重力は、毎秒9.8メートルの勢いで地上全てのものに働く。
それはすなわち、最初に落とす位置が高ければ高いほどに、その勢いと速度を増していくという事。
これは、人間の幸福にも当てはまることである。
受けた幸福の度合いが高ければ高いほど、そこから突き落とされた時の恐怖や絶望といった負の感情は計り知れなくなるほど大きくなるものである。
では、その人間の幸福とは一体どのようなものであろうか?
それは百人人間がいれば百通りの例があげられる。
美味なるものを腹一杯食べることと答えるものもいるだろう。
自らが満足するだけの作品を作り上げることと答えるものもいるだろう。
かねてより収集しているものを集められることと答えるものもいるだろう。
幸福とは、具体的な形を持たないものだ。
そして、今ここに一人の女性がいる。
彼女は、それまでの人生でも最上級の幸福の真っ只中にいた。
――そう、『いた』。



彼女の名は、エリナ・ジョースター。
旧姓をペンドルトンという。
彼女には、心の底から愛し、また同等かそれ以上の愛を与えてくれる一人の男性がいる。
たとえどのような苦境に陥っても、決して絶望することはなく、常人離れした勇気と熱く誇り高き精神を持って困難を打ち破る事の出来る男だった。
その男の名は、ジョナサン・ジョースター。
エリナとジョナサンは互いに深く愛し合い、そして先日ついに結婚した。
数多くの友に祝福され、幸福に包まれながら新婚旅行へ向かう船へと乗り込んだ。
これから先に待つ、希望と幸福に満ち溢れた人生への船出になる、見た目には小さくも彼女にとっては大きな一歩であった。



しかし、その一歩は幸福への道を踏むことはなかった。
一瞬のブラックアウトの後に目の前に広がったその風景は――絶望だった。
どこなのかもよく分からない空間の中で、メガネをかけた小柄な老人が自分たちに呼びかけた。
「今、この場を持って『バトル・ロワイアル』の開催を宣言する」と。
バトル・ロワイアル。
殺し合い。
エリナには、最初その言葉の意味が分からないでいた。
今まで幸福の真っ只中にいた彼女には無理のない話だった。
だが、その直後に老人の横に一つの人影が現れた。
その者が何者であるのか理解したその瞬間、エリナはひどく狼狽しそうになった。
エリナは知っている、あの逞しい体躯を。
エリナは知っている、あの誇り高き精悍な顔を。
エリナは知っている、目の前にいるあの男の名は――
ジョナサン・ジョースター。
自分が愛し、また自分を愛してくれたあの人が今、こうして捕らえられている。
それなのに今、エリナにはどうすることもできなかった。
やがて同じように拘束されている二人の男が現れたが、エリナの目にはジョナサンしか見えていなかった。
何故、ジョナサンがあそこにいるのか。
あの老人は一体誰なのか。
そもそもいま自分がいるここは一体どこなのか。
何もかもが、エリナには分からなかった。
だが何も分からないエリナにも、ジョナサンの首に何かが巻かれているのが見えた。
はっきりと見えたわけではなかったが、チョーカーやネックレスといった装飾品ではなかった。
まるで、家畜やペットにつけるような首輪。
よく見ると、その首輪は横の二人の男にも巻かれていた。
一体何の首輪なのだろうか?
そうエリナが考えを巡らせようとした次の瞬間、信じられない、信じたくない光景が広がった。



大きな音と共に、首輪が爆発した。
あまりにも短い、時間でいえば一秒にすら届かない瞬間の出来事だった。
首を失った体躯はだらりと力を失い、行き場を失った血液はその首からたらたらと溢れだす。
一瞬にして、周囲が怒号と悲鳴に溢れていった。
だが、エリナの耳には何も入らない。
エリナの視界が一瞬で霞んでいく。
喉の奥が一瞬で乾き、声すらも上がらない。
ぐらり、と自分の脚の力が失われるのを覚えたが、その先に待っていたのは二度目のブラックアウトだった。



(一体なんだったんだあれは…?)
ジョセフ・ジョースターは今までに体験した事のない不思議な現象に頭を痛めていた。
気分が悪い。
今までそんなに長い年月を生きていたわけではないが、このような感情は初めてだった。
今まで、本当に数多くの経験をしてきた。
おばあちゃんに叱られた事は両の指じゃ足らないくらいだし、警察のお世話になったこともたびたびあった。
乗っている飛行機が墜落した事もあったし、街中で機関銃をぶっ放したこともあった。
ナチスの将兵と仲良くなったこともあったし、親友を喪ったこともあった。
人間をはるかに超えた力を持つ誇り高き精神を持った戦士と文字通りの死闘も繰り広げたし、究極生命体を地球から吹き飛ばしたこともあった。
そんなジョセフにも、つい先程経験した事は今までにないことだった。
――自分自身が死ぬ瞬間を、自分自身のその目で見る。
どの世界にそんな経験をしたものがいるであろうか。
だが確かにあの時首輪を爆破されて死んだのは自分自身に他ならなかったし、ここにいる自分は他でもないジョセフ・ジョースターだ。
一体これはどういうことなのか?
考えても考えても、さっぱり分からない。
そもそも自分は柱の男達との死闘の全てに決着をつけ、みんなにスージーQとの結婚を報告しに行こうとしていたのに、何がどうして見たこともない場所で殺しあえと言われないといけないのだろうか。
何もかもが、さっぱり分からない。



分からないのは過程だけではなかった。
今ジョセフが立っているこの場は、実に奇妙な場所であった。
ギンギンの色彩で彫刻された不思議な動物達が立ち並ぶその場は、異様な雰囲気を醸し出していた。
(ここは……そう言えばおばあちゃんが教えてくれたっけな……なんとかっていう中国人だったかがこんなへんちくりんな庭園を建てたって……名前は…そうそう、タイガーバームガーデンだ。)
祖母から聞かされていた教えがこんなところで役に立つとは、とジョセフは小さくため息をついた。
しかしこのタイガーバームガーデン、どうにも居心地がいいとは言い難い。
ギンギンの色彩で彩られた彫像はこちらをじっと見つめてきているようで、どうにも落ち着かない。
それに今のこの場は殺し合いの場なのだ。
隠れる所が多いこの庭園では、どのような奴が潜んでいるのかも分からない。
ジョセフはデイパックを担いで一刻も早くこの場を離れようとした。

しかし、そのジョセフの耳に奇妙な音が飛び込んできた。
飛び込んできた、というよりはまるで囁いてきたかのような小さなか細い音だった。
若い女性であろうか、すすり泣く声だった。
(…オバケとかじゃねーだろうな?)
ジョセフがそう思ってしまうのも無理はない。
ジョセフが今立っているその場は先ほども言ったようにタイガーバームガーデン。
奇妙な彫像が所狭しと立ち並ぶその場で若い女性のすすり泣きの声が聞こえてくると言うのは、実に不気味である。
一瞬、その不気味さにジョセフはこの場から立ち去ろうかとも考えたが今のこの場は殺し合いの場なのだ。
殺し合いという恐ろしい場で一人泣いている女の子を放って自分は逃げるなんてことは、ジョセフにはできない。
ジョセフは意を決して、奇妙な彫像の庭園を進んでいった。





あふれ出る涙を、止めることができない。
脚には力が入らずに、地面に投げ出される。
この上もない深い絶望と悲しみを、エリナは全身から感じていた。
ジョナサンが、死んだ。
首輪を爆破されて、呆気なく死んだ。
自分が愛し、また自分を愛してくれたジョナサンは、自分に最後に何を言っただろうか?
それすらも思い出せない。
エリナは、無力だった。
この殺し合いという危険な場において、何もできないでいる。
それがどれほど危険なことなのか、頭では分かっていてもそれ以上にエリナの頭の中にあるのは最愛の人、ジョナサンが死んだという悲しみと絶望だけだった。

何かが後ろに来たような、そんな気配を感じた。
だが、その気配すら今の彼女には届かない。



生物を動かすものは何だろうか?
それは一口で言ってしまえば本能である。
快適な温度の場所を求め移動する、それも本能。
外敵のいなさそうな場所を求め移動する、それもまた本能。
そして、食べ物のありそうな場所を求め移動する、それもまた本能である。
今彼の目の前には、それは美味しそうな見た目麗しい女がたった一人で座っていた。
じゅるり、と舌が動く。
溢れ出そうになる涎を無理やり飲み込むと、彼はそっと彼女に近づいた。
かなぐり捨てたい理性をかき集めて、泣いている彼女に後ろからそっと近づく。
この位置ならば、いつでも喉笛に食い付けるのに、それを敢えてしない。
ぞくぞくするようなギリギリな状況を、彼――アダムスは感じていた。

(お…女だ!若い女の血はフワフワして美味いんだぜぇーっ!!)

ああ、すぐにでもその傷一つない肌に牙を突き刺したい。
その骨という骨を自慢の長い舌で舐り回したい。
だがその欲望を無理やり涎と共に飲み込むことで、味わうその女性の味はより一層絶品なものとなる。

そしてついに、自分の射程範囲内に彼女を捕らえた。
彼女はまだこちらに気づいていない。
しゃがみ込んでさめざめとただ泣くだけの彼女を前にして、アダムスはその歪んだ口元から舌を――人間のそれにしてはやたら長い舌を出した。
彼女を――人間を、捕食する。
それが屍生人。
バリバリと、人間の皮が破れその舌から醜悪な屍生人の顔が露わになる。
その屍生人の本能のままに、アダムスは女に飛びかかろうとした。



だが、飛ぼうとした体勢そのままに、アダムスの顔面は石の床に叩きつけられた。
そしてそのまま、全身に炎が注入されたような奇妙な熱さを感じていった。
それが、最期だった。





エリナにしてみたら、何が何だか分からないとしか言いようのない事態だった。
何か凶悪な殺気を一瞬感じたと思ったら、目の前には全身がぐつぐつに煮えてしまったような無残な死体と男の人であろうか、大きな両足が見えるだけだった。
腐肉のような醜悪な匂いがエリナの鼻を蹂躙する。
胃の中が撹拌されるような吐き気を覚えながら、ゆっくりと視点を上へと向けていく。
「やれやれ、まさか屍生人がいるとは思わなかったなあ……大丈夫かい?カワイ子ちゃん。」
ノリは軽いが、優しそうな声が耳に届いたがそれを言ったその顔はエリナには信じがたい顔であった。

その太い眉。
その強い意志を秘めた眼差し。
その精悍な顔立ち。

彼は――いや、そんなはずはない。
だが、今目の前に起きているのは紛れもない現実。
エリナの頭が、目の前の死体のようにぐちゃぐちゃに混乱していく。
そして目の前の男の腕にまだへばりついていた死肉を見たその瞬間――



「い、嫌あああああああああ!!」



エリナは、逃げ出した。
あまりにも多くの衝撃的な事が、おきすぎていた。
あまりにも多くの悲劇的な事が、おきすぎていた。
そしてエリナは、悲しいぐらいに無力だった。
その無力さは、エリナ自身を暴走させてしまう。
どこにどうつながっているのか分からない漆黒の道へと転げ落ちるように、重力が加速させるかのようにただただ暴走してしまう。
その力のままに、エリナはただただこの場から離れようと走り去ってしまった。

そしてそこには、ジョセフ・ジョースターだけが残されたのであった。





【アダムス 死亡】

【残り 143人】





【地下E-5 タイガーバームガーデン/1日目 深夜】


【ジョセフ・ジョースター】
[スタンド]:なし
[時間軸]:第二部終盤、ニューヨークでスージーQとの結婚を報告しようとした直前。
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:基本支給品×2、不明支給品1~2(未確認)、アダムスさんの不明支給品1~2(未確認)
[思考・状況]基本行動方針:ゲームから脱出する。
1.とりあえず、あのカワイ子ちゃん(エリナ)を追いかける。
2.いったいこりゃどういうことだ?
3.殺し合いに乗る気はサラサラない。



【エリナ・ジョースター】
[時間軸]:ジョナサンとの新婚旅行の船に乗った瞬間
[状態]:精神錯乱(中度)、疲労(小)
[装備]:なし
[道具]:基本支給品、不明支給品1~2(未確認)
[思考・状況]
1.何もかもが分からない。
ジョセフ・ジョースターの事をジョナサン・ジョースターだと勘違いしています。
東西南北どちらに走ったかは不明です。

【備考】
アダムスさんの参戦時期は屍生人となった後、ジョナサン達と遭遇する前でした。





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最終更新:2012年12月09日 02:00