這いずるように少年は一歩一歩確実に、獣の元へ向かっていく。
千帆は不安そうに、彼より一歩下がったところで少年を見守り、時に腕を伸ばしてはひっこめるを繰り返していた。
早人を助けるべきか否か、止めるべきか黙って見守ればいいのか。彼女にはわからなかった。

早人の額に浮かんだ脂汗が、ピカピカに磨かれたフロアにこぼれ落ちる。
青を通り越し真っ白な顔で、少年は手が届く距離まで鼠に近づくと、そこで力尽きたかのように座り込んだ。
慌てて千帆は早人を助け起こす。ぜぇぜぇ……と整わない呼吸を繰り返し、彼は一息つくと、手に持つ武器を獣へ向けた。
いつの間にか明るくなり始めた東の空を、その真黒なピストルが映し出していた。少年は目を細め、一瞬だけその光景に目を奪われた。

千帆は湧き上がる感情をグッとこらえ、零れ落ちそうになった涙をなんとか止めた。早人が泣いていないのに自分なんかが泣いていてはいけない、そう思ったから。
膝の上で少年を抱え、早人が銃を構えるのを彼女はただひたすら見守った。
弱弱しく震える獣は見るに堪えぬ痛々しさだ。だがこのネズミは人を二人も殺し、そして今、早人をも殺しかけているのだ。

一思いに終わらせてあげて。或いは、気の済むまで早人君の好きなようにしたほうがいい。
一体どちらの言葉が真実なのか。こんな時にどんな言葉をかければいいというのだろうか。
どんな気の利いた台詞も、心をこめた言葉も、空回りしてしまう。心を滑って、中途半端に浮かんでしまう。
言葉を選ぶことが唯一できることだというのに、自分は一体なんと無力な事だろう。
千帆は湧き上がった幾多もの感情を飲み込んで、同時に再度せりあがった涙を根性で押し込んだ。
見守らねばならない、早人の雄姿を。見届けねばいけない、自分のした行為の結末を。
岸辺露伴の言葉が千帆の心を揺さぶり、彼女は涙をぬぐうと今度は胸を張って、凛と姿勢を正した。

早人の腕が震える。もはや銃を持つのも、腕を上げることすら辛そうだ。
滝のように流れ出た脂汗が掌にも広がっている。拭っても拭っても、銃のグリップがぬめり、手のひらを滑っていく。
早人も自身がながくない事をわかっている。だからこそ、最期の決着は自分自身で。終幕は自分で締めてこそ、そういった思いが彼を突き動かす。

だがそれでも、その小さな身体には容赦なく限界が訪れていた。こればかりは誤魔化しようがなかった。
やっとこさで持ち上げた銃口、その向きが安定しない。小さな鼠の身体を前に、震える手が狙いを定めさせてくれない。
そうしているうちに痙攣はさらに振り幅を大きくしていく。
気持ちとは裏腹に、身体が言うことを聞いてくれない。視界も段々狭まってきている様だった。
ここまでか……、せっかくプロシュートの助けを借りたというのに……ッ それでも僕は、決着をつけられずに……ッ

「早人君……」

銃を握る掌がぽかぽかした暖かさに包まれた。
ほっとするような柔らかみに、落ちかけた瞼を強引にこじ開ける。見ると、千帆のほっそりとした手が自らの手を覆うように添えられていた。
手を重ね、共に銃を握る。滑り落としそうになっても、千帆が支えてくれる。離しそこなっても、千帆が受け止めてくれる。
思えば、左腕を失ってからずっとそうしてもらっていたはずだ。けれども早人は今ようやく気がついた。
どれだけ自分が彼女に助けられ、また、どれだけ彼女が自分のことを気遣ってくれていたか。
少し気づくのが遅すぎたかな、そう考えて早人はひっそりと笑った。

拳銃を持ち上げる。もう手は震えていなかった。瀕死の鼠が懇願するような目でこちらを見つめている。
大丈夫、僕ももうすぐそっち側だ。意志が伝わるかどうかはわからないが、少年は弱弱しく笑いかける。
ひょっとすると鼠からしたら止めを刺す前の残忍な笑顔に見えるのかもしれないな。なんだかそう思うと可笑しかった。

自分が死にかけているのは彼女のせいだ。湧き出るように心に響く恨み節。仄暗い声に早人はイエスと返した。
そうだ、確かに千帆がいなければ自分は死なずにすんだ。鼠が仕掛けた罠に、先に気がついたのも自分のほうだ。
彼女を庇う必要がなければ針を避けることもできたし、そもそも病院にも来ていないかもしれない。
そう考えると、確かにそうだ。千帆は間違いなく、早人の死に対して責任がある。それは動かすことのできない、れっきとした事実であった。

「それが……どうしたッ」

そうだ、だからなんだというんだ。早人はその事に後悔はない。千帆と共に行動したことを悔やむことは一切ない。
この舞台で千帆に会った時、彼自身が言ったはずではないか。足手纏いなんだ、お姉ちゃんは。お姉ちゃんは甘すぎるんだよ、と。

だがその甘すぎる少女がついてきたとき、それを許したのは誰だ? 早人だ。
お節介で、世間知らずの少女があちこち首を突ッこんだ時、何も言わなかったのは誰だ? 早人だ。

力ない、渇いた笑い声が漏れた。ああ、そうだ。早人がこんなにも千帆のことを嫌っていたのは同族嫌悪ゆえの事。
結局のところ、自分だって非情に徹しきれなかった。殺し合いだなんて極限状態で虚勢を張って、母親を守ろうと背伸びしてきた。
それなのに千帆といったら、マイペースで、図々しくて、怖いもの知らずで……―――

「まったく、弱っちゃうよ……」

自分が否定し、なんとか目を逸らしてきたことを堂々と恥じることなく。
彼女はこの舞台の上でもあるがままの自然体で、生きている。
嫉妬にも似た感情なのかもしれない。自分は母親を守ろうと躍起にもなっているのに、千帆は自然体で、感情的で、我慢知らずで。
強がっている自分が馬鹿みたいじゃないか。力んでいることがアホみたいに思えるじゃないか。
だから早人は千帆にどなったり、苛立ったり、噛みついたりしたのだ。
あるがままの、子供のままでいられる彼女が、早人は羨ましかったのだ。彼は夢見る少年であるには、いささか修羅場を潜り抜けすぎていた。

「大丈夫、怖くないから…………」

マグナムのトリガーを千帆の細く長い指が押し下げる。
怖がっているのはお姉ちゃんじゃないか。震える声でそう言った千帆をからかいたくなったが、やめておいた。実際その余裕もなかった。
着実に、自分に残された時間は減ってきていた。早人はなんとか力を振り絞り、引き金へと指を伸ばす。
強張った指を苦戦しながらもなんとか撃鉄にそえ、早人は再度力を尽くして身体を起こした。
ふと、視界が広がり早人は傍らのガラスに映った自分たちの姿を、改めて見直した。
大きく黒い銃を、子供二人が押し合うように握る姿。不格好な姿に思わず笑ってしまいそうだった。なんとも滑稽な姿だった。

「ほんと……お人好しなんだよ、お姉ちゃんは」

千帆のひきつった横顔を眺め、ポツリとそうこぼした。実のところ、早人が千帆にやけに突っかかっていたのにはもう一つ理由があった。
認めるのは恥ずかしくてここまで誤魔化してきた。だが、早人は最後になってようやく、その事を受け入れた。

千帆は彼の母親に、どことなく似ているのだ。
感情豊かでコロコロ表情が変わっていく。素直じゃなく、お節介なうえに頑固者。そうかと思えば、飾らずストレートに気持ちを伝えてくる。
いうなれば、彼女への抵抗はささやかな母親への反抗期みたいなものだったのだ。
癪だったが早人自身どこかで、母親に甘えるように彼女に甘えている部分があったのかもしれない。きっとそうだったのかもしれない。

「ママ……」

死ぬのは怖くない、なんてプロシュートの前では啖呵を切ったが、実際やっぱり怖い。
段々と体が冷えてきた。意識もはっきりしないし、どことなく視界もあいまいだ。
これが死ぬ事かと思うと、恐怖がない、だなんて口が裂けても言えない。
怖いし、独りぼっちだ。あのどこまでも底なしの闇に自分が呑まれていくのかと思うと、気がおかしくなりそうだった。
やっぱり死にたくない、まだまだ生きていたい。早人はそう思った。
涙が自然と込み上げてきたが、ここで零すと情けなくて、男の子の意地でそこはグッとこらえた。
怖くて怖くてたまらず泣け叫びたくなったけれども、なんとかそれだけは踏ん張った。

「……なんで泣いてるのさ」
「……早人君の分まで、私が泣いてるのよ」

だというのに、まただ。またも千帆は早人の意志なんぞ関係なしに。早人の気持ちなんてお構いなしに。
ポタリポタリと早人の掌に水滴が降りかかる。見るまでもなくわかった。千帆が人目をはばからず、泣いていた。
宝石のように綺麗な瞳から、キラキラと輝く水滴が流れ落ちる。綺麗だとは思ったが、口に出すと何だか悔しいので早人は黙ったままだった。
千帆の目から水の蕾が、とめどなく溢れ、落ちていく。
その美しいこと! 健気な様子も相まってか、千帆のその涙にくれる姿はとても印象的だった。

一滴落ちるたび、早人の中で邪念が消えていく。
恐怖が、妬みが、憎しみが。怒りが、悲しみが、寂しさが。
水滴とともに、負の感情は流れ落ち、早人の心は澄み渡っていった。湖のように穏やかで、波一つないほど平穏だった。
ふと頬に手を伸ばしてみると、早人自身もいつの間にか涙していた。口元には笑顔が浮かんでいるというのに、涙が止まらない。
せっかくさっきは頑張ってこらえたというのに。まったく台無しだ。本当に、千帆は困ったものだ。
困らされたついでだから、最期は自分が千帆を困らせる番だ。そう早人は思い、少女に話しかける。
彼が託した願いはたった一つだけ。泣き笑いのまま、最期に千帆に囁くような声で早人は頼んだ。

「ママに、よろしく伝えておいてくれない……?」

返事はなかった。決壊した感情から、千帆は嗚咽を漏らし、僅かに頷くことしかできなかった。
それでよかった。きっと彼女はやり遂げてくれるだろう。これで心おきなく逝くことができる。
早人は最後にやり遂げた。戦いを終え、伝えることを伝え、もう少年がなすべき事はない。
達成感とともにこみ上がってきた疲労感。倦怠感に身を任せ、早人はゆっくりと千帆に身体を預けた。
そして最後、千帆に、おねえちゃんと声をかける。そして手に持つ拳銃のグリップを力強く握った。
無言で伝わる合図に、少女は頷き、そして掌と心を重ねた。


そして早人は引き金を引く。銃弾は宙を裂き、狙い通り、獣の心臓を捕えるだろう。
叫び声をあげる暇もなく、いたぶらずに済めばそれは幸いだ。早人は最期、満足そうにそっと呟いた。
少女にあてた、最後のメッセージだった。それが銃声に紛れ、彼女に届いたかどうかは早人にはわからなかった。


「ありがとう……」




   ―――パァン………………








これだけ明るいと月の位置にも気をつけないといけないな。
頭上にそびえる大きな月を眺め、そう考えていた男は直後、苦笑いを漏らす。
こんな時まで仕事のことを考えているなんて、さすがにワーキングホリックがいきすぎだ。
第一もう夜は明けようとしているのだ。東の空に顔をのぞかせた真っ赤な球体を眺め、プロシュートは大きく息を吐いた。
朝の陽ざしが立ち上る蒸気を反射すると、寒い冬に吐いた息のように、白い霧がうっすらと漂っていた。

病院入り口前の段差から立ち上がると、ズボンについた埃をはたき落とす。
腫れぼったい眼をこすり、身体を伸ばしていると、後ろで自動ドアが開く音が聞こえた。プロシュートは病院から出てきた人物に目を向けた。

プロシュートは普段タバコを吸わない。ウマいマズイは別として、臭いがつくのが嫌なのだ。
タバコの臭いは本人が気づかぬ以上に服についてしまうもので、それが原因で任務失敗なんてことになったら、悔やんでも悔やみきれない。
なにしろこのご時世、嫌煙家はすごい勢いで増えつつある。ターゲットもタバコのにおいに敏感になりつつあるのだ。
それがいいことかどうかはわからないが、少しでも任務の成功率を上げるためなら努力は惜しまない。
だから彼はタバコを吸わないのだ。決して吸えないわけではないし、嫌いでも好きでもないが、ただ吸わない。
プロシュートとは、そういう男なのだ。

故に男が彼に向かってタバコを突きだしてきたとき、彼は少し迷った。
しかし断るのもなんだか野暮で、その上誘い方が強引だったものだから、なし崩しで彼は一本受け取った。
すかさず渡されたライターで火をつけると、肺一杯に煙をため込み、そして、大きく一服する。
爽快感も、清々しさも別段これと感じなかった。ただそのままボケっとしているのもマヌケっぽいと思ったので、何度か煙を吸い、そしてその度、吐き出した。

時間が経つにつれ、ニコチンが身体中に回っていくのがわかった。同時に身体のあちこちに鋭く、ズン、と響くような痛みを感じた。
表面上は平然としているよう努めるが、相手に気づかれぬよう、プロシュートは自分自身の体を逐次点検していく。
短時間でダメージを追いすぎたな、そう反省した。一方で、あの厄介なスタンド使い相手にこれだけ軽症で済ませられたのは幸運だったな、彼はそうも思った。

タバコが半分まで短くなったところで、咥えていた吸殻を落とし、靴の裏で踏んづけた。
隣の男を見るとちょうどよく、彼もまた一服を終えたところだったようだ。都合がいい、なすべき事はさっさと済ませてしまうに限る。
プロシュートは傍らにいる男に背を向け、数歩だけ足を進める。背中に突き刺さるような視線をあえて無視し、彼は必要以上にゆっくりと歩いた。

「いつから気がついていた?」

振り向くと同時に、眼前の男はそう問いかけてきた。右手に持った拳銃をギュッ……と握りしめたのが、傍目からみてもわかった。
すぐには返事をせずに、プロシュートは男の目を見つめ続けた。互いの視線が混じり合い、瞳の奥底、更に奥に潜む心を覗きこんでいるかのようだった。
依然そのままの眼差しで、暗殺チームの男は気だるそうに、口を開いた。

「いつからと言われれば最初からだし、最後の最後まで確信はなかった。
 ただ言わせてもらえば、最初から病院内にいる参加者全員、始末する予定ではいた。
 マジェントも、お前も、あの上院議員さんとやらも」
「疑わしきは殺せ……ってか?」
「そういうことだ。特にマジェントは俺のスタンド能力を知っていた。
 アイツの事だ、放っておいたらあっという間に会うやつ会うやつ全員に言いふらしかねない勢いだった。
 そんな危険性も考えれば、始末しないわけにはいかなった。スタンド能力は俺にとっての死活問題なんでな」
「自分の尻拭いを口封じで補おうってか? 暗殺チームの名が泣くぜ」
「そういうお前さんもギャングが聞いて呆れるな。敵前逃亡、自信喪失。対した度胸だ、涙が出るほどご立派だ。
 お母ちゃんのお乳でも吸って、慰めてもらえばいいさ。おっと、タマナシ臆病者の場合は、“ぶ厚い胸板に抱いてもらう”、か?」


眼光鋭く、挑発に挑発を重ね合う二人。口調こそ冷静そものだったが、一触即発の空気が二人の間には漂っていた。
ティッツァーノが震える右手で銃を握り直す。プロシュートは重心を僅かに下ろし足裏で砂利をしっかりと踏みしめた。
あとはどちらが先手を打つか。達人同士が刀を握ったまま動かない、そんな肌を焦がすような緊張感が二人の間に流れていた。
瞬き一つ躊躇うような時間がいくらか流れ、二人の考えることは、ともに一つ。

これがそこらのナンパ道路や仲良しクラブであるならば、あるいは二人が虚勢を張ったチンピラ同士ならば。
なんてことない、二人は派手に喧嘩騒ぎを起こし、共にムショにぶち込まれ、そしてそれっきりだ。
それが普通だ。ぶっ殺すなんて言うが、本当に殺すやつなんかいるわけがない。死ね、なんて暴言を実行してしまうやつは頭のおかしな殺人狂だ。

だが不幸な事に、二人はギャングだった。それも他方は裏切り者、もう一方はそれを始末する命を背負った親衛隊。
尤も相容れない両者に、覚悟の決まった者同士。ならばこれは必然だ。戦いは必須であるほかない。

ティッツァーノの目にもう迷いはなかった。ここでひいたら、彼は彼でなくなってしまう。
一度ならず二度まで尻尾を巻いて逃げだすことは、死ぬより辛い行為だろう。
敗北を背負い続けて生き永らえるなんぞどんな拷問よりも、惨い処罰だ。
怒りのあまり、拳が震えた。彼は先ほどかけられた屈辱を、忘れてはいない。

プロシュートはとうの昔に覚悟しきっている。彼は一度として過去を振り返らず、神に祈ったこともない。
男はいつだって自分が正しいと思った道を歩んできた。全て背負い、頭を下げることなく歩いてきた。
それで戦う必要があるならば、彼は全身全霊を傾けて戦うだろう。今も、そして、これからも。
目前の男から立ち上る闘気を前に、武者震いをする。自分が生きている世界を実感する瞬間だ。

突如、身体がよろけるような暴風が吹きすさんだ。ティッツァーノの白い髪が風に煽られ、大きくなびく。
音を立て流れる気流に負けることないよう、彼は大きく叫んだ。


「パッショーネ、ボス親衛隊、ティッツァーノ。スタンドは『トーキング・ヘッド』」


そして向かい合う男も、言葉を返した。


「パッショーネ、暗殺チーム、プロシュート。スタンドは『グレイトフル・デッド』」



 ―――いざッ 尋常に……ッ!



病院が、二人を覆うように影を落としていた。
その影を切り裂くように、東から昇った日が差し込んだ。
それが合図だ。男たちは同時に動いていた。


「ティッツァーノォオオオ―――――ッ!」
「プロシュートォオオオオ―――――ッ!」


光の道に合わせ、プロシュートが駆けていく。十数メートルあった距離を、一跳びッ 二跳びッ
己の分身、『グレイトフル・デッド』を纏うように呼び出し、男は吠え、駆けていく。獲物目掛けて、走っていくッ
ティッツァーノは黒光りする銃を振り上げ、凶弾を撒き散らす。そして同時にバックステップ、距離をとるッ
予想通りプロシュートは弾丸をはねのけ、頭を低くしたまま突っ込んできた。ここまでは思った通り。覚悟の差を見せつけるならば……次の一手だッ

直後、二人の間に一つのビンが放り投げられた。ティッツァーノが投じたのは消毒用アルコールのビン。
そう、真夜中時にティッツァーノが一人の男を始末した時のようにッ アルコールの引火による火炎攻撃ッ!
彼の狙いは銃撃でなく、灼熱の炎による真っ向勝負だッ 手に持った銃口がビンを狙う。着弾すれば、油の雨が容赦なく二人を襲うだろう。

「グレイトフル・デッドッ!」

だがプロシュートは怯むことなく踏み込んだッ 常人ならば踏みとどまるところを、男はさらに加速した。
ビンに向かって身を乗り出し、さらに勢いをつけて突進したのだッ これしきのことで、プロシュートは止められない!
殺意を、死を幾らもってしても彼を止める事なぞ出来やしないッ それがプロシュートという男なのだッ!

そして それがわかっていたからこそッ 男がそんなことでは怯みもしないと知っていたからこそッ
ティッツァーノもまた、彼を上回るため、既に行動は完了していた! 無傷で済まそうなんて、そんな甘えた思考は一切ない!
後退から一転、急発進すると彼は銃を持っているというのに接近戦を仕掛けようとしていたッ!
そして同時に、頭上のビンを、銃弾で狙い撃とうと構えを取ったッ!

地獄の業火も生ぬるい、例えこの身焼き尽くされようともッ
二人の男が接近する。銃を構えたティッツァーノ、スタンドを従えたプロシュート。
届くはどちらだ? 拳か、弾丸かッ!


そのさなか、ティッツァーノは気がついた。刹那、訪れた辺りの変化に、彼は自らの敗北を悟った。
いつの間にか辺りを漂っていた霧が色を変えていた。白く薄かがっていた朝もやが、いつしか不気味な紫色の霧に変わっていた。
途端、手に持つ銃が鉛のように重くなる。踏み出す脚が泥に嵌ったかのようにもつれた。


 ―――これは…………ッ!?


銃声、風切り音、そして沈黙。
宙で割れることなく落ちてきたビンが、ガシャン、と音を立てて破裂した。続いて一つの影が地面にゆっくりと、倒れ伏す。
崩れ落ちたのはティッツァーノ、立ちつくすはプロシュート。勝負は決した。暗殺チームの一員、プロシュートの勝利だった。

胸に空いた大穴から血が吹き出る。両手でいくら抑えても、後から後から底なしの泉のように血が湧き出て、止まらなかった。
瞬く間に辺りは血の池になり、その真ん中で陸に上がった魚のように、ティッツァーノは口を動かしていた。
呼吸ができない。血が止まらない。死に逝く定めだとわかっていても、やはりそう簡単には手放せなかった。彼は死に物狂いで、必死で、必死に生へと食らいつく。

頭上、影が覆いかぶさった。逆光で表情が見えない中、男は屈むとティッツァーノの右手に持った拳銃へと、手を伸ばす。
渡してなるか、そう思い歯を食いしばったが、虚しくなるほど簡単に銃は取り上げられた。
もう何の抵抗も無駄だ。まな板の上の鯛。現実は悲しくなるほど、非情である。

最期の瞬間、ピストル越しにティッツァーノは男の目を見た。
それを見た時、安堵にも似た感情が身体中を駆け巡り、彼は自分の全身から力が抜けるのがわかった。
ああ、それでいい……なんて美しいのだろう。
感嘆するほど、その目に慈悲は一切なく、憐れみも、同情もしない、真っすぐな目が彼を見つめ返していた。
口元が緩み、死にかけの男の顔に笑顔と思しきものが浮かんだ。諦めでもない、皮肉でもない。
沸き起こった感情は何だかわからなった。だが、それでも、彼は笑っていた。

「男一人仕留めるのに、えらく苦労したな……プロシュート?
 裏切り者は死ぬ運命だ。俺程度に苦戦しているようなら、この先、お前たちに未来はない」

細く皺だらけになった腕を、頭上に伸ばす。男に指を向け、彼は大見えを切った。

「勝利にはかわりがない。必ずやボス親衛隊はお前たちに死をもたらす……ッ」

男の表情は見えなかった。
言葉を返すこともせず、代わりにティッツァーノの耳に聞こえてきたのは彼が安全装置を引き下げる音だった。
無慈悲で、冷たい、機械的な音だった。


「そうだ、かわりない。俺たちの勝利には……」




   ―――パァン………………








歌が聞こえた。美しい歌声だった。
柔らかなメロディに、伸びのあるハミング。どこか故郷を懐かしむようなその歌は、プロシュートの足を立ち止らせた。
再度病院に足を踏み入れた男は、しばらくの間、その歌声に聞き惚れていた。
それでもいくらか経てば歌は終わり、辺りは再び沈黙に包まれる。男は玄関ホールを横切ると、うっすらと浮かび上がる人影に近づいていく。
人影がはっきりと見える距離まで近づくと、彼はそこで立ち止まった。

人影は一人の少女と、一人の少年だったもの。
少女は膝の上で死んだ少年を抱き、彼の頭を優しく撫で続けていた。渇いた涙の後がはっきりと残り、真っ赤に充血した眼が痛々しい。
少年に目をやると、その死に顔は大層穏やかで、まるで子守唄で眠りに落ちた赤ん坊のようだった。
悔いが残らなかったならそれでいい。プロシュートは自分の行いが少年の助けになったとわかり、少しだけ充実感を感じた。

気配を感じたのか、少女がこちらを見る。目をそむけたくなるほど真っすぐで、綺麗な目をしていた。
プロシュートは何も言わず、無言のまま。しばし二人は見つめ合う。視線を逸らしたのは少女のほうで、男が持つ拳銃に気づいた彼女が途端に身を固くした。
男はそれでも何も言わないままだった。弁明するでもなく、脅迫するでもなく。
彼女と同じように、自分の持つ拳銃を改めて見直す。親衛隊の男の血がこびり付き、グリップに至っては元の色がわからぬほどに真っ赤に染まっていた。
それを見ているうちに、男の脳裏を一つの言葉が横切っていく。今しがた、元の拳銃の持ち主に、彼が言った言葉だった。


   『最初から病院内にいる参加者全員、始末する予定ではいた』


顔をあげ、もう一度少女の視線を真正面から受け止めた。握り直したグリップは血が滑り、その拍子に渇いた血痕が剥がれ落ちた。
私も殺すんですか、少女が聞いた。寸秒も置くことなく、ああ、そう言おうとして……言い返せなかったことに男は驚きを隠せなかった。
何を躊躇っているのかまったくわからない。けれども普段であるならば、考えるまでもなく言えるイエスが、今は口に出すことができなかった。
自分の言葉が重みを持って、心臓辺りにぶら下がっている。込み上げた吐き気を無理矢理呑み戻したかのような、不愉快さだった。

だが、どれだけ僅かであっても、躊躇った決断に身を委ねるのは許せない。
不愉快さには意味がある。本能や直感は必然だ。なにか自分の中で不満や鬱憤があるからこそだが、一体それはなんだというのだろうか。
少女を殺すのには理由がある。必要もあれば、手段も選ぶほどある。ならば何故。一体どうして。

「……ッ」

頭をぶん殴られたような衝撃が、次の瞬間プロシュートを襲った。
どんなことがあろうと一切ヒビを入れなかった男の表情に、亀裂が走っていた。
夢か幻覚か、プロシュートは少女の後ろに二人の男の姿を見た。
川尻早人とティッツァーノ、亡霊のように、彼女の目を通して二人が男を見返していたのだ。

人は誰でも甘さを持って生きている。誰もが心を鬼に、修羅のような人生を送れるわけではない。
漆黒の殺意を持つ男であっても。どんな時でも苦楽を共にしたパートナーを持つギャングでも。
人が人である以上、優しさや慈愛はどれだけ洗い流そうとも、落ちることのない業だと言っていい。そう、愛だってまさにそうだ。

罪を背負って生きていくこと。それはどれだけ難しく、辛いものなのだろうか。
誤魔化すでもなく、目を逸らすこともなく、受け入れる困難さを男は知っている。
彼がどれだけ長くをかけて、今の自分である覚悟をしたのか。心張り裂けるような葛藤がその裏には確実にある。

プロシュートが感じたのは凄みだ。ただの一人の少女、双葉千帆が背負う宿業の大きさ。
何千何万と人々を見てきた。人間の罪深さ、欲望の底なしさ、吐き気を催すような所業。
殺しに深く関われば関わるほど、人の本質から目を背けずには生きていけなかった。
だが違う、双葉千帆は違う。彼女の瞳に宿る意志は、清汚混在、彼がかつて見たことのないほど底知れない。
そう、無限に続くのではと思わせ、恐怖を抱かせるほどの深淵が、彼女の中に潜んでいた。

「……埋めてやるぞ」
「え?」
「川尻早人をだ。放送までしばらくある。気休めにはなるだろう」

男はそれに気づいてしまった。知らなければ、どれだけ彼にとって心穏やかに済んだであろう。
ただ一人の少女を始末した。それはきっと心乱すことない、いつもの彼でいれた、『あったかもしれない未来』だ。
だが、気付いてしまった。偶然であろうと、必然であろうと、運命であろうと。プロシュートは悟ってしまったのだ。
ならばもう戻れはしない。もう男は、振り向くことができない。

今、振り返れば。今、後戻りしたら。
それはプロシュートだけでなく、早人を、ティッツァーノを、そして彼が背負ってきた人すべてを侮辱することになる。

病院の冷たい床が、頭上の蛍光灯を反射した。
浮かび上がったプロシュートの顔は幽霊かのように青ざめていた。
だが、その顔から迷いは消えていた。暗殺チームの一員、プロシュートは振り返ると、千帆がついてくるのを待ち、そして裏庭へと姿を消した。





誰もいない病院の玄関。
天井から漏れた一雫の水滴が、誰のものとも知れない血だまりに落ち、ピチョン……と音を立てた。







【虫喰い 死亡】
【川尻早人 死亡】
【ティッツァーノ 死亡】

【残り 84人】





【G-8 フロリダ州立病院内/1日目 早朝(放送直前)】

【プロシュート】
[スタンド]:『グレイトフル・デッド』
[時間軸]:ネアポリス駅に張り込んでいた時
[状態]:動揺、体力消耗(大)、色々とボロボロ
[装備]:ベレッタM92(15/15、予備弾薬 30/60)
[道具]:基本支給品(水×3)、双眼鏡、応急処置セット、簡易治療器具
[思考・状況]
基本行動方針:ターゲットの殺害と元の世界への帰還
0.早人を埋めてやる。その後放送を待って行動。
1.暗殺チームを始め、仲間を増やす
2.この世界について、少しでも情報が欲しい
3.千帆の処遇は保留。

【双葉千帆】
[スタンド]:なし
[時間軸]:大神照彦を包丁で刺す直前
[状態]:体力消費(中)、精神消耗(大) 目が真っ赤、涙の跡有り
[装備]:万年筆、露伴の手紙、スミスアンドウエスンM19・357マグナム(6/6)、予備弾薬(18/24)
[道具]:基本支給品、救急用医療品、ランダム支給品1~2
[思考・状況]
基本的思考:ノンフィクションではなく、小説を書く。
0:早人を埋めてやる。その後放送を待って行動。
1:とりあえずはプロシュートについて行くつもり。
2:川尻しのぶに会い、早人の最期を伝える。
3:琢馬兄さんもこの場にいるのだろうか……?
4:露伴の分まで、小説が書きたい

【備考】
※『グレイトフル・デット』には制限がかかっています。が、精神力でどうともなります。水をかければ一瞬で治ります。
 あまりロワというものの制限が好きじゃないのでノリで書いていいと思います。
 一応具体的には 射程距離が伸びると疲れる、自身の老化コントロール不可 の二点です。が、気にせずブッちぎってもいいと思います。
※プロシュートは病院内に放置してあった基本支給品から水を回収しました。不明支給品も回収し、残りは荷物になるので置いて行く予定です。
※病院の玄関前にティッツァーノの死体が、玄関ホールにマジェント+上院議員の合体死体、そして虫食いの死体が放置されています。
※ティッツァーノの銃をプロシュートが、早人の銃を千帆が、それぞれ所持しています。




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084:『日陰者交響曲』 プロシュート 120:Dream On
084:『日陰者交響曲』 双葉千帆 120:Dream On

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最終更新:2012年12月09日 02:28