『……ごめん』

 無常が告げてきた言葉が真実かどうか、機動六課に与えられた仕事部屋に戻ると同時に真っ先にロングアーチへと念話を繋げてシグナムは確認を取った。
 そしてそれに八神はやてが第一声に返したその言葉がそれだった。
 シグナムにはその一言だけで、はやてがどれ程の無念と屈辱、そして後悔を抱いているのかを察することが出来た。
 当然だ。主はお優しい……否、元来は優し過ぎると言ってもいい性格だ。
 だからこそ、得体の知れないあんな男に自分の大切な身内を言いように使われることが申し訳ないと思わないはずがないのだ。
 ……ああ、だから彼女は何も悪くない。少なくともシグナムはそれを理解しているし、故にこそ彼女を責めるなどというお門違いに馬鹿げた行いをする心算も無い。
 ただ……

「了解しました、主。テスタロッサを含め新人たちも……私が必ず護ってみせます」

 故にご安心を、と少しでも彼女が自分を責めなくてもいいようにシグナムは己でも不器用と思う笑みと穏やかな態度を精一杯に保ちながら彼女へと告げる。

『……私、シグナムに迷惑かけてばっかりや』
「いえ、主の苦行は我ら守護騎士の苦行も同じ。貴女がそれに気を病む必要はありません」

 そう、気を病む必要などない。
 申し訳ないなどと追い目を抱く必要だって何もありはしない。
 今誰よりも六課を護る為の辛い戦いを孤独に続けている彼女を守護騎士たる自分がどうして責められよう。
 否、機動六課に属する者の誰にその資格があるというのか?
 あるはずなどない。もしそんな輩がいるというのなら、そんな恥知らずはシグナムが自らで切り伏せる心算だ。

「主、今は耐えましょう。諦めなければ必ず再起の目はある。……我々はいつもそうして何度も立ち上がってきたではありませんか」

 ――そして、不屈の想いはこの胸に。

 その言葉を信じて駆け抜けてきた自分たちが、この程度の逆境で崩れてなどいられない。
 それはこれまで駆け抜けてきた今までの全てまで否定することになりかねないのだから。
 だから大丈夫だ、自分たちはまだ負けてなどいない。
 勝負は、これからだ。
 そう主を励ますように騎士は優しく泣きそうな彼女を安心させるように言葉をかけていた。
 親友であるなのはをあの日、引き止めることも出来ずに戦いへと赴かせて死なせてしまった責任。
 暴走した己の身内の不始末、もうどうしようも弁解は効かないのを分かりきっていてもそれでも少しでも彼女の罪が軽くなるように背負おうとする責任。
 残されたもう一人の親友までもが精神的に壊れてしまった中ですら、残された部下たちの為に自分だけは弱い方向には逃げられないという責任。
 機動六課の長として、それら一つ一つですら重過ぎる責任をそれでも皆を護る為にその小さな背で賢明にはやては背負っているのだ。
 彼女を護ることを誓い、二度とそれを違えぬと決めたはずのシグナムが、今ここで彼女を護れないでいつ護るというのか。
 ああ、そうだ護る。彼女を……彼女たちの夢たる機動六課を。

 ――たとえ、この命に代えても。

 

「……シグナム副隊長」
「……ティアナ、か」

 とりあえず通信で落ち込んでいるはやてを出来る限りに慰め終えた後に通信を切り、一息入れようとしていたのを見計らったようにかかってきたその声にシグナムは振り向いた。

「……これから、ホーリー隊員の方々と共に哨戒任務に向かいます」

 報告をしてくるティアナにそうかと頷いた。
 確かメンバーはティアナにエリオにキャロ、ホーリーの方には彼女たちともそれなりに親しいシェリスや瓜核もいたはずだから大丈夫だとは思っている。

「エリオとキャロはまだ幼い。……お前にばかり負担をかけさせて悪いとは思うが二人を頼んだ」
「はい、任せてください。あたしなら大丈夫ですから」

 こちらを安心させるように覇気の入った返答をしてくれるティアナは頼もしかったが、出来るならば彼女たちを護る為にも自分もまた付いて行きたかった。
 しかしフェイトの状態が不安定な現状では任務に従事させることも、逆に一人置いていくことも出来ない。
 フェイトを護るようにはやてから頼まれ、己自身でも彼女の守護を自負しているシグナムは下手に傍を離れるわけにもいかないのだ。

「……スバルの件は色々と辛いとは思う。だが今は済まないが耐えてくれ」
「いえ、それを言うならシグナム副隊長もヴィータ副隊長のことが……」
「我らの事は気遣い無用だ。アレとはいずれ私がケジメをつける。心配しなくていい」

 守護騎士を纏め上げる将としても、それは避けては通れぬ道だとシグナムは厳かな態度でそう告げた。
 そうヴィータと決着を付けねばならぬのは、誰よりも彼女と共に永き時を過ごしてきた自分だ。その覚悟は既に固めてある。
 恨みっこはなし……否、憎まれ役こそ我が務めかとシグナムは自嘲した。
 シグナムのそんな態度に多少戸惑いながらも、それが己の口出しすべきものではないと察したのだろう、ティアナはそこで話を打ち切って任務へと向かう為に退出していく。

「ティアナ、お前は六課が好きか?」

 その背に不意に投げかけられてきたその問いにティアナは戸惑いながらも立ち止まり、振り返った。
 急な質問の意図が分からぬといった様子の彼女に、シグナムはそのままの意味だと告げた。
 それに対してティアナは――

「あたしは……なのはさんが護ろうとしたこの隊を護りたいからこそ今も頑張っている心算です」

 ティアナがハッキリとした態度で返してきた答えに、シグナムはそれで良いと満足気に頷いた。

「これからも……お前の力を貸して欲しい」
「幾らでも。だからこそ自分は此処にいるんです」

 今は互いが互いに笑みを浮かべながら見るソレが、二人には他の何よりも頼もしく映った。

 

「フェイトちゃん」

 なのはが自分の名を呼んでいることに気付いたフェイトは声が聞こえてきた方向へと振り向いた。
 見ればそこに彼女と……そして自分たちの娘のヴィヴィオもいる。

「こっちこっち、早くこっちに来なよー」
「フェイトママー、早く~」

 最愛の二人が自分を呼んでいる、その事実を至上の幸福のように実感しながら、フェイトは先程から早く来いと自分を呼んでいる二人の下へと駆け出した。

「待ってよ、二人とも足が早いよ」

 焦ることは無い。二人は自分を置いていきなどしない。
 ずっと、ずっと三人一緒にいることは出来る。
 幸せは永遠なのだ。奪われなどしない。無くなりもしない。
 自分が此処にあると思い続ける限りは――――此処にちゃんとあるのだから。

 

「……なのは……ヴィヴィオ……」

 寝台に横たわり幸せそうな寝顔で最愛の者達の名を呼んでいるフェイトの姿を見て、運慶もまたこれで良しと頷きながら、後ろで控えているエリオとキャロの二人へと告げる。

「終わったのである。これで暫くの間は……彼女も幸せな夢を見続けよう」

 運慶がそれを示すように持っていた原稿用紙をエリオたちにも分かるように見せる。
 そこには、『フェイト、夢の中で最愛の者達との一時の幸せな時間を過ごす』と書いてあった。
 無論、これはただの原稿用紙ではない。彼のアルター“最悪の脚本(マッド・スプリクト)”によって形成された確かな能力の効果を示すその証拠だ。
 事実、この原稿用紙に書かれている通りに今はフェイトは夢の中でなのはやヴィヴィオと幸せな一時を過ごす日々を過ごしているのだ。
 それこそが運慶のアルター能力。他者の思考を変換し、物語の登場人物として洗脳する“最悪の脚本”なのである。
 洗脳という言葉は悪いが……しかしこの大地に来て以降も精神的に不安定な状態が多い彼女はこれによって仮初とはいえ精神の均衡を保っているのだ。
 特に、彼女が精神を乱す切っ掛けともなりかねないエリオやキャロが任務で彼女の傍を離れなければならない時には、度々この能力でフェイトに幻を見させてあげてくれているようにと頼んでいるのだ。

「ありがとうございます、運慶さん」
「……う、うむ。まぁ我輩の脚本を持ってすればこの程度のことはお茶の子さいさい。……だからな、うむ、エリオもそれにキャロも……そんなに感謝せずとも良い」

 年端も行かぬ子供から真剣に感謝の言葉を貰うのが照れ臭いとでも言うように、頬を赤くしながらぎこちなさげに顔を逸らす運慶。
 彼にはエリオとキャロの自分に向ける感謝の言葉とその笑みが、眩しすぎたのである。

「では彼女も心配ない故に、お前たちも安心して任務に向かうが良いぞ」
「はい、本当に……本当にありがとうございます。運慶さん」
「フェイトさんのこと、よろしくお願いします」

 何度ももう良いと言っているのに頭を下げて言ってくる少年たちを、早く行けと見送りながら、やれやれと運慶は照れ臭げに頭を掻きながら、思わず笑みが零れ落ちてもいた。

「……我輩の脚本にありがとう、か………」

 そんな言葉を言われるのも満更悪くは無いものだな、そう思ってしまっている自分自身に運慶はまだ気付いていなかった。

 


「……とりあえず、これで暫くはフェイトさんも大丈夫だと思う」

 今まで何度か同じような状態で任務に赴いてはいた。だからこそ運慶を信頼しているその意味を含めても、殊更に後顧の憂いを抱かずに今は任務に集中すべきだ。
 集合場所であるこれから乗車するホールドのトレーラー、そこにキャロの手を引いて向かいながら出来るだけ手を繋ぐこの少女を安心させる為にエリオは微笑む。

「一緒に無事に戻ってきて、フェイトさんを安心させてあげよう」
「……うん、そうだね」

 エリオの言葉に同意するようにキャロは頷いた。そして、いつまでも彼に手を引かれて後ろで護られてばかりもいられないと、並んで一緒に戦うんだというように進んで歩く速度を上げてエリオの隣へと並ぶ。

「……キャロ?」
「エリオ君、……エリオ君はわたしがちゃんと護るから」

 今度こそ、あの時のようにはフリードのように二度と傷つけさせはしないとキャロは決意をしたようにそう言ってくる。
 だがそんなキャロの姿を見ながらも……否、尚更に見たからこそ、エリオ・モンディアルは男の子として燻っているものをそのままにはしておけない。

「大丈夫。ならキャロもフリードも、フェイトさんも……皆を護れるように僕も強くなるから」

 ぎゅっと離さぬ様にキャロの手をしっかりと握りながら、頬を赤く染めた照れ臭さも抜けきってはいないもののそれでも誓うようにエリオはそう告げた。
 護る……キャロをフェイトを、六課の仲間達を。
 皆を護って背負えるような男にならねばならぬのだと、あの日、無力だった自分に向けて誓ったのだ。
 クーガーに教えてもらった弱い自分の考えに反逆していくというその生き方を。
 だから――

「――行こう」
「うん」

 今は精一杯にこの道を信じて真っ直ぐに駆け抜ける。
 それが幼き槍騎士と竜召喚師が強くなる為に踏み出した始まりの一歩でもあった。

 


 ……夢を、夢を見ていました。
 夢の中のあの人は直ぐにも消え入りそうな感じで……優しく手で包んでも壊れそうな程で……
 ……ああ、誰か、誰か……誰か、あの人を――

 


「OH! じゃまじゃま!」

 何の前触れも無く橘あすかが経営している運送店、その事務室へとやってきたストレイト・クーガーはいきなりにそんな奇妙な言葉を口走ってくる。
 仕事をしていた橘もスバルも、そして直接にそれを言われた水守もまた反応に困ったように唖然とするしかなかった。

「これ今市街で流行ってるんですよ、つまらないですかさむいですか引きましたか痛かったですかぁ?」

 矢継ぎ早に見事に外したその挨拶を上機嫌で笑顔を浮かべて説明してくるクーガーではあるが、一応経営者である橘としても黙っているわけにもいかない。

「すいません、此処一応仕事場なんですけど」

 TPOを弁えていない来客に苦言を呈す橘だが、それにすら気にした様子も無いままクーガーは水守の元へと近付いていく。

「今度はもっといいのを仕込んできますね、みのりさん」
「“みもり”です!」
「ああ、流石に腹が据わっているだけあって返す言葉も手厳しい」

 いつものやり取りを平然と楽しげに繰り返すクーガーだが、水守の方はと言えば迷惑この上ないと言わんばかりの対応だ。
 流石に自分の言動を無視され、社員が迷惑を被っているこの状況に橘もまた割って入らぬわけにもいかない。

「無視しないでください!」
「ごめんねぇ、社長~」

 言葉とは裏腹にまったく反省した様子も無い。
 ホーリー隊員はそんなに暇じゃないだろうがと呆れながら、仕事をしろよと呆れたように溜め息を零す橘。
 丁度お茶汲みに動きかけていたスバルとしては、さてどうしたものかと戸惑いながらも苦笑を濃くする他にもなかった。

「あの、仕事中ですので」

 悪いが構っていられない、そうクーガーを追い払おうとする水守であったが、その程度の言葉で引き下がるような男なら、彼はとっくに水守へのアプローチなど諦めていただろう。

「やだなぁ、そんなに怒った顔しないでくださいよ」
「これは生まれつきです!」

 まったく気にした様子も無く構ってくることを諦めないクーガーの物言いに、ついつい水守としても厳しく怒鳴り返さざるを得ない。
 しかしクーガーはやはりマイペースも崩さぬまま、懐から何やら取り出す仕草を見せると共に、

「そんな貴女にプレゼント」

 そう言いながら水守の目の前の差し出されたのは一輪の花。
 思わず戸惑う水守の様子に、しめたものだと言った様子も顕に得意気な顔になるクーガー。

「本土のカレンダーだと今日は十月三日。つまり貴女の誕生日です」

 おめでとうございます、そうニッコリと笑いながらクーガーは水守へと花を差し出す。
 意中の女性への気配り、誕生日のチェックなど初歩の初歩、このストレイト・クーガーを舐めてもらっては困るとでもそれは言いたげな程に得意気だった。

「わぁ、綺麗な花ですね」

 水守の席へと近付いてきたスバルがクーガーのプレゼントを見て声を上げてそんなコメントを示す。
 水守としては何と言うか……反応に困る、としか言えなかった。

「だろう、ヒバル。これでも一時間も花屋で考えて選んだ一品なんだぜ」

 時間を何よりも尊び、物事を早く成し遂げることこそを至上命題にしている男が一時間も時間をかけて選んだのだと言ってくるその事実は水守も流石に唖然とした。
 ……しかし申し訳ないが、

「……でも、貴方から受け取る理由が……」

 クーガーの自分へと向けてきてくれる想いに関しては知っている。多少……というかそのテンションにかなり引いてはいるものの純粋に嬉しいと思わないわけでもない。
 だがやはり水守は己の想いが劉鳳へと向いていることを自覚している。だからこそ、申し訳ないが彼の想いには応えられない。

「……そうですか。この中にホーリーの最新情報が詰まっていても?」

 残念だぁと態度に示しながら、水守にもチラチラとアピールするように、花びらの中に挟まっているメモリースティックを見せる。
 それに水守が目を丸くして驚くのを見て、クーガーもここが攻め時と判断したように取っておいた情報をニヤリと笑みを浮かべながら口にしていく。

「昨日の情報にありました。治安の悪くなった山脈の向こう側に、最近滅法強いアルター使いが現れたらしいですよ」

 滅法強いアルター使い、その部分に水守は食いつくように身を乗り出してくる。。
 やはり彼女ならこの情報で誰を連想するかは……語るまでもないだろう。

「それって、まさか!?」
「そのまさかかもしれません。……受け取ってもらえますか?」

 そう言いながら水守の前へと恭しく花を差し出すクーガー。水守もまたありがとうございますと礼を告げながら今度は躊躇わずにその花を受け取った。
 いえいえと笑みを浮かべながらクーガーは、貴女のそんな嬉しげな様子が見れただけで結構ですよと満足気に頷く。

「……クーガーさんって、あれで良いんですかね?」
「さぁ。……正直、彼の考えてることなんて分かりませんよ」

 自ら己の恋路が遠ざかるようなことをしているクーガーを見て、スバルは不思議そうに橘へとそんな事を尋ねていたが、橘も橘でその様子に呆れたように肩を竦めているだけだった。
 本当に、ストレイト・クーガーは何を考えているのかよく分からない。それが二人の共通認識だった。

「……でも、こんな事ジグマール隊長に知れれば」

 明らかに規則違反の外部への情報漏洩。これまでクーガーはなのはと共に危ない橋を渡って手助けしてくれてきたが、今のような現状でそれを続けるのは彼にとっても立場を危うくする行為なのではないだろうか。

「その時はその時です」

 なるようになるさ、とでも言わんばかりの気楽な態度で、クーガーはそれこそまた早口で今度は自由とは何だの拒否権云々がどうだのと盛大に語り始める。
 流石にそんな話には付き合ってもいられない。慣れたものだとでも言った様子で橘が早速其処へ行ってみましょうと残る二人を促がしながら建物の外へと出て行く。
 長くなるのが分かりきっているのだ。聞いていてもそれこそ時間の無駄だし行動した方が良い。そんなテキパキとした徹底した橘のクーガーへのスルーっぷりに苦笑を浮かべながらスバルも二人の後へと続く。

「あ、クーガーさん。鍵はいつもの場所にお願いしますね」

 もはや日常、勝手知ったる何とやらとでも言わんばかりに慣れた口調で事務所を出ながらスバルは最後にそう頼んでおいた。
 そしてそのまま三人を乗せた車がエンジンをかけて動き始めた頃になって漸く、熱心に語っていたクーガーも肝心の聴衆が居なくなっている事に気付き、慌ててて事務所を飛び出す。

「あれ?……あーららー、みのりさぁぁぁあああん!」

 しかしクーガーが名を呼ぶ彼女は既に車に乗って行ってしまった後でしかない。
 その事実を噛み締めながらクーガーは呟いたのは、

「う~ん、敵に塩を送りすぎたか?」

 俺は馬鹿だと自らでも自覚しながら呟くストレイト・クーガー。
 はたして、彼の真摯な想いがみのりさんへと届く日は来るのだろうか……?

 

 再隆起現象によって市街と分断された向こう側。
 そこで行われている採掘作業という強制労働に従事させられた人々の中にとある少女の姿があった。
 由詑かなみ。カズマが護ろうとし、高町なのはがその願いを叶えようとしたあの少女だ。
 何故、少女がそのよう場でそんなことをしているのか。当然ながら理由はある。

 八ヶ月前のあの日、かなみは再隆起現象が発生したあの現場の直ぐ近くにて目を覚ました。
 傍には誰もいない。……愛しいカズマも自分を護ってくれたなのはも、誰もいなかった。
 変わり果てた大地の上で、再び独りぼっちになってしまった少女は、それでもカズマを探して歩き出した。
 カズマに逢いたい、その一心のみを支えに孤独な放浪の旅をかなみは続けたのだ。
 しかし、そんな儚い少女の願いも……この無情な大地の上では叶うべくもない遠いもの。
 再隆起が起こった場所を中心に各地をカズマを探して回っていた少女は、あっさりと荒廃した大地で勢力を取り戻した無法者どもに捕まることとなった。
 大地が再び隆起した山脈を境に、都市部とのライフラインが断線したここら一帯は治安維持組織HOLDの手すらも届かぬ無法地帯。
 ここぞとばかりにチャンスと判断したしぶとくも生き残っていた無法者たちは、この機会に放置され埋まったままの金目となる物を掘り出して一攫千金を狙い始めた。
 その為に暴力や巧妙な口車を駆使して各地より無理矢理集めてきた人々を劣悪な労働条件の中で奴隷のように働かせ始めたのだ。
 逆らう者には容赦の無い制裁が加えられ、誰もが暴力に怯え従う他になかった。連中のリーダーがネイティブアルターであったというのも大きいだろう。
 アルター……そう、この大地に再び未曾有の混乱を招きいれたソレを人々は恐れ、それ故に逆らえない。
 強者が弱者を虐げ、搾取する。……この場で行われている光景はまさにそんなものでしかなかった。


 そうして、来る日も来る日も容赦なく、由詑かなみもまた此処で働かされ続けていた。
 幼いその身には過酷過ぎる扱いを受け、それでもかなみの心が未だ折れていなかったのは、諦めていなかったのは、胸の中に一つの想いが残っていたからだ。

 ―――負けたくない。

 そう、負けたくない。こんな暴力を傘に好き放題やるような連中に、そんな事が罷り通っているこの現実に。
 負けたくはない。そう、夢の中の“あの人”がそうだったように。
 自分を助けてくれたあの白い魔法使いがそうであったように。
 夢すら見れなくなった過酷な現実の中で、それでも歯を食いしばるようにかなみはそれに耐えて諦めなかった。

 ……いつか、いつかカズくんにまた逢う為に。

 絶対にもう一度逢える、逢わせてくれるとあの魔法使いだって約束してくれた。
 だからそれを信じて、最後まで諦めずに信じぬく。
 だから耐える。決して屈さずに、心を折らせないように自らの力で抗い続ける。
 それが今、由詑かなみに唯一出来る精一杯の小さな反逆。


 ――しかし、やはり現実は何処までも無情で厳しい。

 精神的には精一杯に抗い続ける少女も、幼き肉体にはその限界というものがある。
 休みもままならぬ連日の過酷な労働は、少女の身体を疲労に蝕んでいたのは事実。
 採掘した重たい運搬物を運んでいた途中、遂に限界が来たようにかなみは身体から力を失い地面へと倒れこみかける。

 ――と、そこで地面にぶつかる寸前で彼女の体を優しく抱きとめる一つの手。

「……あ……すみ…ません………」

 疲労で朦朧としかけていた意識の中、たどたどしい言葉の中でそれでも親切にその助けてくれた相手へとかなみは礼を述べる。
 襤褸布に近いフードを目深に被って顔も分からぬ、しかし年若いだろうその人物は無言のままにかなみを親切に立たせてくれる。
 素顔の分からぬ相手の姿を見上げながらかなみがその人物に不思議と重ねた姿は、他ならぬカズマであった。
 この人は一体………?
 そんな疑問を抱きかけていたその時だった。突如その場へと響き渡る悲鳴。
 何事かとかなみをはじめとしたその場にいた者たち全員の視線がそちらへと向く。
 見れば、そこに倒れているおばさんに対して無法者が警棒を振り上げている姿があった。

「おら! 休んでんじゃねえぞババア!」

 そう言いながら警棒で何度も何度もおばさんを殴打する無法者。
 その光景にかなみは言葉を失っていた。
 何故ならその折檻を受けているおばさんは、かなみがこの採掘場に連れて来られて以来、ずっと自分に親切にしてくれていた、護ってくれていた恩人とも言って良い人物だったのだから。
 ずっと精神的に張り詰めながらも、それでも耐え切れずに涙を流した夜に優しく抱きしめてくれたことを憶えている。
 かなみにとってそのおばさんに対して行われている仕打ちは決して見捨ててはおけないものだった。

「やめてください!……誰か、誰か止めてあげて! あの人を助けて!」

 周りに懇願するように声を張り上げ呼びかけるも、皆それに対して罰が悪そうに申し訳なさ気に視線を逸らすだけだった。
 誰もが分かっているのだ。逆らえば今度は自分がやられる、と。
 そして恐れてもいる。振るわれる暴力に、その仕打ちに。抗う術など何一つもない事を。
 それは悔しいほどに明確にこの現状を証明している一つの答えだ。
 だがその現実に、だからといって納得が出来るわけがない。受け入れていいはずがない。
 そうだ、誰も助けてくれないというのならそれで黙って諦めるのか?
 そんなはずない。そんなことをしていいはずがない。
 “あの人”もなのはさんも、きっとそんな事は許さないはずだ。
 だからこそ――

「――やめてください!」

 動かない周囲の連中に見切りをつけて、かなみは自らおばさんを庇うように前へと飛び出した。

「あぁ!? またお前か……退け!」

 度々、かなみは同じように酷い暴力を受ける者達を庇うように前へと出ていたことがある。
 おばさんに暴力を振るっていた男もそれを覚えていたのか、かなみの姿に不機嫌に顔を歪めながら怒鳴りつける。

「嫌です!」

 しかし、かなみは退かない。退いて堪るか。この人を護るんだという決意があった。
 だが少女のそんな高潔な姿に胸打たれるほど殊勝なはずもないのが人々を奴隷のように扱っているこの無法者たちだ。
 むしろその生意気な反抗は彼らにとって制裁の対象でしかない。
 故に―――

「分かったよ……好きにしろやぁ!」

 纏めて痛めつける、そんな態度も顕に男が警棒を振り上げたその瞬間だった。

 ――靴音を鳴らして先程のかなみを助けた男が近付いて来たのは。


「おい、待ちな兄ちゃん。勝手なことされっとこっちが困るんだよ」

 かなみたちを助ける為に近付いてきたと察したのだろう、男の仲間がその前方を遮るように出てきて威圧的な態度を示す。
 暴力でこの場を支配していた無法者たちも、そしてかなみをはじめとした全員の視線もまたそのフードの男へと一心に注がれていた。
 だが皆の注目を集めるその中ですら、フードの男は無言。

「あぁ!? なに黙ってんだよッ!?」
「つーか、面ァ見せろよッ!?」

 男の態度が気に入らないと言った様子で無法者たちは荒々しく男のフードを剥ぎ取る。
 顕となったその顔は―――

「―――え?」

 それに誰よりも驚いていたのは他ならぬ由詑かなみであった。
 何せその人物の顔を彼女は知っていたのだから。

「あの人は………」

 その男は確か、なのは達にこう呼ばれていた。

 ―――劉鳳。

 そう、あの日、自分の前に現れて自分とカズマの家を破壊したはずのホーリー隊員だった。

 

「……その人たちを、許してあげてください」

 無表情のままに、ポツリと呟くに静かにその男――劉鳳は眼前の己を威嚇してきている男たちへとそう告げた。

「あぁ!? 今なんつった!?」
「その人たちを、許してあげてください」

 聞こえねえよと怒鳴り返してくる相手に、今度は聞こえるように声量を上げたハッキリとした声で劉鳳は再びその言葉を告げた。
 しかし、だからといってそれを聞き入れるはずが連中にないのは傍から見ても分かりきっていたこと。

「そんな敬語で頼まれたって、聞けねえなぁ」
「何故ですか?」

 酷く真面目に問い返してくる劉鳳の態度に苛立ったように連中の一人が胸倉を掴み上げながら怒鳴ってくる。

「んなことも分からねえのかぁ!? このクズが!」

 罵声を向けられて尚、それでも劉鳳は悲しげな顔こそ浮かべはするものの、怯えや動じた様子も見せない。
 ただ……

「その人たちを――」
「オウムかテメエは!?」

 繰り返し示す懇願を連中は問答無用の怒鳴り声で掻き消す。
 ここまでしつこく食い下がってくる輩など今までいなかったのだろう、いい加減に我慢も出来ないといった様子に劉鳳を不快気に厳しく睨みつけていく。
 しかしそれでも尚、根気強くも説得を止めようとはしない。

「……その人たちは、嫌がっています。貴方達が嫌がらせています」

 だからやめてあげてください、などと根が真面目な子供の様な言い分にそれこそ連中は「はぁ?」と訳も分からないといった小馬鹿にした態度を露骨に見せながら、まるで当然のような素振りで説明し始める。

「こいつらは俺らが護ってやってるんだよ」
「その代わりに労働してもらうってわけ」
「どうだ? 見事なギブ&テイクの関係だろう?」

 分かりましたかぁ、と嘲笑うようなニヤついた言葉を締めに、男はその警棒を宙へと掲げ――

「だからよぉ―――文句を言われる筋合いはねえってわけだ!」

 そう叫びながら問答無用で劉鳳を黙らせるように力任せに振り下ろしてくる。
 それを劉鳳は―――


 ―――掲げた人差し指と中指、その二本でアッサリと受け止める。


「………それが、お前たちの理屈か?」

 先程までの物静かな様子は鳴りを潜めたように、一変した静かでありながらも滾る思いを爆発させるような鋭い口調で劉鳳は問い返す。
 突然の相手の反抗に男たちの間に動揺が広がっていく。

「その理屈で俺の道理は覆せない」

 ハッキリとそう告げた劉鳳を警戒しながらも睨みつけ、声を荒げながら連中は次々に周りを取り囲むようにやって来て身構える。

 受け止めた右手とは逆の左手で相手の手首をしっかりと固めて警棒を奪い取りながら劉鳳は男たちへと宣戦布告のようにそう告げた。

「俺には分かる。俺の中にある何かが、お前たちを“悪”だと確信させる。
 ……ああ、そうだ。お前たちは―――」

 そうして奪い取った警棒を、未だかなみへと警棒を向けていた男の警棒を握る手首を目掛けて投げつける。

「―――悪だ!」


 咄嗟におばさんの手を引きながらその場から離れるかなみ。
 物陰から覗き見るように殺気を滾らせている連中に取り囲まれた劉鳳を心配気に見やっていた。
 しかしかなみのその視線とは裏腹に、周りを大人数に囲まれながらも当人はまったく怯えや恐れなど微塵も見せず、

「悪は処断されねばならない。罪は処断されなければならない」

 自らの信ずる正義を遂行すると言った様子で、周りの連中へとハッキリとそう告げる。

「ほぉ、やってみろよ!?」
「ああ、やってやろう」

 罵声を上げながら警棒で殴りかかってきた相手に劉鳳は瞬時に反応、高々に真上へと跳躍し回避した後、そいつを踏みつけ無力化され素早く疾走。手近にいた男へと掌低を繰り出して叩き飛ばす。
 周りで心配気に見守っていた連中もまた劉鳳の快進撃に思わず感嘆の声を上げる中で、肘打ち、蹴撃と次々と繰り出す打撃の数々で周りの男を薙ぎ倒していく。
 単純に、鍛え方と動きのレベルが違う。並大抵ではない修練を積んできた鍛え上げた格闘術を駆使する劉鳳と、数と武器任せの喧嘩自慢が精々のゴロツキでは力の差は明白。
 劉鳳がかかってきた連中の全てを制圧しきるまで、そう大層な時間はかかりもしなかった。


「大丈夫ですか?」

 叩き伏せた連中になど一瞥すらも向けることなく、劉鳳はゴロツキの制圧が終わると共にかなみたちの元まで近付いて来ると共に心配気にそう尋ねかけてきていた。
 先の圧倒的な強さもそうだったが、そのこちらを気遣ってくる優しさはあの日、容赦もない苛烈な脅しを向けてきた人物と同じ人間なのかと正直戸惑いすらも抱く。
 だがそれ以上に……

(この人……この人なら、カズくんのことを……)

 あの日、尋常ならざる様子でカズマを探していたその事から察しても、行方知れずの彼の事を何か知っているのでは、そう淡い期待をかなみは思わず抱いていた。
 しかしその時――

「おい、アンタ! 早く逃げろ!」
「こいつらを幾ら倒そうが意味なんてない。こいつらのリーダーはアルター使いなんだ」

 いくらアンタが強くてもアルター使いには勝てない、だから早く逃げろと勇敢な青年が恐ろしい目に合わされぬようせめて逃がそうと傍観していた人々が劉鳳を促がす。
 だが、それもまた既に手遅れ。

「その通りだ!」

 傲岸な態度で居丈高に靴音を鳴らしながら現れた一人の男。
 件の連中のリーダー……アルター使いを確認したことに人々の間に動揺と悲鳴が上がる。

「おうおう、やってくれたなぁ。泣けてくるぜぇ」

 周りを見回し手下がやられている様子をそんな風に評するドレッド頭。指先に絡めた知恵の輪をくるくると回しながらこの惨状の下手人――劉鳳を見ながら男は告げる。

「……まぁ、こんな奴らでも一応は部下なんでねぇ。俺の目的を達成するにはリーダーっぽいこともしなきゃならねえのよ」

 故にこその制裁。小生意気な反逆者を問答無用の力で押し潰す。
 そう宣言するかのように男――ドレッド・レッドと呼ばれる彼は叫び上げると同時に自身の身体より虹色の粒子を展開。
 呼応するかのように周囲の岩などが次々に破壊……否、分解されていく。

 アルター。物質を分解・再変換するロストグラウンドで生まれる新生児にしか備わっていない特殊能力。
 選ばれた者にだけ与えられる圧倒的な暴力。
 逃げ出す人間たちを嘲笑うように、見せ付けるように展開するのはタコに酷似した異形。
 ディレイ・オクトパス。ドレッド・レッドの誇る具現型のアルターである。

「アルター使いに勝てる奴なんていないんだよ。……テメエの知恵のなさを思い知れ!」

 叫びと同時、叩き込むように迫り来る無数の触手。叩き込まれてくるタコの足めいたそれを瞬時に見切りながら回避し続ける劉鳳であったが、それもジリ貧。
 鋭く地面を穿つソレは、生身の劉鳳が直撃を受ければ容赦なく串刺しとなるだろう。
 そして圧倒的な相手のリーチは猛攻とも合わさって無手の劉鳳では近付く余裕すらない。

 ……ならば何故、彼は自分も持っているはずの己のアルターを使わないのか?

 実を言えば劉鳳にはそんな思考すらも抱いていない。
 否、むしろ知らない。そう、彼は己がアルター使いだという事実すらも忘れてしまっている。
 記憶喪失。先のカズマたちとの激突の末に起こった何がしかを原因にそれに陥った劉鳳には、だからこそ無手以外の道がないのだ。
 しかし繰り出される猛攻の中では、それでは防戦一方にならざるを得ないのも事実であり、

「おっと、そっちに逃げるのは許せないねぇ。俺の大事な収入源なんだからよ!」

 劉鳳が相手の猛攻を躱しながら下がった方向、そこが発掘していた金目の物が残っている場所だと判断したドレッド・レッドは戦法を変える。
 叩き込んでいたタコの足を引っ込めたかとも思えば、その先端を劉鳳へ目掛けて開く。

「だから―――止まりな!」

 瞬間、まるでタコが吐き出す墨のような黒色で粘性のソレが一斉に劉鳳を目掛けて発射された。
 飛んで躱す劉鳳だったが数が多すぎた。その内の一つに直撃すると共に身動きを奪われ、そのままビルの壁面へと叩きつけられる。
 その衝撃と威力に息を吐く劉鳳だが、それでも毅然と相手を睨み据える眼光の鋭さは衰えない。
 その様子を見てドレッド・レッドは鼻を鳴らして嘲笑いながら、見下すような素振りを持って劉鳳へと言葉を投げかける。

「さあ、お前に知恵があるってんなら、俺に勝てないことは充分に分かっただろう? 助かる術は一つだ。謝った上で俺の部下となること……尤も、その前に歓迎は受けてもらうがなぁ」

 サディスティックな笑みを浮かべながらディレイ・オクトパスの上から見下ろし告げるドレッドの言葉に、劉鳳は歯噛みと共に睨み返す。
 墨に締め付けられる激痛に呻きながら、それでも己の内に確かにある誇りと信念は決して手放さない。

「早く答えろ!」

 劉鳳のそんな態度が気に入らないと言った様子で、まるで業を煮やしたように身動きの出来ない劉鳳に追加で触手を叩き込んでいくドレッド。
 拷問紛いのその行いを受けて尚、それでも劉鳳の中の意志は折れない。

「どうしたどうした! すいませんでした! 私が馬鹿でした!……って早く叫んでみろよぉ!」

 醜悪な外道の下劣な暴力。
 それらを叩き込まれて尚、沸きあがる怒りは増せども恐れなど抱かない。
 やはり、眼前の男は悪。
 己の理屈だけで暴力を振るって他者を屈服させる、そんな最低の――

 

『……これが、こんなやり方が……君たちの言う正義なの?』
『……何も知らないものが、俺たちの正義を批判するのか。……そもそも、ならば貴様たちに正義はあるのか?』
『……少なくとも、大義を盾に弱者を虐げるような正義なら私たちは持ってないよ』

 

「―――ッ!?」

 ……何だ、今のは?
 一瞬、フラッシュバックのように駆け抜けた何かの光景。その会話。
 あれは自分と……そして、彼女は誰だ?
 分からない。痛む頭がそれを思い出すことを求めているのか拒絶しているのか。
 どちらにしろ身体に現在進行形で打ち込まれている痛み以上にそれは劉鳳の傷を抉ってくるかのようだった。
 思い出したいはずなのに、思い出せない。その苛立ちは外的ストレスと合わさって劉鳳の怒りに拍車を掛ける。
 ……違う、俺はこんな外道とは違う。
 ただ護ろうとしているだけだ。あの少女を、女性を、理不尽な暴力に怯えている彼らを。
 そしてそんな彼らを今尚、傷つけようとしているこの眼前の男がだから許せない。

『……君は、本当に高潔で純粋だね』

 真っ直ぐだ、何故かそれを讃えるように微笑んでくる若い女の姿が眼前に現れる。
 先程脳裏に走った己と対峙していた人物と寸分違わぬその姿。
 驚きと同時に何者なのかと劉鳳が問うよりも先にその女はこちらを見据え、

『劉鳳君……かなみちゃんの事、護ってあげて』

 そう頼み込むように言葉を投げかけ頭を下げられる。
 意味が分からずに戸惑いを抱くよりも早く、女は自分の眼前から消えていこうとする。

「待ッ―――!?」

 思わず手を伸ばそうとするが拘束されていて動けない。
 そして見計らったように叩き込まれてくる触手の衝撃。
 女の姿が消えていく。呼びかけようにも拘束が邪魔で動けず、外野が鬱陶しい。
 ……ああ、だからお前は邪魔だ。引っ込んでろ!

「……この……ッ……毒虫がッ!」

 瞬間、叩き込むように眼前まで迫ってきていた触手が急停止。
 それどころか劉鳳を拘束している墨もろとも、瞬時に分解されていく。
 誰もが突然のその現象に目を疑い、驚愕を顕にする。
 だがそんな中で一人颯爽と動き出したのが劉鳳。
 とりあえず眼前の好き放題やってくれて邪魔なドレッドをまずは沈黙させるべく彼はビルの壁面より跳躍してオクトパスの上にいる相手目掛けて飛び込んでいく。

「な、何で動けるんだよ!?」

 その事実に慌てふためきながらも咄嗟に迎撃するように残った全触手を一斉に向かってくる劉鳳目掛けて叩き込んでいく。
 眼前に迫ってくる巨大な剣山めいたソレにすら劉鳳は臆することもなく突っ込む。
 串刺しにせんと迫る触手は、しかし劉鳳が前方に掲げた手に触れると共に先程と同じように瞬時に分解されていく。
 驚愕の声を上げて追撃しようとするドレッドだったが……既に、遅い。

 劉鳳は見事にドレッドの眼前に着地、同時に伸ばした手で逃がさぬように相手の顔を鷲掴みにする。

「て……テメエ、何者だ……?」
「さぁな。それを必死に思い出そうとしている最中だ」

 だから―――

「姑息な卑劣漢は話の邪魔だ―――引っ込んでいろ!」

 叫びと同時、もう一方の空いた拳でトドメとばかりに鳩尾へと一撃を叩き込む。
 それが決着だった。意識を断たれたドレッド・レッドは簡単に戦闘続行不可能。
 使役者の意識の断絶によって維持できなくなったアルターはそのまま分解していった。

「ば、馬鹿な……」
「へ、ヘッドがやられた!」

 その様子を見ていたドレッドの手下たちは、頭を失った烏合の衆よろしくに慌てふためきながら我先にと逃げ出していった。
 彼らに虐げられた人々もまた、その眼前で起こっていた信じられない展開にただ呆然としている他になかった。

 

 相手を倒したこと、事実はどうあれそれ自体は劉鳳にとってはどうでもよかった。
 とりあえず鬱陶しくて邪魔だった相手を黙らせたことを確認した劉鳳は、直ぐに周囲へと慌ただしくその視線を動かしながら先の若い女の姿を探す。
 だが………

「……居ない、か」

 やはり幻だったのか、その事実に大きな落胆を込めた呟きを漏らしながら、劉鳳は黄昏の空を見上げた。
 ……彼女は何者で、そして俺はいったい誰なんだ?
 知りたくても分からない、答えとなる手掛かりを失った彼は失意も顕に呆然と見上げた空を見続けていたその時だった。

「あ、あの!」

 意を決したように投げかけられた言葉に気付き、劉鳳は背後を振り返った。
 そこに居たのは先程自分が助けようとしていたあの少女だ。
 少女は恐る恐ると言った様子で、若干躊躇いと怯えを見せてはいたものの、それでもそれを超えて尚も抱く想いがあると言わんばかりの態度で尋ねてくる。

「……あの、あなたは……カズくんを……それに、なのはさんを……」
「……カズくん? なのはさん?」

 どこか頭の隅に引っかかるその名を鸚鵡返しのように問い返す劉鳳に、少女は頷きながら告げた。

「はい、カズくんとなのはさんです。……名前はカズマ。“シェルブリット”のカズマ。それから高町なのは」
「……カズ……マ……高…町………ッ!?」

 少女が告げる名を自らでも口ずさむように呟いたその瞬間だった。
 脳裏に走った激痛と、ソレと共に駆け抜けてくる映像。

 

『今日はつくづく俺がぶちのめしたいと思った奴の方から沸いて来やがる』

 そう叫び上げる怒りも顕に猛る獣。
 燃え上がる気性も、猛々しいその姿も、この目に焼きついて離れない自分へと刻まされたもの。

『………上等だ! 来いよ、纏めてテメエら叩き潰してやる!』


『悲しいのは分かるけど、こんなことやっても何の解決にもならないことは分かってるでしょ? 今は争うよりお互い付いていなくちゃいけない人のところに戻るのが大事なはずじゃないの?』

 そう滲み出る怒りを抑えるよう諭すように言ってくる白い魔法使い。
 勇ましい気性も、こちらを必死に止めようとしてくるその姿も、この目に焼きついて離れない自らで刻んだもの。

『……ねぇ、私の言ってることそんなにも間違ってる?』

 

「カズマ………高町………」

 呆然と、痛む頭を押さえ込みながら何度もその名前を呟いていく劉鳳。
 あの炎のような二人、荒々しく猛る炎と静かに激しく燃え上がる炎のようなあの二人。
 知っている……ああ、俺はあいつらを知っているはずだ。
 だが思い出せない。もう少し、後数歩というところのはずなのに思い出すことが出来ない。

「俺は……俺は……ッ!?」

 頭を押さえ膝をついた劉鳳に慌てたようにかなみが近づいて来て大丈夫ですかと必死に呼びかけてきている。
 それを朧とした意識の中で聞きながら、劉鳳が思い出していたのは先の幻の女の言葉。

『劉鳳君……かなみちゃんの事、護ってあげて』

 あれは……あの女が高町なのはか?
 何故、あんなことを彼女は言ってきたのか、そもそも彼女は何者なのか。
 だがどちらにしろ、その答えはその言葉の中にあるはずだと劉鳳は考えてもいた。
 だから―――

「……あなたの、名前は?」

 不意にそんなことを訊いてきたこちらに驚いたような顔をしながらも、しかし少女は若干戸惑いは見せはしたがやがて決心したように頷くと共に告げてきた。

「かなみ……由詑かなみ、です」

 ……やはりそうか、と劉鳳は頷く。
 何となくではあったが、聞く前から少女の名前がそうだという不思議な確信が劉鳳にはあった。
 だからこそ、そうだというのなら構わない。
 高町なのは、貴女が何者で俺について何を知っているのかは分からない。気になりもするが……今はいい。
 今は、貴女が託したその願い……俺が叶えよう。
 きっとその先に、俺が俺を取り戻せる答えも待っているはずだから。
 故に―――

「―――貴女を、護らせてください」

 しっかりと、けれど優しく由詑かなみの手を握り返しながら決意を込めて、劉鳳は少女へとその誓いの言葉を投げかけていた。

 


 橘あすかが運転する車の中で外の荒野を見ながら、ふとスバル・ナカジマが思い返していたのは君島邦彦のことだった。
 こんな夕焼けに染まった黄昏時の別れが、彼と顔を合わして言葉を交わした最後でもあった。
 あの日、スバルは君島の芝居に付き合い、嘘を吐き、そして『生きた証』を背負った。
 なのはに告げたあの涙の誓いに偽りは無いし、それをこれからも貫き続ける意志もある。
 きっとなのはや君島もまた自分のことを見守っていてくれていると思ったからだ。
 だがそう思う一方で、きっと二人が見守っている別の人物の事を考えれば複雑な想いすらも抱かずにはいられない。

『……ヒバル、お前はカズヤの事が憎いか?』

 クーガーからなのはの墓前で問われたその言葉、結局それに自分は分からないと答えた。
 彼と……そして眠っているなのはを前に嘘は吐きたくなかったから正直な言葉を言った心算ではあった。
 しかし、そんな自分の返答にクーガーは次に彼と向かい合う時には決めておけと言ってきた。
 その意味は分かる。仮にも役者不足を承知の上でなのはの後を継ごうと言うのだ、ならばいつまでも迷ったままではいられないのは当然のことだ。

 “シェルブリット”のカズマ。

 面識は二度ほどあれど、君島を通じて以外にはまともな会話すらも結局は交わしてもいないあの相手。
 君島が並び立つ為に命を懸けた相棒であり。
 なのはが命を懸けて悲しみから救おうとした相手。

 ……彼を、自分は赦すことが出来るのだろうか?

 分からない。今までずっと考え続けてきたことだが、未だに答えは出てくれない。
 罪を憎んで人を憎まず、君島やなのはがそう願っていると思う以上は、自分もまたそうやって割り切らなければならないのは分かっている。
 ……けれど、これは理屈ではないのだ。
 自分たちからカズマがなのはを奪ったというその事実。
 そこを思い出してしまえば、どうしても拳を固く握らずにもいられない。
 そんな自分を情けなく弱いと思うのと同時に、そんな自分ではいけないのだとも言い聞かせる。
 だというのに……

(……ごめんなさい。なのはさん、君島さん)

 もしあたしがあの人を赦せないって言ったら、やっぱり怒っちゃいますよね?


 けれど、やはりどうしてもそんな激情を抑えきれない。
 だからこそ、まだ彼とは出来れば…………逢いたくない。

 


 コツコツと階段を下りてくる足音に気付いたファニはハッとなって凭れていたその壁から通路の真ん中へと戻った。

「……あの、またですか?」

 この所、そう間も空けずに行われている呼び出しに、若干心配気になりながらもそう思わず尋ねてしまっていた。
 しかしそんな少年の言葉などまるで気にとめた様子もなく、その迎えにやって来たスキンヘッドの大男は鼻を鳴らしながら、ファニに一瞥をくれてやると共に告げるだけ。

「鍵を開けろ」

 その言葉に若干怯えながら、逆らえるはずも無く言われた通りに少年は鉄扉にかけられていたロックを外した。
 分厚い鉄扉が開いていくそれを確認しながら、スキンヘッドはその開いた扉の部屋の中へと荒々しい声と共にいつも通りの指示を飛ばす。

「仕事だ、出ろ」

 スキンヘッドの横からファニもまた覗きこむようにその部屋の中……赤い常夜灯に照らされたその空間の奥へと視線を向ける。

「此処から出ろと言っている! 聞こえないのか!?」

 一度の投げかけで寝台に座ったまま動こうとしないその人物を急かす様に、語調を強くして促がすスキンヘッド。
 その言葉が密閉された空間に響くことに煩わしげに顔を顰めながら、その人物はやれやれと言った億劫な態度も顕に、壁に手をつけて支えながら立ち上がる。

「……聞こえてるよ」

 それは静かな、けれど何処となく身に秘めた野生を隠しているかのような、獰猛な呟きだ。
 まるでこの空間そのものが猛獣を閉じ込める檻の様なものだと言われても、或いはその人物を見たならば信じられただろう。
 事実、そこにいたのは一匹の獣。

「……ああ、聞こえてる」

 ―――かつて“シェルブリット”のカズマと呼ばれた獣だった。

 

次回予告

第10話 スバル・ナカジマ

行き場を失ったカズマの前に現れる、桐生水守と橘あすか。
そして、スバル・ナカジマ。
背負う者を失った獣を前に、かつて獣を止めた女の弟子は何を思い、何を為すか。
邂逅を凌駕する再会は、流転する運命の中で
その二つの拳に一体何を掴ませるのか?
少女と獣、二つの拳が再び……交わる!

 

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