

 橘が未だ少年やスバルの額に貼り付けたままの宝玉を見て察したのだろう。連中の間に敵意以上に動揺が走っていた。
 ギリギリの牽制、綱渡りの状況。もはやカズマ云々といった事態ではない。橘が最優先に考えねばならなかったのは、此処から如何に無事に二人を連れて脱出できるか、その算段だった。

「お、おい! こいつらを何とかしろ!」

 男たちは自らアルター使いである橘の相手をする事を恐れたのか、カズマに向かって怒鳴るようにそんな事を命令し促がす。
 橘と水守の間に緊張が走る。カズマの考えている事……それがまったく予想がつかない彼らにとって、もしもカズマが連中の言う事を聞くようなら――

「――だ、そうだ。……まぁ、何だ。恨みたいなら好きに恨めよ」

 億劫に、どうでも良いと言わんばかりの態度でありながらもそれでもカズマは連中の言う事に逆らう心算は毛頭ないらしい。
 最悪の展開。橘が咄嗟に少年とスバルの意識を奪うのに使っていた宝玉を手元へと戻した瞬間だった。
 突き出すように示してくる右腕。そこに鎧を纏うかのように顕現していくカズマのアルター。
 “シェルブリット”
 咄嗟に全力を防御へと回して宝玉による盾を橘が展開したその瞬間だった。
 黄金の暴威が凄まじいプレッシャーと勢いと共に躊躇う事もなくこちらへと叩き込まれてきた。
 轟音と爆発がその檻のように狭い地下室から発生した。

 

 ガラガラと音を立てながら崩れていく壁。蔓延する煙と埃。慌ただしい男たちの喚き声と指示、駆け出す足音。
 自らの寝ぐらが台無しになったその事実に、それを行った当人はやれやれと溜め息を吐きながらも、しかし臨戦態勢を未だに崩そうとはしていなかった。
 取り逃した。叩き込んだこちらの拳と相手の防御……その拮抗によって起こった反動。爆発と轟音の混乱に紛れて勢いよく三人はこの場から逃走していった。
 橘あすかとは三度もやり合い実力の程は知っていた心算だったが、存外に腕の程はまだまだ磨かれていると言ったところらしい。
 しかし食指が動くかどうか……そう問われれば正直に言えば微妙。否、やはり動く事もないか。
 あいつでは駄目だ。己を奮わせられない。何もかもを考えなくて済むような全力で駆け抜けるその先を見せてはくれない。

 あいつらとは……劉鳳やなのはとはやはり違う。

 しかしそれも望むべくもなかったかと思い直す。自分はそんなものを求めて先程あいつらに攻撃を仕掛けたわけではない。
 自分を飼っている雇い主たちの命令だったから?……まぁ、確かにそれもあるし否定はしない。
 しかしながらカズマが彼らに向かって拳を躊躇いもなく振るったのはもっと別に利己的で単純な理由があったからだ。

「……こんな所まで、追いかけてきやがって」

 ただ単純に何処まで行こうと何をしていようと、それでもしつこく付き纏ってきて逃してくれない過去を、それを否定して振り払いたかった。ただそれだけだ。
 橘あすかも桐生水守もスバル・ナカジマも、今のカズマにとっては思い出したくもなければ眼も向けたくない、言ってみれば過去のしがらみ。

 ……もう、背負いきれない。背負いたくもない。
 これ以上の十字架は、罪は重たくて耐えられない。
 だからこそ、今以上にのしかかって来ようとしているかもしれない彼らを力づくで振り払おうとしたのだ。

(……悪いな、なのは。俺は結局どこまで行こうがそんなクズだ)

 彼女が何を期待して、何を願って、何を見出して自分にこうして今も生き恥を曝させているのかなど分からない。
 しかしどちらにしろ彼女に対して自分が報いてやれる事など何も無ければ、精々がその名を刻んで自分が殺したのだという罪を背負ってやるのが限界だ。
 それ以上何かを求められても…………困る。
 だから自分は――

「――おい! お前も早く奴らを追え!」

 こちらが彼らと何をしていたのか連中も気になってはいる様子だ。しかしながら自分たちのシマを荒らされたという事実と面子の為にも今はそれどころではないとでも言った様子だった。
 とりあえずはまず連中を逃がさぬように始末する……そして対抗できるのがこちらだけだと理解しているからその役をこちらへと押し付けようとそういう心算らしい。

「……ったく、何処まで行っても」

 進む道は闇の奥。足元を照らす光明すらもありはしない。
 これも因果か、と柄にも無く似合わぬ乾いた皮肉気な苦笑を浮かべながら、カズマは軽く頭を振る。
 脳裏へと過ぎるのは、やはりどうして最期まで自分などに拘ったのかも分からないあの女の顔だった。
 そう言えばと、三人の内の一人……あのスバル・ナカジマは彼女の身内であり相棒たる君島が恩人と呼んでいた存在だったのを思い出す。

(……ああ、構いやしねえ。どうせもう今だって畜生にも劣ったクズだろうが)

 そう、贅沢も言っていられる身分ではない。何よりもこのまま過去のしがらみに追いつかれるなど御免被る。
 俺は逃げる。何処までだって逃げてやる。
 だから――

「……分かったよ」

 了承の首肯。逃げた連中を追うために歩き出そうとして……ふと思い出したようにその進む方向を出口ではなく瓦礫の散乱する部屋の隅へと向ける。
 背後から男が何をしている早く追えと五月蝿く喚いていたが無視。散乱する瓦礫を力任せに退かしながらその近辺を漁り……

「……何だ、まだ壊れてなかったみたいだな」
『くたばれ、外道が』

 摘み上げた赤い宝石に皮肉気な態度を装いながら告げるカズマに、そちらからの返答は侮蔑の意しか込められていない痛烈な言葉。
 どうやらこいつも運良く……こいつ的には運悪くか、瓦礫が重なって出来た隙間に上手いこと転がっていたらしく無事だったらしい。
 レイジングハートからの侮蔑に内心で好きなだけ罵ればいいさと思いながら、文句を言う宝石を有無も言わさずに懐へと仕舞う。
 さて、これで忘れ物もない。奴らを追いかけて…………始末することとしよう。
 もうこうなればどうとでもなれだ。クズはクズらしく、最低のそのまた底辺まで堕ちるところまで堕ちてやろうではないか。

 脳裏に君島邦彦の顔が蘇る。

 ――ワリい。

 脳裏に高町なのはの顔が蘇る。

 ――すまねえ。

 脳裏に由詑かなみの顔が蘇る。

 ――許せ。

 それら全てに一方的な謝罪と訣別を告げながら、獣は駆ける。仕留めるべき獲物を追って。
 大切だったもういない者達。何を言ったところで詫びにはならず、何を行ったところで償いにもならない。
 だから、もうこれっきりだ。振り払う。今から打ち壊す過去のしがらみと共に。
 彼らに盛大に恨まれる事も、失望される事も、文句を言われる事を承知の上でもそれでも――

 ――けどよ、俺一人を置き去りにしていっちまったお前らだって悪いんだぜ。

 そんな棚上げの感情と言葉を訣別のように告げながら。
 部屋を飛び出し通路を駆け抜けていこうとしたその直後、ふと気づけばファニが状況が分からずに混乱した様子のまま、けれどこちらを見送ろうとしているのに気づいた。
 カズマはそれこそ益々に苦笑の色を濃くした皮肉気な表情のままに、内心で少年へと告げていた。

 ……おい、今からでもちゃんと考え直したほうがいいぜ。
 こんなどうしようもねえクズなんざに憧れようなんてのは。

 絶対に道を踏み外す。全て失って、結局は何も残らない。進むべき道すら見失う。
 その典型例こそが今まさにお前自身が目に映しているこのクズだろうに、とカズマは笑う。
 右腕が絶え間なく悲鳴を上げ、心がどんどん淀んで重たくなっていく中で駆け抜け続けるカズマが脳裏に思い返したのは、先程に自分に対して抑えきれない憎悪を見せた少女の姿。
 もし、もしこの先の見えない暗闇の道、痛み続ける右腕と心の苦しみからの解放があるとするならば……

(……もうアイツ以外には無理かとも思ってたが)

 それでも、あの娘になら殺されてやるのもあるいは、とそんな事をカズマは考える。
 少なくとも彼女にはその資格がある。それは間違いない。
 まぁ尤も、それも自分を返り討ちに出来る実力もまたあればこその話ではあるが。
 埒もない、そんな見っとも無い救いの可能性を幻視しながら獣は駆ける。
 その姿はまるで、獲物を追う者と言うよりは何かから逃げ出しているかのようにも見える滑稽な姿であった。

 

 前方から自分たちの前に立ち塞がるように向かってくる屈強な体つきの男たち。
 マッハキャリバーをセットアップしたスバル・ナカジマは背後の二人を護る様に先陣を切って駆け出し迎え撃つ。
 まず一人、振り下ろしてくる鉄棒を躱し間合いに踏み込むと共にリボルバーナックルを装備した右腕で殴り飛ばす。
 そのまま同時、勢いをつけたターンのようにその場を旋回しながら回り込もうとしていた男の一人を蹴り飛ばす。
 直後、左右から一斉に突き込んでくる鉄棒をしゃんがんで回避。そのまま両方に足払いをかけて転がすと同時に正面の男を立ち上がり様にアッパーで勢いよく殴り飛ばす。
 後は素早く左右の転んだ男たちの意識を断って終了。とりあえずこの場で襲ってきた男たちの全員を無力化して制圧する。
 十秒も経たぬままの疾走劇だったが、しかし余韻に浸る暇などスバルにはありはしない。
 素早くそのままスバルは駆け出して後方に残してきた仲間達へと振り返る。

「……凄い」
「……すまない、スバルさん。君に任せてしまって」

 一瞬の制圧劇に唖然とした様子の水守と、そんな彼女に肩を貸してもらった状態の橘の両名が追いついてきた。

「いえ!……あの、あたしの方こそ考え無しに騒いだせいで……社長が」

 橘の申し訳ないといった様子の謝罪の言葉にスバルは慌てて強く首を振り否定する。
 実際、申し訳なさで一杯だったのはスバルの方だ。

「あの、社長……傷は?」
「ん?……あ、ああ。心配しなくても僕ならだいじょ―――ッ!?」

 心配気に尋ねてくるスバルを安心させるように微笑もうとした橘ではあったが、やはり傷が響いたのか脇腹を押さえながら苦悶の呻きを上げる。

「橘さん!?」
「社長!?」

 二人が悲鳴に近い叫びを上げて心配気に近付いてくるが、大丈夫だと橘は手振りでそれを二人へと示す。
 実際は“シェルブリット”の一撃が防御を抜いて咄嗟に背後の二人を庇う為に身を投げ出した橘の脇腹に当たっていたのだが……それでも、その負傷の痛みに呻いている暇など橘にはなかった。

「急ぎましょう。……早くしないとまた追っ手が来る」

 このような治外法権地では救援など求められない。捕まれば橘は兎も角として女である水守やスバルがどのような目に合わされるかなど……先刻の此処での一件で分かりきってもいた。
 クーガーからも彼女たちの事はしっかりと頼まれている。それに彼女たちの今の雇用主としても、そして男としても二人をそのような目に合わすことなど己自身が断じて許しもしない。
 兎に角、今は追っ手を振り切って一刻も早く脱出。外に出て隠している車にまで戻れば逃げられる可能性だってある。
 だからこそ、今は己の負傷云々などに気を遣っている暇などない。

「スバルさんへの説教は無事に脱出してからです。……急ぎましょう」
「……は、はい。でも社長……その、本当に……ごめんなさい!」

 彼女が深く反省している様子なのは、涙目でそうやって頭を下げてきた態度からも橘も察している。
 あの場での行動は確かに短慮そのものであったのは事実だが、しかしながら予期できたはずの可能性でもあったそれを素早く止める事が出来なかった自分にも責任があるとは思っていた。
 だからこそ、言葉ほど橘はその内心では彼女の事を責める心算など毛頭なかった。

(……僕は甘いのかな、キャミィ?)

 今は逢うことも出来ない恋人へと苦笑と共に内心で問いかける。
 だがこれが自分でもあるのだ、仕方がないとも橘は思い直す。
 そして今は脱出が優先と再び二人を促がしながら、橘たちは地上を目指してこの無法の地下世界から脱出する為に進み始めた。

 

 迫り来る追っ手を次々と薙ぎ払いながら、二人を護って脱出の為に進み続けるスバル・ナカジマの胸中にあったのは後悔の気持ちのみだった。
 いくら許せず、感情を抑え切れなかったとはいえ、自分が身勝手に犯した短慮によって橘に傷を負わせてしまい、二人をこのような危機に巻き込んでしまった。
 間違いなくこれは、高町なのはがスバルに教え込んできたこととも、そしてスバル自身もまた目指してきたものにも反する行い、最低の行動だった。
 これでは自分は何も変わっていない。何一つ護る事だって出来はしない。
 恩人である君島の、恩師であるなのはの、尊敬する彼らの顔に泥を塗っている事ともこれは同じ。
 そんな自分が情けなくて、そして何よりも許せない。
 だからこそこれ以上の失態は犯せない。護らなければならない、この二人を。

 そんな決意の下、獅子奮迅の動きを見せたスバルの活躍により、何とか追っ手を振り払って地上にまで出てこられた。
 入り口に立っていた見張り二人を手早く無効化。そのまま崖の向こうの廃品置き場に隠した車を目指して二人を連れて駆け出そうとしたその時だった。

 金色の閃光。爆音と衝撃と共に地下世界の入り口から地面ごと破壊するかのように飛び出してきたのは一匹の獣。

「……カズマッ!?」
「よぉ……ワリいけど、逃がすなって命令でな」

 悪く思うな、と歯噛みをするかのように睨み、名を呼びつけた橘に――否、彼を含めた三人に対して突きつけたその拳は告げていた。
 逃がしはしない、と……。

 

 振り返ったその先、地下世界から地上へと飛び出して追撃してきた最後にして最大の追手。
 “シェルブリット”のカズマ。
 隆起した岩壁の類が散見するとはいえ、ある程度は開かれているといったこの場所では逃げ込める場所もない。
 加えて、距離的にも自分たちよりも遙かに早く、あの男の方がこちらに詰め寄り拳を突きたてることが出来るだろう。
 よりにもよって、後少しというところで状況は最悪とも言ってよかった。

「……スバルさん、桐生さんを連れて下がっていてください」
「――ッ!? 社長!?」

 肩を貸してもらっていた水守から離れ、自分たちを護ろうと前へと出ようとしていたスバルへと牽制しながら、そう呼びかける。
 しかしそれに納得できるはずもないのがスバル・ナカジマだ。

「無理です! 社長は怪我してるじゃ――」
「――社長命令です。……お願いします、下がっていてください」

 勢い込んで反論を示そうとするスバルの言葉を遮るようにそう厳しく命じながら、橘は精一杯の毅然としたその態度を崩すこともなく前へと出る。
 ……二人を、護る為に。

「……桐生さん、スバルさんの事をお願いします」
「社長!?」
「見ての通り、彼女は言う事を聞いてくれそうにもありませんからね」

 頼みましたよ、と水守に向かってそう告げながら、橘はそれでもこちらを庇おうと前へと出ようとするスバルへと、再び顕現した“エタニティ・エイト”を貼り付けて動きを止める。
 そしてスバルを水守の下にまで下がらせると共に、懐から取り出した車のキーを彼女へ向かって放り投げる。

「橘さん……」
「先に行って脱出の準備をして待っていてください」

 そうは言いながらも、しかし彼が無言で示す態度はその言葉とは別の意味をもまた水守へと投げかけていた。
 万一、自分が戻ってこないと判断できたその時には――

「心配無用ですよ。僕だってそんな心算はありません」

 ただもしもの時の保険のようなものだ、そう微笑みはしながらも、しかしその可能性が捨てきれないことをそれは示唆していたのも同じ。
 水守とて出来れば橘を止めたかった。八ヶ月前、この無法の大地で危ない目にあっていた自分を保護して今日まで護ってくれていた彼を……大切な仲間を置いていくことなど出来るわけがない。
 しかしそれでも他ならぬ橘自身がそれを望んでいる。行ってくれ、と自分たちを護る為に、それを願って示してくれている。
 なのはにスバルの事を見守ると誓った水守。橘はそれを察してこの選択を選んだという事もまた理解する事ができていた。
 彼のその意志をここで自分の我が儘で台無しにすることも出来ない。
 だからこそ水守は――

「どうか、ご無事で」
「ええ、勿論その心算です」

 そう彼へと最後に告げると共に、スバルの手を引いて駆け出そうとしたその瞬間だった。
「――ッ!?」
 水守が驚いたように振り返る。彼女の視線の先……連れて行こうと手を引っ張っていたスバルがその場で必死に踏ん張って動こうとしなかったのだ。
 生命を操る宝玉――“エタニティ・エイト”
 先程と同じように意識を奪おうと貼り付けたそれに今、スバルは必死に抗っていたのだ。
 連れて行かせないために。此処に残るために。橘を護るために。
 しかし――

「……世話がかかりますね」

 連れて行くことが出来ない状況に戸惑う水守の様子から察したように、橘はしょうがないといった様子で苦笑を浮かべながら、もう一つ宝玉を彼女の額にまで飛ばして重ね張りする。
 瞬間、最後の抵抗を示すかのような痙攣を見せながら、しかし直ぐにスバルは今度こそ従順に水守の手に引かれながら動き出した。
 これでいい、そう安堵したかのように頷きながら、意識が無くて聞こえていないだろう水守に手を引かれて去っていくスバルへと橘は微笑みと共に告げた。

「安心してください。僕なら――大丈夫ですから」

 その笑み、その言葉が、殆ど奪われたに等しい霞んだ意識の中でスバルが見た橘あすかの最後の姿だった。

 

 逃げるようにこの場から駆け出して去って行こうとする桐生水守とスバル・ナカジマ。
 それを察したカズマはすかさず相手の逃走を防ぐ為に動き出し始める。

「逃がすかよ!」
「させません!」

 しかし黄金の拳を掲げ駆け出そうとする獣を遮るように前方へと飛び出しのは、その身を護るように周囲へと宝玉を展開しながら立ち塞がる橘あすか。
 邪魔をする心算だというのなら容赦はしない。元よりそうでなくてもその心算だったが繰り出す拳を躊躇いも無く橘へと突き出すカズマ。
 生命を操る八つの……否、スバルを動かす為に二つ割いているので現状六つ。その残りの全てを展開した盾へと注ぎ込みながら、カズマのシェルブリットを遮るエタニティ・エイト。
 だが――

「んなもんでもう止まれるかよッ!」
「ッ!?」

 ただでさえ先程の攻防時ですら八つ揃って防ぎきれなかったパワーアップしたシェルブリット。
 既にそれは橘が過去にその身をもって味わったものの比ではない。
 六つの宝玉が合わさった盾、それが四散するかの如く弾き飛ばされる。
 勢いが殺がれながらもそれでも進んでくる拳を、橘は咄嗟に痛む体を無視して限界まで酷使しながらギリギリで飛び躱した。
 空ぶった勢いに蹈鞴を踏みながら舌打ちと共に振り返るカズマと、着地と同時に膝をつきながら痛む脇腹を押さえて顔を顰める橘の視線とが交錯する。

「……皮肉なものですね。まさかこんな形でまた貴方と戦う事になるなんて」
「……勝てるとでも本気で思ってるのか?」

 あの時に比べて橘が確かに強くなっている事はカズマも認める。
 しかし自分がそれ以上に強くなったという自負が彼にはある。
 加えて、負傷と全力ではないアルター。逆に舐められているかとも思えるようなハンデっぷりではないか。
 確信がある。一度下した相手だという評価も合わさって、だからこそカズマは告げる。

「てめぇじゃ俺には勝てねえぞ」

 挑発でも慢心でもなく、ただ事実の心算でカズマは言った。
 しかし――

「……あまり僕を舐めないでもらいたいですね」

 片膝をついていた状態からしっかりと立ち上がりながら、橘あすかは毅然とした態度と共に獣に向かって告げる。

「僕はまだ貴方に……僕の玉の全てを見せ切ってはいません」

 それを証明する、そう告げるかのように周囲を浮遊する自身のアルターを集結させる橘。
 カズマもまた拳を握り構えながら、それがハッタリではなさそうだという事を悟る。
 良いだろう、四度目のこの対決……ならば再びこの拳で相手を自分は下すだけ。
 そうハッキリと目的を定めると共に、カズマは未だ脳裏に留めていた先の二人の事を意識から除外。眼前の橘を相手に集中する。
 あいつらは後回し。今は視野を狭め、意識を集中させ、倒すべき敵を見定めながら――

「シェルブリットォォオオオオオオオオオオオオオ!!」

 立ち塞がる壁として橘あすかを打倒する。

 

 スバル・ナカジマの手を引いて戦線を離れた桐生水守は、橘の指示通りに隠してあった廃品置き場の車まで戻り、直ぐにでも出発できるように準備を始める。
 そして隣の助手席へと座らせたスバル・ナカジマの様子をチラリと窺う。

 二つの宝玉を重ね合わせるように貼り付けられたその目には焦点が定まっておらず、明らかに未だ意識を失った状態のままだ。

 橘のアルター“エタニティ・エイト”の事は過去に直接目撃したことや彼自身の話からだいたいは把握している。
 大丈夫だ、ここに宝玉が存在している限り橘は無事……否、無事ではないかもしれないが戦える状態であることは確か。
 彼の実力はよく知っている。幾度も助けられ、頼もしいとすら何度思ったことか。
 しかし……

「ッ!?……大丈夫。橘さんならきっと大丈夫」

 彼が今相対している相手――“シェルブリット”のカズマの事もまた水守とて充分にその力を理解している心算ではある。
 あの劉鳳相手に互角以上の戦いをし……そしてあの高町なのはを――
 脳裏に過ぎった橘が彼女と同じ結果を辿るのではないかという不安を、水守は必死に否定するように首を振る。
 そんな事はない。彼に限ってそんな事は――

 しかし、距離はそれなりに取ってあるはずなのに、それでも先程から聞こえ響いてくる轟音と震動、そして閃光。
 あの場が激しい戦いの中心点になっている事は間違いない。
 アルター使い同士による常人には介入すら出来ない超常の戦い。
 押し潰されそうになる不安に必死に耐えながら、しかし今の水守に信じて出来る事は彼の帰りを待つ事と、そしてスバルを護ることだけだった。

 

 その男は野蛮で下品だった。
 その男は考え無しの愚か者だった。
 けれどその男は―――

『他人が俺のことを幸せとか不幸とか言うんじゃねえよ。それが見下してるって言うんだ!』

『諦める方向には行きたくねぇッ!』

『ま、闇雲に突っ走ってたら駄目な時も冴えない時もあるけどよ……だが、偶には良い事もある』

『勝手にしろよ。此処でのたれ死のうが、ホーリーに無理矢理戻ろうが、それはお前の自由だ。……分かってんだろ、お前?』

 ――決して逃げずに真っ直ぐで、そして強かった。


 鼻持ちならなく傲慢で、自分勝手で我が儘。
 短絡的で無思慮、一方的とも言って良い身勝手さ。
 けれど、嘆きや悲しみすらもない、ただ只管で純粋なその真っ直ぐな生き方に。
 カズマという男の生き方に、橘あすかが感銘を受けたのもまた事実だった。


「……非常に癪な気分ですがね、それでも貴方のそんな生き方に僕が憧れたのも事実です」

 対峙し合い、そして命の取り合いたる激闘を交し合う中で橘あすかは向かってくるカズマに対して苦笑と共にそう告げる。
 けれど獣は答えない。その言葉に耳を傾ける心算すらなく、問答無用の拳をもってこちらを叩き潰さんと挑みかかってくる。
 対する橘が迎え撃つ為に用いる手段。生命を操る八つの宝玉。橘あすかのアルター“エタニティ・エイト”
 スバルに割いて頭数を減少させ、ただでさえ地力で相手に上回られているこの状況では、橘に取れる戦法など限られている。
 変幻自在、縦横無尽、絶対無敵……その謳い文句の真価を発揮させるようにこの場合に取れる戦法はやはり一つ。

「エタニティ・エイトッ!」

 高速機動の要たる足場を崩して、それを弾丸へと変えて次々とカズマへと撃ち込んでいく橘。
 しかし迎え撃つカズマはそれをしゃらくさいとでも言わんばかりに体を独楽の様に旋回させて次々とそれを弾き飛ばしていく。
 そして終了と同時、再び疾走。即座に間合いを詰めた拳を振るい、それをこちらに叩き込まんと打ち込んでくる。
 橘は痛む体に鞭を打ち、距離を取る為に後ろへと跳びながら前面に宝玉を集結させて防御。一時的に防ぐ間を作ると同時に即座にカズマの拳が駆け抜けていく軌道から離脱。
 再び充分な迎撃を取れる間合いを保ちながらの待機。
 先程からずっと繰り返されているジリ貧待ちのような相手の戦い方。気に入らないと不快さも顕に鼻を鳴らすカズマ。
 しかし橘はそんな相手の誘いには乗らない。状況は言うまでも無く自分に不利であり、そしていつまでも持つような拮抗でもないが、それでもこの状況の維持以外ではすぐさまにやられてしまうのもまた事実だ。

(……水守さんにはやはり先に逃げろと言っておくべきだったかもしれませんね)

 彼女たちの逃げる時間を稼ぐだけで良いのならこれを続けていれば目的は達せられる。
 しかしながら、人の好い水守の事だけに律儀にスタンバイは整えていたとしても、自分を置いて逃げようとは決してしないはずだ。
 スバルの方に割いている負担もある。いっそ逃げ切れる距離まで先に彼女たちが逃げてくれた方が実は楽だったのではなかろうかとも今更ながらに後悔を抱きかけ――

(――って、そういう方向に逃げるべき時ではないですね。今は)

 他の誰でもなく、今眼前で対峙しているこの男こそが教えてくれたことだったなと橘は皮肉気に苦笑していた。
 そして――

「カズマ、貴方に何があったのかなんてそんな事を僕は訊く心算はありません」
「うるせえっ!」

 こちらの呼びかけそのものを拒むように、再びそんな怒声と共に侵攻を開始してくるカズマ。
 橘もまた六つの宝玉を展開し、迎え撃つように構える。
 迎撃の宝玉、その連弾をしかしカズマは愚直と言っていいほどに真っ直ぐに、そして強引に弾き飛ばしながら突き進んでくる。
 カズマにしてみれば橘あすかの戦法など、高町なのはのその戦法の劣化版の焼き直しと同じ。
 手数・技量・威力、そのどれを取ってもなのはに大きく見劣りする。
 強引に力技で事実上、彼女を下したカズマからすれば橘とて有象無象と同じに過ぎない。
 少なくとも、今のような下らないこんな戦法を続けていく心算なら―――

「―――ですが、同情だってする気はありませんッ!」

 しかし、橘もまたそれは選ばない。
 現状維持では埒が明かない。元より勝機が限りなく低い事は承知の上であったが、しかし負ける為に彼はこの場に残ってカズマと戦っているわけではない。
 弾き飛ばされた宝玉、それを再集結させ連ねた剣状にしながら、それを勢い良くカズマに向かって斬り伏せるように叩きつける。
 無謀とも言っていい接近戦。この場でそんな選択を取るとは思っていなかったカズマの方が驚きながらシェルブリットを掲げてそれを受け止める。
 アルターのぶつかり合い。伝播する衝撃と閃光は地を震わせ、雲を裂き、激しい拮抗を見せる。
 しかし―――

「うぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 獣の咆哮。振りかぶるような力任せの拳の叩きつけ。
 拮抗を呆気なく崩し、橘の剣を叩き折りながら、そのまま振り切った衝撃で橘を岩壁にまで叩きつける。
 アルターを破壊され、そして直接に身を襲った衝撃と激痛に息を吐きながらも、それでも叩きつけられた岩を支えに橘は身を震わせて立ち上がる。
 やはり力では勝てないか、改めて悔しさと共に湧き上がってくる事実に実感を抱きながらトドメを刺さんと追撃してくるカズマが直ぐそこまで迫ってきていた。
 咄嗟に身を投げ出す勢いで横へと跳ぶ。同時、カズマの拳がそのまま先程まで橘の背後にあった岩を粉々に打ち砕く。
 外したことに露骨な舌打ちを吐いているカズマだが、それをしたいのはこっちだと思いながらも瞬時にエタニティ・エイトを再構成。
 そのまま身を起こして立ち上がり様に全弾を近距離からカズマに向けて発射。
 反射的に右腕で防ぐように前面へと盾のように出すが、変幻自在、縦横無尽を売りとするエタニティ・エイトはそれを掻い潜ってカズマの体へと付着。
 その意図に気づき引き剥がそうとするカズマだが、しかし橘の方が動作は速い。
 最初から弾丸として撃ち込む心算など橘にはなかった。一か八かで彼が賭けた行動はこのまま彼の意識を掌握して奪うこと。
 幾度にも渡り失敗してきた行いだが、今再びに決意と共に橘はそれを敢行する。
 今の腐りきってしまったこの男に意地でも負けてたまるかと吠えるように。
 橘の気合の咆哮とカズマの絶叫が唱和する。
 意識を奪い取られてたまるかと、是が非でもそれを拒絶するように力任せに身体全体を振り回しながら必死に抗いを示すカズマ。
 橘はそれに巻き込まれないよう朧気な足取りではあるものの、それから距離を取りながら彼もまた必死になって彼の意識を奪いにかかる。
 後など無い。心が折れて屈した方が負ける。
 最後に立っていられるのは意地を貫いた勝者のみ。

「ふざ……けんなぁぁぁああああああああああああああああああああ!!」
「カァァアアアアアズゥゥマァァアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 互いに喉を裂かんばかりの絶叫を放つ。
 その荒野に響く慟哭の果てに、意地の張り合いを制したのは――

 

 突き立つように鳩尾へと突き刺さる豪腕。
 口から血塊や胃の内容物、そして空気が漏れるよりも先に加速した身体は衝撃と共に遙か向こうの壁際にまで橘あすかを強引に引っ張っていき、叩き付けた。
 全身がバラバラになったかのような激痛。精神を支えてきた支柱が根本から圧し折られたかのような虚脱感と敗北感。
 ……そう、負けた。
 現実を理解する事は殴り飛ばされた橘自身でも辛うじて出来た。であるからこそ、痛みと衝撃に倒れ伏し、更にその事実まで付け加えられれば流石に彼でも立ち上がれない。
 精神支配は失敗したとはいえ、それでも一応は効果があったのか。トドメを刺しに近付いてくるカズマの足取りは頼りなさ気な程にフラフラとしたものだった。
 カズマが近付いてくる。立ち上がらねば、戦わねばと奮起しようとしてみても、しかし身体と心の奥底がそれを拒絶する。
 分かっていた。分かりきってはいたことだ。

 ――橘あすかはカズマには勝てない。

 それは三度に渡って戦って既に証明されきっていたことではあった。
 腐っても獣。この男の圧倒的な力を相手にすれば、自分などろくに抗う事も出来ない事くらい承知の上だった。
 だったら何故、この場に残ってこの男と自分は戦おうなどとしたのか?
 水守やスバルを逃がすため。それも当然ある。社長として、男として、彼女たちを危険から遠ざけて護りたかった。その事実に間違いは無い。
 ……けれど、それだけが理由ではない。
 そう、決してその為だけに自分はこの場に残ってこの男と戦おうとしたのではない。
 他の何よりも橘あすかが意地を通してでも彼と対峙しようと思ったのは――


 その男は野蛮で下品だった。
 その男は考え無しの愚か者だった。
 けれどその男は―――


 ――決して逃げずに真っ直ぐで、そして強かった。

 

「……だからこそ……今の貴方の姿が、僕には我慢ならないんですよ……ッ!」
「てめぇ……ッ!?」

 ふらつく足取りで近付いていたカズマの眼前、ボロボロの身体に鞭を打つように立ち上がりながらそう吼える橘あすか。
 その姿が……アイツと被った。
 脳裏に過ぎった悪夢を振り払うように強く頭を振りながら、カズマはまだしつこく抗おうとしてくる橘を睨む。
 負けじと橘もまた睨み返す。荒い息、霞む視界、苦痛を訴える身体――その全てを無視。
 それに屈する事は、今のこの男に負ける事も同じ。そしてカズマに負けたくない橘にとってそれらを受け入れるわけにもいかない。
 だからこそ――

「エタニティ……エイトォッ!」

 喉の奥から搾り出すような叫びと共に、橘は再び己がアルターたる宝玉を再構成。
 その数は六つ。橘の身を護るかのように周囲を浮遊して漂っている。
 しゃらくさい、見飽きた無意味な抵抗。そう認識するかのように鼻を鳴らして再び拳を固めるカズマ。

「何度やろうが同じだってのが、分からねえのか?」
「……生憎と、貴方に大分毒されてしまったようでしてね」

 そういう後先だとか保身だとか、逃げや諦めの方向には進みたくないのだと態度で返す橘。
 気に入らない。ああ気に入らない。
 その物言い、その態度、その考え。
 それはまるで――

 ――彼が捨てた、かつての彼自身の在り方と同じであり。

 そして――

『……カズマ君……もう、良いんだよ』

 ――彼を壊した、彼女の姿ともまた同じものではないか。


 ギリッと噛み砕かんばかりに奥歯を噛み締め、鳴らす。
 血走った目をもって、憎悪を込めて相手を睨む。
 認めない。ああ認めない。絶対に認めない。
 そんな言い分、そんな姿、そんな状況、もう沢山だ。
 捨てたのだ、何もかもを。
 省みないのだ、全てを。
 だからこそ――

「俺に……それを――」

 息を吸う、そして思い切り吐き出す。
 同時、全力を込めて咆哮と共に拳を振り上げる。

「――チラつかせてくんじゃねぇぇええええええええええええええええええ!」

 二度と、もう二度と纏わり付かれないその為に、粉砕する為に。

 

 全力で向かってくるカズマの黄金の拳。
 もはや躱せる余力など残っていない。それにこの拳を躱すことは彼を相手に逃げる事も同じ。
 そんなものは不許可だ。絶対に出来ない。
 だからこそ、この最後の迎撃に己の全てを注ぎ込む事を橘は誓った。

(キャミィ……僕は馬鹿かな?)

 恋人への答えもない問い。だが答えてもらうまでもなくそれは明白。
 ああ、馬鹿なのだろう。きっとその上に大が付くような飛びっきりの馬鹿だ。
 けれどそれが今はどこか喜ばしい。それは眼前の男もまたその同類である事を知っているためか。
 馬鹿を相手に毒され馬鹿になった。それはきっと傍から見れば随分と愚かしい事だろう。
 けれど後悔は無い。無いと断言できる。単なる強がりだろうと他人から嗤われようとも、今の橘にはそう思えることが何よりも誇らしい。
 だからこそ――

「僕はそれを……貫き通すッ!」

 それを貴方に見せる事が、僕が選び取った答えだ!
 そう示すように橘は最後の力をアルターへと注ぎ込む。


 同時、距離を取った水守とスバルが待機していたその車内。
 スバルの額に張り付いていた二つの宝玉が消える。


 残念ながらスバルを止める為に割いておける余力など無い。
 無いからこそ、ここで全てを使わせてもらう。
 僕の玉の全てを……出し切るッ!

「エタニティ……ッ!」

 八つに戻った宝玉。それと同時に橘の左手に形成されるのは白い弓。
 それに装填するように玉を込めながら、迫り来るカズマを目掛けてその照準を一点に合わせ――

「エクストラショトォオオオオオオオオオオ!」

 その全てを解き放った。

 

 連なるように迫り来る八つの宝玉。
 それが重ね合わさるようにカズマの額へと突き刺さる。
 瞬間、何度目の経験になるかもはや憶えている事も面倒な例の意識を奪おうとしてくる感覚が頭の中へと急激に広がっていく。
 思わず突き出す拳を引っ込め、宝玉を引き剥がすように掴むが、外れない。
 その間にも急速に意識が支配されかけていく。
 今までのものの比ではない。強力な精神支配。
 思わず呻きながら膝をつきそうになるのをカズマは必死で抗う。
 ふざけるな、冗談ではない、俺は俺だ。
 そう必死に己へと叱咤を込めて言い聞かそうとするも、身体は一向に言う事を効かない。
 最後の最後で自らの身体にまで裏切られるのかと、その事実に思わず皮肉気な笑みを浮かべかけ――

 

 ――冗談じゃねえよッ!

 

 ふざけるなとブラックアウト寸前だった意識を無理矢理に引っ張り上げる。
 ああ、冗談ではない。
 俺は俺だ、“シェルブリット”のカズマだ!
 他の誰でもなく、俺自身が決めた事を行うのが俺だ!
 堕ちる事も、腐る事も、逃げ出す事も、捨てる事も――
 奪う事も、壊す事も――ッ!
 全部、全部俺自身が選んで決めた生き方だ!
 それを――

「それを……横から……ッ!」

 ミシリと額に張り付く連なった八つの宝玉を掴むと共に、亀裂を走らせる。
 噛み切った唇から流れる血を吐き出すように捨てながら、吼えるように喉の奥から声を絞り出し。
 眼前のこちらの変化に呆然とする相手へとありったけの怒りを示した眼光を当てながら。

「奪い取ろうなんざ……させてたまるかぁぁあああああああああああ!」

 咆哮。同時、粉々に額の八つの宝玉を握り砕く。
 寸前まで奪い取られかけていた意識の回復。間髪入れずに勢いに乗ってそのまま相手へと攻撃を再開。
 もう二度と、その猪口才な手口で抵抗されないように。
 もう二度と、こいつの在り方とその過去に縛られないように。
 最大最強の“シェルブリット”の一撃をもって粉砕する。
 その為に、カズマは橘あすか目掛けてその拳を叩き込み――

 

 黄金の輝きを発しながら今度こそこちらを完全に打ち砕かんと迫るカズマの拳。
 対する橘あすか――最後の切り札も通用せず、もはや打つ手なし。
 相手からの攻撃。このままくれば確実に直撃する。しかしもはや防御も回避も行えるだけの余力は無い。
 全てを出し切る、そう言った橘あすかの言葉に偽りはなかった。
 全力全開。己の限界に真っ向から反逆した最後の意地。搾り出した力。
 ……しかし、結局はそれも相手に上回られた。
 それはつまり、命を懸けた橘あすかの信念は、腐りきったカズマの信念を凌駕出来なかったという非情な現実そのもの。

 ……悔しいな。

 そう正直にも思う。辛うじて握り固めた拳が己への不甲斐無さへの怒りと無念……そしてそれだけ腐っていても尚強いのに立ち上がろうとしないカズマの性根に対して怒りで震えていた。

(……キャミィ、ごめん)

 いつかもう一度、絶対に逢おうと誓っていたはずの恋人へともうそれが不可能となったことへの詫びの言葉が浮かんでくる。

(……すいません、クーガー)

 ホーリーを脱退して荒野に出て以降、どういうわけか数奇な縁が深まった元同僚に、彼から頼まれた事が果たしきる事が出来なかった事に対する詫びの言葉が浮かんでくる。

(……水守さん、スバルさん、後は――)

 頼みます、そう最後まで付き合ってやることの出来なかった社員たちに申し訳なさを同時に抱きながらもそんな別れを告げる。

 黄金の拳が迫ってくる。獣の咆哮が近付いてくる。
 あれが自身の終焉なのかと思いながら、せめてみっともない最期だけは避けようと精一杯に胸を張る。
 志半ばでこうして敗れることになったとはいえ、それでも自分の意志で選んだ、貫き通した結果の最期だと誇るように。
 そうして微かな笑いと共に、橘あすかは静かに目を閉じ――

 

 自分の意識と身体の自由を奪っていた宝玉の消滅。
 スバル・ナカジマはそれと同時に桐生水守の制止すらも強引に振り切り、車外へと飛び出した。
 駆け出し向かう場所、相手も目的も当然ながら決まっていた。
 社長……橘あすか、彼の救出、ただそれだけだ。
 橘がやろうとしたこと……つまり自分や水守を護ろうとしてくれたその事実。自分たちの盾になろうとしてくれたこと。
 そんなことスバルは望んでいなかった。やって欲しいと思ってすらもいなかった。
 だって、それは自分の役割、自分の役目だから。
 誰かを護り、誰かを助ける。
 それは高町なのはから自分が受け継いだ責務。
 あたしが……あたしがやらなきゃならないこと。
 もう失うのは沢山だ。護りきれないのは御免だ。
 護る、自分が護る。
 この手で、この魔法の力で。
 大切な人を護るんだ。


 ―――スバルは、どうして強くなりたいの?


 あの日に問われたなのはからの言葉。
 胸を張って答えた、己の決意と願い。
 もう、それを嘘にはしない。絶対にしたくない。
 間に合わないなんて、取りこぼすなんて、もう沢山だ。


『……そっか。魔法使いか……やっぱ凄いな、スバルちゃんは』


 あの人に、涙でもなく後悔でもなく、今度こそ胸を張ってその言葉に応えられるように。
 だから、社長……直ぐにあたしが助けに――


 そう、決意の元に再び出戻りのように橘たちを残した戦いの場へと飛び出した瞬間だった。
 スバルが、目も眩む様な黄金の輝きの果てにその光景を目撃したのは。

 

 人が飛んでいた。
 放物線を描く軌道で、赤い血の線を引きながら、弧を描くようにゆっくりと。
 ゆっくりと、吹き飛ばされるように宙を飛んでいたソレは、やがて力無く唐突に地面へと落下した。
 まるで潰された蛙の様に、あっけなく、地面へと叩き落されるようにそれはスバルの直ぐ眼前に落下して、転がった。
 ソレを見たスバルが目を疑ったのは言うまでもない。
 ……これは何かの間違いだ。
 そう強く思った。現実の、目の前の光景をただただ否定するように、そう思った。
 けれど――

「……社……長………?」

 震える声で、嫌々と身を震わしながら、それでも、ゆっくりと恐る恐るにスバルはソレへと声をかけながら手を伸ばす。
 変わり果てるようにボロボロと化した、そして血を吐き出しながら全身を痙攣させている彼へと。
 こちらの言葉が届いたのか、ソレ――橘あすかは焦点が定まっているのかすら定かですらない瞳をこちらへと向けながら、ゆっくりと口を開いてきた。
 口腔に血を溢れさせながら、彼は声にはならない声で告げていた。

 ――逃げろ、と。

 スバル・ナカジマの中でフラッシュバックのように脳裏へと蘇ったのは三人の姿。
 一人は最愛の姉であるギンガ・ナカジマ。彼女があの公開意見陳述会の時にナンバーズを相手に破れた所を目撃した時のその姿。
 もう一人は恩人たる君島邦彦。茜色に燃える荒野で、他ならぬ相棒の為に最後まで気丈に振舞い生きた証を貫こうとしていたその姿。
 最後の一人は憧れの人たる高町なのは。あの日、絶対に帰ってくると約束して微笑んで飛び立っていった時のその姿。
 大切な人が傷つき、奪われ、いなくなってしまった時のその光景。
 ……何かが、自分の中でそれでも最後まで保とうとしてきた境界線が、音を立てて崩れていくのが分かった。
 まるでスイッチが切り替わるかのように、理性が激情によって飲み込まれ浸食されていく。
 もう我慢が堪らずに、彼女の口から絶叫がまるで獣の咆哮のように空気を震わせ響き渡っていく。
 或いは、それはまたしても何一つ護れなかった事への、この現実に対しての慟哭だったのかもしれない。


 大気を振るわせる絶叫が、まるで震動となってこちらの肌へと叩きつけられてくるのをカズマは感じていた。
 己が拳で眼前の敵を屠った直後、測ったようにタイミングよくこの場へと飛び出してきた少女。
 カズマが無意識に求め、探していた獲物。
 その少女が今、水色の発光を生じさせながら、凄まじい怒気と殺気を併せ持った激情をこちらへとぶつけて睨みつけてきていた。
 彼女の涙と怒りと殺意に溢れた黄金の瞳と、カズマは臆する事も無く真っ直ぐに目を合わせる。
 それどころか知らず、無意識の内にその表情には笑みすらも浮かべていた。

『……これは……スバル・ナカジマ!?』

 驚いたように懐からレイジングハートの言葉が漏れ出てくるが無視。今はそんなものに構っている場合でもない。
 ただ、彼女がスバル・ナカジマという名前なのかということだけは理解し、そして満足気にすら思いながら胸へと刻む。
 やるべき事は一つ。ここでそれが分からずに、或いは分かっていても躊躇ったり迷うようなら、それは腐った己以下の腑抜けだろう。
 だがスバル・ナカジマ、お前はそうじゃないだろう?
 そんな腑抜けではない。それが分かっている、本能で理解できている。
 故に、獣は愉悦すらも浮かべながら笑うのだ。
 或いは、これが漸くに訪れた、無様に生きながらえてきた自分に与えられる答えなのではないのかと期待しながら。

「やったらやり返される。当然のルールだろ?」

 だから遠慮は要らない。否、逆に遠慮などしようものならこちらがぶち殺す。
 だから――

「遠慮はいらねえ――来いよ」

 誘うように、そんな言葉を相手に対して告げながらカズマは彼女に向けて拳を構えた。
 その言葉に応じたのか否か、堰を切ったように少女は怒りの咆哮を上げながらこちらに向かって襲い掛かってくる。
 新たに生まれた若き復讐の獣へと歓迎を示すように、迎え撃つ為に黄金の獣もまた彼女へと目掛けて駆け出した。

 

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