「妄言」と「推測」の境目ってどこから?

「妄言」と「推測」の境目ってどこから?

叩き合いにおいて優勢に立つために最もよく使われる手段の一つとして「相手の妄言を突く」ってのがあります。
特に俺の周りでは俺やカエンがそうだからかそういう風潮があるよね。
けどここで疑問視されるのが「妄言」と「推測」の境目がどこか、っていうことね。
一応確認だけども「妄言」と「推測」の意味はそれぞれ

  • 妄言:道理に合わないでたらめなことば。
  • 推測:得られた情報・知識に基づいて、物事の性質・状態・なりゆきなどをおしはかること。またそのようにして得たもの。

これね。
「道理」っていうのは「物事のそうあるべき筋道。ことわり」って意味ね。
つまり「妄言」ってのは「物事のそうあるべき筋道に合わないでたらめなことば」ってこと。

ここまでは取り敢えず意味を把握しておいてもらって、次は例を用いて解説します。
次の2つの例文を見てね。  

A「俺計算速いんだー」 B「へえ、じゃあ君は数学が苦手なんだね」 (例①)

A「俺計算速いんだー」 C「へえ、じゃあ君は数学が得意なのかー」 (例②)


例①でも例②でもAの「俺計算速いんだー」という発言に基づいて、Bは「数学が苦手」と言って、Cは「数学が得意」と言っているわけね。
これって両方ともさっき書いた「推測」の意味にあてはまるよね?
何故なら、「俺計算速いんだー」という発言(得られた情報)に基づいて、BはAが数学が苦手だと推し量っているし、CはAが数学が得意だと推し量っているからね。
だけどBの「推測」は明らかに道理に合っていない。
Aが自分のことを「計算速い」と言っているのにそれに対してBはAが「数学が苦手」と推測しているんだから。
つまりこの時点で例①のBの発言は「推測」であると同時に「妄言」でもあるわけね。同時に言ってももう「妄言」の要素含んじゃってるから「妄言」でいいんだけどねw
けど例①におけるこの後における展開でもしもAが 「そうなんだよー、俺計算速いけど速いだけで式が立てられないから数学は本当に苦手なんだよー」 とか言ったらどう?
Bの発言は「妄言」になるのか?
俺は「妄言」になると思う。
何故かっていうと、この場合会話の流れとしては

A「俺計算速いんだー」
B「へえ、じゃあ君は数学が苦手なんだね」
A「そうなんだよー、俺計算速いけど速いだけで式が立てられないから数学は本当に苦手なんだよ」

じゃん。 最後のAの発言に関わらず、Bの発言は「道理に合わないでたらめなことば」には変わりなくない? だから「妄言」だと言える。
けどこの流れでBの「妄言」を叩くことができるかって言えばなかなか叩くのは難しいとは思う。

と、ここまで読めばわかったと思うけど、基本的に「妄言」っていうのは「推測」の中の「妄言」ってことなんだよね。
ただ「推測」するにあたって根拠とした「得られた情報・知識」に対して、その「推測」が道理に合っているかそうでないか、それで「妄言」かどうか決まるってことね。

そこで重要になってくるのが「推測が道理に合うか合わないかの判断」 これね。
結局はここの判断で「妄言」かそうじゃないかが決まるってわけ。
んじゃそれはどうやって判断するのっていう、そこが難しいからこうして長々とこんなお話を今書いてるわけね。
結局この話だけに限らずだけど、叩き合いしてある事柄についての正当性を追究していくとほとんど必ずどっかで「だって普通に考えたらそうじゃん」っていうとこに来るのね。
今回の「推測が道理に合うか合わないかの判断」も「だって普通に考えたらそうじゃん」にたどり着きます。
言い換えるなら「常識で考えたらそうじゃん」ね。
例①、例②を用いて言うなら
Aは計算速いんだからAが数学が得意だと推測するのは自然(普通)のことで、苦手だと推測するのは自然(普通)に考えておかしいでしょ。ってことね。
つまり「推測が道理に合うか合わないかの判断」は常識任せの判断になってしまうわけ。
なので常識のない奴と常識のある奴がある推測について道理に合うか合わないかを言い争うとまあ水掛け論(お互いが自分の主張をまげず、決着がつかないまま続く議論)になって常識のある人の方がイラつく展開になるかな。
まあ一番楽なのは中立的な立場の複数の第三者に判断してもらうことだよね。それもちゃんと叩き合いについての勝敗を判断できる知識量や常識を持っている人物ね。
てかこれってこの話に限らず叩き合いの勝敗とかもこれでいけそうだけどもw←
けど中立的な複数の第三者の判断のもと叩き合いすることとかほぼないからこれはまぁ現実的ではないだろう。

結論としては

ある推測について、それが道理に合えばただの推測。道理に合わなければ妄言。ただしそれを判断するにあたって明確に線引きをしようとしたりすることは極めて困難。

って感じかな。
けど思うのは、ある程度以上に常識がある奴同士の叩き合いなら「妄言」かそうでないのかで困ることってそんなにないと思うんだよね。
常識で考えてそうであることをそうでないっていうのはよほどレベルの低いバカか、よほどの負けず嫌いくらいだと思うよ。俺の今までの経験上ね。
ある程度以上のレベルの喧嘩師なら常識で考えてそうであることをそうでないっていうこと自体恥ずかしい行為だからしないと思うし。
まぁある種その人物の常識やモラルが問われると言ってもいいかもしれない。

俺の見解はそんな感じ。
最終更新:2012年04月18日 19:27